29.セッティニャーノ(フィレンツェの分離集落 Frazione)
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フィレンツェを流れるアルノ川です。


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セッティニャーノは、フィレンツェ中心部の北東方向、中心部から約4km離れたところにあるフィレンツェの分離集落です。カンポ・ディ・マルテ地区にあり、1911年まではフィエーゾレに属していましたが、1911年にフィレンツェ市に組み入れられました。


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セッティニャーノをフィレンツェ編で触れるべきでしたが、その時は忘れてしまいました。ということでセッティニャーノを独立させた形で触れる羽目となってしまいました。不手際をお詫びします。


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セッティニャーノのVilla I Tattiです。ザティ家によって1563年以前に建設されました。
1900年、イギリス人バーナード・ベレンソンとその妻メアリー・ピアソール・スミスがこのVillaに住むようになり、大変気に入ったので1906年に購入しました。それ以降、Villa I Tattiはフィレンツェやその周辺のアングロサクソン人社会の中心地となったそうです。


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1936年、ベレンソン夫妻はVillaから立ち去ることになり、Villa I Tattiと美術品など全てがハーバード大学に継承されるようになりました。


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Villa I Tattiの庭園

歴史家で美術収集家だったパオロ・ジョヴィオが収集した美術品がありました。1551年に記録されたパオロ・ジョヴィオのコモ湖畔邸宅における美術品所有リストが残されており、その中に394点の肖像画が含まれていました。パオロの肖像画コレクションは当時から有名でした。
1909年、パオロ・ジョヴィオのコレクションは、ロンドンでベレンソン夫妻によって買収され、Villa I Tattiに移されました。
このコレクションもハーバード大学に継承され一般公開されてます。
そのコレクションの肖像画の中にルカ・シニョレッリの作品が2点あるのです。


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ルカ・シニョレッリの「ヴィテッロッツォ・ヴィテッリの肖像」
Vitellozzo Vitelli(チッタ・ディ・カステッロ、1458-セニガッリア、1502)は、チッタ・ディ・カステッロの領主で傭兵隊長のニッコロ・ヴィテッリの息子です。ニッコロ・ヴィテッリには5人の息子がいましたが、いずれも傭兵隊長を務めました。
ヴィテッロッツォはチェーザレ・ボルジアに対する陰謀が露見して、セニガッリアで絞殺されました。


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ルカ・シニョレッリの「カミッロ・ヴィテッリ(チッタ・ディ・カステッロ、1459-チルチェッロ、1496)の肖像」
カミッロもチッタ・ディ・カステッロの僭主ニッコロ・ヴィテッリの息子で傭兵隊長を務めました。馬上槍試合の先駆者として名を馳せましたが、カミッロは傭兵隊長として出陣した際に戦闘中に戦死したそうです。


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写真はチッタ・ディ・カステッロです。
ルカ・シニョレッリがチッタ・ディ・カステッロで工房を構えて活動していた1490年代、その当時、チッタ・ディ・カステッロを支配していたのは僭主のニッコロ・ヴィテッリと彼の息子たちでした。ルカ・シニョレッリは恐らくヴィテッリ一族の成人男子全員の肖像画を描いたと考えられてます。
現存するのは、パオロ・ジョヴィオのコレクションの2点とバーミンガムにある1点だけのようです。


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写真右端の建物はチッタ・ディ・カステッロのPalazzo Vitelliです。ヴィテッリ一族の邸宅でした。



30.ルチニャーノ
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写真はルチニャーノです。


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ルチニャーノは、人口3,402人(2025年9月30日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネで、「イタリアの最も美しい村」にリストアップされてます。


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ルチニャーノのサン・フランチェスコ広場です。


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サン・フランチェスコ広場に面して建つPalazzo Comunaleです。
建物内にMuseo Comunaleが置かれてます。
Museoにルカ・シニョレッリの作品が展示されてます。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子」


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「聖母子」はPalazzo Comunaleに隣接するサン・フランチェスコ教会にありました。
ヴァザーリによれば、サン・フランチェスコ教会の戸棚の扉に描かれたそうです。


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ルカ・シニョレッリ、またはシニョレッリ工房による「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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「聖痕を受ける聖フランチェスコ」は、サン・フランチェスコ教会の聖遺物箱を収容する木製キャビネットに描かれたという説が有力です。


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ルチニャーノのサン・フランチェスコ教会


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サン・フランチェスコ教会の内部
古いフレスコ画が残されてます。
次はイタリア以外にあるルカ・シニョレッリの作品です。



31.ドイツ、アルテンブルク
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アルテンブルクは、ドイツのデューリンゲン州にある人口3万2千人の小都市です。


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アルテンブルクにあるリンデナウ美術館です。
ザクセン州首相で、弁護士、天文学者、美術品収集家であったベルンハルト・フォン・リンデナウ男爵(1779-1854)が収集した美術品を展示するために1876年に設立されたのがリンデナウ美術館です。
ルカ・シニョレッリの多翼祭壇画から分解された端絵4パネルと裾絵5パネルが展示されてます。


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端絵の4パネル


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シエナの聖ベルナルディーノ


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アッシジの聖キアラ


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トゥールーズの聖ルイ


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ハンガリーの聖エリザベッタ


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裾絵の園のキリスト


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キリストの鞭打ち


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磔刑


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遺体の搬送


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キリストの復活

さて、これらのパネルですが、リンデナウ男爵が1848年と1853年にローマで購入したそうです。これらのパネルがあった多翼祭壇画ですが、アルチェヴィアのサン・フランチェスコ教会のためにルカ・シニョレッリが1508年に制作したもの、との説があります。
そのメインパネルは、ブレラ絵画館所有で、現在、アルチェヴィアに戻された説がある(これが本当かどうかですが、私は最近アルチェヴィアに行ってないので分かりません)「聖母子と聖人たち」です。


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ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖人たち」(ミラノ、ブレラ絵画館所有)
(つづく)