イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: ロンバルディア州

引き続きポリローネ修道院です。
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聖堂の礼拝堂の一つです。祭壇画は詳細不知です。


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礼拝堂天井の装飾


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これで聖堂の見学は終わりです。


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聖堂の見所を記したガイド板がありました。


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オルガンがある場所は修復工事のため立ち入り禁止になっていました。


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身廊隔壁はジュリオ・ロマーノと工房の作品ですが、殆ど見ることが出来ませんでした。


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外に出ました。


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この日の夕方に開くレストランがなさそうだったので、村歩きを続けながら食料調達です。


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ジャコモ・マッテオッティ広場です。


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Porta di Ingresso all' Abbazia del Polirone


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小さな村に泊まる場合、昼食のレストランは簡単に見つかりますが、夕食の食べる所に苦労することが結構あります。特に日帰り観光客が多い村では。


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村一番の通りであるエンリコ・フェッリ通りです。


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Palazzo Comunaleも修復工事中でした。


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旧サン・フロリアーノ教会の鐘楼です。


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修道院付近は人出が途絶えました。


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この日はこれで終わりです。
B&Bに戻り、調達した食料を食べながらワインとビールを飲み、飲んだくれて寝ました。


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翌朝です。


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この日も快晴でした。


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駅に向かいます。


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見所が修道院だけの村なので、同じような写真になってしまいます。


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駅が見えてきました。


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次の目的地に向かいました。
(サン・ベネデット・ポー編 終わり)

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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖アンドレア」


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(福音書記者聖ヨハネ)」


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詳細不知


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マティルデ・ディ・カノッサの墓(18世紀)
これは問題の墓です。1632年、サンタ・マリア礼拝堂に埋葬されていたマティルデの遺体が掘り起こされ、ヴァティカンに高額で売却したポリローネ修道院ですが、その罪滅ぼしのためでしょうか、18世紀にこの墓を造ったのです。中に遺体はありません。


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詳細不知


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詳細不知


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ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499-マントヴァ、1546)の「聖ピエトロ」


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次の礼拝堂です。礼拝堂の名前を知りません。


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礼拝堂天井の装飾


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詳細不知


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本堂に戻りました。


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ジュリオ・ロマーノと工房の作品


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)」


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(つづく)

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引き続きサンタ・マリア礼拝堂です。


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壁にフレスコ画が残されてます。


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12世紀に描かれたフレスコ画です。


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サンタ・マリア礼拝堂の天井装飾です。


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修復された柱頭でしょうか?


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磔刑像(詳細不知)


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖ラウレンティウス」


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖ベネデット」


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖パオロ」


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖マルティーノ」


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聖歌隊席の上にも彫刻があります。


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詳細不知の祭壇画


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聖歌隊席は、ヴィンチェンツォ・ロヴェッタと彼が率いる工房によって16世紀に制作されました。


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聖歌隊席の一部はジュリオ・ロマーノのデザインと言われてます。


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聖歌隊席天井の装飾


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖フロリアーノ」


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(福音書記者聖ヨハネ)」


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詳細不知


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖マウルス」
(つづく)

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ガイドさんが入り口扉を開錠して、ガイドさんと共に聖堂内に入りました。


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1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院が閉鎖されました。それ以来、聖堂の方は公的な宗教施設ではないとされてます。


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しかし、地元の村人は祈りを捧げるために訪れることが出来るようです。


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2012年5月29日に発生したマントヴァ付近の大地震によって大きな被害を受け、修復工事が行われていましたが、2014年、2015年に起きた、さほど大きくはなかった地震によって被害が拡大してしまいました。
ポー川とリローネ川に囲まれた島と、島周囲の河原を埋め立てて出来た、元々地盤が弱い土地の上に建設されたので、小地震でも被害を受けることが多く、修復工事が追い付かないそうです。
聖堂内に入ったものの、聖堂内の大部分が修復工事中で見学できないようになっていました。


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祭壇画は、逸名画家作「信仰の寓意」(16世紀)


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礼拝堂の祭壇


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖シモーネ」


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖マリア・マッダレーナ」


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礼拝堂天井の装飾


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この礼拝堂は危険ではないので、拝観出来ますが、修復工事が必要との事でした。建物の危険度によって、修復の優先順位を付けているそうです。


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磔刑の礼拝堂


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磔刑礼拝堂天井


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サン・ベネデット礼拝堂


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通路の左右は修復工事中です。


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クーポラ


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ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499-マントヴァ、1546)と工房の作品


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次はサンタ・マリア礼拝堂です。
ボニファチョ・ディ・カノッサ(985-1052)によって、11世紀に再建された修道院ですが、その時にサンタ・マリア礼拝堂も建設されました。


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トスカーナ女伯爵マティルデ・ディ・カノッサ(マントヴァ、1046-ローマ、1115)は、ポリローネ修道院に多大な寄付を行いましたが、ローマで没した彼女の遺体はポリローネ修道院に運ばれ、サンタ・マリア礼拝堂に埋葬されました。


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サンタ・マリア礼拝堂の祭壇画(詳細不知)


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サンタ・マリア礼拝堂の床のモザイク


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11世紀-12世紀のモザイク


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モザイクの所にマティルデ・ディ・カノッサの墓がありました。


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マティルデの墓の跡です。
1632年、マティルデの遺体が掘り起こされ、ヴァティカンに運ばれました。当時の修道院長が教皇に対して、非常な高額でマティルデの遺体を売却したのです。売る方も売る方であり、買う方も買う方です。


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古そうな柱です。


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(つづく)

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引き続きワイン醸造所の荷車です。


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修道院と村人の関係は必ずしも良かったとは言えない時期が続いたそうです。


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関係が悪かったのは、無給、或いは非常な薄給で村人を徴用したからだそうです。


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前述のように、カノッサの屈辱で有名なトスカーナ女伯爵マティルデ・ディ・カノッサ(マントヴァ、1046-ローマ、1115)はこの修道院で埋葬され、1632年にローマのサン・ピエトロ大寺院に移されました。
その理由を知ると嫌になります。


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当時の修道院長が、第235代教皇ウルバーノ8世(フィレンツェ、1568-ローマ、1644 在位:1623-1644)にマティルデの遺体を売ったのです。


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しかも非常な高額での取引だったと伝えられてます。
キリスト教の初期には、聖人の聖遺物が祭壇の下にないと、教会建設できなかったので、聖遺物の最たるものである聖人の遺体は高額で取引されることがありましたが、マティルデ・ディ・カノッサは聖人ではありません。


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修道院の荷車に描かれる図柄では異質になります。


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この半地下の場所は洪水の時にはどうしたのでしょうか?


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彫刻も見どころです。


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絞り器


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外に出ました。


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次は聖堂です。


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前述のように修道院教会はジュリオ・ロマーノ聖堂とも呼ばれてます。12世紀に再建された教会はロマネスク様式でしたが、後に一部改造されてロマネスコ・ゴシック様式の建物になりました。
そのロマネスク・ゴシック様式を出来るだけ生かして、ジュリオ・ロマーノによって1540年から1545年に拡大改造されて現在の姿になりましたが、ジュリオ・ロマーノの功績をたたえるために1547年にジュリオ・ロマーノ聖堂と呼ばれるようになったのです。


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聖堂ファサードに向かって右側に塀と門が設けられてます。


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塀の上に聖人たちの彫像が置かれてます。


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彫像の制作者等の情報を知りません。


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ファサード下部に柱廊が設けられてます。


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柱廊天井


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中央入り口扉上ルネッタにフレスコ画があります。


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ルネッタのフレスコ画は、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499-マントヴァ、1546)によって制作されました。


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ファサードの左右の壁龕にアダムとエヴァ(イヴ)の彫刻があります。


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制作者は不明のようです。


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次は木製の入り口扉です。


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ガイドが熱心に説明してくれたので、芸術性の高い貴重な扉なのでしょう。


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いくら見ても傑作には思えなかったので、ガイドさんの説明は馬の耳に念仏でした。


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ジュリオ・ロマーノのデザインによって1547年に制作された扉です。


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制作したのは、ヴィンチェンツォ・ロヴェッタ工房だそうです。


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熱心な説明をフンフンと頷きながら、さも興味があるように撮った写真です。


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ガイドさんと一対一は、かなり気を使います。


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(つづく)

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サン・ベネデットのキオストロに戻りました。


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サン・ベネデットのキオストロから見た聖堂


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次は修道院食堂です。


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現存する食堂は、1478年に建設されました。


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食堂入り口壁の案内標識


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食堂の中に入りました。
修道院食堂の定番とも言える最後の晩餐があります。ただ、有り難がって見るべき最後の晩餐ではありません。


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「最後の晩餐」とそれを取り囲むフレスコ画の制作者が異なります。


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ジローラモ・ボンシニョーリ(ヴェローナ、1472-マントヴァ、1529)の「最後の晩餐」(1514c)
実は、ここにあるのは本物の精巧な写真です。本物のキャンバス画はロヴィーゴの市立美術館にあります。


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ジローラモ・ボンシニョーリは、フラ・ボンシニョーリとも呼ばれたドメニコ会の修道士画家で、レオナルド・ダ・ヴィンチの強い影響を受けた画風でした。
この「最後の晩餐」もレオナルドの「最後の晩餐」に酷似しています。


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トリノ大聖堂にレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のコピー画がありますが、技量の点ではトリノの方が勝るように思います。


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ここの見所としては、「最後の晩餐」を取り囲むフレスコ画です。こちらは本物です。


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礼拝堂を模した騙し絵です。


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フレスコ画(1514c)は、アントニオ・アッレグリ通称イル・コッレッジョ(コッレッジョ、1489c-1534)に帰属します。


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壁龕、そこに置かれた彫刻などは騙し絵のフレスコ画です。制作者等の情報が分かりません。


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天井のフレスコ画


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修復工事が行われていたので、立ち入り禁止になってました。


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写真ですが、敬意を表して最後の晩餐をもう一度見てから先に進みます。


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食堂からワイン醸造所に続く通路です。ここは、ワインの熟成所だった場所です。


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碑文が展示されてます。
1585年、天正遣欧少年使節の一行がポリローネ修道院に訪れましたが、その記念碑も展示されています。


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修道院の柱、柱頭、彫刻などが展示されてます。


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聖ロムアルド(制作者情報不知)


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖母子」


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ワイン醸造所です。ワイン醸造は修道院の主要事業の一つでした。


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ブドウの摘み取り、ワインの移送など様々な用途に使用された荷車が展示されてます。


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修道院の荷車らしく聖職者が描かれてます。


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(つづく)

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サン・シメオーネのキオストロ回廊です。


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現存するサン・シメオーネのキオストロ回廊は1458年から1480年に建設されました。


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後期ゴシック様式の柱廊です。


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柱廊の壁ルネッタにフレスコ画があります。


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15世紀後半にフランドルの画家数名によって制作されたと帰属されてます。


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ルネッタのフレスコ画のテーマは、聖シメオーネの生涯の物語となってます。


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天井に修道士、司教が描かれてます。
これもフランドルの画家数名の作品です。


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色褪せてはっきり見えない所は、当初、教皇が描かれていたそうです。


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暇そうに立っている人は、この日のガイドさんです。客が私一人で、私が熱心に見て回るので、その間、暇を持て余したようでした。


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サン・シメオーネのキオストロ


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サン・シメオーネの柱廊から修道院修士会堂 Sala del Capitoloに入りました。


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1007年、テダルド・ディ・カノッサ伯爵(?-1012)によって創建された修道院の一部が残されてます。


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最初に建設された建物の土台


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ロマネスク様式の建物でした。


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20世紀に修復された柱頭


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1458年から1459年に改造されたクロスヴォールトです。


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(つづく)

次は、民族学博物館 Museo Civico Polironianoです。
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修道院の僧房が展示室になってます。


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展示室は10室から成ってますが、同じ僧房でも数室になっている場合があって、僧房が10室ある訳ではありません。
第1室の「穀物の栽培」です。


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第2室の「馬小屋と牛乳の供給」


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中世の村人は人形で表現されてます。


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第3室の「チーズの製造」


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第4室の「サラミ製造」


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第5室の「農村社会」


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僧房のフレスコ画


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第6室の「村人の生活」


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第6室です。


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部屋の装飾


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第7室の「村人の生活」


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馬車の装飾


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フレスコ画の詳細等については、私は全然分かりません。


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第8室の「交易と職業」
展示は特産品のようです。


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第9室の「農村社会」


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機織り機?


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女性の生活


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農機具


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第10室の「学校の教室」


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部屋のフレスコ画断片(詳細不知)


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個人用の祈りを捧げるもの


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部屋のフレスコ画


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民族学博物館を出ます。


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柱廊に出ました。


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聖堂のクーポラ


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サン・シメオーネのキオストロです。
(つづく)

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次は、ポリローネ修道院 Abbazia di San Benedetto in Polironeです。
修道院聖堂の複合施設であり、またMuseo Civicoなので、カテゴリーをどうするか迷う所ですが、全部を含めて一枚の切符で見学できることから敢えて「美術館」のカテゴリーに入れました。


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複合施設の全体像は、航空写真で分かると思います。


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切符は観光案内所で買うことが出来ます。見学は原則としてガイド付きツアーになってます。
建物の概略図 1は修道院聖堂、教会です。2.修道院食堂 3.サン・シメオーネの中庭 4.サン・ベネデットの中庭 5.在家の中庭 6.ワイン醸造所(修道院の主要産業がワイン醸造でした) 7.修道院修士会堂 8.Museo Civoco Polironiano


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広大な面積に加えて見所が沢山あるので、全部を見ようとすると、相当な時間と労力が必要となります。


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ブレーシャ、モデナ、フェッラーラ、レッジョ、マントヴァの伯爵テダルド・ディ・カノッサ(10世紀後半生まれ-1012没)によって1007年に創建された修道院です。
テダルド・ディ・カノッサは、カノッサの屈辱で有名なトスカーナ女伯爵マティルデ・ディ・カノッサ(マントヴァ、1046-ローマ、1115)の祖父です。
修道院は7人の修道士がいるだけの小さなものだったそうです。やがて小さな教会も建設されました。


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ポー川とその支流リローネ川に囲まれた修道院は、創建以来洪水被害に悩まされていました。
11世紀、テダルドの息子で、マティルデの父ボニファチョ・ディ・カノッサ(985-1052)によって修道院は拡大されると共に教会が再建されました。
教会は、12世紀にさらに再建され、1130年に奉献式が執り行われました。
修道院内に現存するサンタ・マリア礼拝堂はボニファチョ・ディ・カノッサによって建設されました。


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1077年、修道院はベネデット会に渡されました。


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トスカーナ女伯爵マティルデ・ディ・カノッサ(マントヴァ、1046-ローマ、1115)は、修道院に対して多大な寄付を行いました。その寄付のお陰で裕福な修道院になりました。
ローマで没したマティルデの遺体は、運ばれてポリローネ修道院のサンタ・マリア礼拝堂に安置されました。現在、マティルデの墓はヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂にありますが、1632年に彼女の遺体がポリローネ修道院から移されました。


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サンタ・マリア礼拝堂にあるマティルデ・ディ・カノッサの墓跡です。


