イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: フィレンツェ

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ストロッツィ宮


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ストロッツィ広場


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私の趣味に合わない特別展開催が多いストロッツィ宮です。


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トルナブオーニ通りでしょうか?


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ヴィーニャ・ヌオーヴァ通りとスパーダ通りの端にある建物はPalazzo Dudleyです。


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エリザベス1世女王の息子ロバート・ダドリーが1613年に建設した、フィレンツェ亡命中の住居です。


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スパーダ通りを進みます。


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ニッコロ・ディ・トンマーゾ(フィレンツェ、1339‐1376記録)の「Tabernacolo di San Sisto papa」


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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場に向かってます。


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フィレンツェ・カードを持っているので、簡単に拝観する予定です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場


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広場に面してホテルが幾つかあります。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂については既に取り上げました。


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聖堂内に入りました。


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20分ほどの拝観でしたが、それでも大満足でした。


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駅の方に向かいます。


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ウニタ・イタリア広場のオベリスク


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サンタ・マリア・ノヴェッラ駅


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駅横のホテルに戻ります。


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ホテルに戻りました。


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夜の散歩に出ました。


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この夜で暫しのフィレンツェとのお別れです。


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翌朝です。


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帰国の朝を迎えました。


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バスでフィレンツェ・ペレトーラ空港に向かいます。


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空港に到着しました。


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必見です。


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空港にトリッティコがあるのはフィレンツェだけと思います。


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フィウミチーノ空港目指して搭乗です。


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キリが良いので、この辺で終わりにしましょう。


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(おわり)

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コルソ通りに入りました。


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Torre dei Donati


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12世紀から13世紀に建てられた塔です。ドナーティ家とライバル関係にあったチェルキ家のチェルキの塔が直ぐ近くにあります。2本の塔は白派と黒派の争いの象徴です。


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写真右の教会を拝観します。


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通称マドンナ・デイ・リッチ教会、正式名サンタ・マルゲリータ・イン・サンタ・マリア・デ・リッチ教会です。


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現在の教会の近くにあったオステリアで賽子賭博をやっていたアントニオ・リナデルスキという若者はがいました。賭博に負けてオステリアを出たアントニオは、その腹いせに、馬糞を拾ってマドンナ・デイ・リッチのタベルナコロに馬糞を擦り付けて汚したのです。アントニオは逮捕されてバルジェッロ宮で吊るされました。
馬糞で汚されたタベルナコロの修復のために、リッチ家の後援によって1508年に建設されたのが、この教会です。


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1610年、建築家ゲラルド・シルヴァーニ(フィレンツェ、1579‐1675)によって柱廊が追加されました。


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1769年から1772年にかけて、建築家ガノービ・デル・ロッソ(フィレンツェ、1724‐1798)によって、内装が現在の後期バロック様式に改装されました。


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柱廊の入り口


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教会への入り口扉上の装飾


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教会への入り口
毎晩のように中で演奏会が行われています。


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中に入りました。


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単廊式、後期バロック様式の内部です。


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左右の側壁に、それぞれ2つの礼拝堂があります。


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天井


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天井のフレスコ画は、ロレンツォ・デル・モーロ(フィレンツェ、1677‐1735)の「聖母被昇天」


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主祭壇を見ます。


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主祭壇


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サンタ・マリア・デリ・アルベリージの受胎告知


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後陣のステンドグラスは、フランチェスコ・マーティ(1561‐1623)の「受胎告知」


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後陣ヴォールトのフレスコ画は、ロレンツォ・デル・モーロ(フィレンツェ、1677‐1735)によって描かれました。


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ステファノ・アミゴーリ(フィレンツェ、1757‐1812)の「聖マルゲリータの物語」(18世紀)


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ステファノ・アミゴーリ(フィレンツェ、1757‐1812)の「聖マルゲリータの物語」(18世紀)


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詳細不知の「磔刑像」


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フィリッポ・ドルチャ―ティ(フィレンツェ、1443‐1519)の「アントニオ・リナデルスキの愚行」(1501)


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詳細不知


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品(1707)


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品(1707)


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詳細不知


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の作品


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詳細不知


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フランチェスコ・マーティ(1561‐1623)の「受胎告知」


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主祭壇前から見た出入口方向


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ファサード裏の聖歌隊席にあるオルガン(1989)


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外に出ました。


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共和国広場に向かいます。

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共和国広場に行く前に一休み


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この店でジェラートを食べました。


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共和国広場に帰ってきました。


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あちこち歩いて足が棒のよう。


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すっかり夕方です。


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(つづく)

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サンタ・クローチェ聖堂を出て、広場を見ます。


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広場の元は、アルノ川の2つの流れに挟まれた中洲の島でした。


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1226年から1228年にフィレンツェにやってきたフランチェスコ会に対して、都市国家フィレンツェはその活動拠点として中洲の島を与えました。


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フランチェスコ会修道士と、修道士の説教を聞いた信者によって、アルノ川の流れが変えられ、埋め立てられ陸地となりました。その埋め立てられた広大な土地の一部が広場です。


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広場はカルチョの競技場など多くの催事が行われる場所でした。


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広場に面して歴史的建造物が建ち並んでます。


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1485年から1490年に、14世紀の基礎部分の上に建設されたPalazzo Cocchi- Serristoriです。


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Palazzo Cocchi- Serristoriに向かって左の建物は、14世紀に建設されたCasa Chivacchiです。
その右(写真では左側)の建物はペルッツィ家が所有していたPalazzo Bartolini Baldelliです。


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写真右端の建物はCasa Benvenuti Gallettiです。1427年の記録に記載されている建物ですが、現在の姿は16世紀の改修後のものです。


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一つ一つ触れて行くとキリがありません。


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写真左手前の建物はPalazzo Borghiniです。文学者、哲学者だったラファエッロ・ディ・ドメニコ・ボルギーニ(1537-1588?)が1552年に購入して1558年まで住んでいました。建物の名称は彼に由来します。


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フレスコ画で有名な建物があります。


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Palazzo dell'Antellaです。


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14世紀に建設され、16世紀後半に現在の規模に増築されました。


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17世紀初頭、この建物はNiccolo dell' Antellaによって購入されました。持ち主となったニッコロは、広場に面した外壁をフレスコ画で装飾することにしました。


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そうして、建築家でデザイナーのジュリオ・パリージ(フィレンツェ、1571-1635)の原案に基づき、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァル・ダルノ、1592-フィレンツェ、1636)によって1619年から1620年にかけて制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画は、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ1人によって制作されたものではなく、ジョヴァンニの指示監督のもとに13人の画家が制作に参加しました。


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制作に加わった13人の画家ですが、ドメニコ・パッシニャーノ通称イル・パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559-フィレンツェ、1638)、マッテオ・ロッセリ(フィレンツェ、1578-1650)、ミケランジェロ・チンガネッリ(セッティニャーノ、1558-フィレンツェ、1635)など現在まで名前が知られている画家たちがいました。


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広場だけでもじっくり見ようとすれば、小一時間必要でしょう。


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広場から去る前に、もう一度サンタ・クローチェ聖堂を見ました。


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高さ94mのヴェッキオ宮の塔が見えます。


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Via dell' Anguillara


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この通りを真直ぐ進めばサン・フィレンツェ広場に出ます。


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この付近にローマ時代の円形劇場があったそうです。


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写真右の建物にタベルナコロがあります。


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聖母子のタベルナコロ


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次はサンティ・シモーネ・エ・ジュダ教会です。


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サンティ・シモーネ・エ・ジュダ教会です。扉が開いているように見えました。


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ところが入り口前にロープが張られて立ち入り禁止の表示が・・・・・
残念ですが、仕方がありません。


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入口扉上ルネッタのフレスコ画は、ニコデモ・フェルッチ(フィエーゾレ、1575-フィレンツェ、1650)の「聖母子と聖シモーネと聖ジュダ」です。


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Via dell' Isola delle Stinche


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ギベッリーニ通り


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この通りを真直ぐ進めばバディア・フィオレンティーナ教会に出ます。


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写真右は新古典様式のボルゲーゼ宮です。


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写真左はバルジェッロ宮です。


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これが何なのか、私には分かりません。


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ギベッリーニ通りを右折してVia Giraldiに入ります。サン・プロコーロ教会がお目当てです。


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13世紀に建設された、ロマネスク様式のサン・プロコーロ教会です。


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色褪せているファサードのフレスコ画
サン・プロコーロ教会はかって美術品の宝庫でした。現在、それらはフィレンツェのアカデミア美術館、ウフィツィ美術館で見ることが出来ます。


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こちらはVia de' Pandolfiniで、Via Giraldiと交差してます。


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Via Giraldiの突き当りにあるのは、Palazzo Ramirez de Montalvoです。


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ナポリ副王の娘エレオノーラ・ディ・トレドに従ってフィレンツェに来たアントニオ・ラミレスは、コジモ1世の召使になりました。大変有能でコジモ1世に気に入られ、その恩賞としてコジモ1世から、この場所の建物を贈られました。
1568年、コジモ1世の肝いりでバルトロメオ・アマンナーティの設計によって建設されたのがPalazzo Ramirez de Montalvoです。ファサードの装飾はジョルジョ・ヴァザーリによるものです。


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Borgo di Albizi
(つづく)

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サンタ・クローチェ聖堂に向かっていました。


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Chiesa Evangelica Metrodista (メソジスト福音派教会)です。


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11世紀の記録にその存在が記載されていたサン・ヤコポ教会が前身です。現在の建物は17世紀に再建されたものです。
1808年、教会と併設の修道院が閉鎖され、兵舎に転用されました。その後、建物はメソジスト福音派に渡され、孤児院として使用されました。
1946年にメソジスト福音派教会となり、現在に至ってます。


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ベンチ通りです。写真右手前の建物はPalazzo Albertiです。


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写真右の建物はCasa Albertiです。


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写真左の建物はPalazzo Albertiです。


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サンタ・クローチェ聖堂の直ぐ傍にやってきました。


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Arco dei Peruzzi


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Palazzo Mellini- Fossiが写ってます。


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Palazzo Mellini- Fossiです。
この建物周囲のベンチ通りにはアルベルティ家の建物が並んでいました。Palazzo Mellini- Fossiに建っている場所には、15世紀に建設されたアルベルティ家の建物がありました。
1456年、建物はドゥッチョ・ディ・ノフェーリ・メッリーニに売却されました。現在の建物は、ドゥッチョが15世紀末から16世紀初めに再建したものです。伝統的にミケランジェロの設計と言われてますが、現在ではミケランジェロの設計ではないというのが定説のようです。


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ファサードの壁に描かれたフレスコ画が有名です。


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フランドルのあまり知られていない画家ジョヴァンニ・ストルフによって1575年に制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画のテーマは「ダナエとペルセウスの神話」です。


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メディチ=ハプスブルクの紋章


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ペルセウスとアンドロメダ


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サンタ・クローチェ広場にやってきました。


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毎年拝観しているサンタ・クローチェ聖堂です。


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ファサードの横前にあるエンリコ・パッツィ(ラヴェンナ、1818-フィレンツェ、1899)の「ダンテのモニュメント」(1865)


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ファサードを見ます。


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フランチェスコ会の紋章


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聖堂内に入ります。


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サンタ・クローチェ聖堂に付いては既に取り上げました。


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ミケランジェロの墓


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外に出ました。
(つづく)

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パラティーナ美術館から外に出ました。


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ヴァザーリの回廊


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バルディ通り


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トッリジャーニ川岸通りに出ました。


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対岸のウッフィツィ美術館


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ヴァザーリの回廊


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1858年から1860年に建設された新古典様式のPalazzo del BorsaとHotel Balestri


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ウフィッツィ美術館の横にあるMuseo Galileo


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トッリジャーニ川岸通りをグラツィエ橋に向かって進んでます。


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ヴェッキオ橋


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グラツィエ橋


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歩道が完備されているトッリジャーニ川岸通りです。


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振り返ってヴェッキオ橋方向を見た所。


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教会の建物が見えてきました。


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次はバルディーニ美術館です。


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サンタ・クローチェ聖堂の鐘楼が写ってます。


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Chiesa Evangelica Luterana (福音派ルーテル教会)


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1901年に建設された新古典様式の建物です。この教会には美術的な見所が皆無です。


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グラツィエ橋


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次を右折すればバルディーニ美術館です。


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2,3年毎に訪れているバルディーニ美術館です。


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バルディーニ美術館に入館しました。


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ピエトロ・ネッリの作品


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ルカ・ディ・トンメの作品(1378‐80c)


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ミケーレ・ジャンボノの作品(1425‐50c)


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ベルナルド・ダッディの作品(1340‐50c)


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バルディーニ美術館に付いては既に取り上げました。


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バルディーノ美術館を後にしました。


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グラツィエ橋を渡ります。


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相変わらずの愚行を再見。


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こんなことをやるなんて・・・・・


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グラツィエ橋からの景観


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橋の上からサン・ミニアート・アル・モンテ教会が見えました。


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グラツィエ橋を渡り切りベンチ通りに入りました。


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街角のタベルナコロがあります。


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聖母子と修道女


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18世紀後半のフィレンツェの逸名画家の作品です。


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ホーン美術館に入館しました。


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ホーン美術館は写真不可なので写真がありません。


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ベンチ通りの奇妙な形の建物はアルベルティ宮です。


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(つづく)

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色々と物色しましたが、玩具っぽいので買うのを止めました。


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次はサンタ・マリア・イン・カンポ教会です。


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サンタ・マリア・イン・カンポ教会はこの日も扉が閉まっていました。


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騙し絵の窓


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ポル・サンタ・マリア通り


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犬の水飲み場


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ヴェッキオ橋を渡ります。


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交差するアッチャイオーリ川岸通りを越えます。


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アッチャイオーリ川岸通り


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ヴァザーリの回廊


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アルノ川


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ヴァッキオ橋の上です。


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橋の中央付近からアルノ川の写真を撮ることが出来ます。


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観光ポイントです。


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ラッファエッロ・ロマネッリ(フィレンツェ、1856-1928)の「ヴェンヴェヌート・チェッリーニ像」(1901)
ヴェンヴェヌート・チェッリーニ(フィレンツェ、1500-1571)の生誕400年を記念して、1900年にロマネッリに注文された作品です。


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サンタ・トリニータ橋


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ウフィッツィ美術館が見えます。


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グラツィエ橋


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振り返ってドゥオーモ方向を見ました。


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宝飾品店が並んでます。


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ヴァザーリの回廊


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何気に店を覗いていたら、何と2万€以上の首飾りを買った人がいたのでビックリ。売れるから店を構えているのだから当然ですが・・・・・


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Torre dei Mannelli


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ヴェッキオ橋の両岸四隅に、防御のための塔がありましたが、唯一残っているのがこの塔です。
1565年、ヴァザーリの回廊を建築する際、回廊を真直ぐに建てるために塔の改築、移動、または解体が、当時塔を所有していたマンネッリ家に提案されましたが、同家はいずれも拒否したので、回廊は已む無く塔を避ける形で建てられました。


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塔を避けるために回廊が前に張り出してます。


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サンタ・フェリチータ教会


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ピッティ宮にやってきました。


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パラティーナ美術館に入館します。


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パラティーナ美術館に付いては既に取り上げました。


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ルカ・シニョレッリの作品


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カラヴァッジョ


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カラヴァッジョ


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ラッファエッロ・サンツィオ


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ティツィアーノのラッファエッロ作品の複製画です。


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ティツィアーノ


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何度入館しても飽きることがありません。いつも新鮮な感動を覚えます。
(つづく)

004
6Aのバスに乗ってサン・サルヴィ教会に向かいました。


011
サン・サルヴィ教会はこの日も閉まっていました。旧サン・サルヴィ修道院に向かいました。


010
旧サンサルヴィ修道院の建物です。修道院の食堂にアンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」があります。


007
アンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」
このフレスコ画を中心に祭壇画などが展示され、アンドレア・デル・サルトの最後の晩餐美術館となってます。
美術館に付いては既に取り上げました。


037
郊外から旧市街に戻ってきました。


038
アッカデミア美術館は相変わらずの大混雑でした。


049
後日、予約があるので、この日はアッカデミア美術館に入館しませんでした。


051
次はサンティ・シモーネ・エ・ジュダ教会です。


052
残念! この日も扉が閉まっていました。最近、拝観したことがありません。


053
案内板への落書きは困ります。


054
次はホーン美術館です。


055
ホーン美術館に入館しました。


060
ホーン美術館に付いては既に触れました。


057
隔年に来ることにしている美術館です。


064
フィレンツェそのものと思わせる佇まい。


065
この道を真直ぐ進めばヴァッキオ宮に出ます。


066
ランツィのロッジャが見えている。


068
ウフィッツィ美術館に入館しました。


071
6時間くらい中にいたので、流石に疲れました。


072
傑作疲れの面もありました。


076
フィレンツェは大賑わいでした。


077
行く所、見るのは何時も同じです。


078


115
サン・フィレンツェ広場に来ました。


116
15世紀にジョヴァンニ・ダ・マイアーノの設計によって建設されたPalazzo Antinoriです。


121
サンティ・ミケーレ・エ・ガエターノ教会です。


108
サン・ロレンツォ聖堂です。


123
ストロッツィ宮


137
ヴェッキオ橋


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夕方になって、ロッジャ・ディ・ビガッロにやってきました。


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ロッジャ・ディ・ビガッロの外壁のフレスコ画は、ヴェントゥーラ・ディ・モーロ(フィレンツェ、1395/1402-1486)とロセッロ・ディ・ヤコポ・フランキ(フィレンツェ、1376/1377-1456)による「聖ピエトロ・マルティーレの説教」(1444)です。


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外壁にある聖母子の彫刻


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判別不能のフレスコ画もヴェントゥーラ・ディ・モーロとロセッコ・ディ・ヤコポ・フランキ2人による作品でしょうか?


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アルベルト・アルノルディ(フィレンツェ、1364-?)の「聖母子と2聖人」


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ここは観光案内所でもあり、ビガッロ美術館でもあります。


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Maestro del Bigalloの「磔刑」(1250c)


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美術館の中には入ることが出来ませんでした。


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観光案内所から外に出ました。


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街角のタベルナコロがあります。


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「受胎告知」の保護のガラス板が邪魔です。


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非常に楽しい街歩き。


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しかし疲れます。


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(つづく)

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次はダンテの家博物館です。


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コルソ通りからサンタ・マルゲリータ通りに入ります。


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サンタ・マルゲリータ通りのアーチの上の壁にフレスコ画があります。


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これです。


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17世紀のフィレンツェの逸名画家作「受胎告知」


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サンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会通称ダンテ教会を通り過ぎます。


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塔が見えます。


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Torre dei Giuochi


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矢印に従って博物館の入り口に回ります。


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塔の下に博物館の入り口があります。


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入口です。


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入館します。


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毎日開館しています。


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中に入るとダンテの顔のフレスコ画が迎えてくれます。


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この博物館の建物(塔ではありません)は、観光用に新しく建築されたものです。
13世紀中頃、フィレンツェは教皇派(グエルフィ)と皇帝派(ギベッリーニ)の熾烈な抗争が行われていましたが、1267年にグエルフィ支配となりました。しかし、グエルフィ内部では白派(ビアンキ)と黒派(ネーリ)の抗争が激化し、やがて教皇派と皇帝派の抗争を再燃させるような形態となってしまいました。
当時、フィレンツェは、6人のプリオーレ(最高執政官)と「正義の旗手」と呼ばれる議長からなる執政府によって統治されていましたが、ダンテはプリオーリを務めていました。
1300年、執政府は、黒派と白派の指導者を追放して収拾を図ろうとしました。ダンテは白派に属していました。しかし、教皇ボニファチョ8世が抗争に介入すると、1301年、フィレンツェは黒派の勝利となりました。優勢となった黒派は、恐怖政治を布き、白派の人々や建物への襲撃を行いました。
白派に属していたダンテはフィレンツェを追放され、二度とフィレンツェに戻ることなく没するまで亡命生活を送ったのです。
ダンテの家は、黒派によって破壊されたので現存しません。
「現存しないダンテの家を観光用に建てた『ダンテの家』の博物館」ということですから、この博物館の立ち位置が分かると思います。


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展示室は階上です。


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展示室に入りました。


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290‐オルヴィエート、1348)の作品です。


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この彫刻はダンテ・アリギエーリ(フィレンツェ、1265‐ラヴェンナ、1321)とは直接関係がないようです。
この博物館における美術的な見所はアンドレア・ピサーノの作品に尽きると思います。


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290‐オルヴィエート、1348)の「画家」


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Istvan Madarassy(ブダペスト、1948‐)の現代彫刻


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次の展示コーナーです。


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ダンテが生きていた時代の武器


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詳細不知


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ダンテの短剣


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ダンテが生きた時代の武装兵


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アンドレア・ピサーノ(ポンテデーラ、1290‐オルヴィエート、1348)の「彫刻家」


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次の展示コーナーです。


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ダンテの最愛の人ベアトリーチェ・ポルティナーリは、ダンテのことを気持ち悪いと感じていた?


