P2520753Sala dei Mesiです。


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15世紀で最も重要なフレスコ画の一つと言われてます。



1057フレスコ画の状態ですが、劣化が進んで何が描かれているか判然としない部分と修復の結果、鮮明に蘇った部分に分かれてます。
その理由は、スキファノイア宮殿の歴史を知ると簡単に分かると思います。



1058長らくフェラーラを支配してきたエステ家は、1598年にフェラーラを放棄しましたが、それを機に宮殿はマッサ・カッラーラ侯爵のチーボ家の所有となりましたが、1703年にタッソー家に売却されました。
1797年、ナポレオンのイタリア侵攻で宮殿はフランス軍に没収されましたが、ナポレオンの失脚後、宮殿は民間人に売却されました。
所有者が何度も変わるうちにフレスコ画の劣化が徐々に進みました。


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イタリア統一後、政情が安定すると、貴重な文化遺産であるスキファノイア宮殿の重要性が認識され、公的機関によって宮殿を買収して、修復を行ってから博物館として一般公開する案が浮上しました。s資金難のために計画は中々具体化しませんでしたが、1897年にフェラーラ市が買収し、翌1898年に博物館として一般公開されるようになりました。
2012年のエミリア地震によって被害を受け、閉鎖の後、部分オープンされていましたが、2021年5月から全面的にオープンされたそうです。
さて、Sala dei Mesiのフレスコ画ですが、天文学者であり、建築家のPellegrino Prisciani(フェラーラ、1435c‐1518)がボルソ・デステ侯爵(フェラーラ、1413‐1471)から依頼を受け、ペッレグリーノの立案に基づき、フェラーラ派画家たちに注文して制作されました。
ペッレグリーノは、レオネッロ・デステ侯爵(フェラーラ、1407‐ヴォギエーラ、1450)とボルソ・デステ侯爵の個人アドヴァイザーでした。
ペッレグリーノから注文を受けてフレスコ画を制作したのはフェラーラ派の画家たちで、具体的にはフランチェスコ・デル・コッサ(フェラーラ、1436‐ボローニャ、1478)、エルコーレ・デ・ロベルティ(フェラーラ、1451‐1496)、バルダッサーレ・デステ(レッジョ・エミリア、1443‐フェラーラ、1504)などの画家たちでした。
18世紀半ば、当時の高名な美術史家によって、この部屋のフレスコ画制作者がコズメ・トゥーラ(フェラーラ、1433c‐1495)と断定されましたが、現在は否定されており、この部屋のフレスコ画制作にはコズメ・トゥーラは参画していないとされてます。
フレスコ画は、一年の各月毎に描かれ、各月は三段に渡って描かれ、上段が神話、中段が各月の占星、下段がボルソ・デステ侯爵の生涯のエピソードとなってます。



10591月です。
何が描かれていたのか判別不能です。



10612月です。
保存状態が悪く、何が描かれていたのか判別不能です。



10663月です。


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保存状態が良い3月のフレスコ画です。



10643月はフランチェスコ・デル・コッサ(フェラーラ、1436‐ボローニャ、1478)によって1469年から1470年ころに描かれました。


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3月の中段です。


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3月の下段です。


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左から5月、4月、3月です。


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次は4月です。


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4月は、フランチェスコ・デル・コッサ(フェラーラ、1436‐ボローニャ、1478)によって1469年から1470年ころに制作されました。


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4月の上段です。


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上段は「ヴィーナスの勝利」です。


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(つづく)