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サン・ベネデット・イン・ポリローネ聖堂は、別名ジュリオ・ロマーノ聖堂と呼ばれてます。
1540年、修道院と教会の修復がジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499-マントヴァ、1546)に委嘱されましたが、1547年に完成した聖堂です。


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1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院が閉鎖されてしまいました。
その間、ポリローネ修道院は、政治的にも、文化的にも、宗教的にも、そして経済的にも、この地方一帯における歴史の中で重要な役割を果たしました。


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修道院は、困窮者の救済に当たるとともに、彼らの一時的な住居となりました。


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観光案内所兼切符売り場で、ガイドと待ち合わせて見学に出発しました。この日の客は、私一人でした。
最初はサン・ベネデットのキオストロです。


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写真左が聖堂(教会)、写真右が修道院食堂ですが、その間にあるのがサン・ベネデットの中庭です。


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中庭を囲んで回廊が設けられてます。


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サン・ベネデットのキオストロ回廊です。


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回廊の壁のルネッタ上にフレスコ画があります。


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フレスコ画のテーマは、聖ベネデットの生涯の物語です。


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1475年頃に描かれたフレスコ画です。
フレスコ画の制作者は不明とされてますが、絵画を描く修道士の可能性があるそうです。この当時、修道士画家がいる修道士会は珍しくありませんでした。


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2012年5月29日、マントヴァ地方を襲った大地震によって建物は大きな被害を受けました。また、その2年後の2014年、さらに2016年にも地震に見舞われて、修復工事が追い付かない状況になってます。


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2つの川の川中島に、その周囲を埋め立てた土地に建設されたので、元々地盤が悪く建物の強度に問題があるとされてます。


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また、度々洪水に見舞われたので、その影響によって地震に弱いそうです。


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次は在家のキオストロです。


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キオストロ回廊があります。回廊にはフレスコ画がありません。


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中庭を囲む建物L'Infermeria Nuovaの彫刻


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在家の回廊です。


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修復工事中の回廊の彫刻


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柱によって建物を支えてます。これから本格的な修復工事が行われるようです。


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(つづく)

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Via Eugenio Dugoni


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村の案内地図が村の入り口にありました。


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ポリローネ修道院聖堂の案内地図です。


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修道院だった建物です。ここにサン・ベネデット・ポーの民族博物館 Museo Civico Polironianoがあります。物質文化、農村社会、修道院の歴史や産業などが展示されてます。


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Museo Civoco Polironianoは、修道院だった建物の地下と一階(日本の二階)に主に設けられてます。


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切符売り場は、観光案内所を兼ねる場所にあるので、旧サン・フロリアーノ教会近くのこちらから入館する人は滅多にいないようです。
私は修道院、聖堂の一環として入館したので、こちらの出入口とは無縁でした。


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博物館前から旧サン・フロリアーノ教会を撮った写真です。


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修道院の周りは閑静な住宅地になってます。


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城壁は築かれたことがなかったようです。


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荒廃した教会のような建物は、16世紀初頭、当時の修道院長ジョヴァンニ・コルサーロ・ダ・ヴェネツィアによって建設された修道院図書館です。
1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院が閉鎖されてしまいました。図書館の所蔵図書はマントヴァ市図書館に運ばれて、現在でも所蔵されてます。
図書館だった建物はボタン工場に転用されました。建物の隣の煙突は、ボタン工場時代のものです。


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修道院図書館だった建物の保存計画があるようですが、資金難のため先行き不明のようです。


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観光客にとっては、この辺は無視しても良さそうです。


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ポー川とリローネ川の繰り返される洪水によって、疲弊した村でした。


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この辺は修道院の農園でした。


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戦争、略奪、洪水によって貧しい修道院として有名だったそうです。


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この村の見所は、やはり修道院と聖堂だけと痛感できました。


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幹線道路に囲まれている村です。


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ポー川の堤防にやってきました。


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ポー川です。


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流れが速く、水量が多い川でした。


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ポー川を見ていても詰まらないので、村の中心に戻ることにしました。


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村を一周して、観光客にとってのサン・ベネデット・ポーはポリローネ修道院と聖堂に尽きます。


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グループ・ツアーのご一行様が来ていました。グループの場合、Museoの休館時間でも修道院、聖堂、博物館巡りが可能のようです。


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観光案内所に向かいます。


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観光案内所がMuseo(修道院と聖堂を含みます)の切符売り場を兼ねてます。また、ガイドとの待ち合わせ場所になっており、見学はここから出発します。


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切符を買いましたが、ガイドとの待ち合わせまで時間があったので、それまで適当に歩き回りました。


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修道院のサン・ベネデットのキオストロです。


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キオストロは綺麗に整備されてます。


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キオストロの柱廊


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サン・ベネデットのキオストロと聖堂の間に建っている建物が分かりません。


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写真左の建物です。


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トレント通りです。


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Piazza Matilde di Canossaです。


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Basilica Minoreに格付けされてます。


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Basilica Polironiana


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(つづく)

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スッザーラは、マントヴァ、モデナなどを結ぶ鉄道支線のターミナル駅です。


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スッザーラからサン・ベネデット・ポーに向かいます。


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この辺は、Trenitalia子会社が運行しています。


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Ferrovie Emilia Romagnaの車両に乗車しました。


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車内は空気を運ぶような状況でした。


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電車ではなく、気動車です。


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サン・ベネデット・ポー駅に到着しました。


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サン・ベネデット・ポー駅の駅舎です。勿論、無人駅です。


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村の入り口に通じるアントニオ・グランシ通りです。


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サン・ベネデット・ポーは、人口6,890人(2019年12月31日現在)のロンバルディア州マントヴァ県にあるコムーネです。


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ポー川とその支流リローネ川との間の島を基に、その河原を埋め立てて拡張した土地に建設されたポリローネ修道院がありましたが、修道院そのものが村と言っても過言ではありません。
ポリローネの名称は、ポー川とリローネ川に由来します。


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ローマ通りとの交差点を通り過ぎます。


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カヴァッロッティ通りとの交差点を通り過ぎます。


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村の中心入り口の目印となっている旧教会の鐘楼です。


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ポリローネ修道院教会にやってきました。


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Piazza Folengo Teofiloは青空市の真っ最中でしたが、人口が少ないので、店の数もそれに比例して少なかった。


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写真左が修道院で、写真中央が聖堂です。


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こちらは食堂で、中に最後の晩餐があります。


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Piazza Matilde di Canossa


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この日のお宿に向かいます。


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聖堂と修道院はMuseoになっています。


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後でゆっくりと見る予定です。


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この日のお宿はB&Bでしたが、鍵の受け渡し、鍵が開かない、所有者との電話がつながらないのトラブルがあって散々な旅となってしまいました。


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観光案内所がありますが、B&Bのトラブルに際して、その係員に大変お世話になりました。


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某社ネット予約サイトでB&Bを予約したのですが、その際、予定到着時間連絡必須だったので、ネット予約で予定時間を連絡しました。日本を出発前に、念のために予約サイトとB&Bのメールアドレスに予定到着時間をメール送信しました。予約サイトからは、B&Bにメール連絡したが、確認の連絡を受けていないとのメールがありました。私のB&Bへの直接連絡に対しても、返答がありませんでした。
でも現地に行けば、何とかなるだろうと高を括って、この村に来たのですが、結果、最悪だったのです。


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B&Bに行ったら無人、施錠されたまま。扉の前に連絡先として固定電話と携帯電話の番号が書いてあったので、電話したら、固定電話の方は室内から呼び出し音がなっているので、どうにもなりません。携帯電話の方は、電源が入っていない(イタリア語でしかも焦っていたので多分ですが)と言うのみ、通じません。


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仕方がないので、レストランに行き、ゆっくり食事をしていると、レストランのオーナーから観光案内所に行けば必ずB&Bと連絡がつくとの助言がありました。


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観光案内所が開く時間を待ってレストランから出て、観光案内所に行くと、レストラン・オーナーの助言通り、B&Bと連絡がついてチェックインできました。
B&Bの携帯電話はいたずら電話とスパムメールの標的になっているので、使用していないとの仰せ。


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赤っぽい塗装の家がこの日のお宿です。
宿泊者は私一人。不便をかけたことに対し、詫びるでもなしの冷たい対応。この分では、何かあるだろうの予感がありましたが、見事予感が当たりました。来たのが、単なるアルバイト(私の想像ですが)の若者だったので、その辺は仕方がないと思いました。
これで問題解決の筈でしたが、外出して戻ったら鍵が開かないのです。蝶のような形をした芸術的な鍵をご存知ですか?渡された鍵が3つあって、ゲート、家、部屋の3つでしたが、ゲートと家の鍵が蝶型で、ゲートの鍵は開きましたが、家の鍵がどうしても開かないのです。
チェックインの際、問題があったら、携帯電話に連絡して欲しいとの仰せだったので、電話を架けると電源が入っていないの音声が聞こえるのみでした。話になりません。
ところが、観光案内所に行った時、案内所の女性が女性の携帯電話番号を教えてくれていたのです。多分、このような種々の問題を生じる常習犯とも言えるB&Bと認識していたのでしょう。(勝手な私の憶測です)
その女性に電話したら解決に向かいました。無事B&B側と連絡が付き、別の係員がやってきて部屋に戻ることが出来ました。表扉は慣れないと空けるのが難しいので、裏の勝手口を使うように鍵を渡されていないかった?と聞くのです。勿論、勝手口の鍵は渡されていないし、そんな話は聞いていないのです。
キッチン付きB&Bがお気に入りでよく利用してましたが、チェックイン、チェックアウト、鍵、電源、自動ロック(ベランダの自動ロックには本当に呆れました。洗濯物を干しにベランダに出たら、部屋に戻れなくなりました)等々の問題に懲りて、近頃ではフロント常駐のホテルに泊まることにしてます。


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村歩きに出発しました。


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修道院と聖堂は、Museoになってますが、ガイド付きツアーのみ可能になってます。


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エンリコ・フェッリ通り沿いの家並みです。


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ガイド付きツアーは、観光案内所出発ですが、出発まで時間があるので、それまで村歩きです。


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ゆっくり昼食を食べた店です。B&Bと連絡がつかなくて焦っていたのか、昼食時の写真を撮り忘れました。


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鐘楼右の建物は、聖堂の聖職者館です。


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青空市のトラックが広場から一台残らず立ち去りました。


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旧サン・フロリアーノ教会です。


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村の中心入り口にある旧教会の鐘楼は、村の目印になってます。2012年の地震によって被害を受け解体の危機にありましたが、修復工事資金調達が可能になって近く工事着工になるようです。


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旧サン・フロリアーノ教会前の水飲み場


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(つづく)

142
次はヴィジェーヴァノのドゥオーモ、サンタンブロージョ大聖堂です。


137
963年と967年の文書に、この場所にあった教会が記載されてます。


136
現在の建物は、最後のミラノ公爵フランチェスコ2世・スフォルツァ(ミラノ、1495-ヴィジェーヴァノ、1535)の命によって、1532年に創建されたもので、1606年に一応の完成を見たものです。設計者はアントニオ・ダ・ロナーテ(ロナーテ・ポッツォ―ロ、1456/1457-ミラノ、1541c)でした。


240
バロック様式のファサードは、ヴィジェーヴァノ司教ファン・カラミュエル・イ・ロブコヴィッツ(マドリッド、1606-ヴィジェーヴァノ、1682)の設計によって、17世紀後半に建設されました。
スペイン出身のファン・カラミュエル・イ・ロブコヴィッツ司教は、数学者でもあり、建築にも通じていました。
鐘楼は、14世紀に建設された市の塔がそのまま教会の塔に転用されて現在に至ってます。


244
聖堂内に入りました。


241
三廊式、ラテン十字形、マニエリスム様式の内部です。


242
19世紀に行われた装飾が目立ちます。


245
チェーザレ・マーニ(ミラノ、1492-1534)の「磔刑」


248
フェルディナンド・ガッティ通称イル・ソイアーロ(パヴィア、1495c-クレモナ、1575)の「復活したキリスト」


249
詳細不知


251
詳細不知


253
フランチェスコ・ゴニン(トリノ、1808-ジャヴェーノ、1889)による装飾


254
主祭壇


255
アレッサンドロ・サンクィリコ(ミラノ、1777-1849)による後陣フレスコ画(1828-30)


256
クーポラ


259
詳細不知


257
詳細不知


261
ロンバルドの逸名画家作「磔刑と聖マリア・マッダレーナ」(16世紀)


263
詳細不知


265
ベルナルディーノ・フェラーリ(ヴィジェーヴァノ、1495-1524)の「天上の聖母子と聖人たち」


268
ロンバルドの逸名画家作「ポリッティコ」(16世紀)


270
チェーザレ・マーニ(ミラノ、1492-1534)の「聖母子と聖人たち」


271
詳細不知


273


274
詳細不知


275
詳細不知


276
詳細不知


277
右側廊


278
フェルディナンド・ポルタ(ミラノ、1689-1767)の「キリストの洗礼」


280


281


279


282
ベルナルディーノ・フェラーリ(ヴィジェーヴァノ、1495-1524)の「サンティ・ジャコモ・エ・クリストフォロ礼拝堂の多翼祭壇画」(1510)


285
詳細不知


286
詳細不知


287


289
フランチェスコ・ゴニンによる天井フレスコ画


290
クリプタ


291
詳細不知


288
主祭壇をもう一度見てから外に出ました。
(おわり)

186
次はサンタ・マリア・デッレ・ネーヴィ教会です。


187
サンタ・マリア・デッレ・ネーヴィ教会が見えてます。


189
15世紀に、この場所に建設されたサンタ・マリア・デイ・ペッシ教会が前身です。
ヴィジェーヴァノを流れるティチーノ川から獲れた魚を商う魚市場がこの場所にありました。教会名にPesciが付く由来です。


190
現在の建物は、1559年から1606年にかけて、死の同信会によって建設された二代目となるものです。


188
初代の建物にあった、15世紀に描かれた「聖母子と聖セバスティアーノと聖ロッコ」の祭壇画が見ものとされてます。


191
扉が閉まっていたのは仕方がないと思いました。


192
道の突き当りに新しそうな教会があります。


194
19世紀末に建設されたManostero Suore Sacrametineです。女子修道院です。


197
徐々に涼しくなってきました。


199
Palazzo Merulaです。


198
17世紀にドメニコ会によって建設されたサンタ・マリア・アッスンタ女子修道院だった建物です。


200
中に入るとキオストロ回廊に出ます。


201
ナポレオンのイタリア侵攻に伴う教会活動抑止策に基づき、修道院活動が停止され、1805年に州所有物件となりました。
1809年に孤児院として使用されるようになり、その後、孤児院を併設した市民病院となりました。


202
キオストロ回廊に置かれている彫刻


203
外に出ました。


204
サンティグナツィオ・ディ・ロヨラ教会です。


205
1694年から1708年にかけて建設されました。


206


207


208
扉が閉まっていました。


209
カステッロが開く時間になりました。


210
カステッロ自体には殆ど見所がないようですが、ヴィジェーヴァノに来たからには入らなくては。


211
結論を言えば、見所はなしでした。


1-2


1-3


1-4


212
外に出ました。通りの先にサン・フランチェスコ教会が見えてます。


232
サン・フランチェスコ教会です。


1-1
1397年に建設されました。


231
15世紀中頃に拡張され、現在の姿になりました。


230
ファサード前の「鳥に説教する聖フランチェスコ」の泉


233
ファサード横の小礼拝堂


234
ドゥカーレ広場に戻ります。


213


214
ドゥオーモが開く時間です。


235
扉が開きました。


236
広場の床の模様


238
レオナルド・ダ・ヴィンチ考案と言われてます。


237


239
(つづく)

