修復のため、長らく閉鎖されていたが、工事が終了したとのネット記事を見たので行きました。この教会はオルヴィエートで最古の教会と言われてますが、注目すべきフレスコ画が沢山残っていて美術ファンにとっては必訪でしょう。
マラブランカ通りを進み、城壁に面した所に教会があります。
城壁内の西端に位置してます。
身廊がマラブランカ通りに面してます。出入口はファサード側と身廊側にあります。
身廊側ポータル上ルネッタの「聖ジョヴェナーレの浮彫」(1497)
ここで教会の歴史について、簡単に触れておきましょう。
この地に、エトルリア人が建てたジョーヴェ(ジュピター)を奉る神殿がありましたが、6世紀頃に神殿を初期キリスト教会に転用され、その際、聖ジョヴェナーレに献じたとされてます。
10世紀末、旧神殿の教会を取り壊し、その上に新しい建物を建てることになりました。当時、オルヴィエートの裕福な貴族たちの寄進によって、1004年に建てられたロマネスク様式の建物が現在の姿の原形です。
また、1028年、オルヴィエート司教区が出来ると、司教座が置かれました。現在のドゥオーモが建設される以前は、この教会がドゥオーモでした。
14世紀、建物が増築されることになり、増築部分はゴシック様式で建設されましたが、14世紀の増築後の建物が現在の姿になってます。
三廊式、ロマネスク・ゴシックの折衷様式の内部です。新しく見えるのは、最近行われた修復工事によります。
中央通路から見た左側廊方向です。
左側廊
左側廊からの眺め
中央通路から見た右側廊方向
右側廊
壁や柱がフレスコ画で覆われていたと考えられてます。
天井
内陣の中央に三段の階段があります。階段によって内陣が二分されてますが、階段を境にファサード側が14世紀の増築分になります。
主祭壇
ピエトロ・ディ・二コラの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(15世紀後半)
ウンブリアの無名画家による「聖母子と2聖人」(14世紀後半)
アンドレア・ディ・ジョヴァンニの「受胎告知」(15世紀初頭)
ピエトロ・ディ・二コラの「聖母子と聖アントニオア・アバーテ」(1460c)
その左のピエトロの作品で「聖ロムアルド」
詳細不明
詳細不明
ウンブリアの無名画家による「授乳の聖母」(14世紀)
チェーザレ・ネッビアの追随者による「磔刑と聖ジョヴェナーレと聖マルコ」(17世紀初頭)
礼拝堂天井のフレスコ
オルヴィエートの無名画家による「洗礼者聖ジョヴァンニと聖アントニオ・アバーテ」(15世紀第1四半世紀)
ジョヴァンニ・ディ・ブッチオ・レオナルデッリの「受胎告知とご誕生」(1360‐70c)
ピエトロ・ディ・二コラの「シエナの聖ベルナルディーノ」(15世紀後半)
ピエトロ・ディ・二コラの「聖家族」(15世紀後半)
オルヴィエートの無名画家による「福音書記者聖ジョヴァンニ」(16世紀)
剥離以前の壁がどうだったのか、そんなことを考え乍ら眺めました。さぞや見ものだったでしょうね。
「聖母子」が幾つあるのでしょうか?
Maestro Lorenzoの「聖マルコ」(16世紀第1四半世紀)
詳細不明
Maestro di San Brizioの作品(1312)
Maestro di San Brizioの「聖クリストフォロ」(14世紀初頭)(写真右端)
オルヴィエートの無名画家による「聖母子」(15世紀前半)
アンドレア・ディ・ジョヴァンニ?の「受胎告知」(15世紀前半)
修復のやり過ぎと思います。
ピエトロ・パオロ・センシーニの「聖母子と聖人たち」(16世紀後半)
ピエトロ・ディ・プッチーニ派画家による「磔刑」と「聖ロムアルドと洗礼者聖ジョヴァンニと司教の聖人と聖ロレンツォ」(15世紀初頭)
ピエトロ・ディ・プッチーニ派画家による「聖グリエルモ」(15世紀前半)
Maestro SeviroとMaestro Martinoの共作「磔刑」(13世紀中ごろ)
ペルージャの逸名画家による「聖母と聖ピエトロと寄進者」(14世紀前半)
詳細不明のモザイク
14世紀の無名画家による「Arbor Vitae」
沢山ありますね。
ウンブリアの無名画家による「磔刑」(14世紀初頭)
ピエトロ・ディ・プッチーノの追随者による「聖ルーカ」(15世紀初頭)
Maestro di San Lorenzo de Arariの「聖母子と2聖人」(14世紀初頭)
詳細不明
Maestro del Duomo di Orvietoの「聖母子と聖人たちと寄進者」(1305)
Maestro di San Brizio派画家による「聖母子と聖ロレンツォと司教の聖人」(13世紀末)
詳細不明
詳細不明
詳細不明
キリがないので、この辺で終わりにしましょう。
後陣の後ろに聖具室など幾つ部屋があるのですが、「最後の晩餐」などのフレスコ画があります。今回は施錠されて入室できませんでした。
外に出ました。
非常に見ごたえがあります。じっくり見ようとすれば1時間は必要でしょう。
教会前の広場から眺め
城壁から下を見下ろしました。
「最後の晩餐」が見たいので再訪するつもりです。
(おわり)
マラブランカ通りを進み、城壁に面した所に教会があります。
城壁内の西端に位置してます。
身廊がマラブランカ通りに面してます。出入口はファサード側と身廊側にあります。
