イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: トスカーナ州

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サンタ・カテリーナ教会のファサード側に回ります。


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サンタ・カテリーナ教会のファサードです。


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13世紀に建設されたロマネスク様式のサンタ・カテリーナ教会です。13世紀終わりの文書に、サンタ・カテリーナ教会の存在が初記載されているそうです。
18世紀に改造されて現在の姿になりました。


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鐘楼


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ファサード側の入り口扉は大体閉まってます。
ファサードに向かって左横が開いている時が多いと思いますが、教会内には、こちらから入ることになります。


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サンタ・カテリーナ教会左横はOratorio della Compagnia della Croceです。


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Oratorio della Compagnia della Croceの入り口です。


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オラトリオの中に入りました。
オラトリオの「嘆き」が有名ですが、後で見ることにして、サンタ・カテリーナ教会に入ります。


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サンタ・カテリーナ教会の中に入りました。


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18世紀に行われた改造のため、創建時のロマネスク様式の趣は全くありません。


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祭壇画が四点あります。


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詳細不知の彩色磔刑像


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熱心に祈りを捧げていた人が立ち去り、中は私一人になりました。


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Presbiterio


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詳細不知


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ベルナルディーノ・メイ(シエナ、1612-ローマ、1676)の「聖母子の絵画を崇める四聖人」(17世紀中頃)


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詳細不知


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18世紀のフィレンツェの逸名画家作「玉座の聖母子と四聖人」(18世紀)


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カウンターファサード


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オラトリオに戻りました。


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ザッカリア・ザッキ(アレッツォ、1473-ローマ、1544)の「嘆き」(1510c)


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見事なテラコッタです。


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テラコッタが置かれている後陣は、立体感があるように描かれた騙し絵です。


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クーポラに見えるように天井に描かれた騙し絵


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外に出ます。


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この教会にあった古い祭壇画は市立美術館で見ることが出来ます。


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日が低くなって、通りは建物の影の中です。


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通りの名称がVia Gracco del Seccoと変わりました。


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同じ通りが場所が違うとその名称が変わることがあるので、私にとっては困ることがあります。


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小さな広場が見えてきました。


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Piazza Baiosです。


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Via Gracco del Seccoは写真左に続いてます。


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街角のタベルナコロ


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サン・ピエトロ教会です。


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写真左は、サン・ピエトロ修道院だった建物で、ここに市立美術館が移転することになっていました。既に移転が完了し、開館しました。その展示作品については既掲載ですので、ご興味のある方は参照願います。


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Porta Nuovaです。
拡張された市域はこの門までということになります。
(つづく)

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カステッロ通りを進みます。


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城壁の先にサン・フランチェスコ修道院教会が見えました。


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城壁の下にブドウ園が広がってます。


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Palazzo Campanaの下にアーチが設けられてます。


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Palazzo Campanaの手前を右折すれば、城壁沿いの道に出ることが出来ます。


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Palazzo Campanaまでがカステッロ地区になります。


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アーチを潜って、陸橋の前に出ました。


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建築家バッチョ・ダーニョロ(フィレンツェ、1462-1543)の設計によって、1536年に建設されたPalazzo Campanaです。
建物の先に跳ね橋がありましたが、16世紀初めに崩壊したので、陸橋に改められました。


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城壁の下に下りてからサン・フランチェスコ修道院教会に向かいました。


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13世紀初め、フランチェスコ会修道士がコッレ・ディ・ヴァル・デルザに来訪し、やがて定住するようになりました。


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1229年、市当局から現在地に修道院建設が認められました。


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そうして、13世紀から17世紀に建設されたのがサン・フランチェスコ複合施設です。


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1866年、抑圧令によって複合施設は閉鎖されました。その後、複合施設は病院、軍施設、倉庫などに転用されました。修道院は一度も再開されることなく現在に至ってます。
教会は1992年に修復されて、活動が再開されました。


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教会の内部


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修道院だった建物


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Palazzo Campanaの前に戻りました。


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カンパーナ通りです。


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歴史的建造物が並んでますが、カステッロ内の建物よりは新しいものが殆どです。


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Palazzo Renieri di Sottoです。


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現在は市庁舎になってます。


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中世の頃は、Palazzo Comunaleはカステッロ内にありました。


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入口の上にメディチ家の紋章があります。


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市庁舎の壁にあるコッレ・ディ・ヴァル・デルザの紋章


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Palazzo Lupardiです。


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ホテルになっていた気がします。


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カンパーナ通りを西方向に進みます。


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小さな広場が見えてます。


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小さな広場にやってきました。


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共同洗濯場です。


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中世の頃に造られ、19世紀中頃に改造されて現在の形になったそうです。洗濯機が一般的になるまで、女性たちの交流の場だったそうです。


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共同洗濯場から城壁沿いのVia Dietro Le Muraに出ました。


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サンタ・カテリーナ教会です。
サンタ・カテリーナ教会のファサードはカンパーナ通りに面してます。


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Via Dietro Le Muraからの景観が楽しめます。


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サン・フランチェスコ修道院教会です。


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ドゥオーモが見えます。


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(つづく)

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プレトリオ宮は、市立考古学博物館として一般公開されてます。


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正式名は、ラヌッチョ・ビアンキ・バンディネッリ考古学博物館と言います。
ラヌッチョ・ビアンキ・バンディネッリ(シエナ、1900-ローマ、1975)は、シエナの名門貴族ビアンキ・バンディネッリ家出身の考古学者、美術史家で政治家でもありました。


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考古学博物館の入り口です。
プレトリオ宮が博物館として一般公開されるようになったのは、1970年からで当時は宝物館でした。考古学博物館としての開館は、1990年からでした。旧サン・ピエトロ修道院の建物に美術館がオープンするまで、ここで美術品の展示が行われていました。


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現在は、これらの美術品は旧サン・ピエトロ修道院の市立美術館に移され、展示されてます。


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考古学博物館の展示は、何処の博物館でも似たり寄ったりで、その区別がつきません。石棺、遺跡からの発掘物が主な展示物となってます。


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展示物よりも部屋の壁に描かれたフレスコ画の方に興味があります。フレスコ画といっても、外壁と同じく紋章のフレスコ画が殆どです。


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刑務所だった部屋も見学可能です。


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コッレ・ディ・ヴァル・デルザの丘から出土した石棺の蓋


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石碑断片(紀元前510c-紀元前490c)


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サン・サルヴァトーレ教区教会(ドゥオーモの前身)の柱頭(12世紀)


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壺(紀元前325c-紀元前300c)


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壺(紀元前300c-紀元前280c)


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ブロンズ製の壺(紀元前250-紀元前100c)


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金属製骨壺(紀元前250c-紀元前100c)


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ブロンズ製の容器(紀元前3世紀)


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火口(紀元前320c-紀元前300c)


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石棺(紀元前4世紀)


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Fontana(14世紀)


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エトルリア時代の鏡(紀元前3世紀)


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エトルリア時代の鏡(紀元前3世紀)


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刑務所の階段


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刑務所の囚人部屋


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囚人によって独房の壁に書かれた落書き


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囚人によって書かれた落書き


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メディチ家の紋章


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描かれているのは大半が紋章です。


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ジョヴァンニ・マリア・トロサーニ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1471c-1549)の「受胎告知」(1514)


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リドルフィの紋章


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紋章の数々


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Trigramma


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アルドブランディ家の紋章


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アレマンニ家の紋章(写真左)


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リドルフィ家の紋章


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パッツィ家の紋章


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コルシーニ家の紋章


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バルトリーニ家の紋章


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ドゥオーモ広場に戻りました。


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小礼拝堂です。


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彩釉テラコッタの聖母子がありました。


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(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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クリプタから内陣に戻りました。


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外に出る前にもう一度聖堂内を見て回ります。


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右側廊


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右第一礼拝堂


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右第二礼拝堂


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右第三礼拝堂


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右第四礼拝堂


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右翼廊礼拝堂


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左翼廊礼拝堂


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左第四礼拝堂


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左第三礼拝堂


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左第二礼拝堂


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左第一礼拝堂


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カウンターファサード


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外に出ました。


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ドゥオーモのクリプタは、破壊された初代の建物の地下墓地だったので、外から直接入ることが出来ます。


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ドゥオーモ広場です。


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広場の、プレトリオ宮の前にFontanaがあります。


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14世紀、またはそれ以前に造られました。


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この水は飲むことが出来ます。


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次は、ドゥオーモの隣に建つプレトリオ宮です。


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14世紀に建設されました。


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コッレ・ディ・ヴァル・デルザの政治の中心として使用されてきました。主に司法、警察の機能を担いました。
裁判所と刑務所が置かれていましたが、後に刑務所専用となり、それが1920年代まで続きました。
1990年に修復され、元の姿に戻されました。


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取り壊されたドゥオーモの初代の建物の一部がプレトリオ宮に組み入れられました。


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プレトリオ宮の裏側です。


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この場所は、中世の頃、処刑場でもありました。


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中庭の塀で囲まれた部分は囚人たちの運動場でした。


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プレトリオ宮左隣の建物の中に重罪人独房がありました。
プレトリオ宮に壁に沢山の紋章がありますが、それは執政長官や警察署長の紋章です。


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ベンチ家の紋章


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カルネセッキ家の紋章


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マッツォ―ニ家の紋章


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ユリはフィレンツェの紋章です。


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(つづく)

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左第四礼拝堂です。


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左第四礼拝堂の天井装飾


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左第三礼拝堂


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詳細不明


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見所が多い聖堂です。


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ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)の「人々の安寧を祈る聖アルベルト」


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左第三礼拝堂右側壁の祭壇画です。


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ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)の「聖家族と聖アルベルト」


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左第三礼拝堂の左側壁の祭壇画です。


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ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)の「聖人たち」


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ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)の「聖母子」


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ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)による左第三礼拝堂天井の装飾


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左第二礼拝堂です。


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こちらの方の祭壇画はキリストの昇天になります。


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キリストの昇天とキリストの復活は似てるようでも表現が違います。


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ジュゼッペ・バルトロメオ・キアーリ(ローマ、1654-1727)の「キリストの昇天」


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左第二礼拝堂の右側壁にある祭壇画です。


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デイフェボ・バルベリーニの「我に触れるな」(1673)
この画家は全く知りません。


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左第二礼拝堂の左側壁にある祭壇画です。


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デイフェボ・バルベリーニの「聖トンマーゾの不信」(1673)


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左第一礼拝堂です。


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左第一礼拝堂の祭壇画


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ジョヴァンニ・オダッツィ(ローマ、1663-1731)の「聖母の結婚」


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左第一礼拝堂の天井装飾


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アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1583-1665)による左第二礼拝堂の天井装飾


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左第一礼拝堂の右側壁にある祭壇画です。


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アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1583-1665)の「エジプトへの逃避途中の休息」


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左第一礼拝堂の左側壁にある祭壇画です。


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アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1583-1665)の「エジプトへの逃避」


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左側廊です。


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次はクリプタです。


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Cripta della Misericordia、ドゥオーモのクリプタです。


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この場所は、取り壊された建物の下にあった墓地でした。コッレ・ディ・ヴァル・デルザが独立した司教区になった時、司教座教会に相応しい建物(現在のもの)を建てる際、墓地だった土地の地盤強化のために、墓を掘り起こし地盤強化工事と土地を平坦化してから、17世紀末から18世紀初頭にかけて改めてクリプタが建築されました。


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クリプタの壁がフレスコ画で覆われてます。


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フレスコ画の制作者は、一応ジョヴァンニ・ドメニコ・フェレッティ(フィレンツェ、1692-1768)とされてますが、帰属は不確実とされてます。


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クリプタの主祭壇


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主祭壇画は、アンニーバレ・マッツゥオーリ(シエナ、1658-ローマ、1743)の「聖母子と聖アルベルトと聖ロッコと聖ルチアと聖ジュゼッペ」


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祭壇がもう一つあります。


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ピエトロ・アルデルリーニ(フィレンツェ、1687-1755)の「聖マルゲリータ」
(つづく)

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右第四礼拝堂の右側壁にある祭壇画です。


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フランチェスコ・ナシーニ(ピアンカスタニャ―ロ、1621-カステル・デル・ピアーノ、1695)の「聖パオロの回心」(1690)


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右第四礼拝堂の左側壁にある祭壇画です。


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フランチェスコ・ナシーニ(ピアンカスタニャーロ、1621-カステル・デル・ピアーノ、1695)の「聖ピエトロの逆さ磔」(1690)


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右第四礼拝堂の天井装飾


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アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1583-1653)によって制作されたフレスコ画


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右翼廊のCappella del Sacro Chiodoです。


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閉まっていることが多い礼拝堂です。


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聖体容器のタベルナコロです。


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聖体容器とタベルナコロはミーノ・ダ・フィエゾレ(ポッピ、1429-フィレンツェ、1484)の帰属作品と言われてます。


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右翼廊の側壁にある祭壇画です。


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フランチェスコ・モランディ―ニ通称イル・ポッピ(ポッピ、1544-フィレンツェ、1597)の「ご誕生」(1567)


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右側廊の突き当りに聖歌隊席があります。


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聖歌隊席


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聖歌隊席の下に洗礼盤があります。


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1465年に制作されました。


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聖ジョヴァンニ・バッティスタの制作者は不祥のようです。


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左側廊


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次は左側の礼拝堂です。


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左翼廊にある「授乳の聖母」(15世紀)


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制作者不詳のようです。


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左翼廊の礼拝堂です。


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この礼拝堂は必見です。


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「最後の晩餐」があります。


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オッタヴィオ・ヴァンニーニ(フィレンツェ、1585-1643)の「最後の晩餐」(1636)


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左翼廊礼拝堂の天井


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オッタヴィオ・ヴァンニーニ(フィレンツェ、1585-1643)によって制作されたフレスコ画(1636)


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左翼廊礼拝堂は洗礼堂に繋がってます。


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洗礼堂です。洗礼堂に二点の祭壇画があります。


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洗礼堂にある、コジモ・ガンベルッチ(フィレンツェ、1562-1621)の「受胎告知」(1619)


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洗礼堂にある、コジモ・ガンベルッチ(フィレンツェ、1562-1621)の「二聖人」(1619)


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左第四礼拝堂です。


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フィリッポ・タルキアーニ(フィレンツェ、1576-1645)の「キリストの復活」


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「キリストの復活」が左第二礼拝堂にもあるので混同しそうです。


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左第四礼拝堂天井


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左第四礼拝堂右側壁の祭壇画


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制作者不詳の「天上の聖母子と二聖人」


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左第四礼拝堂左側壁の祭壇画は、制作者不詳の「無原罪の聖母」


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(つづく)

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ドゥオーモ内部です。


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三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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取り壊された最初の建物にあった作品が一部残されています。


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装飾がなくスッキリした天井


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ドゥオーモの構造図


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礼拝堂、翼廊、後陣の見所が示されてます。


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これ以外にも見所があります。


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これがあると後で助かります。


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クーポラ


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17世紀に施されたクーポラの装飾


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Presbiterioと主祭壇


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後陣は無装飾です。


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鋳造ブロンズの磔刑像があります。


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ピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577-フィレンツェ、1640)の「ジャンボローニャ作『磔刑像』の鋳造ブロンズ複製」


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ピエトロ・タッカは、ジャンボローニャ(フランス、ドゥエ、1529-フィレンツェ、1608)の弟子です。


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14世紀に造られた説教壇


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説教壇外壁に浮彫が施されてます。


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浮彫は1465年に制作されましたが、制作者が不詳のようです。


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説教壇の天蓋


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右側廊です。右側廊の礼拝堂から見て回ります。


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右第一礼拝堂(サン・マルツィア―レ礼拝堂)です。


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右第一礼拝堂の祭壇画


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ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)の「聖マルツィア―レの奇跡」


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フィリッポ・タルキアーニ(フィレンツェ、1576-1645)の「聖マルツィア―レと聖アルベルト」


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フィリッポ・タルキアーニ(フィレンツェ、1576-1645)の「聖アルベルト」


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ジョヴァンニ・パオロ・メルキオッリ(ローマ、1664-1745)の右第一礼拝堂天井のフレスコ画


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右第二礼拝堂です。


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右第二礼拝堂の祭壇画は、ヴィンチェンツォ・ダンディーニ(フィレンツェ、1607-1675)の「マギの礼拝」


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右第二礼拝堂右側画は、ディフェーボ・ブルバリーニ(シエナ、1619-1680)の「銭を洗う聖ピエトロ」


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右第二礼拝堂左側画は、ディフェーボ・ブルバリーニ(シエナ、1619-1680)の「キリストの洗礼」


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ディフェーボ・ブルバリーニ(シエナ、1619-1680)の右第二礼拝堂天井のフレスコ画


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右第三礼拝堂です。


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右第四礼拝堂です。


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右第四礼拝堂の祭壇画は、ルティリオ・マネッティ(シエナ、1571-1639)の「ご誕生」(1635)


