イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: トスカーナ州

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引き続きサン・ロレンツォ教会です。フレスコ画を見ます。


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖母戴冠」


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殆ど落剝しています。


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制作者情報不知の「聖母子」


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14世紀に制作されたフレスコ画でしょう。


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碑文


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「二聖人」


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荒れるに任された時期があるます。


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この部分の剥離は少ないですが、状態が非常に悪いフレスコ画です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖ロレンツォ」(右上)、「聖アントニオ・アバーテ」(中央)(1456-57)


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この辺は保存状態が良い方です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖アントニオ・アバーテ」(1456-57)


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の天井フレスコ画(1456-57)


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描かれているのは聖人でしょうが、不鮮明です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「パドヴァの聖アントニオとシエナの聖ベルナルディーノ」(1456-57)


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「ピエタのキリスト」


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖人たち?」


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖ピエトロ」


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詳細不知


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖セバスティアーノの殉教」(1456-57)


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖セバスティアーノの殉教」(1456-57)


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖セバスティアーノの殉教」(1456-57)


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主祭壇前から見た出入口


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外に出ます。


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外に出ました。


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かなり疲れました。


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Palazzo d' Arnolfoの時計塔です。


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カヴール通りに入りました。


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まだ見てない所があります。


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持っている地図で次に行く場所を検討しましたが、疲れていたので、もういいや、と思いました。


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アルノ川、美術館に行き、ドゥオーモとサン・ロレンツォ教会を拝観したので、主だった所は十分楽しみました。


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駅に向かいます。


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やはり泊まる必要はなく、日帰り遠足で十分です。


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駅に着きました。
(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ編、おわり)

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次は、マザッチョ広場に面して建つサン・ロレンツォ教会です。


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ドゥオーモよりも歴史あるサン・ロレンツォ教会です。


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1296年、フィレンツェの前線基地としてカステル・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの旧称)が築かれた際に、Pieve di Cavrigliaのサポートを受けて現在地に小さな教会が建設されましたが、それが前身です。


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現在のゴシック様式の建物は、14世紀初頭に再建されたものが原形です。


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17世紀と19世紀に大規模な改造工事が行われましたが、左側の壁に加えたられた小規模な改造に留まって、14世紀初頭の外観をほぼ維持していると言われてます。


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入口扉上ルネッタにフレスコ画がありましたが、その痕跡さえも残されていません。


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傑作祭壇画が数点あったそうですが、売却されたり、隣のドゥオーモ付属美術館に移されたりして、現存するのは主祭壇画だけです。


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左側壁にタベルナコロがあります。


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タベルナコロ


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詳細不知の「聖母子」


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拝観します。


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中に入りました。


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左右非対称のゴシック様式の構造です。2度の大改造を経て、創建時からは随分異なるとされている内部です。


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右側に側廊があるので、珍しい二廊式になります。


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フレスコ画があったとされる身廊天井とPresbiterio天井は塗り潰されて味気なしです。


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主祭壇


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1399)に帰属する「聖母戴冠のポリッティコ」(1374c)


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帰属作品ではなく、ジョヴァンニ・デル・ビオンドの真作説もあるようです。


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メインパネルの聖母戴冠


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左パネルの聖人たち


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右パネルの聖人たち


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クスピデの磔刑


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右側廊


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右側廊後陣の礼拝堂


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詳細不知の磔刑像


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柱頭


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洗礼盤


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右側廊はフレスコ画で覆われてます。


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地元の人は、右側廊後陣の礼拝堂で祈りを捧げます。


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聖水盤


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(つづく)

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主祭壇画とその後方Presbiterioのフレスコ画が見所なので、これには困りました。


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急にパイプオルガンの大音響が・・・・・振り返ると女性が弾いてます。
誰もいないので、単なる練習と思いました。


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Presbiterioは立ち入り禁止でした。


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以前は垂れ幕がなかったのです。


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以前は、立ち入り禁止のロープがなく、Presbiterioのフレスコ画を見ることが出来ました。


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ジュリオ・パリージ(フィレンツェ、1571-1635)の「Antico Tabernacolo」


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1596年の火災で焼失した後の17世紀初めに拡大再建された際に制作されたものです。


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組み込まれた聖母子は他の画家の作品と思いますが、その詳細が分かりません。


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Presbiterioのフレスコ画は、この聖堂が建設された由来を説明するものです。


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ルベルト・ダ・モンテヴァルキ(ペルージャ、1460c-サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1523)の「Miracolo di Monna Tancia」


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ルベルト・ダ・モンテヴァルキは、ペルジーノの弟子でした。


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両親がペストで死んで、その乳児が残されました。


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叔母は乳を与えることが出来ません。


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サン・ロレンツォ門の祠に祈りを捧げると、奇跡が起きて乳が出るようになりました。


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これらをしっかり見ることが出来たのです。


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聖水盤
他の祭壇画を見て回ります。


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制作者情報不知の「聖心」


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制作者情報不知の「聖ジュゼッペの大工工房のキリスト」


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クーポラ


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制作者情報不知の「聖チェチリアと天使」


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フィレンツェ派逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタとウベルティの聖ベネデット」(17世紀)


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オルガン演奏が続いてました。


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アンニーバレ・ニッコライ(ヴォルテッラ?、1611c-フィレンツェ、1693)の「パドヴァの聖アントニオ」


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制作者情報不知の「ネオゴシック様式の祭壇前飾り、チントラの聖母と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」


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一見古そうな作品です。


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ピエトロ・マルケジーニ(ピストイア、1692-1752)の「ヨハン・カール・ロート作『聖ピエトロの死』のコピー画」


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アンジェロ・ファッブリーニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1853c-1889c消息)の「銭の貢ぎ」(1861)


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フィレンツェ派逸名画家作「磔刑」(16世紀末-17世紀初め)


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Presbiterioの天井フレスコ画


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制作者情報不知


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外に出ます。
(つづく)

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ドゥオーモの鐘楼とクーポラがサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅のホームから見えます。


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マザッチョ広場に面して建つサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのドゥオーモ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂です。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、フィエゾレ司教区に属してます。


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現在、聖堂が建っている場所に聖母を祀る小さな祠がありました。
ペストで両親を失った乳児は、Monna Taciaの甥でした。1478年、乳が欲しい泣く甥に困り果てたMonna Taciaは小さな祠に祈りを捧げると、所謂Miracolo di Monna Tanciaと称されることになる奇跡が起き、乳が出てきたのです。
その奇跡を聖母に感謝するために、1484年、Oratorio della Modonna delle Grazieの建設が始められ、1520年頃に完成しました。その祈祷所が現在の聖堂の前身です。


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その後、信者が増えたので拡張されて教会となりました。
1596年の火災によって建物の大部分が消失、崩落したので、17世紀に規模を拡大して再建されましたが、その建物が現在の姿の原形となってます。


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17世紀のファサードが経時劣化したので、ファサードが再建されることになりました。現在新古典様式のファサードは1840年から1856年に再建された二代目となるものです。


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第二次世界大戦の爆撃を受けたので、戦後に大修復工事が行われました。
1929年、第259代教皇ピオ11世(在位:1922-1939)によってBasilica Minoreに格付けされました。また、1986年、Santuario Marianoにランクアップされました。


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クーポラと鐘楼


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聖堂の入り口です。
写真正面の入り口は、聖堂本堂の入り口ではなく、奇跡の礼拝堂の入り口です。


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奇跡の礼拝堂入口上に彩釉テラコッタがあります。


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469-1529)の「チントラの聖母」(1513)


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保存状態が非常よいテラコッタです。


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彩釉テラコッタ下の入り口から奇跡の礼拝堂に入ります。


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一見、クリプタのように見えます。


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奇跡の礼拝堂です。


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Monna Taciaが奇跡を見たとされる祠を組み込んだ礼拝堂です。


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美術的な見所に欠けます。


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聖堂本堂は一階(日本の二階)にあります。


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地上から本堂に向かう階段が左右に設けられてます。
階段の途中に壁龕に描かれたフレスコ画があります。


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ファサードに向かって左の階段踊り場にあるフレスコ画です。


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保存状態が悪いフレスコ画です。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「受胎告知」(1621)


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最近修復されたようで、以前よりもマシになりました。


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次は向かって右の階段踊り場にあるフレスコ画です。


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こちらの方が保存状態が良いと思います。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖母の結婚」(1621)


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近年の修復の結果、かなり良い状態で蘇りました。


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驚くのは、階段踊り場の「聖母の結婚」は第二版に当たります。
最初に制作された「聖母の結婚」はドゥオーモ付属美術館にあります。既に紹介済みですが、その作品画像を再掲します。


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こちらが第一版の「聖母の結婚」(1621)です。


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何故第二版が制作されたのか、色々調べましたが私には分かりません。


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本堂入り口です。


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中に入ると、主祭壇の前に出ます。


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ビックリ、主祭壇が見えないようになっていました。


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三廊式です。


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新しく見えるのは、第二次世界大戦で大きな被害を受けたので、戦後に大修復されたからです。
(つづく)

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次の部屋です。


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グレゴリオ・パガーニの作品が2点並べられてます。


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グレゴリオ・パガーニ(フィレンツェ、1558-1605)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」と「聖ロレンツォ」


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グレゴリオ・パガーニは、画家の息子で、父に基本を習った後、サンティ・ディ・ティートに師事しました。その後、チゴリ工房に加わり、チゴリの協力者として腕を磨きました。


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日本では低評価のパガーニですが、16世紀第4四半世紀から17世紀初頭のフィレンツェを代表する画家とされてます。弟子にクリストファノ・アローリ、マッテオ・ロッセリなどがいました。


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祭壇前飾りです。


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「父なる神と天使たち」(1597)


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マッテオ・ニゲッティ(フィレンツェ、1570-1648)とヤコポ・パゴリーニ(パオリーニとも称す)(カステル・フィオレンティーノ、?-16世紀末没)の作品です。


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ジョヴァンニ・マンノッツィ通称ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「幼きキリストと聖ジュゼッペ」(1630)


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ジョヴァンニ・マンノッツィ通称ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1620)


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニの代表作とされている傑作です。


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カラヴァッジョの作品を多分見たことがないと思われるジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニですが、表現が少し似ていると思います。


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天使の燭台(1690c)


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隣のサン・ロレンツォ教会にありました。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖母の結婚」(1621)


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このような美術館の定番とも言うべき展示物ですが、興味がありません。


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坊主の装束


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外に出る前に、この作品前で暫し熟視。


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外に出ました。
(つづく)

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お目当ての作品です。


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この展示室で唯一の展示作品です。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知」(1432c)
10年ほど前まではベアート・アンジェリコの帰属作品とされていましたが、近年になって研究が進んで、真作とされるようになりました。しかし、今なお異論を出す研究者などがいます。


p1780334ベアート・アンジェリコが完成させてから1438年まで、この作品の行方が不明とされています。
確実なことは、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの郊外モンテカルロのサン・フランチェスコ修道院に1438年から20世紀末まで、この作品が置かれていたことです。
最も相応しいとされる推論は、アンジェリコが制作したのは受胎告知部分だけで、裾絵はアンジェリコの協力者で、フィレンツェの名家ストロッツィ家の一員ザノービ・ストロッツィによって描かれたのですが、裾絵制作のために、何処かにあったという説です。
(写真は、モンテカルロのサン・フランチェスコ修道院)
ベアート・アンジェリコは、大画面の受胎告知を3点制作したことが分かってます。
第一作は、コルトーナの教区美術館にある、所謂コルトーナの受胎告知(1430c)です。
第二作が、このサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの受胎告知(1422c)とされてます。
第三作が、プラド美術館にある、所謂プラドの受胎告知(1435)です。
参考までに、コルトーナとプラドの作品画像を載せておきましょう。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知(コルトーナの受胎告知)」(1430c)
コルトーナのジェズ教会にありました。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1495c-ローマ、1455)の「受胎告知(プラドの受胎告知)」(1435)
フィエゾレのサン・ドメニコ修道院にありましたが、1611年にスペイン国王に売却されて、スペイン王室所有となりました。
ベアート・アンジェリコの受胎告知では、フィレンツェのサン・マルコ修道院にある2点のフレスコ画が有名です。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知(サン・マルコの受胎告知)」


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知」
フィレンツェ、サン・マルコ修道院の第3僧房にあります。


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サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの作品に戻ります。


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父なる神


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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プレデッラを見ます。
前述のようにプレデッラは、ベアート・アンジェリコの協力者だったザノービ・ストロッツィ(フィレンツェ、1412-1468)によって描かれました。
裾絵ですが、「キリスト生誕」の部分が欠落していると言われてます。


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聖母の結婚


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ご訪問


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マギの礼拝


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キリストの神殿奉献


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聖母の死


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詳しく見ます。


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サイズは、縦195cm、横158cmです。


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受胎告知と父なる神がベアート・アンジェリコの作品です。


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大天使ガブリエーレ


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金が使われてます。


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左上部分に注目です。


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左上にアダムとイヴの楽園追放が描かれてます。


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聖母マリア


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父なる神


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プレデッラ


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聖母の結婚


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ご訪問


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マギの礼拝


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キリストの神殿奉献


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聖母の死


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(つづく)

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15世紀のフィレンツェの逸名画家作「パドヴァの聖アントニオ」


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上部ルネッタは受胎告知です。


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注文者は特定されてません。


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描かれている注文者は多分夫婦でしょう。


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ヤコポ・デル・セッライオ(フィレンツェ、1441-1493)の「受胎告知」(1472c)


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ヤコポ・デル・セッライオは、フィリッポ・リッピの弟子でした。


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プレデッラ


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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プレデッラ


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幼きキリストを崇拝する聖母


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聖セバスティアーノ


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「玉座の聖母子と四聖人」


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アレッサンドリアの聖カテリーナと聖ジョヴァンニ・バッティスタ


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ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417-1491)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1450-60c)


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ドメニコ・ディ・ミケリーノは、ベアート・アンジェリコの強い影響を受けた画家です。本名ドメニコ・ディ・フランチェスコでした。ミケリーノ・ディ・ベネデットに師事しましたが、師匠から技量卓越が認められ、師匠の名前ミケリーノの使用が許されたことで、ドメニコ・ディ・ミケリーノを名乗ったとされてます。
ヴァザーリに拠れば、ベアート・アンジェリコの弟子とされてます。


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聖人が特定されてます。


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聖アントニオ・アバーテ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖マルゲリータ


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聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖マルゲリータ


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聖マルゲリータ


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聖母子


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聖ヤコポ、聖マリア・マッダレーナ


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聖マリア・マッダレーナ


p1780331
聖ピエトロ・マルティーレ


P1780019


P1780020
17世紀のトスカーナの金工家作「行列用十字架」(17世紀)


P1780021



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p1780332


P1780022


P1780023


P1780024
(つづく)

P1770960
文書です。


P1770961
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所の1712年から1734年の決議と状況について記した記録文書です。


p1780283
筆記体の文書を読むのが苦手です。


P1770962


P1770964
フィレンツェの逸名彫刻家作、またはナンニ・ディ・バルトロ通称イル・ロッソ(フィレンツェ、1419-1437活動記録)作かもしれない「聖ロレンツォ」


p1780284


P1770965
ナンニ・ディ・バルトロ通称イル・ロッソはドナテッロの弟子でした。


P1770967
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所の記録文書です。


p1780285
日によって違うページが開かれてます。


P1770968
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所記録文書の1484年から1655年の章です。


P1770971
ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖母子」


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「音楽天使たちの合唱」(1440-50c)


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パオロ・ディ・ステファノ・バダローニ通称パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397-ピサ、1478)の「聖ビアージョ」


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「トラヤヌス帝と未亡人の物語」(1430-40c)


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マリオット・ディ・クリストファノ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1395c-フィレンツェ、1457)の「聖母と聖ルチアとキリスト」(1420-25c)


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プレデッラの聖アゴスティーノ


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大天使聖ミケーレ


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聖エレモシア
(つづく)

サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのドゥオーモ付属美術館 Museo della Basilica di Santa Maria delle Grazieについては既に書きましたが、改編して再度アップすることにします。
P1770896
マザッチョ広場に面して、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂(写真右)とサン・ロレンツォ教会(写真左)の2つの教会が建ってます。


P1770905
2つの教会に挟まれた建物が司祭館です。


P1770915
この建物にドゥオーモ付属美術館があります。


P1770914
付属美術館の設立は、1864年でしたが、1959年に再編成されました。1990年から一般公開されるようになりました。2003年に改装のため一旦休館となりましたが、2005年に改装再オープンされて現在に至ってます。


P1770916
美術館の入り口です。


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入口にある紋章


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展示室に向かいます。


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展示室の入り口です。
展示室は6部屋から成ってます。


P1780099
展示室内に入りました。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂にあった作品が展示の中心ですが、街のPalazzoや他の教会から集められた作品が展示されてます。
14世紀から20世紀にわたる絵画、彫刻、調度品、本などが展示されてます。


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フィレンツェ派逸名画家作「聖母子と五色鶸(ひわ)」(18世紀初め)


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幼きキリストが手にしているのが五色鶸 cardellinoです。


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展示作品数は多くありません。


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖母と聖マリア・マッダレーナと三位一体と聖人たち」(1400-05)


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P1770926
中央パネル


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左パネル


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右パネル


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1356から記録 1399没)の「神の祝福」(1374)


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1356から記録 1399没)の「ピエタのキリスト」(1374)


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マリオット・ディ・クリストファノ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1395c-フィレンツェ、1457)の「玉座の聖母子と四聖人と発注者」


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P1770945
ジョヴァンニ・ダ・ピアモンテまたはジョヴァンニ・ディ・ピアモンテ(トスカーナ、15世紀中頃活動)の「大天使ラッファエーレとトビアス」


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P1770954
パオロ・ディ・ステファノ・バダローニ通称パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397-ピサ、1478)の「聖アンサーノ」


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P1770956
パオロ・ディ・ステファノ・バダローニ通称パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397-ピサ、1478)の「音楽天使たちの合唱」


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P1770959
(つづく)

P1770843
この辺でアルノ川を切り上げます。


P1770845
街の中心に向かうことにしました。


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Ponte Ipazia D'Alessandroの前を一旦右に出ます。


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Via di Val D'Arnoに入りました。


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アルノ川沿いの幹線道路SR69です。


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幹線道路に面して立ってるのは、ピエトロ・チェッカレッリ(ヴァル・ディ・チェチーナ、1888-フィレンツェ、1949)の「第一次世界大戦の追悼碑」(1926)です。
この彫刻の制作前に、コンペが行われ、その勝者であるチェッカレッリが制作しました。


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SR69を左折してローマ通りに入りました。この先に街の中心の広場があります。


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Palazzo d' Arnolfoとドゥオーモのクーポラが写ってます。


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ローマ通りを進んでカヴール広場に向かいました。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会の鐘楼が写ってます。


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リベルタ広場に向かいます。広場と言っても実際は道幅の広い道路です。


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ローマ通りの建物


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リベルタ広場


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カヴール広場に入ります。


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カヴール広場


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アーチの左にサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会があります。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会の扉は相変わらず閉まったままでした。


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広場に立つのはジュゼッペ・ガリバルディ像です。


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写真左の建物は、Convento delle Agostinianeです。


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この建物が分からない。


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Palazzo d' Arnolfoです。


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Palazzo d' Arnolfoのロッジャです。


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ロッジャの壁


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フレスコ画断片でしょうか?


