イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: 街町村歩き

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サン・ザッカリア広場です。


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サン・ザッカリア教会です。


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東ローマ帝国のレオーネ5世アルメニア皇帝(アルメニア、775c-コンスタンティノポリス、820)がヴェネツィアに寄贈した聖ザッカリア(聖ジョヴァンニ・バッティスタの父)の聖遺物(遺体)を祀るために、9世紀に建設されたロマネスク様式の教会が起源です。
その後、ベネデット会の所有となり、ベネデット会女子修道士が管理することになり、女子修道院が併設されました。


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1105年、火災によって教会と修道院を消失してしまいましたが、火災を逃れてクリプタに退避した女子修道士100名以上が窒息死しました。12世紀に教会と修道院が再建されました。


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現在のゴシック、初期ルネサンス様式が混在する建物は三代目となるもので、アントニオ・ガンベッロ(?、?-ヴェネツィア、1481)とマウロ・コドゥッチ(レンナ、1440-ヴェネツィア、1504)によって1444年から1465年に建設されました。


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美術的に見所が多い教会です。


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写真右が修道院です。


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鐘楼


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中に入りました。


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三廊式、ルネサンス様式の内部です。


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右側廊方向


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ヴェネツィアは湿度が高いので、高湿度で落剝し易いフレスコ画法はあまり採用されませんでしたが、この教会にはフレスコ画があります。


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主祭壇


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アンドレア・チェレスティ(ヴェネツィア、1637-トスコラーノ、1712)による主祭壇画


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後陣にフレスコ画があります。


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ジローラモ・ペッレグリーニ(ローマ、1624-ヴェネツィア、1700)の「栄光の聖ザッカリア」


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ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1430c-1516)の「サン・ザッカリアの祭壇画」(1505)


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アントニオ・ヴァッシラッキ(ミロス、1556-サン・ヴィターレ、1629)の「聖母の結婚」(1600c)


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アントニオ・ヴァッシラッキ(ミロス、1556-サン・ヴィターレ、1629)の「聖母の神殿奉献(寺院への出現)」(1600c)


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アントニオ・ザンキ(エステ、1631-ヴェネツィア、1722)の作品(1684)


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アンドレア・チェレスティ(ヴェネツィア、1637-トスコラーノ、1712)の「教皇ベネデット3世の修道院訪問」(1684)


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アントニオ・バレストラ(ヴェローナ、1666-1740)の「マギの礼拝」(1704-08c)


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聖ザッカリアとアレッサンドリアの聖アタナシロの墓(1660c)


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544-1628)の「栄光の聖ザッカリア」(1599)


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ジョヴァンニ・アントニオ・フミアーニ(ヴェネツィア、1645-1710)の「1001年の皇帝オットー3世の修道院訪問」


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アントニオ・バレストラ(ヴェローナ、1666-1740)の「羊飼いの礼拝」(1707c)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ビッソーニ(パドヴァ、1576-1636)の「聖ザッカリア?」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ビッソーニ(パドヴァ、1576-1636)の「聖ザッカリア?」


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アントニオ・ゾンカの「アクイレイアを介抱するアッティラ」(1684c)


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アントニオ・ゾンカの「パドヴァからの難民のトルソドゥーロ島上陸」(1684c)


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詳細不知


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544-1628)の「聖母子と聖人たち」(1605)


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アントニオ・ゾンカの「1688年の復活祭に教会に訪れるドージェ」


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ジュゼッペ・ポルタ通称イル・サルヴィアーティ(カステルヌオーヴォ、1520-ヴェネツィア、1575)の「聖コズマと聖ダミアーノの奇跡」(1550c)


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アンドレア・チェレスティ(ヴェネツィア、1637-トスコラーノ、1712)の作品


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アントニオ・モリナーリ(ヴェネツィア、1655-1704)の「ご訪問」


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左側廊


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右側廊


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外に出ました。
(おわり)

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ヴァポレットに乗船してサン・ジョルジョからサン・ザッカリアに向かいました。


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好天であれば、サン・ジョルジョからサン・ザッカリアの船上は絶好の撮影ポイントになるかもしれません。


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この日はアクア・アルタの可能性はゼロと予報されてました。


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ホテルが建ち並ぶサン・ザッカリア地区です。


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この時、泊まっていたホテルです。ヴァポレットのサン・ザッカリア駅の後方にあります。


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サン・ザッカリアで下船しました。サンタ・マリア・デッラ・ピエタ教会が修復中でした。


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Calle Seconda de La Fava


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Rio dei Greciの先にサン・ジョルジョ・デイ・グレーチ聖堂の鐘楼が見えます。


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次の目的地サン・ジョルジョ・デイ・グレーチ聖堂に向かいます。


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Calle de La Pietaの突き当りにビサンツィオ・ホテルがあります。


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Calle dei Greciを進みます。


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細い通りで不安になりましたが、道は間違えていないと思いました。


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グレーチ広場に着きました。


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サン・ジョルジョ・デイ・グレーチ聖堂です。


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ギリシャ人によって、1539年創建、1573年に完成した正教会の聖堂です。拝観しようと思っていましたが、扉が閉まっていました。


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入口扉上ルネッタのモザイク


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聖堂横にイコン博物館があります。


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イコン博物館も閉まっていました。


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楽しみにしていたので、サン・ジョルジョ・デイ・グレーチ聖堂とイコン博物館が閉まっていたのは残念でした。


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Rio di San Lorenzo


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写真右はリアシッディ・パレス・ホテルです。


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Fondamenta San Lorenzoを通ってサン・ザッカリア教会に向かいました。


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Ponte de l'Osmarinを渡りました。


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Fondamenta de l'Osmarinを進みました。


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道の先にあるPonte del Diavoloです。


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ホテル・パラッツォ・プリウーリがあります。


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今通って来た道を振り返って撮った写真です。


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Rio di San Severo


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Ponte dei Carmini


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サン・ザッカリア教会はもう直ぐです。


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何処をどう間違えたのか分かりませんが、サン・ザッカリアに出てしまいました。


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サン・ザッカリア教会には、泊まっているホテルの横にある道を進めば簡単に行けるので、慌てずにドゥカーレ宮殿の方に向かいました。


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溜息橋


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教会が沢山ありますね。


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ドゥカーレ宮殿


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久し振りにじっくり見ました。


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この日は人出が少なかった。


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アクア・アルタの可能性が小さいとされていましたが、アクア・アルタ用の仮架橋が用意されてます。


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サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂です。


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ホテルの方に戻ってサン・ザッカリア教会に向かいました。


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(つづく)

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ヴァポレットから見たサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会です。


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ジューデッカ島のレデントーレ教会です。


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靄がかなり濃い日でした。


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サン・ジョルジョ・マッジョーレ島に向かいます。


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サン・ジョルジョに到着しました。


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サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂です。
1900年、当時の教皇レオーネ13世(第256代教皇 在位:1878年~1903年)によって、Basilica Minoreに格付けされました。


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790年頃に建設されたサン・ジョルジョ教会が前身です。982年、ベネデット会の所有となり、ベネデット会修道士によって修道院が建設されました。


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1223年、教会の建物が崩壊したので、ベネデット会修道士によって二代目の教会の建物が建設されました。
修道院食堂の建設のため、アントニオ・パッラーディオ(パドヴァ、1508-メーザー、1580)が招聘され、1560年から1563年にかけて食堂が建設されました。
食堂の完成後、三代目の教会建物建設をパッラーディオに委嘱され、パッラーディオの設計によって、1566年から1610年にかけてルネサンス様式の建物が現在の姿の原形となってます。


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ファサードはヴィンチェンツォ・スカモッティ(ヴェネツィア、1548-1616)の設計によって1597年から1610年にかけて建設されました。


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1467年に建設された二代目の鐘楼が1774年に崩落してしまったので、ベネデット・ブラッティの設計によって1791年に建設された三代目の鐘楼が現在のものです。高さが75mあります。


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ファサード壁龕の彫刻


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ファサード扉上のピオ7世の紋章です。
紋章がある理由は、第251代教皇ピオ7世(在位:1800年~1823年)がヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ修道院で1799年から1800年に行われたコンクラーヴェで教皇に選出されたからです。
当時、ローマはフランス軍の占領下にあったので、ローマでコンクラーヴェが出来なかったのです。ナポレオンは教会修道院活動抑圧政策を採っていたので、教皇庁と対立していました。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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巨大な柱が目立ちます。


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非常に明るい内部です。装飾が少ない内部です。


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クーポラ


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主祭壇です。


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ジローラモ・カンパーニャ(ヴェローナ、1552-ヴェネツィア、1625)による主祭壇の彫刻


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中央礼拝堂右横壁にあるヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1518-1594)の「最後の晩餐」(1592-94)


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ヤコポ・ロブスティ通称ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1518-1594)の「マナの収拾」(1592-94)


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バルダッサッレ・ロンゲーナ(ヴェネツィア、1598-1682)の「キリストの復活があるピエトロ・チヴランのモニュメント」(1638)


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聖歌隊席の彫刻(1594-98)


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詳細不知


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ヤコポ・ロブスティ通称ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1518-1594)とドメニコ・ティントレット(ヴェネツィア、1560-1635)の「キリストの復活とヴィンチェンツォ・モロシ―ニとその家族」(1583-85c)


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次の礼拝堂です。


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ヤコポ・ロブスティ通称ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1518-1594)とドメニコ・ティントレット(ヴェネツィア、1560-1635)の「三位一体と聖ステファノの殉教」


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マッテオ・ポンツォーネ(クロアチア、1583-ヴェネツィア、1663)の「竜を退治する聖ジョルジョ」(1600-50c)


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光るので別角度から撮った写真です。


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ジローラモ・カンパーニャ(ヴェローナ、1552-ヴェネツィア、1625)の「聖母子と天使たち」(1595)


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レアンドロ・バッサーノ(バッサーノ、1557-ヴェネツィア、1622)の「聖ルチアの殉教」(1596)


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光るので別角度から撮った写真です。


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左側廊


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右側廊


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ヤコポ・バッサーノ(バッサーノ、1510-1592)の「羊飼いの礼拝」


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ヴェネトの逸名彫刻家作「磔刑像」(1458年に寄贈されたもの)


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ヤコポ・ロブスティ通称ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1518-1594)とドメニコ・ティントレット(ヴェネツィア、1560-1635)の「聖コズマと聖ダミアーノの殉教」


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次の礼拝堂です。


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ヤコポ・ロブスティ通称ヤコポ・ティントレット(1518-1594)と工房による「聖母戴冠と聖人たち」(1594)


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セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659-ヴェネツィア、1734)の「聖母子と聖人たち」


2
最後に非常に残念で腹立たしいことを記しておきましょう。
パオロ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1528-ヴェネツィア、1589)の傑作「カナの結婚」(1562-63)です。修道院食堂に飾るためにパオロ・ヴェロネーゼに注文され、1年で完成した傑作です。現在、ルーブル美術館で展示されてますが、1797年、ナポレオンの命令によって、この作品は盗まれ、ルーブル美術館で展示されるようになりました。ナポレオンの失脚後、返還交渉が行われたものの、フランス側が返還を断固拒否して現在に至ってます。
(作品画像は外部サイトから拝借しました)


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外に出ました。
(つづく)

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スカルツィ橋の上からのリアルト橋方向の景観


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スカルツィ橋上から見たローマ広場方向の景観


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フェローヴィアから2番のヴァポレットに乗船しました。


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ローマ広場、ジューデッカ島を経由してサン・ジョルジョ・マッジョーレ島に行きます。2番のヴァポレットですが、大運河経由と逆方向なので空いていました。


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かなり有名なサン・シメオン・ピッコロ教会ですが、不思議なことに拝観している観光客が少ないようです。


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Ponte de La Croce


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ローマ広場に向かう人は数名でした。


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このホテルに泊まったことがありません。ローマ広場近くなので、ホテル周囲は面白みに欠けるようです。


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ローマ広場駅に着きました。


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空路でヴェネツィアに到着した時に、ローマ広場を利用したことがあります。


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ローマ広場を過ぎると建物の様子が一変します。


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工場でしょうか、近代的な建物が散見されます。


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メストレと結ぶ橋です。


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列車が頻繁に往来してます。


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写真右上はケーブルカーの架橋です。


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モノレールかと思いましたがケーブカーだそうです。


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2010年に開通したPeople Mover di Veneziaです。ローマ広場からマリッティマ・クルーズ・ターミナルを結んでます。


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外洋のような感じがします。


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ヴァポレットは、大運河を航行している時とは違って、かなりの高速で運行されてます。


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ジューデッカ運河に出ると鐘楼が幾つか見えてきます。


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ジューデッカ島です。


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Ponte Molin Rio de San Basegio


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Fondamenta Zattere Ponte Lungo


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Palazzo dell Adriatica


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サン・トロヴァソ教会が見えます。


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サンタ・マリア・デイ・ロザリオ教会です。


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サンタ・マリア・デイ・ロザリオ教会の後方にアカデミア美術館があります。


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非常に目立つ教会ですが、美術的に中にある数点の作品が観る価値があります。


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ヴァポレットの進行に従って教会の全容がよく分かるようになります。


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ジューデッカ島のレデントーレ教会が見えます。


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Fondamenta Zattere Ai Gesuitiです。


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ジューデッカ島です。


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ヴァポレットのZattere駅後方にサンタ・マリア・デッラ・ヴィズィタツィオーネ教会です。


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乗船したヴァポレットはジューデッカ島に向かいます。


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鐘楼が数本見えますが、何処の教会のものなのか特定するのが大変です。


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船が余り運行していないので、高速で進む船が多いようです。


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サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会が見えてきました。


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Ex-Ospedale degli Incurabili


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サン・マルコの鐘楼です。


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サン・マルコ寺院が見えてきました。


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ドゥカーレ宮殿が姿を現しました。晴れていないのが残念です。


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(つづく)

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アカデミア美術館から外に出ました。


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大運河ではなく、この時はCanale della Giudeccaの方に向かいました。


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Rio Terra Antonio Foscarini


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写真右は、アカデミア美術館となっている旧サンタ・マリア・デッラ・カリタ修道院教会です。


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サンタ・マリア・デイ・ロザリオ教会の鐘楼が見えてます。


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道の突き当りがジューデッカ運河です。写真右に広場があり、広場に面してサンタグネス教会があります。


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サンタグネス教会です。


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10-11世紀に建設されたロマネスク様式の教会です。日曜日朝に行われるミサの時だけ扉が開けられるようです。


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サンタグネス広場です。


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サンタグネス広場からサンタ・マリア・デイ・ロザリオ教会、別称サンタ・マリア・デイ・ジェスアティ教会の鐘楼とクーポラが見えます。


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1724年から1736年に建設されたバロック様式のサンタ・マリア・デイ・ロザリオ教会です。


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暑いことに加えて、ヴェネツィアは湿度が高いので、汗が中々乾きません。


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ヴェネツィアは知れば知るほど面白いと思います。


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Canale della Giudeccaに出ました。


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ジューデッカ運河の先にジューデッカ島があります。


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Fondamenta Zattere Ai Gesuiti


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この辺は大体空いていますが、初夏のベストシーズンなので人出がかなり多いようです。


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サンタ・マリア・デイ・ロザリオ教会の扉が閉まっていました。あと数分で開く筈ですが・・・・・


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サンタ・マリア・デイ・ロザリオ教会のファサードはジューデッカ運河に面してます。


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鐘楼


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扉が開きました。


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拝観します。


6
美術的な見所は2つでしょう。


7
ヤコポ・ロブスティ通称ヤコポ・ティントレットの「磔刑」


8
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの「聖ドメニコ」


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外に出ました。


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サンタ・マリア・デッラ・ヴィズィタツィオーネ教会は閉まっていました。


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ジューデッカ運河のレデントーレ教会が見えます。


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パッラーディオ設計によって1577年から1592年に建設されたレデントーレ教会です。パッラーディオが設計したものの、工事着工は彼の死後になりました。


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ヴァポレットのZattere駅です。


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乗合船を待ちました。


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ヴァポレットに乗船しました。


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ジューデッカ運河をローマ広場の方に向かって進みます。


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アカデミア方面からローマ広場やサンタ・ルチア駅に行くには、リアルト経由よりもジューデッカ運河経由の方が時間的に有利です。


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Fondamenta Zattere Ponte Lungo


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乗合船は空いてます。


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Ponte Molin Rio de San Basegio


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San Basilio


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本土が見えてます。


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(つづく)

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アクア・アルタになる前に早くヴァポレットに乗らなくては!


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溜息橋は何時ものように見えましたが、潮位が上がって来て道が海水に覆われるようになりました。


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辛うじてサン・ザッカリアからヴァポレットに乗船できました。サンタ・ルチア駅前は未だ大丈夫でした。乗船後間もなくしてサン・マルコ周辺は海水に覆われ、ヴァポレットがサン・マルコへの寄港休止となったそうです。
急いでいたし、焦っていたので途中の写真がありません。


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ホテルに戻る前に夕食を食べることにしました。


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道路を隔てたホテルの向かいの店に入りました。アクア・アルタが予想されていたので、ホテルに戻るのに容易な店を選びました。


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店を出たら、アクア・アルタが起きてました。


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直ぐに潮位が増してきました。


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カステッロ地区はアクア・アルタの影響は少ない方です。この日のサン・マルコ地区の潮位は1mを越えたそうです。


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向かいのホテルでは、係員が客をおんぶして中に入れてました。


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ホテル専用船着き場からロビーにも仮架橋が設けられてました。


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写真ではよく分かりませんが、ロビーに海水が押し寄せてきました。


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翌朝です。雨が止んでます。


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街歩きに出発しました。


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サンティ・ジェレミア・エ・ルチア教会に向かいました。


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サンティ・ジェレミア・エ・ルチア教会です。正式現称はSantuario di Luciaらしい。


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11世紀に建設されたサン・ジェレミア教会が前身です。創建以来、何度も再建されたそうです。


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現在の建物は、カルロ・コルベッリーニに設計によって、1753年に創建され、1760年に一応の完成を見たものが基本となってます。


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聖ルチアの遺体が収められてます。
聖ルチア(シラクーザ、183c?-304)は、シラクーザで殉教しましたが、殉教後、シラクーザのサンタ・ルチア・アル・セポルクロ聖堂に埋葬されました。ところが、彼女の遺体は掘り起こされ、東ローマ帝国に売却され、コンスタンティノポリスに移されてしまいました。フランス貴族とヴェネツィア共和国が中心となって、東ローマ帝国を攻撃した第4次十字軍(1202-1204年)は勝利し、その戦利品として聖ルチアの遺体はコンスタンティノポリスからヴェネツィアに移されました。それを機に、聖ルチアの遺体を祀るためにサンタ・ルチア教会が建設されました。
建設された場所は、現在のヴェネツィア・サンタ・ルチア駅がある所でした。19世紀半ばにヴェネツィアに鉄道が敷設されることになり、鉄道駅は教会がある場所と決定されました。
そのため、サンタ・ルチア教会は取り壊されることになり、聖ルチアの遺体はサン・ジェレミア教会に移されることになりました。そのため、教会の改造工事が行われ、1861年に完成しましたが、その際、教会の名称がサンティ・ジェレミア・エ・ルチア教会と改称されました。


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ところが、それだけでは終わらず、1981年11月、聖ルチアの遺体が盗まれてしまい、犯人から身代金の支払い要求が出されたのです。遺体の身代金要求には本当に驚きました。
1981年12月、身代金未払のまま、突然遺体が戻されて一件落着となりました。犯人は分からずで終わったようです。


