イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: エミリア・ロマーニャ州

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見たい所は大体見たようです。


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突き当りの教会は、サンティッシモ・クローチェフィッソ教会です。


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写真左奥の建物は、マルドッティ図書館です。


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ガリバルディ広場です。


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ガリバルディ広場の先にある市の塔です。


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八角形のインマコラータ・コンチェッツィオーネ教会です。


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この町の見所を見ながら駅に向かいました。


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振り返るとサンタ・クローチェ教会が見えました。


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ヴァルトゥルノ通りです。


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トレント通りです。


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ローマよりも北にある市町村ばかりを取り上げているのは、そちらの方を重点に行っているからです。


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その理由は、単純に南イタリアが好きではないからです。


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「南イタリアが好きではない」と言っている、多数の北イタリア人の意見に頷けるからです。


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11月4日通りです。ドゥオーモ・ファサードの時計が見えてます。


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突き当りの教会は、サン・カルロ教会です。


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旧サン・フランチェスコ教会です。


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ゴンザーガ通りです。


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サン・フランチェスコ修道院教会の鐘楼です。


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サン・カルロ教会と市の塔


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共和国広場です。


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サン・フランチェスコ修道院教会だった建物です。


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マルティーリ・パトリオーティ広場です。


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マルティーリ・パトリオーティ広場に立っているのは、第一次世界大戦の記念碑(1922)です。


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琵琶の木です。イタリアでは、あまり見かけない木です。


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道の突き当りが駅になります。


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駅に戻りました。


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バールで切符を買いました。


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私が乗る列車ではありません。


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列車が出発しました。


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レッジョ・エミリアから到着した列車です。


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私が乗車した列車の写真がありません。
(おわり)

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写真左はドゥカーレ宮殿の壁です。


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チェーザレ・ベッカリア通りです。


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サンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会に向かいました。


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道の突き当りにサンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会があります。


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サンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会、またはセルヴィ教会とも呼ばれてます。
地震で被害を受けて、修復工事が行われていたドゥオーモに代わって、一時的にドゥオーモの役割を担っていました。


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ジュリオ・ボッロメオ神父がグアスタッラ伯爵のチェーザレ1世・ゴンザーガ(1535-1575)にこの場所に教会の建設を願い出て許され、建築家フランチェスコ・カプリアーニ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1535-ローマ、1594)の設計によって、1569年に創建され、1585年頃に一応の完成をみました。
チェーザレ1世は、カルロ・ボッロメオの姉カミーラ・ボッロメオと結婚していました。また、ジュリオ・ボッロメオ神父は、ボッロメオ家の出身だったので、ボッロメオ家とゴンザーガ家が教会建設のための資金援助を行いました。


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しかし、直ぐに手狭になったので、建築家ジョヴァンニ・アントニオ・フィリッピの設計によって、1600年から増築工事が開始され、1607年に完成しました。1607年に奉献式が執り行われました。


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1696年の地震によって、大きな被害を受けたので、1696年に修復工事が開始されました。しかし、工事中の1702年、スペイン継承戦争にグアスタッラは巻き込まれ、フランスとスペインの砲撃を受けて、建物の3分の1が破壊されてしまいました。
1717年に大改修工事が完了しましたが、現在のファサードとクーポラは、その際、再建されたものです。


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現在の鐘楼は、1704年に再建された二代目となるものです。


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ゴンザーガ家が庇護した格式の高い教会です。


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ドゥオーモが修復工事の間、朝から夕方まで開いていました。


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拝観します。


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中に入りました。


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三廊式、バロック様式の内部です。


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左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。


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天井


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左側廊


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右側廊


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詳細不知


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボロニーニ(ボローニャ、1611-1668)の「聖マリア・マッダレーナと聖ルチアと聖アポッロニア」(1665)


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上記作品の祭壇


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詳細不知


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Presbiterio


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ピエトロ・アントニオ・ロターリ(ヴェローナ、1707-サンクト・ペテルブルグ、1762)の「受胎告知」(1738)


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後陣の装飾


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クーポラ


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この教会で最も有名な作品です。


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ジュゼッペ・マリア・クレスピ(ボローニャ、1665-1747)の「ピエタと奉仕秩序の創立聖人たち」(1730)


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逸名彫刻家作「磔刑像」(18世紀)


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ジュゼッペ・マッツァ(ミラノ、1817-1884)の「天上のキリストと聖人たち」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボロニーニ(ボローニャ、1611-1668)の「聖セバスティアーノと聖フィリッポ・ベニッツィ」(1665)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボロニーニ(ボローニャ、1611-1668)の「聖母子と聖人たち」(1665)


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上記作品の祭壇


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詳細不知


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上記作品の祭壇


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ジュゼッペ・マッツァ周辺の逸名画家作「聖母子」


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詳細不知の「聖母子と二聖人」


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詳細不知


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詳細不知の「ピエタ」


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カウンターファサードにオルガンがあります。


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外に出ました。
(つづく)

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ドゥオーモのファサードの時計が見えてます。


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鐘楼があると直ぐにドゥオーモと分かります。


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突き当りはサンタ・クローチェ教会です。


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こちらの突き当りは、サンティッシモ・クローチェフィッソ教会です。


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こちらの突き当りは、サンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会になります。道の突き当りに教会が見えるようにしたのは、チェーザレ1世・ゴンザーガ伯爵(1530-1575)が推進した都市計画によるものとされてます。


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ジュゼッペ・ヴェルディ通りです。


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グアスタッラのオペラ劇場です。


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ルッジェーロ・ルッジェーリ市立劇場と呼ばれてます。
ルッジェーロ・ルッジェーリ(ファーノ、1871-ミラノ、1953)は、有名な男優です。彼の母がグアスタッラ生まれだったので、それに因んで劇場の名前となったのですが、ちょっと苦しいようです。


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ジュゼッペ・ヴェルディ通りの道幅が狭いので、市立劇場ファサード全景の写真がうまく撮れません。


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1671年にオープンした古いオペラ劇場です。


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市立劇場の内部


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客席が少ないものの馬蹄形の本格的なオペラ劇場です。


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客席を取り外してオーケストラピットを造るようですが、それでは座席数が減少して採算を取るのが難しそうです。


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劇場の先に八角形のインマコラータ・コンチェッツィオーネ教会があります。


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11月4日通りです。


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サンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会に行くにはまだ早すぎます。


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ゴンザーガ通りに戻ってしまいました。


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写真左の建物はPalazzo Comunaleです。


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ファサードが修復工事中の旧サン・フランチェスコ教会です。


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町を一周することにしました。


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小さな町なので、直ぐに城壁外の緑地に出てしまいます。


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城壁は破壊されて残ってません。


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旧城壁近くに大規模な駐車場があります。


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チルコンヴァッラツィオーネ通りです。


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この辺は旧市街北端の城壁外に当たります。


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再び緑地に出ました。


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城壁の南端から北端まで1200メートル、東端から西端まで1000メートルくらいです。


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城壁外の見所は全く無さそうです。


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Piazza l’Maggio


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旧城壁内に戻りました。


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ドゥカーレ宮殿です。


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ドゥカーレ宮殿は、旧城壁内の北端に当たります。


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ドゥカーレ宮殿内の使用人用の建物です。


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一部がホテルになってます。


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(つづく)

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ドゥカーレ宮殿の庭です。


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宮殿の庭に隣接して建っている、スタッコ彫刻がある建物です。


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庭から見たドゥカーレ宮殿です。


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宮殿は高い壁に囲まれてます。


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ドゥカーレ宮殿の庭から見える鐘楼は、サンタ・マリア・アンヌンツィアータ(セルヴィ)教会のものです。


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ドゥカーレ宮殿から外に出ます。


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ドゥカーレ宮殿からゴンザーガ通りに出ました。


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この町で最大の見所とも言えるドゥカーレ宮殿でした。


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日本人でグアスタッラ公国をご存知ではない方が多いのか、この町で日本人を見かけたことがありません。


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宮殿の先はマルティーリ通りです。


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この記事がアップされる頃は、延期された五輪の帰趨が決まっていますが、これを書いている時点(2020年12月26日)では見通しがかなり暗くなってます。


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ラルゴ・グラムシです。


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ラルゴ・グラムシまでが城壁内に当たります。


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ラルゴ・グラムシの先には見所がないようです。


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ゴンザーガ通りを引き返します。


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ゴンザーガ通りと交差するガリバルディ通りです。


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ドゥカーレ宮殿まで戻りました。


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マッツィーニ広場です。


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写真右の建物はPalazzo Comunaleです。


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ベッカリア通りです。


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突き当りはサンティッシモ・クローチェフィッソ教会です。


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ゴンザーガ通りです。


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ゴンザーガ通りで振り返ってドゥカーレ宮殿方向を撮りました。


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セルヴィ教会に向かいます。


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セルヴィ教会はミサ中でした。ミサが終わる頃を見計って拝観することにしました。それまで時間潰しです。


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ヴィットリオ・ヴェネト広場です。


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突き当りに見える教会はサンティッシモ・クローチェフィッソ教会です。


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時間潰しが結構大変です。


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時間潰しで変な裏通りに行くと迷子になることがあります。


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この通りならば、いくら歩いても大丈夫です。


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通り名が明示されているので、大丈夫と思いがちですが、地図上で目的の通りを探すのが非常に大変です。


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例えば、ローマならば、通りの数は大変多いのですが、有名な通りではない限り、通り名だけで地図上で探すのは容易ではありません。


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グアスタッラは小さな町なので、通り名だけで地図上の位置を知るのは簡単です。


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(つづく)

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次はドゥカーレ宮殿です。


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ゴンザーガ宮殿とも呼ばれてます。


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14、15世紀にグアスタッラを支配していたトレッリ家のグイド・トレッリ(マントヴァ、1379-ミラノ、1449)が15世紀に建設したトレッリ邸が前身です。


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チェーザレ1世・ゴンザーガ伯爵(1530-1575)は宮殿の建設を考え、トレッリ邸を一部取り壊し、増築することにしました。そうして、建築家フランチェスコ・カプリアーナ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1535-ローマ、1594)の設計によって、16世紀に建設されたルネサンス様式の宮殿です。


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宮殿は長らく閉鎖されていました。
修復工事完了後、現在は、自治体の事務所と博物館になってます。


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宮殿の入り口です。


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ゴンザーガ家の紋章


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グアスタッラの紋章


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入口玄関の天井


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誰の肖像画でしょうか?


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床の模様


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玄関から見たマッツィーニ広場です。


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地上階にロッジャがあります。


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開館まで少し時間がありました。


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彫刻がありますが、詳細が分かりません。


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天井の装飾


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中庭に屋根がついてます。


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屋根


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中庭床の模様


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ゴンザーガ家の紋章


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博物館内に入館しましたが、絵画部門は写真不可でした。


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(つづく)

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左折して、町の中心の広場に出ます。


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柱廊が広場に面してます。


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マッツィーニ広場です。この地を支配していたゴンザーガ家による都市計画に基づいて作られた広場です。


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広場に面して建つドゥオーモです。


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グアスタッラ司教区の司教座教会だった時代がありましたが、現在はレッジョ・エミリア司教区と合区され、レッジョ・エミリア₌グアスタッラ司教区となったので、Concattedrale di San Pietro Apostoloとなりました。司教座は、レッジョ・エミリアのドゥオーモに置かれてます。


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レッジョ・エミリアのドゥオーモ、レッジョ・エミリア₌グアスタッラ司教区の司教座が置かれてます。


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グアスタッラ伯爵チェーザレ1世・ゴンザーガ(1530-1575)は、二本の主要道路の交差点に当たる場所にメインの広場を造り、その広場に面して町一番の教会を建てるという都市計画を立案しました。その計画に基づき建築家フランチェスコ・カプリアーニ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1535-ローマ、1594)が起用され、1569年5月に創建されたドゥオーモです。1575年に完成しました。


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1575年2月18日、カルロ・ボッロメオ枢機卿(アローナ、1,538-ミラノ、1,584)(聖カルロ・ボッロメオ)によって奉献式が執り行われました。
チェーザレ1世・ゴンザーガ伯爵は、カルロ・ボッロメオの姉カミーラ・ボッロメオと結婚していたので、カルロはチェーザレ1世の義弟に当たります。その縁で、カルロがミラノからグアスタッラに来たのです。
ところが、チェーザレ1世・ゴンザーガ伯爵は、奉献式が行われる3日前の1575年2月15日に死去してしまいました。その為、奉献式と共にチェーザレ1世の葬儀が同日に行われたのです。


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ファサードは、ポンぺオ・ぺデモンテの設計によって1619年に建設されました。現在のファサードの原形は、1716年に改造されました。


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ベアータ・ヴェルジネ・デル・ポポロの彫刻家グループによるファサードの彫刻


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2012年5月29日に起きた地震、その後、数年にわたる余震によって大きな被害を受けたので、長らく修復工事が行われていました。


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現在は、修復工事が完了してます。


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現在の外観は、1889年、パンクラツィオ・ソンチーニの設計によって改修された後の姿です。


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ドゥオーモ内部


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Presbiterio


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聖歌隊席


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Presbiterioの磔刑像


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銀で出来た祭壇


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左側壁の礼拝堂


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボロニーニ(ボローニャ、1653-1671)と弟子によるクーポラのフレスコ画(1653-1671)


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ロドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ・ディ・サン・ミニアート、1559-ローマ、1613)の「聖フランチェスコ」(1590-1600c)


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墓地のキリスト(17世紀)


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墓地のキリストの上部


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マッツィーニ広場のドゥオーモ側は、修復工事のため、立ち入りが禁止されていました。


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マッツィーニ広場


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ドゥオーモの向かい側は無事だったようで、修復工事が行われている建物がなかったようでした。


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広場の入り口にブロンズ像があります。


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逆光のため、顔が良く写りません。


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レオーネ・レオーニ(アレッツォ、1509-ミラノ、1590)の「フェッランテ1世・ゴンザーガ像」


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写真左はPalazzo Comunaleです。


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Palazzo Comunale


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16世紀に建設されたPalazzo Comunaleです。


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Palazzo Comunale内に観光案内所がります。


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ドゥカーレ宮殿です。


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(つづく)

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この町はガイドブックに記載されていないようです。


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次はサンティッシモ・クローチェフィッソ教会です。


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ガリバルディ広場です。


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インマコラータ・コンチェッツィオーネ教会です。


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ガリバルディ広場の先にサンティッシモ・クローチェフィッソ教会があります。


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カップッチ―ネ教会とも呼ばれてます。


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カプチン会尼僧のために、1643年に建設された修道院が前身です。


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教会は1653年に建設されました。


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教会は閉鎖され、隣接する学校の講堂などとして使用されてます。


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地震によって被害を受け、建物が危険と判断されて立ち入りが禁止されてます。


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修復工事は未着手で放置されてます。


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グエルチーノの作品がありましたが、取り外されて競売にかけられ、ロンドンの個人蔵となっているようです。


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ガリバルディ通りです。


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小学校の建物です。


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カプチン会修道院だった建物を改造増築して学校にしました。



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大きな学校です。


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教会があります。


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図書館です。


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サンタ・クローチェ教会です。


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14世紀に最初の建物が建設されました。


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現在の外観は、16世紀に再建された建物です。


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サンタ・クローチェ教会は、下部教会と上部教会の二重構造になってます。


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下部教会が14世紀に建設されたもので、その上に上部教会が16世紀後半に建設されました。


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鐘楼
今なお現役の教会ですが、地震被害のため、危険と判断されて立ち入り禁止となっており、暫時活動を休止しています。


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(つづく)

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引き続きベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ポルタ聖域です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ソンツォーニの「トレンティーノの聖二コラ」(1702)
この画家については全く知りません。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ソンツォーニの「磔刑」(1710)


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カウンターファサードにオルガンと聖歌隊席があります。


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修復工事中の箇所が数か所ありました。地震の被害を受けたのでしょう。


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クーポラ


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外に出る前に、Presbiterioをもう一度見ました。


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外に出ました。


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ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ポルタ聖域の先は城壁外に当たるので、見所がありません。この道を800メートルほど進めばポー川に出ます。


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教会の隣は修道院だった建物です。


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フレスコ画があるらしい修道院だった建物は、部外者立ち入り禁止でした。


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町の中心に向かいます。


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サン・カルロ修道院だった建物です。


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ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ポルタ聖域のクーポラ


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市の塔


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マッテオッティ広場です。


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旧病院(サン・カルロ修道院)の建物


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Via Volturno


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旧市街の中心は北の方にあります。


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振り返って撮った写真です。


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次は、インマコラータ・コンチェッツィオーネ教会(無原罪の御宿リ教会)です。


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インマコラータ・コンチェッツィオーネ教会です。この場所は古代のポスタ広場でした。


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最初の建物は、1579年に建設されました。


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再建の理由が分かりませんが、17世紀初めに建物の再建が決定されました。


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アントニオ・フィリッピの設計によって、1620年に再建された建物が現在の姿です。


P1200452
八角形のバロック様式の教会です。


P1200455
ガリバルディ広場です。


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ガリバルディ広場に、古代のパラマーリオ街道が通ってました。


P1200457
ガリバルディ広場は、インマコラータ・コンチェッツィオーネ教会の斜め向かいにあります。


P1200459
当然のことながら、ガリバルディ広場に立つ彫像はガリバルディ将軍像です。


P1200461
ガリバルディ将軍像の後方に修道院だった建物があります。


P1200462


P1200460
ガリバルディ広場の向かいにPalazzo Frattiniがあります。


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1960年代に建てられたアパートです。


P1200466
現在は、改修されて図書館になってます。


P1200467
図書館の入り口です。


P1200463
ガリバルディ広場を境に、通りの名称がガリバルディ通りに変わります。


P1200468
(つづく)