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Museo delle Terre Nuoveの入り口です。


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この時は入館しませんでした。前回入館したので、それで十分です。


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アルベルティ通り


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P1770903
(つづく)

405
雷鳴が遠のき、雨が小降りになりました。


406
大体見たようなので、駅に向かいました。


407
城壁を潜ります。


408
城門の壁に描かれた絵


409
ベアート・アンジェリコの「受胎告知」を見たくなると、この街に来ます。


411
駅に着きました。


410
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ行の列車を待ちました。
この時の旅は、これで終わりです。


P1770791
その2年後、季節は前回と同じ6月です。
アレッツォの駅舎です。


P1770792
この時は、アレッツォからサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノへの日帰り遠足でした。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、アレッツォとフィレンツェのほぼ中間にあります。


P1770793
アレッツォに数泊して、ポッピ、モンテルキ、スッビアーノ、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノへの日帰り遠足をしました。アンギアーリ、チッタ・ディ・カステッロ、コルトーナ、サン・セポルクロにはそれぞれ泊まりました。


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フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ行のRVを待ってます。


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列車内は空いてました。


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サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅に定刻に到着しました。


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駅舎


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駅前広場


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駅から外に出ると、真っ先に、奇妙なハイヒールのオブジェが目に飛び込んできました。


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この写真で赤いハイヒールのオブジェの位置がお分かりになると思います。
以前には無かった。オブジェの意味がサッパリ分からない。


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先ずアルノ川に向かいます。


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駅からアルノ川まで約500mです。


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道路沿いに真新しい石造りのベンチが整備されていました。2年前には無かったと思います。


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ガリバルディ通りとの交差点を通り過ぎます。


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チェーザレ・バッティスティ通りを進みます。


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アルノ川に向かうのは、私がアルノ川渓谷にある街という名前にピンとこないのですが、それをブログに読み手である皆さんがどう思われるのか、知りたいがためです。


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ピアーヴェ通りに入ります。


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ピアーヴェ通りの先にアルノ川があります。


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川傍の、この地区はアルノ川の氾濫に苦しんだそうです。
個人的には、川傍に住めば、その辺のリスクは当然承知の上の筈と思います。


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モンテ・グラッパ通りとの交差点を通過しました。


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トリエステ通りを過ぎます。


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木が見えてますが、アルノ川沿いの並木です。


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堤防の上に出ました。


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アルノ川です。


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広い河原があります。Val d'Arnoにそぐわないと思います。val=峡谷、渓谷、谷ですから。


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アルノ川に架かるPonte Ipazia D'Alessandro


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川沿いの遊歩道を歩いて橋に向かいます。


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カステル・サン・ジョヴァンニが築かれた13世紀末には、深い谷になっていたそうですが、現在の姿からは想像できません。


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それだけ浸食と堆積が凄かったということでしょう。


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初めて、ここに来た時、渓谷美を楽しむのが目的でしたが、見事に当てが外れてガックリしたことを覚えてます。


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橋を渡ります。


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橋の上から撮った写真


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緩やかな流れです。


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P1770831
(つづく)

375
カステル・サン・ジョヴァンニからサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノへと、街名が何時変わったのか、分かりません。


376
古い家が多い街ですが、実は、第二次世界大戦で破壊され、1970年台に復元された建物が多いのです。


377
鐘楼が写ってますが、教会です。


378
アーチの所に教会の入り口があります。


380
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


381
この建物は病院として建設されましたが、1528年にアゴスティーノ会修道院に転用され、修道院付属の教会がアーチに造られたのです。


379
17世紀に後期バロック様式の教会に改造されました。


382
アーチを潜ってカヴール広場方面に出ました。


386
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会の柱廊前からサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会を臨む。


383
カヴール広場に戻ってきました。


385
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。


387
1312年に建設されました。
マリオット・ディ・ナルドの祭壇画がありましたが、取り外され、現在はドゥオーモ付属美術館に移されてます。


530
普段は扉が開いていることはありません。恐らく宗教活動を停止した旧教会と思います。
演奏会場として使用されているようです。


532
僅かに残されているフレスコ画断片


534
メディチ家の紋章


533
フィレンツェ派逸名画家作「聖母子」(17世紀前半)


531
出入口方向


384
夕方になって、人出が多くなってきました。


388
ローマ通りです。


389
Palazzo d' Arnolfoを見ます。


390
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)によれば、アルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1245c-フィレンツェ、1302/1310)の設計によって13世紀末に建設されたそうです。


391
壁の紋章


392


393
ロッジャの紋章
現在、Palazzo d' Arnolfoは、Museo delle Terre Nuoveとして一般公開されてます。


535
Museo delle Terre Nuoveは2013年にオープンしました。


536
時間が有り余っている人向きの博物館です。


394
ドゥオーモ付属美術館が開く時間になりました。


357
開館していたので安心しました。イタリアでは突発的臨時休館がよくあるので。


P1770918
入館しました。


P1770922
ドゥオーモ付属美術館に付いては、既にアップしました。そちらをご参照願います。
成り行きによっては、もう一度取り上げる可能性が無きにしも非ず。


P1780028
ベアート・アンジェリコの帰属作品「受胎告知」


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この「受胎告知」が美術館の目玉です。


403
外に出たら雷雨でした。


402
次はドゥオーモです。


286
ドゥオーモについては、後程取りまとめてアップします。


399
ドゥオーモのクーポラと鐘楼


326
次はサン・ロレンツォ教会です。


329
サン・ロレンツォ教会も後程取りまとめてアップします。


344
主祭壇画は、ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1356から活動記録-1399没)の作品です。


401
Palazzo d' Arnolfoの柱廊で暫し雨宿り。


404
雨は直ぐ小降りになりましたが、稲光と雷鳴が凄まじかった。


395
ローマ通り


396
マゾリーノ・ダ・パニカーレ(パニカーレ、1383-フィレンツェ、1440c)もサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ生まれです。パニカーレ生まれですが、パニカーレはサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの分離集落です。


397
歩行者は通行可能です。


398
アルノ川に行く予定でしたが、天気が悪いので次の機会に。


400
(つづく)

256
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅からサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに向かいます。


P2680078
車内は空いてました。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、人口16,847人(2019年12月31日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネです。アルノ川渓谷にあるサン・ジョヴァンニという意味の街の名称です。


257
定刻にサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅に到着しました。
銀行家で歴史家でもあったジョヴァンニ・ヴィッラ―ニ(フィレンツェ、1276/1280-1348)の著述によれば、1296年、フィレンツェの前線防衛基地としてアルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1245c-フィレンツェ、1302/1310)の設計によって築かれた街で、当時、街はカステル・サン・ジョヴァンニと呼ばれていました。


258
駅からアレッツォの方向にサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂のクーポラが見えました。
私にとってのサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、聖堂付属美術館に行くことです。同美術館で展示されているベアート・アンジェリコ(フラ・アンジェリコ)の帰属作品「受胎告知」が秀逸です。


259
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅の駅舎です。
今回の旅は、フィレンツェからの日帰りです。


260
駅前の通りを左折して聖堂の方に向かいます。


261
ジュゼッペ・マッツィーニ通り


262
コルソ・イタリア


263
城壁が一部残されてます。


264
前線防衛基地として建設された街の城壁なので、建設当初から堅固に築かれました。しかし、更に防衛力を増すために11356年から1363年にかけて再建されました。
その後、アルノ川の度重なる氾濫のために、城壁は大きな被害を受けたので、16世紀初頭に再建された城壁が現存しています。
アレッツォがフィレンツェの支配下になったことから、前線防衛基地としての、この街の重要性が薄れ、城壁の整備増強は16世紀初頭の再建を以って終わりとなりました。


266
城壁に防御塔が24設けられていましたが、そのうちの一つです。


265
市庁舎の分庁舎です。


267
ローマ通りからカヴール広場に向かいます。


268
ローマ時代に築かれた街を手本にアルノルフォ・ディ・カンビオが設計したと言われてます。


269
カヴール広場です。


270
広場に面して古い建物が建ってます。


271
ファサード下に柱廊がある建物は、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。


272
Palazzo d' Arnolfo


273


274


275
Palazzo d' Arnolfoを境に広場名がマザッチョ広場になります。


276
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのドゥオーモです。


277
サン・ロレンツォ教会です。


278
マザッチョ広場から見たPalazzo d' Arnolfoです。


356
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂とサン・ロレンツォ教会の間にある建物は司祭館です。ここにドゥオーモ付属美術館の入り口があります。


353
美術館が開館時間になるまで、付近をぶらぶら歩いて時間潰しです。


358
2つの教会の拝観は、美術館を見てからにします。


361
サン・ロレンツォ教会左のアルベルティ通りに入ると直ぐに教会が見えます。


362
サンタ・ルチア・ミゼリコルディア教会です。


364
14世紀に建設されたゴシック様式の小さな教会です。


363
1365年に奉献式が執り行われました。


365
中に入りました。単廊式、ラテン十字形の内部です。


367
詳細不知


372
この教会に祭壇画が4点あったそうですが、現在は主祭壇画だけになってしまいました。残りの3点はドゥオーモ付属美術館で見ることが出来ます。


369
主祭壇画の「聖ルチアの殉教」


370
フェリーチェ・フィケレッリ通称イル・リポーゾ(サン・ジミニャーノ、1605-フィレンツェ、1660)の「聖ルチアの殉教」(1640-50)


528


366
外に出る前に、もう一度祭壇を見ました。


377
次はマザッチョの家です。


529
マザッチョの生家です。博物館になる予定は無さそうです。


374
(つづく)

P1050788
やがてチェスの対局が始まりました。


P1050737
晴れていたのは嬉しいのですが、気温上昇と高湿気には困りました。


P1050739
日陰のベンチで一休み。


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グロッセートに来た最大の目的は、マレンマ博物館の入館です。


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博物館の開館時間まで、ぶらぶら歩きで時間潰しです。


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狭い城壁内なので、同じ場所に何度も来てしまいます。


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日陰を選んで歩きました。


P1050749
マレンマ地方観光の醍醐味は、ソヴァーナ、ソラーノ、ピティリアーノです。


P1050750
ピティリアーノへは、グロッセートからバスがあるので、簡単に行けます。


P1050751
ソヴァーナへは、鉄道駅からの直通バスはなくなって、ピティリアーノ発のバスで行くことになったので不便になりました。


P1050753
サンタ・キアーラ教会は、相変わらず扉が閉まっていました。


P1050755
サン・フランチェスコ教会は開いてました。


P1050756
ジュゼッペ・カスッチ(ロッカストラーダ、1877-アルゼンチン、1964)の「聖母子と聖フランチェスコと聖フォルトゥナート」(1927)をじっくり見ました。


P1050757
もう一度拝観しました。


P1050457
マレンマ博物館にやってきました。神学校だった建物です。


P1050458
博物館前の彫像は、「アンドレア・ダ・グロッセート(グロッセート、13世紀前半‐?、?)像」です。
アンドレア・ダ・グロッセートは、散文作家でグロッセートのサン・フランチェスコ教会の修道士でした。当時の作家はラテン語で書くのが普通でしたが、アンドレア・ダ・グロッセートはイタリア語の最初の作家という説があります。


P1050459
マレンマ博物館と簡単に表記しましたが、Museo Archelogico e D' Arte della Maremmaが正式名称です。


P1050455
開館時間がこのように表記されてますが、この日は16:00~19:00のみの開館でした。


P1050797
入館しました。


P1050800
マレンマ博物館については、既に書きました。
ご興味のある方は、次のページをご参照願います。
(前編)
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/17823152.html
(後編)
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/17826171.html


P1050816


P1050825


P1050830
アレッサンドロ・カソラーニ(メンサノ、1552‐シエナ、1660)の「磔刑」(1583)


P1050844
Maestro dell' Osservanzaの「聖ジローラモ」(左)(1450‐60c)とサーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406‐1481)の「聖アントニオ・アバーテ」(右)(1450‐60c)


P1050846
サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐フィレンツェ、1603)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと聖エリザベッタ」(1601)


P1050869
グイド・ディ・グラツィアーノ通称グイド・ダ・シエナ(シエナ、1230c‐1290c)と工房の「最後の審判」(13世紀)


P1050903
ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ、1559‐ローマ、1613)の「ピエタ」(1599c)


P1050874
バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337‐1378記録)の「聖母子」(1370)


P1050885
ジョヴァンニ・ディ・二コラ(シエナとピサ、1326から記録-1363/1365没)の「聖母子」


P1050894
アンドレア・ディ・ニッコロ(シエナ、1440-1514)の「ピエタのキリスト」(15世紀末)


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外に出ました。


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次はMuseo di Storia Naturale della Maremmaです。


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この日は、残念ながら開いていませんでした。


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特にやることがありません。


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見たいところは大体見たようです。


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これならば、昼食でワインを1本空け、ビールを飲んで時間をかけて楽しむべきでした。


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サン・フランチェスコ教会の鐘楼が見えてます。


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Piazza Pacciardi
写真左はミゼリコルディア教会です。


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グロッセートのニャーゴ


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城壁にやってきました。


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城壁外に出ます。


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Porta Vecchia


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ホテルに戻ることにしました。


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夕方になると、人出が多くなります。


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サン・ピエトロ教会が開いていました。


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拝観しました。


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キリがないので、この辺で終わりにしましょう。
(グロッセートの項、おわり)

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ホテルに戻って昼寝を小一時間すると。外は晴れていました。


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今度は傘を持たずに外出です。


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先ず城壁外を見て回ります。


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城壁内は狭いので、街の住民の大多数が城壁外に住んでます。


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パーチェ通りに沿って大きな教会があります。


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サクロ・クオーレ参事会聖堂 Basilica Minore e Collegiata del Sacro Cuore di Gesuです。


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1954年から1958年に建設されたネオ・ルネサンス様式の新しい教会です。


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この聖堂の建設には、グロッセート市民の悲惨な出来事がありました。


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城壁外の聖堂が建設された場所には小さな遊園地がありましたが、イースター・マンデイの1943年4月26日、大勢の子供たちが遊園地で遊んでいました。空襲警報が出ていなかったので、安心して遊んでいたそうです。ところが、米軍爆撃機一機が何故か遊園地で遊んでいた子供たちを急襲、爆撃によって大勢の子供たちを含む134人が犠牲となりました。
犠牲者の鎮魂のため、建設されたのが、この聖堂です。
犠牲の現場となったところが、この聖堂のクリプタとなってます。


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遊園地で遊んでいた子供を急襲するなんて普通の神経を持った兵士ならば、多分やらないと思いますが、原爆を投下するくらいですから、米兵にとっては朝飯前の普通の任務だったのでしょう。


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コンクリートのファサード
建設の経緯を知る第260代教皇ピオ12世(ローマ、1876-カステル・ガンドルフィ、1958 在位:1939-1958)は、直ぐにBasilica Minoreに格付けしました。


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ファサードの彫刻


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鐘楼


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左側壁


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ファサード前に小さな公園があります。


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小さな公園前から見たファサード


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イタリアが親米なのか分かりませんが、原爆を落とされた我が国が米国と同盟とは。


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咲き誇るブーゲンビリア


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城壁外の、城壁近くにもう一つ新しい教会があります。


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この辺は旧市街の北西、城壁外に当たります。


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Porta Nuovaの近くです。


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教会の鐘楼が見えてきました。


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この教会のファサードはローマ通りに面してます。ファサード側に回ります。


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Chiesa della Medaglia Miracolosa、奇跡のメダル教会とでも訳すのでしょうか?