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ここでは単純に創建時の名称になってます。


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中に入りました。


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変形4廊式、ギリシャ十字形、新古典様式の内部です。


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左側に2つの側廊があります。


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右側廊方向


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装飾が少なく、スッキリした感じがします。


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クーポラ


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主祭壇


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主祭壇に聖ルチアの遺体が置かれてます。


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祭壇画、彫刻を見て回ります。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・メンガルディ(パドヴァ、1738-ヴェネツィア、1796)の「聖家族」


1
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544-1628)の「聖ルチア」


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アゴスティーノ・ウゴリーニ(ヴェローナ、1758-ヴェネツィア、1826)の「十字架降下」


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セバスティアーノ・サンティ(ムラーノ、1789-ヴェネツィア、1866)の「磔刑と聖人たち」


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ジャン・マリア・モルライターの「ロザリオの聖母」(17世紀)


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544-1628)の「聖ルチアと聖アゴスティーノ」


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544-1628)の「受胎告知」


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17世紀のヴェネツィアの逸名画家作「聖ルチアの聖体拝領」


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ピエル・アントニオ・ノヴェッリ(ヴェネツィア、1729-1804)の「聖母の浄化」


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詳細不知


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ベルナルディーノ・ルカデッロの「聖母の神殿奉献」(1745)


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フランチェスコ・マッジョット(ヴェネツィア、1738-1805)の「聖ジュゼッペの死」


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外に出ました。
1700年以上前に没した聖ルチアの遺体の身代金なんて、私にはとても考えられません。
(つづく)

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一般乗合船でアカデミアからサン・ザッカリアに移動します。


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寒いし、大雨の上に、アクア・アルタが予想されていたので、人出が少なく、サン・マルコ寺院とドゥカーレ宮殿に行くには絶好の日と予想してました。


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人出は何時もより確かに少なめでしたが、悪天にも拘らず予想以上の賑わいでした。


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溜息橋


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サン・マルコ寺院は大混雑で、写真を撮るどころではありません。


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大雨で行く所が限られているので、無料のサン・マルコ寺院は拝観者が集中したようでした。


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ところがドゥカーレ宮殿は空いてました。


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有料なので、敬遠されたかも知れません。


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これから満潮を迎えるので、時間が余りありません。


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低気圧が近づいているので、アクア・アルタが起きる可能性が高いとの潮位予想でした。


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サン・マルコ地区はアクア・アルタの影響を最も受けるとされてます。


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多少のアクア・アルタならば、歩行者用仮架橋で大丈夫ですが、仮架橋よりも潮位が高くなると厄介です。


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アクア・アルタが起きると、ヴァポレットのサン・マルコ駅とサン・ザッカリア駅が閉鎖になることがあります。ということで、絶えず外の潮位の具合に注意しながら見て回りました。


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ヴェネツィアにおける絵画が他の街などと大きく違うことは、フレスコ画による装飾は極めて稀であり、例え大画面であってもキャンバスへの油彩で描かれたことです。


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水の都ヴェネツィアですから、常時湿度が高いので、フレスコ画は直ぐに落剝してしまうのです。


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ヴェネツィアに不向きなフレスコ画ですが、それにも拘らず存在しています。


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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490c-ヴェネツィア、1576)の「祈りを捧げるグリマーニ総督」(1575-76c)


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アントニオ・ヴァッシラッキ(ギリシャ、ミロス、1556-ヴェネツィア、1629)の「マギの礼拝」(1600c)


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武具の展示


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ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1518-1594)の「天国」(1588c)


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そろそろ切り上げないと・・・・・


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独房


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外が心配です。


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外に出ました。
(つづく)

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ムラーノ島のロンゴ橋です。


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ロンゴ橋横のタベルナコロ


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Trattoria al Fratiが見えます。ムラーノではお勧めの食堂です。


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ロンゴ橋を渡ります。


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ロンゴ橋から見たMuseo方向です。


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旧サントステファノ教会の鐘楼です。


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サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の鐘楼が見えます。


P2700666写真左の道路はRiva Longaです。


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写真右の鐘楼はサン・ピエトロ・マルティーレ教会のものです。


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対岸の道路はFondamenta Antonio Colleoniです。


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ガラス美術館に向かいます。


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一般乗合船のMuseo駅が見えてきました。


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とうとう雨が降り始めました。天気予報通りでした。私は何故かイタリアでは雨男で、天気予報が晴れでも雨に遭うことが非常に多いのですが、天気予報が雨だと天気予報通りになるのです。


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通って来た道を振り返って撮った写真です。


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Murano Navagero方向です。


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この辺から道の名称が変わって、Fondamenta Marco Giustinianを進みます。


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対岸のFondamenta Antonio Maschinoです。


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サン・ドナート橋です。


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ガラス美術館は臨時休館でした。天気が悪い上に、低気圧の影響でアクア・アルタが予想されていたので臨時休館にしたようです。ガラスに特に興味があるわけでもないので、臨時休館でも然程残念には思いませんでした。


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美術館がダメでも教会巡りがあります。


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雨が強くなってきました。


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Laboratorio Cristina Linzi


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雨が強くなってきたと共に寒い風も強く吹いてきたので、教会巡りをする気力が失せました。


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ムラーノ観光を断念して一旦ホテルに戻ることにしました。


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一般乗合船に乗船しました。


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グーリエで下船しました。


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雨がムラーノよりも強く降っていました。


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Fondamenta Cannaregioをグーリエ橋方向に進みました。


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グーリエ橋です。


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見えている鐘楼はサンティ・ジェレミア・エ・ルチア教会のものです。


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グーリエ橋上からの景観


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サンタ・ルチア鉄道駅の方に向かいます。


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Salizada San Geremia


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この時間は干潮に向かっているので、アクア・アルタはありません。


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一旦ホテルに戻って一休みしてから、早い昼食を食べることにしました。


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早い時間の昼食を食べるには中華料理屋が最適です。ヴェネツィアでも中華料理屋が進出しています。


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箸が欲しいと言わないと出てきません。


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値段が安く、時間の有効利用に中華料理は最適です。


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アカデミア美術館に行きました。


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教会巡りをするつもりでしたが、大雨になったので、雨宿りを兼ねて美術館でゆっくりすることにしました。


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入館しました。


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アカデミア美術館に付いては、既に2回取り上げました。そちらの方をご参照願います。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカ


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ジョルジョーネ


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ジョヴァンニ・ベッリーニ


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アンドレア・マンテーニャ


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パオロ・ヴェロネーゼ


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ヤコポ・ティントレット


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ティツィアーノ・ヴェッチェリオ


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パルマ・イル・ヴェッキオ


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ジェンティーレ・ベッリーニ


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ラッザーロ・バスティアーニ


P2700956
ジェンティーレ・ベッリーニ


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フランチェスコ・アイエツ


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アントニオ・カノーヴァ


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傑作に酔いしれて外に出ました。
(つづく)

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Fondamenta Nuova


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サン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ教会の鐘楼が見えてます。


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鐘楼が見えてますが、どの教会のものか分かりません。


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サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂のクーポラです。


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ヴェポレットはサン・ミケーレ島に進みます。


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サン・マルコの鐘楼でしょう。


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サン・ミケーレ島にやってきました。


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ヴェネツィアの墓地になってます。


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死人からの感染を防ぐために墓地専用の島として使用されてます。


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死者からの分解物を防ぐために、島は煉瓦で囲まれてます。


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サンタ・マリア・アッスンタ教会が見えてます。


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Cimiteroを過ぎました。


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サン・ミケーレ・イン・イーゾラ教会です。


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教会の歴史は13世紀に遡るそうです。現在の姿は1469年に再建された後のものです。


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修道院だった建物


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修道院は閉鎖されてます。


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1456年から1460年に建設された鐘楼です。


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波が少し荒くなってきました。


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ムラーノ島にやってきました。


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Colonnaを過ぎました。


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ガラス工場です。


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ヴァポレットから下船します。


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ムラーノ島に着きました。


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今にも雨が降りそうです。


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(つづく)

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ラグーナ・ヴェネタに出ました。


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ムラーノ島に向かってます。


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Fondamenta Sacca San Girolamo


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外洋に出た感じがしました。


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風が少し強くなって、波が荒くなってきました。


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Ponte Moro


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リベルタ橋


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ヴェネツィア史が非常に面白いですね。


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権力が集中しないように腐心された統治法が見事です。


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歴史を知らないと、ヴェネツィア共和国がヨーロッパの強国であったことが中々分かりません。


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戦争になると、これらの杭を抜いたそうです。杭は水深が深い場所を示していて船が通れます。杭を抜いてしまうと、ヴェネツィアの航路を知らない敵方は水深が分からなくなり、敵船は座礁してしまったそうです。


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造船所でしょうか?


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Fondamenta Cortarini


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Sant' Alviseが過ぎました。


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サンタルヴィーゼ教会の鐘楼です。


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ロルトを通り過ぎました。


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マドンナ・デッロルト教会の鐘楼が見えてます。


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マドンナ・デッロルト教会が見えてきました。


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海の方から見ると、見慣れた教会でも外観だけでは中々区別がつきません。


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ヴァポレットの係留地です。


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フェリーターミナルを過ぎました。


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サンタ・マリア・アッスンタ教会、通称イ・ジェスイーティ教会です。


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1715年から1729年に建設されたイエズス会の教会です。バロック様式です。


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ミゼリコルディア修道院です。


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Fondamenta Nove


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サン・マルコの鐘楼が見えてきました。


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(つづく)

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疲労して外出する気になれなかった上に、夜更けの満潮時にアクア・アルタが予想されていました。


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ホテルの食堂で夕食を食べることにしました。


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値段が高いと思われますが、ヴェネツィアでは普通のお値段です。


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お味は並み以上です。


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快適に食べることが出来ました。


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潮が上がってきましたが、岸壁を越えることはなかったように思います。


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翌朝です。


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今にも泣きだしそうな寒い日でした。


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自室のベランダから撮った写真です。


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ヴァポレットに乗船するためにサンタ・ルチア駅の方に向かいました。


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朝なので、観光客の姿はチラホラ。


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1718年から1738年に建設された新古典様式のサン・シメオン・ピッコロ教会です。


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ヴァポレットに乗船してムラーノ島に向かいます。


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ムラーノ島行きのヴァポレットは空いてました。


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美術的にはマイナーなので、お薦めの拝観先とは言い兼ねます。


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スカルツィ橋を潜りました。


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カナル・グランデ・ホテルには泊まったことがありません。


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Riva de Biasioを過ぎました。


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ヴァポレットは大運河から左折してカナレ―ジョに入りました。


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Pescaria de Canaregio


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サン・ジェレミア広場です。


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グーリエ橋を潜りました。


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グーリエ橋


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Fondamenta Canaregio


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グーリエを過ぎました。


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Palazzo Loredan Gheltoff


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Crea


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Ponte dei Tre Archi


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Tre Archiを過ぎました。


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カ・フォスカリ大学経営学部の学舎です。


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FS線が見えてます。


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(つづく)

222
Rio di San Feliceの端にある、15世紀初めに建設されたゴシック様式のPalazzo Pesaro Papafavaです。


223
Canale della Misericordia


224
1310年に建設されたScuola Vecchia della Misericordiaです。


226
936年創建のChiesa dell' Abbazia della Misericordiaです。現在のファサードは1659年に建設されました。


229
1806年、ナポレオンの抑圧令によって活動が停止されてから、一度も宗教活動を再開することなく現在に至ってます。


228
Campo d' Abbaziaから見た建物です。Palazzo Lezzeでしょうか?


225
Rio della Sensa


227
Fondamenta d' Abbazia


230
Rio della Sensaをマドンナ・デッロルト教会の方に進みます。


231


232
Sacca della Misericordia


233
サン・ミケーレ教会(写真右)が見えます。


234
Rio di Madonna dell' Orto


235
突き当りは大運河方向になります。


236
Fondamenta Madonna dell'Orto


237
14世紀から15世紀に建設された、ゴシック様式のPalazzo Mastelli del Cammelloです。


238
マドンナ・デッロルト教会にやってきました。


239
マドンナ・デッロルト教会です。


242
14世紀中頃に建設されたゴシック様式の教会です。


257
有名画家たちの作品があるので、美術ファンにとっては必見でしょう。


240
マドンナ・デッロルト広場です。


241
拝観有料です。中は写真不可です。


284
中に入りました。三廊式、バジリカ様式の内部です。
写真不可にも拘らず私の写真があるのは、許可を受けたカメラマンが写真を撮っていたので、その人と一緒に歩いて撮りました。でも撮れたのは全体の1割くらいの作品だけでした。


285
ヤコポ・ティントレットの墓です。


250
後陣


243
チーマ・ダ・コネリアーノ(コネリアーノ、1459-1517)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタと4聖人(聖ピエトロ、聖マルコ、聖ジローラモ、聖パオロ)」(1495)


244
制作者情報不詳の「チーマ・ダ・コネリアーノ作『聖クリストフォロ』のコピー画」
オリジナル作品はアカデミア美術館にあります。


246
ジローラモ・ダ・サンタクローチェ(サンタクローチェ、1490c-ヴェネツィア、1556)の「聖アゴスティーノと聖ジローラモ」


248


249


252
マッテオ・ポンツォーネ(クロアチア、1583-ヴェネツィア、1663)の「キリストの鞭打ち」


254
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544-1628)の「磔刑」


255
ドメニコ・ティントレット(ヴェネツィア、1560-1635)の「ご誕生」


256
ティツィアーノ・ヴェッチェリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「大天使ラッファエーレとトビオーロ」(1530)
私が中で撮れた写真は以上です。
この他にも沢山の傑作があります。


258
外に出ました。


259
朝から船を使用しないで、徒歩だけであちこち行ったので、流石に疲れてきました。


260
教会が開く時間ですが、教会巡りはこのぐらいで終わりにすることにしました。


261
ヴェネツィアの教会は写真不可の所が多いので、気合が入りません。


262
ホテルに戻ることにしました。


263
干潮になった来たので、アクア・アルタの心配は不要です。


264
アクア・アルタが無くなったので、サン・マルコに行っても良いのですが、疲労して行く気力がありません。


265
鉄道駅の方に向かってます。


266
私を全く無視したニャーゴ


267
少し前までは元気でした。今はこのようには徒歩であちこち行けません。


268
もう直ぐ駅です。


269
(つづく)

176
サン・マルコ地区では真面な店です。ピザ店ではなく、魚料理が色々楽しめます。


177
予算は€100くらいにしておかないと、ヴェネツィアでは真面な食事にありつけません。


178
Calle del Teatro


179
ゴルドーニ劇場です。時々オペラを上演しているようですが、入ったことがありません。


180
サン・マルコがアクア・アルタなので、サン・マルコ広場周辺にいた観光客が移動して来たのか、急に混雑してきました。


182
Rio di San Salvador


183
Teatro Malibranです。


184
1678年に初演された劇場で、元々はオペラ上演が専門だったようです。



185
劇場の前で大人しくしていたニャーゴ。人にナデナデして貰っても我関せずにこのような状態で、じっとしてました。人通りが多いヴェネツィアの繁華街に住んでいるので、人馴れしています。


186
リアルトを通り過ぎました。


187
Rio di San Giovanni Cristomo
そろそろ満潮の時刻を迎えます。


188
Calle Larga del Proverbi


189
道の所々が濡れてますが、満潮とアクア・アルタの影響でしょう。


190
Rio dei Santi Apostoli


191
昼食はカ・ドーロ地区で食べることにしました。


192
Calle di Duca?
裏通りにある一杯飲み屋での昼食です。


193
入店してから、飲み物はプロセッコにしました。


194
野菜中心の前菜にしました。


195
何時も同じものを食べてます。


196
最近は年取って胃袋が小さくなって持て余すことが多くなりました。


197
お腹一杯です。酒に弱くなる一方で、プロセッコ1本でも酔っ払ってしまいます。


198
一旦Strada Novaに戻ってから大運河に出ます。


199
写真右端がカ・ドーロです。


206
カ・ドーロのジョルジョ・フランケッティ美術館に入館しました。


207
美術館に入館したのは、酔い覚ましの一休みが目的でした。不謹慎ですが、トイレがあるし、一休みするベンチが置いてあるので、酔い覚ましに最適です。


208
勿論、作品も楽しみました。


200
カ・ドーロから見た大運河です。


201
リアルト方向


202
魚市場です。


203
ところで、2014年4月からアリタリア航空が成田~ヴェネツィア間の直行便を運航してましたが、ご利用されたことがありますか?


204
私は一回利用したことがあります。日本人の人気観光地ヴェネツィアへの直行便ですから、満席かと思いましたが、意外にも空席が多かったのです。
ヴェネツィア・イン、ヴェネツィア・アウトでは、旅程を組むのが大変だったことを覚えてます。


205
確か週2便の運航だったと思いますが、集客に苦労したようで間もなく運航休止となってしまいました。


209
ジョルジョ・フランケッティ美術館から外に出てStrada Novaに戻りました。


210
Fondamenta San Feliceを進みます。


211
Rio di San Felice


212
干潮に向かってます。


213
海釣りに行くときは潮回りを調べてから行きますが、アクア・アルタの可能性が低い夏を除いて、月齢と潮回りを調べてからヴェネツィアに行く日を決めてます。


214


215


216
Romo de La Misericordia


217
Scuola Nuova di Santa Maria della Misericordia


218
ヤコポ・サンソビーノ(フィレンツェ、1486-1570)の設計によって1534年から1583年に建設されました。


220
ナポレオンの抑圧令によって1806年に活動が停止され、その後一度も宗教活動が再開されることなく現在に至ってます。
現在はヴェネツィア市所有の建物となってます。


221
(つづく)

136
普段の水位が分からないので、潮が満ちているのか、引いているのが分かりません。


137
橋を渡ってサンタ・マリア・フェルモーザ広場に向かいます。


138
水位を暫く見ていたら、どうやら満ちていることが分かりました。


139
橋を渡りました。


140
Rio di Santa Marinaでしょうか?


141
サンタ・マリア・フォルモーザ教区教会です。2つのファサードがありますが、こちらは西側のファサードです。西側がメイン・ファサードで、北向きのファサードがサイド・ファサードになります。


143
639年に創建されました。現在のルネサンス様式の建物は、1492年の工事着工、16世紀に一応の完成を見た二代目のものです。


142
西側のメイン・ファサードは1542年に建設されました。
1624年に地震によって大きな被害を受けたので、その後に修復されたそうです。


146
1604年に建設された北向きのサイド・ファサードです。


147
1688年に建設されたバロック様式の鐘楼です。
1807年のナポレオンの抑圧令によって宗教活動が一時停止されましたが、ナポレオンの失脚後活動が再開されました。
また、第一次世界大戦でオーストリア軍の爆撃を受け、戦後に大修復されました。第二次世界大戦では被害を受けなかったようです。


149
後陣です。
拝観有料となってます。


280
中に入りましたが、私が拝観した時は写真不可でした。主な作品に限り、外部サイトから作品画像を拝借して紹介することにしましょう。


281
パルマ・イル・ヴェッキオ(ヴェネツィア、1480-1528)の「聖バルバラのポリッティコ」(1524-25)
この作品はパルマ・イル・ヴェッキオの最高傑作と言われてます。


282
バルトロメオ・ヴィヴァリーニ(ムラーノ、1440c-1499c)の「サンタ・マリア・フォルモーザのトリッティコ」(1473)


283
レアンドロ・バッサーノ(バッサーノ、1557-ヴェネツィア、1622)の「最後の晩餐」(1578c)


151
教区教会からCampo Santa Maria Formosaに出ました。


145
Campo Santa Maria Formosaに面して建つ、16世紀に建設されたPalazzo Priuli Ruzziniです。現在、四つ星ホテルになってます。


148
15世紀に再建されたPalazzo Malipieroです。


150
Rio di Formosa


144
ヴェネツィアにしては広い広場です。


152
サンタ・マリア・フォルモーザ教区教会の裏にあるクエリ―ニ・スタンパリア絵画館に向かいます。


153
クエリ―ニ・スタンパリア絵画館に入館しましたが、既に触れたので重複を避けます。


154
潮位が少し上昇したように見えました。


155
正午を過ぎたので、教会が閉まるのが普通ですが、ヴェネツィアの拝観有料の教会は大体開いてます。引き続き教会巡りです。


156
多分扉が閉まっていると思いながらもサン・ジョヴァンニ・ノーヴォ教会に向かいました。


157
サン・ジョヴァンニ・ノーヴォ教会はやはり閉まっていました。


160
10世紀に建設されましたが、現在の新古典様式の建物は1762年に再建された二代目のものです。


158
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(福音書記者聖ヨハネ)に奉献する教会です。
中に見るべき作品があまりないので、扉が閉まっていても残念感がありません。


159
Campo San Giovanni Novo


161
Calle Rimpeto la Sacrestia


162
Campo Santi Filippo e Giacomo


163
この広場はサン・マルコの近くにあります。


164
溜息橋です。
何時も見ている方とは反対側から見ています。


165
土地が低いので潮位が高く見えます。


166
サン・マルコに再び来てしまいました。


168
満潮まであと1時間弱です。


167
アクア・アルタが嫌われたのか、観光客の姿が若干少なくなったようです。


169
先ほど来た時よりも潮位が高くなっていました。


170
そろそろ昼食の時間ですが、1時間後に満潮なので、安全を考えてサン・マルコでの昼食は避けた方が無難です。


171
水に漬かっていない道を選んで進みます。


172
Calle dei Fabbri
Ristorante Fabbriは、サン・マルコ地区にあってはまあまあですが、ヴェネツィア価格です。マシな方でしょうか?


173
塩水が染み出してきてます。


174
実は、この日の翌日のアクア・アルタが酷かったのです。


175
(つづく)

096
建物の方には海水が未だ押し寄せていないようです。


097
排水溝からブクブクと潮が上がっています。


098
仮架橋の上は往復する人、行列に並ぶ人で混雑していました。


109
少し高くなっている場所はまだ大丈夫です。


100
海水が徐々に店の方にじわじわと接近してきました。


099
これではどうにもなりません。


101
観光には絶好の日和でしたが、これから満潮なので、サン・マルコ周囲での観光を諦めました。


102
水深数㎝でも外で喫茶を頑張る人がいました。


103
当たり前ですが、建物の上部は全く問題がありません。


105
建物の上部は大丈夫でも下部の方は、幾度となく海水に漬かって劣化が進んでいるようです。


106
年を経る毎にアクア・アルタが酷くなっているように思います。地球温暖化の影響と言われてますが本当でしょうか?