P1160213


P1160216
(つづく)

P1160145
Via del Castelloです。


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旧市街を縦貫するメイン道路です。


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鐘楼はドゥオーモのものです。


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メッツォ通りに下る階段は閉鎖されてました。


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振り返って撮った写真です。


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次はドゥオーモですが、その前に劇場を見ておきます。


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Teatro dei Variiです。


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この場所に、中世の頃(具体的な時期は不明のようです)に建てられた病院がありましたが、経時劣化のため廃墟になってました。


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18世紀中頃、元病院だった土地をアカデミア・デイ・ヴァリイが購入して、1762年に完成した劇場です。


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小規模なコンサートや前衛的な演劇が上演されてます。


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来場するのが大変そうな劇場に思えました。


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プリオーリ宮です。


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13世紀に建設され、14世紀にほぼ現在の形に改造されたプリオーリ宮です。


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プリオーリ宮の外壁にフレスコ画が描かれてます。


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以前は、プリオーリ宮に市立美術館が置かれていましたが、現在は他の場所に移転しました。この時は、移転のために休館中でした。


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プリオーリ宮に観光案内所があります。


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この時は、市立美術館の移転に伴って観光案内所も閉鎖されていました。


P1160162
現在は市庁舎の分庁舎兼博物館になってます。


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プリオーリ宮の隣の建物にタベルナコロがあります。


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聖母子のタベルナコロ


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プリオーリ宮の斜め向かいにドゥオーモがあります。


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Concattedrale dei Santi Alberto e Marzialeです。


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1592年、コッレ・ディ・ヴァル・デルザは、独立した単独の司教区となり、それ以降、この教会は司教座教会でしたが、1986年の司教区見直しによって、シエナ₌コッレ・ディ・ヴァル・デルザ₌モンタルチーノ大司教区の再編合区に伴い、Concattedraleに格下げされました。大司教座教会はシエナのドゥオーモとなってます。


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ドゥオーモ前にあるドゥオーモ広場です。


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10世紀から11世紀に、この地に建設されたサン・サルヴァトーレ教区教会が前身です。


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サン・サルヴァトーレ教区教会の存在は、1115年の文書に初めて記載されました。
その後、奉献する聖人として聖アルベルトが追加され、教会の名称がPieve dei Santi Salvatore e Albertoに改称されました。


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1592年、コッレ・ディ・ヴァル・デルザは、単独の司教区になりました。1602年、司教座教会に相応しい建物の建設が決定され、Pieve dei Santi Salvatore e Alberto(一時的にCattedraleでした)だった建物を取り壊し、その上に新築することになりました。


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そうして、1603年に創建され、1623年に一応の完成を見た建物が現在のドゥオーモの原形となってます。
1623年、奉献式が執り行われましたが、それを機に奉献する聖人が聖アルベルトと聖マルツィア―レに変更されました。


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教区教会の鐘楼は、1623年に取り壊され、新鐘楼の建設が開始されましたが中々進捗せず、1833年になって漸く完成しました。


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砂岩を使って新築されたファサードは荒廃してしまいました。現在のファサードは、1833年に再建されたものです。


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ドゥオーモの隣にプレトリオ宮が建ってます。


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14世紀に建設されたプレトリオ宮には、現在市立考古学博物館が置かれてます。


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プレトリオ宮の背後に取り壊された教区教会だった建物が残されてます。


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教区教会だった建物の一部は、プレトリオ宮に組み入れられてます。


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ドゥオーモの洗礼堂


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ファサードの入り口扉


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入口扉上ルネッタ


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入口扉の彫刻


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聖堂内に入ります。


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中に入りました。
(つづく)

P1160103
四階建ての建物は、アルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ。ヴァル・デルザ,1245c-フィレンツェ,1302/1310c)の生家です。


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建物の前にアルノルフォ・ディ・カンビオの胸像があります。(制作者不知)


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次はロマネスク様式のサンタ・マリア・イン・カノーニカ教会です。


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かなり古い起源を持つ教会と言われてます。


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初期キリスト教会が前身説がありますが、それを裏付ける文書記録がなく、今では伝説とされてます。


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確実な記録として、1183年の文書に、この教会の存在が初めて記載されているそうです。
丘上の城壁で囲まれた、この場所は要塞化されてカステッロ地区と呼ばれてますが、この教会はドゥオーモが建設される前はカステッロ地区の教区教会でした。


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身廊外観


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鐘楼


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ファサードの丸窓


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入口扉上のルネッタ
ルネッタ上にフレスコ画があったかも知れませんが、その痕跡すらもありません。


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教会内に入りました。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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簡素な造りです。


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木組みの梁天井


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主祭壇画を見ます。


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ピエル・フランチェスコ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1444/1445-1497以降没)の「聖母子と四聖人」(15世紀)です。


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裾絵と端絵がついてます。


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四聖人とは、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ロレンツォ、聖マルコ、バーリの聖二コラです。


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裾絵


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三個の金の玉を娘たちに与えるバーリの聖二コラ


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福音書を記す聖マルコ


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キリスト教徒への迫害


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マギの礼拝


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聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教、聖ロレンツォの殉教


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端絵


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詳細不明の聖母子


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保存状態があまり良くないフレスコ画があります。


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ピエル・フランチェスコ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1444/1445-1497以降没)の「聖なる父なる神」(15世紀)


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こちらも古いフレスコ画です。


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アレッソ・ディ・ベノッツォ(フィレンツェ、1473-1528)の「聖アントニオ・アバーテ」(15世紀)


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アレッソ・ディ・ベノッツォは、ベノッツォ・ゴッツォーリ(スカンディッチ、1420-ピストイア、1497)の息子です。アレッソは、父と仕事をすることが多く、父の死後、単独で仕事をするようになりました。


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詳細不明の聖心


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詳細不明


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祭壇前から見たカウンターファサード


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外に出る前に、もう一教会内を眺めました。


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左側壁


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右側壁


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外に出ました。
(つづく)

コッレ・ディ・ヴァル・デルザは、人口21,833人(2020年1月1日現在)のトスカーナ州シエナ県にあるコムーネで、その歴史は古く、遺跡発掘調査の結果から紀元前400万年頃には既に人々が居住していたと推定されてます。
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前泊地はヴォルテッラでした。


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ヴォルテッラからバスでコッレ・ディ・ヴァル・デルザに向かいました。
(写真は、ヴォルテッラのバスターミナルです)


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コッレ・ディ・ヴァル・デルザのバスターミナルに到着しました。


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コッレ・ディ・ヴァル・デルザは、丘上に築かれた旧市街と、丘下に広がる新市街に分かれてますが、新市街の中心アルノルフォ・ディ・カンビオ広場です。


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アルノルフォ・ディ・カンビオ広場至近にある、この日のお宿です。この町にある真面なホテルはここくらいです。旧市街に趣のある良いホテルがありますが、大きな荷物を持って旧市街に行くのは容易ではないので、避けた方が無難という訳です。
お気に入りのレストランが定休日なので、ハーフボード(一泊二食)にしました。(コロナ禍以後、このホテルのレストランは休業中のようです。)


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チェックインを済ませてから外出しました。


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Via dei Fossiです。


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サンタゴスティーノ教会の後陣です。


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ファサード側に回ります。


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創建時の鐘楼は幾度か修復されて19世紀まで健在でしたが、経時劣化が進んだので、取り壊され、20世紀に再建されたのが現在の鐘楼です。


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ファサードが面しているサンタゴスティーノ広場に入ります。


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サンタゴスティーノ広場は駐車場になってます。


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サンタゴスティーノ教会です。


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毎日開く教会です。拝観は夕方にすることにして先を急ぎます。


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先ず丘上の旧市街を目指します。


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エレベーターがあるので簡単に丘上に行くことが出来ますが、肝心のエレベーターが時々運転休止するので、気が気ではありません。


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サンタゴスティーノ教会を後にしました。


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Via Pieve in Pianoです。


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アーチを潜ります。


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アーチを潜り、二本の道路を横切った先にエレベーターの入り口があります。


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ジュゼッペ・ガリバルディ通りを横切ります。


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更にヴィットリオ・メオーニ通りを横断します。


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トンネルの先にエレベーターがあります。


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エレベーターが運転休止の時は、遠回りして急坂の道を上る必要があります。


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エレベーターが点灯されていたので、どうやら運転しているようです。


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無料のエレベーターです。


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無事に丘上の旧市街の入り口に着きました。
ここから丘下の新市街が一望できます。


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この日のお宿、サンタゴスティーノ教会が見えてます。写真手前は丘上と丘下を結ぶ道路です。


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木がある所にエルザ川が流れてます。写真手前にバスが写ってますが、そこにバスターミナルがあります。


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写真左にアルノルフォ・ディ・カンビオ広場が写ってます。


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旧市街は写真左方向の横長になってます。


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Torre di Arnolfo di Cambioです。


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セバスティアーノ通りを進みます。


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旧市街を貫くメイン道路に出ました。


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サンタ・マリア・イン・カノーニカ教会です。


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旧市街には古い建物ばかりが建ち並んでます。


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(つづく)

引き続きサン・ドメニコ教区教会です。
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フランチェスコ・ボッティチーニ(フィレンツェ、1446-1497)の「無原罪の御宿リ」


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戦後に行われた修復工事の際に発見されたフレスコ画です。


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トスカーナの逸名画家作「授乳の聖母」(14世紀)


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この祭壇画の詳細が分かりません。


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支払い記録が教会の方で残っていれば、制作者や制作年が分かると思います。


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419-1491)の「トレンティーノの聖二コラ」


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詳細不知


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詳細不知


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外に出ました。


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鉄道線路の先のスタッジャ地区に向かいます。


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Piazza Imre Nagy


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ヴィットリオ・ヴェネト通りを進みます。


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鉄道線路の下を潜ってスタッジャ地区に向かいます。


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Largo Dino Bellucciにある磔刑像です。


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スタッジャは、現在ポッジボンシに組み入れられてますが、10世紀から11世紀に建設されたスタッジャ要塞を囲んで、13世紀に城壁が築かれた町です。


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城壁、要塞、古い教会などが取り壊され、殆ど見どころが無いスタッジャ地区です。


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トスカーナ名物の糸杉


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Confraternita di Misericordiaの建物です。


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教会の機能も兼ねてます。


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サンタ・マリア・アッスンタ参事会教会の鐘楼が見えてます。


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スタッジャ地区からポッジボンシの旧市街に戻ります。


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トレント通りです。


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トレント通りを真直ぐ進めば駅に出ます。


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Via Giovanni Montorsoliです。


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ホテルに戻りました。


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この日は、これで終わりです。


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翌朝です。


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朝の散歩に出ました。


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そろそろサン・ジミニャーノ行きのバスの出発時間です。


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駅前のバスターミナルに向かいました。


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バスターミナルでバスを待ちました。
(おわり)

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サヴォナローラ広場です。


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広場の名称は、勿論フィレンツェで神権政治を行い、刑死したジローラモ・サヴォナローラに因んでます。


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フィレンツェのサン・マルコ修道院の院長だったジローラモ・サヴォナローラ(フェッラーラ、1452-フィレンツェ、1498)は、フランス軍の侵攻を予想していましたが、1494年、実際にフランス王シャルル8世(アンボワーズ、1470-1498)によって率いられたフランス軍がイタリアに侵攻したことによって、サヴォナローラの権威が確立され、フィレンツェでサヴォナローラによる神権政治が始まりました。


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前置きが長くなりましたが、サン・ロレンツォ教区教会がサヴォナローラ広場に面して建ってますが、広場の名称は、1495年、サン・ロレンツォ教区教会でフランス王シャルル8世とサヴォーナローラが面会したことに由来してます。


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扉が未だ閉まってます。
イギリス・カンタベリーからローマを結ぶVia Fracigenaが、カステルフィオレンティーノ、チェルタルド、ポッジボンシ、シエナに到達するようになった12世紀頃に初代の建物が建設され、直ぐに教区教会になりました。Via Fracigenaは一本の道路ではなく、幾つかのルートがありました。


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現在の建物は、14世紀初頭に再建された二代目となるものです。


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しかし、700年に時を経るうちに幾度となく改装、修復が繰り返さされ、14世紀初頭の創建時の姿とはかなり異なるようです。


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これは第二次世界大戦で爆撃される以前に撮られた写真です。


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扉が開きました。


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戦後に部分的に再建された建物が現在の姿になってます。


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後陣


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鐘楼


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鐘楼は後陣右に立ってます。


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右側壁


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外から見えるステンドグラス


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中に入りました。


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三廊式です。建築様式は、改装を経ているので、部分部分で異なります。ロマネスク、ゴシック、バロック、ネオ・ゴシック様式が混在しています。


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木組みの梁天井


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左側廊


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右側廊


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後陣を見ます。


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左後陣の礼拝堂です。


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木製磔刑像が有名です。


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ジョヴァンニ・ディ・アゴスティーノ(シエナ、1310c-1348)の「磔刑像」(14世紀前半)


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磔刑像の横にある碑文


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次にPresbiterioを見ます。


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Presbiterio


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Presbiterioの磔刑像(詳細不知)


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後陣の聖ロレンツォのステンドグラス


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詳細不知のステンドグラス


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聖水盤


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次は右後陣の礼拝堂です。


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右後陣の礼拝堂


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16世紀のトスカーナの逸名画家作「グラツィエの聖母」(16世紀)


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詳細不知


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フランチェスコ・ボッティチーニ(フィレンツェ、1446-1497)の「キリストの復活」(1496c)


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(つづく)

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Poggio Marturiの丘から下ります。


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2つの丘の間にある駐車場です。


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更に丘を下ります。


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旧城壁東端至近の城壁外に当たります。


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イタリアに限らずヨーロッパのリンゴは総じて実が小さい。


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イタリアに行くのは当分ダメですね。写真の在庫が残り少なくなってきたので、このままでは、あと1年ほどでブログの継続が難しくなりそうです。


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僅かに残されている城壁の先に参事会教会の時計塔(鐘楼)が見えます。


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次は参事会教会の拝観ですが、少し遠回りをして向かいます。


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道を一旦上ります。


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道は下りに転じます。


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道の突き当りがカヴール広場になります。


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シエナがフィレンツェの支配下に入るまで、ポッジボンシはシエナとフィレンツェ間の係争の地でした。


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写真正面の建物はサン・ロレンツォ教会です。


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カヴール広場(写真右)に戻りました。


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サンタ・マリア・アッスンタ参事会教区教会、ポッジボンシのドゥオーモです。


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カヴール広場のFontana Mancataです。


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第155代教皇ニッコラ2世(ニコラウス2世)(ブルゴーニュ、980c-フィレンツェ、1,061 在位:1058-1061)に拠る教会建設の認可に基づき、1075年頃に建設されました。


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1155年、第169代教皇アドリアーノ4世(1100c-1159 在位:1154-1159)によって教区教会となりました。


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1314年に拡大されると共に改装されました。
18世紀末、建物の劣化が進み危険と判断されて、1787年に大規模な修復工事が行われましたが、1806年の地震によって被害を受けて、更に改装修復が行われました。


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ところが1863年の大地震によって屋根が崩落したので、最初の建物を取り壊して、その上に新しい建物が建設されることになりました。
そうして、1863年から1870年にかけて再建された新古典様式の建物が現在の姿となってます。


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鐘楼は、14世紀に建設されたものです。


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鐘楼の時計は、1896年に追加されました。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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2003年から2012年にかけて、内部の大改装工事が行われました。


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装飾が殆どなく、スッキリした天井です。


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左側廊


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見どころに乏しい教会です。


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右側廊


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右側廊からの眺め


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詳細不知


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ジュゼッペ・コリニャーニの礼拝堂天井のフレスコ装飾(19世紀後半)


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右側壁


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左側壁


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Presbiterioを見ます。


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主祭壇


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後陣のステンドグラス


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フランチェスコ・ボッティチーニ(フィレンツェ、1446-1497)の「聖心」


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アレッサンドロ・フランキ(プラート、1838-シエナ、1914)の「光悦の聖フランチェスコ」


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詳細不知


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アウレリオ・ローミ(ピサ、1556-1624)の「嘆きの聖母」


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詳細不知


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ジュゼッペ・コリニャーニのフレスコ画(19世紀後半)


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カウンターファサード


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カウンターファサードにオルガンがあります。
(つづく)

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ポッジョ・インぺリアーレのメディチ要塞から下ります。


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Fonte delle Fateです。


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メディチ要塞守備兵の兵舎でした。


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現在は民営となってます。


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向かいの丘 Poggio Marturiの上にバディア城が見えてます。


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Via San Luccheseです。


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道を下ります。


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かなりの急坂です。


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一旦道を下って、Poggio Marturiの丘に向かいます。


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バディア城は見る価値がないと思います。


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バディア城を無視しても良いのですが、単なる暇潰しのために一応見ることに。


