イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: 教会巡り

144
旧市街東端にあるストランビ広場です。広場に面してサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア聖堂(写真左)とドゥオーモが建ってます。


198
マチェラータのドゥオーモ、サン・ジュリアーノ大聖堂です。
マチェラータ₌トレンティーノ₌レカナーティ₌チンゴリ₌トレイア合区司教区の司教座が置かれてます。


199
現在、ドゥオーモが建っている場所に、10世紀末に創建され、1022年に完成したロマネスク様式の小さなサン・ジュリアーノ教会が前身です。


314
翌日は快晴になりましたが、快晴の日に撮った写真です。


316
11世紀には教区教会となり、1320年に司教座教会に格上げされました。
ロマネスク様式の最初の建物は、司教座教会としては手狭だったので、再建されることになりました。
14世紀にゴシック様式の二代目の建物が再建されました。1459年から1464年にルネサンス様式に改造されました。1478年に鐘楼が完成しましたが、それを以って二代目の建物が完成しました。


279
16世紀、17世紀、18世紀に起きた地震によって建物が徐々に劣化したので、18世紀に三代目となる建物が建設されることになり、建築家コジモ・モレッリ(イーモラ、1732-1812)の設計によって1771年から1790年に完成した新古典様式の建物が現在の姿です。
資金難のため、ファサードは未完成のまま現在に至ってます。


317
ヴェネツィア出身の建築家マリーノ・ディ・マルコ・チェドリーノ別称マリーノ・チェドリーニの設計によって1467年から1478年に建設された鐘楼は、二代目の建物のもので、現在もそのまま使用されてます。
なお、マリーノは、リミニ出身の建築家マルコ・チェリーノの弟子でした。


394
聖堂内に入りました。


419
三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


203
コリント式円柱が印象に残ります。


418
左右の側廊に5つづつの礼拝堂が設けられてます。


282
中央通路


421
天井フレスコ装飾は、チーロ・パヴィーザ(モンバロッチョ、1890-ペーザロ、1972)によるものです。


413
チーロ・パヴィーザの前にはカヴァリエール・ダルピーノのフレスコ画があったという説があります。


422
クーポラとPresbiterioにもフレスコ画があります。


412
チーロ・パヴィーザ(モンバロッチョ、1890-ペーザロ、1972)の「聖母被昇天」(1924-37)


211
クーポラのフレスコ画は、シルヴィオ・ガリンベルティ(ローマ、1869-1956)の「神学的美徳と宗教の人格化」(1938)
礼拝堂の祭壇画を見て回ります。


395
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566-1643)の「天国のカギを聖ピエトロに託すキリスト」


396
アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ、1560-1607)の「天上の聖母子と聖アンドレアと聖セバスティアーノ」


397
二番目の建物にあった作品です。


281
外部サイトから拝借した鮮明な作品画像


401
ヴィンチェンツォ・マルティーニの「聖カルロ・ボッロメオ」(1790)


403
ジョヴァンニ・バッティスタ・カランドラ(ヴェルチェッリ、1568-ローマ、1644)の「大天使聖ミケーレのモザイク」(1628)


219
大天使聖ミケーレのモザイクは、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂にありましたが、1771年にマチェラータに寄贈されたものです。


405
16世紀の逸名画家作「天上の聖母子と聖ジュリアーノとパドヴァの聖アントニオ」


212


213
アレグレット・ヌーツィ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1315c-1373)の「玉座の聖母子と聖ジュリアーノと聖アントニオ・アバーテ」(1369)


280
ドゥオーモの祭壇画の中では、最高の傑作と思います。


285
トリッティコの中央パネル


284
聖アントニオ・アバーテ


286
聖ジュリアーノ


409
フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550-マチェラータ、1604)の「最後の晩餐」(1604)


410
フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550-マチェラータ、1604)の「エマオの晩餐」(1602)


411
クリストフォロ・ウンターベルガー(カヴァレーゼ、1732-ローマ、1798)の「聖母子にマチェラータの守護を祈願する聖ジュリアーノ」(1786)


414
18世紀の逸名画家作「無原罪の御宿リ」


206
ピエトロ・テデスキ(ペーザロ、1750?-ローマ、1808以降没)の「三位一体と聖ベルナルディーノとサレスの聖フランチェスコ」


210
チーロ・パヴィーザの作品


229
左側廊


228
右側廊


200
もう一度聖堂内を見てから外に出ました。
(つづく)(ドゥオーモは終わりです)

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ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1407から記録‐1467没)の「聖ペトロニオと聖ステファノの生涯」(15世紀)


46
以前は、三位一体教会にありました。


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ボローニャの逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(14世紀末)


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フェッラーラの逸名画家作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(15世紀後半)


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インノチェンツォ・ダ・イーモラ(イーモラ、1494‐ボローニャ、1548)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(16世紀前半)


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ボローニャの逸名画家作「聖母子」(14世紀)


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ヤコポ・ディ・パオロ(ボローニャ、1345c‐1430c)の「聖母子と聖人たちとピエタと受胎告知の多翼祭壇画」(14世紀末)


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多翼祭壇画です。


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誰の作品でしょうか?


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ヴィターレ・ダ・ボローニャ派逸名画家に帰属する「聖フロニアーノ」(14世紀)


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ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480‐1542)の「聖ピエトロ」(16世紀前半)


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ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480‐1542)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(16世紀前半)


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ミケーレ・コルテッリーニ(フェッラーラ、1480‐1542)の「ピエタ」


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フェッラーラ派逸名画家作「園の祈り」(16世紀)


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詳細不明(説明シートなし)の「聖母子」


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リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1360‐1410)の「ピエタ」


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シエナ派逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナ」、「聖ジャコモ」(14世紀中頃)


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Museo Diocesanoの定番展示物


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逸名画家作「聖セバスティアーノ」(18世紀)


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詳細不明(説明シートなし)


P1260622
詳細不明(説明シートなし)


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詳細不明(説明シートなし)


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逸名画家作「聖ジローラモと聖アントニオ」(17世紀)


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エミリア派逸名画家作「嘆き」(15世紀)


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逸名画家作「十字架降下」(16世紀)


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ボローニャの逸名画家作「聖アントニオ」(17世紀)


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カッラッチ派逸名画家作「この人を見よ」(17世紀)


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逸名画家作「荊刑のキリスト」(17世紀)


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次は礼拝堂です。


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美術館に組み入れられた礼拝堂です。


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詳細不明


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マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648‐1729)の「聖家族と聖ベネデット」(18世紀初頭)


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ボローニャの逸名画家作「ご訪問」(18世紀)


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ベルリンギエーロ・ベルリンギエーリ通称ベルリンギエーロ・ダ・ルッカ(ヴォルテッラ、1175c‐ルッカ?、1235/1236)の「嬰児虐殺」(13世紀)
この美術館の代表作品です。


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詳細不明(説明シートなし)


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詳細不明(説明シートなし)


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礼拝堂天井のフレスコ画(詳細不明)


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聖具類


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小さな庭園があります。


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美術館から外に出ます。


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キオストロ回廊に出ました。


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サント・ステファノ聖堂はこれで終わりです。


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ピラトの中庭を経由して外に出ます。


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サント・ステファノ広場に出ました。


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ボローニャの歴史を辿るには、サン・ペトロニオ聖堂よりもここに来た方が良いでしょう。


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(この項 おわり)

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キオストロ回廊にフレスコ画があります。


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「聖母子と2聖人」(詳細不知)


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2聖人は、聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ピエトロ?


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こちらのフレスコ画はかなり古そうです。


48
詳細不明


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階上の壁の装飾を見ました。


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階上階の柱頭を見て行きます。


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劣化したので、一部複製された柱頭があるようです。


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キオストロから見た鐘楼


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ニャーゴがキオストロ回廊にいました。


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次は美術館です。


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こちらは出口のようです。


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こちらが美術館の入り口です。


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キリスト(中央)と聖ヴィターレ(左)と聖アグリコラ
1940年にオリジナルの浮彫は取り外され、美術館に収容されました。


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サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂の入り口扉上に浮彫がありました。現在はレプリカが置かれてます。


50
レプリカの浮彫(1940)


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詳細不知


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ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1407から活動記録-1467没)の「聖母子」(15世紀前半)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖母子」(14世紀中頃)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「トロサの聖ルドヴィーコ」(14世紀)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「磔刑と聖人たち」(14世紀)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖パオロと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ピエトロ」(14世紀)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖ベネデットと聖プロチドと聖シスト」(14世紀)


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シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「聖ジャコモと聖アンドレアと聖バルトロメオ」(14世紀後半)


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詳細不知


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ボローニャの逸名画家作「修道院長聖人」(14世紀)


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トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「最後の晩餐」(15世紀)


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トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「聖人たち」(15世紀前半)


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トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「聖人たち」(15世紀前半)


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トンマーゾ・ガレッリ(ボローニャ、1450-1495活動記録)の「ピエタのキリスト」(15世紀前半)
(つづく)

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ピラトの中庭に戻りました。第3小礼拝堂が開いてました。


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第3小礼拝堂です。


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祭壇に聖遺物が置かれている?


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フレスコ画があります。


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聖堂で買い求めた説明書には、この礼拝堂の記述がありません。


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詳細不明


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中庭に面した柱廊に出ます。


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次は、ピラトの中庭に面した、写真右のChiesa del Martyrium、別称三位一体教会です。


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三位一体教会の後陣外壁がピラトの中庭に面してます。


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ピラトの中庭に面した壁龕に描かれたフレスコ画(詳細不知)


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壁龕に描かれた「聖母戴冠」(詳細不知)


44
ピラトの中庭に面した入口から三位一体教会に入ります。


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中に入りました。


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4-5世紀にこの場所に設けられた殉教者の墓地が前身です。


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現在の5廊式の教会は、17世紀に建設されました。


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有名な「マギの礼拝」(1290-1370c)の彫刻


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14-15世紀のフレスコ画


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聖ピエトロ?(1370c)


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ゴシック様式のフレスコ画(詳細不知)


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ゴシック様式の「殉教聖人」のフレスコ画


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フレスコ断片


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詳細不明


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詳細不明


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ゴシック様式のフレスコ画


P1260495
詳細不明


P1260496
詳細不明


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詳細不明


P1260502
詳細不明


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三位一体教会の床


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次はキオストロ回廊です。


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キオストロ回廊に出ました。


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中世の回廊と呼ばれてます。


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ピラトの中庭よりも広いキオストロです。


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回廊は2階建てで、2階の殆どと1階の一部が修道院でした。


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ロマネスク様式の現存する回廊の1階(地上階)部分は、1000年以上前に建築されました。


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階上階(日本の2階)は、12世紀半ばにピエトロ・ダルべリコ(d’Alberico)(ボローニャ、12世紀活動)によって建築されました。
階上階は立ち入り禁止でした。


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キオストロに古井戸があります。


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(つづく)

25
今回、(その3)では、構造図の6番がピラトの中庭で、その左側にある2つの小礼拝堂と5番のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂を取り上げます。


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ピラトの中庭に面した柱廊にある「Gallo di San Pietro」(14世紀)です。


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40
柱廊の壁のフレスコ画


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ピラトの中庭です。


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ピラトの中庭に面した柱廊に3つの小礼拝堂があります。


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第1小礼拝堂に入りました。祭壇画が取り外されていました。恐らく付属美術館に移されたように思います。


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第2小礼拝堂、Cappella Consolazioneに入りました。


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Cappella Consolazioneの祭壇に「聖母子と2聖人」のフレスコ画があります。
聖母子の方は痛みがありますが、2聖人とは制作された時期が違います。


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中央の「Madonna della Consolazione」(12世紀)


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逸名画家によるフレスコ画です。


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バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「聖ステファノ」


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バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)の「聖ロレンツォ」


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Cappella Consolazioneの天井フレスコ画もバルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556-1629)によって描かれました。
第3小礼拝堂は、20分後に開く予定となっていたので、後程入ることにしました。


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次は、サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂です。Basilica del Sepolcroの隣に建ってます。


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サント・ステファノ聖堂の中で最古の部分がサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂です。


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西暦80年から100年頃に建設されたエジプトの神イシスを祀る神殿がありましたが、4世紀頃に初期キリスト教会に転用されました。その後、6世紀にかけて拡大されたようです。


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聖ヴィターレと聖アグリコラは、ディオクレティアヌス帝の時代の304年頃、キリスト教の棄教を拒否してボローニャで殉教しました。
393年頃、ミラノの聖アンブロージョ司教が2人の遺体を発見し、2人の遺体をこの教会に移しました。それを機に、教会の名称が現在の呼称に変更されました。なお、2人の遺体はクリプタの主祭壇の下に置かれてます。
この教会に司教座が置かれていた時期がありました。


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ファサード上の彫刻「キリスト(中央)と聖ヴィターレと聖アグリコラ」


43
ファサード入口扉周囲の装飾


41
柱頭


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サンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂に隣接する礼拝堂は閉まっていました。


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礼拝堂入口扉上ルネッタ上の彫刻(詳細不知)


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聖堂内に入りました。


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歴史の重みを感じさせます。三廊式です。


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右側廊に聖アグリコラが処刑された時に使われた十字架があります。


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聖アグリコラの十字架(4世紀)


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右側廊


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左側廊


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柱にフレスコ画があります。


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祈る聖母?(詳細不知)


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詳細不知


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詳細不知の剥離フレスコ画


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左側廊の先端に聖ヴィターレと聖アグリコラの墓(7-11世紀)があります。


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墓の中は空です。聖ヴィターレと聖アグリコラの遺骨はクリプタの主祭壇下に置かれてます。


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サント・ステファノ聖堂の鐘楼


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一旦十字架教会に入ります。


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間違ったわけではなく、十字架教会を経由してピラトの中庭に戻るためです。


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十字架教会のPresbiterio前から見た出入口方向


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ピラトの中庭に戻りました。
(つづく)

25
サント・ステファノ聖堂の配置図を再掲します。
今回、(その2)で取り上げるのは、上図の4番Basilica del Sepolcro、6番のピラトの中庭です。


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ピラトの中庭から見たBasilica del Sepolcroです。ファサードはサント・ステファノ広場に面してます。


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Basilica del Sepolcroは、(その1)で取り上げた十字架教会の隣にあります。


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ボローニャの守護聖人聖ペトロニオ司教(?、4世紀末-ボローニャ、450)がエルサレムのSanto Sepolcro Costantinianoを模して5世紀に建設させました。しかし、その建物は現存しません。


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10世紀、最初の建物は侵入したハンガリー人によって徹底的に破壊されてしまいました。11世紀、ベネデット会修道士が最初の建物の廃墟の上に再建した建物が現在見る姿の原形(殆ど同じ)となってます。


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11世紀から12世紀にかけて聖堂外壁の装飾が施されました。


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外に置かれた石棺


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ファサードの装飾


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聖堂内に入りました。


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説教壇と聖ペトロニオの墓です。


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復活祭の朝、聖ペトロニオの墓が開けられ、聖ペトロニオの聖遺物を拝むため、中を這って聖遺物の前に進みました。復活祭の朝の聖マリア・マッダレーナの故事に従い、ボローニャの売春婦たちが中を這いました。一説に拠れば聖マリア・マッダレーナは娼婦でした。


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天井


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天井を支える太い円柱が目立ちます。


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説教壇に上る階段


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階段入口に置かれたライオン像


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1141年、聖ペトロニオの墓から聖ペトロニオの聖遺物が発見され、墓であることが立証されたのです。
ここにあった聖ペトロニオの聖遺物は、2000年、マッジョーレ広場のサン・ペトロニオ聖堂に移されてしまいました。


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説教壇の彫刻を鑑賞します。


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次はピラトの中庭と、中庭に面した柱廊です。


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ピラトの中庭は、737年から744年にかけてロンゴバルド族によって造られました。


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柱廊の先に鐘楼が写ってます。


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ピラトの中庭にある聖水盤


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柱廊の壁の彫刻


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ピラトの中庭を挟んでBasilica del Sepolcroの向かいにあるChiesa del Martyrium


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(つづく)

ボローニャの教会で必見のサント・ステファノ聖堂を取り上げます。
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「ボローニャの斜塔」からサント・ステファノ聖堂に向かいました。


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斜塔があるポルタ・ラヴェニャーナ広場から南東方向に走るサント・ステファノ通りに入りました。


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斜塔から聖堂がある広場まで徒歩5分ほどかかります。


P1260343
サント・ステファノ広場手前の写真右の建物は、1517年から1525年にかけて建設され、その後、さらに増設されたPalazzo Salina Amorini Bologniniです。


P1260344
サント・ステファノ広場の奥にあるのがサント・ステファノ聖堂です。


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広場に面して歴史的建造物ばかりが建ってます。


P1260346
写真左は、1455年に建設されたPalazzo Bolognini-Isolaniです。


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Casa Beccadelli- Bovi- Tacconi


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聖堂前から見た広場右の建物


P1260354
聖堂前から見た左側の建物


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聖堂前から見た、斜塔方向の広場全景


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サント・ステファノ聖堂、またはサント・ステファノ大修道院(Abbazia)と呼ばれるのは、幾つかの教会から成る集合体です。


P1260349
集合体全体がBasilica Minoreに格付けされてます。
説明ではよく分からないと思いますので、サント・ステファノ聖堂の配置図を示しておきましょう。


25
外部サイトから拝借したサント・ステファノ聖堂の地図です。敷地を含む建物全部を合わせたものがサント・ステファノ聖堂です。
1と3がChiesa del Crocifissoで、1が教会内陣、3がPresbiterioです。
2はクリプタです。
4は、Basilica del Sepolcroです。
5がBasilica dei Santi Vitale e Agricolaです。
6は、Cortile(庭)とPilatoです。
7は、Chiesa del Martyrium
8は、キオストロ
9,10の一部はChiesa della Bendaです。
10の一部、11,12がMuseoとなってます。


P1260358
この場所には、西暦80年から100年頃に建設されたエジプトの神イシスを祀る寺院がありました。伝説に拠れば、聖ペトロニオ司教(?、4世紀末生まれ-ボローニャ、450)によって、風化した寺院の上に建設されたのがサント・ステファノ聖堂の前身とされてます。
しかし、それは伝説とされており、最古の部分は、現在のサンティ・ヴィターレ・エ・アグリコラ聖堂の場所とされており、その場所に存在していた4世紀に建設された初期キリスト教会が前身と言うのが定説のようです。