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次の展示コーナーです。


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ブルネット・ラティーニの紋章


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ブルネット・ラティーニ(フィレンツェ、1220c‐1294)は、作家、詩人、政治家、公証人でグエルフィに所属して、ダンテの理解者、支持者でした。


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ダンテの家系図


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次の展示コーナーです。


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グイディ家の紋章


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グイディ家は、中世の中央イタリアの名家で、Conti palatini di Toscanaとして知られ、トスカーナ、ロマーニャ、エミリアの殆どを支配していました。


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ダンテの著作


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外に出ました。
(つづく)

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ドゥオーモ広場にやってきました。


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この日のドゥオーモは大混雑でした。


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クーポラに上る人たちの行列です。


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中々行列が進みません。


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クーポラの展望台は狭いので、人数が制限されるし、展望台への通路は交互通行の場所があるので、時間がかかります。


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上っている人はそんなに多くなかったと思います。


386
クーポラを見つめるフィリッポ・ブルネッレスキ


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ブルネッレスキがクーポラをかけ終わったのが1436年でした。


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アルノルフォ・ディ・カンビオ像


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アルノルフォ・ディ・カンビオに拠ってドゥオーモの建設が始められたのが1296年でした。


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Palazzo Strozzi di Mantova


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プロコンソロ通り


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次はサン・ベネデット教会です。


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これがサン・ベネデット教会の建物です。普通の家屋に見えるので意外に思われることでしょう。写真の1階の、向かって左部分がサン・ベネデット教会です。


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1032年の文書に教会の存在が記載されており、創建から200年はかなり勢力がありました。現在のドゥオーモの拡張に伴って、徐々に勢力が削がれ、やがて資産の殆どを失いました。現在の建物は1702年に建設されたもので、ごく小規模の教会になりました。


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通りの正面はBottega dell'Opera del Duomoです。


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ドゥオーモの壁龕などに置かれた彫刻の複製を主に行っている工房です。外に置かれた本物の彫刻は劣化が進んでいるので、その維持保存のために、この工房で制作された複製品に置き換えられてます。本物はドゥオーモ付属博物館に移されてます。


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ゼッキ画材店は昼休み中です。


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中世の作品修復に必要な、当時に使用された顔料、例えばカイガラムシを原料とする赤色顔料なども扱う専門店です。


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ドゥオーモ広場に戻りました。


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ファサードのルネッタ


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先ほどの工房で制作された複製彫刻です。


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ファサードの聖人彫刻は全て複製品に置き換わったそうです。


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次はResidenza dell'Arte dei Beccai (食肉組合館)です。この場合のarteは、ギルドの意味です。


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カルツァイウォーロ通り


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サン・カルロ・ディ・ロンバルディ教会


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オルサンミケーレ教会の横を通ってResidenza dell'Arte dei Beccai に向かいます。


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Residenza dell'Arte dei Beccai はオルサンミケーレ通りに面して建ってます。


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Residenza dell'Arte dei Beccai (食肉組合館)です。


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オルサンミケーレのカピターノを務めていたマッチ家の邸宅として14世紀に建設されました。
その後、食肉組合の所有となり、1534年まで同組合の本拠地でした。


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その後、建物の所有者が何度も変わりました。
1974年からAccademia della Arti del Disegnoの建物になって、現在に至ってます。


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ファサードの紋章は建物の代々の所有者のもので、その変遷を物語ってます。


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写真最上部の紋章は食肉組合のものです。


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Accademia della Arti del Disegno所有の作品が展示されているので、美術ファンにとっては必見です。


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入館無料です。中に入ると、ポントルモのフレスコ画が目に入ります。


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ヤコポ・カルッチ通称イル・ポントルモ別称ヤコポ・ポントルモ(ポントルメ、1495‐フィレンツェ、1557)の「ボルドローネのタベルナコロ」(1521‐22)


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マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424c)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1395‐1400)


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フランチェスコ・ダントニオの「オルガン扉の天使たち」


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フランチェスコ・ダントニオの「オルガン扉の天使たち」


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詳細不知


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詳細不知


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ストロッツィ家の紋章


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ポントルモの「本の聖母」など他の作品が見当たりませんでした。


4
ポントルモと工房による「本の聖母」(1540‐45c)
外部サイトから作品画像を拝借しました。


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外に出ました。
(つづく)

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次は、オルサンミケーレ教会と連絡アーチで繋がっている建物です。(写真右端の建物)


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Palazzo dell'Arte della Lanaです。
中世の頃、アルテと呼ばれる商工業組合がありましたが、その中で最も力があった羊毛組合の建物です。


2
オルサンミケーレ通り、カリマーラ通り、アルテ・デッラ・ラーナ通りの角にあります。


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建設された当初はTorre di Compiobbesiと呼ばれていました。
12世紀末のフィレンツェは、都市貴族は派閥毎に徒党を組んで塔を構えた要塞のような館を建設して、反対派と対抗していた物騒な時代でした。
その貴族の中に、フィエーゾレのコンピオッビ出身のコンピオベッシ家が13世紀に建てたのがTorre di Corso Donatiです。


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やがて有力貴族がグエルフィ(教皇派)とギベッリーニ派(皇帝派)の二派に分かれて激しい抗争を繰り返しました。
1266年のベネヴェントの戦いによって、グエルフィが勝利すると、ギベッリーニに属していたコンピオベッシ家は、Torre di Compiobbesi、出身地のコンピオッビで所有していた城とサン・ミケーレ教会などの財産が没収されてしまいました。
1308年、建物は羊毛組合の所有となり、Palazzo dell'Arte della Lanaと呼ばれるようになりました。


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1569年、2つの建物を繋ぐ連絡橋がベルナルド・ブオンタレンティ(フィレンツェ、1531‐1608)の設計によって建設されました。
現在、オルサンミケーレ美術館に入館するための通路になってます。


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1905年、Societa Dantesca Italianaの所有となり、現在に至ってます。


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16世紀、パラッツォの2階は、コジモ1世によって公証人の記録保管所になりました。


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次はタベルナコロを見ます。


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建物の下の方にタベルナコロがあります。


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Tabernacolo di Santa Maria della Trombadesu


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タベルナコロの上にタルガがあります。


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ダンテのタルガ「神曲をかざすダンテ」です。
原画は、フィレンツェ大聖堂にあります。


3
ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417‐1491)の「神曲をかざすダンテ」
これが原画です。


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さて、タベルナコロですが、元からここにあったものではありません。
カリマーラ通りとメルカート・ヴェッキオ広場(現在の共和国広場)の間に、1321年に建設されたアルテ・ディ・メディチ・エ・スぺツァーリ(医師・薬種商組合)の礼拝堂が前身です。


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礼拝堂は店に転用されましたが、17世紀にタベルナコロとして再建されました。
19世紀にタベルナコロは破壊されてしまいましたが、破壊された断片を使用して1905年に現在の場所に復元されたものです。


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中に絵画があります。


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中の絵画の写真を撮ろうとしましたが、中々上手くいきません。


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絵画は、17世紀にタベルナコロとして再建された時にあったものではなく、20世紀初めにこの場所で復元された時に美術館から移設されたものです。


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聖母戴冠の制作者が14世紀のフィレンツェ派の画家とされてますが、現在ではニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニの作品とされているようです。


1
ヤコポ・デル・カゼンティーノ(プラートヴェッキオ、1297c‐1349c)の「聖母子と聖人たち」(1347以前)
(外部サイトから拝借した作品画像)


2
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ(フィレンツェ、1368から記録‐1415没)の「聖母戴冠」(1380‐85)


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この日、Palazzo dell'Arte della Lanaの中に入ることが出来ませんでした。


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新市場のロッジャに向かいました。


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写真右奥に新市場のロッジャが見えてます。


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この辺は古い建物が多い。


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カリマーラ通り


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古い建物と思いきや、そうではありません。
1892年に建設されたPalazzo degli Angeliです。


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ランベルティ通り


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Mercato Nuovoのロッジャ


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ロッジャは16世紀中頃に建設されました。


1266
ロッジャにあるポルチェッリーノの泉
これは、ブロンズの複製です。
オリジナルは、ピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577‐フィレンツェ、1640)の大理石彫刻でピッティ宮にあります。


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このままヴェッキオ橋に行ってもやることがありません。


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戻ることにしました。


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次はサン・ビアージョ教会です。


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教会はペッリッチェリ通りにあります。


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ペッリッチェリ通りに入ると、直ぐに教会が見えます。


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サンタ・マリア・ソプラ・ポルタ教会とも呼ばれてます。


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1038年の文書に記載されている古い教会です。


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カロリング時代の城壁の南門ポルタ・サンタ・マリアに近かったことからサンタ・マリア・ソプラ・ポルタ教会と呼ばれていたのです。


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現在の建物は、13世紀半ばに再建された二代目のものです。


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教会は、1785年に閉鎖され、その後、教会としては一度も再開されることがありませんでした。
その後、19世紀に消防隊の宿舎に転用されましたが、現在はBibloteca di Palagio di Parte Guelfaとなってます。


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中にフレスコ画があるそうですが、中に入らずに終わりました。


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近くをぶらぶら歩きました。


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歴史ある建物ばかりですが、一つ一つ触れていては先に進みません。


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(つづく)

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Torre di Corso Donatiですが、どうしても同じ場所に来てしまいます。


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突き当りの建物のルネッタにフレスコ画があります。


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この建物です。旧教会?


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ルネッタのフレスコ画(詳細不知)


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パンドルフィーニ通りのタベルナコロ


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ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチ(フィレンツェ、1560‐ナポリ、1600)の「受胎告知」


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ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチは、ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニの弟子です。サンティ・ディ・ティートの強い影響を受けた画風でした。ナポリで没しましたが、彼の墓は、彼の頭蓋骨を使い、首下から足先までを彫刻にした、一度見たら忘れることが出来ない強烈溢れるものです。


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オルサンミケーレ教会に向かいました。


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ヴェッキオ宮の塔が見えてきました。


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塔のある建物


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裏通りを歩きました。


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サン・フィレンツェ広場に出ました。


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シニョーリア広場に入ります。


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シニョーリア広場はそれ程の混雑ではなかった。


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広場に奇妙なオブジェが無かったので安心しました。


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シニョーリア広場からカルツァイウォーロ通りに入れば、オルサンミケーレ教会が見えます。


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オルサンミケーレ教会です。


1
7‐8世紀頃、広大な菜園を保有する女子修道院の小さな礼拝堂がありましたが、その礼拝堂が前身です。8世紀中頃、礼拝堂は拡充されてサン・ミケーレ・イン・オルト教会になりました。その教会名がなまってオルサンミケーレ教会となったそうです。


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1240年、教会は閉鎖され、教会の建物は穀物市場のロッジャに転用されました。市場は、1290年、アルノルフォ・デル・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1235c‐フィレンツェ、1302c)の設計によって再建されました。


508
しかし、1304年7月10日に起きた火災によって、建物は焼失してしまいました。


509
消失後、1350年に再建された建物が現在の姿の原形となってます。


P1460695
1360年頃、穀物市場を移転撤去して教会を作ることに決定され、教会に改造されました。


465
1569年から、教会建物の最上階にトスカーナ大公コジモ1世が居住しました。


466
外壁のニッチに置かれた彫刻が特徴です。
長年、太陽、風雨に晒されて、彫刻の劣化があることから、現在、オリジナルの場所にある彫刻は全て本物のコピーですが、コピー彫刻が置かれている壁龕はオリジナルのものです。
壁龕の彫刻は全部で13点ありますが、そのうち11点がオルサンミケーレ美術館、2点がバルジェッロ国立博物館で展示されてます。
外部に置かれたコピー彫刻を見て行きます。


473
ドナテッロ作「聖マルコ」のコピー彫刻


474
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ランベルティ作「聖ヤコポ」の複製彫刻
日が当たってよく見えません。


475
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・テデスコ作「聖母子」のコピー彫刻


476
バッチョ・ダ・モンテルーポ作「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」のコピー彫刻


478
ヴェロッキオ作「聖トンマーゾの不信」のコピー彫刻


479
ジャンボローニャ作「聖ルカ」の複製彫刻
本物はバルジェッロ国立博物館にあります。


5000
ロレンツォ・ギベルティ作「聖ステファノ」のコピー彫刻


5001
ロレンツォ・ギベルティ作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」のコピー彫刻


5002
ロレンツォ・ギベルティ作「聖マッテオ」の複製彫刻


480
フィリッポ・ブルネッレスキとドナテッロ作「聖ピエトロ」の複製彫刻


481
ナンニ・ディ・バンコ作「聖フィリッポ」の複製彫刻


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ナンニ・ディ・バンコ作「4聖人」の複製彫刻


483
ドナテッロ作「聖ジョルジョ」の複製彫刻
本物はバルジェッロ国立博物館にあります。


486
ナンニ・ディ・バンコ作「聖エリージョ」の複製彫刻
教会の中に入ります。


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面白い構造をしています。


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右側壁


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天井のフレスコ画


1
アンドレア・オルカーニャによる主祭壇


2
主祭壇画は、ベルナルド・ダッディの「聖母子と天使たち」です。


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外に出ました。
(つづく)

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次はサンタ・クローチェ聖堂です。


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街角のタベルナコロが見えてきました。


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街角のタベルナコロ


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かなり出来の良い「聖母子と2聖人」です。制作者、制作された時期などの詳細が不明です。


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地上階の窓が鉄格子で守られてます。これだけ頑丈にしないと危険?


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あのアーチを潜れば、サンタ・クローチェ広場は直ぐ傍。


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ジュゼッペ・ヴェルディ通り


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ラ・マレンマの前を通り過ぎます。どれを食べても美味しく、値段もリーズナブルなのでお勧めです。


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サンタ・クローチェ広場に来ました。


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サンタ・クローチェ聖堂を拝観しました。ここについては既に取り上げました。


P1600182
Via de'Benciを通ってホーン美術館に向かいました。
写真左は、1456年に建設されたPalazzo Mellini- Fossiです。


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写真左は、1260年から1266年に建設されたPalazzo Albertiです。


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ホーン美術館の建物が見えてます。


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ホーン美術館が置かれているPalazzo Corsiです。
元々は1357年以前にアルベルティ家によって建設された建物ですが、1489年にコルシ家に売却され、コルシ家によって1495年から1502年にかけてルネサンス様式に再構築された建物です。


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イギリス人の美術史家で、美術品収集家だったハーバート・パーシー・ホーン(ロンドン、1864‐フィレンツェ、1916)が個人収集した美術品を展示するために、1912年にコルシ宮を購入しました。
ホーン氏は、美術品と共にコルシ宮で過ごしましたが、1916年に没すると、建物と収集物はトスカーナ州に売却されました。


P1600193
収集物を管理し、展示するために財団が設立され、1921年に一般公開されるようになりました。


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美術館の入り口です。


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建物の装飾


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入館者は何時も少ないと思います。


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入館しました。
中は写真不可です。
作品画像がないと美術館の紹介は無理なので、外部サイトから主な展示作品の画像を拝借して載せておきましょう。


5
ジョット・ディ・ボンドーネ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ、1267c‐フィレンツェ、1337)の「聖ステファノ」(1320‐25)


4
ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280/1285c-1348c)の「3聖人」(1315c)


3
聖人


2
アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖女


6
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1512c)


7
ドメニコ・ベッカフーミ(モンテアペルティ、1486-シエナ、1551)の「聖家族と聖人たちのトンド」


8
ピエロ・ディ・コジモ(フィレンツェ、1461-1522)の「瞑想の聖ジローラモ」(1490-1500c)


9
フィリッポ・リッピ(フィレンツェ、1406-スポレート、1469)の「ピエタ」


10
マザッチョ(カステル・サン・ジョヴァンニ・イン・アルトゥーラ、1401-ローマ、1428)の「聖ジュリアーノの物語」(1424c)


12
ベノッツォ・ゴッツォーリ(フィレンツェ、1420c-ピストイア、1497)の「十字架降下」(1497)


13
ヤコポ・サンソヴィーノ(フィレンツェ、1486-ヴェネツィア、1570)の「聖母子」(1500-10c)


11
ドッソ・ドッシ(サン・ジョヴァンニ・デル・ドッソ、1468c-フィレンツェ、1542)の「音楽の寓意」(1485c)
有名芸術家の作品が揃ってます。


P1600194
外に出ました。


P1600195
多翼祭壇画の分解されたパネル作品が多いホーン美術館です。


P1600197
写真左はPalazzo Grifoni- Libriです。


P1600198
敷地面積によって税額が決まるので、それに対処するために工夫された建物です。


P1600199
Via de'Neri


P1600200
通りの突き当りがヴェッキオ宮です。


P1600202


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P1600205


P1600207
相変わらずの混雑でした。


P1600208


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街角のタベルナコロを見ます。


P1600214
アレッサンドロ・ゲラルディーニの「聖フィリッポ・ネリに顕現する聖母子」(17世紀末)


P1600215
(つづく)

825
ヴェッキオ橋を渡ります。


824
堤防の上に住居が並んでますが、大水の時に流されないか心配になります。


826
余計なお世話と言われそうですが、写真右手前の建物はいかにも危険と思います。


827
ヴァザーリの回廊


834
対岸のグラツィエ川岸通り前の国立図書館を横目で見ながら先に進みます。


835
アルノ川の水嵩が何時もより少ないようでした。


837
サン・ニッコロ門からミケランジェロ広場へと上りました。


840
少し雲が出てきました。


845
フィレンツェ定番の景色


846
サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会はミサ中だったので、拝観を遠慮しました。


847
日曜日だったので、ミサが行われている教会が多かった。


848
教会前の花を見てから更に上ります。


849
サン・ミニアート・アル・モンテ教会にやってきました。


852
ここもミサ中でした。日曜日なので拝観出来ないのは仕方がありません。


851
サン・ミニアート・アル・モンテ教会はかなり高い場所に建ってます。


850
墓地を見ます。


853
雲が多くなってきました。


854


857
教会巡りをするのであれば、日曜日の午前中は避けるべきでした。


858
川岸の通りに戻ります。


859
この教会は閉まっていました。


860
フィレンツェは塔が多い街です。


861
塔の町と言われるサンジミニャーノやアスティと比べても塔の数では引けを取らないと思います。


P1600076
街角の聖母子の傑作を観ます。


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これです。ここに置いて大丈夫かと心配になります。
「聖母子と2天使と聖ピエトロと聖ベネデットのタベルナコロ」(14世紀末)


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チェンニ・ディ・フランチェスコ・ディ・セル・チェンニ(フィレンツェ、1369‐1415)の帰属作品です。


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この日もアルビツィ通りを通りました。


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16世紀に建設されたPalazzo Varori


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久し振りにサンタンブロージョ教会の作品を見たくなりました。


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旧サン・ピエル・マッジョーレ教会のファサード


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Palazzo Donati


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Palazzo Donatiの第2の塔


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旧サン・ピエル・マッジョーレ教会のファサードの横後方にArco di San Pierinoが写ってます。


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サンタンブロージョ教会に向かってます。


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サンタンブロージョ教会はもう直ぐです。


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サンタンブロージョ教会にやってきました。
サンタンブロージョ教会については、2017年1月29日にアップしました。


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扉上ルネッタに描かれたフレスコ画(詳細不知)


P1600101
拝観しました。


P1600104
傑作が沢山あります。


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美術ファンには必見の教会です。


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こちらはコピー画です。


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主な作品リストが教会内にあります。


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P1600102
外に出ます。


P1600167
(つづく)

P1460239
歴史的建造物を見て回ります。


P1460240
写真左の建物が見ものです。


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1831年に建設されたPalazzo Gallettiです。ボルゲーゼ宮の影響を受けた壁龕の彫刻と言われてますが、何処がボルゲーゼ宮の影響なのか、サッパリ分かりません。


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写真右はPalazzo degli Sportiで、下部面積の有効利用のため、工夫されている建物です。


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オリウオーロ通りに入りました。


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振り返るとドゥオーモのクーポラが見えました。


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サン・ピエル・マッジョーレ広場に向かいます。


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塔がある建物が見えてきました。


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Torre di Corso Donati


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建物にアーチがありますが、1173年から1175年にかけて築かれた城壁の痕跡で、Arco di San pierinoと呼ばれてます。


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サン・ピエル・マッジョーレ広場、またはサン・ピエリーノ広場です。


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Palazzo Donatiの第2の塔です。


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写真右端は旧サン・ピエル・マッジョーレ教会です。


7
旧サン・ピエル・マッジョーレ教会のファサードです。
11世紀に設されたベネデット会女子修道院が前身です。14世紀にゴシック様式の教会に改修され、1638年にファサードに柱廊が設けられました。
1783年、建物の一部が突如崩落し、危険と判断されて1784年に教会としての機能が停止されました。その後、教会だった建物は取り壊され、ファサードの一部だけが残され現在に至ってます。


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アルビツィ通りを進みます。


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14世紀中頃、フィレンツェは経済不振、ペスト、飢饉に見舞われ危機にありましたが、1350年代になると不況から脱しました。それに伴い、従来の旧勢力に代わって台頭してきたのが、ストロッツィ家、アルビッツィ家、メディチ家などの新興勢力でした。
この通りにアルビッツィ家とアルビッツィ家の支持者たちの家が並んでいました。


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写真右端がPalazzo Albiziです。


8
Palazzo Albiziのアルビッツィ家の紋章


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Piazzetta Piero Calamandrei


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塔があります。


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アルビッツィ家の塔です。


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写真右の建物に注目です。


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Palazzo Valori-Altoviti


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この場所にはアルビッツィ家の建物がありました。
チョンピの乱後の1380年代から、フィレンツェはアルビッツィ家を中心とする寡頭政治下にありました。
1429年から1433年にかけてのルッカとの戦争によって、フィレンツェは財政危機に見舞われ、それを回避するために重税が課せられるようになると、ルッカとの戦争を推進したアルビッツィ家と戦争に消極的だったメディチ家を中心とする新興勢力との間に深刻な対立が起きました。
アルビッツィ家の当主リナルド・デリ・アルビッツィは、1433年、メディチ家の当主コジモ・イル・ヴェッキオを逮捕して、コジモの死刑を企図しましたが、死刑には至らず、結局コジモの10年間のフィレンツェ追放となりました。
1434年、フィレンツェがイーモラでミラノ軍に敗退すると、それを指導したリナルド・デリ・アルビッツィへの反感が俄かに高まり、ヴェネツィアに亡命していたコジモ・イル・ヴェッキオのフィレンツェ帰還が実現します。
アルビッツィ家はナポリに追放され、財産は没収となりました。
没収されたアルビッツィ家の建物や土地が売却されましたが、この場所にあった建物を買ったヴァローリ家が以前の建物を取り壊して新たに建設した建物です。ヴァローリ家はメディチ家の同盟者でした。


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Palazzo Valori-Altovitiの見所はファサードの彫刻です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カッチーニ(モントポーリ・イン・ヴァル・ダルノ、1556-フィレンツェ、1613)によるファサードの彫刻


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建物の歴史を紐解くと、街歩きが一層楽しくなります。


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Palazzo Tanagli


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中にスタッコ彫刻、フレスコ画の傑作があります。


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当たり前ですが、勝手に中に入ることが出来ません。


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Palazzo Ramirez de Montalvoです。


