イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: エミリア・ロマーニャ州

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次は、ザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariです。


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バイク専用駐車場です。日本よりもバイクを利用する人が多いと思います。特にナポリ、フィレンツェ、ローマなどに愛好家が目立ちます。


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Monnalisaという店が多いのですが、その営業範囲は多岐に渡ってます。


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リッツォ―リ通りは、道路工事中でした。


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車の通行は完全に遮断されていましたが、通行人の便を全く考えていない所がイタリアです。歩道を真直ぐに歩くことが出来ず、道路を数回横切るようになっていました。


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エンツォ宮を通り過ぎます。


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エンツォ宮を過ぎると、通りと歩道は一部工事が完了していて歩き易くなっていました。


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Palazzo Ronzani


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リッツォ―リ通りから見ると「斜塔」が斜塔に見えません。


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道路の右側は完全に工事終了のようでした。


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見る位置によって随分印象が異なる斜塔です。


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広場の横から見るとかなり傾いていることが分かります。


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Palazzo della Mercanzia


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これから入館することになるザンベッカリ画廊は入館無料ですが、一時期、ボローニャ市立の美術館、博物館などが無料になっていました。何時しか有料化に戻ったようです。


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サンティ・バルトロメオ・エ・ガエターノ聖堂のロッジャでしょう。


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ザンベッカリ画廊はカスティリオーネ通りにあります。


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17世紀に建設されたPalazzo Pepoli Campograndeです。この建物内にザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariがあります。


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マルケ出身の上院議員で貴族のジャコモ・ザンベッカリ(1723‐1785)が収集した絵画、彫刻などを展示する画廊で、1788年にオープンしました。


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1884年、Palazzo Pepoli Campograndeと展示されていた作品は、ボローニャ国立絵画館の所有となりました。現在、ザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariは、ボローニャ国立絵画館の別館となってます。


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前述のように入館無料です。


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入館しました。係員を見かけることは滅多になく、私以外の入館者の姿を見たことがありません。冬季、雷雨で一時停電したことがありましたが、心細いというよりも不気味さを感じました。


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パラッツォ内のフレスコ画が見所です。
ザンベッカリ画廊 La Quadreria Zambeccariについては既に取り上げました。ご興味のある方はそちらをご参照願います。


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ソフォニスバ・アングィッソーラの作品
この画廊の存在をご存知の方は少ないように思います。


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チェーザレ・ジェンナーリの作品
中小都市のMuseo Civicoよりも質の高い作品が並んでます。


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カルロ・チニャ―リの作品


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ボローニャ派画家たちの作品が充実してます。


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ジュゼッペ・マリア・クレスピの作品


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リオネッロ・スパーダの作品


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ドメニキーノの作品


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エリザベッタ・シラーニの作品


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ドメニキーノの作品


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バルトロメオ・パッサロッティの作品


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デニス・カルヴァートの作品


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ジャコモ・フランチャの作品


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カルロ・ボノーニの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


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外に出ました。


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道を挟んでPalazzo Pepoli Campograndeの向かいにある建物です。


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Palazzo Pepoli Vecchioです。


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1344年に、ぺポリ家の邸宅として建設されたPalazzo Pepoli Vecchioには、1910年までぺポリ家が住んでいました。


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現在、Palazzo Pepoli Vecchioはボローニャ歴史博物館になってますが、この時間は閉まっていました。


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カスティリオーネ通りを斜塔の方に向かって戻ります。


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ザンベッカリ画廊でかなりの時間を過ごしたので、日が傾いていました。


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夕食にはまだ早すぎます。


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(つづく)

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ガルヴァーニ広場です。


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サン・ペトロニオ聖堂の後陣がガルヴァーニ広場に面してます。


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広場の名称の由来は、広場の真ん中にある電気化学者で、ボローニャ大学の卒業生で同大学の教授を務めたルイージ・ガルヴァーニ(ボロ-ニャ、1737‐1798)像があるからです。
広場に面して旧ボローニャ大学が建ってます。(Piazza Galvani 1)


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Palazzo dell' Archiginnasioのアーチを潜って中庭に出ます。


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Palazzo dell' Archiginnasio(旧ボローニャ大学)の中庭に入りました。


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11世紀に創立された、ヨーロッパ最古の大学であるボローニャ大学は、16世紀中頃まで街の様々な建物に分散していました。それらを一つの建物に統合する計画が持ち上がり、第224代教皇ピオ4世(ミラノ、1499‐ローマ、1565 教皇在位:1560‐1565)は大学統合計画を認可して、教皇使節聖カルロ・ボッロメオ枢機卿(アロナ、1538‐ミラノ、1584)をボローニャに派遣したのです。当時、教皇庁は中央集権化を目指しており、従来から教皇庁と一線を画したいボローニャ市当局に圧力をかけたかったようです。
建築家アントニオ・モランディ通称イル・テッリビッラ(ボローニャ、1508‐1568)に建築が委嘱され、1562年から1563年に建設されたPalazzo dell' Archiginnasioです。


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1803年、ボローニャ大学はPalazzo Poggiに移転して、この建物は大学棟としての役割を終了したのです。


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Palazzo Poggiです。


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大学が移転した後、小学校として使用されましたが、1838年から市立図書館が置かれるようになり、現在に至ってます。


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夏季の間、Palazzo dell' Archiginnasioの中庭でコンサートなどが行われてます。


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ロッジャを見て回ります。


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紋章、彫刻、フレスコ画などがロッジャにあります。


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詳細不知の紋章


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Iscrizione in onore di Carlo Borromeo


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これらの詳細がサッパリ分かりません。


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外に出ました。サン・ペトロニオ聖堂の左側壁です。


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外壁が修復工事中でした。


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サン・ペトロニオ聖堂は、先ほど拝観しました。


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お腹が空きました。


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エンツォ宮のアーチの先にジャンボローニャのFontana del Nettunoが見えてます。


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観光客らしく、観光客向けの普通のお味のトラットリアで昼食を食べました。


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マッジョーレ広場近くにお気に入りの店がありますが、ワインを飲まねばならないので、避けました。そこではビールだけという訳には行きません。


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Via Oreficiの各店はかなりの賑わいでした。


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(つづく)

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気温急上昇の中、強烈な日差しを避けて歩けるポルティコは有り難い限りでした。


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マッジョーレ広場はもう直ぐです。


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Biblioteca Salaborsa前の道路が工事中でした。


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Piazza Nettuno


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朝から人出が多かった。


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ボローニャに今いるのだ、と実感させる景観です。


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マッジョーレ広場は、夏恒例の野外映画会場になっていました。


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ジャンボローニャ(フランス、1529‐フィレンツェ、1608)とトンマーゾ・ラウレティ通称イル・シチリアーノ(パレルモ、1530c‐ローマ、1602c)の「Fontana del Nettuno」(1563‐66)


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フォンターナと図書館


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何時ものようにサン・ペトロニオ聖堂を拝観しました。


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この夜の上映は、カサブランカでした。


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上映開始21:45、無料ですが見ませんでした。DVDを持っているのでわざわざ見る必要を感じません。


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上映予定


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イサベッラ・ロッセリーニがこの夜の紹介者でした。


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ポデスタ宮は相変わらず修復工事中でした。


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サン・ペトロニオ聖堂横に建つPalazzo dei Notaiです。


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Palazzo dei Notaiと市庁舎


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Palazzo Comuneに2つの美術館があります。


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2年ほど続いた修復工事が終わったようです。


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市庁舎内にある「ボローニャ市の美術コレクション」に入館します。


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Palazzo Comunaleの中庭です。


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「ボローニャ市の美術コレクション」に入館しました。


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ヤコポ・ディ・パオロの作品
「市の美術コレクション」については、既に取り上げました。


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ヴィターレ・ダ・ボローニャの作品


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ティントレットの作品


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ルカ・シニョレッリの作品


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フランチェスコ・フランチャの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


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アントニオ・カノーヴァの作品


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「ボローニャ市の美術コレクション」から見た景観


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外に出ました。


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人出が前よりも増えていました。


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写真左は、1384年から1422年に建設されたPalazzo dei Notaiです。


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修復中の建物は、1200年頃建設されたPalazzo del Podestaです。


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次は、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・チェレスティーニ教会です。


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小さいながらも美術的に見所が多い教会として知られてます。


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残念! サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・チェレスティーニ教会は閉まっていました。


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1368年の創建です。現在の建物は1535年から1554年にかけて建設された二代目のものです。


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教会に隣接して、1560年から1561年に建設された修道院があります。既に宗教活動は停止しています。


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1257年に建設された、高さ30mのTorre de' Galluzziです。建設当初はもっと高かったそうです。


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塔に隣接してサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・フィオレンティーナ祈祷所があります。


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祈祷所横にあるフレスコ画


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(つづく)

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ソッツォ―リ通りです。写真左にマッジョーレ広場があります。


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ボローニャの街の中心マッジョーレ広場です。写真右端のエンツァ王宮は工事中でした。


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マッジョーレ広場の夏の風物詩である野外映画 Il Cinema Ritrovatoが開催していました。


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入場無料です。この夜は、上映開始間近に激しい雷雨があったので、どうなったのか分かりません。夕食を早めに切り上げてマッジョーレ広場に行く予定でしたが、雷雨を嫌って辞めました。


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次はサン・ペトロニオ聖堂です。


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1388年、Il Consiglio del Seicento del Comune di Bolognaは、街の守護聖人聖ペトロニオ司教(?、4世紀末生まれ‐ボローニャ、450)に奉献する市立教会建設を決めました。


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そうして1390年に創建され、1663年にゴシック様式の建物が完成しました。
市立教会なので、教皇庁の管理とは一線を画しており、司教座が置かれることなく現在に至ってます。


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ファサードの中央扉上ルネッタの彫刻は、ヤコポ・デッラ・クゥエルチャ(シエナ、1374c‐1438)の「聖母子と聖ペトロニオと聖アンブロージョ」(1425‐34)です。


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ファサードは未完成です。
拝観しましたが、この時は、中は写真不可で、私の写真が一枚もありません。現在は僅かな金額(€2)の写真券を買えば写真可となっているようです。
聖堂内に入ってから、僅か10分程で閉鎖の鐘が鳴らされたので、慌てて外に出ました。


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市庁舎も修復工事中でした。


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この時は、未だ野外映画を見るつもりでした。


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夕食を早めに切り上げてマッジョーレ広場に戻った方が良さそうです。しかし、それでもなお夕食の時間には少し早いと思いました。


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一旦ホテルに戻って出直す方が無難と思いました。


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ジャンボローニャ(フランス、1529‐フィレンツェ、1608)の「ネプチューンの噴水」
噴水自体は別の人の作品です。


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ボローニャのドゥオーモ、サン・ピエトロ大司教座教会です。


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駅方面に向かうVia dell' Indipendenzaです。


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Via dell' Indipendenzaに面した建物の装飾


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ホテルに戻りました。


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前夜のボローニャ到着予定でしたが、飛行機が遅れて早朝のボローニャ到着でした。


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前日夜にチェックインの予定でしたが、早朝の到着となると伝えてあったので、難なく部屋に入ることが出来ました。


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2時間ほど寝ただけで、目が覚めてしまいました。勿体ないので、朝の散歩に出発しました。


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ガッリエラ門


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ボローニャの市域拡大によって三番目の城壁が築かれましたが、その城壁の門です。


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門の橋下に中世の石弾が置かれています。


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門を潜りました。


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駅の北側にはあまり行ったことがありません。


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Scala della Montagnola


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美術的に見栄えがしないと思います。


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1331年から1332年に枢機卿によって建設されたCastello di Gallieraの遺跡です。反教皇庁のボローニャ市民によって1511年に破壊された城です。


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朝食のため、一旦ホテルに戻りました。朝食後、外に出たら晴れていました。


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Via dei Mille?


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朝の散歩のときは涼しかったのですが、急に気温が上昇。


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8月8日広場


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マッジョーレ広場に向かってます。


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何時も同じ通りを歩くのは気が利かないので、違った道を選択しました。


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ボローニャで迷うことはありませんが、わざわざいつもと違った道を歩いて迷子になったことが何度もあります。地図を持っていても迷うので困ります。イタリアでは通り表示が必ずありますが、自分のいる場所の通り名が分かっても、その通りを地図上で探すのが大変だからです。


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何時も場所に来ました。この建物名が分かりません。旧教会に思うのですが・・・・・


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Via Galliera


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Via dell' Indipendenzaに出ます。


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Via dell' Indipendenzaの柱廊を進みます。


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(つづく)

引き続きサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会です。
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八角形の柱に描かれている聖人は、ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484‐1557)とジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487‐1540)の兄弟の作品です。
二人はフランチェスコ・ライボリーニ通称フランチェスコ・フランチャの息子です。


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カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551‐ミラノ、1629)の「聖母子と2聖人」


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ベネデット・ジェンナーリ・イル・ジョーヴァネ(チェント、1633‐ボローニャ、1715)の「聖アニアーノ」
ベネデット・ジェンナーリはグエルチーノ工房にいた画家です。


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詳細不知


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c‐1410)の「安らぎの聖母」(15世紀)


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詳細不知


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詳細不知


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オルガン


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ジャコモ・フランチャとジュリオ・フランチャ兄弟のフレスコ画


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詳細不知


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この礼拝堂の祭壇画は必見です。


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ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1497)


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ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484‐1557)とジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487‐1540)の聖人のフレスコ画


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ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ・ファッロッピ通称ジョヴァンニ・ダ・モデナ(モデナ、1379?‐1455?)の「サルーテの聖母」(15世紀)


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聖人たちの彫像がありますが、私には制作者が分かりません。


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イラリオ・マッキオ(ボローニャ、17世紀活動)の「聖カルロ・ボッロメオ」(1628)


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ルカ・ロンギ(ラヴェンナ、1507‐1580)の「磔刑と聖マリア・マッダレーナ」(16世紀)


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フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588‐1649)の「キリストと聖ジャコモと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1712‐1781)に帰属する「磔刑と聖ピエトロと聖マッテオ」


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次の礼拝堂です。


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カルロ・アントニオ・クレスピ(ボローニャ、1712‐1781)に帰属する「聖家族」(1753)


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詳細不知


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エルコーレ・デ・マリア(サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェット、?‐1640c)の「受胎告知」
エルコーレ・デ・マリアはグイド・レーニの弟子でした。


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次の礼拝堂です。


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詳細不知


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルトゥシオ(ボローニャ、1577‐1644)の「聖母子と2聖人」


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詳細不知


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次の礼拝堂です。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「磔刑像を崇める聖フランチェスコ」(1645)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖ジローラモ」(1645)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖マリア・マッダレーナ」(1645)


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ヴィンチェンツォ・スピサネッリ(オルタ・サン・ジュリオ、1595‐ボローニャ、1662)の「聖母子と聖人たち」


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詳細不知


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詳細不知


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出入口


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外に出ました。


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すっかり夕方の佇まいになっていました。


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マッジョーレ広場に向かいます。


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もう夕食を食べている人がいました。


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(つづく)

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16世紀に建設されたCasa Montignaniです。


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1760年台、薬物商フェルディナンド・モンティニャーニがこの建物を購入して、現在の姿に改装しました。


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Palazzo Zagnoniです。Palazzo Spadaとも呼ばれてます。


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1414年に建設された建物に不具合があったようで、1540年に再建されました。1706年、ジュゼッペ・マリア・ザニョーニが購入し、その後、現在の姿に改造したそうです。


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Torresotto di Strada Castiglione


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この塔は、12世紀後半に築かれたボローニャ2番目の城壁の一部です。
カスティリオーネ通りからサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会に向かいました。


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通りに見えますが、何故かサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ広場と呼ばれてます。


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サント・ステファノ聖堂から徒歩2,3分の、広場の先にサン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会があります。聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタに奉献する教会です。美術作品が多い教会として知られ、美術ファンにとっては必訪でしょう。


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伝統的に、433年、聖ペトロニオ司教(?、4世紀末生まれ‐450c没)によって建設された教会と言われてますが、伝説の域を脱していないとされてます。


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ほぼ確実とされているのは、5世紀にこの場所にあったモンテ・オリヴェート教会が前身という説です。


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最初にこの教会の存在が記載されたのは、1045年のボローニャの文書でした。


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1118年以前に、教会はCanonici regolari della Lateranenseの所有となり、1200年から1300年の間に修復、更に増築拡大されました。1286年にロマネスク様式に改造されました。


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最初の建物が経時劣化したので、1450年頃、後期ゴシック様式で再建されました。ルネサンス様式のファサードは1474年に建設されました。
写真右端は、修道院だった建物です。


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旧修道院のキオストロと回廊です。
1543年から1549年にかけて修道院が建設されました。1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院は閉鎖され、その後、修道院活動が再開されることなく現在に至ってます。


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ナポレオンの失脚後、修道院だった建物は裁判所、刑務所として使用され、やがて刑務所だけの使用となり、1984年まで刑務所でした。
刑務所の閉鎖後、建物は大改修されて1996年からボローニャ大学の一部になってます。


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ファサードの前に戻りました。


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ファサード入口扉上の彫刻は、ニッコロ・デッラルカ(dell' Arca)(?、1435c‐ボローニャ、1494)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタのシンボル」です。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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八角形の柱が目立ちます。


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交差ヴォールト


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内陣に彫刻があります。


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ジョヴァンニ・アンジェロ・デル・マイーノ(ミラノ、1475c‐パヴィア、1536?)とティブルツィオ・デル・マイーノ(パヴィア、1496‐1531記録 1536没)の「十字架とキリスト」
ティブルツィオ・デル・マイーノは、ジョヴァンニ・アンジェロ・デル・マイーノの弟子でした。


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左側廊


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Presbiterio


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彩色磔刑像と主祭壇画は必見です。


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プセウド・ヤコピーノ・ディ・フランチェスコ(ボローニャ、1360‐1383記録)の「彩色磔刑像」(14世紀中頃)


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ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「聖母戴冠と聖人たち」(1501)


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祭壇前飾りとして描かれたクリスト・ダ・ぺサリーニの「最後の晩餐」(1979)


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詳細不知


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詳細不知


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c‐1410)の「聖母子」(15世紀初頭)


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サンタ・チェチリア礼拝堂です。


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これは本物の複製画です。ナポレオン以前には本物がありました。


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クレメンテ・アルベーリ(ボローニャ、1803‐1864)の「ラッファエッロ作『聖チェチリアの光悦』のコピー画」(1560‐61)


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ラッファエッロ作品の写真です。
ボローニャ国立絵画館で展示されてます。


P1250774
1796年、イタリアに侵攻したナポレオン率いるフランス軍によって、サン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会から取り外され、フランスに持ち去られて1815年までルーブル美術館で展示されていました。


P1260775
右側廊


P1260776
詳細不知


P1260706
柱の所々にフレスコ画があります。
ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484‐1557)とジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487‐1540)によって描かれた聖人です。
二人はフランチェスコ・フランチャの息子で、ジャコモが長男、ジュリオが次男です。


4
ジローラモ・ダ・トレヴィーゾ(トレヴィーゾ、1498‐ブローニュ、1544)の「我に触れるな」


P1260715
ピエトロ・ファチーニ(ボローニャ、1562‐1602)の「聖ロレンツォの殉教」(1590)
(つづく)

P1260570
ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1407から記録‐1467没)の「聖ペトロニオと聖ステファノの生涯」(15世紀)


46
以前は、三位一体教会にありました。


P1260574
ボローニャの逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(14世紀末)


P1260577
フェッラーラの逸名画家作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(15世紀後半)


P1260579
インノチェンツォ・ダ・イーモラ(イーモラ、1494‐ボローニャ、1548)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(16世紀前半)


P1260583
ボローニャの逸名画家作「聖母子」(14世紀)


P1260586
ヤコポ・ディ・パオロ(ボローニャ、1345c‐1430c)の「聖母子と聖人たちとピエタと受胎告知の多翼祭壇画」(14世紀末)


P1260589
多翼祭壇画です。


P1260596
誰の作品でしょうか?


