P1020350コルプス・ドミニ修道院の建物に隣接してコルプス・ドミニ教会が建ってます。


P1020354
1406年、ベルナルディアーナ・セダッツァーリによって女子修道院が建設されました。
1419年、第206代教皇マルティーノ5世(1369-1431 在位:1417-1431)は、Monastero del Corpus Domini delle francescane clarissの設立を認可し、コルプス・ドミニ修道院となりました。
後を継いだ第207代教皇エウジニオ4世(ヴェネツィア、1383‐ローマ、1447 在位:1431-1447)の指導によって修道院は拡大されました。


P1020353
1483年、ジョヴァンニ・ロメイの遺言によって、隣接するCasa Romeiが修道院に遺贈されました。それを機に、フェラーラを支配するエステ家との関係がより深まり、エステ家の人々が修道院に埋葬されるようになりました。


P1020351
教会のようなファサードは1770年に追加建設されました。


2049
1665年に火災に遭い、その後大修復工事が行われました。


2050
ニッコロ3世・デステに仕えていたサンタ・カテリーナ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1413‐1463)は、1426年、コルプス・ドミニ修道院に入り、1432年に修道女になりました。


2051
コルプス・ドミニ修道院の入口


P1020352
教会の入口


2052
教会の入口は大体閉まってます。観光客は修道院経由で教会に行くことが出来ます。


2053
修道院内の教会も1665年の火災で大きな被害を受けました。


2054
火災で焼失したので、古い作品は残されていません。


2055
美術的な見どころがやや欠けるように思います。


2056


2058
主祭壇


2057
主祭壇画は、ジャンベッティーノ・チニャローリ(ヴェローナ、1706‐1770)の「聖人たちの聖体拝領」


2059


2060
天井のフレスコ画は、ジュゼッペ・ゲディーニ(フィカローロ、1707‐フェラーラ、1791)の「栄光のサンタ・カテリーナ・ダ・ボローニャ」です。


2062
Sala del Coro


2061
Sala del Coroにエステ家の人々の墓があります。


2063


2064
アルフォンゾ1世・デステ公爵(フェラーラ、1476‐1534)と妻ルクレツィア・ボルジア(スビアーコ、1480‐フェラーラ、1519)の墓
二人は1502年に結婚しました。


2065


P1020355
次はサンティッシマ・アンヌンツィアータ祈祷所です。


P1020356
Via Borgo di Sotto


P1020357
サンティッシマ・アンヌンツィアータ祈祷所です。Oratorio della Morteとも呼ばれてます。


P1020360
1366年、Confraternita della Buona Morteが設立され、サンタ・マリア・ノヴェッラ病院が建設されましたが、病院付属の祈祷所して1370年に建設されました。


P1020358
ジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ(アルジェンタ、1546‐フェラーラ、1636)の設計によって建設されたファサードです。


P1020359
祈祷所内は絵画の宝庫です。


2066
2012年のエミリア地震によって大きな被害を受け、危険と判断されて閉鎖されていました。2021年頃に修復工事が完了して、今は時々扉が開くとの情報がありますが、どうでしょうか。


2067
私の写真がありません。
ここはフェラーラ派画家たちによる「聖十字架の物語」があるので有名です。


2068
Maestro GZ(フェラーラ、15世紀前半消息)の「キリストの復活」


2069
ジョヴァンニ・フランチェスコ・スルキ(フェラーラ、?‐1590)の「死にゆくアダム」


2070
ジョヴァンニ・フランチェスコ・スルキ(フェラーラ、?‐1590)の「聖なる木と崇拝するシバの女王」


2071
ニッコロ・ロセッリ(フェラーラ、1556から活動記録‐1580没)の「埋められる十字架の木」


2072
カミッロ・フィリッピ(フェラーラ、1500-1574)の「コンスタンティヌス帝の勝利」


2073
セバスティアーノ・フィリッピ通称イル・バスティアニーノ(フェラーラ、1528c‐1602)の「キリストと十字架の木」


2074
バスティアニーノ派逸名画家の「コンスタンティヌス帝の洗礼」


2075
バスティアニーノ派逸名画家による「聖十字架の発見」


2076


2076
バスティアニーノ派逸名画家の「復活の奇跡の前の聖エレーナ」


2077
ニッコロ・ロセッリ(フェラーラ、1556から活動記録‐1580没)の「キリストの復活」


2078
Maestro GZ(フェラーラ、15世紀前半消息)の「十字架降下」


2079
グレゴリオ・ボアーリ(フェラーラ、1795-1865)の「受胎告知」


2080
ランベルト・ファン・ヌールト(ベルギー、1520-1571)の「聖母被昇天(チントラの聖母)」
(つづく)