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時計塔はサンタ・マリア・アッスンタ参事会教会の鐘楼です。


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左折してバディア城に向かいます。


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Poggio Marturiの丘上にあるバディア城です。


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この場所に、10世紀頃に建設されたサン・ミケーレ・アルカンジェロ修道院がありました。
10世紀末、スポレート公爵ウゴリーノ・ディ・トスカーナ(?、951/953-ピストイア、1001)が修道院の防衛力を増強すると共に城を築きましたが、その全体がバディア城です。


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1478年、フィレンツェのドゥオーモで、パッツィ家陰謀事件が起き、それに続いてフィレンツェと教皇庁・ナポリ王国の間でパッツィ家戦争が起きました。


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それに乗じて、シエナがフィレンツェに対して攻撃をはじめ、1479年、バディア城はシエナ軍に占領されてしまいました。


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それに対して、フィレンツェ軍は、向かいのポッジョ・インぺリアーレの丘からバディア城に爆撃を行い、シエナ軍は撤退しました。その爆撃によって城と修道院の大部分が破壊されました。


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シエナ、フィレンツェ間の戦争によって修道士全員が去り、修道院と城はそのまま放置されました。
その後、個人が城と修道院の遺跡を保有していましたが、遺跡の一部を取り壊し、1886年、その上にネオ・ゴシック様式で城のような建物が再建されました。それが現在の「バディア城」となってます。


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バディア城からサン・ジミニャーノが見えます。


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現在、「バディア城」の建物はホテルとアパートになってます。


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10世紀末に建設され、その後に増築されたパッツィ戦争以前の破壊される前の城の姿は分からないようです。
19世紀第4四半期に再建された城は、文化遺産としては、あまり評価されていないようです。それは当然ですが。


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次はバディア城の東先にあるサン・ルッケージ修道院聖堂です。


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サン・ルッケージ修道院聖堂の入り口です。


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修道院聖堂はスタッジョ川の丘上にあります。


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1010年、フィレンツェの攻撃によってフィエーゾレは莫大な被害を受けましたが、フィエーゾレを逃れてポッジョ・インぺリアーレの丘に定住したフィエーゾレ難民がいました。直ぐにフィエーゾレ難民によって、現在地に建設されたサンタ・マリア・デ・ヴィーコ・カマルドゥーリ教会が前身です。


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1220年、サンタ・マリア・デ・ヴィーコ・カマルドゥーリ教会は、ベアート・ルッケージ・ダ・ポッジボンシ(ガッジャーノ、1180/1182-ポッジボンシ、1251)に引率されたフランチェスコ兄弟会に与えられました。
1236年から1268年にかけて、教会は拡大されると共に修道院が建設されました。ベアート・ルッケージ・ダ・ポッジボンシの死後、何時しかサン・ルッケージ修道院教会と呼ばれるようになりました。
14世紀から16世紀にかけて修道院教会は更に拡大されましたが、フィレンツェ軍とシエナ軍の戦争によって度々被害を受け、修復と改装が繰り返されました。
1810年、抑圧令によって修道院が閉鎖され、1817年に民有不動産となりました。
1930年に大掛かりな改修、改装工事が行われました。


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第二次世界大戦中に爆撃され被害を受けたので、1948年に修復されました。現在の教会の姿は1987年に行われた改装後のものです。
1938年、第259代教皇ピオ11世(1857-1939 在位:1922-1939)によってBasilica Minoreに格付けされました。


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修道院だった建物です。


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キオストロ


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キオストロ回廊


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聖堂内です。


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単廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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Presbiterio


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主祭壇


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オルガン


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バルトロ・ディ・フレディ(シエナ、1330c-1410)の「聖アントニオの殉教」


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バルトロ・ディ・フレディ(シエナ、1330c-1410)の「バーリの聖二コラと三人の少女」


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469-1529/1530)の「聖母子と聖人たち」(1517)


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シエナ派?の逸名画家作「ベアート・ルッケージ・ダ・ポッジボンシ」
(つづく)

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要塞の外壁です。


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要塞守備兵舎を通り過ぎます。現在は民家となっているようです。


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聞こえるのは鳥の鳴き声だけでした。


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人の気配が全くありません。


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修復工事中でした。


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工事が終わったという情報があったのですが、がさネタでした。


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鳥の鳴き声が聞こえるだけで、人の気配が全くありません。


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工事が中断されていたと思います。


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工事中断の理由が分かりません。


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要塞に近付くことが出来ません。


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予定では、1年前に修復工事が終了している筈でした。


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折角来たからには、要塞の周りを一周してみることにしました。


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しかし、これでは見る価値がないな、と思いながら歩きました。


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道が通行止めとなっていました。


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仕方がないので、戻ることにしました。
以下は修復工事後の姿です。


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城から見た要塞 Fortezza Medicea di Poggio Imperialeです。


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ポッジョ・インぺリアーレのメディチ要塞です。


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要塞の外壁です。


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ルクセンブルグのエンリコ7世(1275-1313)は、1312年、ローマ皇帝に戴冠しましたが、ポッジボンシの丘上に街と要塞の建設を考えていましたが、その翌年の1313年に没してしまい、その計画は実現しないで終わりました。


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1293年以降、ポッジボンシはフィレンツェの支配下にありました。


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要塞の建設を決めたのは、ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ通称ロレンツォ・イル・マニーフィコ(フィレンツェ、1449-カレッジ、1492)でした。


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1478年、パッツィ家の陰謀事件によって、フィレンツェのドゥオーモで暗殺されそうになり、弟ジュリアーノを失ったロレンツォ・イル・マニーフィコでしたが、それに続く対教皇庁・ナポリ王国との戦争、所謂パッツィ戦争に懲りたことから、フィレンツェ領土防衛強化策を採りました。


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その一環として、ポッジョ・インぺリアーレと呼ばれた丘上に要塞の建設が下命されました。ポッジョはポッジボンシ、インぺリアーレはエンリコ7世に因んでます。


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そうして、建築家ジュリアーノ・ダ・サンガッロ(フィレンツェ、1445-1516)が起用されました。


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ジュリアーノ・ダ・サンガッロの設計と共にジュリアーノの弟アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ(フィレンツェ、1455-1534)が参画して、1488年から1511年に建設された要塞です。


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難攻不落の要塞として有名でしたが、トスカーナ大公国の衰退とともに徐々に軍事的な重要性が失われました。


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Porta Calcinaiaです。


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要塞内から見たPorta Calcinaiaです。


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次の門です。


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Porta del Giglioです。


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要塞内から見たPorta del Giglioです。


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Porta della Fonteです。


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要塞内から見たPorta della Fonteです。


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要塞内のPorta della Fonte付近です。


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名無しの小さな門


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Porta San Francescoです。


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Porta San Francescoの内側です。


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城壁内のCasseroです。


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Casseroとは、天守閣、格間、本丸という意味です。
(つづく)

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街の中心をぶらぶら歩きをします。


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バールのテーブルと椅子


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共和国通りです。


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Via Sandro Pertini


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フラテッリ・ロッセッリ広場です。建物は警察署です。


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パスポートと運転免許の警察署です。


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ジョヴァンニ・モントルソリ通りです。


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未だ駅の近くです。


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城壁が残されていませんが、この辺は城壁内の西に当たります。


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Largo Antonio Gramsci


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旧市街を横断する共和国通りです。


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ドン・ミンツォーニ広場にやってきました。


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見所が多いとは言えないポッジボンシです。


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古い建物が残っている一角です。


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空襲を免れた区域は僅かです。


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アメンドーラ広場です。


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アントニオ・フリッリ通りです。


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見所は、3つの教会と要塞の四か所でしょう。


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アントニオ・フリッリ通りを更に進みました。


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マッテオッティ広場です。


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イタリア統一の英傑が通りや広場の名称になってます。


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この辺は旧市街の西端に当たります。


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見どころが無さそうなので、カヴール広場に一旦戻ります。


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サンドロ・ぺルティーニ通りです。


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写真右の、手前から二番目の建物は17世紀に建設されたペーロ邸です。


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ガッルーリ通りを右折します。


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カヴール広場に出ます。


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市庁舎 Palazzo Comunaleです。


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Palazzo Pretorioです。


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要塞に向かいます。


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要塞は、城壁外東方のスタッジョ川の丘上にあります。


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通りの先が旧市街の東端に当たります。


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Via di San Lucchse


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道は緩い上り坂になってます。


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緑が深くなってきました。


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写真左の丘上にカステッロがあります。


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更に道を上ります。


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物悲しく鳴いているニャーゴがいたので遊んでやりました。


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(つづく)

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前泊地はチェルタルドでした。


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中々良いホテルで快適に過ごすことが出来ました。


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濃霧の中での出発でした。


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フニコラーレに乗って下の町に下ります。


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下の町が霧の中に隠れていました。


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ドゥオーモの扉が閉まっていました。


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駅に向かいます。


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チェルタルド駅です。


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鉄道でポッジボンシに向かいます。


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車内は非常に空いていました。


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ポッジボンシ駅に到着しました。
S.G.は、サン・ジミニャーノの略です。駅名がポッジポンシ単独から何時しかサン・ジミニャーノが付け加えられました。この駅がサン・ジミニャーノの最寄り駅であることは事実ですが、この駅からサン・ジミニャーノまでバスで20分ほどかかります。


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駅近くのホテルに行きます。


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この日のお宿です。


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チェックインを済ませて、街歩きに出発しました。


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サン・ロレンツォ教会です。


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美術的に必見の教会ですが、扉が閉まっていました。毎日扉が開くので、後程拝観することにしました。


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ヴィットリオ・ヴェネト通りです。


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カヴール広場に出ました。


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カヴール広場が街の中心です。


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カヴール広場にあるFontana Mancataです。


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サンタ・マリア・アッスンタ参事会教会です。


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ポッジボンシのドゥオーモです。


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Via della Repubblica


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ポッジボンシは、人口28,959人(2019年12月31日現在)のトスカーナ州シエナ県にあるコムーネです。


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Palazzo Pretorioです。


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13世紀後半から14世紀初頭に建設されたPalazzo Pretorioです。1862年に新市庁舎で業務が開始されるまで、この街の政治の中心でした。


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写真左手前がドゥオーモ、写真右の建物が現市庁舎です。


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1818年から1871年に建設されたPalazzo Comunaleです。


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カヴール広場に面して建ってます。


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現代アートが展示されている部屋もあります。


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Via della Repubblicaを少し東に進みました。


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Vicolo delle Chiavi


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振り返って撮った写真です。


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ポッジボンシは、陸上交通の要衝だったことから第二次世界大戦における攻撃拠点と見做され、何度も爆撃を受けたので、古い建物があまり残っていません。


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写真左はプレトリオ宮です。


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街の中心の古い建物の多くは戦後に修復されました。


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掲げられている旗は夏祭りのものです。


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(つづく)

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引き続きサン・ロレンツォ教会です。フレスコ画を見ます。


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖母戴冠」


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殆ど落剝しています。


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制作者情報不知の「聖母子」


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14世紀に制作されたフレスコ画でしょう。


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碑文


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「二聖人」


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荒れるに任された時期があるます。


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この部分の剥離は少ないですが、状態が非常に悪いフレスコ画です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖ロレンツォ」(右上)、「聖アントニオ・アバーテ」(中央)(1456-57)


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この辺は保存状態が良い方です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖アントニオ・アバーテ」(1456-57)


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の天井フレスコ画(1456-57)


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描かれているのは聖人でしょうが、不鮮明です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「パドヴァの聖アントニオとシエナの聖ベルナルディーノ」(1456-57)


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「ピエタのキリスト」


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖人たち?」


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖ピエトロ」


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詳細不知


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖セバスティアーノの殉教」(1456-57)


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖セバスティアーノの殉教」(1456-57)


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖セバスティアーノの殉教」(1456-57)


335


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主祭壇前から見た出入口


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外に出ます。


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外に出ました。


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かなり疲れました。


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Palazzo d' Arnolfoの時計塔です。


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カヴール通りに入りました。


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まだ見てない所があります。


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持っている地図で次に行く場所を検討しましたが、疲れていたので、もういいや、と思いました。


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アルノ川、美術館に行き、ドゥオーモとサン・ロレンツォ教会を拝観したので、主だった所は十分楽しみました。


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駅に向かいます。


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やはり泊まる必要はなく、日帰り遠足で十分です。


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駅に着きました。
(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ編、おわり)

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次は、マザッチョ広場に面して建つサン・ロレンツォ教会です。


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ドゥオーモよりも歴史あるサン・ロレンツォ教会です。


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1296年、フィレンツェの前線基地としてカステル・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの旧称)が築かれた際に、Pieve di Cavrigliaのサポートを受けて現在地に小さな教会が建設されましたが、それが前身です。


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現在のゴシック様式の建物は、14世紀初頭に再建されたものが原形です。


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17世紀と19世紀に大規模な改造工事が行われましたが、左側の壁に加えたられた小規模な改造に留まって、14世紀初頭の外観をほぼ維持していると言われてます。


326
入口扉上ルネッタにフレスコ画がありましたが、その痕跡さえも残されていません。


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傑作祭壇画が数点あったそうですが、売却されたり、隣のドゥオーモ付属美術館に移されたりして、現存するのは主祭壇画だけです。


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左側壁にタベルナコロがあります。


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タベルナコロ


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詳細不知の「聖母子」


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拝観します。


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中に入りました。


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左右非対称のゴシック様式の構造です。2度の大改造を経て、創建時からは随分異なるとされている内部です。


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右側に側廊があるので、珍しい二廊式になります。


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フレスコ画があったとされる身廊天井とPresbiterio天井は塗り潰されて味気なしです。


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主祭壇


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1399)に帰属する「聖母戴冠のポリッティコ」(1374c)


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帰属作品ではなく、ジョヴァンニ・デル・ビオンドの真作説もあるようです。


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メインパネルの聖母戴冠


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左パネルの聖人たち


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右パネルの聖人たち


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クスピデの磔刑


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右側廊


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右側廊後陣の礼拝堂


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詳細不知の磔刑像


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柱頭


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洗礼盤


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右側廊はフレスコ画で覆われてます。


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地元の人は、右側廊後陣の礼拝堂で祈りを捧げます。


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聖水盤


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(つづく)

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主祭壇画とその後方Presbiterioのフレスコ画が見所なので、これには困りました。


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急にパイプオルガンの大音響が・・・・・振り返ると女性が弾いてます。
誰もいないので、単なる練習と思いました。


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Presbiterioは立ち入り禁止でした。


286
以前は垂れ幕がなかったのです。


323
以前は、立ち入り禁止のロープがなく、Presbiterioのフレスコ画を見ることが出来ました。


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ジュリオ・パリージ(フィレンツェ、1571-1635)の「Antico Tabernacolo」


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1596年の火災で焼失した後の17世紀初めに拡大再建された際に制作されたものです。


306
組み込まれた聖母子は他の画家の作品と思いますが、その詳細が分かりません。


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Presbiterioのフレスコ画は、この聖堂が建設された由来を説明するものです。


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ルベルト・ダ・モンテヴァルキ(ペルージャ、1460c-サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1523)の「Miracolo di Monna Tancia」


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ルベルト・ダ・モンテヴァルキは、ペルジーノの弟子でした。


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両親がペストで死んで、その乳児が残されました。


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叔母は乳を与えることが出来ません。


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サン・ロレンツォ門の祠に祈りを捧げると、奇跡が起きて乳が出るようになりました。


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これらをしっかり見ることが出来たのです。


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聖水盤
他の祭壇画を見て回ります。


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制作者情報不知の「聖心」


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制作者情報不知の「聖ジュゼッペの大工工房のキリスト」


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クーポラ


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制作者情報不知の「聖チェチリアと天使」


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フィレンツェ派逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタとウベルティの聖ベネデット」(17世紀)


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オルガン演奏が続いてました。


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アンニーバレ・ニッコライ(ヴォルテッラ?、1611c-フィレンツェ、1693)の「パドヴァの聖アントニオ」


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制作者情報不知の「ネオゴシック様式の祭壇前飾り、チントラの聖母と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」


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一見古そうな作品です。


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ピエトロ・マルケジーニ(ピストイア、1692-1752)の「ヨハン・カール・ロート作『聖ピエトロの死』のコピー画」


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アンジェロ・ファッブリーニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1853c-1889c消息)の「銭の貢ぎ」(1861)


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フィレンツェ派逸名画家作「磔刑」(16世紀末-17世紀初め)


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Presbiterioの天井フレスコ画


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制作者情報不知


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外に出ます。
(つづく)

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ドゥオーモの鐘楼とクーポラがサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅のホームから見えます。


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マザッチョ広場に面して建つサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのドゥオーモ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂です。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、フィエゾレ司教区に属してます。


