P1730116
チッタ・ディ・カステッロは、フィレンツェ大聖堂で起きた有名なパッツィ家陰謀事件の遠因になったことでも知られてます。


P1730117
1478年4月26日のフィレンツェ大聖堂で日曜日のミサの直後に、ロレンツォ・イル・マニーフィコと弟のジュリアーノが襲われ、ロレンツォが負傷しながらも免れたものの、ジュリアーノが暗殺されてしまいました。


P1730120
直接的には、その原因は、ロレンツォのパッツィ家への圧力強化(パッツィの遺産相続に介入して妨害)とメディチ家の権力独占に我慢できなくなったパッツィ家がロレンツォとジュリアーノ兄弟の暗殺を企てたことですが、真の原因は教皇庁とメディチ家の関係悪化にあります。


P1730118
1474年春、ウンブリアで反乱が勃発したのですが、これを鎮圧するために教皇庁はジュリアーノ・デラ・ローヴェレ枢機卿(後の教皇ジュリオ2世、そして当時の教皇シクストゥス4世の甥)を派遣してチッタ・ディ・カステッロを包囲させたのです。


P1730119
1375年、チッタ・ディ・カステッロはフィレンツェの介入によって自治都市の維持が可能になりました。フィレンツェ側から見れば、チッタ・ディ・カステッロはフィレンツェの衛星国のようなものですから、黙ってはいられないとばかり、フィレンツェ軍6000人をボルゴ・サン・セポルクロに進駐させ、ボルゴ・サン・セポルクロとチッタ・ディ・カステッロのほぼ中間の地で、フィレンツェ軍と教皇庁軍が対峙、にらみ合いの時期が暫く続きました。


P1730122
教皇庁とフィレンツェとの関係悪化は、両軍の対峙によって決定的になりました。パッツィ家陰謀事件の真の理由はその関係悪化にあります。


P1730123
写真右の建物に注目です。


P1730125
何か書いてあります。不鮮明なフレスコ画もありますね。


P1730126
時計でしょうか?


P1730128
写真左の建物の壁に変なものを発見!!


P1730129
これは何ですか?


P1730131
今まで気付きませんでしたが、この変なモノ(スプレーで吹き付けで出来た?)が町中に沢山ありました。


P1730164
次はサン・フランチェスコ教会です。


P1730166
サン・フランチェスコ教会はこの時も閉まってました。


P1730168
中の礼拝堂がどうなっているのか、見たかったのです。


P1730171
後陣近くの身廊の壁に説明プレートがあります。


P1730173
この教会にラッファエッロ・サンツィオの「聖母の結婚」があったのです。現在はミラノのブレラ絵画館にあります。
ラッファエッロの作品があった場所に、ラッファエッロ作品の複製画が置かれるようになったと聞いたことがあるので確認したかったのです。
余計ですが、ブレラの作品写真を載せましょう。


P2030907
2016年春から初夏にかけて、師弟の「聖母の結婚」が並べて展示されていました。


P2030893
ラッファエッロの「聖母の結婚」
この作品がサン・フランチェスコ教会にありました。


P2030900
こちらは、ラッファエッロの師匠であるペルジーノの「聖母の結婚」です。
フランスからの出張展示です。私が見るのは、この時が初めてでした。


P1730158
仕方がありません。サン・フランチェスコ教会は次の楽しみにしました。


P1730149
面白そうな建物ですが、案内プレートがありません。


P1730133
広場に戻ってきました。


P1730134
イタリアの金融機関は立派な建物にあります。


P1730136
市庁舎


P1730137
これで一日目が終わりです。


P1730187
翌朝、散歩に出かけました。


P1730200
パリオの準備が始まりました。


P1730204
この時は土曜日の朝で、パリオは翌日です。


P1730202
パリオを知ったのは、この街に来てからですから、今さら予定変更は無理というものです。


P1730208
この日も拝観しました。


P1730209
(おわり)