イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: ピエモンテ州

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サン・フランチェスコ教会です。


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Via Real Collegio


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アーチを潜ってジェズ教会に出ます。


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ジェズ教会の扉は固く閉じられたままでした。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に来ました。先ほどの小雨が止みました。


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サン・フランチェスコ教会の扉も閉まっていました。


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カルロ・アルベルト通りです。


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沢山の鳥が広場の上を旋回していました。


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Palazzo Duch


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フレスコの日時計があります。


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Via Martino


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Vicolo Carlo Botta


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Via Vittorio Alfieriに出ました。


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Via Vittorio Alfieriを城方向に進みます。


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直ぐにモンカリエーリ城が見えてきました。


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小高い場所に上ります。


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モンカリエーリ城が見えます。


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家の先下にポー川が流れてます。


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サンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教区教会の鐘楼です。


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Via Vittorio Alfieriを更に進みます。


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モンカリエーリ城の城壁です。


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アーチを潜ります。


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トリノが見えます。


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サンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教区教会です。


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モンカリエーリ城の前に出ました。


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バーデン・バーデン広場です。城の博物館はもう閉館しました。


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市庁舎分庁舎を通り過ぎます。


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振り返ってモンカリエーリ城に別れを告げました。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に戻りました。


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サンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教区教会も閉まっていました。


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夕方にも拘らず広場の人出が少なかった。


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見所が少ないと思いました。


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市庁舎


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ホテルに戻ることにしました。


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Salita Padre Denza


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道を下って旧市街の外に出ます。


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ホテルに戻りました。


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翌朝です。サンテジーディオ・アバーテ教会はこの日も閉まっていました。


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Piazza Caduti per la Libertaに青空市が立っていました。


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モンカリ―エリ駅から次の目的地に向かいました。


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(おわり)

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サンテジーディオ・アバーテ教会です。


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11世紀頃、モンカリエーリを流れるポー川に架かる四本の橋は、テンプル騎士団によって管理されていましたが、騎士団はこの場所に住んでいたそうです。


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この場所にあった教会は、1196年の文書に初めて記録されたそうです。


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最初の建物が経時劣化したので、16世紀に再建されました。18世紀と19世紀に改装され、現在の姿になりました。


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残念ながら教会の扉は閉まっていました。


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鐘楼は、1196年の文書に記載されている最初の建物のものです。


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トリノに向かう列車の時間が迫ってきたので、クリストフォロ・コロンボ通りの先には進まず。


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駅に向かいます。


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Piazza Caduti per la Libertaです。


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発車まで、あと3分。焦りました。


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車内は非常に空いてました。


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トリノ・ポルタ・スーザ駅に到着しました。


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地下駅なので、地上に上がるまで多少時間がかかります。


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本題から外れるので、この日のトリノは省略します。


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復路の列車も空いてました。


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トリノからモンカリエーリ駅に戻りました。


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切りピザ1つの昼食だったので、お腹が空いてましたが頑張ります。


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もう一度サンテジーディオ・アバーテ教会に行ってみます。


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扉が開いているかも知れないと淡い期待を抱いてました。


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残念! やはり扉は閉まっていました。


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ミロッコ、ユグラリスなどの作品があります。


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この当時、サンテジーディオ・アバーテ教会の扉が開くのは土曜の夕方と日曜の朝だけだったことを後で知りました。


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見上げるとPalazzo Alfieri di Sostegnoがありました。


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クリストフォロ・コロンボ通りを進みます。


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トリノのベッドタウンらしい佇まいです。


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このまま進めばサンタ・クローチェ病院に出ます。


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同じ場所を見ても詰まらないので左折します。


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Vicolo Ferrucciに入りました。


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Collegio Carlo Albertoの建物です。


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この辺に城壁があったそうです。


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サン・フランチェスコ教会の鐘楼です。


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Via Torquato Tasso


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に行っても詰まらないので、違う道を選びます。


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小雨が降ってきました。


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天気予報は快晴でした。


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イタリアの天気予報は日本よりも簡単です。


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旧城壁です。


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(つづく)

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次はジェズ教会です。


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古くてバロック、ロココの作品ばかりで気合が入りません。


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Palazzo Duchも見どころがあまりなさそうです。


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カルロ・アルベルト通りを下ります。


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突き当りの、一見教会のような建物は、1838年に設立されたFondazione Collegio Carlo Alberto(学校)です。突き当りを右に進めばジェズ教会があります。


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ジェズ教会です。


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Confraternita del Santissimo Nome di Gesuによって1619年に建設されました。


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ファサードの壁龕に聖ロッコと聖シルヴェストロの彫刻があったそうですが、経時劣化のため、20世紀初めに失われたそうです。


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中にミロッコ、ボーモントのフレスコ画があります。


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鐘楼


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扉が閉まっていて拝観出来ず。


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教会巡りは、美術鑑賞の手段としては効率が悪いのです。


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レアル・コッレジョ通りです。


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一旦ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に足を踏み入れます。


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サン・マルティーノ通りに入りました。


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緩い下り坂になってます。


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サン・マルティーノ通りを駅方向に向かいます。


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道と思うのですが、通りの名称は何故かウンベルト1世広場です。


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ワインを飲みながら昼食を楽しむか、それともトリノに出てサバウダ美術館に行こうか、迷っていました。


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モンカリエーリだけでは、日がな一日が持ちません。


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無原罪の聖母のタベルナコロ


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振り返ってヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場を見ました。


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トリノに数泊して、モンカリエーリへの日帰り遠足をするのが正解だった、と後悔しきりです。


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街一番の目抜き通りです。


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昼食を楽しもうと思っても適当な店が見つかりません。


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Vicolo Muratoriです。


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午後はトリノに行くことにしました。


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電車で数分もすればトリノです。


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マルティーノ通りを進みます。


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バスの便も非常に良いのですが、何処を経由するのか分からないので、鉄道が無難です。


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門が見えてきました。


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Porta Navinaです。門の内側が旧市街です。


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Via Adolfo Arduino


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Porta Navinaを潜ります。


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門を潜って城壁外に出ました。


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Piazza Caduti per la Libertaです。


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駅前広場になります。広場の先にポー川が流れており、この広場だった場所に河岸がありました。


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鐘楼が見えてます。


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トリノは急ぎではなく単なる暇潰しなので、サン・エジーディオ教会に道草です。


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クリストフォロ・コロンボ通りです。
(つづく)

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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に面して、もう一つ教会があります。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場の左下部に教会があります。


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サン・フランチェスコ教会です。カルロ・アルベルト通りの角にあります。


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サン・フランチェスコ教会の歴史は古く、7,8世紀頃にこの場所にあった初期キリスト教会が前身とされてますが、確実な記録がなく初期キリスト教会は伝説という説もあります。


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1210年、フランスへの旅の途中で、聖フランチェスコはモンカリエーリに立ち寄ったそうです。その直後に聖フランチェスコに捧げる礼拝堂がこの場所に建設されました。その礼拝堂を組み込んで、13世紀前半にゴシック様式の教会が建設されました。
18世紀前半、ゴシック様式の建物が老朽したので、建物の再建が決まりました。建築家フィリッポ・カステッリ(サン・ダミアーノ・ダスティ、1738-トリノ、1,820?)が起用され、1755年に最初の建物が取り壊され、その上に1756年から1788年にかけて建設された建物が現在の姿です。


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18世紀末、ナポレオンのイタリア侵攻に伴い、サン・フランチェスコ修道院教会はフランス軍に接収され、軍事用途に転用されました。ナポレオンの失脚後も宗教活動を再開されることはなく、サヴォイア家、イタリア王国の軍用施設として使用されました。
教会機能を再開したのは20世紀になってからでした。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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華美な装飾が目立ちます。


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天井


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天井のフレスコ画


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浮彫とスタッコの天井


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ピエモンテの逸名画家作「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」(19世紀)


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カルヴァリオへの上りがあります。


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リグーリアの逸名彫刻家作「無原罪の御宿リ」(18世紀)


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トンマーゾ・ユグラリス(モンカリエーリ、1844-1925)の「聖フランチェスコに顕現する聖母子」


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トンマーゾ・ユグラリスは、地元で生まれ、地元で没しましたが、画家としてはその生涯の殆どをアメリカで活動しました。


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エルコーレ・ルスピ(ローマ、1845-1868活動)の「聖母子」(1848)


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主祭壇


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Presbiterio天井


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フェリーチェ・バルッコ(トリノ、1830-ヴァルペルガ、1906)の「聖母子」(1860)


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主祭壇画は、ジュゼッペ・ピアッティ―ニ(スイス、1814-1885)の「祈る聖フランチェスコ」(1860)


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エンリコ・レッフォ(トリノ、1831-1917)の「キリストの聖心」


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エンリコ・レッフォ(トリノ、1831-1917)の「聖アントニオ・マリア・ザッカリア」
聖アントニオ・マリア・ザッカリア(クレモナ、1502-1539)は、初期宗教改革の指導者です。


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エンリコ・レッフォ(トリノ、1831-1917)の「聖アントニオ・マリア・ザッカリア」


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詳細不知


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トンマーゾ・ユグラリス(モンカリエーリ、1844-1925)の「コルトーナの聖マルゲリータ」(1906)


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主祭壇前から見た出入り口方向


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カウンターファサード


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カウンターファサードにオルガンがあります。


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外に出る前に、もう一度教会内を眺めました。


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旧修道院には行けないようになっていました。


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古い作品が全くありません。


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外に出ました。
(つづく)

引き続きサンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教区教会です。
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左側廊です。


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ミケーレ・アントニオ・ミロッコ(トリノ、1690-1772)の「アヴィーラの聖テレーザに聖心を授けるキリスト」


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「嘆き」(15世紀前半)


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ステファノ・マリア・クレメンテ(トリノ、1719-1794)の「パドヴァの聖アントニオ」


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詳細不知


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左翼廊にある礼拝堂です。


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ネオ・ゴシック様式のサンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


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ジャコモ・アンドレア・カセッラ(カローナ、1619-1685)の「聖フィリッポ・ネリに顕現する聖母子」(1663c)


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アンジェロ・モハ(ミラノ、1828-ドーロ、1885)のサンティッシモ・サクラメント礼拝堂天井装飾


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フランチェスコ・ラダッテ(1706-1787)の「銀製聖遺物容れ」(1749)


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の「天上の聖母子とバーデンのベアート・ベルナルドと聖ロッコと聖セバスティアーノと聖グラート」


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ミケーレ・アントニオ・ミロッコ(トリノ、1690-1772)の「聖母マリアの神殿奉献」


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ミケーレ・アントニオ・ミロッコ(トリノ、1690-1772)の「聖母マリアの誕生」


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急に明かりが消えました。


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写真写りが良くありません。


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2€コインを入れました。
ミケーレ・アントニオ・ミロッコ(トリノ、1690-1772)の「キリストの神殿奉献」


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主祭壇画上の装飾


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クラウディオ・フランチェスコ・ボーモント(トリノ、1694-1766)の「聖母被昇天」(1766)


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カウンターファサード方向


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カウンターファサードにオルガンがあります。


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外に出ました。


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バロック期、ロココ期の作品が多い教会です。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場です。


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1615年に建設されたPalazzo Comunaleです。


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1786年に改築されたファサードです。


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バッチョ・ポンテッリ(フィレンツェ、1450-ウルビーノ、1492)派建築家によって16世紀に建設されたPalazzo Duchです。


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古い建物が建ち並んでいる広場です。


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Palazzo Accorsiです。


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イタリア統一前はマッジョーレ広場と呼ばれていたそうです。


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これは何でしょうか?


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(つづく)

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Via Principessa Maria Clotildeを進みます。


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次は、サンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教区教会です。写真右の建物が参事会教区教会です。


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Via Principessa Maria Clotildeからヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に入ります。


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旧市街の中心ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場に入りました。


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振り返ってVia Principessa Maria Clotilde方向を見ました。


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サンタ・マリア・デッラ・スカラ参事会教区教会と市庁舎(写真右の建物)です。


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Fontana del Saturnio(1773)です。


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教会存在の最初の記録が1232年の文書に記載されてます。


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創建は13世紀第1四半世紀と思われますが、資金難のため、建設工事は中々進捗しませんでした。


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1312年、当時のトリノ司教による多額の寄付があり、建設工事が進んで1330年頃に完成しました。


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18世紀以降、何度も改装、修復工事が行われました。現在のファサードは、1857年に行われた改造工事後の姿となってます。


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鐘楼は15世紀に建設されました。


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鐘楼の時計が1730年に追加されました。


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ファサード前に階段があります。


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階段を上って入口扉に出ます。


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ファサードの横ニッチにある「キリストの聖心」


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教会内に入りました。


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四廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


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左側に2つの側廊があります。


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交差ヴォールト


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Presbiterioを見ます。


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1330年頃に完成した建物のPresbiterioは、1745年に取り壊されました。現在のPresbiterioは、18世紀中頃に再構築されたものです。


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16世紀の磔刑像


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主祭壇画は、クラウディオ・フランチェスコ・ボーモント(トリノ、1694-1766)の「聖母被昇天」(1766)です。


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主祭壇画上の紋章


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右後陣の礼拝堂


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左後陣の礼拝堂


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の「聖母子と聖アガタと聖ルチア」


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ミケーレ・アントニオ・ミロッコ(トリノ、1690-1772)の「ご誕生」


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チャールズ・クロード・ドーフィン(ナンシー、1615-トリノ、1677)の「受胎告知」


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詳細不知


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チャールズ・クロード・ドーフィン(ナンシー、1615-トリノ、1677)の「コスタンティーノ帝を洗礼する聖シルヴェストロ」(1668)


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右側廊


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右側廊からの眺め


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古いフレスコ画が残されてます。


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14世紀末から15世紀初めに制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画の制作者は不明とされてます。


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(つづく)

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塀の向こうにカステッロが建ってます。


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カステッロに向かいます。


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モンカリエーリ城です。


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トリノの南、ポー川の丘陵にあるモンカリエーリは、陸上と河川交通の要衝でした。


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トリノ防衛の前線基地として、10世紀以前に築かれた砦が前身のようですが、砦に関する記録が残されていません。


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城に関する確実な記録によれば、モンカリエーリ伯爵だったトンマーゾ1世・サヴォイア(カステッロ・ジャンボニエール、1178-モンカリエーリ、1233)がトリノへの南防衛基地として、1200年頃に建設した要塞が前身とされてます。


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15世紀後半、トリノ公爵アメデオ9世・ディ・サヴォイア(トノンレバン、1435-ヴェルチェッリ、1472)は、要塞をサヴォイア家の別荘に増築改装することにしましたが、アメデオ9世の妻イオランダ・ディ・ヴァロア公爵夫人(イオランダ公爵夫人)(トゥール、1434-モンクリヴェッロ、1478)が自身の住居として使用することを欲しました。
イオランダ公爵夫人は、フランス王シャルル7世の娘であり、ルイ11世の姉でした。そのため、城は防御よりも華美な宮殿として増築改装されました。


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17世紀前半、サヴォイア家は、モンカリエーリ城の拡大整備を図るために建築家カルロ・ディ・カステッラモンテ(トリノ、1571-1640)を起用して、1633年から1660年にかけて拡大整備させた建物が現在の姿となってます。


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1798年、ナポレオンのフランス軍によって城は占領され、フランス軍基地となりました。ナポレオンの敗退後の1814年、モンカリエーリ城は、サルデーニャ王ヴィットリオ・エマヌエーレ1世・ディ・サヴォイア(トリノ、1759-モンカリエーリ、1824)に返還されました。


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1921年、城は警察署に転用されると共に、建物の一部はMuseoとして一般公開されるようになりました。


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1997年、サヴォイア家の他の宮殿と共に、モンカリエーリ城はユネスコの世界遺産になりました。


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2008年4月8日、火災が発生し、鎮火まで3日要しました。そのため、Museoは長らく閉鎖されました。


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城の壁に碑時計があります。


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表庭に入りました。


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バラの庭 Giardino delle Roseと呼ばれてます。


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中庭です。


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城の内部


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城の礼拝堂


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バーデン・バーデン広場から見たモンカリエーリ城です。


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カルメロ・サン・ジュゼッペ修道院教会です。


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バーデン・バーデン広場は、モンカリエーリの高所にあるので、絶景ポイントになってます。


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バーデン・バーデン広場です。


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バーデン・バーデン広場から見たモンカリエーリ城です。


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Via Principessa Maria Clotilde


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Vicolo Silvio Pellico


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市庁舎の分庁舎です。出生届や婚姻届などを担当する部署があります。


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Via Principessa Maria Clotildeに入りました。


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振り返って撮ったモンカリエーリ城の写真です。


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市庁舎分庁舎の門があります。


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ここに観光案内所があります。


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モンカリエーリの地図を頂戴しました。


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分庁舎から外に出ます。
(つづく)

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前泊地はブラでした。写真はブラ駅の駅舎です。


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ブラ駅から鉄道でモンカリエーリ駅に向かいます。


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列車内は空いてました。


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モンカリエーリ駅に到着しました。


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モンカリエーリ駅の駅舎です。


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この日のお宿に向かいます。


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モンカリエーリは、人口56,506人(2020年8月31日現在)のピエモンテ州トリノ県にあるコムーネです。


