写真はコルトーナのサンタゴスティーノ門です。ルカ・シニョレッリ(本名ルカ・エジーディオ・ルカ・ディ・ヴェントゥーラ)は、1441年頃、または1445年頃、または1441年と1445年の間にコルトーナで生まれました。父のエジーディオ・ディ・ヴェントゥーラ・シニョレッリは、コルトーナの画家でした。しかし、私は父の作品を見たことがありません。
その生地ですが、コルトーナにおける具体的な場所については幾つかの説があるようです。

サンタゴスティーノ門からコルトーナの中心地に通じるグエルファ通りです。通りの写真左にサンタゴスティーノ修道院教会があります。
生地の具体的な場所として、サンタゴスティーノ修道院教会近く説があります。

サンタゴスティーノ修道院教会のキオストロ

サンタゴスティーノ修道院だった建物

1464年7月12日がルカ・シニョレッリの最初の確実な記録です。
生まれてから約20年ほどが空白の期間になります。

写真はサンセポルクロです。
ルカ・シニョレッリの師匠はピエロ・デッラ・フランチェスカです。このことについては、ピエロ・デッラ・フランチェスカの数学上の弟子であるルカ・パチョーリ、ルカ・シニョレッリの甥ジョルジョ・ヴァザーリ、ウルビーノの宮廷画家ジョヴァンニ・サンティ(ラッファエッロの父)によって言及されています。

ルカの弟子入りが何時だったのか、具体的には不明とされてます。

アレッツォのサン・フランチェスコ聖堂です。

サン・フランチェスコ聖堂の中央礼拝堂です。ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画「真の十字架の物語」で有名です。

ピエロ・デッラ・フランチェスカの「真の十字架の物語」は、1452年から1458年までと、1460年頃から1466年までの二期に分けられて制作されましたが、ルカは1462年頃にアレッツォに滞在中のピエロ・デッラ・フランチェスカに弟子入りしたとの有力説が存在します。

ピエロの弟子ルカ・パチョーリの言及によれば、ボルゴ・サンセポルクロでピエロに弟子入りしたとされてます。ジョヴァンニ・サンティの言及からピエロに従ってウルビーノに赴いたと考えるのが自然でしょう。

ピエロ・デッラ・フランチェスカの家です。

ピエロ・デッラ・フランチェスカ財団となってます。

この家はピエロの生家であり、ピエロが居住していました。ルカはこの家に住み込んで修行したと考えられてます。

写真はアレッツォです。

ジョルジョ・ヴァザーリの「列伝」によれば、「青年時代、師匠を模倣し、さらに師匠を凌駕しようと躍起になった。アレッツォで師匠と共に制作活動を行った後、アレッツォのヴァザーリ家の家に住むようになった。師匠の作風を非常に忠実に模倣したため、ピエロ・デッラ・フランチェスカとルカ・シニョレッリの区別は殆ど付かなかった」と書かれてます。

写真はアレッツォのサンティッシマ・トリニタ教会です。


1348年に創建されました。1734年にバロック様式に改造されました。

サンティッシマ・トリニタ同信会の教会として創建されましたが、同同信会はピエロ・デッラ・フランチェスカに対してStendardo(旗)の注文を行い、その制作費が1464年7月12日と1465年12月10日の2回に分けてピエロに支払われました。
この作品について、ヴァザーリは、師匠であるピエロ・デッラ・フランチェスカがサンティッシマ・トリニタ同信会との窓口となっていたため、制作の契約と支払いは師匠経由となっていたもので、実際はルカ・シニョレッリが制作し、代金はルカに支払われたと記してます。

サンティッシマ・トリニタ教会の内部

ルカ・シニョレッリが描いたとされるStendardo(表裏両面が描かれています)には契約によってサンティッシマ・トリニタ同信会の紋章が描かれている筈ですが、そのような作品は現存しません。

ルカ・シニョレッリの最初とされる作品は何らかの理由によって行方不明ということです。


次のルカ・シニョレッリの記録は1470年になります。

(つづく)
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