イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: ピエモンテ州

1サン・フランチェスコ教会から外に出ました。


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再建前にあった古い作品は何処に?


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残念ながら見所に欠けるサン・フランチェスコ教会でした。


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Municipioの前を通り過ぎます。


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大体見終わってしまったようです。


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これでは時間の潰し様がありません。


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青空市は未だやっていました。


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アックイ・テルメで2泊するのは大失敗と痛感!


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後の祭りです。
仕方がないので、一旦ホテルに戻って日帰り遠足で適当な場所を探すことにしました。


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このような旅の仕方はもう止めないといけないと思いました。時間とお金の無駄ですから。


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La Bollente


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ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマ、ミラノならば見所が多過ぎて時間が足りません。このような旅に懲りて有名観光地専念に改めることにしたのです。


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この道は通りました。


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ドゥオーモに向かう道です。


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ホテルがドゥオーモ横にあるので、この道を通るのは当然です。


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この門に見覚えがあります。


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ドゥオーモです。


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ホテルに戻りました。


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カザーレ・モンフェッラートに行くことにしました。


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カザーレ・モンフェッラートには、この2年前に行ったばかりでした。


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駅に向かいます。


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カザーレ・モンフェッラートならば、見所が幾つかあるので、それなりに楽しめます。


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城にもう一度入る気がしません。


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城の城壁


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下れば駅に出ます。


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駅前広場


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アックイ・テルメ編終わり

さて、次回からは、私が大好きなルカ・シニョレッリの作品を訪ねることと、その生涯を辿る編に移ります。それらを書くに当たり、数多くの文献、資料、公文書などを読みました。事実の裏付けがないことには触れないことにしました。ただ、それらの文献資料リスト表記はしないつもりです。

1引き続きサン・フランチェスコ教会です。


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教会内の礼拝堂を見て回ってます。


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グリエルモ・カッチャ通称モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)の「無原罪の御宿り」


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詳細不知の主祭壇画


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中央礼拝堂前から見た出入口方向


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左側壁


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右側壁


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詳細不知の「最後の晩餐」


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ラッファエル・アンジェロ・ソレーリ(アレッサンドリアで16世紀後半消息)の作品


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詳細不知の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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パドヴァの聖アントニオ礼拝堂


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ピエトロ・ベッカリア(カザーレ、16世紀末‐17世紀前半活動)の「エジプトへの逃避」


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次の礼拝堂


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礼拝堂天井


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詳細不知


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逸名画家作「聖母の結婚」(18世紀)


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15世紀のフレスコ画


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詳細不知


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右側壁の礼拝堂


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Presbiterio


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(つづく)

1Municipioから数歩歩けばサン・フランチェスコ広場に出ます。


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広場に面して建つのはサン・フランチェスコ教会です。


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この場所は城壁外のボルゴ・サン・ピエトロです。


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7世紀頃に、キリスト教会の埋葬地として建設されたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会が前身とされてます。


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13世紀中頃、アックイ・テルメにもフランチェスコ会修道士が現れ定住するようになりますが、1244年に現在地が与えられ、それに伴い教会名がサン・フランチェスコ教会と改称されました。修道院が併設されました。


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1410年頃に建物の再建工事が開始され、広大なサン・フランチェスコ修道院教会の複合施設が16世紀初頭に完成しました。


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1802年、ナポレオンの抑圧令によってフランチェスコ会修道士は追放され、修道院が閉鎖されました。修道院だった建物は温泉施設の一部として整備されてしまいました。
また、教会はサン・ジュゼッペ修道会に与えられ、サン・ジュゼッペ教会に改称されました。


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ファサード横の白っぽい建物は旧修道院です。
1824年、教会は再びフランチェスコ会の所有となり、名称も元に戻されました。


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新古典様式のファサードは、1835年から1854年に建設されたものです。この際、教会内部も新古典様式に改造されました。


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ファサードを見ます。


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壁龕のシエナの聖カテリーナ


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聖ピエトロ


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ファサードのフレスコ画


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「玉座の聖母子と聖人たち」
私には制作者が分かりません。


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メインポータルは開かないようです。


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15世紀に建設された鐘楼


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メインポータル


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聖ピエトロ像下の扉から教会内部に入ります。


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中に入りました。


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単廊式、新古典様式の内部です。


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礼拝堂を結ぶ通路が設けられてます。


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天井


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身廊天井に描かれたフレスコ画


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Pietro Ivaldi detto il Muto di Toreto(ポンツォーネ、1810-アックイ・テルメ、1885)のフレスコ画


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中央礼拝堂


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後陣のフレスコ画


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(つづく)

1教会巡りを続けました。


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次はサンタ・マリア・デッラ・コルテ教会です。


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サンタ・マリア・デッラ・コルテ教会です。


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1005年の文書にその存在が初めて記載されたそうです。
最初の建物は13世紀に拡大され、その後幾度となく修復を繰り返しました。しかし、1647年の洪水によって大きな被害を受けたところに、1651年にフランス軍によって放火されてしまいました。


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現在の新古典様式の建物は1676年に再建された二代目となるものです。


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ファサードの彫刻


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三廊式、新古典様式の内部です。


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中央礼拝堂


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磔刑礼拝堂


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聖職者席


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サン・マルコの有翼のライオン像があります。


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クーパ門


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サン・グイド門


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次は市庁舎です。


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市庁舎にやってきました。


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ルーピ・ディ・モイラーノ伯爵が住居として17世紀に建設したPalazzo Lupiです。19世紀に市庁舎として使用されるようになりました。


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Torre di Palazzo Lupi


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市庁舎の中庭


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市庁舎内に観光案内所があります。


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観光案内所で地図を頂戴しました。


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(つづく)

1人出が多くなってきました。


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青空市の開市日なので賑わっています。


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この通りが町の目抜き通りでしょうか?


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教会巡りを続けます。


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サンタンドレア・アバーテ教会です。この教会は開くと聞いていたので、後でもう一度来る予定です。


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旧サンタ・マリア教会です。


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建物は劇場として使用されてます。


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サント・スピリト教会です。


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サント・スピリト教会のクーポラ
この教会は日曜朝のミサの時だけ開くようです。


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坂上に出ました。


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新しい建物ばかりの所に出てしまいました。


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次はアドロラータ教会です。


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アドロラータ教会です。


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この教会はこの町で重要な教会となってます。
6世紀後半に建設された初期キリスト教会が前身で、当時の町の住民の大部分を埋葬する地下墳墓がありました。


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11世紀前半にバジリカ様式で再建されました。この建物に隣接して10世紀に建設されたベネデット会の修道院がありましたが、11世紀後半に教会はベネデット会の所有となって、それを機に教会と修道院が一体化され、サン・ピエトロ修道院教会の複合施設となりました。


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やがてアックイ・テルメは独立した司教区となりましたが、その際、サン・ピエトロ教会に司教座が置かれるようになりました。この町の最初の司教座教会でした。後に司教座が現在のサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂に移されました。それを機にアドロラータ教会と呼ばれるようになったそうです。


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写真は修復前のアドロラータ教会です。改造されて、今の外観とは違うことが分かります。
19世紀になると、建物の荒廃が進み、立ち入りが危険とされて廃教会の一歩手前になりました。


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20世紀に元の姿に復元されました。


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後陣


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鐘楼


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内部
20世紀に大修復されたので新しく見えます。


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磔刑像
(つづく)

1次はLa Bollenteです。


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La Bollenteはドゥオーモの直ぐ傍にあります。


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通りの先にLa Bollenteが見えてます。


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bollenteとは沸騰という意味です。


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アックイ・テルメはその名の通り温泉の町ですが、74.5℃の源泉が毎分560ℓ湧き出ているのがLa Bollenteです。


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ボッレンテ広場にやってきました。


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ボッレンテ広場の中央にあるのがLa Bollenteです。


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La Bollente上部のEdicola(小神殿、小礼拝堂の意味)は、ジョヴァンニ・チェルーティ(ヴァルピアーナ、1842-ミラノ、1907)によって1879年に建設されました。


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温泉の噴出口


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源泉温度は74.5℃とされてますが、時々それよりも高温の源泉が出る場合があります。


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飲料として温泉を汲む場所が設けられてます。


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イタリアの温泉は日本の習慣とはかなり違います。飲む人が非常に多いと思います。


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ボッレンテ広場


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広場の一角に時計塔があります。


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市の塔です。


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12世紀から13世紀に築かれた市壁に設けられた門の上に1763年に時計塔が建てられたそうです。


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ボッレンテ広場


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市の塔の門を潜って城壁外に出ます。


P1270467
(つづく)

1次はドゥオーモ広場に建つ建物です。


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ドゥオーモ広場に出ます。


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1755年から1772年に建設された神学校です。以前の神学校の建物が現存しており、そちらの方はSeminario Vecchioと呼ばれてます。


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写真中央の建物は司教館です。1460年から1476年に建設されました。


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司教館です。


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司教館内部の大広間に代々の司教の肖像画が置かれてます。


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ドゥオーモ


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神学校


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神学校の柱廊


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柱廊から見た神学校のファサード


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神学校の建物の一部はホテルになってます。自室に戻ってトイレ休憩


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再び外に出ました。


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Casa del Seminario Vecchio


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(つづく)

1次はドゥオーモのキオストロです。


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キオストロの入り口


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キオストロに入りました。


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キオストロ上階回廊


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キオストロ上階回廊からの景観


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次はドゥオーモ広場に面して建っている建物です。


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16世紀に建設された病院だった建物です。現在、老人ホームとして使用されてます。


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サンタ・マリア修道院だった建物の一部はレストランになってます。


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病院だった建物の柱廊


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サンタ・マリア修道院


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(つづく)

1ドゥオーモ内部の礼拝堂を見て回ってます。


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詳細不知


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フレスコ断片


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次の礼拝堂です。


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1933年に建造された磔刑礼拝堂


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1932年に制作された磔刑像


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磔刑礼拝堂天井


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「聖ジローラモ」


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告解室


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次の礼拝堂です。


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1621年に建造されたカルロ・ボッロメーオ礼拝堂


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制作者不知の「聖カルロ・ボッロメーオ」


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カウンターファサード


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1874年に制作されたオルガン


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左側廊


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洗礼堂


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ポータル


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聖マッジョーレ像


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聖グイド像


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(つづく)

1ドゥオーモの礼拝堂を見て回ってます。


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次の礼拝堂です。


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ロザリオの聖母礼拝堂です。


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彫刻はジュゼッペ・ガルツォーニの「ロザリオの聖母」(1766-67)
彫刻を囲む15枚の小絵画は、ジョヴァンニ・モネヴィ(ヴィゾーネ、1637-1714)の「ロザリオの秘儀」です。