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駅前広場です。


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この日のお宿です。トリノに近いモンカリエーリなので、トリノに泊まる人が殆どのようで、この街の宿泊設備は非常に限られてます。


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ホテルに大きな荷物を預けてから街歩きに出発しました。


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モンカリエーリに来る切っ掛けは、ジェノヴァ~トリノを鉄道で何度も往復するうちに、車窓から見えた、丘上に聳える城に興味を持つようになったことです。


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モンカリエーリを囲むようにポー川が流れており、川横の丘陵に街が築かれてます。


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中世の頃、モンカリエーリに四本の橋がありましたが、それらの橋はテンプル騎士団によって管理されていました。


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旧市街は丘陵にあり、丘陵下に新市街が広がってます。


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トリノの南東8キロメートルにあるので、現在はトリノのベッドタウンになってます。


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ホテルは新市街にあります。緩やかな坂を上って旧市街に向かいます。


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トリノのベッドタウンだけあって、アパートが沢山あります。


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クリストフォロ・コロンボ通りです。


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フェルディナンド広場に出ました。


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広場の先の建物はサンタ・クローチェ病院です。


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サンタ・クローチェ通りです。


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サンタ・クローチェ通りを西に向かって進みます。


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通りの突き当り(実際は突き当りではありません)にサンタ・クローチェ教会があります。


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写真左下に城壁がありました。


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この辺は城壁外に当たります。


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18世紀に建設された建物が多い通りです。


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サンタ・クローチェ教会です。


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教会がある場所にPorta di Piacentinaがありました。門近くにエルサレム騎士団によって1452年に建設された病院と礼拝堂がありました。16世紀後半、礼拝堂ではなく教会の建設計画が持ち上がりました。


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Porta di Piacentinaを取り壊し、門跡に1602年に創建され、1691年に完成したサンタ・クローチェ教会です。ここでは、礼拝堂の名称のままになってます。


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サンタ・クローチェ教会の内部です。


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教会の横を右折します。


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サンタ・クローチェ通りの先は後で見ます。


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通りの先に鉄道駅があります。


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サンタ・クローチェ通りを右折してVicolo Girolamo Savonarolaに入りました。


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Vicolo Girolamo Savonarolaの上に修道院があります。


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写真左が修道院教会です。


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カルメロ・サン・ジュゼッペ修道院教会です。


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跣足カルメル会修道女の修道院教会です。


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聖ルイージ・ゴンザーガ一族の貴族の娘であるベアータ・マリア―ナ・デリ・アンジェリ本名マリアンナ・フォンタネッラ(トリノ、1661-1717)によって1703年に建設された女子修道院です。


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現在も修道女が寝起きしています。


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建設された当初は、大変裕福な修道院として知られていました。


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Vicolo Girolamo Savonarolaを上り切ります。


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観光客を受け入れていないようです。


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(つづく)

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サン・セバスティアーノ修道院教会近くにある建物です。


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この写真で修道院教会と、この建物(写真右手前)との距離感が分かると思います。


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子供用の市立図書館です。


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建物の詳しいことが分かりません。


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建物のフレスコ装飾


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サン・セバスティアーノ修道院教会の前を通り過ぎます。


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日が高いですが、夏時間なので、もう夕方です。


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ジュゼッペ・アルヌルフォ通りです。


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セミナリ通りとの交差点を越えます。


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姿を見せた鐘楼はサンタ・クローチェ教会のものです。


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ヴェスコヴァド通りに入りました。


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まだ暑いので、人通りが極端に少ない夕方です。


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ヴェスコヴァド通りを右折してイタリア通りに入ります。


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イタリア通りです。


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一本の通りでも場所によって通りの名称が変わるイタリアですが、ビエッラのイタリア通りは何処に行っても呼称が変わりません。


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この辺がリオーネ・ボルゴ地区の中心地です。


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木製扉の面白い浮彫


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イタリア通りとアントニオ・グランシ通りとの交差点です。


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交差点に建つ建物


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イタリア通りを更に進みます。


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ホテルに向かってます。


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ホテルは駅前にあります。駅前には殆どレストランがないので、夕食に困りそうです。


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高級アパートでしょうか?


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夕食のレストランを探しながら駅方向に向かいました。


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Fons Vitae


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適当なレストランが見つからない。


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Villa Redaが見えてます。


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こうなってみると、やはりリオーネ・ボルゴ地区のホテルに泊まれば良かったと後悔。


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サン・パオロ地区に戻りました。


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外食を止めて部屋飲みを考えるようになりつつありました。


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スーパーも見つからず、ホテルに戻りました。


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この日はこれで終わりです。


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翌朝です。


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この日も快晴でした。


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駅に向かいました。


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(おわり)

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写真左の建物は、サン・セバスティアーノ修道院です。


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修道院の壁が続きます。


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サン・セバスティアーノ修道院だった建物にビエッラ・テリトリー博物館 Museo del Territorio Bielleseが置かれてます。


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通りを左折します。


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Palazzo La Marmolaの塔が見えます。


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修道院を一周すると、大規模な修道院だったことが分かります。


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ビエッラ領主ラ・マルモラ家は、ドゥオーモよりもサン・セバスティアーノ修道院教会の方に重要性を認めたのでしょう。


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塀がない所は、頑丈な鉄柵に囲まれてます。


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突き当りを左折して、Via Quintino Sellaを進みます。


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この建物も修道院の一部です。


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旗があるので、初めて来たとしても迷うことはないと思います。


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時々旗がないこともあります。


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キオストロ回廊への入り口です。博物館の入り口はキオストロ回廊にあります。


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サン・セバスティアーノ修道院のキオストロ回廊です。


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夏の間、キオストロはコンサート会場になります。


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修道院は1500年から1505年に建設されました。


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ビエッラの支配者ラ・マルモラ家の庇護を受け、興成を極めた修道院でした。


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1797年、ナポレオンの抑圧政策によって修道院は閉鎖され、フランス軍の兵舎に転用されました。


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フランス軍が撤退すると、サヴォイア家の兵舎として使用されるようになりました。イタリアが統一されると修道院だった建物は、民間に払い下げられ、倉庫として使用されるようになりました。


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2001年、修道院だった建物に博物館を置くことが決定され、建物の大規模修復工事が始まりました。工事終了と博物館オープンのための準備期間を経て、2011年に考古学部門が開館しました。2016年に芸術部門が開館しました。現在、博物館は考古学部門と芸術部門の2つから成ってます。


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中は写真不可でした。(今はどうなっているのか、その辺が分かりません)
仕方がないので、博物館HPから作品画像を拝借して作品紹介することにします。


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ロンバルドの逸名彫刻家作「ライオン像」(12-13世紀)


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「磔刑」(1550c)


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ジローラモ・ジョヴェノーネ(ヴェルチェッリ、1490-1565)の「嘆き」(1520c)


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ジローラモ・アラシナ(1585-1650)の「聖母子と聖セバスティアーノと聖ロッコ」(1611)


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ピエモンテの逸名画家作「聖母」(18世紀前半)


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17世紀のロンバルドの逸名画家作「光悦の聖フランチェスコ」


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ジュゼッペ・マッフェイ(グラーリア、1821-1901)の「移民の出発と帰還」(1878c)


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ロレンツォ・デッレアーニ(ビエッラ、1840-トリノ、1908)の「ビエルス山脈の放牧」(1886)


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ジーノ・ピッチョ―ニ(フォリーニョ、1873-ビエッラ、1941)の「母と娘」(1926)


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シルヴェストロ・レーガ(モディリアーナ、1840-フィレンツェ、1895)の「音楽のレッスン」(1864c)
これは本当にシルヴェストロ・レーガの作品でしょうか?レーガは私の大好きな画家なので、多くの作品を観ています。題材はレーガの良く取り上げるものですが、筆使い、筆致が見慣れたレーガのものとはかなり違います。
比較のために、レーガの作品画像を幾つか載せておきましょう。


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シルヴェストロ・レーガの「労働の教育」(1863)
これは傑作です。


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シルヴェストロ・レーガ(モディリアーナ、1826-フィレンツェ、1895)の「ぺルゴラ」(1868)
ブレラ絵画館にあります。


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フィレンツェの近代美術館にある作品です。


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かなり脱線してしまいました。


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外に出ました。
(つづく)

引き続きサン・セバスティアーノ聖堂です。
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ベルナルディーノ・ラニーノの多翼祭壇画を詳しく見ます。
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「聖母被昇天の多翼祭壇画」(1543)
制作者と制作された年が画面に描かれてます。


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昇天する聖母を見る聖人たち


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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プレデッラの聖母の誕生


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マギの礼拝


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1543年と記されてます。


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聖母の聖人との別れ


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聖母の遺体の移送


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ボニフォルテ・オルドーニ(ミラノ、1412-ヴェルチェッリ、1477)の「聖バルトロメオ」


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ボニフォルテ・オルドーニ(ミラノ、1412-ヴェルチェッリ、1477)の「聖ドメニコ」


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オドアルド・タバッキ(ヴァルガンナ、1831-ミラノ、1905)の「Giovanna Berthie Mathew(1808-1876)像」(1877c)
ジョヴァンナは、アルフォンゾ・ラ・マルモラ将軍(1804-1878)の妻です。


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ジョヴァンナ像の顔


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ラッファエーレ・ジョヴェノーネ(ピエモンテ、1572-1604消息)の「受胎告知」(1579)


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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16世紀のロンバルドの逸名画家作「磔刑」


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磔刑の細部を見ます。


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聖マリア・マッダレーナ


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磔刑のキリスト


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16世紀のロンバルドの逸名画家作「ピエタのキリスト」


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詳細不知の碑文


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ヴィンチェンツォ・ヴェーラ(スイス、リゴルネット、1820-1891)の「アルベルト・ラ・マルモラの胸像」


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詳細不知のモニュメント


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クーポラ


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聖堂内はこれで終わりです。


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次はサン・セバスティアーノ修道院です。



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修道院だった建物にMuseoがあります。


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サン・セバスティアーノ聖堂前の交差点です。


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Costa San Sebastianoです。


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(つづく)

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引き続きサン・セバスティアーノ聖堂です。


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アーキトレーヴ(台輪)


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右翼廊の礼拝堂です。


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右翼廊礼拝堂の祭壇画です。


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「聖母被昇天」(1543)


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右翼廊のモニュメントです。


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オドアルド・タバッキ(ヴァルガンナ、1831-ミラノ、1905)の彫刻


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左側廊第一礼拝堂です。


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左側廊第二礼拝堂です。


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左側廊第三礼拝堂です。


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詳細不知


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デフェンデンテ・フェッラーリ(キヴァッソ、1490-トリノ、1540)の「聖母子と四聖人」(1520-30c)


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中央礼拝堂前から見た出入口方向


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ジローラモ・デ・トルニエッリの内陣天井のフレスコ画(1519)


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逸名画家作「三位一体と音楽天使たち」


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詳細不知


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アレッサンドロ・フェッレ―ロ・ラ・マルモーラ(トリノ、1799-クリミア、1855)のモニュメント


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右側廊第四礼拝堂です。


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逸名画家作「聖家族」


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セバスティアーノ・ノヴェッリ(ヴェネツィア、1853-ペルージャ、1916)の「聖フランチェスコと修道士たち」


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セバスティアーノ・ノヴェッリ(ヴェネツィア、1853-ペルージャ、1916)の「聖アゴスティーノ」


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右側廊のロレート聖母礼拝堂です。


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制作者情報不知の「ロレートの聖母」


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)による礼拝堂天井のフレスコ画


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聖堂内に幾つかの紋章があります。


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私には紋章の詳細が分かりません。


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右側廊第三礼拝堂です。


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磔刑の礼拝堂とも呼ばれてます。


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ロンバルドの逸名画家作「嘆き」(17世紀)


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ロンバルドの逸名画家作「嘆き」(17世紀)


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ロンバルドの逸名画家作「十字架降下」(17世紀)


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右側廊第三礼拝堂の天井


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右側廊第二礼拝堂の天井


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右側廊第一礼拝堂の天井


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)に帰属する「聖ピエトロ」


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)に帰属する「聖セバスティアーノ」


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)に帰属する「聖アゴスティーノ」
(つづく)

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Costa San Sebastianoです。


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通称サン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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ピアッツォの城壁外村人のための祠が前身です。現在の礼拝堂は1997年に修復されたものです。


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ギアーラ門の先にPalazzo La Marmolaの塔が写ってます。


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道を下ります。


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写真では急坂には見えません。上るのは大変です。


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丘上のピアッツォと丘下のリオーネ・ボルゴ地区とは高低差が60メートルあります。


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ピアッツォに上るときはフニコラーレ、下るときは徒歩がお勧めです。


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リオーネ・ボルゴ地区に下ります。


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振り返って撮った写真です。
写真左に続く壁はピアッツォの城壁です。


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Costa San Sebastianoの終わりにサン・セバスティアーノ聖堂があります。


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写真左奥にサン・セバスティアーノ聖堂が写ってます。


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Via Agostino de FangoとVia Quintino Sellaの交差点に建つ建物です。


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サン・セバスティアーノ聖堂です。


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1498年から1499年にビエッラに移されたCanonici Lateranensi(オーストリアのサンタゴスティーノ会分派)のために、ピアッツォの領主セバスティアーノ・フェッレロ(ビエッラ、1438-ガリアニコ、1519)が建設した修道院教会です。


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エウセビオ・フェッラーリまたは”Magistro Eusebio”の指導によって、1500年から1504年に建設されたブラマンテ様式の建物です。


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現在のファサードは、初代のファサードが劣化したので、建築家アンドレア・ボーノ・ディ・ヴェルチェッリの設計によって、1885年に建設されました。


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右側壁です。


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規模の大きな修道院教会です。修道院は1550年に完成しました。


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高さ51メートルの鐘楼です。


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美術的には、その重要性に於いてビエッラでは見逃せない教会です。


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クーポラ


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ファサードを見ます。


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ファサードの紋章


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この紋章については、私は全然分かりません。


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ファサードの中央扉


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中央扉上ルネッタに描かれた「聖セバスティアーノ」のフレスコ画(詳細不知)


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ファサードに向かって右の扉


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右扉上ルネッタの「聖ピエトロ」のフレスコ画(詳細不知)


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ファサードに向かって左の扉です。


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左扉上ルネッタに描かれた「聖アゴスティーノ」のフレスコ画(詳細不知)


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ファサードの丸窓


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ファサードのFregio


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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ピエモンテの画家たちの作品が充実しています。


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クーポラ


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クーポラの天使たちのフレスコ画は、ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)によって1866年から1867年に描かれました。


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クーポラ四隅に預言者たちのフレスコ画があります。
ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「預言者ダニエーレ」(1866)


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ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「預言者エゼキエル」(1866)


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ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「預言者ジェレミア」(1866)


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ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「預言者イザヤ」(1866)
(つづく)

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サン・ロッコ祈祷所です。


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この祈祷所の坂下に、食用肉動物の屠殺場がありましたが、そこで働く人たちの家族の信仰の場として16世紀に建設されました。


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ファサードの柱廊が特徴です。


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柱廊にフレスコ画の痕跡が認められます。


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柱は修復されたようですが、フレスコ画の方は保存状態が最悪です。


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フレスコ画は一度も修復されてない?