P1260595


P1260592


P1260594


P1260598
ヴィターレ・ダ・ボローニャ派逸名画家に帰属する「聖フロニアーノ」(14世紀)


P1260603
ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480‐1542)の「聖ピエトロ」(16世紀前半)


P1260605
ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480‐1542)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(16世紀前半)


P1260602
ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480‐1542)の「ピエタ」


P1260607


P1260608
フェッラーラ派逸名画家作「園の祈り」(16世紀)


P1260611
詳細不明(説明シートなし)の「聖母子」


P1260612
リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1360‐1410)の「ピエタ」


P1260614
シエナ派逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナ」、「聖ジャコモ」(14世紀中頃)


P1260618
Museo Diocesanoの定番展示物


P1260619
逸名画家作「聖セバスティアーノ」(18世紀)


P1260621
詳細不明(説明シートなし)


P1260622
詳細不明(説明シートなし)


P1260623
詳細不明(説明シートなし)


P1260624
逸名画家作「聖ジローラモと聖アントニオ」(17世紀)


P1260626
エミリア派逸名画家作「嘆き」(15世紀)


P1260629
逸名画家作「十字架降下」(16世紀)


P1260631
ボローニャの逸名画家作「聖アントニオ」(17世紀)


P1260633
カッラッチ派逸名画家作「この人を見よ」(17世紀)


P1260635
逸名画家作「荊刑のキリスト」(17世紀)


P1260640
次は礼拝堂です。


P1260637
美術館に組み入れられた礼拝堂です。


P1260638
詳細不明


P1260642
マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648‐1729)の「聖家族と聖ベネデット」(18世紀初頭)


P1260645


P1260648
ボローニャの逸名画家作「ご訪問」(18世紀)


P1260650
ベルリンギエーロ・ベルリンギエーリ通称ベルリンギエーロ・ダ・ルッカ(ヴォルテッラ、1175c‐ルッカ?、1235/1236)の「嬰児虐殺」(13世紀)
この美術館の代表作品です。


P1260653
詳細不明(説明シートなし)


P1260657
詳細不明(説明シートなし)


P1260658
礼拝堂天井のフレスコ画(詳細不明)


P1260654
聖具類


P1260655


P1260656
小さな庭園があります。


P1260660


P1260661


P1260662


P1260663
美術館から外に出ます。


P1260664
キオストロ回廊に出ました。


P1260665
サント・ステファノ聖堂はこれで終わりです。


P1260666
ピラトの中庭を経由して外に出ます。


P1260667


P1260669


P1260676
サント・ステファノ広場に出ました。


P1260677
ボローニャの歴史を辿るには、サン・ペトロニオ聖堂よりもここに来た方が良いでしょう。


P1260678
(この項 おわり)

P1260508
キオストロ回廊にフレスコ画があります。


P1260509
「聖母子と2聖人」(詳細不知)


P1260530
2聖人は、聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ピエトロ?


47
こちらのフレスコ画はかなり古そうです。


48
詳細不明


P1260513
階上の壁の装飾を見ました。


P1260514


P1260529


P1260516
階上階の柱頭を見て行きます。


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劣化したので、一部複製された柱頭があるようです。


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P1260524


52


53


54


P1260525


P1260526


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キオストロから見た鐘楼


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ニャーゴがキオストロ回廊にいました。


P1260528
次は美術館です。


P1260504
こちらは出口のようです。


P1260531
こちらが美術館の入り口です。


P1260533
キリスト(中央)と聖ヴィターレ(左)と聖アグリコラ
1940年にオリジナルの浮彫は取り外され、美術館に収容されました。


P1260683
サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂の入り口扉上に浮彫がありました。現在はレプリカが置かれてます。


50
レプリカの浮彫(1940)


P1260537
詳細不知


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ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1407から活動記録-1467没)の「聖母子」(15世紀前半)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖母子」(14世紀中頃)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「トロサの聖ルドヴィーコ」(14世紀)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「磔刑と聖人たち」(14世紀)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖パオロと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ピエトロ」(14世紀)


P1260551
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖ベネデットと聖プロチドと聖シスト」(14世紀)


P1260554
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖ジャコモと聖アンドレアと聖バルトロメオ」(14世紀後半)


P1260557
詳細不知


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ボローニャの逸名画家作「修道院長聖人」(14世紀)


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トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「最後の晩餐」(15世紀)


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トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「聖人たち」(15世紀前半)


P1260566
トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「聖人たち」(15世紀前半)


P1260568
トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「ピエタのキリスト」(15世紀前半)
(つづく)

P1260447
ピラトの中庭に戻りました。第3小礼拝堂が開いてました。


P1260472
第3小礼拝堂です。


P1260475
祭壇に聖遺物が置かれている?


P1260473
フレスコ画があります。


P1260476
聖堂で買い求めた説明書には、この礼拝堂の記述がありません。


P1260477
詳細不明


P1260474
中庭に面した柱廊に出ます。


P1260668
次は、ピラトの中庭に面した、写真右のChiesa del Martyrium、別称三位一体教会です。


P1260465
三位一体教会の後陣外壁がピラトの中庭に面してます。


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ピラトの中庭に面した壁龕に描かれたフレスコ画(詳細不知)


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壁龕に描かれた「聖母戴冠」(詳細不知)


44
ピラトの中庭に面した入口から三位一体教会に入ります。


P1260478
中に入りました。


P1260479
4-5世紀にこの場所に設けられた殉教者の墓地が前身です。


P1260480
現在の5廊式の教会は、17世紀に建設されました。


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有名な「マギの礼拝」(1290-1370c)の彫刻


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14-15世紀のフレスコ画


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聖ピエトロ?(1370c)


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ゴシック様式のフレスコ画(詳細不知)


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ゴシック様式の「殉教聖人」のフレスコ画


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フレスコ断片


45


P1260492
詳細不明


P1260493
詳細不明


P1260494
ゴシック様式のフレスコ画


P1260495
詳細不明


P1260496
詳細不明


P1260501
詳細不明


P1260502
詳細不明


P1260503
三位一体教会の床


P1260485
次はキオストロ回廊です。


P1260505
キオストロ回廊に出ました。


P1260512
中世の回廊と呼ばれてます。


P1260507
ピラトの中庭よりも広いキオストロです。


P1260666
回廊は2階建てで、2階の殆どと1階の一部が修道院でした。


P1260510
ロマネスク様式の現存する回廊の1階(地上階)部分は、1000年以上前に建築されました。


P1260514
階上階(日本の2階)は、12世紀半ばにピエトロ・ダルべリコ(d’Alberico)(ボローニャ、12世紀活動)によって建築されました。
階上階は立ち入り禁止でした。


P1260506
キオストロに古井戸があります。


P1260511


P1260515
(つづく)

25
今回、(その3)では、構造図の6番がピラトの中庭で、その左側にある2つの小礼拝堂と5番のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂を取り上げます。


P1260455
ピラトの中庭に面した柱廊にある「Gallo di San Pietro」(14世紀)です。


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40
柱廊の壁のフレスコ画


P1260444
ピラトの中庭です。


P1260443
ピラトの中庭に面した柱廊に3つの小礼拝堂があります。


P1260446
第1小礼拝堂に入りました。祭壇画が取り外されていました。恐らく付属美術館に移されたように思います。


P1260457
第2小礼拝堂、Cappella Consolazioneに入りました。


P1260456
Cappella Consolazioneの祭壇に「聖母子と2聖人」のフレスコ画があります。
聖母子の方は痛みがありますが、2聖人とは制作された時期が違います。


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中央の「Madonna della Consolazione」(12世紀)


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逸名画家によるフレスコ画です。


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バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「聖ステファノ」


P1260461
バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「聖ロレンツォ」


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Cappella Consolazioneの天井フレスコ画もバルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)によって描かれました。
第3小礼拝堂は、20分後に開く予定となっていたので、後程入ることにしました。


P1260349
次は、サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂です。Basilica del Sepolcroの隣に建ってます。


P1260682
サント・ステファノ聖堂の中で最古の部分がサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂です。


P1260686
西暦80年から100年頃に建設されたエジプトの神イシスを祀る神殿がありましたが、4世紀頃に初期キリスト教会に転用されました。その後、6世紀にかけて拡大されたようです。


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聖ヴィターレと聖アグリコラは、ディオクレティアヌス帝の時代の304年頃、キリスト教の棄教を拒否してボローニャで殉教しました。
393年頃、ミラノの聖アンブロージョ司教が2人の遺体を発見し、2人の遺体をこの教会に移しました。それを機に、教会の名称が現在の呼称に変更されました。なお、2人の遺体はクリプタの主祭壇の下に置かれてます。
この教会に司教座が置かれていた時期がありました。


P1260684
ファサード上の彫刻「キリスト(中央)と聖ヴィターレと聖アグリコラ」


43
ファサード入口扉周囲の装飾


41
柱頭


42


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サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂に隣接する礼拝堂は閉まっていました。


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礼拝堂入口扉上ルネッタ上の彫刻(詳細不知)


P1260427
聖堂内に入りました。


P1260429
歴史の重みを感じさせます。三廊式です。


P1260428
右側廊に聖アグリコラが処刑された時に使われた十字架があります。


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聖アグリコラの十字架(4世紀)


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P1260425
右側廊


P1260433
左側廊


P1260434
柱にフレスコ画があります。


P1260435
祈る聖母?(詳細不知)


P1260436
詳細不知


P1260439
詳細不知の剥離フレスコ画


P1260440
左側廊の先端に聖ヴィターレと聖アグリコラの墓(7-11世紀)があります。


P1260442
墓の中は空です。聖ヴィターレと聖アグリコラの遺骨はクリプタの主祭壇下に置かれてます。


P1260692
サント・ステファノ聖堂の鐘楼


P1260680
一旦十字架教会に入ります。


P1260673
間違ったわけではなく、十字架教会を経由してピラトの中庭に戻るためです。


P1260675


P1260672
十字架教会のPresbiterio前から見た出入口方向


P1260669
ピラトの中庭に戻りました。
(つづく)

25
サント・ステファノ聖堂の配置図を再掲します。
今回、(その2)で取り上げるのは、上図の4番Basilica del Sepolcro、6番のピラトの中庭です。


P1260449
ピラトの中庭から見たBasilica del Sepolcroです。ファサードはサント・ステファノ広場に面してます。


P1260679
Basilica del Sepolcroは、(その1)で取り上げた十字架教会の隣にあります。


P1260681
ボローニャの守護聖人聖ペトロニオ司教(?、4世紀末-ボローニャ、450)がエルサレムのSanto Sepolcro Costantinianoを模して5世紀に建設させました。しかし、その建物は現存しません。


P1260685
10世紀、最初の建物は侵入したハンガリー人によって徹底的に破壊されてしまいました。11世紀、ベネデット会修道士が最初の建物の廃墟の上に再建した建物が現在見る姿の原形(殆ど同じ)となってます。


P1260452
11世紀から12世紀にかけて聖堂外壁の装飾が施されました。


30
外に置かれた石棺


31
ファサードの装飾


32


33


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聖堂内に入りました。


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説教壇と聖ペトロニオの墓です。


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復活祭の朝、聖ペトロニオの墓が開けられ、聖ペトロニオの聖遺物を拝むため、中を這って聖遺物の前に進みました。復活祭の朝の聖マリア・マッダレーナの故事に従い、ボローニャの売春婦たちが中を這いました。一説に拠れば聖マリア・マッダレーナは娼婦でした。


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天井


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天井を支える太い円柱が目立ちます。


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説教壇に上る階段


34
階段入口に置かれたライオン像


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1141年、聖ペトロニオの墓から聖ペトロニオの聖遺物が発見され、墓であることが立証されたのです。
ここにあった聖ペトロニオの聖遺物は、2000年、マッジョーレ広場のサン・ペトロニオ聖堂に移されてしまいました。


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説教壇の彫刻を鑑賞します。


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次はピラトの中庭と、中庭に面した柱廊です。


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ピラトの中庭は、737年から744年にかけてロンゴバルド族によって造られました。


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柱廊の先に鐘楼が写ってます。


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ピラトの中庭にある聖水盤


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柱廊の壁の彫刻


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P1260465
ピラトの中庭を挟んでBasilica del Sepolcroの向かいにあるChiesa del Martyrium


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P1260467
(つづく)

ボローニャの教会で必見のサント・ステファノ聖堂を取り上げます。
P2210919
「ボローニャの斜塔」からサント・ステファノ聖堂に向かいました。


P1260341
斜塔があるポルタ・ラヴェニャーナ広場から南東方向に走るサント・ステファノ通りに入りました。


P1260342
斜塔から聖堂がある広場まで徒歩5分ほどかかります。


P1260343
サント・ステファノ広場手前の写真右の建物は、1517年から1525年にかけて建設され、その後、さらに増設されたPalazzo Salina Amorini Bologniniです。


P1260344
サント・ステファノ広場の奥にあるのがサント・ステファノ聖堂です。


P1260345
広場に面して歴史的建造物ばかりが建ってます。


P1260346
写真左は、1455年に建設されたPalazzo Bolognini-Isolaniです。


P1260351
Casa Beccadelli- Bovi- Tacconi


P1260353
聖堂前から見た広場右の建物


P1260354
聖堂前から見た左側の建物


P1260352
聖堂前から見た、斜塔方向の広場全景


P1260348
サント・ステファノ聖堂、またはサント・ステファノ大修道院(Abbazia)と呼ばれるのは、幾つかの教会から成る集合体です。


P1260349
集合体全体がBasilica Minoreに格付けされてます。
説明ではよく分からないと思いますので、サント・ステファノ聖堂の配置図を示しておきましょう。


25
外部サイトから拝借したサント・ステファノ聖堂の地図です。敷地を含む建物全部を合わせたものがサント・ステファノ聖堂です。
1と3がChiesa del Crocifissoで、1が教会内陣、3がPresbiterioです。
2はクリプタです。
4は、Basilica del Sepolcroです。
5がBasilica dei Santi Vitale e Agricolaです。
6は、Cortile(庭)とPilatoです。
7は、Chiesa del Martyrium
8は、キオストロ
9,10の一部はChiesa della Bendaです。
10の一部、11,12がMuseoとなってます。


P1260358
この場所には、西暦80年から100年頃に建設されたエジプトの神イシスを祀る寺院がありました。伝説に拠れば、聖ペトロニオ司教(?、4世紀末生まれ-ボローニャ、450)によって、風化した寺院の上に建設されたのがサント・ステファノ聖堂の前身とされてます。
しかし、それは伝説とされており、最古の部分は、現在のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂の場所とされており、その場所に存在していた4世紀に建設された初期キリスト教会が前身と言うのが定説のようです。


P1260350
初めに十字架教会、Chiesa del Crocifissoから見て行きます。


P1260355
ロンゴバルド時代の8世紀に建設され、16世紀から17世紀にかけて改造されましたが、その改造後の建物が現在の姿とされてます。


P1260356
1488年に追加された説教壇


P1260357
ファサード入口扉上の装飾


26
ノーフラッシュならば写真を撮ることが出来ます。(サント・ステファノ聖堂内全てが写真OK)


P1260359
Chiesa del Crocifissoの中に入りました。


P1260362
Presbiterioとクリプタの一部が創建時のものです。


P1260361
右側壁
Presbiterioには、内陣から上ることが出来ませんが、クリプタ経由で入ることが出来ます。


P1260381
先ず、必見なのは彩色磔刑像です。


29
逆光なので、彩色磔刑像の写真をうまく撮るのは非常に難しいと思います。


28
仕方がないので、外部サイトから拝借した作品画像を載せておきます。
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「彩色磔刑像」(1380)
シモーネ・デイ・クローチフィッシの傑作です。


P1260363
主祭壇画も見物ですが・・・・・


P1260365
祭壇画、フレスコ画などを見て回ります。


P1260366
ピエル・フランチェスコ・チッタディーニ通称イル・ミラネーゼ別称イル・フランチェスキーノ(ミラノ、1616-ボローニャ、1681)の「聖ステファノの殉教」


P1260369
アンジェラ・テレーザ・ムラトリ(ボローニャ、1661-1708)の「聖マウロ・アバーテの奇跡」


P1260372
詳細不知


P1260374
詳細不知


P1260375
アレッサンドロ・ジュスベルティ(ボローニャ、1955-)の「聖ステファノ」(2013)


P1260377
逸名画家作「聖母子」(15世紀初頭)


P1260382
アンジェロ・ピオ(ボローニャ、1690-1770)の「ピエタ」(18世紀)


P1260383
フランチェスコ・カッチャネミーコ(ボローニャ、?-1542)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


P1260384
カッチャネミーコまたはカッチャネミーチとも呼ばれてます。


P1260386
ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1410から記録-1469没)のフレスコ画です。


P1260388
次はクリプタです。


P1260390
クリプタに下りました。


P1260391
8世紀に建設されたクリプタです。


P1260392
その後、何度も改修、修復を繰り返しました。


P1260393
クリプタの構造上、上部の荷重がかかるので強度的な問題から改修、修復は止むを得ないところです。


P1260397
クリプタの祭壇下に、聖ヴィターレと聖アグリコラの聖遺物(遺骨)が収められているそうです。


P1260394
逸名画家作「聖ペンタレオーネ」(18世紀)


P1260398
クリプタはサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会とも呼ばれてます。


P1260399
詳細不知


P1260401
パードレ・アンブロージョ・フマガッリ(カンビアーゴ、1915-1998)の「聖フランチェスカ・ロマーナ」


P1260404
フィリッポ・スカンナベッキ通称リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の作品です。


P1260406


P1260407
クリプタはこれで終わりです。
(つづく)

引き続きサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂です。聖堂内は写真不可なので、私の写真がありません。仕方がないので、外部サイトから写真を拝借して聖堂内の主な作品を載せておきます。以下12枚の写真が外部サイトから拝借したものです。
23
単廊式、ルネサンス様式の内部です。


15
この聖堂の最大の見所は、このべンティヴォーリオ礼拝堂でしょう。


14
ヤコポ・デッラ・クゥエルチャ(クゥエチェ・グロッサ、1374-シエナ、1438)の「アントン・ガレアッツォ・べンティヴォーリオの墓」(1438)


16
フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「べンティヴォーリオの祭壇画」


24



19
次はロレンツォ・コスタの寓意的フレスコ画です。


17
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「名声の凱旋」(1490)


18
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「死の凱旋」(1490)


25
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330-1399)の「彩色磔刑像」(1370)


20
バルトロメオ・パッサロッティ(パッセロッティ)(ボローニャ、1529-ローマ、1592)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1560-65)


21
ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴェルソルダ、1527-ミラノ、1592)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの受胎告知」(1551-53)


22
ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴァルソルダ、1527-ミラノ、1596)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの召命」(1551-53)


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サン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂から外に出ました。


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ザンボーニ通りを挟んでサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂の向かいにあるPalazzo Malvezzi Campeggiです。


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1500年頃に建設されたPalazzo Malvezzi Campeggiはボローニャ大学法学部の学舎として使用されてます。


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ロッシーニ広場


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歴史的建造物が大好きなので、それらを見ながら歩くと時間がかかります。


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16世紀の柱頭


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Piazetta Achille Ardigoです。この小広場はユダヤ人ゲットーがあったところで、写真右端にゲットー入口の門があります。


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サン・ドナート教区教会です。


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最初の建物の記録が残されていないようです。1210年の記録に、この教会の存在が初めて記載されたそうです。1454年に再建されましたが、1505年の大地震によって倒壊して廃墟になってしまいました。その後に再び建設され、18世紀に改造されて現在の姿になりました。


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ファサードのフレスコ画は、フランチェスコ・オルランディ(ボローニャ、1725-1769)によって1751年に制作されました。


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Piazetta Achille Ardigoに面して建っているのは、13世紀起源のPalazzo Malvasiaで、現在、ベスト・ウエスタン・ホテル・サン・ドナートとなってます。


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「ボローニャの斜塔」が見えてきました。


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写真右が高さ97mのTorre degli Asinelli、左が高さ48mのTorre Garisendaです。


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Torre degli Asinelliに上ることが出来ますが、この時は修復工事のため立ち入り禁止でした。エレベーターがないので、498段の階段を自分で上らねばなりません。


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二本の塔がある広場Piazza di Porta Ravegnanaに置かれているのは、ガブリエーレ・ブルネッリ(ボローニャ、1615-1682)の「聖ペトロニオ像」(1682)です。
この場所に置かれるようになったのは、2001年からです。ガブリエーレ・ブルネッリが「聖ペトロニオ像」を制作したのは、Arte dei Drappieriのためで、制作されてから約200年はArte dei Drappieriがあった場所に置かれていたそうです。1871年に、マッジョーレ広場のサン・ペトロニオ聖堂に置かれるようになりました。そこから再度移設されたのです。


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斜塔の先にあるのは、サンティ・バルトロメオ・エ・ガエターノ聖堂です。


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聖堂のロッジャ


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ロッジャから見た二本の塔


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1382年から1391年に建設されたゴシック様式のPalazzo della Mercanzia、別称メルカンティのロッジャです。


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Piazza della Mercanzia


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Via Santo Stefanoです。この後、サント・ステファノ教会に行く予定でしたが、その前に道草してサンタ・ルチア教会に行くことにしました。