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トスカーナ大公コジモ1世は、ナポリ副王の娘エレオノーラ・ディ・トレドと結婚しましたが、エレオノーラに従ってフィレンツェに来たのがスペイン出身のモンタルヴォのアントニオ・ラミレスです。
アントニオ・ラミレスは、コジモ1世の召使となりましたが、大変有能で、コジモの秘書兼侍従長のような存在になりました。
コジモ1世は、アントニオ・ラミレスを非常に気に入り、その貢献に報いるために、この場所を与えたのです。


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コジモ1世は、1568年、宮廷建築家バルトロメオ・アンマナティ(センティニャーノ、1511-フィレンツェ、1592)に命じて、この場所にあった建物を取り壊して、新しい建物を建設させたのです。


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ファサードのフレスコ装飾はかなり傷んでますが、トスカーナ大公国お抱えの哲学者で歴史家のヴィンチェンツォ・ボルギーニ(フィレンツェ、1515-1580)が図柄を作成し、宮廷画家のジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511、フィレンツェ、1574)と当時ヴァザーリの助手を務めていたベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548-1612)によって制作されたものです。


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現在、Palazzo Ramirez de Montalvoはホテルになってます。


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プロコンソロ通り


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コルソ通りを進みます。


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コルソ通りの突き当りが共和国広場です。


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Torre dei Donati


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この塔とこの付近の建物には興味深い歴史があります。


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アルベルゴ・フィレンツェはお勧めしません。


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急遽フィレンツェに行くことになり、空いていたのはここだけでした。


1211
良かったのは、食堂のフレスコ画だけでした。
(つづく)

引き続きサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院です。
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Chiostro delle Medicherieです。


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キオストロ回廊の作品を見て回ります。


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回廊に修復工房があります。


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修復工房の部屋にある作品です。(詳細不知)


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469‐1529)の「嘆き」


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制作者情報不知の「聖母子」(15世紀)


2
詳細不知


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ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373‐1452)の「1419年のサンテジーディオ教会奉献式を執り行う教皇マルティーノ5世(第206代教皇 在位:1417‐1431)」(1430c)


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看護師や医師と思われる人たちが回廊にいました。


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有名な作品が修復作業中でした。


4
修復されていた作品です。
ゲラルド・ディ・ジョヴァンニ・デル・フォーラ(フィレンツェ、1445‐1497)の「サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院の特権を許認する教皇マルティーノ5世」


P1460237
他に見たい作品が沢山ありましたが、病院なのでこれ以上の鑑賞を自制しました。


3
観たかった作品です。(外部サイトから拝借した作品画像)


P1460197
次はサンテジーディオ教会です。


5
サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院の柱廊にサンテジーディオ教会があります。


P1460146
教会がある場所は、ロマネスク様式の修道院の一部でしたが、1289年に病院に組み込まれました。
14世紀末に柱廊に教会の建設が決まり、ロレンツォ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1350‐1427)に委嘱され、ロレンツォの設計によって15世紀初めに着工されました。
1419年、第206代教皇マルティーノ5世(在位:1417‐1431)によって奉献式が執り行われました。
現在の教会の外観は、ベルナルド・ブオンタレンティ(フィレンツェ、1531‐1608)の設計によって、ジュリオ・パリージ(フィレンツェ、1571‐1635)の建設工事監督によって16世紀末に行われた改修後のものです。


P1460144
入口扉上ルネッタの「聖母戴冠のテラコッタ」


P1460198
拝観します。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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左側壁


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右側壁


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ジュゼッペ・トネリ(フィレンツェ、1668‐1732)とマッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669‐1756)による天井装飾(18世紀前半)


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主祭壇と後陣


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主祭壇
奉献以来、主祭壇にはロレンツォ・モナコの「マギの礼拝」が置かれていましたが、1484年にフーゴー・ファン・デル・グースの「ポリティナーリのトリッティコ」に置き換えられました。
現在、その2つの作品はウフィッツィ美術館で見ることが出来ます。
ご参考までに、それらの作品画像を載せおきましょう。


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ロレンツォ・モナコの「マギの礼拝」


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フーゴー・ファン・デル・グースの「ポルティナーリのトリッティコ」


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羊飼いの礼拝


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聖トンマーゾと聖アントニオ・アバーテとポルティナーリ家の人々


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聖マルゲリータと聖マリア・マッダレーナとポルティナーリ家の人々


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後陣の装飾と磔刑像


P1460160


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マッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669‐1756)の後陣フレスコ画


P1460155


P1460164
詳細不知


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ジャチント・ジェミニアーニ(ピストイア、1606‐1681)の「聖エジーディオ」(1670c)


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ジョヴァン・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「ベテスダの池」


6


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アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535‐1607)の「十字架降下」(1579)


P1460171
詳細不知


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バルダッサッレ・フランチェスキーニ通称イル・ヴォルテッラーノ(ヴォルテッラ、1611‐フィレンツェ、1690)の「病人を治癒させる聖ルドヴィーコ」(1665c)


P1460175
詳細不知


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制作者情報不知の「死せるキリスト」


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フェリーチェ・フィケレッリ(サン・ジミニャーノ、1605‐フィレンツェ、1660)の「聖母子と聖人たち」(1654‐57)


P1460182
詳細不知


P1460183
天井の装飾


P1460185
詳細不知


P1460186
詳細不知


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聖水盤


P1460189
シピオーネ・バルガーリの墓
シピオーネ・バルガーリ(シエナ、1540‐1612)は人文学者でした。


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主祭壇前から見た出入口方向


P1460193
外に出ます。


P1460238
(つづく)

P1460048
ホテルを出て、先ずファエンツァ通りを通ります。


P1460049
フリーニョの最後の晩餐美術館は開いているでしょうか?普段ならば開く日になってますが、近頃閉まっていることが多いのです。


P1460051
小さなホテルがファエンツァ通りに沢山あります。


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旧フリーニョ修道院だった建物です。


P1460053
この日も最後の晩餐美術館は閉まっていました。尚、フリーニョの最後の晩餐美術館に付いては既に取り上げました。


P1460055
毎日の行き来に見るジョヴァンニ・ディ・サン・ジョヴァンニの「聖母子のタベルナコロ」


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少し進むと、もう一つ「聖母子のタベルナコロ」があります。


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これです。


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聖母子のタベルナコロ


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14世紀のフィレンツェの逸名画家の作品です。


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次の交差点を左折します。


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メディチ家礼拝堂の前に出ました。


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サン・ロレンツォ聖堂身廊横を進みます。


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サン・ロレンツォ聖堂は拝観しないで先を急ぎます。


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メディチ・リカルディ宮殿を通り過ぎます。


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適当に歩いても何とかなります。


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写真右はPalazzo Incontriです。


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サン・ミケーレ教会(サン・ミケリーノ・ヴィスドミニ教会)です。


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ちょっとだけ拝観しました。


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外に出ます。


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メディチ家の紋章の玉が一つしかありません。


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街角の聖母子です。


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19世紀中頃のフィレンツェの逸名画家の作品です。


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バイクの駐車場です。


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イタリアにしては整然と行儀良く駐車しているので、驚きでした。
次はサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院です。


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サンタ・マリア・ヌオーヴァ病院にやってきました。


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ダンテの最愛の人ながら結ばれることがなかったベアトリーチェ・ポルティナーリ(フィレンツェ、1266c‐1290)の父フォルコ・ポルティナーリ(ポルティコ・ディ・ロマーニャ、1222?‐1289)によって1288年に建設されたサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院です。
高利貸しで財を成したフォルコ・ポルティナーリが、贖罪のために財産の大部分を寄付して建設されたのです。


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道路を挟んで病院の向かいにある建物です。


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女子修道院だった建物です。


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この修道院の修道女たちが向かいの病院で看護などをしていました。


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フィレンツェにおける最古の福祉施設ながら、今なお現役の病院です。


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芸術品の宝庫です。美術館に移された作品が幾つかありますが、今でも必見の作品が残されてます。


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しかし、病院なので観光客の立ち入りは自制すべきであり、見ることが出来る作品は限られてます。


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病院の建物にサンテジーディオ教会があります。教会の拝観は後回しにしました。


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入口の柱廊です。病院には柱廊、回廊があります。


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入口の柱廊のフレスコ画から見て行きます。


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東端の壁に描かれたフレスコ画です。


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タッデオ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1529‐ローマ、1566)の「受胎告知」(1560c)


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アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「キリストと教会博士たち」(1614)
単にイル・ポマランチョというと数人の画家がいるので、区別することが肝要です。


P1460203
アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「嬰児虐殺」(1614)


P1460207
アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「マギの礼拝」(1614)


P1460213
アントニオ・チルチニャーニ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1560‐ローマ、1620)の「ご誕生」(1614)


P1460199
メディチ家とポルティナーリ家の紋章


1


P1460235
(つづく)

148
久し振りにドゥオーモのクーポラに上りました。


139
エレベーターが欲しいところですが頑張りました。


137
余ほど暇がないと上らない私ですが、この日は少々疲れ気味だったので、適当に過ごそうと思っていました。疲れ気味にも拘らず上ったのは、非常に空いていたからです。


135
疲れ気味なのに、わざわざ上ってバカみたい。


143
晴れていましたが霞んでいました。


156
塔を見に行くことに。


155
ダンテの家博物館の塔です。


154
Torre dei Giuochi


198
ホテル・ブルネッレスキのビザンティン様式のTorre della Pagliazza


228
この塔の名前が思い出せません。


229
Torre dei Barbadori o Torre de Ridolfi?


230
ヴァザーリの回廊のTorre dei Mannelli


233
Torre degli Amidei


227
次はサント・ステファノ教会です。


216
サント・ステファノ教会の扉が閉まっていました。この日は、この教会でコンサートが行われるので必ず開く筈です。


225
2,3時間後に再びサント・ステファノ教会に行くことにして、街歩きを続けました。


224
フィレンツェは、見所が膨大にあるので退屈しません。


252
ブルネッレスキのロトンダ


253
フィリッポ・ブルネッレスキの設計によって1434年に建設されたサンタ・マリア・デリ・アンジェリ礼拝堂です。


254
ぺルゴラ劇場


223
1570年から1574年に建設されたPalazzo di Bianca Cappelloです。


222
ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)によるファサードの装飾が見ものです。


366
再びサント・ステファノ教会に向かいます。


432
サント・ステファノ・アル・ポンテ教会が開いてました。
教会の最初の記録は1116年の文書ということで、1116年以前に存在していたことが分かってます。


464
1233年頃、ファサードの下部が現在の姿に改修されました。
1986年、教会機能が停止されました。
現在、教会だった建物は、トスカーナ管弦楽団のホールになってます。トスカーナ古楽器管弦楽団やフィレンツェ室内管弦楽団などのコンサートが行われてます。


434
単廊式、バロック様式の内部です。


479
左側壁


480
右側壁
各礼拝堂の祭壇画を見て行きます。ここで注意したいのは、この教会に元々あった作品が少なく、他の教会にあった祭壇画が持ち込まれて礼拝堂に設置された作品が幾つかあることです。


435
制作者情報不知の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


438
フランチェスコ・コンティ(フィレンツェ、1681‐1760)の「天国の鍵を聖ピエトロに託すキリスト」


440
ミーノ・ダ・フィエーゾレ(ポッピ、1429‐フィレンツェ、1484)?の「聖母子」


442
16世紀のフィレンツェの逸名画家作「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


445
詳細不知


447
詳細不知


450
ニッコロ・ラーピ(フィレンツェ、1667‐1732)の「磔刑」
15世紀のフィレンツェの逸名彫刻家作「磔刑像」


452
フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「聖チェチリアの死」


456
制作者情報不明の「チゴリ作『十字架降下』のコピー画」


458
マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578‐1650)の「聖ロレンツォに顕現する聖母子」


461
17世紀のフィレンツェの逸名画家作「トレンティーノの聖二コラ」


481
サント・ステファノ・アル・ポンテ教会のファサード横後方にサント・ステファノ付属美術館がありますが、近年開いていたことがありません。


482
中にジョット・ディ・ボンドーネ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ1267c‐フィレンツェ、1337)の「聖母子」があります。


465
外に出ました。


466
オルサンミケーレ教会


464
ドゥオーモに来ました。


465
ホテルに戻る途中にドゥオーモがあるので、ホテル・ヴァザーリに泊まるときは、毎日ドゥオーモの前を行き来します。


468


462
(つづく)

388
晴れてきましたが、昨夜から未明にかけての雨で、日が当たらない道路は未だ濡れていました。


389
気温が急に上昇してきました。


390
次はサンティ・アポストリ教会です。この辺は13世紀から14世紀の建物や塔が並んでます。


391
サンティ・アポストリ教会です。
西暦800年に教会の歴史が遡るという記録があるのですが、その記録は後世の捏造との説が有力とされているようです。
現在のロマネスク様式の建物は11世紀末頃に着工されたそうです。


392
屋根付きのファサードが特徴です。
そのファサードは、建築家ベネデット・ダ・ロヴェッツァーノ(ロヴェッツァーノ、1474‐カナペール、1554c)の設計によって16世紀中頃に建設されました。


427
小さな鐘楼は、バルトロメオ・ディ・アーニョロ・バリオーニ通称バッチョ・ダーニョロ(フィレンツェ、1462‐1543)の設計によって16世紀前半に建設されました。


475
ファサードはリンボ広場に面してます。


426
リンボ(辺獄)広場の名称は、洗礼を受ける前に死んだ子供たちの墓地が広場にあったことに由来します。
洗礼を受けないで死ぬと成仏?できないと考えられており、赤ちゃんの死亡率が高かったので、誕生した翌日に洗礼式が執り行われることが屡々ありました。


393
毎日開いているので拝観し易いと思います。


394
教会内に入りました。


429
教会の構造図


430
教会の案内板


395
三廊式、バジリカ形式のロマネスク様式の内部です。


396
コリント式列柱が目立ちます。


424
木組みの梁の天井


397
ヤコポ・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1325‐1399)とニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ(フィレンツェ、1368から記録‐1415没)の「玉座の聖母子と4聖人のポリッティコ」(1383)


476
私の写真が不鮮明なので、外部サイトから拝借した鮮明な作品画像を掲載しておきます。


399
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469‐1529)の「Tabernacolo del sacramento」(1500‐25c)


477
私の写真が不鮮明なので、外部サイトから拝借した鮮明な作品画像を掲載してます。


404
マーゾ・ダ・サン・フリアーノ(フィレンツェ、1536‐1571)の「幼きキリストへの崇拝」


405
「幼きリストへの崇拝」の前のプレセピオ


406


408
アレッサンドロ・フェイ・デル・バルビエーリ(フィレンツェ、1543‐1592)の「大天使聖ミケーレ」


409
詳細不知


478
アントン・ドメニコ・ガッビアーニ(フィレンツェ、1652‐1726)の「サレスの聖フランチェスコの栄光」(1685)


411
上部


410
下部


412
パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397‐ピサ、1478)の「聖母子のシノピア」


413
パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397‐ピサ、1478)の「聖母子」(1400‐10c)


415
詳細不知


416
詳細不知


417
詳細不知


419
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「無原罪の御宿リの寓意」(1541)


421
詳細不知


423
詳細不知


431
外に出ました。


387
日が当たっている道は乾いていました。


359
サント・スピリト教会に向かいます。


362
橋を渡ります。


364


356
残念! サント・スピリト教会は閉まっていました。


354
教会が閉まる時間になったので、ウフィツィ美術館に行くことにしました。


379


378


370
(つづく)

P1190202
午後9時過ぎにサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着しました。


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今回は、駅近くのお宿にしました。


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共和国広場に面したペンディーニ・ホテルの予約が満室だったので、ここにしました。毎年泊まってます。


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このホテルの特徴は、部屋のドア、廊下、食堂、部屋内などに名画の写真が沢山あることです。


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これを見て回るだけでも楽しいのです。


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部屋の扉には必ず肖像画があります。その肖像画は大体メディチ家の人々のものです。


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美術ファンならば一度泊まっても損がないと思います。


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広間天井のフレスコ画
16世紀中頃に建てられた修道院を改装したホテルなので、ホテル内のあちこちにオリジナルのフレスコ画があります。


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制作者と画題は大体分かります。


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肖像画は少し難しい。


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夕食に出ました。


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ホテルから徒歩数分の魚料理のレストランにしました。


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時々利用してます。


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外に出ました。


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ファエンツァ通り


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街角のタベルナコロ


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酔い覚ましのブラブラ歩きです。


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午後11時近くですが、まだまだ人通りが多い。


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教会です。


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開いていたことが一度もなく、拝観したことがありません。


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マルタ騎士団?


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ホテルに戻りました。


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翌朝です。
街角のタベルナコロ


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写真左の建物内にフレスコ画があります。
図々しく中に入って写真を撮らせて頂きました。


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父なる神


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ご誕生
夏に行った時、扉が開いていたので覗き込んだらフレスコ画があることが分かりました。


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フリーニョの最後の晩餐美術館は閉まっていました。ここについては既に取り上げました。


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近頃、大体閉まってます。


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街角のタベルナコロの中で傑作とされてます。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァル―ダルノ、1592‐フィレンツェ、1636)の「聖母子と聖人たち」
ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニはマッテオ・ロッセッリの弟子でした。
(つづく)

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次はサン・ロレンツォ聖堂とメディチ家礼拝堂です。


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見慣れたサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の後陣


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サンタ・マリア・ノヴェッラ駅


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写真右端はメディチ家礼拝堂ですが、メディチ家礼拝堂については既に取り上げました。


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ジョットが生まれた場所に建つPalazzo Benciです。


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Palazzo Benciの外壁にフレスコ画が描かれてます。ジョヴァンニ・マリア・ブッテリ(フィレンツェ、1540c‐1606)によって描かれたとされてます。


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Palazzo Benciにあるトスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチの胸像です。この胸像がここにあるのは、フランチェスコ1世の愛妻ビアンカ・カッペロに対してベンチ家が援助したことに由来するそうです。


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サン・ロレンツォ広場の一部が工事中でした。


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歴史的建造物が建ち並んでます。


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サン・ロレンツォ聖堂のファサード側に回ります。


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サン・ロレンツォ聖堂については既に取り上げました。


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サン・ロレンツォ広場にある、バッチョ・バンディネッリ(フィレンツェ、1488‐1560)の「ジョヴァンニ・デッラ・バンデ・ネリのモニュメント」(1540)


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メディチ・リカルディ宮殿については既に取り上げました。


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粗石積みの外壁


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カヴール通り


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道を挟んで、メディチ・リカルディ宮殿の隣に建っているのがサン・ジョヴァンニーノ・デリ・スコロピ教会です。


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1351年にこの場所に建設されたサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ礼拝堂がありました。
1557年、フィレンツェに訪れたイエズス会に対して、コジモ1世がイエズス会の活動拠点の一部として、その礼拝堂を与えました。
イエズス会は、礼拝堂を取り壊し、その上に新教会の建設を決め、建築家バルトロメオ・アマンナーティ(セッティニャーノ、1511‐フィレンツェ、1592)の設計によって、1579年に創建され、1665年に完成したマニエリスム様式のサン・ジョヴァンニーノ・デリ・スコロピ教会です。


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ローマのジェズ教会を参考にして設計されたと言われてます。


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1836年に再建されたファサードです。


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ファサードのイエズス会の紋章


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ファサードの装飾


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教会内に入りました。


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ミサ中でした。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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右側壁


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天井
祭壇画を見て回ります。


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ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547‐フィレンツェ、1627)の「三大天使」(1602c)


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アレッサンドロ・アッローリ(フィレンツェ、1535‐1607)の「キリストとサマリア女」(1587c)


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アントニオ・フランキ(フィレンツェ、1638‐1709)の「聖ジュゼッペ・カラサンツィオの幻視」


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アントニオ・プリエスキ(フィレンツェ、1660‐1732)の「天上の聖母子と聖イグナツィオ・ディ・ロヨラ」


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主祭壇
ミサが終わりました。


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フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「聖フランチェスコ・ザビエルのインディアンへの説教」(1622)


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ジョヴァンニ・ドメニコ・カンピーリア(ルッカ、1692‐ローマ、1775)の「聖ニコラ・ダヴァンティに顕現するキリスト聖母」


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689‐1762)の「聖ジュリアーナ・ファルコニエーリ」


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アルベルト・ザルド(1876‐1959)の「聖ポンピリオ」(1936)


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ジローラモ・マッキエッティ(フィレンツェ、1535‐1592)の「磔刑」


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1689‐1762)による天井フレスコ画(1758)


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イエズス会の紋章


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説教壇


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アレッサンドロ・フェイ・デル・バルビエーリ(フィレンツェ、1543‐1592)の「最後の晩餐」


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主祭壇前から見た出入口


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外に出ました。


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絵画ファンにとって嬉しい教会です。


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街角のタベルナコロ


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(つづく)

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フィレンツェの建物は一つ一つ見て行く価値があります。


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街角の「聖母子と2聖人」のタベルナコロ


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カッライア橋に向かいます。


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買わないならば見ないで、と言われてしまいました。


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セッラリ通りの先がカッライア橋です。


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カッライア橋からの景観


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手前がサンタ・トリニータ橋、その先がヴェッキオ橋です。


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橋を渡ってカルロ・ゴルドーニ広場に出ました。


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あの建物の街角のタベルナコロを見ます。


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ガラスの保護板があるので、よく見えません。


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Via del Fossiに必見の彫刻があります。


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レストラン「トレ・メルリ」の建物の外壁にある彫刻です。


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この彫刻です。


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私にはこの彫刻の詳細が分かりません。


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この建物は教会か礼拝堂だったと思います。


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「トレ・メルリ」ですが、お勧めです。


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Via del Fossiを進みます。


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街角の作品を見ます。


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教会だったような建物に作品があります。


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これです。


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保護のガラス板があるので、写真が・・・・・


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かなりマシになりました。


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荊刑のキリスト


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比較的新しい作品です。


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次はマリーノ・マリーニ美術館です。


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マリーノ・マリーニ美術館は、サン・パンクラツィオ教会だった建物にあります。


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マリーノ・マリーニ美術館です。


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サン・パンクラツィオ教会の最古の記録は931年の文書における記載だそうです。14世紀に増築され、18世紀中頃に現在の姿に改修されたそうです。


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1808年、教会としての活動が停止され、その後、様々な用途に使用されていました。


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マリーノ・マリーニ美術館は1988年にオープンしました。


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入館しました。
マリーノ・マリーニの作品は、私の好みから少し外れるので、展示作品紹介等は省略させて頂きます。


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少し晴れてきました。


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街角のタベルナコロ


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この通りは?