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ただ建物が危険という訳ではありません。


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今でも地元の人たちの信仰の場となってます。


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祈祷所内部(外部サイトから拝借した写真です)


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鐘楼


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外壁も殆ど修復されていないようです。


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人通りが全くありません。


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Strada delle Moleです。


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Strada delle Moleを下ると、行き止まりになっていました。


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仕方がありません、引き返します。


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チステルナ広場方向に戻ります。


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サン・ロッコ祈祷所まで戻りました。


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Costa Vernatoに戻りましたが、サン・ロッコ祈祷所からの下り側は見どころが無さそうです。


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チステルナ広場方向に戻ります。


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ピアッツォの支配階級が住んでいた一画です。


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Palazzo Ferreroの八角形の塔です。


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Palazzo Ferrero前を通り過ぎます。


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Corso del Piazzoです。


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写真左は、Palazzo Gromo Losa di Praroloです。


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修復工事中のPalazzo La Marmolaの前を通り過ぎます。


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ピアッツォの城壁外に出ます。


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右折します。


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Corso del Piazzoを右折してCosta San Sebastianoに入ります。


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塔はPalazzo La Marmolaのものです。


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Palazzo La Marmolaの下を進みます。


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La Marmola家使用人の住居が並ぶ一画です。


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Casa Ferreroです。


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Palazzo La Marmolaです。


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直ぐに門に出ます。


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14世紀に建設されたギアーラ門です。


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ギアーラ門を潜ります。


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ギアーラ門の存在を知っている観光客は非常に少ないそうです。


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ピアッツォから城壁外に出ました。


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道を下ります。


P1340853
(つづく)

P1340773
Corso del Piazzoを進みます。


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振り返ってチステルナ広場方向を見ました。


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ガックリです。お目当ての建物が修復工事中です。これでは多分立ち入り禁止になっていると思いました。


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Palazzo La Mormolaです。


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1160年、ピアッツォ地区の領有権を保持していた、当時のヴェルチェッリ司教が司法権、肉用動物の屠殺権、市場の開市権の三権を認めて、ピアッツォ地区への入植が始まりましたが、入植者の有力家だったフェッレロ・デッラ・マルモラ家が1165年頃に建設した住居が前身です。
14世紀に再建されましたが、16世紀にフェッレッロ・デッラ・マルモラ家の一族ラ・マルモラ家の所有となりました。
16-18世紀に拡張、改造されて現在の姿になりました。


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修復工事後のPalazzo La Marmolaのファサード


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Palazzo La Marmolaの庭園


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入口には近付けそうでした。


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鉄扉は閉まったままでしたが、中庭を覗くことが出来ました。


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Palazzo La Marmolaですが、約半分は今もラ・マルモラ家が所有しており、ラ・マルモラ家が住んでます。ラ・マルモラ家所有部分の一部はMuseoとして一般公開されている他、大広間などは結婚式会場になってます。
Palazzo La Marmolaの約半分は、ビエッラ州当局が所有しており、州立公文書館になってます。


P1340784
この日は、修復工事のため、一般非公開となっていました。


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写真左は、Palazzo La Marmolaの一部です。写真右は、ラ・マルモラ家の使用人の居住部分です。


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ラ・マルモラ家の使用人の住居です。


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次は煉瓦造りの建物です。


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道を挟んで、Palazzo La Marmolaの向かいにあるPalazzo Gromo Losa di Praroloです。


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グロモ・ローザ伯爵が、自己の邸宅として15世紀に建設したPalazzo Gromo Losa di Praroloです。


P1340785
19世紀末までグロモ・ローザ伯爵の末裔が住んでいましたが、1896年に売却されて寄宿学校になり、さらに普通の学校と変わりました。
2004年からBeata Vergine d’Oropa(福祉団体)の本拠地となってます。


p130180
Palazzo Gromo Losa di Praroloの庭園です。


P1340787
道を挟んで、Palazzo Gromo Losa di Praroloの教会のような建物があります。


P1340790
この建物です。恐らく教会の建物と思いますが、調べても分かりません。ビエッラの教会リストに記載がないので、機能を停止していると思います。


P1340791
この建物の直ぐ傍にサンタ・カテリーナ女子修道院があったので、サンタ・カテリーナ教会でしょうか?


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次は、写真左奥の建物です。


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Palazzo Ferreroです。


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フェッレ―ロ家の住居として15世紀から16世紀に建設されたPalazzo Ferreroです。後にラ・マルモラ家に売却されました。


P1340796
1900年、ビエッラ市当局に売却され、1945年まで兵舎などに転用されました。
依然として市保有の物件ですが、2017年からビエッラ文化協会が管理しており、展示会など様々な用途に使用されてます。


P1340792
Palazzo Ferreroの入り口です。


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Palazzo Ferreroの中庭に入ると、この建物のシンボルである八角形の塔が見えます。


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八角形の塔は、近くでは中々見ることが出来ません。


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少し離れないと、よく見えない塔です。


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見所が多いCorso del Piazzoです。次はサンタ・カテリーナ女子修道院です。


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16世紀に建設されたサンタ・カテリーナ女子修道院だった建物です。


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修道女が孤児となった女児の養育をしていましたが、1802年に抑圧令によって修道院が閉鎖されると、建物は孤児院に転用され、その状態が1970年頃まで続きました。


P1340798
孤児院が丘下に移転すると、この建物は女子寄宿学校となりましたが、現在は経営状態が悪化して、その存続が危機に瀕しているようです。


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更に道を下ります。


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振り返って撮った写真です。


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この付近から通りの名称がCosta Vernatoと変わります。


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この道の先に門があります。


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門に行く途中に教会があります。


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滅多に開かない教会、或いは既に機能を停止した教会なので、期待薄です。


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サン・ロッコ祈祷所です。
(つづく)

P1340754
ビエッラ旧市街の中心チステルナ広場です。


P1340762
広場に面した柱廊にある店で簡単な昼食を食べることにしました。


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前夜に暴飲暴食したので、食欲があまりなかった。


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ビールさえも飲まず、水だけにしました。


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それでも完食しました。


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昼食を食べた店の奥に教会があります。


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サン・ジャコモ教会です。


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1160年、ピアッツォの所有権を保持していたヴェルチェッリ司教が、司法、肉の屠殺権、市場の開市権の三権をピアッツォ地区に与えたことを機に、人が集まり徐々に栄えたピアッツォにおける最初の教会として、1180年以前に建設されたサン・ジャコモ教会です。1180年の文書に、その存在が初めて記載されたそうです。1227年に奉献式が執り行われました。


P1340747
その後、増築され、数度の改造、改修を経て現在の姿になりました。


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ファサードの柱廊が、17世紀に追加されました。


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ファサードのスタッコ彫刻は、1862年の修復工事の際に追加されました。


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13世紀末から14世紀初頭に建設された鐘楼です。


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ファサードの柱廊天井のフレスコ画


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入口天井上のフレスコ画は、劣化が著しくて何が描かれていたのか、分かりません。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


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右側廊方向


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この教会の作品帰属が全く分かりません。(私が、です)


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主祭壇画


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Presbiterio


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Presbiterio天井


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詳細不知


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外に出ました。


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「聖母子」のフレスコ画(詳細不知)


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旧市庁舎です。


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ピアッツォに町が出来た12世紀末頃には、市庁舎の原形となる建物が建設されました。現在の建物は、17世紀初頭に再建されたものです。


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19世紀に毛織物業が盛んになるに従い、旧市街ピアッツォの重要性が薄れるようになり、丘下に現市庁舎が建設され、1848年に移転したのです。


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19世紀末に競売にかけられ、現在は個人の民家になってます。


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民家ですが、旧市庁舎の柱廊部分は一般に公開されており、見学することが出来ます。


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フレスコ画の断片が残されてます。


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観光客は私一人でした。


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Corso del Piazzo


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緩い下り坂を丘下に向けて進みます。


P1340771
歴史的建造物が建ち並んでます。


P1340772
(つづく)

P1340678
Porta della Torrazzaを潜って、旧城壁外に出ました。


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門から旧城壁外に出ると、直ぐに陸橋があります。


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陸橋の上は、ビエッラの全景が楽しめるスポットです。


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ドゥオーモの鐘楼が見えます。


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サンティッシマ・トリニタ教会の鐘楼です。


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チェルヴォ川が見えます。


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山の頂にサン・ジローラモ修道院教会が見えます。


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鐘楼の先の建物は市立病院です。


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山頂のサン・ジローラモ修道院教会は、この写真の方が良く写ってます。


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旧城壁外には見どころが無さそうなので、陸橋を渡り、戻ることにしました。


P1340682
城壁と門の防衛上の必要性が薄れたので、1780年に再建されたPorta della Torrazzaです。


P1340692
旗が掲げられている門左の建物は、旧城壁の監視塔です。1780年に塔の上部が破壊されて、現在の高さになりました。


P1340693
城壁があった頃には、Porta d’Oropaと呼ばれていたそうです。


P1340694
Porta della Torrazzaを潜って、Via Amedeo Avogadro di Quaregnaに入りました。
写真左の建物に、通りの名称の由来となったアメデオ・アボガドロが一時滞在していたのです。


P1340696
人通りが余りないようです。


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サンタンナ教会の鐘楼です。


P1340698
写真左手前の建物は、塗装が新しいので新しいと思われますが、16世紀に建設されたそうです。


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フニコラーレの駅を通り過ぎます。


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Piazza Mario Cucco


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19世紀、毛織物産業によって丘下地区が栄えるようになると、急速に寂れたピアッツォ地区です。


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14世紀に建設された古い建物です。


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木製の梁がある建物です。


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木の梁がある建物の隣にある建物は、15世紀に建設されました。


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Piazza Mario Cuccoに面して煉瓦造りの塔が建ってます。


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塔について調べましたが、何なのか分かりませんでした。


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ピアッツォの中心の広場に向かいます。


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Portici del Piazzo


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ピアッツォの中心Piazza Cisternaです。


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広場に面して歴史的建造物が建ち並んでます。


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写真右の建物がPalazzo Cisternaです。


P1340720
13世紀に創建されたPalazzo Cisternaですが、その後、何度も改造されました。現在のファサードは16世紀末に行われた改造後のものです。


P1340717
フレスコ画の痕跡が認められる建物があります。


P1340719
フレスコ画の痛みが激しくて、何が描かれていたのかサッパリ分かりません。


P1340716
広場の突き当りの建物は市庁舎です。


P1340751
広場名称の由来となった水槽です。


P1340721
(つづく)

P1340635
サン・フィリッポ・ネリ教会から外に出ました。


P1340637
丘下地区は大体見たようです。


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丘上のピアッツォ地区に向かいます。


P1340639
ピアッツォに行くには、フニコラーレが便利です。


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道の突き当りにフニコラーレが見えます。


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フニコラーレは1885年に開業しました。


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丘下の駅がある広場に向かいます。


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写真左の建物は神学校です。


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クゥリエル広場にやってきました。


P1340645
クゥリエル広場から見たRione Borgo地区です。


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フニコラーレの丘下の駅があるクゥリエル広場です。


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フニコラーレの高低差は60メートルです。


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フニコラーレの丘下駅の入り口です。


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フニコラーレに乗りました。定員25人です。


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複線です。


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下り列車とすれ違います。


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ピアッツォ駅の建物です。


P1340656
ピアッツォに到着しました。


p130175
ピアッツォ駅です。


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フニコラーレのピアッツォ駅の建物です。


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ピアッツォのメイン道路Via Amedeo Avogadro di Quaregnaです。


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通りの突き当りに門があります。


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フニコラーレのピアッツォ駅前のチステルナ広場です。


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フニコラーレのピアッツォ駅横にあるサンタンナ教会です。


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サンタンナ同信会によって17世紀から18世紀に建設されたバロック様式の教会です。


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現在のファサードは1782年に建設されました。


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保存状態があまり良くない教会です。


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通りを門の方に進みます。


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ピアッツォ地区は、標高480メートルのビエッラ市の西にあります。


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ピアッツォ地区は、ヴェルチェッリの司教が管轄する教区領域の一部として所有権を持ってました。1160年、当時のヴェルチェッリ司教が、ピアッツォ地区に司法、肉の屠殺権、市場の開市権を認めました。それに伴い、近くから人々が集まり、急速に繁栄するようになりました。
やがて、城壁が築かれ、町としての体裁が整えられました。


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柱廊の壁にフレスコ画があります。


P1340670
フレスコ画の詳細が分かりません。


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ピアッツォは自治都市になりましたが、その期間は非常に短く、直ぐにピエモンテ貴族フェッレ―ロ・デッラ・マルモラ家の支配を受けるようになりました。


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写真左の建物は学校です。


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P1340674
アボガドロ定数、アボガドロの法則をご存知でしょうか?
通りの名称Via Amedeo Avogadro di Quaregnaは、定数、法則のアボガドロに由来します。


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写真右の建物に、アボガドロ定数、アボガドロの法則で有名なロレンツォ・ロマーノ・アメデオ・カルロ・アボガドロ(トリノ、1776-1856)が短期間滞在したことがあります。


P1340676
それにしても長い名前ですね。


P1340677
Porta della Torrazzaです。
(つづく)

P1340559
新しい作品ばかりで、美術ファンとしては、物足りないドゥオーモでした。


P1340560
イタリア通りです。


P1340561
ビエッラで最も賑わいを見せるイタリア通りです。


P1340562
イタリア通り37番地です。


P1340563
この辺は丘下の新市街です。


P1340565
この街に関してのガイドブックの記載を見たことがありません。


P1340567
イタリア通りを更に進みます。


P1340568
この辺では最古の建物で、18世紀に建設されました。


P1340569
18世紀に建設された建物の柱頭です。どうも最近復元されたものに見えます。


P1340571
左折すれば、直ぐにサン・フィリッポ・ネリ教会に出ますが、フィウメ広場とリベルタ広場を経由して遠回りして教会に向かいます。


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写真左先に広場があります。


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フィウメ広場です。


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19世紀に建設されたアパートです。


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この街はトリノの北方にあります。


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リベルタ広場に出ました。


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広場の先に、丘上の旧市街ピアッツォ地区に向かうフニコラーレがあります。


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リベルタ通りからサン・フィリッポ・ネリ通りに入り、少し後戻りします。


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サン・フィリッポ・ネリ教会の鐘楼です。


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教会のファサード側に回ります。


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振り返ってリベルタ広場方向を見たところです。


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教会のファサード前に出ました。


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サン・フィリッポ・ネリ教会です。


P1340632
18世紀初め、Padri Filippiniは、ドゥオーモ近くにあった建物で細々と活動開始しました。


P1340631
1742年、Padri Filippiniは自前の教会の建設を決定しましたが、資金難のため、教会の建設計画は中々進捗しませんでした。


P1340633
サヴォイア家のレジーナ・マルゲリータのサポートなどにより、教会建設が具体化して、建築家カルロ・チェロ―ニ(トリノ、1749-?)の設計によって、1789年に工事着工、1827年に完成したバロック様式の教会です。1827年に奉献式が執り行われました。


P1340634
ファサードは、教会建築計画が持ち上がった段階で、当時の花形建築家フィリッポ・ユヴァラ(メッシーナ、1678-マドリッド、1736)によって設計されたと言われてます。


P1340588
鐘楼は、ガスパーレ・マッジャの設計によって1823年に建設されました。


P1340589
教会内に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


P1340590
左右にそれぞれ3つづつの礼拝堂があります。


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天井


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Presbiterio


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Presbiterioの天井


P1340594
主祭壇画


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ジュゼッペ・ピエトロ・マッツォーラ(ヴァルトゥッジャ、1748-ミラノ、1838)の「聖フィリッポ・ネリへの聖霊降臨」(1797)


P1340600
ヴァルフレの礼拝堂です。


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19世紀のピエモンテの逸名画家作「ベアート・セバスティアーノ・ヴァルフレに顕現する聖母子」(1836)


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Maestro Piemontese Borrelloに帰属する「磔刑像」(17世紀)


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フェリーチェ・サヴィリアーニの「光悦のアヴィラの聖テレーザ」(1836)


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ピエモンテの逸名画家作「聖母子と聖カルロ・ボッロメオとサレスの聖フランチェスコ」(18世紀後半)


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


P1340629
詳細不知


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P1340606
カウンターファサード


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外に出ます。


P1340586
(つづく)

P1340489
引き続きドゥオーモです。


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磔刑の礼拝堂です。


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彫刻があるように見えますが、だまし絵です。


P1340466
ジョヴァンニーノ・ガッリアーリ(トレヴィーリオ、?-1819)の「磔刑」(1795)
ジョヴァンニーノは、画家ファブリツィオ・ガッリアーリ(トレヴィーリオ、1709-1790)の息子です。ファブリツィオの兄弟、息子4人が画家の画家一家でした。


P1340467
ピエトロ・フェア(カザーレ・モンフェッラート、1771-カザールボルゴーネ、1842)の「最後の晩餐」(1806)


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ピエトロ・フェア(カザーレ・モンフェッラート、1771-カザールボルゴーネ、1842)の「聖餐式」


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ピエトロ・フェアの騙し絵


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ピエトロ・フェアの騙し絵


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ジュゼッペ・アントニオ・グロモの「嘆き」


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聖心の礼拝堂


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ベアータ・ヴェルジネ礼拝堂


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詳細不知


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フェリーチェ・マランドーノの「キリストの復活」


P1340481
カルロ・コグロッソ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「栄光の聖母子」


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ピエトロ・フェアの騙し絵


P1340484
ピエトロ・フェアの騙し絵


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右側廊


P1340486
右側廊からの眺め


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ピエトロ・フェア(カザーレ・モンフェッラート、1771-カザールボルゴーネ、1842)の騙し絵


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ピエトロ・フェアの騙し絵


P1340462
カウンターファサードに「聖ステファノの殉教」があります。


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ジョヴァンニーノ・ガッリアーリ(トレヴィーリオ、?-1819)の「聖ステファノの殉教」


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ピエトロ・フェアの騙し絵


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左側廊


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左側廊からの眺め


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ピエトロ・フェア?の騙し絵


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フェリーチェ・マランドーノの「無原罪の御宿リ」


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詳細不知


P1340499
フランチェスコ・バルバラ(1927-1970)の「聖母」


P1340501


P1340504
ピエトロ・フェア(カザーレ・モンフェッラート、1771-カザールボルゴーネ、1842)の「キリストの洗礼」


P1340506
ロレートの聖母礼拝堂


P1340507
詳細不知


P1340508
詳細不知


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マギの礼拝の礼拝堂


P1340509
フェリーチェ・マランドーノの「マギの礼拝」


P1340514
礼拝堂天井


P1340516
ピエトロ・フェア?の騙し絵


P1340517
ピエトロ・フェア?の騙し絵


P1340519
詳細不知の「磔刑像」


P1340523
カルロ・コグロッソ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖ジュゼッペの死」


P1340525
詳細不知


P1340558
外に出ました。
(つづく)