152
通りの突き当りに教会があります。


153
1363年に建設されたサン・ピエトロ・マルティーレ教会です。


155
現在のロンバルド・ゴシック様式の外観は、1446年から1480年にかけて拡大改造された後のものです。


158
中に15世紀のフレスコ画や16世紀の祭壇画「受胎告知」などがありますが、扉が閉まっていたので拝観出来ず。


156
入口扉上ルネッタの詳細不知の「殉教した聖ピエトロ・マルティーレを悼む修道士たち」


157
サン・ピエトロ・マルティーレ教会ファサード前のベアート・マッテオ広場です。


159
この門からスフォルツェスコ城内に入ります。


161
門を潜って城内に入りました。写真は城内から見た潜ってきた門です。


160
カステッロの中庭です。ブラマンテの塔が目立ちます。


164
中庭は公園として一般開放されてます。


162
ロンゴバルド時代の7世紀から10世紀に建設した城が基になってます。


163
その後、城はミラノ僭主のルキーノ・ヴィスコンティ(ミラノ、1287-1349)とミラノ公爵ルドヴィーコ・イル・モーロ(ミラノ、1452-フランス、ロシュ、1508)によって拡大整備されました。
現在の姿は、イル・モーロの命によって1492年から1494年にかけて建設されたものが中心となってます。


165
城内に入ってみました。


166
フレスコ画がありました。


167
ここはMuseo Civicoの出口でした。


215
城ですが、1535年、スフォルツァ家によるミラノ支配が終わると、ヴィジェーヴァノ城はスペインの支配下に置かれました。その後、オーストリア軍の駐屯地になりましたが、歴史の変遷によって、サルデーニャ軍、イタリア軍の軍事基地となり、1968年まで軍の駐屯地として使用されました。


216
現在は市立博物館などとして公開されてます。


218
ここから城内に入ります。


217
絵画館、靴博物館、工業製品博物館の3部門から成ってます。


219
城内の回廊


220
入館無料でした。


221
ベルナルディーノ・フェラーリ(ヴィジェーヴァノ、1495-1524)の「玉座の聖母子とと聖ピエトロと聖アンブロージョ」(1515)


223
ロンバルドの逸名画家作「聖母子と聖人たち」


225
ロンバルドの逸名画家作「ご誕生」


226
フェルディナンド・ポルタ(ミラノ、1687-1763)の「キリストの洗礼」


228
靴博物館は一見に値します。


168
一旦、ドゥカーレ宮殿に戻りました。


169
ドゥオーモの扉が未だ閉まってます。


170
もう一度城外に出ます。


171
Corso Vittorio Emanuele II


172
写真右はMunicipioです。


173
1474年に建設された病院が前身です。


174
病院の建物が一部取り壊され、1768年から1771年に改築された建物です。


175
Palazzo Civico 市庁舎です。


177
市庁舎の中庭


178
ここでヴィジェーヴァノの地図を頂戴しました。


179
非常に親切な応対をしてくれた職員に感謝です。


176
市庁舎から簡単にドゥオーモに行けます。


180
市庁舎から至近の場所に教会があります。


182
1323年創建のサン・ディオニージ教会です。


181
14世紀のフレスコ画が中にあるそうですが、拝観したことがありません。


183
市立劇場です。


185


184
(つづく)

ヴィジェーヴァノは、人口63,420人(2018年11月30日現在)のロンバルディア州パヴィア県にあるコムーネです。ミラノの支配下に置かれていた中世の頃、靴産業が興り、現在でも数多くの靴を製造してます。
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ミラノのFSターミナル駅の中で最も冴えないミラノ・ポルタ・ジェノヴァ駅です。この駅始発の普通列車に乗ってヴィジェーヴァノ駅に向かいました。


106
乗車約25分ほどでヴィジェーヴァノ駅に到着しました。


107
駅舎


108


109
駅から街の中心へと通じるカイローリ通りです。


110
カイローリ通りは右にカーブしています。


111
通りの突き当りが街の中心の入り口です。


112
写真右の建物に注目です。


114
Palazzo Saporiti


117
1828年に建設されました。


113
現在、Palazzo Saporitiはベネデット・カイローリ高校の校舎として使用されてます。


116
Palazzo Saporitiの別の入り口


118
日本の夏のような蒸し暑い日でした。


119
サン・ジョルジョ・イン・ストラータ教会です。


121
城壁の一部として10世紀に創建されました。


120
現在の建物は14世紀に再建された二代目となるものです。


122
旧市街の入り口です。


123
ヴィスコンティ城です。


124
Porta di Via XX Settembre


125
門を潜れば、9月20日通りに出ます。


126
現在の門は14世紀に建設されました。


129
門を潜って、9月20日通り側から見た門です。


127
9月20日通りを進みました。


128
雷鳴が聞こえてきたので、この時は天気の急変を心配していました。結局、降ることはなかった。


130
街角のタベルナコロ


131
街の中心の広場に入ります。


132
ドゥカーレ広場


133
ミラノの支配者ルドヴィーコ・イル・モーロ(ミラノ、1452-フランス、ロシュ、1508)の命により、1492年に建設が開始され1494年に完成したドゥカーレ広場です。


134
ブラマンテの塔


135
巷間、レオナルド・ダ・ヴィンチ設計とされているドゥカーレ広場です。


138
縦134m、横幅48mの広場です。


139


140


142
広場の端に建つのは、サンタンブロージョ司教座教会、ヴィジェーヴァノのドゥオーモです。


137
この時間は未だ開いてません。拝観は後程。


143


144
広場に立つ聖ジョヴァンニ・ネポムチェーノ像


145
外壁はフレスコで装飾されてます。


146
高さ約56mの1196年に遡るブラマンテの塔です。イル・モーロの命によって改造されたものが現存の塔です。
この日は、塔に上ることが出来ませんでした。


147
ドゥカーレ広場からポポロ通りに出ました。


149
通りの先に教会があります。


148
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会です。


151
平日は閉まってます。


150
(つづく)

P1820252
ミラノ中央駅に到着しました。


P1820254
約25分遅れの到着でしたが、このくらいの遅れはイタリアでは許容範囲?


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この日のお宿に向かいました。


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今回は写真左のホテルです。


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チェックインを済ませて夕食に出ました。


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5月末なので、まだ十分明るい。


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中央駅西側の店にしました。


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近頃気に入っている店です。


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駅近くでは良い方の店になります。


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お腹一杯になりました。


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この日はこれで終わりです。


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翌日です。
例によってトラムで旧市街へ。


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Porta Nuova


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サン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会


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ポルディ・ペッツォーリ美術館に行きます。


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入館しました。


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この後、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂の最後の晩餐を見ました。


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後は大体同じなので省略です。


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中央駅近くにある教会です。


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サン・カミッロ・デ・レッリス教会です。


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20世紀初めに建設された新しい教会です。


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中に入りました。


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拝観するのは、初めてです。


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三廊式、ラテン十字形の内部です。


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後陣


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1923年制作の祭壇


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右側廊


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聖ジュゼッペの死(1935)


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主祭壇


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説教壇


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左側廊


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出入り口


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外に出ました。


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帰国日を迎えました。


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近頃では帰国日を待ちわびてます。


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マルペンサ空港に到着しました。


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機内食が好きではないので、ここで食べてから搭乗します。


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直ぐに混雑してきました。


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(おわり)

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雪のミラノです。


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トラムに乗って旧市街へ。


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天気予報が雨だったので安心していたら、夜が明けたら雪景色でした。


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スフォルツェスコ城に向かいます。


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雪のミラノを経験するのは11年振りです。


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積雪は2,3㎝くらい?


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人が多く通る所は雪が解けていました。


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ミラノの積雪は大したことがありませんでしたが、北イタリアからローマにかけての降雪はかなり酷くて、鉄道の大幅遅れや運休がありました。


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移動日でなくて良かった!


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城内に入りました。


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完全な雪景色


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ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」を見ます。


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市立博物館の本館に入りました。
天井のフレスコ画


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昼食は、博物館内のカフェテリアで簡単に済ますことにしました。


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足元が悪いので、レストランに行く気がしませんでした。


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昼過ぎになって、雪が融けてきました。


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雪の日の噴水はより一層寒さを感じさせます。


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タクシーでブレラ絵画館に向かいました。


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ブレラ絵画館に入館しました。


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館内は改修、模様替えの真っ最中でした。


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半分の展示室が閉鎖されていました。


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ジョヴァンニ・ベッリーニ


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アンドレア・マンテーニャ


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エルコーレ・デ・ロベルティ


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雪のため、入館者が数えるほどです。これだけ人を余り見かけなかったブレラ絵画館は初めてです。


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カラヴァッジョ


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シルヴェストロ・レーガ


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夕方になって雪が強くなってきました。


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悪天でしたが十分楽しみました。
(つづく)

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成田空港です。


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夏時間でも少しづつ出発時間が変わってます。


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マルペンサ空港に到着しました。


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中央駅行きにバスは非常に空いていました。これだけ空いていたのは初めてです。


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今回のホテルはここです。


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着いた日は寝るだけです。


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翌朝です。


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この時のミラノは、デントロ・カラヴァッジョ展がお目当てでした。


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特別展が開催されている王宮に向かいました。


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デントロ・カラヴァッジョ展については、既に取り上げました。


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朝一番に入館出来るように予約していました。


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特別展の入り口


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意外にも館内は空いていました。
中は写真不可でした。展示されていた作品の私が撮った写真を載せておきます。


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帰路にも特別展を見ます。


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旅の初日なので、重そうなガイドブックを買うのを控えました。


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ブックショップ天井の装飾


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中に1時間半いたことになります。


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帰路に2回見るので、初日は無理をしないで立ち去ります。


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次はMuseo Diocesanoです。


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ティチネーゼ門の手前でトラムを下車しました。


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サンテウストルジョ聖堂が見えます。


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聖堂の後方に向かいます。


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Museo Diocesano


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ムゼオの入り口


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サンテウストルジョ修道院だった建物がMuseo Diocesanoになってます。


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入館しました。


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Museo Diocesanoについては、既に取り上げました。


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展示作品の差し替えは殆ど行われていないようです。


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規模の大きいMuseo Diocesanoです。


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フランチェスコ・アイエツの作品


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外に出ました。
(つづく)

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アリタリア便でミラノに向かいます。


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イタリア好きの方々にはあまり評価されていないアリタリア航空のようです。
最短の時間で荷物と共に無事に往復出来れば満足なので、アリタリアを利用してます。


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マルペンサ空港に到着しました。


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JALは、馴染み客をFクラスに無条件でアップグレードしていることが分かったので、それ以降乗らないことにしました。潰れるわけです。


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しかし、最近のCクラスのサービス向上が顕著です。一昔前のFクラスよりも今のCクラスの方が断然上です。


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確かミラノ万博を機に、ミラノ中央駅のマルペンサ空港行きバスターミナルが変わりました。


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駅西側のホテルは不案内で泊まったことがありません。


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相変わらず駅東側のホテルを利用してます。


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鉄道もありますが一回しか利用したことがありません。


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駅の東側に行きます。


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この時は、写真右のホテルにしました。


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チェックイン後、少し外に出ましたが、近くを散策しただけで大人しくホテルに戻って寝ました。


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翌日です。


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時差で中々寝られず、寝入ったのが明け方でした。思わず寝過ごしてしまいました。


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午前の教会巡りを止めて、ホテルから直接ブレラ絵画館に行きました。


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この時は、ペルジーノの「聖母の結婚」が200年振りにフランスからイタリアに里帰りして、ペルジーノの弟子ラファエッロの「聖母の結婚」と同展示室で展示されていました。それが見所でした。


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何時もと同じでした。


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この時までは、いつもと同じで・・・・・


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ジャーン!!! スタッフミーティングのため、12:45から15:15まで途中休館のお達しです。
この時の時間は、11:30頃でした。


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館内で最短でも5,6時間は必要なので困りました。


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イタリアは、これだから困ります。


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仕方がないので、長い長い昼食を食べながら時間潰しをすることに。


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午後3時頃に戻ったら入館待ちの行列が出来ていました。


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切符売り場に行ったら、中は模様替えの真っ最中でした。


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何時もの出口から展示室に入るようになっていました。


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この辺は空いている筈ですが、この日は人気がありました。


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何時もなら古い作品から時代順に見るようになっていますが、新しい作品から見て行ったので戸惑いました。


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観たい作品がかなり取り外されていました。


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混雑している展示室が逆に空いていました。


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修復作業中の作品


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ペルジーノとラファエッロの「聖母の結婚」が展示されていました。


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ラファエッロの「聖母の結婚」


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ペルジーノの「聖母の結婚」


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殆どの人が見ていなかった「聖母の結婚」も同じ部屋に展示されていました。


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ペルージャのドゥオーモから貸し出されていました。


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カラヴァッジョの「エマオの晩餐」がなかった!