P1200374
グアスタッラは、ポー川の右岸から約1キロメートルにあるので、平地になってます。


P1200375
未だ午前9時前です。


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市の塔に向かいます。


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左はサン・カルロ修道院だった建物です。


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修道院と塔の間に広場があります。


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バッティローロ通りです。


P1200382
1626年から1654年に建設されたサン・カルロ修道院です。


P1200386
1810年、修道院は閉鎖され、建物は倉庫などに転用されましたが、1898年に市民病院となりました。その際、建物の一部が破壊されました。


P1200387
Ospedale Civileとなっていますが、最新の高度治療を行うには、建物が古過ぎて最新の検査機器導入が困難と判断され、病院機能は新病院に移転しました。現在は、地方保険局と雇用センターになってます。


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市の塔 Torre Civicaです。


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この場所に、14世紀に築かれた要塞がありましたが、1689年、攻撃してきたスペイン軍によって破壊されました。


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その侵攻を忘れず後世への戒めとするために、要塞の残骸を集めて塔が建設されることになりました。


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市の塔は、建築家クリストフォロ・トリヴェッリーノ(アルデナ、1669-パルマ、1733)の設計によって、1723年から1732年に建設されました。


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塔の下にあるバールで一休みしました。


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マッテオッティ広場です。


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次は、ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ポルタ聖域です。


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ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・ポルタ聖域です。


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現在、教会が建っている場所近くに城壁があり、サン・フランチェスコ門(現存しません)がありました。


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1646年、サン・フランチェスコ門の内壁に、ダミアーノ・パドヴァ―ニによって「聖母子と聖フランチェスコと聖カルロ・ボッロメオ」のフレスコ画が描かれました。
1693年2月7日、重度の眼病を患い失明の危機にあった60歳の元兵士がそのフレスコに願をかけると奇跡が起きて、見えるようになったのです。
その奇跡を聞いた多くの信者がそのフレスコ画に祈りを捧げるようになりました。それを聞いた、当時のグアスタッラ公爵ヴィンチェンツォ・ゴンザーガ(グアスタッラ、1634-1714)は、1693年5月9日、そのフレスコ画を収容する新たな教会の建設を命じました。
建築家レッジャーノ・プロスペロ・マッティオーリが起用され、1693年8月20日、マリーア・ヴィット―リア・ゴンザーガ公爵夫人(グアスタッラ、1,659-ヴェネツィア、1,707)によって最初の礎石が置かれました。
1701年、教会の建物はほぼ完成して、1701年7月6日にサン・フランチェスコ門のフレスコ画が教会の建物に移設されました。


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フォロリアーノ・ヴァッラの設計によって、1722年に完成したファサードです。


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ファサードの彫刻もフロリアーノ・ヴァッラの作品(18世紀)ですが、オリジナルではありません。


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オリジナルの彫刻は、度重なる地震によって崩落したので、そのコピー彫刻が置かれてます。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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相当な金額で建てられたことが分かります。


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天井


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ジョヴァンニ・バッティスタ・マリーニ・ダ・ヴィアダーナの「聖フランチェスコと聖カルロ・ボッロメオとパドヴァの聖アントニオ」(1786)


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詳細不知


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制作者等不知の「キリストの洗礼」


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フランチェスコ・マリア・ライネーリ通称ロ・スキヴェノーリア(マントヴァ、1676-1758)の「聖ジュゼッペの死」


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右側廊


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彫刻は、ジョヴァンニ・マリーニ・ダ・ヴィアダーナの作品です。


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ジョヴァンニ・マリーニ・ダ・ヴィアダーナの彫刻


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ジュゼッペ・カンティ(パルマ、1653-マントヴァ、1716)の「カスティリアの聖フェルディナンド」


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これがあるので助かります。


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主祭壇画を見ます。


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Presbiterio


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主祭壇画は、ダミアーノ・パドヴァ―ニの「聖母子と聖フランチェスコと聖カルロ・ボッロメオ」(1646)です。


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ダミアーノ・パドヴァ―ニのフレスコ画は、サン・フランチェスコ門から剥がされ、その状態のまま、1701年に主祭壇に置かれましたが、痛みが出てきたので、後に現在のように改められました。オリジナルのフレスコ画は長方形だったそうです。
(つづく)

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グアルティエーリに2泊しての、その中日にグアスタッラの日帰り遠足を行いました。


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グアルティエーリ駅から列車でグアスタッラに向かいました。


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隣駅なので、僅か4分の乗車でグアスタッラ駅に到着しました。


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車掌が下車した人の切符をチェックしていました。無人駅から切符なしで乗車すると、この線では容赦なく罰金が課せられるので要注意です。切符なしで乗車した場合、車内で車掌を見つけて、車掌から切符を買うことです。車掌は、通常運転室にいます。車内で車掌が切符チェックを始めてから、切符なしを告げても遅いのです。


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駅員がいる時間もあるようですが、多くの時間は駅員がいません。バールは営業してます。


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駅舎です。


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駅から旧市街の入り口に向かうViale Ruggeriです。


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観光客がもう少し訪れて良い町と思いますが、この町自体をご存知の方が少ないようです。


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チェントロ・ストーリコに向かいます。城壁が殆ど残されていないので、チェントロ・ストーリコとの境界線が分かりません。


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共和国広場にやってきました。広場から旧市街になります。


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広場の先にサン・フランチェスコ教会があります。


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グアスタッラは、人口14,892人(2020年4月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州レッジョ・エミリア県にあるコムーネです。


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中世の頃、ゴンザーガ家の支配下に置かれましたが、特にルネサンス期にはグアスタッラ公国の首都として繁栄しました。


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パッセローニ通りを進んで、サン・フランチェスコ教会に向かいます。


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サン・フランチェスコ教会のファサードが修復工事中でした。


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マントヴァからレッジョ・エミリアにかけて、2012年から2015年まで断続的に地震に見舞われて、被害を受けた建物が非常に多かったのですが、この教会も大きな被害を受けました。


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現在地に、14世紀に建設されたアゴスティーノ会女子修道院がありました。
1571年、グアスタッラにフランチェスコ会 Padri Fracescani Minoriが訪れると、当時の支配者チェーザレ1世・ゴンザーガ伯爵(グアスタッラ、1530-1575)は、フランチェスコ会修道士たちにその活動拠点としてアゴスティーノ会女子修道院を与えました。
しかし、女子修道院だった建物は手狭だったので、1573年から修道院教会の建設が始められ、1622年に完成しました。


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現在のファサードは、1765年に改造されました。


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左側壁です。
1810年、抑圧令によって修道院と教会は閉鎖され、その後、宗教活動は再開されることなく現在に至ってます。


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右側壁です。
1810年の閉鎖後、たばこ会社に転売され、修道院が所有していた土地でタバコ栽培がおこなわれ、建物はたばこ工場になりました。
1862年、修道院教会の建物は国家所有となり、後に自治体に譲渡され、学校の校舎に転用されました。
1966年、学校は移転し、修道院があった場所に郵便局が建設されることになり、修道院だった建物は破壊されました。教会だった建物は自治体が使用することになりました。


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破壊された修道院の建物のうち、ごく一部が残されてます。


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16世紀に建設された鐘楼
1981年、教会の修復工事が開始されましたが、途中、地震によって被害を受けてしまい、修復工事が完成したのは2019年のことでした。


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単廊式、ルネサンス様式の内部です。


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左側壁


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右側壁の礼拝堂


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後陣天井の装飾


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左側壁第一礼拝堂


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ゴンザーガ家の紋章


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側壁上部の装飾


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スタッコ装飾


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旧教会の建物は展示会場などに使用されてます。


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Piazza del Mille


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広場ではなく、道路ですね。


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この辺は新しい建物が建ち並んでます。


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パスカーネ通りです。


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市の塔に向かいます。


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その前にサン・カルロ教会を見ます。


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フェランテ2世・ゴンザーガ伯爵(グアスタッラ、1563-1630)には、3人の娘がいました。その当時、嫁入りには莫大な持参金が必要でした。そのため、長女は持参金付きで嫁入りさせ、それ以外の娘は修道院で一生を送るのが普通でした。
フェランテ2世は、娘二人をグアスタッラの手元に置きたいと考え、アゴスティーノ会女子修道院の建設を決めました。そうして、1626年にサン・カルロ修道院教会が創建されました。建設工事は、フェランテ2世の息子フェランテ3世・ゴンザーガ伯爵に引き継がれ、1654年に完成しました。


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1810年、抑圧令によって修道院教会は閉鎖されました。


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1898年、修道院だった建物は市民病院に転用され、一部は破壊されました。


P1200373
(つづく)

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森、畑などを見ても旅行記になりません。


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あちこち歩き回っても見どころが限定されているので時間が経ちません。


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まだ11時35分です。


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昼食を食べることしか用事がありませんが、昼食には少し早すぎます。


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べンティヴォーリア広場を囲むロッジャです。


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男だけの老人のグループ。女性が加わることは極めて稀のようです。


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やることがないので、一度ホテルに戻ります。


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一泊だけでも十分過ぎるほどと後悔しきり。でも修正が効きません。


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Palazzo Bentivoglia


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黒い雲が出てきました。


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小雨が降ってきたので、ホテルに戻る良い口実が出来ました。


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1時間ほどホテルで休憩してから再び外に出ました。雨は数分で上がりました。先ず昼食を食べます。


002
食べるものは何処でも大体同じです。


003
ワインとビールを少々嗜みました。


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食後の散歩に出ました。


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べンティヴォーリア広場から200mも離れると家並みが途絶えて緑が深くなります。


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日陰で一休み。


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グアルティエーリに来たのは後にも先にも、この時が初めてでしたが、こんなに見所が少ないとは全くの予想外です。


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それでも折角来たからには、と思い、無駄な努力を続けました。


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写真左はサンタンドレア教会です。


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「最も美しい村」を即断してはダメです。


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結論としては、この村の見所はべンティヴォーリア広場と広場に面した建物、それにサンタンドレア教会に尽きます。


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トラックが走っているのはポー川堤防沿いの道です。


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ポー川の支流です。


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村の外は農地が広がってます。


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村の外に出ても見どころは何もなし。


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村の入り口


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Palazzo Bentivogliaに出ました。


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夕方になりました。


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夕食はホテル併設のレストラン以外、選択肢がありません。


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人出がありません。


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被写体が同じです。


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この辺で終わりにしましょう。


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(おわり)

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この村には城壁がありません。


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ワイン醸造所ですが、多分廃業した?と思います。


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参事会教区教会の鐘楼です。


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横道には、さしたる見どころが無さそうです。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに戻りました。


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写真左横に小さな広場があり、広場に面して教会があります。


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Chiesa della Confraternita della Immacolata Concezioneです。


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1547年の文書に、この教会の存在が記されてます。


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開いているかも知れない、との淡い期待を抱いていましたが、予想違わず扉が閉まっていました。


1
中の見どころは、ボローニャの逸名画家によって天井に描かれたフレスコ画です。(外部サイトから作品画像を拝借しました)


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横道は直ぐに家並みが途絶えて緑深くなってます。


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振り向くと時計塔が見えます。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを進みます。


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写真左に教会があります。


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Piazza Bentivogliaとその広場に面して建つ建物がなかった時代、村の中心地はこの辺でした。


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カヴァッロッティ広場です。


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広いカヴァロッティ広場に修道院がありました。


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カヴァッロッティ広場の真ん中に並木道があります。


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カヴァッロッティ広場に面して建つサンタンドレア教会です。宗教活動を停止した旧教会です。


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現在地に9世紀に建てられた小さな礼拝堂が前身です。


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12世紀に礼拝堂が取り壊され、サンタンドレア教会が建設されました。1542年、グアルティ―エリ教区が出来るとともに教区教会になりました。


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1547年、この教会を拠点とするConfraternita della Concezioneが設立され、教会は同信会の所有となりました。


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1566年、グアルティエーリは、コルネリオ1世・べンティヴォーリオ侯爵(フェッラーラ、1519-1585)の領地となりました。
1571年、コルネリオ1世は鐘楼を新建造するとともに、教会の建物を修復させました。


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1585年、コルネリオ1世が没すると、グアルティ―エリは、コルネリオ1世の息子イッポリート・べンティヴォーリオ(フェッラーラ、?-モデナ、1619)の領地となりました。
1600年、サンタ・マリア・デッラ・ネーヴェ教会が完成するのを待って、イッポリートは、教区教会をサンタンドレア教会からサンタ・マリア・デッラ・ネーヴェ教会にするとともに、サンタンドレア教会をFrati Francescini(フランチェスコ兄弟修道会の所有にしました。
建物が経時劣化したので、モデナ公爵でレッジョ・エミリア公爵でもあったリナルド・デステ(モデナ、1655-1737)は、デステ家のお抱え建築家ジョヴァンニ・マリア・フェッラローニ(レッジョ・エミリア、1662-1755)に命じて、サンタンドレア教会修道院の再建を決め、デステ家の資金によって1713年から1738年に建設された建物が現在の姿です。


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1795年、ナポレオンの抑圧令によって教会修道院は閉鎖され、建物は民有となりました。イタリア統一後はコムーネの所有となりました。
第一次世界大戦中、軍事病院に転用されましたが、1919年に現在の姿に復元されました。


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特別な時を除いて、建物が開くことはありません。


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サンタンドレア教会前のカヴァッロッティ広場と広場の並木道


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Pozzo di Piazza Nuova


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18世紀に造られました。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通り


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Villaに行きます。


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やはりVillaは閉まってました。


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Villa Torello Malaspinaです。
ローマ時代の遺跡の上に建てられたパルマ司教の別荘です。


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コルネリオ1世・べンティヴォーリオがPalazzo Bentivogliaの建設中に住んでいました。
1841年にフランチェスコ・マラスピーナ侯爵とローラ・トッレッロ伯爵夫人が住んだのでVilla Torello Malaspinaと呼ばれてます。


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(つづく)

サンタ・マリア・デッラ・ネーヴェ参事会教区教会の続きです。
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サンタンドレア礼拝堂です。


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カルロ・ザッティ(ブレシェッロ、1810-1899)の「聖アンドレアと聖人たち」(1844)


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パドヴァの聖アントニオ礼拝堂です。


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逸名画家作「パドヴァの聖アントニオ」


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ファサード裏にオルガンがあります。


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1784年に制作されたオルガン


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制作者、制作時期等詳細不知の「聖クララ」


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制作者、制作時期等詳細不知の「聖ルチア」


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マドンナ・デル・カルミネ礼拝堂です。


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ルドヴィーコ・カッラッチの影響を受けた逸名画家作「カルミネの聖母と聖シモーネと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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祝福された秘跡礼拝堂です。


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エミリアの逸名画家作「祝福された秘跡を崇める聖人たち」


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トレリ伯爵の礼拝堂です。


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カミッロ・リッチ(フェッラーラ、1580/1590c-1618/1626)の「磔刑」(1600-26)


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制作者、制作時期等詳細不知の「聖アポッロニア」


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制作者、制作時期等詳細不知の「聖アガタ」


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この礼拝堂を通り過ぎて別室にある礼拝堂に向かいます。


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受胎告知の礼拝堂です。


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礼拝堂上部


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受胎告知礼拝堂天井のフレスコ画


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カルロ・ボノーニ(フェッラーラ、1569-1632)の「受胎告知」


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この作品が本教会の最大の見所です。


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クリプタに行きます。


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クリプタの経緯等、詳しいことが分かりません。


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クリプタ天井のフレスコ画


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詳細不知の「キリストの復活」


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主祭壇前から見た出入口方向


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中央礼拝堂をもう一度見てから外に出ます。


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外に出ました。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ通称アルジェンタ(アルジェンタ、1546-フェッラーラ、1636)のデザインによって造られた広場です。


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時計塔と時計塔左右の建物もジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ通称アルジェンタ(アルジェンタ、1546-フェッラーラ、1636)の設計です。


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広場に面して建つすべての建物はジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ通称アルジェンタの設計によります。


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時計塔を潜ります。


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時計塔を潜ってヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに出ました。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りから見た時計塔


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時計の下に村の紋章が描かれてます。
(つづく)

P1190984
スッザーラ駅です。


P1190985
スッザーラ始発パルマ行き普通列車に乗ってグアルティエーリ駅に向かいました。


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乗車約15分でグアルティエーリ駅に到着しました。


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グアルティエーリ駅の駅舎です。


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グアルティエーリは、「最も美しい村」にリストアップされている、人口6,366人(2019年12月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州レッジョ・エミリア県にあるコムーネで、村の北にポー川が流れてます。


P1190997
この村に3泊して、近くにある町村を巡ります。


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駅から村の中心地に向かうSS63です。


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SS63の先に鐘楼が見えますが、鐘楼がある所が村の中心地になります。


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この辺から道路の名称がガリバルディ通りに変わります。


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村の中心、べンティヴォーリア広場です。


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グアルティエーリ侯爵べンティヴォーリア家の邸宅Palazzo Bentivogliaです。


P1200005
べンティヴォーリア広場に隣接する11月4日広場です。この旅のお宿は11月4日広場に面してます。


P1200006
この旅のお宿です。グアルティエーリの宿泊設備は限られますが、真面なホテルはここだけです。レストランを併設しているホテルです。


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チェックインを済ませてから外に出ました。


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Palazzo Bentivogliaの裏側です。


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先ず村役場内にある観光案内所に向かいます。写真右の柱廊に観光案内所があります。


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ここでエスプレッソを一杯


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村役場 Palazzo Comunaleです。


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Palazzo Comunaleのポルティコから見た広場


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Palazzo Comunaleのポルティコから見た参事会教会です。


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写真左はPalazzo Bentivogliaです。


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先ずドゥオーモ、サンタ・マリア・デッラ・ネーヴェ参事会教区教会の拝観です。


