写真はアレッツォです。
ルカ・シニョレッリが1470年にコルトーナにいたことを示す記録があるので、1470年までにアレッツォからコルトーナに移住したことが分かります。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの工房がアレッツォにありましたが、ルカ・シニョレッリはピエロの工房の一員として制作していたようです。
ピエロ・デッラ・フランチェスカ工房による作品のうち、次の3つの作品がルカ・シニョレッリのものであるとの説が美術史家バーナード・ベレンソン(ブトリモニス、1865-フィエーゾレ、1959)によって提起されました。
ヴァザーリの「列伝」によれば、「師匠を模倣し、さらには凌駕しようと躍起になっていた。師匠の作風を忠実に模倣したため、ピエロとルカの区別は殆どつかなかった」と述べられてます。
このことは以下の3つの作品は観ればよく分かると思います。

ピエロ・デッラ・フランチェスカ工房(ルカ・シニョレッリ?)による「聖母子と三天使」(1470c)
オックスフォードのクライストチャーチ絵画館にあります。

ピエロ・デッラ・フランチェスカ工房(ルカ・シニョレッリ?)による「聖母子と天使」
ボストン美術館にあります。

ピエロ・デッラ・フランチェスカ派画家(ルカ・シニョレッリ?)の「聖母子」
ヴェネツィアのヴィットリオ・チーニ・コレクションにあります。

以上の三作品は、ピエロ・デッラ・フランチェスカの作風に近似してます。
1470年までにルカ・シニョレッリはアレッツォを離れ、生まれ故郷のコルトーナに戻りました。

写真はコルトーナです。
コルトーナに戻ったルカ・シニョレッリの住居は分かってません。後にルカは、ブドウ畑、栗林に囲まれた邸宅を構えましたが、その場所はサン・フランチェスコ教会至近のサン・マルコ通り12番地と分かってます。

1470年頃、ルカ・シニョレッリは結婚しましたが、結婚した場所、日時など詳しいことは不明です。しかし、妻の名前、子供の名前(四人の子宝に恵まれました)は分かってます。

コルトーナのサン・フランチェスコ教会です。

ルカ・シニョレッリが密接な関係を持った教会です。

サン・フランチェスコ教会にルカの墓があります。

1470年以前にルカ・シニョレッリはサン・フランチェスコ教会から仕事を依頼されました。

現在のオルガン

注文された仕事とはオルガンの絵付けです。
ルカが絵付けをしたオルガンは現存してません。

ご参考に「オルガンの絵付け」例の写真を載せておきます。
オルガンには蓋があり、蓋の開閉時に絵が見えるように描かれるのが普通でした。つまり蓋の表裏両面に描かれるのが一般的でした。時にはオルガン下に裾絵が描かれることがありました。
写真はポルデノーネの作品です。
1470年10月7日、ルカ・シニョレッリはサン・フランチェスコ教会からオルガンの絵付け制作の支払いを受けました。

コルトーナのドゥオーモです。

1470年10月29日、ルカ・シニョレッリは大聖堂参事会に対して5リラを支払いました。支払い文書にfiancho pisonoと書かれています。(居眠りの大失敗? 罰金でしょうか?)

ドゥオーモの内部

次はコルトーナの城壁外にあるサン・ドメニコ教会です。

サン・ドメニコ教会です。

その存在が1258年の文書に初めて記載されたそうです。

現在でもルカ・シニョレッリの作品があります。
ルカ・シニョレッリはGonfaloneの制作を行い(旗ですから表裏両面に描かれていたと思います)、その制作費として、1476年5月1日、同年7月28日、8月22日、8月26日、9月16日、9月27日、12月10日と7回に分けて支払いを受けた記録が残されてます。
このGonfaloneは現存していません。

後陣

後陣左礼拝堂の祭壇画がルカ・シニョレッリの作品です。

ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖人たち」(1515)

(つづく)
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