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カラヴァッジョ作品の代わりに展示されていた作品です。


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見ることが出来たのは、普段の半分以下でした。


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閉鎖されていた部屋が10室以上ありました。


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午後7時近くになると流石に空いてます。


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外に出ました。


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7時近くになりました。


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日が傾きました。


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冴えないブレラ絵画館となりました。


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サン・ジュゼッペ教会はもう閉まっていました。

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この日の公演はありません。


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(つづく)

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ミラノ大学を通り過ぎます。


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次はサン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂です。


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15世紀の建物


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サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂に戻ってきました。聖堂内に入るには、こちらのトリヴルツィオ礼拝堂の入り口を利用します。


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ミラノ司教聖アンブロージョの指示によって、382年創建、386年に完成した初期キリスト教会で、386年に奉献された時はBasilica Apostolorumと呼ばれていました。
395年または396年に聖ナザーロの聖遺物(遺体)が教会に移されると、何時しかサン・ナザーロ聖堂と呼ばれるようになったそうです。


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1075年3月30日に発生した火災によって壊滅的な被害を受けたので、11世紀後半にロマネスク様式に再建された建物が現在の姿の原形となってます。
トリヴルツィオ礼拝堂は、バルトロメオ・スアルディ通称ブラマンティーノ(ベルガモ、1465c-ミラノ、1530)の設計によって16世紀初頭に建設されました。


1
サンタ・カテリーナ礼拝堂は、アントニオ・ダ・ロナーテ(ロナーテ・ポッツォ―ロ、1456/1457-ミラノ、1541c)の設計によって16世紀前半に建設されました。


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後陣


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トリヴルツィオ礼拝堂ファサードの碑文


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トリヴルツィオ礼拝堂ファサード上の浮彫


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聖堂の構造図


16


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トリヴルツィオ礼拝堂の天井


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聖堂本堂に入りました。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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最古のラテン十字形教会と言われてます。


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ダニエーレ・クレスピ(ブスト・アルシツィオ、1598-ミラノ、1630)の「受胎告知」


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カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551-ミラノ、1629)の「キリストの神殿奉献」


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逸名画家作「聖母子と聖マトロニアーノ」(15-16世紀)


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制作者情報不知の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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詳細不知


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逸名画家作「我に触れるな」(14世紀)


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルダウ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「最後の晩餐」


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左側壁の礼拝堂


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15世紀のフレスコ


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15世紀のフレスコ


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15世紀のプレセーペ


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カルロ・ジュゼッペ・メルロ(ミラノ、1690-1760)のAltare di Sant' Ulderico


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詳細不知


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詳細不知


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サンタ・カテリーナ礼拝堂


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ベルナルディーノ・ラニーノ(モルダウ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの生涯の物語」(1548-49)


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もう一度見ました。


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制作者情報不知の「ご訪問」


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トリヴルツィオ礼拝堂の出入口方向


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外に出ました。


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ゆっくり見ることが出来て満足しました。


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教会巡りは運です。


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(つづく)

引き続きサント・ステファノ・マッジョーレ聖堂です。
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聖アンナの生涯の物語です。


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私には、フェデリーコ・ビアンキの作品に思えます。


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作品の制作者について調べましたが確実な所が分かりません。


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出入口方向


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外に出ました。
鐘楼の前にある低い塔は、1642年に倒壊した鐘楼の残骸です。


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次は、サント・ステファノ広場でサント・ステファノ・マッジョーレ聖堂に隣接して建つサン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサ教会です。


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納骨堂で有名なサン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサ教会です。


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1127年、教会が建っている場所近くにサン・バルナバ・イン・ブローロ病院が建設されました。また、1150年にサント・ステファノ・マッジョーレ複合施設の一つとしてサント・ステファノ病院が建設されましたが、それと同時にサント・ステファノ・マッジョーレ聖堂の敷地内に墓地が設けられました。


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しかし、ペストの流行があって、墓地は直ぐに一杯になってしまい、1210年に、現在地に死者の遺骨を収容する建物が建設されました。その納骨堂を含む小さな教会が1269年に建設されましたが、それが前身です。


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1642年、サント・ステファノ・マッジョーレ聖堂の鐘楼が倒壊したのですが、倒壊した鐘楼がサン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサ教会の建物に直撃して破壊されてしまいました。1679年に二代目の再建されました。


P1630313
しかし、二代目の建物は、1712年の火災によって消失してしまいました。
カルロ・ジュゼッペ・メルロ(ミラノ、1690-1760)の設計によって、1776年に完成したファサードを持つ建物が現在の姿です。


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教会内部に入りました。


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八角形、バロック様式の内部です。


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クーポラ


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先ず納骨堂に向かいました。


15
不気味な感じがするので、直ぐに納骨堂を後にしました。


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主祭壇


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シンプルな後陣の装飾です。


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主祭壇画は、謎の画家”アマデイ”の「聖母子」


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ジローラモ・ロットリーニ修道院長作「パラビアーゴの戦いの間に祈る聖アンブロージョ」


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詳細不知


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ジローラモ・ロットリーニ修道院長作「ペスト患者に聖体拝領させる聖カルロ・ボッロメオ」


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


P1630350
詳細不知


P1630353
詳細不知


P1630358
詳細不知


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外に出ました。
(つづく)

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サント・ステファノ広場に建つサント・ステファノ・マッジョーレ聖堂です。


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417年に創建されたサン・ザッカリア教会が前身です。奉献する聖人が聖ステファノに変更されると共に教会名称も改められましたが、その時期はよく分かっていないようです。


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1070年、初代の建物は火災によって消失したので、1075年、ロマネスク様式で再建されました。二代目の建物が現在の姿の原形です。


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1594年、フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿(当時は大司教)によって建物が改造されました。その改造の一環としてファサードも17世紀半ばに再建されました。


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1642年に鐘楼が倒壊したので、ジローラモ・クゥアドリオ(ルガーノ、1625-ミラノ、1679)の設計によって17世紀後半に再建された鐘楼が現在目にしています。


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ファサードの装飾


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この教会は2つの事柄によってかなり有名となってます。
1476年12月26日、ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(フェルモ、1444-ミラノ、1476)がこの教会で部下によって暗殺されました。ガレアッツォは酷薄苛烈な性格で、パアハラの権化でしたから、殺されるのは当然だったと思います。
もう一つは、1571年9月30日、ミケランジェロ・メリージ通称カラヴァッジョ(ミラノ、1571-ポルト・エンコレ、1610)がこの教会で洗礼を受けたのです。
それまで画家カラヴァッジョの生誕地としてミラノ説、カラヴァッジョ説の2つがあって、確定していませんしたが、2007年2月、ミラノのMuseo Diocesanoの保存文書の中からカラヴァッジョの洗礼記録が発見され、カラヴァッジョのミラノ生まれが確定したのです。


13
ガレアッツォ・マリア・スフォルツァの暗殺を記述した聖堂にある碑文


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聖堂内に入りました。


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三廊式


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右側廊方向


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天井の装飾


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主祭壇


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天蓋


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主祭壇の磔刑像


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詳細不知


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説教壇


P1630175
詳細不知


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フランチェスコ・カイロ(ミラノ、1607-1665)に帰属する「聖ステファノ」


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左側廊の礼拝堂


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礼拝堂天井


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フェデリーコ・ビアンキ(マスナーゴ、1635-ミラノ、1719)の「聖母子と聖アンナ」


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詳細不知


P1630186
右側廊


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ジョヴァンニ・マウロ・デッラ・ローヴェレ通称イル・フィアッメンギーノ(ミラノ、1575-1640)の「ご誕生」


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ロンバルドの逸名画家作「キリストの神殿奉献」(17世紀)


P1630193
ロンバルドの逸名画家作「マギの礼拝」(17世紀)


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逸名画家作「ピエタ」


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フランチェスコ・カイロ(ミラノ、1607-1665)に帰属する「聖ステファノの殉教」


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詳細不知


P1630206
詳細不知


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左側廊


P1630209


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左側廊天井


P1630212
詳細不知


P1630215
詳細不知


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聖体容器


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聖水盤


P1630219
詳細不知


P1630221
ロマネスクの浮彫(12世紀)


P1630223
16世紀の逸名画家作「聖アンブロージョ」


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逸名彫刻家作の「磔刑」(15世紀)


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右側廊


P1630226


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詳細不知


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詳細不知


P1630232
詳細不知


P1630233
詳細不知


P1630235
詳細不知


P1630237
詳細不知


P1630243
詳細不知


P1630248
詳細不知


P1630250
詳細不知


P1630254
Cappella Trivulzio


P1630259
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551-ミラノ、1629)の「天上のキリストと聖ステファノ」


14
(つづく)

P1630115
地下鉄でミッソーリ駅に着きました。


P1630116
サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂に向かいました。


P1630117
ありゃ、あれは何だ?


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サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂の左翼廊付近が修復中のようです。


3
普段はこのような外観です。


2
左翼廊


1
サンタ・カテリーナ礼拝堂


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聖堂の入り口があるトリヴルツィオ礼拝堂に回ります。


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トリヴルツィオ礼拝堂のファサードです。


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安心しました、扉が開いてます。


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聖堂の中に入ろうとしましたが、ミサ中でした。これでは拝観するわけにはいきません。


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入り口横の壁にあるフレスコ断片


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ミサが終わる時間にもう一度来ることにして、サン・ナザーロ・マッジョーレ聖堂を後にしました。


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ミラノ大学の方に行くことにしました。


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写真右は旧マッジョーレ病院です。


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ミラノは自転車シェアが盛んです。


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初代ミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァ(サン・ミニアート、1401-ミラノ、1466)によって1456年に創建されました。


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設計者は、アントニオ・ディ・ピエトロ・アヴェリーノ通称イル・フィアレーテ(フィレンツェ、1400c-ローマ、1469)でした。


P1630141
創建以来、幾度か増設され完成まで約200年を要しました。


P1630144
1943年8月15日夜から早朝にかけて、ドイツ軍による爆撃に大きな被害を受けました。その後、修復工事が行われましたが、新しく見える部分は再建された箇所です。


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1939年まで病院でした。1958年、ミラノ大学の本部として建物が使用されることになり、現在に至ってます。


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入口のファサードは、フランチェスコ・マリア・リチーニ(ミラノ、1584-1658)の設計によるもので、17世紀に建設されました。


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次はサンタントニオ・アバーテ教会です。


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サンタントニオ・アバーテ教会の鐘楼が見えてます。
ファサードの方に回ります。


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サンタントニオ・アバーテ教会のファサードが見えてます。


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聖アンブロージョ司教の時代、4世紀に建設されたTempioが前身とされてます。
1272年以降に再建されました。


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15世紀に建設された鐘楼


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17-18世紀に現在の姿に改造されました。


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ファサードの彫刻


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見逃せない作品が幾つかあります。


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扉が閉まっていたのが残念でした。
外部サイトから作品画像を拝借して、教会内にある作品を幾つか紹介させて頂きます。


4
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「受胎告知」


5
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「エジプトへの逃避」


6
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「ご訪問」


7
ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555-1619)の「羊飼いの礼拝」


8
ピエル・フランチェスコ・マッツゥッケッリ通称通称イル・モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573-ピアチェンツァ、1626)の「マギの礼拝」


9
ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称イル・マロッゾ(クレモナ、1555-パルマ、1612)の「キリストの昇天」


10
ベルナルディーノ・カンピ(レッジョ・エミリア、1522-1591)の「聖チェチリア」


11
ジョヴァンニ・バッティスタ・カンピ通称イル・チェラーノ(ロマニャーノ・セーシャ、1573-ミラノ、1632)の「聖ガエターノ」


12
ジョヴァンニ・アンブロージョ・フィジーノ(ミラノ、1540-1608)の「聖母の誕生」


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次はサント・ステファノ聖堂です。


P1630156
(つづく)

P1520058
成田空港は雨でした。


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アリタリア航空でミラノに向かいました。


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機内は退屈です。


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映画は見ません。見るのはフライト情報だけです。


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もう直ぐミラノです。


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マルペンサ空港に到着しました。


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予定よりも早く到着しました。


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荷物が出てきません。


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バスでミラノ中央駅に到着しました。


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ホテルは何時もの所でした。


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朝です。


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この日の朝、パレルモに飛びます。


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リナ―テ空港に向かいました。


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バスは空いていました。


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リナ―テ空港に到着しました。


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荷物預けとセキュリティ・チェックに問題がありました。


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問題の原因は、日本語の搭乗券でした。イタリア人には理解不能ですから。


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イタリア国内便の搭乗券は、日本語ではなくイタリア語又は英語表記が良いと思いました。


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搭乗口は2か所。


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ミラノを離れました。


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この回の旅行の最終目的地がミラノでした。フィレンツェからミラノ中央駅に到着しました。


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ホテルに向かいます。


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ミラノ・コレクションの開催週間だったので、何時もの中央駅近く(このホテルも近いですが)のホテルが満室でした。この時はここに泊まりました。


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チェックインを済ませて街歩きに出発しました。


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ミラノ・ポルタ・ジェノヴァ駅


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ポルタ・ジェノヴァ駅の駅舎


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駅前広場


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トラム・ターミナルがあって便利です。


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(つづく)

サン・シンプリチャーノ聖堂の続きです。
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17世紀の逸名彫刻家作「磔刑像」


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ジローラモ・キニョーリの「聖マウロの奇跡」


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アレッサンドロ・ブランビッラの「聖マウロの物語」(1891)


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アレッサンドロ・ブランビッラの「聖マウロの物語」(1891)


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15世紀のフレスコ画


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エミリオ・カヴェナーギ(カラヴァッジョ、1852-ミラノ、1876)の「四福音書記者」


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エミリオ・カヴェナーギ(カラヴァッジョ、1852-ミラノ、1876)の「四福音書記者」


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右側廊


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詳細不知


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詳細不知


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大部分の照明が消されてしまいました。


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説教壇


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右翼廊の礼拝堂


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14世紀のフレスコ画


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14世紀のフレスコ画


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ファサード裏にオルガンがあります。


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外に出ました。


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トラムで中央駅に戻りました。


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トラムに乗車中に雷雨となりました。


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止んだかと思うと直ぐに雷雨に。


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夕食のために外出しました。


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スコールを繰り返すので遠出を諦めて中央駅近くの店でお茶を濁します。


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この店は閉店して今はありません。ここで食べました。


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食べ終わって外に出ると青空が出てきました。


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翌朝です。


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帰国日の朝なので、適当に買い物へ。


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トラムで中心街へ


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ミラノと暫しのお別れです。


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バスでマルペンサ空港へ


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マルペンサ空港は雨でした。


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(つづく)

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次はサン・シンプリチャーノ聖堂です。


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ガリバルディ通りを進みます。


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この建物は何でしょうか?


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その答えはこれです。


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サン・シンプリチャーノ聖堂はもう直ぐです。


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パレルモ通りとの交差点


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次を左折すれば聖堂前の道路があります。


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サン・シンプリチャーノ聖堂です。


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4世紀第4四半世紀、ミラノ司教聖アンブロージョ(トーリア、339/340-ミラノ、397)によって異教の墓地だった現在地に建設された初期キリスト教会です。
聖アンブロージョは、聖シンプリチャーノ(べヴェラ―テ・ディ・ブリヴィオ、320c-ミラノ、401)をミラノ司教後継者に指名しました。401年、ミラノ大司教となった聖シンプリチャーノが没し、聖遺物となった聖シンプリチャーノの遺体はこの聖堂内に埋葬されましたが、それと共に教会の名称が現称に改称されました。


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建物は590年から615年にかけて拡大改造されました。
9世紀、ベネデット会の所有教会となり、教会に隣接して大修道院が建設されました。
教会は、11世紀から13世紀に、さらに15世紀に改造され、16世紀に増築されました。


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ローマ時代後期のアーチに支えられた身廊右側


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ネオ・ロマネスク様式のファサードは、1870年に再建された、比較的新しいものです。


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修道院の建物


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ファサードの、向かって右扉上ルネッタのモザイク


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中央扉上ルネッタ


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ファサードの左扉上ルネッタのモザイク


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聖堂内に入りました。


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1840年、現在の姿のように改装された内部です。


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三廊式、ラテン十字形


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交差ヴォールト


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右側廊


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右側廊からの眺め


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主祭壇


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詳細不知


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後陣のフレスコ画が見所です。


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アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称ボルゴニョーネ(フォッサーノ、1453c-ミラノ、1523)の「聖母戴冠」


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アウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530-1592)の「聖プラチドと聖マウロ司教」(1588)
アウレリオは、ベルナルディーノ・ルイーニの4男です。


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詳細不知


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16世紀のロンバルドの逸名画家作「十字架降下」


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無原罪の礼拝堂(19世紀)


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アレッサンドロ・ブランビッラの「ユディト」(19世紀)


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アレッサンドロ・ブランビッラの「デボラ」(19世紀)


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カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1561-ミラノ、1629)の「聖母の結婚」


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左側廊


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サン・ベネデット礼拝堂


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エネア・サルメッジャ(ベルガモ、1558-1626)の「子供を蘇生させる聖ベネデット」(1619)


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サン・ベネデット礼拝堂天井のフレスコ画
(つづく)

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ドゥオーモ広場に来たのはドゥオーモの拝観が目的ではありません。


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王宮で開催されているレオナルド・ダ・ヴィンチ展が目的です。


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完成作品が少ないレオナルド・ダ・ヴィンチ展の開催は、手稿や手稿に記された工夫の模型などを展示してお茶を濁すのが普通ですが、この時はミラノ万博の目玉となっていたので、完成作品がある程度揃っていたので大変な人気でした。


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あれっ、行列がない!!