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トルナブオーニ通りでしょうか?


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Loggia Rucellai


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この通りを更に進めばサンタ・マリ・ノヴェッラ広場に出ます。


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かなり晴れてきました。


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オベリスク


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日が陰っていた方が写真写りが良いみたい。


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(つづく)

引き続きサン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会です。
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ジョヴァン・カミッロ・チャビッリ(シーニア、1675‐フィレンツェ、1746)の「聖アナスタショの殉教」(18世紀)


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「聖アナスタショの殉教」がある礼拝堂のフレスコ画です。


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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制作者情報不知の「聖ロッコ」


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の「聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの光悦」(1702)


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「聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの光悦」がある礼拝堂の装飾


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の「聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの生涯の物語」


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次の礼拝堂です。


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礼拝堂クーポラのフレスコ画


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製作者情報不知


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アレッサンドロ・ゲラディーニの「ご誕生」


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詳細不知


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に、もう一度主祭壇を見ました。


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外に出ました。


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ルイージ・ソデリーニ通りです。


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ルイージ・ソデリーニ通りではなく、チェステッロ通りを進みます。


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塔があります。


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塔の名称が分かりません。


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次はカルミネ教会です。


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サンタ・マリア・デル・カルミネ教会に到着です。


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カルミネ教会とブランカッチ礼拝堂については既に取り上げました。


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マザッチョとマゾリーノのフレスコ画を見て大満足。


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旧サンタ・モニカ教会です。


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1808年に宗教活動を停止した教会です。現在は、展示会、コンサートなどの会場として使用されてます。


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聖母子のタベルナコロ


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Via d'Ardiglione


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この通りにフィリッポ・リッピの生家があります。


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リッピの生家はこの先です。


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この建物がフィリッポ・リッピの生家です。


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壁に碑文があるので直ぐに分かります。


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Via d'Ardiglioneの30番地になります。


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受胎告知される聖母?


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(つづく)

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オルトラルノ(フィレンツェのアルノ川左岸)に向かいました。


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パラッツォ―ロ通りを進みます。


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パラッツォ―ロ通りを左折して、マーゾ・フィニグエッラ通りに入ります。


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映画館


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マーゾ・フィニグエッラ通りを真直ぐ進めば、アルノ川に架かるアメリゴ・ヴェスプッチ橋です。


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アルノ川右岸に出ました。対岸に見えているのは、サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会です。


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アメリゴ・ヴェスプッチ橋の上からカッライア橋を望みます。


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近くよりもやや遠くからの方が教会外観全容がよく分かります。


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アメリゴ・ヴェスプッチ橋を渡ってアルノ川左岸に到着です。


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右岸にある、何回も泊まったことがあるホテルです。高いのが取り柄?のホテルですが、それなりのサービスを受けることが出来ます。


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オーニッサンティ教会


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ヴェッキオ宮の塔が見えてます。


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写真左端に写っている鐘楼は、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂のものでしょう。


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現在、サン・フレディアーノ・イン・チェステッロ教会が建っている場所は、カルメル会のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ修道院の敷地でした。
サンタ・マリア・デリ・アンジェリ修道院には、聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ(フィレンツェ、1566‐1607)が居住していました。
教会は1450年頃に建設されました。


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1628年、カルメル会の修道女は、シトー会所有の建物と交換することを決め、修道院教会から立ち去り、この場所にあった修道院教会の建物はシトー会の所有となりました。
シトー会は、教会の改修を決め、建築家ゲラルド・シルヴァーニ(フィレンツェ、1579‐1675)に工事を委嘱しました。シルヴァーニの死去に伴い、工事は一時中断しましたが、1680年、建築家ジュリオ・セルティに引き継がれました。
また、クーポラはアントニオ・マリア・フェッリ(フィレンツェ、1651‐1716)の設計によって1689年に建設されました。
現在、クーポラが完成した1689年当時の姿を見ることになります。


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午前中の拝観は午前11時半までとなってます。


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ファサードは未完成です。


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質素なファサード側出入口


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教会内に入りました。


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三身廊、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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「フィレンツェでは珍しいバロック様式」と書いてきましたが、結構ありますね。


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かなり新しく見えるのは、20世紀の修復の際に再塗装されたからでしょう。


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18世紀に造られた大理石の祭壇


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クーポラ


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クーポラのフレスコ画は、アントン・ドメニコ・ガッビアーニ(フィレンツェ、1652‐1726)の「聖マリア・マッダレーナ・デ・パッツィの栄光」(1702‐18)です。


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天蓋


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フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「天上の聖母と聖人たち」


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詳細不知


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主祭壇の磔刑像


P1190015
詳細不知


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ヤコポ・デル・セッライオ(フィレンツェ、1441c‐1493)の「磔刑と聖人たち」


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Cappella di San Bernardoの「Madonna del sorriso」


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木彫りの「微笑みの聖母」(13‐14世紀)


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聖ベルナルド礼拝堂のフレスコ画は、ピエル・ダンディーニ(フィレンツェ、1646‐1712)の「シトー会創設聖人の生涯の物語」(1688‐89)です。


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聖べルナルド礼拝堂のクーポラ


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アントニオ・フランキ(ヴィッラ・バジリカ、1638‐フィレンツェ、1709)の「キリストの洗礼」(1706)


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詳細不知


P1190031


P1190032


P1190033
(つづく)

P1180904
次はサン・パオリーノ教会です。


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サン・パオリーノ教会のファサードが修復中でした。


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335年に設立され、404年に奉献された初期キリスト教会が前身です。
現在の建物は、1049年に着工されたゴシック様式のものが原形です。


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当時の名称はサン・パオロ・アポストロ教会でしたが、同名の教会が近くにあって混同を避けるために、1208年以降、サン・パオリーノ教会と改称されました。


1
修復工事後のファサード


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ファサードは未完成のまま現在に至ってます。
1217年にドメニコ会の教会となり、その後、カルメル会の所有となった時期があります。
17世紀のバロック様式に改修され、その改修工事が終了した1693年が建物の完成年とされてます。


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ファサードの紋章


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教会内に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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右側壁


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バロック様式の教会にしては地味な天井装飾です。


P1180912
教会の説明パンフレット


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祭壇画などを見て行きます。
詳細不知


P1180920
詳細不知


P1180921
詳細不知


P1180925
ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニのサークルの逸名画家作「受胎告知」(16世紀初め)


2
外部サイトから拝借した作品画像


P1180927
詳細不知


P1180928
詳細不知


P1180929


P1180930
主祭壇と後陣


P1180952
主祭壇


P1180955
ドメニコ・ウーディネ・ナーニ(ロベルト、1784‐フィレンツェ、1850)の「聖パオロの殉教」(1819)


P1180956
ドメニコ・ウーディネ・ナーニ(ロベルト、1784‐フィレンツェ、1850)の「聖パオロの回心」(1819)


P1180931
クーポラ


P1180933
詳細不知


P1180934
詳細不知


P1180935
新しそうなフレスコ


P1180936


P1180937


P1180939
詳細不知


P1180941
詳細不知


P1180942
ジョヴァンニ・ドメニコ・フェレッティ(フィレンツェ、1692‐1765)の「マギの礼拝」


P1180946
ジョヴァンニ・ドメニコ・フェレッティ(フィレンツェ、1692‐1765)の「聖パオロの死」(1742)


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イグナツィオ・ヘックフォード(ピサ、1703‐フィレンツェ、1778)の「エジプトへの逃避途中の休息」


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ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「聖母の結婚」


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フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「天上の聖母子と聖ジョヴァンニ・デッラ・クローチェと聖テレーザ」


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ピエトロ・マルケジーニ通称ロトルラニーノ(ピストイア、1692‐1757)の「アビラの聖テレーザに首輪を与える聖母」(1740c)
ロトルラニーノの代表作です。


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イグナツィオ・ヘックフォード(ピサ、1703‐フィレンツェ、1778)の「聖ジョヴァンニ・デッラ・クローチェに顕現するキリスト」


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出入り口


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ファサード裏にオルガンがあります。


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入口扉のステンドグラス


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外に出る前に、もう一度祭壇を見ました。


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教会前の広場に出ました。
(つづく)

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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の後陣と鐘楼です。


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拝観しました。サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂については既に取り上げました。


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少なくても年に1回は拝観してます。


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ファサード側主扉上ルネッタのフレスコ画


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ファサードの柱頭


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向かって右扉上ルネッタのフレスコ画


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ファサードの扉横柱の彫刻


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向かって左扉上ルネッタのフレスコ画


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サンタ・マリア・ノヴェッラ広場


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オベリスクは、バルトロメオ・アンマナティ(セッティニャーノ、1511‐フィレンツェ、1592)によって16世紀に造られました。


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旧サン・パオロ病院の建物です。
13世紀初頭に巡礼者のホスピスとして建設され、1345年にサン・パオロ病院になりました。   
現在、アリナーリ博物館、ノヴェチェント美術館に使用されてます。


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旧サン・パオロ病院ロッジャの壁にある彩釉テラコッタを見ます。
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Lo spedalingo B. Benigni」(1451)


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「慈悲」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「聖キアーラ?」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Santa Francescana」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Santo Fracescano」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「シエナの聖ベルナルディーノ」


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ピエトロ・フランカヴィッラ(フランス、カンブレ、1548‐パリ、1615)の「フェルディナンド1世・デ・メディチの胸像」(1594c)


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Santo Fracescano」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Santo Fracescano」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「聖フランチェスコ」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「慈悲」


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「Lo spedalingo B. Benigni」(1491c)


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広場の端の建物のフレスコ画を見ます。


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フランチェスコ・フィオレンティーノの「玉座の聖母子と聖人たち」(1420)
フランチェスコ・フィオレンティーノは、ロレンツォ・モナコの弟子です。


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天使たちも描かれていましたが、落剝したようです。


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よく読めないのですが、コピー画のようです。


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スカーラ通りを進みます。


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15世紀に建設されたPalazzo del Borgo


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四つ星ホテルになってます。


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私は未だ泊まったことがありません。


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ホテルが多い通りです。


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街角の聖女のタベルナコロ
聖パオリーノ?


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次はヴァンケトーニ祈祷所です。


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街角のピエタ


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コジモ2世の妻マリア・マッダレーナ・ダ・オーストリアによって1602年から1604年に建設されたOratorio dei Vanchetoni o Arciconfraternita di San Francesco detta dei Vanchetoniです。


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ロレンツォ・リッピなどの祭壇画がありますが、扉が閉まっていました。


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酷い落書きの案内板


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(つづく)

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次は、写真右のサンタ・マルゲリータ・デイ・チェルキ教会です。


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1032年の文書に記載がある、フィレンツェで最古の教会の一つです。12世紀頃、数度改造されて現在の姿になったそうです。


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1285年、または1290年、ダンテが婚約者ジェンマ・ドナーティと結婚式を挙げた教会とされており、別名ダンテ教会とも呼ばれてます。
しかし、ダンテは近くにあるサン・マルティーノ教会で挙式したとの有力説があり、本当の所はよく分からないようです。


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ダンテの最愛の女性ベアトリーチェ・ポルティナーリの墓があることでも有名です。
しかし、ベアトリーチェは、フィレンツェの銀行家、大商人のバルディ家に嫁ぎ、離婚しなかったことから、サンタ・クローチェ聖堂のキオストロ回廊にあるバルディ家の墓に葬られたと考えるのが自然とされてます。つまり、この教会にあるベアトリーチェの墓は後世の捏造の可能性があるのです。


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観光客で大体賑わってます。


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中に入りました。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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右側壁


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天井


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祭壇画を見ます。


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419‐1492)の「玉座の聖母子と4聖人(聖ルチア、聖マルゲリータ、聖アガタ、アレッサンドリアの聖カテリーナ)」(15世紀)
ロレンツォ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1350‐1427)の作品説もあります。


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後陣のフレスコ画
暗くて写りません。


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詳細不知


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ベアトリーチェ・ポルティナーリの墓


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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外に出ました。


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午後7時近くになりました。


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そろそろ夕食にしなくては。


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例によって、何時ものお店で食べます。


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2リットル入りのボトルから自分で注いで飲みます。飲んだ量に従って支払います。


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オッソ・ブーコ


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店から外に出ました。


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腹ごなしの食後の散歩です。


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私には味がやや塩辛いお店です。


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何時もの通り、ここでジェラートを食べました。


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ホテルに戻るには早過ぎます。


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食後の散歩を続けます。


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この店でスイーツを買いました。


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ドゥオーモにやってきました。


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洗礼堂が修復中でした。


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ファエンツァ通り
(つづく)

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13世紀中頃に建設されたポデスタ宮です。16世紀にはバルジェッロ(司法長官)の邸宅兼司法事務所になっていました。


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プロコンソロ通りを挟んでバルジェッロ宮の向かいにバディア・フィオレンティーナがあります。


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写真右がバディア・フィオレンティーナです。バディアとは修道院という意味です。


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バディア・フィオレンティーナがある場所にサント・ステファノ・デル・ポポロ教会がありましたが、960年、女性貴族ウィッラ・ディ・トゥスチャ Willa di Tusciaに教会が売却されました。ウィッラは、ベネディクト会の修道院の建設を決め、後にバディア・フィオレンティーナと呼ばれることになる修道院が978年着工されました。
1071年、病院が修道院に併合されました。


226
プロコンソロ通りに面している古い後陣


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1310年から1330年に建設された鐘楼です。


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高さ70mの鐘楼です。


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かなり目立ちます。


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ファサード上のStemma Ugo di Toscana


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入口扉上の彩釉テラコッタは、ベネデット・ブリオーニ(フィレンツェ、1459‐1521)の「聖母子と2天使」です。


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彩釉テラコッタの上にある彫刻


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ファサード側の入り口


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入口から中に入ると柱廊に出ます。


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バディア・フィオレンティーナの構造図


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Cappella Pandolfiniの入り口扉のStemma Padolfini


4
Chiostro degli Aranciです。
キオストロ回廊の壁に描かれたフレスコ画を見ます。


5
アゴスティーノ・ヴェラチーニ派逸名画家による「聖母子と聖ベネデット」(18世紀)


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ジョヴァンニ・デル・コンサルヴォの「聖ベネデットの物語」


10
ジョヴァンニ・デル・コンサルヴォの「聖ベネデットの物語」


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教会の方に向かいます。


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教会の中に入りました。


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元々ゴシック様式の内部ですが、17世紀の改修の結果、随分違った感じがします。


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翼廊がない単廊式です。


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フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457‐フィレンツェ、1504)の「聖ベルナルドの前に顕現する聖母」(1486)


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ミーノ・ディ・フィエーゾレ(ポッピ、1429‐フィレンツェ、1484)の「Dossale Neroni」


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ミラベッロ・カヴァローリ(フィレンツェ、?‐1572以降没)の「聖霊降臨」


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「聖母被昇天と2聖人」


6
聖母被昇天


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詳細不知


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後陣


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詳細不知の磔刑像


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ジャン・ドメニコ・フェッレッティ(フィレンツェ、1692‐1768)とピエトロ・アンデルリーニ(フィレンツェ、1687‐1755)の後陣のフレスコ画(1733‐34)


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ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1320‐1366)に帰属する「キリストの物語」


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ナルド・ディ・チョーネに帰属する「キリストの物語」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ(フィレンツェ、1535‐1591)の「カルヴァリオへの上り」(1556c)


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詳細不知


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詳細不知


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オルガン


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外に出ました。
(つづく)

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サン・フィリッポ広場にやってきました。


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写真左はバディア・フィオレンティーナの鐘楼です。右のいかめしい建物にバルジェッロ国立博物館が置かれてます。


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サン・フィリッポ広場に面して建つサン・フィレンツェ複合体 Complesso di San Firenzeです。


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1174年の文書に、この場所にサン・フィレンツェ教会の存在が記されてます。
1640年、第235代教皇ウルバーノ8世(在位:1623‐1644)がサン・フィレンツェ教会周辺の土地をサン・フィリッポ・ネリ会(オラトリオ会)に与えました。
同会は、与えられた土地に新しい教会修道院の建設を決め、1645年、ピエトロ・ダ・コルトーナに委嘱しましたが、ピエトロの設計は壮大過ぎて経済的に難しいと判断され、着工に至りませんでした。


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ピエトロ・ダ・コルトーナに代わって、建築家ピエル・フランチェスコ・シルヴァーニ(フィレンツェ、1620‐ピサ、1685)が起用され、シルヴァーニの設計によって1667年創建、1749年に完成したバロック様式の複合体です。フィレンツェでは珍しいバロック様式の建物です。
修道院は1745年から1749年にかけて建設されました。


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建物の左側がサン・フィリッポ・ネリ教会です。


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教会以外の部分、向かって右側になりますが、2012年まで裁判所になっていました。裁判所が移転し、その後修復されて、その一部は展示会、見本市、イベントなどの会場として利用されてます。


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Lo Stemma dei Serragli


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教会ファサードの彫刻


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複合体の構造図です。


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教会は構造図の1の部分になります。


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教会内に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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右側壁


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身廊天井


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中央礼拝堂


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詳細不知の磔刑像


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主祭壇


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主祭壇画は、アントニオ・プリエスキ(フィレンツェ、1660‐1732)の「無原罪の御宿リと聖人たち」(1715)


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祭壇画の下部がよく分かりません。


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後陣天井のフレスコ画は、ニッコロ・ラーピ(フィレンツェ、1667‐1732c)の「三位一体と聖人たち」


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「純粋」


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「慈愛」


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トンマーゾ・レーディ(フィレンツェ、1665‐1726)の「聖家族」(1715)


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ジュゼッペ・カミッロ・サグレスター二(フィレンツェ、1660‐1731)の「磔刑」(1729)


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Stemma Serragli


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」


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アントニオ・ドメニコ・ガッビアーニ(フィレンツェ、1652‐1726)の「聖フィリッポ・ネリに顕現する聖母子」(1724)


3
詳細不知


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アレッサンドロ・ギラルディーニ(フィレンツェ、1665‐1723)の「ピエタ」(1715)


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」


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ジョヴァッキーノ・フォルティーニ(セッティニャーノ、1670‐フィレンツェ、1736)の「聖フィリッポ・ネリの物語」


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詳細不知の天井画


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トンマーゾ・レーディ(フィレンツェ、1665‐1716)の「聖フランチェスカ・ロマーナの聖体拝領」(1715)


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ジョヴァンニ・アントニオ・プッチ(フィレンツェ、1679‐1716)の「聖母の神殿奉献」(1715)


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詳細不知


2
ルイージ・サバテッリ(フィレンツェ、1772‐1850)によるクーポラのフレスコ画


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に主祭壇を見ました。


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外に出ました。


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広場を挟んで教会の向かいにあるのは、ジュリアーノ・ダ・サンガッロの設計によって15世紀末に建設されたPalazzo Gondiです。
(つづく)

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昼食にかける時間が勿体ないので、トリッパの立ち食いです。


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シニョーリア広場にやってきました。目的があってここに来た訳ではなく、ウフィツィ美術館に行くには、この広場を通過する必要があります。


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アルノルフォ・ディ・カンビオの設計と言われてます。


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1299年に創建されたヴェッキオ宮です。


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奇妙なオブジェがなくてスッキリした広場です。


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バルトロメオ・アマンナーティ(セッティニャーノ、1511‐フィレンツェ、1592)の「ネプチューンの噴水」(1563‐65)


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バルトロメオの弟子バッチョ・バンディネッリが助手として制作に参加したそうです。


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1559年、コジモ1世が広場に噴水を作るべくコンペを行い、バッチョ・バンディネッリ(フィレンツェ、1488‐1560)が勝利しましたが、制作に掛かる前の1560年に死去してしまいました。バッチョの弟子であるバルトロメオ・アマンナーティが仕事を引き継ぎ、バッチョ・バンディネッリのデザインに基づき完成させた彫刻です。


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ジャンボローニャ(ドゥアイ、1529‐フィレンツェ、1608)の「コジモ1世の騎馬像」(1594)


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コジモ1世の騎馬像の台座の彫刻


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シニョーリア広場は、フィレンツェの政治の中心として13世紀から14世紀にかけて整備拡張されました。


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観光するには、このくらいの混雑が最適です。


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高さ94mの塔


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ヴェッキオ宮については、既に詳しく触れました。


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制作者不知の「ドナテッロ作『ユディト』の複製彫刻」
本物は、現在ヴェッキオ宮博物館内にありますが、1495年、複製彫刻がある場所に置かれました。


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ライオン像


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ヤコポ・ディ・チョーネの設計とされているランツィのロッジャは、1376年から1382年に建設されました。


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ロッジャの彫刻を見ます。


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この日は空いていました。


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パトロクロスを抱きかかえるメネラウス


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古代ローマの彫刻を復元したものです。


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ジャンボローニャ(ドゥアイ1529‐フィレンツェ、1608)の「ヘラクレス」(1599)


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べンヴェヌート・チェッリーニ(フィレンツェ、1500‐1571)の「ペルセウス」(1545)


7
ジャンボローニャ(ドゥアイ1529‐フィレンツェ、1608)の「サビーネ女の略奪」(1574‐80)


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ロッジャからのシニョーリア広場


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この日の主目的はウフィッツィ美術館に入館することでした。


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アンドレア・オルカーニャ(フィレンツェ、1308‐1368)


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ニコラ・ピサーノ(ピサ、1220‐1284)


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ジョット・ディ・ボンドーネ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ、1267c‐フィレンツェ、1337)


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ドナテッロ(フィレンツェ、1386‐1466)


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この日、ウフィッツィ美術館は空いていました。


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入館しました。


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ウフィッツィ美術館については、既に詳しく触れました。


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この階段を上るのが辛くなってきました。


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外に出ました。


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6時間ほど館内にいましたが、もう疲労困憊です。


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(つづく)