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中世の頃、地表面積によって税額が決められていたので、空間有効利用の工夫として、このように上部拡大された建物を散見します。


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ポルティコが続きます。


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古そうな列柱


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サンタ・ルチア教会は、ボローニャ大学の講堂になっているのですが、この日は開く日と聞いていたのです。


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カスティリオーネ通りです。


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写真左に教会があります。


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サンタ・ルチア教会です。1866年に宗教活動を停止した旧教会です。


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432年、この場所に建設されたサン・ペトロニオ教会が前身です。903年、マジャール人の来襲の際、消失してしまいました。
1208年から1418年にかけて再建されました。ボローニャ市民は、より大きく立派な、街を守護する聖人のための聖堂を欲したことから、14世紀末にマッジョーレ広場にサン・ペトロニオ聖堂が建設されました。その完成と移転を機に奉献する聖人が聖ルチアに変更され、サンタ・ルチア教会と改称されました。


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ボローニャ大学の催事は終了したようで、扉が閉まっていました。残念!
未完のファサードです。


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16世紀、イエズス会の所有となり、1623年から1663年にかけて改造工事が行われ、バロック様式に改造されました。
1866年、イタリア統一戦争における軍施設として没収され、その後、一度も宗教活動が再開されることがありませんでした。
1873年、ボローニャ市当局の所有となりましたが、ボローニャ大学体育館に転用されました。1988年からボローニャ大学の講堂に改造されました。


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旧サンタ・ルチア教会に離接している建物です。


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(つづく)

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
新年になったばかりですが、来年の今頃はどうなっているだろうと、つい考えてしまいます。こんなことは人生で初めてです。
1
サンタ・チェチリア祈祷所は写真不可なので、外部サイトから拝借した写真を使用して、祈祷所の壁に描かれたフレスコ画を紹介することにします。
この写真を含めて、以下13枚の写真が外部サイトから拝借したものです。
フレスコ画のテーマは、「聖ヴァレリアーノとその妻聖チェチリアの物語」で、全部で10画面ありますが、ロレンツォ・コスタ、フランチェスコ・フランチャ、アミーコ・アスペルティーニなどによって1505年から1506年に制作されました。


2
祈祷所祭壇画は、フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「磔刑」


3
フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「聖チェチリアと聖ヴァレリアーノの結婚」(1505-06)


4
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「聖ヴァレリアーノと回心させる聖ウルバーノ」(1505-06)


5
ジョヴァンニ・マリア・キオダローロ(ボローニャ、1480c-1530c)とチェーザレ・タマロッチョ(ボローニャ、16世紀初め活動)に帰属する「聖ヴァレリアーノの洗礼」
ジョヴァンニ・マリア・キオダローロは、ロレンツォ・コスタの追随者でした。
チェーザレ・タマロッチョは、フランチェスコ・フランチャの弟子でした。


6
バルトロメオ・ラメンギ通称イル・バニャカヴァッロ(バニャカヴァッロ、1484-ボローニャ、1542)とビアージョ。プピーニ(ボローニャ、15世紀末生まれ-1575c没)に帰属する「天使によって戴冠される聖チェチリアと聖ヴァレリアーノ」


7
少し前までは、フランチェスコ・フランチャの作品と考えられていました。


8
アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c-1552)の「ヴァレリアーノとティブルツィオ兄弟の斬首」(1506)


9
アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c-1552)の「ヴァレリアーノとティブルツィオ兄弟の埋葬」(1506)


10
バルトロメオ・ラメンギ通称イル・バニャカヴァッロ(バニャカヴァッロ、1484-ボローニャ、1542)とビアージョ・プピーニ(ボローニャ、15世紀末生まれ-1575c没)の「預言者アルマキウスと議論する聖チェチリア」


11
ジョヴァンニ・マリア・キオダローロ(ボローニャ、1480c-1530c)とチェーザレ・タマロッチョ(ボローニャ、16世紀初め活動)に帰属する「聖チェチリアの殉教」(1505-06)


12
ロレンツォ・コスタ(フェッラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「貧しい人々に財産を寄贈する聖チェチリア」


13
フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「聖チェチリアの埋葬」(1505-06)


159
祈祷所のキオストロに出ました。


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次はサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂です。


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ベアート・ジョヴァンニ・ボーノ・ダ・マントヴァ修道士会は、1247年、聖ジャコモに奉献する教会と修道院の建設を決定しました。それに基づいて1267年から1315年に建設されたロマネスク・ゴシック様式の教会です。


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聖堂内に数多くの美術作品がありますが、残念ながら内部は写真不可となってます。
サン・ペトロニオ聖堂をはじめ、他の都市に比べるとボローニャの教会は写真不可の所が多いと思います。


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15世紀に建物の一部がルネサンス様式に改造されました。


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ファサード天辺のヴェネツィア様式の彫刻はMaestri Lombardi制作(1295)です。


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ファサード左(向かって)のフレスコ画
風雨、日光に晒されて経時劣化が著しく、聖人の特定が出来ません。


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入口扉上ルネッタのフレスコ画


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こちらの方は保存状態が良いと思います。(詳細不知)


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入口扉左右のライオン像


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ファサード横のポルティコに向かいます。


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ポルティコの壁にフレスコ画があります。


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かなり痛みがあるフレスコ画です。


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伝統的にトンマーゾ・フィリッピに帰属するとされてます。


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ポルティコ側にも聖堂への入り口があります。


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Basilica Minoreに格付けされてます。
聖堂内に入って拝観しましたが、前述のように写真不可なので、私の写真が一枚もありません。外部サイトから拝借して、一部の作品を(その4)で紹介することにします。


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後陣と鐘楼


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ファサード横に旧修道院の建物があります。


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旧修道院壁龕上部のフレスコ画


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写真左端の入り口からキオストロに入ることが出来ます。


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キオストロと回廊


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旧修道院の建物は音楽学校になってます。


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キオストロ回廊に置かれたベンチに座って、建物から流れる音楽を聴きながら暫し休息。


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(つづく)

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Via delle Belle Artiです。


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これ以上歩いてもVia delle Belle Artiには見所がありません。Via Zamboniの方が見所が豊富です。


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見所豊富なVia Zamboniです。


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ボローニャ貴族ポッジ家の邸宅として、1549年から1560年に建設されたPalazzo Poggiです。


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Palazzo Poggiは、ボローニャ大学の本部となっている他、幾つかのMuseoがあります。


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Museoに入館するためにPalazzo Poggiの階段を上りました。


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ところが、開館日の筈でしたが、何故か休館になってました。


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突発的な臨時休館はイタリアでは時々起きるので、驚くことではありませんが、予定が狂いました。


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Via Zamboniを挟んでPalazzo Poggiの向かいに、ボローニャ大学芸術学部の建物があります。


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芸術学部がある建物の壁に絵画があります。学生が描いた?


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面白いので暫し鑑賞。


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ボローニャ大学の学舎が並んでる通りです。


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Via Zamboniの先にサン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂があります。


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写真右のTeatro Comunaleに用事がありました。オペラの切符をネットで予約したので、切符を受け取ります。


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ヴェルディ広場


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1651年に建設されたマルヴェッツィ劇場が1745年に消失してしまったので、建築家アントニオ・ガッリ・ビビエーナ(1697-1774)の設計によって建築され、1763年にオープンしたボローニャ市立劇場です。


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ボローニャ歌劇場の本拠地です。


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特にモーツァルトのダ・ポンテ三部作が魅力的な歌劇場と思います。


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受け取った切符はコジ・ファン・トゥッテです。ナポリのサン・カルロ劇場で見た演出と同じでした。


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ボローニャ歌劇場は来日引っ越し公演をしたことがあります。


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夏の強烈日差しが、先ほど降った雨に濡れた道路を乾かして、大変な高湿度、高温となりました。


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Via Zamboniとヴェルディ広場を挟んで、市立劇場の向かいにある建物(旧べンティヴォーリオ厩舎)に描かれたフレスコ画が必見です。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・スピーニの「ピエタ」(1698)です。


153
ボローニャでは、このような案内板が完備されています。


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次はサンタ・チェチリア祈祷所です。


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サンタ・チェチリア祈祷所の入り口は、サン・ジャコモ・マッジョーレ聖堂横のロッジャにあります。


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サンタ・チェチリア祈祷所の入り口上に案内表示があるので、迷うことはないと思います。


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サンタ・チェチリア祈祷所に入って行く人がいました。


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中に入りました。ポルティコの壁にフレスコ画があります。


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写真右の赤い幕がある所が祈祷所の入り口です。


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オラトリオのポルティコの壁に描かれたフレスコ画を見ます。


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アミーコ・アスペルティーニの弟子によって描かれた部分がありますが、ポルティコのフレスコ画の作品帰属は明確になっていないようです。


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父なる神


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聖チェチリア


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保存状態があまり良くない部分


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祈祷所の中に入ります。中は写真不可です。


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祈祷所の外から撮った祈祷所内部の写真です。


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祈祷所の祭壇画は、フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ別称フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ?、1447/1449c-ボローニャ、1517)の「磔刑」です。
写真不可にも拘らず、外部サイトに祈祷所内部の写真があるのが不可思議(私が日本人とみて侮られていたのでしょう、私の写真は一枚もありません)ですが、ここは必見なので、それらの写真を無断拝借して(その3)に掲載することにしましょう。


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外に出ました。
(つづく)

大変な一年が過ぎようとしています。
今年は、ベートーヴェン生誕250年にあたり、演奏会に行く予定でしたが、コロナのために実現しませんでした。
ヴェネツィアのカーニバルが途中で中止され、封鎖された時には、今年の秋には何とかなるだろうと楽観視していました。見通しの甘さを痛感しています。
イタリアが遠くなる一方ですね。イタリアが身近に感じられずに、記事を書いている毎日です。
本年もお付き合いいただき有難うございます。
来年もどうぞよろしくお願い致します。

ボローニャは、人口392,696人(2019年11月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州の州都であり、同州ボローニャ県の県都です。
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前泊地がカステッラルクア―トだったので、最寄り駅のフィオレンツォ―ラ駅から列車でボローニャに向かいました。フィオレンツォ―ラ駅は、ピアチェンツァ~パルマ間にある快速列車が停車する駅です。


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フィオレンツォ―ラ駅を定時に発車しました。


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フィオレンツォ―ラ駅を発車した時、車内は写真のように空いてましたが、パルマ、レッジョ・エミリア、モデナで乗車する人が多く、ボローニャ手前ではほぼ満員状態になりました。


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快速列車なので、地上駅に到着しました。特急列車は大体地下駅の発着となるので、地上に上がるまで時間がかかります。


278
ボローニャは、美術的な見所が満載なので、毎年来ています。


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ボローニャ駅の駅舎です。


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この時は、駅前の写真左のホテルにしました。飛行機利用の場合、必ずこのホテルに泊まることにしています。


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荷物をホテルに預けてから、街歩きに出発しました。午前中にも拘らず雷鳴が聞こえてきました。晴れていたと思っていたのですが、ホテルから外に出ると、空は黒い雲に覆われていました。


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市域の拡大によって、城壁が拡張されましたが、第3の城壁に築かれたガッリエラ門です。


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私には教会のように見えます。恥ずかしながら、初めてボローニャに来た時、門と思わず教会の建物と思ってました。


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1200年頃に建設されたガッリエラ門は、戦争、紛争などで破壊、再建を繰り返しました。現在、見ることが出来るバロック様式のガッリエラ門は、1660年から1663年に建設されました。


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門の後方にガッリエラ城の遺跡があります。


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ボローニャに来たならば、真っ先に目指すのは国立絵画館です。


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国立絵画館は、開館日時が頻繁に変更されるので、要注意です。


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この時は、曜日によって午前のみ、午後のみの開館となっていて、ゆっくり鑑賞したい私としては困りものの絵画館となっていました。一回の旅で、絵画館に二回入館して写真を撮る日と鑑賞だけする日に分けているのが常でしたが、ボローニャ絵画館だけは、それが叶いませんでした。
展示作品が多いので、午前中に全作品の写真を撮るには時間が足りず無理でした。鑑賞も同じでした。
だから、一回のボローニャの旅で、写真撮るために2日、鑑賞するために2日、計4日必要だったのです。


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雷鳴が近くなると、やがて雨が降ってきました。


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ポルティコがどこまでも続くボローニャなので、急な雨でも歩き回るには支障がありません。


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恐らく教会だった建物と思いますが、詳しいことが分かりません。


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幸いにも雨が上がりましたが、雷鳴がまだ聞こえてきます。


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赤い煉瓦に染まる街ボローニャです。


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切りピザ店に立ち寄り、一切れ買い求めて食べながら国立絵画館へと急ぎました。閉館の午後2時まで頑張らないといけないので、エネルギー補給が必要でした。


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大学生が多いですね。イタリアの大学は、入学は容易、卒業は難しいと言われてます。
私が大学を卒業したのは、半世紀以上前ですが、勉強させられました。理工系でしたが、午後1時から実験が始まって、終わるのが午後9時過ぎ、自宅で実験レポートを書いて、それを15週やって僅か1単位でした。製図は、自宅で数日かけて仕上げて、15週かけて15点の墨入れ製図を提出して僅か1単位。卒業は、文科系も理工系も同じ124単位以上でしたから、割に合いませんね。


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ぽつぽつと雨が落ちてきました。


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夏でしたが、アルプスからの寒気が強くて、天気が安定しません。


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柱廊の突き当りを右折すれば、絵画館です。


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絵画館の建物です。雲の切れ間から強い日差しが照り付けてきました。


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国立絵画館にやってきました。強い日差しによって、雨に濡れた道路から水分が蒸発して、大変な湿気でした。


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入館しました。


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ボローニャの国立絵画館については、既に取り上げました。ご興味のある方はご参照願います。


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この絵画館の特徴はボローニャ派絵画の殿堂であることでしょう。日本では、ボローニャ派絵画はあまり人気がないように思えるのですが、如何でしょうか?


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グイド・レーニの作品


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ルドヴィーコ・カッラッチの作品


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アンニーバレ・カッラッチの作品


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グエルチーノの作品


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ドメニキーノの作品


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グエルチーノの作品


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途中で時間切れとなってしまいました。


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国立絵画館のパラッツォの中庭


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私が外に出るのを待ってます。


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閉館の30分くらい前に、係員から「そろそろ閉館の時間です」と言われます。


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閉館時間の10分前に外に出たら、すぐに扉が閉まりました。私が最終入館者だったようです。


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大勢の学生が絵画館がある建物の柱廊で座り込んでいました。


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直ぐに大粒の雨が落ちてきました。


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雨宿りを兼ねて、サンタ・マリア・マッダレーナ教会向かいにあるカフェで学生たちと昼食をともに。


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食べているうちに俄雨が上がりました。
(つづく)

P1130969
日曜朝のポポロ広場は静寂に包まれていました。
前日は、青空市のため、ポポロ広場全体の写真を撮れなかったが快晴でした。この日は、今にも雨が降り出しそうな悪天でしたが、広場全体の写真を撮れました。


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ポポロ広場に面して建つサンティ・アンナ・エ・ジョアッキーノ教会です。


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建築家ジャコモ・サッシ・ファッブリによって1663年に建設された教会です。中にクリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の祭壇画、フレスコ画があるようです。
観光案内所に事前リクエストをすれば、中に入ることが出来るようです。


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次はマラテスティアーナ要塞です。


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写真左にマラテスティアーナ要塞に通じる門があります。


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要塞への門が開いてました。


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現在の要塞は三代目です。


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門前から見たポポロ広場です。


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要塞への坂道を上り始めました。


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現在の要塞の西方にサヴィオ川が流れてますが、現在の要塞よりも西側にローマ時代後期に建設された”Castrum Romanum"がありましたが、その遺跡の上に”Rocca Antica"と呼ばれる最初の要塞が建設されました。


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”Rocca Antica"は、1000年頃のサヴィオ川の洪水によって起きた崖崩れで破壊されてしまいました。その後、”Rocca Antica”よりもサヴィオ川の稍々下流の丘に二番目の要塞”Rocca Vecchia"が建設されました。二番目の要塞にフェデリーコ・バルバロッサ(1122-1190)が暫く留まった記録が残されてます。


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要塞の城壁です。
二番目の要塞”Rocca Vecchia"は、1377年、ロベルト・ダ・ジネブラ枢機卿(後の対立教皇クレメンテ7世)が率いたブルトン軍(ブルターニュ地方)によって破壊されました。


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丘を上ってきました。


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現在の三代目のマラテスティアーナ要塞は、この地を支配していたマラテスタ家のガレオット1世・マラテスタ(リミニ、1300c-チェゼーナ、1385)が、1377年に破壊された”Rocca Vecchia"を基に、改装整備工事を1380年に開始し、ガレオット1世の死後、子孫に引き継がれ1477年に完成しました。


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チェーザレ・ボルジアに仕えていたレオナルド・ダ・ヴィンチが、1502年から1503年にかけて対大砲防御工事を行ったことでも知られてます。


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写真左に要塞の本丸?への入り口があります。


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要塞本丸と中庭に通じる門です。


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中庭に入りました。


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要塞の本丸?です。


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中に入ることが出来ますが、この時期は休館でした。


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夏季には中庭でコンサートなどが行われます。


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日曜朝にここに来た物好きは私一人でした。


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人の気配が全くありません。


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何もないので、中庭から外に出ました。


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要塞から下る道の途中で、サンタゴスティーノ教会の鐘楼が見えました。


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要塞を見上げる位置まで道を下ってきました。


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この頃は未だ足腰が丈夫でした。


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広場に下りてきました。


P1140001
この旅の前回、ここに泊まりました。観光するには絶好の場所にあります。メリットはそれだけ?


