お腹一杯、美味しくいただいた昼食でした。
少々疲れ気味なのでホテルに戻って昼寝。一人旅だったので、この部屋だけと思われるでしょう。
ところがこの部屋もそうなんです。
この部屋も私の部屋。そうなんです、どうしたのか分かりませんが1人で5人用の部屋でした。
居間が付いていたので、全部で4部屋、ベッドルームが3つ。翌朝の朝食の宿泊客の少なさから判断すると、混雑していたから、この部屋になったのではないようでした。
20分程微睡んでから、外に出ました。
酔いが程よく冷めて快適でした。
2年前は、ワイン1本、水代わりのビールを飲んでも酔いを感じたことは稀でしたが、ここ1年はめっきり弱くなりました。
と言うことで、ワインは量よりも質にしてますが、油断していると高価なものを持ってこられます。
昼下がりなので人出が少ない。
拝観を後回しにした、Museo Civico近くの2つの教会に行くことにしました。同じ道を通るのは味気ないので、遠回りしました。
歴史的建造物です。
写真右の古そうな建物には説明板がありません。
夏至が2日後でしたが、日陰では涼しい風が通り、肌に心地よかったことを覚えてます。
観光案内所で貰ったパンフレットによれば、この先に歴史的建造物があります。
この建物です。
17世紀では、それ程古い物ではありませんね。
行った先々で、観光案内所に立ち寄って地図や各種パンフレットを頂戴してます。
頂いた資料などで、その街の観光客に対する姿勢などが大体分かります。その点では、この街はベストの一つでしょうね。
この先にMuseo Civicoがあります。
この建物は午前中に見ました。
ここに来たら、ピエロの作品をもう一度見たくなりました。
切符を買おうとしたら、係員が私の顔を覚えていたのです。午前中に見終らずに昼休みが来たので、午後に再入場の扱いを受けて無料で入館できました。
ピエロの2作品を中心に見て、直ぐに退館しました。
プレトリオ宮の裏側です。
サン・フランチェスコ教会です。
こちらはサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。2つとも開いていました。
2つの教会の間に広場があります。
広場に立つのは、数学者のフラ・ルーカ・パチョーリ像です。ルーカはピエロ・デッラ・フランチェスカの数学上に一番弟子で、レオナルド・ダ・ヴィンチに遠近法を教授したことで有名です。また、「複式簿記の父」と呼ばれてます。ただ、ルーカが師匠ピエロの未刊行の数学の著述を自分の著作物として出版して世に出た事実があるのです。
著述の一部の盗作ではなくて、著述全部を自分の著作物として出版したのですから、彼の品性がどうだったのか、疑問があります。
こちらから拝観することにしました。
1258年創建、1321年に完成したゴシック様式の教会です。
サンセポルクロは地震の多い土地で、建物は何度も崩壊しました。現在の姿は崩壊した石材を拾い集めて忠実に元の姿に組み直して出来たものです。
入口扉上の浮彫
中に入りました。
1948年の地震によって大きな被害を受けたので、その後、大改修が行われました。新しく見えるのは、そのためです。
単廊式の内部です。
天井
主祭壇
装飾が殆ど施されていない後陣です。
クリプタは施錠されていました。
フランチェスコ・クッラディ(1570‐1661)の「無原罪の御宿りと天使たち」
「パドヴァの聖アントニオ」
ジョヴァンニ・デ・ヴェッキ(1537‐1615)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」
ラッファエッロ・スカミノッシ(1529‐?)の「ベアート・ラニエーリ」
アントニオ・ディ・パドヴァの「ロザリオの聖母」(彩色テラコッタ)
詳細不明
ラッファエッロ・スカミノッシの「天上の聖母子と聖カルロ・ボッロメオとベアート・ラニエーリ」
詳細不明
17世紀の無名画家の「教会博士との問答」
17世紀の無名画家の「永遠なる父と聖人たち」
祭壇前から見た出入口です。
旧修道院です。
修道院はパス
こちらの方は学校だったと思います。
次はサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。
1518年創建のルネサンス様式の建物です。
ロッジア
中に入りました。
天井
1694年の地震によって大きな被害を受け、暫く放置されましたが1899年から本格的な修復が行われたので新しく見えます。
傑作とされている主祭壇画
ラッファエッリーノ・デル・コッレの「グラツィエの聖母」(1555)
詳細不明の「磔刑像」
17世紀のフィレンツェの無名画家に拠る作品
教会の構造図
祭壇前から見た出入口
(つづく)
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