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ジョヴァンニ・モネヴィ(ヴィゾーネ、1637-1714)の「ロザリオの秘儀」


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次の礼拝堂に移ります。


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1766年に設けられた無原罪の御宿り礼拝堂です。


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次はサン・グイド礼拝堂です。アントニオ・フェッラーリによって1730年に建設された礼拝堂です。


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祭壇下に聖グイドの遺体が置かれてます。


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聖グイド(メラッツォ、1004c-アックイ・テルメ、1070)の遺体


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祭壇画は、ダヴィッド・コルテ(ジェノヴァ、1602-1657)の「聖グイドに顕現する聖母子」(1645)


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サン・グイド礼拝堂天井のフレスコ画


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サン・グイド礼拝堂左側壁のフレスコ画


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サン・グイド礼拝堂右側壁のフレスコ画


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サン・グイド礼拝堂のステンドグラス


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次の礼拝堂です。


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ礼拝堂です。


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あれ、どこかで見たことがある。
でも不完全な形です。
ピエモンテの逸名画家による「ラッファエッロ作『フォリーニョの聖母』のコピー画」です。完全なコピー画ではなく、天上の聖母子のみのコピー画です。


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これがラッファエッロの『フォリーニョの聖母」です。


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ヴァティカン絵画館にあります。


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洗礼堂です。


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洗礼盤上部に「キリストの洗礼」の彫刻があります。


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(つづく)

1引き続きドゥオーモです。


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中央礼拝堂を見ます。


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主祭壇


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主祭壇の浮彫


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後陣半ドーム


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ジョヴァンニ・モネヴィ(ヴィゾーネ、1637-1714)の「聖グイド」、「聖マッジョリーノ」、「聖アンブロージョ」(1668)


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中央礼拝堂左側壁


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ジョヴァンニ・モネヴィ(ヴィゾーネ、1637-1714)の「聖グイドの奇跡的治癒」(1668-70c)


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中央礼拝堂右側壁


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ジョヴァンニ・モネヴィ(ヴィゾーネ、1637-1714)の「水の上を歩くキリスト」(1668-70c)


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クーポラのフレスコ画はピエトロ・イヴァルディ通称イル・ムート・ディ・トレート(ポンツォーネ、1810-1885)によって1862年から1864年に制作されました。


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主祭壇後方に聖職者席があります。


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聖職者席後方上に祭壇画があります。


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ジョヴァンニ・モネヴィ(ヴィゾーネ、1637-1714)の「聖母被昇天」(1668)


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聖職者席左上方のステンドグラス


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聖職者席右上方のステンドグラス


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サン・カルロ・ボッロメーオ礼拝堂です。


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祭壇画についての詳細が分かりません。


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説教壇


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(つづく)

1引き続きアックイ・テルメのドゥオーモです。


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クリプタから内陣に戻りました。


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礼拝堂を見て回ります。


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礼拝堂天井


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クーポラ


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1786年に行われた修復の際に描き直されたフレスコ画の詳細が分かりません。


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次の礼拝堂


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ロベルト・ボネッリ(トリノ、1862-1894消息)の「最後の晩餐」(1880)


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礼拝堂左側壁


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右側壁


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次は聖具室に置かれている有名な祭壇画を見ます。


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有名な祭壇画とは、この作品のことです。


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聖具室です。


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バルトロメ・ベルメホ別名バルトロメ・デ・カルデナス(スペイン・コルドバ、1440c-バルセロナ、1500c)の「モンセラートの聖母の三連祭壇画」(1480-90c)
バルトロメ・ベルメホは15世紀で最も重要なスペインの画家です。
しかし、バルトロメが描いたのは中央パネルだけのようです。当時、バルトロメは多くの仕事に追われており、中央パネルの完成後にアラゴンに去り、左右のパネル、およびその裏面はバレンシアのフランチェスコ・オソナなどによって制作されたとされてます。


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祭壇画を閉じると、裏面に描かれた「受胎告知」を見ることが出来ます。


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油彩で描かれた15世紀第4四半世紀のヨーロッパ絵画の傑作です。
当時のアックイの大商人フランチェスコ・デッラ・キエーザが1470年頃に注文して描かれた作品です。
フランチェスコは、アックイと仕事先であるバレンシアを往復しており、バレンシアにも家を持っていました。バレンシアの教会に置くために注文し、完成後、一旦はバレンシアの教会に設置されました。1510年頃、フランチェスコ・デッラ・キエーザは死去するのですが、この作品をアックイの大聖堂に移すとの遺言を残しました。1987年にその遺言書が発見され、事実関係が明らかにされたそうです。16世紀初頭、フランチェスコはアックイ大聖堂に家族礼拝堂を建設中でした。遺言に基づき、フランチェスコの死後に完成した家族礼拝堂に設置されたのです。


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聖母の左に注文主であるフランチェスコ・デッラ・キエーザが祈りの彩色本を手にして描かれてます。


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フランドル絵画の影響を受けた聖母の下の完璧な表現


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フランチェスコの肖像画と聖母の間の下に制作者の署名が挿入されてます。


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幼きキリストはゴシキヒワが結びつけられた紐を持ってます。


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フランチェスコ・デッラ・キエーザが所有していた商船が描かれてます。


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左パネルの「聖母の誕生」と「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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右パネルの「キリストの神殿奉献」と「聖セバスティアーノ」


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扉が閉じられた状態
(つづく)

1引き続きアックイ・テルメのドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ司教座教会です。


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教会内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形の内部です。


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ロマネスク様式の構造をしてますが、創建後1000年以上を経て改造、修復が何度も行われたので、様式的には一概に言えません。


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新古典様式でしょうか。


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左翼廊


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右翼廊


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天井


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観て回ります。


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説教壇


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1847年に制作された説教壇ですが、その大理石彫刻の大部分は1513年と1520年に制作された、以前の説教壇にあったものが使用されてます。


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Presbiterio


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Presbiterioの下にクリプタの入り口があります。


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クリプタに入りました。


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11世紀に建設されたクリプタです。


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98本の大理石柱があります。


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クリプタの主祭壇


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クリプタのフレスコ画


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制作者不明の「聖アントニオ・アバーテ」(1400c)


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詳細不知


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クリプタの彫刻


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不明


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聖グイドの棺
(つづく)

1パレオロギ城からドゥオーモに向かいます。


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通りの左側にある教会風の建物はMostra delle Attivitaです。


3
パレオロギ城の城壁沿いの道を進みます。


4
Via Domenico Barone


5
Via Domenico Baroneの右側に教会が建ってます。


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サンタ・マリア教会です。


7
サンタ・マリア教会の詳細が分かりませんが、聖別されていない旧教会となってます。


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現在、旧サンタ・マリア教会だった建物は劇場として使用されてます。


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主に室内楽などのコンサートが行われているようです。


10
旧サンタ・マリア教会の道路向かいにドゥオーモの後陣が建ってます。


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ドゥオーモのファサード側に回ります。


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ドゥオーモ広場に出ました。


12
アックイ・テルメのドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ(聖母被昇天)司教座教会です。


13
アックイ・テルメが独立した司教座の所在地になったのは、非常に古く4世頃とされてます。最初の司教は聖マッジョリーノ(アックイ・テルメ、4世紀)とみなされてます。当時の司教座教会の正確な場所が不明ですが、現在のドゥオーモが建っている場所、またはそれに非常に近い場所だったと信じられてます。


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ドゥオーモの案内板


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現在の司教座教会は、11世紀の聖プリモ司教によって創建され、1067年11月11日に聖プリモ司教の後任聖グイド司教(司教在位:1034-1070)によって奉献されました。創建当時はロマネスク様式の教会でした。
このことについては、1845年にアックイ・テルメの司祭館で発見されたモザイクに記載されており、確実な記録として認められてます。


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創建以来、拡大、改造、修復を何度も繰り返しました。


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ファサード前の新古典様式の柱廊は17世紀初頭に建設されました。


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鐘楼


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現在目にする鐘楼は1479年に再建されたものです。


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後陣


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ゴシック様式の後陣


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左翼廊


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ファサードの丸窓


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ファサードの柱廊に入ります。


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メインポータル


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ポータル上ルネッタの彫刻は、ジョヴァンニ・アントニオ・ピラコルテ(カローナ、1455c-ポルデノーネ、1531)の「聖母被昇天」(1481)
中に入ります。


23
(つづく)

1パレオロジ城の城壁です。


2
現在地に城の存在が1056年の文書に初めて記録されたそうです。


3
城建設の由来が明確になっていないようですが、13世紀半ばまでアックイ司教伯爵の居城だった記録が残されているので、アックイ司教、中でもアックイ・テルメの守護聖人でアックイ司教だったエックエザーナ伯爵家のグイド・ダックイ(聖グイド)(メラッツォ、1004c-アックイ・テルメ、1070)が建設したと思われています。他の北イタリアの多くの都市と同じように、当時、公権力は司教によって主導されていました。


4
1168年、ジェノヴァとロンバルディア同盟によって新都市アレッサンドリアが作られました。アレッサンドリアは司教座をアックイから奪おうとして、アックイと敵対するようになりました。
1234年、シュヴァーベン公フリードリッヒ2世の調停によって、アックイとアレッサンドリアとの抗争は一先ず終結したものの、アックイの中で内紛が生じてしまい、国力低下を招きました。


5
内部抗争によってアックイはいくつかの勢力に分裂してしまい、アレッサンドリアや他の敵対勢力に抗しきれず、1278年、遂にアックイはモンフェッラートの支配下に置かれてしまいました。


6
一方、城ですが、アレッサンドリアとの抗争が始まったころに、この城の持ち主グイド家はアックイから立ち去り、城はアックイの政庁舎として使用されました。
1278年、アックイがモンフェッラートの支配下に入ると、城はモンフェッラート侯爵家が派遣する代官の政庁舎兼公舎として使用されたそうです。


7
1306年、モンフェッラート侯爵家は、アックイをパレオロギ家に託すことにして、アックイ侯爵位はパレオロギ家に引き継がれました。パレオロギ家はビザンチン帝国皇族の分家に当たります。
アックイ侯爵パレオロギ家は、この城に居住することになりました。城の名称は1306年のことに由来します。
以降、アックイはモンフェッラートの一部として存在するようになりました。


8
現在の城は、パレオロギ家とはあまり関係がありません。
1430年から1431年にかけてミラノのヴィスコンティ家によって、アックイと近隣の侯爵領地は攻撃占領され、その際、城は破壊されてしまいました。1436年にサヴォイア家の援助を受けて、モンフェッラートとその一部だったアックイもミラノからの支配を脱することが出来ました。
モンフェッラート侯爵家はパレオロジ城を再建しましたが、現在の城はこの再建されたものではありません。