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ドゥオーモを通り過ぎます。


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ツア―客に大人気のドゥオーモです。


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閑散期の2月中旬でしたが、かなりの混雑です。


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クーポラからの絶景を楽しむには絶好の天気です。


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並んでいる人は一人もいません。これが5,6月となると長蛇の列になります。


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次は、サン・マルティーノ同信会祈祷所 Oratorio della Confraternita di San Martino dei Buonomini o Oratorio dei Buonomini di San Martinoです。


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画材店のゼッキを通り過ぎます。祈祷所は、ダンテの家から至近の場所にあります。


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ダンテ通りの街角の受胎告知です。


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フィレンツェの逸名画家によるフレスコ画です。


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ダンテの家の博物館については、そのうちに触れることにします。


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祈祷所は直ぐ傍です。


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ここです。以前は閉まっていることが多かったと思います。


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この日、サン・マルティーノ同信会祈祷所は開いていました。


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10世紀頃、この場所にサン・マルティーノ・アル・ヴェスコーヴォ教会がありました。
中世後期になると、フィレンツェの人口が増えるに従って、小さな教区が増えて乱立するようになりました。そのため、小さな教区の統廃合の一環として、教会の再編が必要とされました。


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1441年、当時のフィレンツェ司教で聖アントニーノ・ピエロッツィ(フィレンツェ、1389‐1459)によって、La Comoagnia di San Martinoが設立され、サン・マルティーノ・アル・ヴェスコーヴォ教会は新たに設立された福祉組織に委ねられました。


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1479年、祈祷所が再建整備されたのです。


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ファサードの入り口扉上の「フィレンツェ司教聖アントニーノ」


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コジモ・ウリヴェッリ(フィレンツェ、1625‐1705)のタベルナコロ


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祈祷所の中に入りました。


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祭壇に向かって左横に説明板があります。


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贔屓の引き倒しのような記述があるので要注意です。


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見所が豊富な祈祷所です。


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フレスコ画は、ドメニコ・ギルランダイオ工房によって描かれたのは記録から明らかですが、工房にいた画家の誰によって描かれたのか、が議論になってます。
ここでは、多分フィリッピーノ・リッピとなってますが、現在ではフランチェスコ・ダントニオ・ザッキ通称イル・バレッタ(ヴィテルボ、1407c‐1476以降没)に描かれたという説が有力とされてます。他にドメニコ・ディ・ジョヴァンニの名前が挙げられました。


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アンドレア・デル・ヴェロッキオ(フィレンツェ、1435‐ヴェネツィア、1488)の「聖アントニーノ司教」


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「聖マルティーノの夢に現れたキリスト」(1478‐81)
フレスコ画は10点あって、聖マルティーノに関するもの2点、福祉組織の慈悲の業が6点、公証人の活動が2点となってます。


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ビザンチン様式の逸名画家作「聖母子」(11世紀)


5


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「貧者のマントを与える聖マルティーノ」(1478‐81)


P1170595
「慈悲の業:死者の埋葬」(1478‐81)


P1170597
「慈悲の業:巡礼者を迎える」(1478‐81)


P2200110
ロッビア工房作「聖母子」


P2200104
「慈悲の業:囚人への訪問」(1478‐81)


P2200102
「慈悲の業:病人への訪問」(1478‐81)


P2200100
「慈悲の業:衣服を与える」(1478‐81)


P2200097
「慈悲の業:喉の渇きを癒すために水を与える」


P2200096
「公証人の活動:結婚」


P2200094
「公証人の活動:在庫調査」(1478‐81)


P2200092
ニッコロ・ソッジ(アレッツォ、1480‐1552)、またはペルジーノ派逸名画家の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」
ニッコロ・ソッジはペルジーノの弟子でした。


P1170618
詳細不知


P1170611
外に出ます。


P1170621
外に出たら、直ぐに扉が閉められました。


P1170624
美術ファンにとっては中々興味深い祈祷所です。


P1170625
(つづく)

P1170452
後陣右の礼拝堂ですが、礼拝堂の名称が分かりません。


P1170453
詳細不知のフレスコ画


P1170454
詳細不知


P1170455
詳細不知


P1170481
主祭壇


P1170457
ヤコポ・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1325‐1390)の「嬰児虐殺を命令するヘロデ王」


P1170480
ヤコポ・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1325‐1390)の「嬰児虐殺」


P1170459
1967年製の後陣のオルガン


P1170461
主祭壇横にある、ピサの逸名彫刻家作「聖母子」(14世紀)


P1170482
詳細不知の後陣天井のフレスコ画


P1170460
クリプタに入ることが出来ませんでした。


P1170463
Cappella Carnesecchi di Zanobi


P1170464
アーチのフレスコ画


P1170465
Cappella Carnesecchi di Bernardo


P1170468
ジョヴァンニ・ディ・フランチェスコ(アレッツォ、1412‐フィレンツェ、1459)の「磔刑」


P1170472
フィレンツェの逸名画家(コッポ・ディ・マルコヴァルド?)の「Madonna Reliquiario」
reliquiario=聖遺物箱


P1170473


P1170470
Cappella Carnesecchi di Bernardoの天井フレスコ画


P1170469
詳細不知


P1170474
Cappella Orlandini Concini


P1610360
フランチェスコ・コッリーナ(19世紀活動)の「磔刑の浮彫」(1897)


P1170476
ジョヴァンニ・バッティスタ・カッチーニ(モント―ポリ・イン・ヴァル・ダルノ、1556‐ローマ、1613)の「ピエタ」


P1170477
ロレンツォ・メルリーニ(フィレンツェ、1666‐ローマ、1739以降没)の「潔白」(1715c)


P1170478
ロレンツォ・メルリーニ(フィレンツェ、1666‐ローマ、1739以降没)の「清純」


P1170484
Cappella Carnesecchi di Maria Maddalena de'Pazzi


P1610357
オノフリオ・マイナーリ(フィレンツェ、1627‐1715)の「パッツィの聖マリア・マッダレーナの顕現するキリスト」


P1170487
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「聖女」


P1170489
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「聖女」


P1170491
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)によるCappella Carnesecchi di Maria Maddalena de'Pazziの天井フレスコ画


2
Cappella Boni


P1170494
マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578‐1650)の「聖家族と聖フランチェスコ」


P1170496
詳細不知


P1170499
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P1170501
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「大天使ラッファエーレ」


P1170502
ヴィンチェンツォ・メウッチ(フィレンツェ、1694‐1766)によるCappella Boniの天井フレスコ画


3
Cappella Panciatichi


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このフレスコ画を見ます。


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15世紀初頭の逸名画家による「永遠なる父」


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15世紀初頭の逸名画家による「授乳の聖母」


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詳細不知の「死せるキリスト」


P1170510
詳細不知


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ガリレオ・キーニの「パドヴァの聖アントニオ」


4


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柱に描かれたフレスコ画を見て回ります。


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マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖ルチア」


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「聖ルチア」の上にある、マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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詳細不知


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その上の「聖ピエトロ」


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詳細不知


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マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖人」


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マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖セバスティアーノの殉教」


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マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖マリア・マッダレーナ」


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マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖人」


P1610403


P1170483
主祭壇前から見たファサード側出入口


P1170536
外に出た。
(つづく)

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この日は快晴でした。


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フィレンツェ中心街で働く通勤の人たちが沢山いました。


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この日の予定は、先ずサンタ・マリア・マッジョーレ教会です。


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SMN駅からドゥオーモに向かう途中にあるので、お馴染みの教会と言えるでしょう。


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フィレンツェにおける最古の教会の一つですが、創建時が文書化されていません。
580年、第63代教皇ペラギウス2世(在位:579‐590)によって創設されたという説がありますが、伝説の域を出ていないとされてます。
ロンゴバルド時代の8世紀に存在していたようですが、これも記録がありません。


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最初の記録は931年の文書での記載です。2番目の記録は1021年の文書だそうです。


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後にシトー会派の所有教会となり、13世紀にシトー会派によってゴシック様式で再建されましたが、再建された建物が現在の姿の原形となってます。


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1521年、教会はカルメル会に渡されましたが、19世紀初頭に同会によって放棄されてしまいました。


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大理石のファサードが設計されましたが、工事着工に至らず、ロマネスク様式の粗石造りのまま現在に至ってます。


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ファサード側扉上のルネッタの聖母子


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13世紀?の聖母子


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鐘楼


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身廊側にも扉があります


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身廊側扉の彫刻


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ファサード側扉の彫刻


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最近作られたもの?


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中に入りました。


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三廊式、ゴシック様式の内部です。


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新しく見えるのは、1966年のアルノ川の大洪水で被害を受けたので、修復された箇所があるからでしょう。


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交差ヴォールト


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大洪水後に張り替えられた床


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左側廊


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右側廊


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教会の構造図
祭壇画などを見て回ります。


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詳細不知


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柱に描かれたフレスコ画
マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖スコラスティカ」


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同じ柱の「聖スコラスティカ」の上部に描かれたフレスコ画
マリオット・ディ・ナルド・ディ・チョーネ(フィレンツェ、1365c‐1424)の「聖人」


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Cappella Panciatichi


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詳細不知の「ピエタ」


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詳細不知の「聖母子」


P1170428
詳細不知


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ジュゼッペ・ピンツァーニ(トスカーナ、18世紀活動)によって描かれたCappella Panciatichiの天井フレスコ画


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ドメニコ・プリアーニ(ヴァ―リア、1589‐フィレンツェ、1658)の「聖マリア・マッダレーナの聖体拝領」


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ドメニコ・プリアーニ(ヴァ―リア、1589‐フィレンツェ、1658)の「聖アルベルト」


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ドメニコ・プリアーニ(ヴァ―リア、1589‐フィレンツェ、1658)の「聖テレーザ」


1
15世紀初頭のフレスコ画


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詳細不知


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プリモ・コンティ(フィレンツェ、1900‐フィエーゾレ、1988)の「カスチャの聖リータ」


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詳細不知


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ピエル・ダンディーニ(フィレンツェ、1646‐1712)の「聖フランチェスコ」
(つづく)

P2680075
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着しました。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂は修復工事中でした。


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徒歩で、この日のお宿に向かいます。


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突き当りは、15世紀に建設されたPalazzo Antinoriです。


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スグラフィート彫刻のある建物


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ジャンボローニャ聖っ系によって16世紀に建設されたPalazzo Vecchiettiです。現在、5つ星ホテルになってます。


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ストロッツィ宮を見ると、おお、フィレンツェだ、と思います。


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この日のお宿です。


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旧市街に泊まるときは、ここにしています。


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人気があるので、予約できないことも結構あります。その場合は、SMN駅近くのホテルにします。


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チェックインを済ませて外に出たら、晴れてました。


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共和国広場は賑わってました。校外学習の一行のようです。


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そろそろ昼食時です。


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ヴェッキオ宮とウフィツィ美術館に行きたいので、時間をかけて食事する暇がありません。


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トリッパの立ち食いにしました。


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ここも気に入っているので、1階の旅で必ず利用します。


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もつ料理を食べるなら、レストランよりもお勧めです。


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雲行きが怪しくなってきました。


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またまた妙なものが・・・・・


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コジモ1世の騎馬像の写真を撮るのは久し振りです。


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グッチ博物館に入館したことがありません。


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とうとう雨が落ちてきました。


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傘を差している人がいません。


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イタリア人と比べると、日本人は断然傘好きですね。


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私もヴェッキオ宮に入ります。


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毎年1回は入館します。


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年に一回以上見たい作品が沢山あります。


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何時ものホテルに泊まり、何時ものレストランに行って同じものを食べる、見慣れた芸術品をじっくり見る、何処に何があるかまで熟知している教会を拝観する、等々が私のフィレンツェの旅の醍醐味です。


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傑作です!


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外に出ました。


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次はウフィツィ美術館です。


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私は年間入場券がありますが、同行者は持ってません。


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3月なので、予約なしでも大丈夫と読んでいましたが、結構待たされました。


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混雑しているからと言って美術ファンが多いわけではありません。


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通常期よりは入館者が少ないようです。


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それでも人気の展示室は相変わらずの混雑です。


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天気がパッとしません。


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41室は閉まっていました。


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42室が開いていました。


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45室が開いていました。


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2019年になって、漸く展示室と展示作品が落ち着いたようです。


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1階(日本の2階)の展示室です。


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外に出たら、すっかり夕暮時になっていました。


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(つづく)

P1600266
捨て子養育院柱廊のフレスコ画を見ることにしました。


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捨て子養育院美術館に付いては既に取り上げました。


119
フィリッポ・ブルネッレスキ(フィレンツェ、1377‐1446)の設計によって1419年に創建され、後にフランチェスコ・ダ・ルーナ(フィレンツェ、1373‐?)に引き継がれて、1445年に完成したルネサンス様式の建物です。


120
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)のメダイヨン


P1600281
教会もあります。


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ジョヴァンニ・ディ・フランチェスコ(アレッツォ、1412‐フィレンツェ、1459)の「永遠なる父と聖人たちと捨て子たち」(1459)


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詳細不知


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「寓意画」(1612)


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「寓意画」(1612)


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)によって描かれた柱廊天井のフレスコ画


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捨て子を養育院に預けるための回転扉、所謂「赤ちゃんポスト」です。


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次はサン・ミケーレ・ヴィスドミニ教会です。


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教会があるセルヴィ通りに戻ります。


129
サン・ミケーレ・ヴィスドミニ教会は開いていました。
教会名の由来は、古くからのフィレンツェ貴族ヴィスドミニ家がパトロンになってきたからです。


128
12世紀頃、現在のドゥオーモの後陣がある場所に教会がありました。
14世紀中頃、ドゥオーモの後陣を拡張するために、その場所にあった教会の立ち退きが決まりました。そのため、建築家ジョヴァンニ・ディ・ラーポ・ギーニ(フィレンツェ、14世紀活動)の設計によって、現在地で1364年から建設工事が始まりました。


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現ドゥオーモの後陣にあった建物は1368年に取り壊され、同年に現在の建物に教会が移転してきました。


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ファサードは、建築家バルトロメオ・アマンナーティ(セッティニャーノ、1511‐フィレンツェ、1592)の設計によって、1577年から1590年に建設されました。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。18世紀に行われた修復の際、バロック様式に改修されました。


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ポントルモ、イル・ポッピ、パッシニャーノなどの作品があります。


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オルガンが後陣にあります。


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主祭壇


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天井のフレスコ画


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1966年のアルノ川の大洪水の際、14世紀のフレスコ画が偶然見つかった礼拝堂です。


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14世紀のフレスコ画


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詳細不明
グイド・レーニの「大天使聖ミケーレ」のコピー画でしょう。


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アゴスティーノ・チャンペッリ(フィレンツェ、1565‐ローマ、1640)の「聖母の誕生」


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フランチェスコ・モランディ―ニ通称イル・ポッピ(ポッピ、1544‐フィレンツェ、1597)の「キリストの復活」


150
詳細不明の「磔刑像」


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14世紀のフレスコ画


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フランチェスコ・モランディ―ニ通称イル・ポッピ(ポッピ、1544‐フィレンツェ、1597)の「無原罪の御宿リ」


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アゴスティーノ・ヴェラチーニ(フィレンツェ、1565‐ローマ、1640)の「聖トンマーゾ・ヴィッラヌオーヴァの施し」


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ヤコポ・ダ・ポントルモ(ポントルメ、1494‐フィレンツェ、1557)の「聖母子と聖人たち」(1518)


1


136


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ドメニコ・クレスティ通称イル・パッシニャーノ(タヴァルネッレ・ヴァル・ディ・ぺーザ、1559‐フィレンツェ、1638)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」


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イル・ポッピまたはベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「聖母子と聖人たち」


133
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551‐1640)の「ご誕生」


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これで拝観は大体終わりです。


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外に出ました。


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次はアカデミア美術館です。


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相変わらずの混雑です。


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何回見ても良いものは良い!


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外に出ると、すっかり夕暮でした。


P1610306
(つづく)

引き続きサンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂です。
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聖堂内に入りました。


014
入口左のCappella della Santissima Annunziataです。
1341年に建設された最古の部分です。ミケロッツォの手になる祭壇と言われてます。ここでミサが行われることが多いようです。


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地元の人から信仰を集めている礼拝堂です。


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奇跡のフレスコ画「受胎告知」です。


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マッテオ・ディ・パチーノ(1359‐1394記録)に帰属する「受胎告知」


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芸術作品が多い聖堂です。


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単身廊です。


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祭壇画などを見て回ります。


P1780595
主祭壇


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後陣天井のフレスコ画は、バルダッサーレ・フランチェスコキーニ通称ヴォルテッラーノ(ヴォルテッラ、1611‐フィレンツェ、1690)の「聖母被昇天」(1680‐83)です。


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Cappella di Santa Giuliana Falconieri


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ヴィンチェンツォ・ムッチ(フィレンツェ、1694‐1766)の「聖母被昇天」
アレッソ・バルドヴィネッティ(フィレンツェ、1425‐1499)に帰属する「十字架」(1456c)


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詳細不知
調べれば作品帰属が全部分かりますが、時間がないので、覚えていない作品は「詳細不知」にします。


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詳細不知


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詳細不知


P1780618
詳細不知


P1780623
ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1448c‐フォンティニャーノ、1523)の「聖母被昇天」(1506c)


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ルイージ・アデモッロ(ミラノ、1764‐フィレンツェ、1849)の「L'Arca Santa」(1826)


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ルイージ・アデモッロ(ミラノ、1764‐フィレンツェ、1849)の「ダヴィデとゴリアテ」(1826)


024
詳細不知


025
詳細不知


031
バッチョ・バンディネッリ(フィレンツェ、1488‐1560)の「ニコデモに支えられる死せるキリスト」(1554‐59)


035
バルダッサーレ・フランチェスキーニ通称ヴォルテッラーノの作品


037
詳細不知


047
詳細不知


057
ヨハン・カール・ロス(ミュンヘン、1632‐ヴェネツィア、1698)の「聖ジュゼッペの死」(1693)


049
詳細不知


050
詳細不知


052
詳細不知


053
詳細不知


054
詳細不知


093
詳細不知


P1780591
詳細不知


P1780590
詳細不知


P1780594
詳細不知


P1780569
第1回廊(大回廊)に出ました。


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回廊の壁にフレスコ画が描かれてます。


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一部だけ見ることが出来るようになってます。


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「聖ウグッチョーネと聖ソステーニョの死」


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「聖ウグッチョーネに面会するアスブルゴ伯爵ロドルフォ1世」


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「2人の罪人を改宗させる聖フィリッポ・べニツィ」


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ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の「聖アレッショ・ファルコニエーリの死」


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「サッコの聖母」(1525)


P1780586
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「エジプトへの逃避途中の休息」(1525)


P1780635
外に出ました。
(つづく)

001
早起きして、何時もよりも早くホテルを出ました。


002
この時間では、ドゥオーモは流石に空いていました。


003
サン・ミケーレ教会は未だ開いていません。


004
ここは後で拝観する予定です。


005
セルヴィ通りを進みました。


006
セルヴィ通りの先は広場で、広場の突き当りにあるのがサンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂です。


008
サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場です。


010
広場から振り返るとドゥオーモのクーポラが見えます。


P1780541
噴水、トスカーナ大公の彫像、歴史的建造物などがある盛沢山の広場です。


P1600264
1516年創建のLoggia dei Sarvi di Maria


P1600266
1417年から1436年に建設された捨て子養育院 Spedale degli Innocenti


P1600268
ピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577‐フィレンツェ、1640)の「Fontane dei nostri marini」(1627‐41c)
広場に2つあります。


P1780553
もう一つの噴水


P1600265
ジャンボローニャ(ドゥアイ、1529‐フィレンツェ、1608)とピエトロ・タッカ(カッラーラ、1577‐フィレンツェ、1640)の「トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチ像」(1602‐07)


408
ピエトロ・タッカがジャンボローニャ工房で働いていた時期に制作されたようです。


P1780545
写真左の建物はPalazzo delle Due Fontane、写真右の建物はPalazzo Grifoniです。


P1780631
1563年から1574年にかけて建設されたPalazzo Grifoniです。


P1780630
Spedale degli InnocentiとPalazzo delle Due Fontane


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Loggia dei Sarvi di Mariaです。


P1780634
サンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂 Basilica della Santissima Annunziataです。
1806年、第251代教皇ピオ7世(在位:1800‐1823)によってBasilica Minoreに格付けされました。


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聖堂はバッティストリ通りに面してます。


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マティルデ・ディ・カノッサの時代の1081年以降、聖堂がある現在地に聖母に捧げられた礼拝堂がありましたが、1233年に、その礼拝堂は廃棄されました。
1250年、その礼拝堂があった場所にマリアの下僕同信会によって教会が創建され、1280年頃に一応の完成を見ました。


411
しかし、初代の建物は小さかったので、1384年、神父で建築家だったアンドレア・マンフレディ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1319‐ボローニャ、1396)によって再建計画が立案されました。アンドレアの考えは、アントニオ・ディ・プッチョ・ブッチ(フィレンツェ、1350c‐1416以降没)に継承されましたが、計画の域を脱することが出来ませんでした。
ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ・ミケロッツォ通称ミケロッツォ(フィレンツェ、1396‐1472)によって漸く実現の運びとなり、二代目の建物が1444年に創建され、建物の基本部分は1453年に一応の完成を見ました。
1460年、アントニオ・マネッティ(フィレンツェ、1423‐1497)によって拡張工事が開始され、更にレオン・バッティスタ・アルベルティ(ジェノヴァ、1404‐フィレンツェ、1472)に引き継がれ、ファサード下の柱廊が追加されました。
アルベルティの死後の16世紀初めに完成したルネサンス様式の二代目の建物が現在の姿の原形です。
1516年、二代目の建物の奉献式が執り行われました。


431
鐘楼と後陣


P1780547
ファサードのフレスコ画とモザイクを見ます。


P1780549
こちらのフレスコ画は、ポントルモが1513年から1514年に制作した作品の複製です。(制作者不明)
本物は、フィレンツェ郊外の旧サン・サルヴィ修道院だった建物に置かれている「アンドレア・デル・サルトの最後の晩餐美術館」にあります。


P1780551
ダヴィド・ギルランダイオ(フィレンツェ、1452‐1525)の「受胎告知(モザイク)」(1509)