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お馴染みとなったポポロ広場です。


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空き過ぎも拍子抜けします。


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元々、Palazzo Albornozと呼ばれていた市庁舎です。


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14世紀半ば、スペイン出身のエジーディオ・アルボルノス枢機卿(スペイン、1310-ヴィテルボ、1367)によって建設されたので、Palazzo Albornozと呼ばれたのです。


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写真左の広場に進みました。


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アメンドーラ広場です。


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次はサンタゴスティーノ教会です。


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道の突き当りがサンタゴスティーノ教会です。日曜朝のミサがあるので、扉が開くと淡い期待を抱いていました。


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1252年、フランチェスコ会によって建設された修道院が前身です。その後、教会が併設されました。


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1457年、マラテスタ・ノヴェッロの妻ヴィオランテ・ダ・モンテフェルトロは、フランチェスコ会修道士にオッセルヴァンツァ教会を与え移住させ、アゴスティーノ会にこの場所にあった修道院教会に与えたのです。


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残念、サンタゴスティーノ教会は閉まっていました。


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譲渡を受けたアゴスティーノ会は、アゴスティーノ修道院教会と改称すると共に、1520年に改修工事を行いました。


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現在の姿は、1748年から1777年に再建されたものです。


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サンタゴスティーノ教会の鐘楼


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開く教会は限られてます。教会巡りは効率が悪いと思います。


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人通りがありません。


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次はサント・スピリト教会です。


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1694年から1695年に建設されたサント・スピリト教会です。


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現在の教会の後陣後方にあった、14世紀に建設された修道院が前身です。
ナポレオンの抑圧令によって閉鎖され、その後、宗教活動が再開されたことがない旧教会です。


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歴史的建造物です。


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修道院だった建物です。


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これで見たいものは大体見たようです。


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美術品が多いので、チェゼーナは私にとっては珠玉の街です。


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雨が強くなってきました。


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次の目的地ボローニャに向かいました。


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(おわり)

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道路を挟んで、サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会の向かいに劇場があります。


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チェゼーナ市立アレッサンドロ・ボンチ劇場です。
とうとう雨が降ってきました。


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1843年から1846年に建設されました。
市立劇場の名称はチェゼーナ生まれの名テノール歌手アレッサンドロ・ボンチ(チェゼーナ、1870-ヴィセルバ・ディ・リミニ、1940)に因んでます。


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ドゥオーモの方に向かいました。


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エミリア街道は、この辺ではガリバルディ通りと呼ばれてます。


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雨が急に強くなったので、ポルティコを歩きます。


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昼食を食べるまで快晴だったので、油断して傘を持っていませんでした。


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雨が小降りになったので、エミリア街道を歩きました。


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程なくドゥオーモの鐘楼と後陣が姿を現します。


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エミリア街道に築かれた街中でエミリア街道と呼ばれることは稀のようです。


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ドゥオーモのファサード前にあるジョヴァンニ・パオロ2世広場です。


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幸いにも雨が止んでくれました。


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ドゥオーモの中を覗いたら、土曜の夕べのミサの真っ最中でした。


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雨が何時強くなってもおかしくないので、ホテルに戻ることにしました。


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城壁外に向かうCorso Sozziです。


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かなり薄暗くなってきました。


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城壁と城門の代わりに建てられたBarriera Cavourが見えてます。


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この日は、これで終わりです。
友人との夕食のどんちゃん騒ぎがありますが、写真がありません。


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翌朝です。日曜日の朝なので、バスターミナルにはバスが一台もなかった。


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雨が落ちていませんでしたが、今にも泣き出しそうな曇天です。


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低い城壁です。


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車が走らず、人通りが殆どありません。


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日曜朝のミサまで、かなり時間があったので、聖堂内は信者が数名いただけでした。ゆっくりと拝観出来ました。


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チェゼーナの図書館に敬意を表して、もう一度図書館を見ます。


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Corso Mazziniのポルティコ


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Palazzo del Ridotto、ex-Palazzo del Podesta


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人出が少ないので、写真を撮るには絶好ですが、天気が良くないのが玉に瑕。


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Palazzo del Ridotto前から見たドゥオーモ


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マラテスティアーナ図書館


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ボッカクゥアットロ教会


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図書館は日曜休館です。


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マラテスティアーナ図書館の前に立つ彫像は、Maurizio Bufalini (チェゼーナ、1787-フィレンツェ、1875)です。イタリアの臨床医で、医学部の教授法で革命を起こしたことで有名です。


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こちらはRenato Serra (チェゼーナ、1884-モンテ・ポドゴーラ、1915)の頭像です。Serraは文芸評論家、作家です。


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Piazza Fabbriから見たPalazzo del Ridottoです。


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Palazzo del Ridottoの左側壁外観です。その先にサンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会が写ってます。


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Palazzo del Ridottoの市民の塔です。


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ポルティコを通ってポポロ広場に向かいました。


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突き当りに市庁舎が写ってます。


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日曜日は完全休業の市庁舎です。


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ポポロ広場


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マラテスティアーナ要塞


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マシーニの噴水(1588-91)


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(つづく)

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そろそろ昼食の時間です。


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チェゼーナは友人の方が良く知っているので、友人に店選びを任せました。


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アルビッツィ広場です。


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友人のお気に入りの店は休業でした。行き当たりばったりで適当に探すことにしました。


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突き当りにサンタ・キアーラ修道院だった建物があります。


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旧サンタ・キアーラ修道院の建物です。


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1233年から街の文書にサンタ・キアーラ修道院が記載されるようになりました。1540年に拡張され、現在の規模になりました。


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外壁にフレスコ画が残されてます。
身廊部分は1722年に再建されたそうです。


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ナポレオンのイタリア侵攻後の教会活動抑圧令に伴い、18世紀末に修道院活動が停止され、その後、一度も宗教行為が再開されることなく現在に至ってます。


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ドゥオーモ近くの、冴えないお店で昼食を食べました。料理がイマイチだったので、ワインをがぶ飲みする羽目に。


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昼食後、外に出たら雲が厚くなって、今にも泣き出しそうでした。
Contrada Uberti


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サン・ゼノーネ教会です。


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教会の存在が初めて記載されたのは、1292年の文書だそうです。現在の建物は、1764年に再建された二代目のものです。


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13世紀末に建設された鐘楼が今でも現役ですが、私の写真に写ってません。


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ソッツィ通りにあるPalazzo Ghiniです。


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この場所には、紀元前3世紀から2世紀に建設された建物があったそうです。それらの遺跡の上に建ってます。


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Palazzo Ghiniの入り口です。
チェゼーナの貴族ギーニ家の邸宅として1760年台に建設されました。


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ファサードが未完成?のようで、荒々しい感じがする外観です。


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次は市立絵画館です。


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アルベルティ―ニ通りを進みます。


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市立絵画館が置かれている旧サン・ビアージョ教会修道院の外壁までやってきました。


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市立絵画館の入り口です。
チェゼーナ市立絵画館については、既にアップしました。
ご興味のある方は下記サイトをご参照ください。
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/cat_352893.html


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旧サン・ビアージョ教会の鐘楼です。


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Via Aldiniを進みます。


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写真左の建物の先、その横に教会があります。


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サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


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セルヴィ・ディ・マリア教会とも呼ばれてます。
1233年にフィレンツェで設立されたSette Santi Fondatori修道会によって、1300年に建設されたサンタ・マリア・デイ・セルヴィ修道院が前身です。


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教会は15世紀後半に再建されましたが、18世紀前半には建物劣化が進み危険になってしまいました。現在の建物は1三代目となるもので、1756年工事着工、1765年に完成しました。


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1782年6月2日、第250代教皇ピオ6世(チェゼーナ、1717-フランス、1799 在位:1758-1799)によって奉献式が執り行われました。
ピオ6世は、ナポレオンのイタリア侵攻によってフランスに送られ、悲嘆のうちにフランスで死去しました。


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後陣と鐘楼


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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右側壁


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天井


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逸名画家作「聖母子」(16世紀)


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18世紀のエミリアの逸名画家作「聖ペッレグリーノを治すキリスト」


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詳細不知


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ジョヴァン・バッティスタ・バッランティ・グラツィアーニ(ファエンツァ、1762-1835)の「ピエタ」


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詳細不知


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逸名画家作「聖フィリッポ・べニツィの栄光」(17世紀末)


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後陣左壁の絵画を見ます。


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1514年に制作された「磔刑」と「聖セバスティアーノ」


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後陣右壁のジャンフランチェスコ・モディリアーニ(フォルリ、1590-1609活動記録)の「ピエタ」とリーヴィオ・モディリアーニ(フォルリ、1540c-1610c)派逸名画家作「受胎告知」


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ビックリです。カルロ・サラチェーニの作品が取り外されていました。
ガックリ、残念でした。


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取り外されていた作品の画像です。(外部サイトから拝借しました)
カルロ・サラチェーニ(ヴェネツィア、1585-1625)の「ペスト患者を見舞う聖カルロ・ボッロメオ」(1618)


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祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に祭壇をもう一度見ました。


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外に出ました。
(つづく)

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ポポロ広場の西端にサン・ドメニコ教会があります。
サン・ドメニコ教会は美術ファンにとって必訪です。
ナポレオンによるイタリア侵攻によって、多くの美術品がフランスに持ち去られましたが、チェゼーナも例外ではありませんでした。
ナポレオンの失脚後、フランスに持ち去られた作品の返還交渉が行われ、チェゼーナに戻された作品もあります。また、フランス軍によってチェゼーナの教会から取り外されたものの、フランスに移されずにチェゼーナの街中に散らばっている作品がありました。当時の教区司祭のドメニコ・パッソッキは、それらの作品の多くを集めて、サン・ドメニコ教会の礼拝堂や側壁などに掲げたのです。その結果、サン・ドメニコ教会は、今日「第2のアートギャラリー」と呼ばれるようになりました。


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サン・ドメニコ教会です。


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ドメニコ会修道士の聖ピエトロ・マルティーレ別称ピエトロ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1205c-セベソ、1252)は、死の直前、現在サン・ドメニコ教会が建っている場所で説教を行いました。
彼の死後、説教が行われた場所に修道院建設が計画され、1279年にサン・ピエトロ・マルティーレ修道院が完成し、1280年に奉献式が行われました。
15世紀に修道院に隣接してサン・ピエトロ・マルティーレ教会が建設されました。


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17世紀末、修道院と教会の建物は経時劣化のため継続使用が困難となりつつあったので、その再建が布告されました。


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チェゼーナの建築家ジョヴァンニ・フランチェスコ・ゾンディ―ニに再建工事が委嘱され、彼の設計によって1707年から1727年にかけて修道院と教会が再建されました。
教会の再建が一応の完成を見た1722年に奉献式が執り行われ、それを機にサン・ドメニコ教会と改称されました。


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写真左が修道院だった建物です。
ナポレオンのイタリア侵攻によって、修道院活動が抑圧され、1811年まで孤児院となりました。その後、旧修道院の建物は市立病院に転用され、1911年から現在に至るまで学校の校舎となってます。


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教会内に入りました。


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単廊式、後期バロック様式の内部です。


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左右の側壁に礼拝堂が各3つづつあります。


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半円形の後陣です。


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カウンターファサードに絵画が4点あります。


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クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の「キリストとサマリア女」


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アンドレア・マイナルディ通称イル・キアヴェジーノ(クレモナ、1550c-1617)の「聖アルデブランドの奇跡」(1678)


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アンドレア・マイナルディ通称イル・キアヴェジーノ(クレモナ、1550c-1617)の「悪魔に取りつかれた男を介抱するキリスト」


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クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の「悪魔に取りつかれた男を解放する聖ウバルド」(1629c)


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クリストフォロ・サヴォリーニ(チェゼーナ、1639-1677)の「聖ドメニコの祭壇画」(1671)


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エミリアの逸名画家作「キリストの埋葬」(16世紀)


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フランチェスコ・アンデリーニの「永遠なる父と聖人たち」(18世紀)


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聖母の祭壇です。


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「授乳する聖母」(15世紀)を取り囲んでフランチェスコ・アンデリーニの「聖母の物語」(17世紀)が15場面描かれてます。


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15世紀の逸名画家作「授乳の聖母」


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フェリーチェ・トレッリ(ヴェローナ、1667-ボローニャ、1748)の「聖母子と聖カルロ・ボッロメオ」(1716)


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ジャンフランチェスコ・モディリアーニ(フォルリ、1590-1609)の「天上の聖母子と聖フランチェスコと聖ジローラモと聖ジョヴァンニ・バッティスタとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1602以降)


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フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「聖ペッレグリーノ・ラツィオージ」


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フランチェスコ・アンデリーニの「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(1731)


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18世紀の逸名画家作「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」


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ピエル・パオロ・メンゾッキ(フォルリ、1532-1589)の「マギの礼拝」


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クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の「聖ピエトロ・マルティーレの殉教」


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ジュゼッペ・チェーザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568-ローマ、1640)の「天上の聖母子と聖ドメニコと信者たち」(1601c)


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ボローニャの逸名画家作「聖母被昇天」(17世紀末-18世紀初頭)


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フェリーチェ・トレッリ(ヴェローナ、1667-ボローニャ、1748)の「聖母子と聖アンナとサレスの聖フランチェスコ」(1716-17)


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16世紀後半の「磔刑像」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラッザーニ(1712-1791)の「天国のカギを聖ピエトロに託すキリスト」


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後陣祭壇画の写真をうまく撮れません。


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フランチェスコ・メンゾッキ(フォルリ、1532-1589)の「磔刑」


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作品帰属は全部分かってます。(私が)


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ビアージョ・ダントニオ・トゥッチ(フィレンツェ、1446-1516)の「ピエタのキリスト」(15世紀末)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラッザーニの「聖バルトロメオと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」、クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600-1689)の「聖パオロと祈るキリスト」(1635c)



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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラッザーニの「受胎告知」(1640c)


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まだまだ沢山ありますが、キリがないのでこの辺で終わりにします。


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外に出ました。
(つづく)

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引き続きドゥオーモです。
クリプタから内陣に戻りました。


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リーヴィオ・モディリアーニ(フォルリ、1540c-1610c)の「ジャンフランチェスキ・アウグストクスの物語」


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制作者情報不知の「大理石のポリッティコ」(1514-17)


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アントニオ・アレオッティ(アルジェンタ、1450以降-チェゼーナ、1530c)の「三位一体」(1509)


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カルロ・ゴッタルディの「聖セヴェーロ」(1490)


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16世紀のエミリアの逸名画家作「聖母子とパドヴァの聖アントニオ」


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Cappella della Madonna del Popolo


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Cappella della Madonna del Popoloのクーポラのフレスコ画は、コッラード・ジャクゥイント(モルフェッタ、1703-ナポリ、1766)の「ポポロの聖母」(1750)


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Cappella della Madonna del Popoloの主祭壇画は、バルトロメオ・ラメンギ通称イル・バニャカヴァッロ(バニャカヴァッロ、1484-ボローニャ、1542)の「ポポロの聖母」(1520)


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ロレンツォ・ブレーニョ(オスティーノ、1475/1485c-ヴェネツィア、1523)の「聖クリストフォロと聖レオナルドと聖エウスタキオ」(1514-17)


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制作者情報不知の「キリストの聖心」


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詳細不知


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逸名画家作「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(16世紀)


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逸名画家作「聖ロッコ」(16世紀)


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一旦、外に出ます。


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次はドゥオーモ博物館です。


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後陣の写真左にピンクぽい建物がありますが、それは旧サン・トビア礼拝堂で、その礼拝堂にドゥオーモ博物館があります。


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開館日時が限られており、それに合わせてチェゼーナへの旅程を決めたので、開館を確かめて安心しました。


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入館無料です。


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ドゥオーモ博物館の入り口です。美術的に必見の作品が数点あります。


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入館しました。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・ダ・リミニ(リミニ、1441-ボローニャ、1470)の「玉座の聖母子」


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最近、修復されたようです。


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パオロ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィア、1300-1365)の「玉座の聖母子」(1347)


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ジローラモ・ジェンガ(ウルビーノ、1476-1551)の「受胎告知」(1516-18)


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礼拝堂クーポラ


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礼拝堂天井


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ジローラモ・フォラボスコ(パドヴァ、1604-1679)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(福音書記者聖ヨハネ)に顕現する聖母」


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詳細不知


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昇階誦


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詳細不知


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詳細不知


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Museo Diocesanoの定番展示物


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聖具類


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ベネデット・ジェンナーリ(チェント、1563-1610)の「キリストの洗礼」(17世紀)


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同名の孫ベネデット・ジェンナーリ(チェント、1633-ボローニャ、1715)も画家でしたが、この作品は祖父、孫のどちらの作品でしょうか?


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詳細不知


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シピオーネ・サッコ(ソリアーノ・アル・ルビコーネ、1495-チェゼーナ、1558)の「聖グレゴリオ・マーニョに顕現する聖母子」(1542)


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逸名画家作「教皇ピオ7世の肖像」
第251代教皇ピオ7世(チェゼーナ、1742-ローマ、1823 在位:1800-1823)


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逸名画家作「教皇ピオ6世の肖像」
第250代教皇ピオ6世(チェゼーナ、1717-フランス、1799 在位:1758-1799)
ピオ6世、ピオ7世と、チェゼーナ生まれの教皇が2代続きましたが、ナポレオンのイタリア侵攻によって受難続きでした。


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(つづく)

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チェゼーナのドゥオーモです。


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チェゼーナ=セルシーナ司教区の司教座が置かれたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ大聖堂です。


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1960年、第261代教皇ジョヴァンニ23世(ヨハネ23世)(ソット・イル・モンテ、1881-ヴァティカン、1963 在位:1958-1963)によってBasilica Minoreに格付けされました。


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14世紀第3四半世紀まで、チェゼーナの司教座教会はマラテスティアーナ要塞内部にありましたが、不便ということで、別の場所に司教座教会の建物新築の話が持ち上がりました。
その企画は、1378年、第202代教皇ウルバーノ6世(イトリ、1318c-ローマ、1389)によって認可されました。


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リミニとチェゼーナの支配者アンドレア・マラテスタ(1373-1416)の資金負担によって、建築家Canton Undervaldo(恐らくスイス出身)の設計、工事監督下で1385年に工事着工、1405年に完成したロマネスク=ゴシック様式の教会です。


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ファサードは、マウロ・コドゥッシ(レンナ、1440-ヴェネツィア、1504)の設計によって15世紀末に完成しました。


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後陣


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鐘楼は、ルガーノ出身の建築家マーゾ・ディ・ピエトロの設計によって1443年から1456年に建設されましたが、現在の鐘楼はオリジナルのものとは少し違います。


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1741年から1753年にかけて聖堂全般の改造工事が行われましたが、その際、鐘楼が高くされ、現在の72mの高さとなりました。


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入口扉のブロンズ彫刻を見ます。


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15世紀末に完成したファサードの入り口にもブロンズ彫刻がありましたが、経時劣化による損傷が激しく使用不能となったので、2000年に現在のブロンズ彫刻の扉に置き換えられました。


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イラリオ・フィオラヴァンティ(チェゼーナ、1922-サヴィニャーノ・スル・ルビコーネ、2012)によって2000年に制作されたブロンズ製扉


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ブロンズ彫刻のテーマは「聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)の物語」です。


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入口扉横の柱の彫刻


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柱頭


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ヴィンチェンツォ・ゴッタルディの「聖母子」(1510)


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左側壁横にある、レオナルド・ルッキ(チェゼーナ、1952-存命中)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)像」


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右側壁


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写真右はサン・トビア礼拝堂です。


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サン・トビア礼拝堂にドゥオーモ博物館が置かれてます。


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ロマネスク・ゴシック様式の内部です。


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ギリシャ十字形のように見えますが、左翼廊があるものの、右側には翼廊がありません。


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木組み梁の天井


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左側廊


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右側廊


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「San Zenoneの磔刑像」(15世紀)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ブレーニョ(オステーノ、1455c-ヴェネツィア、1520c)の「コルプス・ドイーニの祭壇」(1505)


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コルプス・ドイーニの祭壇は非常に有名です。


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詳細不知


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ピエル・ジャコモ・ベッカリーニの「ポポロの聖母」
この画家については存じません。


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主祭壇と後陣


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後陣左側壁にあるジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716?-チェゼーナ、1798)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」(1782)


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後陣右側壁にあるジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716?-チェゼーナ、1798)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1782)


1
クリプタに入りました。


3
聖マウロの聖遺物


2
(つづく)

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再び街歩きに出発しました。


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少し雲が出てきました。


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城壁です。チェゼーナは城壁がかなり残っている街です。


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城壁沿いのViale Gaspare Finaliです。


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城壁が築かれた頃は、地表からの城壁の高さはもっと高かったとされてます。


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通りの名称はこの彫像が置かれているからでしょう。Gaspale Finali(チェゼーナ、1829-マッラーディ、1914)は、地元出身の大臣、上院議員などを歴任したイタリア王国の政治家です。


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旧市街の入り口Barriera Cavourに来ました。


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旧市街のソッツィ通りに入りました。次はサンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会です。


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サンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会です。小さな教会ですが、かって主祭壇を飾っていた素晴らしい作品の残念な歴史があるのです。


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この場所にシナゴーグがありましたが、1656年にキリスト教会に変換されました。教会を所有することになったConfraternita del Suffragioは新たな建物を望み、ボッロミーニの弟子ピエル・マッティア・アンジェローニの設計、工事監督によって1685年から1689年に再建されたバロック様式の建物が現在の姿となってます。


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Palazzo del Ridottoのほぼ向かいにあります。


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教会内に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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右側壁


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スタッコ彫刻による装飾


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フランチェスコ・カッリガーリによる装飾


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フランチェスコ・カッリガーリの彫刻


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主祭壇画を見ます。


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コッラード・ジャクゥイント(モルフェッタ、1703-ナポリ、1765)の「聖母の誕生と聖マンツィオ司教」(1752)


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実は、この教会にあった主祭壇画は、ナポレオンのイタリア侵攻の際、フランス軍に没収されてしまったので、この作品に差し替えられたのです。
オリジナルの主祭壇画は、グエルチーノの「コルトーナの聖マルゲリータ」でした。


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この教会にあった主祭壇画、ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「コルトーナの聖マルゲリータ」(1648)です。
フランス軍の没収された本作品はパリに持ち去られ、一旦はルーヴル美術館で展示されていましたが、ナポレオンの没落後、返還交渉が行われたものの、この教会には戻らず、何とヴァティカンに移されてしまいました。
現在、この作品はヴァティカン絵画館で展示されてます。


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フランチェスコ・アンデリーニの「聖母子と聖人たち」(1751)


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フランチェスコ・カッリガーリの彫刻


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フランチェスコ・アンデリーニの「無原罪の聖母と聖人たち」(1751)


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フランチェスコ・アンデリーニのことは全く分かりません。


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詳細不知


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外に出ました。


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ポポロ広場に来ました。


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Palazzo Comunaleです。


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ポポロ広場が街の中心です。


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人出が一段と多くなってきました。


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青空市が開市されていたポポロ広場です。


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ポポロ広場にある、フランチェスコ・マシーニ(チェゼーナ、1532-1601)の「マシーニの噴水」(1588-91)です。フランチェスコは地元出身の画家、建築家です。


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マニエリスム彫刻の傑作とされている「マシーニの噴水」です。


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マラテスティアーナ要塞


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要塞がポポロ広場を見下ろしてます。


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青空市が賑わっていました。


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中国人が多数青空市に進出してます。逞しいです。


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(つづく)