P1260350
初めに十字架教会、Chiesa del Crocifissoから見て行きます。


P1260355
ロンゴバルド時代の8世紀に建設され、16世紀から17世紀にかけて改造されましたが、その改造後の建物が現在の姿とされてます。


P1260356
1488年に追加された説教壇


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ファサード入口扉上の装飾


26
ノーフラッシュならば写真を撮ることが出来ます。(サント・ステファノ聖堂内全てが写真OK)


P1260359
Chiesa del Crocifissoの中に入りました。


P1260362
Presbiterioとクリプタの一部が創建時のものです。


P1260361
右側壁
Presbiterioには、内陣から上ることが出来ませんが、クリプタ経由で入ることが出来ます。


P1260381
先ず、必見なのは彩色磔刑像です。


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逆光なので、彩色磔刑像の写真をうまく撮るのは非常に難しいと思います。


28
仕方がないので、外部サイトから拝借した作品画像を載せておきます。
シモーネ・デイ・クローチフィッシ(ボローニャ、1330c-1399)の「彩色磔刑像」(1380)
シモーネ・デイ・クローチフィッシの傑作です。


P1260363
主祭壇画も見物ですが・・・・・


P1260365
祭壇画、フレスコ画などを見て回ります。


P1260366
ピエル・フランチェスコ・チッタディーニ通称イル・ミラネーゼ別称イル・フランチェスキーノ(ミラノ、1616-ボローニャ、1681)の「聖ステファノの殉教」


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アンジェラ・テレーザ・ムラトリ(ボローニャ、1661-1708)の「聖マウロ・アバーテの奇跡」


P1260372
詳細不知


P1260374
詳細不知


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アレッサンドロ・ジュスベルティ(ボローニャ、1955-)の「聖ステファノ」(2013)


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逸名画家作「聖母子」(15世紀初頭)


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アンジェロ・ピオ(ボローニャ、1690-1770)の「ピエタ」(18世紀)


P1260383
フランチェスコ・カッチャネミーコ(ボローニャ、?-1542)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


P1260384
カッチャネミーコまたはカッチャネミーチとも呼ばれてます。


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ミケーレ・ディ・マッテオ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1410から記録-1469没)のフレスコ画です。


P1260388
次はクリプタです。


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クリプタに下りました。


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8世紀に建設されたクリプタです。


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その後、何度も改修、修復を繰り返しました。


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クリプタの構造上、上部の荷重がかかるので強度的な問題から改修、修復は止むを得ないところです。


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クリプタの祭壇下に、聖ヴィターレと聖アグリコラの聖遺物(遺骨)が収められているそうです。


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逸名画家作「聖ペンタレオーネ」(18世紀)


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クリプタはサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会とも呼ばれてます。


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詳細不知


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パードレ・アンブロージョ・フマガッリ(カンビアーゴ、1915-1998)の「聖フランチェスカ・ロマーナ」


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フィリッポ・スカンナベッキ通称リッポ・ディ・ダルマシオ(ボローニャ、1355c-1410)の作品です。


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クリプタはこれで終わりです。
(つづく)

ベネデット・アンテーラミで有名なフィデンツァのドゥオーモです。
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カヴール通りを左折してジュゼッペ・コンフォルティ通りに入ると、直ぐにドゥオーモが見えます。


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後陣と鐘楼を見ながらファサードの方に回ります。


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フィデンツァのドゥオーモ、サン・ドンニーノ司教座教会 Cattedrale di San Donninoです。フィデンツァ司教区の司教座が置かれてます。


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フィデンツァの聖ドンニーノ(パルマ、?-フィデンツァ、304)は、西ローマ帝国のマクシミアヌス皇帝の王室管理官を務めていましたが、禁教とされていたキリスト教に入信したことで、皇帝の怒りを買い、逃亡しました。ピアチェンツァ郊外で捕らえられ、フィデンツァ城壁外を流れるスティローネ川の川岸で斬首されました。
伝説に拠れば、聖ドンニーノは、斬首された自分の首を拾い、現在、ドゥオーモがある場所まで首を運んで置いたという奇跡が起きました。
聖ドンニーノの聖遺物を祀るために、フィデンツァの住民が小さな祈祷所を建てましたが、それが前身とされてます。


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5世紀頃、小さな祈祷所は整備拡充され、初期キリスト教会となりましたが、ローマに向かう巡礼者が立ち寄る場所となり、建物が増築されました。


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1117年に起きた地震によって建物が完全に崩落してしまいました。そのため、再建されることになり、地震直後に創建され、12世紀末または13世紀初頭に完成したロマネスク様式の建物が現在のものとなってます。


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ファサードは、ベネデット・アンテーラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c-1230c)の設計によって12世紀に建設されましたが、未完成のまま現在に至ってます。


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ファサードの彫刻が最大の見所です。ベネデット・アンテーラミと工房の弟子によって、1178年から1196年に彫刻が制作されたと言われてます。


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聖ドンニーノの物語


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ベネデット・アンテーラミの作品


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ベネデット・アンテーラミの作品


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身廊外壁


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鐘楼


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こちらにあるのは複製で、本物は付属美術館にあります。


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ファサード側から中に入ります。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


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ベネデット・アンテーラミと工房による作品は中には少ない。


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交差ヴォールト


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右側廊


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(ボルゴ・サン・ドンニーノ、1696-カステルボスコ、1737)の「聖アアンドレア・アヴェッリーノの死」(1731)


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ファサードの裏


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主祭壇


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後陣のフレスコ画(13世紀)とアンテーラミ工房による彫刻(12世紀)


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クリプタに下りました。


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斬首された自分の首を持つ聖ドンニーノ


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聖ドンニーノの聖遺物が入ってます。


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クリプタ天井のフレスコ画(11世紀)
内陣に戻ります。


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フランチェスコ・ルッキ(ボルゴ・サン・ドンニーノ、1585-1630)の「最後の晩餐」


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アンドレア・マイナルディ通称イル・キアヴェギーノ(クレモナ、1550c-1617)の作品


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磔刑像(15世紀)と聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(17世紀)


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フェルディナンド・ガッリ・ダ・ビビエーナ(ボローニャ、1657-1743)の作品


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左側廊


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ビアージョ・マルティーニ(パルマ、1761-1840)の「無原罪の聖母とサレスの聖フランチェスコと聖ルイージ・ゴンザーガ」


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詳細不知


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ステンダリオの聖母子


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詳細不知


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ジャコモ・ポナッツィ・デ・ピッツァマーリの「聖母子」(15世紀)


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詳細不知


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もう一度後陣を見ました。


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外に出ます。


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(この項 終わり)

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主祭壇


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主祭壇画は、フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539‐アンコーナ、1609))の「聖母被昇天」


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詳細不明の「磔刑像」


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後陣右の礼拝堂


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次の礼拝堂です。


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後陣右のクーポラ


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ニコロ・デッラ・タルシアの「サンターレの聖母」(1510‐12)


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アウグスト・ムッシーニ通称フラ・パオロ(レッジョ・エミリア、1870‐ローマ、1918)の作品


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カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568‐ローマ、1640)の「ご訪問」(1604)


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制作者不明の「受胎告知」


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主祭壇前から見た出入口


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説教壇


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次の礼拝堂


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詳細不明の「ロザリオの聖母」


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次の礼拝堂


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1544‐1638)の「ピエタ」(1607)


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次の礼拝堂


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かなり有名な聖母子


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逸名画家作「サンティッシマの聖母」


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右側廊


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右側廊から見た中央方向


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誰の墓碑でしょうか?


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聖水盤


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フランチェスコ・フォンタネージによって描かれたフレスコ画(1770)


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クリプタに入りました。


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クリプタの壁にフレスコ画が残されてます。


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クリプタから内陣に戻りました。


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プロスペロ・ソガリ通称イル・クレメンテ(レッジョ・エミリア、1516‐1584)の「ランゴーネ司教の墓」(1566)


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アウグスト・ムッシーニ通称フラ・パオロ(レッジョ・エミリア、1870‐ローマ、1918)の「キリスト」


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外に出ました。
(おわり)

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レッジョ・エミリアの街の中心Piazza Prampoliniです。


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Piazza Prampoliniに面して建っているレッジョ・エミリア大聖堂です。


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レッジョ・エミリア=グスタッラ司教区の司教座教会 Cattedrale di Santa Maria Assunta です。


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伝承によれば、451年創建の初期キリスト教会がこの地にあり、それが前身とされてますが、その記録が残ってません。9世紀の文書にこの教会の存在が記されており、それ以前に建設されたことは確実です。
現在の教会の姿は、13世紀に再建されたロマネスク様式の建物を基本に、その後、次々に改造改修が行われましたが、1599年に一応の完成を見たルネサンス様式の建物です。


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外観の特徴は、ファサード上にある八角形の鐘楼です。
13世紀初めに完成した鐘楼ですが、完成間もなくの1228年に発生した大地震によって倒壊してしまったので、1268年に八角形の現在の姿に再建されたものです。
写真右端は、Torre del Bordelloです。


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鐘楼の金色の聖母子像は、バルトロメオ・スパーニ(レッジョ・エミリア、1468‐1539)によって1522年に制作されました。


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ドゥオーモの洗礼堂は、ファサードに向かって左側にあるドゥオーモに隣接する建物の左端にあります。


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ドゥオーモの洗礼堂


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洗礼堂扉上ルネッタ上の「キリストの洗礼」の浮彫


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サン・プロスペロ広場から見えるドゥオーモの後陣


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ドゥオーモのファサードに戻ります。
ファサードの扉上にある彫刻は、プロスペロ・ソガリ通称イル・クレメンテ(レッジョ・エミリア、1516‐1584)の「アダムとイヴ」(1584)です。


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ファサードの壁龕に4体の彫像がありますが、これらは街の4聖人のものです。4体の彫刻ともプロスペロ・ソガリ通称イル・クレメンテ(レッジョ・エミリア、1516‐1584)によって制作されました。
こちらは「聖グリサンテ像」です。


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「聖ヴェネリオ像」


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「聖ジョコンダ像」


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「聖ダリア像」


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メイン扉上にあったフレスコ画は、Museo Diocesanoに移されました。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、バロック様式の聖堂内部です。


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1832年の大地震によって大きな被害を受けたので、その後、大修復工事が行わマした。そのため、かなり修正が加えられた内部は新しく見えます。


P2820600
縦が73.3mあります。


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天井の装飾


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左側廊


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左側廊から見た身廊方向


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左第1礼拝堂


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Cappella dei Notaiの扉が閉まっていました。


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鉄柵の間にカメラを入れて撮りました。
「Madonna Tacoli」(1250c)


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次の礼拝堂です。


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ルイージ・アングィッソーラ(1479‐1553)の「玉座の聖母子と聖ジローラモとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1520c)


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次の礼拝堂です。


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グイド・レーニの「大天使聖ミケーレ」に似てますが、制作者は不明のようです。


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖母被昇天と聖ジローラモと聖ピエトロ」


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ポマランチョ?の作品


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カルロ・ボノーニ(フェラーラ、1569‐1632)の「聖セバスティアーノ」


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左翼廊の礼拝堂


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オラツィオ・タラーミ(1624‐1708)の「嬰児虐殺」


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Cappella Santissimo


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右翼廊の礼拝堂


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詳細不明
(つづく)

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Cappella Ovetariです。


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礼拝堂のフレスコ画は1944年の米英軍の爆撃によって破壊崩落してしまいました。破壊された断片を集めて再構成・修復されたのです。


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アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「聖母被昇天」(1453‐57)


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詳細不明
マンテーニャの「聖母被昇天」の下台


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Cappella Ovetariのフレスコ画は、アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)、アンスイノ・ダ・フォルリ(パドヴァ、15世紀活動)、ボーノ・ダ・フェラーラ(パドヴァ、1451活動記録)の3人による「聖クリストフォロの物語」
このフレスコ画の制作については、資金難による注文主とマンテーニャのトラブルがあって、途中でマンテーニャが制作から降りてしまい、アンスイノ・ダ・フォルリとボーノ・ダ・フェラーラが参画するようになったようです。


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最上段はマンテーニャの作品です。


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ボーノ・ダ・フェラーラ(パドヴァ、1451活動記録)の「子供と聖クリストフォロ」


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アンスイノ・ダ・フォルリ(パドヴァ、15世紀活動)の「聖クリストフォロの説教」


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アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「聖クリストフォロの殉教と遺体の移送」


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アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「聖クリストフォロの遺体の移送」


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Cappella Ovetariのフレスコ画、アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「聖ジャコモの物語」


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フレスコ画があったと思われる壁龕


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聖水盤


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中央礼拝堂前から見たファサード裏側方向


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この礼拝堂の名称が分かりません。


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アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330c‐ヴェローナ、1390c)の「キリストの鞭打ち」


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この礼拝堂の名称が分かりません。


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礼拝堂の祭壇


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アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330c‐ヴェローナ、1390c)の「玉座の聖母子」


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礼拝堂の右壁の作品(詳細不明)


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横長の作品です。


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パオロ・ヴェネトの墓


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次の礼拝堂です。


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詳細不明の磔刑像


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制作者不明の「三位一体と聖アンドレアと2信者」


P2800973
詳細不明


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P2800976


P2800978
詳細不明


P2800979
次の礼拝堂です。


P2800980
詳細不明


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フレスコ断片が残されてます。


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Cappella Cortellieriの扉が閉まっていました。


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鉄格子の間からカメラを入れて撮りました。


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ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ、1330c‐パドヴァ、1390c)の「聖人たち」のフレスコ断片


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ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ、1330c‐パドヴァ、1390c)のフレスコ断片


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マドンナ・デル・ブオン・コンシーリオ(1467)


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詳細不明


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次の礼拝堂です。


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制作者不明の「黄金門での聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅」


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アンドリオーロ・ディ・サンティ別名アンドリオーロ・ダ・ヴェネツィア(ヴェネツィア、1320c‐1375c)とボニーノ・ダ・カルピオーネ(ロンバルド、1357‐1397活動)の「ウンベルティーノ・ダ・カッラーラの墓碑」(1345-51c)
19世紀初めに破壊されたサンタゴスティーノ教会にあったものです。


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外に出る前に、もう一度中央礼拝堂を見ました。


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外に出ました。


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(おわり)

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内陣中央に進みました。


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左側壁にマルコ・マントヴァの霊廟があります。


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右側に大きな礼拝堂があります。


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左側壁にフレスコ画が僅かに残ってます。


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ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ、1330c‐パドヴァ、1390c)の作品の可能性があるとされる「磔刑」のフレスコ断片(14世紀)


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バルトロメオ・アンマンナティ(フィレンツェ、1511‐1592)の「マルコ・マントヴァ・べナビデスの霊廟」
マルコ・マントヴァ・べナビデス(パドヴァ、1489‐1582)は、パドヴァ大学で学んだ法律家で、同大学で教授を務めたほか美術品や古代文書の収集家としても有名です。


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詳細不明


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アントニオ・ガンバラの墓碑


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左壁の時計


P2800868
詳細不明


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後陣左にあるCappella Sanguinacciです。
サングィナッチ家の家族礼拝堂です。


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アンドリオーロ・デ・サンクティスの「聖母子」
彫刻の聖母子の後のフレスコ画は、ヤコポ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1355‐1443)の作品とされてます。


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パオロ・ディ・ヤコベッロ・マセーネ(ヴェネツィア、1350c‐1409)の「イラーリオ・サングィナッチの墓」


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サングィナッチ礼拝堂左壁のフレスコ画は、ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ、1330c‐パドヴァ、1390c)によって1373年頃制作されました。


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ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ、1330c‐パドヴァ、1390c)のフレスコ画


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サングィナッチ礼拝堂の右側壁にもフレスコ画があります。


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Maestoro del coro Scrovegni によるフレスコ画


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中央礼拝堂、Cappella Maggioreです。


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中央礼拝堂の祭壇、所謂主祭壇です。


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アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330c‐ヴェローナ、1390c)とニッコロ・セミテコロ(ヴェネツィア、14世紀活動)の「彩色磔刑像」(1370)
ニッコロ・セミテコロはジョッテスキ画家でした。


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中央礼拝堂の左側壁です。


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ここではニコレット・セミテコロになってます。


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グアリエント・ディ・アルポ(ピエーヴェ・ディ・サッコ、1310‐1370)とニッコロ・セミテコロ(ヴェネツィア、14世紀活動)によるフレスコ画です。
ニッコロ・セミテコロは、グアリエント・ディ・アルポの助手の役目を果たしたようです。


P2800893
フレスコ画のテーマは、「聖ジャコモ、聖フィリッポ、聖アゴスティーノの物語」です。


P2800895


P2800897


P2800899


P2800905
中央礼拝堂の右側壁です。


P2800903
グアリエント・ディ・アルポ(ピエーヴェ・ディ・サッコ、1310‐1370)の「聖母戴冠」


P2800906
後陣右の礼拝堂


P2800908
アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330c‐ヴェローナ、1390c)に帰属するフレスコ画


P2800910
ドット礼拝堂です。


P2800911
詳細不明


P2800913
フランチェスコ・ドットの墓碑


P2800915
右側の礼拝堂
(つづく)

P2800628
エレミターニ教会、Chiesa degli Eremitaniです。


P2800810
エレミターニ教会のファサードです。
正式名称は、サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ・ミノーレ教会と言います。
エレミターニ教会の別称は、建築家フラ・ジョヴァンニ・デリ・エレミターニの設計によって建設されたので、建築家の名前に由来すると思われます。


011
エレミターニ教会の前身は、アレーナの敷地であった現在地にあったサンタ・マリア・デリ・カリタ教会とされてますが、その教会の詳細は殆ど分かっていないとされてます。


012
パドヴァ市の公費負担に基づき、建築家フラ・ジョヴァンニ・デリ・エレミターニの設計によって、1276年創建、1306年頃に完成した教会です。


P2800626
教会のファサードに向かって左側にあるのが併設された修道院の建物です。


P2800632
修道院だった建物は、現在、パドヴァ市立エレミターニ博物館として使用されてます。


P2800688
こちらも修道院だった建物です。


P2800689
1806年、エレミターニ教会修道院は、ナポレオンの教会抑圧令によって閉鎖されてしまいました。
1808年、教会の方は宗教活動が再開されましたが、修道院は宗教活動が再開されることなく兵舎に転用されました。修道院の方は、その後一度も宗教活動が再開されることなく現在に至ってます。


