国立美術館になっているサン・マルコ修道院は、別に取り上げることにして、今回は聖堂の方です。
バスターミナルにもなっているサン・マルコ広場です。
広場に面して建つサン・マルコ聖堂です。
12世紀にこの地に建てられたサン・ジョルジョ修道院が起源です。14世紀にサン・ジョルジョ修道院を取り壊し、その上にサン・マルコ教会修道院が建設されました。
1418年、ドメニコ会出身の教皇エウジェニオ4世によってドメニコ会の拠点となり、1443年に奉献されました。
1440年台には、コジモ・イル・ヴェッキオ・デ・メディチによって改装、拡張が行われました。更に16世紀に改修され、1676年にはピエル・フランチェスコ・サルヴァーニの設計によって又もや改修が行われました。
現在見る新古典様式のファサードは1777年から1778年に再建されたものです。
鐘楼は、1512年にバッチオ・ダ―ニョロの設計によって建設されたものです。
聖堂内も見どころが多いので、美術館の修道院だけではなく聖堂もお勧めです。
単廊式でバロック様式が色濃い内部です。
聖堂は上の写真の左手前にあります。修道院と比較すると、かなり狭いことが分かります。
左に翼廊のような、ジャンボローニャ設計の大きなサルヴィアーティ礼拝堂があります。
右側壁
教会の右奥から修道院に通じてます。
ゴテゴテ感ある天井装飾です。
天井のフレスコ画はジョヴァンニ・アントニオ・プッチの「聖母被昇天」(1725)です。
では、各礼拝堂、主祭壇を見ていきましょう。
ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジの「キリストの変容」(1596)
ヤコポ・ディ・チオーネの「受胎告知」(1371c)
現在の建物の創建時に描かれました。
ヤコポ・フォッジーニの「この人を見よ」(1654)
サンティ・ディ・ティートの「磔刑とアクイーノの聖トッマーゾ」(1593)
フラ・バルトロメオの「バルダッキーノの聖母」(1509)
「祈る聖母」のモザイクは、ローマの旧サン・ピエトロ大聖堂にあったものです。
マッテオ・ロッセッリの「ドメニコ会修道士に聖ドメニコ像を顕現させる聖母」(1640)
主祭壇
後陣
ミケロッツォ設計製作による主祭壇です。
アンジェロ・フェッリによって描かれたクーポラのフレスコ画です。
後陣右側壁に描かれたアレッサンドロ・ゲランディーニの「マギの礼拝」(1717)
後陣左側壁に描かれたアレッサンドロ・ゲランディーニの「カナの晩餐」(1717)
ジャンボローニャ設計のサルヴィアーティ礼拝堂です。
祭壇下に聖アントニオの遺体がありますが、本物ではありません。
十字架があるので祭壇画が良く見えません。
この写真ならば少しはマシというものです。
アレッサンドロ・アローリの「辺獄への降下」(1584)
「ロザリオの聖母」(16世紀)
礼拝堂側壁に描かれたパッシニャーノの「聖アントニオの遺体の移動」
こちらはパッシニャーノの「聖アントニオの遺体の調査」
ジョヴァン・バッティスタ・ナルディーニの「聖マッテオの召命」
イル・ポッピの「ハンセン病患者を治癒するキリスト」
チゴリの「エルサレムに十字架を持ち帰るエラクリオ」(1594)
19世紀制作の「ジローラモ・サヴォナローラのブロンズ像」
アントニオ・ドメニコ・ガっビアーニの「フラ・バルトロメオの『シエナの聖カテリーナの神秘な結婚』の複製画」(1690)
アントニオ・ヴェネツィアーノのフレスコ画(1370)
パッシニャーノの「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(1593)
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアのプレセピオ
この他にもありますが、キリがないのでこの辺で終わりにしましょう。
聖堂は見逃せません。
外に出ました。
聖堂の方はこれで終わりです。次は修道院です。
(おわり)
バスターミナルにもなっているサン・マルコ広場です。
広場に面して建つサン・マルコ聖堂です。
12世紀にこの地に建てられたサン・ジョルジョ修道院が起源です。14世紀にサン・ジョルジョ修道院を取り壊し、その上にサン・マルコ教会修道院が建設されました。