チェゼーナは、人口97,025人(2019年10月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州フォルリ=チェゼーナ県の県都です。街の歴史は古く、紀元前5世紀にはウンブリア人の町があったとされてます。紀元前189年から187年に敷設されたエミリア街道に置かれたローマ軍の軍事基地の一つとして発展しました。
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前泊地はプラートでした。


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プラート中央駅からICの直通列車に乗車してチェゼーナに向かいました。車内は空気運搬の如く非常に空いてました。


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チェゼーナ駅にほぼ定時に到着しました。
チェゼーナは、ピアチェンツァ~フィデンツァ~パルマ~レッジョ・エミリア~モデナ~ボローニャ~イーモラ~ファエンツァ~フォルリ~リミニ~ペーザロ~ファーノ~セニガッリア~アンコーナの鉄道幹線上にあるので、鉄道利用がお勧めです。


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チェゼーナ駅の駅舎です。


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駅前に広いバスターミナルがあります。


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この日のお宿は、駅前広場に面したホテルです。


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ホテルに荷物を預けて身軽になったので、街歩きに出発しました。


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スーパーConadの本社はボローニャにありますが、営業部門の本部はチェゼーナにあるようです。


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陸橋です。


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JFK陸橋です。ケネディ大統領は、イタリアで人気なようで、道路や広場などの名称になってます。


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この日の午前中は快晴でした。
鉄道駅から旧市街まで意外に距離があって、徒歩で10分以上かかります。


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寄り道し過ぎで、ここまで来るには時間がかかってしまいました。ここは旧市街の入り口Barriera Cavourです。
この場所に城壁の門であるチェルヴェ―ゼ門がありましたが、イタリア統一を機に城壁と門が取り壊され、1864年にBarriera Cavourが新たに建設されたのです。


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旧城壁内のソッツィ通りに入りました。


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土曜日の午前中とあって、人出で多かった。


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先ずドゥオーモに行きます。Barriera Cavourから徒歩1~2分でドゥオーモに出ます。


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ドゥオーモです。この後、拝観しましたが、その内容については(その3)で纏めて触れることにします。


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ドゥオーモからジョヴァンニ・パオロ2世広場に出ました。


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ジュゼッペ・マッツィーニ大通り(Corso)を西に向かいます。


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チェゼーナ最大の見所である市民図書館を目指します。市民図書館はドゥオーモから徒歩2分くらいです。


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チェゼーナ市民の多くがイタリア統一運動に積極的に参加して、重要な役割を果たしたことで有名です。


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Palazzo del Ridottoです。


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1401年に建設されたPalazzo del Podestaです。


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第211代教皇パオロ2世(ヴェネツィア、1417-ローマ、1471 教皇在位:1464-1471)によって、1466年から1472年にかけてロッジャ、市民の塔などが増築され、名称が現在の名前に変更されました。


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Palazzo del Ridottoの後方にPiazza Fabbriがあります。


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Piazza Fabbriに面してマラテスティアーナ図書館があります。


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この日、図書館は休館でした。


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Condottieroだったドメニコ・マラテスタ通称マラテスタ・ノヴェッロ(ブレーシャ、1418-チェゼーナ、1465)によって、1452年にオープンした、ヨーロッパ最古の市民図書館です。


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図書館の建物は、建築家マッテオ・ヌーティ通称マッテオ・ダ・ファーノ(コルフィオリト、1405-ファーノ、1470)の設計によって1447年から1452年にかけて建設されました。


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図書館の建物の一部は考古学博物館になってます。


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この日は考古学博物館に入館しませんでした。


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Piazza Fabbriに面して建つボッカクゥアットロ教会です。


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1252年に建設されたサンタ・マリア・ナスチェンテ教区教会が前身です。1574年、Confraternita del Gofaloneの所有となり、現在の教会名称に変更されました。


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現在の建物は、18世紀に再建されたものですが、ファサードだけは19世紀前半に改造されました。


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さらに西に進みます。この辺ではVia Carbonariと呼ばれてます。この先に川が流れているだけ。


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17世紀の建物ですが、劣化が著しく解体されるかも知れません。


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東の方(ドゥオーモがある方)に戻ります。


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友人とホテルで待ち合わせしたので、一旦ホテルに戻ります。


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急ぐ必要がないので、勘を頼りに適当に歩き始めました。


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Barriera Cavourを越えて旧市街を後にします。


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Corso Cavour


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適当にぶらぶら歩きをして道に迷ったことが何度もあるのを思い出し、地図を見ながらホテルに戻ることにしました。


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(つづく)

引き続き、時計塔です。
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時計塔内部への入り口に向かいます。


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時計塔内部への入り口は、予想通り扉が閉まっていました。内部は通常一般非公開のようです。


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時計塔の下に行っても、近過ぎて却ってよく見えません。


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時計塔を取り囲む通路から絶景を楽しむのが最適と思いました。


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時計塔は鐘楼を兼ねていますが、鐘の音を聴いたことがありません。


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砦ならば、絶好の場所にあるので、その機能や目的が理解できますが、1850年に時計塔として、わざわざ再建された理由がよく分かりません。やはり、その目的は軍事的な監視機能だったと思うのですが・・・・・


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時計塔下の通路から見たマンフレディアーナ要塞とモンティチーノ聖域です。


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時計塔の影がスパーダ通りの建物に写ってます。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会


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オッセルヴァンツァ教会と旧オッセルヴァンツァ修道院


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スッフラージョ教会


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ロバの道が通っている建物


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リメンブランツェ公園


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鉄道駅


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遥か遠くにサン・ジョヴァンニ・イン・オッタ―ヴォ教会の鐘楼が見えます。


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下に下ります。


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朝の良い散歩になりました。


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もう年なので、再び時計塔に来ることはあるまいと思いました。


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上ったところで、たいして意味がありません。ブリジゲッラに来たならば、3つの山に登る、という自己満足でしかありません。


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右に行けば要塞に行けます。


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下りは流石に上りよりも楽でした。


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振り返って時計塔を見ました。


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要塞を若干見上げるようになりました。


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民家の横に来ました。


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次はロバの道です。


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Via delle Torreのアーチの壁にある、これは何でしょうか?


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ここからロバの道に入ります。この入り口の写真を撮るために、わざわざ一旦マルコーニ通りに出ました。


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Antica Via "degli Asini" o "del Borgo"です。


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ロバの道は、マルコーニ広場に面した建物の中にある高架道路です。


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ブリジゲッラの村を防衛するために、14世紀に築かれ防御壁沿いに設けられた巡回道路が前身です。


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1467年、ブリジゲッラを訪れたウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(グッビオ、1422-フェッラーラ、1482)によって、防衛上の理由から、防御壁と共に道路が建物内に組み込まれました。


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道の両端の階段を塞いでしまえば、堅固の要塞に直ぐに変身することが出来たのです。


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また、平時には、ブリジゲッラの主要産物である石膏を採石場から運ぶ道路として使用され、車を引いたロバが行き来することから、ロバの道と呼ばれました。


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写真左にはロバの厩舎がありました。


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旧ロバの厩舎は民家となってます。


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ロバ飼いは、ロバの道の上階に住んでいたそうです。


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ロバの道の出口近くです。


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ロバ車が置かれていた場所


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要塞と時計塔に行ける階段


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外に出ます。


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通りに出ました。


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これでブリジゲッラの主な見所は全部見たようです。


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お腹が空きました。


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ホテルの朝食が遅くて困りました。


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ホテルの朝食まで、未だ20分ほどありました。


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空きっ腹で暫し時間潰しです。


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旧ロザリオ教会


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スッフラージョ教会


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会の後陣


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朝食を済ませて、チェックアウトしてから駅に向かいました。


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列車を待つ乗客は、私を除いてわずか一人でした。


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次の目的地フィレンツェに向かいました。
(おわり)

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翌朝です。


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ホテルの朝食開始が午前9時なので、朝食前の散歩として時計塔に上ることにしました。


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昨夜は未明まで騒々しかったが、朝になると広場が綺麗に清掃されていたので驚きました。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会を通り過ぎました。扉は未だ開いてません。


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何度も往復して、最早お馴染みとなったVia Porta Fiorentinaです。


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Fontana Vecchiaの水が止まっていました。夜から朝までは水の節約のようです。


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突き当りのオステリア前を右折します。


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町の目抜き通りVia Nardiです。


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日曜日の朝なので、市庁舎には誰もいません。


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写真右を右折すればVia Recuperatiで、前夜夕食を楽しんだレストランがあります。


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美味で、価格がリーズナブルで、心地よいサービスと共に大いに楽しんだ夕食でした。


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ロバの道が続く建物手前の、市庁舎横を左折します。


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トッレ通りです。


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要塞にも行けるし、時計塔にも行けます。


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建物の下のアーチを潜ります。


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アーチの途中に祈りの場が設けられてます。


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祈りの場の、新しそうな「聖母子」


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Via del Trebbio


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階段を上ります。


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道はロッカに向かう道と時計塔に向かう道の2つに分かれ、時計塔に上る道を上ります。


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民家横の階段を上ります。


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徐々に視界が開けてきました。


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マンフレディアーナ要塞がはっきりと見えてきました。


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天気が良くてラッキー!!


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会です。


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オッセルヴァンツァ教会の鐘楼が見えてます。


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モンティチーノ聖域も写ってます。


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サン・フランチェスコ教会も写ってます。


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スッフラージョ教会です。


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要塞とほぼ同じ高さになりました。


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少し霞がかかってます。


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時計塔の下に来ました。


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遠くにサン・ジョヴァンニ・イン・オッタ―ヴォ教区教会の鐘楼が微かに写ってます。


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泊っているホテルの屋根が写ってます。


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オッセルヴァンツァ教会と旧修道院も写ってます。


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カメラの望遠機能を使わないと要塞と離れていることが分かります。


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時計塔に上ってきました。


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ロバの道がある建物が眼下に並んでます。


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まだ少し上る必要があります。程よい20℃くらいの気温だったので、汗ばむくらいで来ることが出来ました。


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ファエンツァとイーモラの傭兵隊長で、フォルリと対決することが多かったマギナルド・パガーニ・ダ・スジナーナ(パラッツォ―ロ・スル・セーニオ、1250-マッラーディ、1302)が1290年に建てた砦が前身です。
この砦は、マンフレディアーナ要塞と共に1500年までブリジゲッラとファエンツァの防衛上の拠点でした。


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その後、砦は数回破損して、その機能を失いました。
1850年、砦の廃墟の一部を利用して時計塔が建設されました。


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この時、時計は故障中でした。


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(つづく)

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引き続きオッセルヴァンツァ教会です。


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詳細不明


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右側壁の礼拝堂


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詳細不知


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詳細不知


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16世紀のフレスコ画


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇をもう一度見ました。


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左側壁の礼拝堂


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。マルコ・パルメッツァーノ、イル・バニャカヴァッロの作品が印象に残りました。


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古そうな建物です。


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16世紀から17世紀に建設されました。


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次はトー教区教会です。


6
サン・ジョヴァンニ・イン・オッタ―ヴォ教区教会、別称トー教区教会です。
大変古い歴史がある教会で、ローマ皇帝テオドシウス1世(347-195)の娘ガッラ・プラチーディア(コンスタンティノポリス、392-ローマ、450)が5世紀前半に、この場所に建てたGiove Ammoneに捧げた神殿を利用して、9世紀に建設されたロマネスク様式の教会です。


7
創建後、数度の修復を経て現在の姿になりました。高さ21mの鐘楼です。
残念ながら扉が閉まっていました。


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教会の周囲は緑一杯です。


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折角来たのだから、と思ってブラブラ歩きをしました。


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FSの線路を潜ります。


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建物の案内板にCopafと書いてあるのですが、意味が分かりません。


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農家があるだけで見どころが無さそうです。元に戻ります。


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列車が通過していきました。


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あちこち歩き過ぎで、流石に疲れてきました。


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ホテルに戻ります。


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大半の観光客が立ち去ったようで、静かでした。


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町のあちこちから見える時計塔


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遠くからバイクの音が聞こえてきました。


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Palazzo Legaです。


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すっかり夕方になりました。


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かなりの台数と思えるバイクの音が大きく聞こえました。


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バイクの音が急に止みました。


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見慣れてきたサン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会


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要塞が見えます。


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広場で催し物が行われるようです。


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先ほどのバイクの音はこれだったのです。


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再びバイクの音が聞こえてきました。


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結論を言えば、バイクの連中のバカ騒ぎと大音響の演奏が深夜まで続き、大変な夜を過ごすことになりました。


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ホテルに戻りました。
(つづく)

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サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会、またはオッセルヴァンツァ教会とも呼ばれてますが、地元では専らオッセルヴァンツァ教会が採用されてます。


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サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会、またはオッセルヴァンツァ教会です。


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1518年、第217代教皇レオ10世(フィレンツェ、1475-ローマ、1521 在位:1513-1521)によって認可された小さき兄弟たちの秩序(フランチェスコ会の一派)がその本拠地として1518年から1525年に建設した修道院と教会です。
1525年に奉献式が執り行われました。


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17世紀に改造され現在の姿になりました。
修道院は既に閉鎖されて、教会だけがその機能を維持してます。


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1520年に建設された鐘楼は17世紀に改造され現在の姿になりました。


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教会と修道院は鉄柵と塀に囲まれてます。


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毎日開く教会です。


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ファサードに柱廊が設けられてます。


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説明板


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柱廊にあるテラコッタ「ピエタと聖フランチェスコ」(1893)


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ジュゼッペ・ロセッティ通称イル・ムティーノ(ブリジゲッラ、1864-1939)の作品です。


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柱廊にある出入口上ルネッタにもテラコッタ彫刻があります。


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「聖母被昇天」(1893)


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「聖母被昇天」もジュゼッペ・ロセッティの作品です。


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中に入りました。


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単廊式、ルネサンス様式の内部です。


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翼廊がありません。


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装飾がない天井です。


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身廊通路


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主祭壇


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後陣の装飾(詳細不知)


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何といっても主祭壇画が最大の見所です。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「オッセルヴァンツァの祭壇画」(1520)
裾絵の一部が失われてます。


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玉座の聖母子と3天使と4聖人


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父なる神


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プレデッラは受胎告知だけ残ってます。


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ジュゼッペ・ウゴニア(ファエンツァ、1881-ブリジゲッラ、1944)の「ピエタ」


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ジローラモ・マルケージ通称イル・バニャカヴァッロ別称ジローラモ・ダ・コティニョーラ(コティニョーラ、1471-バニャカヴァッロ、1550)の「最後の晩餐」


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詳細不知


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詳細不知


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(つづく)

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第3の山から道を下ります。


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道は要塞がある第2の山近くを進みます。


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要塞の下を進みます。


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道は下りになりました。


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道の途中でサン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会が見えました。


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直ぐにスッフラージョ教会も見えてきました。


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この時は、未だ時計塔に上るつもりでした。


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しかし、時計塔までは更に降りてから、また上ることになります。


P1210703
中心街に近付いてきました。


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時計塔はやはり遠い!
かなり疲れていることが分かったので、時計塔に行くのは翌日に延期することにしました。


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時計塔の他に、未だ行かねばならぬ場所が2つありますから。


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旧サンタ・クローチェ教会の後陣です。


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トイレ休憩のため、一旦ホテルに戻ることにしました。バールに行くよりもホテルに戻った方が近いからです。


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右折します。


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近道のVia de Abbondanzaを通りました。


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ホテルがあるローマ通りに戻りました。


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再度、外に出ました。時計塔が見えました。


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Via Porta Fiorentinaです。次は市立絵画館です。


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Museo Civico ”Giuseppe Ugonia"とあるので、市立絵画館の展示はジュゼッペ・ウゴニアの作品が中心となるものの、中世の絵画や彫刻も展示されているだろうと期待していました。


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15世紀に造られたFontana Vecchiaを通り過ぎます。


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オステリアの前を通り過ぎます。


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右折してナルディ通りに入りました。


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半円の窓が並ぶ建物の中はロバの道が通ってます。


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夕方になって、地元の人たちが出てきました。


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宿泊設備が限られ、それに泊まるほどの見所がないとの判断なのか、日帰り観光客の多くは既にブリジゲッラを去ったようです。


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Museo Civico ”Giuseppe Ugonia"は開館してました。


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入館しました。


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展示されているのは、ジュゼッペ・ウゴニアの作品だけでした。


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中世の絵画彫刻を期待していたので、拍子抜けでした。


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ジュゼッペ・ウゴニア(ファエンツァ、1881-ブリジゲッラ、1944)は、リトグラフを得意にした画家です。


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入館者は私一人でした。
係員は、いいカモが来たと思ったのか、熱心に説明するので参りました。興味があまりないので、フンフンと適当に頷いていただけでしたが、それを誤解されました。日本から来た熱烈なウゴニアファンとされたようです。


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隣の観光案内所に立ち寄って、色々な資料を頂戴しました。


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リトグラフは名画の複製用と思っていましたが、ジュゼッペ・ウゴニアの作品は私の先入観を覆しました。


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道路に妙なものを発見!


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ハート形のこれです。各袋の中に蝋燭があります。


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先ほど行って来たモンティチーノ聖域が見えました。


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次はサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。


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夕食の予約をしました。小さな町村に行くと、夕食に困ったことが何回もあります。


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サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会は駅の先になります。


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ローマ通りから駅に向かいました。


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駅前を通り過ぎました。


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駅を越えた、旧市街の反対側は緑一杯です。


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写真左にサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会があります。
(つづく)

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モンティチーノ聖域の参道を上ります。


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参道の左右に祠があります。


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聖域のファサードまで15の祠があり、各祠に聖母の生涯、キリストの生涯の浮彫(多分金属製)があります。
制作者や制作された時期等の詳細が分かりません。
「受胎告知」


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「ご訪問」


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ブリジゲッラの町を見下ろす3つの山があり、それぞれの頂上に時計塔、要塞、聖域があります。モンティチーノ聖域は第3の山にあるので、目立ちます。そのため、聖域に訪れる観光客がかなりいます。残念ながら、聖域は美術的な見所は殆どありません。私がここに来たのは、ブリジゲッラに来たからには聖域に行かないと格好がつかないという、単なる自己満足からです。


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「羊飼いの礼拝」


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「聖母の浄化」


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「博士たちとの問答」


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「園の祈り」


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参道途中にある十字架


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「キリストの鞭打ち」


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「荊刑のキリスト」


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聖域の歴史に関する説明板があります。


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「カルヴァリオへの上り」


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「磔刑」


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「キリストの復活」


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聖域の後陣がその姿を現しました。


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「キリストの昇天」


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レンガ積みの後陣です。


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「聖霊降臨」


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「聖母被昇天」


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「聖母戴冠」


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ベアータ・ヴェルジネ・デル・モンティチーノ聖域 Santuario della Beata Vergine del Monticinoです。


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1626年、ボンファンテ門(現存しません)近くにテラコッタ製の聖母子像が置かれましたが、直ぐに信仰を集め、聖母子像が置かれた場所が巡礼地となりました。


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この付近に門があったとされてます。


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1662年、テラコッタ製の聖母子像を収めた礼拝堂が第3の山の頂上に建てられましたが、その礼拝堂が聖域の前身です。


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現在、その聖母子像は聖域の主祭壇に組み入れられてます。


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1758年、礼拝堂は取り壊され、現在の建物の元となる建物に置き換えられました。
1926年、建築家エドアルド・コッラマリーニ(ボローニャ、1863-1928)によって、現在の姿に改造されました。その際、ファサードはサヴィーノ・レーガ枢機卿(ファエンツァ、1860-1889)によって寄進されました。


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扉が閉まってますが、開錠されているので、拝観することが出来ます。扉が閉まっているので、中に入らず、そのまま立ち去る人がかなりいます。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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4本のコリント式の柱が目立ちます。


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地味な天井


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後陣のフレスコ画は、サヴィーノ・レーガ(ファエンツァ、1813-1889)によって、1850年から1853年に制作されました。


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主祭壇です。


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主祭壇のテラコッタの聖母子(写真再掲)です。


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一見、主祭壇後方に置かれた彫刻のように見えますが・・・・・


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よく見たら、彫刻のように見えるように描かれた騙し絵のフレスコ画です。


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後陣のフレスコ画以外、祭壇画等の作品帰属、詳細が私には全く分かりません。


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出て、聖堂横の階段を下りました。


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階段下の道路に出ると、視界が開けて絶景が楽しめました。


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(つづく)

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暑かったので、急坂を上っているうちに汗だらけになってしまいました。


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やがて視界が開けて眼上に要塞が見えてきました。


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あと少し上る必要があります。木陰の中を歩くのが僅かな救いでした。年々暑さに弱くなってます。


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今、上って来た道です。


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山道から、一旦、ジョヴァンニ・パスコリ通りに出てから右折します。


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Roccaの入り口下に建物があります。


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扉が開いてました。以前、来た時には閉まっていたと思います。


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この建物の存在を全く覚えていませんでした。中に入ってみることに。


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石灰岩の採石と関係がありそうです。


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採石に使用された器械?