474
サンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂修道院は複雑な構造をしています。


099
中に入ると先ず柱廊玄関に出ます。
Chiostro dei Voti 誓いの回廊と呼ばれている柱廊玄関は、ミケロッツォの設計によって1447年に建設されました。


100
誓いの回廊のフレスコ画は見逃せません。


109
構造図の2が誓いの回廊です。


102
アレッソ・バルドヴィネッティ(フィレンツェ、1425‐1499)の「羊飼いの礼拝」


103
コジモ・ロッセリ(フィレンツェ、1439‐1507)の「聖フィリッポ・べニツィ」


104
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「ハンセン病患者を治癒する聖フィリッポ・べニツィ」


105
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「冒涜者の処罰」


106
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「悪魔に取りつかれた人を解放する聖フィリッポ・べニツィ」


107
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「死に瀕した子供を蘇生させる聖フィリッポ・べニツィ」


108
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「聖フィリッポ・べニツィの聖遺物に対するフィレンツェの人々の信仰」


110
ロッソ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1495‐フォンテーヌブロー、1540)の「聖母被昇天」


111
ポントルモ(エンポリ、1494‐フィレンツェ、1557)の「ご訪問」


101
アンドレア・デル・サルト像


428
聖母子像


425
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「マギの行列」


426
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「聖母の誕生」


427
フランチャビージョ(フィレンツェ、1482‐1525)の「聖母の結婚」
(つづく)

242
サンタ・トリニータ橋に行ってみました。


235
サンタ・トリニータ橋から見たヴェッキオ橋


236
何時もと変わらね光景です。多分、100年経っても変わらないと思いました。


237
水量は普通です。


243
Ponte alla Carraia


246
トリニータ広場


247
近頃、フィレンツェに行っても美術館、博物館、教会でも限られた所ばかりに行ってます。


248
ストロッツィ宮には入らず通り過ぎました。


249
サンティ・ミケーレ・エ・ガエターノ教会の扉が閉まりました。


253
ジョットの鐘楼が見えましたが、あちらの方には行かずに中央市場へ。


254
頼まれていた買い物をしてからホテルに戻りました。


503
ホテルでの会合が終わり、息抜きにシニョーリア広場にやってきました。


500
単なるブラブラ歩きで、夕食を食べる以外に目的がありません。


501
夏時間なので、日没にはまだ時間があります。


502
そういえば、今年から夏時間はないのです。日本との時差8時間は一年中変わりなし。


505
まだまだ賑わってます。


413
ファエンツァ通り


415
メディチ家礼拝堂に日が当たってます。


416
ドゥオーモに来ました。


418
フィレンツェにいるんだ、と思いました。


419


420
イタリアに行けば、フィレンツェに必ず訪れてます。


425
引退してから、フィレンツェで毎年平均20泊ほどしています。


427
1回の旅行で大体1週間ほどフィレンツェにいます。


428
ドゥオーモのファサードは意外にも新しい。


429


431


432


433


438


441


445


449
プロコンソリ通り


470
夕食は何時もの店で。


471


472


453
お腹一杯食べてから、コルソ通り経由でホテルに戻ります。


454
コルソ通りに面して建つ、1508年創建のサンタ・マルゲリータ・イン・サンタ・マリア・デイ・リッチ教会、略してマドンナ・デイ・リッチ教会です。


457
殆ど毎晩のようにコンサートが行われています。


456
久し振りに拝観します。かなり酩酊していたので不謹慎でした。


458
中に入りました。


459
単廊式、後期バロック様式の内部です。


472
ロレンツォ・デル・モーロ(フィレンツェ、1677‐1735)の「聖母被昇天」


473
ロレンツォ・デル・モーロによる後陣フレスコ画


471
制作者情報不知の「アントニオ・ジュゼッペ・リナルデスキの物語」


467
詳細不知


465
詳細不知


464
コンサートが始まるのを待っていましたが、始まらないので外に出ます。


479
この店でジェラートを食べました。


481
共和国広場に行ってみます。


488


489
(つづく)

引き続きサンタ・トリニータ聖堂です。
131
ロレンツォ・モナコ(シエナ?、1370c-フィレンツェ、1425c)の「受胎告知」(1424)


132
Cappella Bartolini Salimbeniのフレスコ画です。
ロレンツォ・モナコ(シエナ?、1370c-フィレンツェ、1425c)の「聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅」(1420-24)


136
ロレンツォ・モナコ(シエナ?、1370c-フィレンツェ、1425c)の「聖母の結婚」(1420-24)


135
ロレンツォ・モナコ(シエナ?、1370c-フィレンツェ、1425c)の「聖母の死」(1420-24)


138
ロレンツォ・モナコによるCappella Bartolini Salimbeni天井フレスコ画


141
マーゾ・ダ・サン・フリアーノ(フィレンツェ、1531‐1571)の「キリストの復活」(1552)


144
フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570‐1661)の「聖母子と聖人たち」


145
ジョヴァンニ・トスカ―ニ(フィレンツェ、1372‐1430)の「ピエタ」(1424)


526
Cappella Sassettiです。


151
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1448‐1496)のフレスコ画で有名なCappella Sassettiです。


152
メディチ銀行の総支配人だったフランチェスコ・サッセッティ(フィレンツェ、1421‐1490)がドメニコ・ギルランダイオに注文して描かれたフレスコ画です。


150
フレスコ画のテーマは「聖フランチェスコの生涯」(1483‐86)です。


149
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1448‐1496)の「羊飼いの礼拝」(1485)


155
羊飼いの礼拝に向かって右端にフランチェスコ・サッセッティが描かれてます。


527
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1448‐1496)の「祈るフランチェスコ・サッセッティ」(1483‐86)
国父コジモ・イル・ヴェッキオ(フィレンツェ、1389‐1464)には、痛風病みのピエロ、ピエロ・イル・ゴットーゾ(フィレンツェ、1416‐1469)とジョヴァンニ・ディ・コジモ・デ・メディチ(フィレンツェ、1421‐1463)の2人の息子がいました。
フランチェスコ・サッセッティを雇ったコジモ・イル・ヴェッキオは、フランチェスコの才を認めてジュネーヴ支店の経営を任せましたが、コジモの期待違わず、支店の業績は向上しました。
コジモの次男ジョヴァンニは若いころ芸術に傾倒して銀行業に熱心ではなかったので、コジモは、フランチェスコをジョヴァンニの家庭教師にしました。ジョヴァンニは徐々に頭角を現してきたので、コジモは病弱の長男ピエロよりもジョヴァンニに大きな期待を寄せていました。
1459年、フランチェスコはメディチ銀行の総支配人に任じられました。
コジモの死の1年前にジョヴァンニが若くして亡くなってしまいました。
病弱のピエロは、銀行業に精を出すことなく1469年に没してしまい、ピエロの後を継いだロレンツォ・イル・マニーフィコも家業の銀行業には不熱心でした。
コジモの晩年からメディチ銀行の業績は徐々に下降線に入っていましたが、ピエロ、ロレンツォ父子の本業不熱心によって、メディチ銀行はやがて倒産してしまいます。その間の経営の担い手は総支配人であるフランチェスコですから、彼の手腕には大いに疑問符が付くと思います。
こんなことを思いながら、フレスコ画を見るのも一興です。


157
クリストファノ・アローリ(フィレンツェ、1577‐1621)とザノービ・ロッシ(フィレンツェ、1577‐1631)の「San Pietro sulle acque」(1621)


158
ファブリツィオ・ボスキ(フィレンツェ、1572‐1642)とマッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578‐1650)によって制作されたCappella Usimbardiの天井フレスコ画(1643)


160
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551‐1640)の「天国の鍵を聖ピエトロに託すキリスト」(1607)


163
フェリーチェ・パルマ(マッサ、1583‐1625)の「磔刑」(1614)


170
Cappella Scaliです。
ルカ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1400‐1482)の「ベノッツォ・フェデリギの墓」(1454)


165
ジョヴァンニ・ダ・ポンテ(フィレンツェ、1385‐1438)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1434)


166
ジョヴァンニ・ダ・ポンテ(フィレンツェ、1385‐1438)の「聖バルトロメオの殉教」(1434)


169
ジョヴァンニ・ダ・ポンテとスメラルド・ディ・ジョヴァンニのCappella Scali天井のフレスコ画


173
Cappella di San Giovanni Gualberto


178
ドメニコ・クレスティ通称イル・パッシニャーノ(タヴァルネッレ・ヴァル・ディ・ぺーザ、1559‐フィレンツェ、1638)の「フランスのルドヴィーコ9世を歓迎する聖ジョヴァンニ・グアルベルト」(1593‐94)


177
パッシニャーノの作品


179
Cappella Spini


180
デジデリオ・ダ・セッティニャーノ(セッティニャーノ、1430c‐フィレンツェ、1464)の「聖マッダレーナ・マリア」(1450c)


184
アレッソ・バルドヴィネッティ(フィレンツェ、1425‐1499)の「司教聖人」(1470)


182


186
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418/1420-1492)の「聖ジョヴァンニ・グアルベルトと聖人たち」(1455)


191
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418/1420-1492)の「受胎告知」(1475)


193
ビッチ・ディ・ロレンツォ(フィレンツェ、1373-1452)の「聖母戴冠」(1430)


196
Cappella Davanzati
マーゾ・ディ・バンコ(フィレンツェ、?-1348)の追随者作「アレッサンドリアの聖カテリーナの物語」(1340-50)


198
マーゾ・ディ・バンコの追随者作「受胎告知」(1340-50)


200
アントニオ・デル・チェライオーロ(フィレンツェ、1520-1525記録、1538c没)の「シエナの聖カテリーナと聖ニッコロの神秘な結婚」(1515-20)


204
ミケーレ・トシーニ通称ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ(フィレンツェ、1503-1577)の「受胎告知」(1570)


208
リドルフォ・デル・ギルランダイオ(フィレンツェ、1483-1561)の「聖ジローラモ」(1558)


210
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551-1640)の「受胎告知」(1603)


213
ポンぺオ・カッチーニ(フィレンツェ、1577-ローマ、1624)の「聖ルチアの殉教」(1606)


217
コジモ・ガンベルッチ(フィレンツェ、1562-1621)の「聖アレッシオの葬儀」(1605)


220
Cappella Strozzi Sinistraの天井フレスコ画です。
ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548-1612)の「天国」


222
ジョヴァンニ・ダ・ポンテ(フィレンツェ、1385-1438)によるCappella Diniのフレスコ画


223
15世紀のフィレンツェの逸名画家作「受胎告知される聖母」


229
修道院、キオストロ回廊、クリプタに入ることが出来ませんでした。


228
祭壇をもう一度見てから外に出ました。


233
(つづく)

引き続きオーニッサンティ教会です。
122
Cappella Vespucci


522
ドメニコ・ギルランダイオのフレスコ画が素晴らしい!


083
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1448‐1496)の「慈悲の聖母」(1471‐72c)


081
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1448‐1496)の「十字架降下」(1471‐72c)


085
ルドヴィーコ・ブーティ(フィレンツェ、1550/1560c-1611)の「キリストの昇天」(1580-90)


088
詳細不知


089
詳細不知


090
身廊天井のフレスコ画


091
コジモ・ウリヴェッリ(フィレンツェ、1625-1705)の「聖母子と聖フランチェスコ」


520
キオストロ回廊に出ました。


521
回廊のフレスコ画が中々のものです。


126
回廊を経由して食堂に入りました。


127
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1448-1496)の「最後の晩餐」
サン・マルコ修道院にもドメニコの「最後の晩餐」があります。2つの最後の晩餐は非常に似ており、見ただけでは違いが分かりません。2つを並べて見れば、違いがよく分かりますが、それは不可能です。


131
外に出ました。


130
オーニッサンティ広場にある「ヘラクレスとライオン」のモニュメント


098
広場に面して建つ、1470年に建設されたPalazzo Lenzi


102
対岸に見えるサン・フレディアーノ教会


104
Ponte alla Carraiaでしょうか?


011
次はサンタ・トリニータ聖堂です。


108
Basilica Minoreなので、サンタ・トリニータ聖堂と訳しました。


110
1077年の記録に、この地にあった教会の存在が記されているそうです(当時は別の名称でした)。その教会の一部が現在の聖堂のクリプタです。
初代の建物の一部の上に、ニコラ・ピサーノ(アプリア、1220/1225c-ピサ?、1284c)またはネーリ・ディ・フィオラヴァンテ(ピストイア、?-フィレンツェ、1374)の設計によって、1250年から1258年にかけて建設されたゴシック様式の教会とされてます。
しかし、私は、ネーリ・ディ・フィオラヴァンテの設計は、生年が不明ですが没年が1374年が正しいとすると有り得ないと思います。


109
ファサードは、ベルナルド・ブオンレンティ(フィレンツェ、1531-1608)の設計によって、1593年に建設されました。


112
1966年のアルノ川の大洪水によって深刻な被害を受けました。
この聖堂は宗教美術品の傑作が目白押しで、美術ファンは必見です。
この聖堂にあった最高傑作は、現在ウフィツィ美術館で展示されている、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「ストロッツィの祭壇画、マギの礼拝」でしょう。


P2540306
これがその作品の写真です。


P2540310
かなり脱線しました。


P2540313
このような脱線が大好きです。
話を元に戻します。


113
聖堂内に入りました。


115
三廊式、ゴシック様式の内部です。


232
左側廊


523
左右非対称の少し複雑な構造をしています。


114
身廊から右側壁方向を見た聖堂内部


231
右側廊


116
Cappella Maggiore、中央礼拝堂です。


117
主祭壇画は、マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1388-1424)の「三位一体のトリッティコ」(1416)


119
中央礼拝堂後陣のステンドグラス


227
中央礼拝堂の磔刑像


225
アレッソ・バルドヴィネッティ(フィレンツェ、1425-1499)によって描かれた中央礼拝堂天井のフレスコ画(1470c)


120
フランチェスコ・クッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」(1649)


124
詳細不知の「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」


125
ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418/1420-1492)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1481)


126
右半分が光るので、角度を変えて撮ったら、今度は左半分が光りました。


525
どうも上手くいきません。


129
スピネッロ・アレティーノ(カポローナ、1350c-1410)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


524
(つづく)

P2820820
フィレンツェ・リフレディ駅に到着しました。普通はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着しますが、同駅は行き止まり駅なので発着に時間がかかるので、高速列車の一部はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に入らず、カンポ・デ・マルテ駅やリフレディ駅発着となってます。


101
リフレディ駅からタクシーで、この日のお宿に着きました。
現役の頃にはよく泊まっていましたが、引退してからはそうも行きません。ルネサンス芸術に関する催事がここで開催されるので、久し振りに泊まることにしました。


100
荷物をフロントに預けて、早速街歩きに出発です。


099
先ずは、ホテルと同じ広場に面して建つ教会の拝観が順序というものです。


097
ロンバルディアのウミリアーティ会が1251年建設着工したサン・サルヴァトーレ・イン・オーニッサンティ教会、通称オーニッサンティ教会です。


096
バロック様式のファサードは、マッテオ・ニジェッティ(フィレンツェ、1560/1570c-1648)の設計によって17世紀前半に再建されたものです。
鐘楼はオリジナルです。


107
ポータル上ルネッタの彩釉テラコッタ「聖母戴冠」は、以前のファサードにあったもので、ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアまたはベネデット・ブリオーニの作品と言われてます。


012
中に入りました。


014
単廊式、ラテン十字形の内部です。


013
縦95m、横14mの内部です。
祭壇画などを見て回ります。


015
バルトロメオ・トラバッレージ(フィレンツェ、1540c-1585)の「受胎告知」(1570)


016
画面が光るので、少し横から撮ってみました。


022
リドルフォ・デル・ギルランダイオ(フィレンツェ、1483-1561)の「聖母戴冠と三位一体」(1520-30c)


020
三位一体


024
サンティ・ディ・ティート(フィレンツェ、1536-1603)とマーゾ・ダ・サンフリアーノ(フィレンツェ、1531-1571)の「聖母被昇天と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ボナヴェントゥーラ」(1571)


027
ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、1449-1494)の「書斎の聖ジローラモ」(1480)


030
アッリーゴ・ポッチェッティ(ペルージャ、17世紀前半活動)の「パドヴァの聖アントニオ」(1620c)


032
ジョット・ディ・ボンドーネ(コッレ・ディ・ヴェスピニャーノ、1267c-フィレンツェ、1337)の「オーニッサンティの磔刑」


034
ピエトロ・マルケジーニ(ピストイア、1692-1757)の「コルトーナの聖マルゲリータの光悦」(1728)


035
詳細不知


036
ファイト・シュト―ス(ドイツ、1447-1533)に帰属する「磔刑」


037
中央礼拝堂


038
バルトロメオ・チェンニーニ(フィレンツェ、?-1674)の「磔刑」(1669-74)
後陣のフレスコ画は、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の作品です。


039
ピエル・ダンディーニ(フィレンツェ、1646-1712)の「聖パスカリス・バイロン」(1690)


041
ピエル・ダンディーニ(フィレンツェ、1646-1712)の「聖パスカリス・バイロン」


046
ジュゼッペ・ピンツァーニの「ヴィテルボの聖ローザの説教」(1714-15)


047
ジョヴァンニ・バッティスタ・クィンチの「栄光のヴィテルボの聖ローザ」(1715c)


048
ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547-フィレンツェ、1627)の「聖ディエゴ」(1595)


049
Cappella di San Pietro d'Alcantara


050
マッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669-1756)の「栄光のアルカンタラの聖ピエトロ」(1722)


051
マッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669-1756)の「アルカンタラの聖ピエトロ」


053
マッテオ・ボネーキ(フィレンツェ、1669-1756)の「アルカンタラの聖ピエトロ」


055
Cappella Vespucci
ヴィンチェンツォ・ダンディーニに拠る祭壇画


056
ジョヴァンニ・ドメニコ・フェレッティ(フィレンツェ、1692-1768)によるCappella Vespucciの天井フレスコ画


058
ジュゼッペ・ピンツァーニの「ウンゲリアの聖エリザベッタ」(1730c)


060
マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578-1650)の「聖アンドレアの殉教」(1620)


062
マッテオ・ロッセッリ(フィレンツェ、1578-1650)の「ポルトガルの聖エリザベッタ」(1625)


064
ドメニコ・プリアーニ(ヴァ―リア、1589-フィレンツェ、1658)の「オルタの聖サルヴァトーレの説教」


067
ルドヴィーコ・ブーティ(フィレンツェ、1550/1560c-1611)の「聖母被昇天」


069
ニコデモ・フェッルッチ(フィレンツェ、1574-1650)の「聖フランチェスコ」


073
サンドロ・ボッティチェッリ(フィレンツェ、1445-1510)の「聖アゴスティーノ」(1480c)


077
サンティ・ディ・ティート(フィレンツェ、1536-1603)の「聖会話」
途中ですが、今日は時間がないので、この辺で一旦切り上げます。
(つづく)

画家を目指す人にとって、スカルツォの回廊に描かれた、単色のフレスコ画のデッサンが必須と言われていた時期があり、今でも回廊に置かれた椅子に座ってデッサンをする画学生を見かけます。
スカルツォの回廊を「教会巡り」に含めるか、「美術館巡り」に含めるか迷うところですが、旧教会の上にMuseoとして公開されているので、後者を選択しました。
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フィレンツェのサン・マルコ教会です。


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サン・マルコ教会に向かって左側を走るカヴール通りです。写真右端の建物はサン・マルコ修道院です。


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カヴール通りを挟んで、サン・マルコ修道院の斜め前にスカルツォの回廊があります。


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あまり目立たない建物ですが、カヴール通りの69番地にあるので、通りの番地を見ながら歩けば見逃すことはないと思います。


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スカルツォの回廊です。


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スカルツォ scalzoとは「裸足の」と言う意味ですが、この場所に裸足で十字架行進を行う聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)信心会の修道院がありました。修道院は既に廃止され、建物は他の用途に転用されてます。
旧修道院のキオストロ回廊に描かれた単色フレスコ画のためのMuseoとして一般公開されてます。


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入館無料です。
注意すべきは公開日が少し変則であることに加えて、時々変わることがあるのです。
現在の一般公開日時は、毎週月曜日と毎週木曜日、毎月第1、第3、第5の土曜日、毎月第2、第4の日曜日の8:15‐13:50です。


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入口扉上ルネッタに彩釉テラコッタがあります。


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ロッビア一族の作品でしょうか?


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17世紀のフィレンツェの逸名画家作「聖ジュゼッペの夢」
回廊の入り口前に、係員がいる部屋がありますが、その部屋にある作品です。旧修道院にあった作品でしょうか?