9
1533年、後継者がいなかったパレオロギ家は断絶し、それと共にモンフェッラート全域がマントヴァのゴンザーガ家に引き継がれました。
しかし、16世紀から17世紀にかけて、スペイン、フランスからの攻撃を受けて、再建された城は幾度となく破壊され、その都度修復を繰り返しました。17世紀半ばには修復不能となってしまいました。


10
17世紀半ば、モンフェッラート地区はサヴォイア家の影響が強まっていました。1633年、サヴォイア家はアックイ城の再建工事を開始しました。1708年、アックイを含むモンフェッラート地区はサヴォイア・ピエモンテに併合されました。
パレオロギ城は工事がなかなか進捗しませんでしたが、1815年、ヴィットリオ・エマヌエーレ1世によって完成したのです。この三代目となる建物が現在のパレオロギ城です。


11
城の入り口です。


22
博物館の入り口に向かいます。


12
現在、パレオロギ城は考古学博物館として一般公開されてます。


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博物館の入り口


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中の庭園にある展示物


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博物館の扉


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扉が開きました。


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考古学博物館の展示は大体どこでも同じです。


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24
(つづく)

3前泊地はアレッサンドリアでした。


4
アレッサンドリアから鉄道でアックイ・テルメに向かいました。


5
アレッサンドリアは第二次世界大戦で徹底的に爆撃されてしまい、見所が乏しいのですが、交通の要衝なので時々訪れます。


6
アックイ・テルメに向かう列車の車中は空気を運んでいるようでした。


7
車窓の景色を楽しむにはあまりにも短時間でアックイ・テルメ駅に着いてしまいます。


8
アックイ・テルメ駅に到着しました。


9
アックイ・テルメは、人口18,973人(2024年11月30日現在)のピエモンテ州アレッサンドリア県のコムーネで、温泉で有名です。
紀元前5500年頃には温泉で魅了された人たち、伝説によればギリシャ人と言われてますが、が住み着いたとされてます。


31


11
駅舎


10
駅前広場


12
この日のお宿に向かいます。


13
戦没者慰霊の記念碑?


14
この日のお宿はドゥオーモの横にあります。


15
ドゥオーモの横ですから簡単に行けると思ってました。


16
道が違うことに気付き、振り出しに。


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駅からやり直し。


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地図を見たら、駅前に林があって、林を上るのが最も簡単にドゥオーモに行けそうです。


19
大きな荷物を引いて上ります。それは結構大変で、ドゥオーモまでの写真がありません。


20
ドゥオーモです。


1
このホテルで2泊します。


2
大きな荷物を預かって貰いました。早速町歩きに出かけました。


21
城壁です。


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面白そうな建物


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保険局の建物?


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街角のタベルナコロ


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城に行くことにしました。


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この町の高いところに城があります。


28
城です。


29
(つづく)

P1350085大体見終わって、乗車予定の列車の時間になったので、駅に向かいました。


P1350086
街角のフレスコ画


P1350087
突き当りがドゥオーモです。


P1350088


P1350211
サンティッシマ・トリニタ教会を通り過ぎます。


P1350213
街角のフレスコが多いと思います。


P1350214


P1350215
写真左の建物にもフレスコ画があります。


P1350216
フレスコ画ではなく、浮彫でした。


P1350217
写真左が町役場です。


P1350218
この道の先に駅があります。


P1350219
修復されたばかりの奇麗な道です。


P1350220
塔が見えますが、その詳細が分かりません。


P1350221


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道幅が広い方でしょう。


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駅まで意外に遠かった。


P1350230
突き当りが鉄道駅です。


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P1350233
駅前広場

P1350232
駅に着きました。


P1350234


P1350235
ノヴァーラ行きの列車を待ちます。


P1350236
車内はガラガラでした。


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ノヴァーラ駅に到着しました。


P1350240
サンティア編終わり

P1350070修道院だった建物です。


P1350072
現在、この建物は町営の催事場として使用されているようです。


P1350074
私には、この建物の詳細が分かりません。


P1350075


P1350076
このような表示があるのですが、そのような様子が全くなく、扉が閉まったままでした。


P1350079
例え開館していても、入館者は殆どいないでしょう。


P1350078
時間は十分あったので、町歩きを続けました。


1
塔のフレスコ画


2
何の建物なのか、全く分かりません。


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5
町外れの少し古い建物です。


6
壁龕のフレスコ画


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城壁でしょうか?


8
町外れに行くと、第二次世界大戦の影響が少なかったようで古い建物が残っているようです。


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お腹が空いてきました。


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この横で道路の修復が行われていました。


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この町では賑やかな通りです。


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レストランに入店します。


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張り切って食べました。


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ビール、ワインを飲んだのでトイレが心配。


P1350081


P1350082
この町ともそろそろお別れです。


P1350083
駅に向かいました。


P1350084
(つづく)

P1350056サンティッシマ・トリニタ教会の見学ツアーの時間待ちのブラブラ歩きです。


P1350057
見えている鐘楼はサンティッシマ・トリニタ教会のものです。


P1350060
サンティッシマ・トリニタ教会に出てしまいました。


P1350062
待っている人が誰もいません。


P1350064
見学会なんて本当にあるの? 不安になりました。


P1350058
病院の建物です。


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ドゥオーモにもう一度入りました。


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もう一度ジローラモ・ジョヴェノーネの多翼祭壇画を観ます。


21
満足しました。


P1350059
ドゥオーモから外に出ました。


P1350061
教会の前には相変わらず誰もいませんでした。


P1350031
不安になって町役場に行きました。見学会のことは町役場で聞いたからでした。


P1350063
そうしたらビックリ。係員が外に出て、教会の方を見たら誰もいなかったので、今日は見学会なしと判断したとのこと。こんなことに驚いてはいけません、何せイタリアですから。例のイタリア流です。


P1350065
結局、係員に案内されて私一人の見学会となりました。


P1350066
この教会は宗教活動を停止したEx-chiesaです。


P1350067
修復されましたが、教会としての機能は戻されず、町所有の建物になりました。


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鐘楼


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修復前の主祭壇画


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主祭壇


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修復後の主祭壇画


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P1350071
係員からサンティアに来る奇特な人と思われたようです。


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係員に大いに感謝して別れました。


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P1350069


P1340383
(つづく)

P1350025未だサンティアのドゥオーモです。


P1350170
右側廊


P1350185
教会内のフレスコ画を見ます。


P1350188
詳細不知


P1350191


P1350194


P1350196
外に出ました。


6
ジローラモ・ジョヴェノーネの多翼祭壇画以外に見所があまりないドゥオーモでしたが、彼の作品に圧倒されました。それだけで、この町に来た甲斐があったというものです。


P1350197
ドゥオーモ広場です。


P1350198
ドゥオーモのミサが終わったので、広場に駐車している車が少なくなりました。


P1350199
ドゥオーモの後陣の方に進みます。


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ドゥオーモの鐘楼


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ドゥオーモの後陣です。


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後陣の外観を見る限りかなり古そうに思えます。


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P1350049
更にぶらぶら歩きを続けました。


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P1350051
病院です。


P1350052
ドゥオーモの周囲をあちこち歩きました。


P1350205
ローマ広場です。


P1350206
ローマ広場に面して建つサンティッシマ・トリニタ教会です。


P1350207
サンティッシマ・トリニタ教会の見学会があるので、その時間まで暇潰し。


P1350053
暇潰しが大変でした。


P1350054
町役場の近くです。


P1350055
町外れに進みます。


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サン・ジョルジョ教会です。


17
(つづく)

P1350048引き続きサンティアのドゥオーモ、サンタガタ参事会教会です。


P1350122
左第三礼拝堂です。
この礼拝堂の祭壇を飾る作品が見たくて、わざわざサンティアに途中下車したのです。


P1350125
ジローラモ・ジョヴェノーネ(ヴェルチェッリ、1490c-1555)の「サンティアのサンタガタの多翼祭壇画」(1531)
10枚のパネルから成るポリッティコですが、上段右端のパネルが19世紀に盗まれて欠損しています。盗まれたパネルには「アレッサンドリアの聖カテリーナ」が描かれていたそうです。


P1350124
ジローラモ・ジョヴェノーネの代表作とされている多翼祭壇画です。しかしながら、サンティアという目立たぬ町にあることから、実際に観たことがある美術史家が少なく、埋もれた存在の作品です。


P1350127
多翼祭壇画は上下二段に分かれてますが、この写真はその上段です。


P1350142
上段左から聖ルチア、聖ステファノです。アトリビュートが描かれているので、聖人を特定することができます。


P1350140
左から聖アガタ、聖イシドーロ


P1350128
下段です。


P1350132
下段中央の「聖母子」


P1350133
下段左から聖ロッコ、聖ジョルジョ


P1350149
左から聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖セバスティアーノ


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ジローラモ・ジョヴェノーネの多翼祭壇画上ルネッタに描かれたフレスコ画です。


P1350138
このフレスコ画もジローラモ・ジョヴェノーネの作品説がありますが、私は全く違うと思います。


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左第三礼拝堂のイコン


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カルロ・コスタの「受胎告知」(19世紀中頃)


P1350158
右翼廊礼拝堂


P1350159
右翼廊礼拝堂天井


P1350161
右翼廊礼拝堂の祭壇画(詳細不知)


P1350164
「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(詳細不知)


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P1350166
詳細不知


P1350167
右第三礼拝堂


P1350168
「ロレートの聖母」(詳細不知)


P1350169
サン・ジュゼッペ礼拝堂
(つづく)

P1350111引き続きサンティアのドゥオーモ、サンタガタ参事会教会です。


P1350097
パオロ・エミリオ・モルガーリ(トリノ、1815-1882)の「栄光の聖アガタ」(1862)


P1350098


P1350101
詳細不知


P1350104
パオロ・エミリオ・モルガーリ(トリノ、1815-1882)の「聖アガタ」


P1350106
パオロ・エミリオ・モルガーリの作品


P1350108
パオロ・エミリオ・モルガーリの作品


P1350110
パオロ・エミリオ・モルガーリの作品


P1350112
詳細不知の「聖心」


P1350113
カウンターファサードに置かれている、1861年に制作されたオルガン


P1350114
コリント式列柱


P1350115
この礼拝堂の右にクリプタに向かう階段があります。


7
聖ステファノに捧げられたクリプタ


8
12世紀に建設されたクリプタです。


P1350116
サンティアの聖イグナツィオ礼拝堂


P1350117


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詳細不知の「聖心」


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左側廊


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左側廊から見た身廊中央方向


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右側廊


P1350172
右側廊から見た身廊中央


P1350177
右第二礼拝堂です。


P1350174
ロレンツォ・ハートマンの「キリストの洗礼」


P1350176
パオロ・エミリオ・モルガーリの「父なる神」


P1350179
ロレンツォ・ハートマンの「聖霊降臨」


P1350181


P1350182


P1350183
(つづく)