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熱心に見学してカップルがいました。


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要塞周囲に採石場があったようです。


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Museoの表示なし


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窓は素通しです。


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外に出て要塞に向かいます。


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小屋の横に要塞に向かう階段があります。


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Rocca Manfrediana o Rocca dei Venezianiと呼ばれてます。


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要塞の名称は、建設された経緯に由来します。
ファエンツァとイーモラの領主フランチェスコ・マンフレディ(?、1260c-ファエンツァ、1343)によって1310年に建設された要塞です。
1500年から1503年にかけて、チェーザレ・ボルジア(1475-1507)によって所有されました。
ブリジゲッラは、1503年から1509年までヴェネツィア共和国の支配下に入りましたが、その間、要塞は拡大整備されました。


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現在の外観はヴェネツィア共和国によって拡大整備された後のものです。


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要塞の門です。


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要塞の説明板が入り口横にあります。


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ヴェネツィア共和国によって建設された2本の塔です。


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2本の塔の間にある扉が閉まっていて、要塞本体の中に入ることが出来ませんでした。


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短いヴェネツィア共和国支配の後、ブリジゲッラは教皇領に組み入れられました。ナポレオンのイタリア侵攻まで、教皇領が続きました。


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16世紀末、二本の塔の上部に屋根が設けられました。


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要塞の周囲を歩いても、高い壁と塔が見えるだけで見所は殆どありません。


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楽しむべきは、要塞からの眺望でしょう。


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遮るものが何もありません。


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澄み切った青空ならば絶好です。しかし、これだけ見えれば贅沢は言うべきではないでしょう。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会


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オッセルヴァンツァ教会


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モンティチーノ聖域


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時計塔


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旧サンタ・クローチェ教会とサン・フランチェスコ教会修道院


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涼しい風が吹き抜けて、身体が休まりました。


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出口に向かいます。


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ここに入るのは無料です。


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次はモンティチーノ聖域です。


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道路標識が完備されているので、迷うことはありません。


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山を一旦下り、別の山を上ります。


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モンティチーノ聖域の簡素な入り口門です。


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門の前から要塞が見えます。


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(つづく)

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サンタ・クローチェ教会の一部が見えてます。


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Via delle VolteとVia Abbondanzaが合流するところにサンタ・クローチェ教会の後陣があります。


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サンタ・クローチェ教会のファサードは、ここよりも一段高い道路に面してます。


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後陣横に階段があって、ファサードがある道路に行くことが出来ますが、階段が工事中で通行止めになっていました。


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Via delle Volteの先は緑深い道になってます。


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上の道に行く階段が使用不可なので、Via delle Volteを戻り、一旦噴水がある場所に向かいました。


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柱廊がある建物


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会が見えました。


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Fontana Vecchiaを通り過ぎます。


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Via Porta Fiorentinaの突き当りにあるOsteria della Fonteはお手頃です。


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市庁舎越しに時計塔が見えました。


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上の道スパーダ通りから、一旦ポルタ・ボンファンテ通りに入ります。突き当りにサン・フランチェスコ教会があります。


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サン・フランチェスコ教会です。


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14世紀に建設されたサン・ジローラモ教会がありましたが、やがてフランチェスコ会修道士が定住するようになり、15世紀にサン・フランチェスコ修道院を建設するとともに、教会名称をサン・フランチェスコ教会に改称しました。


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現在の建物は、18世紀に再建されたものです。


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こちらはサン・フランチェスコ修道院だった建物です。


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教会は現役ですが、修道院は閉鎖されました。


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詳細不知の「磔刑像」


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次はサンタ・クローチェ教会です。


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サンタ・クローチェ教会のファサードです。後陣は既に見ました。


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15世紀に建設されたオラトリオが前身です。現在の建物は16世紀にオラトリオを取り壊し、その上に建設されたものです。


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宗教活動を停止した旧教会です。


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建物は展示会などに使用されてます。


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旧サンタ・クローチェ教会のファサード前から市庁舎に向かって少し進むと、野外劇場があります。


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Teatro all' aperto di Via Spadaです。


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野外劇場の舞台です。


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野外劇場から見た時計塔


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野外劇場から見た旧サンタ・クローチェ教会


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野外劇場から見たサン・フランチェスコ教会


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次は城塞です。


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坂道を上って要塞がある山に向かいます。


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上って来た坂道


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曇ってきました。


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坂道の所々で立ち止まって、町の景観を楽しみました。


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スッフラージョ教会の鐘楼


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会


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旧サンタ・クローチェ教会


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写真中央、山の中腹に温泉があります。


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(つづく)

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小さな町の中心地に入ります。


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建物の先に時計塔が見えます。


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19世紀に建設されたPalazzo dell' ex Preturaです。Preturaとは、法務官裁判所とか、治安判事と言う意味です。
この建物にMuseo Civico ”Giuseppe Ugonia"、観光案内所などがあります。この時間は昼休み中です。


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Palazzo dell' ex PreturaにもAntica Via "degli Asini"が通ってます。


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Antica Via "degli Asini"です。
ロバの道については、後で触れますが、町の防衛上の理由から建物の中に通された、非常にユニークな通りです。
ブリジゲッラの特産物は石膏で、石膏で栄えました。石膏の採石場からロバで石膏を運びましたが、その貴重な石膏運搬を敵対者からの妨害なしに行うため、道路を建物に組み込んで通された道がロバの道です。
写真左側にロバの厩舎にすることが多く、写真右側は採光のために開けられてます。


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Via 24 Maggio方向です。


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先ほど通過したスッフラージョ教会の鐘楼が見えます。


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Via Nardi方向ですが、こちらの方に後で行くことにしました。


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Piazza Porta Gaboloです。


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門の名称はPorta Gaboloと思いきや、Porta delle Dameです。


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門はロバの道の入り口になってます。


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この門から時計塔に上ることが出来ます。


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Via 24 Maggioは町の北にあります。


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道を少し進めば緑地に出ます。


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緑地となっている小さな公園に置かれた、ブリジゲッラとドイツ、ヘッセンのツヴィンゲンベルクとの姉妹都市の碑があります。
写真左がブリジゲッラの、右がツヴィンゲンベルクの紋章です。


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こちらの先にテルメ(ブリジゲッラ温泉)があります。ブリジゲッラは温泉でも有名です。


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フォッサ通りの左側の建物は、ミケーレ・レーガ枢機卿によって19世紀末に建設されたPalazzo Legaです。


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Via Belle Artiに戻りました。


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Palazzo Comunale方向に進みます。


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山上にあるSantuario del Monticinoが見えました。


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要塞の塔が見えます。
ブリジゲッラ観光は、3つの山上にある、時計塔、要塞、聖域教会とロバの道に尽きると思います。


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Via Nardiを市庁舎方向に進みます。


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写真右の建物にロバの道が続いてます。


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旗が掲げられている建物がPalazzo Comunaleです。


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1824年から1828年に建設された新古典様式のPalazzo Maghinardoです。現市庁舎です。


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Palazzo Comunaleの横にある市立劇場とロバの道の入り口です。


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Via Nardiを更に進みます。


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写真右上に野外劇場があります。


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野外劇場


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レクペラティ通りにある、このレストランで、この日の夕食を食べました。


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スパーダ通りになります。


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スパーダ通りから振り返ってPalazzo Comunaleを見ました。


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この日は、動画をかなり撮ったので、SDHCカードの容量残が少ないことが分かったので、予備のカード補充のためにホテルに一旦戻ることにしました。


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Via delle Volteの入り口にFontanaがあります。


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15世紀に造られたFontana Vecchiaです。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会がある広場に入ります。


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広場ですが、広場と認められていないのか、名前がありません。


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ホテルがあるローマ通りです。


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ホテルに戻りました。


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再び町歩きに出発しました。


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町の中心に泊まると何かと便利です。


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時計塔が時々見える所がブリジゲッラの良さでしょう。


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Via de Abbondanzaの先に教会があります。


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教会は開いていないと思いながらも行ってみることにしました。
(つづく)

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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教区教会です。ファサードが工事中でした。


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ロッカ近くにサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の存在が1301年の文書に初めて記載されました。
17世紀初め、山上のロッカ近くの教会に行くのは大変で不便ということで、町の中心の行き易い場所に教会の移転が考えられました。そうして、1659年から1697年にかけて建設されたのが、現在の姿の原形です。


1
ファサード工事後の写真です。


2
1781年の地震によって大きな被害を受け、1785年までに大修復工事が行われました。現在の教会の姿は、1785年の工事完了時のものです。


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ファサード工事の具体的なことは不明です。


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右翼廊外観です。


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ロッカから見下ろした教会です。


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入口にある、ガエターノ・チコニャーニ枢機卿(ブリジゲッラ、1881-ローマ、1962)の紋章です。


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教会内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、マニエリスム様式の内部です。


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美術的に見逃せない作品が数点あります。


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クーポラ


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殆ど装飾がありません。


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先ずは中央礼拝堂から。


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主祭壇


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地味な後陣


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主祭壇画にビックリです。
「どうしてここにあるのか」と自問自答しながら、じっくりと鑑賞。出来は良いものの筆使い、色彩がイマイチです。
種明かしをすれば、グイド・レーニ工房作「グイド・レーニ作『大天使聖ミケーレ』のコピー画」(17世紀前半)です。工房にいた弟子が親方を真似て制作したのでしょう。
グイド・レーニのオリジナルは、ローマのサンタ・マリア・イマコラータ教会、別称骸骨寺にあります。


4
ご参考までにグイド・レーニの作品写真を載せておきます。
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「大天使聖ミケーレ」(1635)


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主祭壇の磔刑像(19世紀)


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ファサード裏にあるオルガン


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左翼廊の礼拝堂


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Mingarelli di Scuola Toscanaに帰属する「グラツィエの聖母」(1410)


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次の礼拝堂


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詳細不知のピエタと嘆き


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詳細不知のフレスコ画


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かなり新しいフレスコ画と思います。


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制作者情報不知の「聖ジュゼッペ」


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詳細不知


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左後陣の礼拝堂です。


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「マギの礼拝の祭壇画」(1514)


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上部の博士たちとの問答


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下部のマギの礼拝


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左後陣礼拝堂天井


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ベルナルディーノ・ダ・トッシニャーノ(ボルゴ・トッシニャーノ、1515-1520消息)の「受胎告知」(1530)


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マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1460-1539)の「キリスト教会博士たちとの問答」(1520c)


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後陣右礼拝堂


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詳細不知


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詳細不知

ここにきて、グエルチーノの祭壇画が見当たらないことに気付きました。ガックリです。


3
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の作品(1618)


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聖体容器


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

ブリジゲッラは、人口7,426人(2019年5月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県にあるコムーネです。イタリアの最も美しい村にリストアップされてます。
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ファエンツァとフィレンツェを結ぶ鉄道支線に乗車すれば、簡単にブリジゲッラに行くことが出来ます。この日は、ファエンツァ駅からフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ行普通列車に乗りました。


P1210319
ファエンツァ駅からブリジゲッラ駅間に駅が数駅あるようですが、フィレンツェ行きに乗車すれば、次の停車駅がブリジゲッラになります。昼過ぎの到着でした。


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乗降客は何時も少なく、列車が行ってしまうと乗客は誰もいなくなります。無人駅です。


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ブリジゲッラ駅の駅舎です。
先ず、この日のお宿に向かいます。ブリジゲッラは、見所が豊富で、中でも高所にある三か所に行き来するには山を上ったり下りたりする必要があるので、日帰りでは時間が足りないと思われ、1泊することをお勧めします。


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駅を出て、右手に行けば、直ぐにウゴニア公園があります。


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ウゴニア公園沿いのViale Alcide de Gasperiを進みます。


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ウゴニア公園を横断します。


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季節は、6月下旬、夏でした。


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公園からジュゼッペ・ウゴニア通りに入りました。


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この日のお宿はローマ通りにあります。


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ローマ通りです。写真左手前の建物が、この日のお宿です。


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この日のお宿、Modus Vivendiです。ブリジゲッラの宿泊設備の選択肢は少ないと思います。


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チェックインを済ませ、早速町歩きに出発しました。


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Piazza Giosue Carducciです。
ファサードが修復工事中の教会は、サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会で、ブリジゲッラの教区教会になります。
この後、直ぐに拝観しましたが、教区教会については(その2)で纏めて触れることにします。


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Piazza Giosue Carducciから見たローマ通りです。


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Piazza Giosue CarducciからVia Porta Fiorentina方向を臨む。


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Piazza Giosue CarducciからVia Abbondanza方向を臨む。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会から見たPiazza Giosue Carducciです。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ参事会教会の後陣です。


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参事会教会の後陣横を通り過ぎます。


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フォッサ通りです。


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次を左折すると、ブリジゲッラ最古のVia Antica degli Asini Borgoに出ます。


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写真右の建物は、驚くなかれ映画館です。


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18世紀の建物を映画館に改造したようですが、営業しているのか分かりません。


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教会らしい建物がありました。


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外観は明らかに教会の後陣です。旧教会の建物と思いますが、教会の名称が分かりません。


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写真右奥の建物は、ミケーレ・レーガ枢機卿(1860-1935)によって、19世紀末に建設されたPalazzo Legaです。


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フォッサ通りの左手にスッフラージョ教会があります。写真左手前は旧ロザリオ教会の建物です。


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ブリジゲッラから出征した戦死者の遺骨が納められている教会です。


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私が行くと、何時も扉が閉まってます。


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遠くに時計塔が見えます。ブリジゲッラに来たならば、時計塔は行かねばならぬ場所の一つです。


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写真左の建物は旧ロザリオ教会です。


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このように2つの教会が接近して存在していたことに驚きを禁じえません。


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1929年に閉鎖されました。


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ファサード前の道が狭いので、ロザリオ教会ファサードの写真を撮るのが難しかった。


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旧ロザリオ教会の入り口扉


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Piazzetta Suffragioから見たスッフラージョ教会です。写真右奥の建物が旧ロザリオ教会です。


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Piazzetta Suffragioです。


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スッフラージョ教会を通り過ぎれば、直ぐにこの建物前に来ます。ここは、所謂「ロバの道」の入り口になります。「ロバの道」については、後程触れることにします。


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マルコーニ広場です。


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マルコーニ広場から見たスッフラージョ教会です。


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(つづく)

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サンヴィターレ要塞の狭間から見た景観です。


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軍事機能重視のサンヴィターレ要塞でしたが、16世紀にサンヴィターレ家の邸宅として改造、修復されました。


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17世紀に建設された煉瓦造りの橋


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小さな噴水


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フローラの庭から離れます。


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次は、1階(日本の2階)です。


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1階のロッジャは、要塞が開いている時間には一般公開されてます。


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階段の壁にフレスコ画の痕跡が認められますが、劣化が激しく何が描かれていたのか全く分かりません。


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ロッジャの出入り口扉上ルネッタ上に描かれたフレスコ画があります。


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近年、修復されたようで色鮮やかに蘇りました。


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誰の作品でしょうか?
チェーザレ・バリオーニ(クレモナ、1550c-パルマ、1615)の作品でしょうか? 2階(日本の3階)ロッジャのフレスコ画はチェーザレ・バリオーニによって描かれたようですが、2階のロッジャは非公開で2階に上れないようになっていました。


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ロッジャの反対側の出入り口の扉上ルネッタにもフレスコ画があります。


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詳細不知のフレスコ画


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1階(日本の2階)のロッジャから見た中庭です。


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要塞内部のガイドツアーの開始時間が迫ってきました。


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地上階に下ります。


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既に人が集まっていました。


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この扉前が集合場所となっています。切符売り場で切符を買い、ここで暫く待ちました。
ガイドツアー参加者は約30名で、イタリア語と英語の2班に分かれました。
私は英語班に参加しました。


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パンフレットが渡されましたが、後で返却することになってます。


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内部は写真不可でした。
英語班ですが、興味がないので外に出たいとか、パルミジャニーノのフレスコ画がある部屋で、絵画が嫌いなので別の部屋に直ぐに移りたい等を言う人がいて、散々でした。ガイドさんも、それらの意見を無視できなかったようで、私が観たかったパルミジャニーノのフレスコ画は鑑賞どころではありませんでした。困ったことでした。
フォンタネッラート観光の肝腎はパルミジャニーノのフレスコ画ですから、ガイドツアー参加者の一部は何を期待してこの村に来たのでしょうか?
パルミジャニーノのフレスコ画ですが、私の写真は1枚もありません。外部サイトから拝借して、フレスコ画を紹介しておきましょう。


4
南面のフレスコ画
フレスコ画のテーマは、ダイアナ(ディアナ)とアクテオンの物語です。そのため、この部屋は「ダイアナとアクテオンの部屋」と呼ばれてます。

フランス軍と戦ったラヴェンナとパヴィアの戦いで有名なジャン・ガレアッツォ・サンヴィターレ伯爵(フォンタネッラート、1496-パルマ、1550)がパルミジャニーノにこの部屋の装飾を依頼して、1523年から1524年に制作されたマニエリスムのフレスコ画です。
この部屋はジャン・ガレアッツォの妻、パオラ・ゴンザーガ・サンヴィターレ伯爵夫人の化粧室でした。
ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ通称パルミジャニーノ(パルマ、1503-カザルマッジョーレ、1540)の代表作です。


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西面


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北面


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東面


9
東面に描かれた女性は、パオラ・ゴンザーガ・サンヴィーターレ伯爵夫人の肖像画と言われてます。
パルミジャニーノが後に描いた作品の聖母のモデルがパオラではないか、という説があります。


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パオラ・ゴンザーガ・サンヴィターレが聖母のモデルという説がある、パルミジャニーノの「長い首の聖母」(1534)です。


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天井


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キリがないので、この辺にしておきましょう。


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自分のペースで見ることが出来ないグループツアーが苦手です。


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物足らないで終わったサンヴィターレ要塞の内部見学でした。


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外に出ました。
なお、1948年に、サンヴィターレ家が要塞をフォンタネッラート・コムーネに売却しました。


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ホテルに戻りました。


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ヴィッラホテルの自室ベランダから見えるサンヴィターレ要塞の時計です。


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その夜は大人しく寝ました。


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翌朝です。


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この日も天気に恵まれました。


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次の目的地はファエンツァです。


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バスでパルマに向かい、パルマからファエンツァは快速列車に乗ります。


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ヴィッラホテルを後にしました。中々良いホテルで、エンジョイ出来ました。


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私にとって、最後のフォンタネッラートになりました。


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一度はパルマから往復遠足したいと考えていましたが、その機会に恵まれません。


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グリエルモ・マルコーニ通りです。


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名残惜しく、振り返りました。


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Porta di Sopraです。


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門を潜り城壁外に出ました。


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ロザリオの聖母の聖堂聖域です。


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(おわり)

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サンヴィターレ要塞の一般公開時間まで30分となりました。


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1124年に合意されたルッカとの条約によって、フォンタネッラートの支配者となったオベルト1世パッラヴィチーノ(ブッセート、1080-1148)は、1145年頃に支配地の中心に塔と砦を建設しましたが、それが要塞の起源です。


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1378年、パヴィア卿で後にミラノ公になったジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(パヴィア、1351-メレニャーノ、1402)は、グエルフへの忠誠の報酬として、フォンタネッラートを取得しました。
新領主となったジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティは、従来からあった塔と要塞に加えて新しい城の建設を考えるようになり、1386年に建設工事が始まり、1400年頃に新しい城が完成しました。
イタリアの「城」の名称は、大体の場合、最初の呼称がそのまま踏襲されるようです。


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1404年、ミラノ公ジョヴァンニ・マリア・ヴィスコンティ(ミラノ、1388-アッビアテグラッソ、1412)は、ジベルトとジャンマルティーノのサンヴィターレ兄弟にフォンタネッラートを与えました。
サンヴィターレ家所有となった城は、拡大され、16世紀にほぼ現在の構造になりました。
その後、数度にわたり改造、改修を繰り返しましたが、1878年の修復工事の際、16世紀の姿に復元されました。その復元後の姿が現在の外観となってます。


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サンヴィターレ要塞入口のファサードです。
要塞の四方からの外観写真を示しておきましょう。


