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ポッジョ・インぺリアーレのメディチ要塞から下ります。


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Fonte delle Fateです。


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メディチ要塞守備兵の兵舎でした。


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現在は民営となってます。


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向かいの丘 Poggio Marturiの上にバディア城が見えてます。


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Via San Luccheseです。


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道を下ります。


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かなりの急坂です。


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一旦道を下って、Poggio Marturiの丘に向かいます。


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バディア城は見る価値がないと思います。


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バディア城を無視しても良いのですが、単なる暇潰しのために一応見ることに。


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時計塔はサンタ・マリア・アッスンタ参事会教会の鐘楼です。


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左折してバディア城に向かいます。


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Poggio Marturiの丘上にあるバディア城です。


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この場所に、10世紀頃に建設されたサン・ミケーレ・アルカンジェロ修道院がありました。
10世紀末、スポレート公爵ウゴリーノ・ディ・トスカーナ(?、951/953-ピストイア、1001)が修道院の防衛力を増強すると共に城を築きましたが、その全体がバディア城です。


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1478年、フィレンツェのドゥオーモで、パッツィ家陰謀事件が起き、それに続いてフィレンツェと教皇庁・ナポリ王国の間でパッツィ家戦争が起きました。


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それに乗じて、シエナがフィレンツェに対して攻撃をはじめ、1479年、バディア城はシエナ軍に占領されてしまいました。


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それに対して、フィレンツェ軍は、向かいのポッジョ・インぺリアーレの丘からバディア城に爆撃を行い、シエナ軍は撤退しました。その爆撃によって城と修道院の大部分が破壊されました。


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シエナ、フィレンツェ間の戦争によって修道士全員が去り、修道院と城はそのまま放置されました。
その後、個人が城と修道院の遺跡を保有していましたが、遺跡の一部を取り壊し、1886年、その上にネオ・ゴシック様式で城のような建物が再建されました。それが現在の「バディア城」となってます。


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バディア城からサン・ジミニャーノが見えます。


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現在、「バディア城」の建物はホテルとアパートになってます。


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10世紀末に建設され、その後に増築されたパッツィ戦争以前の破壊される前の城の姿は分からないようです。
19世紀第4四半期に再建された城は、文化遺産としては、あまり評価されていないようです。それは当然ですが。


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次はバディア城の東先にあるサン・ルッケージ修道院聖堂です。


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サン・ルッケージ修道院聖堂の入り口です。


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修道院聖堂はスタッジョ川の丘上にあります。


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1010年、フィレンツェの攻撃によってフィエーゾレは莫大な被害を受けましたが、フィエーゾレを逃れてポッジョ・インぺリアーレの丘に定住したフィエーゾレ難民がいました。直ぐにフィエーゾレ難民によって、現在地に建設されたサンタ・マリア・デ・ヴィーコ・カマルドゥーリ教会が前身です。


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1220年、サンタ・マリア・デ・ヴィーコ・カマルドゥーリ教会は、ベアート・ルッケージ・ダ・ポッジボンシ(ガッジャーノ、1180/1182-ポッジボンシ、1251)に引率されたフランチェスコ兄弟会に与えられました。
1236年から1268年にかけて、教会は拡大されると共に修道院が建設されました。ベアート・ルッケージ・ダ・ポッジボンシの死後、何時しかサン・ルッケージ修道院教会と呼ばれるようになりました。
14世紀から16世紀にかけて修道院教会は更に拡大されましたが、フィレンツェ軍とシエナ軍の戦争によって度々被害を受け、修復と改装が繰り返されました。
1810年、抑圧令によって修道院が閉鎖され、1817年に民有不動産となりました。
1930年に大掛かりな改修、改装工事が行われました。


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第二次世界大戦中に爆撃され被害を受けたので、1948年に修復されました。現在の教会の姿は1987年に行われた改装後のものです。
1938年、第259代教皇ピオ11世(1857-1939 在位:1922-1939)によってBasilica Minoreに格付けされました。


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修道院だった建物です。


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キオストロ


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キオストロ回廊


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聖堂内です。


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単廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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Presbiterio


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主祭壇


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オルガン


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バルトロ・ディ・フレディ(シエナ、1330c-1410)の「聖アントニオの殉教」


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バルトロ・ディ・フレディ(シエナ、1330c-1410)の「バーリの聖二コラと三人の少女」


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469-1529/1530)の「聖母子と聖人たち」(1517)


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シエナ派?の逸名画家作「ベアート・ルッケージ・ダ・ポッジボンシ」
(つづく)