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居住者が多くなった城壁外の住民のために、1936年から1937年に建設されたネオ・ロマネスク様式の教会です。


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入口扉上ルネッタの浮彫は、地元が生んだ彫刻家トロ―メオ・ファケンディ(グロッセート、1905-1970)の「聖母とベアータ・カテリーナ」(1937)です。


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美術的には、ファサードの浮彫を観れば十分と言えるでしょう。


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壮大な郵便局の建物


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昼寝ボケで眠かったので、ここで一服入れました。


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Villino Pastorelli


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未だ城壁外です。


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この辺だけ城壁がありません。


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城壁内に入りました。


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ダンテ広場です。


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ダンテ広場でチェスが行われるようです。


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(つづく)

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次はサン・ミケーレ門です。


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パオルッチ通りを進みます。サン・ミケーレ門は旧市街の南西にあります。


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ドゥオーモの鐘楼が見えました。


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小雨が相変わらず降り続いてます。


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昼を過ぎて、閉まっている店が多くなっています。


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小さなジョヴァンニ・ヴァレーリ広場を通り過ぎます。


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マッツィーニ通りからサン・ミケーレ広場に入ります。


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サン・ミケーレ広場にある「木のオブジェ」です。遠くから見ると木ですが、よーく見ると金属製の木です。金属製の木ではなく、普通の木でも良いと思いました。


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1819年に建設されたTeatro degli Industriです。


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サン・ミケーレ門はもう直ぐです。


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サン・ミケーレ門が見えてきました。


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城壁の南西に設けられたサン・ミケーレ門です。


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城壁外に出ました。


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城壁外には見所が乏しいので、城壁内に戻ります。


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Bastione Molino a Vento


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公園内の池にイノシシの噴水があります。


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ダンテ広場に戻りました。


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古い建物ですが映画館になってます。


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ドゥオーモ


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雨が強くなってきたので柱廊に逃げ込みました。


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昼食のビールが効いてきました。


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ここで一服して、トイレをお借りしました。


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Porta Vecchiaに向かいます。


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Via San Martino


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14世紀に遡るPorta Vecchiaです。


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城壁外に出ました。16世紀後半にメディチ家に拠って城壁の増強整備が行われましたが、その際、14世紀のPorta Vecchiaがそのまま新城壁に組み込まれました。


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城壁外に広い駐車場があります。


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城壁内に戻りました。


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Via San Martino


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城壁が殆ど残されているのが確認出来ました。


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Via dell Unione


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ドゥオーモ広場に出ます。


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狭い城壁内なので、どうしても同じ場所に何回も来てしまいます。


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ダンテ広場に立つローマ時代の柱 Colonna Romana e Monumennto a Canaponeです。


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雨の中をあちこち行くのが嫌になってきました。


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Corso Giosue Carducci


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ホテルに戻って昼寝をすることにしました。

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サン・ピエトロ教会を通り過ぎます。


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(つづく)

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Strada Ginoriです。


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古い建物が建ち並んでます。次はサン・フランチェスコ教会修道院ですが、Strada Ginoriの突き当りに教会があります。


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Piazza Indipendennzaに出ました。


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サン・フランチェスコ教会修道院の鐘楼です。


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グロッセート病院の井戸が広場にあります。


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1465年に造られたPozzo di Santa Maria della Scala di Sienaです。


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共和国広場は、以前、サン・フランチェスコ広場と呼ばれていました。


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サン・フランチェスコ教会を見ます。


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10世紀に建設されたサン・フォルトゥナート教会が前身です。


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1188年、時の教皇クレメンテ3世(第174代教皇)(ローマ、1121-1191 在位:1187-1191)は、サン・フォルトゥナート教会をグロッセート司教に寄贈しました。


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12世紀末に教会はベネデット会の所有となりましたが、1220年、ベネデット会修道士は教会を去ることになり、フランチェスコ会に建物を売却しました。売却を機に、教会名称がサン・フランチェスコ教会と改称されました。


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新たに所有者となったフランチェスコ会修道士は、教会修道院を再建することにし、1231年から1289年に再建された建物が現在の姿の原形となってます。


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1859年から1865年にかけてサン・ロレンツォ大聖堂の修復工事が行われましたが、その工事期間中、司教座がサン・フランチェスコ教会に臨時に置かれました。
1949年から教区教会 Parrocchiaになりました。


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ファサード横にある聖フランチェスコの記念碑


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13世紀に建設された、オリジナルの鐘楼は、17世紀頃、落雷によって倒壊してしまいました。現在の鐘楼は、1926年に再建されたものです。


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教会の入り口です。


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入口上ルネッタのフレスコ画は、ジュゼッペ・カスッチ(ロッカストラーダ、1877-アルゼンチン、1964)の「聖母子と聖フランチェスコと聖フォルトゥナート」(1927)です。


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中に入りました。


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見るに値する作品が幾つかあります。


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単廊式


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木組みの天井


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ピントゥリッキオ派のシエナの逸名画家の作品(1510c)です。


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14世紀のシエナ派逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(14世紀)


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逸名画家作「聖クリストフォロ」(14世紀)


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後陣と主祭壇


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ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(シエナ、1255c-1318/1319)の「彩色磔刑像」(1289c)
この磔刑像は歴史的にドゥッチョの作品と言われてきました。


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しかし、近年になってグイド・ディ・グラツィアーノ(シエナ、1278-1302記録)の作品であるとの別説が出されています。


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15世紀の逸名画家作「聖フランチェスコと聖ベルナルディーノ」


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ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、?-1348c)の領域(Ambito di)の「聖母子」


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フランチェスコ・クゥッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「受胎告知」(1615)


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翼廊の礼拝堂


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かなり新しそうなフレスコ画です。


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フレスコ画の制作者や制作された時代等の詳細が分かりません。


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キオストロ回廊に出ました。


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修道院と教会を連絡する回廊の壁にフレスコ画があることが多いですが、ここにはないようです。


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1590年に造られたPozzo della Bufaraです。


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回廊にある作品を観ます。


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彩釉テラコッタの聖母子


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大天使聖ミケーレ


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キリストの鞭打ち


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教会経由で外に出ます。


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もう一度ドゥッチョの彩色磔刑像を見ました。


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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Via D' Azeglioです。


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雨がしつこく降ってます。


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メンシーニ広場を通り過ぎます。


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次はミゼリコルディア教会です。


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Piazza Martiri d' Istriaに入りました。


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広場に建っているのがミゼリコルディア教会です。


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12世紀中頃に、現在地に建設された病院別館がありましたが、その別館に設けられたサン・ロレンツォ礼拝堂が前身です。
程なく、病院別館と小礼拝堂はテンプル騎士団に寄贈され、13世紀に同騎士団によってサン・ロレンツォ教会が建設されました。


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1312年、テンプル騎士団はサン・ロレンツォ教会を放棄しました。教会は衰退しましたが、ミゼリコルディ同信会によって細々と維持されました。1844年、経時劣化によって建物が危険になったので解体され、1854年に再建された建物が現在の姿となってます。


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ガリバルディ通りを城壁に向かって進みます。


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城壁前にいかめしい建物が建ってます。


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Casa Circondariale


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刑務所です。


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何か監視されている気がしましたが、刑務所なので当然です。観光客には不向きな刑務所ですが、城に行くには、この前を通るのが普通です。


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刑務所の警備員の屯所でしょうか?


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刑務所は城壁内に建ってます。


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Cassero Seneseに向かいます。


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Cassero Seneseです。14世紀にシエナ共和国によって建設された城です。


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1565年、トスカーナ大公コジモ1世・デ・メディチ(フィレンツェ、1519-1574)に拠って城壁の整備拡張が行われましたが、その際、城は城壁に囲まれた要塞の要塞として新城壁に組み込まれました。
Bastione Fortezzaと呼ばれてます。


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Cassero Seneseの入り口です。


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入口扉上のメディチ家の紋章


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Cassero Seneseに観光案内所が設けられてます。観光案内所で地図を頂戴するとともにMuseo、教会の開く時間を確認しました。


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城の中に入りました。


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城の中庭はコンサート会場になっていました。


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観光案内所と中庭以外には入ることが出来ないようになっていました。


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Cassero Seneseから外に出ます。


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Cassero Seneseの周囲を見て回ることにしました。


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高い壁のCassero Seneseです。


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写真左がCassero Seneseの壁、写真右は市域の城壁です。


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城壁外に出ました。


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1565年から1593年に築かれた城壁です。


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Cassero Seneseです。


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城壁外から見たCassero Seneseです。


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城壁内に戻ります。


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Cassero Seneseの入り口を通り過ぎます。


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Piazza Martiri d' Istriaに戻ります。


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ミゼリコルディア教会が見えます。


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このレストランで昼食を食べました。
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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クーポラです。


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クーポラの四隅に四福音書記者が描かれてます。


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聖マルコ


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アントニオ・ギーニ・ダ・パオロ(ルッカ?、?-シエナ、1478以前没)の洗礼盤(1470-1474)


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アントニオ・ギーニの傑作とされてます。


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グロッセートの紋章


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イラーリオ・カソラーニ(シエナ、1588-1661)の「天上の聖母子と聖人たち」(1630)


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ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「キリストの勝利と聖ロレンツォと聖カルロ・ボッロメオ」(17世紀初頭)


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傑作とされている聖人たちのステンドグラス


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「祈るキリスト」のイコン


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ジローラモ・ディ・べンヴェヌート(シエナ、1470-1524)の作品


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に、もう一度聖堂内部を見回しました。


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外に出ました。


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1870年から1873年に建設されたPalazzo Comunaleです。


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市庁舎が建設される前には、この場所に古いサン・ジョヴァンニ・デコッラート教会の建物がありました。教会は18世紀末に機能を停止しましたが、建物は倉庫として使用されていました。市庁舎を建設するために旧教会の建物は解体されたのです。


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ドゥオーモ広場を後にしました。


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ドゥオーモ広場からダンテ広場に入りました。


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ダンテ広場中央に立つのは、ルイージ・マギ(アシャーノ、1804-フィレンツェ、1871)の「レオポルド2世の記念碑」(1846)です。


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「カナポーネの記念碑」とも呼ばれてます。


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ロレンツォ・ポルチャッティ(カナ、1864-グロッセート、1928)の設計によって、1900年から1903年に建設されたPalazzo Aldobrandeschiです。


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現在、県庁舎として使用されてます。


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Palazzo Aldobrandeschiが建っている場所には、Palazzo Pretorioがありました。1898年、グロッセート市民は劣化したPalazzo Pretorioの修復を行って県庁舎として使用することを求めました。しかし、その願いは叶わず、1899年に解体され、その跡地にPalazzo Aldobrandeschiが新築されたのです。


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ダンテ広場の南側にある建物です。


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ダンテ広場には古い建物が建ち並んでます。これらと調和させるために、Palazzo Aldobrandeschiが古風な造りにされたと言われてます。


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ダンテ広場を後にして、マニン通りを進みます。


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ジョベルティ広場へと進みます。


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ジョベルティ広場から振り返るとドゥオーモが見えました。


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ジョベルティ広場から南門に向かいます。


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南門を潜って城壁外に出ます。


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グロッセートに最初の城壁は12世紀に完成しました。
現在の城壁は、市域の拡大と防御力向上のために、トスカーナ大公コジモ1世・デ・メディチ(フィレンツェ、1519-1574)の命によって、1565年から1593年に建造されました。


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城壁はほぼ完全な形で残されてます。


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城壁外に設けられたParco Giochiです。


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城壁内に戻ります。


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城壁内に泊まるなら、このホテルがお勧めです。


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マッツィーニ通り


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Piazza Maestri del Lavaroにレストラン併設のホテルがあります。


P1050520
(つづく)

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Corso Giosue Carducciから広場に差し掛かるとドゥオーモが見えてきます。


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ドゥオーモ広場に入りました。


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ドゥオーモ広場に建つ、グロッセート司教区の司教座教会 Cattedrale di San Lorenzoです。


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現在、ドゥオーモが建っている場所にローマ時代初期に建設された壮大な神殿がありました。392年、テオドシウス帝によってキリスト教会が国教として認められると、神殿はサンタ・マリア・アッスンタ教会と呼称される初期キリスト教会に改修転用されるようになりました。この初期キリスト教会が現在のドゥオーモの前身です。


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グロッセートが属していた司教区司教座は12世紀前半までグロッセートの北10kmにあるロッゼレにありましたが、1138年、第164代教皇インノチェンツォ2世(ローマ、?-1143 在位:1130-1143)はグロッセートに司教座を移して、ローマ時代の神殿を転用したサンタ・マリア・アッスンタ教会の建物を取り壊して、その上に新しい建物を建設して司教座教会にすることを決定しました。


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そうして、当時の一流建築家ソッツォ・ディ・ルスティキーノが起用され、ソッツォの設計、工事監督によって、1294年に創建され、1302年に完成した建物が現在の姿の原形となってます。
14世紀初めに奉献式が執り行われ、それを機に聖ロレンツォ司教座教会と改称されました。


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再建された建物のファサードは、1338年から1340年に建設されましたが、19世紀初めには経時劣化によって一部危険となったので、1840年から1845年にかけて、現在の赤と白の大理石を組み合わせて改修工事が行われました。
現在のファサードは、この改修後の姿であり、少し新しく見えます。


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バラ窓


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16世紀に追加されたランタン


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四福音書記者の彫刻は、アゴスティーノ・ディ・ジョヴァンニ(シエナ、1285c-1347c)とその息子ジョヴァンニ・ディ・アゴスティーノ(シエナ、1310-1348)によって1320年から1340年に制作されました。
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタの彫刻


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聖ルカ


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聖マルコ


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聖マッテオ


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ダンテ広場から見た右側外壁


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サイドポータル上ルネッタの「聖母子」の彫刻は、レオポルド・マッカリ(1850-1894?)によって制作されました。


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右側壁に描かれた日時計のフレスコ画は、アルナルド・マッザンティ(ミラノ、1939-)によって1983年に制作されました。


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グロッセートの紋章


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1402年に建設された鐘楼です。


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形の聖堂内部です。創建当時のロマネスク・ゴシック様式の構造を維持してますが、その後に行われた修復、改修を経ていて、創建時の姿を想像できません。
現在の姿は、1856年から1865年に行われた改修後のものです。


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身廊中央通路から見た右側廊方向


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聖堂の構造図


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左側廊


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右側廊


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主祭壇と後陣


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主祭壇は、ジョヴァンニ・アントニオ・マッゾ―リ(1639-1714)によって1692年に制作されました。


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彩色磔刑像が必見です。


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ロレンツォ・ディ・ピエトロ通称イル・ヴェッキエッタ(シエナ、1410-1480)に帰属する「彩色磔刑像」(15世紀後半)


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マドンナ・デッレ・グラツィエ礼拝堂です。


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マッテオ・ディ・ジョヴァンニ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1430-シエナ、1495)の「聖母と天使たち」(1470)


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サン・ロレンツォ礼拝堂です。


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詳細不知の「羊飼いの礼拝」


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かなり出来が良いと思います。


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詳細不知


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十字架の礼拝堂です。


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制作者情報不知の「木製磔刑像」(15世紀)


P1050491
詳細不知の礼拝堂
(つづく)

P1050998
グロッセート駅に到着しました。


P1050681
グロッセートは、人口82,378人(2019年12月31日現在)のトスカーナ州グロッセート県の県都です。マレンマ地方の中心都市です。


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グロッセート鉄道駅の駅舎です。


P1050679
駅近くのホテルにチェックインしました。
変わりやすい天気の日で、自室に10分ほどいるうちに雨が降ってきました。


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俄雨が上がったので、街歩きに出発しました。


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トリエステ通りを右折します。


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ローマ通りに入りました。


P1050396
駅から旧市街を囲む城壁まで徒歩5,6分ほどかかります。


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旧市街はもう直ぐです。


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Piazza Fratelli Rosselliに面して建つPalazzo del Governoです。


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Piazza Fratelli Rosselliに面して建つ郵便局の建物です。


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11月4日通りです。


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1908年から1913年に建設された、ネオ・ゴシック様式のVillino Pastorelliです。


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グロッセートで活躍した建築家ロレンツォ・ポルチャッティ(カナ、1864-グロッセート、1928)の傑作とされているVillino Pastorelliです。


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城壁が見えました。


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1925年から1939年に建設されたCasa del Fascioと時計塔です。マレンマ地方ファシズムの中心地でした。


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グロッセートの城壁は、殆ど無傷で残っている城壁の稀な例の一つです。


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城壁内に入りました。ここにあった城壁は、1939年から1941年に取り壊されました。


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1912年にBanca Monte dei Paschi di Sienaが建設したPalazzo del Monte dei Paschi di Sienaです。


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Corso Giosue Carducciを進みます。


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写真左の建物は、1911年に建設されたPalazzo del Genio Civileです。


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Corso Giosue Carducciに面して建つ、ロマネスク様式のサン・ピエトロ教会です。


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9世紀に遡るグロッセート最古の教会です。1188年に文書に、教会の存在が初めて記載されたそうです。


1
サン・ピエトロ教会の後陣です。


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サン・ピエトロ教会の後方に建っているのは、1634年に建設されたルネサンス様式のサンタ・キアーラ教会です。現在はビギ教会と呼ばれることが多いようです。


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サンタ・キアーラ教会は、Via Vinzaglioに面して建ってます。


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サンタ・キアーラ教会から見たサン・ピエトロ教会の後陣です。


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サン・フランチェスコ教会です。拝観は後でゆっくりすることにしました。


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マレンマ博物館は午後に入館することに。


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街の中心ドゥオーモ広場に向かいます。


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Corso Giosue Carducciに戻りました。


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Palazzo del Genio Civileのフレスコ装飾を見ます。


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Corso Giosue Carducciを更に進みます。


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城壁内を縦貫するメイン通りです。


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写真左は市庁舎です。


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街の中心ドゥオーモ広場にやってきました。


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ドゥオーモです。
(つづく)

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ストロッツィ宮


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ストロッツィ広場


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私の趣味に合わない特別展開催が多いストロッツィ宮です。


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トルナブオーニ通りでしょうか?