P1350026サンティアのドゥオーモ、サンタガタ参事会教会 Collegiata di Sant'Agataです。


P1350047
教会の起源は不明とされてますが、10世紀の記録に、現在の場所に聖アガタに捧げられた教区教会の存在が記載されているそうです。そのため、10世紀以前に最初の建物が建設されたことは明白ですが、11世紀にヴェルチェッリ大司教がサンティア村に大司教区に属する教会建設を決め、最初の建物が取り壊され、11世紀に創建され、12世紀に完成したロマネスク様式の建物が二番目です。


1
教会の建物と鐘楼がアンバランスに見えます。それは当然で、教会の建物は新古典様式で19世紀に再建された三番目となるものです。ロマネスク様式の鐘楼は二番目の建物の鐘楼として12世紀に建設されました。


2
1377年、サンティアはヴェルチェッリ司教とミラノのヴィスコンティ家からサヴォイア家に引き渡されました。ところがサヴォイア家は、軍事的重要性があって屡々戦いの場となるサンティアの防衛に対して消極的に終始したことから、サンティアはフランスとスペインの抗争の戦場となってしまいました。サンタガタ教区教会も二強国間の争いに巻き込まれ、教会の歴史は破壊と修復の繰り返しとなりましたが、19世紀に二番目の建物は最早修復では危険と判断されて、再建が決まりました。
そうして、建築家ジュゼッペ・マリア・タルッキ(トリノ、1782-1863)が起用され、タルッキの設計によって1836年に再建された新古典様式の三番目となる建物が現在の教会本体の外観となってます。
 美術ファンにとってのサンティアのドゥオーモは、ジローラモ・ジョヴェノーネの多翼祭壇画(1531)の傑作に尽きると思います。勿論、私はジョヴェノーネの傑作目当てでサンティアに来たわけです。


3
鐘楼を見ます。


P1350035
鐘楼は12世紀に建設されました。
12世紀に建設されたサント・ステファノに捧げられたクリプタも現存しています。


4


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煉瓦造りの鐘楼


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柱廊付きのファサードです。


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ファサード柱廊に置かれた彫刻


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ファサード柱廊のフレスコ画


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柱廊天井


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拝観します。


P1350091
中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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P1350094
パオロ・エミリオ・モルガリ(トリノ、1815-1882)の「栄光の聖アガタ」(1862)


P1350095
中央礼拝堂


P1350099
主祭壇


P1350096
(つづく)

P1350012エドモンド・デ・アミーチス通りです。


P1350013


P1350014
町役場はもう直ぐです。


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特徴がない普通の建物ばかりです。


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エドモンド・デ・アミーチス通りを進みます。


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左の建物の壁にフレスコ画があります。


P1350020
ローマ通りとの交差点です。


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突き当りが町役場ですが、修復工事中でした。


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修復工事後の町役場


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町役場で地図を頂戴しました。


43


P1350031
ローマ広場です。


P1350032
ローマ広場に面して教会が建ってます。(写真右)


P1350024
サンティアのドゥオーモ、サンタガタ(聖アガタ)参事会教会です。


P1350023
扉が開いていたので、中に入るとミサ中でした。ミサが終わることを見計らって拝観することにしました。それまで別の場所に行きます。


P1350027
ローマ広場が町の中心です。


P1350028
この日、広場は駐車場になっていました。


P1350029


P1350049
町外れにある城に行くことにしました。


P1350050
狭い町なので、町外れと言っても直ぐ傍になります。


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橋を渡ります。


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町外れの建物は朽ちてます。


40
城が見えてます。


42
Castello di Vettigneです。


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15世紀に建設されました。


38
長らく放置されていたため、中に入るのは危険です。


39
城の入り口です。


P1350033
ローマ広場に戻ります。


P1350030
ローマ広場です。


P1350025
ミサが終わったようです。
(つづく)

P1340714前泊地はピエモンテ州のビエッラでした。


P1340979
駅に向かいました。


P1340978
ビエッラ駅です。


P1340980
鉄道でサンティアに向かいます。


P1340981
ビエッラからサンティアまでは一時間に一本の列車があります。


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車中から見えた山々。


P1340984
サンティア駅に到着しました。


P1340985
サンティア駅舎


P1340986
サンティアは、人口8,109人(2022年12月31日現在)のピエモンテ州ヴェルチェッリ県にあるコムーネです。


P1340987
この日、目的地はオルタだったのですが、鉄道利用でオルタに行くには一日1本しかない列車に乗車する必要がありましたが、その列車待ちのためにサンティアで途中下車しての町歩きでした。
それはその通りでしたが、サンティアに来た目的は、ジローラモ・ジョヴェノーネの傑作「サンティア・ドゥオーモの多翼祭壇画」を観るためでした。


P1340988
サンティアの旧市街に向かいます。


P1340989
サンティアは古い歴史を持つ町で、青銅器時代には集落があったと考えられてます。紀元前2世紀末にローマの支配下に入ったそうです。


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町並みが新しいのは、第二次世界大戦直後にドイツ軍残党によって攻撃され、略奪されたからと言われてます。


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第二次世界大戦中の住民の犠牲とパルチザン闘争の活動で有名です。


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古い建物は一部を除いて殆ど残っていないようです。


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町役場と参事会教会がある広場へと進みました。


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左折しました。


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この先に城がありますが、城は後回し。


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タベルナコロを発見!


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誰が描いたのか?


P1350002
特徴があまり見られない町のようです。


P1350003


P1350004
戦後に都市計画に基づき再開発されたので、道幅が広い町です。


P1350005
見知らぬ町を歩くのが結構好みです。


P1350006
観光客が滅多に訪れないのか、珍しそうに私を見ている視線が気になりました。


P1350007
じろじろ見ている婆さんが警察に連絡することも珍しくないようです。


P1350008
地図を持っていないので只管勘を頼りに歩きました。


P1350009
左折すれば市庁舎と参事会教会があるようです。道案内があって良かった!


P1350010
地図がないときに限って道に迷うことが少ない私です。


P1350011
(つづく)

P1290020次は市立博物館です。


P1290021
市立博物館と音楽学校が置かれているPalazzo Cutticaです。


P1290022
入館します。


P1290023
この時は写真不可でした。


P1290024
Palazzo Cutticaの中庭


P1290025
リベルタ広場に戻ります。


P1290029
お馴染みのPalazo Ghiliniです。


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Palazo Ghiliniの正面ファサードです。


P1290028


P1290030
リベルタ広場です。


P1290031
広場に面して建つPalazo Ghiliniです。


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市庁舎


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午後5時過ぎですが、日差しが強烈です。


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日曜日の夕方なので人出が多い。


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P1290038
流石に疲れてきました。


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P1290041
ローマ大通りです。


P1290042
銀座通りが何処にでもあるようにイタリアではローマ通りがそれに相当します。


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突き当りはサン・ロレンツォ教会です。


P1290046
ガリバルディ広場近くです。


P1290047
駅前の公園が見えてきました。


P1290048
ガリバルディ広場です。


P1290049
ホテルに戻りました。


P1290050
翌朝です。


P1290051
鉄道で次の目的地に向かいました。


P1290052
(アレッサンドリア編おわり)

P1290007観光客が殆ど訪れないアレッサンドリアです。


P1290008
アレッサンドリア市当局も観光に力を入れていない気がします。


P1290009
リベルタ広場に向かいます。


P1290010
ドゥオーモの鐘楼が見えてます。


P1290011
県庁舎として使用されているギリーニ宮殿です。18世紀に建設されたピエモンテ・バロック様式の建物で、1869年にアレッサンドリア県議会によって購入されたそうです。


14
アレッサンドリアの有力貴族ギリーニ侯爵家の邸宅として建設されました。


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Palazzo Ghiliniの入り口


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ドゥオーモの直ぐ傍にギリーニ宮殿が建ってます。


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ドゥオーモに向かいます。


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見所が乏しいドゥオーモですが、ここまで来たからには外せません。


P1290012
ギリーニ宮殿を通り抜けます。


P1290013
パルマ通りです。


P1290014
市立博物館の入館を後回しにしてドゥオーモの拝観を先にします。


P1290019
ドゥオーモにやってきました。


P1290015
サンティ・ピエトロ・エ・マルコ司教座教会です。


P1290016
扉が開いていました。


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中に入りました。


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中央礼拝堂


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Presebiterio天井


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フレスコ画の帰属は分かってます。


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クーポラ


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アレサンドロ3世と縁が深いアレッサンドリアです。


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身廊天井の装飾


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P1290017
外に出ました。


P1290018
(つづく)

P1280973サン・ジョヴァンニーノ教会です。


P1280974
後陣天井のフレスコ画


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外に出ました。


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外に出ましたが、特に見たいところがありませんでした。


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この日は日曜日だったので、夕方前でも人出がかなりありました。


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ピエモンテの夏は、晴天でも涼しく過ごしやすいのが特徴です。


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サン・ロレンツォ通りです。


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サン・ロレンツォ通りとモデナ通りとの交差点です。


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Via Luigi Testore


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Via Giuseppe Verdiにあるレストランはかなり美味でした。


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石畳の道が続きます。


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何処を歩いても同じ感じがします。


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(つづく)

P1270229翌朝です。


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この日は、他のコムーネへの日帰り遠足をしました。


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アレッサンドリアに帰ってきました。


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一旦ホテルに戻ります。


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一日中歩いたので、足が棒のよう。


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駅前公園にある戦勝のモニュメント


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天気が良い暑い日でした。


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ガリバルディ広場は駐車場になっていました。


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青空市の開市日は一般車の駐車禁止です。


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この後ですが、夕食のためにホテルを出ただけで終わりました。


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翌日です。この日も日帰り遠足でした。


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夕方、アレッサンドリア駅に到着したら国際列車が停車中でした。


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ホテルに戻ります。


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ホテルに戻りました。


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疲れていましたが、頑張って外出しました。


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見所が乏しい街ですが、折角来たからには街歩きをすることに。


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何か新しい発見があるかも知れないと思いました。


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この街に来るのは、これが最後ですから。


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サン・ジョヴァンニーノ教会が開いていました。


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拝観します。


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中に入りました。


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(つづく)

P1270200ジュゼッペ・アントニオ・チェンナ通りの先に教会があります。


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サンタ・ルチア教会です。昼下がりのこの時間帯には扉が閉まってます。