110
サン・マルコ寺院の中にも海水が浸入してきました。


104
サン・マルコ広場から少し離れるとアクア・アルタはまだ起きていません。


108
Calle Largo San Marco


107


111
運河の見た目では潮位の上昇が分かりません。


112


113
店のショーウインドウ


114
潮位が上がって来て、普通の靴では歩けない道が出てきました。


115
満潮に向かっているので、アクア・アルタの影響が少ない道を選んで歩くことにしました。


116
サン・バルトロメオ広場です。


117
サン・バルトロメオ広場に建つ、15世紀に建設されたゴシック様式のPalazzo Moroです。


118
この日のアクア・アルタは軽微なもので、最低地のサン・マルコ広場を離れれば、アクア・アルタの影響は殆ど見られませんでした。


119
しかし、潮位が徐々に上昇しているのは確かでした。


120
観光客にとってはアクア・アルタは物珍しいわけで、アクア・アルタを楽しんでいる方をかなり見かけました。


121
サンタ・マリア・コンソラツィオーネ教会にやってきました。


124
サンタ・マリア・デッラ・ファーヴァ教会とも呼ばれてます。


123
教会前にある小さな橋Ponte della Favaから教会の別称が由来するそうです。


122
1500年に最初の建物が建設されましたが、18世紀に取り壊され、再建された二代目の建物です。
扉が開いていたので中に入りました。


274
単廊式、バロック様式の内部です。


275
観るべき作品は、この1点でしょう。
ジャンバッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の「聖母の教育」


125
外に出ました。サンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会の直ぐ傍にあるサン・リオ教会に向かいました。


126
サン・リオ教会です。


127
9世紀に建設された当時は、サンタ・カテリーナ教会と呼ばれていました。
1054年、第152代教皇レオ9世(在位:1049-1054)の死に因んで、教会名が現称に改称されました。


130
観たい作品がありましたが、扉が閉まっていて残念に思いました。


276
外部サイトから作品画像を拝借して紹介することにします。


277
ティツィアーノ・ヴェッチェリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「聖ジャコモ・マッジョーレ」(1558)


279
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1550-1628)の「死せるキリストと聖人たち」


278
ピエトロ・アントニオ・ノヴェッリ(ヴェネツィア、1729-1804)の「父なる神と聖人たち」(1779)


128
サン・レオ教会ファサード前にある古井戸?


129
Campo San Lioにある土産物屋


131
Rio della Fava


132
歴史的建造物ばかりが建ち並んでます。


133
Campo Santa Marina


134
お勧めのホテルですが、初めて行くのは結構大変かも知れません。


135
(つづく)

052
Galle Magazen
この日はヴァポレットに乗船せず徒歩だけでヴェネツィア巡りをしました。


053
もう直ぐリアルトに出ます。


054
Rio della Favaでしょうか?


055
サン・カンツァーノ教区教会です。


056
アクイレイアからの難民によって864年に創建されたサン・カンツィアーノ教会です。


058
火災によって1105年に消失し、その後数年で再建され、1330年に現在の姿に改修されたそうです。


057
扉が開いていたので拝観しました。


271
17世紀にバロック様式に内部が改修されました。三廊式です。


272
ジュゼッペ・アンジェリ(ヴェネツィア、1709-1798)の「聖母被昇天」


273
ジョヴァンニ・コンタリーニ(ヴェネツィア、1549-1604)の「父なる神と聖カンチャーノと聖マッシモ」


059
残念ながら古い作品がありません。


060
Campo San CanzianのRioから大運河方向を見たところです。


061
その反対側の景観


062
Campo San Bartolomeo


063
サン・バルトロメオ広場に立つカルロ・ゴルドーニのモニュメントです。
カルロ・ゴルドーニ(ヴェネツィア、1707-パリ、1793)は、18世紀の代表的な劇作家です。


064
徐々に暖かくなってきましたが、外で食べるには少々寒かった。リアルト橋は直ぐ傍です。


065
リアルト橋に出ました。


066
リアルト橋の橋げたから見た大運河です。


067
リアルト橋の上から見たローマ広場方向の大運河です。


068
リアルト橋から見たサン・バルトロメオ広場方向です。


069
橋上から見たサン・マルコ方面の景観です。


070


071


072


073
橋から降ります。


074


075


076
徒歩でサン・マルコに向かいます。


077
サン・サルヴァドール教会です。


078
1287年に遡るサン・サルヴァドール教会です。


080
扉が閉まっていました。


079
サン・テオドーロ同信会です。


082


081
この道を真直ぐ進めばサン・マルコに出ます。


083


084
Chiesa di San Zulian、サン・ジュリアーノ教会です。


087
832年創建のサン・ジュリアーノ教会です。


086
扉が開いていたので中に入ったら、観光客が大勢いて(私も観光客ですが)拝観どころではないので、直ぐに外に出ました。


088
Campo San Zulian


092
サン・マルコ広場はアクア・アルタでした。


089
アクア・アルタは始まったばかりで、満潮は約2時間後です。


090
サン・マルコ寺院の拝観とドゥカーレ宮殿に入る予定でしたが・・・・・


091
水位が高くなりそうだし、行列も長かったので後日にすることにしました。


094
サン・マルコはアクア・アルタの影響を最も受けやすいと言われてます。


095
(つづく)

005
この日は晴れでした。


006
リアルト方面へと進みました。


007
ネットで調べたところ、この日はアクア・アルタの可能性が低いとされてました。


008
サンティ・ジェレミア・エ・ルチア教会です。


009
扉が開いているように見えましたが、閉まっていました。


010
Campo di San Geremia


011
Canareggio


012
Ponte Guglieから見たカナレッジョです。


013
Ponte Guglieから見た大運河方向です。


014
赤唐辛子でしょうか? 辛そうです。


015
サン・レオナルド教会です。


016
1025年創建のサン・レオナルド教会は、1807年、ナポレオンの修道院教会抑圧令によって活動を停止されてから、一度も教会活動が再開されませんでした。


017
現在はヴェネツィア市の所有建物となってます。


018
Campo San Leonardo


019
サン・レオナルド旧教会の横に大運河に出る小道があります。


020
Rio Terra San Leonardo


021
真直ぐ進めばリアルトに出ます。


022
Rio Terra di Maddalena


023
Teatro Italia


024
Rio di Marcuola


025
サンタ・マリア・マッダレーナ教会です。見たい作品があったので、扉が閉まっていたのが大変残念でした。


270
観たかったのは、ジャン・ドメニコ・ティエポロの「最後の晩餐」です。


026
教会の横に水路があります。


028
Campo Maddalena


027
修道院の建物でしょうか?


029


030


032
サンタ・フォスカ教会です。10世紀頃に創建され、18年前半に再建されました。


031
Campo Santa Foscaに立っているフラ・パオロ・サルピ(ヴェネツィア、1552-1623)のモニュメントです。パオロ・サルピはイエズス会に反対した聖職者です。


033
Campo Santa Foscaからの景観


034
Rio di Fosca


036
サンタ・マリア・ヴァルヴェルデ教会が見えます。


037
カ・ペーザロが見えました。


038
サンタ・フェリーチェ教会です。


041
10世紀創建され、16世紀に再建されたサンタ・フェリーチェ教会です。


040
Rio di Santa Felice


042
Strada Nova


043
サン・ソフィア教会です。


044
ゴンドラ乗り場があります。


045
Strada Novaを進みます。


046
サンティ・アポストリ教会です。


049
9世紀の記録にサンティ・アポストリ教会の存在が記載されているそうです。


050
現在の姿は1575年に再建されたものです。


047
扉が開いていたので、喜び勇んで中に入りましたが、ミサの真っ最中でした。


051
(つづく)

P2700117
アクア・アルタは軽微だったようです。


P2700119
それでも仮架橋が設置されたままでした。


P2700120
干潮に向かっているので、翌日までアクア・アルタの恐れは全く無さそうです。


P2700122
溜息橋の方に向かいました。


P2700123
ドゥカーレ宮殿は相変わらずの長蛇の列です。コッレール博物館との共通券になっている筈ですが、コッレール博物館とドゥカーレ宮殿の入場者数が釣り合ってないと思います。宮殿だけに入って、博物館をパスしている人が多い?


P2700124
スキアヴォーニ河岸の方もかなり混雑しています。


P2700125
溜息橋


P2700129
ゴンドラが通過しました。


P2700132
サン・ザッカリアに向かいました。


P2700133
冷たい風が吹いていたので、かなり寒そうです。


P2700135
サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会です。


P2700136
ヴァポレットに乗船しました。


P2700138
リアルトで沢山の方が下船したので、写真が撮れる席に移動することが出来ました。


P2700139
リアルト橋至近にあるホテルです。絶好の場所にあるということで、このホテルに泊まったことがありますが、橋の上などから大勢の視線を浴びて、ゆっくり感を全く感じることが出来ず後悔しました。沢山の人からじろじろ見られるのが大好きな方にはお勧めです。


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リアルト橋を潜りました。


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カ・ドーロ


P2700325
サンタ・ルチア駅の方に向かいました。


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カ・ペーザロ


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P2700348
カジノがあるヴェンドラミン・カレルジ宮です。


P2700351
サン・マルクゥオーラ・カジノ


P2700356
サンティ・ジェレミア・エ・ルチア教会です。


P2700360


P2700362


P2700365


P2700366


P2700368


P2700372
この時の旅で泊まったホテルです。


P2700375
ツアー客が結構いるので、個人客には?です。私にとってはアクア・アルタ用、冬季向きのホテルです。


P2700376


P2700377


P2700379
鉄道駅に到着しました。


P2700383
(つづく)

引き続きコッレール博物館です。
P2700010
15世紀のクレタ=ヴェネツィアの逸名画家作「玉座の聖母子」


P2700012
14世紀のギリシャ=ヴェネトの逸名画家作「聖母子」


P2700016
ロレンツォ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィア、1356-1372記録)の「聖ピエトロに天国の鍵を託すキリスト」


P2700018


P2700019


P2700020
15世紀中頃のヴェネトの逸名画家作「聖母子」


P2700023
ヤコベッロ・デル・フィオーレ(ヴェネツィア、1370c-1439)の「聖母子」


P2700026
ミケーレ・ジャンボノ(ヴェネツィア、1400-1462)の「聖母子」


P2700029
コズメ・トゥーラ(フェッラーラ、1430-1495)の「ピエタ」(1460c)


P2700032


P2700033
バルトロメオ・ヴィヴァリーニ(ムラーノ、1432c-ヴェネツィア、1491)の「玉座の聖母子」(1465-70)


P2700036


P2700037
15世紀のヴェネツィアの逸名彫刻家作「慈悲の聖母」


P2700039
ピーテル・ブリューゲル・イル・ジョーヴァネ(ブリュッセル、1564-アントウェルペン、1636)の「マギの礼拝」


P2700043
ディルク・ボウツ(オランダ、ハールレム、1415-ベルギー、ルーバン、1475)の「聖母子」


P2700046
フ―ゴー・ファン・デル・グース(ベルギー、ヘント、1440-ベルギー、オーデルゲム、1482)の「磔刑」


P2700049
アントネッロ・ダ・メッシーナ(メッシーナ、1430-1479)の「ピエタ」


P2700052
ヤコポ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1396-1470)の「磔刑」


P2700054
ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1430-1516)と協力者の「聖フォルトゥナート」(1475-80)


P2700057
ジョヴァンニ・ベッリーニ工房の「ドージェ・ピエトロ・オルセオーロとドージェ夫人フェリチータ・マリペーロ」


P2700060
ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1430-1516)の「聖母子」


P2700063
ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1430-1516)の「死せるキリストを支える2天使」


P2700067
ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1430-1516)の「キリストの変容」


P2700070
ジェンティーレ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1432c-1507)の「ドージェ・ジョヴァンニ・モチェニーゴの肖像」(1479c)


P2700072
アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ(ヴェネツィア、1446-1502)の「磔刑」


P2700074
アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ(ヴェネツィア、1446-1502)の「パドヴァの聖アントニオ」


P2700077
ジョヴァンニ・ディ・マルティーノ・ダ・ウーディネ(ウーディネ、1470-1535)の「聖家族と聖シモーネ」


P2700081
ピエトロ・ディ・ニッコロ・ドゥイア(ヴェネツィア、1520-1529活動記録)に帰属する「聖家族と2天使と2信者」


P2700084
ヤコポ・ダ・ヴァレンツァ(ヴェネト、1485-1509活動記録)の「聖母子」(1488)


P2700087
バルトロメオ・モンターニャ(ヴィチェンツァ、1450-1523)の「聖家族」(1520c)


P2700089
マルコ・バサーイティ(ヴェネツィア、1470-1530)の「聖家族と信者」


P2700092
ヴィットーレ・カルパッチョの「2人の貴婦人」は、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿に貸し出し中と書かれていました。しかし、この2日後にドゥカーレ宮殿に行ったのですが、注意して見たにも拘らず何処にも発見できませんでした。


P2700094


P2700095


P2700097
15世紀末のヴェネツィアの逸名画家作「若い男の肖像」


P2700099
ジョヴァンニ・ペルメニアーテ(16世紀活動)に帰属する「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖アゴスティーノ」


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P2700104
アンドレア・メルドッラ通称スキアヴォーネ(クロアチア、1510-ヴェネツィア、1563)の「ピエタ」


P2700107


P2700108
ラッザーロ・バスティアーニ(パドヴァ、1429-ヴェネツィア、1512)の「ドージェ・フランチェスコ・フォスカリの肖像」


P2700111


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P2700114
館外に出ました。


P2700115
(つづく)

P2690947
引き続きコッレール博物館です。


P2690948
本の展示は、開いているページだけ見るようになっているので、その内容全体が中々分かりません。


P2690949
ヴェネツィア共和国の高官たちの肖像画が並んでます。


P2690950
ドージェの肖像画が並んでます。


P2690951
ヴェネツィア共和国の旗?


P2690953
アレッ、どうしてこの作品がここにあるの?と思いました。コピー画かな、と思いましたが、どうやら本物のようです。
アカデミア美術館の所蔵作品ですが、コッレール博物館にありました。
ヤコポ・ロブスティ通称ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1518-1594)の「聖ジュスティーナと出納官たち」(1580)


P2690955
有翼のライオン像


P2690956


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P2690958
ローマ時代の彫像が並んでます。


P2690959
ローマ時代の石棺(2世紀後半)


P2690961
ハドリアヌス帝(76-138)の彫像(138)


P2690963
トラヤヌス帝(53-117)の彫像(108)


P2690965
ゲルマヌス・ユリウス・カエサル(紀元前15-紀元後19)の彫像(1世紀中頃)


P2690968
ティベリウス帝(紀元前42-紀元後37)の彫像(13)


P2690970
アウグストゥス帝(紀元前63-紀元後14)の彫像(紀元前10-9)


P2690974
ポンぺウス(紀元前106-紀元前48)の彫像(紀元前60)


P2690976
髭のある男の彫像(170-175)


P2690978
毎回、行く度に展示が少しづつ変わってます。


P2690979
天井のフレスコ画


P2690980
展示が何時も同じと即断していて、展示作品の写真をあまり撮っていませんでした。


P2690981
ウリッセのコピー彫刻(2世紀)
オリジナルは、紀元前3世紀前半に制作されたブロンズ像だそうです。


P2690984
ブロンズの作品


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ディオニシスとサティーロ(紀元前2世紀後半)
オリジナルではなく、コピー彫刻です。


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天井の装飾


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アレースとアフロディーテの浮彫(紀元前5世紀後半)


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この部屋の天井は有名です。


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チェーザレ・ヴェッチェリオ(カドーレ、1521-1601)に帰属する「ヴェネツィアの高貴な家の家族の肖像」(1560c)
チェーザレ・ヴェッチェリオは、ティツィアーノ・ヴェッチェリオの従兄弟です。


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ラッザーロ・バスティアーニ(パドヴァ、1429-ヴェネツィア、1512)の「サン・マルコ広場」(1487)


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(つづく)

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次はコッレール博物館です。


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コッレール博物館はヴェネツィア市立ですが、市立博物館としてはミラノのスフォルツェスコ城博物館と双璧の存在でしょう。


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ムラーノ・ガラスによるモザイクで有名なPalazzo Barbarigoです。16世紀に建設されたので、モザイクも同時代のものと即断しそうですが、モザイクは1886年に制作された比較的新しいものです。


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ペギー・ブッゲンハイム美術館に2回入館したことがありますが、私の絵画の好みが外れる時代の作品展示なので、今回はパスしました。(今回だけではなく、近頃毎回パスしてます)


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大運河の幅が広くなってきました。


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Palazzo Dario(右から2番目の建物)


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外壁にフレスコ画がある建物は、1903年から1906年に建設されたPalazzo Salviatiです。


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Saluteを過ぎました。


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サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会です。


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1631年から1681年にかけて建設された、ヴェネツィアにしては比較的新しい教会です。


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Punta della Dogana


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サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会とレデントーレ教会が見えます。


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サン・マルコに着きました。


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ドゥカーレ宮殿の見学は後回しです。切符がコッレール博物館と共通なので、ドゥカーレ宮殿の切符売り場で並ぶよりもコッレール博物館で切符を買う方が時間短縮出来るからです。


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どんより曇った視界が悪い日だったの鐘楼に上るのを止めました。


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高さ96.8mの鐘楼


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干潮の時間だったので、アクア・アルタの心配がありません。


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有翼のライオン像


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聖テオドロス像


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サン・マルコ寺院に司教座が置かれるようになったのは、随分後になってからでした。ヴェネツィア共和国政府が教皇庁の介入を阻止するために司教座教会にするのを避けたそうです。


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時計塔


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サン・マルコ寺院、鐘楼、ドゥカーレ宮殿は大混雑ですが、コッレール博物館の混雑は観光シーズンでも然程の混雑が見られません。


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観光客の制限を行っているそうですが、どのようにやっているのでしょうか?