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ヴィーニャ・ヌオーヴァ通りとスパーダ通りの端にある建物はPalazzo Dudleyです。


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エリザベス1世女王の息子ロバート・ダドリーが1613年に建設した、フィレンツェ亡命中の住居です。


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スパーダ通りを進みます。


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ニッコロ・ディ・トンマーゾ(フィレンツェ、1339‐1376記録)の「Tabernacolo di San Sisto papa」


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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場に向かってます。


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フィレンツェ・カードを持っているので、簡単に拝観する予定です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場


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広場に面してホテルが幾つかあります。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂については既に取り上げました。


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聖堂内に入りました。


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20分ほどの拝観でしたが、それでも大満足でした。


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駅の方に向かいます。


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ウニタ・イタリア広場のオベリスク


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サンタ・マリア・ノヴェッラ駅


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駅横のホテルに戻ります。


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ホテルに戻りました。


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夜の散歩に出ました。


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この夜で暫しのフィレンツェとのお別れです。


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翌朝です。


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帰国の朝を迎えました。


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バスでフィレンツェ・ペレトーラ空港に向かいます。


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空港に到着しました。


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必見です。


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空港にトリッティコがあるのはフィレンツェだけと思います。


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フィウミチーノ空港目指して搭乗です。


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キリが良いので、この辺で終わりにしましょう。


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(おわり)

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コルソ通りに入りました。


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Torre dei Donati


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12世紀から13世紀に建てられた塔です。ドナーティ家とライバル関係にあったチェルキ家のチェルキの塔が直ぐ近くにあります。2本の塔は白派と黒派の争いの象徴です。


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写真右の教会を拝観します。


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通称マドンナ・デイ・リッチ教会、正式名サンタ・マルゲリータ・イン・サンタ・マリア・デ・リッチ教会です。


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現在の教会の近くにあったオステリアで賽子賭博をやっていたアントニオ・リナデルスキという若者はがいました。賭博に負けてオステリアを出たアントニオは、その腹いせに、馬糞を拾ってマドンナ・デイ・リッチのタベルナコロに馬糞を擦り付けて汚したのです。アントニオは逮捕されてバルジェッロ宮で吊るされました。
馬糞で汚されたタベルナコロの修復のために、リッチ家の後援によって1508年に建設されたのが、この教会です。


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1610年、建築家ゲラルド・シルヴァーニ(フィレンツェ、1579‐1675)によって柱廊が追加されました。


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1769年から1772年にかけて、建築家ガノービ・デル・ロッソ(フィレンツェ、1724‐1798)によって、内装が現在の後期バロック様式に改装されました。


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柱廊の入り口


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教会への入り口扉上の装飾


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教会への入り口
毎晩のように中で演奏会が行われています。


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中に入りました。


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単廊式、後期バロック様式の内部です。


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左右の側壁に、それぞれ2つの礼拝堂があります。


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天井


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天井のフレスコ画は、ロレンツォ・デル・モーロ(フィレンツェ、1677‐1735)の「聖母被昇天」


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主祭壇を見ます。


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主祭壇


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サンタ・マリア・デリ・アルベリージの受胎告知


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後陣のステンドグラスは、フランチェスコ・マーティ(1561‐1623)の「受胎告知」


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後陣ヴォールトのフレスコ画は、ロレンツォ・デル・モーロ(フィレンツェ、1677‐1735)によって描かれました。


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ステファノ・アミゴーリ(フィレンツェ、1757‐1812)の「聖マルゲリータの物語」(18世紀)


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ステファノ・アミゴーリ(フィレンツェ、1757‐1812)の「聖マルゲリータの物語」(18世紀)


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詳細不知の「磔刑像」


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フィリッポ・ドルチャ―ティ(フィレンツェ、1443‐1519)の「アントニオ・リナデルスキの愚行」(1501)


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詳細不知


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品(1707)


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品(1707)


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詳細不知


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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詳細不知


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フランチェスコ・マーティ(1561‐1623)の「受胎告知」


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主祭壇前から見た出入口方向


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ファサード裏の聖歌隊席にあるオルガン(1989)


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外に出ました。


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共和国広場に向かいます。

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共和国広場に行く前に一休み


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この店でジェラートを食べました。


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共和国広場に帰ってきました。


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あちこち歩いて足が棒のよう。


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すっかり夕方です。


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(つづく)

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サンタ・クローチェ聖堂を出て、広場を見ます。


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広場の元は、アルノ川の2つの流れに挟まれた中洲の島でした。


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1226年から1228年にフィレンツェにやってきたフランチェスコ会に対して、都市国家フィレンツェはその活動拠点として中洲の島を与えました。


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フランチェスコ会修道士と、修道士の説教を聞いた信者によって、アルノ川の流れが変えられ、埋め立てられ陸地となりました。その埋め立てられた広大な土地の一部が広場です。


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広場はカルチョの競技場など多くの催事が行われる場所でした。


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広場に面して歴史的建造物が建ち並んでます。


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1485年から1490年に、14世紀の基礎部分の上に建設されたPalazzo Cocchi- Serristoriです。


1142
Palazzo Cocchi- Serristoriに向かって左の建物は、14世紀に建設されたCasa Chivacchiです。
その右(写真では左側)の建物はペルッツィ家が所有していたPalazzo Bartolini Baldelliです。


1140
写真右端の建物はCasa Benvenuti Gallettiです。1427年の記録に記載されている建物ですが、現在の姿は16世紀の改修後のものです。


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一つ一つ触れて行くとキリがありません。


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写真左手前の建物はPalazzo Borghiniです。文学者、哲学者だったラファエッロ・ディ・ドメニコ・ボルギーニ(1537-1588?)が1552年に購入して1558年まで住んでいました。建物の名称は彼に由来します。


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フレスコ画で有名な建物があります。


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Palazzo dell'Antellaです。


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14世紀に建設され、16世紀後半に現在の規模に増築されました。


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17世紀初頭、この建物はNiccolo dell' Antellaによって購入されました。持ち主となったニッコロは、広場に面した外壁をフレスコ画で装飾することにしました。


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そうして、建築家でデザイナーのジュリオ・パリージ(フィレンツェ、1571-1635)の原案に基づき、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァル・ダルノ、1592-フィレンツェ、1636)によって1619年から1620年にかけて制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画は、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ1人によって制作されたものではなく、ジョヴァンニの指示監督のもとに13人の画家が制作に参加しました。


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制作に加わった13人の画家ですが、ドメニコ・パッシニャーノ通称イル・パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559-フィレンツェ、1638)、マッテオ・ロッセリ(フィレンツェ、1578-1650)、ミケランジェロ・チンガネッリ(セッティニャーノ、1558-フィレンツェ、1635)など現在まで名前が知られている画家たちがいました。


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広場だけでもじっくり見ようとすれば、小一時間必要でしょう。


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広場から去る前に、もう一度サンタ・クローチェ聖堂を見ました。


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高さ94mのヴェッキオ宮の塔が見えます。


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Via dell' Anguillara


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この通りを真直ぐ進めばサン・フィレンツェ広場に出ます。


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この付近にローマ時代の円形劇場があったそうです。


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写真右の建物にタベルナコロがあります。


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聖母子のタベルナコロ


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次はサンティ・シモーネ・エ・ジュダ教会です。


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サンティ・シモーネ・エ・ジュダ教会です。扉が開いているように見えました。


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ところが入り口前にロープが張られて立ち入り禁止の表示が・・・・・
残念ですが、仕方がありません。


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入口扉上ルネッタのフレスコ画は、ニコデモ・フェルッチ(フィエーゾレ、1575-フィレンツェ、1650)の「聖母子と聖シモーネと聖ジュダ」です。


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Via dell' Isola delle Stinche


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ギベッリーニ通り


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この通りを真直ぐ進めばバディア・フィオレンティーナ教会に出ます。


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写真右は新古典様式のボルゲーゼ宮です。


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写真左はバルジェッロ宮です。


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これが何なのか、私には分かりません。


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ギベッリーニ通りを右折してVia Giraldiに入ります。サン・プロコーロ教会がお目当てです。


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13世紀に建設された、ロマネスク様式のサン・プロコーロ教会です。


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色褪せているファサードのフレスコ画
サン・プロコーロ教会はかって美術品の宝庫でした。現在、それらはフィレンツェのアカデミア美術館、ウフィツィ美術館で見ることが出来ます。


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こちらはVia de' Pandolfiniで、Via Giraldiと交差してます。


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Via Giraldiの突き当りにあるのは、Palazzo Ramirez de Montalvoです。


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ナポリ副王の娘エレオノーラ・ディ・トレドに従ってフィレンツェに来たアントニオ・ラミレスは、コジモ1世の召使になりました。大変有能でコジモ1世に気に入られ、その恩賞としてコジモ1世から、この場所の建物を贈られました。
1568年、コジモ1世の肝いりでバルトロメオ・アマンナーティの設計によって建設されたのがPalazzo Ramirez de Montalvoです。ファサードの装飾はジョルジョ・ヴァザーリによるものです。


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Borgo di Albizi
(つづく)

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サンタ・クローチェ聖堂に向かっていました。


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Chiesa Evangelica Metrodista (メソジスト福音派教会)です。


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11世紀の記録にその存在が記載されていたサン・ヤコポ教会が前身です。現在の建物は17世紀に再建されたものです。
1808年、教会と併設の修道院が閉鎖され、兵舎に転用されました。その後、建物はメソジスト福音派に渡され、孤児院として使用されました。
1946年にメソジスト福音派教会となり、現在に至ってます。


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ベンチ通りです。写真右手前の建物はPalazzo Albertiです。


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写真右の建物はCasa Albertiです。


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写真左の建物はPalazzo Albertiです。


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サンタ・クローチェ聖堂の直ぐ傍にやってきました。


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Arco dei Peruzzi


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Palazzo Mellini- Fossiが写ってます。


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Palazzo Mellini- Fossiです。
この建物周囲のベンチ通りにはアルベルティ家の建物が並んでいました。Palazzo Mellini- Fossiに建っている場所には、15世紀に建設されたアルベルティ家の建物がありました。
1456年、建物はドゥッチョ・ディ・ノフェーリ・メッリーニに売却されました。現在の建物は、ドゥッチョが15世紀末から16世紀初めに再建したものです。伝統的にミケランジェロの設計と言われてますが、現在ではミケランジェロの設計ではないというのが定説のようです。


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ファサードの壁に描かれたフレスコ画が有名です。


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フランドルのあまり知られていない画家ジョヴァンニ・ストルフによって1575年に制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画のテーマは「ダナエとペルセウスの神話」です。


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メディチ=ハプスブルクの紋章


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ペルセウスとアンドロメダ


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サンタ・クローチェ広場にやってきました。


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毎年拝観しているサンタ・クローチェ聖堂です。


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ファサードの横前にあるエンリコ・パッツィ(ラヴェンナ、1818-フィレンツェ、1899)の「ダンテのモニュメント」(1865)


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ファサードを見ます。


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フランチェスコ会の紋章


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聖堂内に入ります。


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サンタ・クローチェ聖堂に付いては既に取り上げました。


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ミケランジェロの墓


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外に出ました。
(つづく)

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パラティーナ美術館から外に出ました。


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ヴァザーリの回廊


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バルディ通り


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トッリジャーニ川岸通りに出ました。


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対岸のウッフィツィ美術館


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ヴァザーリの回廊


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1858年から1860年に建設された新古典様式のPalazzo del BorsaとHotel Balestri


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ウフィッツィ美術館の横にあるMuseo Galileo


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トッリジャーニ川岸通りをグラツィエ橋に向かって進んでます。


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ヴェッキオ橋


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グラツィエ橋


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歩道が完備されているトッリジャーニ川岸通りです。


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振り返ってヴェッキオ橋方向を見た所。


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教会の建物が見えてきました。


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次はバルディーニ美術館です。


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サンタ・クローチェ聖堂の鐘楼が写ってます。


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Chiesa Evangelica Luterana (福音派ルーテル教会)


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1901年に建設された新古典様式の建物です。この教会には美術的な見所が皆無です。


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グラツィエ橋


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次を右折すればバルディーニ美術館です。


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2,3年毎に訪れているバルディーニ美術館です。


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バルディーニ美術館に入館しました。


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ピエトロ・ネッリの作品


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ルカ・ディ・トンメの作品(1378‐80c)


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ミケーレ・ジャンボノの作品(1425‐50c)


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ベルナルド・ダッディの作品(1340‐50c)


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バルディーニ美術館に付いては既に取り上げました。


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バルディーノ美術館を後にしました。


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グラツィエ橋を渡ります。


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相変わらずの愚行を再見。


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こんなことをやるなんて・・・・・


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グラツィエ橋からの景観


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橋の上からサン・ミニアート・アル・モンテ教会が見えました。


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グラツィエ橋を渡り切りベンチ通りに入りました。


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街角のタベルナコロがあります。


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聖母子と修道女


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18世紀後半のフィレンツェの逸名画家の作品です。


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ホーン美術館に入館しました。


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ホーン美術館は写真不可なので写真がありません。


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ベンチ通りの奇妙な形の建物はアルベルティ宮です。


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(つづく)

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色々と物色しましたが、玩具っぽいので買うのを止めました。


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次はサンタ・マリア・イン・カンポ教会です。


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サンタ・マリア・イン・カンポ教会はこの日も扉が閉まっていました。


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騙し絵の窓


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ポル・サンタ・マリア通り


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犬の水飲み場


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ヴェッキオ橋を渡ります。


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交差するアッチャイオーリ川岸通りを越えます。


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アッチャイオーリ川岸通り


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ヴァザーリの回廊


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アルノ川


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ヴァッキオ橋の上です。


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橋の中央付近からアルノ川の写真を撮ることが出来ます。


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観光ポイントです。


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ラッファエッロ・ロマネッリ(フィレンツェ、1856-1928)の「ヴェンヴェヌート・チェッリーニ像」(1901)
ヴェンヴェヌート・チェッリーニ(フィレンツェ、1500-1571)の生誕400年を記念して、1900年にロマネッリに注文された作品です。


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サンタ・トリニータ橋


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ウフィッツィ美術館が見えます。


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グラツィエ橋


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振り返ってドゥオーモ方向を見ました。


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宝飾品店が並んでます。


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ヴァザーリの回廊


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何気に店を覗いていたら、何と2万€以上の首飾りを買った人がいたのでビックリ。売れるから店を構えているのだから当然ですが・・・・・


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Torre dei Mannelli


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ヴェッキオ橋の両岸四隅に、防御のための塔がありましたが、唯一残っているのがこの塔です。
1565年、ヴァザーリの回廊を建築する際、回廊を真直ぐに建てるために塔の改築、移動、または解体が、当時塔を所有していたマンネッリ家に提案されましたが、同家はいずれも拒否したので、回廊は已む無く塔を避ける形で建てられました。


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塔を避けるために回廊が前に張り出してます。


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サンタ・フェリチータ教会


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ピッティ宮にやってきました。


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パラティーナ美術館に入館します。


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パラティーナ美術館に付いては既に取り上げました。


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ルカ・シニョレッリの作品


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カラヴァッジョ


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カラヴァッジョ


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ラッファエッロ・サンツィオ


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ティツィアーノのラッファエッロ作品の複製画です。


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ティツィアーノ


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何度入館しても飽きることがありません。いつも新鮮な感動を覚えます。
(つづく)

004
6Aのバスに乗ってサン・サルヴィ教会に向かいました。


011
サン・サルヴィ教会はこの日も閉まっていました。旧サン・サルヴィ修道院に向かいました。


010
旧サンサルヴィ修道院の建物です。修道院の食堂にアンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」があります。


007
アンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」
このフレスコ画を中心に祭壇画などが展示され、アンドレア・デル・サルトの最後の晩餐美術館となってます。
美術館に付いては既に取り上げました。


037
郊外から旧市街に戻ってきました。


038
アッカデミア美術館は相変わらずの大混雑でした。


049
後日、予約があるので、この日はアッカデミア美術館に入館しませんでした。


051
次はサンティ・シモーネ・エ・ジュダ教会です。


052
残念! この日も扉が閉まっていました。最近、拝観したことがありません。


053
案内板への落書きは困ります。


054
次はホーン美術館です。


055
ホーン美術館に入館しました。


060
ホーン美術館に付いては既に触れました。


057
隔年に来ることにしている美術館です。


064
フィレンツェそのものと思わせる佇まい。


065
この道を真直ぐ進めばヴァッキオ宮に出ます。


066
ランツィのロッジャが見えている。


068
ウフィッツィ美術館に入館しました。


071
6時間くらい中にいたので、流石に疲れました。


072
傑作疲れの面もありました。


076
フィレンツェは大賑わいでした。


077
行く所、見るのは何時も同じです。


078


115
サン・フィレンツェ広場に来ました。


116
15世紀にジョヴァンニ・ダ・マイアーノの設計によって建設されたPalazzo Antinoriです。


121
サンティ・ミケーレ・エ・ガエターノ教会です。


108
サン・ロレンツォ聖堂です。


123
ストロッツィ宮


137
ヴェッキオ橋


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夕方になって、ロッジャ・ディ・ビガッロにやってきました。


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ロッジャ・ディ・ビガッロの外壁のフレスコ画は、ヴェントゥーラ・ディ・モーロ(フィレンツェ、1395/1402-1486)とロセッロ・ディ・ヤコポ・フランキ(フィレンツェ、1376/1377-1456)による「聖ピエトロ・マルティーレの説教」(1444)です。


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外壁にある聖母子の彫刻


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判別不能のフレスコ画もヴェントゥーラ・ディ・モーロとロセッコ・ディ・ヤコポ・フランキ2人による作品でしょうか?