P2800813
ファサードの右側にある「トレンティーノの聖二コラ像」


085
ファサードに柱廊玄関があるのが特徴です。


015
右身廊の外観が少し新しく見えます。これは当然で、1944年3月11日、第二次世界大戦の米英軍の爆撃を受け、教会のファサード、天井、後陣が分bん的に破壊、教会内の2つの礼拝堂が完全に破壊されてしまいました。
少し新しく見えるのは、破壊箇所が戦後に修復されたからです。


3
爆撃によって破壊された教会です。



5
外部サイトから写真を拝借しました。
天井が完全に崩落したことが分かります。


019
南側、右身廊側に扉があります。


020
右身廊側扉の装飾は、ニコロ・バロンチェッリ(フィレンツェ、?‐フェラーラ、1453)によるものです。


016
第二次世界大戦の爆撃によって破壊され、戦後に修復された箇所。


017
後陣も戦後に大修復されました。


018
どの部分がオリジナルなのか、を考えながら拝観すると良いと思います。


P2800812
ファサード側に戻りました。


P2800815


P2800814
ファサードの扉から中に入って拝観します。


P2800817
やはり少し新しく見えます。


P2800818
戦後に、元の姿に忠実に修復されたそうです。


P2800819
右側壁方向


P2800820
戦後に再建された天井


P2800823
ペトラルカの墓碑とヤコポ2世・ダ・カッラーラの墓


P2800825
ヤコポ2世・ダ・カッラーラは、パドヴァのシニョーレで1350年に没しました。


P2800827
制作者は、アンドリオーロ・デ・サンティ別名アンドリオーロ・ダ・ヴェネツィア(ヴェネツィア、1320c‐1375c)、14世紀中頃のヴェネツィアの逸名彫刻家2人、ボニーノ・ダ・カンピオーネ(ロンバルド、1357‐1397活動記録)です。


P2800828
ヤコポ2世・ダ・カッラーラの墓は、サンタゴスティーノ教会にありましたが、戦後に行われたエレミターニ教会の大修復工事の際、ここに移されたものです。


P2800830


P2800834
Ave Regina Caelorum


P2800836
ステファノ・ダ・フェラーラ(フェラーラ、1357‐1397活動)の聖母子


P2800838
彫刻等の作品帰属が不明です。


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洗礼盤


P2800850
Ave Regina Caelorum


P2800851
(つづく)

P2800704
第13場面はここにあります。


P2800793
第13場面:聖母マリアのもとに大天使ガブリエーレを遣わす神


P2810279
第14場面:聖母マリアに受胎告知する大天使ガブリエーレ


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P2800790
第15場面:大天使ガブリエーレから受胎告知される聖母マリア


P2810303


P2810305
第16場面:ご訪問


P2800710
第17場面:キリストのご誕生


P2800717
第18場面:マギの礼拝


P2800724
第19場面:キリストの神殿奉献


P2800734
第20場面:エジプトへの逃避


P2800740
第21場面:嬰児虐殺


P2800752
第22場面:教会博士との問答


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第23場面:キリストの洗礼


P2800764
第24場面:カナの結婚


P2800769
第25場面:ラザロの蘇生


P2800776
第26場面:キリストのエルサレム入城


P2800782
第27場面:寺院からの商人たちの追放


P2800786
第28場面:ユダの裏切り


P2800784
第29場面:最後の晩餐


P2800719
第30場面:弟子の足を洗うキリスト


P2800726
第31場面:ユダの接吻


P2800736
第32場面:カイファの前のキリスト


P2800742
第33場面:キリストの嘲笑


P2800754
第34場面:カルヴァリオへの上り


P2800760
第35場面:磔刑


P2800766
第36場面:嘆き


P2800772
第37場面:我に触れるな


P2800778
第38場面:キリストの昇天


P2800784
第39場面:聖霊降臨


P2810297
次は最下段に描かれた悪徳と美徳の寓意画です。


2
慎重
どうしたことか、「慎重」を撮り忘れてしまいました。仕方がないので、写真が解禁になった直後に携帯電話で撮った写真をアップしました。


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P2810230
禁酒


P2810236
正義


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信仰


P2810243
慈悲


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希望
以上が美徳の寓意でした。以下は悪徳の寓意です。


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絶望


P2810256
羨望


P2810259
不貞


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不公平


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怒り


P2810269
Scostanza
Scostanzaの適当な日本語訳が思い浮かびません。


P2810273
愚かさ


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以上が全場面の紹介です。


P2810217
外に出ました。
梯子または脚立を使って、高い場所にある場面を正面から撮った全場面の写真がネットに載ってます。それにも拘らず、私の写真を敢えて載せたのは単に自己満足からで、他に何の意味もありません。自分のブログにアップさせる写真は、自分で撮った写真に限りたいと思ってます。(稀に例外がありますが)


P2810323
(おわり)

P2810233
内陣の右側壁が見て行きます。


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悪徳と美徳の寓意画がモノクロで14場面描かれてます。


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フレスコ画のテーマは、聖母の物語とキリストの生涯の物語です。


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聖母の物語には、聖母の両親である聖ジョアッキーノ(ヨアキム)と聖アンナのエピソードが含まれてます。


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ファサードの裏の壁、つまり西側の壁に最後の審判があります。


P2810287
ジョットが36‐38歳だった頃、礼拝堂のフレスコ画制作に従事したとされてます。


P2480313
キリストと12使徒


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P2480330
フレスコ画の注文者であるエンリコ・デリ・スクロヴェーニが最後の審判の中に描き込まれてます。


P2800744
お分かりになるでしょうか?
スクロヴェーニ礼拝堂が描かれているので直ぐに分かります。


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写真左端下がエンリコ・デリ・スクロヴェーニで、スクロヴェーニ礼拝堂を捧げる姿として表現されてます。


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徳の寓意


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悪徳の寓意


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天井


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最後の審判に向かって右壁、つまり祭壇に向かって左側壁のフレスコ画に移ります。


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側壁のフレスコ画は、4段に描かれてます。


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最上段は、聖母の両親のエピソードを含む聖母の物語が描かれてます。


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上から2段目と3段目はキリストの物語が描かれてます。


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最下段に悪徳と美徳の寓意画が描かれてます。


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左側壁に礼拝堂があります。


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この祭壇画の制作者などの詳細が分かりません。


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P2800732
15‐20分の限られた時間内にどのように観るのか、が課題でしょう。


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ジョットには約40人の弟子や協力者がいて、ジョットと共にフレスコ画の制作に当たったとされてます。


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このような箇所は、弟子や協力者によって描かれたと思います。


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それでは、各場面を順番通り見て行くことにします。
最初は聖ジョアッキーノ(ヨアキム)の物語です。


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第1場面:聖ジョアッキーノ(ヨアキム)の神殿からの追放


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第2場面:羊飼いに身を寄せる聖ジョアッキーノ(ヨアキム)


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第3場面:聖アンナへの受胎告知


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第4場面:神に子羊を捧げる聖ジョアッキーノ(ヨアキム)


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第5場面:聖ジョアッキーノ(ヨアキム)の夢


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第6場面:黄金門での聖ジョアッキーノ(ヨアキム)と聖アンナの邂逅


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第7場面:聖母の誕生


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第8場面:聖母の神殿奉献


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第9場面:聖母の婿選び


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第10場面:聖母の求婚者の祈り


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第11場面:聖母の結婚


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第12場面:聖母の結婚の行列
(つづく)

P2800625
スクロヴェーニ礼拝堂の内部のフレスコ画や彫刻は何時行っても変わりません。2019年4月とわざわざ書くまでもありませんが、気分の問題で2019年4月としました。
アレーナ市民公園は立ち入り禁止になっていました。


P2800804
礼拝堂のファサードの方に近付くことが出来ません。




P2800806
公園の扉の金網の間にカメラを入れて撮った写真です。


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本物志向なので、大塚美術館に行くことは絶対にないと思います。


093
2018年5月のことですが、このところ何回も訪れて、切符売り場の係員が私の顔を覚えていたのか、切符を買おうとすると、私が何も言わないうちにRidotto Scuoleの切符を渡してくれて、€5と言うではありませんか!
ビックリしました。何がどうなったのか、サッパリ分かりませんが、それ以降、切符売り場で渡される切符はRidotto Scuoleとなりました。
普通のRidottoは€8、一般は€13だったと思います。


P2800692
パドヴァに行けば、スクロヴェーニ礼拝堂に3回拝観することにしているので、定期券の変形?扱いでRidotto Scuoleになったかも知れません。


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入口の前で暫く待機します。


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少し早く行くと、空きがあれば、指定時間の前に中に入ることが出来ます。


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この日は、指定時間の前の回に入りました。


P2810218
例によって、ここでビデオを見ます。


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高校生の一行と一緒でした。


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ビデオを真面目に見ておくと、拝観の手助けになります。


P2800697
これからアップする写真は、6回に分けて拝観した時に撮ったものです。1回の拝観時間が僅か15‐20分なので、フレスコ画や彫刻などを鑑賞しながら、全部の場面の写真を撮ることは不可能との理由からです。


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礼拝堂内に入りました。


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先ずは祭壇と後陣から見て行きます。


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礼拝堂で宗教行事が行われることがないことから、普通の祭壇とは随分違った印象を受けます。


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ジョヴァンニ・ピサーノ(ピサ、1248/1250c-シエナ、1315c)の「聖母子と2天使」


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ジョヴァンニ・ピサーノの彫刻の後にあるのは、エンリコ・デリ・スクロヴェーニ(ヴェネツィア、?-1336)の墓です。


1
ジョヴァンニ・ピサーノ(ピサ、1248/1250c-シエナ、1315c)の「エンリコ・デリ・スクロヴェーニ像」


P2800701
後陣の天井のフレスコ


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後陣に目を向ける人が少ないように思います。


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後陣正面の壁


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後陣左側壁


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ジョット・ディ・ボンドーネ(フィレンツェ、1266/1267-1337c)の「聖母の死」(1305c)
スクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画は、ジョット・ディ・ボンドーネによって1305年頃に描かれました。


P2800801
後陣右側壁


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左右の側壁に聖職者席が設けられてます。


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後陣への立ち入りが禁止されているので、側壁に描かれたフレスコ画の写真はこのような状態になってしまいます。


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聖母被昇天と聖母戴冠


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聖母の遺体の移送


P2800704
次はヴォルタです。


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最上段は、全能者ハリストス(キリスト)


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P2810306
この場面の解釈が問題です。


P2800789
純潔の象徴とされるユリの花を大天使が手にしていれば、受胎告知となりますが、何も描かれていません。大天使が棕櫚を手にしていれば、聖母に対して死のお告げをする大天使となります。
受胎告知の場合、大天使はガブリエーレとなり、聖母への死のお告げをする大天使はミケーレとなります。


P2800791
受胎告知を受ける聖母、死のお告げを受ける聖母のどちらでしょうか?


P2810303
聖母の物語がテーマになっているので、私は受胎告知だと思います。


P2800787
ヴォルタ左の「ユダの裏切り」


P2810310


P2810305
ヴォルタ右の「ご訪問」


P2810300
天井


P2810227
どのような順番で見て行ったら良いのか、迷う所です。


P2810229
(つづく)

P2850902
ピアチェンツァの9月20日通りです。写真右はサン・フランチェスコ教会です。


P1070450
9月20日通りの突き当りにドゥオーモがあります。


P1070539
ピアチェンツァ=ボッビオ司教区の司教座教会、Basilica Cattedrale di Santa Maria Assunta e Santa Giustinaです。教会の格付けはBasilica Minoreです。


P2850904
ピアチェンツァの最初の司教ピアチェンツァの聖ヴィットーレ(375年没)が司教を務めた初期キリスト教会が前身とされてます。546年、トティラ王のピアチェンツァ占領によって、初期キリスト教会は破壊されましたが、その後、サンタ・ジュスティーナ大聖堂が再建されました。しかし、1117年の大地震によって倒壊してしまいました。


036
現在のロマネスク様式の建物は、1122年から1233年に建設された3代目のものです。


2
高さ71mの鐘楼です。鐘楼上部の鉄檻に注目です。


3
15世紀後半、ミラノのルドヴィーコ・イル・モーロの指示によって作られた鉄檻です。見せしめのために罪人を晒したり、嘲笑の対象にすることが目的でした。


028
ファサードの左扉横のライオン像


P1070313


027
入口扉上の彫刻は、ウィリジェルモとニコロに師事したピアチェンツァの逸名彫刻家によるものです。(12世紀)


P1070312
詳細不明の入り口扉上ルネッタのフレスコ画


P1070310
バラ窓


4
入口扉横の彫刻はニッコロ・ダ・フェッラーラによって1122年に制作されました。名前と1122年が刻まれてます。


P1070314
柱を支える男の彫刻は、ロマネスクの傑作とされるもので、ウィリジェルモとニコロに師事したピアチェンツァの逸名彫刻家による作品です。


P2850907
壁龕の彫刻は失われました。


029
扉が開きました。


P1070541
三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の聖堂内部です。


P1070543
25本の巨大な柱で建物を支えてます。


P1070542
聖堂の高さは32mあります。


P1070544
交差ヴォールト


030
左側廊


031
聖堂内の装飾はボローニャ派画家たちの作品が中心です。


P1070545
カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1551‐ミラノ、1629)の「聖母子」


P1070546
カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1551‐ミラノ、1629)の「慈悲の聖母」


P1070548


P1070547
「慈悲の聖母」の上のフレスコ画の詳細は不明です。


P1070549
右側廊


P1070550


P1070551
詳細不明


P1070552


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P1070554


P1070555
制作者情報不詳の「最後の晩餐」


P1070558
詳細不明


P1070559
逸名画家によるフレスコ画(16世紀初め)


P1070560
エリザベッタ・シラーニ(ボローニャ、1638‐1665)の「磔刑」


P1070561


P1070564
逸名画家によるフレスコ画(16世紀初め)


P1070568


P1070569
詳細不明


P1070570
ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(フィデンツァ、1697‐カンプレモルド・ソプラ、1737)の「ジットの聖母」


P1070571


P1070574
主祭壇と後陣


P1070575
ピエル・フランチェスコ・マッズッケッリ通称イル・モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573‐ピアチェンツァ、1626)による後陣のフレスコ画


1
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)によるクーポラのフレスコ画


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ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555‐1619)のフレスコ画


P1070580
グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「聖ジローラモと天使」


P1070581
ロベルト・デ・ロンジェ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


P1070582


P1070583
ルドヴィーコ・カラッチの作品


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ルドヴィーコ・カラッチの「キリスト」


P1070585
ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「聖マルティーノと乞食」


P1070586
ロベルト・デ・ロンジェ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオの死」


P1070577
クリプタへの階段


P1070573
祭壇前から見た出入口方向


P1070587
外に出る前にもう一度祭壇を見ました。


P1070588
外に出ました。
(おわり)

P1070461
ピアチェンツァのTeatro Municipaleです。


P1070474
ジュゼッペ・ヴェルディ通りの突き当りにサンタントニーノ聖堂があります。
写真右手前がTeatro Municipale、左の建物がPalazzo Anguissola Cimafava Roccaです。


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ピアチェンツァ最初の司教聖ヴィットーレによって、350年に創建され、375年に完成したロマネスク様式の教会です。教会の格付けはBasilica Minore、聖堂です。


P1070456
ピアチェンツァの守護聖人聖アントニーノ(?、3世紀後半‐トラヴォ、303)を奉献しており、聖アントニーノの聖遺物が聖堂内保存されてます。


P1070455
ファサードは、ニッコロ・ダ・フェッラーラの設計で、ニッコロの弟子によって7世紀に建設されました。


P1070465
八角形の鐘楼が聖堂の目印になってます。


P1070460
創建以来、一度も再建されてませんが、何度も修復、改修が行われました。現在の聖堂の外観は、1915年から1930年に行われた、ジュリオ・アラータの設計による改修後の姿です。


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ファサードの出入り口上ルネッタの紋章


P1070458
ファサード左横のブロンズ像は、ジョルジョ・グロッピ(1927‐)の「教皇グレゴリオ10世」(1998)です。
第184代ローマ教皇グレゴリオ10世(ピアチェンツァ、1210c‐アレッツォ、1276)は、ピアチェンツァ出身の唯一の教皇(在位:1271‐1276)です。


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扉が開きました。


P1070488
三廊式、ギリシャ十字形の聖堂内部です。


P1070490
建物の基本構造はロマネスク様式ですが、創建以来幾度となく改修された結果、ゴシック様式、バロック様式の混在が認められます。


P1070489


P1070491
創建時は、木組みの梁天井でしたが、後にゴシック後期の典型的な交差ヴォールトに改められました。
祭壇画を見て行きます。


P1070492
詳細不明


P1070494
ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「民衆の聖母」


P1070495
ベルナルド・カステッロ(ジェノヴァ、1557‐1629)の「最後の晩餐」(1624)


P1070496
ジョヴァンニ・フランチェスコ・フェッランテ(ボローニャ、1600c‐ピアチェンツァ、1653)の「天上の聖母子と聖人たち」


P1070497
ジョヴァンニ・マリア・デッレ・ピアーネ通称イル・モリナレット(ジェノヴァ、1660‐モンティチェッリ・ドンジーナ、1745)の「聖フランチェスカ・ロマーナ」


P1070505
右側廊


P1070506
詳細不明


P1070507
詳細不明


P1070508
詳細不明


P1070509
14世紀のフレスコ画


P1070510


P1070511
主祭壇と後陣


P1070512
後陣のフレスコ画は、カミッロ・ガヴァセッティ(モデナ、1596‐パルマ、1630)によって1624年頃に制作されました。


P1070513
このフレスコ画は、カミッロ・ガヴァセッティの代表作とされてますが、後にこれを見たグエルチーノは凡作と評しました。


P1070514
詳細不明


P1070515
ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「聖アントニーノの殉教」


P1070516
ロベルト・デ・ロンゲ(ブリュッセル、1646‐ピアチェンツァ、1709)の「殉教した聖アントニーノ」


P1070517


P1070519
左側の礼拝堂です。


P1070520
詳細不明


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15世紀のフレスコ画


P1070522
詳細不明


P1070525


P1070524
15世紀のロマーニャの逸名画家によるフレスコ画


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ロベルト・デ・ロンゲの作品?


P1070528
ロベルト・デ・ロンゲの作品?


