写真はヴィテルボです。1509年8月11日、ルカ・シニョレッリは、タルクィニアのドゥオーモに描かれた他の画家のフレスコ画を評価するためにヴィテルボにいました。
56.ロンドン ナショナルギャラリー

引き続きロンドンのナショナルギャラリーです。

ルカ・シニョレッリの「聖家族」(1485-1495c)

作品サイズ(縦81㎝横65㎝)から家庭用に制作されたという推察がありますが、制作の経緯などが全く分かってません。
美術収集家ジョージ・ソルティング(シドニー、1835-ロンドン、1909)は、オーストラリアにおける羊飼育と砂糖栽培で大成功を収めた父から莫大な財産を相続し、その金を美術品収集に注ぎ込みました。収集した絵画をナショナルギャラリーに、版画素描を大英博物館に、残りの収集物をヴィクトリア&アルバート博物館に遺贈するとの遺言を残して1909年に没しました。
1910年、遺言が執行され、ソルティングの絵画コレクションの中にルカ・シニョレッリの「聖家族」も含まれていました。

ルカ・シニョレッリの「割礼」(1491c)
「割礼」はヴォルテッラのサン・フランチェスコ教会にありました。

写真はヴォルテッラです。

ヴォルテッラのサン・フランチェスコ教会です。
メディチ家お抱えのとなったルカ・シニョレッリは、1490年から1491年にかけてヴォルテッラに滞在して、幾つかの祭壇画を制作しました。

サン・フランチェスコ教会内部です。
教会の割礼礼拝堂の祭壇画として、ヴォルテッラのサン・フランチェスコ同信会によって注文されたのが「割礼」です。

1490年から1491年のヴォルテッラ滞在中にルカ・シニョレッリは、サン・フランチェスコ教会のために「割礼」と「玉座の聖母子と聖人たち」の2点の祭壇画を制作しました。
「玉座の聖母子と聖人たち」は、現在ヴォルテッラの市立絵画館で展示されてます。

「割礼」ですが、20世紀後半のX線検査によって『幼きキリスト』の顔が2回描き直されたことが分かりました。ヴァザーリによれば、ソドマ(ヴェルチェッリ、1477‐シエナ、1549)が描き直したと記述してます。もう一回の描き直しですが、シニョレッリ自身によってソドマ以前に描き直されたのではないかと推定されてます。
18世紀末、ヴォルテッラのサン・フランチェスコ同信会は解散に追い込まれ、教会の運営費捻出のため、「割礼」は取り外されて売りに出されました。その結果、スコットランドのハミルトン公爵家
の所有となりました。
第12代ハミルトン公爵ウィリアム・ダグラス・ハミルトン(1845-1895)は、陽気で遊び好きで、他の公爵家親族と異なり、学業不振、粗暴な振舞によって、オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジの退学処分を受けてしまいました。1863年、父の第11代ハミルトン公爵が急逝し、ウィリアムは18歳で公爵位、莫大な富、土地、家業の負債を相続しました。しかし、ウィリアムの素行は改められることなく、競走馬、ギャンブル、豪華ヨットなどに浪費し、享楽と放蕩の暮らしを続けました。その資金調達のため、ウィリアムはハミルトン宮殿の美術品、書籍などを売ることにして、1882年、ロンドンのクリスティーズで競売が行われました。「割礼」もその競売品の一つでしたが、競売の結果3,000ギニーでナショナルギャラリーが落札して所有することになりました。
「割礼」にはプレデッラがあったとする説が一部唱えられましたが、プレデッラの存在自体を含めて発見されていないようです。

ルカ・シニョレッリの「羊飼いの礼拝」
縦17㎝横65㎝のパネルサイズから祭壇画のプレデッラの一部と考えられており、調査が行われました。
その結果、コルトーナのミゼリコルディア病院付属のオラトリオのために描かれた祭壇画「キリストの神殿奉献」の裾絵説が定説になってます。

ルカ・シニョレッリの「キリストの神殿奉献」

「キリストの神殿奉献」はコルトーナのMuseo Diocesanoで展示されてます。

「キリストの神殿奉献」の説明板(Museo Diocesano)

コルトーナのミゼリコルディア病院はサン・フランチェスコ教会の右下に現存しますが、その付属オラトリオは19世紀に取り壊されました。
ロンドンのナショナルギャラリーの展示作品に戻ります。

これは剥離フレスコ画です。

シエナのPalazzo del Magnificoです。
シエナの僭主パンドルフォ・ペトルッチ(シエナ、1452‐サン・クィリコ・ドルチャ、1512)によって建設されました。パンドルフォはPalazzo del Magnificoの大広間の壁をフレスコで装飾したいとして、ルカ・シニョレッリ、ジローラモ・ジェンガ、ピントゥリッキオに注文しました。

全部で8場面のフレスコ画が描かれました。
1842年から1844年にかけてフレスコ画は剥がされ、売りに出されました。

「ローマを助けるようにと説得されるコリオレイナス」は、1924年に著名な美術収集家からナショナルギャラリーに遺贈されました。

ルカ・シニョレッリの「貞潔の勝利」
「貞潔の勝利」もPalazzo del Magnificoにありました。1874年、オークションでナショナルギャラリーによって購入されました。

ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖人たち」(1515)
モントーネのサンタゴスティーノ教会にありました。

写真はモントーネです。
モントーネは、人口1,538人(2025年11月30日現在)のウンブリア州ペルージャ県にあるコムーネです。
1515年7月と8月、ルカ・シニョレッリはモントーネに滞在して依頼されていたモントーネのサン・フランチェスコ修道院教会の祭壇画を制作していましたが、体調が悪かったのでモントーネ在住の医師アロヴィージ・デ・ルタニス・デフランシアの治療を受けました。

モントーネのサン・フランチェスコ修道院教会です。

1515年9月、ルカ・シニョレッリは完成した「聖母子と聖人たち」を納品するためにモントーネを訪れました。

サン・フランチェスコ教会の内部
医師アロヴィージ・デ・ルタニス・デ・フランシアは自身の信仰のために建設したサン・フランチェスコ教会ルタニス礼拝堂に、完成したルカ・シニョレッリの作品が設置されることになりました。

ルカの祭壇画制作費に関して、1515年7月と8月に医師から受けた治療費と相殺することが同意され、1515年9月10日、医師の自宅でその旨を記した契約書(公正証書)が締結されました。契約書は当事者、証人の署名がなされ、公証人によって作成されました。その公正証書はモントーネの文書館に保管されていましたが、今でもモントーネの歴史文書館に現存しているそうです。

ルカ・シニョレッリのプレデッラ
プレデッラの中央に旧約聖書のエステル記の場面が描かれていますが、それ以外の3場面は聖ジローラモの物語から取られてことから、このプレデッラを一時期所有していたドイツ人の美術史家ジャン・パウル・リヒターによって、祭壇画のメインパネルが特定されました。

メインパネルの、ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖人たち」(1519)

この祭壇画はアレッツォのサン・ジローラモ同信会によって注文され、サン・ジローラモ教会に設置されました。
この写真の駐車場になっている場所にサン・ジローラモ教会がありました。

写真はアレッツォの国立中世近代美術館です。
サン・ジローラモ教会にあった、ルカ・シニョレッリの「聖母子と聖人たち」はこの美術館で展示されてます。

アレッツォの国立中世近代美術館の当該作品説明板
(つづく)

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