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アルベルト・アルノルディ(フィレンツェ、1364-?)の「聖母子と2聖人」


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ここは観光案内所でもあり、ビガッロ美術館でもあります。


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Maestro del Bigalloの「磔刑」(1250c)


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美術館の中には入ることが出来ませんでした。


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観光案内所から外に出ました。


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街角のタベルナコロがあります。


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「受胎告知」の保護のガラス板が邪魔です。


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非常に楽しい街歩き。


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しかし疲れます。


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(つづく)

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次はダンテの家博物館です。


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コルソ通りからサンタ・マルゲリータ通りに入ります。


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サンタ・マルゲリータ通りのアーチの上の壁にフレスコ画があります。


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これです。


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17世紀のフィレンツェの逸名画家作「受胎告知」


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サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会通称ダンテ教会を通り過ぎます。


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塔が見えます。


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Torre dei Giuochi


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矢印に従って博物館の入り口に回ります。


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塔の下に博物館の入り口があります。


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入口です。


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入館します。


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毎日開館しています。


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中に入るとダンテの顔のフレスコ画が迎えてくれます。


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この博物館の建物(塔ではありません)は、観光用に新しく建築されたものです。
13世紀中頃、フィレンツェは教皇派(グエルフィ)と皇帝派(ギベッリーニ)の熾烈な抗争が行われていましたが、1267年にグエルフィ支配となりました。しかし、グエルフィ内部では白派(ビアンキ)と黒派(ネーリ)の抗争が激化し、やがて教皇派と皇帝派の抗争を再燃させるような形態となってしまいました。
当時、フィレンツェは、6人のプリオーレ(最高執政官)と「正義の旗手」と呼ばれる議長からなる執政府によって統治されていましたが、ダンテはプリオーリを務めていました。
1300年、執政府は、黒派と白派の指導者を追放して収拾を図ろうとしました。ダンテは白派に属していました。しかし、教皇ボニファチョ8世が抗争に介入すると、1301年、フィレンツェは黒派の勝利となりました。優勢となった黒派は、恐怖政治を布き、白派の人々や建物への襲撃を行いました。
白派に属していたダンテはフィレンツェを追放され、二度とフィレンツェに戻ることなく没するまで亡命生活を送ったのです。
ダンテの家は、黒派によって破壊されたので現存しません。
「現存しないダンテの家を観光用に建てた『ダンテの家』の博物館」ということですから、この博物館の立ち位置が分かると思います。


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展示室は階上です。


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展示室に入りました。


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290‐オルヴィエート、1348)の作品です。


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この彫刻はダンテ・アリギエーリ(フィレンツェ、1265‐ラヴェンナ、1321)とは直接関係がないようです。
この博物館における美術的な見所はアンドレア・ピサーノの作品に尽きると思います。


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290‐オルヴィエート、1348)の「画家」


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Istvan Madarassy(ブダペスト、1948‐)の現代彫刻


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次の展示コーナーです。


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ダンテが生きていた時代の武器


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詳細不知


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ダンテの短剣


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ダンテが生きた時代の武装兵


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290‐オルヴィエート、1348)の「彫刻家」


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次の展示コーナーです。


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ダンテの最愛の人ベアトリーチェ・ポルティナーリは、ダンテのことを気持ち悪いと感じていた?


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次の展示コーナーです。


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ブルネット・ラティーニの紋章


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ブルネット・ラティーニ(フィレンツェ、1220c‐1294)は、作家、詩人、政治家、公証人でグエルフィに所属して、ダンテの理解者、支持者でした。


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ダンテの家系図


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次の展示コーナーです。


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グイディ家の紋章


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グイディ家は、中世の中央イタリアの名家で、Conti palatini di Toscanaとして知られ、トスカーナ、ロマーニャ、エミリアの殆どを支配していました。


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ダンテの著作


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外に出ました。
(つづく)

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ドゥオーモ広場にやってきました。


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この日のドゥオーモは大混雑でした。


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クーポラに上る人たちの行列です。


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中々行列が進みません。


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クーポラの展望台は狭いので、人数が制限されるし、展望台への通路は交互通行の場所があるので、時間がかかります。


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上っている人はそんなに多くなかったと思います。


386
クーポラを見つめるフィリッポ・ブルネッレスキ


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ブルネッレスキがクーポラをかけ終わったのが1436年でした。


387
アルノルフォ・ディ・カンビオ像


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アルノルフォ・ディ・カンビオに拠ってドゥオーモの建設が始められたのが1296年でした。


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Palazzo Strozzi di Mantova


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プロコンソロ通り


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次はサン・ベネデット教会です。


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これがサン・ベネデット教会の建物です。普通の家屋に見えるので意外に思われることでしょう。写真の1階の、向かって左部分がサン・ベネデット教会です。


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1032年の文書に教会の存在が記載されており、創建から200年はかなり勢力がありました。現在のドゥオーモの拡張に伴って、徐々に勢力が削がれ、やがて資産の殆どを失いました。現在の建物は1702年に建設されたもので、ごく小規模の教会になりました。


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通りの正面はBottega dell'Opera del Duomoです。


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ドゥオーモの壁龕などに置かれた彫刻の複製を主に行っている工房です。外に置かれた本物の彫刻は劣化が進んでいるので、その維持保存のために、この工房で制作された複製品に置き換えられてます。本物はドゥオーモ付属博物館に移されてます。


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ゼッキ画材店は昼休み中です。


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中世の作品修復に必要な、当時に使用された顔料、例えばカイガラムシを原料とする赤色顔料なども扱う専門店です。


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ドゥオーモ広場に戻りました。


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ファサードのルネッタ


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先ほどの工房で制作された複製彫刻です。


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ファサードの聖人彫刻は全て複製品に置き換わったそうです。


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次はResidenza dell'Arte dei Beccai (食肉組合館)です。この場合のarteは、ギルドの意味です。


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カルツァイウォーロ通り


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サン・カルロ・ディ・ロンバルディ教会


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オルサンミケーレ教会の横を通ってResidenza dell'Arte dei Beccai に向かいます。


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Residenza dell'Arte dei Beccai はオルサンミケーレ通りに面して建ってます。


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Residenza dell'Arte dei Beccai (食肉組合館)です。


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オルサンミケーレのカピターノを務めていたマッチ家の邸宅として14世紀に建設されました。
その後、食肉組合の所有となり、1534年まで同組合の本拠地でした。


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その後、建物の所有者が何度も変わりました。
1974年からAccademia della Arti del Disegnoの建物になって、現在に至ってます。


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ファサードの紋章は建物の代々の所有者のもので、その変遷を物語ってます。


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写真最上部の紋章は食肉組合のものです。


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Accademia della Arti del Disegno所有の作品が展示されているので、美術ファンにとっては必見です。


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入館無料です。中に入ると、ポントルモのフレスコ画が目に入ります。


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ヤコポ・カルッチ通称イル・ポントルモ別称ヤコポ・ポントルモ(ポントルメ、1495‐フィレンツェ、1557)の「ボルドローネのタベルナコロ」(1521‐22)


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マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424c)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1395‐1400)


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フランチェスコ・ダントニオの「オルガン扉の天使たち」


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フランチェスコ・ダントニオの「オルガン扉の天使たち」


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詳細不知


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詳細不知


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ストロッツィ家の紋章


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ポントルモの「本の聖母」など他の作品が見当たりませんでした。


4
ポントルモと工房による「本の聖母」(1540‐45c)
外部サイトから作品画像を拝借しました。


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外に出ました。
(つづく)

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次は、オルサンミケーレ教会と連絡アーチで繋がっている建物です。(写真右端の建物)


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Palazzo dell'Arte della Lanaです。
中世の頃、アルテと呼ばれる商工業組合がありましたが、その中で最も力があった羊毛組合の建物です。


2
オルサンミケーレ通り、カリマーラ通り、アルテ・デッラ・ラーナ通りの角にあります。


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建設された当初はTorre di Compiobbesiと呼ばれていました。
12世紀末のフィレンツェは、都市貴族は派閥毎に徒党を組んで塔を構えた要塞のような館を建設して、反対派と対抗していた物騒な時代でした。
その貴族の中に、フィエーゾレのコンピオッビ出身のコンピオベッシ家が13世紀に建てたのがTorre di Corso Donatiです。


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やがて有力貴族がグエルフィ(教皇派)とギベッリーニ派(皇帝派)の二派に分かれて激しい抗争を繰り返しました。
1266年のベネヴェントの戦いによって、グエルフィが勝利すると、ギベッリーニに属していたコンピオベッシ家は、Torre di Compiobbesi、出身地のコンピオッビで所有していた城とサン・ミケーレ教会などの財産が没収されてしまいました。
1308年、建物は羊毛組合の所有となり、Palazzo dell'Arte della Lanaと呼ばれるようになりました。


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1569年、2つの建物を繋ぐ連絡橋がベルナルド・ブオンタレンティ(フィレンツェ、1531‐1608)の設計によって建設されました。
現在、オルサンミケーレ美術館に入館するための通路になってます。


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1905年、Societa Dantesca Italianaの所有となり、現在に至ってます。


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16世紀、パラッツォの2階は、コジモ1世によって公証人の記録保管所になりました。


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次はタベルナコロを見ます。


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建物の下の方にタベルナコロがあります。


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Tabernacolo di Santa Maria della Trombadesu


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タベルナコロの上にタルガがあります。


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ダンテのタルガ「神曲をかざすダンテ」です。
原画は、フィレンツェ大聖堂にあります。


3
ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417‐1491)の「神曲をかざすダンテ」
これが原画です。


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さて、タベルナコロですが、元からここにあったものではありません。
カリマーラ通りとメルカート・ヴェッキオ広場(現在の共和国広場)の間に、1321年に建設されたアルテ・ディ・メディチ・エ・スぺツァーリ(医師・薬種商組合)の礼拝堂が前身です。


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礼拝堂は店に転用されましたが、17世紀にタベルナコロとして再建されました。
19世紀にタベルナコロは破壊されてしまいましたが、破壊された断片を使用して1905年に現在の場所に復元されたものです。


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中に絵画があります。


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中の絵画の写真を撮ろうとしましたが、中々上手くいきません。


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絵画は、17世紀にタベルナコロとして再建された時にあったものではなく、20世紀初めにこの場所で復元された時に美術館から移設されたものです。


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聖母戴冠の制作者が14世紀のフィレンツェ派の画家とされてますが、現在ではニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニの作品とされているようです。


1
ヤコポ・デル・カゼンティーノ(プラートヴェッキオ、1297c‐1349c)の「聖母子と聖人たち」(1347以前)
(外部サイトから拝借した作品画像)


2
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ(フィレンツェ、1368から記録‐1415没)の「聖母戴冠」(1380‐85)


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この日、Palazzo dell'Arte della Lanaの中に入ることが出来ませんでした。


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新市場のロッジャに向かいました。


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写真右奥に新市場のロッジャが見えてます。


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この辺は古い建物が多い。


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カリマーラ通り


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古い建物と思いきや、そうではありません。
1892年に建設されたPalazzo degli Angeliです。


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ランベルティ通り


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Mercato Nuovoのロッジャ


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ロッジャは16世紀中頃に建設されました。


1266
ロッジャにあるポルチェッリーノの泉
これは、ブロンズの複製です。
オリジナルは、ピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577‐フィレンツェ、1640)の大理石彫刻でピッティ宮にあります。


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このままヴェッキオ橋に行ってもやることがありません。


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戻ることにしました。


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次はサン・ビアージョ教会です。


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教会はペッリッチェリ通りにあります。


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ペッリッチェリ通りに入ると、直ぐに教会が見えます。


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サンタ・マリア・ソプラ・ポルタ教会とも呼ばれてます。


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1038年の文書に記載されている古い教会です。


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カロリング時代の城壁の南門ポルタ・サンタ・マリアに近かったことからサンタ・マリア・ソプラ・ポルタ教会と呼ばれていたのです。


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現在の建物は、13世紀半ばに再建された二代目のものです。


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教会は、1785年に閉鎖され、その後、教会としては一度も再開されることがありませんでした。
その後、19世紀に消防隊の宿舎に転用されましたが、現在はBibloteca di Palagio di Parte Guelfaとなってます。


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中にフレスコ画があるそうですが、中に入らずに終わりました。


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近くをぶらぶら歩きました。


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歴史ある建物ばかりですが、一つ一つ触れていては先に進みません。


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(つづく)

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Torre di Corso Donatiですが、どうしても同じ場所に来てしまいます。


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突き当りの建物のルネッタにフレスコ画があります。


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この建物です。旧教会?


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ルネッタのフレスコ画(詳細不知)


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パンドルフィーニ通りのタベルナコロ


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ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチ(フィレンツェ、1560‐ナポリ、1600)の「受胎告知」


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ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチは、ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニの弟子です。サンティ・ディ・ティートの強い影響を受けた画風でした。ナポリで没しましたが、彼の墓は、彼の頭蓋骨を使い、首下から足先までを彫刻にした、一度見たら忘れることが出来ない強烈溢れるものです。


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オルサンミケーレ教会に向かいました。


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ヴェッキオ宮の塔が見えてきました。


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塔のある建物


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裏通りを歩きました。


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サン・フィレンツェ広場に出ました。


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シニョーリア広場に入ります。


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シニョーリア広場はそれ程の混雑ではなかった。


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広場に奇妙なオブジェが無かったので安心しました。


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シニョーリア広場からカルツァイウォーロ通りに入れば、オルサンミケーレ教会が見えます。


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オルサンミケーレ教会です。


1
7‐8世紀頃、広大な菜園を保有する女子修道院の小さな礼拝堂がありましたが、その礼拝堂が前身です。8世紀中頃、礼拝堂は拡充されてサン・ミケーレ・イン・オルト教会になりました。その教会名がなまってオルサンミケーレ教会となったそうです。


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1240年、教会は閉鎖され、教会の建物は穀物市場のロッジャに転用されました。市場は、1290年、アルノルフォ・デル・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1235c‐フィレンツェ、1302c)の設計によって再建されました。


508
しかし、1304年7月10日に起きた火災によって、建物は焼失してしまいました。


509
消失後、1350年に再建された建物が現在の姿の原形となってます。


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1360年頃、穀物市場を移転撤去して教会を作ることに決定され、教会に改造されました。


465
1569年から、教会建物の最上階にトスカーナ大公コジモ1世が居住しました。


466
外壁のニッチに置かれた彫刻が特徴です。
長年、太陽、風雨に晒されて、彫刻の劣化があることから、現在、オリジナルの場所にある彫刻は全て本物のコピーですが、コピー彫刻が置かれている壁龕はオリジナルのものです。
壁龕の彫刻は全部で13点ありますが、そのうち11点がオルサンミケーレ美術館、2点がバルジェッロ国立博物館で展示されてます。
外部に置かれたコピー彫刻を見て行きます。


473
ドナテッロ作「聖マルコ」のコピー彫刻


474
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ランベルティ作「聖ヤコポ」の複製彫刻
日が当たってよく見えません。


475
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・テデスコ作「聖母子」のコピー彫刻


476
バッチョ・ダ・モンテルーポ作「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」のコピー彫刻


478
ヴェロッキオ作「聖トンマーゾの不信」のコピー彫刻


479
ジャンボローニャ作「聖ルカ」の複製彫刻
本物はバルジェッロ国立博物館にあります。


5000
ロレンツォ・ギベルティ作「聖ステファノ」のコピー彫刻


5001
ロレンツォ・ギベルティ作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」のコピー彫刻


5002
ロレンツォ・ギベルティ作「聖マッテオ」の複製彫刻


480
フィリッポ・ブルネッレスキとドナテッロ作「聖ピエトロ」の複製彫刻


481
ナンニ・ディ・バンコ作「聖フィリッポ」の複製彫刻


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ナンニ・ディ・バンコ作「4聖人」の複製彫刻


483
ドナテッロ作「聖ジョルジョ」の複製彫刻
本物はバルジェッロ国立博物館にあります。


486
ナンニ・ディ・バンコ作「聖エリージョ」の複製彫刻
教会の中に入ります。


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面白い構造をしています。


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右側壁


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天井のフレスコ画


1
アンドレア・オルカーニャによる主祭壇


2
主祭壇画は、ベルナルド・ダッディの「聖母子と天使たち」です。


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外に出ました。
(つづく)

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次はサンタ・クローチェ聖堂です。


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街角のタベルナコロが見えてきました。


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街角のタベルナコロ


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かなり出来の良い「聖母子と2聖人」です。制作者、制作された時期などの詳細が不明です。


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地上階の窓が鉄格子で守られてます。これだけ頑丈にしないと危険?