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この日の翌日は快晴で、暖かいというよりも少し暑い日で大いに戸惑いました。


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地面が濡れているのに気付きました。サン・マルコ広場はヴェネツィアで最も低い場所にあります。


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潮位が上がってきたようです。


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小潮の日でしたが、低気圧が接近しているので、アクア・アルタがあるかも知れないと思いました。


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雨が落ちてきました。コッレール博物館で雨宿り兼避アクアアルタです。


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入館しました。


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コッレール博物館については既に取り上げました。


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詳しくは「コッレール博物館」の項をご覧になって頂ければ幸いです。


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しっかり順を追って見て行くと、いつも新鮮な発見があって驚きます。


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多様な展示です。


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部屋のフレスコ装飾もしっかり見ました。


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何回も入館すると余裕が出てくるようで、細かい所まで目が行きます。


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(つづく)

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2018年3月のヴェネツィアの旅です。


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前泊地はヴェローナでした。


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ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に到着しました。


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小潮の時期を選んでヴェネツィアに来ましたが、3月なので小潮でもアクア・アルタが起きるかも知れません。水位が高いサン・マルコ運河に面したホテルを避けて、比較的アクア・アルタの影響が小さい駅近くのホテルを選びました。


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これがあったので、アクア・アルタが起きるかも知れません。


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今回の旅のお宿です。


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後日、今回のお宿をヴァポレットから撮った写真です。多少高くなりますが、ヴェネツィアに来たからには、当然運河に面した部屋にしました。


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荷物をホテルに預けて、早速外出しました。


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オフシーズンにも拘らず、かなりの賑わいでした。
ヴァポレットに乗船するため、サンタ・ルチア駅の方に向かいました。


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1834年に架けられたスカルツィ橋です。サンタ・ルチア駅が出来たので、容易に対岸に行けるように架けられたそうです。


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ヴァポレットでアカデミアに向かいました。


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雲が低く立ち込めた肌寒い日でした。


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スカルツィ橋を越えました。


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後方の座席に座ったので、通り過ぎた光景の写真ばかりです。


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Societa Italiana degli Autori ed Editori


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Riva de Biasio


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サンティ・ジェレミア・エ・ルチア教会です。


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サンタ・ルチア教会は、サンタ・ルチア駅がある場所にありましたが、駅の建設に伴い、教会が取り壊され、ジェレミア教会に移転して合祀合体されたのです。


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Palazzo Giovanelli


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San Staeを過ぎました。


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Palazzo Morosini Brandolin


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魚市場です。


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ヘンテコな「手のオブジェ」


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Rialto Mercatoを過ぎました。


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リアルト橋に着きました。


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リアルト橋は相変わらずの大人気でした。


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Ca Rezzonico


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アカデミアに着きました。


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アカデミア美術館に入館しました。


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アカデミア美術館に付いては既に2回取り上げました。展示作品については、そちらの方をご参照願います。


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何回訪れても新鮮な感動があります。


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傑作に体が火照りました。アカデミア美術館を後にしました。


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アカデミア橋が修復中でした。
(つづく)

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1869年にオープンしたクエリ―ニ・スタンパリア絵画館は、今も、オープンした当時とほぼ同じの展示だそうです。


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地上階は図書館になってます。


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この辺はカステッロ地区と呼ばれてます。


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Campo San Samueleにあるサンタ・マリア・フォルモーザ教会は、昼過ぎのこの時間は閉まってます。


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ここには興味がないのでパスしました。


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サン・ザッカリアに戻ることにしました。


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Campo San Severo


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サン・マルコ運河に大型客船がいました。


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一旦ホテルに戻ってチェックイン手続を行いました。


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スキアヴォーニ河岸からヴェネツィア観光定番の地に一応行ってみました。


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何処も長蛇の列です。


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鐘楼に上るには絶好の日和だったので、鐘楼待ちの行列が特に長かったように思いました。


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サン・ザッカリアに戻ってヴァポレットに乗船することにしました。


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溜息橋です。


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スキアヴォーニ河岸です。アクア・アルタの用意がされていました。


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河岸にはホテルが並んでます。


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サン・ザッカリアからヴァポレットに乗船してカ・ドーロに向かいました。


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サン・マルコで大部分の人が下船して、写真が撮り易い席に着席できました。


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次はカ・ドーロのジョルジョ・フランケッティ美術館です。


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たった一人でゴンドラに乗ったことがありますが、味気ない。


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リアルト橋を通過しました


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カ・ドーロに到着しました。


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カ・ドーロの入り口です。


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入館します。


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収集家ジョルジョ・フランケッティの趣味を反映した展示が秀逸です。


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ジョルジョ・フランケッティ美術館に付いては、項を改めて詳しく触れます。


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柱廊があるベランダに出ました。


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ロッジャからの景観


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外に出ました。


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この日は小潮で、天気が良いのでアクア・アルタが起きそうもなかったけれど、備えは万全でした。


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通りはかなり混雑してました。


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もう夕方です。


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夕食はカ・ドーロで取るつもりでしたが、夕食にはまだ時間がありました。


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ヴァポレットに乗船して時間潰しをすることにしました。


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(つづく)

ヴェネツィア美術が大好きで、毎年訪れてますが、旅をするには少なからず厄介な街です。何よりも観光客が多過ぎて、例えばサン・マルコ寺院などの長蛇の列に辟易してしまいます。供給に対して明らかに需要が多く、ホテル代や食事代などがリーズナブルではない売り手市場となってます。
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朝早い時間にパドヴァ駅前のホテルをチェックアウトしました。


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流石にこの早い時間ではパドヴァ駅前広場は閑散としていました。


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パドヴァ駅に行ってみると、列車がかなり遅れていました。発車案内の電光掲示板に30分遅れと出ていましたが、30分経っても列車が来ません。例によって5分刻みで遅れ時間が増えて行きました。


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結局1時間遅れでヴェネツィア・サンタ・ルチア駅行き普通列車に漸く乗ることが出来ました。車内は大混雑だろうと思っていたら、大半の乗客はパドヴァ駅で降りてしまい予想外にもガラガラでした。


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ヴェネツィアに入ったら濃霧でした。遅れの理由はパドヴァ駅でも車内でもありませんでしたが、濃霧のせいかも知れないと思いました。


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遅れは更に増えて75分遅れでヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に到着しました。


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未だ濃霧でした。


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駅舎の方見たら青空が見えて、霧が収まってきたようです。


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急速に霧が消えて行きました。


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時間が惜しいし、煩わしさを避けて水上タクシーでホテルに向かいました。


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アカデミア美術館を通り過ぎました。


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すっかり晴れ上がってきました。


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サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会です。


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ヴェネツィアはいいなあ。


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サン・マルコ運河に出ると少し波立ちます。


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見慣れたドゥカーレ宮殿ですが、相変わらずの長蛇の列です。これでは行く気が失せます。


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この旅のお宿が見えてきました。


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スキアヴォー二河岸でタクシーを降りて、今回のお宿に着きました。


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ヴェネツィアにしては、値段が手ごろで眺望が良い上にサーヴィスもそこそこなので、5月から10月上旬までに限って泊まることにしています。
しかし、サン・マルコ運河に面しているので、アクア・アルタが起きると身動きがままならず泣くことになるので、アクア・アルタのシーズンの冬季には避けてます。10年前は、アクア・アルタは冬の新月、満月の大潮時を避ければ大丈夫でしたが、最近は状況がかなり変わってきてます。


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荷物をホテルのフロントに預けて身軽になりました。早速外出しました。
ホテル横にサン・ザッカリア教会へと向かう通路があります。その通路を通ってサン・ザッカリア教会の方に進みます。


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通りの名称がなく、番地が通し番号になっている所があるので、歩き回るのが結構大変です。


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サン・ザッカリア教会です。


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扉が開いていましたが、ホテルの近くにあるので、何時でも拝観出来ると思い、先を急ぎました。


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Campo San Zaccariaです。
ヴェネツィアではPiazzaではなくCampoです。


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私としては、あまりお勧めしかねるトラットリアです。


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クエリ―ニ・スタンパリア絵画館に向かってます。


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クエリ―ニ・スタンパリア絵画館には何回も行ってますが、行くのに何時も苦労しています。


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この場所は分かってますが、地図を見ても自分がいる場所が中々分からないのです。


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このホテルに泊まったことがありますが、暗くなってからのヴェネツィア到着で、ヴァポレット利用でホテルに行こうとしたので見つけるのにかなり難儀しました。


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水上タクシー利用すれば、迷いやすい場所でも簡単に行けます。でも料金が高いかな。


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地図を見ても自分の現在地が分かりません。


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あの橋を朧気ながら覚えてます。


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橋の先の建物を覚えていたので、自分の居場所が明らかになりました。


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Palazzo Guerini Stampliaです。


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様々な展示がされてますが、こちら側は興味がないので、Campo San Samueleの方に向かいます。


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クエリ―ニ・スタンパリア絵画館の入り口に向かいます。


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写真左はサンタ・マリア・フェルモーザ教会です。


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Palazzo Malipieroです。


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Campo San Samueleに面してクエリ―ニ・スタンパリア絵画館の入り口があります。


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写真手前の橋を渡れば絵画館の入り口です。


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この橋を渡ります。


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橋の下の水路


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クエリ―ニ・スタンパリア絵画館に入館しました。


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ヴェネツィアでは比較的入館者が少ない絵画館です。


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ジョヴァンニ・ベッリーニの作品


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美術ファンは必見の絵画館です。


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クエリ―ニ・スタンパリア絵画館については項を改めて詳しく取り上げます。


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外に出ます。


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(つづく)

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サン・ロレンツォ教会はサン・ロレンツォ通りにあると思っていましたが、村を貫く目抜き通りのサン・レアリーノ通りにありました。


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この村に現存する5つの教会の中で、サン・ロレンツォ教会は最も新しい教会です。


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ネットで調べても、この教会について詳述している記事がありません。


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村役場で貰った資料によれば、18‐19世紀のフレスコ画と祭壇画があるそうです。


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併設されていた修道院でワイン醸造が行われていたそうです。18世紀創建の修道院でのワイン醸造はピンときません。


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修道院だった建物です。


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旧修道院だった建物はVilla Azzurraと呼ばれてます。イタリア代表チームと関係がある?


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Villa Azzurraの入り口


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この辺から建物が途絶えます。


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今、通ってきた道を振り返ったところです。


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村外れに出ました。


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急に視界が開けて田舎の風景になりました。


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横道に入りました。


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村外れにある、14世紀創建のサン・ピエトロ教会です。現在の建物は17世紀に再建された二代目のものです。


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少し戻って別の横道に入りましたが、見どころは何もなさそうです。


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村の見所は大体こんなところでしょう。


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更に歩いて一面のブドウ畑を見ても面白くないと判断して、戻ることにしました。


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爆撃の標的は何もない村です。空爆とは本当に気の毒です。


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住所表示板


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Vicolo del Castello


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城でもあるのか、と思って行ってみたのですが・・・・・


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新しい作品でしょうね。


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カステッロは単なる名称だったようで、城が見当たらなかったので、サン・レアリーノ通りに戻りました。


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忙しくあちこちの街を回る旅の途中に、このように、ノンビリ出来る日があっても良いと思います。


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サン・ジャコモ教会を通り過ぎました。


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時間が有り余っているので、ゆっくり進みました。


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日本人の私が珍しいのか、じろじろと見られることが多かった。


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観光に力を入れているようで、村役場で貰った案内パンフレットが非常に役立ちました。


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多分、時間が余るので、村の全容を見終わった後、サン・フランチェスコ教会にもう一度来ることにしました。


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村役場横のロッジャ


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サンタ・カテリーナ教会です。


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村の5つある教会全てが現役です。維持するのが大変に思えました。


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日本のような檀家制度みたいなものが教会にもある?


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夏至が終わったばかりなので、日差しが強烈でした。


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B&Bがある広場に戻りました。


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バールで一休みしました。


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街角の聖母子


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無原罪の聖母


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村の入り口から村外れまで見終わりました。


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フランチェスコ教会に戻りました。


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(おわり)

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1232年に建設されたサン・フランチェスコ教会修道院です。修道院の一部が村立美術館 Museo Civicoになってます。教会と美術館には、ボランティアの女子高校生が常駐しています。
美術館の開館は、午後のみ(午後3時頃から)で、入館無料です。


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サン・フランチェスコ教会のファサード前に立っている建物です。


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16世紀に建設されたサン・ベルナルディーノ祈祷所です。


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サン・フランチェスコ教会に入りました。


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美術館にも入館しました。


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予想以上の教会・美術館で、わざわざ来た甲斐がありました。


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サン・フランチェスコ教会と美術館に付いては、項を改めて詳しく触れる予定です。


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外に出ました。


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ガイドブックに載っておらず、「美しい村」にもリストアップされていない、ごく普通の村であるカッシーネに、このような教会・美術館があることにイタリアの奥深さを感じます。


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オラトリオは閉まったままでした。


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更に村歩きを続けます。


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広い面積の村で、人口が3千人弱なので、家が点在していると思いましたが、集落が続いていました。


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この辺は上り坂になってます。


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この辺は下り坂になってます。


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上り下りを2回繰り返しました。


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歴史的建造物です。


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Palazzo Zoppiです。


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大広間に15世紀のフレスコ画があるようですが、非公開です。


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古い建物と新しい建物が混在しています。


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新しい建物と古い建物が混在していますが、それには悲惨な村の歴史があります。
この村からあまり離れていないアレッサンドリアは軍都でした。第二次世界大戦中、アレッサンドリアは、大戦の初期には連合国の、中期から終戦まではドイツ軍の標的となり、度々爆撃を受けました。
アレッサンドリアの爆撃を終わり、基地に向かった航空機は余った爆弾を途中のカッシーネに落として、帰途についたのです。農村であるカッシーネが爆撃の標的になることは有り得ないのですが、軍都アレッサンドリアに近いことから、度々トバッチリを受けてしまったのです。
新しい建物は第二次世界大戦後に再建されたのです。


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サン・ジャコモ教会です。


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酷い落書き


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教会は現役ですが、併設の修道院は既に閉鎖されてます。


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村役場で貰った案内パンフレットによれば、作品がかなり残っているそうです。


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扉が閉まっていたので拝観出来ませんでした。


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こちらの通りは何もなさそうです。


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サン・レアリーノ通りに戻りました。


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サン・レアリーノ通りの先にブドウ畑とワイン醸造所があります。


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横道に入りました。


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横道の突き当りはブドウ畑です。


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再度サン・レアリーノ通りに戻りました。


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16世紀に建設されたパラッツォ・マルティーニです。


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写真左は16‐18世紀に建設されたパラッツォ・カドゥッチです。


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この一角は歴史的建造物が多い。


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カッシーネ村は観光に力を入れているようで、案内板が完備されてます。


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入口扉の装飾は16世紀のピエモンテの逸名彫刻家の作品です。


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この建物もパラッツォ・ピエトラサンタの一部です。


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横道のサン・ロレンツォ通りを進みました。


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サン・ロレンツォ通りには何もなさそうです。
(つづく)

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カッシーネ駅に到着しました。


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カッシーネは、人口2,932人(2017年8月31日現在)のピエモンテ州アレッサンドリア県にあるコムーネです。主要産業は農業で、ワイン醸造が盛んです。


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駅舎です。無人駅で、切符販売機もありません。
駅付近に切符を販売するバールなどがないので、車掌から直接切符を買うのが良いと思います。駅から10分ほど歩いた所にタバッキがあり、そこで列車の切符が買えますが、旅行者がそれを知るのは難しいと思います。(この日泊まったB&Bで聞いて初めて分かりました)


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チェントロ・ストーリコにある、この日のお宿に向かいます。


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ガリバルディ通りです。
馬の散歩道が歩道になっているので歩き難いです。馬がうまく歩けるように未舗装で砂が深くなってます。


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幹線道路を横切ります。


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この村に来ようと思った切っ掛けは、トリノの美術館でアレッサンドリアの画家フランチェスコ・サッシ(1912‐1993)が描いたカッシーネの風景画を見たからです。彼の作品に描かれた、中世の佇まいが色濃いカッシーネ村の風景に興味を持ち、村のことを調べたらサン・フランチェスコ教会と教会付属のMuseo Civicoが面白ろそうだったので、一度、是非、訪れたいと思うようになりました。


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チェントロ・ストーリコの入り口です。


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ワイン醸造が盛んと言うことで、周囲はブドウ畑と予想していましたが、畑がありません。家並みを外れた場所はブドウ畑が大きく広がっていますが、この時は知りませんでした。


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スティッカ通りとの交差点です。Google マップのコピーを持ちながらの移動ですが、B&Bへの正しい道を歩いているようです。


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橋を渡ります。


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橋の下は川でなく意外でした。


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初めて訪れるので緊張感がありました。ただ、ぶらぶら歩いても危険は全くありません。


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B&Bは広場の近くにあります。


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チェントロ・ストーリコに到着したようです。


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トロッティ通りを進みます。
カッシーネの宿泊設備はネットの予約サイトに載ってません。どうせ行くのならば、泊まってみたいと思い、ダメ元で村役場にメールしたら、返事が来て民宿みたいなB&Bを紹介されたのです。


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この道の先にB&Bがあると思っていたら違いました。


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写真右の建物がこの日のお宿です。完全な民宿で、村に用事で来た人が希望すれば泊まれるようになっているようです。この村では外食の夕食が難しいとの事なので、ハーフボード(1泊2食付き)にしました。


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大きな荷物を自室に入れ、身軽になって村歩きに出発しました。


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村役場に行って、カッシーネの地図を貰いたい。


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適当に歩いていたら行き止まりでした。冴えません。


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教会が見えてきたので、一安心です。


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9世紀創建のサンタ・カテリーナ教会です。


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現在の建物は17世紀に再建された二代目のものです。


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日曜日のミサの時だけ開くそうです。


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初代の建物にあった剥離フレスコ画があるらしい。それが楽しみでしたが平日では仕方がありません。


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教区教会ではないようです。


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教会前のサンタ・カテリーナ広場です。


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案内標識が完備されてます。


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Via Municipio


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イタリア人の携帯電話の会話が面白い。電話なのに、初めから最後まで途切れることなく喋っている人をよく見かけます。相手の会話を聞いているのでしょうか?相槌を入れずに只管喋っているだけ。


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道は緩い上り坂になってます。


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古い建物になってきました。


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サンタ・カテリーナ教会です。


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こんな村に来るとは俺は物好きだなあ、と思いながら歩きました。


