システィーナ礼拝堂のフレスコ画制作を終えて、ルカは恐らくチッタ・ディ・カステッロに戻ったと思われます。フレスコ画制作を通して、ペルジーノからウンブリア絵画やボッティチェリなどからフィレンツェ派の大きな刺激を受けて、ルカの画風は最新技術の高みへと成熟しました。

6.ペルージャ
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ペルージャは、人口162,526人(2025年3月31日現在)のウンブリア州の州都でもあり、ペルージャ県の県都です。ウンブリア芸術の中心地です。


①ドゥオーモ付属博物館 Museo del Capitolo Cattedrale San Lorenzo
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ペルージャのドゥオーモ、サン・ロレンツォ大司教座教会です。


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ドゥオーモでの出入りは通常左側壁のサイド・ポータルが担います。


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ドゥオーモ付属博物館があります。


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ここから中に入ってキオストロに出ます。


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キオストロ


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博物館の入り口


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ルカ・シニョレッリの祭壇画が展示されている部屋


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第19室になります。


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ルカ・シニョレッリの「聖オノフリオの祭壇画」(1484)


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当時のペルージャ司教ヤコポ・ヴァンヌッチ(コルトーナ、1416-コルチャーノ、1487)が同郷出身の画家ルカ・シニョレッリに依頼したものです。
ローマでの制作を通して、ウンブリア、フィレンツェ、ローマなどの技術を吸収しながら独自の画風を確立した、ルカの成熟期を象徴する作品として有名です。ルカ・シニョレッリの現存する作品のうち、最古の大祭壇画です。
ペルージャ大聖堂の右翼廊サントノフリオ(聖オノフリオ)礼拝堂の主祭壇画でした。オリジナルの額縁は現存しませんが、1648年の大聖堂記録が残されており、その記録には額縁に刻まれた碑文があり、その碑文に「サントノフリオ礼拝堂はペルージャ司教ヤコポ・ヴァンヌッチによって創建され、ルカ・シニョレッリの祭壇画はヤコポの甥でペルージャ司教ディオニジオ・ヴァンヌッチ(ヤコポの後継ペルージャ司教)によって1484年に設置された」と記されているそうです。


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この祭壇画は1608年までサントノフリオ礼拝堂にありました。1608年に礼拝堂が改修されることになり、その際、取り外され大聖堂の別の場所に移設されました。1923年に大聖堂内部から付属美術館に移設され、現在に至ってます。


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➁ウンブリア国立美術館
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プリオーリ宮です。


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プリオーリ宮に国立ウンブリア美術館があります。


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第18室にルカ・シニョレッリの作品があります。


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ルカ・シニョレッリの作品です。


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部屋のフレスコ画も見所です。


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ルカ・シニョレッリと工房による「パチァーノの祭壇画」(1517)


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パチャーノ・ヴェッキオのパドヴァのサンタントニオ修道院にありました。


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プレデッラが付いてます。


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プレデッラの「シエナの聖ベルナルディーノ」


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教皇インノチェンツォ3世の夢 聖ロレンツォの殉教


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パチアーノのサンタントニオ修道院


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守銭奴の心


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聖アントニオ・アバーテの死


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マルカのベアート・ジャコモ



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この祭壇画の額縁はかなり痛みがあるものの、オリジナルのもので、額縁にルカ・シニョレッリの名前と1517と記されてます。
メインパネルの一部とプレデッラはシニョレッリ工房で制作されたという説が有力です。
パチャーノ・ヴェッキオのサンタント二オ・ディ・パドヴァ修道院は、18世紀末にナポレオンの抑圧令によって修道士が追放され閉鎖されました。その後、ナポレオンの失脚後、活動が再開されたものの1818年に再び閉鎖となりました。建物が荒廃し、1864年に廃墟となり、その際、「パチャーノの祭壇画」は1865年にペルージャ市に売却されました。その後、国立ウンブリア美術館の所有となりましたが、同美術館に保管されたままで展示されるのは特別な機会に限られていたようです。2012年に修復され、その後は一般公開されるようになりました。
(つづく)