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現在、聖堂が建っている場所に聖母を祀る小さな祠がありました。
ペストで両親を失った乳児は、Monna Taciaの甥でした。1478年、乳が欲しい泣く甥に困り果てたMonna Taciaは小さな祠に祈りを捧げると、所謂Miracolo di Monna Tanciaと称されることになる奇跡が起き、乳が出てきたのです。
その奇跡を聖母に感謝するために、1484年、Oratorio della Modonna delle Grazieの建設が始められ、1520年頃に完成しました。その祈祷所が現在の聖堂の前身です。


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その後、信者が増えたので拡張されて教会となりました。
1596年の火災によって建物の大部分が消失、崩落したので、17世紀に規模を拡大して再建されましたが、その建物が現在の姿の原形となってます。


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17世紀のファサードが経時劣化したので、ファサードが再建されることになりました。現在新古典様式のファサードは1840年から1856年に再建された二代目となるものです。


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第二次世界大戦の爆撃を受けたので、戦後に大修復工事が行われました。
1929年、第259代教皇ピオ11世(在位:1922-1939)によってBasilica Minoreに格付けされました。また、1986年、Santuario Marianoにランクアップされました。


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クーポラと鐘楼


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聖堂の入り口です。
写真正面の入り口は、聖堂本堂の入り口ではなく、奇跡の礼拝堂の入り口です。


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奇跡の礼拝堂入口上に彩釉テラコッタがあります。


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469-1529)の「チントラの聖母」(1513)


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保存状態が非常よいテラコッタです。


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彩釉テラコッタ下の入り口から奇跡の礼拝堂に入ります。


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一見、クリプタのように見えます。


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奇跡の礼拝堂です。


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Monna Taciaが奇跡を見たとされる祠を組み込んだ礼拝堂です。


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美術的な見所に欠けます。


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聖堂本堂は一階(日本の二階)にあります。


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地上から本堂に向かう階段が左右に設けられてます。
階段の途中に壁龕に描かれたフレスコ画があります。


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ファサードに向かって左の階段踊り場にあるフレスコ画です。


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保存状態が悪いフレスコ画です。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「受胎告知」(1621)


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最近修復されたようで、以前よりもマシになりました。


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次は向かって右の階段踊り場にあるフレスコ画です。


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こちらの方が保存状態が良いと思います。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖母の結婚」(1621)


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近年の修復の結果、かなり良い状態で蘇りました。


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驚くのは、階段踊り場の「聖母の結婚」は第二版に当たります。
最初に制作された「聖母の結婚」はドゥオーモ付属美術館にあります。既に紹介済みですが、その作品画像を再掲します。


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こちらが第一版の「聖母の結婚」(1621)です。


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何故第二版が制作されたのか、色々調べましたが私には分かりません。


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本堂入り口です。


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中に入ると、主祭壇の前に出ます。


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ビックリ、主祭壇が見えないようになっていました。


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三廊式です。


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新しく見えるのは、第二次世界大戦で大きな被害を受けたので、戦後に大修復されたからです。
(つづく)

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次の部屋です。


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グレゴリオ・パガーニの作品が2点並べられてます。


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グレゴリオ・パガーニ(フィレンツェ、1558-1605)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」と「聖ロレンツォ」


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グレゴリオ・パガーニは、画家の息子で、父に基本を習った後、サンティ・ディ・ティートに師事しました。その後、チゴリ工房に加わり、チゴリの協力者として腕を磨きました。


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日本では低評価のパガーニですが、16世紀第4四半世紀から17世紀初頭のフィレンツェを代表する画家とされてます。弟子にクリストファノ・アローリ、マッテオ・ロッセリなどがいました。


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祭壇前飾りです。


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「父なる神と天使たち」(1597)


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マッテオ・ニゲッティ(フィレンツェ、1570-1648)とヤコポ・パゴリーニ(パオリーニとも称す)(カステル・フィオレンティーノ、?-16世紀末没)の作品です。


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ジョヴァンニ・マンノッツィ通称ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「幼きキリストと聖ジュゼッペ」(1630)


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ジョヴァンニ・マンノッツィ通称ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1620)


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニの代表作とされている傑作です。


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カラヴァッジョの作品を多分見たことがないと思われるジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニですが、表現が少し似ていると思います。


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天使の燭台(1690c)


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隣のサン・ロレンツォ教会にありました。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖母の結婚」(1621)


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このような美術館の定番とも言うべき展示物ですが、興味がありません。


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坊主の装束


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外に出る前に、この作品前で暫し熟視。


P1780101
外に出ました。
(つづく)

P1780029
お目当ての作品です。


P1780026
この展示室で唯一の展示作品です。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知」(1432c)
10年ほど前まではベアート・アンジェリコの帰属作品とされていましたが、近年になって研究が進んで、真作とされるようになりました。しかし、今なお異論を出す研究者などがいます。


p1780334ベアート・アンジェリコが完成させてから1438年まで、この作品の行方が不明とされています。
確実なことは、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの郊外モンテカルロのサン・フランチェスコ修道院に1438年から20世紀末まで、この作品が置かれていたことです。
最も相応しいとされる推論は、アンジェリコが制作したのは受胎告知部分だけで、裾絵はアンジェリコの協力者で、フィレンツェの名家ストロッツィ家の一員ザノービ・ストロッツィによって描かれたのですが、裾絵制作のために、何処かにあったという説です。
(写真は、モンテカルロのサン・フランチェスコ修道院)
ベアート・アンジェリコは、大画面の受胎告知を3点制作したことが分かってます。
第一作は、コルトーナの教区美術館にある、所謂コルトーナの受胎告知(1430c)です。
第二作が、このサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの受胎告知(1422c)とされてます。
第三作が、プラド美術館にある、所謂プラドの受胎告知(1435)です。
参考までに、コルトーナとプラドの作品画像を載せておきましょう。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知(コルトーナの受胎告知)」(1430c)
コルトーナのジェズ教会にありました。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1495c-ローマ、1455)の「受胎告知(プラドの受胎告知)」(1435)
フィエゾレのサン・ドメニコ修道院にありましたが、1611年にスペイン国王に売却されて、スペイン王室所有となりました。
ベアート・アンジェリコの受胎告知では、フィレンツェのサン・マルコ修道院にある2点のフレスコ画が有名です。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知(サン・マルコの受胎告知)」


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知」
フィレンツェ、サン・マルコ修道院の第3僧房にあります。


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サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの作品に戻ります。


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父なる神


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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プレデッラを見ます。
前述のようにプレデッラは、ベアート・アンジェリコの協力者だったザノービ・ストロッツィ(フィレンツェ、1412-1468)によって描かれました。
裾絵ですが、「キリスト生誕」の部分が欠落していると言われてます。


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聖母の結婚


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ご訪問


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マギの礼拝


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キリストの神殿奉献


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聖母の死


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詳しく見ます。


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サイズは、縦195cm、横158cmです。


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受胎告知と父なる神がベアート・アンジェリコの作品です。


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大天使ガブリエーレ


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金が使われてます。


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左上部分に注目です。


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左上にアダムとイヴの楽園追放が描かれてます。


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聖母マリア


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父なる神


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プレデッラ


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聖母の結婚


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ご訪問


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マギの礼拝


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キリストの神殿奉献


p1780361
聖母の死


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(つづく)

P1770993
15世紀のフィレンツェの逸名画家作「パドヴァの聖アントニオ」


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上部ルネッタは受胎告知です。


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注文者は特定されてません。


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描かれている注文者は多分夫婦でしょう。


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ヤコポ・デル・セッライオ(フィレンツェ、1441-1493)の「受胎告知」(1472c)


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ヤコポ・デル・セッライオは、フィリッポ・リッピの弟子でした。


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プレデッラ


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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プレデッラ


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幼きキリストを崇拝する聖母


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聖セバスティアーノ


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「玉座の聖母子と四聖人」


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アレッサンドリアの聖カテリーナと聖ジョヴァンニ・バッティスタ


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ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417-1491)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1450-60c)


P1780017
ドメニコ・ディ・ミケリーノは、ベアート・アンジェリコの強い影響を受けた画家です。本名ドメニコ・ディ・フランチェスコでした。ミケリーノ・ディ・ベネデットに師事しましたが、師匠から技量卓越が認められ、師匠の名前ミケリーノの使用が許されたことで、ドメニコ・ディ・ミケリーノを名乗ったとされてます。
ヴァザーリに拠れば、ベアート・アンジェリコの弟子とされてます。


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聖人が特定されてます。


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聖アントニオ・アバーテ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖マルゲリータ


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聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖マルゲリータ


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聖マルゲリータ


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聖母子


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聖ヤコポ、聖マリア・マッダレーナ


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聖マリア・マッダレーナ


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聖ピエトロ・マルティーレ


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17世紀のトスカーナの金工家作「行列用十字架」(17世紀)


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p1780332


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P1780023


P1780024
(つづく)

P1770960
文書です。


P1770961
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所の1712年から1734年の決議と状況について記した記録文書です。


p1780283
筆記体の文書を読むのが苦手です。


P1770962


P1770964
フィレンツェの逸名彫刻家作、またはナンニ・ディ・バルトロ通称イル・ロッソ(フィレンツェ、1419-1437活動記録)作かもしれない「聖ロレンツォ」


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P1770965
ナンニ・ディ・バルトロ通称イル・ロッソはドナテッロの弟子でした。


P1770967
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所の記録文書です。


p1780285
日によって違うページが開かれてます。


P1770968
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所記録文書の1484年から1655年の章です。


P1770971
ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖母子」


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「音楽天使たちの合唱」(1440-50c)


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パオロ・ディ・ステファノ・バダローニ通称パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397-ピサ、1478)の「聖ビアージョ」


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「トラヤヌス帝と未亡人の物語」(1430-40c)


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マリオット・ディ・クリストファノ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1395c-フィレンツェ、1457)の「聖母と聖ルチアとキリスト」(1420-25c)


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プレデッラの聖アゴスティーノ


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大天使聖ミケーレ


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聖エレモシア
(つづく)

サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのドゥオーモ付属美術館 Museo della Basilica di Santa Maria delle Grazieについては既に書きましたが、改編して再度アップすることにします。
P1770896
マザッチョ広場に面して、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂(写真右)とサン・ロレンツォ教会(写真左)の2つの教会が建ってます。


P1770905
2つの教会に挟まれた建物が司祭館です。


P1770915
この建物にドゥオーモ付属美術館があります。


P1770914
付属美術館の設立は、1864年でしたが、1959年に再編成されました。1990年から一般公開されるようになりました。2003年に改装のため一旦休館となりましたが、2005年に改装再オープンされて現在に至ってます。


P1770916
美術館の入り口です。


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入口にある紋章


P1770917
展示室に向かいます。


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展示室の入り口です。
展示室は6部屋から成ってます。


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展示室内に入りました。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂にあった作品が展示の中心ですが、街のPalazzoや他の教会から集められた作品が展示されてます。
14世紀から20世紀にわたる絵画、彫刻、調度品、本などが展示されてます。


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フィレンツェ派逸名画家作「聖母子と五色鶸(ひわ)」(18世紀初め)


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幼きキリストが手にしているのが五色鶸 cardellinoです。


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展示作品数は多くありません。


P1770924
マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖母と聖マリア・マッダレーナと三位一体と聖人たち」(1400-05)


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P1770926
中央パネル


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左パネル


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右パネル


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1356から記録 1399没)の「神の祝福」(1374)


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1356から記録 1399没)の「ピエタのキリスト」(1374)


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マリオット・ディ・クリストファノ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1395c-フィレンツェ、1457)の「玉座の聖母子と四聖人と発注者」


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ジョヴァンニ・ダ・ピアモンテまたはジョヴァンニ・ディ・ピアモンテ(トスカーナ、15世紀中頃活動)の「大天使ラッファエーレとトビアス」


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P1770954
パオロ・ディ・ステファノ・バダローニ通称パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397-ピサ、1478)の「聖アンサーノ」


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パオロ・ディ・ステファノ・バダローニ通称パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397-ピサ、1478)の「音楽天使たちの合唱」


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P1770959
(つづく)

P1770843
この辺でアルノ川を切り上げます。


P1770845
街の中心に向かうことにしました。


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Ponte Ipazia D'Alessandroの前を一旦右に出ます。


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Via di Val D'Arnoに入りました。


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アルノ川沿いの幹線道路SR69です。


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幹線道路に面して立ってるのは、ピエトロ・チェッカレッリ(ヴァル・ディ・チェチーナ、1888-フィレンツェ、1949)の「第一次世界大戦の追悼碑」(1926)です。
この彫刻の制作前に、コンペが行われ、その勝者であるチェッカレッリが制作しました。


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SR69を左折してローマ通りに入りました。この先に街の中心の広場があります。


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Palazzo d' Arnolfoとドゥオーモのクーポラが写ってます。


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ローマ通りを進んでカヴール広場に向かいました。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会の鐘楼が写ってます。


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リベルタ広場に向かいます。広場と言っても実際は道幅の広い道路です。


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ローマ通りの建物


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リベルタ広場


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カヴール広場に入ります。


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カヴール広場


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アーチの左にサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会があります。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会の扉は相変わらず閉まったままでした。


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広場に立つのはジュゼッペ・ガリバルディ像です。


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写真左の建物は、Convento delle Agostinianeです。


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この建物が分からない。


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Palazzo d' Arnolfoです。


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Palazzo d' Arnolfoのロッジャです。


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ロッジャの壁


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フレスコ画断片でしょうか?


P1770882
Museo delle Terre Nuoveの入り口です。


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この時は入館しませんでした。前回入館したので、それで十分です。


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アルベルティ通り


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(つづく)

405
雷鳴が遠のき、雨が小降りになりました。


406
大体見たようなので、駅に向かいました。


407
城壁を潜ります。


408
城門の壁に描かれた絵


409
ベアート・アンジェリコの「受胎告知」を見たくなると、この街に来ます。


411
駅に着きました。


410
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ行の列車を待ちました。
この時の旅は、これで終わりです。


P1770791
その2年後、季節は前回と同じ6月です。
アレッツォの駅舎です。


P1770792
この時は、アレッツォからサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノへの日帰り遠足でした。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、アレッツォとフィレンツェのほぼ中間にあります。


P1770793
アレッツォに数泊して、ポッピ、モンテルキ、スッビアーノ、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノへの日帰り遠足をしました。アンギアーリ、チッタ・ディ・カステッロ、コルトーナ、サン・セポルクロにはそれぞれ泊まりました。


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フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ行のRVを待ってます。


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列車内は空いてました。


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サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅に定刻に到着しました。


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駅舎


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駅前広場


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駅から外に出ると、真っ先に、奇妙なハイヒールのオブジェが目に飛び込んできました。


P1770801
この写真で赤いハイヒールのオブジェの位置がお分かりになると思います。
以前には無かった。オブジェの意味がサッパリ分からない。


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先ずアルノ川に向かいます。


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駅からアルノ川まで約500mです。


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道路沿いに真新しい石造りのベンチが整備されていました。2年前には無かったと思います。


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ガリバルディ通りとの交差点を通り過ぎます。


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チェーザレ・バッティスティ通りを進みます。


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アルノ川に向かうのは、私がアルノ川渓谷にある街という名前にピンとこないのですが、それをブログに読み手である皆さんがどう思われるのか、知りたいがためです。


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ピアーヴェ通りに入ります。


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ピアーヴェ通りの先にアルノ川があります。


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川傍の、この地区はアルノ川の氾濫に苦しんだそうです。
個人的には、川傍に住めば、その辺のリスクは当然承知の上の筈と思います。


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モンテ・グラッパ通りとの交差点を通過しました。


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トリエステ通りを過ぎます。


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木が見えてますが、アルノ川沿いの並木です。


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堤防の上に出ました。


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アルノ川です。


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広い河原があります。Val d'Arnoにそぐわないと思います。val=峡谷、渓谷、谷ですから。


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アルノ川に架かるPonte Ipazia D'Alessandro


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川沿いの遊歩道を歩いて橋に向かいます。


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カステル・サン・ジョヴァンニが築かれた13世紀末には、深い谷になっていたそうですが、現在の姿からは想像できません。


P1770825
それだけ浸食と堆積が凄かったということでしょう。


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初めて、ここに来た時、渓谷美を楽しむのが目的でしたが、見事に当てが外れてガックリしたことを覚えてます。


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橋を渡ります。


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橋の上から撮った写真


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緩やかな流れです。


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P1770831
(つづく)

375
カステル・サン・ジョヴァンニからサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノへと、街名が何時変わったのか、分かりません。


376
古い家が多い街ですが、実は、第二次世界大戦で破壊され、1970年台に復元された建物が多いのです。


377
鐘楼が写ってますが、教会です。


378
アーチの所に教会の入り口があります。


380
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


381
この建物は病院として建設されましたが、1528年にアゴスティーノ会修道院に転用され、修道院付属の教会がアーチに造られたのです。


379
17世紀に後期バロック様式の教会に改造されました。


382
アーチを潜ってカヴール広場方面に出ました。


386
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会の柱廊前からサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会を臨む。


