写真はウルビーノです。
年月を特定する記録が残されてませんが、ルカ・シニョレッリは、1475年頃ウルビーノにいたと考えられてます。
旅の前後にマルケを訪れ、ファブリアーノと何らかの接触があったと考えられてます。

写真はファブリアーノです。

ファブリアーノの同信会 Confraternita dei RaccomandatiからStendardoの注文を受けました。

その注文されたStendardoが残されており、ミラノのブレラ絵画館で展示されてます。

Stendardoなので表裏両面に描かれていますが、ブレラ絵画館では表と裏が別々に展示されてます。



写真はロレートです。

ロレートの聖母の家の聖堂です。
ルカ・シニョレッリは、1477年から1480年にかけてロレートを訪れました。その間、ルカ・シニョレッリがコルトーナにいたことを示す記録が残されているので、コルトーナとロレート間を何回か往復したと考えれてます。

聖母の家の聖堂内にある「聖母の家」です。

聖母の家の聖堂のサン・ジョヴァンニ聖具室に描かれたルカ・シニョレッリのフレスコ画


聖具室内への立ち入りが禁止されてます。

フレスコ画が描かれたころは、ルカ・シニョレッリは師匠の模倣を脱して、独自の画風を確立したことが分かります。


写真はコルトーナです。

コルトーナのサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会です。

サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の後陣
後にルカ・シニョレッリはこの教会と幾度となくコンタクトがありました。
ルカ・シニョレッリは、サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会のカウンタファサードのポータル上に設置される作品を制作しました。
この作品は現存していないと思われます。

ルカ・シニョレッリは、その制作費として、1478年5月1日と1478年7月22日の2回に分けて支払いを受けました。

コルトーナのPalazzo Comunale

ルカ・シニョレッリは、1479年9月6日、十八人評議会の評議員に選出されました。
この後、数々の公職を務めることになりました。

コルトーナのPalazzo Casaliです。

ルカ・シニョレッリは、1479年11月28日、Conservatori delli Ordinamenti del Comuneに就任しました。組織の管理者です。

1480年2月23日、ルカ・シニョレッリは、3月と4月のComuneのPriorに選出され、1480年3月1日、Priorに就任しました。
1480年3月27日と4月13日のプリオーリ会議を欠席した記録が残されてます。

1480年8月26日、最高法務責任者に選出されました。
(つづく)
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