コルプス・ドミニ修道院の建物に隣接してコルプス・ドミニ教会が建ってます。
1406年、ベルナルディアーナ・セダッツァーリによって女子修道院が建設されました。
1419年、第206代教皇マルティーノ5世(1369-1431 在位:1417-1431)は、Monastero del Corpus Domini delle francescane clarissの設立を認可し、コルプス・ドミニ修道院となりました。
後を継いだ第207代教皇エウジニオ4世(ヴェネツィア、1383‐ローマ、1447 在位:1431-1447)の指導によって修道院は拡大されました。
1483年、ジョヴァンニ・ロメイの遺言によって、隣接するCasa Romeiが修道院に遺贈されました。それを機に、フェラーラを支配するエステ家との関係がより深まり、エステ家の人々が修道院に埋葬されるようになりました。
教会のようなファサードは1770年に追加建設されました。
1665年に火災に遭い、その後大修復工事が行われました。
ニッコロ3世・デステに仕えていたサンタ・カテリーナ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1413‐1463)は、1426年、コルプス・ドミニ修道院に入り、1432年に修道女になりました。
コルプス・ドミニ修道院の入口
教会の入口
教会の入口は大体閉まってます。観光客は修道院経由で教会に行くことが出来ます。
修道院内の教会も1665年の火災で大きな被害を受けました。
火災で焼失したので、古い作品は残されていません。
美術的な見どころがやや欠けるように思います。
主祭壇
主祭壇画は、ジャンベッティーノ・チニャローリ(ヴェローナ、1706‐1770)の「聖人たちの聖体拝領」
天井のフレスコ画は、ジュゼッペ・ゲディーニ(フィカローロ、1707‐フェラーラ、1791)の「栄光のサンタ・カテリーナ・ダ・ボローニャ」です。
Sala del Coro
Sala del Coroにエステ家の人々の墓があります。
アルフォンゾ1世・デステ公爵(フェラーラ、1476‐1534)と妻ルクレツィア・ボルジア(スビアーコ、1480‐フェラーラ、1519)の墓
二人は1502年に結婚しました。
次はサンティッシマ・アンヌンツィアータ祈祷所です。
Via Borgo di Sotto
サンティッシマ・アンヌンツィアータ祈祷所です。Oratorio della Morteとも呼ばれてます。
1366年、Confraternita della Buona Morteが設立され、サンタ・マリア・ノヴェッラ病院が建設されましたが、病院付属の祈祷所して1370年に建設されました。
ジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ(アルジェンタ、1546‐フェラーラ、1636)の設計によって建設されたファサードです。
祈祷所内は絵画の宝庫です。
2012年のエミリア地震によって大きな被害を受け、危険と判断されて閉鎖されていました。2021年頃に修復工事が完了して、今は時々扉が開くとの情報がありますが、どうでしょうか。
私の写真がありません。
ここはフェラーラ派画家たちによる「聖十字架の物語」があるので有名です。
Maestro GZ(フェラーラ、15世紀前半消息)の「キリストの復活」
ジョヴァンニ・フランチェスコ・スルキ(フェラーラ、?‐1590)の「死にゆくアダム」
ジョヴァンニ・フランチェスコ・スルキ(フェラーラ、?‐1590)の「聖なる木と崇拝するシバの女王」
ニッコロ・ロセッリ(フェラーラ、1556から活動記録‐1580没)の「埋められる十字架の木」
カミッロ・フィリッピ(フェラーラ、1500-1574)の「コンスタンティヌス帝の勝利」
セバスティアーノ・フィリッピ通称イル・バスティアニーノ(フェラーラ、1528c‐1602)の「キリストと十字架の木」
バスティアニーノ派逸名画家の「コンスタンティヌス帝の洗礼」
バスティアニーノ派逸名画家による「聖十字架の発見」
バスティアニーノ派逸名画家の「復活の奇跡の前の聖エレーナ」
ニッコロ・ロセッリ(フェラーラ、1556から活動記録‐1580没)の「キリストの復活」
Maestro GZ(フェラーラ、15世紀前半消息)の「十字架降下」
グレゴリオ・ボアーリ(フェラーラ、1795-1865)の「受胎告知」
ランベルト・ファン・ヌールト(ベルギー、1520-1571)の「聖母被昇天(チントラの聖母)」
(つづく)
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