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城壁内に戻りました。


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ピエンツァの城壁内の建物は趣のあるものが殆どです。


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サン・カルロ女子修道院にやってきました。


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入口のアーチを潜って中に入りました。


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女子修道院の中庭です。


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17世紀前半に建設されたサン・カルロ修道院教会です。1634年、アゴスティーノ女子修道会に与えられ、女子修道院になりました。


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サン・カルロ教会です。


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既に宗教活動が停止されてますが、修道院と教会だった建物は、ピエンツァ・コムーネの所有となっており、その一部は考古学博物館として一般公開されてます。また、不定期に会議室や様々な展示会場として利用されてます。


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修道院中庭の古井戸
次は考古学博物館です。


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考古学博物館の展示は、何処の博物館でも大体同じです。ここも、その例外ではなく、石棺、墓石、墓の碑文、骨壺などが展示されてます。
エトルリア時代の墓(紀元前300-紀元前190c)


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エトルリア人の骨壺(紀元前300-紀元前190c)


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墓石の碑文(紀元前250-紀元前225c)


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墓石(紀元前1世紀)


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骨壺(紀元前300-紀元前190c)


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骨壺の一部(紀元前300-紀元前190c)


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次はサン・カルロ教会の内部です。


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主祭壇


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主祭壇画は、フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖母子と聖人たち(聖カルロ・ボッロメオ、聖フランチェスコ、聖クレア、シエナの聖カテリーナ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ)」(1620-25)
この作品は、通常Museo Diocesanoに移されています。その場合は、教会の主祭壇画は複製画となっているようです。


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主祭壇横の「聖アゴスティーノ像」(1620-30)


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「トレンティーノの聖二コラ像」(1620-30)


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この当時、修道院だった建物でIl Buon Secolo della Pittura Seneseというシエナ派画家たちの特別展が開催されていました。
その特別展の展示作品を紹介します。


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ヴィンチェンツォ・ルスティーチ(シエナ、1556-1632)の「幼児を洗礼する聖アンサーノ」
ヴィンチェンツォ・ルスティーチは、フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノの父です。


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ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1639)の「この人を見よ」


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ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1632)の「ギャンブルと欲望の悪徳の寓意」


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蠟燭の明かりと暗部との対比を描いてます。


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ルティリオ・マネッティは、1615年、ローマへの旅に出ましたが、旅先のローマで出会ったカラヴァッジェスキ画家たちとそれらの作品から強い影響を受け、画風を変えたのです。


p1074
フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「ご訪問」


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個人蔵の作品です。


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖アグネス」


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若死を惜しまれている画家です。


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖カルロ・ボッロメオ」
紋章はジローラモ・コルセッティによって描かれたそうです。ジローラモ・コルセッティと言う画家については全く知りません。


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと大天使聖ミケーレ」


p1084


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「若い男の肖像」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)の「ロザリオの聖母」


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フランチェスコ・ルスティーチ通称イル・ルスティキーノ(シエナ、1592-1626)原画のエッチング付きの聖書
(つづく)