身廊側ポータル上ルネッタの「聖ジョヴェナーレの浮彫」(1497)
ここで教会の歴史について、簡単に触れておきましょう。
この地に、エトルリア人が建てたジョーヴェ(ジュピター)を奉る神殿がありましたが、6世紀頃に神殿を初期キリスト教会に転用され、その際、聖ジョヴェナーレに献じたとされてます。
10世紀末、旧神殿の教会を取り壊し、その上に新しい建物を建てることになりました。当時、オルヴィエートの裕福な貴族たちの寄進によって、1004年に建てられたロマネスク様式の建物が現在の姿の原形です。
また、1028年、オルヴィエート司教区が出来ると、司教座が置かれました。現在のドゥオーモが建設される以前は、この教会がドゥオーモでした。
14世紀、建物が増築されることになり、増築部分はゴシック様式で建設されましたが、14世紀の増築後の建物が現在の姿になってます。
三廊式、ロマネスク・ゴシックの折衷様式の内部です。新しく見えるのは、最近行われた修復工事によります。
中央通路から見た左側廊方向です。
左側廊
左側廊からの眺め
中央通路から見た右側廊方向
右側廊
壁や柱がフレスコ画で覆われていたと考えられてます。
天井
内陣の中央に三段の階段があります。階段によって内陣が二分されてますが、階段を境にファサード側が14世紀の増築分になります。
主祭壇
ピエトロ・ディ・二コラの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(15世紀後半)
ウンブリアの無名画家による「聖母子と2聖人」(14世紀後半)
アンドレア・ディ・ジョヴァンニの「受胎告知」(15世紀初頭)
ピエトロ・ディ・二コラの「聖母子と聖アントニオア・アバーテ」(1460c)
その左のピエトロの作品で「聖ロムアルド」
詳細不明
詳細不明
ウンブリアの無名画家による「授乳の聖母」(14世紀)
チェーザレ・ネッビアの追随者による「磔刑と聖ジョヴェナーレと聖マルコ」(17世紀初頭)
礼拝堂天井のフレスコ
オルヴィエートの無名画家による「洗礼者聖ジョヴァンニと聖アントニオ・アバーテ」(15世紀第1四半世紀)
ジョヴァンニ・ディ・ブッチオ・レオナルデッリの「受胎告知とご誕生」(1360‐70c)
ピエトロ・ディ・二コラの「シエナの聖ベルナルディーノ」(15世紀後半)
ピエトロ・ディ・二コラの「聖家族」(15世紀後半)
オルヴィエートの無名画家による「福音書記者聖ジョヴァンニ」(16世紀)
剥離以前の壁がどうだったのか、そんなことを考え乍ら眺めました。さぞや見ものだったでしょうね。
「聖母子」が幾つあるのでしょうか?
Maestro Lorenzoの「聖マルコ」(16世紀第1四半世紀)
詳細不明
Maestro di San Brizioの作品(1312)
Maestro di San Brizioの「聖クリストフォロ」(14世紀初頭)(写真右端)
オルヴィエートの無名画家による「聖母子」(15世紀前半)
アンドレア・ディ・ジョヴァンニ?の「受胎告知」(15世紀前半)
修復のやり過ぎと思います。
ピエトロ・パオロ・センシーニの「聖母子と聖人たち」(16世紀後半)
ピエトロ・ディ・プッチーニ派画家による「磔刑」と「聖ロムアルドと洗礼者聖ジョヴァンニと司教の聖人と聖ロレンツォ」(15世紀初頭)
ピエトロ・ディ・プッチーニ派画家による「聖グリエルモ」(15世紀前半)
Maestro SeviroとMaestro Martinoの共作「磔刑」(13世紀中ごろ)
ペルージャの逸名画家による「聖母と聖ピエトロと寄進者」(14世紀前半)
詳細不明のモザイク
14世紀の無名画家による「Arbor Vitae」
沢山ありますね。
ウンブリアの無名画家による「磔刑」(14世紀初頭)
ピエトロ・ディ・プッチーノの追随者による「聖ルーカ」(15世紀初頭)
Maestro di San Lorenzo de Arariの「聖母子と2聖人」(14世紀初頭)
詳細不明
Maestro del Duomo di Orvietoの「聖母子と聖人たちと寄進者」(1305)
Maestro di San Brizio派画家による「聖母子と聖ロレンツォと司教の聖人」(13世紀末)
詳細不明
詳細不明
詳細不明
キリがないので、この辺で終わりにしましょう。
後陣の後ろに聖具室など幾つ部屋があるのですが、「最後の晩餐」などのフレスコ画があります。今回は施錠されて入室できませんでした。
外に出ました。
非常に見ごたえがあります。じっくり見ようとすれば1時間は必要でしょう。
教会前の広場から眺め
城壁から下を見下ろしました。
「最後の晩餐」が見たいので再訪するつもりです。
(おわり)
コメント
コメント一覧 (2)
ただ一つ残念だったのは、フレスコ画を描いた具体的な画家の名前が分からなかったことでした。
ところがこの記事を見たら、画家たちの名前が具体的に載っていて、有難いです。
それをどうやってお知りになったのか、教えてください。
コメント、有難うございます。
フレスコ画を熱心に見ていたら、蝋燭などを清掃している年配のご婦人が近づいてきて、教会の説明書を手に持って差し上げると言われたのです。50ページくらいの立派な小冊子だったので、お金を差し出したら教会の寄進箱に入れて欲しいと言うことで、€10を寄進しました。
その小冊子に制作者名が載っていたという次第です。