383
カヴール広場に戻ってきました。


385
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。


387
1312年に建設されました。
マリオット・ディ・ナルドの祭壇画がありましたが、取り外され、現在はドゥオーモ付属美術館に移されてます。


530
普段は扉が開いていることはありません。恐らく宗教活動を停止した旧教会と思います。
演奏会場として使用されているようです。


532
僅かに残されているフレスコ画断片


534
メディチ家の紋章


533
フィレンツェ派逸名画家作「聖母子」(17世紀前半)


531
出入口方向


384
夕方になって、人出が多くなってきました。


388
ローマ通りです。


389
Palazzo d' Arnolfoを見ます。


390
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)によれば、アルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1245c-フィレンツェ、1302/1310)の設計によって13世紀末に建設されたそうです。


391
壁の紋章


392


393
ロッジャの紋章
現在、Palazzo d' Arnolfoは、Museo delle Terre Nuoveとして一般公開されてます。


535
Museo delle Terre Nuoveは2013年にオープンしました。


536
時間が有り余っている人向きの博物館です。


394
ドゥオーモ付属美術館が開く時間になりました。


357
開館していたので安心しました。イタリアでは突発的臨時休館がよくあるので。


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入館しました。


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ドゥオーモ付属美術館に付いては、既にアップしました。そちらをご参照願います。
成り行きによっては、もう一度取り上げる可能性が無きにしも非ず。


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ベアート・アンジェリコの帰属作品「受胎告知」


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この「受胎告知」が美術館の目玉です。


403
外に出たら雷雨でした。


402
次はドゥオーモです。


286
ドゥオーモについては、後程取りまとめてアップします。


399
ドゥオーモのクーポラと鐘楼


326
次はサン・ロレンツォ教会です。


329
サン・ロレンツォ教会も後程取りまとめてアップします。


344
主祭壇画は、ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1356から活動記録-1399没)の作品です。


401
Palazzo d' Arnolfoの柱廊で暫し雨宿り。


404
雨は直ぐ小降りになりましたが、稲光と雷鳴が凄まじかった。


395
ローマ通り


396
マゾリーノ・ダ・パニカーレ(パニカーレ、1383-フィレンツェ、1440c)もサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ生まれです。パニカーレ生まれですが、パニカーレはサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの分離集落です。


397
歩行者は通行可能です。


398
アルノ川に行く予定でしたが、天気が悪いので次の機会に。


400
(つづく)

256
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅からサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに向かいます。


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車内は空いてました。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、人口16,847人(2019年12月31日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネです。アルノ川渓谷にあるサン・ジョヴァンニという意味の街の名称です。


257
定刻にサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅に到着しました。
銀行家で歴史家でもあったジョヴァンニ・ヴィッラ―ニ(フィレンツェ、1276/1280-1348)の著述によれば、1296年、フィレンツェの前線防衛基地としてアルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1245c-フィレンツェ、1302/1310)の設計によって築かれた街で、当時、街はカステル・サン・ジョヴァンニと呼ばれていました。


258
駅からアレッツォの方向にサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂のクーポラが見えました。
私にとってのサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、聖堂付属美術館に行くことです。同美術館で展示されているベアート・アンジェリコ(フラ・アンジェリコ)の帰属作品「受胎告知」が秀逸です。


259
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅の駅舎です。
今回の旅は、フィレンツェからの日帰りです。


260
駅前の通りを左折して聖堂の方に向かいます。


261
ジュゼッペ・マッツィーニ通り


262
コルソ・イタリア


263
城壁が一部残されてます。


264
前線防衛基地として建設された街の城壁なので、建設当初から堅固に築かれました。しかし、更に防衛力を増すために11356年から1363年にかけて再建されました。
その後、アルノ川の度重なる氾濫のために、城壁は大きな被害を受けたので、16世紀初頭に再建された城壁が現存しています。
アレッツォがフィレンツェの支配下になったことから、前線防衛基地としての、この街の重要性が薄れ、城壁の整備増強は16世紀初頭の再建を以って終わりとなりました。


266
城壁に防御塔が24設けられていましたが、そのうちの一つです。


265
市庁舎の分庁舎です。


267
ローマ通りからカヴール広場に向かいます。


268
ローマ時代に築かれた街を手本にアルノルフォ・ディ・カンビオが設計したと言われてます。


269
カヴール広場です。


270
広場に面して古い建物が建ってます。


271
ファサード下に柱廊がある建物は、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。


272
Palazzo d' Arnolfo


273


274


275
Palazzo d' Arnolfoを境に広場名がマザッチョ広場になります。


276
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのドゥオーモです。


277
サン・ロレンツォ教会です。


278
マザッチョ広場から見たPalazzo d' Arnolfoです。


356
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂とサン・ロレンツォ教会の間にある建物は司祭館です。ここにドゥオーモ付属美術館の入り口があります。


353
美術館が開館時間になるまで、付近をぶらぶら歩いて時間潰しです。


358
2つの教会の拝観は、美術館を見てからにします。


361
サン・ロレンツォ教会左のアルベルティ通りに入ると直ぐに教会が見えます。


362
サンタ・ルチア・ミゼリコルディア教会です。


364
14世紀に建設されたゴシック様式の小さな教会です。


363
1365年に奉献式が執り行われました。


365
中に入りました。単廊式、ラテン十字形の内部です。


367
詳細不知


372
この教会に祭壇画が4点あったそうですが、現在は主祭壇画だけになってしまいました。残りの3点はドゥオーモ付属美術館で見ることが出来ます。


369
主祭壇画の「聖ルチアの殉教」


370
フェリーチェ・フィケレッリ通称イル・リポーゾ(サン・ジミニャーノ、1605-フィレンツェ、1660)の「聖ルチアの殉教」(1640-50)


528


366
外に出る前に、もう一度祭壇を見ました。


377
次はマザッチョの家です。


529
マザッチョの生家です。博物館になる予定は無さそうです。


374
(つづく)

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やがてチェスの対局が始まりました。


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晴れていたのは嬉しいのですが、気温上昇と高湿気には困りました。


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日陰のベンチで一休み。


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グロッセートに来た最大の目的は、マレンマ博物館の入館です。


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博物館の開館時間まで、ぶらぶら歩きで時間潰しです。


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狭い城壁内なので、同じ場所に何度も来てしまいます。


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日陰を選んで歩きました。


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マレンマ地方観光の醍醐味は、ソヴァーナ、ソラーノ、ピティリアーノです。


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ピティリアーノへは、グロッセートからバスがあるので、簡単に行けます。


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ソヴァーナへは、鉄道駅からの直通バスはなくなって、ピティリアーノ発のバスで行くことになったので不便になりました。


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サンタ・キアーラ教会は、相変わらず扉が閉まっていました。


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サン・フランチェスコ教会は開いてました。


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ジュゼッペ・カスッチ(ロッカストラーダ、1877-アルゼンチン、1964)の「聖母子と聖フランチェスコと聖フォルトゥナート」(1927)をじっくり見ました。


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もう一度拝観しました。


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マレンマ博物館にやってきました。神学校だった建物です。


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博物館前の彫像は、「アンドレア・ダ・グロッセート(グロッセート、13世紀前半‐?、?)像」です。
アンドレア・ダ・グロッセートは、散文作家でグロッセートのサン・フランチェスコ教会の修道士でした。当時の作家はラテン語で書くのが普通でしたが、アンドレア・ダ・グロッセートはイタリア語の最初の作家という説があります。


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マレンマ博物館と簡単に表記しましたが、Museo Archelogico e D' Arte della Maremmaが正式名称です。


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開館時間がこのように表記されてますが、この日は16:00~19:00のみの開館でした。


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入館しました。


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マレンマ博物館については、既に書きました。
ご興味のある方は、次のページをご参照願います。
(前編)
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/17823152.html
(後編)
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/17826171.html


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アレッサンドロ・カソラーニ(メンサノ、1552‐シエナ、1660)の「磔刑」(1583)


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Maestro dell' Osservanzaの「聖ジローラモ」(左)(1450‐60c)とサーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406‐1481)の「聖アントニオ・アバーテ」(右)(1450‐60c)


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サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐フィレンツェ、1603)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと聖エリザベッタ」(1601)


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グイド・ディ・グラツィアーノ通称グイド・ダ・シエナ(シエナ、1230c‐1290c)と工房の「最後の審判」(13世紀)


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ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ、1559‐ローマ、1613)の「ピエタ」(1599c)


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バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337‐1378記録)の「聖母子」(1370)


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ジョヴァンニ・ディ・二コラ(シエナとピサ、1326から記録-1363/1365没)の「聖母子」


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アンドレア・ディ・ニッコロ(シエナ、1440-1514)の「ピエタのキリスト」(15世紀末)


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外に出ました。


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次はMuseo di Storia Naturale della Maremmaです。


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この日は、残念ながら開いていませんでした。


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特にやることがありません。


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見たいところは大体見たようです。


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これならば、昼食でワインを1本空け、ビールを飲んで時間をかけて楽しむべきでした。


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サン・フランチェスコ教会の鐘楼が見えてます。


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Piazza Pacciardi
写真左はミゼリコルディア教会です。


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グロッセートのニャーゴ


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城壁にやってきました。


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城壁外に出ます。


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Porta Vecchia


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ホテルに戻ることにしました。


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夕方になると、人出が多くなります。


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サン・ピエトロ教会が開いていました。


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拝観しました。


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キリがないので、この辺で終わりにしましょう。
(グロッセートの項、おわり)

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ホテルに戻って昼寝を小一時間すると。外は晴れていました。


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今度は傘を持たずに外出です。


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先ず城壁外を見て回ります。


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城壁内は狭いので、街の住民の大多数が城壁外に住んでます。


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パーチェ通りに沿って大きな教会があります。


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サクロ・クオーレ参事会聖堂 Basilica Minore e Collegiata del Sacro Cuore di Gesuです。


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1954年から1958年に建設されたネオ・ルネサンス様式の新しい教会です。


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この聖堂の建設には、グロッセート市民の悲惨な出来事がありました。


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城壁外の聖堂が建設された場所には小さな遊園地がありましたが、イースター・マンデイの1943年4月26日、大勢の子供たちが遊園地で遊んでいました。空襲警報が出ていなかったので、安心して遊んでいたそうです。ところが、米軍爆撃機一機が何故か遊園地で遊んでいた子供たちを急襲、爆撃によって大勢の子供たちを含む134人が犠牲となりました。
犠牲者の鎮魂のため、建設されたのが、この聖堂です。
犠牲の現場となったところが、この聖堂のクリプタとなってます。


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遊園地で遊んでいた子供を急襲するなんて普通の神経を持った兵士ならば、多分やらないと思いますが、原爆を投下するくらいですから、米兵にとっては朝飯前の普通の任務だったのでしょう。


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コンクリートのファサード
建設の経緯を知る第260代教皇ピオ12世(ローマ、1876-カステル・ガンドルフィ、1958 在位:1939-1958)は、直ぐにBasilica Minoreに格付けしました。


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ファサードの彫刻


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鐘楼


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左側壁


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ファサード前に小さな公園があります。


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小さな公園前から見たファサード


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イタリアが親米なのか分かりませんが、原爆を落とされた我が国が米国と同盟とは。


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咲き誇るブーゲンビリア


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城壁外の、城壁近くにもう一つ新しい教会があります。


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この辺は旧市街の北西、城壁外に当たります。


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Porta Nuovaの近くです。


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教会の鐘楼が見えてきました。


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この教会のファサードはローマ通りに面してます。ファサード側に回ります。


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Chiesa della Medaglia Miracolosa、奇跡のメダル教会とでも訳すのでしょうか?


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居住者が多くなった城壁外の住民のために、1936年から1937年に建設されたネオ・ロマネスク様式の教会です。


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入口扉上ルネッタの浮彫は、地元が生んだ彫刻家トロ―メオ・ファケンディ(グロッセート、1905-1970)の「聖母とベアータ・カテリーナ」(1937)です。


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美術的には、ファサードの浮彫を観れば十分と言えるでしょう。


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壮大な郵便局の建物


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昼寝ボケで眠かったので、ここで一服入れました。


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Villino Pastorelli


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未だ城壁外です。


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この辺だけ城壁がありません。


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城壁内に入りました。


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ダンテ広場です。


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ダンテ広場でチェスが行われるようです。


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(つづく)

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次はサン・ミケーレ門です。


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パオルッチ通りを進みます。サン・ミケーレ門は旧市街の南西にあります。


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ドゥオーモの鐘楼が見えました。


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小雨が相変わらず降り続いてます。


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昼を過ぎて、閉まっている店が多くなっています。


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小さなジョヴァンニ・ヴァレーリ広場を通り過ぎます。


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マッツィーニ通りからサン・ミケーレ広場に入ります。


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サン・ミケーレ広場にある「木のオブジェ」です。遠くから見ると木ですが、よーく見ると金属製の木です。金属製の木ではなく、普通の木でも良いと思いました。


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1819年に建設されたTeatro degli Industriです。


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サン・ミケーレ門はもう直ぐです。


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サン・ミケーレ門が見えてきました。


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城壁の南西に設けられたサン・ミケーレ門です。


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城壁外に出ました。


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城壁外には見所が乏しいので、城壁内に戻ります。


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Bastione Molino a Vento


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公園内の池にイノシシの噴水があります。


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ダンテ広場に戻りました。


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古い建物ですが映画館になってます。


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ドゥオーモ


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雨が強くなってきたので柱廊に逃げ込みました。


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昼食のビールが効いてきました。


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ここで一服して、トイレをお借りしました。


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Porta Vecchiaに向かいます。


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Via San Martino


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14世紀に遡るPorta Vecchiaです。


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城壁外に出ました。16世紀後半にメディチ家に拠って城壁の増強整備が行われましたが、その際、14世紀のPorta Vecchiaがそのまま新城壁に組み込まれました。


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城壁外に広い駐車場があります。


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城壁内に戻りました。


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Via San Martino


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城壁が殆ど残されているのが確認出来ました。


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Via dell Unione


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ドゥオーモ広場に出ます。


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狭い城壁内なので、どうしても同じ場所に何回も来てしまいます。


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ダンテ広場に立つローマ時代の柱 Colonna Romana e Monumennto a Canaponeです。


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雨の中をあちこち行くのが嫌になってきました。


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Corso Giosue Carducci


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ホテルに戻って昼寝をすることにしました。

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サン・ピエトロ教会を通り過ぎます。


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(つづく)

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Strada Ginoriです。


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古い建物が建ち並んでます。次はサン・フランチェスコ教会修道院ですが、Strada Ginoriの突き当りに教会があります。


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Piazza Indipendennzaに出ました。


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サン・フランチェスコ教会修道院の鐘楼です。


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グロッセート病院の井戸が広場にあります。


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1465年に造られたPozzo di Santa Maria della Scala di Sienaです。


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共和国広場は、以前、サン・フランチェスコ広場と呼ばれていました。


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サン・フランチェスコ教会を見ます。


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10世紀に建設されたサン・フォルトゥナート教会が前身です。


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1188年、時の教皇クレメンテ3世(第174代教皇)(ローマ、1121-1191 在位:1187-1191)は、サン・フォルトゥナート教会をグロッセート司教に寄贈しました。


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12世紀末に教会はベネデット会の所有となりましたが、1220年、ベネデット会修道士は教会を去ることになり、フランチェスコ会に建物を売却しました。売却を機に、教会名称がサン・フランチェスコ教会と改称されました。


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新たに所有者となったフランチェスコ会修道士は、教会修道院を再建することにし、1231年から1289年に再建された建物が現在の姿の原形となってます。


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1859年から1865年にかけてサン・ロレンツォ大聖堂の修復工事が行われましたが、その工事期間中、司教座がサン・フランチェスコ教会に臨時に置かれました。
1949年から教区教会 Parrocchiaになりました。


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ファサード横にある聖フランチェスコの記念碑


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13世紀に建設された、オリジナルの鐘楼は、17世紀頃、落雷によって倒壊してしまいました。現在の鐘楼は、1926年に再建されたものです。


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教会の入り口です。


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入口上ルネッタのフレスコ画は、ジュゼッペ・カスッチ(ロッカストラーダ、1877-アルゼンチン、1964)の「聖母子と聖フランチェスコと聖フォルトゥナート」(1927)です。


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中に入りました。


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見るに値する作品が幾つかあります。


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単廊式


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木組みの天井


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ピントゥリッキオ派のシエナの逸名画家の作品(1510c)です。


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14世紀のシエナ派逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(14世紀)


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逸名画家作「聖クリストフォロ」(14世紀)


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後陣と主祭壇


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ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(シエナ、1255c-1318/1319)の「彩色磔刑像」(1289c)
この磔刑像は歴史的にドゥッチョの作品と言われてきました。


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しかし、近年になってグイド・ディ・グラツィアーノ(シエナ、1278-1302記録)の作品であるとの別説が出されています。


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15世紀の逸名画家作「聖フランチェスコと聖ベルナルディーノ」


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ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、?-1348c)の領域(Ambito di)の「聖母子」


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フランチェスコ・クゥッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「受胎告知」(1615)


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翼廊の礼拝堂


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かなり新しそうなフレスコ画です。


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フレスコ画の制作者や制作された時代等の詳細が分かりません。


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キオストロ回廊に出ました。


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修道院と教会を連絡する回廊の壁にフレスコ画があることが多いですが、ここにはないようです。


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1590年に造られたPozzo della Bufaraです。


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回廊にある作品を観ます。


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彩釉テラコッタの聖母子


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大天使聖ミケーレ


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キリストの鞭打ち


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教会経由で外に出ます。


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もう一度ドゥッチョの彩色磔刑像を見ました。


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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Via D' Azeglioです。


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雨がしつこく降ってます。


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メンシーニ広場を通り過ぎます。


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次はミゼリコルディア教会です。


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Piazza Martiri d' Istriaに入りました。


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広場に建っているのがミゼリコルディア教会です。


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12世紀中頃に、現在地に建設された病院別館がありましたが、その別館に設けられたサン・ロレンツォ礼拝堂が前身です。
程なく、病院別館と小礼拝堂はテンプル騎士団に寄贈され、13世紀に同騎士団によってサン・ロレンツォ教会が建設されました。


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1312年、テンプル騎士団はサン・ロレンツォ教会を放棄しました。教会は衰退しましたが、ミゼリコルディ同信会によって細々と維持されました。1844年、経時劣化によって建物が危険になったので解体され、1854年に再建された建物が現在の姿となってます。


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ガリバルディ通りを城壁に向かって進みます。


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城壁前にいかめしい建物が建ってます。


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Casa Circondariale


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刑務所です。


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何か監視されている気がしましたが、刑務所なので当然です。観光客には不向きな刑務所ですが、城に行くには、この前を通るのが普通です。


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刑務所の警備員の屯所でしょうか?