P1070529
詳細不明


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詳細不明


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左側廊


P1070532
ロンバルディアの逸名画家によって、11世紀半ばに描かれたフレスコ画


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聖堂の南側に位置する回廊付きの中庭に出ました。


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1483年に造られた中庭と回廊


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回廊の壁にフレスコ画が残されてます。


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聖堂内に戻ってから外に出ました。


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(おわり)

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ピアチェンツァ旧市街の中心カヴァッリ広場です。


P2850155
広場の東南に教会があります。


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13世紀後半の皇帝派の有力貴族ウンベルティーノ・ランディがパトロンになって、フランチェスコ会修道士によって1278年から1363年に建設されたロンバルディア・ゴシック様式のサン・フランチェスコ教会です。


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教会の建物の完成後、修道院が併設されました。修道院は14世紀後半にクラリッセ女子修道会の女子修道院になりました。


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18世紀末、ナポレオン軍の進駐によって、教会と修道院は活動が停止され、その建物は病院と倉庫に転用されましたが、1810年、教会に戻されました。
教会の格付けはBasilica Minoreです。


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ファサードの入り口扉上ルネッタ上の浮彫は、15世紀末のエミリアの逸名彫刻家による「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1480)です。


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教会前にある彫像は、彫刻家Cristoforo Marzaroli (1836-1871)のGian Domenico Romagnoliの大理石像(1867)です。クリストフォロの代表作と言われてます。
ジャン・ドメニコ(1761‐1835)は、18世紀後半から19世紀前半にかけてのイタリアに於いて活躍した哲学者、経済学者、法律家でした。


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道路沿いの身廊は店屋に利用されてます。


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詳細不明のタベルナコロ


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聖堂内に入ります。


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ボローニャのサン・フランチェスコ教会に模して設計された内部です。


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三廊式、ゴシック様式の内部です。


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天井


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左側廊の礼拝堂から見て行きます。


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1561‐ミラノ、1629)の「天上の聖母子とフランチェスコ会聖人たち」


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パドヴァの聖アントニオ礼拝堂


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詳細不明


P1070407
詳細不明


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フレスコ断片(15世紀)


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ドメニコ・リエーティの「嘆き」


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詳細不明の聖ピエトロと聖ジョヴァンニ・バッティスタのステンドグラス


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バルトロメオ・スケドーニ(モデナ、1578‐パルマ、1615)の「聖ロレンツォの殉教」


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詳細不明


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後陣のフレスコ画


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14‐15世紀に制作されたフレスコ画


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制作者は特定されてません。


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複数の画家によって制作されているようです。


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後陣


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主祭壇


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ジュゼッペ・ヌヴォローネ(サン・ジミニャーノ、1619‐ミラノ、1703)の「聖霊降臨」


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詳細不明


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ジュゼッペ・バイ―ニの祭壇(1843)


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次の礼拝堂です。


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1702)の「父なる神」
カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネは、先に出てきたジュゼッペ・ヌヴォローネの実兄です。


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クーポラのフレスコ画


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クーポラのフレスコ画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1555‐パルマ、1619)の「聖母戴冠」(1597)です。


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ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1555‐パルマ、1619)の「受胎告知」


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詳細不明


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ベルナルド・カステッロ(ジェノヴァ、1557‐1629)の「ピエタ」(1580)


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13世紀に描かれたフレスコ画断片


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ファサードの裏に絵画があります。


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ベネデット・マルティーニの「パンと魚の増加の奇跡」


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主祭壇をもう一度見てから外に出ました。


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(おわり)

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詳細不明


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詳細不明


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17世紀後半のピアチェンツァの逸名画家作「聖母子ととパドヴァの聖アントニオ」


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主祭壇です。


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問題の主祭壇画です。 
ピエトロ・アントニオ・アヴァンツィーニ(ピアチェンツァ、1656‐1733)の「ラファエッロ・サンツィオ作『システィーナの聖母』の複製画」


800px-Raffaello,_madonna_sistina_01
主祭壇画ですが、1513年には既にラファエッロの「システィーナの聖母」がありました。
ところが、1754年、ベネデット会修道士が金に目が眩んで、ポーランドのアウグストゥス3世に売却してしまったのです。現在、ラファエッロの作品はドレスデン国立絵画館にあります。
売却後は、代わりに複製画が置かれてます。


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主祭壇から見た出入口方向


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レアンドロ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1557‐ヴェネツィア、1622)の「聖バルバラの殉教」


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ヤコポ・オラツィオ・フェリナーティ(ヴェローナ、1524‐1606)の「羊飼いの礼拝」(1570c)


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ヤコポ・オラツィオ・フェリナーティ(ヴェローナ、1524‐1606)の「天上のキリストと聖母とパドヴァの聖アントニオ」


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詳細不明


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1561‐ミラノ、1629)の「嬰児虐殺」(1604‐05)


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ジャン・パオロ・カヴァーニャ(ベルガモ、1550‐1627)の「聖ロレンツォの逮捕」


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聖歌隊席の彫刻に注目です。


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ジオ・ピエトロ・パムビアンコ・ダ・コロルノとバルトロメオ・ダ・ブッセートによる木組み彫刻(1512‐14)


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ジョヴァン・アンジェロ・ボッローニ(クレモナ、1684‐ミラノ、1772)の「聖バルトロメオの殉教」


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左側廊


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詳細不明の燭台


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シモーネ・モスキーノ(オルヴィエート、1553‐パルマ、1610)のオーストリアのマーガレットの墓碑(1587‐17世紀初め)


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逸名彫刻家作「磔刑像」(17世紀)
サン・フェルモ教会にあったそうです。


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ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596‐ローマ、1669)の「聖ステファノの殉教」


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ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596‐ローマ、1669)の「十字架降下」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(ヴェネツィア、1687‐1767)の「割礼」(1742c)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(ボルゴ・サン・ドニーノ、1696‐カステルボスコ、1737)の「聖ゲルトルーデと聖マルゲリータの贖い」(1730c)


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ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(パルマ、1500c‐1569)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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ステファノ・ランブリ(17世紀活動)の「受胎告知」(1649)


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アントニオ・カンピ(クレモナ、1524‐1587)の「羊飼いの礼拝」(1570c)


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ジュゼッペ・ヌヴォローネ(サン・ジミニャーノ、1619‐ミラノ、1703)の「聖ジローラモと天使」(17世紀)


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左第2礼拝堂のフレスコ画は、アントニオ・カンピ(クレモナ、1524‐1587)の復活したキリスト」


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ベルナルディーノ・ザケッティ(レッジョ・エミリア、16世紀前半活動)によるクーポラのフレスコ画(1517)


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左側廊


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主祭壇をもう一度見ました。


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中庭に出ました。


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これを売るなんて、軽蔑すべき修道士です。


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外に出ました。
(おわり)

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ピアチェンツァのインペラトリーチェ・アンジルベンガ通りです。


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ボッセリ門です。


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門を潜るとサン・シスト通りに出ます。


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サン・シスト通りの突き当りに教会があります。


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教会の入り口に門があります。


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神聖ローマ帝国皇帝ルドヴィーコ2世の妻Engelberga d'Alasaziaによって、852年から874年に建設された教会が前身です。その後、修道院が建設され、エンゲルベルガ皇后は、大修道院長に任命されました。
中世の頃、この修道院に対して特権と特典が与えられ、大変な勢力でした。
1129年、修道院はポリローネのベネデット会の所有となりました。
1425年、ベネデット会派のカッシネージ修道会に引き継がれました。


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1622年に建設された門を潜って中庭に入ります。


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15世紀後半、建物が経時劣化したので、それを取り壊し、その上に新しい建物を建設することになり、1490年創建、1511年に完成したルネサンス様式の建物が現在の姿です。


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1591年に完成したファサードは、1755年に現在の姿に改装されました。


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中庭を囲んで回廊が設けられてます。


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ファサードに向かって右側の回廊


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ファサード前から見たサン・シスト通り


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旧修道院の建物


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修道院は、1810年に活動が停止され、兵舎として使用されました。その後、一度も宗教活動が行われることなく現在に至ってます。


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回廊の壁に修道士のフレスコ画が描かれてます。


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これについては、後述します。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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美術的に見所が豊富です。


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右側廊の礼拝堂から見て行きます。


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五廊式と間違えそうな造りです。


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ジュゼッペ・ランブーリに帰属する「キリストの洗礼」


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ジェルヴァシオ・ガッティ(クレモナ、1550‐1631)の「聖ベネデットと聖マウロをもてなすトティラ王」(1585c)


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16世紀の逸名画家作「聖ジュゼッペの死」
ベルナルド・カンピの作品説もあるようです。


P1080191
逸名彫刻家作「チントラの聖母」(16世紀)
サンタ・マリア・イン・ボルゲット教区教会にあったそうです。


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右側廊の第3礼拝堂です。


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第3礼拝堂のフレスコ画は、アントニオ・カンピ(クレモナ、1524‐1587)の「砂漠の聖ジローラモ」(1570c)


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セバスティアーノ・ノヴェッリの「聖母子と聖人たち」(1530)


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タッデオ・ズッカリ(ウルビーノ、1529‐ローマ、1566)に帰属する「キリストの埋葬」


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右側廊第4礼拝堂です。


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カミッロ・プロカッチーニ(パルマ、1561‐ミラノ、1629)の「天上の聖母子と聖トンマーゾと聖カルロ・ボッロメオと聖フランチェスコ」(1610)


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逸名画家作「聖家族とパドヴァの聖アントニオと聖マルゲリータ」


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詳細不明


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エミリオ・ビアンキの「聖エレーナ」(1575)


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フランチェスコ・ギットーニ(リッツォ―ロ、1855‐ピアチェンツァ、1928)の「ピエタ」


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パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549‐1628)の「聖バルバラの殉教」


P1080215
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピットーニ(ヴェネツィア、1687‐1767)の「聖ロレンツォの殉教」(1741c)
(つづく)

P1000465
Cappella di Nuvoloniです。
祭壇画は、フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)の「磔刑」(1556)


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Cappella di Nuvoloniの左側壁のフレスコ画は、フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)に帰属する「Prospetto architettonico dipinto」(1570)


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Cappella di Nuvoloniの右側壁に描かれたフレスコ画は、フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)に帰属する「Prospetto architettonico dipinto」(1570)です。


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


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ルイージ・ニッコリ―ニの「聖アンドレアと聖ロレンツォ」(19世紀初め)


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の左側壁に描かれたフェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「エリコの陥落」(1804)


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の右側壁に描かれたフェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「饗宴の誘い」(1804)


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間違った方向を示す案内 
矢印は左側を示さないとサンティッシモ・サクラメント礼拝堂に行きません。矢印の上には天井があります。


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サン・ロンジーノ礼拝堂です。


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これはコピー画です。本物は、ナポレオン軍によってフランスに持ち去られ、現在、ルーブル美術館で展示されてます。
制作者不明の「ジュリオ・ロマーノ作『ご誕生と聖ロンジーノと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ』のコピー画」


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サン・ロンジーノ礼拝堂の左側壁に描かれた、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)とリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)の「キリストの聖血の発見」(1534)


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サン・ロンジーノ礼拝堂の右側壁に描かれた、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)とリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)の「磔刑」(1534)


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サン・ロンジーノ礼拝堂の天井


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カッタネア礼拝堂


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カッタネア礼拝堂の左側壁に描かれた、イッポリート・アンドレアージ通称アンドレアジーノ(マントヴァ、1548‐1608)の「聖母の誕生」


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カッタネア礼拝堂の右側壁に描かれた、イッポリート・アンドレアージ通称アンドレアジーノ(マントヴァ、1548‐1608)の「聖母被昇天と聖母戴冠」


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サン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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15世紀のロンバルドの逸名画家作「聖母子と聖ジローラモと聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノ」(1495)


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サン・セバスティアーノ礼拝堂の左側壁に描かれたリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)の「聖セバスティアーノの殉教」


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サン・セバスティアーノ礼拝堂の右側壁に描かれたリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)の「聖セバスティアーノの殉教」


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サン・セバスティアーノ礼拝堂の天井


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サン・アントニオ礼拝堂です。
祭壇画は、ジュリオ・チェーザレ・アッリヴァベーネ(マントヴァ、1806‐フィレンツェ、1896)の「パドヴァの聖アントニオ」(1846)


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サン・アントニオ礼拝堂の左側壁に描かれたベネデット・パーニ(ぺーシャ、1504‐マントヴァ、1578)の「煉獄と楽園」(1570)


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サン・アントニオ礼拝堂の右側壁に描かれたベネデット・パーニ(ぺーシャ、1504‐マントヴァ、1578)の「地獄」(1570)


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ジュゼッペ・ラゼッティ(マントヴァ、1801‐1888)の「ラザロの蘇生」


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外に出ます。


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見所が多い聖堂でした。


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(おわり)

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マントヴァの旧市街に入ると、鐘楼とクーポラが目立ちます。


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クーポラはサンタンドレア聖堂のものです。


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マントヴァで最大の教会です。Concattedraleであり、Basilica Minoreです。


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教会の歴史は古く、804年のキリストの聖血遺物の発見に関連しています。初代の建物は11世紀に建設されました。


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現在の建物は、マントヴァ公ルドヴィーコ3世ゴンザーガ(マントヴァ、1412‐1478)の指示により、建築家レオン・バッティスタ・アルベルティ(ジェノヴァ、1404‐ローマ、1472)を起用して、1460年に再建工事が着工されましたが、1472年のアルベルティの死によって工事が中断してしまいました。
その後、フランチェスコ・ゴンザーガ枢機卿は、建築家ルーカ・ファンチェッリ(セッティニャーノ、1430c‐マントヴァ、1502c)に工事を引き継がせることにして、1482年に中断していた工事が再開され、1488年に完成しました。


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1413年に建設された後期ゴシック様式の鐘楼


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クーポラは1732年に完成しました。


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身廊左側壁


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Facciata del vestibolo laterale


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レオン・バッティスタ・アルベルティ広場から見た聖堂の北側


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レオン・バッティスタ・アルベルティ広場に面した柱廊


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正面ファサードの方に戻ります。


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Arco centrale con lesena scanalate


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聖堂内に入りました。


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2012年5月20日と29日のエミリア大地震によって大きな被害を受け、後陣は長らく修復工事が行われていました。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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広く明るい堂内です。


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天井


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燭台の上部の精緻な装飾


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見所が沢山あります。


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作品帰属を調べるのが大変です。


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ジュゼッペ・ラゼッティ(マントヴァ、1801‐1888)の作品


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ジョルジョ・アンセルミ(カラヴェルナ、1723‐ヴェローナ、1797)の作品


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フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の作品


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フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の作品


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マンテーニャの作品です。


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1
どうも写真写りが悪い。


2
外部サイトから作品画像を拝借しました。


P1000451
サン・シルヴェストロ礼拝堂です。
祭壇画は、ロレンツォ・コスタ(イル・ヴェッキオ)(フェラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「聖母子と聖人たち(聖セバスティアーノ、聖シルヴェストロ、聖パオロ、聖ジローラモ、聖ロッコ)」(1525)


P1000452
ファブリツィオ・ぺルラの「キリストの復活」(1575)


P1000453
ファブリツィオ・ぺルラの「リンボへの降下」(1575)


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右第3礼拝堂


P1000457
Cappella dell'Immacolata


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ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネ(マントヴァ、1537‐1583)の「マギの礼拝」


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ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネ(マントヴァ、1537‐1583)の「羊飼いの礼拝」


P1000462
詳細不明の「聖フランチェスコ」


P1000463
詳細不明
(つづく)

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Cappella dell'Incoronata内にある礼拝堂です。


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詳細不明


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左側廊に戻ります。


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サン・ジローラモ礼拝堂です。


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フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「聖ジローラモ」(18世紀)


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次の礼拝堂に進みます。


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左側後陣にある、17世紀に建設されたサンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の左側


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の右側


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂のクーポラ


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クーポラのフレスコ画は、フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「信仰」(1799c)


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の主祭壇画は、フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「聖ピエトロと聖アンドレアの召命」(1798)


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂にある、フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「聖アゴスティーノ」


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ドメニコ・ブルサソルツィ(ヴェローナ、1516‐1567)の「聖マルゲリータ」(1552)


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フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「聖グレゴリオ・マーニョ」


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フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「聖ジローラモ」(1803)


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パオロ・ファリナティ(ヴェローナ、1524‐1606)の「貧者を救う聖マルティーノ」(1552)


P2730712
フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「聖人」


P2740797
右側第2側廊


P2740799
右側廊の礼拝堂


P2740802
ベルナルディーノ・マルピッツィ(マントヴァ、1553‐1623)の「聖ドメニコの祭壇画」(1595‐99)


P2740804
サン・ジュゼッペ礼拝堂


P2740806
ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687‐1772)の「聖ジュゼッペの死」
ニッコロ・リッチョリーニは、ピエトロ・ダ・コルトーナの弟子です。


P2740810
中央礼拝堂


P2740812
中央礼拝堂後陣のフレスコ画は、アントニオ・マリア・ヴィアーニ(クレモナ、1550c‐1635c)の「三位一体」(1593)


P1000543
主祭壇画の詳細が分かりません。


P1000544
 

P2740820
守護聖人の祭壇


P2740819
ドメニコ・マリア・カヌーティ(ボローニャ、1625‐1684)の「守護聖人」(1670c)


P2740821
イトリアの聖母の祭壇


P2740822
アントニオ・マリア・ヴィアーニ(クレモナ、1550c‐1635c)の「イトリアの聖母」(1595c)


P2740826
右側の第1側廊


P2740828
私には制作者が分からない「アッシジの聖フランチェスコ」


P2740829
サンタ・キアーラ礼拝堂


P2740830
クレメンテ・ルッタ(パルマ、1685‐1767)に帰属する「聖母子とアッシジの聖フランチェスコの聖キアーラとパドヴァの聖アントニオ」(18世紀)


P2740831


P2740832
説教壇


P2740833
私には制作者が分からない「聖カロルス」


P2740834
詳細不明


P2740836


P2740837
右側第1礼拝堂です。


P1000533
グエルチーノ派の逸名画家作「聖エディージョの奇跡」


P1000536


P1000537
14世紀のフレスコ画


P1000572


P1000573


P2740849
外に出ました。
(おわり)

P2750727
マントヴァの中心ソルデッロ広場です。


P2740851
ソルデッロ広場に面して建つマントヴァ大聖堂、Cattedrale di San Pietro Apostoloです。


P2740848
教会の歴史は古く、マントヴァで最古の場所である、この地に3世紀頃にあった礼拝堂が前身とされてます。5‐6世紀の教会のモザイクの床がこの場所の遺跡から発見されたことから、その頃には初期キリスト教会が存在していたとされてます。