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あのアーチを潜れば、サンタ・クローチェ広場は直ぐ傍。


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ジュゼッペ・ヴェルディ通り


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ラ・マレンマの前を通り過ぎます。どれを食べても美味しく、値段もリーズナブルなのでお勧めです。


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サンタ・クローチェ広場に来ました。


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サンタ・クローチェ聖堂を拝観しました。ここについては既に取り上げました。


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Via de'Benciを通ってホーン美術館に向かいました。
写真左は、1456年に建設されたPalazzo Mellini- Fossiです。


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写真左は、1260年から1266年に建設されたPalazzo Albertiです。


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ホーン美術館の建物が見えてます。


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ホーン美術館が置かれているPalazzo Corsiです。
元々は1357年以前にアルベルティ家によって建設された建物ですが、1489年にコルシ家に売却され、コルシ家によって1495年から1502年にかけてルネサンス様式に再構築された建物です。


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イギリス人の美術史家で、美術品収集家だったハーバート・パーシー・ホーン(ロンドン、1864‐フィレンツェ、1916)が個人収集した美術品を展示するために、1912年にコルシ宮を購入しました。
ホーン氏は、美術品と共にコルシ宮で過ごしましたが、1916年に没すると、建物と収集物はトスカーナ州に売却されました。


P1600193
収集物を管理し、展示するために財団が設立され、1921年に一般公開されるようになりました。


P1600187
美術館の入り口です。


P1600192
建物の装飾


P1600191
入館者は何時も少ないと思います。


P1600188
入館しました。
中は写真不可です。
作品画像がないと美術館の紹介は無理なので、外部サイトから主な展示作品の画像を拝借して載せておきましょう。


5
ジョット・ディ・ボンドーネ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ、1267c‐フィレンツェ、1337)の「聖ステファノ」(1320‐25)


4
ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280/1285c-1348c)の「3聖人」(1315c)


3
聖人


2
アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖女


6
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1512c)


7
ドメニコ・ベッカフーミ(モンテアペルティ、1486-シエナ、1551)の「聖家族と聖人たちのトンド」


8
ピエロ・ディ・コジモ(フィレンツェ、1461-1522)の「瞑想の聖ジローラモ」(1490-1500c)


9
フィリッポ・リッピ(フィレンツェ、1406-スポレート、1469)の「ピエタ」


10
マザッチョ(カステル・サン・ジョヴァンニ・イン・アルトゥーラ、1401-ローマ、1428)の「聖ジュリアーノの物語」(1424c)


12
ベノッツォ・ゴッツォーリ(フィレンツェ、1420c-ピストイア、1497)の「十字架降下」(1497)


13
ヤコポ・サンソヴィーノ(フィレンツェ、1486-ヴェネツィア、1570)の「聖母子」(1500-10c)


11
ドッソ・ドッシ(サン・ジョヴァンニ・デル・ドッソ、1468c-フィレンツェ、1542)の「音楽の寓意」(1485c)
有名芸術家の作品が揃ってます。


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外に出ました。


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多翼祭壇画の分解されたパネル作品が多いホーン美術館です。


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写真左はPalazzo Grifoni- Libriです。


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敷地面積によって税額が決まるので、それに対処するために工夫された建物です。


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Via de'Neri


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通りの突き当りがヴェッキオ宮です。


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相変わらずの混雑でした。


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街角のタベルナコロを見ます。


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アレッサンドロ・ゲラルディーニの「聖フィリッポ・ネリに顕現する聖母子」(17世紀末)


P1600215
(つづく)

825
ヴェッキオ橋を渡ります。


824
堤防の上に住居が並んでますが、大水の時に流されないか心配になります。


826
余計なお世話と言われそうですが、写真右手前の建物はいかにも危険と思います。


827
ヴァザーリの回廊


834
対岸のグラツィエ川岸通り前の国立図書館を横目で見ながら先に進みます。


835
アルノ川の水嵩が何時もより少ないようでした。


837
サン・ニッコロ門からミケランジェロ広場へと上りました。


840
少し雲が出てきました。


845
フィレンツェ定番の景色


846
サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会はミサ中だったので、拝観を遠慮しました。


847
日曜日だったので、ミサが行われている教会が多かった。


848
教会前の花を見てから更に上ります。


849
サン・ミニアート・アル・モンテ教会にやってきました。


852
ここもミサ中でした。日曜日なので拝観出来ないのは仕方がありません。


851
サン・ミニアート・アル・モンテ教会はかなり高い場所に建ってます。


850
墓地を見ます。


853
雲が多くなってきました。


854


857
教会巡りをするのであれば、日曜日の午前中は避けるべきでした。


858
川岸の通りに戻ります。


859
この教会は閉まっていました。


860
フィレンツェは塔が多い街です。


861
塔の町と言われるサンジミニャーノやアスティと比べても塔の数では引けを取らないと思います。


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街角の聖母子の傑作を観ます。


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これです。ここに置いて大丈夫かと心配になります。
「聖母子と2天使と聖ピエトロと聖ベネデットのタベルナコロ」(14世紀末)


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チェンニ・ディ・フランチェスコ・ディ・セル・チェンニ(フィレンツェ、1369‐1415)の帰属作品です。


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この日もアルビツィ通りを通りました。


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16世紀に建設されたPalazzo Varori


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久し振りにサンタンブロージョ教会の作品を見たくなりました。


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旧サン・ピエル・マッジョーレ教会のファサード


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Palazzo Donati


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Palazzo Donatiの第2の塔


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旧サン・ピエル・マッジョーレ教会のファサードの横後方にArco di San Pierinoが写ってます。


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サンタンブロージョ教会に向かってます。


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サンタンブロージョ教会はもう直ぐです。


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サンタンブロージョ教会にやってきました。
サンタンブロージョ教会については、2017年1月29日にアップしました。


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扉上ルネッタに描かれたフレスコ画(詳細不知)


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拝観しました。


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傑作が沢山あります。


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美術ファンには必見の教会です。


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こちらはコピー画です。


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主な作品リストが教会内にあります。


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外に出ます。


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(つづく)

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歴史的建造物を見て回ります。


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写真左の建物が見ものです。


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1831年に建設されたPalazzo Gallettiです。ボルゲーゼ宮の影響を受けた壁龕の彫刻と言われてますが、何処がボルゲーゼ宮の影響なのか、サッパリ分かりません。


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写真右はPalazzo degli Sportiで、下部面積の有効利用のため、工夫されている建物です。


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オリウオーロ通りに入りました。


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振り返るとドゥオーモのクーポラが見えました。


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サン・ピエル・マッジョーレ広場に向かいます。


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塔がある建物が見えてきました。


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Torre di Corso Donati


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建物にアーチがありますが、1173年から1175年にかけて築かれた城壁の痕跡で、Arco di San pierinoと呼ばれてます。


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サン・ピエル・マッジョーレ広場、またはサン・ピエリーノ広場です。


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Palazzo Donatiの第2の塔です。


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写真右端は旧サン・ピエル・マッジョーレ教会です。


7
旧サン・ピエル・マッジョーレ教会のファサードです。
11世紀に設されたベネデット会女子修道院が前身です。14世紀にゴシック様式の教会に改修され、1638年にファサードに柱廊が設けられました。
1783年、建物の一部が突如崩落し、危険と判断されて1784年に教会としての機能が停止されました。その後、教会だった建物は取り壊され、ファサードの一部だけが残され現在に至ってます。


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アルビツィ通りを進みます。


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14世紀中頃、フィレンツェは経済不振、ペスト、飢饉に見舞われ危機にありましたが、1350年代になると不況から脱しました。それに伴い、従来の旧勢力に代わって台頭してきたのが、ストロッツィ家、アルビッツィ家、メディチ家などの新興勢力でした。
この通りにアルビッツィ家とアルビッツィ家の支持者たちの家が並んでいました。


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写真右端がPalazzo Albiziです。


8
Palazzo Albiziのアルビッツィ家の紋章


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Piazzetta Piero Calamandrei


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塔があります。


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アルビッツィ家の塔です。


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写真右の建物に注目です。


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Palazzo Valori-Altoviti


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この場所にはアルビッツィ家の建物がありました。
チョンピの乱後の1380年代から、フィレンツェはアルビッツィ家を中心とする寡頭政治下にありました。
1429年から1433年にかけてのルッカとの戦争によって、フィレンツェは財政危機に見舞われ、それを回避するために重税が課せられるようになると、ルッカとの戦争を推進したアルビッツィ家と戦争に消極的だったメディチ家を中心とする新興勢力との間に深刻な対立が起きました。
アルビッツィ家の当主リナルド・デリ・アルビッツィは、1433年、メディチ家の当主コジモ・イル・ヴェッキオを逮捕して、コジモの死刑を企図しましたが、死刑には至らず、結局コジモの10年間のフィレンツェ追放となりました。
1434年、フィレンツェがイーモラでミラノ軍に敗退すると、それを指導したリナルド・デリ・アルビッツィへの反感が俄かに高まり、ヴェネツィアに亡命していたコジモ・イル・ヴェッキオのフィレンツェ帰還が実現します。
アルビッツィ家はナポリに追放され、財産は没収となりました。
没収されたアルビッツィ家の建物や土地が売却されましたが、この場所にあった建物を買ったヴァローリ家が以前の建物を取り壊して新たに建設した建物です。ヴァローリ家はメディチ家の同盟者でした。


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Palazzo Valori-Altovitiの見所はファサードの彫刻です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カッチーニ(モントポーリ・イン・ヴァル・ダルノ、1556-フィレンツェ、1613)によるファサードの彫刻


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建物の歴史を紐解くと、街歩きが一層楽しくなります。


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Palazzo Tanagli


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中にスタッコ彫刻、フレスコ画の傑作があります。


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当たり前ですが、勝手に中に入ることが出来ません。


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Palazzo Ramirez de Montalvoです。


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トスカーナ大公コジモ1世は、ナポリ副王の娘エレオノーラ・ディ・トレドと結婚しましたが、エレオノーラに従ってフィレンツェに来たのがスペイン出身のモンタルヴォのアントニオ・ラミレスです。
アントニオ・ラミレスは、コジモ1世の召使となりましたが、大変有能で、コジモの秘書兼侍従長のような存在になりました。
コジモ1世は、アントニオ・ラミレスを非常に気に入り、その貢献に報いるために、この場所を与えたのです。


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コジモ1世は、1568年、宮廷建築家バルトロメオ・アンマナティ(センティニャーノ、1511-フィレンツェ、1592)に命じて、この場所にあった建物を取り壊して、新しい建物を建設させたのです。


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ファサードのフレスコ装飾はかなり傷んでますが、トスカーナ大公国お抱えの哲学者で歴史家のヴィンチェンツォ・ボルギーニ(フィレンツェ、1515-1580)が図柄を作成し、宮廷画家のジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511、フィレンツェ、1574)と当時ヴァザーリの助手を務めていたベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548-1612)によって制作されたものです。


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現在、Palazzo Ramirez de Montalvoはホテルになってます。


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プロコンソロ通り


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コルソ通りを進みます。


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コルソ通りの突き当りが共和国広場です。


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Torre dei Donati


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この塔とこの付近の建物には興味深い歴史があります。


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アルベルゴ・フィレンツェはお勧めしません。


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急遽フィレンツェに行くことになり、空いていたのはここだけでした。


1211
良かったのは、食堂のフレスコ画だけでした。
(つづく)

引き続きサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院です。
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Chiostro delle Medicherieです。


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キオストロ回廊の作品を見て回ります。


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回廊に修復工房があります。


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修復工房の部屋にある作品です。(詳細不知)


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469‐1529)の「嘆き」


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制作者情報不知の「聖母子」(15世紀)


2
詳細不知


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ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373‐1452)の「1419年のサンテジーディオ教会奉献式を執り行う教皇マルティーノ5世(第206代教皇 在位:1417‐1431)」(1430c)


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看護師や医師と思われる人たちが回廊にいました。


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有名な作品が修復作業中でした。


4
修復されていた作品です。
ゲラルド・ディ・ジョヴァンニ・デル・フォーラ(フィレンツェ、1445‐1497)の「サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院の特権を許認する教皇マルティーノ5世」


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他に見たい作品が沢山ありましたが、病院なのでこれ以上の鑑賞を自制しました。


3
観たかった作品です。(外部サイトから拝借した作品画像)


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次はサンテジーディオ教会です。


5
サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院の柱廊にサンテジーディオ教会があります。


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教会がある場所は、ロマネスク様式の修道院の一部でしたが、1289年に病院に組み込まれました。
14世紀末に柱廊に教会の建設が決まり、ロレンツォ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1350‐1427)に委嘱され、ロレンツォの設計によって15世紀初めに着工されました。
1419年、第206代教皇マルティーノ5世(在位:1417‐1431)によって奉献式が執り行われました。
現在の教会の外観は、ベルナルド・ブオンタレンティ(フィレンツェ、1531‐1608)の設計によって、ジュリオ・パリージ(フィレンツェ、1571‐1635)の建設工事監督によって16世紀末に行われた改修後のものです。


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入口扉上ルネッタの「聖母戴冠のテラコッタ」


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拝観します。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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左側壁


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右側壁


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ジュゼッペ・トネリ(フィレンツェ、1668‐1732)とマッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669‐1756)による天井装飾(18世紀前半)


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主祭壇と後陣


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主祭壇
奉献以来、主祭壇にはロレンツォ・モナコの「マギの礼拝」が置かれていましたが、1484年にフーゴー・ファン・デル・グースの「ポリティナーリのトリッティコ」に置き換えられました。
現在、その2つの作品はウフィッツィ美術館で見ることが出来ます。
ご参考までに、それらの作品画像を載せおきましょう。


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ロレンツォ・モナコの「マギの礼拝」


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フーゴー・ファン・デル・グースの「ポルティナーリのトリッティコ」


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羊飼いの礼拝


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聖トンマーゾと聖アントニオ・アバーテとポルティナーリ家の人々


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聖マルゲリータと聖マリア・マッダレーナとポルティナーリ家の人々


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後陣の装飾と磔刑像


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マッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669‐1756)の後陣フレスコ画


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詳細不知


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ジャチント・ジェミニアーニ(ピストイア、1606‐1681)の「聖エジーディオ」(1670c)


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ジョヴァン・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「ベテスダの池」


6


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アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535‐1607)の「十字架降下」(1579)


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詳細不知


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バルダッサッレ・フランチェスキーニ通称イル・ヴォルテッラーノ(ヴォルテッラ、1611‐フィレンツェ、1690)の「病人を治癒させる聖ルドヴィーコ」(1665c)


P1460175
詳細不知


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制作者情報不知の「死せるキリスト」


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フェリーチェ・フィケレッリ(サン・ジミニャーノ、1605‐フィレンツェ、1660)の「聖母子と聖人たち」(1654‐57)


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詳細不知


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天井の装飾


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詳細不知


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詳細不知


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聖水盤


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シピオーネ・バルガーリの墓
シピオーネ・バルガーリ(シエナ、1540‐1612)は人文学者でした。


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ます。


P1460238
(つづく)

P1460048
ホテルを出て、先ずファエンツァ通りを通ります。


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フリーニョの最後の晩餐美術館は開いているでしょうか?普段ならば開く日になってますが、近頃閉まっていることが多いのです。


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小さなホテルがファエンツァ通りに沢山あります。


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旧フリーニョ修道院だった建物です。


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この日も最後の晩餐美術館は閉まっていました。尚、フリーニョの最後の晩餐美術館に付いては既に取り上げました。


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毎日の行き来に見るジョヴァンニ・ディ・サン・ジョヴァンニの「聖母子のタベルナコロ」


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少し進むと、もう一つ「聖母子のタベルナコロ」があります。


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これです。


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聖母子のタベルナコロ


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14世紀のフィレンツェの逸名画家の作品です。


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次の交差点を左折します。


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メディチ家礼拝堂の前に出ました。


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サン・ロレンツォ聖堂身廊横を進みます。


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サン・ロレンツォ聖堂は拝観しないで先を急ぎます。


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メディチ・リカルディ宮殿を通り過ぎます。


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適当に歩いても何とかなります。


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写真右はPalazzo Incontriです。


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サン・ミケーレ教会(サン・ミケリーノ・ヴィスドミニ教会)です。


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ちょっとだけ拝観しました。


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外に出ます。


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メディチ家の紋章の玉が一つしかありません。


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街角の聖母子です。


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19世紀中頃のフィレンツェの逸名画家の作品です。


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バイクの駐車場です。


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イタリアにしては整然と行儀良く駐車しているので、驚きでした。
次はサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院です。


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サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院にやってきました。


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ダンテの最愛の人ながら結ばれることがなかったベアトリーチェ・ポルティナーリ(フィレンツェ、1266c‐1290)の父フォルコ・ポルティナーリ(ポルティコ・ディ・ロマーニャ、1222?‐1289)によって1288年に建設されたサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院です。
高利貸しで財を成したフォルコ・ポルティナーリが、贖罪のために財産の大部分を寄付して建設されたのです。


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道路を挟んで病院の向かいにある建物です。


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女子修道院だった建物です。


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この修道院の修道女たちが向かいの病院で看護などをしていました。


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フィレンツェにおける最古の福祉施設ながら、今なお現役の病院です。


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芸術品の宝庫です。美術館に移された作品が幾つかありますが、今でも必見の作品が残されてます。


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しかし、病院なので観光客の立ち入りは自制すべきであり、見ることが出来る作品は限られてます。


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病院の建物にサンテジーディオ教会があります。教会の拝観は後回しにしました。


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入口の柱廊です。病院には柱廊、回廊があります。


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入口の柱廊のフレスコ画から見て行きます。


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東端の壁に描かれたフレスコ画です。


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タッデオ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1529‐ローマ、1566)の「受胎告知」(1560c)


P1460202
アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「キリストと教会博士たち」(1614)
単にイル・ポマランチョというと数人の画家がいるので、区別することが肝要です。


P1460203
アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「嬰児虐殺」(1614)


P1460207
アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「マギの礼拝」(1614)


P1460213
アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「ご誕生」(1614)


P1460199
メディチ家とポルティナーリ家の紋章


1


P1460235
(つづく)

148
久し振りにドゥオーモのクーポラに上りました。


139
エレベーターが欲しいところですが頑張りました。


137
余ほど暇がないと上らない私ですが、この日は少々疲れ気味だったので、適当に過ごそうと思っていました。疲れ気味にも拘らず上ったのは、非常に空いていたからです。