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16世紀中頃、グアルティエーリ侯爵コルネリオ1世・べンティヴォーリオ(フェッラーラ、1519-1585)はPalazzo Bentivogliaの建設を始めましたが、それと同時にPlazzoの隣に小さな礼拝堂を1547年に建てました。その小さな礼拝堂が現在の教会の前身です。


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やがてコルネリオ1世・べンティヴォーリオは、礼拝堂ではなく教会建設を考えるようになり、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・アレオッティ通称アルジェンタ(アルジェンタ、1546-フェッラーラ、1636)を起用し、アルジェンタの設計によって教会の建設が開始されました。
コルネリオ1世の死後、教会建設は息子のイッポリート・べンティヴォーリオ(フェッラーラ、?-モデナ、1619)に引き継がれ、1600年に完成しました。


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しかし、ポー川の洪水によってグアルティエーリは度々被害を受けました。この教会も被害を免れることはありませんでした。


P1200285
1679年に完成した鐘楼です。


P1200095
1765年のポー川の大洪水によって、教会の建物は、その一部が流失、外部分が水没、流れてきた土砂に埋まってしましました。
以前の建物のごく一部を利用して、建物が再建されることになり、1773年創建、1783年に完成した建物が現在の姿となってます。


P1200017
ファサードの装飾


P1200018
1608年、第233代教皇パオロ5世(ローマ、1550-1621 教皇在位:1577-1621)によってCollegiataに格付けされたこと記す碑文です。


P1200085
ファサード下に柱廊があります。


P1200087


P1200086
教会の入り口


P1200019
教会の中に入りました。


P1200021
単廊式、ルネサンス様式の内部です。


P1200020
右側壁


P1200024
天井装飾は殆どありません。


P1200025
中央通路


P1200028
主祭壇を見ます。


P1200029
主祭壇と後陣(中央礼拝堂)


P1200035
主祭壇画


P1200036
クーポラ


P1200039
パルマの逸名画家作「ロザリオの聖母」(16世紀)
(つづく)

P1480716
街一番の目抜き通り、エミリア通りです。


P1480717
写真左は、19世紀に建設されたPalazzo Vacchiです。


P1480719
13世紀後半に建設されたPalazzo Pighiniです。イーモラで残る唯一の中世貴族の邸宅です。


P1480720
この一帯は古い建物が残ってます。


P1480721
お馴染みの時計塔


P1480724
Piazza Caduti Per Liberta


P1480725
時計塔を潜ります。


P1480726
写真左はEx-Casa del Fascioです。


P1480728
エミリア通り


P1480731



P1480735
イーモラ市民はカテリーナ・スフォルツァが大嫌いでした。


P1480736
写真右は市立図書館です。


P1480737
旧サン・フランチェスコ修道院の建物


P1480738
旧サン・フランチェスコ教会の後陣


P1480739


P1480741
ドゥオーモにやってきました。


P1480748
Via Don Bughetti


P1480749
15世紀に建設されたCasa della Volpe


P1480751
エミリア通りに戻りました。


P1480753
大人しくホテルに戻ります。


P1480754
この日はこれで終わりです。


172
この日は良い天気になりました。


173
アッピア門


175
市立美術館に入館しました。


179
サン・ドメニコ教会の入り口扉上ルネッタの装飾


181
サン・ジャコモ・マッジョーレ・デル・カルミネ教会


183
Rocca Sforzesca


184
この日も中に入れません。


187


188


191
100年後でも多分同じと思われる通りです。


199
ドゥオーモ


203


204


205


P1480755
イーモラを離れる朝を迎えました。
サンタ・カテリーナ祈祷所です。


P1480756
駅に向かいます。


P1480757
Instituto Santa Caterina


P1480759
サント・ステファノ・デッレ・クラリッセ教会です。


P1480760
写真左は、サンタ・キアーラ修道院、またはサント・ステファノ修道院です。


P1480761
次の目的地はピアチェンツァでした。


P1480762
何度も入館した市立美術館です。


P1480764
再訪したいと思うイーモラですが、その望みは叶いそうもありません。


P1480766
サン・ドメニコ教会の鐘楼


P1480767


P1480768
(イーモラの項 おわり)

P1480385
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会から時計塔に向けて進みます。


P1480384
エミリア通りです。エミリア街道に築かれた街で、エミリア通りと称している街は少数派でしょう。


P1480387
サンタゴスティーノ教会の横を通り抜けます。


P1480388
この時の旅では、とうとう拝観出来ないで終わりました。


P1480389
聖職者が幾つかの教会を掛け持ちしているので、開ける教会が限られるそうです。


P1480390
右折します。


P1480392


P1480391


P1480393
Piazza Giovanni Codronchi Angeliを通り過ぎます。


P1480394


P1480395
カヴール通りに出ました。


P1480396
Collegio delle Donzelle


P1480398


P1480399
建物の下のトンネルを潜ります。


P1480400
一旦、エミリア通りに戻りました。


P1480401
午後2時前です。ルーゴ行列車に十分間に合う時間です。


P1480402
時計塔前を右折してVia Appiaに入りました。


P1480403
Via Appiaを直進すれば、突き当りがイーモラ駅です。


P1480404
19世紀に建設されたPalazzo Vacchiです。


P1480406
下校時間と重なったので、大勢の学生と一緒に駅に向かいました。


P1480409


P1480412
Piazza Megaglie d' Oroです。


P1480413
イーモラの城壁の北に設けられたアッピア門です。


P1480414
門の大部分が破壊されて、一部しか残されていません。
1047年の文書に初めてアッピア門が言及されてます。


P1480416
門はサントウルスラ修道院に隣接していたので、ウルスリーナ門とも呼ばれていたそうです。


P1480709
門は1449年から1460年にかけて再建されました。


P1480710
イーモラ領主ジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)は、再建されたアッピア門では防御力が弱いと判断して、もう一度門を再建することに決め、トスカーナの建築家ジャン・ロドヴィーコ・メンギを起用してアッピア門を再建させました。その1482年に完成した門の一部が現存しています。


P1480418
旧城壁外に出ました。


P1480417
突き当りにイーモラ駅が見えてます。


P1480420
通りの名称がViale Andrea Costaに変わってます。


P1480421
下校時間には列車の本数が結構多く設定されてます。


P1480422
イーモラ駅に到着しました。この後、ルーゴへの日帰り遠足をしました。


P1480698
ルーゴから戻ってきました。


P1480700
この日はこれで終わり、ホテルに戻ります。


P1480702
Viale Andrea Costa


P1480703
アッピア門が見えてます。


P1480704
19世紀に建設されたCasa Paola


P1480706
Viale de Amicisを渡ります。


P1480708


P1480711
アッピア通り


P1480713
午前中の大雨がウソのように思えました。


P1480714
(つづく)

P1480338
サンタゴスティーノ教会です。


P1480339
サンタゴスティーノ教会前の、エミリア通りを右折してVia Cosimo Morelliに入ります。


P1480340
サンタ・マリア・イン・レゴーラ教会です。


P1480341
現在の教会内には美術的な見所があまりないようです。


P1480342
この日は、キオストロの入り口が閉まっていました。


P1480343
1780年から1786年にかけて再建された新古典様式の建物です。


P1480344
Via Cosimo Morelliです。


P1480345
エミリア通りとの交差点にサンタゴスティーノ教会があります。


P1480346
一旦エミリア通りに戻り、有名な鐘楼に向かいます。


P1480347
目的の鐘楼です。


P1480348
1080年3月23日の文書に言及されているサンタ・マリア・イン・レゴーラ教会修道院の鐘楼です。


P1480349
旧サンタ・マリア・イン・レゴーラ修道院のキオストロです。


P1480350
ローマ時代のアレーナ、または劇場の遺跡上に教会修道院が建設されました。


P1480351
遺跡の一部が転用されているそうです。


P1480352


P1480353
高さ約23mの鐘楼です。


P1480354


P1480355
サンタ・マリア・イン・レゴーラ教会は、998年9月16日付の文書に初めて記載があるそうです。


P1480356
エミリア通りに戻ります。


P1480357
さらに東に向かって進みます。


P1480358
通りの先にある教会を目指します。


P1480359


P1480360
リミニ方向に向かっていることになります。


P1480361


P1480362
これからルーゴに行く予定ですが、列車の発車時間まで間があるので、ぶらぶら歩きしました。


P1480363
ローマ時代に敷設されたエミリア街道とほぼ同じです。


P1480364
次はサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


P1480365
教会はもう直ぐです。


P1480366
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


P1480367
Padri Servitiによって14世紀後半に建設されたサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


P1480369
美術的には見るべき作品が2点あると思います。残念ながら扉が閉まっていました。


P1480368
ファサード前のロッジャは16世紀に追加されました。


P1480374
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会のすぐ横にオラトリオがあります。


P1480373
サン・マカリオ祈祷所です。


P1480375
1506年に建設されました。


P1480372
現在の外観は18世紀に再建されたものです。


P1480370
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会とサン・マカリオ祈祷所が建っているミッリ広場です。


P1480371
ミッリ広場の噴水は、現代芸術家アンドレア・マウロの作品です。


P1480377


P1480376
この先は見どころが無さそうです。


P1480378
エミリア通りを時計塔の方に戻ることにしました。


P1480380


P1480382
(つづく)

P1470842
イーモラに行く人は、行く前に15世紀から17世紀頃の歴史を予め調べておくと、より一層楽しい旅となると思います。


P1470843
何度もお世話になった観光案内所。


P1470844
そろそろホテルに戻る潮時です。


P1470845
お馴染みのエミリア通りです。


P1470847
市立図書館となっているサン・フランチェスコ修道院だった建物です。


P1470849
秋の夕暮は早いです。


P1470852
この日はこれで終わりです。


P1480284
翌日は雨になりました。


P1480285
朝から大雨で、とても傘を差して徒歩で出かける状態ではありませんでした。


P1480286
エミリア通りとVia Fratelli Bandieraの交差点に建つ建物に塔がありますが、この辺の詳細が分かりません。


P1480287
依然として雨が降り続いてます。


P1480288
この後、市立美術館に入館しました。


P1480290
サン・ジャコモ(聖ヤコブ)教会だった建物です。


P1480291
写真左は旧サン・フランチェスコ修道院です。


P1480292
前日に大体見てしまったので、見残したところを重点に行くことにしました。


P1480294
Ex-Casa del Fascioが見えてます。


P1480295
取り敢えずの目的は、写真左先の店で昼食を食べることです。


P1480296
写真左のレストランで食べました。


P1480310
お腹一杯で外に出ました。


P1480311
午後の一応の予定は、列車に乗ってイーモラ近くのルーゴに行くことでした。


P1480313
雨が降り続いていたので、ルーゴに行くことを止めてイーモラに留まろうかと考えていました。


P1480315
ところが雨が弱くなってきたので、ルーゴに行くべきか迷いました。


P1480316
Ex-Casa del Fascioの柱の浮彫です。


P1480317
ボローニャのファシスト連盟専属の彫刻家Amleto Beghelliの作品です。この彫刻家は意識的に忘れ去られたようです。


P1480319
時計塔が旧市街の中間のようです。


P1480321
Piazza Caduti Per Liberta


P1480327
青空市は大雨中止のようです。


P1480323


P1480325
グラムシ広場です。


P1480326
雨が小降りになってきました。


P1480322
時計塔を潜ります。


P1480324
塔の下から道幅が狭くなります。


P1480328
次はマッテオッティ広場です。


P1480329
ポルティコは雨天の時に有難いと思います。


P1480330
マッテオッティ広場です。


P1480331
私以外の観光客はいなかったと思います。


P1480332


P1480333
雨が止みました。


P1480334
市庁舎


P1480335
ルーゴに行くことにしました。


P1480336
フレスコ画がある建物


P1480337
(つづく)

P1470791
マッテオッティ広場の続きです。


P1470792
エミリア通りの写真左奥の柱廊がある建物にフレスコ装飾があります。


P1470793
これです。


P1470794
暫く見てましたが、テーマがよく分かりません。


P1470795
柱廊ルネッタ上のフレスコ


P1470797
マッテオッティ広場に戻ります。


P1470798
Palazzo Sersantiの説明板


P1470801
Palazzo Sersantiの柱廊


P1470799
低い塔がある建物を見ます。


P1470802
「サソリの塔」と呼ばれているようです。


P1470804
広場に面して教会が建ってます。


P1470783
ピオ・スッフラージョ教会です。


P1470805
建築家ロレンツォ・マット―ニの設計によって1687年に建設されました。


P1470806
1882年にピエトロ・ミッリの設計によって建設されたファサードです。


P1470830
扉が開いていたので拝観しました。


P1470807
教会内に入りました。


P1470809
単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


P1470808
美術的に見るべき作品が数点あります。


P1470810
壁の装飾は殆ど施されてません。


P1470811
主祭壇


P1470812
後陣天井


P1470814
ベアータ・ヴェルジネ礼拝堂


P1470816
17世紀後半の逸名画家作「聖母とキリストの物語」


P1470817


P1470819
詳細不知


P1470822
ジョヴァンニ・ジョゼッフォ・ダル・ソーレ(ボローニャ、1654-1719)の「三位一体」


P1470823
サンタ・リータ礼拝堂


P1470824
詳細不知


P1470826
カルロ・チニャ―リ(ボローニャ、1628-1719)の「聖母子と聖フェリーチェ」


P1470828
主祭壇前から見た出入口方向


P1470829
外に出ました。


P1470800
午後4時半でした。


P1470831
エミリア通りを進みました。


P1470832
エミリア通りに面して教会が建ってます。


P1470833
サンタゴスティーノ教会です。


P1470835
12世紀に創建され、14世紀完成したサンタゴスティーノ教会です。
残念ながら扉が閉まっていました。見たい作品が1点ありました。


2
これが観たかった作品です。
マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648-1729)の「磔刑」


P1470836
サンタゴスティーノ教会至近にもう一つ教会があります。


P1470834
サンタ・マリア・イン・レゴーラ教会です。


3
998年の文書に本教会の存在が記されてます。現在の新古典様式の建物は1780年から1786年にかけて建設されました。


6
サンタ・マリア・イン・レゴーラ教会の見所は教会内部よりもキオストロです。


7
キオストロの柱頭


5
キオストロ回廊のフレスコ画


4


P1470837
エミリア通りに戻りました。


P1470838
少し暗くなってきました。


P1470839


P1470840
時計塔を潜ります。


P1470841
(つづく)

P1470467
日陰になっているエミリア通りは、夕立の雨が乾いていなかった。


P1470468
イタリア・ファシズムを担った建物が見えてきました。


P1470471
近代的塔がある建物は、1933年から1936年に建設されたCasa del Fascioです。


P1470473
Casa del Fascioの柱に施された浮彫です。


P1470474
ボローニャのファシスト連盟専属の彫刻家Amleto Beghelliの浮彫です。


P1470475
Ex-Casa del Fascioに観光案内所があります。


P1470472
Via Speri


P1470476
Vicolo Inferno


P1470753
Chiesa Cattolica Parrocchiale San Cassiano


P1470754
Piazza della Conciliazone


P1470755
Piazza della Conciliazone


P1470756
Vicolo Infernoに戻りました。


P1470757
エミリア通りに戻ります。


P1470758
Ex-Casa del Fascioです。


P1470759
グラムシ広場です。


P1470762
以前はエルベ広場と呼ばれていました。現グラムシ広場は、中世の頃、サン・バルナルド修道院とサン・パオロ修道院によって所有されていましたが、14世紀から、肉の処置所、肉市場として繁栄していました。


P1470760
グラムシ広場にある教会だった建物です。


P1470761
15世紀に建設されたサン・ベルナルド教会だった建物です。


P1470763
エミリア通りの東の方は後から見ます。


P1470764
エミリア通りに時計塔があります。


P1470765
ナポレオンに従ってイーモラに進駐してきたフランス軍将校によって、19世紀初めに贈られた時計です。


P1470766
時計塔の下を潜ります。


P1470767
時計塔の西側に出ました。


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潜ってきた時計塔を振り返って撮った写真です。


P1470770


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再び時計塔の下を潜って、時計塔の東方に出ます。


P1470773


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ポルティコが続きます。


P1470775


P1470776
時計塔を越え、エミリア通りの右側にマッテオッティ広場があります。


P1470777
教皇シスト4世の計らいによって、1474年、イーモラ領主となったジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)(シスト4世の息子)が現在の姿に拡張整備したマッテオッティ広場です。


P1470778
ジローラモ・リア―リオが自分の宮殿として1480年に建設させたPalazzo della Signoria、現称Palazzo Sersantiです。


P1470780
中世の頃、マッテオッティ広場はイーモラ商業の中心地でした。


P1470779


P1470781
Palazzo Comunaleです。


P1470782
1213年に建設されたPalazzo Comunaleです。現在の外観は、18世紀後半に行われた大修復工事の後のものです。


P1470785
Palazzo Comunaleのファサードです。


P1470786


P1470788
ファサードのフレスコ画はシスト4世です。


P1470789
Palazzo Comunaleの入り口です。


P1470790
(つづく)

P1470752
次はドゥオーモです。


P1470750
イーモラのドゥオーモ、サン・カッシアーノ司教座聖堂 Basilica Minore e Cattedrale di San Cassianoです。


P1470393
イーモラの司教座教会は、12世紀後半までイーモラの西方にあるカストルム・サンクティ・カッシアーノと言う町にありました。
イーモラのコムーネはそのことに不満でした。1177年、イーモラはカストルム・サンクティ・カッシアーノを攻撃して、司教座教会を含めて町を攻略して屈服させました。それを受けて、当時のエンリコ司教は、現在地に新しい司教座教会の建設を決めました。
1187年に創建され、13世紀前半に完成しました。1271年、奉献式が執り行われました。