P1000581
現在の建物は、カノッサの屈辱で有名なトスカーナ女辺境伯マティルデ・ディ・カノッサ(カノッサ、1046?‐1115)によって、11‐12世紀に建設されたロマネスク様式の教会が元となってます。


P1000580
マントヴァのCondottieroフランチェスコ1世ゴンザーガ(マントヴァ、1366-カヴィアーナ、1407)によって、建物はほぼ現在の規模となりました。


P2750729
教会の外観はやはりファサードになりますが、現在、見ることが出来るのは、1756年から1761年に再建された後期バロック様式のものです。
フランチェスコ1世ゴンザーガ時代のファサードは、絵画によって分かります。


P2740186
この作品にファサードが描かれてます。
ドメニコ・モローネ(ヴェローナ、1442c‐1517)の「マントヴァからのボナコルシ家の追放」(1494)
ドゥカーレ宮殿博物館で見ることが出来ます。


P2750777
ロマネスク様式の鐘楼は、フランチェスコ1世ゴンザーガによって建物が拡大された時のものです。


P2730643
砂岩で出来た身廊横


P1000907
18世紀中頃に装飾されたファサードは、美術的な見所は乏しいように思います。


P1000905
聖堂内に入ります。


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観光客に対して寛容な教会なので、ミサの時以外は自由に見ることが出来ます。


P2730645
コリント式列柱が目立つ、5廊式、ラテン十字形の内部です。


P2730646
現在の内部は、16世紀中頃に行われた修復工事後の姿です。
1545年、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)によって着工された修復工事は、1546年のジュリオ・ロマーノの死によって中断の已む無きに至りました。
1549年、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルターニ(マントヴァ、1516‐1576)に引き継がれ、1576年に完成したのです。ベルターニは、工事完成直後に没してしまいました。


P2730647
天井


P2730648
左側第1側廊


P2730649
左側第2側廊


P2730650
左側の礼拝堂から見て行きます。


P1000566
エルコーレ・ゴンザーガ枢機卿がジョヴァンニ・バッティスタ・ベルターニを起用して1552年に建設したサンタガタ(聖アガタ)礼拝堂です。


P2730652
イッポリート・コスタ(ボローニャ、1506‐1561)の「聖アガタの殉教」(16世紀中頃)
イッポリートはロレンツォ・コスタ(イル・ヴェッキオ)の息子です。


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エルコーレ・ゴンザーガ枢機卿がジョヴァンニ・バッティスタ・ベルターニを起用して1552年に建設したサンタ・スペチョーザ礼拝堂です。


P2730656
イッポリート・コスタ(ボローニャ、1506‐1561)とイッポリートの息子ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネ(マントヴァ、1537‐1583)の「聖スペチョーザ」


P2730653
私には制作者が分からない「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


P2730658
私には制作者が分からない「聖アンドレア」


P2730661
私には制作者が分からない「聖アポッロニア」


P2730663
次に進みます。


P1000555


P2730664
突き当りがCappella dell'Incoronataです。


P2730665
Cappella dell'Incoronataです。


P2730666
ルドヴィーコ3世ゴンザーガ(マントヴァ、1412‐ゴイト、1478)が建築家ルーカ・ファンチェッリ(セッティニャーノ、1430c‐マントヴァ、1502c)を起用して、1482年に建築させたCappella dell'Incoronataです。


P2730673
クーポラ


P2730671
礼拝堂後陣の側壁にフレスコ画が描かれてます。


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P2730675
私には制作者が分からない「聖母の死」


P2730681
私には制作者が分からない「聖母被昇天」


P2730682
私には制作者が分からない「聖霊降臨」


P2730676
Cappella dell'Incoronataの主祭壇です。


P2730679
礼拝堂主祭壇画「誓いの聖母」


P2730684
Cappella dell'Incoronata内にある礼拝堂です。


P2730686
ロンバルドの逸名画家作「聖母子と聖レオナルド」(1482)


P2730688
(つづく)

P2740922
この礼拝堂の名称が分かりません。


P2740925
詳細不明の「聖フランチェスコ」


P2740926


P2740927
詳細不明の「救世主」


P2740928
制作者情報不明の「聖ジュゼッペと幼きキリスト」


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14世紀のフレスコ断片


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P2740940
14世紀に描かれた「受胎告知」


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P1000391
制作者情報不明の「悔悛のマリア・マッダレーナ」


P1000393
詳細不明の「彩色磔刑像」


P1000394
詳細不明の「聖フランチェスコ」


P1000399
14世紀に描かれたフレスコ画


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右側廊


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P2740943
マルカのサン・ジャコモ礼拝堂です。


P2740944
この礼拝堂の彫刻が必見です。


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左右の壁に彫刻が置かれてます。


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まず左壁の彫刻です。


P2740947
ジュンタ・ピサーノ派逸名彫刻家によって制作されました。


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右の壁の彫刻です。


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ジュンタ・ピサーノ派の逸名彫刻家による作品です。


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次はサン・ベルナルディーノ礼拝堂です。


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サン・ベルナルディーノ礼拝堂です。フレスコ画断片が残されてますが、ステファノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1379‐1451)によって制作されたものです。


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聖体容器


P2740981
サン・ベルナルディーノ礼拝堂の出入り口

ゴンザーガ家の庇護を受けたサン・フランチェスコ教会には、かって多くの傑作が礼拝堂にありましたが、宗教活動が抑圧されていた時に取り外されてしまいました。現在、それらの作品は世界中の美術館で展示されてます。
6
その中の一つがアンドレア・マンテーニャの「シエナの聖ベルナルディーノ」です。現在、ミラノのブレラ絵画館にあります。


P2740932
主祭壇前から見た出入口


P1000651
(おわり)

P1000374
マントヴァのサン・フランチェスコ修道院教会です。


P1000942
確実な記録がないものの、生前、聖フランチェスコがマントヴァに訪れたとされてます。


P1000416
1232年、サン・フランチェスコ兄弟団にこの地が与えられ、礼拝堂が建てられた記録が残されてます。現在の建物は1304年に建設されました。


P2740878
マントヴァを治めたゴンザーガ家の霊廟が置かれたので、ゴンザーガ家の庇護を受けました。


5
サン・フランチェスコ教会に埋葬されたゴンザーガ家以外の有名人では「黒隊長のジョヴァンニ」が有名です。「黒隊長のジョヴァンニ」は、メディチ家弟脈のジョヴァンニ・イル・ポポラーノとルネサンスの女傑カテリーナ・スフォルツァの息子で、初代トスカーナ大公コジモ1世の父です。


P2740984
1782年、オーストリアによって教会活動が抑圧されました。1811年から兵器庫として使用されるようになりました。


P2740985
第二次世界大戦中の1944年、爆撃によって破壊されてしまい、戦後に修復されました。


P2740880
第二次世界大戦後の修復工事が完了してから、宗教活動が再開されました。


P2740881
2012年の地震によってかなりの被害を受け、修復工事が続けられてます。


P2740882
ファサードのバラ窓


P2740883
入口扉上ルネッタ上にフレスコ画があったと思いますが、全く残ってません。


P2740982
ファサード入口の柱頭


P2740983


P2740986
鐘楼


P1000375
ファサード前に柱廊があります。


P1000413


P1000414
柱廊の壁にある絵画です。


P1000378
ファサード横の扉から教会内に入ります。


P2740884
中に入りました。


P2740886
三廊式、ロマネスク・ゴシック様式の内部です。


P2740887
修復工事中の礼拝堂があります。


P2740888
天井


P2740889
左側廊


P2740890


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14世紀に描かれたフレスコ画の断片が点在します。


P2740894


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テラコッタ


P2740898


P2740899


P2740902


P2740903
主祭壇


P2740905
私には詳細が分からない、主祭壇画の「磔刑」


P2740906
詳細不明の「聖母子像」


P2740907
次はCappella del Santissimo Sacramentoです。


P2740918


P2740909
この礼拝堂でミサが行われる場合があります。


P2740910
礼拝堂の祭壇


P2740913
詳細不明の彩色磔刑像


P2740916
詳細不明の「聖キアーラの物語」


P2740917
礼拝堂の天井


P2740938
ゴンザーガ礼拝堂は修復中でした。


P2740921
ゴンザーガ礼拝堂は必見ですが、これではどうにもなりません。


P2740919
祭壇裏のフレスコ画が素晴らしいのですが・・・・・


P2740920
漸く作業が始まったばかりのようです。


P1000395
地震前はこのような状態でした。


P1000396
仕方がないので、セラフィーノ・デ・セラフィーニのフレスコ画は外部サイトから拝借した作品画像を載せておきましょう。


4
セラフィーノ・デ・セラフィーニ(モデナ、1323‐1393)の「教皇ボニファチョ8世から叙聖されるトゥルーズの聖ルイ」


3
セラフィーノ・デ・セラフィーニ(モデナ、1323‐1393)の「トゥルーズの聖ルイの死」
(後編へつづく)

037
中央礼拝堂後陣のフレスコ画を見ます。


020
Maestro di Sant'Abbondioと称するジョッテスキ逸名画家によって描かれた「キリストの受難の物語」(1325c)です。


021
コモに於ける美術関係の最大の見所とされているフレスコ画です。


022
観光客のグループがよく訪れてきます。


P2720236
場面毎に見て行きましょう。


P2720235
天井


P2720237
左から聖ピエトロ、聖マリア・マッダレーナ、祈るキリスト、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖パオロ


P2720239
向かって左側


P2720241
受胎告知


P2720243
羊飼いの礼拝


P2720245
マギの礼拝


P2720246
キリストの鞭打ち、誘惑


P2720248
マギの夢


P2720250
キリストの洗礼


P2720252
エルサレム入城


P2720254
カルヴァリオへの上り


P2720256
磔刑


P2720257
中央部分


P2720259
羊飼いへの知らせ、神殿奉献(下)


P2720263
向かって右側


P2720264
エジプトへの逃避


P2720267
ヘロデ王の魔術


029
ユダの接吻


P2720271
十字架降下


P2720274
エジプトへの旅


P2720275
ヘロデ王の饗宴


P2720278
嬰児虐殺


P2720280
キリストの埋葬


P2720281


P2720283


P2720296
後陣右の第1礼拝堂


P2720297
詳細不明


P2720298
後陣右の第2礼拝堂


P2720300
聖母子(14世紀)


P2720301
右側壁にある祭壇画


P2720304
詳細不明


P2720308
身廊側壁上部


P2720310
フレスコ画の痕跡が認められます。


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P2720225
中央礼拝堂前から見たファサード側出入口


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外に出ました。


P2720319
夏至近くの強烈な日差しが眩しかったのを覚えてます。


P2720322
(おわり)

P2720188
FS線下を走るレジーナ・テオドリンダ通りに面して聖堂があります。


P2720189
サンタッボンディオ聖堂です。


P2720191
コモの3代目司教聖アマンツィオ(イギリス・カンタベリー、4世紀後半‐コモ、450)は、ローマに旅を行い、聖ピエトロと聖パオロの聖遺物をコモに持ち帰り、その聖遺物を奉る教会、サンティ・ピエトロ・エ・パオロ教会をコモ城壁外の現在地に448年に建設しました。その教会が前身です。
死を前にした聖アマンツィオは、コモ司教の後継者として聖アッボンディオ(テッサロニキ、5世紀初め‐コモ、469c)を指名して、聖アッボンディオがコモの4代目司教になりました。


P2720197
818年、司教座が置かれるとともに、教会は聖アッボンディオに捧げられることになり、名称がサンタッボンディオ聖堂に改称されました。
10世紀後半、城壁内に新司教座教会が建設されることになり、現在のドゥオーモの一応の完成を見た1013年、司教座はサンタッボンディオ聖堂から新ドゥオーモに移されました。
その後、聖堂はベネデット会の所有となりました。


P2720194
ベネデット会は、従来の建物を取り壊し、その上に新しい建物の建設を決め、1050年創建、1095年に完成したロマネスク様式の建物が現在の姿の原形です。その後、何度も修復されましたが、元の姿をほぼ留めていると言われてます。


P2720314
また、ベネデット会によって大修道院が併設されましたが、1783年に修道院としての活動が停止されたまま、、神学校の学舎に転用され、現在はインスブリア大学法学部となってます。


007
鐘楼が二本あるのが特徴となってます。


P2720321
後陣


P2720316
身廊はサンタッボンディオ通りに面してます。


P2720315
身廊側にも出入り口があります。


P2720192
取り壊された以前の建物の見所は、コモ市立のPinacotecaで見ることが出来ます。


P2720195
ファサードの扉上ルネッタのフレスコ画は失われています。


P2720198
ロマネスク様式の柱頭


P2720199


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P2720202
聖堂内に入ります。


P2720203
翼廊がない、ロマネスク様式の内部です。


P2720204
左右に二本づつの側廊が設けられてます。


P2720206
つまり5廊式になってます。


P2720208
天井


P2720209
2本の左側廊


P2720210


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2本の右側廊


P2720293


P2720305
ファサード裏に聖歌隊席があります。


P2720307
聖歌隊席側壁に描かれたフレスコ画「聖母子と聖人たち」(14世紀)


P2720294
聖水盤


P2720295
聖水盤下の彫刻


P2720211
左側壁の祭壇画から見て行きます。


P2720213
ジョヴァンニ・バッティスタ・レッキ(コモ、1600c‐1648)の「聖アッボンディオの奇跡」(1620‐30c)


P2720214
フレスコの断片が残されてます。


P2720216
14世紀の逸名画家によって描かれたフレスコ画


P2720217


P2720218
後陣左のサンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


P2720222
コモ司教の聖エウビリオの遺体


P2720224
後陣左の第2礼拝堂です。


P2720228
中央礼拝堂


P2720230
主祭壇下の安置されている聖アッボンディオの遺体


P2720231
中央礼拝堂横に置かれた彫刻


P2720232
トンマーゾ・ロダーリ(マロッジャ、1460‐コモ、1525)の「聖アッボンディオ像」(1490)
(つづく)

P2450876後編は新ドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂です。


P2450826
旧ドゥオーモは、その周囲の地表の高さが経年と共に徐々に高くなることに伴い、16世紀後半には、その床の高さは地表よりも一段低い場所となってしまい、雨水の流入や高湿度の問題が深刻となったので、新しいドゥオーモの建物建設が検討されるようになりました。


029
そうして、新ドゥオーモの建設が1603年に決定され、1604年に初期キリスト教のバジリカが建っていた現在地に創建されました。
しかし、1630年にブレーシャで大流行したペストによる経済的な困窮と人口減少によって、工事が中断されてしまいました。17世紀末に漸く工事が再開されましたが、中々進捗しませんでした。


P2450823
18世紀にファサードの建設が始まり、1825年に完成しました。1825年のファサードの完成を持って、新ドゥオーモの建設が漸く終了したのです。


P2450877
高さ80mのクーポラは19世にに完成しました。


030
ファサードの入り口扉上の彫刻は、アントニオ・カレガリ(ブレーシャ、1699‐1777)の「アンジェロ・マリア・ケリーニ枢機卿の胸像」
ブレーシャ司教を務めたアンジェロ・マリア・ケリーニ枢機卿(ヴェネツィア、1680‐ブレーシャ、1755)は、進捗しなかった新ドゥオーモの建設に尽力しました。


P2450825
建築様式としては、後期バロック様式と新古典様式の折衷と考えられてます。


P2450829
三廊式、ギリシャ十字形の堂内です。


P2450830
左側壁


P2450831
右側廊


P2450832
彫刻の装飾が目を引きます。


P2450833
クーポラ


035
クーポラ周囲の彫刻は、カレガリ一族とジョヴァンニ・バッティスタ・カルボーニ(ブレーシャ、1729‐1790)によって制作されました。


038
聖マルコと聖マッテオの彫刻は、ジョヴァンニ・バッティスタ・カルボーニ(ブレーシャ、1729‐1790)によるものです。


P2450860
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖ルーカは、カルガリ一族の作品です。


P2450835
ジョヴァンニ・アントニオ・エマヌエリ(ブレーシャ、1816‐ミラノ、1894)の「カルロ・ドメニコ・フェラーリ司教(ブレーシャ、1769‐1846)の墓」(1855)


P2450836
クラウディオ・ボッタ(マネルビオ、1891‐ミラノ、1958)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの銅像」


P2450838
ジローラモ・ロマーニ通称ロマニーノ(ブレーシャ、1484c‐1566c)の3作品、左から「聖母の誕生」、「聖母の結婚」、「ご訪問」です。


P2450839
左側の礼拝堂です。


P2450840
ジャコモ・ゾボーリ(モデナ、1681‐ローマ、1767)の「キリストの昇天」(1735)


P2450843
ジュゼッペ・ヌヴォローネ(サン・ジミニャーノ、1619‐1703)の「天上の聖母子と聖人たち」(1679)


P2450845
ジュゼッペ・ヌヴォローネ(サン・ジミニャーノ、1619‐1703)の「聖母の誕生」


039
左側廊突き当りの礼拝堂です。


P2450848
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548/1550-1628)の「聖母被昇天と聖カルロと聖フランチェスコ」


P2450850
中央礼拝堂です。


P2450852
主祭壇画は、ジャコモ・ゾボーリ(モデナ、1681-ローマ、1767)の「聖母被昇天」(1735)


P2450856
ガスパーロ・カイラーノ(ミラノ?、1489以前生まれ-ブレーシャ?、1517以前没)の「聖アポッロニオの墓碑」(1508-10)


P2450868
右側廊


037
仕切りの前に移動しました。


P2450857
右側廊突き当りの礼拝堂です。


P2450859
ルイージ・バジレッティ(ブレーシャ、1780-1859)の「子供に天国への道を示す守護天使」


P2450861
サンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


P2450863
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「イサクの犠牲」


P2450864
右側第1礼拝堂です。


P2450865
フランチェスコ・ジョルフィーノ(ヴェローナ、15世紀後半-16世紀前半)の「磔刑像」(1502)


P2450867
詳細不明


P2450869
ガエターノ・マッテオ・モンティ(ラヴェンナ、1776-ミラノ、1847)の「カブリオ・マリア・ナバ司教(バルザーノ、1758-ブレーシャ、1831)の墓」
カブリオはブレーシャ司教でした。


P2450872
外に出ました。
(おわり)

