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カヴール通りを進みます。


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サン・ピエトロ門が見えてきました。写真左奥に教会があります。


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サンタ・マリア・ディ・コッレ教会です。


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教会の歴史は1216年に遡るそうです。1303年の文書に、この場所に同名の礼拝堂の存在が記載されてます。


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14世紀後半、最初の礼拝堂を組み込んで教会が建設され、教区教会となりました。


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1957年に宗教活動が停止され、現在、Auditorium Marianum "Frescobaldi"となってます。


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サンタ・マリア・ディ・コッレ修道院だった建物は宗教音楽学校になってます。


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修道院入り口にあるフレスコ画


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サン・ピエトロ門です。ロマーナ門とも呼ばれてます。


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市域の拡大によって、13世紀に新しい城壁が築かれましたが、ローマに向かう道の門として14世紀に築かれたサン・ピエトロ門です。
城壁内のファサードは、14世紀当時の外観を保持しているそうです。


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城壁内ファサードのフレスコ画「ロザリオの聖母と聖ドメニコと聖フランチェスコ」(1817)
私には制作者が分かりません。


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サン・ピエトロ門のアーチに描かれた「慈悲の聖母」のフレスコ画(詳細不知)


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門の内側


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サン・ピエトロ門を潜って城壁外に出ました。


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サン・ピエトロ門の城壁外ファサードは、アゴスティーノ・ディ・ドゥッチョ(フィレンツェ、1418-ペルージャ、1481c)とポリドーロ・ダ・ステファノによって、1475年から1480年に建設されました。アルベルティの影響を受けた門です。


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写真左の建物は、サン・ピエトロ門に隣接しています。


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サン・ピエトロ聖堂の鐘楼が写ってます。


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Borgo XX Giugno


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サン・ピエトロ門とサン・ピエトロ聖堂の真ん中辺りにあるマドンナ・ディ・ブラッチョ教会です。


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1497年に建設されましたが、1782年、Borgo XX Giugnoの道路拡張によって身廊が半分に縮小されてしまいました。


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中に、ティベリオ・ラニエーリ・ディ・ディオタッレヴィ(アッシジ、1470c-1524)の「聖母子」のフレスコ画があります。


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現在でも活動をしている教会です。


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サン・ピエトロ聖堂に向かいます。


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聖堂の歴史は古く、4世紀の初期キリスト教会に遡ると言われてます。
この場所に、ペルージャ最初の司教座教会がありましたが、それを取り壊して、996年に建設されたサン・ピエトロ修道院が現在の姿の原形です。その修道院は、1002年に文書に初めて記載されているそうです。修道院内の教会が1398年に拡大されました。


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1591年、建築家ヴァレンティーノ・マルテッリ(ペルージャ、1550c-1630)の設計、工事監督によって改造拡張工事が着工され、その30年後に完成した建物が現在の姿になってます。


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教会には、この入り口からキオストロに出て、キオストロ回廊を経由して中に入ります。


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Basilica Minoreに格付けされてます。


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キオストロに出ました。
サン・ピエトロ修道院は、ナポレオン軍のイタリア侵攻に伴う抑圧令によって、1799年に閉鎖され、フランス軍に接収されて軍用施設に転用されました。その後、民間倉庫として使用されましたが、イタリア王国の成立後は軍施設になりました。
1887年、ペルージャ市の所有となりました。現在は、ペルージャ大学の農業・食品・環境科学部の学舎になってます。


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鐘楼


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1463年から1468年に建設された、この鐘楼は非常に目立ちます。


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キオストロ回廊です。


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回廊の壁の一角にフレスコ画があります。


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残されているのはこれだけのようです。


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受胎告知


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14世紀に制作されたフレスコ画の制作者などの詳細が分からないようです。


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回廊から聖堂内に入れます。


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案内板があるので迷うことはないと思います。


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鐘楼の下の聖堂の入り口があります。


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この下に入り口があります。


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聖堂の入り口です。閉まってますが隣の扉が開いてます。
入口扉上ルネッタにフレスコ画があります。


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ジャン二コラ・ディ・パオロ(ペルージャ、1460c-1544)に帰属する「聖母子と二天使」
(つづく)