8.フィレンツェ
1
引き続きフィレンツェです。


①ウフィッツィ美術館
2
ウフィッツィ美術館の続きです。


5


6


7
ルカ・シニョレッリの「磔刑と聖マリア・マッダレーナ」(1502-03c)


8
この作品はフィレンツェの旧サン・ヴィンチェンツォ・ダンナレーナ修道院(アンナレーナ修道院)にありました。1810年に旧修道院からフィレンツェのアカデミア美術館に移されましたが、1814年にウフィッツィ美術館の所蔵となりました。1853年に再びアカデミア美術館に移されましたが、1919年にウフィッツィ美術館の所有となり、現在に至ってます。


7
「磔刑とマグダラのマリア」があった旧サンタレーナ修道院です。
修道院の創設者アンナレーナ・マラテスタ(?、1416‐フィレンツェ、1491)は、1440年のアンギアーリ戦いの英雄バルダッチョ・アンギアーリ(アンギアーリ、1400c‐フィレンツェ,1441)の妻でした。夫バルダッチョがフィレンツェで惨殺されると、悲しみのあまりコジモ・デ・メディチ所縁の家に閉じこもりました。アンナレーナはオッタヴィアーノ・ディ・ヴィエーリ・デ・メディチの養女だったので、コジモが少女時代のアンナレーナに寄贈した家でした。
その家が核となって、1454年に女子修道院が設立され、1474年に修道院教会の複合施設に拡大されました。アンナレーナは初代女子修道院長となりました。メディチ家の後援があって、修道女100人以上の大きな修道院となりました。


9
オルトラルノ地区のサンタ・マリア通りに面した旧修道院の入り口
サン・ヴィンチェンツォ・ダンナレーナ修道院教会は1786年にフランス軍に接収され、閉鎖されました。


8
旧修道院の建物は劇場や映画館として使用されました。
さて、「磔刑とマグダラのマリア」に戻ります。


9
前述のようにアンナレーナは、メディチ家の養女だったので、この作品は、メディチ家がルカ・シニョレッリに注文して、アンナレーナ修道院に寄贈したものと考えられてます。
今となっては不思議なのですが、この作品は長らくアンドレア・デル・カスターニョ(フィレンツェ、1421c-1457)によって制作されたとされていました。ルカ・シニョレッリの作品と帰属が変更されたのは漸く1864年になってからでした。


14


12


10
ルカ・シニョレッリの「肥沃と豊穣の寓意」(1500-02c)


11
この作品の制作に関することは全くの不明となってます。
この作品はコルトーナのCasa Tommasiにありましたが、その所有者Girolamo Tommasiからウフィッツィ美術館が1894年に購入したものです。Girolamo Tommasiは美術品収集家で、他にルカ・シニョレッリの「バチェの聖母」も所有していました。
現在、Casa TommasiはB&Bとして使用されているようです。


13


15
ルカ・シニョレッリの「三位一体と聖母子と聖人たち」(1510c)


16


17


18
ルカ・シニョレッリと工房による「裾絵」
何の裾絵だったのか不明とされてますが、これの前に紹介した「三位一体と聖母子と聖人たち」の裾絵説がかなり有力視されてます。


19


20
最後の晩餐


21
園の祈り


22
キリストの鞭打ち


23


24
ルカ・シニョレッリの「聖母子」(1490c)


25


10
この作品があったメディチ家のVilla di Castelloです。


26


27


28
この他に非常設展示となっている作品が2つあるそうです。


29
(つづく)