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グアルティエーリに2泊しての、その中日にグアスタッラの日帰り遠足を行いました。


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グアルティエーリ駅から列車でグアスタッラに向かいました。


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隣駅なので、僅か4分の乗車でグアスタッラ駅に到着しました。


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車掌が下車した人の切符をチェックしていました。無人駅から切符なしで乗車すると、この線では容赦なく罰金が課せられるので要注意です。切符なしで乗車した場合、車内で車掌を見つけて、車掌から切符を買うことです。車掌は、通常運転室にいます。車内で車掌が切符チェックを始めてから、切符なしを告げても遅いのです。


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駅員がいる時間もあるようですが、多くの時間は駅員がいません。バールは営業してます。


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駅舎です。


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駅から旧市街の入り口に向かうViale Ruggeriです。


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観光客がもう少し訪れて良い町と思いますが、この町自体をご存知の方が少ないようです。


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チェントロ・ストーリコに向かいます。城壁が殆ど残されていないので、チェントロ・ストーリコとの境界線が分かりません。


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共和国広場にやってきました。広場から旧市街になります。


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広場の先にサン・フランチェスコ教会があります。


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グアスタッラは、人口14,892人(2020年4月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州レッジョ・エミリア県にあるコムーネです。


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中世の頃、ゴンザーガ家の支配下に置かれましたが、特にルネサンス期にはグアスタッラ公国の首都として繁栄しました。


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パッセローニ通りを進んで、サン・フランチェスコ教会に向かいます。


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サン・フランチェスコ教会のファサードが修復工事中でした。


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マントヴァからレッジョ・エミリアにかけて、2012年から2015年まで断続的に地震に見舞われて、被害を受けた建物が非常に多かったのですが、この教会も大きな被害を受けました。


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現在地に、14世紀に建設されたアゴスティーノ会女子修道院がありました。
1571年、グアスタッラにフランチェスコ会 Padri Fracescani Minoriが訪れると、当時の支配者チェーザレ1世・ゴンザーガ伯爵(グアスタッラ、1530-1575)は、フランチェスコ会修道士たちにその活動拠点としてアゴスティーノ会女子修道院を与えました。
しかし、女子修道院だった建物は手狭だったので、1573年から修道院教会の建設が始められ、1622年に完成しました。


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現在のファサードは、1765年に改造されました。


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左側壁です。
1810年、抑圧令によって修道院と教会は閉鎖され、その後、宗教活動は再開されることなく現在に至ってます。


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右側壁です。
1810年の閉鎖後、たばこ会社に転売され、修道院が所有していた土地でタバコ栽培がおこなわれ、建物はたばこ工場になりました。
1862年、修道院教会の建物は国家所有となり、後に自治体に譲渡され、学校の校舎に転用されました。
1966年、学校は移転し、修道院があった場所に郵便局が建設されることになり、修道院だった建物は破壊されました。教会だった建物は自治体が使用することになりました。


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破壊された修道院の建物のうち、ごく一部が残されてます。


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16世紀に建設された鐘楼
1981年、教会の修復工事が開始されましたが、途中、地震によって被害を受けてしまい、修復工事が完成したのは2019年のことでした。


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単廊式、ルネサンス様式の内部です。


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左側壁


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右側壁の礼拝堂


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後陣天井の装飾


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左側壁第一礼拝堂


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ゴンザーガ家の紋章


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側壁上部の装飾


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スタッコ装飾


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旧教会の建物は展示会場などに使用されてます。


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Piazza del Mille


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広場ではなく、道路ですね。


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この辺は新しい建物が建ち並んでます。


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パスカーネ通りです。


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市の塔に向かいます。


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その前にサン・カルロ教会を見ます。


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フェランテ2世・ゴンザーガ伯爵(グアスタッラ、1563-1630)には、3人の娘がいました。その当時、嫁入りには莫大な持参金が必要でした。そのため、長女は持参金付きで嫁入りさせ、それ以外の娘は修道院で一生を送るのが普通でした。
フェランテ2世は、娘二人をグアスタッラの手元に置きたいと考え、アゴスティーノ会女子修道院の建設を決めました。そうして、1626年にサン・カルロ修道院教会が創建されました。建設工事は、フェランテ2世の息子フェランテ3世・ゴンザーガ伯爵に引き継がれ、1654年に完成しました。


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1810年、抑圧令によって修道院教会は閉鎖されました。


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1898年、修道院だった建物は市民病院に転用され、一部は破壊されました。


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(つづく)