135
疲れ気味なのに、わざわざ上ってバカみたい。


143
晴れていましたが霞んでいました。


156
塔を見に行くことに。


155
ダンテの家博物館の塔です。


154
Torre dei Giuochi


198
ホテル・ブルネッレスキのビザンティン様式のTorre della Pagliazza


228
この塔の名前が思い出せません。


229
Torre dei Barbadori o Torre de Ridolfi?


230
ヴァザーリの回廊のTorre dei Mannelli


233
Torre degli Amidei


227
次はサント・ステファノ教会です。


216
サント・ステファノ教会の扉が閉まっていました。この日は、この教会でコンサートが行われるので必ず開く筈です。


225
2,3時間後に再びサント・ステファノ教会に行くことにして、街歩きを続けました。


224
フィレンツェは、見所が膨大にあるので退屈しません。


252
ブルネッレスキのロトンダ


253
フィリッポ・ブルネッレスキの設計によって1434年に建設されたサンタ・マリア・デリ・アンジェリ礼拝堂です。


254
ぺルゴラ劇場


223
1570年から1574年に建設されたPalazzo di Bianca Cappelloです。


222
ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)によるファサードの装飾が見ものです。


366
再びサント・ステファノ教会に向かいます。


432
サント・ステファノ・アル・ポンテ教会が開いてました。
教会の最初の記録は1116年の文書ということで、1116年以前に存在していたことが分かってます。


464
1233年頃、ファサードの下部が現在の姿に改修されました。
1986年、教会機能が停止されました。
現在、教会だった建物は、トスカーナ管弦楽団のホールになってます。トスカーナ古楽器管弦楽団やフィレンツェ室内管弦楽団などのコンサートが行われてます。


434
単廊式、バロック様式の内部です。


479
左側壁


480
右側壁
各礼拝堂の祭壇画を見て行きます。ここで注意したいのは、この教会に元々あった作品が少なく、他の教会にあった祭壇画が持ち込まれて礼拝堂に設置された作品が幾つかあることです。


435
制作者情報不知の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


438
フランチェスコ・コンティ(フィレンツェ、1681‐1760)の「天国の鍵を聖ピエトロに託すキリスト」


440
ミーノ・ダ・フィエーゾレ(ポッピ、1429‐フィレンツェ、1484)?の「聖母子」


442
16世紀のフィレンツェの逸名画家作「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


445
詳細不知


447
詳細不知


450
ニッコロ・ラーピ(フィレンツェ、1667‐1732)の「磔刑」
15世紀のフィレンツェの逸名彫刻家作「磔刑像」


452
フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「聖チェチリアの死」


456
制作者情報不明の「チゴリ作『十字架降下』のコピー画」


458
マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578‐1650)の「聖ロレンツォに顕現する聖母子」


461
17世紀のフィレンツェの逸名画家作「トレンティーノの聖二コラ」


481
サント・ステファノ・アル・ポンテ教会のファサード横後方にサント・ステファノ付属美術館がありますが、近年開いていたことがありません。


482
中にジョット・ディ・ボンドーネ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ1267c‐フィレンツェ、1337)の「聖母子」があります。


465
外に出ました。


466
オルサンミケーレ教会


464
ドゥオーモに来ました。


465
ホテルに戻る途中にドゥオーモがあるので、ホテル・ヴァザーリに泊まるときは、毎日ドゥオーモの前を行き来します。


468


462
(つづく)

388
晴れてきましたが、昨夜から未明にかけての雨で、日が当たらない道路は未だ濡れていました。


389
気温が急に上昇してきました。


390
次はサンティ・アポストリ教会です。この辺は13世紀から14世紀の建物や塔が並んでます。


391
サンティ・アポストリ教会です。
西暦800年に教会の歴史が遡るという記録があるのですが、その記録は後世の捏造との説が有力とされているようです。
現在のロマネスク様式の建物は11世紀末頃に着工されたそうです。


392
屋根付きのファサードが特徴です。
そのファサードは、建築家ベネデット・ダ・ロヴェッツァーノ(ロヴェッツァーノ、1474‐カナペール、1554c)の設計によって16世紀中頃に建設されました。


427
小さな鐘楼は、バルトロメオ・ディ・アーニョロ・バリオーニ通称バッチョ・ダーニョロ(フィレンツェ、1462‐1543)の設計によって16世紀前半に建設されました。


475
ファサードはリンボ広場に面してます。


426
リンボ(辺獄)広場の名称は、洗礼を受ける前に死んだ子供たちの墓地が広場にあったことに由来します。
洗礼を受けないで死ぬと成仏?できないと考えられており、赤ちゃんの死亡率が高かったので、誕生した翌日に洗礼式が執り行われることが屡々ありました。


393
毎日開いているので拝観し易いと思います。


394
教会内に入りました。


429
教会の構造図


430
教会の案内板


395
三廊式、バジリカ形式のロマネスク様式の内部です。


396
コリント式列柱が目立ちます。


424
木組みの梁の天井


397
ヤコポ・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1325‐1399)とニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ(フィレンツェ、1368から記録‐1415没)の「玉座の聖母子と4聖人のポリッティコ」(1383)


476
私の写真が不鮮明なので、外部サイトから拝借した鮮明な作品画像を掲載しておきます。


399
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469‐1529)の「Tabernacolo del sacramento」(1500‐25c)


477
私の写真が不鮮明なので、外部サイトから拝借した鮮明な作品画像を掲載してます。


404
マーゾ・ダ・サン・フリアーノ(フィレンツェ、1536‐1571)の「幼きキリストへの崇拝」


405
「幼きリストへの崇拝」の前のプレセピオ


406


408
アレッサンドロ・フェイ・デル・バルビエーリ(フィレンツェ、1543‐1592)の「大天使聖ミケーレ」


409
詳細不知


478
アントン・ドメニコ・ガッビアーニ(フィレンツェ、1652‐1726)の「サレスの聖フランチェスコの栄光」(1685)


411
上部


410
下部


412
パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397‐ピサ、1478)の「聖母子のシノピア」


413
パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397‐ピサ、1478)の「聖母子」(1400‐10c)


415
詳細不知


416
詳細不知


417
詳細不知


419
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「無原罪の御宿リの寓意」(1541)


421
詳細不知


423
詳細不知


431
外に出ました。


387
日が当たっている道は乾いていました。


359
サント・スピリト教会に向かいます。


362
橋を渡ります。


364


356
残念! サント・スピリト教会は閉まっていました。


354
教会が閉まる時間になったので、ウフィツィ美術館に行くことにしました。


379


378


370
(つづく)

P1190202
午後9時過ぎにサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着しました。


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今回は、駅近くのお宿にしました。


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共和国広場に面したペンディーニ・ホテルの予約が満室だったので、ここにしました。毎年泊まってます。


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このホテルの特徴は、部屋のドア、廊下、食堂、部屋内などに名画の写真が沢山あることです。


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これを見て回るだけでも楽しいのです。


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部屋の扉には必ず肖像画があります。その肖像画は大体メディチ家の人々のものです。


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美術ファンならば一度泊まっても損がないと思います。


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広間天井のフレスコ画
16世紀中頃に建てられた修道院を改装したホテルなので、ホテル内のあちこちにオリジナルのフレスコ画があります。


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制作者と画題は大体分かります。


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肖像画は少し難しい。


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夕食に出ました。


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ホテルから徒歩数分の魚料理のレストランにしました。


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時々利用してます。


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外に出ました。


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ファエンツァ通り


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街角のタベルナコロ


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酔い覚ましのブラブラ歩きです。


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午後11時近くですが、まだまだ人通りが多い。


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教会です。


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開いていたことが一度もなく、拝観したことがありません。


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マルタ騎士団?


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ホテルに戻りました。


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翌朝です。
街角のタベルナコロ


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写真左の建物内にフレスコ画があります。
図々しく中に入って写真を撮らせて頂きました。


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父なる神


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ご誕生
夏に行った時、扉が開いていたので覗き込んだらフレスコ画があることが分かりました。


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フリーニョの最後の晩餐美術館は閉まっていました。ここについては既に取り上げました。


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近頃、大体閉まってます。


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街角のタベルナコロの中で傑作とされてます。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァル―ダルノ、1592‐フィレンツェ、1636)の「聖母子と聖人たち」
ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニはマッテオ・ロッセッリの弟子でした。
(つづく)

P1190117
次はサン・ロレンツォ聖堂とメディチ家礼拝堂です。


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見慣れたサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の後陣


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サンタ・マリア・ノヴェッラ駅


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写真右端はメディチ家礼拝堂ですが、メディチ家礼拝堂については既に取り上げました。


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ジョットが生まれた場所に建つPalazzo Benciです。


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Palazzo Benciの外壁にフレスコ画が描かれてます。ジョヴァンニ・マリア・ブッテリ(フィレンツェ、1540c‐1606)によって描かれたとされてます。


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Palazzo Benciにあるトスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチの胸像です。この胸像がここにあるのは、フランチェスコ1世の愛妻ビアンカ・カッペロに対してベンチ家が援助したことに由来するそうです。


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サン・ロレンツォ広場の一部が工事中でした。


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歴史的建造物が建ち並んでます。


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サン・ロレンツォ聖堂のファサード側に回ります。


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サン・ロレンツォ聖堂については既に取り上げました。


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サン・ロレンツォ広場にある、バッチョ・バンディネッリ(フィレンツェ、1488‐1560)の「ジョヴァンニ・デッラ・バンデ・ネリのモニュメント」(1540)


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メディチ・リカルディ宮殿については既に取り上げました。


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粗石積みの外壁


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カヴール通り


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道を挟んで、メディチ・リカルディ宮殿の隣に建っているのがサン・ジョヴァンニーノ・デリ・スコロピ教会です。


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1351年にこの場所に建設されたサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ礼拝堂がありました。
1557年、フィレンツェに訪れたイエズス会に対して、コジモ1世がイエズス会の活動拠点の一部として、その礼拝堂を与えました。
イエズス会は、礼拝堂を取り壊し、その上に新教会の建設を決め、建築家バルトロメオ・アマンナーティ(セッティニャーノ、1511‐フィレンツェ、1592)の設計によって、1579年に創建され、1665年に完成したマニエリスム様式のサン・ジョヴァンニーノ・デリ・スコロピ教会です。


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ローマのジェズ教会を参考にして設計されたと言われてます。


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1836年に再建されたファサードです。


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ファサードのイエズス会の紋章


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ファサードの装飾


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教会内に入りました。


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ミサ中でした。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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右側壁


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天井
祭壇画を見て回ります。


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ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547‐フィレンツェ、1627)の「三大天使」(1602c)


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アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535‐1607)の「キリストとサマリア女」(1587c)


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アントニオ・フランキ(フィレンツェ、1638‐1709)の「聖ジュゼッペ・カラサンツィオの幻視」


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アントニオ・プリエスキ(フィレンツェ、1660‐1732)の「天上の聖母子と聖イグナツィオ・ディ・ロヨラ」


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主祭壇
ミサが終わりました。


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フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「聖フランチェスコ・ザビエルのインディアンへの説教」(1622)


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ジョヴァンニ・ドメニコ・カンピーリア(ルッカ、1692‐ローマ、1775)の「聖ニコラ・ダヴァンティに顕現するキリスト聖母」


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689‐1762)の「聖ジュリアーナ・ファルコニエーリ」


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アルベルト・ザルド(1876‐1959)の「聖ポンピリオ」(1936)


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ジローラモ・マッキエッティ(フィレンツェ、1535‐1592)の「磔刑」


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689‐1762)による天井フレスコ画(1758)


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イエズス会の紋章


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説教壇


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アレッサンドロ・フェイ・デル・バルビエーリ(フィレンツェ、1543‐1592)の「最後の晩餐」


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主祭壇前から見た出入口


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外に出ました。


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絵画ファンにとって嬉しい教会です。


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街角のタベルナコロ


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(つづく)

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フィレンツェの建物は一つ一つ見て行く価値があります。


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街角の「聖母子と2聖人」のタベルナコロ


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カッライア橋に向かいます。


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買わないならば見ないで、と言われてしまいました。


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セッラリ通りの先がカッライア橋です。


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カッライア橋からの景観


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手前がサンタ・トリニータ橋、その先がヴェッキオ橋です。


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橋を渡ってカルロ・ゴルドーニ広場に出ました。


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あの建物の街角のタベルナコロを見ます。


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ガラスの保護板があるので、よく見えません。


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Via del Fossiに必見の彫刻があります。


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レストラン「トレ・メルリ」の建物の外壁にある彫刻です。


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この彫刻です。


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私にはこの彫刻の詳細が分かりません。


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この建物は教会か礼拝堂だったと思います。


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「トレ・メルリ」ですが、お勧めです。


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Via del Fossiを進みます。


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街角の作品を見ます。


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教会だったような建物に作品があります。


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これです。


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保護のガラス板があるので、写真が・・・・・


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かなりマシになりました。


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荊刑のキリスト


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比較的新しい作品です。


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次はマリーノ・マリーニ美術館です。


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マリーノ・マリーニ美術館は、サン・パンクラツィオ教会だった建物にあります。


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マリーノ・マリーニ美術館です。


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サン・パンクラツィオ教会の最古の記録は931年の文書における記載だそうです。14世紀に増築され、18世紀中頃に現在の姿に改修されたそうです。


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1808年、教会としての活動が停止され、その後、様々な用途に使用されていました。


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マリーノ・マリーニ美術館は1988年にオープンしました。


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入館しました。
マリーノ・マリーニの作品は、私の好みから少し外れるので、展示作品紹介等は省略させて頂きます。


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少し晴れてきました。


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街角のタベルナコロ


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この通りは?


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トルナブオーニ通りでしょうか?


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Loggia Rucellai


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この通りを更に進めばサンタ・マリ・ノヴェッラ広場に出ます。


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かなり晴れてきました。


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オベリスク


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日が陰っていた方が写真写りが良いみたい。


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(つづく)

引き続きサン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会です。
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ジョヴァン・カミッロ・チャビッリ(シーニア、1675‐フィレンツェ、1746)の「聖アナスタショの殉教」(18世紀)


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「聖アナスタショの殉教」がある礼拝堂のフレスコ画です。


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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制作者情報不知の「聖ロッコ」


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の「聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの光悦」(1702)


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「聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの光悦」がある礼拝堂の装飾


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の「聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの生涯の物語」


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次の礼拝堂です。


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礼拝堂クーポラのフレスコ画


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製作者情報不知


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アレッサンドロ・ゲラディーニの「ご誕生」


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に、もう一度主祭壇を見ました。


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外に出ました。


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ルイージ・ソデリーニ通りです。


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ルイージ・ソデリーニ通りではなく、チェステッロ通りを進みます。


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塔があります。


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塔の名称が分かりません。


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次はカルミネ教会です。


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サンタ・マリア・デル・カルミネ教会に到着です。


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カルミネ教会とブランカッチ礼拝堂については既に取り上げました。


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マザッチョとマゾリーノのフレスコ画を見て大満足。


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旧サンタ・モニカ教会です。


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1808年に宗教活動を停止した教会です。現在は、展示会、コンサートなどの会場として使用されてます。


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聖母子のタベルナコロ


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Via d'Ardiglione


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この通りにフィリッポ・リッピの生家があります。


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リッピの生家はこの先です。


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この建物がフィリッポ・リッピの生家です。


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壁に碑文があるので直ぐに分かります。


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Via d'Ardiglioneの30番地になります。


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受胎告知される聖母?


