P1020559城壁にやってきました。


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フェラーラの城壁は、ポー川の河岸と寄港する船を防御するために6世紀頃にビザンチン帝国によって建設されたと言われてます。
野蛮人の侵攻を避けるために街の中心は現在のボルゴ・サン・ジョルジョ付近(Basilica di San Giorgio fuori le muraが建っている場所)に移っていきましたが、ブレーシャの伯爵で、後にモデナ、フェラーラ、マントヴァの伯爵を兼ねたテダルド・ディ・カノッサ(?‐1012)によって、10世紀にボルゴ・サン・ジョルジョを取り囲む城壁が追加されました。


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ボルゴ・サン・ジョルジョ付近は、ポー川の低地であり湿地でもあったので、度重なるポー川の洪水に苦しんでいました。また、街の繁栄に伴い、人口が増大しましたが、次第にポー川の対岸の北方向に街の中心が移っていきました。
それに従って、現在の司教座教会が建設されました。新しく築かれた街、現在のフェラーラを取り囲む城壁が12世紀に建設されました。
1314年には、城壁はPo di Valanoの対岸だけとなり、さらに拡張されました。
ボルゴ・サン・ジョルジョ付近は城壁外となったのです。


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フェラーラの城壁図です。
15世紀から16世紀に改造された城壁が現存しています。当時の要塞は周囲約13kmでしたが、都市計画や道路敷設などによって要塞の一部が取り壊され、現在は約9kmの城壁が残されてます。


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サン・ジョヴァンニの塔です。


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南に位置するパオラ門です。


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こちらは門の裏側です。


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パオラ門のファサード
パオラ門付近の城壁の一部は19世紀末に取り壊されました。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ(アルジェンタ、1546‐フェラーラ、1636)の設計によって1612年に建設されたパオラ門です。


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城壁の北にあるPorta degli Angeli


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16世紀に築かれた見張り塔です。


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Torrione del Barco


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城壁内に戻りました。


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フェラーラの城壁をすべて回るのは大変です。


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友人とPalazzo Costabiliで待ち合わせしているので、それまでに軽食を食べておく必要があります。


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この辺は食べるところがありません。


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なんとか見つけて、腹に押し込みました。


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不味かったが、その辺は仕方がない。


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この付近は街はずれなので、そもそも適当な店がありません。


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Palazzo Costabiliにやってきました。


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彼は専門家なので、じっくりと話を聞くことが出来ました。


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外に出ます。


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(つづく)