P1020085プレビシート広場です。


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広場に面してサン・ドメニコ教会が建ってます。


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1216年、第177代教皇オノリオ3世(ホノリウス3世)(1150c-1227 教皇在位:1216-1227)によって、ドメニコ会が認可されましたが、その直後に建てられたロマネスク様式の教会です。


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1253年の文書に、サン・ドメニコ教会の存在が記録されてます。


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18世紀中頃、風化によって建物が危険になったので再建されることになり、その際、最初の建物の左右にあったサン・エジーディオ教会とインコロナータ教会を取り壊して、規模の大きい教会にすることが決定されました。
そうして、建築家カルロ・マルキオーニ(ローマ、1702-1786)に委嘱され、1759年、最初の建物が両隣の2つの教会と共に解体されました。


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1761年に創建され、1778年に完成したバロック様式の二代目の建物が現在の姿の原形となってます。1788年、二代目の建物の奉献式が執り行われました。
ファサード上部が未完成となってますが、ファサード工事中の1798年、フランス軍のイタリア侵攻に伴って、教会活動が停止され、兵舎に転用されてしまい、ファサード工事が中断されました。教会活動は1816年に再開されましたが、ファサード工事はそのまま放置され、現在に至ってます。
1943年、第二次世界大戦の爆撃によって屋根が崩落し、戦後に修復されましたが、1972年の大地震によって大きな被害を受けたのです。現在の姿は、1980年代から1990年代にかけて行われた大掛かりな復元工事後のものです。


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ファサード前の階段途中に教皇クレメンテ12世像があります。


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教皇クレメンテ13世は、サン・ドメニコ教会と直接の関係はありません。
第246代教皇クレメンテ12世(フィレンツェ、1652-ローマ、1740 教皇在位:1730-1740)は、1732年にアンコーナの自由港を宣言しましたが、それによって多大な利益を得たアンコーナ当局が教皇の宣言に対する感謝の意を表するためにクレメンテ13世像を造りことにしたのです。


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彫刻家アゴスティーノ・コルナッキーニ(ぺーシャ、1686-ローマ、1754)によってローマで制作された教皇像は、1738年にアンコーナに運ばれ、現在の場所に設置されたのです。


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クレメンテ12世像の背後にFontanaがあります。


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19世紀に造られたFontana


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後陣右横に鐘楼があります。


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鐘楼の先端


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拝観します。


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中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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左右の側壁にそれぞれ3つづつの礼拝堂があります。


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この教会の必見は、ティツィアーノとグエルチーノの祭壇画です。


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地味な天井装飾


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主祭壇と後陣


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必見の主祭壇画


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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「磔刑」(1558)


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左第一礼拝堂です。


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こちらの祭壇画も必見です。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「受胎告知」(1662)


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聖心礼拝堂


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ジョアッキーノ・ヴァルレ(ローマ、1734-アンコーナ、1806)の「栄光と音楽天使」


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ジョアッキーノ・ヴァルレ(ローマ、1734-アンコーナ、1806)の「ベアート・アゴスティーノ」


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ジョアッキーノ・ヴァルレ(ローマ、1734-アンコーナ、1806)の「ベアート・テルモ」


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サンツィオ・ブラージ(アンコーナ、1895-1972)の「ピエタ」


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Raoul Petettiの「聖アンナと幼き聖母」


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フランチェスコ・コンティ(フィレンツェ、1681-1760)の聖ピエトロ・マルティーレ」


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フランチェスコ・コンティ(フィレンツェ、1681-1760)の「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリの奇跡」


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ジョアッキーノ・ヴァルレ(ローマ、1734-アンコーナ、1806)の「ロザリオの聖母」


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オルガン


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外に出ます。
(つづく)