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この一か月前にもレオナルド・ダ・ヴィンチ展に入ったのですが、その時は予約なしでした。ドゥオーモ近くまで長蛇の列で酷い目に遭いました。
それに懲りて、今回は予約して来たのです。


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拍子抜けしました。


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外に出ました。館内人数の定員制と採っていたのでしょう、中の混雑は一か月前と殆ど同じでした。


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ミラノ万博開催を機に、ドゥオーモは拝観有料に転じました。


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大した金額ではないけれど、無料で自由に拝観出来たことを思い出し、有料化に抵抗感があって、有料化以降一度も拝観したことがありません。


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夏至間近の観光シーズンにしては、全般的に人出が少なめでした。


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ドゥオーモのファサードを見ました。


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(つづく)

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以前、写真券を買えば写真OKだったアンブロジアーナ美術館ですが、多くの美術館や博物館で写真が解禁された2014年6月頃から何故か写真券制度がなくなって、写真不可となり、多分現在に至っていると思います。
展示室内は写真不可ですが、展示室に向かう途中の階段の壁などのある作品は写真OKのようです。


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制作者情報不知の「フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿の肖像」
フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿はアンブロジアーナ図書館の設立者です。


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パウル(ポール)・ブリル(アンヴェルサ、1554-ローマ、1626)の「アヌビスがいる風景」


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パウル(ポール)・ブリル(アンヴェルサ、1554-ローマ、1626)の「ムティウスがいる風景」


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ジャコモ・モラーリア(ミラノ、1791-1860)とポンぺオ・マルケージ(サルトリオ、1789-ミラノ、1858)とアントニオ・カノーヴァ(ポッサーニョ、1757-ヴェネツィア、1822)の「ジュゼッペ・ボッシのモニュメント」
ジュゼッペ・ボッシ(ブスト・アルシツィオ、1777-ミラノ、1815)は、画家、評論家、美術収集家でした。


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階段途中や壁の作品を見ます。


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有名なラオコーン
16世紀に制作された複製です。


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ミケランジェロのピエタがここにある、と叫んでいたイタリア人少年がいました。
16世紀に制作された複製です。非常に出来が良いので見る価値ありです。


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アントニオ・ブスカの作品


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ダニエーレ・クレスピ(ブスト・アルシツィオ、1597/1600-ミラノ、1630)の「聖母子とアッシジの聖フランチェスコと聖カルロ・ボッロメオ」


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この時も展示室内は写真不可でした。


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赤煉瓦の部分は隣接するサン・セポルクロ教会です。


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頼み込んだら、遠くからならば良いと撮らせてもらったカラヴァッジョの「果物籠」


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外に出ました。


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フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿像


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アンブロジアーナ図書館に隣接して教会が建ってます。順序は逆で、教会に隣接して図書館の建物が建設されたのです。


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サン・セポルクロ教会です。


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1030年創建の教会です。現存する建物は、何度も改造されて創建時の姿とは全く違うとされてます。


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1099年、ロンバルド十字軍が聖地エルサレムを奪回したことの祝福として、1100年に拡大改造されました。


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1578年、聖カルロ・ボッロメオによって設立されたOblati dei Santi Ambrogio e Carlo(信心会)の教会になりました。


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1605年、フェデリーコ・ボッロメオ枢機卿によって、教会の隣と後ろにアンブロジアーナ図書館が建設されると共に、教会内部がバロック様式に改修されました。


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1713年から1719年にかけて、ファサードがバロック様式に改修されました。現在のネオ・ロマネスク様式のファサードは、元に姿に戻そうとして1894年から1897年にかけて再建されたものです。
2本の鐘楼は、12世紀のオリジナルのものです。


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中に入りました。


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1713年から1719年にバロック様式から新古典様式に改修された内部です。


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古い作品は美術館に移されました。


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1030年創建の痕跡は全くありません。


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天井のフレスコ画


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詳細不知


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609-1702)の「聖母子と2聖人」


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5


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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ドゥオーモ広場に向かいます。


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(つづく)

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ミラノ市立博物館の本館(スフォルツァ城内)です。


P1630710
ミラノ市立博物館については既に2回取り上げました。
毎年、複数回入館してますが、毎回少しづつ展示内容が違います。


P1630753
ベネデット・ベンボ


P1630765
アンブロージョ・べヴィラクゥア


P1630775
バルダッサッレ・デステ


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P1630784
ヴィンチェンツォ・フォッパ


P1630791
ヴィンチェンツォ・フォッパ


P1630801
ヴィンチェンツォ・フォッパ


P1630806
ヴィンチェンツォ・フォッパ


P1630808
ヴィンチェンツォ・フォッパ


P1630820
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ


P1630824
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ


P1630826
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ


P1630837
マルコ・ドッジョーノ


P1630860
ベルナルディーノ・ブティ―ノーネ


P1630867
ロンバルドの逸名画家


P1630881
マルコ・ドッジョーノ


P1630884
チェーザ・ダ・セスト


P1630895
ベルナルド・ゼナレ


P1630926
アゴスティーノ・ブスティ通称バンバイア


P1630930
ブラマンティーノ


P1630940
アンドレア・ソラーリオ


P1630944
べルナルディーノ・デ・コンティ


P1630946
ジャンピエトリーノ


P1630952
ベルナルディーノ・ルイーニ


P1630966
フィリッポ・リッピ


P1630970
アントネッロ・ダ・メッシーナ


P1630977
ジョヴァンニ・ベッリーニ


P1630983
マンテーニャ


P1630998
カルロ・クリヴェッリ


P1640004
コレッジョ


P1640093
ロレンツォ・ロット


P1640096
ティントレット


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幅広い展示です。


P1640122
外に出ました。


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次はアンブロジアーナ美術館です。


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徒歩で美術館に向かいました。


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ミラノ万博は、この時点では不人気でした。


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万博期間中のホテル代が高過ぎたのも、はじめ不人気だった理由の一つだったと思います。


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それで途中からホテル代を値下げしたら万博に客足が伸びたようです。


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終盤近くなって万博の大行列の報道に接して驚きました。


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振り返って写真を撮りました。


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ドゥオーモが写ってます。


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P1640141
アンブロジアーナ美術館に着きました。
(つづく)

引き続きサンタ・マリア・インコロナータ教会です。
P1350998
告解室?


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詳細不知の磔刑像


P1360005
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453c-ミラノ、1523)に帰属する「Cristo sotto il torchio」


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礼拝堂天井のフレスコ


P1360007
詳細不知


P1360009
チーロ・フェッリ(ローマ、1634-1689)の「トレンティーノの聖二コラの物語」


P1360013
チーロ・フェッリ(ローマ、1634-1689)の「トレンティーノの聖二コラの物語」


P1360016
チーロ・フェッリ(ローマ、1634-1689)の「トレンティーノの聖二コラの物語」


P1360020
詳細不知


P1360023
制作者情報不知の「聖カルロ・ボッロメオと聖フィリッポ・ネリとサレスの聖フランチェスコ」


P1360029
制作者情報不知の「磔刑」


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P1360031
説教壇


P1360032
制作者情報不知の「最後の晩餐」


P1360035
詳細不知のフレスコ断片


P1360039
詳細不知


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オリジナルのサンタ・マリア・インコロナータ教会の主祭壇です。


P1360044
詳細不知


P1360048
詳細不知


P1360049


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P1360052
外に出る前に、もう一度ボルゴニョーネのフレスコ画を見ました。


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外に出ました。


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トラムで移動します。


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トラムを乗り継いでノルド駅に着きました。


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スフォルツァ城に向かいます。


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この時、ミラノ万博が開催されたばかりでした。奇妙なオブジェはミラノ万博用のものでしょう。


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毎年入館しているミラノ市立博物館に入館するために来ました。


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スフォルツァ家の紋章


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P1630507
万博の切符売り場だったような・・・・・


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如何にもイタリア人が好みそうな・・・・・


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ミラノ万博は、閉幕近くになると大人気でしたが、開幕したばかりの時は全くの不人気でガラガラでした。


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城内に入りました。


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恐らくミラノ万博開催を記念して新設されたと思われるミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」展時専用設備。


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入館するには市立博物館の切符が必要です。


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切符売り場の入り口


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切符を買いました。

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入館します。


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ミケランジェロの遺作となった未完の「ロンダニーニのピエタ」


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(つづく)

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成田空港から出発です。
定刻の出発時間が表示されていました。ところが、ところが、でした。


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遅れてウンザリ。


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マルペンサ空港に到着しました。


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バスで中央駅へ。


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この日のミラノは雨でした。


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中央駅横のバスターミナルに到着。
初夏だったので日没前に到着予定でしたが、イタリアからの成田到着便が遅れた影響で3時間遅れのマルペンサ到着となりました。


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駅至近のミケランジェロがこの日のお宿です。


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ホテル近くのスーパーに買い物に。


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予定では、レストランに行く予定でしたが、飛行機が遅れたので叶わず。


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翌朝です。


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かなり寒い雨の一日となりました。


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この後、バガッティ・ヴァルセッキ博物館とボスキ・ディ・ステファノ邸美術館に行きました。写真不可だったの紹介を省略させて頂きます。


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ミラノ到着から25日後、帰路のミラノです。


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天気に恵まれました。


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今まであまり拝観に恵まれなかった教会巡りをしました。


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今回は、サンタ・マリア・インコロナータ教会です。


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ガリバルディ通りに面して建つサンタ・マリア・インコロナータ教会、正式には教区教会です。


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珍しい二重ファサードが目立ちます。


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ミラノ自治都市時代に建設されたサンタ・マリア・ディ・ガルニャーノ教会が前身です。


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1400年、アゴスティーノ会修道士によって、サンタ・マリア・ディ・ガルニャーノ教会に隣接して、修道院が建設されました。
1451年、教会の名称がサンタ・マリア・インコロナータ教会に改称されました。
写真左側は後期ゴシック様式のサンタ・マリア・インコロナータ教会で、ミラノ公爵フランチェスコ1世・スフォルツァ(サン・ミニアート、1401-ミラノ、1466)によって1450年から1460年にかけて再建されました。
写真右側は、トレンティーノの聖二コラを奉献するサン・二コラ・ダ・トレンティーノ新教会で、ミラノ公爵フランチェスコ1世・スフォルツァの妻ビアンカ・マリア・ヴィスコンティ(セッティ―モ・パヴェ―ゼ、1425-クレモナ、1468)によって1460年に建設されました。
1468年、2つの教会は合併され、合併後の名称は左側のサンタ・マリア・インコロナータ教会がそのまま引き継がれました。


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鐘楼


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旧サン・二コラ・ダ・トレンティーノ教会の右側壁の礼拝堂
1654年と1827年に大改造され、現在の姿と異なる外観でしたが、1900年に中世の姿に戻す改造工事が行われ、現在の姿となりました。


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ファサードのStemma Visconteo


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右側の旧サン・二コラ・ダ・トレンティーノ教会の入り口扉上ルネッタ上の「トレンティーノの聖二コラ像」


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左側入口扉上ルネッタ上の「戴冠した聖母像」


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扉が開く時間に来ました。


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中に入りました。


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当たり前ですが、中も二重構造になっていました。


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左側のオリジナルのサンタ・マリア・インコロナータ教会です。


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その右側に旧サン・二コラ・ダ・トレンティーノ教会があります。


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左側壁


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旧サン・二コラ・ダ・トレンティーノ教会


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右側壁


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ロレンツォ・ギベルティ派逸名金工家作「右後陣の磔刑像」(16世紀)


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バロックの逸名画家作「トレンティーノの聖二コラの生涯」(17世紀)


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右後陣の天井


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詳細不知の「聖家族」


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15世紀のフレスコ画 上はアレッサンドリアの聖カテリーナ、下はモンテファルコの聖キアーラ


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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(つづく)

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この時の旅はこれで終了です。


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ホテルに戻り、荷物を受け取り、空港に行って搭乗するだけです。


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靴下と靴が濡れたので、替える必要がありそうでした。


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ホテルに預けた荷物の中に、靴がもう一足あるので靴の方は問題なしでした。


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ところが靴下の方に問題がありました。


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帰国日に合わせて、肌着や靴下の洗濯を止めていたので、替えの靴下がない!


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靴下の洗濯は簡単なので、ホテルでやっておけば良かったのですが、後の祭りです。


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ズボラな性格なもので、洗濯は必要最小限度にしていたのが仇になりました。


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靴下を買うために街歩きを少々継続です。


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靴下を売っている店を探しました。


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ミラノの中心街には紳士用靴下を売っていそうな店が中々ない。


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婦人用下着や靴下を売っている店には入りましたが、紳士用は扱っていない!


