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要塞の外壁です。


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要塞守備兵舎を通り過ぎます。現在は民家となっているようです。


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聞こえるのは鳥の鳴き声だけでした。


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人の気配が全くありません。


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修復工事中でした。


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工事が終わったという情報があったのですが、がさネタでした。


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鳥の鳴き声が聞こえるだけで、人の気配が全くありません。


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工事が中断されていたと思います。


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工事中断の理由が分かりません。


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要塞に近付くことが出来ません。


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予定では、1年前に修復工事が終了している筈でした。


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折角来たからには、要塞の周りを一周してみることにしました。


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しかし、これでは見る価値がないな、と思いながら歩きました。


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道が通行止めとなっていました。


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仕方がないので、戻ることにしました。
以下は修復工事後の姿です。


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城から見た要塞 Fortezza Medicea di Poggio Imperialeです。


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ポッジョ・インぺリアーレのメディチ要塞です。


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要塞の外壁です。


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ルクセンブルグのエンリコ7世(1275-1313)は、1312年、ローマ皇帝に戴冠しましたが、ポッジボンシの丘上に街と要塞の建設を考えていましたが、その翌年の1313年に没してしまい、その計画は実現しないで終わりました。


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1293年以降、ポッジボンシはフィレンツェの支配下にありました。


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要塞の建設を決めたのは、ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ通称ロレンツォ・イル・マニーフィコ(フィレンツェ、1449-カレッジ、1492)でした。


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1478年、パッツィ家の陰謀事件によって、フィレンツェのドゥオーモで暗殺されそうになり、弟ジュリアーノを失ったロレンツォ・イル・マニーフィコでしたが、それに続く対教皇庁・ナポリ王国との戦争、所謂パッツィ戦争に懲りたことから、フィレンツェ領土防衛強化策を採りました。


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その一環として、ポッジョ・インぺリアーレと呼ばれた丘上に要塞の建設が下命されました。ポッジョはポッジボンシ、インぺリアーレはエンリコ7世に因んでます。


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そうして、建築家ジュリアーノ・ダ・サンガッロ(フィレンツェ、1445-1516)が起用されました。


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ジュリアーノ・ダ・サンガッロの設計と共にジュリアーノの弟アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ(フィレンツェ、1455-1534)が参画して、1488年から1511年に建設された要塞です。


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難攻不落の要塞として有名でしたが、トスカーナ大公国の衰退とともに徐々に軍事的な重要性が失われました。


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Porta Calcinaiaです。


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要塞内から見たPorta Calcinaiaです。


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次の門です。


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Porta del Giglioです。


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要塞内から見たPorta del Giglioです。


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Porta della Fonteです。


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要塞内から見たPorta della Fonteです。


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要塞内のPorta della Fonte付近です。


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名無しの小さな門


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Porta San Francescoです。


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Porta San Francescoの内側です。


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城壁内のCasseroです。


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Casseroとは、天守閣、格間、本丸という意味です。
(つづく)