9.フィエーゾレ

フィエーゾレは、人口13,815人(2025年3月31日現在)のトスカーナ州フィレンツェ県にあるコムーネで、フィレンツェに隣接してます。

ルカ・シニョレッリがフィエーゾレに行った記録は残されていないようです。
ルカ・シニョレッリの作品がバンディーニ美術館にあります。

フィエーゾレのドゥオーモです。

ドゥオーモの横に1913年に建設された小さな建物がバンディーニ美術館です。

聖職者(司祭でした)で、美術収集家、学者でもあった「アンジェロ・マリア・バンディーニ(フィレンツェ、1726-フィエーゾレ、1803)の肖像」(制作者不明)
1795年、バンディーニは自分の収集した美術館を展示、一般公開するために、フィエーゾレのサンタンサーノ教会内に小規模な美術館を開館させました。それがバンディーニ美術館の前身です。
しかし、教会の建物が経時劣化によって危険になったので、現在の建物に美術館が移転したのです。

バンディーニ美術館で展示されているルカ・シニョレッリと工房による「聖母子と聖ジローラモと聖ベネデット」(1492-1500)

この作品は何処かで観たことがあるでしょう。実は、作品を訪ねての(その13)コルシーニ美術館で紹介した「聖母子と聖ジローラモと聖ベネデット」(1492)のコピー画です。

フィレンツェのコルシーニ美術館で展示されている、ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖ジローラモと聖ベネデット」(1492)です。
バンディーニ美術館の作品にはルカ・シニョレッリの署名があるので、ルカ自身によるコピー画です。バンディーニ美術館版は工房の手がかなり入っているとされてます。

フィエーゾレのポッジョ城です。
ルカ・シニョレッリの作品(バンディーニ美術館版)は、バンディーニ美術館で展示される前にはポッジョ城にあったのです。
1469年、フィレンツェの古い有力貴族であるアレッサンドリア伯爵家が荒廃したポッジョ城を購入し、邸宅に大改造して、フィエーゾレに居住したのです。
アレッサンドリア伯爵家がフィレンツェでルカ・シニョレッリにコピー画を注文したと考えられてます。

10.ヴォルテッラ

ヴォルテッラは、人口9,391人(2025年3月31日現在)のトスカーナ州ピサ県にあるコムーネです。
メディチ家お抱えとなったルカ・シニョレッリは、祭壇画制作のために1490年から1491年にかけてヴォルテッラに滞在したことが分かってます。
①ヴォルテッラ市立絵画館

ミヌッチ・ソライーニ宮です。

この建物に市立絵画館が置かれてます。

ミヌッチ・ソライーニ宮の中庭
市立絵画館にルカ・シニョレッリの作品が二点あります。以前はこの他に「聖ジローラモ」のフレスコ画断片がありました。

ルカ・シニョレッリの「受胎告知」(1491)

「受胎告知」はヴォルテッラのドゥオーモにあるサンタ・マリア修道会の礼拝堂にありました。

1731年、ドゥオーモの鐘楼への落雷の影響で、「受胎告知」のパネルは3つに分解してしまい、修復されたことが作品の碑文に記されてます。


ルカ・シニョレッリの「玉座の聖母子と聖人たち」(1490-91)

ヴォルテッラのサン・フランチェスコ教会にありました。

サン・フランチェスコ教会の主祭壇画として制作され、1879年まで同教会の主祭壇にありましたが、同年にプッブリコ宮に移されました。1905年に市立絵画館に移され現在に至ってます。



展示作品数が限られてますが、質の高い作品ばかりです。
この他にルカ・シニョレッリの「聖ジローラモ」の剥離フレスコ画断片があった筈ですが、近ごろ見たことがありません。このフレスコ画はヴォルテッラの支配者ビンダッチョ・ディ・フランチェスコ・ベニンセーニのために描かれたもので、プリオーリ宮の階段にありました。1960年に階段から外されましたが、その際フレスコ画下部が失われた状態で同年市立絵画館に移されました。
➁ドゥオーモ

サンタ・マリア・アッスンタ司教座教会です。

現在ルカ・シニョレッリの作品がありませんが、市立絵画館で展示されている「受胎告知」はドゥオーモにありました。

珠玉の作品が幾つかあって、美術ファンにとっては必訪でしょう。
③サン・フランチェスコ教会

サン・フランチェスコ教会です。

今でも珠玉の作品が数点あります。

過ってルカ・シニョレッリの作品が二点ありました。そのうちの一つは、現在ヴォルテッラ市立絵画館で展示されている「玉座の聖母子と聖人たち」です。

もう1点はこれです。
ルカ・シニョレッリの「割礼」(1491)
1882年、イギリス商人に売却され、現在ロンドン・ナショナル・ギャラリーの所有となってます。
サン・フランチェスコ教会割礼礼拝堂の祭壇を飾っていましたが、僅かな金額で売却されてしまいました。サンセポルクロ大聖堂にあった「キリストの洗礼」と同じ運命を辿ったのです。
なお、「割礼」ですが、ジョルジョ・ヴァザーリの記述によれば、「幼きキリスト」部分が痛みがあったので、その部分だけソドマによって描き直されたそうです。

(つづく)
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