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参りました。


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旅をしていると色々なことが起こります。


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中央駅の店で買うことが出来ました。


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イタリアでは爪切りを買うのが大変だったことを覚えてます。


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旅の途中で、持参していた爪切りが分解してしまい、爪が伸びたので爪切りが必要になったのです。


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スーパーに行ってもないし、100円ショップのイタリア版の店に行っても扱っていなかった。


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ドイツならば、ヘンケルの刃物類を扱っている店で簡単に買えますが・・・・・


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フィレンツェの金物屋で買うことが出来ました。


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出発まで、あと4時間です。


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余裕をもって空港に行きたいので、そろそろ切り上げの時間になりました。


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中央駅に行けば、靴下が買えるだろうと楽観視していました。


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地下鉄で中央駅に向かいました。


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駅のショップで靴下を買うのに意外に苦戦して時間がかかってしまいました。


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ラウンジで少しゆっくりしたかったのですが叶わず。


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小さな飛行機です。


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(つづく)

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トリノ通りに戻りました。


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次はサン・ジョルジョ・アル・パラッツォ教会です。


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教会が建っている小さな広場にやってきました。


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サン・ジョルジョ・アル・パラッツォ教会です。


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750年、または751年、ロンゴバルドのフリウリ公爵ラチス(後のイタリア王)によって創建されました。


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12世紀に再建されました。


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1158年と1201年の文書に、この教会の存在が記されているそうです。


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16世紀以降、3回に渡る大改修を受け、現在の外観となりました。


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ファサードは、フランチェスコ・クローチェ(ミラノ、1696-1773)の設計によって1774年に完成しました。


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アルフォンゾ・パッロッケッティの設計によって19世紀末に建設された新古典様式のクーポラと鐘楼です。


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ファサードの装飾


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ネオ・バロック様式の内部です。


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1800年と1821年にルイージ・カニョーラ(ミラノ、1762-インヴェリーゴ、1833)によって大改修された内部です。


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天井


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左側廊


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右側廊


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詳細不知


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ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「聖ジローラモ」


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19世紀末に建設されたクーポラ


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ピエル・フランチェスコ・マッツゥッケッリ通称イル・モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573-ピアチェンツァ、1626)の「聖ジョルジョの殉教」


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詳細不知


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ピエル・フランチェスコ・マッツゥッケッリ通称イル・モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573-ピアチェンツァ、1626)の「マギの礼拝」


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詳細不知


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雨天のためか、暗くてよく見えません。


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詳細不知


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この教会の最大の見所、Cappella della Passioneです。


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礼拝堂のフレスコ画は、ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c-ミラノ、1532)によって1516年に制作されました。


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嘆き


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荊刑のキリスト


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磔刑


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この人を見よ


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キリストの鞭打ち


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇


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ベルナルディーノ・ルイーニ作説がある後陣のフレスコ画


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ジョヴァンニ・ステファノ・ダネーディ通称イル・モンタルト(トレヴィーリオ、1612-ミラノ、1690)の「幼きキリストへの崇拝」


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ジョヴァンニ・ステファノ・ダネーディ通称イル・モンタルト(トレヴィーリオ、1612-ミラノ、1690)の「割礼」


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後陣は立ち入り禁止なのでよく見えません。


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ウンベルト・マリニャーニの「聖カルロ・ボッロメオ」(1926)


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ダニエーレ・クレスピ(ブスト・アルシツィオ、1598-ミラノ、1630)の「ロザリオの聖母」


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ジュゼッペ・メラーニ(ピサ、1673-1747)の「聖カルロ・ボッロメオに顕現するキリスト」


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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次はサン・セバスティアーノ市立寺院です。


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サン・セバスティアーノ市立寺院です。
この場所に初期キリスト教のサン・トランクィッリーノ教会がありました。


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16世紀後半、ミラノを襲ったペスト禍収拾を奉献するために、1576年、当時のミラノ司教聖カルロ・ボッロメオの主導によって、ペッレグリーノ・ティバルディ(ピューリア、1527-ミラノ、1596)の設計、ミラノ自治体の費用負担によって、1577年から1616年にかけて建設されました。
ペッレグリーノ・ティバルディは建設の途中で体調を崩したので、建築家ジュゼッペ・メーダ(1534-1599)に建設工事が引き継がれましたが、メーダも1599年に没してしまい、メーダの後を引き継いだファビオ・マンゴーネ(カラヴァッジョ、1587-ミラノ、1629)が完成させたのです。


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クーポラは、ピエトロ・アントニオ・バルカ(ミラノ、1586c-1639c)によって1616年-1617年に建設されました。


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他の教会と違って、今なおミラノ市が所有してます。


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ファサードの装飾


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扉が開いていました。


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中に入りました。


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ほぼ円形の内部です。


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マニエリスム様式の内部です。


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クーポラのフレスコ画は、アゴスティーノ・コメーリオ(ロカーテ、1784-1829)によって描かれました。


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コメーリオは未完成で没したので、ラザーロ・パシーニ(レッジョ・エミリア、1861-ミラノ、1949)によって完成されたフレスコ画です。


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詳細不知
見慣れた作品がありますが、私見では、オリジナルではないようで、恐らく複製画でしょう。


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ベネデット・カッチャトーリ(カッラーラ、1794-1871)の「ピエタ」


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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外に出ました。


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雨がかなり強くなってきました。


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次はサント・セポルクロ教会です。教会はアンブロジアーナ図書館の隣にあります。


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まだ8時を過ぎたばかりです。


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アンブロジアーナ美術館です。


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開館は午前10時からです。


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帰国の日に入館するわけにはいきません。


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少し大回りしてアンブロジアーナ図書館に向かいました。


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Via dell Ambrosiana


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アンブロジアーナ図書館です。


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図書館と教会がくっついてます。


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サント・セポルクロ教会です。


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鐘楼が2本あります。


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この日の朝は開いている筈ですが、来てみると扉が閉まっていました。


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「行ってみないと分からない、行ってみて初めて分かる」 今回もこれでした。


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トリノ通りに戻ります。


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嬉しいことに雨が少し小降りになりました。


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(つづく)

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ガッレリアに向かいました。


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ガッレリアの入り口でレオナルド・ダ・ヴィンチ展が行われていました。
手稿に記載されている機械、工夫などを模型によって具現化したものが展示されていました。


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ガッレリアに入りました。


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相変わらずの賑わいでした。


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ドゥオーモ広場とスカラ座方面を繋ぐ通路です。


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通路と通路の交差点四隅の店が時々変わります。


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この時はプラダが2つでしたが、4隅ともプラダだった時があったような気がします。


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ガッレリア中央の天井


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モザイク


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ミラノの紋章


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やってます!
牡牛の大事な所に踵を付けて、とまらずに3回転出来る幸福になれるそうです。


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数年前に修復されましたが、穴が出来てしまいました。
これってトリノの紋章なんです。
ミラノにサッカーチームが2つありますが、トリノの憎っきユヴェントスとの試合日前後に、トリノのシンボル牡牛の大事な所に踵を付けて回転させて、ファンの士気を高揚させたり、地元の勝利を祝したり、敗戦のうっぷん晴らしをするという別説があります。


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修復されて間もないころ


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地元の人に聞いたことがありますが、ユヴェントス説を支持していました。


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ドゥオーモ広場に出ます。


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ドゥオーモ広場


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愛用のエルメデジルド・ゼニアの広告がありました。


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地下鉄で中央駅近くのホテルに戻りました。


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ミケランジェロが満室だったので、その向かいのホテルに泊まってました。


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特に問題なしのホテル


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それにしてもミラノのホテル代が高い!


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この時の旅の最後の夜なので、買い物に出ました。


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ブエノス・アイレス通りのスーパーに行きました。


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翌朝です。生憎の雨天でした。


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ドゥオーモ付近の教会を巡ります。


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トリノ通り


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マルペンサからの成田直行便に乗るので、午前10時半までにはホテルに戻りたいところです。


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サン・サティーロ教会


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拝観しました。


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写真不可なので、中の写真がありません。


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(つづく)

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ポルディ・ペッツォーリ美術館は、この日の翌日に行きました。


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次はサン・フェデーレ教会です。


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この日の公演はありません。


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スカラ座前からサン・フェデーレ教会が見えます。


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サン・フェデーレ教会です。正式名はChiesa di Santa Maria della Scala in San Fedeleと言います。
313年、この場所に建てられたサンタ・マリア・イン・ソラリオ―ロ教会が前身です。11世紀、奉献する聖人を聖フェデーレに変更すると共に、サン・フェデーレ教会と呼称されるようになりました。


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現在の建物は、16世紀に聖カルロ・ボッロメオが、反宗教改革を目的にイエズス会の教会として建設されました。


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ペッレグリーノ・ティバルディ(ピューリア、1527-ミラノ、1596)の設計によって、1569年に創建され、1579年に活動が行われる状態になったマニエリスム様式の建物です。
1579年、聖カルロ・ボッロメオによって奉献式が執り行われました。
1586年、建設工事は建築家マルティーノ・バッシ(セレーニョ、1542-ミラノ、1591)に引き継がれ、更に1629年、建築家フランチェスコ・マリア・リッチーニ(ミラノ、1584-1658)に引き継がれて完成しました。


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クーポラは、アンドレア・ビッフィ(ミラノ、1645-1686)の設計によって1684年に建設されました。


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1773年、イエズス会活動抑止令によって教会活動が停止されてしまい、ファサードが1776年に取り壊されました。
現在のファサードは、建築家ピエトロ・ペスタガッリ(ミラノ、1776-1853)によって、ペッレグリーノ・ティバルディ設計に基づくオリジナルのファサードに出来るだけ忠実に復元(1835年)されたものです。


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サン・フェデーレ広場に、フランチェスコ・バルザーギ(ミラノ、1839-1892)の「アレッサンドロ・マンゾーニのモニュメント」(1883)があります。
アレッサンドロ・マンゾーニ(ミラノ、1785-1873)は詩人、作家ですが、1873年、サン・フェデーレ教会から外に出るときに躓いて大怪我をし、それがもとで死去したのです。


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ファサードの最上部は、ガエターノ・マッテオ・モンティ(ラヴェンナ、1776-ミラノ、1847)の「聖母被昇天」


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ファサードの彫刻


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教会の説明プレート


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教会の構造図


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教会内に入りました。


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単廊式、マニエリスム様式の内部です。翼廊がありません。


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左右に2つづつの礼拝堂があります。


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天井にイエズス会の紋章があります。


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Cappella della Deposizione


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シモーネ・ペテルツァーノ(ベルガモ、1535-ミラノ、1599)の「十字架降下」(1573-78c)


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説明板があります。


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詳細不知


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制作者情報等詳細不知の「キリストの洗礼」


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ペッレグリーノ・ティバルディのCappella Spinola- Rezzinico


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ベルナルディーノ・ルイーニ派逸名画家作「スカラの聖母」(16世紀)


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主祭壇


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クーポラ


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Cappella di Sant' Ignazio


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ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(ロマニャーノ・セーシャ、1573-ミラノ、1632)の「聖イグナツィオ・ディ・ロヨラの幻視」(1622)


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詳細不知


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詳細不知の磔刑像


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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サン・マルコ教会を後にしました。


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ブレラ通りに来ました。


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ここに来た目的は勿論ブレラ絵画館です。


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美術学校の生徒の奇抜な服装が面白い。


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修復中だったナポレオン像です。


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入館しました。


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展示作品はすべて一級です。


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ヴェネツィア派絵画が充実しています。


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ルカ・シニョレッリの作品


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ブレラ絵画館については、既に2回取り上げました。


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かなり空いていました。


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外に出ました。


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ブレラ絵画館に何回入荷しても何時も感激します。


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どうしても館内に長くいるので、疲れます。


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旧サン・カルポフォロ教会です。


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非常に印象的なファサードです。


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旧サン・カルポフォロ教会の後陣


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フランチェスコ・アイエツのモニュメント


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フランチェスコ・バルザーギ(ミラノ、1839-1892)の「フランチェスコ・アイエツのモニュメント」(1890)


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17世紀に建設され、18世紀に改造されたPalazzo Cusani
ロンバルディア軍の司令部が置かれてます。


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スカラ座方向に歩きます。


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サンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


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Via Ciovasso


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写真左はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


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突き当りはブレラ通りになります。


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ブレラ通りに戻りました。


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次はサン・ジュゼッペ教会です。


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サン・ジュゼッペ教会です。


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フランチェスコ・マリア・リッチーニ(ミラノ、1584-1658)の設計によって1607年から1630年に建設されたロンバルド・バロック様式の教会です。


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ファサードの彫刻はルイージ・スコルツィーニ(ミラノ、1799-1839)によります。


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ルイージ・スコルツィーニ(ミラノ、1799-1839)の「聖家族」


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P1100632
中に入りました。


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アンドレア・ランツァーニ(ミラノ、1645-1712)の「聖家族」(1712)


P1100639
外に出ました。


P1100643
(つづく)

P1100495
この日は、ポルタ・ガリバルディ駅から街歩きを始めました。


P1100496
直ぐにガリバルディ門が見えます。


P1100498
ジャコモ・モラーリア(ミラノ、1791-1860)によって1826年から18128年にかけて建設されたガリバルディ門です。


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ローマ時代に築かれた城壁の門が前身です。


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カドゥケウスの図像(交通のシンボル)


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門の横にある建物


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コルソ・ガリバルディから見たガリバルディ門


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コルソ・ガリバルディ


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サンタ・マリア・インコロナータ教会


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左が教会、右が修道院の所謂「二重教会」の建物です。


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15世紀に建設されました。


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扉が閉まっていました。


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ファサードのトレンティーノの聖二コラ像


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戴冠した聖母像


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教会前の広場


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マルサラ通り


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ガリバルディ通りを進みます。


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サルヴァトーレ・ピサーニ(モンジャーナ、1859-ミラノ、1920)の「ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッティのモニュメント」(1894)
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッティ(ミラノ、1813-1867)は、圧縮空気ドリルを発明したエンジニアです。鉄道トンネルの掘削において、ピアッティの圧縮空気ドリルが飛躍的に効果を上げたのです。


P1100521
この辺は19世紀に再整備された地域です。


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新しい建物ばかりで詰まらない。


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ミラノの繁華街の一つです。


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サン・シンプリチャーノ聖堂に向かいます。


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聖堂はもう直ぐです。


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ガリバルディ通りの左側に聖堂があります。


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サン・シンプリチャーノ聖堂にやってきました。


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4世紀に建設された初期キリスト教会が前身です。


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異教の墓地がありましたが、葬儀用祈り場を初期キリスト教会に改造されたようです。


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9世紀に大きな礼拝堂が併設されました。


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11世紀から13世紀に大改修されました。


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ファサード・ルネッタのモザイク


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サン・シンプリチャーノ通りです。


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ガリバルディ通りに戻りました。


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写真右に面白い建物があります。


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1859年に建設されたTeatro Fossatiです。


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ユニークなファサードです。


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次の交差点を左折します。


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ポンタッチョ通りに入りました。


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ポンタッチョ通りを更に進みます。


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次はサン・マルコ教会です。


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ブレラ絵画館に近い。


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サン・マルコ教会にやってきました。


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1245年に創建された教会です。


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モーツァルトが3か月ほど滞在したことでも知られてます。


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1874年、ヴェルディ作曲のレクイエムが初演された教会です。
1871年に復元されたファサード。


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バラ窓


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ジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョ(ピサ、1300c-1349c)に帰属する「三聖人」


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入口扉上ルネッタのモザイクは、アンジェロ・インガンニ(ブレーシャ、1807-グッサーゴ、1880)のフレスコ原画に基づきます。


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扉が閉まっていました。


P1100566
(つづく)

333
サンタ・マリア・プレッソ・サン・チェルソ聖堂にやってきました。扉が開いていました。


331
Basilica e Santuario di Santa Maria dei Miracoli presso San Celsoが正式名です。
1950年、Basilica Minoreに格付けされました。
写真右はサン・チェルソ教会です。presso=近くの、という意味ですから、サン・チェルソ教会近くのサンタ・マリア・デイ・ミラコリ聖堂聖域と訳せば良いと思います。


329
本題とはあまり関係がありませんが、サン・チェルソ教会は、4世紀に創建された歴史ある教会で、現在の建物は11世紀に再建されたものです。ネオ・ロマネスク様式のファサードは、19世紀に改装された
ものです。
外観では、11世紀の再建された鐘楼が目立ちます。


327
地図があって分かり易い。


330
ジャン・ジャコモ・ドルチェブオーノ(ルガーノ、1445c-ミラノ、1504)とジョヴァンニ・バッタージョ(ローディ、15世紀―?)の設計によって1493年に建設工事が開始されました。
外壁を囲む柱廊は、チェーザレ・チェザリアーノ(ミラノ、1475-1543)、クリストフォロ・ロンアバルド通称イル・ロンバルディーノ(?、?-ミラノ、1556)などによって16世紀初頭に建設されました。


332
八角形のクーポラは、ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447-ミラノ、1522)の設計によって1494年に建設が始められました。


258
Quadriportico


320
ジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447-ミラノ、1522)の設計によるQuadriportico


257
マニエリスム様式のファサード


260
ヴィンチェンツォ・セレーニ(セレーニョ、1519/1520-ミラノ、1594)の設計原案に基づきガレアッツォ・マレッシ(ペルージャ、1512-1572)の設計によって、マルティーノ・バッシ(セレーニョ、1549-ミラノ、1591)が1570年に完成させたファサードです。