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南西側


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西角


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東角


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北東側にロッジャがあります。


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南角


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北角


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時計塔の前に橋があります。


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創建以来、堀に架かる橋は跳ね橋でしたが、17世紀初めに煉瓦造りの橋に変更されました。


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要塞の中に入ります。


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入口塔に時計があります。現在の時計はオリジナルの17世紀のものではなく、1997年に復元されたものです。


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時計塔に向かって右側です。


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橋を渡ります。


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橋上から見た要塞外の景観


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入り口前にある説明板


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入口アーチの壁にフレスコ画があります。


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紋章のフレスコ画です。


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写真のほぼ中央にサンヴィターレ家の紋章があります。


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中庭に入ります。


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中庭です。


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要塞の建物は、Palazzo Comunaleとして使用されてます。


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切符売り場の入り口です。


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三階建てでロッジャがあります。


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地上階のロッジャ


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ガイドツアーの前に、適当に見て回りました。


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「フローラの庭」です。


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狭間から見たサンタ・クローチェ教会です。


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サンタ・マリア・アッスンタ祈祷所です。


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19世紀に造られた光学室です。


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(つづく)

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ホテルの自室ベランダでの昼寝を終わって、再び外に出ました。


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サンヴィターレ伯爵家の厩舎だった建物です。現在、個人所有で部外者立ち入り禁止です。


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強烈な日差しでした。


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午後になって、観光客の姿を見かけるようになりました。恐らくサンヴィターレ要塞の一般公開の時間に合わせて、この町に来たのでしょう。


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しかし、要塞の公開時間まで、あと1時間半ほどありました。


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時間潰しのため、城壁外に出て見て回ることにしました。


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旧市街を東から北に、さらに西の方角に回ることにしました。


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旧市街の中心に要塞があります。要塞を囲む道を回ってから外に出ます。


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写真右はサンヴィターレ伯爵家の旧厩舎のロッジャです。


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町一番の目抜き通りであるグリエルモ・マルコーニ通りです。


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グリエルモ・マルコーニ通りの突き当りはPorta di Sopraです。


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Porta di Sopraを潜ります。


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門を潜って旧市街の外に出ました。


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緑深い一角を進みます。


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旧市街を取り囲む道路がありますが、方角や場所によって名称が変わり、東ではローマ通りと呼ばれてます。


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城壁に見えますが、旧サン・ジュゼッペ修道院の塀です。


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フォンタネッラートは、パルマのベッドタウンになっているようで、個人住宅が並んでます。


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郊外の普通の住宅地なので、観光的な見所が皆無です。


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サンティ通りです。


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旧サン・ジュゼッペ修道院の先にベアータ・ヴェルジネ・ロザリオ聖堂聖域の鐘楼とクーポラが見えます。


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サン・ジュゼッペ修道院の教会がベアータ・ヴェルジネ・デル・サント・ロザリオ聖堂聖域です。


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カドゥーティ・ディ・チェファロニア通りです。


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広大な牧草地に出ました。


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牧草地の一角に馬が放牧されてました。


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馬は、暑さに弱い筈ですが、暑さを気にせずに一心不乱に草を食んでいました。


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牧草地を越えると妙な場所に出ました。


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フォンタネッラート墓地です。


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一応墓地に入ってみました。


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北に向かって進みました。


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一旦ローマ通りに戻ります。


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泊っているヴィッラホテルの裏門です。


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道の木陰が有難かった。


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旧市街の北方に広大な公園があります。


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旧市街を一周する通りで、この辺ではトリアッティ通りと呼ばれてます。


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ヴェッツォーニ通りへと通りの名称が変わります。


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これ以上通りを歩いても見どころが無さそうです。


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サンヴィターレ要塞の公開時間まで時間がありますが、旧市街に戻ることにしました。


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写真右の建物の先を右折します。


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小さな公園がありますが、その公園にライオン像があります。


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水飲み場の上にライオンが横たわってます。


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ライオン像がある理由が分かりません。


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ライオン像を越えれば、サンタ・マリア・アッスンタ祈祷所の後陣に出ます。


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(つづく)

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作品帰属が分からない祭壇画が殆どでしたが、それらの質はかなり高いと思った聖堂聖域でした。


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この辺で11月4日通りと通りの名称が変わります。


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病院の入り口です。


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Centro Cardinal Ferrari(病院名)です。


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パルマ県における主要病院の一つです。


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病院の庭からSantuario Basilicaの鐘楼が見えます。


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聖堂聖域の先は観光向きではありません。


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旧市街を外れると緑溢れる町です。


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公園の先にサンタ・クローチェ教会の鐘楼が見えました。


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昼前にやっておくことがありました。


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この日の翌朝、バスでパルマに戻るので、バスの切符をバールで事前に買いました。


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バスの停留所と時刻を確認しました。バスの停留所が交差点の四か所にあるので、確かめないと・・・・・


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バスは始発ではなく、乗客は少ないと聞いていたので、これで安心です。


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この辺で、通りの名称が11月4日通りからヴィットリオ・ヴェネト通りに変わります。


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あちこち歩いても退屈なだけです。


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19世紀に建設されたPalazzo Jacopo Sanvitaleです。


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Palazzo Jacopo Sanvitaleの前にある戦没者追悼のモニュメント


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旧城壁内に戻ることにしました。


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直ぐに門が見えてきます。


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旧市街の入り口 Porta di Sopraです。


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門の横の建物


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門の横は花一杯でした。


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門を潜りました。


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旧市街の中から見たPorta di Sopraです。


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門の外方向です。


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グリエルモ・マルコーニ通りから見たPorta di Sopraです。


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グリエルモ・マルコーニ通りです。


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Rocca Sanvitaleに向かいます。


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観光客の姿が見えません。


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日帰りの観光客が殆どのようです。


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要塞の周囲をじっくりと見て回ることにしました。


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そろそろ昼食時です。


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ホテルに戻ります。


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ホテル併設のレストランで昼食を食べました。実は、このヴィッラ・ホテルのフル・ボード(1泊3食付き)を予約していたのです。フォンタネッラートなどの小さな町に宿泊する場合、意外に夕食を食べる所を探すことが大変なことがあります。


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自室に戻って休息です。


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涼しくて心地よかった。


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ヴィッラホテルの森です。
(つづく)

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聖なるロザリオの聖母の聖堂聖域 Santuario Basilica della Beata Vergine del Santo Rosarioの広場の前に門があります。


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教会の敷地内に入りました。


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教会前広場の北側に20世紀前半に建設された長い柱廊があります。


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長い柱廊に入ってみました。


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この場所に14世紀に建てられたサン・ジュゼッペ祈祷所がありましたが、15世紀末に祈祷所を取り壊し、その上に修道院と教会を新設することになり、修道院は1512年に完成しました。


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教会は1514年に完成しました。


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教会は巡礼地になったので、17世紀前半には修道院教会は手狭になりました。最初の建物を取り壊して、1641年から1660年に再建されたバロック様式の建物が現在の姿の原形です。


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写真左の煉瓦色の建物よりも奥が1672年着工、1700年頃完成した修道院です。


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ネオ・バロック様式の現ファサードは、ランベルト・フザーニ(パルマ、1877-1966)の設計によって1913年から1920年にかけて建設されました。


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ファサードの彫刻


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後陣と鐘楼


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クーポラと鐘楼


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ファサードの下部に柱廊があります。


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1903年、第257代教皇ピオ10世紀(在位:1903年-1914年)によってBasilica Minoreに格付けされました。


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聖堂内に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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左右に4つづつの礼拝堂があります。


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ピエトロ・ルビーニ(パルマ、1700-1765)によって1731年に描かれた天井フレスコ画


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床の文様


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主祭壇


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制作者情報不知の「ドメニコ会聖人たち」(18世紀初め)


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ピエトロ・ルビーニ(パルマ、1700-1765)の「聖パオロと聖トマス・アクィナスと聖ピエトロ」


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制作者情報不知の「ソリアーノの聖ドメニコの出現」(1666)


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ファサード裏にあるオルガン


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制作者情報不知の「聖ジュゼッペ」(19世紀)


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詳細不知


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ロザリオの聖母の礼拝堂


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制作者情報不知の「磔刑像」(1663)


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詳細不知


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詳細不知


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制作者情報不知の「割礼」(1663)


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制作者情報不知の「聖ジャチントの奇跡」(1669)


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制作者情報不知の「聖ライモンドの奇跡」(1669)


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外に出ました。
(つづく)

フォンタネッラートは、人口7,061人(2018年12月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州パルマ県にあるコムーネで、「イタリアの最も美しい村」にリストアップされてます。
町周辺は、パルミジャーノ・レッジャーノの名産地です。
P1190997
前泊地は、エミリア・ロマーニャ州のグアルティエーリでした。


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列車に乗ってパルマ駅に向かいます。この鉄道はFS本体ではなく、系列子会社の運営だったと思います。


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普段ならば通学客で混雑する時間帯でしたが、学校が夏休みに入ったので、車内は非常に空いてました。


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パルマ駅に到着しました。
パルマ駅前からフォンタネッラート行きのバスがありますが、夏休みになったので、昼間の時間帯にはバスがないので、タクシーでフォンタネッラートに向かいました。フォンタネッラートは、パルマの西約25㎞にあります。


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タクシーで乗車約30分弱で、フォンタネッラートの、この日のお宿前に着きました。写真の赤い建物がこの日のお宿で、レストラン併設のヴィッラです。
フォンタネッラートの宿泊設備は限られていて、真面なのは、ここしかないようです。


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荷物をお宿に預けて、早速町歩きに出発しました。
この日のお宿は、要塞の向かいという絶好の場所にあります。


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サンヴィターレ要塞 Rocca Sanvitale、フォンタネッラート城(別称)です。


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当時、要塞の公開は夏季の午後のみでした。まだ午前中だったので、他の場所を見て回ります。


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この日は夏至の前日でした。カンカン照りで参りました。


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要塞は深い堀に囲まれてます。


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フォンタネッラートにおける美術的な見所は、要塞の中のパルミジャニーノのフレスコ画に尽きます。それをゆっくりと鑑賞するために来た訳です。
結論を言えば、その目的は悲惨なものに終わりました、パルミジャニーノのフレスコ画を見ることはできたのですが、ガイドツアーのみで、次の部屋、次の部屋とガイドから急かされて、ゆっくり鑑賞するどころではなく、見事に時間不足に終わったのです。その上、写真厳禁でした。
その詳しいことは後述します。


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先ずは教会巡りです。


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鐘楼が写っている教会に行きます。


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その奥に、もう一つ教会があります。


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城壁内に2つの教会があります。


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写真左端の教会に行きます。


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サンタ・クローチェ教会です。長い間、教区教会でしたが、今は違います。


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フォンタネッラート領主ギベルト2世サンヴィターレ伯爵によって、1447年に創建され、1503年に完成したゴシック様式の教会です。


1
左右非対称のファサードです。


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拝観したかった教会でしたが・・・・・


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残念! 扉が閉まっていました。


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サンタ・クローチェ教会の後陣


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次はサンタ・マリア・アッスンタ祈祷所です。


3
この場所に10世紀頃に建設された小さな礼拝堂がありましたが、15世紀頃には朽ち果てて廃墟になっていました。それを取り壊して、その上に1572年に建設された建物が現在の姿の原形です。1720年にバロック様式に改造され、現在に至ってます。
ここも閉まっていました。


P1200903
ルイージ・サンヴィターレ通りから見たサンヴィターレ要塞です。


P1200904
ルイージ・サンヴィターレ通りです。


P1200905
写真左の黄色の建物はコムナーレ劇場です。


P1200906
1856年、ルイージ・サンヴィターレ伯爵が、この土地を寄贈し、1864年から1866年に建設された新古典様式のコムナーレ劇場です。


P1200907
馬蹄形の劇場で、客席数は174席だそうです。


P1200909
劇場の先に広場があります。


P1200910
ヴェルディ広場です。ヴェルディ・オペラを上演するには、少し小さ過ぎる劇場のように思えます。


P1200911
アパートです。


P1200912
ヴェルディ広場の突き当りはパラッキ通りです。


P1200913
ヴェルディ広場からサンタ・クローチェ教会の鐘楼が見えます。


P1200914
パラッキ通りから見たヴェルディ広場です。写真右端の黄色の建物はコムナーレ劇場です。


P1200915
パラッキ通りを進んで城壁外に出ます。この辺の城壁は19世紀に取り壊されて存在しません。


P1200916
ヴィットリオ・ヴェネト大通りに出ました。


P1200917
病院です。


P1200918
病院前のモニュメント(詳細不知です)


P1200919
緑一杯のヴィットリオ・ヴェネト広場です。


P1200920
この先に教会があります。


P1200921
ベアータ・ヴェルジネ・デル・サント・ロザリオ聖域聖堂のファサードが見えてきました。
(つづく)

P2530838
逸名画家作「ダヴィデに贈り物を届けるアビガイル」(17世紀中頃)


P2530842
逸名画家作「Davide suona l' arpa davanti a Saul」(17世紀中頃)


P2530845
アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


P2530847
次の部屋です。


P2530849
パスクゥアーレ・デ・ロッシ(ヴィチェンツァ、1641-ローマ、1725)の「パイプ煙草を吸う男」



P2530852
パスクゥアーレ・デ・ロッシ(ヴィチェンツァ、1641-ローマ、1725)の「縫う女」


P2530855
チェッコ・ブラヴォー(フィレンツェ、1601-インスブルック、1661)の「アポロtとダフネ」


P2530859
トスカーナの逸名画家作「女性の肖像」(17世紀後半)


P2530862
ドメニコ・ブランディ通称ミッコ・ブランディ(ナポリ、1684-1736)の「羊飼い」


P2530865
マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648-1729)の「天上の聖バルトロメオと聖セヴェーロ」


P2530868
アルカンジェロ・レサーニ(ローマ、1668/1670-ラヴェンナ、1740)の「磔刑と聖ヴィターレと聖アポッリナーレ」


P2530871
パオロ・アントニオ・バルビエーリ(チェント、1603-ボローニャ、1649)?の「静物画」
パオロ・アントニオ・バルビエーリはグエルチーノの弟です。


P2530873
ピエトロ・テネラーニ(カッラーラ、1789-ローマ、1869)の「獲物を持つ天使」


P2530876
ピエトロ・テネラーニ(カッラーラ、1789-ローマ、1869)の「漁をする天使」


P2530878
ジャンバッティスタ・バッシ(マッサ・ロンバルダ、1784-ローマ、1852)の「カステル・ガンドルフォ」(1851)


P2530879
ジャンバッティスタ・バッシ(マッサ・ロンバルダ、1784-ローマ、1852)の「パピーニョの森」(1850)


P2530882
アルトゥーロ・モランディ(フィレンツェ、1840-ラヴェンナ、1901)の「母になることへの不安」


P2530885
アントニオ・チゼーリ(ロンコ・ソプラ・アスコーナ、1821-フィレンツェ、1891)の「ルイージ・マジョーリの肖像」(1856)


P2530888
アルトゥーロ・モランディ(フィレンツェ、1840-ラヴェンナ、1901)の「松林の帰路」


P2530890
ヴィットリオ・グゥアッチマンニ(ラヴェンナ、1859-1938)の「強風の中の農作業」


P2530892
ドメニコ・ジョッロ(ナポリ、1866-1938)の「岩礁の上の少年」(1891)


P2530895
エットーレ・ティート(ナポリ、1859-ヴェネツィア、1941)の「コッラード・リッチの肖像」(1918)


P2530896
これで終わりです。


P2530875
外に出ました。
閉鎖されていた展示室が多く、見ることが出来た作品は以上です。
閉鎖されていた展示室の作品の中で、主なもの10点を選んで、それらの作品画像を載せておきましょう。なお、作品画像は外部サイトから拝借しました。


1
アントニオ・ヴィヴァリーニ(ムラーノ、1440-ヴェネツィア、1480)の「磔刑」


2
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「十字架降下」


3
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「キリストの逮捕」


4
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「十字架降下」


5
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「キリストの埋葬」



6
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「リンボの降下」


7
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「玉座の聖母子と聖アポッロニアと聖セバスティアーノ」


8
バルトロメオ・モンターニャ(ヴィチェンツァ、1450-1523)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


9
フランチェスコ・リッツォ・ダ・サンタクローチェ(サン・ペッレグリーノ・テルメ、1485c-ヴェネツィア、1545)の「聖母子と聖シモーネと聖ジュゼッペ」(1500-45)


10
フランチェスコ・リッツォ・ダ・サンタクローチェ(サン・ペッレグリーノ・テルメ、1485c-ヴェネツィア、1545)の「マギの礼拝」(1525-45)
以上、10点でした。


P2530905
外に出ました。
(おわり)

P2530729
ヴェネトの逸名画家作「聖アポッリナーレ」(16世紀末-17世紀初頭)


P2530731
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「救世主」


P2530734
ヴェネトの逸名画家作「受胎告知」(16世紀末-17世紀初頭)


P2530737
ベルテル・トルバルセン(コペンハーゲン、1770-1844)の「聖アポッリナーレ」(1822)


P2530739
次の部屋です。


P2530741
逸名画家作「騎兵戦」(17世紀後半)


P2530744
アントニオ・メッツァドリ(ボローニャで1688から消息)の「花籠」


P2530746
逸名画家作「騎兵戦」(17世紀後半)


P2530751
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1560c-ミラノ、1629)の「聖ジャコモ・ミノーレと聖フィリッポの殉教」


P2530753
イタリアの逸名画家作「戦闘」(17世紀後半)


P2530757
アントニオ・メッツァドリ(ボローニャで1688から消息)の「花籠」


P2530759
イタリアの逸名画家作「戦闘」(17世紀後半)


P2530763
逸名画家作「カルロ・チニャーニ(ボローニャ、1628-フォルリ、1719)作『慈愛』のコピー画」(18世紀)


P2530766
カルロ・チニャーニ(ボローニャ、1628-フォルリ、1719)工房作「バッカスとエリゴネ」


P2530768
ジョルジョ・ヴァザーリの枠組みの「十字架を担ぐキリスト」(16世紀)


P2530770
次の部屋です。


P2530772
ジョヴァン・ジョゼッフォ・ダル・ソーレ(ボローニャ、1654-1719)の「聖家族」


P2530775
チェーザレ・ジェンナーリ(チェント、1637-ボローニャ、1688)工房作「老人の頭」(17世紀)


P2530778
ジョヴァン・ジョゼッフォ・ダル・ソーレの領域の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと天使」


P2530781
ジョヴァン・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「聖ロムアルド」


P2530784
ラニエーリ・デル・パーチェ(ピサ、1681-フィレンツェ、1738)?の「少女」


P2530786
リーヴィオ・モディリアーニ(フォルリ、1571-1606活動)の「兎狩り」


P2530790
逸名画家作「アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560-ローマ、1609)作『荊刑のキリスト』のコピー画」


P2530792
逸名画家作「聖セバスティアーノ」(17世紀中頃)


P2530795
次の部屋です。


P2530796
カッソーネ(17世紀)


P2530798
ジョヴァンニ・アントニオ・ペッレグリーニ(ヴェネツィア、1675-1741)の「傭兵」


P2530801
エミリアの逸名画家作「ダンテ通りの景観」(18世紀後半)


P2530804
エミリアの逸名画家作「キリストとサマリア女」(18世紀後半)


P2530807
エミリアの逸名画家作「監獄」(18世紀後半)


P2530810
エミリアの逸名画家作「キリストとカナン人」(18世紀後半)


P2530812
エミリアの逸名画家作「キリストと教会博士たち」(18世紀後半)


P2530816
エミリアの逸名画家作「ロッジャ」(18世紀後半)


P2530818
次の部屋です。


P2530819
チェーザレ・プロンティ通称フラ・チェーザレ・パチョッキ(カットリカ、1626-ラヴェンナ、1708)の「天上の聖母子と聖人たち」


P2530823
逸名画家作「ジュゼペ・デ・リベラ作『善きサマリア人』のコピー画」(17世紀後半)


P2530826
チェーザレ・プロンティ通称フラ・チェーザレ・パチョッキ(カットリカ、1626-ラヴェンナ、1708)の「十字架降下」


P2530828
カルロ・ボッロメオ1628-フォルリ、1719)の「聖ベネデット」


P2530832
逸名画家作「カルロ・チニャーニ作『聖母子と聖テレーザと聖カルロ・ボッロメオと聖ジョヴァンニ・バッティスタ』のコピー画」


P2530835
ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリ―ニ(ペルージャ、1609-ローマ、1681)の「瞑想の聖マリア・マッダレーナ」
(つづく)