P1340451
Palazzo Oropaです。


P1340449
市庁舎となってます。


p130172
この場所には、解体廃棄されたサント・ステファノ修道院がありました。19世紀に建設されたPalazzo Oropaです。


P1340450
市庁舎の横にロンバルド・ロマネスク様式の洗礼堂が建ってます。


P1340448
1000年頃に建設された、現在のドゥオーモの前身であるサンタ・マリア教会の洗礼堂として、11世紀に建設されました。


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洗礼式が行われる時を除いて、扉が開くことがない洗礼堂です。


P1340556
洗礼堂の入り口


P1340557
入口上の彫刻


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ドゥオーモのファサード側に回ります。


P1340552
写真左の建物が市庁舎、写真右の建物はドゥオーモです。


P1340549
ドゥオーモ広場です。


P1340453
ビエッラのドゥオーモ、Cattedrale di Santo Steranoです。サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂とも呼ばれてます。
ビエッラ司教区の司教座教会です。


P1340548
現在のドゥオーモの敷地内に1000年頃に建設された小さなサンタ・マリア教会が前身です。


P1340550
ビエッラで多数の犠牲者を出した1348年と1399年のペスト禍を経て、市民のニーズに応えるために教会の再建が決定され、1402年に創建され、1404年に完成しました。完成を機に、サンタ・マリア・マッジョーレ教会と改称されました。
1772年、ビエッラ単独の司教区が設定されることになり、司教座がサンタ・マリア・マッジョーレ教会に置かれることになりました。司教座教会としては、既存の規模では狭かったので、増築拡大、改修工事が1772年に開始され、1803年に一応の完成を見ました。Cattedraleとしての奉献式が1804年に執り行われました。
その後、さらに拡張工事が続けられ、1826年に現在の姿になりました。


P1340551
ドゥオーモの鐘楼が少し離れた場所に建ってます。


p130173
ゴシック様式の鐘楼は、実は、5世紀に建設された初期キリスト教会を前身とするサント・ステファノ教会がサンタ・マリア・マッジョーレ教会と並行する位置に建っていましたが、元々はサント・ステファノ教会の鐘楼でした。


P1340455
鐘楼のドゥオーモ広場側に建っている建物の場所には、サント・ステファノ修道院がありました。
ビエッラ司教区新設の1772年、サンタ・マリア・マッジョーレ教会は、サント・ステファノ司教座教会と改称されました。それに伴い、従来のサント・ステファノ教会と修道院は、サント・ステファノ・ヴェッキオ修道院教会と呼称されることになりました。
鐘楼は二つの教会の共用となりました。
サント・ステファノ・ヴェッキオ修道院教会は、1872年に閉鎖、解体されました。


P1340456
サンタ・マリア・アッスンタ司教座教会とも呼ばれてます。


P1340541
ファサードの下に柱廊が設けられてます。


P1340536
柱廊の彫刻を見ます。


P1340537
彫刻の作品帰属など詳細が分かりません。


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18世紀頃の彫刻でしょうか?


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柱頭


P1340540


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P1340542
拝観します。


P1340457
中に入りました。


P1340459
三廊式、ラテン十字形、ネオ・ゴシック様式の内部です。


P1340458
左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。


P1340460
天井の装飾


P1340535
中央通路の装飾


P1340461
中央礼拝堂を見ます。


p130174
Presbiterio


P1340528
クーポラ


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主祭壇画は、カルロ・フランチェスコ・コグロッソ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖母被昇天」(1784)


P1340533
(つづく)

P1340442
聖三位一体教会、サンティッシマ・トリニタ教会です。


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ドゥオーモの隣に位置する、この場所に1459年に建設されたサン・セバスティアーノ礼拝堂がありました。
17世紀初頭、聖三位一体同信会は、サン・セバスティアーノ礼拝堂を取り壊し、その上に新教会の建設を決めました。そうして、1626年に創建されたのがバロック様式のサンティッシマ・トリニタ教会です。最終的な建物の完成は1750年でしたが、奉献式は後陣と内陣が一応の完成を見た1631年に行われました。


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現在のファサードは、地元の建築家二コラ・モッゾの設計によって1956年に再建された二代目のものです。


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1630年に建設された鐘楼です。


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ファサードに柱廊が設けられてます。


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入口扉上ルネッタの浮彫


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「三位一体」


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柱廊天井のフレスコ


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中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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左右に煌びやかに装飾された礼拝堂があります。


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スタッコ彫刻とフレスコ画で壁が埋め尽くされてます。


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Presbiterio


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主祭壇が有名です。


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ジョヴァンニ・アントニオ・ヴァ―リオ・ディ・ぺッティネンゴ(ビエッラ、1660-1697)の主祭壇(1682-84)


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巧緻な彫刻


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高く評価されていたジョヴァンニ・アントニオ・ヴァ―リオでしたが、病弱のため、37歳の若さで没してしまいました。そのため、残された作品は僅か数点に終わりました。


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ヴィンチェンツォ・コスタンティーノ(ピエモンテ、17世紀前半活動)の「三位一体」(1640)


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アントニオ・チャンチャ・ペッローネ(カプリエーレ、ビエッラ、1822-1890)の「カルヴァリオへの上り」(1865)


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ヴィンチェンツォ・コスタンティーノ(ピエモンテ、17世紀前半活動)の「受胎告知」(1640)


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17世紀のピエモンテの逸名彫刻家作「磔刑像」


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ヴィンチェンツォ・コスタンティーノ(ピエモンテ、17世紀前半活動)の「エジプトへの逃避」(1640)


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詳細不知


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カウンターファサードにオルガンがあります。


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アントニオ・チャンチャ・ペッローネ(カプリーレ、ビエッラ、1822-1890)の「聖母被昇天」(1865)


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アントニオ・チャンチャ・ペッローネの作品


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「ロレートの聖母と聖人たち」


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詳細不知


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「キリストの誕生」(1640)


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「割礼」(1640)


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「マギの礼拝」(1640)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・アラシ―ナ(1611-1664)の「キリストの神殿奉献」(1640)
ジョヴァンニ・フランチェスコはアンセルモの息子でしょうか?


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17世紀のピエモンテの逸名画家作「聖母戴冠」


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アンセルモ・アラシ―ナ(1585-1650)の「父なる神」(1641)


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もう一度祭壇を見てから外に出ます。


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後陣の先にドゥオーモがあります。


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ドゥオーモの洗礼堂です。
(つづく)

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学校です。


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新しい建物ばかりが目立ちます。


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中心地に向かってます。


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この辺は、19世紀に造成された新開地です。


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都市計画で敷設された道路は直線です。


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カザレ―ニョ広場です。


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Via Alfonso Lamarmora


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Giardini Zumagliniです。公園の端に観光案内所があります。


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観光案内所で、地図を頂戴するとともに教会とMuseoが開く時間を確認しました。係員は非常に有能、且つ親切でした。


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この公園も都市計画に基づき整備されました。


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Ex-Casa di Giorgio Aiazzoneです。現在はVilla Redaと呼ばれてます。


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1931年に建設されたアール・ヌ―ヴォ様式のVilla Redaです。


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持ち主が何度も変わって、現在、オークションにかけられようとしているようです。


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コロナでの世相が落ち着かないとオークションが成立しないようです。何度かオークションにかけられたそうですが、売買不調に終わってます。


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Via Losanaです。


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ドゥオーモに向かってます。


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マッツィーニ映画館です。


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閑話休題。イタリア人と国際結婚している日本人ですが、圧倒的にイタリア人男性、日本人女性の組み合わせが多いと思います。


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ガリバルディ通りに出ました。


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新しい建物ばかりで興味が薄れてきます。


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この辺が街の中心になりますが、旧市街ではありません。


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ガリバルディ通りを更に進みます。


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旧市街は、丘上のピアッツォになりますが、現在は幾分寂れた感じが否めません。


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見どころに欠けますね。


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学校です。


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ここで一休みしました。


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写真左奥の広場に面して教会が建ってます。


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(つづく)

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前泊地は、キヴァッソでした。


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雨上がりの朝でした。


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普通列車に乗車して、キヴァッソからビエッラに向かいます。


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車内は非常に空いてました。


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ビエッラ・サン・パオロ駅に到着しました。


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ビエッラ・サン・パオロ駅の駅舎です。


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前日は大雨で、この日の朝に漸く雨が上がりましたが、急速に天気が回復して快晴になりました。


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広い駅前広場(サン・パオロ広場)です。


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駅前広場に面した、この日のお宿に行き、大きな荷物を預けました。身軽になって、街歩きに出発しました。


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駅横の公園、Giardini Donatori del Sangueです。


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公園の名称が、この辺でGiardino Associazione Nazionale Prtigiani d’Italiaと変わります。


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カルソ通りです。
ビエッラは、人口43,362人(2020年8月31日現在)のピエモンテ州ビエッラ県の県都です。街の歴史は古く、発掘された遺跡から先史時代の12万年前に集落があったことが分かっているそうです。


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旧市街の中心ピアッツォは、駅から約2キロメートル離れた丘上にあります。
19世紀、ビエッラは世界的な毛織物産業で栄えましたが、旧市街周辺には工場や事務所を建設するための土地が狭かったので、都市計画に基づき新たにサン・パオロ地区が造成されたのです。その入り口に鉄道駅が設けられました。


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ネオ・ゴシック様式のサン・パオロ教区教会が見えてきました。


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サン・パオロ地区は、造成前は畑と森林から成る広大な農地と荒地が広がっていました。造成された土地は新教区として認められ、住民の信仰の中心として教区教会の建設が計画されました。


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そうして、1913年に創建され、早くも翌1914年に完成しました。1915年9月にオープンしました。


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しかし、教会はオープンしたものの、肝心の教会へのアクセス道路がなく、荒地に教会だけが建っている状態に加えて、造成された土地に住む住民が少なかったので、教区教会とは名ばかりの存在でした。


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更に第一次世界大戦が勃発してしまい、教会の運営にも支障が出ました。


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奉献式は、オープンから25年後の1940年9月26日に執り行われました。
しかし、毛織物業で栄えたビエッラは、第二次世界大戦を迎えて、最初はムッソリーニ政権を攻撃する連合軍から、降伏後は連合国に加わったことからドイツ軍から爆撃を受け、この教会も被爆したのです。


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入口扉上ルネッタのモザイク


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聖エリザベッタ


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聖パオロ


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入口扉横柱の彫刻


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入口扉の彫刻


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中に入りました。


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三廊式、ネオ・ゴシック様式の内部です。


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一見して富裕な教会であることが分かります。


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天井


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Presbiterio


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主祭壇


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チーロ・コロモイの「キリストの神殿奉献」(1948)
この画家を全く知りません。


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チーロ・コロモイの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1948)


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構造がゴシック様式なので、古く見えなくもない。


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フェリーチェ・カゾラーティ(ノヴァーラ、1886-トリノ、1963)の「トリッティコ(パドヴァの聖アントニオと聖マウリツィオと聖エウセビオ)」(1941)


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左側廊


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右側廊


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詳細不知


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Presbiterio前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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ブラの見所は大体行ったようです。


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しかし、ブラにはもう一か所見所があるのです。


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それはブラの分離集落 Frazioneであるポッレンツォです。


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バスがありますが、バスの便があまり良くないので、タクシーで行くことにしました。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会の後陣です。
ホテルにタクシーが来ることになってます。


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Via Valfre


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Via Barbacana


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ポッレンツォは、紀元前2世紀に築かれた古代ローマの都市で、ブラよりも歴史があります。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会の側壁前から、サンタ・キアラ教会から通って来た道を振り返った写真です。


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ポッレンツォは、ブラの中心街から4kmほどの東方にあります。


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タクシーで往復一時間で行くのです。


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遺跡、城、教会、城にある大学の4箇所が見所です。


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遺跡は城近くにあります。見所4箇所は城にあるので、あちこち歩く必要がありません。


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この門からポッレンツォの中心広場に入ります。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場です。


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城です。1238年以前に建設されました。


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現在の城の外観は、1838年に行われた大改修工事後のものです。


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よく見ると新しい建物であることが分かります。


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城の横に立つサン・ヴィットーレ教会です。


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大学 Universita Scienze Gastronomicheです。


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この大学はスローフード運動支援を行ってます。


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ポッレンツォでタクシー運転手に待ってもらい、約束の1時間以内で広場に戻ってくることが出来ました。


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午後5時過ぎです。


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あちこち動いて流石に疲れました。


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でも未だやるべきことが一つ残ってます。


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スローフードのお店を見つけることです。


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実は、その店がある場所を知っていたのです。


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タクシーを乗るためにホテルに戻った時に、その場所を聞いたのです。


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初めから聞くべきだったのです。後悔しきり。


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観光案内所に行った時に聞いておけば苦労しなかったのです。


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カタツムリのマークがあります。


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午後5時過ぎでしたが、営業しているようには見えませんでした。どうも訳が分からない。


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翌朝です。


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チェックアウト後、駅に向かいました。


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朝霧の中のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。


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午前8時です。


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ガリバルディ通り


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カヴール通り?


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サン・ロッコ教会


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駅前広場


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駅に到着しました。


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次の目的地に向かいました。
(ブラ編 終わり)

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Via Fasolaの坂を下った所にサンタ・キアラ教会があります。


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1632年、ブラにサンタ・キアラ女子修道会(Monache Clarisse:クララ会)が形成され、この教会近くにあったサンタンドレア・ヴェッキオ教会(現在は同教会の鐘楼だけが残る旧教会)などで活動を始めました。


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18世紀前半、女子修道会は自前の教会と修道院の建設を決め、建築家ベルナルド・アントニオ・ヴィット―ネ(トリノ、1704-1770)に建設を委嘱して、1742年から1748年に建設されました。


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鐘楼がある建物が修道院です。


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1802年、ナポレオンの抑圧令によってサンタ・キアラ教会修道院は閉鎖されました。1816年、教会と修道院はクララ会に返還され、活動が再開されました。


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写真左は旧修道院です。
修道院は、1883年に閉鎖されました。現在はブラ市の所有となってます。


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写真右の建物は旧修道院です。


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1930年、教会はPadri Cappucciniに譲渡され、現在に至ってます。


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クララ会とは関係がなくなりましたが、教会の名称はそのままになってます。


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後陣


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1748年の完成時の姿が現在の外観です。ピエモンテ・ロココ様式の代表的な建物として有名です。


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入口扉上の浮彫


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中に入りました。


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四本の太い柱がクーポラを含む天井を支える、丸みを帯びた四角形の内部です。


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主祭壇に向かって右側


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華美な装飾が施されてます。


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クーポラのフレスコ画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)によって描かれました。


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クーポラを含む天井はクララ会時代のものです。


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖キアラ」


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主祭壇(1943)


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主祭壇と左右の側壁の礼拝堂は、カプチン会(Padri Cappuccini)の所有になってから20世紀中頃に制作された新しいものです。


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ピエロ・ダッレ・チェステ(レフロントロ、1912-トリノ、1974)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1943)


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ピエロ・ダッレ・チェステ(レフロントロ、1912-トリノ、1974)の「無原罪の御宿リ」(1943)


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ジョヴァンニ・クラレット(ブリュッセル?、1599-サヴィリアーノ、1679)の「聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニオ」


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主祭壇前から見た出入口


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外に出る前にもう一度内部を見ました。


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外に出ました。


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Via Fasalaの坂を上ります。


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直ぐに教会の鐘楼らしき建物が目に入ります。


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かなり荒廃した感じがする鐘楼です。


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この一帯の緑深い丘地に10世紀頃に建設されたサンタンドレア・ヴェッキオ教会修道院がありましたが、その教会修道院の鐘楼だけが辛うじて残されてます。


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サンタンドレア・ヴェッキオ教会修道院は12世紀に増築されましたが、現存する鐘楼は、12世紀の増築時のものです。15世紀の鐘があります。


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サンタ・キアラ教会修道院が建設される前には、一時期クララ会が使用していました。


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写真左に修道院の庭園がありました。


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Piazza Caduti per la Libertaにサンタンドレア・アポストロ教区教会がありますが、この場所から移転するために建設されたのです。


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サンタンドレア・ヴェッキオ教会修道院の庭園だった場所から見下ろした景色です。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会が完成した1687年に、ここにいた聖職者は新教会に移動しました。


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その後に、この場所で活動したのがクララ会の修道女たちでした。


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サンタ・キアラ教会修道院が完成すると、修道女が去ってしまい、サンタンドレア・ヴェッキオ教会修道院は荒廃が進むことになりました。地元の信者たちが礼拝を続けたようですが、何時しか一切の宗教活動を停止した廃教会となってしまいました。
(つづく)

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地元の信者の密着した地味な教区教会なのでしょう。


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美術ファン向けの教会とは言い難いと思います。


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次はサンタ・クローチェ教会です。


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サンタ・クローチェ教会はヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りにあります。


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スローフードのカタツムリ・マークがありません。運動の本拠地、発祥地でマークがないなんて、到底考えられません。


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サンタ・クローチェ通りです。この通りにはサンタ・クローチェ教会がありません。


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食事のために、この場所に足を向けることは考えていませんでしたが、ネットでの評判は中々良いようです。


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写真左奥にサンタ・クローチェ教会が写ってます。


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サンタ・クローチェ教会です。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りは、サンタ・クローチェ教会が起点、または終点です。


