P1010741市の塔の見学は後回しにしました。


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城の方に向かいました。


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Villa Mocenigoです。
ヴェネツィア貴族のモチェニーゴ家がエステ城の一部を組み入れて16世紀末に建設したヴィッラです。


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18世紀に火災で破壊してしまったので、ヴィッラの建物の大部分が再建されました。


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エステの考古学博物館と思われてますが、正式名はMuseo Nazionale Atetinoと言い、国立の博物館です。当初、エステのコムーネの博物館として開館しましたが、後に国立の博物館になりました。


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エステ周辺の遺跡は13‐14世紀に発見され、19世紀以降を中心に発掘調査が行われましたが、その際に出土した発掘物が展示の中心です。


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考古博物館の展示は、どこの博物館でも似たり寄ったりです。


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私にとって、興味ある作品が一つだけありました。


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チーマ・ダ・コネリアーノ(コネリアーノ、1459c‐1517c)の「聖母子」
モチェニーゴ家が所有していた作品でしょうか?


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Castello Carrarese di Esteと呼ばれる城の中に入りました。


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Colli Euganeiの南端に当たり、周囲を見渡す絶好の地にあったことから、何時しか壁に囲まれた住居が建てられたと考えられてます。壁に囲まれた住居は589年の洪水によって流されましたが、その後、同じような建物が建設されました。しかし、その建物は次第に砦に強化されたようです。


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最初の城は、オベルテンギ家の一員で、エステ家最初の当主で、ミラノ侯爵アルベルト・アッツォ2世・デステ(ヴァンガディッツァ、1009‐1096)によって、1056年頃に築城されました。
エステ領主は、アルベルト・アッツォ2世・デステの三男であるフォルコ1世・デステに引き継がれましたが、フォルコ1世によって城は拡大整備されました。


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13世紀の度重なる戦争によって、城は深刻な被害を受けました。


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エステはエステ家の支配下にありましたが、1239年、エステ家はその本拠地をフェラーラに決め、フェラーラに宮殿を移しました。


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現在の城は、パドヴァ領主のウンベルティーノ・ダ・カッラーラによって1339年から1340年に建設されました。


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庭園に出ます。


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城は、これで終わりです。


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(つづく)