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刑務所は城壁内に建ってます。


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Cassero Seneseに向かいます。


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Cassero Seneseです。14世紀にシエナ共和国によって建設された城です。


P1050541
1565年、トスカーナ大公コジモ1世・デ・メディチ(フィレンツェ、1519-1574)に拠って城壁の整備拡張が行われましたが、その際、城は城壁に囲まれた要塞の要塞として新城壁に組み込まれました。
Bastione Fortezzaと呼ばれてます。


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Cassero Seneseの入り口です。


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入口扉上のメディチ家の紋章


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Cassero Seneseに観光案内所が設けられてます。観光案内所で地図を頂戴するとともにMuseo、教会の開く時間を確認しました。


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城の中に入りました。


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城の中庭はコンサート会場になっていました。


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観光案内所と中庭以外には入ることが出来ないようになっていました。


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Cassero Seneseから外に出ます。


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Cassero Seneseの周囲を見て回ることにしました。


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高い壁のCassero Seneseです。


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写真左がCassero Seneseの壁、写真右は市域の城壁です。


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城壁外に出ました。


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1565年から1593年に築かれた城壁です。


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Cassero Seneseです。


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城壁外から見たCassero Seneseです。


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城壁内に戻ります。


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Cassero Seneseの入り口を通り過ぎます。


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Piazza Martiri d' Istriaに戻ります。


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ミゼリコルディア教会が見えます。


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このレストランで昼食を食べました。
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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クーポラです。


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クーポラの四隅に四福音書記者が描かれてます。


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聖マルコ


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アントニオ・ギーニ・ダ・パオロ(ルッカ?、?-シエナ、1478以前没)の洗礼盤(1470-1474)


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アントニオ・ギーニの傑作とされてます。


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グロッセートの紋章


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イラーリオ・カソラーニ(シエナ、1588-1661)の「天上の聖母子と聖人たち」(1630)


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ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「キリストの勝利と聖ロレンツォと聖カルロ・ボッロメオ」(17世紀初頭)


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傑作とされている聖人たちのステンドグラス


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「祈るキリスト」のイコン


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ジローラモ・ディ・べンヴェヌート(シエナ、1470-1524)の作品


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に、もう一度聖堂内部を見回しました。


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外に出ました。


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1870年から1873年に建設されたPalazzo Comunaleです。


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市庁舎が建設される前には、この場所に古いサン・ジョヴァンニ・デコッラート教会の建物がありました。教会は18世紀末に機能を停止しましたが、建物は倉庫として使用されていました。市庁舎を建設するために旧教会の建物は解体されたのです。


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ドゥオーモ広場を後にしました。


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ドゥオーモ広場からダンテ広場に入りました。


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ダンテ広場中央に立つのは、ルイージ・マギ(アシャーノ、1804-フィレンツェ、1871)の「レオポルド2世の記念碑」(1846)です。


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「カナポーネの記念碑」とも呼ばれてます。


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ロレンツォ・ポルチャッティ(カナ、1864-グロッセート、1928)の設計によって、1900年から1903年に建設されたPalazzo Aldobrandeschiです。


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現在、県庁舎として使用されてます。


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Palazzo Aldobrandeschiが建っている場所には、Palazzo Pretorioがありました。1898年、グロッセート市民は劣化したPalazzo Pretorioの修復を行って県庁舎として使用することを求めました。しかし、その願いは叶わず、1899年に解体され、その跡地にPalazzo Aldobrandeschiが新築されたのです。


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ダンテ広場の南側にある建物です。


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ダンテ広場には古い建物が建ち並んでます。これらと調和させるために、Palazzo Aldobrandeschiが古風な造りにされたと言われてます。


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ダンテ広場を後にして、マニン通りを進みます。


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ジョベルティ広場へと進みます。


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ジョベルティ広場から振り返るとドゥオーモが見えました。


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ジョベルティ広場から南門に向かいます。


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南門を潜って城壁外に出ます。


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グロッセートに最初の城壁は12世紀に完成しました。
現在の城壁は、市域の拡大と防御力向上のために、トスカーナ大公コジモ1世・デ・メディチ(フィレンツェ、1519-1574)の命によって、1565年から1593年に建造されました。


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城壁はほぼ完全な形で残されてます。


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城壁外に設けられたParco Giochiです。


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城壁内に戻ります。


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城壁内に泊まるなら、このホテルがお勧めです。


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マッツィーニ通り


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Piazza Maestri del Lavaroにレストラン併設のホテルがあります。


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(つづく)

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Corso Giosue Carducciから広場に差し掛かるとドゥオーモが見えてきます。


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ドゥオーモ広場に入りました。


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ドゥオーモ広場に建つ、グロッセート司教区の司教座教会 Cattedrale di San Lorenzoです。


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現在、ドゥオーモが建っている場所にローマ時代初期に建設された壮大な神殿がありました。392年、テオドシウス帝によってキリスト教会が国教として認められると、神殿はサンタ・マリア・アッスンタ教会と呼称される初期キリスト教会に改修転用されるようになりました。この初期キリスト教会が現在のドゥオーモの前身です。


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グロッセートが属していた司教区司教座は12世紀前半までグロッセートの北10kmにあるロッゼレにありましたが、1138年、第164代教皇インノチェンツォ2世(ローマ、?-1143 在位:1130-1143)はグロッセートに司教座を移して、ローマ時代の神殿を転用したサンタ・マリア・アッスンタ教会の建物を取り壊して、その上に新しい建物を建設して司教座教会にすることを決定しました。


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そうして、当時の一流建築家ソッツォ・ディ・ルスティキーノが起用され、ソッツォの設計、工事監督によって、1294年に創建され、1302年に完成した建物が現在の姿の原形となってます。
14世紀初めに奉献式が執り行われ、それを機に聖ロレンツォ司教座教会と改称されました。


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再建された建物のファサードは、1338年から1340年に建設されましたが、19世紀初めには経時劣化によって一部危険となったので、1840年から1845年にかけて、現在の赤と白の大理石を組み合わせて改修工事が行われました。
現在のファサードは、この改修後の姿であり、少し新しく見えます。


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バラ窓


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16世紀に追加されたランタン


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四福音書記者の彫刻は、アゴスティーノ・ディ・ジョヴァンニ(シエナ、1285c-1347c)とその息子ジョヴァンニ・ディ・アゴスティーノ(シエナ、1310-1348)によって1320年から1340年に制作されました。
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタの彫刻


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聖ルカ


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聖マルコ


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聖マッテオ


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ダンテ広場から見た右側外壁


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サイドポータル上ルネッタの「聖母子」の彫刻は、レオポルド・マッカリ(1850-1894?)によって制作されました。


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右側壁に描かれた日時計のフレスコ画は、アルナルド・マッザンティ(ミラノ、1939-)によって1983年に制作されました。


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グロッセートの紋章


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1402年に建設された鐘楼です。


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形の聖堂内部です。創建当時のロマネスク・ゴシック様式の構造を維持してますが、その後に行われた修復、改修を経ていて、創建時の姿を想像できません。
現在の姿は、1856年から1865年に行われた改修後のものです。


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身廊中央通路から見た右側廊方向


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聖堂の構造図


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左側廊


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右側廊


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主祭壇と後陣


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主祭壇は、ジョヴァンニ・アントニオ・マッゾ―リ(1639-1714)によって1692年に制作されました。


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彩色磔刑像が必見です。


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ロレンツォ・ディ・ピエトロ通称イル・ヴェッキエッタ(シエナ、1410-1480)に帰属する「彩色磔刑像」(15世紀後半)


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マドンナ・デッレ・グラツィエ礼拝堂です。


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マッテオ・ディ・ジョヴァンニ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1430-シエナ、1495)の「聖母と天使たち」(1470)


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サン・ロレンツォ礼拝堂です。


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詳細不知の「羊飼いの礼拝」


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かなり出来が良いと思います。


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詳細不知


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十字架の礼拝堂です。


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制作者情報不知の「木製磔刑像」(15世紀)


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詳細不知の礼拝堂
(つづく)

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グロッセート駅に到着しました。


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グロッセートは、人口82,378人(2019年12月31日現在)のトスカーナ州グロッセート県の県都です。マレンマ地方の中心都市です。


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グロッセート鉄道駅の駅舎です。


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駅近くのホテルにチェックインしました。
変わりやすい天気の日で、自室に10分ほどいるうちに雨が降ってきました。


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俄雨が上がったので、街歩きに出発しました。


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トリエステ通りを右折します。


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ローマ通りに入りました。


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駅から旧市街を囲む城壁まで徒歩5,6分ほどかかります。


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旧市街はもう直ぐです。


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Piazza Fratelli Rosselliに面して建つPalazzo del Governoです。


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Piazza Fratelli Rosselliに面して建つ郵便局の建物です。


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11月4日通りです。


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1908年から1913年に建設された、ネオ・ゴシック様式のVillino Pastorelliです。


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グロッセートで活躍した建築家ロレンツォ・ポルチャッティ(カナ、1864-グロッセート、1928)の傑作とされているVillino Pastorelliです。


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城壁が見えました。


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1925年から1939年に建設されたCasa del Fascioと時計塔です。マレンマ地方ファシズムの中心地でした。


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グロッセートの城壁は、殆ど無傷で残っている城壁の稀な例の一つです。


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城壁内に入りました。ここにあった城壁は、1939年から1941年に取り壊されました。


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1912年にBanca Monte dei Paschi di Sienaが建設したPalazzo del Monte dei Paschi di Sienaです。


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Corso Giosue Carducciを進みます。


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写真左の建物は、1911年に建設されたPalazzo del Genio Civileです。


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Corso Giosue Carducciに面して建つ、ロマネスク様式のサン・ピエトロ教会です。


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9世紀に遡るグロッセート最古の教会です。1188年に文書に、教会の存在が初めて記載されたそうです。


1
サン・ピエトロ教会の後陣です。


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サン・ピエトロ教会の後方に建っているのは、1634年に建設されたルネサンス様式のサンタ・キアーラ教会です。現在はビギ教会と呼ばれることが多いようです。


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サンタ・キアーラ教会は、Via Vinzaglioに面して建ってます。


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サンタ・キアーラ教会から見たサン・ピエトロ教会の後陣です。


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サン・フランチェスコ教会です。拝観は後でゆっくりすることにしました。


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マレンマ博物館は午後に入館することに。


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街の中心ドゥオーモ広場に向かいます。


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Corso Giosue Carducciに戻りました。


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Palazzo del Genio Civileのフレスコ装飾を見ます。


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Corso Giosue Carducciを更に進みます。


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城壁内を縦貫するメイン通りです。


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写真左は市庁舎です。


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街の中心ドゥオーモ広場にやってきました。


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ドゥオーモです。
(つづく)

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ストロッツィ宮


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ストロッツィ広場


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私の趣味に合わない特別展開催が多いストロッツィ宮です。


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トルナブオーニ通りでしょうか?


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ヴィーニャ・ヌオーヴァ通りとスパーダ通りの端にある建物はPalazzo Dudleyです。


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エリザベス1世女王の息子ロバート・ダドリーが1613年に建設した、フィレンツェ亡命中の住居です。


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スパーダ通りを進みます。


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ニッコロ・ディ・トンマーゾ(フィレンツェ、1339‐1376記録)の「Tabernacolo di San Sisto papa」


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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場に向かってます。


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フィレンツェ・カードを持っているので、簡単に拝観する予定です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場


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広場に面してホテルが幾つかあります。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂については既に取り上げました。


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聖堂内に入りました。


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20分ほどの拝観でしたが、それでも大満足でした。


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駅の方に向かいます。


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ウニタ・イタリア広場のオベリスク


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サンタ・マリア・ノヴェッラ駅


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駅横のホテルに戻ります。


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ホテルに戻りました。


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夜の散歩に出ました。


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この夜で暫しのフィレンツェとのお別れです。


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翌朝です。


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帰国の朝を迎えました。


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バスでフィレンツェ・ペレトーラ空港に向かいます。


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空港に到着しました。


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必見です。


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空港にトリッティコがあるのはフィレンツェだけと思います。


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フィウミチーノ空港目指して搭乗です。


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キリが良いので、この辺で終わりにしましょう。


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(おわり)

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コルソ通りに入りました。


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Torre dei Donati


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12世紀から13世紀に建てられた塔です。ドナーティ家とライバル関係にあったチェルキ家のチェルキの塔が直ぐ近くにあります。2本の塔は白派と黒派の争いの象徴です。


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写真右の教会を拝観します。


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通称マドンナ・デイ・リッチ教会、正式名サンタ・マルゲリータ・イン・サンタ・マリア・デ・リッチ教会です。


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現在の教会の近くにあったオステリアで賽子賭博をやっていたアントニオ・リナデルスキという若者はがいました。賭博に負けてオステリアを出たアントニオは、その腹いせに、馬糞を拾ってマドンナ・デイ・リッチのタベルナコロに馬糞を擦り付けて汚したのです。アントニオは逮捕されてバルジェッロ宮で吊るされました。
馬糞で汚されたタベルナコロの修復のために、リッチ家の後援によって1508年に建設されたのが、この教会です。


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1610年、建築家ゲラルド・シルヴァーニ(フィレンツェ、1579‐1675)によって柱廊が追加されました。


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1769年から1772年にかけて、建築家ガノービ・デル・ロッソ(フィレンツェ、1724‐1798)によって、内装が現在の後期バロック様式に改装されました。


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柱廊の入り口


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教会への入り口扉上の装飾


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教会への入り口
毎晩のように中で演奏会が行われています。


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中に入りました。


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単廊式、後期バロック様式の内部です。


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左右の側壁に、それぞれ2つの礼拝堂があります。


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天井


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天井のフレスコ画は、ロレンツォ・デル・モーロ(フィレンツェ、1677‐1735)の「聖母被昇天」


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主祭壇を見ます。


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主祭壇


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サンタ・マリア・デリ・アルベリージの受胎告知


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後陣のステンドグラスは、フランチェスコ・マーティ(1561‐1623)の「受胎告知」


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後陣ヴォールトのフレスコ画は、ロレンツォ・デル・モーロ(フィレンツェ、1677‐1735)によって描かれました。


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ステファノ・アミゴーリ(フィレンツェ、1757‐1812)の「聖マルゲリータの物語」(18世紀)


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ステファノ・アミゴーリ(フィレンツェ、1757‐1812)の「聖マルゲリータの物語」(18世紀)


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詳細不知の「磔刑像」


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フィリッポ・ドルチャ―ティ(フィレンツェ、1443‐1519)の「アントニオ・リナデルスキの愚行」(1501)


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詳細不知


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品(1707)


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品(1707)


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詳細不知


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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詳細不知


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フランチェスコ・マーティ(1561‐1623)の「受胎告知」


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主祭壇前から見た出入口方向


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ファサード裏の聖歌隊席にあるオルガン(1989)