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突き当りは村役場の建物です。


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この時は村役場とは知りませんでした。


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振り返ると坂を上って来たことが分かりました。


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サン・フランチェスコ教会です。


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Palazzo del Comune、村役場です。


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村役場で地図を頂きました。


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村役場とサン・フランチェスコ教会が面している広場が村の中心でしょう。
(つづく)

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時間潰しに外出しましたが、特に見るところがありません。


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ナポリまで列車に乗り続けるので、運動不足になりそうです。運動不足解消を目的にすれば、見どころがなくても困りません。


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サンタ・カテリーナ・ディ・ヴァルヴェルデ教会が開いていました。
アントネッロ・リッチョの作品を見てみようか、と思いました。


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入口扉上ルネッタの装飾
前述したように、この場所にローマ時代の異教寺院があり、4世紀頃、その建物を初期キリスト教会に転用したのが、この教会の前身です。


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鐘楼
1330年に最初の再建が行われ、二回目の再建が1693年だそうで、現在の建物は1926年から1932年に建設された3回目の再建のものであり、4代目の建物になります。


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3廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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教会巡りをしましたが、1908年の大震災後、殆どの教会が再建された訳で、その費用捻出を考えると驚嘆せずにはいられません。


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左側廊


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右側廊


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天井


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クーポラ


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主祭壇


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主祭壇前から見た出入口方向


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詳細不明


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サルヴァトーレ・ルッソの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1933)


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説教壇(18世紀)


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ドメニコ・スパダーロの「聖テレジーナ」(1932)


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ジョヴァンニ・ディ・ナターレの「聖グレゴリオ・マーニョ」(20世紀前半)


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アントネッロ・リッチョ(シチリアで16世紀活動)の「聖母子と聖人たち」(16世紀)


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アントネッロ・リッチョの作品ですが、以前、州立美術館で見たような気がします。


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外に出ました。


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時間がまだあります。


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ドゥオーモにやってきました。


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拝観しました。


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列車に乗るまでの時間配分を考慮して見て回りました。


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外に出ました。


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時間がまだ十分ありましたが、ホテルに戻る頃合です。


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インノチェンツォ・マンガ―ニの「Le Guattro Fontana」(1666)


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先ほど拝観したサンタ・カテリーナ・ディ・ヴァルヴェルデ教会です。


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州立美術館が予め開館しているのが分かれば、メッシーナに行きたいと思うのですが、若し休館となれば、完全な無駄足となるので逡巡しています。
職員のストなんて、年に数日に過ぎないと思うのですが・・・・・


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イタリアは、行ってみないと分からない、行ってみて初めて分かるのです。


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ホテルに戻りました。


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部屋のベランダからの眺め


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メッシーナの災害の歴史をひも解くと、大体150年周期くらいで地震が発生しています。直近では1908年、その前が1783年ですから、その間は125年でした。1908年の125年後は2033年です。そろそろ危ない時期に差し掛かっていると思います。


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チェックアウトを済ませて駅に向かいました。
ここは駅前のバスターミナルです。


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メッシーナ中央駅です。


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20分遅れ。又しても時間潰しです。


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結局、30分遅れで列車が到着しました。


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30分遅れで到着したシラクーザ始発の車両に乗ったのですが、この後、連結予定のパレルモ始発の列車が中々到着しませんでした。シラクーザ発の列車とパレルモ発の列車がメッシーナ中央駅で一つの列車になって出発するのですが、結局50分遅れで出発したのです。


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1本の列車となったICは、5分ほどで3分割されて連絡船内に入りました。


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連絡船は楽しいです。


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階段を上ってデッキに出ます。


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向かいの桟橋に停泊する連絡船


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出航しました。運悪く大粒の雨が降ってきました。


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(おわり)

P1540503マドンナ・ディ・モンタルト聖域(Santuario)が見えてます。


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1286年創建ですが、1908年の大震災で倒壊したので、1928年に再建された新しい建物の教会です。拝観する程ではないと判断して行きませんでした。


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ドゥオーモを見てしまうと、最早やることがありません。


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都市計画に基づく整然とした街並みです。


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教会などを紹介してきましたが、殆どの教会が1908年の大震災で被災して、その後に再建されたものです。


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真っ直ぐ伸びた道路。


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朝方の雨模様から、すっかり天気が回復して快晴になりました。


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カラヴァッジョ、アントネッロ・ダ・メッシーナの作品があるので、美術ファンにとってメッシーナは必訪ですが、それ以外に街の見所が乏しいので旅程作成が難しいと思います。


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サンタ・カテリーナ・ディ・ヴァルヴェルデ教会です。


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1908年の大震災によって倒壊したので、1926年から1932年に建て替えられた建物です。


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この日は拝観しませんでした。


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ところが、州立美術館が翌日も臨時休館であることが分かり、時間潰しのために結局拝観しました。


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活気がありません。


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あの教会に行っても仕方がない、何処に行っても事情は同じですから。


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シャッター街?


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お腹が空いたけどセルフサービスではね。


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山の方から黒い雲が出てきました。天気が安定していないようです。


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レストランがありません。


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やることがないので、思い切り飲んで食べて、あとは寝るだけと考えていましたが、肝心の食べるところが見つかりません。


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ドゥオーモ付近に戻れば、魚介料理の店があるのですが、ドゥオーモの方に戻る気がしません。


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閉まっている店ばっかり。


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仕方がありません。ホテルに戻って、併設のレストランで食べることにしました。


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駅近くに美味しい店がなさそうです。


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食事を終えて、自室のベランダで酔い覚ましです。


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先ほどの快晴は何処へやら、雨が降ってきました。


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昼寝をしてからベランダに出たら、日が差していました。


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翌朝です。


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天気が冴えないようです。


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気になるのは、州立美術館が果たして開館しているかどうかでした。


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若し休館ならば、お手上げです。やることがありませんから。


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もう一日、メッシーナで過ごすのは耐えられません。


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明るくなってきました。


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冴えないベランダ。
この後、州立美術館が休館の場合、どうするかを考えました。
開館しているならば、美術館でゆっくり過ごして、このホテルで予定通り、もう1泊する。
休館の場合は、ナポリに予定通り一日早く入ることにしました。
ナポリのホテルの予約状況や列車の予定などをPCでチェックしました。
朝食前にフロントで、州立美術館はこの日も臨時休館と伝えられたのです。バカヤロー
フロントと交渉して、ペナルティなしのこの日のチェックアウトを取り付けました。


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駅に行って、切符の予約変更をしました。


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変更した列車は10時過ぎのローマ・テルミニ駅のICでした。それまで時間があるので、時間潰しの街歩きをしました。
メッシーナのトラムです。


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トラムの終点はMuseo、州立美術館ですが、この日も休館だったので、終点まで乗ることはありませんでした。


P1540587
(つづく)

P1540395
サンタゴスティーノ通りの坂を上っていきました。


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サンタゴスティーノ通りに面して建つサン・フランチェスコ・ディ・メルカンティ教会です。


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この教会も1908年の大地震とその直後に襲った大津波によって倒壊したので、1930年に新築再建されました。


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通りは坂になってますが、大津波は坂を上って来た訳です。


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カルロ・ファルコニエーリの「ファルコニエーリのフォンターナ」(1842‐43)


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このフォンターナは別の広場にありましたが、1908年の大震災で若干の被害を受け、解体されて1957年まで州立美術館で展示されていましたが、同年、現在のこの広場 Piazza Basicoに移設されたそうです。


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Piazza Basicoを見下ろす建物です。


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階段を上ってクリスト・レ教会に向かいました。


P1540403
更に坂を上りました。


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大津波は、この場所まで駆け上がって来たそうです。


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1937年創建、バロック様式のクリスト・レ教会です。


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この場所にメッシーナ防衛のための堅固なモンタグリオーネ城がありました。


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美術的には見所がない教会なので、拝観しませんでした。


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坂を下りました。


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1930年に建設されたNuovo Oratorio della Paceです。


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この場所には、1608年に建設されたサン・ドメニコ教会がありましたが、1908年の大震災で完全に破壊されてしまいました。


P1540415
大震災後に築かれた通りと建物です。


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海抜何メートルならば、大津波に対して安全なのか、考えておかねばならないと思いながら、この辺を歩きました。


P1540417
ヴィットリオ・エマヌエーレ3世のガッレリーアです。


P1540418
ファサードの方に行かないと、ガッレリーアとは分からないと思います。


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アントネッロ広場に面したヴィットリオ・エマヌエーレ3世のガッレリーアです。


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メッシーナ出身の建築家カミッロ・プグリシ・アレグラ(メッシーナ、1884‐ローマ、1961)の設計によって、1924年から1929年に建設されたヴィットリオ・エマヌエーレ3世のガッレリーアです。


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アントネッロ広場に面して建っている建物です。


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アントネッロ広場に面して建つ建物は大震災の復興の象徴として建てられたそうです。


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Palazzo dei Leoni


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ドゥオーモの鐘楼です。


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ドゥオーモ広場にやってきました。


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18世紀のメッシーナの彫刻家ジュゼッペ・ブチューティの「無原罪の御宿リ」(1758)
別の場所に置かれていましたが、1908年の大震災によって被害を受け、別の場所で保管されていましたが、1979年に復元されて、ドゥオーモ広場に置かれるようになりました。


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鐘楼は修復工事中でした。


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ドゥオーモ広場に面して建っている建物です。


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ドゥオーモ広場に面して建っている建物です。


P1540435
ジョヴァンニ・アンジェロ・モントルソーリ(フィレンツェ、1507‐1563)の「Fontana di Orione」(1553)
モントルソーリはミケランジェロの弟子です。


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ジョヴァンニ・アンジェロ・モントルソーリは、甥で弟子のマルティーノ・モンタニーニ・ディ・バルトロメオ通称マルティーノ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1505‐1562)と共にメッシーナを訪れ、地元の彫刻家の協力を得て短期間で完成したと言われてます。


P1540437
メッシーナのドゥオーモです。


P1540439
紀元前7世紀初めに、この場所にあった寺院が前身とされてます。それが初期キリスト教会として転用されたそうです。


P1540442
メッシーナがアラブによって占領された期間、モスクに転用されたそうです。


P1540450
拝観しました。


P1540458
ドゥオーモについては、項を改めて詳しく触れる予定です。


P1540465
メッシーナを襲った数々の地震や雷雨によって被害を受け続けていましたが、1908年に起きた最初の地震によって建物は完全に倒壊してしまいました。


P1540514
その後の長い修復を経て蘇ったのも束の間、今度は1943年6月13日、連合国の爆撃によって、被害を受けてしまいました。
現在の姿は1947年の修復後のものです。


P1540517
(つづく)

P1540337数少ない歴史的建造物を見ます。


P1540338
Porta Grazia di Antica Cittadella


P1540342
17世紀に建設されたスペイン要塞の入り口として16世紀末に建設された門で、その名称は要塞を築くために破壊された教会の名称に由来します。


P1540344
グロテスクな3つの大理石像がありますが、それ以外は石灰岩で出来てます。


P1540343
スペイン要塞は地震や戦争による爆撃によって殆ど残されていません。要塞はこの場所にはありません。
1961年、門は解体されて、現在の場所であるPiazza Casa Pia del Proveriに移され再構築されました。


P1540345
門は、サン・ルーカ・エヴァンジェリスタ教会から近い場所にあります。


P1540346
たらればの話になりますが、地震、津波、爆撃がなければ、シチリアで最も見所が多い街だったに違いありません。


P1540347
残念ながら、何の変哲もない都会の郊外といった雰囲気の所ばかりです。


P1540349
本来ならば、1128年創建のサン・ジュリアーノ教会はシチリアでも必見の教会だったに違いありません。


P1540350
1573年、ルネサンス様式で再建されましたが、初代の建物にあったフレスコ画や彫刻が残されていたそうです。


P1540352
1908年の大地震とその直後に襲った大津波によって、二代目の建物は完全に破壊してしまいました。
現在の建物は、1925年から1927年にかけて建設された3代目のものです。
残念ながら、美術的には拝観しても仕方がなさそうです。


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一見古そうに見えますが、20世紀前半の建造物です。


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海に近い、この辺は1908年の大津波によって廃墟と化したそうです。


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1915年に再建されたPalazzo del Governoです。


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ネプチューンの彫刻は、本来、海側から見ないといけません。しかし、道路を渡って海側に出てもねえ。


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ジョヴァンニ・アンジェロ・モルトリソーリ(フィレンツェ、1507‐1563)の「ネプチューンの泉」(1557)


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こちらは修道院だった建物です。


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535年創建、1588年に再建されたサン・ジョヴァンニ・ディ・マルタ教会です。


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サン・ジョヴァンニ・ディ・マルタ教会のファサード


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拝観したかった教会でしたが、扉が閉まっていました。


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1908年の大地震と大津波の凄さを想像しながら、この辺を歩きました。


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車は走っていないし、人通りも殆どありません。


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活気がありません。


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カヴール通り


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20世紀前半に流行した建築様式の建物


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一休みしたいと思いましたが、開いているバールがありません。


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街歩きしても楽しさを感じることがありません。


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現代自動車に技術指導に行った時、英語でやっていたら、技術者全員が日本語が分かるので日本語でやって欲しいと言われて驚きました。当時、三菱自動車の技術者が現代自動車に常駐していました。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世劇場


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要修復といった感じの劇場でした。


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丘上に建つクリスト・レ教会です。


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丘を上っていくか、迷いました。


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サンタ・エウストキア教会です。


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開いていましたが、美術的には見所がないと思います。


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隣接するのは、旧モンテヴェルジネ修道院です。


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拝観しないで素通りしました。


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この建物は学校だったと思います。


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次はPalazzo del Monte di Pietaです。


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16世紀後半から17世紀前半にメッシーナで活躍した建築家ナターレ・サスッチョ(メッシーナ、1561/1568-1619)によって1616年に建設されたPalazzo del Monte di Pietaです。


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1908年に大地震と大津波によって大きな被害を受けましたが、そのまま放置され、1979年に漸く復元されたそうです。
現在、文化的催事場として使用されてます。


P1540392
中庭があります。


P1540393
Palazzo del Monte di Pietaの中庭はコンサート会場などに使用されてます。


P1540394
(つづく)

メッシーナは、人口233,715人(2018年3月31日現在)のシチリア州メッシーナ県の県都です。
P1540295
シラクーザからメッシーナに向かいました。がら明きの車内でした。


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メッシーナ中央駅に到着しました。


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久し振り、凡そ4年振りのメッシーナです。


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シラクーザからの車中は雨天でしたが、メッシーナ駅に到着すると急に晴れてきました。


P1540304
先ず、お宿に向かいました。


P1540303
駅前は閑散としていました。


P1540301
駅近くのこのホテルに2泊の予定です。
メッシーナに来た目的はただ一つ、州立美術館に行くことでした。この日とその翌日、二回入館して傑作を十二分に楽しむ目論見です。
傑作に出会える喜びで心が弾み、一刻でも早く出会いたいとの思いで、ホテルからタクシーで美術館に向かいました。
タクシーを降り、美術館に通じる小さな坂を上りました。


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あれっ、扉が閉まってる!


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ガーン、本日休館!!!!!
建物の修復工事で休館はありますが、手書きですから、予定されていた休館ではなく、多分突発的な事由による休館だったのでしょう。


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この日は勿論開館日でした。
ショックでした。シチリアに来た主目的は、ここに入館することでしたから。
実は、この日のショックはそれ程でもなかったのです。翌日も入館する予定でしたから、「明日があるさ」と少し楽観してました。
結論を言えば、翌日も休館でした。理由は職員のストライキ?らしい。


P1540306
これがあるから、イタリアは行ってみるまで分からない、行ってみて初めて分かるのです。
わざわざ州立美術館に足を運んでも見ることが出来なかった傑作をここで触れておきましょう。


2
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ通称イル・カラヴァッジョ(ミラノ、1571‐ポルト・エルコレ、1610)の「ラザロの蘇生」


6
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ通称イル・カラヴァッジョ(ミラノ、1571‐ポルト・エルコレ、1610)の「羊飼いの礼拝」


1
アントネッロ・ダ・メッシーナ(メッシーナ、1430‐1479)の「サン・グレゴリオのポリッティコ」
メッシーナのサン・グレゴリオ教会にあった多翼祭壇画です。


4
アントネッロ・ダ・メッシーナ(メッシーナ、1430‐1479)の「聖母子」(1465‐70c)


5
マリオ・ミンニティ(シラクーザ、1577‐1640)の「ナイムの後家の奇跡」
これは傑作ではありません。マリオはローマ時代のカラヴァッジョの舎弟格でしたが、凡庸な画家でした。自分の才能の見切りをつけたのか、ローマでの活躍を諦めシチリアに戻り、シチリアではかなりの成功を収めました。シチリアの逃亡してきたカラヴァッジョの面倒をよく見て仕事の斡旋をしたのです。マリオの作品が4点ほど展示されてます。


3
マッティア・プレティ(タヴェルナ、1613‐マルタ、ヴァレッタ、1699)の「手紙の聖母」


7
アントネッロ・ガジーニ(パレルモ、1478‐1536)の「聖母子」


8
フランチェスコ・ラウラ―ナ(ヴィラナ、1430‐アヴィニョン、1502)の「聖母子」
こんなところでしょうか。


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返す返すも残念でした。


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振り返って美術館の方を恨めしい思いで見ました。


P1540313
メッシーナと言う街は、美術ファンにとって、魅力あるのは州立美術館だけと言っても過言ではないと思います。


P1540314
古代ギリシャの植民地時代、ポエニ戦争の舞台、ローマ時代、中世と古い歴史ある街で本来ならば見所が豊富である筈のメッシーナですが、美術的には全く退屈なのです。


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ジェズ・エ・マリア、アル・リンゴ教会


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16世紀創建の教会ですが、拝観する程の教会ではありません。


P1540318
メッシーナには不幸な歴史があって、20世紀に再建された街なのです。
1783年の大地震によって、大きな被害を受け、この時、カラヴァッジョの作品が数点失われたそうです。
また、1908年の大地震と津波によって、メッシーナで6万人の犠牲者を出し、多くの建物が倒壊したのです。さらに第二次世界大戦では、連合国の爆撃によって大被害を受けたのです。


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貴重な歴史的建造物が失われ、都市計画に基づいて復興された街なので、新しい建物ばかりなので、見どころに欠けるのです。


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ジュゼッペ・ガリバルディ通り


P1540322
他にやることがないので困りました。


P1540323
気を取り直して教会巡りをやることにしました。


P1540324
晴れてきたのが救いです。


P1540325
カヴール通り


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教会がありましたが、拝観する気が起きません。


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整然と区画整理されてます。


P1540329
味気ないです。


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時間がつぶれません。


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イタリアに行って最も退屈だったのが、この日でした。


P1540333
第二次世界大戦後に復興された一角です。


P1540334
サン・ルーカ・エヴァンジェリスタ教会


P1540335
あの教会は美術的には何もないので、素通りしました。


P1540336
(つづく)