261
ファサードの彫刻


262
ストルド・ロレンツィ(セッティニャーノ、1534-ピサ、1583以降没)とアンニーバレ・フォンターナ(ミラノ、1540-1587)によるファサードの彫刻


263


256
音楽天使たちの彫刻


310
聖堂内部に入りました。


265
三廊式、ルネサンス様式の内部です。


266
1565年、聖カルロ・ボッロメオは反宗教改革を表明しましたが、それに沿って内装されたと言われてます。


268
詳細不知


269
ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(チェラーノ、1573-ミラノ、1632)による天井フレスコ


270
詳細不知


272
詳細不知


274
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「聖ナザーリオと聖チェルソの殉教」(1607)


277
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「聖家族と聖ジローラモ」


281
アントニオ・カンピ(クレモナ、1522-1587)の「キリストの復活」


285
カルロ・ウルビーノ(クレマ、1525-1585)の「聖母被昇天」


287
ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「キリストの洗礼」


288
カルロ・ウルビーノ・ダ・クレマ(クレマ、1525-1585)の「祝福を受けるキリスト」


290


292
詳細不知


293
詳細不知


294
詳細不知


295
左側廊天井


297
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551-ミラノ、1629)の「聖母被昇天」


302
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574-ミラノ、1625)の「キリストの遺体の移送」


305
ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(チェラーノ、1573-ミラノ、1632)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」(1603)


308
下の部分が有名です。涙の聖母と聖ナザーリオと聖チェルソ


309
アンドレア・アッピアーニ(ミラノ、1754-1817)のフレスコ画


311
詳細不知の磔刑像


312
主祭壇と後陣


313
アンドレア・アッピアーニ(ミラノ、1754-1817)のフレスコ画


314


315
左側廊


316
詳細不知


318
詳細不知


322


323


326


334
外に出ました。
(つづく)

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ドゥオーモの続きです。
壮大な柱に圧倒されます。


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一部修復工事中でした。
五廊式ですね。


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詳細不知


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エネア・サルメッジャの「聖母の結婚」


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マルコ・カレッリの墓(1394)


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聖カルロ・ボッロメオの墓


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外に出ました。


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外壁を見て回りました。


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ドゥオーモ広場


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サン・フェデーレ教会は閉まっていました。


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ファサード前のアレッサンドロ・マンゾーニ像


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サン・フェデーレ教会の身廊


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この日の公演はありませんでした。


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ポルディ・ペッツォーリ美術館に向かいます。


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毎年訪れてます。


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入館しました。


P2640328
ポルディ・ペッツォーリ美術館に付いては既に取り上げました。


P2640604


P2640611


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P2650055
(つづく)

418
次はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。


419
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会はブレラ地区にあります。


420
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会です。
広場にある奇妙なモニュメントにガックリ。


421
13世紀に建設されたカルメル会の修道院教会が前身です。14世紀、ここにいた修道士が別の修道院に移って最初の建物が放棄されました。
放棄された建物は急速に荒廃したので、1400年から1446年に建設された後期ゴシック様式で再建された建物が現在の姿の原形です。


422
17世紀にバロック様式に改造されました。
また、ファサードは、カルロ・マチャキーノ(インドゥーノ・オローナ、1818-ヴァレーゼ、1899)の設計によって1880年に建設された比較的新しいものです。


423
中央扉上ルネッタのモザイク


425
ファサードのテラコッタ「受胎告知する大天使」


426
「受胎告知される聖母」


427


462


429
中に入りました。


431
三廊式、ゴシック様式の内部です。


430
右側廊


434
ジョヴァンニ・マウーロ・デッラ・ローヴェレ通称イル・フィアッメンギーノ(ミラノ、1575-1640)の「キリストの神殿奉献」


436
17世紀の逸名画家作「磔刑」


437
フェデリーコ・ビアンキ(マスナーゴ、1635-ミラノ、1719)の「キリストとアヴィーラの聖テレーザ」


441
詳細不知


442
詳細不知


443
ミサが始まりそうです。


444


446
17世紀中頃の逸名画家作「聖母子と聖ゴッタルドと聖モニカ」(1641)


447
ベルゴニョーネ派逸名画家作「磔刑」(16世紀)


448
ベルゴニョーネ派逸名画家作「羊飼いの礼拝」(16世紀)


450
Cappella del Sacro Cuore


451
詳細不知


453
詳細不知


454
詳細不知のフレスコ画


455
詳細不知のフレスコ画


456
詳細不知の礼拝堂天井のフレスコ画


463
外に出ました。


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一旦ホテルに戻りました。


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中央駅近くを散策しました。


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見所は殆どありません。


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道路がほぼ碁盤の目になっているので迷うことはありません。


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中央駅付近はホテルが林立する地域です。


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Oratorio di San Gregorio Magno


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夜遅くに開くようです。


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一度も拝観したことがありません。


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トラムでドゥオーモへ。


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何時も外観を見るだけに終わっています。


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久し振りに拝観することにしました。


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聖堂内に入りました。


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(つづく)

341
詳細不知の「聖母子と聖ジローラモと聖ロッコ」


347
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453-ミラノ、1523)の「復活したキリスト」(15世紀末)


349
柱に描かれたフレスコ画


350
柱に描かれたフレスコ画


351
Ciborio


353
アンドレア・ランツァーニ(ミラノ、1645-1712)の「聖アンブロージョの最後の聖体拝領」


355
詳細不知


356
詳細不知


357
詳細不知


358
5世紀のモザイク


361


388


391


359


360


363
ここから宝物室の展示です。
アンブロージョ・ダ・フォッサーノ通称イル・ベルゴニョーネ(フォッサーノ、1453-ミラノ、1523)の「キリストと博士たち」(16世紀)


366
ジョヴァン・ステファノ・ダネーディ通称イル・モンタルト(トレヴィーリオ、1612-ミラノ、1690)の「聖カルロ・ボッロメオと聖フェデリーコ・ボッロメオ」(17世紀)


369
4世紀のもの


370
黄金の3聖人のモザイク


371
詳細不知


373
ベルナルディーノ・ゼナーレ派逸名画家作「聖母子と聖アンブロージョと聖ジローラモ」(15世紀)


376
アンブロージョ・ベソッツィ(ミラノ、1648-1706)の「介抱される聖セバスティアーノ」(17世紀)


378
墓です。


392
ベルナルドとアンセルモ1世の墓


379
詳細不知


380
詳細不知のプレセピオ


381
グリエルモ・コッタの墓のフレスコ(1267)


382
祭壇前飾り


383


384
詳細不知のフレスコ


387
詳細不知


393
聖具類の展示です。


394


395


396
詳細不知


397
クリプタに入ります。


399
半地下となっているので、外から光が入ります。


398
この先に聖アンブロージョの遺骸がありますが、行けないようになっていました。


400
クリプタから新キオストロに出ました。


401
新キオストロ


402
ブラマンテの作と言われているCanonica(司教館)の回廊


404
写真右がCanonica(司教館)の回廊です。


403
Oratorio di San Sigismondo


405
11世紀に建設されたオラトリオ


407
かなりの修復箇所が認められます。


409
オラトリオの後陣


411
聖堂の柱廊に戻りました。


412
聖堂の入り口扉の装飾


413
柱頭


414


415
アトリウム


416
アトリウムの柱廊


417
外に出ました。
(つづく)

288
トラムに乗ってサンタンブロージョ聖堂にやってきました。


297
聖堂前の広場には観光客が大勢いました。私もその中の一人です。


289
Campanile dei Canoniciは修復工事中でした。
Basilica Collegiata Abbaziale Prepositurale di Sant' Ambrogio、略してサンタンブロージョ聖堂です。


291
ミラノ司教聖アンブロージョ(トーリア、339/340‐ミラノ、397)の要請に基づき、379年から386年にかけて建設された教会です。386年、聖アンブロージョが奉献式を執り行いました。


292
入口のアトリウムに入ります。


293
現在の姿は、9世紀から11世紀にかけて再建されたロンバルディア・ロマネスク様式の建物になってますが、現在に至るまで修復が繰り返されてます。


295
アトリウムの柱廊


294


296
写真右の鐘楼は、9世紀に建設されたCampanile dei Monaciです。


298
写真左の修復中の鐘楼は、12世紀に建設されたCampanile dei Canoniciです。


501
修復工事後のCampanile dei Canonici


299
柱廊の壁に残るフレスコ画


500


303
聖堂内に入りました。


302
身廊と側廊がアーケードで仕切られてます。


301
右側廊


305
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1551‐ミラノ、1629)の「テオドシウス帝を聖堂の前で制止する聖アンブロージョ」


307
ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・ヴェルヴァ(ノヴァーラ、1515c‐ミラノ、1580)の「十字架降下」(1545)
ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・チェルヴァは、ガウデンツィオ・フェラーリの弟子で、ガウデンツィオの追随者、協力者でした。


308
ガウデンツィオ・フェラーリ派逸名画家作「天使たち」(1545)


309
ガウデンツィオ・フェラーリ派逸名画家作「天使たち」(1545)


311
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696‐マドリッド、1770)のフレスコ画


313
ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「聖母子と聖バルトロメオと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(1540)


315
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(ヴェネツィア、1696-マドリッド、1770)の「聖サティーロの難破」(1737)
聖サティーロは、聖アンブロージョの弟です。


316
カルロ・ドネッリ通称イル・ヴィメルカーティ(1661-1715)の「皇帝の前の聖セバスティアーノ」


317
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c-ミラノ、1532)の「福音書記者たちのトンド」


318
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c-ミラノ、1532)の「福音書記者たちのトンド」


320
Cappella Santi Bernard e Benedetto


322
フィリッポ・アッビアーティ(ミラノ、1640-1715)の「教皇の前の聖ベルナルド」


321
カルロ・プレーダ(ミラノ、1651-1729)の「聖ベネデットの死」


323
クーポラの装飾


326
ガウデンツィオ・フェラーリ(ヴァルドゥッジャ、1475/1480-ミラノ、1546)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


329
Cappella San Giorgio


330
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「聖ジョルジョの物語」


331


328
ベルナルディーノ・ラニーノ(モルタラ、1512-ヴェルチェッリ、1578)の「竜を退治する聖ジョルジョ」


334
主祭壇


333
後陣のモザイク(4-8世紀)


335


340
説教壇とスティリコの石棺


338
石棺の彫刻


337


336
(つづく)

096
Aula della monache


083
Aula della monacheの反対側


088
この部屋にもフレスコ画が一杯です。ベルナルディーノ・ルイーニと彼の息子たちによってフレスコ画が制作されましたが、場面毎の作品帰属がすべて明確になっているわけではないようです。


063
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「最後の晩餐」
ジョヴァン・ピエトロはベルナルディーノ・ルイーニの3男、アウレリオはベルナルディーノ・ルイーニの4男、末っ子です。


064
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「十字架降下」


065
「キリストの鞭打ち」


066
「キリストの逮捕」


067
「ピラトの前のキリスト」


068


071
アウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「ノアの箱舟の物語」


072
アウレリオ・ルイーニの画風の特徴がよく出た傑作です。


074
ベルナルディーノ・ルイーニの4人の息子のうち、最も技量が優れていたのはアウレリオだったと思います。


075
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「アレッサンドリアの聖カテリーナと聖アガタ」


076
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「キリストの埋葬」


077
「聖骸布に包まれるキリスト」


078
「我に触れるな」


079
詳細不知


080


081
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「カルヴァリオへの上り」


082
詳細不知


084


085
ジョヴァン・ジャコモ・アンテニャーティのオルガン(1554)


087


089
「キリストの嘲笑」


097
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「カナの結婚」


090
「ユダの裏切り」


091
Aula dei Fedeli に戻りました。


099
旧女子修道院のキオストロに行きました。


100
回廊に遺跡からの発掘物が置かれてます。


102
ミラノ市立考古学博物館としての展示でしょう。


101
入館しましたが、この時は写真不可でした。


105
外に出ました。


493
トラムを乗り継いで、スカラ座前で降りました。


492
サン・ジュゼッペ教会が閉まっていました。


490
ブレラ通り


469
ブレラ美術館にやってきました。


471
館長を務めていたフランチェスコ・アイエツのブロンズ像


472


473


474


475
入館する前に一休みしました。


476
この階段が結構キツイ。


477


480


481
入館しました。


488
外に出ました。
この当時、中は写真不可でした。


487
美術館は疲れます。


489
(つづく)

103
次はサン・マウリツィオ教会です。


104
ルイーニ通りに面して建つPalazzo Littaです。
1642年建設着工、1761年にファサードが完成したロココ様式の建物です。


019
道路を挟んでPalazzo Littaの向かいにあるサン・マウリツィオ教会です。


020
Chiesa di San Maurizio al Monastero Maggiore


021
初期キリスト教の女子修道院の教会が前身です。その女子修道院はカロリング朝時代の文書に記載されています。ミラノで裕福な修道院として知られていたそうです。
現在のルネサンス様式の教会建物は、ジャン・ジャコモ・ドルチェブオーノ(ルガーノ、1445c‐ミラノ、1510)とジョヴァンニ・アントニオ・アマデオ(パヴィア、1447‐ミラノ、1522)の設計によって、1503年から1509年に再建された二代目となるものです。


023
写真右側に修道院の門があります。
修道院は、1798年に閉鎖され、一度も修道院活動を再開することなく、兵舎、女学校、病院として使用された後、現在はミラノ市立考古学博物館になってます。


022
中はフレスコ画の宝庫です。


025
中に入りました。
L' Altar maggiore nell' Aula dei Fedeli


093
左側壁


092
場面毎に見て行きます。


091
フレスコ画、祭壇画はAula dei Fedeli だけではありません。


095
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「聖チェチリアと聖オルソラ」(1530c)


043


044
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「聖マウリツィオの殉教」、「聖母被昇天」


046
ボケ写真で申し訳ありません。
アントニオ・カンピ(クレモナ、1524‐1587)の「マギの礼拝」(1578)


047
ベルナルディーノ・ルイーニの「聖女」、「聖ルチア」


048
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「イッポリータ・スフォルツァと聖人たち」(1530c)


049


050
アウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)によって描かれたCapella Bentivoglioのフレスコ画(1570)
ベルナルディーノ・ルイーニには、トビア、エヴァンジェリスタ、ジョヴァン・ピエトロ、アウレリオの4人の息子がいました。アウレリオは4番目の息子でした。


054
Cappella Besozzi


053
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「荊刑のキリスト」(1530)


056
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの奇跡」


055
ベルナルディーノ・ルイーニ(ドゥメンツァ、1481c‐ミラノ、1532)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの斬首」


026
シモーネ・ペテルツァーノ(ヴェネツィア、1535‐ミラノ、1599)の「商人たちの寺院からの追放」


028
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「キリストの復活」(1555)


029
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「我に触れるな」(1555)
ベルナルディーノ・ルイーニには4人の息子がいましたが、ジョヴァン・ピエトロは3番目の息子、アウレリオは末っ子でした。


030
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニとアウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1599)の「エマオのキリスト」(1555)
ジョヴァン・ピエトロ・ルイーニの生年、没年が分かっていないようです。


