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次はスポレートの高地に聳えるアルボルノツィアーノ城塞です。


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教皇庁がアビニョンにあった時代の第199代教皇インノチェンツォ6世(フランス、べサック、1282-アヴィニョン、1362 在位:1352-1362)はその権力と威光が薄れていたイタリア中部の教皇領における軍事力を強化して、それを背景に教会の権威を確立しようとしました。
その命を受けた枢機卿エジーディオ・アルボルノス(スペイン、1310-ヴィテルボ、1362)は教皇領各地に軍事要塞を建設しましたが、スポレートのアルボルノツィアーノ城塞はそのうちの一つです。城塞の名称はエジーディオ・アルボルノスに由来します。
建築家マッテオ・ディ・ジョヴァンネッロ・ガッタポーネ通称マッテオ・ガッタポーニ(グッビオ、1300c-1383)の設計と工事監督によって1363年から1367年に建設された城塞です。堅固な要塞という機能に加えて、迎賓館としての住居が加味された建物です。


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城壁の下の道を進みます。


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城門です。


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城塞の城壁の下を進みます。


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こちらは城壁の門でしょう。


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城塞の門を潜ります。


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城塞の四隅に塔が設けられてます。


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16世紀末には軍事的には城塞は不要となり、その重要性は薄れてしまいました。


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教皇庁から派遣された高位聖職者やスポレートを訪れる貴族たちの宿舎として利用されていましたが、不便な高台にあることから、1764年から使用されなくなって、それらの機能を大司教館が担うことになりました。


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1817年から1982年まで刑務所として使用されました。
その後、修復が行われ、2007年にスポレート公国国立博物館として一般公開されるようになり、現在に至ってます。


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建物前の小広場からの景観が楽しめます。


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博物館に入館します。


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中庭に出ました。


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一階と二階にロッジャがあります。


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ロッジャの壁にフレスコ画があります。


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殆どがフレスコで描かれた紋章です。


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一階のフレスコ画から見て行きました。


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次は二階のロッジャのフレスコ画です。


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(つづく)