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サンタ・クローチェ教会の起源が定かではないとされてますが、12世紀に現在地にあった小礼拝堂起源説が有力とされてます。
確実なことは、1584年、当時の司教が、保存状態が悪い、この場所にあった礼拝堂でのミサを行うことを禁止した記録が残されてます。


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1631年に再建されましたが、ファサードは未完成でした。ファサードは1750年から1760年に建設されました。ファサード完成時の姿が現在の外観となってます。


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鐘楼は1720年に建設されました。


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ファサードにフレスコ画の痕跡があります。


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落剝して何が描かれていたのか、判然としません。


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ファサードの聖母子


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扉が閉まっていたのは予想通りでした。


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中は、こんな感じのようです。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りの先にサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会が見えます。


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ウンベルト一世通りです。


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どうせ休館しているに違いないと思いましたが、市立自然博物館に行ってみることに。時間が余って仕方がないので。


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プロッヴィデンツァ通りです。


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写真右の建物にフレスコ画があります。


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これです。


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街角の「聖母子」


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午後の、この時間は静まり返ってます。


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この道の先にPiazza Caduti per la Libertaがあります。


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プロッヴィデンツァ通りを更に進みます。


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振り返ると、緩い坂道を上って来たことが分かりました。


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右折してクラヴェーリ通りに出ます。


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写真右がMuseo Civico Craveri di Storia Naturaleです。


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Museoとなっている収集家アンジェロ・クラヴェーリ邸です。


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19世紀の冒険家で収集家だったアンジェロ・クラヴェーリの死後、遺族が収集物と邸宅を市に寄贈して出来た博物館です。


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この日は、予想通り休館でした。


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時間潰しが出来なくて困りました。


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少し早いですが、ここから至近にあるサンタ・キアラ教会に行くことに。


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サンタ・キアラ修道院と教会です。


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修道院は200年前に閉鎖されました。


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サンタ・キアラ教会です。


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ファサード側に向かいます。


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サンタ・キアラ教会です。


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(つづく)

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引き続きサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)によるPresbiterioのフレスコ画


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典型的な新古典様式の内部です。


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主祭壇前から出入口方向の右側廊を撮った写真です。


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「聖母を導く天使」


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂


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制作者情報不知の「聖心」(19世紀)


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「貧者に施しを配るベアート・セバスティアーノ・ヴァルフレ」


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サン・ジュゼッペ礼拝堂


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「聖母被昇天」


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サンタントニオ礼拝堂


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詳細不知


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制作者情報不知の「聖霊降臨」


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ルカ・マルティーニの「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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この彫刻家は初めて聞きます。


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詳細不知


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制作者情報不知の「磔刑」


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この礼拝堂の名前が分かりません。


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「貧者に施しをするベアート・セバスティアーノ・ヴァルフレ」


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左側廊


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無原罪の聖母礼拝堂


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左側廊第二礼拝堂


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詳細不知


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後陣左の礼拝堂


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詳細不知


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後陣左の礼拝堂天井部は初代の建物のように思えます。


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ファサード裏にオルガンがあります。


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右側廊


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左側廊


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ファサード裏のフレスコ画は、ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)の作品です。


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クーポラ


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ルカ・マルティーニの彫刻


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のフレスコ画


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身廊天井


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祭壇前から見た出入口


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外に出ます。


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(つづく)

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18世紀に敷設されたContrada de Passarottiです。


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違う道を歩いたのは、スローフードのお店を探すためです。パッサロッティ通りもダメでした。


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18世紀に敷設されたContrada di San Roccoです。


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スローフードのお店については殆ど諦めの境地になりました。


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写真左の建物にフレスコ画があります。


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無原罪の御宿リは午前中に見ました。


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お馴染みのヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを更に進んで、この先にある教区教会に行くつもりです。


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Via Beato Valfreとの交差点を通り抜けます。


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同じ通りでも場所によって名称が異なる通りが多い中にあって、ブラのヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りのままです。


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写っている鐘楼は、これから行くサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会のものです。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに面して建ってます。


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写真左の建物にフレスコ画があります。


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街角の「聖母子」


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街角の聖母子を見るのが好きですが、ブラではガラス板などの覆いがないので、保存維持が心配です。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りの110番地に教会があります。


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現在の地名Piazzetta Conti Guerra del Crioneと呼ばれている城壁内の丘上に13世紀頃に建設されたサン・ジョヴァンニ・ロンターノ教区教会が前身です。


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16世紀、当時の司祭が手狭になったことを理由に現在地に移転するとともに、教会名称がサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会に変更されました。
ところが移転したからには、元の教会は閉鎖されるはずでしたが、どうしたことか、サン・ジョヴァンニ・ロンターノ教区教会はそのまま存続しました。
しかし、さらに事情は複雑で、丘上ではなく、市庁舎などが建っている街の中心地に教区教会を建てることになり、そうして建設されたサンタンドレア・アポストロ教区教会については既に触れた通りです。
教区教会として格付けを取り上げられたサン・ジョヴァンニ・ロンターノ教会は元の場所に現在も存在しているのです。


p1320632
Piazzetta Conti Guerra del Crioneに建っているサン・ジョヴァンニ・ロンターノ教会です。
事実関係は以上の通りですが、移転を理由に教会を新築し、元の教会がそのまま残された理由は何処にも述べられていないようです。
私自身としては聖職者間の勢力争いが移転の理由かも、と考えてます。
城壁外のこの場所周囲に人家が増え、19世紀に新教区が設けられ、教区教会にランクアップされました。


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19世紀中頃、最初の建物が荒廃したので、再建されることになり、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・スケッリーノ(ドリャーニ、1818-1905)の設計によって1880年に完成した建物が現在の姿です。しかし、完全な再建ではなく、16世紀に建設された建物が改造使用されているようです。
真新しいファサードと煉瓦造りの身廊、クーポラ、鐘楼と対照的な外観です。


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どの部分が完全な再建なのか、その辺がよく分かりません。


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ブラの教会巡りをして感じることは、古い教会が残されていないことです。地震などの災害のため?


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司祭館です。


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ファサードの左右に小塔が設けられてます。


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ファサードの聖ジョヴァンニ・バッティスタ像(詳細不知)


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鐘楼


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中に入ります。


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重厚感溢れる内部です。


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三廊式、新古典様式の内部で、翼廊がありません。


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美術的には稍々面白味が欠けると思います。


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上部の装飾


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主祭壇に近付きます。


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主祭壇に関して全く分かりません。


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ビザンチン様式のイコン


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)によって1925年に制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画のテーマは「聖ジョヴァンニ・バッティスタの生涯」です。


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(つづく)

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昼寝を一時間ほどしました。


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酔い覚ましと買い物のために外に出ました。
スローフード・レストランがなければ、スローフードなるものを買って自室で料理をするつもりでした。そのため、簡易キッチンがある部屋に泊まったのです。


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ホテル前のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の扉が開いていました。これはイタリアではかなり珍しいことです。


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青空市が終了した9月20日広場は綺麗になっていました。


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9月20日広場からポレンツォ通りに入りました。


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スローフードのお店を探しましたが見つからず。尤も例え見つかったとしても、午後3時は昼休み中で開いてません。


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引き返して公園に行って、涼しい風に当たろう、そうすれば良い酔い覚めになる。


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公園はサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の東方にあります。


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同じ道を通っては詰まらないので、ゲルマーノ通りを歩きました。


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さらに横道を進んだら、何のことはない、元の広場に戻ってしまいました。観光案内所で頂戴した地図を持参していましたが、地図を見ないで適当に歩いているので何時も見当違いになってしまいます。それで手酷い目に何度も遭ってますが、懲りることなく性分なので諦めてます。


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あの時計は6,7分遅れてます。


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公園の入り口にホテルがあります。


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この辺は完全に城壁外に当たります。尤も、その城壁の位置が分かりませんが。


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公園の下は駐車場になってます。


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ホテルの横からベルヴェデーレ公園に入ります。


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こうして街歩きの記事をアップしていると、我ながら時間、労力、金の無駄をして来たことか、と呆れてます。
芸術鑑賞に特化するならば、ミラノ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ナポリを中心に、パルマ、ボローニャ、フェッラーラ、マントヴァ、ベルガモ、シエナ、アレッツォ、ジェノヴァ、トリノ、ペルージャ、アッシジ、パドヴァ、ヴェローナ、ウルビーノなどに繰り返し行くべきでした。今となっては後悔しきりです。


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Reviglio della Veneria家によって18世紀に造成された公園です。


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公園は丘上に造成されてます。


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公園からブラの街を一望できる絶景ポイントがあるだろうとの読みでした。


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将棋、囲碁では勝手読みすると負けになります。


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この公園では正しく勝手読みでした。


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トホホの景色でした。


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人影がありませんでしたが、それでも木陰に隠れて立小便。


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ヨーロッパ人、具体的にはドイツ人、イギリス人、フランス人、イタリア人などの友人たちと幾度となく旅行しましたが、彼らは野糞、立小便を平気でします。
18世紀くらいまでは、建物に便所がないのが普通だったそうで、野糞、立小便は伝統だそうです。宮殿だって便所がなかったのです。


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城壁みたいに見えましたが、やはり城壁ではないようです。


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広場に戻りました。公園行は全くの無駄足でした。


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ポレンツォ通りに戻りました。赤茶色の建物にフレスコ画があります。


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街角の「聖母子」


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相変わらずスローフードのお店が見つからない。


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次の交差点を左折してヴェネリア通りに入ります。


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18世紀に敷設されたヴェネリア通りです。


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通りから突き出た建物にフレスコ画があります。


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写真正面の建物です。


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街角の「聖母子」


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再びヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


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ここには午前中二回来ました。


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もう一度拝観する気になれないサンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。


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日差しが出てきたので暑くなってきました。


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この辺ではスローフードについて諦めかけていました。


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写真左のパラッツォに少々お邪魔を。


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「聖母子」のテラコッタ


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不審者に違いないので早々に退散します。


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(つづく)

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青空市が未だ開市中でした。


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Corso Garibaldiにもスローフードのシンボルマークが見当たりません。


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各国の国旗はワールドカップのもの?


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写真右の建物の壁にフレスコ画があります。


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磔刑です。


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上の道Corso Cottolengoに面したサンティッシマ・トリニータ教会です。


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鐘楼の時計が実用的です。


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正午を過ぎて買い物客が少なくなりました。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会です。


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Corso Cottolengoの下は柱廊になってます。


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柱廊に入りました。


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柱廊は何も使用されていないことに驚きました。


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柱廊は非常時のために空けておくようです。


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Via Bartolomeo Gianolioです。道草をしないでホテルに戻った方が無難と思いました。


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Museo Civicoが休館日だったので調子が狂いました。イタリアなので、その辺は仕方がありません。


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ホテルに戻りました。部屋には行かず、併設のレストランに直行しました。


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適当に飲んで、部屋で昼寝をするつもり。


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未だ12時半なので、客があまりいなかった。


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ビールは既に飲み干しました。


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先ずは前菜です。


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この辺の名物料理はこれです。


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Salciccia di Bra frescaがありました。


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前菜を一通り見ます。


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生肉も美味です。


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適当に選んで注文しました。


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私が注文した前菜


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前菜だけでお腹一杯になりそう。


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壁に掛けられていた水彩画を鑑賞しました。


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これを食べるのが大変でしたが完食しました。


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デザートまでは流石に無理でした。


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部屋の方に向かいました。


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自室に戻って昼寝です。


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(つづく)

引き続きサンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。
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サンタンナ礼拝堂です。
礼拝堂両端の彫刻「聖母を抱く聖アンナ」と「聖ジョアッキーノ」はカルロ・ジュゼッペ・プルーラ(トリノ、1663-1737)の作品です。


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ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「聖アンナと聖母マリア」(1874)


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次の礼拝堂です。


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ジャン・クラレット(ブリュッセル?1599-サヴィリアーノ、1678)の「天上の聖母子と聖人たち」


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詳細不知


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制作者情報不知の「聖母の神殿奉献」


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制作者情報不知の「聖母の誕生」


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制作者情報不知の「聖心」


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制作者情報不知の「十字架降下」


P1320123
制作者情報不知の「聖母と聖ジョアッキーノ」


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制作者情報不知の「無原罪の御宿リ」


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詳細不知


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カルロ・ジュゼッペ・プルーラ(トリノ、1663-1737)の「チントラの聖母と二聖人」


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詳細不知の「磔刑像」


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洗礼盤


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ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「無原罪の聖母と聖ドメニコ」(1874)


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制作者情報不知の「聖チェチリア」


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ファサード裏にオルガンがあります。


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出口に向かいます。


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外に出ます。


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比較的新しい作品ばかりの教会でした。


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正午近くになりました。


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教会は一旦正午で扉が閉まるのが普通なので、午前中の教会巡りは終了です。


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そろそろ昼食の時間です。


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夥しい数の鳥の鳴き声が聞こえたので、空を見上げたら鳥が周りを旋回していました。


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サンタントニーノ・マルティーレ教区教会の前を通り過ぎます。


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この街に来た目的の一つ、スローフードのお店を探します。


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スローフードのレストランでもあれば、そこで昼食を食べようと思っていました。


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それが全然見つかりません。


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ブラがスローフード運動の発祥地であり、本拠地であることは間違いないので、簡単に見つかると思っていましたが、そもそもスローフードの印自体が見つかりません。


1
このカタツムリのシンボル・マークを探しているのですが、見つかりません。


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通りを行ったり来たりしても見つかりません。


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店舗が多い通りに行くことに。


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フレスコ画がある建物があります。


P1320181
ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)?の「無原罪の御宿リ」でしょうか。


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スローフードのお店を見つけることを諦めて、ホテル併設のレストランで昼食を食べるのが無難というものです。


P1320187
ホテルに戻ることにしました。


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広場に向かいます。


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Piazza Caduti per la Libertaに戻りました。


P1320192
(つづく)

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カヴール通りです。次はサン・ロッコ教会です。


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カヴール通りの突き当りにサン・ロッコ教会があります。


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初代の建物は14世紀前半に建設されました。


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現在の建物は、1715年に増築改造されたものですが、ファサードだけは1890年に再建された新しいものです。


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ナポレオンの侵攻の際、閉鎖を命じられ倉庫に転用されましたが、フランス軍の撤退後、教会活動が再開されましたが、何とOrtodossa、正教会の教会となりました。


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現在も正教会の教会です。


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中にピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画、アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)などの祭壇画がありますが、古い作品はないようです。


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イタリアでの正教会信者はどのくらいいるのでしょうか?


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


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次は、サンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。


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鐘楼が見えますが、サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会のものでしょう。


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先ほど、サンタントニーノ・マルティーレ教区教会が開いていることを観光案内所で確認したので安心です。


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外壁がフレスコで装飾されている建物です。


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ここのベンチで一休みしました。


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城壁が取り壊されて、その痕跡すら分からないので、旧市街の市域がよく分かりません。


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しかし、この辺には新しそうな建物ばかりなので、恐らく新市街でしょう。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを進みます。サンタントニーノ・マルティーレ教区教会はこの通りにあります。


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歴史的建造物がないので、歩いていても面白味が感じられません。


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サンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。


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13世紀頃に建設された初代のサンタントニーノ・マルティーレ教会は、サン・ジョヴァンニ・ヴェッキオ教会近くの城壁内にありました。


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17世紀、初代の建物が劣化したので、再建されることになりましたが、城壁外の現在地に新教区設置の話もあり、引っ越すことになりました。そうして1693年に建設されたのが現在の建物になります。


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微かに顔を出した鐘楼


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ファサードのフレスコ画は、制作者不知の「聖アントニーノ」(18世紀)


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ファサード壁龕の彫刻は、制作者不知の「聖ピエトロ」(18世紀)


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制作者不知の「聖パオロ」(18世紀)


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柱頭


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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少し華美な感じがします。


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天井の装飾


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天井のフレスコ画は、ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)の「聖アントニーノの物語」
ルイージは、宗教テーマのフレスコ画を得意にしていた画家です。


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のフレスコ画


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主祭壇を見ます。


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主祭壇画は、ジャン・クラレット(ブリュッセル・、1599-サヴィリアーノ、1678)の「聖アントニーノ」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のクーポラのフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のフレスコ画


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カルロ・ジュゼッペ・プルーラ(トリノ、1663-1737)の「聖母子」


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サント・ステファノ礼拝堂です。


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ジョヴァンニ・アントニオ・モリネーリ(サヴィリアーノ、1577-1631)の「聖ステファノの殉教」


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カルロ・ジュゼッペ・プルーラ(トリノ、1663-1737)の「獄中の聖ピエトロ」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のフレスコ画


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P1320100
ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の作品です。
ロドルフォは、ルイージ・モルガーリの甥です。


P1320101
(つづく)

P1310965
Museo Civicoが休館日と分かったので、教会巡りに集中することにしました。


P1310968
Piazza Caduti per la Libertaを通り過ぎます。


P1310967
次はサン・ジョヴァンニ・デコッラート教会です。


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ブラの街歩きを書くに当たって、ブラと検索するとブラジャーばかり。この塔は分かってますが、「Torre di Bra」と検索するとTorre di Oro(これもブラジャー)が出てきます。


