次はサン・ドメニコ教会です。
サン・ドメニコ教会のファサード前に門があり、閉まってますが、教会は広場に面して建っているので門が閉まっていても問題ありません。
サン・ドメニコ広場です。
元々の名称はサン・ドメニコ教会でしたが、現称のサン・ドメニコ教会は正式名称の略称です。
現在の正式名称は、サンティ・ドメニコ・エ・フランチェスコ教会です。そのように呼ばれることになったには訳があります。
創建以来、ドメニコ会の教会でサン・ドメニコ教会と呼ばれていました。
20世紀初めに修復工事が行われることになりましたが、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂で行われた修復を参考にして、Frati Minori(フランチェスコ会)の修道士が主導して修復が行われました。それを機に、この教会を管理する修道士会がFrati Domecani(ドメニコ会)からFrati Monoriに変更されたのです。つまり、フランチェスコ会の教会となり、奉献する聖人がそれまでの聖ドメニコに加えて聖フランチェスコが追加され、二人になったので、教会名が変更されたのです。
この地にサン・ピエトロ・ディ・フェレンティッロ(ヴァッレのサン・ピエトロ修道院)の修道士によって建設されたサン・サルヴァトーレ修道院教会がありました。
13世紀前半、スポレート定住を希望していたFrati Domenicaniでしたが、1247年、漸くを願いが叶い、定住地としてサン・サルヴァトーレ修道院教会が与えられました。
サン・サルヴァトーレ教会の一部を利用しながら、1248年から1259年に建設されたのが現在の建物の原形です。
修道院は、サン・サルヴァトーレ修道院を増築整備する形で建設され、1288年に完成しました。
元々はゴシック様式でしたが、外観と内装の一部は17世紀にバロック様式に改造されました。更に20世紀前半、元の姿に戻され現在に至ってます。
ファサード側の入り口扉です。装飾が殆どなく簡素な造りです。
ファサードに向かって右側壁にサイドポータルがあります。
サイドポータル上ルネッタにフレスコ画があります。
ペリーノ・チェーザレイ通称ピエリーノ・ダ・ペルージャ別称ペリーノ・ダ・ペルージャ(ペルージャ、1530c-スポレート、1602)の「救世主」(1591)
ピエリーノ・ダ・ペルージャは、ステファノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1379-1451)の信奉者で模倣者でもありました。
鐘楼
鐘楼に時計がついてます。
地元産の二色の石を使って外壁が造られてます。
中に入りました。
1934年にバロック様式から元の姿に戻された内部ですが、その改造工事前に撮られた写真です。この写真によって、バロック様式の礼拝堂があったことが分かります。
単廊式、ロマネスク・ゴシック折衷様式の内部です。
木組みの天井は21世紀のものです。
1997年の地震によって大きな被害を受けたので、2000年から2002年に再建されたのです。
塗り直された白壁が目立ちます。
後陣のステンドグラス
カウンターファサード
カウンターファサードのステンドグラス
ステンドグラスは、創建時のものではないようです。
新しいPresbiterio
オルガンについては詳細不知です。
聖職者席は20世紀のものです。
それでも内部の見所は豊富です。
Presbiterio上の木製磔刑像(14世紀)
殆どの壁に描かれたフレスコ画は塗り潰されましたが、それでもフレスコ画の宝庫と言えるでしょう。
13世紀から16世紀に制作されたフレスコ画ですが、制作者は分かってません。
壁という壁、柱など全面にフレスコ画があったとされてますが、16世紀と17世紀に行われた改造と修復工事の際に殆どが塗り潰されとされてます。
断片的にしか残されていません。
それでも見る価値は十分にあるフレスコ画です。
祭壇画もあります。
(つづく)
コメント