1418年、ドメニコ会出身の教皇エウジェニオ4世によってドメニコ会の拠点となり、1443年に奉献されました。
1440年台には、コジモ・イル・ヴェッキオ・デ・メディチによって改装、拡張が行われました。更に16世紀に改修され、1676年にはピエル・フランチェスコ・サルヴァーニの設計によって又もや改修が行われました。
現在見る新古典様式のファサードは1777年から1778年に再建されたものです。
鐘楼は、1512年にバッチオ・ダ―ニョロの設計によって建設されたものです。
聖堂内も見どころが多いので、美術館の修道院だけではなく聖堂もお勧めです。
単廊式でバロック様式が色濃い内部です。
聖堂は上の写真の左手前にあります。修道院と比較すると、かなり狭いことが分かります。
左に翼廊のような、ジャンボローニャ設計の大きなサルヴィアーティ礼拝堂があります。
右側壁
教会の右奥から修道院に通じてます。
ゴテゴテ感ある天井装飾です。
天井のフレスコ画はジョヴァンニ・アントニオ・プッチの「聖母被昇天」(1725)です。
では、各礼拝堂、主祭壇を見ていきましょう。
ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジの「キリストの変容」(1596)
ヤコポ・ディ・チオーネの「受胎告知」(1371c)
現在の建物の創建時に描かれました。
ヤコポ・フォッジーニの「この人を見よ」(1654)
サンティ・ディ・ティートの「磔刑とアクイーノの聖トッマーゾ」(1593)
フラ・バルトロメオの「バルダッキーノの聖母」(1509)
「祈る聖母」のモザイクは、ローマの旧サン・ピエトロ大聖堂にあったものです。
マッテオ・ロッセッリの「ドメニコ会修道士に聖ドメニコ像を顕現させる聖母」(1640)
主祭壇
後陣
ミケロッツォ設計製作による主祭壇です。
アンジェロ・フェッリによって描かれたクーポラのフレスコ画です。
後陣右側壁に描かれたアレッサンドロ・ゲランディーニの「マギの礼拝」(1717)
後陣左側壁に描かれたアレッサンドロ・ゲランディーニの「カナの晩餐」(1717)
ジャンボローニャ設計のサルヴィアーティ礼拝堂です。
祭壇下に聖アントニオの遺体がありますが、本物ではありません。
十字架があるので祭壇画が良く見えません。
この写真ならば少しはマシというものです。
アレッサンドロ・アローリの「辺獄への降下」(1584)
「ロザリオの聖母」(16世紀)
礼拝堂側壁に描かれたパッシニャーノの「聖アントニオの遺体の移動」
こちらはパッシニャーノの「聖アントニオの遺体の調査」
ジョヴァン・バッティスタ・ナルディーニの「聖マッテオの召命」
イル・ポッピの「ハンセン病患者を治癒するキリスト」
チゴリの「エルサレムに十字架を持ち帰るエラクリオ」(1594)
19世紀制作の「ジローラモ・サヴォナローラのブロンズ像」
アントニオ・ドメニコ・ガっビアーニの「フラ・バルトロメオの『シエナの聖カテリーナの神秘な結婚』の複製画」(1690)
アントニオ・ヴェネツィアーノのフレスコ画(1370)
パッシニャーノの「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(1593)
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアのプレセピオ
この他にもありますが、キリがないのでこの辺で終わりにしましょう。
聖堂は見逃せません。
外に出ました。
聖堂の方はこれで終わりです。次は修道院です。
(おわり)
コメント
コメント一覧 (2)
昨夜インフェルノの映画を見てきました。フィレンツェの街がでてきます。ピッティ宮殿や、ヴェッキオ宮殿などでてきました。ただ、走り抜けるシーンでもう少しゆっくりとおまってしまいます。
また、ダンテ教会やフィオレンティーナ教会は訪れていないのですがシニョレッリさんのサイトで伺っているような気になりました。
今後も宜しくお願い致します。nonomamaより
コメント、有難うございます。
前のサイトは不安定で時々消えたり、造りが重くて写真を沢山アップするのが大変でした。こちらの方は下書き機能や予約機能(私に希望日時にアップすることが出来ます)が充実しているし、造りが軽いので素晴らしいと思います。