前編は旧ドゥオーモです。
P2460830
ブレーシャのドゥオーモ広場です。


018
写真手前の丸い建物が旧ドゥオーモ、その先にある建物が新ドゥオーモです。


P2460834
ロトンダとも言われる旧ドゥオーモ、ドゥオーモ・ヴェッキオです。


042
この場所には、ローマ時代の紀元前1世紀に建てられた公衆浴場がありましたが、その遺跡の上に、恐らく6世紀に建てられた初期キリスト教会が前身です。6世紀に建設された柱や床は、旧ドゥオーモのクリプタに一部残ってます。


019
最初の建物は8世紀の火災によって消失し、直ぐに再建されましたが、10世紀に取り壊されました。
現在の建物は、10世紀に創建されたものがクリプタとして残されてます。1095年のブレーシャ大火災によって大きな被害を受けたとされてます。16世紀末の大改修後の姿が現在の旧ドゥオーモとなってます。


P2450827
堂内に入ると分かりますが、聖堂内の床は、地表から一段低い場所にあります。聖堂内の床の高さは10世紀頃の地表と同じ高さにありました。
地表からの流水の侵入と湿気の問題が経年とともに徐々に深刻化するようになり、16世紀末に新ドゥオーモの建設が検討されるようになり、旧ドゥオーモの隣の場所に新ドゥオーモの建設工事が1604年に始まったのです。


P2450875
出入り口


P2450878
中に入りました。信者席がある床が、10世紀頃の地表の高さとほぼ同じとされてます。16世紀末の大改修工事によって、信者席よりも一段高い場所に礼拝堂が設けられるようになりました。


P2450879
円形のロトンダの天井


P2450880
ブレーシャ司教聖アポッロニオ像(13世紀)


P2450883
アンジェロ・ガンディーノ(ブレーシャ、1560‐1631)の「子供に天国への道を示す守護天使」(1605‐06)


P2450884
中央礼拝堂は工事中でした。


P2450885
観たい作品があるのですが、これではどうにもなりません。


023
工事前は観ることが出来ました。


P2450922
主祭壇画も修復中でした。


9
仕方がないので、外部サイトから拝借した主祭壇画の写真を載せておきます。
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c‐1554)の「聖母被昇天」(1524‐26)


P2450901
かなり大掛かりな修復工事です。


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P2450904


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ローマ時代の公衆浴場のモザイク(紀元前1世紀)を見ることが出来ます。


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の扉が閉まっていましたが、柵の間にカメラを入れて写真を撮りました。


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中央は、パオロ・カイリーナ・イル・ヴェッキオ(ブレーシャ、1420/1430-1486)の「キリストの鞭打ち」
左は、アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「聖マルコ」
右は、モレットの「聖ルーカ」


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サンティッシモ・サクラモンテ礼拝堂のフレスコ画は、ジローラモ・ロマーニ通称ロマニーノ(ブレーシャ、1484c-1566c)によって描かれました。


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「エリアを慰める天使」


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)の「信者たちの寄宿舎の復活祭」


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右翼廊の礼拝堂の祭壇画です。
フランチェスコ・マッフェイ(ヴィチェンツァ、1605c-パドヴァ、1660)の「ドミナトーレ司教とパオロ司教とアナスタショ司教の遺体の移送」(1656)


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右翼廊の礼拝堂のフレスコ画は、トンマーゾ・サンドリーニ(ブレーシャ、1580-1630)とフランチェスコ・ジューニョ(ブレーシャ、1577-マントヴァ、1621)によって描かれました。


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フランチェスコ・マッフェイの作品


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フランチェスコ・マッフェイの作品


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クーポラのフレスコ画は、トンマーゾ・サンドリーニ(ブレーシャ、1580-1630)とフランチェスコ・ジューニョ(ブレーシャ、1577-マントヴァ、1621)によって描かれました。


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サンタ・クローチ礼拝堂の扉が閉まっていました。


P2450913
この奥にドメニコ・デ・ドミニーチ葬儀モニュメントがありますが、これではどうにもなりません。
サンタ・クローチ礼拝堂の祭壇画を外部サイトから拝借した写真で載せておきましょう。


11
アントニオ・ガンディーノ(ブレーシャ、1560-1631)の「バビエーラのナーモの寄付」(1605-06)


12
グラツィオ・コッサリ(オルツィヌオーヴィ、1563-ブレーシャ、1629)の「子スタンティンへの十字架の幻影」(1605)


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ステンダリオがあります。


P2450910
詳細不明


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c-1554)と弟子による「アブラハムとメルキゼデクの出会い」


P2450915
クリプタに進みます。


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6世紀の柱などが一部残されてます。


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大部分が8-9世紀に建設されたものです。


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一旦外に出ました。次は新ドゥオーモです。
(つづく)

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駅近くからチェントロ・ストーリコに向かうCorso Martiri della Libertaです。


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Corso Martiri della Libertaに面して建つサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会です。


155
1480年から1484年にかけて、ブレーシャではペストが大流行して、多くの犠牲者を出しました。


153
ペストに苦しんでいた市民は、この場所にあった建物の壁に描かれた聖母子のフレスコ画が奇跡的なご利益があるとの評判が立ち、そのフレスコ画を崇拝するようになりました。


154
1486年、ブレーシャの教会関係者は深い信仰を集めることになったフレスコ画がある場所に教会を建設することを決め、フレスコ画ある建物の買収交渉を開始しました。


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ルドヴィーコ・ベレッタの設計によって1487年創建、1490年に完成したルネサンス様式のサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会です。


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この教会の見所は何といってもファサードです。


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柱廊を含むファサードの設計は、ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447c‐ミラノ、1522)によるものです。
ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオの代表作は、ベルガモのコッレオーニ礼拝堂でしょう。


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ファサードの彫刻もジョヴァンニ・アントニオ・アマデオの作品です。


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第二次世界大戦の爆撃によって大きな被害を受けた教会ですが、ファサードだけは奇跡的に罹災を免れました。


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ファサード以外の部分は、爆撃によって大きな被害を受けたので、戦後に大修復されました。


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中に入りました。


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三廊式、ルネサンス様式の内部です。


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右側壁


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教会の構造図


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ペスト治癒の信仰を集めた聖母子のフレスコ画の写真


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主祭壇


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主祭壇に置かれたペスト治癒の信仰を集めた聖母子(15世紀)


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後陣


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クーポラ


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爆撃を免れた建設当時のオリジナルの場所


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左側廊


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左側廊から見た中央礼拝堂


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右側廊


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祭壇画を見て行きます。


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グラツィオ・コッサ―リ(オルツィヌオーヴィ、1563‐1629)の「聖母の浄化」(1594)


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ピエトロ・マローネ(ブレーシャ、1548c‐1603)の「聖母被昇天」


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オッタヴィオ・アミゴーニ(ブレーシャ、1606‐1661以降没)の「無原罪の御宿リ」(1646)


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エンリコ・アルブリッチ(ヴィルミノーレ・ディ・スカルヴェ、1714‐1775)の「天国のカギを聖ピエトロに託すキリスト」(1754)


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エンリコ・アルブリッチ(ヴィルミノーレ・ディ・スカルヴェ、1714‐1775)の「ライ病の回復」


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パオロ・コスタの「磔刑」(1618)


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詳細不明


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詳細不明


P2450765
詳細不明


P2450767
詳細不明


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中央礼拝堂の左側壁に2点の祭壇画があります。


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トンマーゾ・ボーナ(ブレーシャ、1548‐1614)の「聖母の誕生」


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ピエトロ・マリア・バニャトーレ(ブレーシャ、1548c‐1627c)の「受胎告知」(1592)


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エンリコ・アルブリッチ(ヴィルミノーレ・ディ・スカルヴェ、1714‐1775)の「聖二コラの死」


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ジュゼッペ・ファッリ(ブレーシャ、1697‐1772)の「我に触れるな」


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詳細不明


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ジュゼッペ・アリアッジ(ブレーシャ、1825‐1906)の「モレット作『聖母子と聖二コラ』の複製画」
モレットの作品は、元々この場所にありました。参考までにモレットの作品画像を載せておきましょう。


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498c‐1554)の「聖母子とバーリの聖二コラ」(1539)
現在、この作品はブレーシャのトージオ・マルティネンゴ美術館にあります。


P2450812
美術的に見所が豊富な教会です。


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外に出ました。

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聖水盤


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14‐15世紀の逸名画家によるフレスコ画


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14世紀のヴェローナの逸名画家によるフレスコ画


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14世紀のヴェローナの逸名画家によるフレスコ画


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「最後の晩餐」(15世紀初め)


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詳細不明


P1120410
14世紀のヴェローナの逸名画家によるフレスコ画


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詳細不明の磔刑像


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入口扉上のルネッタにフレスコ画が残されてます。


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制作者情報不詳の「玉座の聖母子と4聖人と信者」


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二層に描かれたフレスコ画


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ファサード側の扉裏に置かれているブロンズ像


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11世紀頃の逸名金工家・彫刻家によって制作されたとされてます。


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ファサード側の扉として使用されていましたが、劣化防止と維持保存のため、現在は聖堂内に置かれてます。


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左右の扉の制作者が違うとされてます。


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聖水盤


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出入口


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ロレンツォ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィア、1356‐1372記録)の「彩色磔刑像」


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聖ゼーノ?


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Altare Rinascimentale (1515-35)
祭壇画は、フランチェスコ・トルビード通称イル・モーロ(ヴェネツィア、1482‐ヴェローナ、1562)の「聖母子と4聖人(聖アンナ、聖ゼーノ、聖セバスティアーノ、聖クリストフォロ)」(1520c)


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Altare Rinacimentaleのフレスコ画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・デル・モーロ(ヴェローナ、1512‐ヴェネツィア、1573)に帰属するもので、1538年以降に制作されました。


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12‐15世紀に描かれたフレスコ画


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聖クリストフォロ(12世紀)


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ジョッテスキ画家による「聖母子」


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制作者不知の「カルヴァリオへの上り」


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立ち去る前に、マンテーニャの祭壇画をもう一度見ました。


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心行くまで鑑賞しました。


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大満足で外に出ました。


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外はすっかり夕暮時を迎えていました。


P1120472
(おわり)

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PresbiterioからChiesa plebanaと呼ばれるParte centraleに下りました。


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階段横の壁にもフレスコ画があります。


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フレスコ画の制作者は特定されていません。


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Presbiterioの下にクリプタがあります。


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Presbiterio先端の柵上に彫刻があります。


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12世紀から14世紀に制作された彫刻です。


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逸名彫刻家による作品です。


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これは何でしょうか?


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次はクリプタです。


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聖ゼーノの聖遺物が収められてます。


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クリプタに入りました。


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10世紀に遡るクリプタです。


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その後、13世紀と16世紀に改装され、現在に至ってます。


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聖ゼーノの遺体を収めた石棺がありますが、扉が施錠されていて中に入ることが出来ませんでした。


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壁や柱の所々にフレスコ画が残されてます。


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古そうな聖母子


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詳細不明


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クリプタのあちこちに石棺、墓がありますが、その多くは歴代のヴェローナ司教のものです。


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フレスコの痕跡


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クリプタのフレスコ画を紹介してます。


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聖ゼーノ


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修復された柱頭のような・・・・・


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ヴェローナの彫刻家アダミーノ・ダ・サン・ジョルジョの柱頭(1225)


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アダミーノ・ダ・サン・ジョルジョの柱頭(1225)


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クリプタでミサが行われることが多いようです。


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クリプタを後にしました。


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Parte centrale


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左側廊


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右側廊


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名前が付けられていない祭壇


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14‐15世紀のフレスコ画


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14‐15世紀のフレスコ画


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Altare Barocco (1621)
(つづく)

P1120303
聖堂内に入りました。


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3廊式、ロマネスク様式の内部ですが、少し複雑な構造をしています。


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フレスコ画が沢山あるので、美術ファンにとっては非常に魅力ある教会です。


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木造りの天井


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階段を上ります。


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Presbiterio(聖堂内陣、中央祭壇を含む部分)です。
階段下のChiesa plebana、Presbiterio、クリプタの3つの部分に分かれてます。


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何はともあれ、中央祭壇の祭壇画を見に行きます。


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これがお目当てです。


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アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「サン・ゼーノの祭壇画」(1457‐59)
1456年、当時のサン・ゼーノ修道院長グレゴリオ・コッレールによって発注された作品です。
残念なことに、プレデッラの「園の祈り」、「磔刑」、「キリストの復活」の3点はマンテーニャの真作ではなく、後に制作された本物の複製画なのです。
ナポレオンのイタリア侵攻によって、多くの傑作美術品がフランスに持ち去られましたが、この「サン・ゼーノの祭壇画」も1797年にフランス軍によって奪われてしまいました。
ナポレオン失脚後、この作品の返還交渉が行われましたが、何年も経って漸く返還されました。しかし、返されたのは上部のトリッティコだけで、何故かプレデッラ部分はフランスに奪われたままで返ってきませんでした。その後、何度も返還要求が出されたものの、フランス側は拒否を続け、今に至ってます。
已む無くプレデッラ部分の複製画制作がパオリーノ・カリアーリ(ヴェネツィア、1764‐1835)に発注され、パオリーノ・カリアーリ制作の「マンテーニャ作品の複製画」がプレデッラ部分に嵌め込まれたのです。
パオリーノ・カリアーリはパオロ・ヴェロネーゼの子孫と言われてます。
なお、プレデッラの「園の祈り」と「キリストの復活」はフランスのトゥール美術館、「磔刑」はルーヴル美術館にあります。


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上段中央


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上段左


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上段右


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プレデッラのパオリーノ・カリアーリ(ヴェネツィア、1764‐1835)の「マンテーニャ作『園の祈り』の複製画」


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「磔刑」(パオリーノの作品)


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「キリストの復活」(パオリーノの作品)
マンテーニャの祭壇画の裏に素晴らしい「聖ゼーノ」のフレスコ画があるのですが、一般の拝観者は祭壇画の背後に入ることが出来ないので、観ることが出来ません。


1
これが、そのフレスコ画の作品画像です。(外部サイトから拝借しました)
ヴェローナの逸名画家による「聖ゼーノ」(14世紀)


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ヴェローナの逸名画家たちによって13世紀から14世紀に描かれたフレスコ画


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Altare del Santissimo Sacrament


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Altare del Santissimo Sacramentの右壁は、聖堂で最古の部分(10世紀)の一部とされてます。


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14世紀のヴェローナの逸名画家によるフレスコ画


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中央祭壇左柱のフレスコ画


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後陣のフレスコ画


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後陣のフレスコ画は、アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330c‐ヴェローナ、1390c)派の逸名画家によって描かれたとされてます。


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中央祭壇の左に有名な彫刻があります。


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13世紀の逸名彫刻家作「笑う聖ゼーノ像」


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13‐14世紀のヴェローナの逸名画家たちによって描かれたフレスコ画


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向かいの壁


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Presbiterioは終わりです。


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Presbiterioからバラ窓を見ました。
(つづく)

P1120247
ヴェローナ旧市街の北東方向の町外れです。鐘楼が見えてますが、サン・ゼーノ・マッジョーレ聖堂のものです。


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サン・プロコーロ教会(写真右)の先は、サン・ゼーノ広場です。


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サン・ゼーノ広場に面して建つサン・フェルモ・マッジョーレ聖堂です。
シェイクスピアの「ジュリエッタとロメオ」の結婚の場だったということで、観光客に比較的人気が高い教会です。


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第8代ヴェローナ司教でヴェローナの守護聖人聖ゼーノ(モーリタニア、300c‐ヴェローナ、372)(ヴェローナ司教在任362年‐372年)の死後に、現在の聖堂が建ってる場所に、4世紀後半に聖ゼーノの墓と聖ゼーノを奉る小さな教会が建てられましたが、それが前身とされてます。聖ゼーノは黒人だったという説が有力のようです。


P1120251
最初の建物は9世紀に破壊されたので、ピピン王と当時の司教によって二代目の建物が建てられましたが、10世紀初めにハンガリー人によって、二代目の建物も破壊されてしまいました。
967年、ドイツ皇帝オットー1世の資金援助によって3代目の建物が建てられましたが、ヴェローナを襲った1117年1月3日の大地震によって倒壊したので、修復と拡張工事が行われ、1138年に一応の完成を見ました。


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その後、ゴシック様式の屋根と後陣が再建され、1398年に完成しましたが、その完成後の建物が現在の姿となってます。
1973年、教皇パオロ6世によってBasilica Minoreに格付けされました。


P1120266
高さ62mの鐘楼は、1045年に創建され、1178年に完成しました。


P1120253
ファサード左に建っているのは、旧サン・ゼーノ修道院の塔です。


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要塞のような堅固な造りの塔です。


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ファサードを見ます。
彫刻家ブリオロート Brioloto(1189-1220存在確認)作とされる「運命の車輪」(12世紀末)と呼ばれるバラ窓です。


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柱廊扉上ルネッタ上の浮彫「悪を踏む聖ゼーノとヴェローナ貴族と市民」(12世紀)


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グリエルモ派彫刻家による浮彫でしょうか?


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入口扉左の彫刻は、グリエルモ・ダ・モデナ(モデナ、1099‐1120活動)の「キリストの物語」


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傑作です。


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入口扉右側の彫刻は、ニッコロ(1122‐1139活動)の「創世記」と「テオドリック王の狩り」です。


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右側も素晴らしい傑作です。


P1120260
ファサードの右側


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入口扉前の左右にライオン像があります。こちらは左側のライオン像です。


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右側のライオン像


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聖母子のフレスコ画


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聖堂内に入るには一旦キオストロ回廊に出ます。


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通常、ファサード側の扉が閉まっています。


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修道院の中庭を囲んで、修道院と聖堂を繋いでます。


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修道院は9世紀に建設されましたが、地震やアディジェ川の洪水などの天災、経年劣化のため、修復、拡張、再建を繰り返しました。


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修道院は、ナポレオンによって18世紀末にその活動が停止されました。


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回廊の壁にフレスコ画が描かれていましたが、一時期、殆ど残っていない状態でした。


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ところが1980年から行われた修復の際に、フレスコ画が発見されたのです。


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フレスコ画は12世紀から15世紀に制作されたそうです。


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回廊から見た聖堂


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キオストロ回廊から聖堂内に向かいました。


P1120302
(つづく)

P1120173
下教会から上教会に戻りました。
制作者不明の「磔刑像」(18世紀)


P1120174
Cappella Alighieriの祭壇画は既に紹介しました。


P1120176
Cappella della Passione


P1120177
ドメニコ・リッチョ通称イル・ブルサソルツィ別称ドメニコ・ブルサソルツィ(ヴェローナ、1516‐1567)の「磔刑」(1550c)


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Cappella della Passioneのスタッコ彫刻


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ドメニコ・ブルサソルツィの作品?