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回廊の入り口前の部屋にある「磔刑」の彫刻(詳細不明)


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キオストロへの入り口です。


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キオストロに入りました。


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キオストロの中から見た入り口です。


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日差しが当たりますが、フレスコ画の保存状態は悪くありません。


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この日は、椅子に座ってデッサンする人がいませんでした。


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簡単な説明板が置かれてます。


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フレスコ画のテーマは、「聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)の生涯」です。聖ジョヴァンニ・バッティスタ信心会によって注文されたので、そのテーマは当然でしょう。


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの生涯」のフレスコ画が全部で16場面描かれてますが、そのうち、アンドレア・ダーニョロ・ディフランチェスコ通称アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)が14場面(1509‐1523)、フランチェスコ・ディ・クリストファーノ通称イル・フランチャビージョ(フィレンツェ、1482‐1526)が2場面(1518‐1519)制作しました。
1505年、アンドレア・デル・サルトとフランチャビージョは友人同士となりましたが、すぐに意気投合して、翌年の1506年、フィレンツェのグラーノ広場に2人の共同工房を立ち上げました。
フランチャビージョはフレスコ画が得意だったので、アンドレア・デル・サルトが受注したフレスコ画制作に度々手伝っていました。
「聖ジョヴァンニ・バッティスタの生涯」は、アンドレア・デル・サルトに注文されたものですが、何故フランチャビージョが2場面制作したのかについての記録が残されてません。
その理由の有力説は、このフレスコ画の製作途中の1518年に、アンドレア・デル・サルトは、フランス王フランソワ1世から招聘を受け、フォンテーヌブローに赴きました(ここまでは事実です)が、フランス滞在の不在中の制作を親友のフランチャビージョに託したというものです。
アンドレア・デル・サルトのフランス滞在はもっと長期にわたる筈だったので、アンドレアの未着手のフレスコ画制作全部をフランチャビージョに託したと私は思います。
フランチャビージョが何故2場面制作したのか、これにはアンドレア・デル・サルトの悪妻ルクレツィアの存在が影響していると思います。
アンドレアの妻ルクレツィアは悪妻として有名ですが、フランス滞在中のアンドレアに対して「寂しいので早く帰って来て」との要求を何度も伝えて、フランス滞在の契約中にも拘らず、アンドレアはフィレンツェに戻ってきてしまったのです。
フランソワ1世は、呆れてアンドレアの悪口を言ったとの記録が残されてます。
アンドレアの妻は悪妻でしたが(この他にもエピソードがあります)、妻に惚れ込んでいたアンドレアは、異郷での独り身が堪えたので、これ幸いにフィレンツェに戻ったのでしょう。
アンドレアの不在中にフランチャビージョが制作したのは2場面で、アンドレアが戻ってきたので、残り全部をアンドレアが制作した、と考えるのが自然と思います。
ついでにアンドレアの妻ルクレツィアを載せましょう。


1
アンドレアは、後に妻となるルクレツィアが恋人になると、それ以降の作品に登場する聖母の顔は殆どがルクレツィアの顔となりました。


2
ハルピュイアの聖母(ウフィツィ美術館蔵)


3
聖家族(ローマ・バルベリーニ宮国立絵画館蔵)
恋人や妻を聖母のモデルにした画家は、フィリッポ・リッピ、マッテオ・ディ・ジョヴァンニなど数多くいます。
話が脱線しました。
では、次に16場面を紹介しましょう。


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「Fede (信義の女神)」(1523c)


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「ザッカリアでの天使の出現」(1523)


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回廊のルネッタにもフレスコ画があります。


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「ご訪問」(1524)


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「洗礼の名の命令」(1526)
単色フレスコ画の作品は少ないですが、画家の実力が出てしまいます。スカルツォの回廊のフレスコ画を見れば、アンドレア・デル・サルトの凄さが分かると思います。


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「洗礼の名の命令」の上部ルネッタのフレスコ画


P1780464
フランチャビージョ(フィレンツェ、1482‐1526)の「砂漠に出発する聖ジョヴァンニ・バッティスタへの祝福」(1518‐19)


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「砂漠に出発する聖ジョヴァンニ・バッティスタへの祝福」の上部ルネッタのフレスコ画


P1780468
フランチャビージョ(フィレンツェ、1482‐1526)の「キリストと聖ジョヴァンニ・バッティスタの出会い」(1518‐19)


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「キリストと聖ジョヴァンニ・バッティスタの出会い」の上部ルネッタのフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「キリストの洗礼」(1509‐10)
「キリストの洗礼」が最初に制作されました。


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「キリストの洗礼」の上部に描かれたフレスコア


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「慈愛」(1513)


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聖アントニーノ・ピエロッツィ大司教の胸像です。


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聖アントニーノ・ピエロッツィ大司教(フィレンツェ、1389‐モントナーギ、1459)は、サン・マルコ修道院長だった頃、ベアート・アンジェリコの庇護者として有名です。
しかし、この胸像がここにある理由が分かりません。


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「正義の女神」(1515)


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」(1515)


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「洗礼を施す聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1517)


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「洗礼を施す聖ジョヴァンニ・バッティスタ」の上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの逮捕」(1517)


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの逮捕」の上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「サロメの踊り」(1522)


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「サロメの踊り」上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1523)


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「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」の上部


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「ヘロデ王の宴」(1523)


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「ヘロデ王の宴」の上部のフレスコ画


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アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1531)の「希望」(1523)


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以上16場面でした。


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外に出ました。


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何時訪れても感慨を新たにする傑作です。

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次の部屋です。


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第98室 Lume di notte


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カラヴァッジョ様式による作品が主な展示です。


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バルトロメオ・マンフレディ(オスティアーノ、1582‐ローマ、1622)の「Carita romana」(1610‐20c)


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ゴッドフリード・シャールキン(ドリンメレン、1643‐デンハーグ、1706)の「名声」(1665‐70)


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ゲラルド・デッレ・ノッティ(ウトレヒト、1592‐1656)の「幸運」(1617c)


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ゲラルド・デッレ・ノッティの「結婚披露宴」(1613‐17c)


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ゲラルド・デッレ・ノッティの「幼きキリストへの崇拝」(1619‐20c)


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マッティアス・ストーマ―(アメルスフォールト、1600c‐シチリア、1650以降没)の「受胎告知」(1635‐40)


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ゲラルド・デッレ・ノッティの「リュート弾きとの晩餐」(1619‐20c)


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次の部屋です。


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第99室 Rembrandt e Rubens


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外国人画家の作品展示が大幅に縮小されました。


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ピーテル・パウル・ルーベンス(ジーゲン、1577‐アンヴェルサ、1640)の「イサベッラ・ブラントの肖像」(1626c)


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ピーテル・パウル・ルーベンスの「自画像」(1628c)


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レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(ライデン、1606‐アムステルダム、1669)の「自画像」(1626c)


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レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインの「若き頃の自画像」(1634)


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レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインの「老人の肖像」(1665)


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アントーン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「皇帝カルロ5世の騎馬像」(1621‐27)


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アントーン・ヴァン・ダイクの「マルグリート・ドゥ・ロレーヌの肖像」(1643c)


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ピーテル・パウル・ルーベンスの「ユディト」(1626‐34)


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ロープが張られて中に入ることが出来ません。第94室でしょうか?


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風景画が並んでます。


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次の部屋です。


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第93室 Galileo e i Medici
カラヴァッジョ作品の展示室を先に回ったので、91室に戻る方向に回りました。


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ユストゥス・サステルマンス(アンヴェルサ、1597‐フィレンツェ、1681)の「幼少期のレオポルド・デ・メディチの肖像」(1622)


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ユストゥス・サステルマンスの「ガリレオ・ガリレイの肖像」(1635c)


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カルロ・ドルチ(フィレンツェ、1616‐1687)の「アイノルフォ・デ・バルディの肖像」(1632)


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フェリーチェ・フィケレッリ通称イル・リポーゾ(サン・ジミニャーノ、1603‐フィレンツェ、1660)の「少女」(1650c)


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ユストゥス・サステルマンスの「2老女と黒人女」(1634)


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ユストゥス・サステルマンスの「コジモ2世デ・メディチとその妻マリア・マッダレーナ・ディ・オーストリアと息子フェルディナンド2世の肖像」(1640c)


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次の部屋です。


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第92室 Epica Fiorentina


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ジョヴァンニ・ビリヴェルト(フィレンツェ、1585‐1644)の「ルッジエーロから身を隠すアンジェリカ」(1624)


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ジョヴァンニ・マルティネッリ(モンテヴァルキ、1600‐フィレンツェ、1659)の「名声の寓意」(1647c)


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フランチェスコ・フリーニ(フィレンツェ、1600‐1646)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1625‐30)


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オラツィオ・フィダーニ(フィレンツェ、1606‐1656)の「休暇を取る農民アンジェリカとメドーロ」(1634)


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チェーザレ・ダンディーニ(フィレンツェ、1596‐1657)の「リナルドとアルミダ」(1635)


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ジョヴァンニ・マルティネッリの「画家の寓意」(1630‐35c)


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ジョヴァンニ・マルティネッリの「虚栄の寓意」(1645c)


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91室に戻りました。


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これで終わりです。


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2017年10月と比べても、また、2018年3月と比べても展示室と展示作品がかなり変わりました。


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あと5室ほどがオープンすれば、今回の展示室改修や展示作品の見直しが一段落すると思います。


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展示室の欠番があるにせよ、第1室から第99室まであるので、観るべき作品の取捨選択と体力配分が重要になりました。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・スピネッリ(キエーティ、1613‐ナポリ、1655)の「ダヴィデ」(1635‐40)


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主要作品に限定して、じっくり鑑賞するとなると、一回の入館では無理かもしれません。


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外に出ました。
(おわり)

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次の部屋です。


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第90室 Tra Realta e Magia
レオナルド・ダ・ヴィンチ関連の部屋にも第90室がありました。この辺を考えても仕方ありませんが、展示室改修・見直し中なので一時的に混乱しているのでしょう。


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ジョヴァン・バッティスタ・モローニ(アルビーノ、1520c‐ベルガモ、1578)の「騎士ピエトロ・セッコ・スアルドの肖像」(1563)


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パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「毛皮のコートを着た男の肖像」(1530‐35)


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ジュリオ・カンピ(クレモナ、1507c‐1572c)の「ガレアッツォ・カンピの肖像」(1530‐40c)
ガレアッツォはジュリオの父です。


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16世紀のエミリアの逸名画家作「寓意的場面」(1550c)


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ドッソ・ドッシ(トラムスキオ、1487c‐フェラーラ、1542)とバッティスタ・ドッシ(トラムスキオで1517から記録‐フェラーラ、1548)の「ヘラクレスの寓意画」(1540‐42)


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アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560‐ローマ、1609)の「サルと一緒の男の肖像」(1588‐90)


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ヤコポ・ダ・ポンテ通称イル・バッサーノ(バッサーノ、1515‐1592)の「2匹の犬」(1555c)


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アンニーバレ・カラッチの「ヴィーナスと2サティーロとキューピッド」(1587‐88)


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次の部屋です。


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第91室 Caravaggio e Artemisia


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)と弟子の「ダヴィデ」(1635c)


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アルテミジア・ジェンティレスキ(ローマ、1593‐ナポリ、1652/1653)の「ユディト」(1620-21c)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カラッチョロ通称バティステッロ(ナポリ、1578-1635)の「サロメ」(1615-25)


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17世紀前半の逸名画家作「カラヴァッジョ作『聖トンマーゾの不信』の複製画」(1600-10c)
カラヴァッジョの作品がありませんでした。その理由についての記述がありませんでした。


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次の部屋に進みます。


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次の部屋です。


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第96室 Caravaggio, La Medusa


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オットー・マルセウス・ファン・スリーク(ナイメ―ヘン、1619-アムステルダム、1678)の領域の「メドゥーサ」(17世紀後半)


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ミケランジェロ・メリージ通称イル・カラヴァッジョ(ミラノ、1571-ポルト・エルコレ、1610)の「メドゥーサ」(1595-98c)


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ローマ時代の彫刻「ミネルヴァ」(2世紀前半)


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ロンバルディアで製造されたもの(1576-80c)
このようなものを使ってカラヴァッジョがメドゥーサを描いたとされてます。


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フランチェスコ・モンテラティチ通称チェッコ・ブラーヴォ(フィレンツェ、1601-インスブルック、1661)の「アルミダ」(1650-55c)


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次の部屋です。


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第97室 Caravaggio, Il Bacco


P2840510



P2840501
カラヴァッジョの「バッカス」(1595‐1600)


P2840504
カルロ・ドルチ(フィレンツェ、1616‐1687)の「花の静物画」(1662)


P2840507
チェーザレ・ダンディーニ(フィレンツェ、1596‐1657)の「食材用鳥」(1635‐45)


P2840512
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551‐1640)の「食材の静物画」(1624)


P2840515
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリの「食材の静物画」(1624)


P2840518
17世紀のスペインの逸名画家作「静物画」(1620‐30c)
(つづく)

P2840336
ティツィアーノ作品が展示されている83室の右横(順路の右横)から次の部屋に入ります。


P2840339
第79室 Leonardo


P2840337
Secondo Pianoで体力を使った人が多いせいでしょうか?、人気随一である筈のレオナルド・ダ・ヴィンチの部屋にも拘らず意外にも空いていました。


P2840341
アンドレア・デル・ヴェロッキオ(フィレンツェ、1435‐ヴェネツィア、1488)とレオナルド・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ、1452‐アンボワーズ、1519)の「キリストの洗礼」(1470‐75)


P2840345
レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」(1472c)


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レオナルド・ダ・ヴィンチの「マギの礼拝」の修復作業についての展示が続きます。


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説明ビデオの部屋


P2840362
第82室
レオナルド関係の展示室番号を深く考えない方が良いと思います。


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ティツィアーノの展示室が第83室で、それに隣接するレオナルド作品が展示されている第79室で、79室の隣が第82室ですから。


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P2840369
次の部屋です。


P2840372
第90室 Tra realta e magia


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P2840373
次の部屋です。


P2840375
第85室


P2840374


P2840377
レオナルド・ダ・ヴィンチの「マギの礼拝(未完)」(1481)


P2840379
次の部屋です。


P2840386
第86室


P2840381
フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457‐フィレンツェ、1504)と協力者の「マギの礼拝」(1496)


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次の部屋です。


P2840390
第87室


P2840392


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P2840396
レオナルド・ダ・ヴィンチ関連の展示室から次の部屋に入りました。


P2840398
第88室 Pittori Lombardi del 500


P2840397
第88室からもレオナルド・ダ・ヴィンチの展示室に行けます。


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18世紀の逸名画家作「ロレンツォ・ロット作『ご誕生』のコピー画」


P2840404
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480c‐ロレート、1556c)の「スザンナと大人たち」(1517)


P2840406
ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド(ブレーシャ、1480c‐1548)の「キリストの変容」(1530‐35c)


P2840410
ソフォニスバ・アングイッソーラ(クレモナ、1532‐パレルモ、1625)の「自画像」(1552‐53)


P2840413
ジュリオ・カンピ(クレモナ、1502‐1572)の「リュート奏者の肖像」(1530‐40c)


P2840418
ジョヴァン・バッティスタ・モローニ(アルビーノ、1520c‐ベルガモ、1578)の「男の肖像」(1560‐65)


P2840421
ジョヴァン・バッティスタ・モローニの「詩人ジョヴァンニ・アントニオ・パンテーラの肖像」(1560‐63)


P2840423
廊下に出ました。


P2840427
第89室 Verone


P2840424
バルトロメオ・アマンナーティ(セッティニャーノ、1511‐フィレンツェ、1592)の「Marte gradivo」(1559)


P2840425


P2840428
紀元前1世紀後半に制作された作品


P2840430
ヤコポ・デル・ドゥーカ(チェファル―、1520c‐1604)の「シーレーノスと若きバッカス」(1571‐74)


P2840432
次の展示コーナーへの入り口
(つづく)

P2840219
次の部屋です。


P2840220
第67室には展示作品がありません。現在、休憩所になってます。


P2840221
次の部屋です。


P2840223
第68室 Pittura a Roma nel primo cinquecento


P2840222
第68室の右横の先に展示室とトイレがありますが、扉が施錠されていました。この先の展示室番号は不明です。


P2840224
ピエトロ・ボナッコルジ通称ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501‐ローマ、1547)の「セレウコス1世の正義」(1521c)


P2840229
ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1509c‐ローマ、1566)の「嬰児虐殺」(1557)


P2840233
ぺリン・デル・ヴァーガに帰属する「聖母子」(1535‐40c)


P2840236
フランチェスコ・デ・ロッシ通称チェッキーノ・サルヴィアーティ(フィレンツェ、1510‐ローマ、1563)の「十字架を担ぐキリスト」(1547‐48)


P2840239
チェッキーノ・サルヴィアーティの「慈愛の寓意」(1544‐48)


P2840243
ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499‐マントヴァ、1546)の「聖母子」(1520‐22)


P2840246
ラファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)と工房の「洗礼者聖ジョヴァンニ」(1518‐20)


P2840248
ぺリン・デル・ヴァーガの「カンピドリオのジョーヴェ寺院を発見するトルクイニオ・スペルボ」(1521c)


P2550464
次の部屋です。


P2550465
第71室 Correggio
第69室と第70室は、2018年5月時点では欠番でした。


P2550473
ロレンツォ・レオンブルーノ(マントヴァ、1479‐ミラノ1537)に帰属する「寓意」(1508‐10c)


P2840258
アントニオ・アッレグリ通称イル・コレッジョ(コレッジョ、1489‐1534)の「天上の聖母子」(1510‐12)


P2840261
べンヴェヌート・ティシ通称イル・ガロファロ(ガロファロ、1481‐フェラーラ、1559)の「玉座の聖母子と聖マルティーノと聖ロザリア」(1500c)


P2840264
コレッジョの「幼きキリストを崇拝する聖母」(1518‐20)


P2840268
第74室 Parmigianino


P2840267
第74室の右横に展示室がありますが、現在、非公開となってます。
第72室、第73室が欠番となってますが、この先が72室と73室の可能性があります。


P2840270
ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ通称イル・パルミジャニーノ(パルマ、1503‐カザールマッジョーレ、1540)の「サン・ザッカリアの聖母」(1533)


P2840273
パルミジャニーノの「長い首の聖母」(1534‐40)


P2840276
パルミジャニーノの「男の肖像」


P2840278
パルミジャニーノの「聖母子」(1525)


P2840281
次の部屋です。


P2840282
第75室 Giorgione e Sebastiano del Piombo


P2840283
ジョルジョーネ(カステルフランコ・ヴェネト、1477‐ヴェネツィア、1510)の「ガッタメラータ」(1505‐10c)


P2840286
セバスティアーノ・ルチア―ニ通称セバスティアーノ・デル・ピオンボ(ヴェネツィア、1485c‐ローマ、1547)の「ラ・フォルナリーナ」(1512)


P2840290
セバスティアーノ・デル・ピオンボの「アドニスの死」(1512)


P2840293
ジョルジョーネに帰属する「モーゼの火の試練」(1505c)


P2840296
ジョルジョーネに帰属する「ソロモンの判決」(1505c)


P2840298
次の部屋です。


P2840300
第83室 Tiziano
第75室の隣が第83室です。


P2840302
ティツィアーノ・ヴェッチェリオ(ピエヴェ・ディ・カドーレ、1488c‐ヴェネツィア、1576)の「男の肖像”病気の男の肖像”」(1514)


P2840304
ティツィアーノ・ヴェッチェリオの「マルタ騎士の肖像」(1510c)


P2840308
ティツィアーノ・ヴェッチェリオの「フローラ」(1515‐20)


P2840311
ティツィアーノ・ヴェッチェリオの「聖母子と聖ジョヴァンニーノと聖アントニオ・アバーテ ”バラの聖母”」(1530c)


P2840316
ティツィアーノ・ヴェッチェリオの「教皇シスト4世の肖像」(1545‐46)


P2840318
ティツィアーノ・ヴェッチェリオの「キリストの復活」(1510c)


P2840321
ティツィアーノ・ヴェッチェリオの「ルドヴィーコ・ベッカデッリ司教の肖像」(1552)


P2840325
ティツィアーノ・ヴェッチェリオの「エレオノーラ・ゴンザーガの肖像」(1536‐37)


P2840327
ティツィアーノ・ヴェッチェリオの「ウルビーノのヴィーナス」(1538)


P2840331
ティツィアーノ・ヴェッチェリオの「フランチェスコ・マリア1世デッラ・ローヴェレの肖像」(1536‐38)


P2840333
ティツィアーノ・ヴェッチェリオの「聖マルゲリータ」(1565‐70)


P2840313
(つづく)

P2840915
次の部屋です。


P2840916
第63室 Secondo Cinquecento Fiorentino


P2840919
アントニオ・テンペスタ(フィレンツェ、1555‐ローマ、1630)に帰属する「アブサロム(ダヴィデの3男)の死」(1600c)


P2840923
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリ(フィレンツェ、1551‐1640)の「イサクの犠牲」(1620‐25)


P2840925
アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ、1560‐1607)の「聖セバスティアーノ」(17世紀初め)


P2840928
ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547‐フィレンツェ、1627)の「イサクの犠牲」(1596c)


P2840931
ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ、1559‐ローマ、1613)の「エジプトへの逃避」(1607)


P2840935
アンドレア・ボスコーリの「ピラモとティスベ」(1589以前)


P2840937
サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐フィレンツェ、1603)の「聖母子と聖ロムアルドと聖バルトロメオ」(1565c)


P2840942
ヤコポ・ズッキ(フィレンツェ、1540?‐ローマ、1596)の「黄金の時代」(1578‐81c)


P2840945
ヤコポ・ズッキの「銀の時代」(1578‐81c)


P2840948
ヤコポ・ズッキの「ユピテル」(1575‐77)


P2840950
フランチェスコ・モランディ―ニ通称イル・ポッピ(ポッピ、1544‐フィレンツェ、1597)の「3美神」(1570以降)


P2840953
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポリの「イカロスの墜落」(1571以降)


P2840957
16世紀後半のフィレンツェの逸名画家作「ニッコロ・ディ・ルイージ・カッポーニの肖像」(1570‐75c)


P2840960
ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ(フィエゾレ、1535‐フィレンツェ、1591)の「聖ベネデットと聖プラチドと聖マウロ」(1573‐75c)


P2840964
ヤコポ・ズッキの「エジプトへの逃避途中の休息」(1585c)


P2840967
アレッサンドロ・アローリ工房の「聖ロレンツォの殉教」(1560‐75c)


P2840969
ミラベッロ・カヴァローリ(サリンコルノ、1520‐フィレンツェ、1572)の「聖母子と聖ジローラモと聖フランチェスコ」(16世紀後半)


P2840972
アレッサンドロ・アローリ工房の「聖ロレンツォの逮捕」(1560‐75c)


P2840975


P2550547
次の部屋です。


P2550549
第64室 Bronzino


P2850001
多少展示が変わったようです。


P2840980
アーニョロ・ディ・コジモ・トーリ通称イル・ブロンズィーノ(モンティチェッリ・ディ・フィレンツェ、1503‐フィレンツェ、1572)の「受胎告知」(1540‐41c)


P2840984
ブロンズィーノの「本を手にする若い男の肖像」(1532c)


P2840987


P2840989
ブロンズィーノの「ルクレツィア・パンチャティキの肖像」(1540‐41)


P2840992
ブロンズィーノの「エジプトへの逃避(パンチャティキの聖家族)」(1540c)


P2840994
ブロンズィーノの「バルトロメオ・パンチャティキの肖像」(1540‐41)


P2840997
ブロンズィーノの「死せるキリストへの哀悼」(1529)