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この場所には、13世紀に建設されたサン・ジョヴァンニ・デッレ・レーン教会が建っており、15世紀には約50人の修道士が住む修道院教会となっていました。16世紀末から17世紀初めにかけて、修道院教会はサンタ・カテリーナ、サンタ・ルチア、サン・パオロ、サン・ウルバーノ同信会の本拠地になりましたが、18世紀になると建物の経時劣化が進み、危険となったので、建物の再建が決まりました。しかし、資金難によって修道院教会としての複合施設の建設は難しいと判断されました。そうして、1751年に最初の建物の取り壊し工事が開始され、1759年に完成した二代目の建物が現在の姿となってます。
1759年11月1日に再建された教会の奉献式が執り行われましたが、それを機に教会の名称がサンタ・ルチア教会となりました。


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サンタ・ルチア小広場に面してファサードがあります。


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ミラノ通りです。


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Via Migliara


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Via dei Martiriになります。


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この先にあるタベルナコロを見ます。


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タベルナコロ


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人通りが少なくなりました。


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Via Vochieriです。


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この先に教会があります。


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受胎告知教会 Chiesa dell'Annunziataです。


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14世紀にアゴスティーノ会修道士によって建設された修道院教会が前身です。


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最初の建物が経時劣化によって危険になったので、1759年から1761年に再建された二代目の建物が現在の姿となってます。


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現在の外観は相当劣化していると思われ、恐らく宗教活動を停止した廃教会になっているように見えます。


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受胎告知教会から直ぐの場所に、もう一つ教会があります。


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サンティ・アレッサンドロ・エ・カルロ教会です。


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1742年9月9日創建、1758年5月7日に奉献されたバロック様式の教会です。


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中に取り壊された古いドゥオーモの祭壇画があるようです。


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ファサードの聖ルイージの彫刻


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教会の後陣は修復工事中でした。


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鉄道駅近くの公園です。


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市立劇場です。


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(つづく)

P1270189引き続きサン・ジョヴァンニーノ教会です。


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Presebiterio天井のフレスコ画


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礼拝堂を見て回ります。


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聖ジョヴァンニーノ


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聖カルロ・ボッロメーオ


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カウンターファサードにあるオルガン


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外に出ます。


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外に出ました。帰属が分からない作品ばかりでした。


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酔い覚ましのブラブラ歩きを続けます。


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先ずはトイレ休憩です。


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ワイン、ビール、ミネラルウオーターを飲めば、トイレが近くなるのは当然です。


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お昼過ぎは教会の扉が閉まってます。


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映画館がありました。


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教会らしき建物が見えてきました。


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ローマ通りです。


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写真右の教会の建物はベネトンです。


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(つづく)

P1270150経済的にアレッサンドリアは裕福とされている人たちが多いとされてます。


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我が家近くのこの店があればバジルの鉢を買いたかった。


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お馴染みのガリバルディ広場です。


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この店で昼食です。


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この店の営業時間です。


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昼の開店直後だったので、空席ばかりでしたが、直ぐに満席になりました。


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ワインを飲みながらフルコースで食べたと思いますが、写真を撮ったのが二枚だけ。


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お腹が空いていたので、食べることに夢中で、写真に気が回らなかったようでした。


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お腹一杯になりました。


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酔い覚ましの散歩です。


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グリエルモ広場です。


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青空市は間もなく閉市時間を迎えます。


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サン・ジョヴァンニーノ教会に向かいました。


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レニャーノ通りです。


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サン・ジョヴァンニーノ教会にやってきました。


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奉献する聖人は、幼き洗礼者ヨハネです。余計ですが、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会とどう違うのか、私にはよく分かりません。


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13世紀に懺悔運動の一環としてアレッサンドリアに設立された最も神聖な十字架同胞団 Veneranda Confraternita del Santissimo Crocifissoの本拠地です。
同同胞団によって、1484年に教会の建設が決定され、1524年創建、1529年に完成しました。ところが、1706年10月14回、近隣にあった倉庫の爆発と火災によって、建物は深刻な被害を受けてしまい、修復不能と判定されました。建物の再建が決まりましたが、資金難によって着工の目途が立たない状況が数年続いたそうです。同胞団の資金集めと当時のアレッサンドリア司教の支持によって、再建が具体化しました。1709年8月29日の聖ジョヴァンニ・バッティスタ斬首の日、最初の建物の取り壊し工事が開始され、その上に新しい建物が建設され、1731年に完成しました。その再建されたバロック様式の建物が現在の姿となってます。


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ファサードの彫刻


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ファサードの壁龕に置かれた彫像


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拝観します。


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中に入りました。


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翼廊がない単廊式、バロック様式の内部です。


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右側壁


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主祭壇


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主祭壇の「磔刑」


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バロック様式とあって、壁の殆どが装飾されてます。


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(つづく)

P1270120折角来たからには、頑張って歩くよりありません。


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古い修道院だった建物です。


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この辺が何処だったのか、思い出せません。


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鐘楼が見えてますが、何処のものか、分かりません。


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雨がかなり降ってきました。


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このまま進むとドゥオーモに出ます。


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右折すればドゥオーモ広場です。


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ドゥオーモに出ました。


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昼食のトラットリアの開店時間が未だなので、ブラブラ歩いて時間潰しをしました。


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雨が小降りになりました。


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特徴がない建物ばかりです。


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サン・ロレンツォ通りです。


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ローマ大通りです。


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ここもローマ大通りになります。


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ローマ大通りを進みます。


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モデナ通りとの交差点です。


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カリオ・カニッジャ通りです。


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ガリバルディ広場に戻ってきました。


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(つづく)

P1270102サン・ジャコモ通りです。


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サン・ジャコモ通りに面して教会が建ってます。


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サン・ジャコモ・デッラ・ヴィットリア教会です。


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1391年7月25日、ヴェローナの指導者で傭兵隊長ヤコポ・ダル・ヴェルメ(ヴェローナ、1350-1409)に率いられたアレッサンドリア市とヴィスコンティの連合国軍は、ジョヴァンニ3世・アルマニャック(フランス語読みではジャン3世・アルマニャック)(アルマニャック、1359c-アレッサンドリア、1391)の率いるフランス軍に勝利しました。ジョヴァンニ3世・アルマニャックはその戦いで戦死しました。また、ヤコポ・ダル・ヴェルメはヴィスコンティ家に雇われた傭兵隊長を務めていました。
7月25日は、聖ジャコモ(聖ヤコブ)の日に当たります。
その勝利の感謝のために、傭兵隊長ヤコポ・ダル・ヴェルメは、アレッサンドリア市に新しい教会建設の建議を行いました。そうして、1392年に創建され、1405年に完成したのがサン・ジャコモ・デッラ・ヴィットリア教会です。完成と同時にサンタゴスティーノ修道会に引き渡されました。1814年までサンタゴスティーノ修道会の修道士所有の教会でした。


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奉献は15世紀初頭に行われました。


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1405年に完成した教会は、時間の経過とともに多くの改造、改修工事が行われ、オリジナルの姿は失われてしまいましたが、再建されたものではありません。ファサードはルネサンス様式です。


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1814年、教会活動は停止され、建物は病院として使用されました。その後、警察署の倉庫、宿舎として使用されるようになりましたが、1871年に教会として機能が復活され現在に至ってます。


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単廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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Maestro di Ada Negriに帰属する「授乳の聖母」(1395)


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主祭壇の贖いの聖母


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例によって地図を見ないで適当に歩きました。


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適当に歩いていては、元々見所が乏しいアレッサンドリアなので、地図を見ました。


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サン・ジョヴァンニーノ教会に向かいます。


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サン・ジョヴァンニーノ教会はローマ大通りに建ってます。


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ここでペッタンコの桃を買いました。この桃は美味なので、この季節に来る時の楽しみの一つです。


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お腹が空きました。


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サン・ジョヴァンニーノ教会は午後も開いているので、拝観を後回しにしました。


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疲れたので、一旦ホテルに戻って一休みしてから昼食に出ることに。


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早朝から動いてばかりだったので、少し疲れました。


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昼近くなって人出が多くなってきました。


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イタリア人は傘が嫌いと思ってますが、雨がポツリポツリと落ちてきた途端、傘をさした人がいたのでビックリ。


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ホテルに戻りました。


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(つづく)

P1270042ドゥオーモから外に出ました。


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この辺は、第二次世界大戦で爆撃を受けたので、戦後に再建された建物が多いそうです。


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サン・ロレンツォ教会に向かいました。


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3時ごろに起床したので、少し眠くなってきました。


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サン・ロレンツォ通りを進みます。


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路上駐車している車列を見ると、戦災を受けた街なので、もう少し都市計画に基づいて復興すれば良かったと勝手に思います。


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サン・ロレンツォ教会にやってきました。


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扉が開いていました。


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13世紀頃に、この場所に既に存在していたサンティ・ロレンツォ・エ・クレメンテ教区教会がありましたが、それが前身です。
1347年から1350年にかけて、教区教会の近くにあったサンタ・マリア・デッラ・コルテ教会と合併され、それを機に修道院教会の複合施設として増築されましたが、それ以降、単にサン・ロレンツォ教会と呼称されるようになりました。合併後、程なくして参事会教会に格上げされました。


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1565年、建物の構造に致命的な欠陥があることが判明し、直ちに大規模な改造工事が着手され、1580年までに工事完了となりました。また、修道院教会の建物は改造によって縮小されました。


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18世紀中頃になると、経時劣化によって建物に危険な箇所が幾つも出てきたことから、最初の建物を取り壊して、その上に新しい建物の建設が決まりました。
地元アレッサンドリア出身の建築家ジュゼッペ・ドメニコ・トロッリが起用され、トロッリの設計によって1770年から1772年にかけて建設された二代目の建物が現在の姿となってます。


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19世紀末に修復されました。


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拝観します。


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中に入りました。


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右側壁


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左側壁


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天井の装飾


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楕円形の単身廊、バロック様式の内部です。


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中央礼拝堂


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後陣とクーポラのフレスコ画は、ピエトロ・アントニオ・ポッツォ(1727-1788)によって1770年に制作されました。


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇画(詳細不知)


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ピエトロ・アントニオ・ポッツォ(1727-1788)の「受胎告知」


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ピエトロ・アントニオ・ポッツォ(1727-1788)の「ご訪問」


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カウンターファサード方向


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カウンターファサードにあるオルガン


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「磔刑像」(詳細不知)


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詳細不知


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詳細不知


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祈るキリストのイコン(詳細不知)


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外に出ました。
(つづく)