P1480745
1763年の補強工事において、建物の構造的欠陥があることが判明したので、1765年から1781年にかけて、建物の大部分が再建されました。


P1470684
現在のバロック様式のファサードは、1660年に完成しました。


P1470411
現在の鐘楼は1457年に完成したもので、完成年が鐘楼の台座が刻まれてます。


P1470477
場所によって完成年が大幅に異なる大聖堂外壁です。


P1470394
ファサードに向かって右側の外壁


P1480740
クーポラと鐘楼


P1480744
1981年、第264代教皇ジョヴァンニ・パオロ2世(1920‐2005 在位:1978‐2005)によってBasilica Minore に格付けされました。


P1480743
拝観します。


P1470689
聖堂内に入りました。


P1470691
三廊式、ラテン十字形、後期バロック様式の内部です。


P1470690
12世紀後半の創建時の姿は全く見ることが出来ません。


P1470692
Presbiterioが目立ちます。


P1470693
身廊中央のPresbiterioの前にクリプタの入り口があります。


P1470696
1698年から1704年に建設されたクリプタです。


P1470699
主祭壇


P1470700
クーポラ


P1470701
Presbiterio天井の装飾


P1470702
主祭壇画は、ピエトロ・テデスキ(ペーザロ、1750?‐ローマ、1808c)の「聖カッシアーノの殉教」


P1470706
Presbiterioは立ち入り禁止なので、主祭壇画の写真が全然ダメ。


P1470709
アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「聖カッシアーノと聖人たち(聖アポッリナーレ、聖コズマ、聖カルロ・ボッロメオ、聖テレンツィオ)と寄進者」


P1470713
ヤコポ・ベルトゥッチ(ファエンツァ、1502‐1579)に帰属する「聖母被昇天」


P1470716
逸名画家作「聖母子を崇める聖人たち」(19世紀)
小枠内の聖母子は15世紀のものです。


P1470719
逸名画家、恐らくカムッチーノ工房作の「聖ピエトロと聖パオロ」(19世紀)


P1470721
イグナツィオ・ゾッティ(イーモラ、1806‐フィレンツェ、1865)の「エマオの晩餐」(1850)


P1470723
トスカーナの逸名彫刻家作「磔刑像」(15世紀末)


P1470725
アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「十字架の高揚」(1783)


P1470728
ジャコモ・ザンパ(フォルリ、1731‐トッシニャーノ、1808)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


P1470730


P1470731
左翼廊のオルガン


P1470732
右側廊の無原罪の御宿リ礼拝堂


P1470733
無原罪の御宿リ礼拝堂天井のフレスコ画


P1470736
右側廊


P1470737


P1470738


P1470739


P1470742
左側廊


P1470743


P1470744
洗礼盤(16世紀初頭)


P1470746
制作者情報等詳細不知の「キリストの洗礼」


P1470694
クリプタの入り口前から見た出入口方向


P1470466
外に出ました。
(つづく)

P1470427
晴れていましたが、遠雷が聞こえてきました。


P1470428
下校時間になったようで、若者の姿を多数見かけるようになりました。


P1470429
空は未だ晴れていましたが、雷鳴が徐々に近づいてきたようです。


P1470430
稲光が一閃、物凄い雷鳴。


P1470431
ポツリ、ポツリと雨が落ちてきました。


P1470432
天気雨です。


P1470434
雨が降ると思っていなかったので、傘を持っていません。


P1470437
直ぐに土砂降り。


P1470436
慌てて一旦ホテルに戻ることにしました。


P1470438
しかし、20分ほどで雨が上がりました。


P1470435
直ぐに晴れてきましたが、雷鳴は相変わらずでした。


P1470439
用心のため、傘を持参して再び外出。


P1470440
夕立で涼しくなると思いきや、気温は相変わらず高いまま。先ほど降った雨が直ぐに蒸発して、物凄い湿気です。


P1470441
サン・ジャコモ・マッジョーレ・デル・カルミネ教区教会です。


P1470458
カルメル会がイーモラで活動開始した14世紀に建設された修道院教会です。


P1470442
14世紀から再建される18世紀初頭までは、サンタ・マリア・ディ・モンテ・カルミネ修道院教会と呼ばれていたそうです。


P1470457
現在の建物は、ジョヴァンニ・ドメニコ・トリフォーり(1675‐1759)の設計によって1720年から1726年に再建された二代目となるものです。


P1470443
中に入りました。


P1470445
単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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右側壁


P1470446
天井の装飾がありません。


P1470449
アレッサンドロ・デッラ・ナーヴェ(ブドリオ、1732‐イーモラ、1821)の「天上の聖人に祈願するカルメル会修道女」(1732)


P1470450
詳細不知


P1470452
詳細不知


P1470456
アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「無原罪の聖母」(1792)


P1470459
外に出ました。


P1470460
次は教区博物館です。


P1470461
夕立前よりも暑くなったので参りました。


P1470462
ドゥオーモの扉は閉まったままでした。


P1470747
教区博物館がある司教館の扉も閉まったままでした。


P1470463
仕方がないので、扉が開くまでドゥオーモ広場で時間潰しです。


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時間通りに開館しないのがイタリア流です。


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聖職者のストはないので、そのうちに扉が開くでしょう。


P1470685
扉が開きました。扉の前で開館を待っているように見えた二人でしたが、直ぐに何処かに行ってしまいました。


P1470686
司教館です。


P1470687
入館します。


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ジョヴァンニ・ダ・リオーロの多翼祭壇画(1433)
制作者の署名と年号入りです。イーモラのサン・ドメニコ教会にありました。


P1470488
インノチェンツォ・ダ・イーモラの作品
教区博物館については既にアップしました。ご興味のある方はご参照願います。


P1470498
プロスペロ・ぺーシェの作品


P1470593
カルロ・ボノーニの作品


P1470679
充実した展示と言えるでしょう。


P1470681
天井の装飾


P1470548
私以外の入館者はいませんでした。


P1470751
外に出ました。
(つづく)




P1470384
要塞横のViale d' Agostinoです。


P1470387
カテリーナ・スフォルツァは、フォルリに定住していたので、イーモラには城代を置いて滅多に訪れなかったと言われてます。


P1470348
Via Fratelli Bandiera


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ガリバルディ通りに入りました。


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18世紀に建設されたPalazzo Rambaldiです。現在、高等学校になってます。


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ガリバルディ通りを進み、次の交差点を左折してドゥオーモ前に出ます。


P1470393
この時間、ドゥオーモは当然閉まってます。


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ドゥオーモの外観を見れば、その街の繁栄度が大体推察できます。


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ドゥオーモ広場から東に向かいます。


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Porta Montanaraです。


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イーモラの城壁に4つの門がありました。これはエミリア街道の東端に設けられた門です。


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1460年から1470年に建設された門です。


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イーモラの城壁は1925年に取り壊されましたが、その際、修復されて残された唯一の門です。


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モンタナ―ラ門の前から見たドゥオーモです。


P1470403
そろそろ昼食の時間です。


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ガリバルディ通りです。昼食はエミリア通りの店に決めてました。


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写真右奥はPalazzo Tozzoniです。


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18世紀前半に建設されたPalazzo Tozzoniです。


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Palazzo Tozzoniは市立博物館として一般公開されてますが、この時は休館中でした。


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写真左は18世紀に建設されたヴェルガ館です。


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Vicolo Olivo


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広場に出ます。


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広場から見えたドゥオーモの鐘楼


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Vicolo Inferno


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エミリア通りに出ました。


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昼食を食べます。


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入店しました。


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お腹一杯、食べ過ぎです。


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ドゥオーモの鐘楼です。


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サン・フランチェスコ修道院だった建物は市立図書館として利用されてます。


P1470421
Via Don Bughetti


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サン・ジャコモ(聖ヤコブ)教会だった建物がエミリア通りに面して建ってます。


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宗教活動は停止され、現在は展覧会などに使用されてます。


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Teatro Comunale


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この日の公演はありません。


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(つづく)

P1470332
エミリア通りです。


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写真左はPalazzo Sassatelliです。


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自転車利用者が非常に多いイーモラです。


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エミリア通りを左折してVia Don Bughettiに入りました。


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ヴェネツィア海軍総督タッデオ・デッラ・ヴォルぺによって15世紀に建設されたCasa della Volpeです。


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ドゥオーモの扉が閉まっていました。


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ドゥオーモの向かいに建つ司教館です。


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司教館内に教区美術館があります。


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司教館の扉が開いていたので、中に入ってみました。教区美術館は当然のことながら閉まっていました。


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ガリバルディ通りです。


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写真左は18世紀に建てられた神学校だった建物です。


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ガリバルディ通りの先にRocca Sforzescaがあります。


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スフォルツェスカ城塞 Rocca Sforzescaです。


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14世紀前半、イーモラは教皇領でした。
第197代教皇ベネデット12世(1285-1342 在位:1335-1342)は、イーモラの領有権をリッポ2世アリドージ(?、?-イーモラ、1350)に与えました。
要塞の現在地には、11世紀に建設された塔がありましたが、1334年、領有権を与えられたリッポ2世アリドージが塔の残骸の上に要塞の建設を開始しました。建設工事は、リッポ2世の死後は息子のロベルト・アリドージ(?、?-イーモラ、1362)に引き継がれ、ロベルトの存命中に一応の完成を見ました。


P1470350
アリドージ家のイーモラ支配は1424年まで続きましたが、同年、イーモラはミラノのヴィスコンティ家の支配下に置かれるようになりました。
その後、イーモラは、15世紀前半まで教皇領、ヴィスコンティ家、教皇領、ヴィスコンティ家と度々支配者が変わりました。
ミラノのヴィスコンティ家にとって、イーモラは飛地であり、その戦略的重要性(ボローニャとリミニを結ぶ交通の要衝)から、要塞はヴィスコンティ家によって拡大増強されました。


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1470年、イーモラは、ミラノ公爵スフォルツァ家の支配下に置かれるようになりました。


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1471年、第212代教皇に選出されたシスト4世(チェッレ・リーグレ、1414-ローマ、1484 教皇在位:1471-1484)は、実子と言われるジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)に領地を与えようとしました。
シスト4世は、貧しい家の生まれだったので、その一族郎党の繁栄に特に留意した教皇と言われてます。


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ジローラモ・リアーリオの領地としてミラノの飛地イーモラをターゲットに定めたシスト4世は、ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(フェルモ、1444-ミラノ、1476)に対して、ガレアッツォの娘カテリーナ・スフォルツァ(・デ・メディチ)(ミラノ、1463-フィレンツェ、1509)をジローラモ・リア―リオに持参金なしで嫁がせる代わりに、イーモラの領地代として4万ドゥカートをミラノ公に支払うとの提案を行いました。
当時、持参金は法外な金額でしたから、持参金なしで娘を嫁がせ、逆に領地代が入金するという絶好の条件だったので、ミラノ公はその提案を受け入れ、ジローラモ・リア―リオとカテリーナ・スフォルツァとの婚約が調ったのです。4万ドゥカートという領地代も巨額法外なものでした。


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1473年、ジローラモ・リア―リオとカテリーナ・スフォルツァは結婚しましたが、その際、フォルリはカテリーナの持参金代わりとされて、ジローラモ・リア―リオの領地となりました。


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要塞の周りを一周します。


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ジローラモとカテリーナの結婚前、ミラノの飛地イーモラの割譲を願っていたフィレンツェは、ミラノとの間にイーモラの割譲とフィレンツェ在住芸術家のミラノへの派遣の合意があったとされてます。


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ところが、1474年、教皇シスト4世から4万ドゥカートの支払い命令がメディチ銀行にあったのです。メディチ銀行ローマ支店は、教皇庁の銀行代理業務を行っていました。1474年当時、教皇庁には4万ドゥカートの金がなかったので、代理業務を行っていたメディチ銀行に支払い命令が下ったのです。


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4万ドゥカートがイーモラの領地代と知った、当時のメディチ家の当主ロレンツォ・イル・マニーフィコはミラノの合意違約を悟りました。また、ロレンツォの時代、既にメディチ銀行は破綻寸前で業務遂行の問題が出ていたので、巨額の4万ドゥカートのミラノへの支払いを渋りました。


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11世紀に建設された塔の残骸の一部です。


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メディチ銀行の支払いを渋る姿勢に業を煮やしたシスト4世は、教皇庁の銀行代理業務からメディチ銀行を外し、パッツイ銀行のローマ支店を起用して、4万ドゥカートの支払いを行ったのです。以後、メディチ銀行はドル箱だった教皇庁業務から完全に外され、破綻への道を進むことになりました。
このことは、1478年4月26日にフィレンツェ大聖堂で起きたパッツィ家陰謀事件の発端となりました。
脱線して関係者の肖像画をアップしておきましょう。


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巷間、カテリーナ・スフォルツァの肖像と言われてます。


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フォルリのサン・ドメニコ市立美術館で展示されてますが、そこではカテリーナの肖像画とは表示されてません。何故でしょうか?


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ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァの肖像です。


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フィレンツェのウッフィツィ美術館にあります。


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座っているのがシスト4世です。


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左から2番目、シスト4世にやや背を向けて立っているのがジローラモ・リア―リオです。


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ローマのヴァティカン絵画館にあります。


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ロレンツォ・イル・マニーフィコの肖像(ウッフィツィ美術館蔵)


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イーモラは、パッツィ家の陰謀事件の中心地です。


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フォルリとイーモラの伯爵ジローラモ・リア―リオはパッツイ家の陰謀事件の首謀者です。その辺の詳しい事情は「パッツィ家の反乱」とか「パッツィ家の陰謀事件」と検索すれば、幾つかの記事が出てきますので、そちらをご参照願います。


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ともあれ、パッツィ家の陰謀事件の首謀者ジローラモ・リア―リオは、1488年4月14日、ロレンツォ・イル・マニーフィコの後ろ盾を得た5人によってフォルリで暗殺されました。


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暗殺者たちの軍は、急を知ってフォルリ要塞に籠ったカテリーナ・スフォルツァに押し寄せて、有名な「ルネサンスの女傑」と言われる逸話が生まれたのです。


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夫の事件後、フォルリとイーモラの領主となったカテリーナ・スフォルツァは、2つの要塞を更に整備に努めました。


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1499年、チェーザレ・ボルジア軍がイーモラに攻め入りましたが、イーモラに苛政を布いていたカテリーナ・スフォルツァはイーモラ領民から嫌われ、イーモラのスフォルツェスコ城塞は無血開城されました。


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イーモラは教皇領となりましたが、イーモラ周囲も教皇領だったので、その戦略的重要性を失い、イーモラの防御は不要と判断されるようになりました。


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要塞は、1524年から教皇領の刑務所に転用されるようになりました。


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1958年まで刑務所でした。


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その後、修復整備されて、現在は陶器と武器の博物館として一般公開されてます。


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しかし、開館することは少ないような気がします。


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P1470388
これで一周しました。
(つづく)

P1470071
イーモラ駅に到着しました。
イーモラは、人口70,075人(2019年12月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ボローニャ県のコムーネです。


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イーモラ駅の駅舎です。
イーモラは、ピアチェンツァ~パルマ~レッジョ・エミリア~モデナ~ボローニャ~イーモラ~フォルリ~リミニ~ペーザロ~ファーノ~セニガッリア~アンコーナの幹線上にあるので、鉄道利用が便利です。


P1470074
Viale Andrea Costa
鉄道駅から徒歩でこの日のお宿に向かいます。


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右折してViale Carducciに入りました。


P1470077
カヴール通りになりました。


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駅から旧市街まで約1㎞ほどあります。


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城壁が殆ど残されていないので、旧市街の判別が困難ですが、旧市街に入ったと思いました。


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サント・ステファノ教会です。


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サント・ステファノ教会に隣接して建っているのは、サンタ・キアーラ女子修道会のサント・ステファノ修道院です。


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カヴール通りを左折してフラテッリ・カイローリ通りに入りました。


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この日のお宿はもう直ぐです。
イーモラは、見所が多い街と思いますが、観光客には人気がないようで、宿泊設備は限られており、選択肢があまりないようです。


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この日のお宿です。3つ星ですが、お薦めです。
チェックインの時には、ホテルの写真を撮るのを失念してしまいました。後程、城を見に行ったのですが、雷雨に遭い、傘を持っていなかったので、慌ててホテルに逃げ帰った時に撮った写真です。だから道路が濡れてます。


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チェックインを済ませてから、早速市立美術館に向かいました。


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市立美術館となっているサン・ドメニコ修道院だった建物です。


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開館日の筈ですが、入り口扉が施錠されていたので困惑しました。


P1470319
イーモラ市立美術館については既に書きました。ご興味のある方はそちらをご参照願います。


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クリストフォロ・ディ・ベネデットの帰属作品


P1470128
ラヴィニア・フォンタナの作品


P1470189
ラッファエッロ・ボッティチーニの作品


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インノチェンツォ・ダ・イーモラの作品


P1470207
現代画も展示されてます。


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遺跡からの発掘物も展示されてます。


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市立美術館から外に出ました。
サン・ドメニコ教会を見ます。


178
通常サン・ドメニコ教会と呼ばれてますが、正式名称はサンティ・ニコロ・エ・ドメニコ教区教会となってます。


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この場所にサン・ニコロに捧げられた小さな礼拝堂がありました。13世紀半ば、ドメニコ会修道士がイーモラ到着し、市当局からサン・二コラ礼拝堂が活動拠点として与えられ、定住しました。


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ドメニコ会修道士によって、1287年に創建され、1374年に完成したゴシック様式の教会修道院です。


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教区教会の入り口です。
1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院は閉鎖され、修道院教会にあった美術品や財宝などがフランス軍に略奪されました。1998年、修道院だった建物はイーモラ市の所有となり、2011年から市立美術館となりました。


180
ファサード横の洗礼堂


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ファサード入口扉上ルネッタの装飾


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後陣


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鐘楼が微かに見えます。


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入口扉が閉まっていました。
市立美術館から教会を覗き込んだときに撮った写真があるので、それらで教会をしておきましょう。