034
エヴァンジェリスタ・ルイーニの「聖ステファノの殉教」(1550c)
エヴァンジェリスタ・ルイーニは、ベルナルディーノ・ルイーニの次男です。


035
エヴァンジェリスタ・ルイーニの「聖ステファノの説教」(1550c)


036
エヴァンジェリスタ・ルイーニの「フランチェスコ・カッレートの肖像」(1550c)
カッレート家はミラノ有力貴族でした。フランチェスコはカッレート家の当主でした。


041
Cappella Carreto


038
エヴァンジェリスタ・ルイーニの「キリストの洗礼」(1545)


040
ビアージョ・アルチンボルド(アルチンボルディ)とジュゼッペ・アルチンボルド(アルチンボルディ)(ミラノ、1526‐1593)の「Imposizione del nome a San Giovanni Battista」
ビアージョはジュゼッペの父。


039
ビアージョ・アルチンボルド(アルチンボルディ)とジュゼッペ・アルチンボルド(アルチンボルディ)(ミラノ、1526‐1593)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


059
詳細不知


060
詳細不知


061
詳細不知
(つづく)

235
この日は曇りでした。


234
夕方にミラノに到着しました。美術館に行くには時間が足らないので、教会巡りをすることに。


238
こちらの教会は修復工事のため、観光客の立ちリが制限されていました。


239
サンテウフェミア聖堂に向かいます。


240
サン・ジョヴァンニ・イン・コンカ教会の残骸を通り過ぎます。


241
サンテウフェミア聖堂は、コルソ・イタリアのサンテウフェミア広場にあります。


242
Palazzo del Touring Club Italiano


243
サン・パオロ・コンヴェルソ教会です。


252
1549年から1580年に建設されたバロック様式の教会です。


255
ファサードは、ジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(ロマニャーノ・セーシャ、1573‐ミラノ、1632)の設計によって1619年から1631年に建設されました。


250
通りを挟んで、サン・パオロ・コンヴェルソ教会の隣にあるのがサンテウフェミア聖堂です。


249
472年頃、聖セナトーレ司教によって建てられた古い歴史ある教会です。


251
15世紀に再建され、16世紀に大掛かりな改修を受けました。
現在の姿は、1870年に行われた改造後のものです。


335
聖堂の扉が開きました。


245
ファサード柱廊のモザイク


246
ラヴェンナのモザイクを参考にして制作されたそうです。


247


248


363
聖堂内に入りました。


364
左側壁


365
右側壁


337
ルイージ・カヴェナーギ(カラヴァッジョ、1844‐ミラノ、1918)のフレスコ画


345
アゴスティーノ・カイローニ(1820‐1907)の後陣フレスコ画


338
マルコ・ドッジョーノ(オッジョーノ、1475c‐ミラノ、1524c)の「聖母子と聖人たちと音楽天使たち」


340
詳細不知


341
詳細不知


344
詳細不知


347
詳細不知


349
詳細不知


352
ベルナルディーノ・ベルゴニョーネ(ミラノ、1455/1460-1525)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


353
マルコ・ドッジョーノ(オッジョーノ、1475c-ミラノ、1524c)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


355


356
シモーネ・ペテルツァーノ(ヴェネツィア、1535-ミラノ、1599)の「聖霊降臨」


359
詳細不知


361
アウグスト・ロッジャ(サンジャーノ、1896-ガルド―ネ・リヴェイラ、1962)の「聖母子と聖人たち」


362


366
外に出ました。


003
次はラルゴ・カイローリにあるサンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会です。


004
サンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会です。
1471年、ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァによって建設された礼拝堂が前身です。1492年、礼拝堂はアウグスティヌス修道会の所有となりました。


017
現在の建物は、1588年に再建され、1836年に現在の姿に改造されたものです。


005
ミラノのフィリピン人たちの教会となってます。


006
中に入りました。


009
左側壁


008
右側壁


016
主祭壇画の「ピエタ」(制作者情報不知)


013
詳細不知


011
エネア・サルメッジャ(ネンブロ、1575以前-ベルガモ、1626)の「聖アンドレアの殉教」(1604)


010
詳細不知


018
外に出ました。
(つづく)

158
Parco delle Basiliche

157
Basilica Collegiata Prepositurale di San Lorenzo Maggiore


159
サンタ・マリア・デッラ・ヴィット―リア教会です。


161
1629年から1669年にかけて再建されたバロック様式の建物です。


163
1996年にルーマニア正教会の所有となったので、オルトドッサ・ルメーナ(ルーマニア正教会)教会とも呼ばれてます。


164
サンタ・マリア・デッラ・ヴィット―リアは中世のティチネーゼ門の前にあります。


162
中世のティチネーゼ門です。


160
11世紀に築かれた城壁のうち、残っているのはこの門だけです。


169
門を潜って11世紀の城壁内に入りました。
現在の門の姿は、1861年に建築家カミッロ・ボイト(ローマ、1836‐ミラノ、1914)によって大きく改造された後のものです。


166
門を潜ると、3‐4世紀の異教寺院の遺跡があります。


168
異教寺院のコリント式列柱


173
異教寺院遺跡は若者たちの憩いの場となってます。


177
コリント式列柱の保護のために、この区間だけトラムが単線になってます。


170
サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂です。


172
聖堂ファサード前に立つのは、ミラノ勅令を出したコンスタンティヌス帝像です。


174
サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂を拝観しました。


175
外に出ました。


176
床屋に行きます。


171
イタリアにおける唯一の散髪経験をした店。


178
サン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂の横を通ってトリノ通りの教会に向かいました。


180
サン・ジョルジョ・アル・パラッツォ教会です。


182
聖ジョルジョのコンスタンティヌス軍事騎士団によって12世紀に建設された教会です。
ファサードは18世紀のものです。


181
ファサードの装飾


179
19世紀末に追加されたクーポラ。


183
拝観しました。
次はサン・セバスティアーノ寺院です。


185
サン・セバスティアーノ寺院です。


186
Civico Tempioなんてあるんですね。


184
ペッレグリーノ・ティバルディの設計によって、1577‐1616年に建設されたマニエリスム様式の教会です。


187


189
トリノ通りに面して建ってます。


190


191
4‐5世紀に建設されたサン・ジョヴァンニ・イン・コンカ教会だった残骸です。


192
次はサント・ステファノ・マッジョーレ聖堂です。


193
聖堂はサント・ステファノ広場にあります。


194
サント・ステファノ・マッジョーレ聖堂です。


196
417年に建設されたサン・ザッカリア教会が前身です。10世紀に奉献する聖人が聖ステファノに変更され、サント・ステファノ教会に名称が変更されました。
1070年に火災のために消失したので、1075年にロマネスク様式で再建されました。


209
1476年12月26日、聖堂内でミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(フェルモ、1444‐ミラノ、1476)が暗殺されたことで有名です。


208
また画家のカラヴァッジョ(本名:ミケランジェロ・メリージ)がこの聖堂で1571年9月30日に洗礼を受けました。
2007年2月、カラヴァッジョの洗礼記録が発見され、カラヴァッジョのミラノ生まれが確定したのです。


203
ファサードの彫刻


205


204
聖堂の入り口


198
聖堂内に入りました。


200


199


201
出入口方向


207
外に出ました。


195
サント・ステファノ・マッジョーレ聖堂の横にあるサン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサ教会です。


202
1127年に建設された納骨堂が前身です。


210


211
すっかり夕方になりました。


212
23番のトラムに乗車して移動しました。


213
ドゥオーモ広場に戻りました。


215
(つづく)

198
王宮にも入館しました。この当時、中は写真不可でした。


197
次はドゥオーモ博物館です。


195
博物館に入館しました。


194
写真不可だったので、ドゥオーモ博物館の写真がありません。


212
トラムで移動しました。


112
ヴェネツィア門です。


113
こちらもヴェネツィア門です。左右に門があります。


114
Corso Buenos Aires


115
再びトラムに乗り、ティチネーゼ門通りにやってきました。


117
通りの突き当りにあるのがティチネーゼ門です。


116
ティチネーゼ門の手前に教会があります。


119
1396年に建てられたベネデット会の礼拝堂が前身です。1568年、聖カルロ・ボッロメオによって建設されたサン・ゴッタルド・アル・コルソ教会です。


118
ファサードの装飾


120
ナポレオン時代の1802年から1814年に建設された新古典様式のティチネーゼ門です。


121
ティチネーゼ門通りを後戻りします。


122
サンテウストルジョ聖堂です。


123
ポルティナーリ礼拝堂が最大の見所ですが、拝観有料となってます。
聖堂ファサードの裏側に教区美術館があり、現在、教区美術館とポルティナーリ礼拝堂が共通扱いとなってます。


124
ファサード中央扉上ルネッタのフレスコ画


127


125


126
こちらの扉からもポルティナーリ礼拝堂に行くことが出来ます。


128
教区美術館に向かいます。


129
旧サンテウストルジョ修道院の建物


130


131
サンテウストルジョ聖堂の裏側に回りました。


132
教区美術館です。


134
教区美術館に入館すると共に、ポルティネーリ礼拝堂を拝観しました。
この当時、何れも写真不可だったので、写真は一枚もありません。


136
教区美術館の横は公園になってます。


137
公園から見たサンテウストルジョ聖堂


138


139


140


141


142


143
派手な装飾の建物


144
次はサンタ・マリア・プレッソ・サン・チェルソ聖堂です。


145
サンタ・マリア・プレッソ・サン・チェルソ聖堂です。


146
1950年、Basilica Minoreに格付けされました。


147
ファサードの天使たちの彫像が特徴です。


148
扉が開きません。


149
クーポラ


150


152


153
聖堂の後方は公園です。


154
公園の噴水


151


155
(つづく)

008
ミラノ中央駅に到着しました。


007
この日のお宿に向かいます。


003
今回のお宿は中央駅横のミケランジェロです。見本市と重ならない時期だったので、リーズナブルな値段で泊まることが出来ました。


001
大きな荷物をフロントに預けて、身軽になったので早速街歩きの開始です。


006
旧市街に向かいますが、公共交通機関の切符が必要です。


005
地下鉄よりもトラム派です。


004
何時も切符を買う店が消えていたので、切符を買うために中央駅へ。


200
トラムで旧市街へ。


147
ドゥオーモに到着。


148
特に来るつもりではなかったけれど、ごく自然に来てしまいました。


149
エルコーレ・ローザ(ローマ、1846‐1893)の「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のモニュメント」(1879‐96)


150


151
修復が終わりました。


153
未だ穴が開いていません。


160
スカラ広場


154
ピエトロ・マーニ(Magni)(ミラノ、1816‐1877)の「レオナルド・ダ・ヴィンチのモニュメント」(1859‐72)


159
レオナルド・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ、1452‐アンボワーズ、1519)
彼の足元に4人の弟子たちの像があります。


158
ジャン・ジャコモ・カプロッティ通称イル・サライ(アンドレア・サライーノ)(ヴィメルカーテ、1480‐ミラノ、1524)


157
チェーザレ・ダ・セスト(セスト・カレンデ、1477‐ミラノ、1523)


156
マルコ・ドッジョーノ(オッジョーノ、1475c‐ミラノ、1524c)


155
ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラフィオ(ミラノ、1467‐1516)


162
次はサン・フェデーレ教会です。


163
聖カルロ・ボッロメオの指示によって建設されたサン・フェデーレ教会です。


166
ペッレグリーノ・ティバルディ(ピューリア、1527‐ミラノ、1596)の設計によって1569‐1579年に建設されたマニエリスム様式の教会です。


165
ファサード前にある彫刻は、フランチェスコ・バルザーギ(ミラノ、1839‐1892)の「アレッサンドロ・マンゾーニのモニュメント」(1883)です。


167
サン・フェデーレ教会の中に入りました。


171
シモーネ・ペテルツァーノ(ヴェネツィア、1535‐ミラノ、1599)の「十字架降下」(1591)
シモーネ・ペテルツァーノは、カラヴァッジョの師匠ですが、カラヴァッジョが弟子入りした当時に制作された作品です。カラヴァッジョが師匠の制作において下働きをしたと考えられてます。


169
ジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(ロマニャーノ・セーシャ、1573‐ミラノ、1632)の「聖イグナツィオの幻視」


170
サン・フェデーレ付属美術館がありますが、中は写真不可でした。


172
外に出ました。


174


175


176
サン・サティーロ教会に向かいました。


177
行く所は毎回殆ど同じです。


178
サン・サティーロ教会にやってきました。


180
開いていましたが、相変わらず中は写真不可でした。


182


189


190


191


192


193
次はアンブロジアーナ美術館です。


187
何回入館しても飽きることがありません。


186
工事中だったので、大回り。


183
出口は図書館からになります。


184
アンブロジアーナ絵画館を創設したフェデリーコ・ボッロメオ枢機卿像


188
(つづく)

127
サン・マウリツィオ教会はフレスコ画の宝庫です。


163
中の写真を撮りませんでした。


128
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂の後陣


131
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂のファサード


164
ルネッタのフレスコ画



132
この当時、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐は写真不可でした。


126
パオリーノ・ダ・ヴィンチ、アントニオ・ダ・ヴィンチなど現代まで名前が残るヴィンチ村出身の芸術家がいます。レオナルド・ダ・ヴィンチ=ダ・ヴィンチとする方々は、パオリーノやアントニオなどは無視ですか?


133
ミラノには、ブレラ絵画館、Gallerie d'Italia、アンブロジアーナ絵画館、ポルディ・ペッツォーリ美術館、司教区美術館、市立博物館(スフォルツェスコ城)などがあるので、私にとっては嬉しい限りです。


134
20世紀初頭に建設されたPalazzo della Banca Commerciale Italiaはスカラ広場にあります。


135
少し古い建物は、度重なる戦乱で遺跡化しているものが結構多いようです。


137
サンタンブロージョ聖堂


139
新しい建物もかなり多い街です。


140


141
Porta Ticinese


142
この部分のトラムは単線になってます。


145
サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会


149
3‐4世紀の異教寺院の遺跡です。


150
コリント式列柱が目立ちます。これらの列柱の遺跡を保護するために、振動軽減策として単線になってます。


147
列柱越しのサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会


146
NHKの「世界ふれあい街歩き」のミラノ編に登場した床屋


151
サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会


153
初夏の絶好の日向ぼっこ日和


154
過去と現代が交錯する街です。


155
ドゥオーモに来てしまいました。来ようと思って来た訳ではありません。


157


158


156


159
ドゥオーモの扉の彫刻


160


161
初夏の強烈な日差し


162
日陰を求めて一休み


165
ブレラ絵画館に向かいました。


166
サン・ジュゼッペ教会


167
ブレラ絵画館に入館しました。


168
この当時、写真不可だったので、展示作品の写真は一枚もありません。


169
ブレラ絵画館から見えるサン・カルポフォロ教会の後陣


170
サン・カルポフォロ教会のファサード


171
旧教会です。ブレラが保有してます。


172
サン・マルコ教会


174
サン・マルコ教会ファサードの装飾


002
この日のミラノは、どんより曇った寒い日になりました。


003
王宮前に兵器が展示されてました。


004
ドゥオーモをしっかり見なくては。


005
ガッレリアに行きます。


006


007


008


009


010


011


013
(つづく)

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