P1310970
この時計塔の建物は、これから行くサン・ジョヴァンニ・デコッラート教会の鐘楼です。


P1310972
駅からホテルに向かった時、カヴール通りの突き当りにあった教会がサン・ジョヴァンニ・デコッラートです。


P1310973
decollatoは、打ち首する decollareの派生語です。サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会は、斬首された聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)に奉献しています。


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教会は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに面してます。


P1310975
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。教会は、この先、モッファ通りとの交差点に直ぐ先にあります。


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Via Moffa di Lisio


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サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会です。


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1588年、慈悲の同信会Compagnia della Misericordia、またはBattuti Neriが設立されました。設立された同信会によって、1591年に建設された教会です。


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囚人と死刑を宣告された人々を支援し、死刑執行された人々を埋葬する役割を果たすために同信会が設立されたのです。


P1320040
バットゥーティ・ネリ教会とも呼ばれてます。非常にシンプルな構造をしています。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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外観と比べて内部が少し華美な装飾が施されているのは、死刑となった人々とその家族への、せめてもの、はなむけからと言われてます。


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身廊天井


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主祭壇


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後陣の装飾は、建築家で画家でもあり、彫刻家だったジョヴェナーレ・ボエット(フォッサーノ、1604-1678)の作品です。


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フレスコ装飾もジョヴェナーレ・ボエット(フォッサーノ、1604-1678)によるものです。


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主祭壇画は「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


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ジャン・クラレット(ブリュッセル?、1599-サヴィリアーノ、1678)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


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詳細不知


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「磔刑像を崇める聖ドメニコ」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「天上の聖母子と聖女」


P1320003


P1320038


P1320039


P1320005
アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」


P1320008
アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1704-1793)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの弁明」


P1320018
アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「キリストの洗礼」


P1320020
アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」


P1320012
詳細不知


P1320023
ジョヴェナーレ・ボエット(フォッサーノ、1604-1678)の天井フレスコ画


P1320024


P1320025
詳細不知


P1320028
詳細不知


P1320037
祭壇前から見た出入口方向


P1320032
祭壇に一礼してから外に出ます。


P1320043
外に出ました。
(つづく)

サンタンドレア・アポストロ教区教会の続きです。
P1310888
Cappella della Compagnia della Presentazioneです。


P1310891
ジャン・クラレット(ブリュッセル?、1599-サヴィリアーノ、1678)の「聖母の神殿奉献」


P1310868
ファサード裏の作品を見ます。


P1310895
制作者情報不知の「キリストの洗礼」


P1310898
詳細不知


P1310901
この礼拝堂については分かりません。


P1310903
詳細不知


P1310906


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P1310914


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ロザリオの礼拝堂です。


P1310917
ジャン・クラレット(ブリュッセル?、1599-サヴィリアーノ、1678)の「聖母子と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」


P1310923
詳細不知


P1310921


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出口に向かいます。


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もう一度教会内を一望しました。


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外に出ました。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会の周りを見て回ります。


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広場にブロンズ像のモニュメントがあります。


P1310833
制作者不知の「聖ジュゼッペ・ベネデット・コットレンゴ(ブラ、1786-キエーリ、1842)のモニュメント」


P1310834
Palazzo Mathisです。ここに観光案内所があります。


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ベルナルド・アントニオ・ヴィット―ネ(トリノ、1704-1770)の設計によって建設されたPalazzo Garroneです。


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広場で二本の道路が合体します。


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市庁舎の壁にあるフレスコ画を見ます。


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紋章と日時計が描かれてます。


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Stemma Sabaudo


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日時計とブラの紋章


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日時計とブラの紋章


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市立博物館に向かいます。


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市立博物館として一般公開されているPalazzo Traversaです。


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15世紀半ばに建設されたPalazzo Traversaです。


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開館日の筈でしたが扉が閉まったままでした。


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休館日でした。扉が閉まっていたのは当然です。


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ガックリ、気が抜けました。


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校外学習の集団を除けば、一日当たりの平均入館者は0.7人なので、休館日が多いのは当然です。


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この建物にも日時計があります。


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日時計が多いブラです。


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入口扉上の「受胎告知される聖母」


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仕方がないので、Palazzo Traversaを見ました。


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(つづく)

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次は、Piazza Caduti per la Libertaに面して建つサンタンドレア・アポストロ教区教会です。


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ブラは、トリノ大司教区に属してます。
地元ではドゥオーモと呼んでいないようですが、ブラでは最も格式が高く最重要の教会です。


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サヴォイア公爵カルロ・エマヌエーレ2世・ディ・サヴォイアがジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1683)に設計を依頼し、ベルニーニの設計に基づきサヴォイア家のお抱え建築家カミッロ・グアリーノ・グアリーニ(モデナ、1624-ミラノ、1683)によって1672年から1687年に建設されたバロック様式の教会です。


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公式的には、以上の通りですが、実際にはベルニーニの関与は設計のアイデア程度だったようです。


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ファサードにコリント式列柱を用い、後の新古典様式の萌芽となる建物として、建築史上、高く評価されてます。


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実は、建設されてから1816年まではサンティッシモ・サクラメント教会と呼ばれており、教区教会ではなかったのです。


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1884年に完成したファサード
サンタンドレア・アポストロ教区教会は、元々別の場所の丘上にありましたが、19世紀初頭に安全ではないと判断されて破壊されることになったのです。
それを受けて、1816年、教区教会の機能をサンティッシモ・サクラメント教会に移すとともに、教会の名称も現称に変更したのです。


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ファサードの彫刻(18世紀中頃)


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18世紀中頃に制作された彫刻


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柱頭


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後陣と鐘楼


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バロック様式の後陣と鐘楼


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側壁にある聖心像は、恐らく改称前にあった彫刻でしょう。


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外部、内部の聖アンドレアに関する装飾は、1816年以降に付け加えられたか、描き改められたものです。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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現在でも豪奢な装飾が施されてますが、1795年、ナポレオン軍から閉鎖を命じられ、教会の建物はフランス軍倉庫に転用されましたが、その際、多くの装飾品がフランスに持ち去られましたが、戻されることなく現在に至ってます。


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天井の装飾


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クーポラのフレスコ画は、パオロ・ガイダーノ(ポイリーン、1861-トリノ、1915)の「聖アンドレアの栄光」(1893)
四隅の聖人は、ルイージ・ヴォッカ(トリノ、1778-1854)によって描かれました。


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主祭壇とPresbiterioを見ます。


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磔刑像(16世紀)は、破壊された、以前のサンタンドレア・アポストロ教区教会にありましたが、1816年にこの場所に移設されました。


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磔刑像の後にある彫刻は、ダヴィデ・カランドラ(トリノ、1856-1915)の「聖アンドレアの殉教」です。


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Presbiterioの彫刻は、ダヴィデ・カランドラ(トリノ、1856-1915)の作品です。


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アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の「聖アンドレア」


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アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の「バーリの聖二コラ」


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主祭壇右側壁にある祭壇画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖アンドレアの捕縛」です。


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主祭壇左側壁の祭壇画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖アンドレアの奇跡」です。


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カルミネ礼拝堂です。
聖母子の彫刻はアントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の作品です。


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18世紀の逸名画家作「磔刑」


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アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の「カルミネの聖母」


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次は、サン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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クラウディオ・フランチェスコ・ボーモント(トリノ、1694-1766)の「聖セバスティアーノの殉教」(1761)


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖ヴィットリア」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖ロッコ」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「公正の寓意」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「賢慮の寓意」


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制作者不知の「信義の寓意」


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制作者不知の「希望の寓意」
(つづく)

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季節は真夏でした。


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この年のイタリアはかなり涼しかったと思います。


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青空市で販売している衣料の品質はどうなんでしょうか。日本の青空市は安かろう、悪かろうでしたが。


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多くの中国人が青空市に進出しています。逞しいと思います。


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上の道Corso Cottolengoです。


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Corso Cottolengoの下にある道がCorso Garibaldiです。


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この辺が街の中心でしょうか?


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鐘楼はサンティッシマ・トリニータ教会のものです。


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振り返るとサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会が見えました。


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9月20日広場


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写真右はCasa Cottolengoです。


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正面奥の教会はサンタンドレア教区教会です。


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Corso Cottolengoは、Corso Garibaldiよりも2,3メートル高い位置にあります。


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この日のお宿が見えます。


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高さが異なる二本の道が平行しているのが珍しいと思いました。


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サンタンドレア教区教会前の広場で、二本の道路は同じ高さになります。


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Casa Cottolengoです。


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聖ジュゼッペ・ベネデット・コットレンゴ(ブラ、1786-キエーリ、1842)が誕生した家です。


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Casa Cottolengoは、Museo Cottolengoとして一般公開されてますが、この聖人には興味がないのでパスしました。


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次はCasa Cottolengoの隣にある建物です。


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写真右がサンティッシマ・トリニータ教会、写真左がCasa Cottolengoです。


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写真手前の日時計がある建物は、サンティッシマ・トリニータ同信会です。


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日時計


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サンティッシマ・トリニータ教会です。


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別名”Battuti Bianchi"としても知られてます。


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最初の建物は13世紀に建設されました。現在の建物は、三位一体同信会によって1618年に再建された二代目となるものです。


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平日は開かないようです。


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ファサードの彫刻とフレスコ画を見ます。


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壁龕に彫刻がありますが、詳しいことが分かりません。


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セバスティアーノ・タリッコ(ケラスコ、1641-トリノ、1710)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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セバスティアーノ・タリッコ(ケラスコ、1641-トリノ、1710)の「聖人」


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このフレスコ画の意味合いが分かりません。目玉?


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目玉のフレスコ画が非常に印象に残ります。


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教会に左隣の建物に注目です。


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騙し絵の窓


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Piazza Caduti per la Liberta


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ブラの市庁舎 Palazzo Comunaleです。


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13世紀頃に建設されましたが、1744年に建築家ベルナルド・アントニオ・ヴィット―ネ(トリノ、1704-1770)の設計によって改造されました。現在の姿は、その改造後のものです。
(つづく)

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前泊地トリノから普通列車でブラに向かいました。


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定時にブラ駅に到着しました。


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ブラは、人口29,852人(2019年12月31日現在)のピエモンテ州クーネオ県にあるコムーネです。


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ブラ駅の駅舎です。


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駅前広場です。


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駅前にある公園です。


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この日のお宿に向かいます。


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駅前から旧市街の入り口に通じるカヴール通りです。


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ブラの歴史は非常に古く、先史時代から人の居住が遺跡からの発掘物によって確認されてます。


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ブラは、スローフード運動の発祥地として、また、その本拠地として有名です。スローフード運動の意味合いがよく分からないので、ブラであれこれ食べて、その本質を見極めたいと思ってブラに来た次第です。


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カヴール通りの突き当りに教会がありますが、その辺りは旧市街になると思います。ブラには城壁がないので、旧市街の範囲がよく分かりません。
元々城壁があって、都市計画などのために城壁が取り壊されたのか、初めから城壁が築かれなかったのか、その辺の事情が私にはよく分かりません。


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サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会です。扉が開いていましたが、拝観せずにホテルに向かいました。ブラの教会は、比較的開いている所が多いので、焦って拝観する必要がありません。尤も芸術的に優れた祭壇画や彫刻が少ないこともあります。


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バルトロメオ・ジャンノリオ通りを通って、ホテルがあるガリバルディ通りに向かいました。


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ガリバルディ通りです。


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青空市が開市されてました。


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右の方に進みます。


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小高い所にサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会があります。


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この日のお宿は、道を隔ててサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の向かいにあります。


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この日のお宿です。レストラン兼ホテルです。


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ホテル前の通りから、今通ってきたガリバルディ通りを撮った写真です。


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チェックインを済ませて、街歩きに出発しました。


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ガリバルディ通りの先は見所がなさそうと判断しました。実は、この先、約1.5㎞に分離集落ポッレンツォがあるのですが・・・・・そちらの方は取り敢えず後回し。


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ガリバルディ通りを戻れば、街の中心ですが、そちらに向かう前にやることがあります。


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ホテルの向かいにあるサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の拝観です。


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ブラチーズの名産地としても有名なブラです。


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階段を上り、9月20日広場を見下ろします。


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ホテルの隣にスローフード・インターナショナルがあります。


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さて、教会です。


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横に広がった楕円形のバロック様式のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。


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フランチェスコ修道会の一つであるFrati Minori Osservantiが1742年から1752年に建設しました。


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1795年、サヴォイア家によって徴収され、塩貯蔵庫に転用されましたが、ナポレオンの侵攻によってフランス軍に接収され兵舎として利用されました。ナポレオンの失脚後、再びサヴォイア家が弾薬庫、倉庫として使用しました。


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その後、個人に転売されました。
20世紀初頭、建物はカプチン会の所有となり、修復されて、1906年にカプチン会の教会として宗教活動が再開され現在に至ってます。


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ファサード前の十字架


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毎日開く教会なので拝観し易いと思います。


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中に入りました。


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楕円形の天井です。
天井のフレスコ画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の作品です。


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祭壇に向かって左側の壁


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右側壁


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主祭壇とPresbiterio


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ユニークな岩窟の聖母礼拝堂


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制作者情報不知の「聖心」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画


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制作者情報不知の「聖ジュゼッペの死」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「無原罪の聖母と聖フランチェスコ」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画


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Presbiterioに立ち入ることが可能です。


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Presbiterioのフレスコ画


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詳細不知


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作品帰属が明確になっている祭壇画があります。


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)の「貧者に施しをする聖母」


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彫刻に見えるように描かれた騙し絵


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詳細不知


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画


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制作者情報不知の「聖痕を受けるシエナの聖カテリーナ」


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制作者情報不知の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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制作者情報不知の「パドヴァの聖アントニオ」


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主祭壇前から見た出入口


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外に出ました。
(つづく)

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カステッロ広場に向かいます。


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街角の聖母子を発見しました。


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カステッロ広場にやってきました。


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写真右奥の建物はTeatoro Municipaleです。


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17世紀初頭、カステッロの城壁に面する現在地に劇場が建設されました。


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しかし、最初の建物は構造的に運営上の問題が深刻となり、1697年に閉鎖されてしまいました。
最初の建物が取り壊され、木造で1703年に再建されました。


7
ところが、地元の貴族たちから木造ではみすぼらしい等の不満が沸騰したので、スポレートの修道院長で建築家のアゴスティーノ・ヴィットーリに劇場建設が委嘱され、アゴスティーノ・ヴィットーリの設計によって1780年から1786年に三代目となる建物が建設されました。
三代目の劇場で1791年に初演を迎えました。
1861年、劇場は地元の貴族から市当局に売却され、市有となりましたが、管理上の問題から上演出来ず、100年以上も閉鎖されたままでした。
大掛かりな修復工事が行われ、1990年に漸く再上演に漕ぎつけることが出来、現在に至ってます。


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カザーレ・モンフェッラート城、Castello dei  Paleologiです。


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この場所には、10世紀末の記録に、その存在が記された要塞がありました。要塞の建設時期はそれ以前と思われてますが、具体的には分かってません。


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モンフェッラート侯爵ジョヴァンニ2世・パレオロゴ(カザーレ、1321-ヴォルピアノ、1372)は、1352年、要塞を増強拡大させ城にしました。


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城の増強整備は、後継のモンフェッラート侯爵グリエルモ8世パレオロゴ(カザーレ・モンフェッラート、1420-1483)とモンフェッラート侯爵ボニファチョ4世パレオロゴ(カザーレ・モンフェッラート、1512-1530)に引き継がれ、15世紀中頃から16世紀前半にかけて工事が行われました。


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1559年、カザーレ・モンフェッラートは、マントヴァのゴンザーガ家領となりました。
ゴンザーガ家は、防衛上、この城の必要性はないとしながらも、塔と城壁を追加させるとともに、宮殿として整備させ、。マントヴァ公爵家の離宮として使用されるようになりました。


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ゴンザーガ家の衰退によって、1708年、カザーレ・モンフェッラートは、ゴンザーガ家からサヴォイア家領となりました。1710年から城はサヴォイア家の兵舎として使用されるようになりました。


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1856年、都市整備の一環から市場を新たに作るために、城の一部が取り壊されました。


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更にカステッロ広場を造るために、城の一部が取り壊されました。


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城はかなり荒廃しています。一般公開されていますが、この日はダメでした。


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本丸しか残されていないようです。


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カステッロの庭だった部分です。


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鐘楼はParrocchia di Sant' Ilarioのものです。


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広場に面して教会が建ってます。


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バロック様式の建物の教会です。


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写真左は市の塔です。


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。


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サンタ・カテリーナ教会とも呼ばれてます。


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1718年から1726年に建設されたギリシャ十字形、バロック様式の教会です。
1726年に奉献されました。


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この教会ファサードの後方に教会に隣接する1700年に建設されたドメニコ会のシエナのサンタ・カテリーナ修道院があり、修道院修道女によって教会が一部運営されたので、別名サンタ・カテリーナ教会と呼ばれた所以です。


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カステッロ広場を後にします。


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広場から見えた市の塔


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の横、Via Alessandriaに入りました。


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に隣接して修道院だった建物が建ってます。


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ドメニコ会のサンタ・カテリーナ・ダ・シエナ修道院だった建物です。


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修道院は16世紀に建設されました。
旧修道院の先がサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。
修道院は、ナポレオンの抑圧令によって18世紀末に閉鎖され、1867年から修道院だった建物はEnte Municipale Convitto Trevisoが使用するようになりました。


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アレッサンドリア通りを更に進みます。


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写真右は、15世紀に建設されたPalazzo Vittaです。Natta d' Alfiano侯爵夫人の住居でした。


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観たいと思っていた観光先の殆どが閉まっていたし、午後にも開かないことが分かりました。


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臨時休館ならばHPに記載されるべきと思う私ですが、イタリアではHPの更新をしないことが多いのです。こんなことにめげてはイタリアの旅はやっていられません。


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6月28日でした。


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ローマ通りを進みます。


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通りの先はサンタ・クローチェ教会です。


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1344年に建設された後期ゴシック様式のサンタ・クローチェ教会です。


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未完成のファサードは、1748年にフランチェスコ・オッタヴィオ・マニョカヴァッリの設計によって一旦工事が開始されたものの、結局未完成に終わりました。


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1950年頃、宗教活動が停止され、その後の改造を工事を経て、1994年に教会だった建物はショッピングセンターに生まれ変わりました。


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左側壁に店舗が設けられてます。


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教会の建物は総じて地震に強くないのですが、大丈夫でしょうか?


