134
カルロ・アルベルト通りの突き当りにサンタ・カテリーナ教会修道院があります。


137
サンタ・カテリーナ教会です。1772年に閉鎖されてから宗教活動が再開されることがない旧教会です。


136
こちらはサンタ・カテリーナ修道院だった建物です。


138
サンタ・カテリーナ教会修道院が建っている場所に、1283年からトレヴィーゾのシニョーリを務めるダ・カミーノ家の宮殿が建っていました。


p1320608
1306年、ダ・カミーノ家当主がその長男に宮殿内で殺害され、その長男も宮殿のロッジャで反乱軍によって暗殺され、ダ・カミ―ロ家はトレヴィーゾから追放されました。
追放後、ダ・カミ―ロ宮殿は放置され、荒廃しましました。


P2490210
1346年、マリアの下僕托鉢修道会が修道院建設を当時のポデスタに願い出ました。ポデスタは、荒廃したダ・カミーノ宮殿の土地と建物を与えました。
宮殿だった建物の一部を利用して、1346年、修道院と教会の建設が開始されました。


P2490204
1348年、ペスト禍によって建設工事が中断しましたが。ペストの流行が落ち着くと工事が再開され、15世紀初頭に完成しました。
当初は、サンタ・マリア修道院教会と呼ばれていましたが、後にサンタ・カテリーナ教会修道院と改称されました。


P2490212
1772年、修道院抑圧政策によってサンタ・カテリーナ教会修道院は閉鎖され、ヴェネツィア共和国の国有財産となりました。同年、競売が行われ、ベルフィオーレのフランチェスコ会三次尼僧の所有となりました。修道院抑圧政策で修道士を追放したにも拘らず、尼僧に落札させたのは矛盾のように思えます。


p1320609
1806年、ナポレオンの抑圧令によって、サンタ・カテリーナ教会修道院の建物はフランス軍に接収されて、軍事施設に転用されました。フランス軍の撤退後も国有の軍事施設として継続使用され、その状態は第二次世界大戦の終戦まで続きました。


p1320610
1944年4月7日と1945年3月10日の、ドイツ軍によるトレヴィーゾ空爆の際、修道院教会の建物は爆撃を受けて大きな被害を受けました。
戦後になっても建物の修復は未着手のまま放置されました。


P2490213
1974年、サンタ・カテリーナ修道院教会の建物に市立美術館の設置が決定されましたが、資金難のために建物の修復が中々進捗しませんでした。


P2490211
修復が済んだ建物の一部を使用して、市立美術館が2003年に部分開館しました。本格的な開館は2015年のことでした。
現在も建物の修復工事が継続されており、美術館は更に拡大されることになってます。


P2490205
修道院のファサード


P2490206
市立美術館の入り口です。


P2490207
月曜日が休館ですが、月曜以外は開館するものの毎日昼休みがあります。


144
サンタ・カテリーナ修道院教会の鐘楼です。


140
後陣


p1320611
修復が少し進んだ後陣


p1320612


p1320613
サンタ・カテリーナ教会ファサードの隣にあるCappella degli Innocentiのファサードです。


p1320614
Cappella degli Innocentiファサード上部にあるモノグラム


p1320615
サンタ・カテリーナ教会の構造図


152
美術館の扉が開きました。


151
入館します。


153
美術館は、考古学部門、絵画彫刻部門、サンタ・カテリーナ教会の三部門構成です。


154
入館すると先ずキオストロ回廊に出ます。


155
長期間、軍事用に転用され、第二次世界大戦における二度の爆撃を受けたので、20世紀後半に復元された回廊です。


156
それでもフレスコ画が僅かに残されてます。


157
回廊の壁のフレスコ画断片


158
回廊を経由して展示室に向かいます。


159
現代抽象画が回廊にありました。


160
現代抽象画は特別展示であって、常設ではないと思います。


p1320616
この日は階上で展示されていました。


P2490214
考古学部門から見て回りました。


P2490215
石器時代の展示


P2490216


P2490217


P2490218
青銅器


P2490219
鉄器


P2490220


P2490221
(つづく)