P1090518昼食を食べ終わって外に出たら、午後4時近くになっていました。


P1090528
通りの向こうにピロッタ宮殿が見えました。


P1090523
旧サン・パオロ教会


P1090524
ストゥアルド絵画館に入館しました。


P1090529
旧サン・パオロ修道院に向かいました。尤もストゥアルド絵画館の展示室は旧サン・パオロ修道院の建物です。


P1090531
Museoになってます。


P1090536
中に入りました。


P1090535
この時、パルミジャニーノの特別展が開催されていました。他からの作品を展示していたので、写真禁止で写真がありません。


P1090538
読書と会話のクラブ


P1090560
一旦ホテルに戻ってトイレ休憩。


P1090561
ホテルで一休みしてから、サンティッシマ・トリニータ教会に向かいました。


P1090562
一旦・ガリバルディ通りに出てから、直ぐに右折します。


P1090569
右折すると、突き当りにサンティッシマ・トリニータ教会の鐘楼が見えます。


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サンティッシマ・トリニータ教会の扉が開いていました。


P1090572
1230年のパルマの記録に、この場所にドメニコ会教会の存在が記されており、12世紀末から13世紀初め頃に建設されたと推察されてます。


P1090605
1401年、巡礼者と貧困者のための巡礼宿と病院が増設されました。
現在の建物は、1743年に拡張増設工事着工、1813年に完成したバロック様式の二代目のものです。


P1090604
ファサードに向かって右の建物は旧病院で、そのルネッタにはインチェンツォ・マルティーニ(パルマ、1551‐1623)のフレスコ画があります。


P1090573
中に入りました。


P1090575
三廊式の小さな教会です。


P1090590
左側廊


P1090574
翼廊がありません。


P1090591
右側廊


P1090576
主祭壇と後陣


P1090577
主祭壇の銀製の6聖人


P1090580
主祭壇に置かれた「祈るキリスト」のイコン


P1090579
主祭壇画はジュゼッペ・バルドリーギ(ストラデッラ、1722‐パルマ、1803)の「天上の聖母子と聖人たち」


P1090581
詳細不明の磔刑像


P1090583
詳細不明


P1090584
インノチェンツォ・マルティーニ(パルマ、1551‐1623)のフレスコ画


P1090586
詳細不明


P1090587
マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648‐1729)の「ピエタ」


P1090588


P1090589


P1090592
ジョヴァンニ・バッティスタ・ボルゲージ(パルマ、1790‐1846)の「聖家族」


P1090594
詳細不明


P1090597
詳細不明


P1090599
詳細不明


P1090600
何処かで見たような気がしました。


P1090601
詳細不明


P1090582
祭壇前から見た出入口方向


P1090606
次はサン・フランチェスコ・デル・プラート教会です。


P1090607
古そうな民家です。


P1090612
通りの先にサン・フランチェスコ・デル・プラート教会があります。


P1090615
1222年創建、13世紀半ばに完成したゴシック様式のサン・フランチェスコ・デル・プラート教会です。


P1090625
ご覧のように扉が閉まっていました。
ナポレオンのイタリア侵攻によって、宗教活動の停止が命令され、その後、一度も宗教活動が再開されることなく現在に至ってます。


P1090635
堅固な造りから、ナポレオン時代から監獄に転用され、1993年まで刑務所となっていました。重罪犯用で、多くの死刑執行が行われた刑務所として、犯罪者から恐れられたそうです。


P1090626
中はフレスコ画の宝庫となっていて、2000年台前半に美術館として整備されることに決まりましたが、経済状態悪化のため、その実現は今のところ夢物語になりそうです。


P1090618
こちらはオペラ博物館です。


P1090619


P1090630
この建物も旧サン・フランチェスコ・デル・プラート教会の一部でした。


P1090620
キオストロ


P1090622
キオストロの壁に描かれたフレスコ画


P1090624



P1090638


P1090639
パルマの街歩きはこんなところでしょう。


P1090641
(おわり)

P1090355
サンタ・ルチア教会を後にしました。


P1090353
パルマの教会は大体開いているので、教会巡りに絶好です。


P1090354
次は愈々サンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂です。


P1090352
1392年までに、この場所にステッカータ教会が建てられ、受胎告知される聖母同信会が置かれるようになりました。教会は巡礼地となって、主祭壇に置かれた「授乳の聖母」(現在も聖堂の主祭壇にあります)が信仰の象徴となりました。


P1090307
1521年、受胎告知される聖母同信会は、当時の建物を取り壊し、その上に規模の大きな建物の再建を決定しました。そうして、1521年に創建され、1539年に完成したルネサンス様式の建物が現在の姿のほぼ原形となってます。1539年に奉献式が執り行われました。
クーポラは、1525年から1527年にかけて建設されました。
17世紀に一部バロック様式に改修され、現在のルネサンス・バロック様式の建物になりました。


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扉が開いていました。
中に入ると、ミサ、洗礼式、結婚式、葬儀などが行われておらず、ゆっくりと拝観出来そうでした。


P1090309
単廊式、ギリシャ十字形、ルネサンス様式の内部です。


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左翼廊方向


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右翼廊方向


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主祭壇を見ます。


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主祭壇画は、14世紀の「Madonna allattante(授乳の聖母)」
巡礼者の信仰を集めた作品です。


P1090313
後陣ヴォルタのフレスコ画は、ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ通称イル・パルミジャニーノ(パルマ、1503‐カザールマッジョーレ、1540)の「3人の賢明な処女と3人の愚かな処女」(1531‐39)


P1090317
マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648‐1729)の「天上の聖家族と聖ジョルジョ」(1718)


P1090346
ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500c‐パルマ、1569)の「救世主とパドヴァの聖アントニオと聖マリア・マッダレーナ」


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トッマーゾ・バンディーニ(フェリーノ、1807‐パルマ、1849)の「ピエタ」


P1090332
クーポラのフレスコ画は、ベルナルディーノ・ガッディ(パヴィア、1495/1496-クレモナ、1576)の「聖母被昇天」


P1090328
ジャンベッティ―ノ・チニャローリ(ヴェローナ、1706-1770)の「三位一体と聖人たち」


P1090318
17世紀のエミリアの逸名画家の「天上の聖母子と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタとバーリの聖二コラ」


P1090319
私には制作者等が分かりません。


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ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ、1492c-パルマ、1556)の「マギの礼拝」(1541)


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ヤン・ソーンス(オランダ、スヘルトーヘンボス、1547-パルマ、1611)の「聖家族」


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P1090331


P1090333
アウレリオ・バリーリ(パルマ、16世紀後半活動)の作品です。


P1090335
フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ(ボローニャ、1477-1517)の「玉座の聖母子と2聖人と3音楽天使」


P1090337
私には制作者等が分かりません。聖堂側は勿論分かっていると思います。


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P1090340
詳細不明


P1090341


P1090343
私には制作者等が分かりません。


P1090344


P1090345
詳細不明


P1090347
漆喰彫刻


P1090348
私には制作者等が分かりません。


P1090351
私には制作者等が分かりません。


P1090324
パルミジャニーノのフレスコ画をもう一度見ました。


P1090350
主祭壇をもう一見ました。


P1090386
外に出ました。


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ドゥオーモ広場に来ました。


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ドゥオーモのライオン像にご挨拶


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司教館


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キオストロに行ってみます。


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この下にMuseo Diocesanoがあります。


P1090509
キオストロにある井戸


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お腹が空きました。


P1090500
ここで食べました。
(つづく)

P1090260
イエズス会のサン・ロッコ教会です。
1528年創建、1598年に完成した教会と書いてあるのを目にしたことがありますが、正しくもあり、正しくないとは言えないものの正確ではないと言えそうです。


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ファサード前の道路が狭いので、ファサード全体の写真が撮れません。
現在のバロック様式の建物は、1737年に創建され、1754年に完成した二代目のものです。


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最初の建物の完成後、僅か140年足らずにして再建されるようになったのか、不思議に思い、あちこち調べましたが、その理由がまだ分かりません。


P1090298
1747年から1754年に建設された高さ50m超の鐘楼です。


P1090264
単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


P1090265
左右の側壁と翼廊に礼拝堂が設けられてます。


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比較的新しい祭壇画ばかりですが、現在まで名前が知られている画家たちの作品があるので、美術ファンにとって楽しい教会と言えるでしょう。


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天井の白いところは地震によって生じた亀裂の修復箇所です。


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主祭壇


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イエズス会の教会にしては稍々地味な感じがします。


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後陣とクーポラ


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主祭壇画は、フランチェスコ・スカラムッツァ(シッサ、1803‐パルマ、1886)の「ペストを治癒する聖ロッコに顕現する天上の聖母子」
聖ロッコはペストに対する守護聖人とされていて、ペスト禍に度々見舞われた中世において人々の崇敬の対象になっていました。


P1090284
1754年に制作されたパイプオルガン。当時のオルガン名工によって制作されたもので、今でも有名なオルガンとされてます。オルガンは私の好きな美術対象から外れるので、このオルガンについての詳しいことは省略です。


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P1090286
詳細不明


P1090288
ジャチント・ブランディ(ローマ、1621‐1691)の「割礼」


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リオネッロ・スパーダ(ボローニャ、1576‐パルマ、1622)の「聖イグナツィオと十字架を手にするキリスト」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ボルゲージ(パルマ、1790‐1846)の「聖母子と聖人たち」


P1090292
ピエトロ・ロターリ(ヴェローナ、1707‐サンクトペテルブルク、1762)の「聖イグナツィオ」


P1090293
ピエトロ・ロターリ(ヴェローナ、1707‐サンクトペテルブルク、1762)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオ」


P1090294
詳細不明


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ジャチント・ブランディ(ローマ、1621‐1691)の「磔刑」


P1090271
詳細不明


P1090272
詳細不明


P1090273
詳細不明


P1090275
ジョヴァンニ・バッティスタ・ボルゲージ(パルマ、1790‐1846)の「聖ルイージ・ゴンザーガと聖スタニシャオ」


P1090276
詳細不明


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17世紀のパルマの逸名画家の作品


P1090289
詳細不明


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主祭壇前から見た出入口方向


P1090299
外に出ました。
サン・ロッコ教会から至近にある旧教会に行きました。


P1090301
1177年の文書に教会の存在が記されているサンタンドレア教会です。


P1090300
1939年、教会としての活動をした停止した旧教会です。現在、美術展などの会場として使用されてます。この日は現代抽象画の特別展だったので、直ぐに出てきました。


P1090303
写真左が旧サンタンドレア旧教会で、鐘楼はサン・ロッコ教会のものです。


P1090304
街の中心の広場に戻ってきました。


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ガリバルディ広場に置かれていた彫刻です。如何にも現代のイタリア人が好きそうな彫刻です。
フェルナンド・ボテロの「Donna Distesa(横たわる女)」(2013)


P1090306
次はサンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂に行くつもりでした。


P1090357
サンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂に行く途中、サンタ・ルチア教会が開いていました。


P1090361
拝観することにしました。


P1090358
サンタ・ルチア教会については、(その4)で詳しく触れました。


P1090366
パルマの教会は何処でも外れがありません。美術的にですが。


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P1090375
(つづく)

P1090200
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


P1090203
この場所に12世紀頃に建設されたサン・フランチェスコ修道院がありましたが、1546年、初代パルマ公爵ピエル・ルイージ・ファルネーゼは、修道院を取り壊し、その上に軍事施設の建設を決め、修道院は取り壊されました。


P1090202
ピエル・ルイージの息子で第二代パルマ公爵オッタヴィオ・ファルネーゼは、教会修道院の再建を決め、1566年創建、17世紀に完成したバロック様式の建物が現在の教会です。
修道院を取り壊して、再建に至る背景には、フランス、スペイン、教皇庁などがパルマの領有を巡って政治的軍事的に介入した歴史がありますが、その辺をここで触れることは止めて先を急ぎます。


P1090201
ファサード入口扉上の、ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビエーリ(ヴァル・ディンテルヴィ、1625/1626-1691)による漆喰彫刻が有名です。


P1090201
外壁が丸くなった箇所がありますが、そこに礼拝堂が設けられてます。


P1090245
教会の中に入れば、この部分の訳が理解できるでしょう。


P1090244
入口扉の装飾


P1090204
バロック様式の内部です。


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天井の形の通りで楕円形の教会です。


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主祭壇に向かって左側です。


P1090205
主祭壇に向かって右側です。


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主祭壇


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後陣のクーポラ


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主祭壇画は、フランチェスコ・ザガネッリ・ダ・コティニョーラ通称フランチェスコ・ダ・コティニョーラ(コティニョーラ、1475-ラヴェンナ、1532)の「聖母子と4聖人(聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ルチア、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、アッシジの聖フランチェスコ)」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・バルベリーニ(ヴァル・ディンテルヴィ、1625/1626-1691)の「コレッジョ作『受胎告知』のコピー画」(1681)
コレッジョの「受胎告知」のフレスコ画は、取り壊された教会修道院にありました。その剥離フレスコ画がパルマの国立美術館で展示されています。その作品画像を載せておきましょう。


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アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c-1534)の「受胎告知」(1524-25c)
パルマ国立美術館所蔵


P1090210
詳細不明


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アンドレア・スクテッラーリ(ヴィアダーナ、1578-1598記録)の「聖ジローラモ」


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アンドレア・スクテッラーリ(ヴィアダーナ、1578-1598記録)の「聖パオロと天使」


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詳細不明


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セバスティアーノ・ガレオッティ(フィレンツェ、1675-モンドヴィ、1746)の「聖母子と聖ボナヴェントゥーラ」


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プレセーペ礼拝堂


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P1090223
教会の周囲の景色が再現されてます。


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この場所でしょうね。


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ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ通称イル・パルミジャニーノ(パルマ、1503-カザールマッジョーレ、1540)の「フェルトレのベアート・ベルナルディーノ」


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サクロ・クオーレ礼拝堂


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティンティ(パルマ、1558-1604)に拠る礼拝堂の装飾


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティンティ(パルマ、1558-1604)のフレスコ画


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パドヴァの聖アントニオ礼拝堂


P1090233
詳細不明


P1090235
アルカンターラのサン・ピエトロ礼拝堂


P1090236
イラリオ・スポルヴェリーニ(パルマ、1657-ピアチェンツァ、1734)の「アルカンターラの聖ピエトロ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ティンティ(パルマ、1558-1604)のフレスコ画


P1090243
詳細不明


P1090241
サン・フランチェスコ礼拝堂


P1090242
外に出る前に、もう一度祭壇を見ました。


P1090248
外に出ました。


P1090250
メッツォ橋を渡ってチェントロ・ストーリコに戻ります。


P1090255
この教会の名称が分かりません。


P1090256
次はサン・ロッコ教会です。


P1090257
この日は精力的に教会巡りをしました。


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突き当りを左折すればサン・ロッコ教会に出ます。


P1090259
サン・ロッコ教会です。
(つづく)

P1090153次はサン・バルトロメオ教会です。


P1090186
カルドゥッチ通りには青空市が立っていました。


P1090185
カルドゥッチ通りに面して建つサン・バルトロメオ教会です。


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830年頃のパルマの文書に、この場所に存在していた教会の記録が残されており、830年以前に建てられたとされてますが、恐らく7世紀頃には存在していたと推察されてます。
1180年、教会の横を流れるパルマ川の洪水によって大きな被害を受けてしまいました。その後、教会は、Chiesa di San Bertolomeo de Glareaと称されたように、修復されずに長い間放置されたままになっていました。glareaとは砂利と言う意味で、その名の通り、教会の建物は洪水の際の砂利と瓦礫に埋まっていたのでしょう。


P1090160
17世紀になると、教会の再興が決定され、1633年に再建工事が着工されました。1785年に一応の完成の運びとなりましたが、19世紀に改修が行われ、現在の姿になったのは全ての改修工事が完了した1851年にことでした。


P1090154
鐘楼と後陣
初代の建物の姿を模して設計されたので、後期ゴシック様式に似た格好の建物です。
鐘楼の一部に、7世紀頃の初代の建物の石が使用されているそうです。


P1090155
青空市のテントが邪魔して教会全体の写真が撮れません。


P1090161
ファサード左右の壁龕の彫刻は、アレッサンドロ・ボットーニとアウレリオ・ボットーニの兄弟による作品です。
こちらは「聖サビーナ像」


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聖バルトロメオ像


P1090163
扉が開いていたので拝観しました。


P1090164
単廊式、バロック様式の内部です。


P1090166
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。


P1090165
右側壁


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装飾が殆ど施されていない地味な天井です。


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主祭壇


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主祭壇画は、ジュゼッペ・ペローニ(パルマ、1710‐1776)の「聖バルトロメオの殉教」


P1090169
ジャコモ・スピチョッティ通称スピリト・ジェンティーレ(パルマ、1520‐1602)の「聖母子と聖人たち」
他の教会にあったものを、ここに移設したのでしょう。


P1090170
18世紀のパルマの逸名画家作「キリストの洗礼」


P1090171
詳細不明


P1090172
詳細不明


P1090173
詳細不明


P1090175
ジローラモ・マニャーニ(ボルゴ・サン・ドンニーノ、1815‐パルマ、1889)の「天上の聖母子と聖人たち」


P1090179
18世紀のエミリアの逸名画家作「聖母被昇天」


P1090180
詳細不明


P1090181
詳細不明


P1090182
詳細不明


P1090177
祭壇前から見た出入口方向


P1090187
外に出ました。


P1090188
パルマ川の方に進みました。


P1090189
メッツォ橋下の広場にも青空市が立ってました。


P1090190
パルマ川に架かるメッツォ橋です。


P1090191
橋の先にある教会を目指します。


P1090193
Torrenta Parma


P1090194
単純にパルマ川と思っていたら、わざわざTorrentaとなっていました。torrentaとは急流とか渓流という意味ですが、見た目、急流とか渓流ではないような感じです。


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どちらが上流でしょうか?


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川岸に建つ家々


P1090254



P1090195
橋を渡って対岸に行きました。


P1090197
フィリッポ・コッリドーニ広場


P1090249
広場に立つのは、オッド・アリヴェンティ(1898‐1975)の「フィリッポ・コッリドーニのモニュメント」
フィリッポ・コッリドーニ(コッリドーニア、1887‐サン・マルティーノ・デル・カルソ、1915)は労働組合指導者、政治家、ジャーナリストでした。


P1090247
広場の横に教会があります。


P1090198
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


P1090199
(つづく)

(その8)はパルマのサン・ヴィターレ教会です。
P1090080
Palazzo Comunaleの隣にあるサン・ヴィターレ教会です。


P1090141
11世紀、現在のガリバルディ広場にサン・ヴィターレ教会が建設されました。


P1090138
1644年、サン・ヴィターレ教会は現在の場所に移転再建することが決められ、1651年に創建され1669年に完成したバロック様式の建物となりました。


P1090081
クーポラと鐘楼


P1090142
ファサードの左右に絵画が置かれてます。


P1090143
向かって右は聖ジョルジョ


P1090140
扉が開いていたので拝観しました。


P1090083
単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


P1090085
左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。


P1090084
右側壁


P1090086
バロック様式の教会にしては、地味な方の天井装飾です。


P1090110
クーポラ


P1090116
主祭壇


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主祭壇に置かれた磔刑像(詳細不明)


P1090111
主祭壇画は、セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659‐ヴェネツィア、1734)の「聖ヴィターレと聖グレゴリオ・マーニョ」


P1090114
ジュゼッペ・ペローニ(パルマ、1710‐1776)によって描かれた後陣のフレスコ画


P1090118
ルーカ・レーティ(ライーノ、1598‐パルマ、1668)とドメニコ・レーティ(17世紀パルマで活動)の兄弟によって制作された漆喰彫刻


P1090119
グレゴリオ・マーニョ?