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単廊式、装飾豊富なロココ調の内部です。


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1996年から2001年に大修復されました。


1
ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「聖オルソラの殉教」(1600c)


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ジョヴァンニ・ドメニコ・フェッレッティ(フィレンツェ、1692‐1768)の「聖ドメニコ」


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フランチェスコ・キウス―リ(イーモラ、17世紀中頃‐1729)の「シエナの聖カテリーナに幼きキリストを渡す聖母」


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詳細不知


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サンティ・二コラ・エ・ドメニコ教区教会を離れ、オルシーニ通りを進みます。


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突き当りはエミリア通り、エミリア街道です。


P1470331
(つづく)

引き続きサン・コロンバーノ修道院聖堂です。
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制作者情報等詳細不知の「貧者にマントを与える聖マルティーノ」


P1490650
制作者情報等詳細不知の「聖コロンバーノの説教」


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詳細不知


P1490655
詳細不知


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)の祭壇画をもう一度見ました。


P1490659
詳細不知


P1490661
詳細不知


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)のフレスコ画(1526‐30)


P1490665
ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)によって描かれたフレスコ画(1526‐30)


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ベルナルディーノ・ランツァーニのフレスコ画


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聖堂から広場に出ました。


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この村で見たいと思った所は大体見たようです。しかし、10月の平日ということで、開いていない所が幾つかありました。


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ホテルに戻ります。


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サン・ロレンツォ教会を通り過ぎます。


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Piazza Santa Fara


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サン・ロレンツォ教会の鐘楼


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Vicolo della Noce


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芸術的にはあまり見どころが無かったような気がしました。


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ホテルに戻りました。


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ホテルの自室から見たサン・フランチェスコ修道院教会


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夕暮時のサン・フランチェスコ広場


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レストランに行ったら私一人でした。


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宿泊客も私一人でした。


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観光は昼間だけのようで、夜は寂しい田舎でした。


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美味しい料理を出す店です。


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お腹一杯になりました。


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食後の散歩に出ました。


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聞こえるのは虫の鳴き声だけ


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兎も角静かです。


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ホテルに戻りました。


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大人しく寝る以外なさそうです。


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翌朝です。


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この日は快晴でした。


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朝食は、私の出発の時間に合わせてくれました。


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通学の学生しか利用しないようなバスで、ピアチェンツァ駅に向かいました。


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高校生の殆どが途中でバスを下車して、ピアチェンツァまで乗車した客は数人でした。


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ピアチェンツァ駅前に定時に到着しました。
(おわり)

引き続きサン・コロンバーノ修道院聖堂です。
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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)のフレスコ画


5
天井の装飾


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右後陣の礼拝堂


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)の「聖母子と聖人たちと天使たち」


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9世紀のモザイク断片


6
主祭壇とPresbiterio


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レオニーノ・レオーニ(ピアチェンツァ、16世紀後半活動)の「聖霊降臨」(1570)


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ジュリオ・カンピ(クレモナ、1502‐1572)に帰属する「聖母子と聖ステファノと聖ロレンツォと信者たち」(16世紀)


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「磔刑像」(16世紀)
クリプタに下ります。


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クリプタです。


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10世紀に建設されたクリプタです。


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13世紀に制作された錬鉄製の手すり


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クリプタの主祭壇に置かれている聖コロンバーノの墓


1
ジョヴァンニ・デ・パトリアルキスの「聖コロンバーノの墓」(1480)


P1490597
聖コロンバーノ墓の彫刻


2
クリプタのモザイク


3
クリプタに第一代修道院長、第二代修道院長、第三代修道院長の墓がありますが、こちらは第二代の修道院長聖アッターラ(ブルゴーニュ、6世紀‐ボッビオ、627)の墓です。
なお、初代の修道院長は聖コロンバーノです。


P1490601
聖アッターラの墓のフレスコ画


4
第三代修道院長聖ベルトゥルフォ(フランス、メーツ、6世紀‐ボッビオ、640)の墓


P1490604
聖ベルトゥルフォの墓の下のフレスコ画


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クリプタの天井


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クリプタから身廊に戻ります。


P1490612
制作者情報不知の「キリストの昇天」


P1490614
詳細不知


P1490618
制作者情報等詳細不知の「聖ロレンツォの殉教」


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天井のフレスコ


P1490619
詳細不知


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制作者情報等詳細不知の「悔悛の聖アポッロニア」


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初代の建物にあった「Madonna dell' Aiuto」


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右側廊


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右側廊から見た身廊


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左側廊


P1490631
左側廊から見た身廊方向


P1490633
ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)のフレスコ画


P1490636
テオドリンダから贈られたと言われている洗礼盤(7世紀)


P1490638
詳細不知


P1490640
詳細不知


P1490642
ロザリオの聖母礼拝堂です。


P1490641
ロザリオの聖母礼拝堂天井のフレスコ画


P1490643
制作者情報等詳細不知の「ロザリオの聖母」


P1490644
制作者情報等詳細不知のロザリオの聖母礼拝堂側壁のフレスコ画


P1490646
(つづく)

P1490537
サン・コロンバーノ修道院とサン・コロンバーノ聖堂に向かいます。


P1490531
次の左に進む道に入ります。


P1490538
午後5時になりました。


P1490539
サン・コロンバーノ修道院です(写真左)。


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Palazzo Barone


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614年、聖コロンバーノ(ナヴァン、540c‐ボッビオ、615)が修道院を創設しました。


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Piazza Santa Fara


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広場に設けられた駐車場に駐車する車が夕方になって増えました。


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サン・ロレンツォ教会


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Piazza Santa Faraから今来た所を振り返って撮った写真です。


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修道院の柱廊
現在の修道院の建物は、883年に着工され、その後増築を繰り返して1522年に完成しました。


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Piazza Santa Faraからカステッロが見えます。


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サン・ロレンツォ教会は午後の早い時間に既に拝観したので、この時間はパスしました。


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サン・ロレンツォ通りを進みました。


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写真左はサン・コロンバーノ聖堂の左側壁で、聖堂のファサード側に回ります。


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サン・コロンバーノ広場に出ました。


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サン・コロンバーノ聖堂です。


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修道院のバジリカは、9世紀に建設されました。


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現在の聖堂の建物は、初代の遺跡の上に1456年から1522年に建設された二代目のものです。


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中世を通じて、サン・コロンバーノ修道院はヨーロッパで最重要の修道院の一つでした。


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16世紀に建設されたファサード下の柱廊が目立ちます。


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ファサード上の彫刻はサン・コロンバーノ像です。


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サン・ロレンツォ通り側の鐘楼は、初代の建物のもので9世紀に建設されました。


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鐘楼の横にあるファサードのように見える部分は、9世紀に建設された初代のバジリカの後陣です。


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ファサードに向かって右横に修道院博物館の入り口があります。


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柱廊に入りました。


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ポータル上のモットーのテンプレート


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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初代の建物の一部が残されてます。


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壁の多くがフレスコ画で装飾されてます。


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)によって1526年から1530年に制作された内陣天井のフレスコ画
Presbiterioのフレスコ画は、ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)によって18世紀に制作されました。


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)の「聖コロンバーノ」(1526‐30)


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Presbiterio天井のフレスコ画は、ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)の「栄光の聖コロンバーノ」


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Presbiterio右側壁のルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)の「聖コロンバーノの生涯の物語」


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Presbiterio左側壁に描かれた、ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)の「聖コロンバーノの生涯の物語」


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Presbiterioに置かれたオルガン
(つづく)

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引き続きボッビオのドゥオーモです。


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)?の「聖セバスティアーノの殉教」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)?の「聖アンブロージョ」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)?の「聖コロンバーノ」?


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パオロ・ペロッティ(ピアチェンツァ、1928‐2018)の「洗礼盤」


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新しい作品がかなり多いドゥオーモです。


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制作者情報等詳細不知の「キリストの洗礼」


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サン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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1498年に建設されたサン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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司教館の入り口にある「磔刑」のフレスコ画(14世紀)


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サン・セバスティアーノ礼拝堂天井のフレスコ画(1507)


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制作者は分かっていません。


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近年修復されたので色鮮やかに蘇りました。


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16世紀の逸名画家作「聖セバスティアーノの殉教」


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外に出ました。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂とサン・セバスティアーノ礼拝堂が良かったけれど、全般的には新しい作品ばかりで興覚めでした。


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昼食を楽しんだ店


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Largo Rio Grandeを進んでサン・コロンバーノ修道院に行くつもりでしたが、急に気が変わりました。


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道草をしてドゥオーモの周りを歩くことにしました。


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トレッビア川の方に進んでいるので、道は緩い下り坂になってます。


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自分の写真でカレンダーを作ってますが、その候補になりそうな・・・・・


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これです。


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写真右は司教館です。


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昼食を食べた店がある建物の柱廊です。これでドゥオーモの周りを一周したことになります。


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今度こそサン・コロンバーノ修道院に向かいます。


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Contrada di Porta Nova


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この道を真直ぐ進めばサン・フランチェスコ広場のお宿です。


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日帰り観光客はみな家路についたようで、観光客は私一人のようでした。


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写真左の道を病院方向に進みます。


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突き当りはPalazzo Comunaleですが、その手前を右折します。


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Contrada dell' Osoedaleに入りました。


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映画館があります。


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映画館らしからぬ歴史ある建物


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ボッビオでも新型コロナが流行したのでしょうか?


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写真左は病院です。


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この先に教会の建物があります。


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1604年に建設されたロマネスク様式のサン・二コラ教会です。


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バロック様式興成の時代にわざわざロマネスク様式で建設されたそうです。1950年に閉鎖され、現在は私有建物となってます。


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旧サン・二コラ修道院の建物は、エノテカ兼レストランになってます。


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(つづく)

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クリプタから身廊に戻りました。


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フランチェスコ・ポッロ(ロンバルディア、18世紀前半活動)のフレスコ画(1723)


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画(19世紀)


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左側廊


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天井の装飾


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マッティア・トラヴェルソ(ジェノヴァ、1885‐1956)の「聖ジュゼッペ」


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天井の装飾


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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マッティア・トラヴェルソ(ジェノヴァ、1885‐1956)の「磔刑」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)の「ピエタのキリスト」


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左側廊


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左側廊から見た中央身廊方向


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フレスコ画で一杯です。


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右側廊


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右側廊から見た中央身廊方向


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「守護天使」(1625)


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)の「聖母子」


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詳細不知


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)の「聖母子」


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天井の装飾


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「磔刑と聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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修復工事中の礼拝堂が途中にありました。


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聖心の礼拝堂


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂です。


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15世紀のフレスコ画が残されてます。


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1070年から1075年に建設されたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂ですが、1630年のペスト禍の際、ライムで埋められてしまいました。1910年頃に再発見され、2012年に漸く修復されました。


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「受胎告知」(15世紀後半)


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天井のフレスコ画は殆ど落剝してしまいました。


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15世紀の磔刑像


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聖セバスティアーノの殉教


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テオドリンダ


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修復中の礼拝堂 一部13世紀のフレスコ画があります。


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こちらは少し新しいフレスコ画ですが、詳しいことが分かりません。


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(つづく)

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マドンナ・デッライウ―ト聖域聖堂からサン・フランチェスコ広場に戻りました。


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サン・フランチェスコ広場の先にドゥオーモの鐘楼が見えます。


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サン・フランチェスコ修道院教会の横を通ってドゥオーモの後陣横に出ます。


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ドゥオーモの横にあるSeminario Vecchioの建物です。


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Piazzetta Porta Agazza


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Albergo Cacciatoriの横を進みます。


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直ぐにドゥオーモ広場の入り口に出ます。


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ドゥオーモのファサード前にグループツアーのご一行様がいました。聖堂の内部にもいました。


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ボッビオのドゥオーモ Concattedrale di Santa Maria Assuntaです。
1014年にボッビオは単独の司教区になりましたが、1986年、ピアチェンツァ司教区と合区され、ピアチェンツァ₌ボッビオ司教区となりました。それに伴い、ピアチェンツァのドゥオーモが司教座教会になり、ボッビオのドゥオーモはConcattedraleとなりました。


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サン・コロンバーノ修道院と共に発展したボッビオですが、修道院領とは別に、1014年にボッビオは単独の司教区となりました。ボッビオの初代司教は、サン・コロンバーノ修道院長が兼務しましたが、初代司教が没すると、二代目司教は、1017年、修道院と司教座教会の分離を行うために新たに司教座教会の建設を決めました。
そうして、1070年に創建され、1075年にロマネスク様式のサンタ・マリア・アッスンタ司教座教会が完成しました。1075年に奉献式が執り行われました。


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14世紀から15世紀に増築され、現在の規模になりましたが、それまでは1075年当時のロマネスク様式の建物が維持されました。


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二本の鐘楼に挟まれたファサードは1463年に完成しました。完成時はゴシック様式のファサードでしたが、18世紀に行われた改造によって現在のファサードの姿になりました。


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ファサードに向かって左側の鐘楼です。
左右の鐘楼は1532年に完成しました。左側の鐘楼は途中修復されたものの、完成時の姿を保っていると言われてます。


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ファサードに向かって右側の鐘楼は時計塔になってます。
右側の鐘楼は、17世紀にコムーネの所有となり、コムーネの方針によって上部を破壊して高さを低くするとともに時計を付ける改造を受け、時計塔兼鐘楼となりました。


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後陣


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修道院と司教座教会の分離はやはり管理が異なるから行われたと思います。


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ファサードに向かって右側に司教館があります。司教館に大聖堂付属美術館がありますが、日曜だけの開館なので入館するのが結構大変です。この日は平日だったので休館です。


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聖堂内に入ります。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


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1905年に行われた内装塗り直しの影響でしょうか、新しい印象を受けます。


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リブ付きのクロス・ヴォールト


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壁の多くがフレスコ画で覆われてます。


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1750年に遡る主祭壇とPresbiterio


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後陣のフレスコ画は、ロンバルディアの画家フランチェスコ・ポッロ(18世紀前半活動)によって1723年に制作されました。


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後陣のフレスコ画のテーマは「聖母被昇天」です。


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Presbiterioの聖歌隊席(17世紀)


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磔刑像(16世紀)


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フランチェスコ・ポッロ(ロンバルディア、18世紀前半活動)の「聖母被昇天」(1723)


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フランチェスコ・ポッロ(ロンバルディア、18世紀前半活動)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1723)


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2012年に作り直されたオルガン


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主祭壇前から見た出入口方向


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次はクリプタです。


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クリプタに下りました。


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15世紀に造られたクリプタです。


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1600年以降の代々のボッビオ司教の墓があります。


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詳細不知


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クリプタの祭壇下にボッビオ司教の聖アントニオ・マリア・ジャネッリの遺体が安置されてます。


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ボッビオの代々の司教のうち、唯一列聖されたのが、聖アントニオ・マリア・ジャネッリ(カルロ、1789‐ピアチェンツァ、1846 ボッビオ司教在位:1837‐1846)
1951年、第260代教皇ピオ12世(教皇在位:1939‐1958)によって列聖されました。


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クリプタに安置されているボッビオ司教たちの墓
(つづく)

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ボッビオの城壁外Corgnate地区にあるBasilica e Santuario della Madonna dell' Aiutoです。1970年、Basilica Minoreに格付けされました。


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サン・フランチェスコ修道院教会の敷地だった場所に15世紀に建設されたロンバルド・後期ゴシック様式のマリアの受胎告知教会 Chiesa dell' Annunciazione di Mariaがありました。その教会が聖堂聖域の前身の一部です。


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現在の聖域聖堂の後陣と鐘楼は、マリアの受胎告知教会のものです。


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伝説に拠れば、14世紀後半、修道院(恐らくサン・フランチェスコ修道院教会)の敷地に隣接してブドウ園がありましたが、ブドウ園の所有者が修道院との境にあった隔壁を高くすることにしました。その際、高くした隔壁に壁龕を設け、壁龕に聖母子のフレスコ画を描かせました。
1472年、壁龕に描かれた聖母の顔が急に崇高さを増す奇跡が起こり、壁龕の聖母子は人々の信仰を集めました。近隣の人々やサン・コロンバーノ修道院の巡礼者の巡礼地となりました。やがて、壁龕のフレスコ画を保存するために壁龕の礼拝堂が建設されました。


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17世紀になると、「壁龕」礼拝堂をマリアの受胎告知教会に組み入れて聖域を造ることが決められ、1621年に建設工事が着工され、1836年に完成しましたが、奉献を境に名称がマドンナ・デッライウ―ト聖堂を改称されました。


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ファサード下に柱廊が設けられてます。


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ファサード下の柱廊です。


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聖堂内に入りました。


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単廊式ですが、半地下の壁龕の聖母礼拝堂があります。


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観光客には殆ど知られていないので、見かけるのは地元の人だけです。


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身廊天井にフレスコ画がありますが、暗くてよく見えませんでした。


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主祭壇
後陣はマリアの受胎告知教会のものです。


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後陣のフレスコ画


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15世紀に描かれたフレスコ画が後陣にありましたが、落剝してしまったので19世紀に描き直されたフレスコ画です。


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制作者不知


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後陣左壁のフレスコ画です。
制作者不知の「奇跡の聖母のタベルナコロを礼拝する人々」(20世紀)


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後陣右壁のフレスコ画です。
制作者不知の「奇跡の聖母のタベルナコロの礼拝堂建設を決める修道院長」(20世紀)


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ロレートの聖母礼拝堂


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右側壁の礼拝堂


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サルヴァトーレ・ポッツィ(またはポッツォ)(プーリア、1595‐1681)の「ボッビオを守護する奇跡の聖母と聖人たち」(17世紀)


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半地下に進みます。


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奇跡の聖母礼拝堂


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伝説の「奇跡の聖母」のフレスコ画が祭壇に収められてます。


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「奇跡の聖母」(1472)
私にはオリジナルのフレスコ画に見えなかったのですが・・・・・


