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前泊地は、キヴァッソでした。


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雨上がりの朝でした。


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普通列車に乗車して、キヴァッソからビエッラに向かいます。


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車内は非常に空いてました。


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ビエッラ・サン・パオロ駅に到着しました。


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ビエッラ・サン・パオロ駅の駅舎です。


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前日は大雨で、この日の朝に漸く雨が上がりましたが、急速に天気が回復して快晴になりました。


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広い駅前広場(サン・パオロ広場)です。


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駅前広場に面した、この日のお宿に行き、大きな荷物を預けました。身軽になって、街歩きに出発しました。


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駅横の公園、Giardini Donatori del Sangueです。


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公園の名称が、この辺でGiardino Associazione Nazionale Prtigiani d’Italiaと変わります。


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カルソ通りです。
ビエッラは、人口43,362人(2020年8月31日現在)のピエモンテ州ビエッラ県の県都です。街の歴史は古く、発掘された遺跡から先史時代の12万年前に集落があったことが分かっているそうです。


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旧市街の中心ピアッツォは、駅から約2キロメートル離れた丘上にあります。
19世紀、ビエッラは世界的な毛織物産業で栄えましたが、旧市街周辺には工場や事務所を建設するための土地が狭かったので、都市計画に基づき新たにサン・パオロ地区が造成されたのです。その入り口に鉄道駅が設けられました。


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ネオ・ゴシック様式のサン・パオロ教区教会が見えてきました。


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サン・パオロ地区は、造成前は畑と森林から成る広大な農地と荒地が広がっていました。造成された土地は新教区として認められ、住民の信仰の中心として教区教会の建設が計画されました。


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そうして、1913年に創建され、早くも翌1914年に完成しました。1915年9月にオープンしました。


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しかし、教会はオープンしたものの、肝心の教会へのアクセス道路がなく、荒地に教会だけが建っている状態に加えて、造成された土地に住む住民が少なかったので、教区教会とは名ばかりの存在でした。


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更に第一次世界大戦が勃発してしまい、教会の運営にも支障が出ました。


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奉献式は、オープンから25年後の1940年9月26日に執り行われました。
しかし、毛織物業で栄えたビエッラは、第二次世界大戦を迎えて、最初はムッソリーニ政権を攻撃する連合軍から、降伏後は連合国に加わったことからドイツ軍から爆撃を受け、この教会も被爆したのです。


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入口扉上ルネッタのモザイク


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聖エリザベッタ


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聖パオロ


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入口扉横柱の彫刻


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入口扉の彫刻


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中に入りました。


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三廊式、ネオ・ゴシック様式の内部です。


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一見して富裕な教会であることが分かります。


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天井


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Presbiterio


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主祭壇


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チーロ・コロモイの「キリストの神殿奉献」(1948)
この画家を全く知りません。


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チーロ・コロモイの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1948)


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構造がゴシック様式なので、古く見えなくもない。


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フェリーチェ・カゾラーティ(ノヴァーラ、1886-トリノ、1963)の「トリッティコ(パドヴァの聖アントニオと聖マウリツィオと聖エウセビオ)」(1941)


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左側廊


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右側廊


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詳細不知


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Presbiterio前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)