P1090120
ガエターノ・カッラーニ(パルマ、1736‐1809)の「聖母子と聖ヴィターレと聖パオロ」


P1090121
ルーカとドメニコのレーティ兄弟による漆喰彫刻


P1090122


P1090090
ドメニコ・ポッツィ(スイス、ブルゼッラ、1745‐ミラノ、1796)の「聖母子と2聖人」


P1090089
カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「聖母子と聖ロッコと聖セバスティアーノ」


P1090092
カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「受胎告知」


P1090094
詳細不明


P1090096
詳細不明


P1090097
ジョヴァンニ・バッティスタ・カッチオーリ(ブドリオ、1623‐ボローニャ、1685)の「聖母子と聖人たち」


P1090099
詳細不明


P1090100
詳細不明


P1090101
ルティーノ・バリッリ(パルマ、1883‐1961)の「祈る聖母」


P1090102
詳細不明


P1090104
ドンニーノ・ポッツィ(フォンタネッラート、1894‐パルマ、1946)の「キリストの復活」


P1090103
ドンニーノ・ポッツィ(フォンタネッラート、1894‐パルマ、1946)の「ピエタ」


P1090105


P1090106


P1090107


P1090108


P1090109
詳細不明


P1090112
詳細不明


P1090125
クレメンテ・ルータ(パルマ、1685‐1767)の作品


P1090128
詳細不明


P1090129
詳細不明


P1090130
カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「聖母子と聖人たち」


P1090131
詳細不明


P1090132
詳細不明


P1090133
詳細不明


P1090134
詳細不明


P1090135
詳細不明


P1090136
詳細不明


P1090123
祭壇前から見た出入口方向


P1090124
ガエターノ・カッラーニ(パルマ、1736‐1806)の作品


P1090137
これで終わりです。


P1090139
外に出ました。


P1090144
(つづく)

P1080974
街歩きの起点は、この日もガリバルディ通りです。


P1080978
サンタ・テレーザ教区教会を素通りするのは気が引けます。


P1080983
一寸だけ拝観しました。


P1090013
パルマには、現役の教会が多いと思います。


P1090014
この付近を往復したのは、もう30回以上にもなります。


P1090015
朝靄の中のピロッタ宮殿


P1090016
前夜、ここでシモン・ボッカネグラを楽しみました。


P1090017
兵士のブロンズ像


P1090021
ホテルに戻ったのが午前1時過ぎ。ベッドに入ると、頭の中でアリアが流れて寝付けません。寝不足の朝を迎えました。終演を午後11時半を見込んで開演時間が決まるので、夕食をどうするかが頭を悩ませるところです。この劇場周辺のレストランは、オペラ開演の夜はオペラがはねた後でも営業しています。久し振りの真夜中の夕食は、胃がびっくりしたみたいで、朝飯を食べるどころではありませんでした。


P1090150



P1090149
ブッセートのオペラはパルマ歌劇場の出張公演のようです。


P1090025
劇場の隣にある、1527年創建、1624年に完成したサンタレッサンドロ教会です。


P1090027
残念ながら扉が閉まっていました。


P1090026
鐘楼


P1090028
ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ、アレッサンドロ・ティアリーニ、セバスティアーノ・リッチなどの作品があるので、拝観したかったけれど、扉が閉まっていては仕方がありません。


P1090029
サンタレッサンドロ教会の向かいにあるサンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂に期待しました。


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聖堂は開いていました。


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中に入ったらミサ中でした。ミサを暫く見ていましたが、始まったばかりのようです。
聖体拝領してから信者同士で握手してミサが終わるのが普通ですが、それまでは時間がかかりそうでした。


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外に出たら、信者が続々と中に入って行くのを目にしました。


P1090033
パルミジャニーノ、ベルナルディーノ・ガッティなどのフレスコ画を見たかったけれど・・・・・


P1090031
この聖堂はミサの多いことで知られてます。


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ステッカータ広場


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広場に立つのは、パルミジャニーノのモニュメント


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この辺で、前日夜のオペラで歌った歌手を見かけました。


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街角の聖母子


P1090042
この辺の雰囲気が実に良いと思います。


P1090045
ガリバルディ広場


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Palazzo del Governatore


P1090147
これを撮っておくと後で役立ちます。


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ジュゼッペ・ガリバルディのモニュメント


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市庁舎前に立つコレッジョのモニュメント


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市庁舎のロッジャ


P1090078


P1090079
市庁舎前にあるヘラクレスとアンテオのモニュメント
今日は時間がないので、この辺で終わりにさせてください。
(つづく)

P1090666
私には制作者等が分かりません。
引き続きサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会修道院です。


P1090668
私には制作者等が分かりません。


P1090673
私には制作者等が分かりません。


P1090674
私には制作者等が分かりません。


P1090675
私には制作者等が分かりません。


P1090677
私には制作者等が分かりません。


P1090679
私には制作者等が分かりません。


P1090680
アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499‐1565)の「聖フェリチータと聖ヴィターレ(息子)」


P1090681
アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499‐1565)の「聖ベネデット」


P1090683
詳細不明


P1090685
ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ1632‐ピアチェンツァ、1698)の「聖イラーリオとバーリの聖二コラに顕現する聖母子」


P1090688
主祭壇と後陣


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主祭壇画は、エミリオ・タルッフィ(1633‐1696)の「キリストの昇天」(1674)


P1090708
ルネッタのフレスコ画は、アレッサンドロ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1498c‐1534)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


P1090715
後陣のフレスコ画は、チェーザレ・アレトゥージ(モデナ、1549‐パルマ、1612)の「コレッジョ作『聖母戴冠』のコピー画」です。
これをコレッジョのフレスコ画と間違える方がいらっしゃいますが、チェーザレが描いたコピー画です。
本物はピロッタ宮殿の国立美術館にあります。


P2620601
アレッサンドロ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「聖母戴冠」(1522c)
パルマ国立美術館にあるコレッジョの作品です。


P1090706
クーポラのフレスコ画は、アレッサンドロ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489c‐1534)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタの死」(1520)


P1090695
私には制作者等が分かりません。


P1090694
私には制作者等が分かりません。


P1090693
私には制作者等が分かりません。


P1090697
ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500c‐パルマ、1569)の「聖母子と聖ジャコモ」(1543‐45)


P1090698
私には制作者等が分かりません。


P1090699
アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499‐1565)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


P1090700
アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499‐1565)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


P1090701
私には、この作品の詳細が分かりません。


P1090710
私には、この作品の詳細が分かりません。


P1090711
私には、この作品の詳細が分かりません。


P1090720
私には、この作品の詳細が分かりません。


P1090723


P1090725
私には、この作品の詳細が分かりません。


P1090687
主祭壇前から見た出入口方向


P1090729
ファサード裏にある作品です。


P1090731
外に出ました。


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次はサンティッシマ・トリニータ教会です。


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駅の方に向かいます。


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ガリバルディ通りに出ました。


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見慣れた風景です。


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右折すると教会の鐘楼が見えました。


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残念、サンティッシマ・トリニータ教会は閉まっていました。


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写真右の建物のルネッタを見て我慢します。


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インノチェンツォ・マルティーニ(パルマ、1551‐1623)のフレスコ画


P1230885
この日の予定はこれで終わりです。


P1230886
(つづく)

P1230309
次はサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ修道院です。


P1230311
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ修道院は、ドゥオーモの後にあります。


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突き当りの建物の浮彫は一見の価値があります。


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浮彫


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13世紀に建設された歴史的建造物ですが、現在はホテルになってます。ドゥオーモ広場から見ると、この建物はお馴染みでしょう。


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洗礼堂を経由します。


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洗礼堂は旧市街の中心であるので、どうしても一度の旅で何度も来てしまいます。


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傑作です。


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登録して、デポジットを払えば旅行者も使用可能でしょうか?


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ドゥオーモ広場


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13世紀に建設され、18世紀に改修されたPalazzo della Rosa Pratiは、現在ホテルになってます。この建物の裏側に浮彫があります。


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この辺のパルマが特に気に入ってます。


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サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ修道院が見えてきました。


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見たところが多いので、ついつい道草してしまいます。


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ドゥオーモの後陣


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サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ修道院です。
960年、ベネデット会修道士によって、この場所に建設されたサン・コロンバーノ祈祷所が前身です。後に修道院が併設されるとともに祈祷所だった建物は増築されて教会となって、パルマでは大組織の教会修道院になりました。


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教会修道院は、1477年に発生した火災によって大きな被害を受けたので再建されることになりました。


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15世紀後半、当時、パルマで実績がある建築家Bernardino Zaccagni(パルマ、1455‐1531)の設計と工事監督によって、1490年に創建、1519年に完成した盛期ルネサンス様式の二代目の建物が現在の姿となってます。
また、再建を機に奉献する聖人が聖コロンバーノから聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタに変更され、教会修道院の名称が現在の名前になりました。


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後期マニエリスム様式(初期バロック様式に近似)のファサードは、彫刻家・建築家シモーネ・モスキーノ(オルヴィエート、1553‐パルマ、1610)の設計によって、1604年から1607年に建設されました。
それで15世紀から17世紀に建設されたと記されているのです。


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写真正面は修道院のファサード、左はドゥオーモの後陣です。


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高さ75mの、パルマで最も高い鐘楼は、パルマの建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・マニャーニ(パルマ、1571‐1653)の設計によって1613年に建設されました。


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ファサードの壁龕に彫刻があります。


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無原罪の聖母


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聖プラチド


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聖スコラスティカ


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聖フェリチータと聖ヴィターレ


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聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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左側廊方向


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左側廊


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右側廊方向


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右側廊


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身廊天井
祭壇画、フレスコ画を見て行きます。


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ヤン・ソーンス(オランダ、スヘルトーヘンボス、1547‐パルマ、1611)の「聖母子と2聖人」


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ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ、1491/1492-パルマ、1556)の「聖ジローラモ」


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ジャコモ・ライボリーニ通称ジャコモ・フランチャ(ボローニャ、1484-1557)とジュリオ・ライボリーニ通称ジュリオ・フランチャ(ボローニャ、1487-1540)の「ご誕生」(1519)


P1090663
詳細不明


P1090665
クリストフォロ・カセッリ(パルマ、1460-1521)の「マギの礼拝」
(つづく)

P1230243
見えているのは、サンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂と歌劇場です。


P1230245
ステッカータ広場にやってきました、道路の向こうは広場の名称が変わってガリバルディ広場になります。


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広場に立つジュゼッペ・ガリバルディのモニュメント像


P1230248
時計塔がある建物はPalazzo del Governatore


P1090076
サン・ピエトロ教会に行ってみることに。


P1090071
955年の記録にサン・ピエトロ教会がこの地にあったことが記されているそうです。初代の建物を取り壊し、その上に新しいゴシック様式の建物が1418年から1492年にかけて再建されました。


P1090072
現在の新古典様式の建物は、1707年から1762年に建て替えられた三代目のものです。


P1090070
ファサードのスタッコはべニーニョ・ボッシ(アルチザーテ、1727‐パルマ、1800)の作品です。


P1090055
単廊式、新古典様式の内部です。翼廊がありません。


P1090056
左側壁


P1090057
右側壁


P1090058
クレメンテ・ルータ(パルマ、1685‐1767)の作品です。


P1090059
「聖ジュゼッペの死」


P1090061
べニーニョ・ボッシの作品です。


P1090063
べニーニョ・ボッシによるスタッコ装飾


P1090064
クーポラのフレスコ装飾はジョヴァンニ・アントニオ・ヴェッツァーニ(パルマで18世紀前半活動)によるものです。


P1090065
詳細不明の磔刑像です。


P1090066
主祭壇画


P1090067
アレッサンドロ・マッツォーラ(パルマ、1533‐1608)の「聖母子と2聖人」


P1090062
主祭壇前から見た出入口方向


P1090068
祭壇をもう一度見てから外に出ました。


P1090073
観光案内所でバスの時刻と発着場を確認しました。パルマ新駅のオープンによって、バスの発着場が変わりました。


P1230251
レプッブリカ通りです。見えているのはサン・ヴィターレ教会ですが、教会の扉が閉まっていました。


P1230257
次はサンタ・ルチア教会です。


P1230262
カヴール通りに戻りました。


P1230263
カヴール通りに面して建っているサンタ・アルチア教会です。


P1230264
サンタ・ルチア教会です。
1223年創建、1294年に奉献式が執り行われたサン・ミケーレ教会がこの場所にありましたが、そのサン・ミケーレ教会が現在のサンタ・ルチア教会の前身です。


P1230266
16世紀後半、サン・ミケーレ教会の建物は老朽化のため荒廃してしまったので、それを取り壊し、その上に新しい建物が再建されることになりました。
そうして、1615年に創建され、17世紀後半に建物が完成しました。1697年に再建されたバロック様式の建物の奉献式が執り行われました、それを機に捧げる聖人が大天使ミケーレから聖ルチアに変更され、教会の名称がサンタ・ルチア教会と改称されました。


P1230265
ファサードはマウロ・オッディの設計です。ファサード・ニッチの彫像「聖ビアージョ」と「聖ルチア」はジャコモ・バルビエーリの作品です。


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単廊式、バロック様式のこじんまりした内部です。


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壁の殆どがフレスコ画で覆われてます。


P1230287
フィリッポ・マリア・ガレッティ(フィレンツェ、1638‐1714)によるフレスコ画


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クーポラのフレスコ画もフィリッポ・マリア・ガレッティ(フィレンツェ、1638‐1714)によって描かれました。


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聖母被昇天


P1230301


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主祭壇


P1230281
主祭壇画は、セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659‐ヴェネツィア、1734)の「聖ビアージョから聖体拝領する聖ルチア」(1730)


P1230299
この作品はセバスティアーノ・リッチの代表作とされてます。


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アントニオ・リゴーリの「聖霊降臨」


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オルガン


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アントニオ・リゴーリの「天上の聖母子と聖パオロと聖フランチェスコ」


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セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659‐ヴェネツィア、1734)の「聖セバスティアーノと聖ロッコ」


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ジュリオ・チェーザレ・アミダーノ(パルマ、1572‐1629)の「聖母子と聖ルチアとシチリアの聖アガタ」


P1230295
詳細不明


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説教壇


P1230303
詳細不明


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ファサードの裏側の壁にもフレスコ画が描かれてます。


P1230306
外に出ます。


P1230308
(つづく)

P1230208
旧市街の中心部へと続くガリバルディ通りです。


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ガリバルディ通りに面して建つサンタ・テレーザ教会が開いていたので、拝観することにしました。


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Chiesa di Santa Teresa del Banbino Gesuが正式名称です。
1548年、現在の教会がある土地に建設されたOratorio del Rossiが前身です。1584年、Oratorioはサンティッシマ・トリニータ教会に組み入れられ、Chiesa della Trinita Nuovaと改称しました。
1647年、教会は増築されることになり、建築家ジローラモ・ライナルディ(ローマ、1570‐1665)の設計によってバロック様式で、ほぼ現在の規模の建物になりました。
更にクーポラが増設されることになり、ボローニャの建築家ステファノ・ロッリ(ボローニャ、1665c‐1714以降没)の設計によって、1685年から1693年にかけてクーポラが建設されました。
ファサードは、エルメスと・ピアッツァとドメニコ・レーティの設計によって、1862年から1864年にかけて建設されました。ファサードが完成した1864年の姿が現在のものです。


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入口扉上ルネッタの浮彫
20世紀後半までトリニータ・ヌオーヴァ教会と称していましたが、1973年、現在の名称に改称されました。
今でもトリニータ・ヌオーヴァと呼ぶ地元の人が多いようです。一部では、その前の名称であるOratorio del Rossiと呼ぶ人もいるそうです。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。


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1548年に創建されたので、古い祭壇画などがありませんが、名前が知られた画家たちの作品があるので、美術ファンにとっては拝観する価値があると思います。


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バロック様式の教会にしては、若干控えめな装飾と言えるでしょう。


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クーポラ


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17世紀にドメニコ・レーティによって制作されたスタッコ装飾


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創建時のオルガンが残されてます。


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主祭壇画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ボルゲージ(パルマ、1790‐1846)の「三位一体」(1822c)


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左側壁第3礼拝堂にある「ロレートの聖なる家」
制作者情報等不祥


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ジュリオ・チェーザレ・アミダ―ニ(パルマ、1566‐1630)の「聖母子と聖人たち」


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577‐1668)の「聖母子と聖ピエトロとパドヴァの聖アントニオ」


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ヴィンチェンツォ・カンピ(クレモナ、1536‐1591)の「磔刑」


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16世紀の磔刑像


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バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556‐1629)の「聖母子と聖人たち」


P1090006
詳細不明


P1090008
詳細不明


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ドメニコ・レーティのスタッコ装飾


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制作者不明の「聖テレーザ」


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作者不明の「聖テレーザ」


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アンドレア・シラーニ(ボローニャ、1610‐1670)の「マギの礼拝」


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主祭壇前から見た出入口方向です。


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外に出ました。


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ピロッタ宮殿を横に見ながら南に進みました。


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この日も入館しました。


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作品の写真を撮ることと作品鑑賞は両立しないので、主な美術館には一回の旅で2回入館することにしてます。


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Piazzale della Pace


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広場に立つ兵士のブロンズ像


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ガリバルディ通り


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王立歌劇場


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サンタ・マリア・デッラ・ステッカータ聖堂の拝観は後回しです。


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カヴール通りに行くことに。


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Borgo Angelo Mazzo


P1230237
オペラを見るためには絶好な場所にあるホテルで、特に台所がある部屋が勧めです。ただ、オペラ公演日の宿泊代が高く設定されているので、商魂逞しいオーナーが気になる人にはお勧めしません。


P1230239
カヴール通り


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ステッカータ広場の観光案内所に向かいました。


P1230241
(つづく)

P1230752
洗礼堂から外に出て、次は教区博物館です。


P1230753
洗礼堂と教区博物館が共通券になってます。


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Museo Diocesanoは、通常、教区に属する教会や修道院から集められた作品が展示されてますが、パルマの場合、ドゥオーモにあった作品が展示の中心になっていて、実質的にドゥオーモ付属博物館となってます。


P1230761
入館しました。


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この種の博物館としては、展示が少ない方でしょう。


P1230785
パルマ教区博物館については、後程項を改めて詳しく触れます。


P2610530
外に出たら、辺りはすっかり夕方の佇まいでした。


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もう閉館間近なのでパス。


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イタリアのオペラ劇場は、月に6,7日の公演が普通です。


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この日だけでなく、翌日、翌々日も公演がありません。


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ピロッタ宮殿は、この日の翌日に行きました。この日は、もう夕方で時間がありません。


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ガリバルディ通りをてくてく歩いてホテルに戻りました。


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夕食はホテル併設のレストランで。


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結構気に入ってます。


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クラテッロ・ディ・ジベッロが美味!
私が食べたイタリア生ハムでは、クラテッロ・ディ・ジベッロが最も美味しいと思います。


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皿が大き過ぎ。


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夜更けに外に出たけれど。


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直ぐに部屋に戻りました。


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翌日も快晴でした。


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ピロッタ宮殿に向かいました。


P2620540
公園は工事中でした。


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私にとって、パルマでの一番の見所はここです。


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パラティーナ図書館、ボドニアーノ博物館、ファルネーゼ劇場、国立美術館、国立考古学博物館がピロッタ宮殿にあります。


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宮殿の中も工事中でした。


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ファルネーゼ劇場と国立美術館はセットになってます。


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ファルネーゼ劇場です。


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以前は、劇場から美術館に行くようになっていましたが、今回は、劇場から一旦切符売り場のホールに出てから、従来、美術館の出口だった所から美術館に入館するようになっていました。


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作品の新しい時代のものから古い時代の作品を見て行くという、従来の逆の順路で見て行くことになりました。


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ファルネーゼ家のお宝収集作品は、直系相続人が絶えたことで、ナポリのカポディモンテに移されてしまい、その残りカス感が強いものの、それでも十分楽しめます。


P2620904
パルマ国立美術館については、項を改めて詳しく触れる予定です。


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レオナルド・ダ・ヴィンチの作品


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展示されている作品の数は、それほど多くはありません。


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国立考古学博物館も工事中でした。


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閉鎖されている部屋が数部屋あったと思います。


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興味深い展示ばかりで、時間をかけてゆっくりと見て回りました。


P2630300
国立考古学博物館も項を改めて詳しく触れる予定です。


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定番展示も数多くありました。


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かなり時間が経ちました。


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すっかり日が傾きました。


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この日も充実した一日になり、満足でした。


P2630488
(つづく)

パルマは、人口196,475人(2018年3月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州パルマ県の県都です。
P2630489
パルマ駅に到着しました。


P2600387
3,4年前に再建された駅舎です。駅至近のこの日のお宿に向かいました。


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オペラを見ることが滅多になくなったので、このところ、このホテルに泊まってます。


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荷物を預け身軽になったので、早速街歩きに出発しました。


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ガリバルディ通り、またはトレント通りを真っすぐ進めば、旧市街です。同じ通りですが、場所によって名称が異なるので、時々戸惑うことがあります。


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この辺ではガリバルディ通りになるでしょう。


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サンタ・テレーザ教会の拝観は後日にしてパス。


P2600393
Piazza della Pace
広場に面して建っているのはピロッタ宮殿です。


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ストゥアルド絵画館の開館時間を確認しました。それで後で入館することにしました。


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ドゥオーモ広場にやってきました。


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洗礼堂は後回し。


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先ずドゥオーモを拝観することにしました。


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堂内に入りました。


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クリプタ


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クーポラのフレスコ画


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日が当たって見難かった!