P1260998引き続きドゥオーモです。


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主祭壇


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中央扉は普通閉まってます。


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市の名称は、教皇アレッサンドリア3世に因んでいます。


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「聖家族」(詳細不知)


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「聖ジュゼッペ?」(詳細不知)


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サン・ジュゼッペ礼拝堂です。


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フィリッポ・パロディ(ジェノヴァ、1630-1702)の「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」(1702)


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サン・ジュゼッペ礼拝堂のフレスコ画


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聖バウドリーノの墓です。


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聖バウドリーノという聖人については初めて知りました。


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Antico altare della Madonna della Salve(18世紀)


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1803年、ナポレオン率いるフランス軍によって破壊された、以前の大聖堂にあった礼拝堂です。


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詳細不知


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かなり多くの作品がありますが、それらの殆どが分かりません。


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贖いの聖母礼拝堂


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拝観を終わります。


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外に出ました。


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ドゥオーモ広場に面して建っている司教館です。今は神学校になってます。
(つづく)

P1260950引き続きアレッサンドリアのドゥオーモ、サン・ピエトロ司教座教会です。


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磔刑の礼拝堂


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木製の磔刑像(15世紀後半)


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)に帰属する「聖母子と聖人たち」


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568-モンカルヴォ、1625)に帰属する「キリストの神殿奉献」


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詳細不知の「幼きキリストへの崇拝」


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詳細不知の「マギの礼拝」


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次は左第二礼拝堂です。


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左第二礼拝堂の主祭壇画


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詳細不知


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この「聖母子」は有名です。


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逸名画家作「Madonna dell’Uscetto」(14世紀初頭)


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サンタ・カテリーナ礼拝堂です。


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サンタ・カテリーナ礼拝堂の左側壁にある作品(詳細不知)


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次の礼拝堂です。


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礼拝堂左側壁にある祭壇画(詳細不知)


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木製磔刑像(16世紀後半)


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天井に描かれたフレスコ画「我に触れるな」(詳細不知)


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マドンナ・デッラ・サルヴィ礼拝堂です。


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「聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(詳細不知)


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マドンナ・デッラ・サルヴィ礼拝堂の天井


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(つづく)

P1260928ドゥオーモ広場です。


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アレッサンドリアのドゥオーモです。アレッサンドリア司教区の司教座が置かれてます。


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正式名称は、サンティ・ピエトロ・エ・マルコ司教座教会 Cattedrale dei Santi Pietro e Marcoとなってます。しかし、サン・ピエトロ大聖堂が前身だったことから、一般的にサン・ピエトロ大聖堂と呼ばれてます。


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アレッサンドリア市の創立日は、1168年5月3日とされ、神聖ローマ帝国に対するロンバルディア同盟を支持した第170代教皇アレッサンドロ3世(1100c‐1181 教皇在位:1159‐1181)に敬意を表して、市の名称をアレッサンドリアと命名したとされてます。アレッサンドリアはロンバルディア同盟に加盟していました。
サン・ピエトロ教会は、アレッサンドリア市の創立以前に既にその地域の中心教会として存在していました。恐らく8世紀頃に建設されたとされてます。
市の創立を機に、宗教的だけでなく、市民のため、政治的、戦略的な意味から、大きな教会を建設する必要性が高まり、その建設が決定されました。
そうして、1170年に最初の建物が取り壊され、その上に2番目のロマネスク様式の建物が1175年に完成し、1175年に奉献式が執り行われました。


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2番目の建物の寓意図(13世紀)
左側に2番目の建物のファサードが描かれてます。


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18世紀半ばに描かれたサン・ピエトロ大聖堂
13世紀後半、サン・ピエトロ教会に司教座が置かれることになり、2番目の建物は一部を除いて取り壊され、1288年から1297年にかけて殆ど再建に近い形態で大改造、増築工事が行われました。
18世紀半ばに描かれたサン・ピエトロ大聖堂の姿は、1288年から1297年にかけて行われた大改造、増築後の姿を留めていると言われてます。


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18世紀半ばに描かれたサン・ピエトロ大聖堂


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1797年、ナポレオンのイタリア侵攻によって、サン・ピエトロ大聖堂はフランス軍の本部として接収されてしまいました。そして、1803年、フランスの軍事的理由からサン・ピエトロ大聖堂は破壊されてしまいました。
フランス軍の撤退後、アレッサンドリアの司教座教会の再建が決定され、1807年から1810年に建設された新古典様式の建物が現在の外観の原形となってます。1810年に新大聖堂の奉献式が執り行われましたが、それを機に奉献する聖人が聖ピエトロに加えて聖マルコの二人となって大聖堂の正式名称が前述のように変わりましたが、それにも拘らず依然としてサン・ピエトロ大聖堂と呼ばれるのが普通となってます。


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現在の外観は、1874年から1879年に行われた大改修後の姿となってます。
聖堂内部は、1925年の火災によって大きな被害を受けましたが、その後、直ちに大修復工事が行われ、1929年に完成した新しいものです。
第二次世界大戦で、大聖堂の周囲は激しい爆撃を受けましたが、大聖堂自体の被害は幸いにも非常に軽微にとどまったそうです。
ファサードは1820年から1822年に建設されました。


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クーポラは1875年から1879年にかけて建設されました。


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1889年に建設された鐘楼です。


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ファサードのフレスコ画は、1889年と1922年に制作されました。


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ファサードのフレスコ画


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ファサードのフレスコ画ですが、私には分かりません。


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中央扉上ルネッタに描かれたフレスコ画


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ファサードに置かれた彫刻は、1803年に取り壊された建物にありました。


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1803年に取り壊された建物のファサードにあった彫刻


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


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右側廊方向


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身廊天井の装飾


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クーポラ


P1260940
クーポラ


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Presebiterio


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Presebiterio前から見たカウンターファサード方向


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後陣天井


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主祭壇


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詳細不知


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詳細不知


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右側廊


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比較的新しい建物なので、若干見所に欠けます。


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取り壊された建物にあった作品が注目に値します。
(つづく)

P1260903アレッサンドリアは観光客が滅多に行かない街と思います。


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ギリシャ美術館です。この時間は開いていません。


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1931年から1932年に建設されたPalazo della Camera di Commercioにギリシャ美術館が置かれてます。


P1260905
Palazo della Camera di Commercioは第二次世界大戦で爆撃を受けましたが、戦後に修復されました。


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この辺は新しい建物が多い地区です。


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カルドゥッチ広場です。


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北に向かって進んでます。


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右折すると直ぐに大きな広場が見えてきました。


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早朝にボローニャを出発したので、未だ9時前でした。早い時間にアレッサンドリアに到着する必要は全くありませんでしたが、その後になると列車の接続が悪くなるばかりか、大回りしないとアレッサンドリアに来ることが出来なかったのです。
街の中心リベルタ広場に来ました。


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この建物は市庁舎です。


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市庁舎は1772年に創建され、途中、工事が中断されましたが、1830年に完成しました。ファサードの色からPalazzo Rossoとも呼ばれてます。3連時計が特徴です。
1944年、連合国軍によって爆撃され、大きな被害を受け、戦後に殆ど再建に近い形で大修復されました。


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かって宮殿内に市立劇場が設けられ、オペラが上演されていました。1944年、爆撃された宮殿内の市立劇場は壊滅的に破壊されてしまい、戦後になって復興計画が立案されたものの、実行されることはなく現在に至ってます。


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リベルタ広場


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リベルタ広場に面して建つ市立劇場です。


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市立劇場


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リベルタ広場は駐車場になってます。


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1732年に創建され、19世紀半ばに完成したPalazzo Ghiliniです。


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アレッサンドリアのギリーニ侯爵家の住居でしたが、19世紀にサヴォイア家の宮殿になりました。1869年に州議会が買収され、アレッサンドリア県の県庁舎として使用されるようになりました。


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県庁舎近くのドゥオーモに向かいます。


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この通りの突き当りにドゥオーモがあります。


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アレッサンドリア司教区の司教座が置かれているサン・ピエトロ大聖堂です。


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アレッサンドリア大聖堂については、(その3)で詳しく触れることにします。


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ナポレオンの命令によって建物が破壊されてしまったので、ナポレオンの失脚後に再建されました。そのため、現在の外観は新しく見えます。


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次は市立美術館です。


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18世紀に建設されたPalazzo Cutticaです。


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Palazzo Cutticaに市立美術館が置かれてます。


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ファサード柱の彫刻


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入館します。
この時、館内が写真禁止だったので、私の写真がありません。以下は外部サイトから拝借した作品等の写真です。


5
ガンドルフィーノ・ダ・ロレートの「聖母戴冠」


6
ガンドルフィーノ・ダ・ロレートの「受胎告知」


4
天井の装飾


3


1


2


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外に出ました。
(つづく)

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朝早い時間の旅立ちだったので、ボローニャ駅前のホテルに泊まっていました。


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時刻は4時31分、季節は夏でした。


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ボローニャ駅です。


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車内は非常に空いてました。


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途中駅でアレッサンドリア行きの列車に乗り換えました。


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アレッサンドリア駅に到着しました。


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アレッサンドリアは、人口91,257人(2023年8月31日現在)のピエモンテ州アレッサンドリア県の県都です。


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アレッサンドリア駅の駅舎です。


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駅前の公園を通り抜けて、この日のお宿に向かいました。


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ガリバルディ広場です。


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ガリバルディ広場は青空市の開市日でした。


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この日のお宿はガリバルディ広場の裏手にあります。


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北イタリアの3つの主要都市であるトリノ、ジェノヴァ、ミラノの三角形のほぼ中心に位置しているアレッサンドリアは、鉄道と高速道路のハブとして重要です。


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この日のお宿です。


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大きな荷物をホテルに預けて身軽になって、街歩きに出発しました。


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ガリバルディ広場の柱廊


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ガリバルディ広場全体の写真は青空市の撤去後に撮った方が良いようです。


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時計がある建物は郵便局です。


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交通の要衝のアレッサンドリアは、第二次世界大戦中に徹底的に爆撃されました。ムッソリーニ時代には米英軍に、そして連合国側となった第二次世界大戦後期にはドイツ軍によって爆撃されたのです。


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そのため、多くの建物は大戦後に建設された、比較的新しいものが多いのです。


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街の中心部に向かいます。


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アレッサンドリアの中心はドゥオーモがあるリベルタ広場でしょう。


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サン・ロレンツォ通りです。


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この通りの先にサン・ロレンツォ教会があります。


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平日の朝でした。


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アレッサンドリアに来た目的は、鉄道が便利なのでアレッサンドリアを起点にピエモンテの各地に行くためのベースにするためでした。


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サン・ロレンツォ教会が見えてきました。


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サン・ロレンツォ教区教会はサン・ロレンツォ通りとモデナ通りとの交差点にあります。


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13世紀頃に、この地に既に存在していたサンティ・ロレンツォ・エ・クレメンテ教区教会が前身です。1347年から1350年にかけてサンタ・マリア・デッラ・コルテ教会との合併を機に修道院教会の複合施設として増築され、それと共に参事会教会に格付けされました。
この時は扉が閉まっていたので、後で拝観することにしました。


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1565年、建物の構造に致命的な欠陥があることが分かり、1580年まで大規模な改造工事が行われ、修道院教会の規模が縮小されました。


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街角のタベルナコロ
(つづく)

1突き当りはサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。


2
コッレッジョ通りです。


3
再びトリノ通りに。


4
ドゥオーモのファサードをもう一度見ます。


5
雨が降って、一旦薄日が出たものの、またまた雲が厚くなってきました。


6


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キヴァッソのドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ参事会教会です。


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ファサードのテラコッタ彫刻を見ます。


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トリノ通りを東方向に進みます。


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サンティ・サン・ジョヴァンニ・バッティスタ・エ・マルタ教会です。


21
教会の扉は閉まったままでした。


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教会の前を通り過ぎました。


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昼食の時間でしたが食欲無し。


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前日深夜までオペラを観て、それから深夜の食事を摂ったので胃が重かった。


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サン・マルコ通りです。


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Presepiのお店です。


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ショーウィンドウを覗き込みました。


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クリスマス・シーズン以外にも売れるのでしょうか?