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ドメニコ・ブルサソルツィの作品?


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中央礼拝堂


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後陣のフレスコ画は、1320年頃にMaestro del Redentoreによって制作されました。


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Cappella di Sant'Antonio


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磔刑の祭壇画の左横は、リベラーレ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1445c‐1530)の「聖アントニオと聖アゴスティーノと聖ニコロ」


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P1120193
14世紀のヴェローナの逸名画家によるフレスコ画


P1120194
フレスコ画のテーマはパドヴァの聖アントニオの生涯です。


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1340年から1350年頃にかけて制作されました。


P1120196


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制作者不明のパドヴァの聖アントニオ像


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Transetto e Mausoleo della Torre


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14世紀のヴェローナの逸名画家によるフレスコ画


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フレスコ画のテーマは聖フランチェスコの生涯です。


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詳細不明


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Altare dei Marangoni (1608)


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祭壇画は、アレッサンドロ・トゥルキ通称ロルベット(L'Orbetto)(ヴェローナ、1578ローマ、1649)の「羊飼いの礼拝」(1608)


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Cappella della Madonna


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・カロート(ヴェローナ、1480‐1555)の「天上の聖母子と聖アンナと聖人たち」(1528)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・バルキ(マントヴァ、15940ヴェローナ、1650)の「十字架降下」


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Altare di San Nicola (1635)
ジョヴァンニ・バッティスタ・デル・モーロ(ヴェローナ、1512‐ヴェネツィア、1573)の「聖二コラと聖アゴスティーノと聖アントニオ・アバーテ」


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トゥローネ・ディ・マキシオ派逸名画家に帰属する「磔刑」(1363)


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ピサネッロのフレスコ画


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ナンニ・ディ・バルトロ通称イル・ロッソ(フィレンツェ、1419‐1451活動)の「マウセレオ・ベンツォーニのモニュメント」(1426)


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外に出る前に、もう一度主祭壇を見ました。


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(おわり)

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マルティーノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、?‐1412)のフレスコ画


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Cappella Benzoniの入り口です。


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14世紀のヴェローナの逸名画家によるフレスコ画


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Cappella Brenzoniに入りました。


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Cappella Brenzoniの左壁


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アントニオ・ダ・メストレの彫刻(14世紀末)


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マルティーノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、?‐1412)のフレスコ画


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マルティーノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、?‐1412)のフレスコ画


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フランチェスコ・ボンシニョーリ(ヴェローナ、1460c‐カルディエーロ、1519)の「玉座の聖母子と聖ジョッベ(ヨブ)と司教聖人」(1484)


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Cappella Brenzoniの祭壇画は、アントニオ・エレネッティ(ヴェローナ、?‐1767)の「聖母子と聖フェルモと聖ルスティコ」


P1120119
詳細不明


P1120120
詳細不明


P1120125
詳細不明


P1120126
詳細不明


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ラッファエーレの祭壇です。


P1120131
フランチェスコ・トルビード通称イル・モーロ(ヴェネツィア、1486‐ヴェローナ、1562)の「聖母子と大天使ラッファエーレとトビアスと聖女」(1530)


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制作者不明の「嘆き」(16世紀初頭)


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Altare di San Francesco
祭壇画は、ジャンバッティスタ・べッロッティ(ヴェローナ、1667‐1730)の「聖母子と聖フランチェスコ」


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Cappella Alighieri
ジョヴァンニ・バッティスタ・デル・モーロ(ヴェローナ、1512‐ヴェネツィア、1573)の「聖母子と聖人たち」(1547)


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下教会に向かった。


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下教会への入り口です。


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下教会に通じる通路にある壁龕


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「玉座の聖母子と2聖人」(14世紀初め)
その下はアントニオ・ペラカーニの墓


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階段を下りて下教会に向かいました。


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Chiesa Inferiore


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1065年のロマネスクが味合うことが出来ます。


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ラテン十字形ですが、柱が天井を支える特殊な構造をしています。


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12世紀から14世紀に描かれたフレスコ画が残ってます。


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下教会の祭壇


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柱に描かれたフレスコ画


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上教会に戻ります。
(つづく)

P2690434サン・フェルモ・マッジョーレ教会はアディジェ川の川岸にあります。


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レオーニ門の先に、既にサン・フェルモ・マッジョーレ教会の鐘楼が見えます。


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鐘楼を目指して道を進むと後陣に出ます。


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ドガ―ナ通りをアディジェ川に向かって進んで、ファサード側に出ます。


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教会の身廊側に出ました。


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左身廊側


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こちら側の扉は開いてません。


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左サイドポータルのルネッタ上のフレスコ画


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左サイドポータルの左壁にあるフレスコ画
フランチェスコ・モローネ(ヴェローナ、1471‐1529)の「聖母子と2聖人」(1523)


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柱頭


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ファサードがあるサン・フェルモ広場です。


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教会が建っている場所で、304年、聖フェルモと聖ラスティコが殉教したと伝えられてます。この場所に5‐6世紀に教会が建設されたとされてますが、8世紀の記録に教会の存在が初めて記されてます。


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2つの異なる建物を2層に重ねた構造の教会です。
最初にベネデット会によって1065年から1143年にかけて教会が建設されましたが、後にフランチェスコ会の管理教会となり、1261年から上の教会の建設が始まり、1350年に完成しました。


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アディジェ川の度重なる洪水によって被害を受けましたが、より大きな被害を受ける下の教会よりも上の教会が重要視されるようになり、1759年に下の教会の重要なものが上の教会に移されました。


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13世紀に完成した鐘楼


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後陣


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ファサード左側のアヴェンティーノ・フラカストーロのアルカ(柩)


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ヴェローナの名家フラカストーロ家出身のアヴェンティーノは、ヴェローナ領主のカングランデ1世デッラ・スカラの医者、友人でした。


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扉の右横にも墓らしきものがありますが、詳細不明のようです。


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正面扉上ルネッタ
何が描かれているのか、判然としないフレスコ画


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ライオン像(左)


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ライオン像(右)


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中に入ります。


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上の教会です。


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単廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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右側壁


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トゥローネ・ディ・マキシオ(ヴェローナ、14世紀後半活動)の「磔刑」


12


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14世紀のヴェローナの逸名画家によるフレスコ画


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アンジェラ・グアリエンティの墓(1564)
上部のフレスコ画は、Maestro del Redentoreの「4人のフランチェスコ会修道士の殉教」(1321)
下部のフレスコ画は、14世紀のヴェローナの逸名画家による「聖オノフリオと聖ドロテア」


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Cappella Nichesola


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サンテ・クレアーラ(ヴェローナ、1572‐1620)の「聖母子と4聖人」(16世紀)


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4聖人のうち、特定されているのは、聖ブランダーノと聖グレゴリオの2人だけのようです。


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フレスコ画は、ドメニコ・リッチョ通称イル・ブルサソルツィ別称ドメニコ・ブルサソルツィ(ヴェローナ、1516‐1567)の「司教の殉教」


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天井


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アントニオ・ダ・メストレの「説教壇」(1396)


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説教壇周囲のフレスコ画と説教壇内部の「磔刑」は、マルティーノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、?‐1412)によって1396年に制作されました。
(つづく)

P1110842
Cappella Emilei


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ジャンベッティ―ノ・チニャローリ(ヴェローナ、1706‐1770)の「キリストの変容」(1741)


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Cappella Emileiのフレスコ画は、ジョヴァンニ・マリア・ファルコネット(ヴェローナ、1468‐パドヴァ、1535)によって制作されました。


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アゴスティーノ・ヴァリエールのモニュメント


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ブラートの「最後の晩餐」


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Cappella Mazzanti
Maestro Campionesiの「聖アガタの廟」(1353)


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オルガン左右の絵画は、フェリーチェ・ブルサソルツィ(ヴェローナ、1542‐1605)の作品です。


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Cappella Maffei


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Cappella Maffei


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アゴスティーノ・ウゴリーノ(ヴェローナ、1758‐ヴェネツィア、1826)の「聖母子と聖人たち」(1794)


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その下にあるプレデッラは、ミケーレ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1470‐1540)の作品です。


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ジョヴァンニ・マリア・ファルコネット(ヴェローナ、1468‐パドヴァ、1535)のフレスコ画


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次は中央礼拝堂です。


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中に入ることが出来ません。


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フランチェスコ・トルビード通称イル・モーロ(ヴェネツィア、1486‐ヴェローナ、1562)のフレスコ画


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後陣のフレスコ画「聖母被昇天」は、フランチェスコ・トルビード通称イル・モーロ(ヴェネツィア、1486‐ヴェローナ、1562)によって制作されました。


P1110856
イル・モーロは、ジュリオ・ロマーノによって触発されて制作したと言われてます。


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Cappella della "Madonna del Popolo"


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19世紀に制作されたフレスコ画


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クーポラ


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1465年に建設されたCappella Cartolari


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詳細不明


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ミケランジェロ・プルナーティ(ヴェローナ、1690‐1750)の「聖母子と聖ミケーレと聖ジョルジョと聖ジローラモ」


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Cappella Cartolariのフレスコ画の制作者ですが、私には分かりません。


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今いるところの向かいの右側壁の礼拝堂です。


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向かい側のCappella Calcasoli


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次はCappella Abbazia-Lazzariです。


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Cappella Abbazia-Lazzari


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サンティ・プルナーティ(ヴェローナ、1652‐1728)の「救世主とトビアスと天使と聖人たち」


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Cappella Cartolari-Nichesola


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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「聖母被昇天」(1535-40)


P1110888
ティツィアーノがヴェローナで制作した唯一の作品です。


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外に出ました。


P1110900
(おわり)

P2690459
サンタナスターシア聖堂からドゥオーモに向かいました。ご覧のように、余り離れてません。(ランベルティの塔からの写真です)


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ドゥオーモの傍にアディジェ川が流れてます。


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高さ約75mの鐘楼が目立ちます。


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サンタナスターシア聖堂からドゥオーモに向かうと、直ぐにドゥオーモの鐘楼が見えてきます。


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ドゥオーモ通りを進めば、突き当りがドゥオーモの身廊側です。


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身廊側から聖堂内に入らないで、ファサード側のドゥオーモ広場に出ます。


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広場に面して建つBiblioteca Capitolare


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貴重な本を所蔵していることで有名な図書館です。


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ヴェローナのドゥオーモ、Cattedrale di Santa Maria Matricolareです。


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教会の歴史は古く、4世紀頃、この場所に存在していた初期キリスト教会が前身です。8‐9世紀頃に再建されましたが、ヴェローナを襲った1117年の大地震によって倒壊したので、再び建設されることになり、1120年創建、1187年に完成したロマネスク様式の建物が原形です。1187年、教皇ウルバーノ3世によって献堂されました。


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15世紀にゴシック様式に一部拡充改装され、ファサードは16世紀に完成しましたが、ファサード完成後の建物が現在の姿となってます。


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ファサードの柱廊玄関、ProtiroとFrontoneが特徴です。


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Frontoneの時計


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Protiroのルネッタ上の彫刻は、ニッコロ(1122‐1139活動)の「マギの礼拝」


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ファサードの彫刻


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Portale principaleの左柱の彫刻


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Portale principaleの右柱の彫刻


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柱廊玄関の左右に置かれたライオン像は、ニッコロ(1122‐1139活動)の作品です。


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向かって右側に置かれたライオン像


P1110821
詳細不明


P1110822
詳細不明


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サイド・ポータル


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フレスコ画は14世紀に制作されました。


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柱頭の彫刻


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鐘楼の下部は12世紀のロマネスク様式のものですが、16世紀にサンミケーリ・ファジュオーリによってルネサンス様式で一応の完成を見ました。しかし、突端部は20世紀に手が加えられたものの、未完成で現在に至っています。


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サイド・ポータルから聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形の内部です。


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ロマネスク様式の構造ですが、15世紀に改装されました。


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右側廊方向


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中央通路


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14世紀から16世紀頃の絵画や彫刻の宝庫とも言えます。


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Cappella Dionisi


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祭壇画は、アントニオ・バレストラ(ヴェローナ、1666‐1740)の「天上の聖母子と聖人たち」です。その前にある小さな彫刻はアンジェロ・サルトーリの「聖アルカディオの殉教」です。


P1110832
Cappella Dionisiのフレスコ画は、アントニオ・バディーレII(ヴェローナ、1424‐1507)の作品です。


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P1110836
Cappella Calcasoli


P1110838
ニコロ・ジョルフィーノ(ヴェローナ、1476‐1555)の「十字架降下と聖人たち(聖ロッコ、聖アントニオ・アバーテ、聖セバスティアーノ、聖バルトロメオ)」


P1110835
Cappella Calcasoliのフレスコ画は、ジョヴァンニ・マリア・ファルコネット(ヴェローナ、1468‐パドヴァ、1535)によって1503年に制作されました。


P1110841


P1110834
(つづく)

P1110729
Cappella Giustiの入り口です。


P1110730
Secondo Maestro di San Zeno?のフレスコ画


P1110731
パオロ・フェリナーティ(ヴェローナ、1524‐1606)の「十字架降下と聖ジャチントの奇跡」


P1110733
アレッサンドロ・トゥルキ通称オルベット(ヴェローナ、1578‐ローマ、1649)の「聖母被昇天と聖二コラと聖チェチリア」


P1110732
フランチェスコ・モローネ(ヴェローナ、1470‐1529)の「十字架降下と聖人たち」


P1110735
Cappella Giusti(1452)


P1110736
フェリーチェ・リッチョ(ヴェローナ、1542‐1605)の「天上の聖母子と聖人たち」(1598)


P1110740
詳細不明


P1110742
詳細不明


P1110744
アントニオ・バレストラの作品


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この祭壇画が中々良いと思います。


P1110748
詳細不明


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Secondo Maestro di San Zenoの作品


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P1110753
Cappella del Rosario (1585-1596)


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この祭壇画は既に見ました。


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「既に見ました」という表現は正しくありません。別の作品です。
制作者、制作年など詳細不明の「ロレンツォ・ヴェネツィアーノの作品のコピー画」
本物は、この聖堂内のペッレグリーニ礼拝堂の祭壇を飾ってます。


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ピエトロ・ベルナルディ(ヴェローナ、16世紀末‐17世紀初め活動)の「園の祈り」


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クラウディオ・リドルフォ(ヴェローナ、1560‐アンコーナ、1644)の「鞭打ち」


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バロック様式のCappella del Rosario


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クーポラ


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16世紀の聖歌隊席を利用したオルガン(1625)


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詳細不明の墓


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Altare Miniscalchi (1436)


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ニコロ・ジョルフィーノ(ヴェローナ、1476‐1555)の「聖霊降臨」


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ルネッタは、フランチェスコ・モローネ(ヴェローナ、1471‐1529)の作品です。


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左側廊


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Altare di San Raimondo di Penafortの祭壇画は、フェリーチェ・ブルサソルツィ(ヴェローナ、1542‐1605)とアレッサンドロ・トゥルキ(ヴェローナ、1578‐1649)の作品です。
フェリーチェ・ブルサソルツィが制作の途中で没したので、仕事を引き継いだアレッサンドロ・トゥルキが完成させました。


P1110775
Altare Faellaの祭壇画は、ニコロ・ジョルフィーノ(ヴェローナ、1476‐1555)の「救世主と聖エラズモと聖ジョルジョ」


P1110777
Altare Boldieriの彫刻の制作者は不明のようです。


P1110779
アントニオ・バディーレII(ヴェローナ、1424‐1507)の「聖母戴冠」


P1110781
詳細不明


P1110782
詳細不明


P1110784
外に出る前に、もう一度聖堂内を見回しました。


P1110786


P1110785


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外に出ました。


P1110792
(おわり)

P1110678
Cappella del Crocefisso


P1110679
磔刑礼拝堂横の壁のフレスコ画


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15世紀の逸名彫刻家作「磔刑像」(15世紀中頃)


P1110680
ジャネセッロ・フォルガリアの墓碑(1427)


P1110683
フレスコ断片


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Altare Centrego (1488-1502)


P1110685
祭壇画は、ジローラモ・ダイ・リブリ(ヴェローナ、1474‐1555)の「玉座の聖母子と聖トンマーゾと聖アゴスティーノと信者」


P1110690
Cappella Cavalli


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アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330‐ヴェローナ、1390c)のフレスコ


P1110688
ルネッタのフレスコ画は、ステファノ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1379c‐ヴェローナ、1438c)の作品(1412)
それ以外の多くは、マルティーノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、?‐1412)のフレスコ画です。


P1110687
詳細不明の祭壇


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Secondo Maestro di San Zeno?のフレスコ画


P1110693
Secondo Maestro di San Zeno?のフレスコ画


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Cappella Pellegrini


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ロレンツォ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィア、1336‐1379)の「聖母子と聖ドメニコと聖ピエトロ・マルティーレとカングランデ2世デッラ・スカラとその妻エリザベッタ・ディ・バヴィエーラ」


10
ピサネッロ(ピサ、1395c‐1455c)の「聖ジョルジョと王女」


P1110696
ペッレグリーニ礼拝堂の天井


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アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330c‐ヴェローナ、1390c)のフレスコ画


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マルティーノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、?‐1412)のフレスコ画


P1110700
詳細不明


P1110701
ミケーレ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1385‐1455)のテラコッタ(1435)


P1110702
ミケーレ・ダ・フィレンツェ(フィレンツェ、1385‐1455)のテラコッタ(1435)


P1110703
中央礼拝堂


P1110705
トゥローネ・ディ・マキシオ(ヴェローナで14世紀後半活動)またはSecondo Maestro di San Zenoの「最後の審判」(1360c)


P1110706
ピエトロ・ディ・ニッコロ・ランベルティの「コルテシャ・セレーゴの記念碑(1429)


P1110709
聖ドメニコ(15世紀)


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聖ピエトロ・マルティーレ(15世紀)


CaP1110711
Cappella Lavagnoli


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ジョヴァンニ・マリア・ファルコネット(ヴェローナ、1468‐1535)に帰属するフレスコ画


P1110714


P1110715
ジョヴァンニ・マリア・ファルコネット(ヴェローナ、1468‐1535)に帰属するフレスコ画


P1110717
Cappella Salerni


P1110718
ステファノ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1379c‐1438c)のフレスコ画(15世紀前半)