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P2600691
ドゥオーモについては、項を改めて詳しく触れる予定です。


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見所が多いので目移りしてしまいます。


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説教壇


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味わい深い柱頭


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外に出ました。


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雲一つない秋晴れ


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Palazzo Vescovile


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絵画館の開館時間になったので、絵画館に向かいました。


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Monument della Vecchia Torre di San Paolo


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旧サン・パオロ教会


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ストゥアルド絵画館は、旧サン・パオロ教会修道院の建物にあります。
月曜日も開館しています。入館無料です。


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ジュゼッペ・ストゥアルド(パルマ、1790‐1834)の「自画像」
ジュゼッペ・ストゥアルドは、パルマ貴族の芸術家、美術品収集家です。彼が個人収集した美術品が展示されてます。


P2600850


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絵画館については、項を改めて詳しく触れる予定です。


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収集家の品良い好みが伺えます。


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近代画が充実しています。


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次は洗礼堂の拝観です。


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日がすっかり傾きました。


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団体さんがいました。


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洗礼堂に入りました。外にいた団体さんは何故か中に入ってきません。


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洗礼堂については、後程項を改めて詳しく触れる予定です。


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近頃、長い間見上げるのが辛くなってきました。


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見上げないと鑑賞できないので、辛くなっても我慢の一手です。


P2610390
(つづく)

245
トレヴィのコムナーレ博物館です。


253
博物館はオリーブ、考古学。絵画などの部門に分かれてます。


261
展示作品数は少ないですが、傑作が幾つかあります。


266
コムナーレ博物館については、項を改めて詳しく触れる予定です。


281
博物館として使用されている旧サン・フランチェスコ教会の建物です。


284
15世紀に建設されたモルト門を潜りました。


285
モルト門に描かれたフレスコ画(18世紀)です。制作者は不祥のようです。


287
モルト門を潜って、村の中心マッツィーニ広場に出ました。


286
広場に面して建つPalazzo Comunale、村役場です。13‐14世紀に建設されたそうです。


288
村役場の横にある「村の塔」です。13‐14世紀に建設された塔です。
次はペルジーノの作品が残るマドンナ・デッレ・ラクリメ教会です。


352
1485年に創建されたマドンナ・デッレ・ラクリメ教会です。


350
ペルジーノの「マギの礼拝」(1521)


351
制作者不明の「聖母子」(15世紀)
次はドゥオーモです。


289
細い道のベアート・プラチーダ通りの突き当りにドゥオーモがあります。


291
地元の人々からドゥオーモと呼ばれているサンテミリアーノ教会です。教区教会にも格付けされていないようです。


293
道幅が狭いので、ファサード全体の写真を撮るのが難しい教会です。


309
この場所に、既に3世頃には初期キリスト教会の存在を示す記録が残されているそうです。
12世紀、その初期キリスト教会を取り壊し、その上に建設されたロマネスク様式の教会が前身です。
15世紀、建物は拡張されることになり、それに伴いルネサンス様式に改造されました。
その後、地震、落雷、火災の被害を受け、建物が老朽化したので、19世紀後半に建築家ルーカ・カリミ―ニの設計によって、15世紀の改造後の姿を出来るだけ生かしながら、再建されました。


308
この部分だけ15世紀の改築のものです。


310
ファサードにある聖エミリアーノ像(13世紀)です。
聖エミリアーノは、トレヴィを含む司教区の最初の司教でしたが、304年、棄教を拒んでトレヴィ郊外で拷問の饐えに殉教したのです。この教会に聖エミリアーノの聖遺物が残されてます。
トレヴィの守護聖人になっています。


311
ドゥオーモの外壁にフレスコ画が残されてます。


312
15世紀のウンブリアの逸名画家の作品です。


292
扉が閉まっていたのでガックリしました。念のため、扉を押したら、扉が開きました。このようなこともあるのです、ビックリしました。


294
中に入りました。
1997年9月26日に発生したウンブリア・マルケ地震によって大きな被害を受け、大修復されたので柱が新しく見えます。


303
1997年のウンブリア・マルケ地震で、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂のフレスコ画が崩落してしまいました。


304
後陣


306
この中に聖エミリアーノの聖遺物(心臓)が収められているそうです。本当?


298
ロッコ・ダ・ヴィチェンツァと工房による「秘跡の祭壇」(1521)
秘跡の祭壇がドゥオーモの見所とされてます。


297
祭壇画もロッコ―ダ・ヴィチェンツァの作品ですが、傷みが激しくて何が描かれているのか判然としません。


300
アル・メランツィオに帰属する「聖母子」
初代の建物にあったフレスコ画で、15‐16世紀に制作されました。


302
ウンブリアの逸名画家作「玉座の聖母子と聖人たち」


301
一般的に地震や火災などの被害を受けた教会には、フレスコ画や祭壇画の傑作があまり残されていません。
この教会の傑作とされていた彫刻や祭壇画は、ナポレオンのイタリア侵攻の際に殆ど全部がフランスに持ち去られ、戻されていないのです。


305
詳細不明


295
開いていただけで幸運でした。


313
外に出ました。如何にもウンブリアらしい佇まいです。


314
壁にフレスコ画が描かれた民家があります。


315
前回見た時よりも痛みが進みました。


316
受胎告知ですね。


317
村の中心のマッツィーニ広場が最高地点のようで、後は下り坂ばかりのようです。


318
下り坂は楽でした。


319
あちこち歩きましたが、城壁沿いの道に出てしまいました。


320
もっと見て回るつもりでしたが、雨が降ってきました。


321
直ぐに雨が強くなってきたので、駅までの道のりを考えて駅に向かうことにしました。


322
振り返って旧市街を撮りました。


325


324
(おわり)

トレヴィは、人口8,372人(2017年1月1日現在)のウンブリア州ペルージャ県にあるコムーネです。「イタリアの最も美しい村」にリストアップされてます。
P2390667
トレヴィは、スポレート駅とフォリーニョ駅の間にあって、車窓から村の全容を見ることが出来ます。


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トレヴィを知ったのは、車窓からの眺めでした。


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高い丘の上にに築かれた村です。(車窓から撮った写真)


205
トレヴィ駅に到着しました。この日は、スポレートからの日帰り遠足でした。


206
トレヴィ駅の駅舎です。
無人駅で、券売機が1台ありますが、故障中のことがあって困ります。
待合室が開いているだけで、駅舎にバールはありません。トイレがありますが、入り口が施錠されているので使用できません。トイレの裏で用足しをしている男性を何度も見かけましたが、女性の方は不知です。


207
トレヴィは、ローマ・テルミニ~オルテ~スポレート~フォリーニョの幹線上にあって、RとRVが停車します。


208
防衛と対マラリアの観点から、高い場所に村が築かれたそうです。高い場所の方が蚊が少ないそうです。


210
駅横から丘上の向かうバスがありますが、バスの本数が少ない上に、この時は列車が大幅に遅れてバスに接続しなかったので、已む無く徒歩で旧市街に向かいました。


209
平坦な道が暫く続くので、景色が殆ど変わりません。


213
バスが通る道を避け、旧市街への近道である農道を通りました。


212
トレヴィは、オリーブ油の名産地として知られ、村の麓にオリーブ畑が広がってます。


211
旧市街に近付いてきました。


214
道の横から駅の方を見やると、かなり上ってきたことを実感しました。


215
オリーブ畑の先が旧市街です。


216
旧市街の南の出入り口であるサン・ファビアーノ門です。


217
サン・ファビアーノ門を潜り、旧市街に入りました。城壁沿いのサン・ファビアーノ通りを上ります。


219
道の右手にあった建物です。


220
サンタ・キアーラ女子修道院です。


221
18世紀に再建された建物です。初代の建物は14世紀に建設されました。


222
扉が開いていたので、中に入りましたが、大勢の尼僧がお祈りの真っ最中でした。
中に初代の建物が一部残されており、そこにジョット派画家に描かれたフレスコ画があるので、観たいと思いましたが、ミサ中なので見学を遠慮しました。


218
更に坂を上ります。


223
直ぐにサンタ・クローチェ教会があります。


225
17世紀に建設された教会です。


226
扉が閉まっていました。美術的には見るべき作品がないようです。


227
汗が噴き出すに違いない、真夏に歩くのは不適な道です。


228
足腰が衰えた老人はこの村で暮らすのが大変でしょうね。


229
写真では勾配がよく分からないと思いますが、この辺では息が上がって大変でした。


230
やがて道の峠を越えて、下り坂になりました。


231
駅が小さく見えました。川が旧市街を囲むように流れていることが分かりました。


232
車、人を見かけません。


233
Museo Civicoに向かってます。


234
女子修道院の尼僧さんたちを除けば、この村で初めて見かけた人です。


235
道は再び坂の上りになりました。


236
Museo Civicoは、旧市街の端にあるサン・フランチェスコ教会にあります。


237
ローマ帝政時代の1世紀に建設されたAntica Portaです。この門は旧市街の中心近くにあります。ローマ時代はこの門が旧市街の入り口だったそうで、ローマ時代の村は現在よりも格段に小さかったことが分かります。


238
門を潜ると視界が開けます。


239
天気が良ければ、絶景が楽しめます。


241
この日は曇り時々晴れの天気でした。


242
イタリアでは雨男なので、この日は天気に恵まれた方です。


243
サン・マルティーノ教会が見えました。
(つづく)

157
ホテルで一休みしてから、再び外出しました。


158
相変わらず雨模様です。


159
丘上に住宅が広がってます。


160
16世紀に建設されたPalazzo del Principe Doriaです。


163
地中海の各地などを結ぶ定期客船が発着する新港です。


162
丘の上にあるCastel d'Albertisが見えました。


166
海沿いの道を進みました。


167
Palazzo San Giorgioの方に向かってますが、この道を逆方向に進むと陸橋が崩落した場所に出ます。


168
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会は何時ものように閉まっていました。


169
この時間でもメルカトが開いていたので果物を買いました。


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雨男なので、何時も雨天に恵まれてます。


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霧雨でしたが、風があるので直ぐに濡れてしまいます。


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地下鉄のプリンチペ駅


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丘上に行っても見どころがあまりありません。ジェノヴァ湾が一望できる絶景ポイントがありますが、この天気では行っても冴えないと思いました。


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PP駅の方に戻ることにしました。


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アンドレア・ドーリア通り


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駅前広場


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グランド・ホテル・サヴォイアもお勧めです。


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PP駅


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この時は、お宿を素通りしました。


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サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会に向かいました。


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この辺のホテルは部屋からの眺めが良いのですが、坂を上るのが大変なホテルがあります。(エレベーターがありますが、不便です)


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何回も通ったバルビ通り


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王宮


P1900506
時間が遅くて、この日も王宮博物館に入館出来ず、結局入館したのは、この日の翌日になってしまいました。


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ジェノヴァ、ボローニャは見所が豊富ですが、ガイドブックで大きく取り上げられないのは何故でしょうか?


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サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会が見えてきました。


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光線の具合から聖堂内の美術品を見るには午前中の方が良いのですが、雨天なので、その辺はあまり影響ないと思いました。


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ジェノヴァ大学となっているPalazzo Belimbau


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今回は時間をかけてじっくりと拝観しました。


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勿論、少額ながら寄進しました。


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外が薄暗いにも関わらず、聖堂内は明るいのが意外でした。


P1900541
この教会については、項を改めて詳しく触れる予定です。


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17世紀にジェノヴァで活動した画家たちの作品が数多くあります。


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外に出たら、弱弱しい日差しがありました。


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青空が出てきました。


170
青空はほんの束の間で、すぐに雨が降ってきました。


171
詳細不明


172
街角のタベルナコロを発見。


173
これです。


174
この辺のお店で食べようかと思いましたが、例のお店に行くことに。


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このお店です。(昼間に撮った写真)


192


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P1900485
キリがないので、この辺で終わりにします。
(おわり)

P1900456
Via di Porta Soprana


P1900455
13世紀に建設されたPorta Soprana


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門を潜った先にコロンブスの家があります。


115
Porta di Sant'Andreaとも呼ばれてます。門の潜った先にサンタンドレア教会があったので、そう呼ばれているのでしょう。


113
門を潜りました。


112
城壁外から見える門は丸くなっていて、感じが違います。


114
城壁内から見える門の形が違うので、門が二つあると錯覚しそうになります。


111
Chiostro di Sant'Andrea


110
城壁外は若干緑があります。


106
コロンブスの家です。


108
コロンブスが少年時代を過ごした家と言うのが通説ですが、コロンブスとは無関係との説も根強いそうです。
ここはMuseoになってますが、お得感ゼロ、お損感十分と思います。一度入館して懲りたので、今回もパス。


104
ジェノヴァに来たからには、この辺に来るのは付き合いというものですが、メリットは足腰が鍛えられることくらい?


105
そろそろ昼食の時間です。
この通りのお店に入りましたが、値段だけが一流で、肝心のお味、サービスがイマゴ(イマイチではなく、イマニでもなく、イマサン、イマヨンでもありません)でした。


126
街角のタベルナコロ


127
次はサンタ・マリア・アッスンタ聖堂です。


128
上り坂の上に教会の建物が直ぐに見えてきます。


129
サンタ・マリア・アッスンタ・ディ・カリニャーノ聖堂です。Basilica minori


131
1552年創建のルネサンス様式の建物です。


133
ファサードの聖母被昇天


135
聖ピエトロ


136
聖パオロ


132
青空が出てきました。


134
聖堂は高台にあります。


139
海が見えました。


140
共同井戸?


141
日差しも出てきました。


142
サンタゴスティーノ教会


143
入口扉上ルネッタのフレスコ画はジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)によって描かれました。


144
修道院が併設されていました。


145
旧サンタゴスティーノ修道院のキオストロ回廊


148
12世紀に建設されたサン・ドナート教会


147
サン・ドナート教会の身廊外観


146
サン・ドナート教会の古い鐘楼


P1900463
サン・ロレンツォ通りに戻りました。


P1900465
変わりやすい天気で、雨が降ってきました。


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雨が降っていなければ、もう少しぶらぶら歩きを続けていたと思います。


P1900468


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Palazzo San Giorgio


P1900472


P1900473
見慣れた光景です。


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傘を持っていても差さない人が多い。


P1900476
ガレー船


182


P1900477
一旦ホテルに戻ります。


P1900478
(つづく)

P1900010
Palazzo San Giorgioの見学です。


P1900012
ヴェルディのオペラ「シモン・ボッカネグラ」がお好きですか?
「シモン・ボッカネグラ」のオペラのモデルとなったジェノヴァの初代提督(ドージェ)がシモーネ・ボッカネグラ(?、?‐ジェノヴァ、1363没)と、この建物と直接関係ありませんが、シモーネ・ボッカネグラの叔父グリエルモ・ボッカネグラによって1260年に建設されたのがPalazzo San Giorgioです。


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ファサードのフレスコ画のうち、「竜を退治する聖ジョルジョ」の左下に描かれているのがシモーネ・ボッカネグラの肖像画と言われてます。


P1900015
ファサードのフレスコ画ですが、最初のものはラッザーロ・タヴァローネ(ジェノヴァ、1556‐1640)によって1606年から1608年に制作されたそうです。
しかし、この場所は海岸のすぐ傍にあるので、フレスコ画にとって最悪に近い環境です。
19世紀頃にはフレスコ画の落剝・退色が進み、その痕跡が分かる程度まで劣化したので、ルドヴィーコ・ポリアーギ(ミラノ、1857‐ヴァレーゼ、1950)によって、1912年から1914年に描き直されました。タヴァローネの原画を尊重しながらポリアーギが描いたと言われてますが、タヴァローネの原画はその痕跡程度しか判別できない状態だったので、本当のところは分からないようです。
現在、観ることが出来るフレスコ画がかなり鮮やかに見えますが、ルドヴィーコ・ポリアーギによって描かれたフレスコ画の傷みが激しかったので、フレスコ画の大修復が1987年から1990年に行われたからです。
潮風と海水の飛沫に直接晒される環境なので、フレスコ画が今度どれだけ持つのか心配です。


P1900013
竜を退治する聖ジョルジョ


P1900018
現在、Palazzo San Giorgioはジェノヴァ港湾局の本部になってます。


P1900011


P1900023
市庁舎として建設されましたが、市庁舎として使用されたのは完成後僅か2年間だったそうです。


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堅固な建物なので刑務所として使用されていたことがあります。


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この付近の柱廊の柱に注目です。


P1900027
この柱です。


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古い柱


P1900029


P1900030
Via San Lorenzoに入りました。ドゥオーモに向かいました。


P1900033
直ぐにドゥオーモの鐘楼が見えてきます。


P1900039
サン・ロレンツォ大聖堂


P1900044
見所が沢山あります。


P1900054
拝観しました。


P1900089
美術品ばかりです。


P1900126
大聖堂については、後程詳しく触れる予定です。


P1900214
美術ファンは必訪でしょうね。


P1900259
外に出ました。


P1900281
次はジェズ教会です。


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ジェズ教会はドゥオーモの後方にあります。


P1900295
マテオッティ広場


P1900296
広場の一部は駐車場になってます。


P1900297
ドゥカーレ宮


P1900301
ジェズ教会の拝観です。


P1900312
ジェズ教会も見どころが豊富です。


P1900314
ジェズ教会は、後程項を改めて詳しく触れる予定です。


P1900317
クーポラ


P1900339
ルーベンスの作品


P1900348
バロック期の作品が多い。


P1900430
外に出ました。


P1900435
比較邸新しい建物が多いところにやってきました。


P1900436
フェラーリ広場


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困ったことに雨が本降りになってきました。


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ゴッホ展に並ぶ人たち


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天気が悪くてウンザリ


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1912年‐1924年に建設されたPalazzo della Regione Liguria


P1900443
1906年‐1912年に建設されたPalazzo della Borsa


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雨が強くなったので、雨宿りを兼ねてドゥカーレ宮で一息入れました。


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P1900448
ゴッホには興味がないので、ゴッホ展はパス


P1900449


P1900451
(つづく)

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