柱廊があります。
柱廊の前には、1291年から1398年に建設されたサン・フランチェスコ修道院教会がありました。
第208代教皇ニコロ5世(サルザーナ、1397-ローマ、1,455 教皇在位:1447-1455)の指示によってサン・フランチェスコ修道院教会の建物に沿って柱廊が建設されることになりました。ニコロ5世の時代に創建されましたが、柱廊の完成は教皇の死後200年以上経った17世紀末となってしまいました。
柱廊の一部は市庁舎に組み入れられてます。
柱廊自体は階上にあります。
サン・フランチェスコ修道院教会の建物の殆どは取り壊され現存していません。
広場に面して建つPalazzo Vescovileです。
この建物の後方にドゥオーモがあります。
17世紀に建設されました。
コムーネ広場に面している建物の中で、Palazzo Vescovileは比較的新しい建物になります。
Palazzo Podestaです。
1255年に建設された、ゴシック様式のPalazzo Podestaです。
内部は一般非公開となってます。
Palazzo Podestaの裏側
Palazzo Podestaの外壁にあるジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの記念碑
Palazzo Podestaを貫くアーチの通路があります。
アーチの壁にフレスコ画があります。
アーチのフレスコ画は痛みと落剝があって、何が描かれていたのか判然としない箇所が殆どです。
修復されて、この状態です。
Palazzo Podestaの前にフォンターナがあります。
Fontana Sturinaltoと呼ばれてます。
sturinaltoとは、水を押し上げるという意味です。
Fontana Sturinaltoは、ヤコポ・ディ・ガロンダロによって1285年に制作されました。
ヤコポは、フォンターナの制作に際して、ペルージャのフォンターナ・マッジョーレを何度も見て参考、模倣したと言われてます。
少し脱線してペルージャのフォンターナ・マッジョーレの写真を再掲します。
ニコラ・ピサーノ、ジョヴァンニ・ピサーノ兄弟によって1277年から1278年に制作されました。
完成直後から大評判となって、その後のフォンターナ制作に大きな影響を与えたと言われてます。
ペルージャのフォンターナと比べると、ファブリアーノのものはかなり小規模です。
ファブリアーノのFontana Sturinaltoに戻ります。
制作されてから何か不具合があったようで、1351年に大修復工事が行われ、現在の形になったそうです。
市立劇場です。
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ劇場とも称されてます。
コムーネ広場を後にします。
Palazzo Podestaのアーチを潜ります。
直ぐにドゥオーモに行くべきでしたが、寄り道をしました。
裏道を選んで歩きました。
ホテルで貰った地図があるのですが、それを見ないで適当に歩いていたら見事に道に迷いました。
自分の現在地が地図上で分からず、大いに難儀しました。
(つづく)
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