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ポポロ広場


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ローマ通りです。


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この日ですが写真右のHotel Ritzも満室でした。


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少し食べないと夕食まで持たないと考えて、入ったジャンク・フード店が最悪でした。


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ホテルに戻ります。


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ホテルに戻りました。


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ホテル内のフレスコ画


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ホテルの壁のあちこちにフレスコ画があって暇つぶしになりました。


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自室からの眺め


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翌朝、次の目的地ビエッラに鉄道で向かいました。
(キヴァッソ編 おわり)

1雨が完全に止みました。


2
雨宿りをしていた人たちが外に出てきたようです。


3
キヴァッソの見どころの一つになっているフレスコ画を探しました。


4
どうやら写真左の建物が目的のフレスコのようです。


5
聖母の結婚? 痛みが激しいフレスコ画です。


6
トリノ通りです。


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日陰では乾きが遅い。


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ローマ通りとトリノ通りの交差点。


9
ローマ通りです。


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同じ通りでも場所によって通りの名称が良く変わるのがイタリアです。


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トリノ通りを西方向に進みました。


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薄日が漏れてきました。


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先ほどのフレスコ画の前を通り過ぎました。


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この先にドゥオーモがありますが、違う道を通ってドゥオーモのファサード前に出る予定でした。


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ジュゼッペ・ポルラ通りです。


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サン・フランチェスコ修道院に向かいました。


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18世紀に建設されたサン・フランチェスコ修道院の建物です。


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ナポレオンのイタリア侵攻によって、活動が抑圧され、19世紀初頭にサン・フランチェスコ修道院は閉鎖されてしまい、修道士が追放されました。


18
サン・フランチェスコ修道院だった建物は、1888年からベアート・アンジェロ・カルレッティ幼稚園として使用されるようになり、現在に至ってます。


20
この先には見所がなさそうです。


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Via Caduti per la Libertaです。


22
ポー川の近くになります。


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共和国広場に戻りました。


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この先に緑がありますが、緑地の下にポー川が流れてます。


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ポー川に行かないことにしました。


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違う道を通って旧市街を歩きました。


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旧市街域が狭いので、同じところに来てしまいます。


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街外れに出てしまいました。


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旧市街を一周したようです。


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Via Caduti per la Liberta


34
(つづく)

1引き続きサンタ・キアラ女子修道院だった建物です。


2
アントニオ・ファレッティ(バローロ、1671-1760)によって1739年に創建され、18世紀中頃まで建設が行われましたが、当初計画があまりにも大きくて費用が予算オーバーとなったので、未完のまま工事が中断され、現在に至ってます。イタリア統一後に市庁舎に転用されるようになりました。


3
1739年に創建された建物は、実はサンタ・キアラ女子修道院としての二代目となるものです。
キヴァッソのサンタ・キアラ女子修道院の初代の建物は、修道女ベアータ・バルトロメア・ガルレッティ(キヴァッソ、1425/1435-1508c)によって1486年から1505年に建設されました。


4
修道女たちの僧房です。


5
旧修道院の中庭です。


6
建物の端に修道院に付属するクラレス教会だった建物があります。


7
現在見ることが出来る旧クラレス教会は1702年に再建されたもので、ナポレオンのイタリア侵攻によって教会と修道院は閉鎖されてしまいました。


8
サンタ・キアラ女子修道院だった区域から外に出ました。


9
Piazza Carita


15
Piazza Caritaは広大な駐車場になってます。


11
駐車場の入り口です。


10
この辺はもう街外れに相当します。


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写真左中央の茶色の建物が有名です。


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18世紀に建設された後期バロック様式のPalazzo Tesioです。


14
現代イタリアの自治と連邦主義の基礎となった「キヴァッソ憲章」が1943年12月19日に、このPalazzo Tesioで締結されました。


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トリノ通りをドゥオーモ方向に戻ります。


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写真左は先ほどトイレ休憩したバールです。


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サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会のファサード前を通過しました。


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ドゥオーモの鐘楼


20
とうとう雨が落ちてきました。


21
天気予報が当たりました。


22
アルプスから寒気が入ってきたそうです。


23
雨が強くなったので柱廊に避難。


24
柱廊で雨宿りをする人がいました。


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ドゥオーモで雨宿りしました。


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雨脚が弱くなったので、ドゥオーモから外に出ました。


27
イタリアでは雨男です。


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傘を持っていても差さない人がかなりいます。


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雨が降ったので、人通りが減りました。


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夏のピエモンテは天気が急変することがあります。


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この辺ではローマ通りになります。


34
(つづく)

1引き続きドゥオーモの内部です。


2
詳細不知の天使の彫刻


3
詳細不知の天使の彫刻


4
「聖母子と四聖人」を再見


5
「三位一体と聖人たち」を再見


6
天井のフレスコ画


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身廊天井


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デフェンデンテ・フェッラーリの作品を再見


9
後陣天井


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詳細不知の聖母子


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外に出ます。


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外に出たら、先ほどよりも雲が低く垂れ込めていました。雨の気配です。


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7月初旬でしたが、少し寒くなってきました。


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アルプスから寒気が入ってきたようです。


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教会が見えてますが、事前調査した限りでは拝観する価値がないようです。


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ドゥオーモ以外に観る価値がある教会がなさそうです。


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トリノに早く行けば良かったと後悔。


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ベアート・アンジェロ・ガルレッティ像
ベアート・アンジェロ・ガルレッティ・ダ・キヴァッソ(キヴァッソ、1411-クーネオ、1495)は、ボローニャ大学で学び、同大学で博士号を取得した神学者で、多くの著作を著すと共に、フランチェスコ会修道士として幅広い慈善事業に従事しました。


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教会がありますが、どうせ開いていないと思いました。


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サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。


23
1584年に創建され、1607年に奉献された教会です。


24
現在の外観(主にファサード)と教会内部は1737年から1741年に改造されたもので、オリジナルではありません。


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ファサードのフレスコ画


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この時は予想通り開いていませんでした。


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土曜日の夕べのミサと日曜日朝のミサの時に開くようです。


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時間潰しに街歩きを続けました。


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この道を進んでも見所がなさそうだったので、引き返しました。


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煉瓦積みの立派なポルティコです。


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トイレ休憩の必要性を感じました。


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市庁舎横のバールで一休みです。


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市庁舎です。小さな市庁舎に見えますが、実はそうではありません。


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トリノ通りです。


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市庁舎の入り口からサンタ・キアラ修道院だった建物に向かいました。


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サンタ・キアラ女子修道院だった建物です。


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1739年に創建されたサンタ・キアラ女子修道院の建物は未完成です。


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現在、市庁舎として使用されている旧サンタ・キアラ女子修道院です。


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市庁舎の建物の銘板


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(つづく)

1さて、キヴァッソのドゥオーモ、サンタ・マリア・アッスンタ参事会教会 Collegiata di Santa Maria Assuntaの拝観です。


2
教会内部に入りました。


3
三廊式ですが、様々な建築様式が混在しています。


4
オリジナルの後期ゴシック様式が基本構造になってますが、17世紀にバロック様式に改造されたものの、19世紀初頭に新古典様式に改造されたので、新古典様式の内部と言ってよいでしょう。


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新古典様式の柱が目立ちます。


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1843年にフェリーチェ・ポッシ(ベルガモ、1795-1873)によって制作されたオルガンです。ポッシ家は、代々オルガン制作を家業としていましたが、中でもフェリーチェ・ポッシはオルガン制作者として有名でした。


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右側廊


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右側廊から見た身廊中央方向


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左側廊


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左側廊から見た身廊中央方向


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洗礼盤上の、17世紀の逸名彫刻家による「キリストの洗礼」


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詳細不知の「ベアータ・ヴェルジネ」


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左第二礼拝堂


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詳細不知の「三位一体と聖人たち」


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ピエモンテの逸名画家作「聖母子と四聖人」(18世紀)


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この教会における最大の見どころは、この作品です。


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デフェンデンテ・フェッラーリ(キヴァッソ、1480/1485‐トリノ、1540c)の「嘆き」(16世紀第1四半世紀)


20
生まれ故郷のキヴァッソに残るデフェンデンテ・フェッラーリ唯一の作品です。


21
18世紀中頃には。デフェンデンテ・フェッラーリの作品がこの他にも数点あったとされてます。


22
額縁は制作された時のオリジナルのものと言われてます。


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詳細不知


24
詳細不知


25
詳細不知


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右第一礼拝堂です。


27
ピエモンテの逸名彫刻家による「死せるキリストへの哀悼」(15世紀後半)
貴重な作品と言われてます。


28
説教壇


29
1930年から1940年代にかけて、大修復された身廊天井のフレスコ画


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左後陣礼拝堂


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左後陣礼拝堂天井のフレスコ画(1930-40c)


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この部分のオリジナルのフレスコ画はすべて失われていたので、改めて描き直された新作を言うべきフレスコ画です。


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詳細不知


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主祭壇(中央礼拝堂)


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後陣のフレスコ画(1930-40c)


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詳細不知
(つづく)

