第16礼拝堂です。
ファサードにフレスコ画がありますが、太陽と風雨に晒されて落剝、退色が認められます。
頑丈な鉄柵と金網=中にテラコッタ、ですね。フレスコ画がメインの礼拝堂には、中に入ることが出来ます。
ここは頑丈な鉄柵があるので、テラコッタがあります。
テラコッタ制作は彫刻家ディオニ―ジ・ブッソーラによるもの
ステファノ・マリーア・レニャーニ通称レニャニーノが制作したフレスコ画
この礼拝堂は、他の礼拝堂と違う点があります。
Cappella Nuovaです。
第1礼拝堂から第20礼拝堂までは17世紀末までの約100年の間に建設されました。この礼拝堂はそれから約1世紀後の18世紀末に建設が始められました。
1810年、ナポレオンが宗教活動を制限する布告を出しましたが、この礼拝堂もそのあおりを受けて、建物自体は何とか完成しましたが、中の装飾は未完のままに放置されました。
見どころはありません。
延々と進めてはキリがないので、一挙に飛ばして先に進めることにしましょう。
次は第6礼拝堂です。
建物の四隅と取り囲む柱廊が特徴です。
ここもテラコッタと彫刻が見どころです。「ここも」というよりも全礼拝堂に言えます。
彫刻家クリストフォロ・プレスティナーリが1617年ー1618年にかけて制作したテラコッタ
クリストフォロが制作したテラコッタ像の数が足りないとの理由で、1662年にディオニ―ジ・ブッソーラが制作したテラコッタが追加されました。
フレスコは、ジョヴァンニ・バッティスタとジョヴァンニ・マウーロのデッラ・ローヴェレ兄弟通称フラッミンギーニによって1616年頃に制作されました。
この礼拝堂のフレスコ画は秀作と思います。
柱廊の壁と天井にもフレスコ画があります。
オルタ湖の水温が低いので、短時間の水泳は可能ですが長い時間の水遊びが無理と合って、長期滞在の観光客は他にやることがあまりありません。
そのような背景から、ここを訪れる観光客が多い反面、聖山の趣きは薄れ完全に観光地化したようで、礼拝堂で祈りをささげる人は皆無でした。
1612年に建設された第5礼拝堂です。
各礼拝堂のコンセプトはそれぞれ違いますが、聖フランチェスコの生涯のエピソードやフランチェスコ修道会がテーマとなってます。
クリストフォロ・プレスティナーリ制作の彩色テラコッタ(1615)
ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・ローヴェレ制作のフレスコ画(1615)
ファサードにもフレスコが施されてます。
ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・ローヴェレが描いた柱廊天井のフレスコ画(1615‐16)
次は第4礼拝堂です。
建物の構造は、先に見た第5礼拝堂に似てます。1609年から1629年に建設されました。
今まで見てきた礼拝堂と違いは、保護の金網の目が細かくて、カメラのレンズ部分を金網の間に入れることが出来ませんでした。
クリストフォロ・プレスティナーリ制作の彩色テラコッタ(1610‐16)
礼拝堂全てのフレスコ画はフラッミンギーニ(デッラ・ローヴェレ兄弟)の制作によるもの
金網が邪魔して良く見えません。
次は第3礼拝堂です。
1596年に建設された第3礼拝堂です。ここは中に入ることが出来ます。
クリストフォロ・プレスティナーリ制作の彩色テラコッタ
中に入ることが出来たのでフレスコ画の各場面をじっくり見ることが出来ました。
フラッミンギーニ(デッラ・ローヴェレ兄弟)制作のフレスコ画です。
最近修復が行われたように見えます。
次は第2礼拝堂です。
1606年から1609年に建設された第2礼拝堂も他の礼拝堂と大同小異です。
この部分のフレスコ画はフランチェスコ・ジャノ—リの制作によるもの(1681)
ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・ローヴェレ制作のフレスコ画
礼拝堂内部の天井はデッラ・ローヴェレ兄弟の制作
テラコッタとフレスコ画が見事にマッチしています。
相当な資金力があったこそ可能になった計画なんですね。
最後は第1礼拝堂です。
1592年に建てられた第1礼拝堂ですが、ファサードは19世紀に完成しました。
外壁にフレスコ画の痕跡が認められます。
17世紀初頭に制作されたクリストフォロ・プレスティナーリの彩色テラコッタ
17世紀初頭に制作されたジャコモ・フィリッポ・モンティのフレスコ画
第1礼拝堂に隣接して土産物屋兼案内所があります。
下を見下ろすと絶景が広がってます。
美術的には上級者ファン向けですが、それとは無関係に気楽に訪れるのが良いと思います。
晴れ渡った日に行くのが最適でしょうね。
(おわり)
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