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奇跡の聖母礼拝堂天井


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窓はだまし絵です。


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内陣に戻りました。詳細不知の「聖ジュゼッペ」


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制作者不知の「奇跡の聖母」(19世紀)


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制作者不知の「ご訪問」(17世紀)


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サルヴァトーレ・ポッツィ(またはポッツォ)(プーリア、1595‐1681)の「聖ジュゼッペの死」(17世紀)


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画面が光るので、少し角度を変えて撮ってみました。


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外に出ました。


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道を挟んで、聖域聖堂向かいの建物の壁にある「聖母子像」が必見です。


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これです。奇跡の聖母を模した浮彫でしょうね。


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Via Corgnateの先に行っても何もなさそうです。


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サン・フランチェスコ広場を経由してドゥオーモに向かいます。


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(つづく)

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村の中心に戻ります。


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サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の鐘楼が目立ちます。


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この光景を見ると、川が山を侵食してできた広い河原に築かれた村がボッビオと思えます。


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山肌が露出している部分がかなり多い。


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写真右端がカステッロです。


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写真右の道路を歩いてます。


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写真左はサン・フランチェスコ修道院教会です。写真右はマドンナ・デッライウ―ト聖域聖堂です。


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紅葉してますが、この日は10月16日でした。


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橋の前の食堂に来ました。


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橋を渡ります。


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イタリア人はこれが好きですね。


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橋の形状を中心に見て歩きます。


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振り返って撮りました。


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ドゥオーモの後陣


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ドゥオーモの下の道を進みます。


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サン・フランチェスコ広場に向かいます。


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サン・フランチェスコ修道院教会です。


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Via dei Ponte Vecchio


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Via dei Ponte Vecchioから見たヴェッキオ橋


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ピアチェンツァ方向に進むSS45です。


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サン・フランチェスコ広場に戻りました。


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この日のお宿です。


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自室に戻り、トイレ休憩しました。


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再び外に出ました。サン・フランチェスコ修道院教会のファサードが見えてます。


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次はマドンナ・デッライウート聖域です。


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Via Corgnateに面して建っている教会がマドンナ・デッライウート聖域聖堂です。
(つづく)

P1490122
トレッビア川に架かるゴッボ橋 Ponte Gobbo、別名ヴェッキオ橋 Ponte Vecchio、悪魔橋 Ponte del Diavoloです。
gobboとは、湾曲した、起伏のある、隆起のあるという意味で橋の形状に由来してます。
ローマ時代に架けられた橋が前身なので、ヴェッキオ橋(古い橋)と呼ばれてます。
中世の頃、橋を架けることが難しく、伝説を生みましたが、伝説の一つが悪魔によって架橋されたというものでした。


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橋の下を流れるトレッビア川です。


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トレッビア川は、リグーリア州、エミリア₌ロマーニャ州を流れる、ポー川の左岸支流です。


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橋を渡って対岸のボルゴ・デル・トレッビアに向かいます。


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長さ273m、11の等距離でないアーチがあり、しかもアーチ状の橋部分の高さが異なります。


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グループツアーのご一行様が通り過ぎて行きました。


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この場所が橋が初めて架けられたのは、ローマ時代ですが、ローマ時代の具体的な世紀は分からないようです。


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7世紀に、サン・コロンバーノ修道院の修道士によって、ローマ時代に築かれた橋の基礎の上に橋が再建されました。
橋は、巡礼者や修道院の宗教的な行進に使用されました。
両岸の橋端に奉納の像が置かれてます。


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聖母子


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聖コロンバーノ


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対岸に渡り切りました。


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上流の橋桁が見える所まで移動します。


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トレッビア川は元々急流なので、普通の状態でも川床の激しい浸食があることに加え、暴れ川の異名の通り洪水が繰り返されたので、橋の砂利床が移動したり、橋が流されたり変形を受けるなど壊滅的な被害と再建を何度も繰り返しました。


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明確な記録が残されている15世紀以降に限ってみても、15世紀から現代まで11回の橋の流失、崩落、再建を繰り返したことが分かってます。


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現在の橋は、1971年の大洪水によって壊滅的な被害を受け、その後に再建、修復されたものです。


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レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の背景に、この橋が描かれているとの説があります。


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ボッビオのドゥオーモ


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グループツアーのご一行様が帰路についたようです。


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ボルゴ・デル・トレッビアは見所が殆どありません。


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下流の方に向かいます。


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橋の下は進めないようです。


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ここを上って道に出た方が良さそうです。


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橋の正面にお店があります。


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店の前のBorgo del Trebbiaを進んで下流方向に行きます。


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店の前から見た橋と村の中心部


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道を進みます。


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下流の方に来ました。


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道路からは、橋がうまく写りません。


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Basilica e Santuario della Madonna dell' Aiuto


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カステッロ


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村の中心街に戻ることにしました。


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(つづく)

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カステッロからトレッビア川の方に向かいます。


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写真正面の家の前に城壁がありましたが、破壊されました。


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城壁内に戻りました。


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放棄された水車があります。


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水車があったので、この道の下に小川が流れていて暗渠になっているのでしょうか?


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水車があるからには、それなりの流れの川が流れていた筈です。川は写真手前から道の先に流れている?


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村歩きをしているうちに、4つの廃棄された水車を確認できました。


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ヨーロッパの水車の殆どは粉挽き用だそうですが、ボッビオの水車は何用?


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村役場経由でトレッビア川に向かいます。


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柱廊のがっしりした柱に目が行きます。


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柱廊の天井が木製でした。


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再び城壁の外に出ました。と言っても、城壁は19世紀に取り壊され、この辺では残っていません。


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壁龕に聖母子像があるのを発見しました。


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これです。


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写真左の道を、写真手前方向に進みます。


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見所がそれなりにあるので、1泊しても退屈することはないと思います。


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この家並みの前に細い道があって、道の、家並みの反対側に城壁があったそうです。城壁を取り壊して広い道路が出来ました。


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再び城壁内に入りました。


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ワイン醸造所です。


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今もワイン生産しているのか、不明です。


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突き当りを左折すれば村役場があります。


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村役場です。


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サンタ・キアーラ広場に面して建つ村役場です。


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村役場に入ってみました。


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興味を引くようなものが無さそうです。


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ボッビオの紋章です。


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独立1000年の記念板


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サンタ・キアーラ広場からトレッビア川に向かいます。


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紅葉した蔦が絡まる民家


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落葉が進んでます。


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緩い下り坂の道


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古そうな建物ですが、特に名前が付けられていないようです。


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広い道に出ました。城壁を取り壊して作られた道?


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Strada del Fossato


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ここにも水車がありました。


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使用されなくなって、かなり経つ水車と思います。


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水車近くのアーチも補修されていないようで、少し危険と思いました。


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共同の洗い場です。


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水車、共同洗い場があることから、道路の下は川が流れているのかも知れません。


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通りの突き当りが川の堤防になります。


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写真左は城壁兼堤防です。


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サン・フランチェスコ修道院教会が見えてきました。


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SS45の横断歩道を渡ります。


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トレッビア川に架かるPonte Vecchioです。


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橋から振り返るとドゥオーモが見えます。
(つづく)

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一時、城壁外に出ました。


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丘の後方にトレッビア川が流れてます。


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写真左にカステッロがあります。


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案内板があります。


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カステッロ Castello Malaspina- Dal Vermeです。


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カステッロの入り口です。


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入り口前の地面に栗が沢山。


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614年に建設されたサン・コロンバーノ修道院と共に発展したボッビオですが、修道院がベネデット会の所有となった9世紀頃から城壁が築かれるようになりました。


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13世紀に本格的に城塞が建設されるようになり、村は要塞化されるようになりました。


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村の小高い丘にカステッロが建設されました。1219年の文書に、カステッロが建っている現在地にBraida de Castelloの存在が記載されてますが、それが前身とされてます。


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1304年から1341年まで、ボッビオはマラスピーネ家の支配下に置かれましたが、14世紀前半、ボッビオのシニョーリアのコッラディーノ・マラスピーナによって城の建設が開始されました。


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1341年から1436年まで、ボッビオはヴィスコンティ家の支配となりましたが、ヴィスコンティ家によって城は拡大されました。


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1436年から1743年まで、ボッビオはヴェローナ出身のダル・ヴェルメ家の支配下となりました。城はダル・ヴェルメ家の邸宅として整備拡充されて、1545年に完成しました。
城の名称は、創建したマラスピーナ家と完成させたダル・ヴェルメ家に因んで、Castello Malaspina- Dal Vermeと呼ばれてます。


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現在は、カステッロは国立博物館として一般公開されており、「パルマ・ピアチェンツァ公国の城」協会に運営管理が委託されてます。


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城の中に入ります。


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中の展示物がなく、殆どの部屋が閉まっていて、博物館として未整備のように思いました。


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切符売り場(この時は入館無料でしたが、無料券をもらってガイドと一緒に回るようになっていました)


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城内は見所が乏しく、期待外れで外に出ました。無料だったので贅沢は言えません。カステッロは人気がないようで、初めから最後まで私一人でした。


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城の庭に入ります。


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庭から村の全景が見えます。


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監視塔


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城壁の上から村の全景を見ます。


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鐘楼の向こう、山肌の下にトレッビア川の流れが見えます。


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サン・コロンバーノ修道院


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ドゥオーモ


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トレッビア川が写ってます。


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中秋の山


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これから博物館として整備されるのでしょう。


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カステッロ前の広場


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全部見たようです。


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階段を下りて扉の外に出ます。


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私が立ち去ると、係員が暇そうに外に出てきました。


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写真左はカステッロの城壁です。


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(つづく)

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サン・ロレンツォ教会です。グループツアーのご一行様は既に立ち去って、教会の中には誰もいませんでした。


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ファサードは12世紀のオリジナルに近いとされてます。


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12世紀のオリジナルの鐘楼は1779年に現在の姿に改造されました。


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ナポレオンの抑圧令によって、1803年に世俗同信会は解散させられ、教会は閉鎖となりました。1822年に教会の活動が再開されました。


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教会に隣接した建物は旧修道院で、現在は住居に転用されてます。


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中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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20世紀後半に再塗装されました。


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ロマネスク様式のファサードを見てから、この内部を見ると感じが全く異なり、少し戸惑います。


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主祭壇


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閉鎖となったサン・フランチェスコ修道院の教会から移設された磔刑像(17世紀)


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詳細不知


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後陣の木製聖歌隊席はサン・フランチェスコ修道院の教会から移設されたものです。


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主祭壇画の「聖ロレンツォの殉教」(制作者情報等詳細不知)


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詳細不知の「聖母子」


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制作者情報等詳細不知の「天上の聖家族と二聖人」


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制作者情報等詳細不知の「聖トンマーゾの不信」


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制作者情報等詳細不知の「天上の幼きキリストと二聖人」


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1144年の文書に、教会の初記録が記載されていますが、創建の年は不明のようです。
13世紀後半、バットゥーティと呼ばれるConfraternita di Laici(世俗同信会)の所有となり、隣接するサン・コロンバーノ修道院の修道士に依存する関係でした。


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経時劣化のため建物が危険になったので、活動が停止されました。1694年、ベネデット会修道士によって危険部分が取り壊され、一部が再建されると共に拡張されました。


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何となく納得できないサン・ロレンツォ教会でした。


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次はカステッロです。


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緩い上り坂の細い道を通ります。


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カステッロは、城壁内の小高い場所にあります。


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マッツィーニ通りを進みます。


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午後3時前なので、人出がなく、非常に静かです。


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この道の建物は17世紀に建設されたものが殆どです。


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風情のある建物です。


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写真左の道に進まず、写真手前を左折します。


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狭い城壁内の村外れに出ます。


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ここから柱廊が続きます。


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カステッロは写真右上辺りにあります。


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ポルティコが終わると城壁が現れます。


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防御力が感じない低い城壁です。


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最初の城壁は9‐10世紀に建設されましたが、修道院の村なので防御をあまり考えていないようです。


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漸く人を見かけました。


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城壁外に出ます。


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(つづく)

ボッビオ Bobbioは、人口3,544人(2019年11月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州ピアチェンツァ県にあるコムーネで、「イタリアの最も美しい村」にリストアップされてます。
614年に建設されたサン・コロンバーノ修道院と共に発展し、1014年に独立しました。
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前泊地はイーモラでした。
写真は、カテリーナ・スフォルツァで名高いイーモラのスフォルツェスカ要塞です。


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イーモラ駅から鉄道でピアチェンツァ駅に向かいました。


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車内は、ボローニャに向かう時とボローニャを離れた時を除いて、大体空いてました。


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ピアチェンツァ駅に定時に到着しました。


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公共交通機関を使ってボッビオに向かうには、ピアチェンツァ駅からボッビオ行きバスで行くのが普通です。


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ピアチェンツァのバスターミナルは、ファルネーゼ宮殿前の広場にありますが、近郊の市町村に向かうバスの殆どは駅前の停留所を経由します。


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ボッビオ行きのバスに乗車しました。


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乗車1時間ほどでボッビオのサン・フランチェスコ広場に到着しました。


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サン・フランチェスコ広場に面した、この日のお宿に向かいました。日帰り観光客が殆どのボッビオですが、日帰りでは味気ないので主義として泊まることにしています。


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この日のお宿です。ボッビオの宿泊設備の選択肢は少ないのです。


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広場の名称の由来は、広場に面してサン・フランチェスコ教会修道院があるからです。活動を停止した旧教会修道院です。


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チェックインを済ませて外に出ました。


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レストランが主で、ホテル業は従といった感じでした。折から昼食時とあって、レストランは満員でした。
小さな村に泊まるときは、夕食に苦労した経験があるので(夜はやっていない店が殆ど)、レストラン併設のホテルを狙い目にしています。


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レストランが満員だったので、夕食の予約をしておきました。


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観光客がチラホラ。しかし、夕方になると観光客を滅多に見なくなります。


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Contrada di Porta Nuovaをドゥオーモ方向に進みます。


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独立した1014年から1000年以上の歴史を持つことを誇りにしているコムーネです。


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通りの突き当りがドゥオーモ広場になります。


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お腹が空いたので、軽く何か食べなくては。


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ドゥオーモ広場に行けば、この時間からでも食べられる店があるとの読みです。


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ドゥオーモ広場です。


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この時間は閉まっているドゥオーモです。


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この店で食べました。


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ボッビオはロマネスク様式の建物などが溢れてます。長い間、ロマネスク様式の建造物が大好きでしたが、近頃はその稚拙さが気になり、完成度が高くなる後世のゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式の建造物に惹かれるようになりました。


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Palazzo Vescovile


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Palazzo VescovileにMuseo Diocesanoがありますが、10月の平日のこの日は休館でした。


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ドゥオーモ広場からサン・コロンバーノ修道院の方に向かいます。徒歩で数分の距離です。


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先ほど、通ってきたポルタ・ヌオーヴァ通りです。


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サン・コロンバーノ修道院です。


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Piazza Santa Fara


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写真左の建物はPalazzo Baroneです。


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Piazza Santa Faraは駐車場になっていますが、1台しか駐車していなかった。


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この季節は、やはり観光客が少ないのです。


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この時間、空いているのはサン・ロレンツォ教会だけです。写っている鐘楼はサン・ロレンツォ教会のものです。


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サン・コロンバーノ修道院の鐘楼です。


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Via San Lorenzo


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サン・ロレンツォ教会の扉が開いていました。中に入ったら、観光客のグループツアーのご一行様で一杯でした。開いているのは、ここくらいなものなので、集中したようです。
ツアーのご一行様が立ち去るまで、近くを適当に歩きます。


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この付近は、新旧の建物が混在しています。


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イタリアから芸術作品を盗んでフランスに持ち去ったナポレオンが大嫌いですが、唯一評価できるのは修道院教会の抑圧令です。不労所得者の最たる者が宗教専従者ですから、それが多くては社会が疲弊してしまいます。


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そろそろ教会に戻っても大丈夫?


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(つづく)

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次はサンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂です。


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道を挟んでセルヴィ・ディ・マリア広場の向かいにある、1638年に建設されたPalazzo Davia Bargelliniです。Museo Davia Bargelliniがあります。


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セルヴィ・ディ・マリア広場に入りました。


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サルヴィ・ディ・マリア広場に面してサンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂が建ってます。
政治家で裕福な銀行家でボローニャのシニョーレであるタッデオ・ぺポリ(ボローニャ、1285/1290-1347)の莫大な寄付によって、1345年に創建された後、建築家アントニオ・ディ・ヴィチェンツァ(ボローニャ、1350-1401/1402)が起用され、工事が進みましたが、1383年に工事が中断してしまいました。
1386年、建築家アンドレア・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1319-ボローニャ、1396)が新たに起用され、工事が再開されました。14世紀末にゴシック様式の建物が一応の完成を見ました。


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ぺポリ家を始めとしてボローニャの裕福な名家の寄付が続き、何度か改造、改装されました。


1035
1453年に建設された鐘楼です。


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聖堂を囲んだ柱廊が特徴です。
ポルティコは、1392年から建設が始まり、1492年、1515年から1521年にかけて、17世紀に拡大整備されました。


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聖堂のポルティコは後陣まで続いてます。


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聖堂の左側壁側のポルティコ・ルネッタにフレスコ画があります。


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15世紀のエミリアの画家によって描かれたフレスコ画は非常に保存状態が悪いのですが、これが最も良い方です。


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保存状態が良いフレスコ画の一部が剥離されて、保全されてます。


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1628年、ポルティコ全体の復元、修復工事が行われました。現在のポルティコは、その工事後のものです。


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旧修道院部分は警察の建物に転用されてます。


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拝観します。


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三廊式、ゴシック様式の内部です。


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美術的な見所が豊富です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボロニョーニ・セニオーレ(ボローニャ、1611-1668)の「磔刑像」


1039
リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」


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1041
チマブーエ(フィレンツェ、1240c-ピサ、1302)の「マエスタ」


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1043
リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


1044
リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の「聖母子と聖コズマと聖ダミアーノ」


1045
ジョヴァンニ・ダ・モデナ(モデナ、1379?-1455?)の「聖母子」


1046
ヴィンチェンツォ・オノフリ(ボローニャ、1493-1524消息)の「聖エウスタキオの祭壇」(1503)


1047
聖母子と聖ロレンツォと聖エウスタキオ


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非常に面白かったサンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂でした。


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広場の八百屋を覗きました。


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Torresotto di Via San Vitaleです。
12世紀後半に築かれたボローニャ第2の城壁に設けられた塔です。


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市立劇場です。


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ルネッタのフレスコ画を見なくては!