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最後の望みは市立博物館ですが、日が悪いので、多分臨時休館だろうと諦めていました。


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19世紀に建設されたPalazzo Gaspardoneです。


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中庭に入ってみました。


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現在、Governatoreになってます。


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写真右の建物が市立博物館です。


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15世紀末に建設されたサンタ・クローチェ修道院だった建物です。


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旧修道院の建物が市立博物館になってます。


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この日は何故か休館でした。


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城、美術館、博物館などが全てダメでした。


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これでは何もやることがありません。


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夕方にも城。美術館、博物館、教会などに行きましたが、状況は変わらずでした。


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仕方がないので、ホテルで体を休めることにしました。
(おわり)

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サン・ドメニコ教会を横に見ながら、ジョヴァンニ・ランツァ通りを進みます。


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写真右は賃貸・分譲アパートです。


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塔がある建物が見えますが、後で行きます。


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サン・ドメニコ教会修道院の周りを巡ります。


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17世紀中頃に建設されたPalazzo Morelliです。


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先ほどの塔が見えました。


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塔がある建物はPalazzo Morelliであることが分かりました。


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Palazzo Morelliにロッジャがあります。


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ロッジャに入ってみました。


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ランツァ通りに戻りました。


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Via Saletta


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Palazzo Morelliの塔が見えます。


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同じ所を行ったり来たり。


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市の塔に行ってみる。


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昼食を食べた店が通りの突き当りに見えてます。


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次は市の塔です。


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市の塔です。


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高さが60mあります。


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11世紀に防御用の見張り塔として築かれました。16世紀初めにほぼ現在の姿の原形となりました。その後、経時劣化や修復のため、16世紀初めの姿と少し違う形になりましたが、1920年に行われた修復の際に16世紀初めの姿に復元されました。


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市の塔がサント・ステファノ教会の鐘楼と間違える人が少なからずいらっしゃいます。


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次は、そのサント・ステファノ教会です。


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サント・ステファノ広場にやってきました。
写真左がサント・ステファノ教会です。


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これを撮っておくと、後で行う写真整理に役立ちます。


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写真右の建物は、Palazzo Ricci di Cenesetoです。


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Palazzo Ricci di Cereseto前から見たサント・ステファノ広場です。


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サント・ステファノ教会です。


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市の塔が教会の鐘楼のように見えると思います。


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写真右の建物の上に顔を覗かせているのが、サント・ステファノ教会の鐘楼です。


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サント・ステファノ教会の最初の建物は11世紀に遡るとされてます。現在の建物は17世紀に再建された二代目となるもので、1661年に奉献されました。


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この時間は教会の扉が閉まってます。


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サント・ステファノ広場に面した、このお店はお勧めです。


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サント・ステファノ広場に立つのは、彫刻家ベネデット・カッチャトーリ(カッラーラ、1795-1871)の「ルイージ・カニーナのモニュメント」です。
ルイージ・カニーナ(カザーレ・モンフェッラート、1795-フィレンツェ、1856)は、地元出身の考古学者、建築家です。


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中にイル・モンカルヴォなどの祭壇画があります。


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サント・ステファノ広場を後にします。


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次はクリスティアーナ・エヴァンジェリカ教会です。次を右折して小道に入ります。


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Vicolo Giovanni Carottoです。


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ここから10mと出ています。


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写真左の建物が教会のような・・・・・


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如何にも教会の入り口のように見えましたが・・・・・


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アーチがありますが・・・・・


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アーチの上の装飾


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アーチに教会の入り口があります。


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クリスティアーナ・エヴァンジェリカ教会です。


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アーチを潜りました。


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鐘楼があります。教会の形がよく分かりません。


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(つづく)

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サン・ドメニコ教会の側面入り口に向かいます。


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写真右の建物がサン・ドメニコ教会の側面です。


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側面の扉も閉まっていました。


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結局、サン・ドメニコ教会に入れないことになりました。


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側面ファサードの丸窓


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側面ファサードの入り口


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サン・ドメニコ教会の後陣


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鐘楼


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サン・ドメニコ教会の側面入り口向かいに教会があります。


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サン・ピエトロ・マルティーレ教会です。


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聖リータにも奉献しているので、サンタ・リータ教会とも呼ばれてます。


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鐘楼が見えます。
1503年の刻印がある煉瓦が建物に使用されているので、創建は1503年、またはそれ以前とされてます。
1515年のカザーレ・モンフェッラートの文書に、サン・ピエトロ・マルティーレ教会が初めて記載されてます。


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中に入りました。


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単廊式です。


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右側壁


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天井


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フレスコ画で一杯です。


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主祭壇


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フレスコ画のテーマは聖ピエトロ・マルティーレの物語です。


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後陣左のフレスコ画


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詳細不知の「磔刑像」


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フレスコ画は18世紀に描かれたようですが、制作者などが分かりません。


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主祭壇前から見た出入口方向です。


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外に出ました。


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サン・ドメニコ界隈を後にしました。


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Via Giovanni Lanzaに出ました。


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かなりの賑わいを見せている通りです。


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前夜に大食いしたので、胃の調子があまり良くなかったけれど、昼食に何か食べないと夜まで持ちません。


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お手軽に済ませることに。


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食欲がなかったので、これで十分過ぎるほど。


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コッパ広場です。


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ジョヴァンニ・ランツァ通りに面して教会が建ってます。


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サン・ジュゼッペ教会です。


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(つづく)

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次はサン・ピエトロ教会です。写真の通りの突き当りに教会があります。


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サン・ピエトロ教会です。


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正式名はChiesa della Confraternita di San Pietro Apostoloと言います。


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サン・ピエトロ同信会が建築家フランチェスコ・ガッロ(モンド―ヴィ、1672-1750)に注文して、ガッロの設計によって1726年から1739年にかけて建設されました。


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フランチェスコ・ガッロは、教会建築が得意で、50以上の教会の設計を行ったことで知られてます。


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扉が閉まってましたが、それは予想通りでした。


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Via Paleologi


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次はサン・ドメニコ教会です。


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サン・ドメニコ教会は、次を右折します。ドゥオーモの西方にあります。


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通りの突き当りにあるのがサン・ドメニコ教会です。


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サン・ドメニコ広場に出ます。


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Confraternita dei Nobiliの本拠であり、カザーレ・モンフェッラートでは、ドゥオーモに次いで重要な教会とされてます。


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モンフェッラート侯爵グリエルモ8世・パレオロゴ(カザーレ・モンフェッラート、1420-1483)によって1472年に創建されました。グリエルモ8世の死後、建設工事はグリエルモ8世の弟ボニファチョ3世に引き継がれ、1506年に完成しました。


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1506年、併設の修道院が建設され、Padri Domenicaniに託されました。


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1513年、奉献式が執り行われました。


6
ファサードのポータルが見所です。


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バルトロメオ・スアルディ通称ブラマンティーノ(ミラノ、1456-1530)によって1510年に装飾されたファサード・ポータルです。


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丸窓


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バルトロメオ・スアルディ通称ブラマンティーノの「聖母子とボニファチョ・パレオロゴ一族」(1510c)


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入り口横の、バルトロメオ・スアルディ通称ブラマンティーノ(ミラノ、1456-1530)の「シエナの聖カテリーナ」(1510c)


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入り口横にある、バルトロメオ・スアルディ通称ブラマンティーノ(ミラノ、1456-1530)の「聖ドメニコ」(1510c)


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サン・ドメニコ教会の左横にミゼリコルディア教会がありますが、後で見ることにしました。


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サン・ドメニコ修道院回廊に入りました。


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1506年に建設されました。
Confraternita dei Nobiliの支援を受けて、非常に豊かな修道院でした。


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ナポレオンの抑圧令によって活動が停止された旧修道院となってます。


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修道院のキオストロ回廊に僅かにフレスコ画が残されてます。


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劣化が著しく、何が描かれていたのか、全く分かりません。


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回廊の壁ルネッタ上にフレスコ画があったとされてます。


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高さ40mの鐘楼


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今度はミゼリコルディア教会です。


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1527年3月25日、Compagnia della Misericordiaが設立されましたが、その活動拠点としてサンタ・マリア・ディ・ピアッツァ教会(マッツイーニ広場にあります)が選ばれました。


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その後、自前の教会を持ちたい、との希望から資金集めが行われ、ミラノの建築家フランチェスコ・マリア・リキーノ(リキーニ)(ミラノ、1584-1658)の設計によって1611年に建設されたミゼリコルディア教会です。


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ファサードの装飾は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィスカルドの「慈悲の聖母」(1617)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィスカルドの作品


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィスカルドの作品


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サン・ドメニコ広場


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活動を停止した旧教会です。


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(つづく)

ドゥオーモ付属美術館の続きです。
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司教杖(18世紀)


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大理石棺(18世紀第4四半世紀)


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17世紀のカザーレ・モンフェッラートの逸名画家作「合奏」


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ドゥオーモ本堂外にある礼拝堂です。


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礼拝堂天井


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礼拝堂の聖職者席と十字架


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聖職者席上方の彫刻


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ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッさんソリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖母子と聖ベルナルディーノと聖カルロ・ボッロメオ」(1610)


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ジョルジョ・アルベリーニの作品が数点あります。尚、ジョルジョ・アルベリーニは、グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の協力者でした。


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ピエル・アントニオ・セッラの「キリストと大人たち」(17世紀)


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ピエル・アントニオ・セッラの「キリストの証言」(18世紀前半)


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ピエル・アントニオ・セッラの「ゲッセマネ園のキリスト」(18世紀前半)


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聖具類


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純銀製


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ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「キリストの洗礼」(1534)


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ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッサンドリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖ルチア」


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ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッサンドリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖エヴァージョ」(1615)


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ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッサンドリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖ロレンツォ」(1615)


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ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッサンドリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖バルトロメオ」(1615)


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ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッサンドリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖プロイエント」(1615)


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ヴェネツィア製のピオ5世の式服(16世紀末)
第225代教皇ピオ5世(ボスコ・マレンゴ、1504-ローマ、1572 在位:1566-1572)


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ピエモンテの逸名画家作「聖母子と聖人たち」(1628)


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エヴァンジェリスタ・マルティノッティ(カザーレ・モンフェッラート、1634-1694)の「キリストの洗礼」(17世紀後半)
エヴァンジェリスタ・マルティノッティは、サルヴァトール・ローザの弟子です。


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ジョルジョ・アルベリーニ通称ジョルジョ・ダ・カザーレ(アレッサンドリア、1567-カザーレ・モンフェッラート、1626)の「聖オルソラ」


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驚きました。聖堂内から入ることが出来なかったCappella di Sant' Evasioに付属美術館から入れるようになっていました。


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18世紀のものです。


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聖エヴァージョ礼拝堂の装飾は、その殆どが18世紀のものです。


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礼拝堂天井のフレスコ画


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礼拝堂の祭壇


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外に出ました。


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(つづく)

今回はドゥオーモの続きとドゥオーモ付属美術館です。
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説教壇


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制作者情報不知の「Vergine della Consolata」(17世紀)


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聖ジュゼッペの祭壇です。


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18世紀の逸名画家作「聖エヴァーショに顕現する幼きキリストと聖ジュゼッペ」


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サン・ロレンツォ礼拝堂です。


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ステファノ・ボッティネッリ・ダ・ヴィッジュ―の「聖ロレンツォと聖エヴァーショと聖ナターレ」(18世紀)


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Cappella di Sant' Evasioは閉まっていました。


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グラツィエの聖母礼拝堂


5
アゴスティーノ・ブスティ通称イル・バンバイア(ブスト・アルシツィオ、1483c-ミラノ、1548)の「聖母子と聖アントニオ・アバーテと聖ベルナルディーノ」


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グラツィエの聖母礼拝堂天井の装飾


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Narthexへの入り口


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Cappella di Sant' Agata e Sant Apollonia


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の追随者作「聖アガタと聖アポッロニア」


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Cappella di Santa Lucia


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の追随者作「聖ルチアと聖人たち」


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Cappella della Madonna di Fatima


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Narthexに出ます。


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外に出ました。


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左側壁の後陣方向に向かいます。


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ドゥオーモ付属美術館の入り口です。


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写真左の建物が美術館になってます。


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司教館の一部が美術館になってます。


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ドゥオーモ内部はアゴスティーノ・ブスティ通称イル・バンバイアの彫刻を除いて見所が余りありません。美術ファンの不満を癒す一助になりそうなのが付属美術館と言えるかも知れません。


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入館無料です。土日は常時開館してますが、平日の開館は不定期と思っていた方が良いでしょう。原則は、夏場は月~金開館、冬季は平日閉館となってますが、夏季の平日に開館しているとは限りません。


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入館しました。
12世紀の逸名彫刻家作「聖人」
聖人は、聖エヴァーショの可能性があるとされてます。


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16世紀のフランスの逸名彫刻家作「ランゴバルド王リュートバルド像」
リュートバルド王(690c-744)は、8世紀中頃にカザーレ・モンフェッラート大聖堂の前身であるサン・ロレンツォ教会を建設しました。


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16世紀のフランスの逸名彫刻家作「テオドリンダ像」
テオドリンダもサン・ロレンツォ教会建立に尽力しました。


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14世紀前半のロンバルディアの逸名彫刻家作「アレッサンドリアの聖カテリーナ像」
14世紀前半から17世前半までカザーレ・モンフェッラート大聖堂のファサードに置かれていました。


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12世紀のモザイク
カザーレ・モンフェッラート大聖堂の内陣床にありました。


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12世紀のモザイク


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ロンバルドの逸名彫刻家作「磔刑像」(1450-60)


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12世紀のモザイク「魚屋」


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12世紀のモザイク


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12世紀のモザイク「男とイノシシ」


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創建時の床にあったモザイクです。


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(つづく)

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写真左はPalazzo dei Credito Italianoです。


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マッツィーニ広場からドゥオーモに向かいます。


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Torre Civicaが見えてます。


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高さ60mのTorre Civicaの歴史は古く、11世紀に遡るそうです。現在の姿は、1731年と1780年に行われた修復後の姿ですが、その2回の修復後に改造されたので、1920年に2回の修復後の姿に復元されたそうです。


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ドゥオーモ通りに入った途端、その突き当りにドゥオーモが見えます。


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現在、ドゥオーモが建っている場所には紀元後1世紀に建設されたユーピテル神殿がありましたが、8世紀前半、ロンゴバルド王リュートプランド Liutprando(?、690c-パヴィア?、744)がユーピテル神殿の廃墟の上に建設した小さなサン・ロレンツォ教会が前身とされてます。


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11世紀になると建物が劣化したので、再建されることになり、11世紀後半に創建され、12世紀初頭に完成したロマネスク様式の建物が現在の姿の原形となってます。


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1107年、第160代教皇パスクゥアーレ2世(ブレーダ、1050c-ローマ、1118 在位:1099-1118)によって献堂式が執り行われ、その際、聖エヴァーショ(アスティ司教)に奉献されました。


1
1215年、所謂ヴェルチェッリ戦争で、ミラノ・アスティ、アレッサンドリア、ヴェルチェッリの同盟軍の攻撃によって、カザーレ・モンフェッラートの街は大きな被害を受けましたが、その際、この教会の後陣が破壊され、13世紀中頃に元の後陣の近い形に復元されました。


2
非対称の、高さの異なる二本の鐘楼が特徴です。
1474年、カザーレ・モンフェッラートは単独の独立した司教区に昇格しましたが、それに伴い、本教会に司教座が置かれました。司教座教会への昇格後、ロマネスク様式で増築され現在の規模になりました。


3
15世紀に増築されたロマネスク様式の建物は、17世紀にバロック様式に改造されました。
また、1857年から1861年に行われた修復工事によって、現在のネオ・ロマネスク様式に改修されました。


