ドゥオーモと要塞を結ぶVia Ricasoliです。
通りの名称が書かれいます。見えているのはサンタゴスティーノ教会です。
サンタゴスティーノ教会です。
教会の隣にある建物はサンタゴスティーノ神学校ですが、学校は廃止され、その建物が市立美術館として使用されてます。
写真左が旧神学校の建物です。
1925年、モンタルチーノの教会などから集められた美術品の特別展が開催され、大成功を収めたので、その展示物を中心に美術館設立の機運が高まり、1953年に市立美術館が発足しました。
美術館の入り口です。
1958年に規模が拡大されると共に、整備が進み、現在の美術館となったのは1997年のことでした。
正式名称は、Museo Civico e Diocesano d'Arte Sacraと言います。
旧神学校のキオストロ
写真右端が切符売り場です。
最初の展示室に入ると、先ず大きな多翼祭壇画が目に飛び込んできます。
バルトロ・ディ・フレディ(シエナ、1353から記録、1410没)の「聖母戴冠のポリッティコ」(1388)
モンタルチーノのサン・フランチェスコ教会にありました。作品の裏面ににバルトロの署名と制作年が記載されてます。
中央パネル
頭頂部
向かって左
向かって右
裾絵
欠落しています。
裾絵2枚が欠落しています。
アンジェロ・ディ・ナルドゥッチョ(14世紀後半にシエナで活動)の「受胎告知する天使」(1370)
ドメニコ・ディ・アゴスティーノ(シエナ、1343‐1367記録)?の「受胎告知される聖母」(1369)
バルトロ・ディ・フレディの「聖母子」
Maestro di Ponzano (14世後半にシエナで活動)の「聖母子と聖アンサーノと聖ロレンツォ」(1382)
ジョヴァンニ・ディ・アゴスティーノ(シエナ、1331‐1347記録)の「磔刑像」
フランチェスコ・ディ・セーニャ(シエナ、1328‐1339記録)の「聖母子と4聖人」
中央の「聖母子」
左は「アレッサンドリアの聖カテリーナ」と「司教聖人」
右は「福音書記者聖ジョヴァンニ」と「修道僧聖人」
14世紀の無名画家の「聖母子と2聖人と3天使」
「聖母子」
「聖ニコロ」
「聖ドメニコ」
向かって右の天使
中央の天使
向かって左の天使
アンジェロ・ディ・ナルドゥッチョ?の「聖母子」
バルトロ・ディ・フレディの「ピエタのキリスト」
バルトロ・ディ・フレディの「十字架降下のポリッティコ」(1383)
モンタルチーノのサン・フランチェスコ教会にありました。バルトロの署名と制作年が記されてます。
中央
向かって左
向かって右
バルトロ・ディ・フレディの「4聖人」
左は「聖フランチェスコと聖パオロ」
右は「聖ピエトロとパドヴァの聖アントニオ」
Maestro del Crocifisso dei Disciplinati (シエナで14世紀後半に活動)の「受胎告知」
15世紀後半の後期ゴシック様式の無名画家の「磔刑」
アンジェロ・ディ・ナルドゥッチョ?の「磔刑像」
シモーネ・マルティーニの協力者の「聖母子と2天使」
アンブロージョ・ロレンツェッティの弟子の「マエスタ」
アンブロージョ・ロレンツェッティ(シエナ、1290c‐1346)の「聖ピエトロ」と「聖パオロ」
14世紀第4四半世紀のシエナの無名彫刻家の「磔刑像」
Maestro del 1346 (シエナで14世紀中ごろに活動)の「聖母子と2聖人」(1346)
「聖母子」
「聖アゴスティーノ」
「洗礼者聖ジョヴァンニ」
ルーカ・ディ・トンメ(シエナ、1355‐1389記録)の「聖母子」
フランチェスコ・ディ・ヴァルダムブリーノ(シエナ、1401‐1435記録)の「聖ピエトロ」
ベンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニ(シエナ、1436‐1518?)の「十字架を手にするキリストと大天使ミケーレと聖エジーディオ」
(つづく)
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