P1110720
ボナヴェントゥーラ・ボニンセーニャのフレスコ画(15世紀前半)


P1110726
Secondo Maestro di San Zeno?のフレスコ画


P1110727
Secondo Maestro di San Zeno?のフレスコ画


P1110728
(つづく)

P2690431サンタナスターシア聖堂は、アディジェ川の曲がり角、ピエトラ橋近くにあります。


P1110637
ドメニコ会修道士によって、1290年創建、15世紀に一応の完成を見たゴシック様式の聖堂です。1471年に奉献式が行われました。


P1110644
ヴェローナで最大の教会です。


P1110639
ファサードは未完成のまま現在に至ってます。


P1110638
サンタナスターシア聖堂のファサードの向かって左側にあるのが、1283年創建のサン・ピエトロ・マルティーレ教会です。2つの教会の間にあるのは、グリエルモ・ダ・カステルバルコの墓です。


P1110787
サン・ピエトロ・マルティーレ教会の身廊
サンタナスターシア聖堂に戻ります。


P1110641
入口扉上のフレスコ画


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入口扉上の彫刻
左から受胎告知、ご誕生、マギの礼拝


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入口扉上の彫刻
左から、カルヴァリオへの上り、磔刑、キリストの復活


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ゴシック様式の入り口(1330年)


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入口扉左側の彫刻は、聖ピエトロ・マルティーレの殉教


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聖ピエトロ・マルティーレの殉教の下にある彫刻は、聖ピエトロ・マルティーレの救済


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高さ72mの鐘楼


P1110791
聖堂内に入ります。


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三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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左側廊方向


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右側廊方向


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天井の装飾


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パオロ・オレフィーチェの聖水盤


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ガブリエーレ・カリアーリ(パオロ・ヴェロネーゼの父)の聖水盤


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床模様は、ピエトロ・ダ・ポルレッツァによるものです。(15世紀)


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私には、この作品の詳細が分かりません。


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同断


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ダネーゼ・カッタネオ・ダ・カッラーラ(コロンナータ、1509‐パドヴァ、1573)のAltare Fregoso


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サン・ヴィンチェンツォ・フェッレールの礼拝堂


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ピエトロ・ロターリ(ヴェローナ、1707‐サン・ピエトロブルゴ、1762)の「聖ヴィンチェンツォ・フェッレール」


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Altare Bevilacqua- Lazise
祭壇彫刻はオラツィオ・マリナーリ(アンガラーノ、1643‐ヴィチェンツァ、1720)によるものです。


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同祭壇の装飾


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リベラーレ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1445c‐1530)のフレスコ画


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リベラーレ・ダ・ヴェローナのフレスコ画


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Altare Pindemonte (1541)


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ジョヴァン・フランチェスコ・カロート(ヴェローナ、1480‐1546)の「聖マルティーノと乞食」


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リベラーレ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1445c‐1530)の「聖マリア・マッダレーナの昇天とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖トスカーナ」


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柱に描かれたフレスコ画


P1110677


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ジョヴァンニ・チェッフィス(17世紀後半活動)の「リマの聖ローザ」
(つづく)

P1110396ヴェローナのサンテウフェミア通りです。


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通りの突き当りにあるのがサンテウフェミア教会です。


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ファサード側に回りました。


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確実な記録が残されていないようですが、11世紀に小さな同名の教会が現在の場所にあったとされてます。


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現在の建物は、1275年創建、14世紀に完成したゴシック様式の二代目となるものです。1331年に奉献式が執り行われました。なお、ファサードはルネサンス様式です。


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聖エウフェミア像


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ファサードの装飾


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ファサードの向かって右側にある、ロマネスク様式の石棺


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右側外壁にも墓があります。


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カヴァルカン・デ・カヴァルカンティ(フィレンツェ、1220c‐ヴェローナ、1280c)の墓


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中に入りました。


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左側壁


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右側壁


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中央通路


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天井の装飾


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詳細不明


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ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547‐フィレンツェ、1627)の「三位一体と聖人たち」


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詳細不明


P1110414
詳細不明


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フランチェスコ・トルビード通称イル・モーロ(ヴェネツィア、1486‐ヴェローナ、1562)の「聖バルバラと聖アントニオ・アバーテと聖ロッコ」


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ドメニコ・ブルサソルツィ(ヴェローナ、1515‐1567)「天上の聖母子と聖人たち(聖アゴスティーノ、聖ロッコ、聖セバスティアーノ、聖モニカ)」


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ベネデット・カリアーリ(ヴェローナ、1538‐ヴェネツィア、1598)の「天上の聖家族と聖人たち」


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右側の第5礼拝堂


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アゴスティーノ・ウゴリーノ(ヴェローナ、1757‐1824)の「聖パオロと聖アントニオ・アバーテと聖オルソラ」


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右側の第6礼拝堂


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右側の第7礼拝堂


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ジャンベッティ―ノ・チニャローリ(ヴェローナ、1706‐1770)の「聖母子とヴィッラノーヴァの聖トンマーゾ」


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詳細不明


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マルティーノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、?‐1412)の「聖母戴冠」


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中央の「3大天使」は、ジョヴァン・フランチェスコ・カロートの作品のコピー画(制作者不明)です。本物はカステルヴェッキオ美術館で展示されてます。
その左右にある「聖アポッロニア」と「聖ルチア」は、ジョヴァン・フランチェスコ・カロート(ヴェローナ、1480‐1551)の作品(本物)です。


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14世紀のヴェローナの逸名画家によるフレスコ画


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ジョヴァン・フランチェスコ・カロート(ヴェローナ、1480‐1555)のフレスコ画


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ジョヴァン・フランチェスコ・カロート(ヴェローナ、1480‐1555)の「トビオーロの物語」


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ステファノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1374c‐1436)のフレスコ画


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主祭壇と後陣


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後陣のフレスコ画


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オルガン


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オルガン下の装飾


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詳細不明


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ディオニシオ・バッターリア(16世紀中頃活動)の「聖母と聖ジュリアーノと聖ジュリアーナ」


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ステファノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1374c‐1436)の「聖アゴスティーノの栄光」


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ステファノ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1374c‐1436)のフレスコ画


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クラウディオ・リドルフィ(ヴェローナ、1570‐コリナルド、1644)の「天上の聖母子と聖カルロと聖パオロと聖アントニオ・アバーテ」


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ベルナルディーノ・インディア(ヴェローナ、1528‐1590)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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ルドヴィーコ・ドリニー(パリ、1654‐ヴェローナ、1742)の「聖クリストフォロ」


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14世紀後半の逸名彫刻家作「ピエタ」


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ドメニコ・ザンゴッティ(ぺスカンティーナ、1739‐ヴェローナ、1809)の「トレンティーノ聖二コラの生涯」


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左側第1礼拝堂


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称モレット・ダ・ブレーシャ(ブレーシャ、1498‐1554)の「天上の聖母子と聖オノフリオと聖アントニオ・アバーテ」


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詳細不明


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詳細不明
美術的に大いに楽しめました。


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外に出ました。


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(おわり)

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引き継ぎサン・フランチェスコの回廊のフレスコ画です。


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フレスコ画のテーマは聖フランチェスコの生涯です。全部で約50点のフレスコ画が描かれたそうですが、保存状態が良く、その殆どが残ってます。


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ジャンバッティスタ・ロヴェダータ(ヴェローナ、?‐ヴェネツィア、1620)によって1605年頃制作されました。


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サン・フランチェスコの回廊から教会内に入ります。


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二身廊、ゴシック様式の内部です。


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縦75m、横17m、高さ21mの建物です。


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右側に側廊があります。


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サン・フランチェスコ礼拝堂です。


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サン・フランチェスコ礼拝堂の祭壇画は、アンジェロ・レッキア(ヴェローナ、1816‐1882)の「パオロ・モランド通称イル・カヴァッツォーラ(ヴェローナ、1486‐1522)の『天上の聖母子と聖フランチェスコと聖アントニオと聖人たち(1522)のコピー画」(1863)
本物はカステルヴェッキオ美術館にあります。


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カステルヴェッキオ美術館で展示されているパオロ・モランド通称イル・カヴァッツォーラ(ヴェローナ、1486‐1522)の作品です。


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サン・ベルナルディーノ教会のサン・フランチェスコ礼拝堂から取り外されてカステルヴェッキオ美術館で展示されることになりましたが、教会のオリジナルの場所には、この作品のコピー画が制作され展示されるようになりました。


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サン・フランチェスコ礼拝堂のフレスコ画は、ニッコロ・ジョルフィーノ(ヴェローナ、1476‐1555)によって1522年に描かれました。


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サン・フランチェスコ礼拝堂左側壁


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サン・フランチェスコ礼拝堂右側壁


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右側廊


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Cappella dei Banda


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バンダ礼拝堂の祭壇画は暗くて判然としませんが、フランチェスコ・ボンシニョーリ(ヴェローナ、1460c‐カルディエーロ、1519)の「聖母子と聖ジョルジョと聖ジローラモ」(1488)です。


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Cappella Canossa


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カノッサ礼拝堂の天井のフレスコ画は、ヴェローナの逸名画家によって1541年に制作されました。


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カノッサ礼拝堂の左側壁


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カノッサ礼拝堂の右側壁の作品(20世紀)


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Cappella Avanzi


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最上部はフランチェスコ・モローネ(ヴェローナ、1471‐1529)の作品(1498)です。


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中段は、パオロ・モランド通称イル・カヴァッツォーラ(ヴェローナ、1486‐1522)の「十字架降下、ゲッセマネ園の祈り、十字架を担ぐキリスト」(1517)


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マンテーニャの影響を受けた逸名彫刻家作「嘆き」


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Altare Rinacimentale


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ベルナルディーノ・インディア(ヴェローナ、1528‐1590)の「ご誕生」


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オルガン


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フランチェスコ・べナーリオ(ヴェローナ、1430c‐1492?)のトリッティコ(1462)


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聖水盤


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外に出ました。


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Monogramma di Cristo
聖ベルナルディーノが持ってるもの


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(おわり)

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サン・フランチェスコの回廊です。


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回廊の壁のルネッタにフレスコ画が描かれてます。


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修道院の入り口左側にサン・ベルナルディーノの回廊がありますが、そちらに足を向けませんでした。


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フレスコ画のテーマは、聖フランチェスコの生涯となってます。


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全部で約50場面描かれましたが、その殆どが残されてます。失われたのは数場面にしか過ぎないようです。


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ジャンバッティスタ・ロヴェダータ(ヴェローナ、?‐ヴェネツィア、1620)によって1605年頃に全場面が制作されました。


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近年、修復されたようで、以前よりも鮮明になりました。


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サン・フランチェスコの回廊から見た鐘楼


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サン・フランチェスコのキオストロ


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この辺の部屋で神学研究が行われました。


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(つづく)

P1110144
カステルヴェッキオからStradone Antonio Provoloを進んでサン・ベルナルディーノ教会に向かいました。


P1110289
サン・ベルナルディーノ教会修道院です。


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要塞としての機能を果たす高い壁が教会修道院を取り囲んで、その周囲延長は約600mに及びます。


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門から中に入りました。キオストロの先に教会のファサードが見えます。


P1110287
シエナの聖ベルナルディーノ(マッサ・マリッティマ、1380‐ラクイラ、1444)は、1422年から数年間、ヴェローナに留まり、2つの修道院を建設しましたが、1443年、再びヴェローナを訪れ慈善事業を行い、多くのヴェローナ市民から信仰を集めました。
死後6年の1450年、当時の教皇ニッコロ5世によって列聖されたのを機に、聖ベルナルディーノに献じる教会修道院の建設がヴェネツィア・ドージェのフランチェスコ・フォスカリ(ヴェネツィア、1373‐1457)によって承認、許可されました。それに基づき、1452年創建、1466年に完成したゴシック様式の教会です。奉献式は1453年に執り行われました。


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ファサードの入り口扉上の彫刻、「聖ベルナルディーノ」、「聖ボナヴェントゥーラ」、「聖アントニオ」、ルネッタの「聖痕を受ける聖フランチェスコ」は、17世紀に彫刻家ビアージョ・ファルチエーリによって制作されました。


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入口扉左側


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入口扉右側


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ファサードの右横扉上ルネッタのフレスコ画


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鐘楼


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サン・ベルナルディーノ教会修道院には3つの回廊があります。


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門から中に入り、教会のファサードに向かう中庭を取り囲む回廊があります。


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3つの回廊のうち、最も大きな回廊です。


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サンタントニオの回廊と呼ばれてます。


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回廊の床に修道士たちの墓石や慰霊碑などが並んでます。


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回廊壁のルネッタにフレスコ画が描かれてます。


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フレスコ画のテーマは、聖アントニオの生涯の物語と聖アントニオの奇跡です。


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これらのフレスコ画は、ヴェローナの画家パオロ・モランド通称イル・カヴァッツォーラ(ヴェローナ、1486c‐1522)によって1520年に制作されました。


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まあまあの保存状態でしょう。


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聖アントニオの生涯を殆ど不知なので、各場面の意味がよく分かりません。


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全部で36場面ありますが、紹介はこのくらいにしましょう。


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サン・フランチェスコの回廊に向かいます。


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サンタトニオ回廊とサン・フランチェスコ回廊を繋ぐ廊下の壁ルネッタにもフレスコ画が描かれてます。


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2つの回廊を結ぶ廊下とサン・フランチェスコの回廊のルネッタのフレスコ画は、ジャンバッティスタ・ロヴェダータ(ヴェローナ、?‐ヴェネツィア、1620)によって1605年頃に制作されました。


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フレスコ画のテーマは聖フランチェスコの生涯です。


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サン・フランチェスコの回廊に出ました。
(つづく)

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ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「聖アポッロニア」


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ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


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聖母の礼拝堂


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詳細不明の「聖母子像」


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ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐1532)の「天使」


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ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「天使」


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詳細不明


P1090960
この礼拝堂は見逃せません。


P1090962
アンドレア・ダ・ミラノ(サロンノ、1475c‐1547c)の「最後の晩餐」(1531)


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木製彫刻の有名な作品です。


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アンドレア・ダ・ミラノの「最後の晩餐」がある礼拝堂の絵画は、アンドレア・ダ・ミラノの弟子グイド・オッジョーニの作品です。


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こちらもグイド・オッジョーニの作品です。


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アンドレア・ダ・ミラノ(サロンノ、1475c‐1547c)の「十字架降下」(1528)(木製彫刻)


P1090987
詳細不明


P1090986
円蓋が点灯されないので良く見えません。


P1090990
雨模様の夕方なので、これには参りました。
コインを入れて点灯する方式かと思いましたが、探しても、そのようなものがありません。


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ステンドグラスは点灯しなくてもよく見えます。


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急に点灯されました。


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円蓋に描かれたガウデンツィオ・フェッラーリ(ヴァルドゥッジャ,1475/1480c-ミラノ、1546)の「奏楽天使」(1535)
円蓋もベルナルディーノ・ルイーニに注文されていましたが、1532年に死去してしまい、そのままになっていましたが、1535年にガウデンツィオ・フェッラーリに出来るだけ早く仕上げるとの条件で注文され、僅か79日間で仕上げたそうです。


P1090994
79日間で仕上げたとは、とても思えません。丹念に描かれていると思います。


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上の写真のほぼ中央に聖母の木製彫刻がありますが、これはガウデンツィオ・フェッラーリの下絵に基づいてアンドレア・ダ・ミラノが彫ったものです。
また、円形のメダイオンが四隅に描かれてますが、ガウデンツィオ・フェッラーリが描くことになっていたものの未着手のまま、フェッラーリが1546年に没してしまいました。
四隅のメダイオンは、1547年にベルナルディーノ・ラニーノ(モルターラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)によって描かれました。


P1090997


P1090996
夕べのミサが始まるようです。


P1100001
旧修道院のキオストロに出ました。


P1090989
詳細不明


P1100004
キオストロ回廊のフレスコ画は見逃せません。


P1100002
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c-ミラノ、1532)の「ご誕生」
キオストロ回廊の壁にフレスコ画が沢山描かれていたそうですが、現存するのはこれだけです。


P1100006
外に出ました。


P1100012
時間潰しが大変でしたが、来た甲斐がありました。


P1100016
(おわり)

P1090815
サロンノ駅から徒歩4,5分で聖域聖堂に着きます。


P1090820
Basilica Minore e Santuario della Beata Vergine dei Miracoliです。
1923年、教皇ピオ11世によってBasilica Minoreに格付けされました。


P1100013
1498年創建、1508年に完成したルネサンス様式で建築され、1502年、教皇アレクサンドル6世ボルジアによって奉献されました。


P1100007
その後、数度の増築改造を経て、1666年に完成したバロック様式の建物が現在の姿となってます。


P1100014
ファサードはペッレグリーノ・ティバルディ(ぷーリア、1527‐ミラノ、1596)の設計によって1596年から1612年に建設されました。


P1090824
ファサードの天井上の天使は、カルロ・ブッツィ(ヴァレーゼ、1585‐1658)の作品です。


P1090825
ペッレグリーノ・ティバルディ(プーリア、1527‐ミラノ、1596)によるファサードの装飾


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P1100005
高さ47mの鐘楼は、パオロ・デッラ・ポルタの設計によって1511年から1516年に建設されました。


P1090988
12角形の円蓋は、ドナート・ブラマンテの弟子ジョヴァンニ・アントニオ・アマーデオ(パヴィア、1447‐ミラノ、1522)の設計です。


P1090840


P1090837
ファサードの横に時計台があります。


P1090822
時計台がある建物は、聖堂の洗礼堂です。


P1090832
洗礼堂の入り口


P1090833


P1090835
こちらは旧聖具室で、洗礼堂と繋がってます。


P1090834
聖域聖堂の見所の説明板があります。


P1090953
聖堂内に入りました。


P1090955
三廊式、ラテン十字形の内部です。


P1090998
左側廊


P1090954
美術的に非常に重要な聖堂です。


P1090958右側廊


P1090957
天井のフレスコ画


P1090956
後陣と円蓋のフレスコ画が特に素晴らしいと思います。


P1090972
主祭壇の下を通って後陣に出ます。


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ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「神殿での神学問答」(1531)


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ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「聖母の結婚」
ベルナルディーノ・ルイーニは、1520年から1532年まで、この聖堂内の装飾に従事しました。


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ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「神殿奉献」


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ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「マギの礼拝」
(つづく)


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側廊天井もフレスコ画で装飾されてます。

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