4
現在のファサードは、1857年から1861年にかけて再建されました。


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外側壁


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側壁側入り口扉上ルネッタの彫刻


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ファサード側の入り口から中に入ります。


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ファーサード側入り口扉上ルネッタの彫刻


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中に入ると、Narthex(アトリウム)に出ます。


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6、7世紀のバジリカ様式の教会ではNarthexが良く見られますが、11世紀以降に建造された教会ではNarthexは非常に珍しい。


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Narthexが新しく見えるのは、1995年から2007年に行われた改装工事の際、オリジナルの形に新造復元されたからです。Narthexを経由して聖堂内に入ります。


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Narthexから聖堂内部への入り口


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聖堂内部に入りました。


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五廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式(ロマネスク・リバイバル)の内部です。


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左右にそれぞれ2つの側廊があります。


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かなり複雑な形をしています。


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増築、改造、改修、復元されたので、中を一見しただけではオリジナルの構造が想像できません。


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右側廊


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左側廊


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中央身廊天井


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クーポラの装飾


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Presbiterioの磔刑像(12世紀)
この磔刑像はアレッサンドリア大聖堂にありましたが、傭兵隊長ボニファチョ・カーネ通称ファチーノ・カ―ネ・ダ・カザーレ(カザーレ・モンフェッラート、1360-パヴィア、1412)が1403年にアレッサンドリア大聖堂から取り外して、この聖堂に持ち込んだものです。


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19世紀のステンドグラス


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Presbiterioのネオ・ゴシック様式のフレスコ画とモザイクは、コンスタンティーノ・セレーノ(カザーレ・モンフェッラート、1829-トリノ、1893)の作品です。


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コンスタンティーノ・セレーノ(カザーレ・モンフェッラート、1829-トリノ、1893)の「エマオの晩餐」(1884)
(つづく)

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道を挟んで、市庁舎の向かいに教会があります。


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サン・パオロ・デイ・バルナビティ教会です。


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ミラノの建築家ロレンツォ・ビナゴ(ミラノ、1554-1629)の設計、工事監督によって1568年創建、1595年に完成しました。1594年に奉献されました。


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ウンベルト・コッポによって18世紀後半に改造されました。


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ファサードの彫刻


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中にグリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォの祭壇画があります。


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日曜日の午前中だったので、日曜朝のミサが終わってゆっくり拝見できることを期待していました。


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ところが扉が閉まっていました。


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カヴール通りを進みます。


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市庁舎の一部として使用されている建物です。


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市庁舎なので、日曜日には扉が固く閉じられてます。


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18世紀に建設されたPalazzo Magnocavalliです。


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これがあると助かります。


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Palazzo Magnocavalliの向かいにある、18世紀後半に建設されたCasa Alleanzaです。


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使用されてない部屋が多い?


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18世紀に建設された貴族の館、Palazzo Trevilleです。


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Palazzo Trevilleは、現在高級アパートになってます。


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高級アパートになっている、19世紀前半に建設されたPalazzo Arditiです。


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Via Mameli


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次はサン・ミケーレ教会です。


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街角の聖母子を発見しました。


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これです。


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Via San Evasioに面して建っているサン・ミケーレ教会です。


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Confraternita dei Nobiliによって16世紀初めに建設されたサン・ミケーレ教会です。


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ファサードに3大天使の彫刻が置かれてます。


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大大天使聖ミケーレ


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大天使ラッファエーレとトビオーロ


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大天使ガブリエーレ


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写真左はサン・ミケーレ修道院だった建物です。


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中にイル・モンカルヴォの祭壇画が6点あるのですが、扉が閉まっていました。仕方がないので、外部サイトから拝借した祭壇画を載せておきます。


2
グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の「竜を退治する聖ミケーレ」


3
グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の「ご誕生」


4
ジョヴァンニ・アントニオ・カッサーノ(パヴィア、16世紀後半-17世紀初め活動)のクーポラのフレスコ画(1597)


P1280445
ベルノッティ広場です。
広場に立つのは、ウルバーノ・ラッタッツィ(アレッサンドリア、1808-フロジノーネ、1873)像です。
ウルバーノ・ラッタッツィはイタリア統一で活躍した政治家です。


P1280446
旧裁判所の建物です。


P1280447
ベルノッティ広場は都市開発の対象になっているので、今後、姿が大幅に変わりそうです。


P1280448
一見教会風の建物がありますが、詳細不明です。


P1280449
ラッタッツィ広場を通り過ぎます。


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街の中心の広場に向かいます。


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マッツィーニ広場にやってきました。


P1280452
マッツィーニ広場がカザーレ・モンフェッラートの中心です。


P1280453市の塔 Torre Civicaが見えてます。


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広場の中心に立つのは、カルロ・アルベルト・ディ・サヴォイア(トリノ、1798-ポルトガル、ポルト、1849)のモニュメントです。
カルロ・アルベルトはヴィットリオ・エマヌエーレ2世の父です。


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(つづく)

カザーレ・モンフェッラートは、人口33,637人(2019年12月31日現在)のピエモンテ州アレッサンドリア県にあるコムーネです。
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アレッサンドリア駅始発の普通列車に乗ってカザーレ・モンフェッラート駅に向かいました。


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ほぼ定時にカザーレ・モンフェッラート駅に到着しました。


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ポー川南岸のモンフェッラート丘陵に位置し、古くからワイン醸造で有名です。美術的に見所が多い街と言えるでしょう。


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広い駅前広場


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カザーレ・モンフェッラート駅の駅舎です。


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駅前広場の噴水


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この日のお宿に向かいました。


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翌朝の出発が早いので、駅前のホテルに予約していましたが、この旅の出発前に工事のため休業するので、他のホテルに予約を振り替えたいとの連絡があったので、旧市街にあるホテルに泊まることになりました。


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鉄道駅から旧市街に通じる道です。


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Viale Bistolfi


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ジョヴァンニ・ランツァ(カザーレ・モンフェッラート、1810-ローマ、1882)像です。
ジョヴァンニ・ランツァは、カヴールやガリバルディほど知られてませんが、イタリア統一戦争で活躍した地元出身の英雄です。統一後、文部大臣を務め、イタリアの教育行政確立に尽力しました。


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カヴール通りに入りました。この日のお宿は、この通りにあります。


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写真左が、この日のお宿です。


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チェックインを済ませて外出しました。ホテルに向かう途中、余り写真を撮っていなかったので。駅方向に少し戻って、ビストルフィ通りとカヴール通りの交差点から街歩きを開始しました。


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城壁が残ってませんが、この辺から旧市街になるのでしょう。


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写真左は修道院だった建物です。


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中に入ってみます。


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非常に荒廃した建物です。


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警察署です。


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修道院は17世紀中頃に閉鎖されました。


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サンタゴスティーノ教会修道院だった建物です。


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フレスコ画の痕跡


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サンタゴスティーノ教会修道院の建物は、その後取り壊されたようです。


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修復費用が膨大なので、取り壊して新築した方が経費がかからない?


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警察署の外に出ます。


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カヴール通りです。


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この日のお宿が見えてます。


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ホテルを通り過ぎます。


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更に進んで、市立博物館に行きます。


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市立博物館は市庁舎内にあります。


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旗が掲げられている建物が市庁舎です。


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18世紀に建設されたPalazzo Gozani di San Giorgioです。


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中に入りました。


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この日は日曜日だったので、市庁舎は閉まってます。


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しかし、博物館は日曜日開館、の筈でした。


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Palazzoの中庭


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博物館は閉まっていました。何故?


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ガックリ。何時ものイタリア流をやられてしまいました。


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フレスコで装飾されてます。


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折角来たのに、突発的休館には困りました。この辺の所は、イタリアではよくあることで、どうにもなりません。


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外に出ます。


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この当時、市立博物館は、金土日の週末だけの開館でした。開館日に合わせて旅程を組んだのが無駄になりました。トホホ
(つづく)

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奇抜な構造のサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会でした。


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サン・ジョルジョ・マルティーレ教会とサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の構造的境界が外から見てもよく分かりません。


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2つの教会がある高台から下に下ります。


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サン・ジョルジョ通りを進みます。


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高台に来た時と同じ道を通るのは芸がありませんが、他の道が無さそうなので仕方がありません。


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ヴィスカ通りです。


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緩やかな下り坂になってます。


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写真中央の建物にフレスコ画があるのを発見!


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無原罪の聖母と天使?


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フレスコ下部に二人の男が横たわっているように見え、その意味が分からない!


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この道の先にウンベルト1世広場があります。


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昼休みの時間なので人出が少ないようです。


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この塔の名前が分かりません。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


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道の先にウンベルト1世門が見えてます。


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ウンベルト1世広場に戻ってきました。


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イタリアらしい構造物


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ウンベルト1世の門を見ることにしました。


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門の彫刻


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門横に置かれている聖母子像


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アーチの壁


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アーチの天井


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アーチ天井に描かれたフレスコ画


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門前から振り返って見たヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


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ウンベルト1世門を潜ります。


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ウンベルト1世門を潜り、サン・フィリッポ・ネリ教会前に出ます。


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1664年から1673年に建設されたサン・フィリッポ・ネリ教会です。


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ファサードに置かれている聖人像


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サン・フィリッポ・ネリ教会は閉まったままでした。


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サン・フィリッポ・ネリ教会の隣は、フィリッピ―ニ修道院だった建物で、1950年までトリノの神学校として使用されていました。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを更に進みます。


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この紋章は? 私には分かりません。


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建物の壁にフレスコ画を発見!


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これです。


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キエーリの案内板です。これとほぼ同じものを市庁舎で頂戴しました。


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サン・ドメニコ教会です。


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聖ドメニコがキエーリに訪問した際に建設した修道院が前身とされてますが、聖ドメニコがキエーリに来たことは事実ですが、修道院建設云々は伝説とされているようです。


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1326年に創建され、1381年に完成し、1388年に奉献されました。


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教会建設以前に修道院が建設されましたが、ナポレオンの抑圧令によって活動を停止しました。ナポレオンの失脚後、修道院の活動が再開されたものの、1855年に再び活動を停止して現在に至ってます。


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教会は修復改造を数度経て、17世紀に現在の姿になりました。


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ファサードのルネッタ上にフレスコ画があったと思います。


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サン・ドメニコ教会の鐘楼


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サン・ドメニコ教会の後陣


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サンティ・ベルナルディーノ・エ・ロッコ教会のクーポラがサン・ドメニコ教会前から見えました。


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サン・レオナルド教会です。


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12世紀に建設されました。
キリがないので、この辺で終わりにしましょう。


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(おわり)

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サン・ジョルジョ・マルティーレ教会です。


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高い丘のこの場所は絶好の防御、監視拠点とされ、5世紀にRoccaが築かれました。やがてRoccaに小さな礼拝堂が設けられましたが、それが前身とされてます。


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Roccaは拡張整備され城になりましたが、キエーリの軍事的な重要性が失われるとともに城は荒廃してしまいました。
14世紀にRoccaの遺跡の上にゴシック様式のサン・ジョルジョ・マルティーレ教会が建設されました。1412年の火災によって最初の建物は崩落消失してしまったので、1442年に再建されました。


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ベルナルド・アントニオ・ヴィット―ネ(トリノ、1704‐1770)の設計、建築監督によって1752年に建設されたファサードです。


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鐘楼は11‐12世紀に建設された城の塔を転用したものですが、1676年に現在の姿に改造されました。
サン・ジョルジョ・マルティーレ教会は美術作品が多いことで知られてますが、平日は扉が閉まっているので、中に入ることが出来ませんでした。
外部サイトから作品画像を拝借して、この教会の作品を紹介することにします。


5
グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568‐モンカルヴォ、1625)の「聖母子と聖人たち(聖ジョルジョ、聖グリエルモ、聖ロッコ、聖セバスティアーノ)」(1601c)


6
グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568‐モンカルヴォ、1625)の「キリストの復活」(1605)


7
18世紀の逸名画家作「聖ジュゼッペと聖人たち」(18世紀前半)


8
アゴスティーノ・マルキ―ジョの「聖ジョルジョ。マルティーレ」(18世紀中頃)


9
逸名画家作「バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作『磔刑と聖フランチェスコ』のコピー画」(20世紀初め)


10
ジョヴァンニ・クローショ(ヴェルチェッリ、1583‐キエーリ、1625)の「聖母子と聖人たち」(1619)


11
オルソラ・マッダレーナ・カッチャ(モンカルヴォ、1596‐1676)の「聖家族と嬰児虐殺」(1630c)


12
逸名画家作「大天使聖ミケーレ」(17世紀後半)


13
逸名画家作「コッレッジョ作『羊飼いの礼拝』のコピー画」(20世紀)


14
逸名画家作「ジュゼペ・リベラ作『この人を見よ』のコピー画」(20世紀)


15
ジョヴァンニ・マリア・モントゥーの「荊刑のキリスト」(1824)
グイド・レーニのコピー画と思います。


16
アントニオ・アンドリエッリの「無原罪の御宿リ」(17世紀後半)


17
逸名画家作「聖母子」(17世紀)


18
逸名画家作「聖ロッコ」(17世紀)


19
逸名画家作「磔刑と聖フランチェスコ」(1700)


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写真正面の建物に付属美術館があるようです。


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付属美術館は滅多に開館しないようです。


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ファサードに向かって右横にアーチがあります。


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アーチを潜ります。


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アーチのほぼ中間にサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会があります。


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写真左にサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の入り口があります。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の扉が開いてました。


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中に入りました。
サン・ジョルジョ・マルティーレ教会のファサードと後陣の高さがかなり違うので、その間の空間を利用して15世紀初めに建設されたサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会です。


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フレスコ画で覆われてます。


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逸名画家によって描かれた「大天使の物語」(17世紀後半)


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「大天使の物語」


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「聖母子」のイコン


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「聖家族」のイコン


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568‐モンカルヴォ、1625)の「聖母子と大天使聖ミケーレと聖ジョルジョ」(1605)


20


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「祈るキリスト」のイコン


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「聖母子」のイコン


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アントニオ・アンドリエットに帰属する「聖母の誕生」(17世紀後半)


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逸名画家による「大天使聖ミケーレ」(17世紀後半)


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アントニオ・アンドリエットに帰属する「ご訪問」、「聖母被昇天」


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逸名画家作「大天使聖ミケーレ」(1639)


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逸名画家作「聖ルイージ・ゴンザーガ」(18世紀)


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逸名画家作「大天使聖ミケーレ」(17世紀後半)


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詳細不知


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逸名画家作「聖母被昇天」(18世紀)


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アントニオ・アンドリエットに帰属する「聖母の結婚」(17世紀後半)


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アントニオ・アンドリエットに帰属する「聖母の神殿奉献」(17世紀後半)


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アントニオ・アンドリエットに帰属する「無原罪の御宿リ」(17世紀後半)


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15世紀の磔刑像


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祭壇をもう一度見てから外に出ます。


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外に出ました。
(つづく)

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街角の「受胎告知」


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次は、街の高地にあるサン・ジョルジョ・マルティーレ教会です。


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一旦、ドゥオーモ広場に向かいます。


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昼食を食べたウンベルト1世広場からサン・ジョルジョ・マルティレ教会に行くには、ドゥオーモを経由した方が近道になるからです。


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写真左は参事会教会(ドゥオーモ)の修道院だった建物です。


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市庁舎で頂戴した地図を照らし合わせて、この建物しかないようです。


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これがあったので、探していた建物であることが確認されました。


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ドゥオーモのオラトリオとは、到底思えない、普通の建物です。18世紀に建設されましたが、私にはその経緯が全く分かりません。


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ドゥオーモの鐘楼です。


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バルボ通りを進みます。


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フレスコで装飾された建物があります。


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19世紀に建設されたモーリ家です。


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フレスコ画については全く知りません。


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写真ほぼ中央の桃色っぽい建物に聖母子があります。


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これです、聖母子の浮彫。


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昼食のビール、ワイン、水が効きました、早くもここでトイレ休憩です。水分の追加はどうかと思いましたが、已む無く量が少ないエスプレッソを一飲み。


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矢印に従って左折します。


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左折した理由は写真右の建物です。


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15世紀に建設されたPalazzo Ceppiです。


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15世紀中頃に描かれたジョヴァンニ・ファンティーニのフレスコ画が中にあります。


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Palazzo Ceppiの中は幾つかに区切られて、アパートになっているので中に入ることが出来ません。緩やかな坂道を上ります。


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振り返るとドゥオーモのクーポラが見えました。


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坂の上にサン・ジョルジョ・マルティーレ教会があります。


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右折してサン・ジョルジョ通りを入ります。


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丘の麓を回りながら道が続いてます。


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サン・ジョルジョ通りを進みます。


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丘上には10世紀に建設された城がありました。


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やがて城は不要となり、荒廃してしまいました。


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城の遺跡の上に小さな信仰の場が作られました。


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サン・ジョルジョ・マルティーレ教会が見えてきました。


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振り返るとドゥオーモの鐘楼が見えました。


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教会前の広場に出ました。広場は丘上にあるので、街のパノラマが楽しめます。


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ドゥオーモの鐘楼が見えてます。


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遠くに川が見えます。


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(つづく)

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