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(つづく)

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オルトラルノ(フィレンツェのアルノ川左岸)に向かいました。


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パラッツォ―ロ通りを進みます。


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パラッツォ―ロ通りを左折して、マーゾ・フィニグエッラ通りに入ります。


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映画館


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マーゾ・フィニグエッラ通りを真直ぐ進めば、アルノ川に架かるアメリゴ・ヴェスプッチ橋です。


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アルノ川右岸に出ました。対岸に見えているのは、サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会です。


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アメリゴ・ヴェスプッチ橋の上からカッライア橋を望みます。


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近くよりもやや遠くからの方が教会外観全容がよく分かります。


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アメリゴ・ヴェスプッチ橋を渡ってアルノ川左岸に到着です。


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右岸にある、何回も泊まったことがあるホテルです。高いのが取り柄?のホテルですが、それなりのサービスを受けることが出来ます。


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オーニッサンティ教会


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ヴェッキオ宮の塔が見えてます。


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写真左端に写っている鐘楼は、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂のものでしょう。


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現在、サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会が建っている場所は、カルメル会のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ修道院の敷地でした。
サンタ・マリア・デリ・アンジェリ修道院には、聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ(フィレンツェ、1566‐1607)が居住していました。
教会は1450年頃に建設されました。


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1628年、カルメル会の修道女は、シトー会所有の建物と交換することを決め、修道院教会から立ち去り、この場所にあった修道院教会の建物はシトー会の所有となりました。
シトー会は、教会の改修を決め、建築家ゲラルド・シルヴァーニ(フィレンツェ、1579‐1675)に工事を委嘱しました。シルヴァーニの死去に伴い、工事は一時中断しましたが、1680年、建築家ジュリオ・セルティに引き継がれました。
また、クーポラはアントニオ・マリア・フェッリ(フィレンツェ、1651‐1716)の設計によって1689年に建設されました。
現在、クーポラが完成した1689年当時の姿を見ることになります。


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午前中の拝観は午前11時半までとなってます。


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ファサードは未完成です。


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質素なファサード側出入口


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教会内に入りました。


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三身廊、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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「フィレンツェでは珍しいバロック様式」と書いてきましたが、結構ありますね。


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かなり新しく見えるのは、20世紀の修復の際に再塗装されたからでしょう。


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18世紀に造られた大理石の祭壇


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クーポラ


P1190004
クーポラのフレスコ画は、アントン・ドメニコ・ガッビアーニ(フィレンツェ、1652‐1726)の「聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの栄光」(1702‐18)です。


P1190005


P1190003
天蓋


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フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「天上の聖母と聖人たち」


P1190012
詳細不知


P1190013
主祭壇の磔刑像


P1190015
詳細不知


P1190018
ヤコポ・デル・セッライオ(フィレンツェ、1441c‐1493)の「磔刑と聖人たち」


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Cappella di San Bernardoの「Madonna del sorriso」


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木彫りの「微笑みの聖母」(13‐14世紀)


P1190022
聖ベルナルド礼拝堂のフレスコ画は、ピエル・ダンディーニ(フィレンツェ、1646‐1712)の「シトー会創設聖人の生涯の物語」(1688‐89)です。


P1190023
聖べルナルド礼拝堂のクーポラ


P1190024


P1190025


P1190029
アントニオ・フランキ(ヴィッラ・バジリカ、1638‐フィレンツェ、1709)の「キリストの洗礼」(1706)


P1190030
詳細不知


P1190031


P1190032


P1190033
(つづく)

P1180904
次はサン・パオリーノ教会です。


P1180905
サン・パオリーノ教会のファサードが修復中でした。


P1180970
335年に設立され、404年に奉献された初期キリスト教会が前身です。
現在の建物は、1049年に着工されたゴシック様式のものが原形です。


P1180906
当時の名称はサン・パオロ・アポストロ教会でしたが、同名の教会が近くにあって混同を避けるために、1208年以降、サン・パオリーノ教会と改称されました。


1
修復工事後のファサード


P1180971
ファサードは未完成のまま現在に至ってます。
1217年にドメニコ会の教会となり、その後、カルメル会の所有となった時期があります。
17世紀のバロック様式に改修され、その改修工事が終了した1693年が建物の完成年とされてます。


P1180969
ファサードの紋章


P1180908
教会内に入りました。


P1180910
単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


P1180909
右側壁


P1180911
バロック様式の教会にしては地味な天井装飾です。


P1180912
教会の説明パンフレット


P1180919
祭壇画などを見て行きます。
詳細不知


P1180920
詳細不知


P1180921
詳細不知


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ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニのサークルの逸名画家作「受胎告知」(16世紀初め)


2
外部サイトから拝借した作品画像


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詳細不知


P1180928
詳細不知


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主祭壇と後陣


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主祭壇


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ドメニコ・ウーディネ・ナーニ(ロベルト、1784‐フィレンツェ、1850)の「聖パオロの殉教」(1819)


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ドメニコ・ウーディネ・ナーニ(ロベルト、1784‐フィレンツェ、1850)の「聖パオロの回心」(1819)


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クーポラ


P1180933
詳細不知


P1180934
詳細不知


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新しそうなフレスコ


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詳細不知


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詳細不知


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ジョヴァンニ・ドメニコ・フェレッティ(フィレンツェ、1692‐1765)の「マギの礼拝」


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ジョヴァンニ・ドメニコ・フェレッティ(フィレンツェ、1692‐1765)の「聖パオロの死」(1742)


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イグナツィオ・ヘックフォード(ピサ、1703‐フィレンツェ、1778)の「エジプトへの逃避途中の休息」


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ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「聖母の結婚」


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フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「天上の聖母子と聖ジョヴァンニ・デッラ・クローチェと聖テレーザ」


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ピエトロ・マルケジーニ通称ロトルラニーノ(ピストイア、1692‐1757)の「アビラの聖テレーザに首輪を与える聖母」(1740c)
ロトルラニーノの代表作です。


P1180961
イグナツィオ・ヘックフォード(ピサ、1703‐フィレンツェ、1778)の「聖ジョヴァンニ・デッラ・クローチェに顕現するキリスト」


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出入り口


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ファサード裏にオルガンがあります。


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入口扉のステンドグラス


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外に出る前に、もう一度祭壇を見ました。


P1180907
教会前の広場に出ました。
(つづく)

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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の後陣と鐘楼です。


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拝観しました。サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂については既に取り上げました。


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少なくても年に1回は拝観してます。


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ファサード側主扉上ルネッタのフレスコ画


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ファサードの柱頭


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向かって右扉上ルネッタのフレスコ画


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ファサードの扉横柱の彫刻


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向かって左扉上ルネッタのフレスコ画


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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場


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オベリスクは、バルトロメオ・アンマナティ(セッティニャーノ、1511‐フィレンツェ、1592)によって16世紀に造られました。


P1180879
旧サン・パオロ病院の建物です。
13世紀初頭に巡礼者のホスピスとして建設され、1345年にサン・パオロ病院になりました。   
現在、アリナーリ博物館、ノヴェチェント美術館に使用されてます。


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旧サン・パオロ病院ロッジャの壁にある彩釉テラコッタを見ます。
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Lo spedalingo B. Benigni」(1451)


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「慈悲」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「聖キアーラ?」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Santa Francescana」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Santo Fracescano」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「シエナの聖ベルナルディーノ」


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ピエトロ・フランカヴィッラ(フランス、カンブレ、1548‐パリ、1615)の「フェルディナンド1世・デ・メディチの胸像」(1594c)


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Santo Fracescano」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Santo Fracescano」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「聖フランチェスコ」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「慈悲」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Lo spedalingo B. Benigni」(1491c)


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広場の端の建物のフレスコ画を見ます。


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フランチェスコ・フィオレンティーノの「玉座の聖母子と聖人たち」(1420)
フランチェスコ・フィオレンティーノは、ロレンツォ・モナコの弟子です。


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天使たちも描かれていましたが、落剝したようです。


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よく読めないのですが、コピー画のようです。


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スカーラ通りを進みます。


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15世紀に建設されたPalazzo del Borgo


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四つ星ホテルになってます。


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私は未だ泊まったことがありません。


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ホテルが多い通りです。


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街角の聖女のタベルナコロ
聖パオリーノ?


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次はヴァンケトーニ祈祷所です。


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街角のピエタ


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コジモ2世の妻マリア・マッダレーナ・ダ・オーストリアによって1602年から1604年に建設されたOratorio dei Vanchetoni o Arciconfraternita di San Francesco detta dei Vanchetoniです。


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ロレンツォ・リッピなどの祭壇画がありますが、扉が閉まっていました。


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酷い落書きの案内板


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(つづく)

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次は、写真右のサンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会です。


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1032年の文書に記載がある、フィレンツェで最古の教会の一つです。12世紀頃、数度改造されて現在の姿になったそうです。


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1285年、または1290年、ダンテが婚約者ジェンマ・ドナーティと結婚式を挙げた教会とされており、別名ダンテ教会とも呼ばれてます。
しかし、ダンテは近くにあるサン・マルティーノ教会で挙式したとの有力説があり、本当の所はよく分からないようです。


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ダンテの最愛の女性ベアトリーチェ・ポルティナーリの墓があることでも有名です。
しかし、ベアトリーチェは、フィレンツェの銀行家、大商人のバルディ家に嫁ぎ、離婚しなかったことから、サンタ・クローチェ聖堂のキオストロ回廊にあるバルディ家の墓に葬られたと考えるのが自然とされてます。つまり、この教会にあるベアトリーチェの墓は後世の捏造の可能性があるのです。


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観光客で大体賑わってます。


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中に入りました。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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右側壁


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天井


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祭壇画を見ます。


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419‐1492)の「玉座の聖母子と4聖人(聖ルチア、聖マルゲリータ、聖アガタ、アレッサンドリアの聖カテリーナ)」(15世紀)
ロレンツォ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1350‐1427)の作品説もあります。


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後陣のフレスコ画
暗くて写りません。


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詳細不知


11
ベアトリーチェ・ポルティナーリの墓


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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外に出ました。


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午後7時近くになりました。


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そろそろ夕食にしなくては。


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例によって、何時ものお店で食べます。


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2リットル入りのボトルから自分で注いで飲みます。飲んだ量に従って支払います。


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オッソ・ブーコ


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店から外に出ました。


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腹ごなしの食後の散歩です。


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私には味がやや塩辛いお店です。


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何時もの通り、ここでジェラートを食べました。


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ホテルに戻るには早過ぎます。


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食後の散歩を続けます。


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この店でスイーツを買いました。


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ドゥオーモにやってきました。


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洗礼堂が修復中でした。


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ファエンツァ通り
(つづく)

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13世紀中頃に建設されたポデスタ宮です。16世紀にはバルジェッロ(司法長官)の邸宅兼司法事務所になっていました。


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プロコンソロ通りを挟んでバルジェッロ宮の向かいにバディア・フィオレンティーナがあります。


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写真右がバディア・フィオレンティーナです。バディアとは修道院という意味です。


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バディア・フィオレンティーナがある場所にサント・ステファノ・デル・ポポロ教会がありましたが、960年、女性貴族ウィッラ・ディ・トゥスチャ Willa di Tusciaに教会が売却されました。ウィッラは、ベネディクト会の修道院の建設を決め、後にバディア・フィオレンティーナと呼ばれることになる修道院が978年着工されました。
1071年、病院が修道院に併合されました。


226
プロコンソロ通りに面している古い後陣


229
1310年から1330年に建設された鐘楼です。


224
高さ70mの鐘楼です。


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かなり目立ちます。


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ファサード上のStemma Ugo di Toscana


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入口扉上の彩釉テラコッタは、ベネデット・ブリオーニ(フィレンツェ、1459‐1521)の「聖母子と2天使」です。


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彩釉テラコッタの上にある彫刻


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ファサード側の入り口


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入口から中に入ると柱廊に出ます。


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バディア・フィオレンティーナの構造図


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Cappella Pandolfiniの入り口扉のStemma Padolfini


4
Chiostro degli Aranciです。
キオストロ回廊の壁に描かれたフレスコ画を見ます。


5
アゴスティーノ・ヴェラチーニ派逸名画家による「聖母子と聖ベネデット」(18世紀)


9
ジョヴァンニ・デル・コンサルヴォの「聖ベネデットの物語」


10
ジョヴァンニ・デル・コンサルヴォの「聖ベネデットの物語」


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教会の方に向かいます。


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教会の中に入りました。


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元々ゴシック様式の内部ですが、17世紀の改修の結果、随分違った感じがします。


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翼廊がない単廊式です。


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フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457‐フィレンツェ、1504)の「聖ベルナルドの前に顕現する聖母」(1486)


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ミーノ・ディ・フィエーゾレ(ポッピ、1429‐フィレンツェ、1484)の「Dossale Neroni」


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ミラベッロ・カヴァローリ(フィレンツェ、?‐1572以降没)の「聖霊降臨」


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「聖母被昇天と2聖人」


6
聖母被昇天


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詳細不知


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後陣


P1170802


7
詳細不知の磔刑像


8
ジャン・ドメニコ・フェッレッティ(フィレンツェ、1692‐1768)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687‐1755)の後陣のフレスコ画(1733‐34)


245


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ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1320‐1366)に帰属する「キリストの物語」


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ナルド・ディ・チョーネに帰属する「キリストの物語」


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P1170806


P1170810
ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ(フィレンツェ、1535‐1591)の「カルヴァリオへの上り」(1556c)


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詳細不知


249
詳細不知


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オルガン


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外に出ました。
(つづく)

P1170678
サン・フィリッポ広場にやってきました。


P1170681
写真左はバディア・フィオレンティーナの鐘楼です。右のいかめしい建物にバルジェッロ国立博物館が置かれてます。


P1170757
サン・フィリッポ広場に面して建つサン・フィレンツェ複合体 Complesso di San Firenzeです。


P1170761
1174年の文書に、この場所にサン・フィレンツェ教会の存在が記されてます。
1640年、第235代教皇ウルバーノ8世(在位:1623‐1644)がサン・フィレンツェ教会周辺の土地をサン・フィリッポ・ネリ会(オラトリオ会)に与えました。
同会は、与えられた土地に新しい教会修道院の建設を決め、1645年、ピエトロ・ダ・コルトーナに委嘱しましたが、ピエトロの設計は壮大過ぎて経済的に難しいと判断され、着工に至りませんでした。


P1170763
ピエトロ・ダ・コルトーナに代わって、建築家ピエル・フランチェスコ・シルヴァーニ(フィレンツェ、1620‐ピサ、1685)が起用され、シルヴァーニの設計によって1667年創建、1749年に完成したバロック様式の複合体です。フィレンツェでは珍しいバロック様式の建物です。
修道院は1745年から1749年にかけて建設されました。


P1170756
建物の左側がサン・フィリッポ・ネリ教会です。


P1170679
教会以外の部分、向かって右側になりますが、2012年まで裁判所になっていました。裁判所が移転し、その後修復されて、その一部は展示会、見本市、イベントなどの会場として利用されてます。


P1170762
Lo Stemma dei Serragli


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教会ファサードの彫刻


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複合体の構造図です。


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教会は構造図の1の部分になります。


P1170684
教会内に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


P1170685
右側壁


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身廊天井


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中央礼拝堂


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詳細不知の磔刑像


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主祭壇


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主祭壇画は、アントニオ・プリエスキ(フィレンツェ、1660‐1732)の「無原罪の御宿リと聖人たち」(1715)


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祭壇画の下部がよく分かりません。


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後陣天井のフレスコ画は、ニッコロ・ラーピ(フィレンツェ、1667‐1732c)の「三位一体と聖人たち」


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「純粋」


1
ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「慈愛」


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トンマーゾ・レーディ(フィレンツェ、1665‐1726)の「聖家族」(1715)


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ジュゼッペ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の「磔刑」(1729)


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Stemma Serragli


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」


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アントニオ・ドメニコ・ガッビアーニ(フィレンツェ、1652‐1726)の「聖フィリッポ・ネリに顕現する聖母子」(1724)


3
詳細不知


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アレッサンドロ・ギラルディーニ(フィレンツェ、1665‐1723)の「ピエタ」(1715)


P1170732
ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」


P1170733
ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」


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詳細不知の天井画


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トンマーゾ・レーディ(フィレンツェ、1665‐1716)の「聖フランチェスカ・ロマーナの聖体拝領」(1715)


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ジョヴァンニ・アントニオ・プッチ(フィレンツェ、1679‐1716)の「聖母の神殿奉献」(1715)


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詳細不知


2
ルイージ・サバテッリ(フィレンツェ、1772‐1850)によるクーポラのフレスコ画


P1170713
主祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に主祭壇を見ました。


P1170755
外に出ました。


P1170765
広場を挟んで教会の向かいにあるのは、ジュリアーノ・ダ・サンガッロの設計によって15世紀末に建設されたPalazzo Gondiです。
(つづく)

P1170623
昼食にかける時間が勿体ないので、トリッパの立ち食いです。


P1170626
シニョーリア広場にやってきました。目的があってここに来た訳ではなく、ウフィツィ美術館に行くには、この広場を通過する必要があります。


P1170627
アルノルフォ・ディ・カンビオの設計と言われてます。


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1299年に創建されたヴェッキオ宮です。


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奇妙なオブジェがなくてスッキリした広場です。


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バルトロメオ・アマンナーティ(セッティニャーノ、1511‐フィレンツェ、1592)の「ネプチューンの噴水」(1563‐65)


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バルトロメオの弟子バッチョ・バンディネッリが助手として制作に参加したそうです。


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1559年、コジモ1世が広場に噴水を作るべくコンペを行い、バッチョ・バンディネッリ(フィレンツェ、1488‐1560)が勝利しましたが、制作に掛かる前の1560年に死去してしまいました。バッチョの弟子であるバルトロメオ・アマンナーティが仕事を引き継ぎ、バッチョ・バンディネッリのデザインに基づき完成させた彫刻です。


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ジャンボローニャ(ドゥアイ、1529‐フィレンツェ、1608)の「コジモ1世の騎馬像」(1594)


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コジモ1世の騎馬像の台座の彫刻


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シニョーリア広場は、フィレンツェの政治の中心として13世紀から14世紀にかけて整備拡張されました。


P1170644
観光するには、このくらいの混雑が最適です。


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高さ94mの塔


P1170646
ヴェッキオ宮については、既に詳しく触れました。


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制作者不知の「ドナテッロ作『ユディト』の複製彫刻」
本物は、現在ヴェッキオ宮博物館内にありますが、1495年、複製彫刻がある場所に置かれました。


P1170648
ライオン像


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ヤコポ・ディ・チョーネの設計とされているランツィのロッジャは、1376年から1382年に建設されました。


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ロッジャの彫刻を見ます。


P1170652
この日は空いていました。


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パトロクロスを抱きかかえるメネラウス


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古代ローマの彫刻を復元したものです。


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ジャンボローニャ(ドゥアイ1529‐フィレンツェ、1608)の「ヘラクレス」(1599)


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6
べンヴェヌート・チェッリーニ(フィレンツェ、1500‐1571)の「ペルセウス」(1545)


7
ジャンボローニャ(ドゥアイ1529‐フィレンツェ、1608)の「サビーネ女の略奪」(1574‐80)


P1170657
ロッジャからのシニョーリア広場


P1170659
この日の主目的はウフィッツィ美術館に入館することでした。


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アンドレア・オルカーニャ(フィレンツェ、1308‐1368)


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ニコラ・ピサーノ(ピサ、1220‐1284)


P1170662
ジョット・ディ・ボンドーネ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ、1267c‐フィレンツェ、1337)


P1170663
ドナテッロ(フィレンツェ、1386‐1466)


P1170665
この日、ウフィッツィ美術館は空いていました。


P1170668
入館しました。


P1170670
ウフィッツィ美術館については、既に詳しく触れました。


P1170673
この階段を上るのが辛くなってきました。


P1170675
外に出ました。


P1170676
6時間ほど館内にいましたが、もう疲労困憊です。


P1170677
(つづく)

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