1カラヴァッジョについて書くことをゴールとしていたので、それが終わって、これからは「おまけ付きグリコ」のようなものです。


2
塔は、ドゥオーモの鐘楼です。


3
トリノ通りに面して建っている、ごく普通の建物です。


4
この街では、テラコッタ彫刻が目立ちます。


5
Piazza della Repubblicaです。


6
広場に面してドゥオーモが建ってます。ドゥオーモ前からPiazza della Repubblicaを撮った写真です。


7
Piazza della Repubblicaがキヴァッソの旧市街の中心になります。


11
広場の先に進みます。


12
八角形の塔があります。


13
12世紀、キヴァッソはモンフェッラートのアレラミーチ家の領地でした。11世紀、フォンフェッラート侯爵グリエルモ4世・デル・モンフェッラート(1030/1035-1100)は、キヴァッソ城の建設を始めました。城は、グリエルモ4世死後の1178年に完成しました。


14
キヴァッソ城は取り壊されて現存しませんが、その城にあった塔の一つがTorre Ottagonaleです。


15
城の存在を今に伝える唯一の建物がこの塔です。


16
この通りの先にポー川が流れてます。


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先に進んでも見所がなさそうだったので、戻ることにしました。


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今来た道を引き返すことにしました。


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突き当りに建っている教会に向かいます。


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先ほどまで時々日差しがありましたが、雲が厚くなってきました。


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青空が僅かになりました。


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さて、ドゥオーモです。


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キヴァッソのドゥオーモであるサンタ・マリア・アッスンタ参事会教会です。


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キヴァッソは、イヴレア司教区に所属しており、司教座はイヴレアのドゥオーモに置かれてます。


9
15世紀前半、キヴァッソを領地にしていたモンフェッラート侯爵ジャン・ジャコモ・パレオローゴ(トリノ、1395-カザーレ・モンフェッラート、1445)の指示によって、1415年に創建された後期ゴシック様式の教会です。


23
ジャン・ジャコモ・パレオローゴ侯爵の死後の1480年に完成しました。


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本堂が完成した1429年に奉献式が執り行われました。


25
長い間、単なる教区教会の地位でしたが、1996年に参事会教会に昇格しました。


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鐘楼にある日時計


27
この教会の見どころはファサードのテラコッタ彫刻です。


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入口扉上ルネッタの聖母子のテラコッタとフレスコ画断片


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ファサードのテラコッタ彫刻は、ピエモンテの無名彫刻家によって1450年から1460年頃に制作されました。


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(つづく)

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前泊地はミラノでした。


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トリノ・ポルタ・スーザ駅に到着しました。


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ポルタ・スーザ駅の地上駅に出ます。


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普通列車に乗り換えてキヴァッソ駅に向かいました。


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キヴァッソ駅に到着しました。


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キヴァッソ駅の駅舎です。


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駅前広場です。


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駅前にある、このホテルがこの日のお宿です。


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ミラノ出発が早い時間で、朝食なしだったので、駅横のバールで一息入れました。


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街歩きに出発です。


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駅横にちぐはぐな感じがする建物がありました。


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ローマ通りです。ローマ通りがないコムーネは希少価値がありますね。ローマ通りは、日本の銀座通りに相当しそうです。


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トリノに泊まる予定でしたが、この週のホテル料金が異常に高くなっていたので、予約しないで様子見をしていました。ところが、宿泊日の一週間前にはトリノのホテルが全部満室となっていたので、已む無くトリノの代わりにキヴァッソに泊まることにしたという訳です。


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キヴァッソは、人口26,908人(2018年12月31日現在)のピエモンテ州トリノ県にあるコムーネです。


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紀元前1000年頃に集落があったとされる古い町ですが、紀元前2世紀にローマの植民地となり、ガリカ街道の宿場町として発展したそうです。


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ポー川とオルコ川の合流点に位置することから、河港の町としても栄えました。


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ポポロ広場に出ます。


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ポポロ広場です。


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ポポロ広場にあるモニュメント


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Monumento ai Bersaglieri(狙撃兵の記念碑)


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キヴァッソにはかって自動車工場があって、一時期、人口が二倍になるなど、非常に栄えましたが、1993年に自動車工場が閉鎖されると、急速に寂れました。


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大きな火力発電所があって、ある程度まで自動車工場閉鎖の受け皿になっていましたが、環境問題の深刻化によって、近い将来、火力発電所の閉鎖は確実とされているので、苦境の中にある街と言えるでしょう。。


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トリノに近いので、トリノのベッドタウンとしての性格も併せ持つ街です。


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キヴァッソに来たのは、この時が初めてでした。


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旅の目的は飽く迄もトリノでした。トリノの代わりに泊まるのであれば、トリノの近くならば何処でも良かったのですが、どうせなら初めての街が良いと思ったのでキヴァッソを選んだという訳です。


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シャッター通りの面が無きにしも非ず。


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事前調査を殆どしなかったので、見所が良く分からず、適当に歩き回ることにしました。


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トリノ通りです。


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鐘楼が見えてますが、ドゥオーモのものです。


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トリノ通りが、この街で最も賑わいを見せる通りです。この時は、それを知らず、後で知りました。


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閉まっている店がやはり多いように思います。


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サンティ・ジョヴァンニ・バッティスタ・エ・マルタ教会です。


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処刑された人々やその家族、困窮に苦しむ人たちを支援する慈悲の同信会 Confraternita della Misericordiaがありましたが、17世紀後半、処刑された人々やその家族の安寧を願う教会の建設が発起されました。


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慈悲の同信会によって、1707年から1751年に建設されたサンティ・ジョヴァンニ・バッティスタ・エ・マルタ教会です。


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バロック様式の教会です。


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美術的な見所はあまりなさそうな教会です。


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ファサードの壁龕にある聖マルタ像


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聖ジョヴァンニ・バッティスタ像


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鐘楼とクーポラ


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主祭壇


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(つづく)

1洗礼堂のフレスコ画です。


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ジョヴァンニ・デ・カンポ(ノヴァーラなどで1440-1483活動記録)の「最後の審判」(1450c)


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落剝している箇所


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モラッツォーネの追随者によるフレスコ画


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騎馬の男の下の女性だけは違う画家の作品です。


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騎馬の男の女性は、ピエル・フランチェスコ・ジャノーリ(カンペルトーニョ、1624-ミラノ、1692)によって1665年頃描かれました。


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モラッツォーネの追随者によって描かれたフレスコ画


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次は博物館です。


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こちらから入ります。


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中庭に出ました。


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中庭を囲む柱廊


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この先に司教館があります。


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司教館の一部と回廊が博物館になってます。


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初期キリスト教会だったころの浮彫


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ドゥオーモは、これで終わりです。


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外に出ました。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会です。


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1635年から1643年に建設されました。


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主に死刑判決を受けた人たちのための教会です。


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ブロレットにやってきました。


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ブロレットは幾つかの建物の集合体です。


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アレンゴ宮です。


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ブロレットは主に刑務所でした。今は近代美術館があります。


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近代美術館の館内のフレスコ画


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近代美術館の展示


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Palazzo del Governoです。


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Palazzo del Governoに時計塔があります。


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見所が豊富な街です。


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(おわり)

1引き続きノヴァーラのドゥオーモです。


2
フィリッポ・アッビアーティ(ミラノ、1640-1715)とメルキオッレ・ゲラルディーニ(ミラノ、1607-1668)によって1684年から1692年に描かれた「キリストの物語」が左右のコリント式列柱の間に掲げられてます。


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右側


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右側廊


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左側廊


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アダムとイヴのモザイクは最初の建物にあったものです。


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二代目の建物の礼拝堂が残されてます。


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この礼拝堂は通常公開されていないようです。必見の祭壇画があります。


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ジュゼッペ・ルスナティ(ガララーテ、1650-ミラノ、1713)の「ノヴァーラ司教」


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聖堂内は大体見終わりました。


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聖堂内からファサード前に出ます。


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ファサード前に出ました。


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ファサード側の中央扉


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次は洗礼堂です。


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洗礼堂はファサードに向かって右側の柱廊奥にあります。


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ファサード前から洗礼堂の全体を見ることが出来ません。


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煉瓦積みの洗礼堂です。


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初期キリスト教会の洗礼堂は、4世紀後半から5世紀前半に建設されたそうです。その土台が現存しています。


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ティブリオとクーポラが11世紀に増設されて現在の姿の原形となったそうです。


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柱廊途中に設けられた洗礼堂の入り口です。


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洗礼堂の中に入ります。


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初期キリスト教会時代の洗礼堂土台


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ローマ時代の骨壺が置かれてます。


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内部は八角形になってます。


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フレスコ画が残されてます。


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クーポラのフレスコ画の痕跡


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(つづく)

1引き続きノヴァーラのドゥオーモです。


2
次の礼拝堂です。


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サン・ガエターノ礼拝堂です。


4
ガウデンツィオ・フェッラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「最後の晩餐」(1525c)


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一部にスぺリンド・カニョーラの作品、またはスぺリンド・カニョーラがガウデンツィオ・フェッラーリに協力したという説があるようです。


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次の礼拝堂です。


8
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエの祭壇です。
礼拝堂ではなく、一般的に祭壇と呼ばれてます。


9
ノヴァーラの逸名画家作「聖母子」(15世紀末‐16世紀初頭)


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ルネッタの「父なる神」の制作者情報等の詳細が不明です。


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聖ジローラモ?


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詳細不知


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カッリスト・ピアッツァ(ローディ、1500-1561)の「磔刑」


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この作品の帰属については別説が幾つかあるようです。


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後陣の磔刑像


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詳細不知


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ヴィターレ・サーラ通称イル・サレッタ(チェルヌスコ・ロンバルドーネ,1803-ミラノ、1835)の「聖母戴冠」


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Presbiterio


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制作者情報等不知の「チントラの聖母」


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フィリッポ・アッビアーティ(ミラノ、1640-1715)とメルキオッレ・ゲラルディーニ(ミラノ、1607-1668)によって、1684年から1692年に制作された「キリストの物語」が聖堂内に掲げられてます。
場面毎にアッビアーティかゲラルディーニのどちらかによって描かれたようで、二人によって描かれた場面はないと言われてます。
これは「最後の晩餐」です。


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フィリッポ・アッビアーティ(ミラノ、1640-1715)またはメルキオッレ・ゲラルディーニ(ミラノ、1607-1692)の「キリストのエルサレム入城](1684-92)


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説教壇


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説教壇


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説教壇


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説教壇


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サン・アガビオ礼拝堂です。


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イグナツィオ・コッリーノ(トリノ、1724-1793)の彫刻


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ,1578)の「磔刑」


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フィリッポ・アッビアーティとメルキオッレ・ゲラルディーニの「キリストの物語」


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(つづく)

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