074
サンタ・マリア・イン・ポルト修道院(写真手前)とサンタ・マリア・イン・ポルト教会です。


067
サンタ・マリア・イン・ポルト修道院の建物にラヴェンナ市立美術館 Museo d' Arte della Citta di Ravenna があります。
ラヴェンナの城壁から東約4㎞に位置するポルト・フオーリ(現在はラヴェンナのFrazioniの一つ)にサンタ・マリア教会がありましたが、15世紀に、その教会の隣に修道院建設の話が持ち上がりました。
当時、ラヴェンナはヴェネツィア共和国の支配下にありましたが、修道院を建設するならばラヴェンナの城壁内にすべきとの指示がヴェネツィアからありました。
現在、教会と修道院が建っている場所に住居がありましたが、1496年にそれらの住居が取り壊され、1496年から1509年にサンタ・マリア・イン・ポルト修道院が建設されました。


P2530650
修道院はこの建物の一部で活動しています。


069
ラヴェンナ市立美術館は、他の場所で1829年に開館しました。修道院の建物に移転してきたのは1972年でした。


P2530654
約2000㎡の展示室面積があり、14世紀から19世紀の作品が展示の中心です。一部、現代の作品も展示されてます。


070
切符売り場の入り口です。


071
この日、大変残念なことに14世紀から16世紀の作品の展示室が何故か閉鎖されていました。


P2530655
地上階ロビーの壁にある彫刻(詳細不知)


P2530656
展示室は1階(日本の2階)に設けられてます。


P2530657
かなり近代的な佇まいの展示室です。


P2530658
ルーチョ・フォンタナ(アルゼンチン、1899-ヴァレーゼ、1968)のモザイク彫刻
ルーチョ・フォンタナは、美術家、彫刻家、画家で空間主義運動の創始者です。


P2530660
ルーチョ・フォンタナの作品


P2530661
ルーチョ・フォンタナの作品


P2530663
フランチェスコ・ファッブリの作品


P2530665
フランチェスコ・ファッブリの作品


P2530666


P2530667


P2530668
フランチェスコ・ファッブリの作品


P2530671
エットーレ・ソットサッス・イル・ジョーヴァネの作品


P2530673


P2530674
現代美術の展示室


P2530675
アルフレド・プロッティ(ボローニャ、1882-1949)の「若い女」(1927)


P2530677
アルベルト・サリエッティ(ラヴェンナ、1892-キアヴァリ、1961)の「女の肖像」(1922)


P2530679
オラツィオ・トスキ(ルーゴ、1887-フィレンツェ、1972)の「夜のジャスミン」(1927)


P2530681
ドメニコ・バッカリーニ(ファエンツァ、1882-1907)の「女性の彫像」(1903-04)


P2530683
ドメニコ・バッカリーニ(ファエンツァ、1882-1907)の「女の頭像」(1903)


P2530685
エドガルド・サポレッティ(バニャカヴァッロ、1865-ベッラリア、1909)の「我が妻アントニエッタ」(1900c)


P2530687
ジュゼッペ・ランベッリ(バニャカヴァッロ、1868-1954)の「マリーザ・ガンベリーニの肖像」(1900)


P2530689
フィリッポ・シルヴェストロ・ジュリアノッティ(ジェノヴァ、1851-ローマ、1903)の「こっそり」(1883)


P2530691
フィリッポ・シルヴェストロ・ジュリアノッティ(ジェノヴァ、1851-ローマ、1903)の「ファウヌス(森の神)」(1893)


P2530693
ジュゼッペ・ヴィッツォット・アルベルティ(オデルツォ、1862-ヴェネツィア、1931)の「アザミ」(1895)


P2530695
次の部屋です。


P2530696
この部屋から古い時代の作品になります。


P2530697
逸名画家作「マルチェッロ・ヴェヌスティ(マッツォ・ディ・ヴァルテッリーナ、1510-ローマ、1579)作『磔刑』のコピー画」(16世紀)


P2530702
マッテオ・インゴリ(ラヴェンナ、1585-ヴェネツィア、1631)の「最後の晩餐と聖アポリナーレとベアート・ロレンツォ・ジュスティアーニ」


P2530705
フランチェスコ・ザガネッリ通称フランチェスコ・ダ・コティニョーラ(コティニョーラ、1499から活動記録-ラヴェンナ、1532)の「羊飼いの礼拝と聖ボナヴェントゥーラと聖ジローラモ」


P2530708
逸名画家作「グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)作『磔刑』のコピー画」(17世紀中頃)


P2530711
ヴェネトの逸名画家作「男の創造」(17世紀)


P2530713
逸名画家作「パオロ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1528-ヴェネツィア、1588)作『マギの礼拝』のコピー画」


P2530716
Maestro di Flora (フォンテーヌブロー、16後半活動)の「豊穣の寓意」


P2530719
ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ジョーヴァネ通称ジョヴァンニ・バッティスタ・ピット―リ(ファエンツァ、1539-1614)の「聖ジローラモに顕現する聖母」
聖母が描かれた上部が切断された?


P2530722
エミリアの逸名画家作「聖家族」(16世紀末)


P2530725
エミリアの逸名画家作「聖フランチェスコを支える2天使」(17世紀末-18世紀初め)
(つづく)

119
サン・ヴィターレ聖堂の門です。


120
サン・ヴィターレ聖堂の鐘楼です。
人出が多かったので、ガッラ・プラチーディアの霊廟、サン・ヴィターレ聖堂、国立博物館を後回しにして、それらと至近にあるサンタ・マリア・マッジョーレ教会に行きます。


121
サンタ・マリア・マッジョーレ教会です。


128
教会の歴史は古く、ラヴェンナの第24代司教聖エクレショ(?、?-ラヴェンナ、534c)によって521年に創建され、534年に完成した初期キリスト教会です。


123
1671年にほぼ現在の姿に改修されました。


122
円筒形の鐘楼は9世紀から10世紀に建設されたものです。


124
中に入りました。


186
主祭壇


126
1671年に改修の際、元の装飾は殆ど取り壊されました。


125
最大の見所はこの聖母子です。


127
トゥモーリの聖母です。


187
詳細不知
外に出ます。


130
ガッラ・プラチーディアの霊廟は混雑していたので、見るのを後回しにしました。


129
サン・ヴィターレ聖堂の拝観を先にします。


157
526年、第24代ラヴェンナ司教聖エクレショ(?、?-ラヴェンナ、534?)によって創建され、547年、マクシミアヌス大司教の時代に完成したビザンチン様式の初期キリスト教会です。


145
1960年、第261代教皇ジョヴァンニ23世(在位:1958-1963)によってBasilica Minoreに叙せられました。


144
中に入りました。


137
クーポラ


138
古いフレスコ画と比較的新しいフレスコ画が混在してます。


188
詳細不知


189
詳細不知


140
モザイクが見所です。


139


141


143


142
床のモザイク
外に出て、ガッラ・プラチーディアの霊廟に向かいます。


146
ガッラ・プラチーディアの霊廟は空いていました。


156
ホノリウス帝の妹で、コンスタンティウス3世の妻エリア・ガッラ・プラチーディア(コンスタンティノープル、388/392-ローマ、450)のよって建設されました。
ローマで死去したエリア・ガッラ・プラチーディアの霊廟であることは確かですが、教会の礼拝堂として建設されたという説もあります。


155
霊廟の入り口です。


147
中に入りました。


148
霊廟内はモザイクで一杯です。


150


151


152


153


136
サン・ヴィターレ聖堂、修道院のキオストロです。


135
次は国立博物館です。


131
国立博物館の建物です。


132
扉が開いてます。


133
入館しましたが、中は写真不可でした。


134
ラヴェンナの写真不可に対する観光方針が理解できません。


158
夜はオペラなので、体力維持のためホテルに戻ることにしました。


159
(おわり)

P2530650
次は市立美術館です。


P2530653
サンタ・マリア・イン・ポルト修道院の建物に市立美術館が置かれてます。


071
入館しました。


P2530661
モザイクの街ラヴェンナらしく現代のモザイクが展示されてます。


P2530696
市立美術館に付いては、項を改めて詳しく触れます。


P2530781
グエルチーノの作品です。


P2530707
あれっ、グイド・レーニの作品がある。でも少し平板です。
グイド・レーニの名作のコピー画でした。


P2530795
どうしたことか、13世紀から15世紀の作品の展示室が閉鎖されてました。


P2530818
部分開館はよくあることですが、ガックリさせられます。


067
外に出ました。


P2530988
夜にオペラを観劇するので、時間が余りありません。


P2530989
残念ながらサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂に行く時間がありません。


P2530990
サンタポッリナーレ・ヌオ―ヴォ聖堂を横に見ながらサン・ヴィターレ聖堂に向かいます。


P2530991
サン・ヴィターレ聖堂はチェントロ・ストーリコの北にあるので、チェントロをほぼ横断する形になります。


076
ジュゼッペ・ヴェルディ高等音楽院の建物です。


100
ポポロ広場を経由してサン・ヴィターレ聖堂に向かいます。


101
ガリバルディ広場です。ポポロ広場はガリバルディ広場と繋がってます。


102
ポポロ広場にやってきました。


103
ポポロ広場の端にあるサンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会です。


105
フランチェスコ・フォンターナの設計によって1701年から1728年にかけて建設されたバロック様式の八角形の教会です。


104
この時間は扉が閉まっていましたが、美術的に見所たる作品がないので、気になりません。


106
1288年創建の市庁舎です。


108
市庁舎前に彫刻があります。


107
Residenza Comunale


109
この街でも特に歴史ある広場ですが、古い建物は残っていないようです。


110
時計塔がある建物は、現在銀行が入ってます。


111
旧サン・ドメニコ教会に向かいます。


112
カミッロ・ベンソ・カヴール通り


113
銀行の建物だったと思います。


114
旧サン・ドメニコ教会です。


115
教会の前にパデナ川が流れていたそうです。
教会の歴史は975年に遡りますが、現在の建物は13世紀に建設され、1374年に拡大改造され、さらに18世紀に改修されたものです。


116
現在は、ラヴェンナ市所有の建物となっており、各種展示会などに使用されてます。


117
修道院だった建物は既に解体されました。


118
(つづく)

P2530647
次はサンタ・マリア・イン・ポルト聖堂と市立美術館です。


P2530648
サンタ・マリア・イン・ポルト聖堂です。


P2530649
聖堂の隣に建っているのが、サンタ・マリア・イン・ポルト修道院の建物です。修道院の一部が市立美術館です。


P2530651
聖堂と修道院はローマ通りに面してます。通りの先にあるのはポルタ・ヌオーヴァです。


073
ポルタ・ヌオーヴァのこちら側がラヴェンナの城壁内になります。門の先にサンタポッリナーレ・ディ・クラッセ聖堂があります。


P2530905
サンタ・マリア・イン・ポルト聖堂修道院の前に広場があります。


P2530652
先ずサンタ・マリア・イン・ポルト聖堂です。
ラヴェンナの城壁から東約4㎞のポルト・フオーリ(ラヴェンナのFrazioniの一つ)にサンタ・マリア教会がありました。15世紀、そのサンタ・マリア教会の隣に修道院建設計画が具体化しましたが、当時、ラヴェンナを支配していたヴェネツィア政府は、ポルト・フオーリの修道院建設を許可せず、城壁内に修道院建設するように指示しました。
その指示に基づき、1496年、現在、教会と修道院が建っている場所とその前の広場に建っていた住居が破壊されました。


P2530906
そうして、1496年創建され、1509年に完成したのがサンタ・マリア・イン・ポルト修道院です。1511年、当時の教皇ジュリオ2世(第216代教皇、在位:1503-1513)が一時期、この修道院に留まりました。


053
修道院の完成後、直ぐに修道院のための教会が必要とされて、1553年に創建され、1561年に一応、教会としての機能を持つ建物になりました。


P2530910
しかし、ファサードや礼拝堂の一部などが未完成でした。


P2530987
貴族で建築家のカミッロ・モリ―ジャ伯爵(ラヴェンナ、1743-1795)によって1775年から1784年にかけて建設されたファサードです。


P2530983
ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)のファサードの彫刻「慈愛」


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ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)の「ギリシャの聖母」(1689)


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ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)の「希望」


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ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)の「謙虚」


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1797年、ナポレオンの侵略によって修道士は追放され、1798年には修道院と教会が接収され、兵舎に転用されました。
1828年、修道院だけ再開されましたが、1886年に閉鎖されました。
19世紀末に教会が再開され現在に至ってます。


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1960年、教皇ジョヴァンニ23世によってBasilica Minoreに叙せられました。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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右側廊方向


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身廊天井
祭壇画を見て回ります。


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アンドレア・バルビアーニ(ラヴェンナ、1708-1779)の「聖母子と聖ドメニコとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(18世紀)


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左側廊の礼拝堂


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イッポリート・スカルセッラ通称ロ・スカルセッリーノ(フェッラーラ、1550-1620)の「聖ジャコモ・ミノーレの殉教」


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左側廊の礼拝堂です。


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チェーザレ・コルテ(ジェノヴァ、1554-1618)の「アンティオキアの聖マルゲリータの殉教」(16世紀末)


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左側廊の礼拝堂


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フランチェスコ・ロンギ(ラヴェンナ、1544-1618)の「聖母被昇天と聖人たち」


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左側廊の礼拝堂


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エミリオ・タルッフィ(ボローニャ、1633-1696)の「殉教者聖ロレンツォ」


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主祭壇


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誰の作品でしょうか?


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主祭壇前から見たファサード方向


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右側廊の礼拝堂に移ります。


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アンドレア・バルビアーニ(ラヴェンナ、1708-1779)の「聖ウバルド」


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右側廊の礼拝堂


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ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビエーニ(ラヴェンナ、1593-1650)の「聖モニカと4聖女」


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右側廊の礼拝堂


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549-1628)の「聖マルコの殉教」


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「磔刑像」(15世紀)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビアーニ(ラヴェンナ、1593-1650)の「聖カルロ・ボッロメオ」


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右側廊の礼拝堂


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ヴィンチェンツォ・スピサーノ通称ロ・スピサネッリ(オルタ・サン・ジュリオ、1595-ボローニャ、1622)の「幼児を救う守護天使」


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制作者情報不知の「受胎告知」


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制作者情報不知の「大天使聖ミケーレ」


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詳細不知


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詳細不知のフレスコ画


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「ラヴェンナのギリシャのマドンナ」(431以前)
これは有名な浮彫です。1100年、ラヴェンナに齎せました。


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詳細不知のイコン


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外に出ました。
(つづく)

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サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂です。
ゴート族のテオドリック王(パノニア、454-ラヴェンナ、526)によって、王自身が使用する応急教会として、505年に創建されたパラティーナ教会が前身です。


085
540年、ビザンチン帝国によってラヴェンナは征服され、同帝国のユスティニアヌス1世皇帝(482-565)によってカトリック教会になることが命じられました。それに伴い、カトリック信仰の擁護者であり、反異端の聖人サン・マルティーノ・ディ・トゥールに捧げる教会となり、サン・マルティーノ聖堂に改称されました。
725年の大地震によって後陣が崩落してしまい、後陣のモザイクは失われました。


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聖アポリナーレ・ディ・ラヴェンナ(アンティオキア、1世紀-クラッセ、2世紀)の聖遺物は、6世紀に建設されたサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂に置かれていましたが。クラッセ聖堂は海岸に近い場所にありました。9世紀になると、海賊の脅威が増して、聖遺物が海賊に奪われたり、破壊されるのを恐れて、聖遺物を内陸にあるサン・マルティーノ聖堂に移すことになりました。それに伴い、奉じる聖人が聖マルティーノから聖アポリナーレに変更され、教会の名称がサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂と改称されたのです。


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第一次世界大戦の爆撃によって、ファサードとファサード前の柱廊が破壊されたので、20世紀に修復され現在の姿になりました。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、バジリカ様式の内部です。


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信者席がありません。現役の宗教施設ではなく、恐らく観光用Museo扱いの施設と思います。


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18世紀に修復された天井


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新しそうな柱頭


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ユスティニアヌス1世のモザイク


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コリント式列柱の上部左壁のモザイクから見て行きます。


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左壁のモザイクのテーマは「東方三賢王と22人の聖女たちが聖母子に貢物を捧げる図」です。


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説教壇


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東方三賢王


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聖母子と天使たち


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主祭壇


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後陣のモザイクは、725年の地震によってすべて失われました。


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詳細不知の主祭壇画


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右壁のモザイクに移ります。


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右壁のモザイクのテーマは「貢物を手にした26人の殉教者がテオドリック王の宮殿からキリストの元に向かう図」です。


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新しそうな柱頭


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左側廊


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聖母の礼拝堂


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詳細不知の聖母子


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知のフレスコ画


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右側廊


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キオストロ回廊に出ました。


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外に出ました。
(つづく)

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そろそろ昼食時です。


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それ程モザイクが好きという訳ではないので、頻繁にラヴェンナに来ていませんが、それでも行けば必ず食べる店があります。夜はオペラなので、夕食は適当に済ます予定ということで、昼食はそこで食べます。


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Palazzo di Teodoricoです。


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この時間は扉が閉まっているので、Palazzo di Teodoricoの見学は昼食後にします。


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サンタポッリナーレ聖堂の鐘楼です。


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サンタポッリナーレ聖堂の拝観も昼食後にしました。


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ここのモザイクはゆっくりと鑑賞すべきです。


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昼食の場所は広場に面した通りにあります。
写真右がアリアーニ洗礼堂、写真正面がスピリト・サント教会です。


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アリアーニ通りです。


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アリアーニ通りに面したオステリアに入りました。


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腹一杯になりました。
アリアーニ洗礼堂が開く時間を待って外に出ました。


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スピリト・サント教会は閉まっていました。


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テオドリック(パノニア、454-ラヴェンナ、526)によって6世紀に着工され、526年に奉献されたアーリア人の司教座教会が前身です。


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その司教座教会の洗礼堂がアリアーニ洗礼堂です。


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礼拝堂は5世紀後半に着工され、6世紀前半に完成しました。


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アリアーニ洗礼堂はラヴェンナ共通券の対象外となってます。


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切符は係員から買います。係員がいない時は、コインを入れて入場します。
アリアーニ洗礼堂は、現在の地表よりも2.25m下にあります。


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中に入りました。
現存するモザイクは天井だけです。


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天井のモザイク


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次はPalazzo di Teodoricoです。


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伝統的にテオドリック宮殿と呼ばれてますが、7世紀から8世紀の建造物とされており、テオドリック(パノニア、454-ラヴェンナ、526)の死後に建設されたので、テオドリックとは直接関係がないというのが定説となってます。


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テオドリック宮殿の中に入りました。


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16世紀初頭に破壊されたサン・サルヴァトーレ・アド・カルキ教会の残骸という説もあるようです。


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1950年から約10年間に行われた考古学的調査でも説得力がある結論には至らず、何の建物であったのか、よく分からないようです。


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塔でしょうか? それとも鐘楼でしょうか?


083
(つづく)

160
次は大司教博物館とネオニアーノ洗礼堂です。


176
先ず大司教博物館です。


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非常に興味深い博物館です。


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入館しましたが、相変わらず中は写真不可でした。


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写真を撮ったら、品質劣化など問題になるような展示作品はなかったように思います。
サンタンドレア礼拝堂が見所でしょう。


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外部サイトから拝借したサンタンドレア礼拝堂の写真です。


185
写真不可は事大主義の賜物でしょうね。


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次はネオニアーノ洗礼堂です。


173
402年、西ローマ帝国のホノリウス帝は、西ローマ帝国の首都をミラノからラヴェンナに遷都しました。それに伴って首都に相応しい教会として、ウルシアナ大聖堂が建設されましたが、ウルシアナ大聖堂の洗礼堂として5世紀初頭に創建され、450年頃に完成したのがビザンチン様式のネオニアーノ洗礼堂です。


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中に入ろうとしたら、急にグループのご一行様が。


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ご一行様が立ち去るのを待って中に入りました。


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天井のモザイク


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モザイクは458年頃完成したそうです。


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このモザイクの人物表現は普通ですが、12-13頭身で目が異様に大きい人物には閉口します。


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上ばかり見ていたので首が痛くなりました。


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外に出ました。


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ジョン・F・ケネディ広場です。


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ケネディ大統領はイタリアで人気のようで、通りや広場の名称になってます。


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ラヴェンナ名物のモザイクの通りの表示板


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9月20日広場です。


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9月20日は広場や通りの名称になってますが、1870年9月20日イタリア王国軍がローマを攻略すると共にヴァティカンの世俗権と教皇領を奪ったことに因んでます。ローマはイタリア王国に併合され、首都になったのです。9月20日はイタリア統一運動における記念日です。


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歴史的建造物です。


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歴史的建造物です。


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(つづく)

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