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べンティヴォーリオ家の厩舎だった建物です。


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ジョヴァン・フランチェスコ・スピーニ(ボローニャ、17世紀後半活動)の「ピエタ」(1698)


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どうしても同じ場所に来てしまいます。


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サン・ジャコモ・マッジョーレ広場です。


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とうとう雨が降ってきました。


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暫し雨宿り


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キリがないので、この辺にしましょう。


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(おわり)

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ガルヴァーニ広場です。


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次はサン・ドメニコ聖堂です。


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サン・ドメニコ広場です。数点の見所がある広場です。広場に建っている建物がサン・ドメニコ聖堂と修道院です。


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1228年創建、1240年完成のロマネスク様式の教会です。ファサードは1240年に建設されました。


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1728年から1732年にかけて大掛かりな改修改造工事が行われました。外観、聖堂内部の多くはこの工事後の姿となってます。


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1884年、第256代教皇レオーネ13世(1810‐1903 在位:1878‐1903)によってBasilica Minoreに格付けされました。


1034
ファサードの入り口扉上ルネッタのモザイクは、ルチア・カサリーニ・トレッリ(ボローニャ、1677‐1762)の「聖ドメニコ」(オリジナルはフレスコ画)のコピーです。


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聖堂の左は修道院の建物です。


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修道院のキオストロに出ます。


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修道院のキオストロ回廊です。


1013
修道院は現在も活動をしています。修道院回廊の床に墓があったと思われますが、墓が見当たらず綺麗な床になってます。


1014
回廊から見たクーポラ


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回廊から見た鐘楼


1016
回廊の壁にあるフレスコ画


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回廊に置かれた法学者マッテオ・ガンドーニの墓(1330)
サン・ドメニコ広場に戻ります。


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中世の法学者ロランディーノ・デ・パッサジェリ(ボローニャ、1215c‐1300)の墓(1291)
この墓の右後方にも墓があります。


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医者のエジディオ・フォスケラーリの墓(1291)


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広場に立つ聖ドメニコ像(1627)


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広場に立つロザリオの聖母像(1632)


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ペストの流行が収まったことを聖母に感謝するために造られたもので、グイド・レーニのデザインと言われてます。


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聖堂内に入りました。


1018
ぺポリ礼拝堂です。


1019
ぺポリ礼拝堂の祭壇画は、デニス・カルヴァート(アントウェルペン、1540‐ボローニャ、1619)の「受胎告知」


1020
ぺポリ礼拝堂のフレスコ画は、プロスペロ・フォンターナ(ボローニャ、1512‐1597)によって1551年に制作されました。


1021
ジュンタ・ピサーノ(ピサ、1190/1200c-1260c)の「彩色磔刑像」


1022
これは有名な祭壇画です。


1023
フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457-フィレンツェ、1504)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1501)


1024
Cappella del Rosario


1025
ロザリオの聖母の祭壇


1026
ロザリオ礼拝堂にある、グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の墓


1027
Cappella dell' Arca


1028
Cappella dell' Arcaのクーポラ


1029
Cappella dell' Arcaのフレスコ画は、グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「聖ドメニコの栄光」(1613-16)


1030
主祭壇と後陣


1031
主祭壇画は、バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「マギの礼拝」


1032
グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「聖トンマーゾ」(1662)


1033
制作者情報不知のフレスコ画「アクイーノの聖トンマーゾと聖ベネデット」
外に出ました。


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歴史的建造物です。


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16世紀に建設されたCasa Beroです。


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ロココ調の天井フレスコ画が見物です。


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(つづく)

P1010280
Piazza del Nuttunoです。曇ってますが、午後から晴れました。


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ジャンボローニャの「ネプチューンの噴水」は健在でした。


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Palazzo dei Banchiです。


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リッツォ―リ通りとインディペンデンツァ通りの交差点付近は何時も人通りが多い。


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Biblioteca SalaborsaとなっているPalazzo d' Accursioです。
建物の名称の由来は、法学者のAccorso da Bagnolo detto Accursio(インプルネータ、1184‐ボローニャ、1263)がこの場所の一角に自己の邸宅を建設したからです。市庁舎を建設するために、13世紀末にAccursio家からボローニャ市が購入し、邸宅を組み込みながら、増築拡大して現在の規模になりました。


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Piazza del Nuttunoを挟んで、Palazzo d' Accursioの向かいにあるPalazzo di Re Enzo エンツォ宮です。


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政治家でグエルファ党の指導者のフィリッポ・ウゴーニ(ブレーシャ、?‐ボローニャ、13世紀没)がポデスタ宮の延長として、1244年から1246年に建設したゴシック様式の建物です。


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マッジョーレ広場に面した方がポデスタ宮となります。


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エンリコ王宮の名称の由来は、建設者であるフィリッポ・ウゴーニとは無関係です。
シュヴァーベンのフェデリーコ2世(イエージ、1194‐フィオレンティーノ・ディ・プーリア、1250)の息子でサルデーニャ王のシュヴァーベンのエンツォ(クレモナ、1220‐ボローニャ、1272)に由来します。
1249年、シュヴァーベンのエンツォは、モデナ近くのフォッサルタでボローニャと戦った「フォッサルタの戦い」で戦い、敗れて捕らわれの身となりました。
エンツォは、戦後暫くしてからボローニャに移送され、1249年から、1272年に死ぬまでの23年間、この建物の一角に囚人として過ごしたのです。そのため、この建物は何時しかエンツォ宮と呼ばれるようになったのです。


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エンツォ王は、ボローニャのサン・ドメニコ聖堂に葬られました。


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1200年頃に建設されたPalazzo del Podestaです。


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元来、ロマネスク様式の建物でしたが、15世紀末にルネサンス様式に改修されました。現在の姿は、その改修後のものです。


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現在、Palazzo del Podestaは、展示会やイベント会場として利用されてます。


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これらの写真の大半は2012年の撮影です。


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サン・ペトロニオ聖堂のファサードが工事中でした。


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拝観しました。


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旧ボローニャ大学に行きます。


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旧ボローニャ大学は(その9)で書きました。


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小学生の校外学習と一緒でした。この頃から、ニーハオと挨拶されるようになりました。


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図書館になってます。


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図書館が多い方の街でしょう。


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サン・ペトロニオ聖堂の後陣です。


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次はサン・ニコロ・デリ・アルバーリ教会です。


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サン・ニコロ・デリ・アルバーリ教会にやってきました。


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1583年の文書に初めて記載された教会です。現在の建物は17世紀後半に再建された二代目となるものです。


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教会の右横が民有の建物になってます。


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ファサードの「バーリの聖二コラの浮彫」


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単廊式の内部です。


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詳細不知の「磔刑」


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ジュゼッペ・マリア・クレスピ(ボローニャ、1665‐1747)の「聖アントニオの誘惑」(1690c)


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詳細不知


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出来があまり良くないグイド・レーニ作「聖ミケーレ」の複製画でしょう。


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詳細不知


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Torre Azzoguidiです。


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アッツォグイディ家邸宅の塔として、12世紀後半に建設されました。ボローニャに20残る塔のうち、2番目に高い塔で、高さが61mあります。


729
写真右がボローニャの現存する塔の中で最も高い塔です。


727
地震が多いイタリアですが、意外にも塔が残っているのは何故でしょうか?


731
(つづく)

P1010227
この時は、飛行機でボローニャに入りました。空港から中央駅まで、バスで約25分ほどなので便利です。


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この建物が何なのか、未だに分かりませんが、ボローニャに来れば必ず写真を撮ってます。


P1010229
Via dell' Indipendenzaのポルティコです。ポルティコの写真だけでは、何処なのか分かりません。


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Via dell' Indipendenzaに面して立つ、アルナルド・ゾッキ(フィレンツェ、1862‐ローマ、1940)の「ジュゼッペ・ガリバルディのモニュメント」(1900)


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左折してVia del Falegnamiに入りました。


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サン・マルティーノ・マッジョーレ聖堂を目指しました。


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サン・マルティーノ・マッジョーレ聖堂です。
1227年に創建されたゴシック様式の建物ですが、15世紀から16世紀に修復改造されました。


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1293年、カルメル会修道士に引き渡され、同会の所有の教会となりました。


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現在のファサードは、1879年に再建されたものなので、他の部分とやや調和を欠いて新しく見えます。


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鐘楼は18世紀に再建されたものです。
1941年、教皇ピオ12世によってBasilica Minoreに格付けされました。


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中央扉上ルネッタのモザイクは19世紀のものです。


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サイドポータルの浮彫が有名です。


1000
フランチェスコ・マンツィーニの「聖マルティーノ」(1531)


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聖堂内に入りました。三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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この礼拝堂は必見です。


1001
フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ、1447‐1517)の「聖母子と聖人たち」
祭壇前飾りの「嘆き」はアミーコ・アスペルティーニの作品です。


1005
アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c‐1552)の「嘆き(十字架降下)」


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16世紀後半のトスカーナとエミリアで活動した逸名画家作「聖母子と聖アンナと巡礼者」(1590c)


P1010240
ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「聖ジローラモ」(1591)


1002
ロドヴィーコ・カッラッチとも呼ばれているようです。


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ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「聖母被昇天」(1506)


1003
この聖堂は傑作が揃ってます。


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主祭壇


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主祭壇画は、ジローラモ・シチオランテ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1521‐ローマ、1580)の「聖母子と聖人たち」(1548)


1004
主祭壇画


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c‐1399)の「ウミルタの聖母」


1007


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オルガン


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アルフォンゾ・トッレッジャンニの礼拝堂(1753)


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アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c‐1552)の「聖母子と聖人たち」(1510‐15)


1008


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詳細不知の「聖アンナと聖ジョアッキーノの邂逅」


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1352c‐1410c)の「聖母子」


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ドメニコ・リッツィ通称イル・ブルファフォルチの「天使たち」(16世紀)


1009
ドメニコ・リッツィについては殆ど知りません。


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急に明かりが消されてしまいました。


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ジローラモ・ダ・カルピ(フェッラーラ、1501‐1556)の「マギの礼拝」


1010
グエルチーノの作品が見つかりません。
外に出ることにしました。


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市庁舎です。


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市の美術コレクションとモランディ美術館に入館します。


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馬車で上れるようになっていた階段です。


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市の美術コレクションは紹介済みです。


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モランディ美術館の紹介は省略させて頂きます。


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(つづく)

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次に目指したのは市立劇場です。


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この日の夜に上演されるオペラをネットで予約したので、切符を受け取りに。ネットで予約すると、pdfの切符が送信されてくる場合もありますが、イタリアでは旧態依然の所が結構あります。


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サン・シジスモンド教会です。一度も拝観したことがありません。


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ザンボーニ通りに戻りました。


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ジュゼッペ・ヴェルディ広場


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市立劇場です。


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この日の演目は吉田裕史氏指揮の「フィガロの結婚」でした。吉田さんは、イタリアで非常に活躍している指揮者で、ボローニャ歌劇場オーケストラの芸術監督を務めています。


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サンタ・チェチリア祈祷所を拝観しました。


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写真右は、16世紀中頃に建設されたPalazzo Malvezzi Campeggiで、ボローニャ大学の学舎として使用されてます。


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サン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂です。


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旧修道院の建物です。キオストロには入らず。


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拝観しました。


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ルネッタ上のフレスコ画が更に劣化して、何が描かれているのか、全く分かりません。


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Piazetta Achille Ardigoです。ユダヤ人のゲットーがあった場所です。サン・ドナート教区教会はこの日も閉まってました。


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斜塔に来た訳ではありませんが、街の中心にある上に目立つので、写真を撮ってしまいました。


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サンティ・バルトロメオ・エ・ガエターノ聖堂


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斜塔の修復工事は殆どが終わっていましたが、一部継続されていました。


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ガブリエーレ・ブルネッリ(ボローニャ、1615‐1682)の「聖ペトロニオ像」(1682)


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塔に上るつもりがなかったので、上れるようになったのかは未確認です。


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リッツォ―リ通りの道路工事は完了して綺麗になっていました。


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次はマッジョーレ広場です。


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Via Orefici


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夏恒例の野外映画の準備は未だでした。


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市庁舎の時計が故障のようです。


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もう夕方ですが、午後2時10分ころを表示していました。


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サン・ペトロニオ聖堂の修復工事が完全に終わっていました。


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この時は拝観せず。


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市庁舎の修復工事も完了してました。


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ポデスタ館の工事も終わっていました。


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工事が終了して、落ち着きを取り戻したマッジョーレ広場でした。


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Palazzo dei Banchi


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Palazzo dei Notai


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時計が動いていません。


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鐘楼が見えるようになりました。


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あっりゃ! これは何ですか。


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修復工事はネプチューンの噴水に移りました。


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大掛かりな工事です。


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近くをうろつきます。


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イタリア人に人気のオブジェですが、私の趣味から外れます。


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ホテルに戻ります。


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国立絵画館に行けば、ボローニャの旅はほぼ終わったようなものです。


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立派な図書館です。


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エンツォ宮


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Via dell' Indipendenza


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ドゥオーモの修復工事も終わりました。


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(つづく)

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夕方になって再び晴れてきました。


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ドゥオーモは修復中でした。


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Via dell' Indipendenzaは、歩行者天国状態になっていました。


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Via dell' Indipendenzaに面して立つ、アルナルド・ゾッキ(フィレンツェ、1862‐ローマ、1940)の「ジュゼッペ・ガルバルディのモニュメント」(1900)


P1800514
この日はこれで終わりです。


P2200807
前の写真のほぼ1年後の6月1日です。


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Via dell' Indipendenzaは修復が終わって、綺麗に整っていました。


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何時ものように先ず国立絵画館に向かいました。


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ボローニャに来た最大の目的である国立絵画館にやってきました。


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入館するたびに、展示されている作品が微妙に変わってます。


P2200820
入館しました。
ボローニャ国立絵画館については既に取り上げました。ご興味のある方は、ご参照願います。


P2200870
シモーネ・デイ・クローチフィッシの作品


P2200927
ジョヴァンニ・ダ・ボローニャの作品


P2200970
ジョットの作品


P2200974
ロレンツォ・モナコの作品


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ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャの作品


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質の高い作品が多く、見応えがあります。


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チーマ・ダ・コネリアーノの作品


P2210211
アントニオ・ヴィヴァリーニの作品


P2210271
ロレンツォ・コスタの作品


P2210290
フランチェスコ・フランチャの作品


P2210348
ペルジーノの作品


P2210350
ラッファエッロの作品


P2210405
パルミジャニーノの作品


P2210448
ヤコポ・ティントレットの作品


P2210474
グイド・レーニの作品


P2210487
グイド・レーニの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


P2210524
アンニーバレ・カッラッチの作品


P2210579
ジョルジョ・ヴァザーリの作品


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ドメニキーノの作品


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グエルチーノの作品


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グエルチーノの作品


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何時もの作品を何時もと同じく見ても新たな感動がありました。


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全作品を観ることなく、時間切れで外に出されました。この日の翌日も入館しました。


P2210879
サンタ・マリア・マッダレーナ教会です。まだ一度も拝観したことがありません。


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国立絵画館前のヴィットリオ・プントーニ広場です。


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ザンボーニ通りの先のサン・ドナート門まで行ってみることに。特に目的はなしでした。


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ボローニャ大学の図書館?と思いますが・・・・・


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ボローニャ第3の城壁に設けられた、13世紀に築かれたサン・ドナート門です。


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門の付近は詰まらないので、ザンボーニ通りを絵画館方向に戻りました。


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(つづく)

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次は、ザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariです。


P1800154
バイク専用駐車場です。日本よりもバイクを利用する人が多いと思います。特にナポリ、フィレンツェ、ローマなどに愛好家が目立ちます。


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Monnalisaという店が多いのですが、その営業範囲は多岐に渡ってます。


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リッツォ―リ通りは、道路工事中でした。


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車の通行は完全に遮断されていましたが、通行人の便を全く考えていない所がイタリアです。歩道を真直ぐに歩くことが出来ず、道路を数回横切るようになっていました。


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エンツォ宮を通り過ぎます。


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エンツォ宮を過ぎると、通りと歩道は一部工事が完了していて歩き易くなっていました。


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Palazzo Ronzani


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リッツォ―リ通りから見ると「斜塔」が斜塔に見えません。


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道路の右側は完全に工事終了のようでした。


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見る位置によって随分印象が異なる斜塔です。


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広場の横から見るとかなり傾いていることが分かります。


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Palazzo della Mercanzia


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これから入館することになるザンベッカリ画廊は入館無料ですが、一時期、ボローニャ市立の美術館、博物館などが無料になっていました。何時しか有料化に戻ったようです。


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サンティ・バルトロメオ・エ・ガエターノ聖堂のロッジャでしょう。


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ザンベッカリ画廊はカスティリオーネ通りにあります。


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17世紀に建設されたPalazzo Pepoli Campograndeです。この建物内にザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariがあります。


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マルケ出身の上院議員で貴族のジャコモ・ザンベッカリ(1723‐1785)が収集した絵画、彫刻などを展示する画廊で、1788年にオープンしました。