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外に出ました。


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共和国広場に向かいます。

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共和国広場に行く前に一休み


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この店でジェラートを食べました。


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共和国広場に帰ってきました。


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あちこち歩いて足が棒のよう。


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すっかり夕方です。


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(つづく)

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サンタ・クローチェ聖堂を出て、広場を見ます。


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広場の元は、アルノ川の2つの流れに挟まれた中洲の島でした。


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1226年から1228年にフィレンツェにやってきたフランチェスコ会に対して、都市国家フィレンツェはその活動拠点として中洲の島を与えました。


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フランチェスコ会修道士と、修道士の説教を聞いた信者によって、アルノ川の流れが変えられ、埋め立てられ陸地となりました。その埋め立てられた広大な土地の一部が広場です。


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広場はカルチョの競技場など多くの催事が行われる場所でした。


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広場に面して歴史的建造物が建ち並んでます。


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1485年から1490年に、14世紀の基礎部分の上に建設されたPalazzo Cocchi- Serristoriです。


1142
Palazzo Cocchi- Serristoriに向かって左の建物は、14世紀に建設されたCasa Chivacchiです。
その右(写真では左側)の建物はペルッツィ家が所有していたPalazzo Bartolini Baldelliです。


1140
写真右端の建物はCasa Benvenuti Gallettiです。1427年の記録に記載されている建物ですが、現在の姿は16世紀の改修後のものです。


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一つ一つ触れて行くとキリがありません。


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写真左手前の建物はPalazzo Borghiniです。文学者、哲学者だったラファエッロ・ディ・ドメニコ・ボルギーニ(1537-1588?)が1552年に購入して1558年まで住んでいました。建物の名称は彼に由来します。


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フレスコ画で有名な建物があります。


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Palazzo dell'Antellaです。


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14世紀に建設され、16世紀後半に現在の規模に増築されました。


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17世紀初頭、この建物はNiccolo dell' Antellaによって購入されました。持ち主となったニッコロは、広場に面した外壁をフレスコ画で装飾することにしました。


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そうして、建築家でデザイナーのジュリオ・パリージ(フィレンツェ、1571-1635)の原案に基づき、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァル・ダルノ、1592-フィレンツェ、1636)によって1619年から1620年にかけて制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画は、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ1人によって制作されたものではなく、ジョヴァンニの指示監督のもとに13人の画家が制作に参加しました。


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制作に加わった13人の画家ですが、ドメニコ・パッシニャーノ通称イル・パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559-フィレンツェ、1638)、マッテオ・ロッセリ(フィレンツェ、1578-1650)、ミケランジェロ・チンガネッリ(セッティニャーノ、1558-フィレンツェ、1635)など現在まで名前が知られている画家たちがいました。


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広場だけでもじっくり見ようとすれば、小一時間必要でしょう。


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広場から去る前に、もう一度サンタ・クローチェ聖堂を見ました。


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高さ94mのヴェッキオ宮の塔が見えます。


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Via dell' Anguillara


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この通りを真直ぐ進めばサン・フィレンツェ広場に出ます。


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この付近にローマ時代の円形劇場があったそうです。


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写真右の建物にタベルナコロがあります。


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聖母子のタベルナコロ


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次はサンティ・シモーネ・エ・ジュダ教会です。


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サンティ・シモーネ・エ・ジュダ教会です。扉が開いているように見えました。


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ところが入り口前にロープが張られて立ち入り禁止の表示が・・・・・
残念ですが、仕方がありません。


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入口扉上ルネッタのフレスコ画は、ニコデモ・フェルッチ(フィエーゾレ、1575-フィレンツェ、1650)の「聖母子と聖シモーネと聖ジュダ」です。


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Via dell' Isola delle Stinche


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ギベッリーニ通り


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この通りを真直ぐ進めばバディア・フィオレンティーナ教会に出ます。


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写真右は新古典様式のボルゲーゼ宮です。


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写真左はバルジェッロ宮です。


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これが何なのか、私には分かりません。


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ギベッリーニ通りを右折してVia Giraldiに入ります。サン・プロコーロ教会がお目当てです。


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13世紀に建設された、ロマネスク様式のサン・プロコーロ教会です。


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色褪せているファサードのフレスコ画
サン・プロコーロ教会はかって美術品の宝庫でした。現在、それらはフィレンツェのアカデミア美術館、ウフィツィ美術館で見ることが出来ます。


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こちらはVia de' Pandolfiniで、Via Giraldiと交差してます。


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Via Giraldiの突き当りにあるのは、Palazzo Ramirez de Montalvoです。


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ナポリ副王の娘エレオノーラ・ディ・トレドに従ってフィレンツェに来たアントニオ・ラミレスは、コジモ1世の召使になりました。大変有能でコジモ1世に気に入られ、その恩賞としてコジモ1世から、この場所の建物を贈られました。
1568年、コジモ1世の肝いりでバルトロメオ・アマンナーティの設計によって建設されたのがPalazzo Ramirez de Montalvoです。ファサードの装飾はジョルジョ・ヴァザーリによるものです。


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Borgo di Albizi
(つづく)

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サンタ・クローチェ聖堂に向かっていました。


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Chiesa Evangelica Metrodista (メソジスト福音派教会)です。


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11世紀の記録にその存在が記載されていたサン・ヤコポ教会が前身です。現在の建物は17世紀に再建されたものです。
1808年、教会と併設の修道院が閉鎖され、兵舎に転用されました。その後、建物はメソジスト福音派に渡され、孤児院として使用されました。
1946年にメソジスト福音派教会となり、現在に至ってます。


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ベンチ通りです。写真右手前の建物はPalazzo Albertiです。


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写真右の建物はCasa Albertiです。


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写真左の建物はPalazzo Albertiです。


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サンタ・クローチェ聖堂の直ぐ傍にやってきました。


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Arco dei Peruzzi


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Palazzo Mellini- Fossiが写ってます。


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Palazzo Mellini- Fossiです。
この建物周囲のベンチ通りにはアルベルティ家の建物が並んでいました。Palazzo Mellini- Fossiに建っている場所には、15世紀に建設されたアルベルティ家の建物がありました。
1456年、建物はドゥッチョ・ディ・ノフェーリ・メッリーニに売却されました。現在の建物は、ドゥッチョが15世紀末から16世紀初めに再建したものです。伝統的にミケランジェロの設計と言われてますが、現在ではミケランジェロの設計ではないというのが定説のようです。


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ファサードの壁に描かれたフレスコ画が有名です。


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フランドルのあまり知られていない画家ジョヴァンニ・ストルフによって1575年に制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画のテーマは「ダナエとペルセウスの神話」です。


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メディチ=ハプスブルクの紋章


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ペルセウスとアンドロメダ


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サンタ・クローチェ広場にやってきました。


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毎年拝観しているサンタ・クローチェ聖堂です。


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ファサードの横前にあるエンリコ・パッツィ(ラヴェンナ、1818-フィレンツェ、1899)の「ダンテのモニュメント」(1865)


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ファサードを見ます。


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フランチェスコ会の紋章


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聖堂内に入ります。


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サンタ・クローチェ聖堂に付いては既に取り上げました。


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ミケランジェロの墓


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外に出ました。
(つづく)

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パラティーナ美術館から外に出ました。


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ヴァザーリの回廊


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バルディ通り


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トッリジャーニ川岸通りに出ました。


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対岸のウッフィツィ美術館


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ヴァザーリの回廊


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1858年から1860年に建設された新古典様式のPalazzo del BorsaとHotel Balestri


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ウフィッツィ美術館の横にあるMuseo Galileo


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トッリジャーニ川岸通りをグラツィエ橋に向かって進んでます。


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ヴェッキオ橋


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グラツィエ橋


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歩道が完備されているトッリジャーニ川岸通りです。


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振り返ってヴェッキオ橋方向を見た所。


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教会の建物が見えてきました。


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次はバルディーニ美術館です。


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サンタ・クローチェ聖堂の鐘楼が写ってます。


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Chiesa Evangelica Luterana (福音派ルーテル教会)


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1901年に建設された新古典様式の建物です。この教会には美術的な見所が皆無です。


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グラツィエ橋


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次を右折すればバルディーニ美術館です。


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2,3年毎に訪れているバルディーニ美術館です。


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バルディーニ美術館に入館しました。


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ピエトロ・ネッリの作品


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ルカ・ディ・トンメの作品(1378‐80c)


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ミケーレ・ジャンボノの作品(1425‐50c)


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ベルナルド・ダッディの作品(1340‐50c)


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バルディーニ美術館に付いては既に取り上げました。


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バルディーノ美術館を後にしました。


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グラツィエ橋を渡ります。


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相変わらずの愚行を再見。


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こんなことをやるなんて・・・・・


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グラツィエ橋からの景観


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橋の上からサン・ミニアート・アル・モンテ教会が見えました。


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グラツィエ橋を渡り切りベンチ通りに入りました。


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街角のタベルナコロがあります。


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聖母子と修道女


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18世紀後半のフィレンツェの逸名画家の作品です。


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ホーン美術館に入館しました。


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ホーン美術館は写真不可なので写真がありません。


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ベンチ通りの奇妙な形の建物はアルベルティ宮です。


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(つづく)

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色々と物色しましたが、玩具っぽいので買うのを止めました。


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次はサンタ・マリア・イン・カンポ教会です。


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サンタ・マリア・イン・カンポ教会はこの日も扉が閉まっていました。


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騙し絵の窓


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ポル・サンタ・マリア通り


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犬の水飲み場


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ヴェッキオ橋を渡ります。


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交差するアッチャイオーリ川岸通りを越えます。


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アッチャイオーリ川岸通り


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ヴァザーリの回廊


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アルノ川


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ヴァッキオ橋の上です。


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橋の中央付近からアルノ川の写真を撮ることが出来ます。


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観光ポイントです。


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ラッファエッロ・ロマネッリ(フィレンツェ、1856-1928)の「ヴェンヴェヌート・チェッリーニ像」(1901)
ヴェンヴェヌート・チェッリーニ(フィレンツェ、1500-1571)の生誕400年を記念して、1900年にロマネッリに注文された作品です。


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サンタ・トリニータ橋


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ウフィッツィ美術館が見えます。


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グラツィエ橋


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振り返ってドゥオーモ方向を見ました。


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宝飾品店が並んでます。


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ヴァザーリの回廊


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何気に店を覗いていたら、何と2万€以上の首飾りを買った人がいたのでビックリ。売れるから店を構えているのだから当然ですが・・・・・


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Torre dei Mannelli


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ヴェッキオ橋の両岸四隅に、防御のための塔がありましたが、唯一残っているのがこの塔です。
1565年、ヴァザーリの回廊を建築する際、回廊を真直ぐに建てるために塔の改築、移動、または解体が、当時塔を所有していたマンネッリ家に提案されましたが、同家はいずれも拒否したので、回廊は已む無く塔を避ける形で建てられました。


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塔を避けるために回廊が前に張り出してます。


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サンタ・フェリチータ教会


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ピッティ宮にやってきました。


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パラティーナ美術館に入館します。


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パラティーナ美術館に付いては既に取り上げました。


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ルカ・シニョレッリの作品


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カラヴァッジョ


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カラヴァッジョ


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ラッファエッロ・サンツィオ


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ティツィアーノのラッファエッロ作品の複製画です。


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ティツィアーノ


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何度入館しても飽きることがありません。いつも新鮮な感動を覚えます。
(つづく)

004
6Aのバスに乗ってサン・サルヴィ教会に向かいました。


011
サン・サルヴィ教会はこの日も閉まっていました。旧サン・サルヴィ修道院に向かいました。


010
旧サンサルヴィ修道院の建物です。修道院の食堂にアンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」があります。


007
アンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」
このフレスコ画を中心に祭壇画などが展示され、アンドレア・デル・サルトの最後の晩餐美術館となってます。
美術館に付いては既に取り上げました。


037
郊外から旧市街に戻ってきました。


038
アッカデミア美術館は相変わらずの大混雑でした。


049
後日、予約があるので、この日はアッカデミア美術館に入館しませんでした。


051
次はサンティ・シモーネ・エ・ジュダ教会です。


052
残念! この日も扉が閉まっていました。最近、拝観したことがありません。


053
案内板への落書きは困ります。


054
次はホーン美術館です。


055
ホーン美術館に入館しました。


060
ホーン美術館に付いては既に触れました。


057
隔年に来ることにしている美術館です。


064
フィレンツェそのものと思わせる佇まい。


065
この道を真直ぐ進めばヴァッキオ宮に出ます。


066
ランツィのロッジャが見えている。


068
ウフィッツィ美術館に入館しました。


071
6時間くらい中にいたので、流石に疲れました。


072
傑作疲れの面もありました。


076
フィレンツェは大賑わいでした。


077
行く所、見るのは何時も同じです。


078


115
サン・フィレンツェ広場に来ました。


116
15世紀にジョヴァンニ・ダ・マイアーノの設計によって建設されたPalazzo Antinoriです。


121
サンティ・ミケーレ・エ・ガエターノ教会です。


108
サン・ロレンツォ聖堂です。


123
ストロッツィ宮


137
ヴェッキオ橋


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夕方になって、ロッジャ・ディ・ビガッロにやってきました。


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ロッジャ・ディ・ビガッロの外壁のフレスコ画は、ヴェントゥーラ・ディ・モーロ(フィレンツェ、1395/1402-1486)とロセッロ・ディ・ヤコポ・フランキ(フィレンツェ、1376/1377-1456)による「聖ピエトロ・マルティーレの説教」(1444)です。


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外壁にある聖母子の彫刻


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判別不能のフレスコ画もヴェントゥーラ・ディ・モーロとロセッコ・ディ・ヤコポ・フランキ2人による作品でしょうか?


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アルベルト・アルノルディ(フィレンツェ、1364-?)の「聖母子と2聖人」


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ここは観光案内所でもあり、ビガッロ美術館でもあります。


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Maestro del Bigalloの「磔刑」(1250c)


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美術館の中には入ることが出来ませんでした。


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観光案内所から外に出ました。


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街角のタベルナコロがあります。


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「受胎告知」の保護のガラス板が邪魔です。


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非常に楽しい街歩き。


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しかし疲れます。


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(つづく)

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次はダンテの家博物館です。


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コルソ通りからサンタ・マルゲリータ通りに入ります。


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サンタ・マルゲリータ通りのアーチの上の壁にフレスコ画があります。


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これです。


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17世紀のフィレンツェの逸名画家作「受胎告知」


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サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会通称ダンテ教会を通り過ぎます。


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塔が見えます。


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Torre dei Giuochi


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矢印に従って博物館の入り口に回ります。


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塔の下に博物館の入り口があります。


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入口です。


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入館します。


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毎日開館しています。


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中に入るとダンテの顔のフレスコ画が迎えてくれます。


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この博物館の建物(塔ではありません)は、観光用に新しく建築されたものです。
13世紀中頃、フィレンツェは教皇派(グエルフィ)と皇帝派(ギベッリーニ)の熾烈な抗争が行われていましたが、1267年にグエルフィ支配となりました。しかし、グエルフィ内部では白派(ビアンキ)と黒派(ネーリ)の抗争が激化し、やがて教皇派と皇帝派の抗争を再燃させるような形態となってしまいました。
当時、フィレンツェは、6人のプリオーレ(最高執政官)と「正義の旗手」と呼ばれる議長からなる執政府によって統治されていましたが、ダンテはプリオーリを務めていました。
1300年、執政府は、黒派と白派の指導者を追放して収拾を図ろうとしました。ダンテは白派に属していました。しかし、教皇ボニファチョ8世が抗争に介入すると、1301年、フィレンツェは黒派の勝利となりました。優勢となった黒派は、恐怖政治を布き、白派の人々や建物への襲撃を行いました。
白派に属していたダンテはフィレンツェを追放され、二度とフィレンツェに戻ることなく没するまで亡命生活を送ったのです。
ダンテの家は、黒派によって破壊されたので現存しません。
「現存しないダンテの家を観光用に建てた『ダンテの家』の博物館」ということですから、この博物館の立ち位置が分かると思います。


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展示室は階上です。


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展示室に入りました。


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290‐オルヴィエート、1348)の作品です。


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この彫刻はダンテ・アリギエーリ(フィレンツェ、1265‐ラヴェンナ、1321)とは直接関係がないようです。
この博物館における美術的な見所はアンドレア・ピサーノの作品に尽きると思います。


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290‐オルヴィエート、1348)の「画家」


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Istvan Madarassy(ブダペスト、1948‐)の現代彫刻


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次の展示コーナーです。


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ダンテが生きていた時代の武器


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詳細不知


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ダンテの短剣


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ダンテが生きた時代の武装兵


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290‐オルヴィエート、1348)の「彫刻家」


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次の展示コーナーです。


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ダンテの最愛の人ベアトリーチェ・ポルティナーリは、ダンテのことを気持ち悪いと感じていた?


