次の部屋です。ここは、恐らく美術学校の移転によって開いたので、新たに展示室として拡充された部分と思います。
ジャンバッティスタ・ピットーニ(ヴェネツィア、1687‐1767)の「エルサレムの寺院での略奪」(1743‐44)
ヤコポ・アミゴーニ(ナポリ?、1682‐マドリッド、1752)の「ヴィーナスとアドニス」
セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659‐ヴェネツィア、1734)の「ディアナとカッリスト」(1712‐16)
セバスティアーノ・リッチの「パーンの誉れのバッカス祭」(1716c)
セバスティアーノ・リッチの「アスクレーピオスの夢」
肖像画は省略します。
フランチェスコ・グアルディ(ヴェネツィア、1712‐1793)の「アンコネータ島」
フランチェスコ・グアルディの「サン・マルクエーラのオイル倉庫の火災」(1789)
フランチェスコ・グアルディの「サン・ジョルジョ島の聖マルコの祭り」(1774)
カナレット(ヴェネツィア、1697‐1768)と工房の「遺跡での戯れ」
カナレットと工房の「遺跡での戯れ」
ミケーレ・マリエスキ(ヴェネツィア、1710‐1743)の「階段があるパラッツォの中庭」
ベルナルド・ベッロット(ヴェネツィア、1722‐ヴァルサヴィア、1780)の「風景」(1740c)
ミケーレ・マリエスキの「遺跡での戯れ」
ミケーレ・マリエスキの「海岸での戯れ」
ジャンバッティスタ・ティエポロの「ディアナの祭りにおけるアンツィアとアブロコムの邂逅」(1743‐44)
マルコ・リッチ(ベッルーノ、1676‐ヴェネツィア、1730)ん「ヴィッラの庭園」
マルコ・リッチの「樵がいる風景」
この廊下はアントニオ・カノーヴァの彫刻が展示されてます。拡充部分の目玉というべき展示室でしょう。
アントニオ・カノーヴァの「ライオン」(1783‐92)
2頭で1セット
アントニオ・カノーヴァの「ジョヴァンニ・ヴォルパートの葬儀の石碑」(1804)
アントニオ・カノーヴァの「ウィレム・ジョージ・ドランジェの葬儀の石碑」(1606‐08)
同じような石碑が並んでます。
アントニオ・カノーヴァの「イサクの犠牲」(1821‐22)
アントニオ・カノーヴァの「寺院へのキリストの出現」(1821‐22)
アントニオ・カノーヴァの「アベルの殺害」(1821‐22)
アントニオ・カノーヴァの「ご訪問」(1821‐22)
アントニオ・カノーヴァの「男性の創造」(1821‐22)
アントニオ・カノーヴァの「受胎告知」(1821‐22)
アントニオ・カノーヴァの「プリアーモの死」(1793‐94)
アントニオ・カノーヴァの「ソクラテスの家族との別れ」(1793‐94)
第11室(ローマ数字の)に戻ります。
ルーカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634‐1705)の「聖ピエトロの逆さ磔」
ジャンバッティスタ・ティエポロの「Devoti affacciati ad una loggia」
ヤコポ・ティントレットの「寺院へのキリストの出現」
展示の作品が変更されてます。
ヤコポ・ティントレットの「十字架降下」
横長の作品です。1枚の写真では到底入りきれません。
3枚の写真に分けます。
ジャンバッティスタ・ティエポロの「迷惑の罰」
これは詳細不明です。
廊下を歩いて別区画の展示室に移動です。
廊下の壁や扉などに装飾が施されてます。
扉の先に展示室があったような・・・・
これまで見てきた作品を考えると、展示されていない作品がかなりの数に上った気がします。
10年前に購入した「全作品リスト」を参照しないと具体的には出てきませんが・・・・
工事中の部屋の区切り
移動のために梱包された作品
次の部屋です。
第18室(ローマ数字の)になります。ということは、ローマ数字の12室から17室が閉鎖でしょうか?
マルコ・リッチのサークルの「滝」
フランチェスコ・ズッカレッリの「バッカス祭」
フランチェスコ・ズッカレッリの「エウロパの強奪」
ポンぺオ・バトーニ(ルッカ、1708‐1787)の「玉座の聖母子と聖人たち」
マルコ・リッチのサークルの「旅人がいる風景」
ジュゼッペ・ツァイス(1709‐1781)の「ヴィッラでの楽しみ)
マルコ・リッチの「洗濯する人々がいる風景」
マルコ・リッチの「奔放に生きる人々がいる風景」
イッポリート・カッフィー(1809‐1866)の「霧のサン・マルコ広場」
Theodore Lancelot Turpin de Crisse (Parigi, 1782-1859)の「海岸の崖」
(つづく)
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