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1884年、Palazzo Pepoli Campograndeと展示されていた作品は、ボローニャ国立絵画館の所有となりました。現在、ザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariは、ボローニャ国立絵画館の別館となってます。


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前述のように入館無料です。


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入館しました。係員を見かけることは滅多になく、私以外の入館者の姿を見たことがありません。冬季、雷雨で一時停電したことがありましたが、心細いというよりも不気味さを感じました。


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パラッツォ内のフレスコ画が見所です。
ザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariについては既に取り上げました。ご興味のある方はそちらをご参照願います。


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ソフォニスバ・アングィッソーラの作品
この画廊の存在をご存知の方は少ないように思います。


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チェーザレ・ジェンナーリの作品
中小都市のMuseo Civicoよりも質の高い作品が並んでます。


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カルロ・チニャ―リの作品


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ボローニャ派画家たちの作品が充実してます。


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ジュゼッペ・マリア・クレスピの作品


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リオネッロ・スパーダの作品


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ドメニキーノの作品


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エリザベッタ・シラーニの作品


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ドメニキーノの作品


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バルトロメオ・パッサロッティの作品


P1800384
デニス・カルヴァートの作品


P1800393
ジャコモ・フランチャの作品


P1800399
カルロ・ボノーニの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


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外に出ました。


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道を挟んでPalazzo Pepoli Campograndeの向かいにある建物です。


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Palazzo Pepoli Vecchioです。


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1344年に、ぺポリ家の邸宅として建設されたPalazzo Pepoli Vecchioには、1910年までぺポリ家が住んでいました。


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現在、Palazzo Pepoli Vecchioはボローニャ歴史博物館になってますが、この時間は閉まっていました。


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カスティリオーネ通りを斜塔の方に向かって戻ります。


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ザンベッカリ画廊でかなりの時間を過ごしたので、日が傾いていました。


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夕食にはまだ早すぎます。


P1800504
(つづく)

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ガルヴァーニ広場です。


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サン・ペトロニオ聖堂の後陣がガルヴァーニ広場に面してます。


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広場の名称の由来は、広場の真ん中にある電気化学者で、ボローニャ大学の卒業生で同大学の教授を務めたルイージ・ガルヴァーニ(ボロ-ニャ、1737‐1798)像があるからです。
広場に面して旧ボローニャ大学が建ってます。(Piazza Galvani 1)


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Palazzo dell' Archiginnasioのアーチを潜って中庭に出ます。


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Palazzo dell' Archiginnasio(旧ボローニャ大学)の中庭に入りました。


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11世紀に創立された、ヨーロッパ最古の大学であるボローニャ大学は、16世紀中頃まで街の様々な建物に分散していました。それらを一つの建物に統合する計画が持ち上がり、第224代教皇ピオ4世(ミラノ、1499‐ローマ、1565 教皇在位:1560‐1565)は大学統合計画を認可して、教皇使節聖カルロ・ボッロメオ枢機卿(アロナ、1538‐ミラノ、1584)をボローニャに派遣したのです。当時、教皇庁は中央集権化を目指しており、従来から教皇庁と一線を画したいボローニャ市当局に圧力をかけたかったようです。
建築家アントニオ・モランディ通称イル・テッリビッラ(ボローニャ、1508‐1568)に建築が委嘱され、1562年から1563年に建設されたPalazzo dell' Archiginnasioです。


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1803年、ボローニャ大学はPalazzo Poggiに移転して、この建物は大学棟としての役割を終了したのです。


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Palazzo Poggiです。


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大学が移転した後、小学校として使用されましたが、1838年から市立図書館が置かれるようになり、現在に至ってます。


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夏季の間、Palazzo dell' Archiginnasioの中庭でコンサートなどが行われてます。


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ロッジャを見て回ります。


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紋章、彫刻、フレスコ画などがロッジャにあります。


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詳細不知の紋章


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Iscrizione in onore di Carlo Borromeo


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これらの詳細がサッパリ分かりません。


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外に出ました。サン・ペトロニオ聖堂の左側壁です。


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外壁が修復工事中でした。


P1800145
サン・ペトロニオ聖堂は、先ほど拝観しました。


P1800146
お腹が空きました。


P1800147
エンツォ宮のアーチの先にジャンボローニャのFontana del Nettunoが見えてます。


P1800148
観光客らしく、観光客向けの普通のお味のトラットリアで昼食を食べました。


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マッジョーレ広場近くにお気に入りの店がありますが、ワインを飲まねばならないので、避けました。そこではビールだけという訳には行きません。


P1800150
Via Oreficiの各店はかなりの賑わいでした。


P1800151
(つづく)

P1790444
気温急上昇の中、強烈な日差しを避けて歩けるポルティコは有り難い限りでした。


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マッジョーレ広場はもう直ぐです。


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Biblioteca Salaborsa前の道路が工事中でした。


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Piazza Nettuno


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朝から人出が多かった。


P1790454
ボローニャに今いるのだ、と実感させる景観です。


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マッジョーレ広場は、夏恒例の野外映画会場になっていました。


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ジャンボローニャ(フランス、1529‐フィレンツェ、1608)とトンマーゾ・ラウレティ通称イル・シチリアーノ(パレルモ、1530c‐ローマ、1602c)の「Fontana del Nettuno」(1563‐66)


P1790459
フォンターナと図書館


P1790460
何時ものようにサン・ペトロニオ聖堂を拝観しました。


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この夜の上映は、カサブランカでした。


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上映開始21:45、無料ですが見ませんでした。DVDを持っているのでわざわざ見る必要を感じません。


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上映予定


P1790469
イサベッラ・ロッセリーニがこの夜の紹介者でした。


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ポデスタ宮は相変わらず修復工事中でした。


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サン・ペトロニオ聖堂横に建つPalazzo dei Notaiです。


P1790467
Palazzo dei Notaiと市庁舎


P1790461
Palazzo Comuneに2つの美術館があります。


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2年ほど続いた修復工事が終わったようです。


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市庁舎内にある「ボローニャ市の美術コレクション」に入館します。


P1790477
Palazzo Comunaleの中庭です。


P1790503
「ボローニャ市の美術コレクション」に入館しました。


P1790677
ヤコポ・ディ・パオロの作品
「市の美術コレクション」については、既に取り上げました。


P1790718
ヴィターレ・ダ・ボローニャの作品


P1790796
ティントレットの作品


P1790808
ルカ・シニョレッリの作品


P1790839
フランチェスコ・フランチャの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


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アントニオ・カノーヴァの作品


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「ボローニャ市の美術コレクション」から見た景観


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外に出ました。


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人出が前よりも増えていました。


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写真左は、1384年から1422年に建設されたPalazzo dei Notaiです。


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修復中の建物は、1200年頃建設されたPalazzo del Podestaです。


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次は、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・チェレスティーニ教会です。


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小さいながらも美術的に見所が多い教会として知られてます。


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残念! サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・チェレスティーニ教会は閉まっていました。


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1368年の創建です。現在の建物は1535年から1554年にかけて建設された二代目のものです。


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教会に隣接して、1560年から1561年に建設された修道院があります。既に宗教活動は停止しています。


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1257年に建設された、高さ30mのTorre de' Galluzziです。建設当初はもっと高かったそうです。


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塔に隣接してサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・フィオレンティーナ祈祷所があります。


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祈祷所横にあるフレスコ画


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(つづく)

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ソッツォ―リ通りです。写真左にマッジョーレ広場があります。


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ボローニャの街の中心マッジョーレ広場です。写真右端のエンツァ王宮は工事中でした。


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マッジョーレ広場の夏の風物詩である野外映画 Il Cinema Ritrovatoが開催していました。


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入場無料です。この夜は、上映開始間近に激しい雷雨があったので、どうなったのか分かりません。夕食を早めに切り上げてマッジョーレ広場に行く予定でしたが、雷雨を嫌って辞めました。


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次はサン・ペトロニオ聖堂です。


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1388年、Il Consiglio del Seicento del Comune di Bolognaは、街の守護聖人聖ペトロニオ司教(?、4世紀末生まれ‐ボローニャ、450)に奉献する市立教会建設を決めました。


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そうして1390年に創建され、1663年にゴシック様式の建物が完成しました。
市立教会なので、教皇庁の管理とは一線を画しており、司教座が置かれることなく現在に至ってます。


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ファサードの中央扉上ルネッタの彫刻は、ヤコポ・デッラ・クゥエルチャ(シエナ、1374c‐1438)の「聖母子と聖ペトロニオと聖アンブロージョ」(1425‐34)です。


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ファサードは未完成です。
拝観しましたが、この時は、中は写真不可で、私の写真が一枚もありません。現在は僅かな金額(€2)の写真券を買えば写真可となっているようです。
聖堂内に入ってから、僅か10分程で閉鎖の鐘が鳴らされたので、慌てて外に出ました。


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市庁舎も修復工事中でした。


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この時は、未だ野外映画を見るつもりでした。


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夕食を早めに切り上げてマッジョーレ広場に戻った方が良さそうです。しかし、それでもなお夕食の時間には少し早いと思いました。


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一旦ホテルに戻って出直す方が無難と思いました。


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ジャンボローニャ(フランス、1529‐フィレンツェ、1608)の「ネプチューンの噴水」
噴水自体は別の人の作品です。


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ボローニャのドゥオーモ、サン・ピエトロ大司教座教会です。


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駅方面に向かうVia dell' Indipendenzaです。


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Via dell' Indipendenzaに面した建物の装飾


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ホテルに戻りました。


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前夜のボローニャ到着予定でしたが、飛行機が遅れて早朝のボローニャ到着でした。


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前日夜にチェックインの予定でしたが、早朝の到着となると伝えてあったので、難なく部屋に入ることが出来ました。


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2時間ほど寝ただけで、目が覚めてしまいました。勿体ないので、朝の散歩に出発しました。


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ガッリエラ門


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ボローニャの市域拡大によって三番目の城壁が築かれましたが、その城壁の門です。


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門の橋下に中世の石弾が置かれています。


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門を潜りました。


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駅の北側にはあまり行ったことがありません。


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Scala della Montagnola


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美術的に見栄えがしないと思います。


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1331年から1332年に枢機卿によって建設されたCastello di Gallieraの遺跡です。反教皇庁のボローニャ市民によって1511年に破壊された城です。


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朝食のため、一旦ホテルに戻りました。朝食後、外に出たら晴れていました。


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Via dei Mille?


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朝の散歩のときは涼しかったのですが、急に気温が上昇。


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8月8日広場


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マッジョーレ広場に向かってます。


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何時も同じ通りを歩くのは気が利かないので、違った道を選択しました。


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ボローニャで迷うことはありませんが、わざわざいつもと違った道を歩いて迷子になったことが何度もあります。地図を持っていても迷うので困ります。イタリアでは通り表示が必ずありますが、自分のいる場所の通り名が分かっても、その通りを地図上で探すのが大変だからです。


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何時も場所に来ました。この建物名が分かりません。旧教会に思うのですが・・・・・


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Via Galliera


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Via dell' Indipendenzaに出ます。


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Via dell' Indipendenzaの柱廊を進みます。


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(つづく)

引き続きサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会です。
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八角形の柱に描かれている聖人は、ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484‐1557)とジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487‐1540)の兄弟の作品です。
二人はフランチェスコ・ライボリーニ通称フランチェスコ・フランチャの息子です。


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カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551‐ミラノ、1629)の「聖母子と2聖人」


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ベネデット・ジェンナーリ・イル・ジョーヴァネ(チェント、1633‐ボローニャ、1715)の「聖アニアーノ」
ベネデット・ジェンナーリはグエルチーノ工房にいた画家です。


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詳細不知


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c‐1410)の「安らぎの聖母」(15世紀)


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詳細不知


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詳細不知


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オルガン


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ジャコモ・フランチャとジュリオ・フランチャ兄弟のフレスコ画


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詳細不知


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この礼拝堂の祭壇画は必見です。


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ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1497)


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ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484‐1557)とジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487‐1540)の聖人のフレスコ画


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ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ファッロッピ通称ジョヴァンニ・ダ・モデナ(モデナ、1379?‐1455?)の「サルーテの聖母」(15世紀)


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聖人たちの彫像がありますが、私には制作者が分かりません。


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イラリオ・マッキオ(ボローニャ、17世紀活動)の「聖カルロ・ボッロメオ」(1628)


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ルカ・ロンギ(ラヴェンナ、1507‐1580)の「磔刑と聖マリア・マッダレーナ」(16世紀)


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フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588‐1649)の「キリストと聖ジャコモと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1712‐1781)に帰属する「磔刑と聖ピエトロと聖マッテオ」


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次の礼拝堂です。


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カルロ・アントニオ・クレスピ(ボローニャ、1712‐1781)に帰属する「聖家族」(1753)


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詳細不知


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エルコーレ・デ・マリア(サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェット、?‐1640c)の「受胎告知」
エルコーレ・デ・マリアはグイド・レーニの弟子でした。


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次の礼拝堂です。


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詳細不知


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルトゥシオ(ボローニャ、1577‐1644)の「聖母子と2聖人」


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詳細不知


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次の礼拝堂です。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「磔刑像を崇める聖フランチェスコ」(1645)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖ジローラモ」(1645)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖マリア・マッダレーナ」(1645)


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ヴィンチェンツォ・スピサネッリ(オルタ・サン・ジュリオ、1595‐ボローニャ、1662)の「聖母子と聖人たち」


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詳細不知


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詳細不知


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出入口


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外に出ました。


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すっかり夕方の佇まいになっていました。


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マッジョーレ広場に向かいます。


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もう夕食を食べている人がいました。


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(つづく)

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16世紀に建設されたCasa Montignaniです。


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1760年台、薬物商フェルディナンド・モンティニャーニがこの建物を購入して、現在の姿に改装しました。


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Palazzo Zagnoniです。Palazzo Spadaとも呼ばれてます。


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1414年に建設された建物に不具合があったようで、1540年に再建されました。1706年、ジュゼッペ・マリア・ザニョーニが購入し、その後、現在の姿に改造したそうです。


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Torresotto di Strada Castiglione


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この塔は、12世紀後半に築かれたボローニャ2番目の城壁の一部です。
カスティリオーネ通りからサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会に向かいました。


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通りに見えますが、何故かサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ広場と呼ばれてます。


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サント・ステファノ聖堂から徒歩2,3分の、広場の先にサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会があります。聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタに奉献する教会です。美術作品が多い教会として知られ、美術ファンにとっては必訪でしょう。


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伝統的に、433年、聖ペトロニオ司教(?、4世紀末生まれ‐450c没)によって建設された教会と言われてますが、伝説の域を脱していないとされてます。


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ほぼ確実とされているのは、5世紀にこの場所にあったモンテ・オリヴェート教会が前身という説です。


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最初にこの教会の存在が記載されたのは、1045年のボローニャの文書でした。


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1118年以前に、教会はCanonici regolari della Lateranenseの所有となり、1200年から1300年の間に修復、更に増築拡大されました。1286年にロマネスク様式に改造されました。


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最初の建物が経時劣化したので、1450年頃、後期ゴシック様式で再建されました。ルネサンス様式のファサードは1474年に建設されました。
写真右端は、修道院だった建物です。


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旧修道院のキオストロと回廊です。
1543年から1549年にかけて修道院が建設されました。1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院は閉鎖され、その後、修道院活動が再開されることなく現在に至ってます。


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ナポレオンの失脚後、修道院だった建物は裁判所、刑務所として使用され、やがて刑務所だけの使用となり、1984年まで刑務所でした。
刑務所の閉鎖後、建物は大改修されて1996年からボローニャ大学の一部になってます。


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ファサードの前に戻りました。


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ファサード入口扉上の彫刻は、ニッコロ・デッラルカ(dell' Arca)(?、1435c‐ボローニャ、1494)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタのシンボル」です。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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八角形の柱が目立ちます。


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交差ヴォールト


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内陣に彫刻があります。


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ジョヴァンニ・アンジェロ・デル・マイーノ(ミラノ、1475c‐パヴィア、1536?)とティブルツィオ・デル・マイーノ(パヴィア、1496‐1531記録 1536没)の「十字架とキリスト」
ティブルツィオ・デル・マイーノは、ジョヴァンニ・アンジェロ・デル・マイーノの弟子でした。


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左側廊


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Presbiterio


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彩色磔刑像と主祭壇画は必見です。


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プセウド・ヤコピーノ・ディ・フランチェスコ(ボローニャ、1360‐1383記録)の「彩色磔刑像」(14世紀中頃)


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ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「聖母戴冠と聖人たち」(1501)


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祭壇前飾りとして描かれたクリスト・ダ・ぺサリーニの「最後の晩餐」(1979)


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詳細不知


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詳細不知


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c‐1410)の「聖母子」(15世紀初頭)


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サンタ・チェチリア礼拝堂です。


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これは本物の複製画です。ナポレオン以前には本物がありました。


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クレメンテ・アルベーリ(ボローニャ、1803‐1864)の「ラッファエッロ作『聖チェチリアの光悦』のコピー画」(1560‐61)


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ラッファエッロ作品の写真です。
ボローニャ国立絵画館で展示されてます。


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1796年、イタリアに侵攻したナポレオン率いるフランス軍によって、サン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会から取り外され、フランスに持ち去られて1815年までルーブル美術館で展示されていました。


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右側廊


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詳細不知


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柱の所々にフレスコ画があります。
ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484‐1557)とジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487‐1540)によって描かれた聖人です。
二人はフランチェスコ・フランチャの息子で、ジャコモが長男、ジュリオが次男です。


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ジローラモ・ダ・トレヴィーゾ(トレヴィーゾ、1498‐ブローニュ、1544)の「我に触れるな」


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ピエトロ・ファチーニ(ボローニャ、1562‐1602)の「聖ロレンツォの殉教」(1590)
(つづく)

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