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次の展示コーナーです。


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ブルネット・ラティーニの紋章


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ブルネット・ラティーニ(フィレンツェ、1220c‐1294)は、作家、詩人、政治家、公証人でグエルフィに所属して、ダンテの理解者、支持者でした。


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ダンテの家系図


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次の展示コーナーです。


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グイディ家の紋章


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グイディ家は、中世の中央イタリアの名家で、Conti palatini di Toscanaとして知られ、トスカーナ、ロマーニャ、エミリアの殆どを支配していました。


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ダンテの著作


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外に出ました。
(つづく)

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ドゥオーモ広場にやってきました。


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この日のドゥオーモは大混雑でした。


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クーポラに上る人たちの行列です。


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中々行列が進みません。


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クーポラの展望台は狭いので、人数が制限されるし、展望台への通路は交互通行の場所があるので、時間がかかります。


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上っている人はそんなに多くなかったと思います。


386
クーポラを見つめるフィリッポ・ブルネッレスキ


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ブルネッレスキがクーポラをかけ終わったのが1436年でした。


387
アルノルフォ・ディ・カンビオ像


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アルノルフォ・ディ・カンビオに拠ってドゥオーモの建設が始められたのが1296年でした。


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Palazzo Strozzi di Mantova


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プロコンソロ通り


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次はサン・ベネデット教会です。


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これがサン・ベネデット教会の建物です。普通の家屋に見えるので意外に思われることでしょう。写真の1階の、向かって左部分がサン・ベネデット教会です。


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1032年の文書に教会の存在が記載されており、創建から200年はかなり勢力がありました。現在のドゥオーモの拡張に伴って、徐々に勢力が削がれ、やがて資産の殆どを失いました。現在の建物は1702年に建設されたもので、ごく小規模の教会になりました。


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通りの正面はBottega dell'Opera del Duomoです。


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ドゥオーモの壁龕などに置かれた彫刻の複製を主に行っている工房です。外に置かれた本物の彫刻は劣化が進んでいるので、その維持保存のために、この工房で制作された複製品に置き換えられてます。本物はドゥオーモ付属博物館に移されてます。


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ゼッキ画材店は昼休み中です。


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中世の作品修復に必要な、当時に使用された顔料、例えばカイガラムシを原料とする赤色顔料なども扱う専門店です。


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ドゥオーモ広場に戻りました。


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ファサードのルネッタ


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先ほどの工房で制作された複製彫刻です。


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ファサードの聖人彫刻は全て複製品に置き換わったそうです。


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次はResidenza dell'Arte dei Beccai (食肉組合館)です。この場合のarteは、ギルドの意味です。


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カルツァイウォーロ通り


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サン・カルロ・ディ・ロンバルディ教会


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オルサンミケーレ教会の横を通ってResidenza dell'Arte dei Beccai に向かいます。


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Residenza dell'Arte dei Beccai はオルサンミケーレ通りに面して建ってます。


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Residenza dell'Arte dei Beccai (食肉組合館)です。


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オルサンミケーレのカピターノを務めていたマッチ家の邸宅として14世紀に建設されました。
その後、食肉組合の所有となり、1534年まで同組合の本拠地でした。


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その後、建物の所有者が何度も変わりました。
1974年からAccademia della Arti del Disegnoの建物になって、現在に至ってます。


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ファサードの紋章は建物の代々の所有者のもので、その変遷を物語ってます。


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写真最上部の紋章は食肉組合のものです。


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Accademia della Arti del Disegno所有の作品が展示されているので、美術ファンにとっては必見です。


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入館無料です。中に入ると、ポントルモのフレスコ画が目に入ります。


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ヤコポ・カルッチ通称イル・ポントルモ別称ヤコポ・ポントルモ(ポントルメ、1495‐フィレンツェ、1557)の「ボルドローネのタベルナコロ」(1521‐22)


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マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424c)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1395‐1400)


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フランチェスコ・ダントニオの「オルガン扉の天使たち」


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フランチェスコ・ダントニオの「オルガン扉の天使たち」


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詳細不知


P1460671
詳細不知


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ストロッツィ家の紋章


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ポントルモの「本の聖母」など他の作品が見当たりませんでした。


4
ポントルモと工房による「本の聖母」(1540‐45c)
外部サイトから作品画像を拝借しました。


P1460632
外に出ました。
(つづく)

P1460693
次は、オルサンミケーレ教会と連絡アーチで繋がっている建物です。(写真右端の建物)


P1830659
Palazzo dell'Arte della Lanaです。
中世の頃、アルテと呼ばれる商工業組合がありましたが、その中で最も力があった羊毛組合の建物です。


2
オルサンミケーレ通り、カリマーラ通り、アルテ・デッラ・ラーナ通りの角にあります。


P1460691
建設された当初はTorre di Compiobbesiと呼ばれていました。
12世紀末のフィレンツェは、都市貴族は派閥毎に徒党を組んで塔を構えた要塞のような館を建設して、反対派と対抗していた物騒な時代でした。
その貴族の中に、フィエーゾレのコンピオッビ出身のコンピオベッシ家が13世紀に建てたのがTorre di Corso Donatiです。


P1460678
やがて有力貴族がグエルフィ(教皇派)とギベッリーニ派(皇帝派)の二派に分かれて激しい抗争を繰り返しました。
1266年のベネヴェントの戦いによって、グエルフィが勝利すると、ギベッリーニに属していたコンピオベッシ家は、Torre di Compiobbesi、出身地のコンピオッビで所有していた城とサン・ミケーレ教会などの財産が没収されてしまいました。
1308年、建物は羊毛組合の所有となり、Palazzo dell'Arte della Lanaと呼ばれるようになりました。


P1460690
1569年、2つの建物を繋ぐ連絡橋がベルナルド・ブオンタレンティ(フィレンツェ、1531‐1608)の設計によって建設されました。
現在、オルサンミケーレ美術館に入館するための通路になってます。


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1905年、Societa Dantesca Italianaの所有となり、現在に至ってます。


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16世紀、パラッツォの2階は、コジモ1世によって公証人の記録保管所になりました。


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次はタベルナコロを見ます。


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建物の下の方にタベルナコロがあります。


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Tabernacolo di Santa Maria della Trombadesu


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タベルナコロの上にタルガがあります。


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ダンテのタルガ「神曲をかざすダンテ」です。
原画は、フィレンツェ大聖堂にあります。


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ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417‐1491)の「神曲をかざすダンテ」
これが原画です。


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さて、タベルナコロですが、元からここにあったものではありません。
カリマーラ通りとメルカート・ヴェッキオ広場(現在の共和国広場)の間に、1321年に建設されたアルテ・ディ・メディチ・エ・スぺツァーリ(医師・薬種商組合)の礼拝堂が前身です。


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礼拝堂は店に転用されましたが、17世紀にタベルナコロとして再建されました。
19世紀にタベルナコロは破壊されてしまいましたが、破壊された断片を使用して1905年に現在の場所に復元されたものです。


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中に絵画があります。


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中の絵画の写真を撮ろうとしましたが、中々上手くいきません。


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絵画は、17世紀にタベルナコロとして再建された時にあったものではなく、20世紀初めにこの場所で復元された時に美術館から移設されたものです。


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聖母戴冠の制作者が14世紀のフィレンツェ派の画家とされてますが、現在ではニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニの作品とされているようです。


1
ヤコポ・デル・カゼンティーノ(プラートヴェッキオ、1297c‐1349c)の「聖母子と聖人たち」(1347以前)
(外部サイトから拝借した作品画像)


2
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ(フィレンツェ、1368から記録‐1415没)の「聖母戴冠」(1380‐85)


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この日、Palazzo dell'Arte della Lanaの中に入ることが出来ませんでした。


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新市場のロッジャに向かいました。


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写真右奥に新市場のロッジャが見えてます。


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この辺は古い建物が多い。


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カリマーラ通り


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古い建物と思いきや、そうではありません。
1892年に建設されたPalazzo degli Angeliです。


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ランベルティ通り


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Mercato Nuovoのロッジャ


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ロッジャは16世紀中頃に建設されました。


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ロッジャにあるポルチェッリーノの泉
これは、ブロンズの複製です。
オリジナルは、ピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577‐フィレンツェ、1640)の大理石彫刻でピッティ宮にあります。


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このままヴェッキオ橋に行ってもやることがありません。


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戻ることにしました。


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次はサン・ビアージョ教会です。


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教会はペッリッチェリ通りにあります。


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ペッリッチェリ通りに入ると、直ぐに教会が見えます。


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サンタ・マリア・ソプラ・ポルタ教会とも呼ばれてます。


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1038年の文書に記載されている古い教会です。


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カロリング時代の城壁の南門ポルタ・サンタ・マリアに近かったことからサンタ・マリア・ソプラ・ポルタ教会と呼ばれていたのです。


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現在の建物は、13世紀半ばに再建された二代目のものです。


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教会は、1785年に閉鎖され、その後、教会としては一度も再開されることがありませんでした。
その後、19世紀に消防隊の宿舎に転用されましたが、現在はBibloteca di Palagio di Parte Guelfaとなってます。


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中にフレスコ画があるそうですが、中に入らずに終わりました。


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近くをぶらぶら歩きました。


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歴史ある建物ばかりですが、一つ一つ触れていては先に進みません。


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(つづく)

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Torre di Corso Donatiですが、どうしても同じ場所に来てしまいます。


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突き当りの建物のルネッタにフレスコ画があります。


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この建物です。旧教会?


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ルネッタのフレスコ画(詳細不知)


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パンドルフィーニ通りのタベルナコロ


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ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチ(フィレンツェ、1560‐ナポリ、1600)の「受胎告知」


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ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチは、ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニの弟子です。サンティ・ディ・ティートの強い影響を受けた画風でした。ナポリで没しましたが、彼の墓は、彼の頭蓋骨を使い、首下から足先までを彫刻にした、一度見たら忘れることが出来ない強烈溢れるものです。


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オルサンミケーレ教会に向かいました。


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ヴェッキオ宮の塔が見えてきました。


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塔のある建物


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裏通りを歩きました。


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サン・フィレンツェ広場に出ました。


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シニョーリア広場に入ります。


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シニョーリア広場はそれ程の混雑ではなかった。


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広場に奇妙なオブジェが無かったので安心しました。


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シニョーリア広場からカルツァイウォーロ通りに入れば、オルサンミケーレ教会が見えます。


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オルサンミケーレ教会です。


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7‐8世紀頃、広大な菜園を保有する女子修道院の小さな礼拝堂がありましたが、その礼拝堂が前身です。8世紀中頃、礼拝堂は拡充されてサン・ミケーレ・イン・オルト教会になりました。その教会名がなまってオルサンミケーレ教会となったそうです。


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1240年、教会は閉鎖され、教会の建物は穀物市場のロッジャに転用されました。市場は、1290年、アルノルフォ・デル・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1235c‐フィレンツェ、1302c)の設計によって再建されました。


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しかし、1304年7月10日に起きた火災によって、建物は焼失してしまいました。


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消失後、1350年に再建された建物が現在の姿の原形となってます。


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1360年頃、穀物市場を移転撤去して教会を作ることに決定され、教会に改造されました。


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1569年から、教会建物の最上階にトスカーナ大公コジモ1世が居住しました。


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外壁のニッチに置かれた彫刻が特徴です。
長年、太陽、風雨に晒されて、彫刻の劣化があることから、現在、オリジナルの場所にある彫刻は全て本物のコピーですが、コピー彫刻が置かれている壁龕はオリジナルのものです。
壁龕の彫刻は全部で13点ありますが、そのうち11点がオルサンミケーレ美術館、2点がバルジェッロ国立博物館で展示されてます。
外部に置かれたコピー彫刻を見て行きます。


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ドナテッロ作「聖マルコ」のコピー彫刻


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ニッコロ・ディ・ピエトロ・ランベルティ作「聖ヤコポ」の複製彫刻
日が当たってよく見えません。


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ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・テデスコ作「聖母子」のコピー彫刻


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バッチョ・ダ・モンテルーポ作「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」のコピー彫刻


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ヴェロッキオ作「聖トンマーゾの不信」のコピー彫刻


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ジャンボローニャ作「聖ルカ」の複製彫刻
本物はバルジェッロ国立博物館にあります。


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ロレンツォ・ギベルティ作「聖ステファノ」のコピー彫刻


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ロレンツォ・ギベルティ作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」のコピー彫刻


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ロレンツォ・ギベルティ作「聖マッテオ」の複製彫刻


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フィリッポ・ブルネッレスキとドナテッロ作「聖ピエトロ」の複製彫刻


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ナンニ・ディ・バンコ作「聖フィリッポ」の複製彫刻


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ナンニ・ディ・バンコ作「4聖人」の複製彫刻


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ドナテッロ作「聖ジョルジョ」の複製彫刻
本物はバルジェッロ国立博物館にあります。


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ナンニ・ディ・バンコ作「聖エリージョ」の複製彫刻
教会の中に入ります。


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面白い構造をしています。


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右側壁


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天井のフレスコ画


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アンドレア・オルカーニャによる主祭壇


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主祭壇画は、ベルナルド・ダッディの「聖母子と天使たち」です。


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外に出ました。
(つづく)

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次はサンタ・クローチェ聖堂です。


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街角のタベルナコロが見えてきました。


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街角のタベルナコロ


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かなり出来の良い「聖母子と2聖人」です。制作者、制作された時期などの詳細が不明です。


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地上階の窓が鉄格子で守られてます。これだけ頑丈にしないと危険?


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あのアーチを潜れば、サンタ・クローチェ広場は直ぐ傍。


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ジュゼッペ・ヴェルディ通り


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ラ・マレンマの前を通り過ぎます。どれを食べても美味しく、値段もリーズナブルなのでお勧めです。


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サンタ・クローチェ広場に来ました。


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サンタ・クローチェ聖堂を拝観しました。ここについては既に取り上げました。


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Via de'Benciを通ってホーン美術館に向かいました。
写真左は、1456年に建設されたPalazzo Mellini- Fossiです。


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写真左は、1260年から1266年に建設されたPalazzo Albertiです。


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ホーン美術館の建物が見えてます。


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ホーン美術館が置かれているPalazzo Corsiです。
元々は1357年以前にアルベルティ家によって建設された建物ですが、1489年にコルシ家に売却され、コルシ家によって1495年から1502年にかけてルネサンス様式に再構築された建物です。


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イギリス人の美術史家で、美術品収集家だったハーバート・パーシー・ホーン(ロンドン、1864‐フィレンツェ、1916)が個人収集した美術品を展示するために、1912年にコルシ宮を購入しました。
ホーン氏は、美術品と共にコルシ宮で過ごしましたが、1916年に没すると、建物と収集物はトスカーナ州に売却されました。


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収集物を管理し、展示するために財団が設立され、1921年に一般公開されるようになりました。


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美術館の入り口です。


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建物の装飾


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入館者は何時も少ないと思います。


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入館しました。
中は写真不可です。
作品画像がないと美術館の紹介は無理なので、外部サイトから主な展示作品の画像を拝借して載せておきましょう。


5
ジョット・ディ・ボンドーネ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ、1267c‐フィレンツェ、1337)の「聖ステファノ」(1320‐25)


4
ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280/1285c-1348c)の「3聖人」(1315c)


3
聖人


2
アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖女


6
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1512c)


7
ドメニコ・ベッカフーミ(モンテアペルティ、1486-シエナ、1551)の「聖家族と聖人たちのトンド」


8
ピエロ・ディ・コジモ(フィレンツェ、1461-1522)の「瞑想の聖ジローラモ」(1490-1500c)


9
フィリッポ・リッピ(フィレンツェ、1406-スポレート、1469)の「ピエタ」


10
マザッチョ(カステル・サン・ジョヴァンニ・イン・アルトゥーラ、1401-ローマ、1428)の「聖ジュリアーノの物語」(1424c)


12
ベノッツォ・ゴッツォーリ(フィレンツェ、1420c-ピストイア、1497)の「十字架降下」(1497)


13
ヤコポ・サンソヴィーノ(フィレンツェ、1486-ヴェネツィア、1570)の「聖母子」(1500-10c)


11
ドッソ・ドッシ(サン・ジョヴァンニ・デル・ドッソ、1468c-フィレンツェ、1542)の「音楽の寓意」(1485c)
有名芸術家の作品が揃ってます。


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外に出ました。


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多翼祭壇画の分解されたパネル作品が多いホーン美術館です。


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写真左はPalazzo Grifoni- Libriです。


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敷地面積によって税額が決まるので、それに対処するために工夫された建物です。


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Via de'Neri


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通りの突き当りがヴェッキオ宮です。


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相変わらずの混雑でした。


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街角のタベルナコロを見ます。


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アレッサンドロ・ゲラルディーニの「聖フィリッポ・ネリに顕現する聖母子」(17世紀末)


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(つづく)

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