P2850002
次の部屋です。


P2850003
第65室 Bronzino e i Medici


P2850005
ブロンズィーノの「ダンテの寓意的肖像」(1532‐33)


P2850008
ブロンズィーノの「ビア・デ・メディチの肖像」(1542c)


P2850012
ブロンズィーノの「マリア・デ・メディチの肖像」(1551)


P2850016
ブロンズィーノの「フランチェスコ・デ・メディチの肖像」(1551)


P2850018
ブロンズィーノの「ジョヴァンニ・デ・メディチの肖像」(1545)


P2850021
ブロンズィーノの「本を手にする少女の肖像」(1542‐45)


P2850024
ブロンズィーノの「コジモ1世の肖像」(1543‐46)


P2850028
ブロンズィーノの「エレオノーラ・ディ・トレドとジョヴァンニ・デ・メディチの肖像」(1545)


P2840189
次の部屋です。


P2840190
第66室 Raffaello


P2840191
16世紀初めのエミリアの逸名画家作「若い女の肖像」(16世紀初め)


P2840195
リドルフォ・ビゴルディ通称リドルフォ・デル・ギルランダイオ(フィレンツェ、1483‐1510)の「ポートレート・カヴァー」(1510c)


P2840197
リドルフォ・デル・ギルランダイオに帰属する「女性の肖像」(1510c)


P2840201
ラファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483‐ローマ、1520)の「男の肖像」(1505‐06c)


P2840203
ラファエッロ・サンツィオの「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1505‐06c)


P2840207
ラファエッロ・サンツィオの「自画像」(1506c)


P2840210
ラファエッロ・サンツィオの「グイドバルド・ダ・モンテフェルトロの肖像」(1504‐06c)


P2840212
ラファエッロ・サンツィオの「フランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレ?の肖像」(1504‐05c)


P2840215
ラファエッロ・サンツィオと工房の「教皇ジュリオ2世デッラ・ローヴェレの肖像」(1510‐11)
(つづく)

P2840760
次の部屋です。


P2840761
第58室 Andrea del Sarto


P2840764
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「聖母子と聖フランチェスコ”ハルピュイアの聖母”」(1517)


P2840767
アンドレア・デル・サルトの「ヴァロムブロサーノの祭壇画」(1528)


P2840768
2天使


P2840771
聖ミケーレ、聖ジョヴァンニ・グアルベルト


P2840773
プレデッラの悪天使を退治する聖ミケーレ


P2840775
聖ジョヴァンニ・グアルベルトの殉教


P2840777
洗礼者聖ジョヴァンニの斬首


P2840779
ウベルティの聖ベルナルドの連行


P2840782
洗礼者聖ジョヴァンニとウベルティの聖ベルナルド


P2840784
アンドレア・デル・サルトの「ペトラルカの本を持つ若い女性の肖像」(1528c)


P2840787
アンドレア・デル・サルトの「ニッキーオの聖ヤコポと2人の子供」(1528c)


P2840790
次の部屋です。


P2840791
第59室 Amici di Andrea


P2840793
アンドレア・デル・サルトの枠組みの「レダと白鳥」(1512‐13c)


P2840795
ドメニコ・プリーゴ(フィレンツェ、1492‐1527)の「ピエトロ・カルネセッキの肖像」(1527c)


P2840799
フランチャビージョ(フィレンツェ、1484‐1525)の「男の肖像」(1514)


P2840802
フランチェスコ・ウベルティ―ニ通称バキアッカ(ボルゴ・サン・ロレンツォ、1494‐1557)の「十字架降下」(1518‐20c)


P2840804
フランチェスコ・ウベルティ―ニ通称バキアッカの「カイファの前のキリスト」(1540)


P2840815
フランチェスコ・ウベルティ―ニ通称バキアッカの「聖アカーシオの生涯の物語のプレデッラ」(1521c)


P2840807
聖アカーシオの殉教


P2840809
反逆を制圧する聖アカーシオ


P2840812
聖アカーシオの洗礼


P2840817
次の部屋です。


P2840818
第60室 Rosso Fiorentino


P2840822
ジョヴァンニ・ディ・ロレンツォ・ラルチャーニ通称ロッソ・フィオレンティーノ(フィレンツェ、1484‐1527)の「幸運の寓意」(1520‐25)


P2840824
ロッソ・フィオレンティーノ?の「若い女性の肖像」(1511c)


P2840828
ロッソ・フィオレンティーノ?の「黒い服を着た男の肖像」(1512‐13)


P2840830
ロッソ・フィオレンティーノの「音楽天使」(1521)


P2840835
ロッソ・フィオレンティーノの「スペダリンゴの祭壇画」(1518)


P2840838
ロッソ・フィオレンティーノの「羊飼いからジェトロの娘を守るモーゼ」(1513c)


P2840841
次の部屋です。


P2840842
第61室 Pontormo


P2840845
ヤコポ・カッルッチ通称イル・ポントルモ(ポントルメ、1494‐フィレンツェ、1556)の「コジモ・デ・メディチ・イル・ヴェッキオの肖像」(1519‐20)


P2840848
アンドレア・デル・サルトの「紡錘籠を持つ女の肖像」(1514‐15c)


P2840852
ポントルモの「洗礼者聖ジョヴァンニの誕生」(1526‐27)
裏面にも描かれてます。


P2840855
裏面


P2840857
ポントルモの枠組みの「楽園からのアダムとイヴの追放」(1518‐20)


P2840859
ピエル・フランチェスコ・ディ・ヤコポ・フォスキ(フィレンツェ、1502‐1567)の「音楽家の肖像」(1525‐30c)


P2840862
ポントルモの「マリア・サルヴィアーティの肖像」(1540c)


P2840866
ポントルモの「聖アントニオ・アバーテ」(1520c)


P2840869
ポントルモの「エマオの晩餐」(1525)



P2840871
次の部屋です。


P2840872
第62室 Vasari e Allori
新しい展示室です。


P2840873
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「ロレンツォ・イル・マニーフィコの肖像」(1533‐34)


P2840876
ジョルジョ・ヴァザーリに帰属する「寓意画」(16世紀後半)


P2840880
ジョルジョ・ヴァザーリの「預言者エリシャの奇跡」(1566以前)


P2840882
ジョルジョ・ヴァザーリに帰属する「羊飼いの礼拝」(1550c)


P2840885
ジョルジョ・ヴァザーリの「無原罪の御宿リの寓意」(1541以降)


P2840888
ジョルジョ・ヴァザーリの「ウルカヌスの養成所」(1564)


P2840892
アレッサンドロ・アローリ(フィレンツェ、1535‐1607)の「ミューズによって戴冠されるヘラクレス」(1568c)


P2840894
アレッサンドロ・アローリの「オルテンシア・デ・バルディ・ディ・モンタウトの肖像」(1554)


P2840899
アレッサンドロ・アローリの「ヴィーナスとキューピッド」(1570c)


P2840902
アレッサンドロ・アローリの「聖ピエトロ」(1596)


P2840904
アレッサンドロ・アローリの「イサクの犠牲」(1601)


P2840908
ジョルジョ・ヴァザーリの「アレッサンドロ・デ・メディチの肖像」(1534c)


P2840910
アレッサンドロ・アローリの「ビアンカ・カッペロの肖像」(1570c)


P2840913


P2840914
(つづく)

P2840127
第49室です。


P2840129
ヴィンチェンツォ・カテーナ(ヴェネツィア、1470‐1531)の「エマオの晩餐」(1520‐30c)


P2840131
15世紀後半のロンバルドの逸名彫刻家作「福音書記者(聖ジョヴァンニ?)」(1475‐80c)


P2840135
バルトロメオ・スアルディ通称イル・ブラマンティーノ(ミラノ、1480‐1530記録)の「玉座の聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖ジローラモと聖アンブロージョと聖ジュゼッペ?とトゥールの聖マルティーノ?と聖人とジョヴァンニ・デル・コンテ?」(1510‐15c)


P2840137
トスカーナの家具工房作「カッソーネ」(15世紀第4四半世紀‐19世紀末)


P2840639
第53室です。


P2840640
ルーカ・デッラ・ロッビア通称ルーカ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1475‐パリ、1548)の「カッターニ・ダ・ディアッチェ―トの紋章」(1520‐25c)


P2840643
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)とジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469‐1529/1530)の「カニジャーニ家の紋章」(1520c)


P2840647
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア工房の「ヴァセッリ家の紋章」(1520c)


P2840649
ジローラモ・ティッチャーティ(フィレンツェ、1676-1744)の「ルドヴィーコ・ダ・ヴェッラッツァーノの胸像」(1737以前)


P2840651
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの「モンテ・エ・タルージの紋章」(1520c)


P2840654
第52室です。


P2840659
19-20世紀の彫刻家作「聖カテリーナの鞭打ち」


P2840661
フィレンツェの彫刻家、ピエトロ・トッリジャーノ?の「ニッコロ・ディ・ベルナルド・ソデリーニ?の胸像」(16世紀後半)


P2840663
19世紀のトスカーナの彫刻家作「ビアンカ・カッペロの胸像」


P2840664
第54室です。


P2840665
陶器類の展示


P2840666
皿とか壺は退屈です。


P2840667
皿に乗っている料理には大いに関心がありますが、皿によって味は変わらないと確信しています。


P2840668
第55室です。


P2840671
ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド(ブレーシャ、1480c-ヴェネツィア、1548)の「マリア・マッダレーナ」(1533c)
サヴォルドの代表作です。


P2840675
エル・グレコ作「聖ピエトロの涙」の複製画
以前は、エル・グレコと弟子による作品とされていました。


P2840678
ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1519-1594)の「アテネとアラクネ」(1575-85)


P2840682
ヤコポ・バッサーノ(バッサーノ、1515c-1592)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1541c)


P2840685
ジュゼッペ・マリア・クレスピ(ボローニャ、1665‐1747)の「皿を洗う女」(1720‐25c)


P2840689
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598‐ローマ、1680)の「聖ロレンツォの殉教」(1613‐17)


P2840692
ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1518c‐1594)と工房の「ヴィーナスとアドーネ」(1575‐85)


P2840695
ディエゴ・ヴェラスケス(セビリア、1599‐マドリッド、1660)の「セビリアの水売り」(1620c)


P2840698
フランシスコ・ゴヤ(1746‐1828)の「闘牛士の肖像」(1797c)


P2840702
フランシスコ・スルパラン(1598‐1664)の「聖アントニオ・アバーテ」(1636‐40)


P2840704
次の部屋です。


P2840706
第56室 Marmi ellenistici


P2840707


P2840708
ゼウスの頭像(1世紀)


P2840710
ギリシャ彫刻


P2840711
トルソ(紀元前1世紀)


P2840713
足のトゲを抜く少年(紀元前1世紀)


P2840716
雷とプット(1世紀中頃)


P2840720
ニオベの息子(2世紀前半)


P2840722
サティーロのトルソ(1世紀)


P2840725
日本に貸し出し中


P2840728
ゼウスの頭像(2世紀末)


P2840731
ヘラクレス(2世紀)


P2840734
プットたち(2世紀)


P2840738
キューピッド(2世紀中頃)


P2840741
アフロディーテ(1世紀)


P2840744
若きディオニシス(2世紀前半)


P2550693
次の部屋です。


P2550694
第57室 Andrea del Sarto, Il Pontormo e I'antico


P2550696
アンドレア・デル・サルト(フィレンツェ、1486‐1530)の「古典様式で描いた3シーン」(1513c)
以下、2枚の写真画像も同じです。


P2550698


P2550700


P2550703
ヤコポ・カッルッチ通称イル・ポントルモ(ポントルメ、1494‐フィレンツェ、1556)の「プットたち」(1513)


P2550707
ポントルモの「2兵士」(1513)
(つづく)

P2840627
階段を下りてPiano Primoの展示室に向かいました。


P2840022
ベルニーニの作品があるようです。


P2840023
ベルニーニの特別展が開催中なのか、と思いながら進みました。


P2840628
Donazione Contini Bonacossiと書かれていたので、漸く事情が分かりました。


P2840631
アレッサンドロ・コンティ―ニ・ボナコッシ伯爵(アンコーナ、1878‐フィレンツェ、1955)は、美術コレクター、切手コレクター、美術商且つ政治家でした。イタリアの美術品を主にアメリカに販売することによって巨万の富を築いた人でした。
1955年、アレッサンドロの死去に伴い、残された美術品について、相続人、相続代理人、イタリア政府との間で長期間の折衝が行われ、その結果、1966年、残された美術品の約40%がイタリアの国有財産となりました。相続人はイタリア政府への寄贈に対してかなり抵抗したようです。(相続財産が減るからです)
国有財産となった美術品は、1974年からピッティ宮で公開されましたが、後にウフィツィ美術館に移されました。しかし、近年の展示室の改修、展示作品の見直し作業によってでしょう、殆どの作品を見ることが出来ませんでした。


P2840629
ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469‐1529/1530)の「パッツィ家の紋章」(1510-20c)


P2840632
ここに来てビックリでした。
この場所に第46室から第55室までの10の展示室があるのですが、少なくても2017年10月までは外国人画家たちの作品が展示されていました。
2018年3月にもウフィツィ美術館に来ましたが、外国人画家たちの作品はそれほど熱中していないので、この場所に来ませんでした。


P2840044
第46室から第55室までの10展示室には、アレッサンドロ・コンティ―ニ・ボナコッシの遺贈作品が展示されてます。
久し振りに見たので感激しました。
しかし、アレッサンドロによって、多くのイタリア美術品が海外流出したわけで、ナポレオンと同類項と思わぬでもありません。

これに伴い、取り外された外国人画家たちの作品のうち、傑作や有名な作品は他の展示室に移されました。その他の作品は、現在、非常設展示の扱いになったと思います。


P2840025
部屋番号の表示がありませんが、第46室です。


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リッポ・ディ・ベニヴィエーニ(フィレンツェ、1296-1327記録)に帰属する「聖母子と2聖人」(1315c)


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Maestro della Cappella Velluti (フィレンツェで13世紀末-14世紀初め活動)に帰属する「玉座の聖母子と2天使と聖フランチェスコと聖ドメニコ」(1295-1300)


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パオロ・ヴェネツィアーノ(ヴェネツィア、1333-1358記録)の「聖二コラの施し」(1340-47)


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パオロ・ヴェネツィアーノの「聖二コラの誕生」(1340-47)


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ウゴリーノ・ディ・ネリオ(シエナ、1317-1327記録)とバルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1338-1378記録)の「聖母子と聖パオロと聖ピエトロと永遠なる父と聖ステファノと聖アンドレア」(1325-30)


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ウゴリーノ・ディ・ネリオの「聖母子」(1310c)


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第47室に戻りました。


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アゴスティーノ・ブスティ通称イル・バンバイア(ミラノ、1512-1548記録)の「聖フランチェスコ」(1516-17c)


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アゴスティーノ・ブスティ通称イル・バンバイアの「La Fama(名声)」(1516-17c)


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アゴスティーノ・ブスティ通称イル・バンバイアの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1516-17c)


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パオロ・ウッチェッロ(フィレンツェ、1397-1475)の「聖モニカと祈る2人の子供」(1430-35c)


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ドメニコ・ディ・ニッコロ・”デイ・コーリ”(シエナ、1363-1453以前没)に帰属する「受胎告知される聖母」(1425-35c)


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アンドレア・デル・カスターニョ(カスターニョ・サン・ゴデンツォ、1421c-フィレンツェ、1475)の「玉座の聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖ジローラモと天使たちとパッツィ家の子供たち」(1445-48)


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ジョヴァンニ・ディ・フランコ・ディ・ピエロ(フィレンツェ、1425/1426-1498以降没)の「聖母子」(1454-59)


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(フィレンツェ、1356-1399?)の「洗礼者聖ジョヴァンニの祭壇画」(1360c)


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ドメニコ・ディ・ニッコロ・”デイ・コーリ”の「受胎告知する大天使」(1425-35c)


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アーニョロ・ガッディ(フィレンツェ、1350c-1396)の「聖母子と10天使と聖ベネデットと聖ピエトロと洗礼者聖ジョヴァンニと聖ミニアート」(1375-85c)


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ステファノ・ディ・ジョヴァンニ通称イル・サッセッタ(シエナ、1392-1450)の「雪の聖母の祭壇画」(1430-32c)


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ベネデット・ブリオーニ(フィレンツェ、1459/1460-1521)の「アルドブランディ―ニ家の紋章」(1510-20c)


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次は第48室です。

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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア工房の「ブオナフェーデ家の紋章」(1500-25c)


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サンティ・ブリオーニの「メディチの功績」(1520c)


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435-1525)とジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469-1529/1530)の「マテロン家の紋章」(1420c)


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第48室です。


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フランチェスコ・ライボリーニ通称イル・フランチャ(ボローニャ、1447c-1517)の「聖フランチェスコ」(1490c)


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トスカーナの家具職人作「カッソーネ」(15世紀初め?)


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デフェンデンテ・フェッラーリ(キヴァッソ、1480c-1540c)の「授乳の聖母」(1505-11)


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ベルナルディーノ・ゼナーレ(トレヴィーリオ、1463/1468-ミラノ、1526)の「大天使ミケーレ」(15世紀末)


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ベルナルディーノ・ゼナーレの「聖ベルナルディーノとシトー会修道士」(15世紀末)


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ジョヴァンニ・。アントニオ・ボルトラッフィオ(ミラノ、1467-1516)の「詩人カシオの肖像」(1490-1500c)


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フランチェスコ・モローネ(ヴェローナ、1471c-1529)の「受胎告知」(1495-96)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・チーマ・ダ・コネリアーノ(コネリアーノ、1459/1460-1518)の「砂漠の聖ジローラモ」(1510-20c)


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ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1433-1516)の「砂漠の聖ジローラモ」(1480-85)


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ピエトロ・バラッチ(ローマ、1700-1773)の「教皇ベネデット13世の胸像」(1724-30)


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ベネデット・ブリオーニの「ウッザーノ家の紋章」(1515-20c)


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ルーカ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1390/1400-1482)とアンドレア・デッラ・ロッビアの「ロッテリンギ・デッラ・ストゥッファ家の紋章」(1460-65c)
(つづく)

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次の部屋です。


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第42室 Sala della Niobe


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ニオベはギリシャ神話に出てくる女性です。
ギリシャ神話に出てくる女性や男性の系図がありますが、それを見ても私には理解不能であることには変わりありません。
ニオベは、ゼウスの孫娘で、ゼウスの息子タンタロスが父、巨人アトラースの娘ディオーネが母との間に生まれた娘で、ゼウスの孫であるアムピーオーンと結婚し(近親結婚ですな)、沢山の子宝に恵まれました。7男7女の子沢山を神に誇示した罪で、14人に子供と共にニオベは死罪となったそうです。ギリシャ神話に於いては少子高齢化とは無縁のようです。


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ニオベの間には、ニオベに関係する彫刻が置かれてます。
1583年、ローマのブドウ園で、ニオベなどの彫刻が発見されましたが、後にトスカーナ大公フェルディナンド1世となるフェルディナンド・デ・メディチ枢機卿が彫刻を購入して、修復の後、ローマのヴィッラ・メディチに置かれるようになりました。1588年、本物の石膏複製がフィレンツェに送られ、ウフィツィ・ギャラリーで展示されるようになりました。


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18世紀後半、トスカーナ大公ピエトロ・レオポルド(ロートリンゲル家)は、ローマのヴィッラ・メディチにあるニオベ彫刻の本物をウフィツィ・ギャラリーで展示したいと考え、その展示部屋として1779年に完成した新古典様式の建物がニオベの間です。


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ユストゥス・サステルマンス(1597‐1681)の「フィレンツェ上院のフェルディナンド2世・デ・メディチへの宣誓」(1621)


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トンマーゾ・ゲラルディーニ(フィレンツェ、1715‐1797)の作品


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トンマーゾ・ゲラルディーニの作品


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プシケ(4世紀)
制作された当時、プシケはニオベの娘と考えられていたそうです。


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ニオベの息子(4世紀後半)


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ムーサ(3世紀)
制作された当時、ムーサはニオベの娘と考えられていたそうです。


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ニオベの長男(4世紀後半)


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ニオベの息子の教師(4世紀後半)


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ニオベの息子?またはナルシス


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石棺


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詳細不明


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ニオベの息子(4世紀後半)


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ニオベの息子(4世紀後半)


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ニオベの末息子(4世紀後半)


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ニオベの長女(4世紀後半)


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ニオベと末娘(4世紀後半)


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第3廊下に出ました。


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元々展示室ではなかった部屋です。将来、この部屋も展示室になるのでしょうか?


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次の部屋です。


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第45室 Durer e il Rinascimento d'oltralpe


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Maestro dei Ritratti Baroncelli(ブルージュ、1480‐1510c活動)の「ピエラントニオ・バンディーニ・バロンチェッリとその妻マリア・ボンチャーニの肖像」(1489c)


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ハンス・メムリンク(ゼ―リンゲンシュタット、1435c‐ブルージュ、1494c)の「手紙を手にする男の肖像」(1475‐80c)


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ハンス・メムリンクの「玉座の聖母子と2天使」(1480c)


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ハンス・メムリンクの「男の肖像」(1490c)


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ハンス・ブルクマイアー・イル・ヴェッキオ(アウグスブルク、1473‐1531)の「男の肖像」(1506)


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ルーカス・クラナッハ工房の「パリスの判決」(1515‐25c)


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ルーカス・クラナッハ派逸名画家作「女性の肖像」(1530c)


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16世紀のドイツの逸名画家作「開いた本」(16世紀第1四半世紀)


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ハンス・スース・フォン・クルムバッハ(クルムバッハ、1480c‐ニュルンベルク、1522)の「磔刑」(1511‐14c)


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アルブレヒト・デューラー(1471‐1528)の「聖母子」(1526)


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ルーカス・クラナッハ工房の「マルティン・ルター夫妻の肖像」(1529)


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ルーカス・クラナッハ・イル・ヴェッキオ(1472‐1553)の「アダム」(1528)


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角度を少し変えて撮りました。


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ルーカス・クラナッハ・イル・ヴェッキオの「イヴ」(1528)


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Piano Secondoの展示室はこれで終わりです。


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カフェテリアは閉店しました。


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(つづく)

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