イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: リグーリア州

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Oratorio di Nostra Signora dell'Assuntaの鐘楼を見ながら城への道を上りました。


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少し上っただけなのに下よりも風がかなり強く吹いていました。


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城に上る遊歩道から見た景色です。


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ストゥール川が見えてます。


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鐘楼の高さで自分が上って来たのが分かります。


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観光客どころか地元の人も遊歩道で見かけることはありませんでした。


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城の入り口に着きました。


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城壁


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人気が全くないので、扉が閉まっていると予想していましたが、開いていました。扉上ルネッタにスピノーラ家の紋章がありました。


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中に入りました。


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13世紀にジェノヴァのスピノーラ家によって建設されました。


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小規模な城です。


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塔が開いていましたが、入れたのは写真左の橋の部分だけでした。


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塔の横の橋から見た景色


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城の庭を歩きましたが、目新しいものは何もありません。


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建物の廃墟


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この城の主な役目は周囲の監視で、守備兵が詰めていただけの城でした。


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見所が少ないので、直ぐに城壁の外に出ました。


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風が強く寒かったので、下に下りることにしました。


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道を下るのは簡単でした。


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村の集会所


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城への道が一本しかないので、同じ道を下りました。


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「最も美しい村」の中では中位くらいでしょうか?


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Oratorio di Nostra Signora dell'Assunta


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もう一度ドゥオーモに寄ることにしました。


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ドゥオーモはやはり閉まっていました。


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村のパンフレットに出ていた見所は大体見たようです。


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駅に戻ることにしました。


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サンティ・セバスティアーノ・エ・ロッコ祈祷所


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ジェノヴァ行きの列車の時刻まで時間があったので、バールで一息入れました。


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ちょど良い時間になったので、駅に向かった出発しました。


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山道もありますが、安全を期して来た道と同じ道を通りました。


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ストゥール川


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旧教会の建物


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駅が見えてます。


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駅舎


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列車は30分遅れでした。


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漸く列車が到着しました。


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遅れなしとの表示
30分遅れは定時運行のようです。
(おわり)

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さて、ドゥオーモは開いているでしょうか?


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やはりダメでした。


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この辺は仕方がありません。


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特に見たい作品があるわけではないので、残念には思いません。


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ドゥオーモの直ぐ近くに、もう一つ教会があります。


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右折すると直ぐに教会の建物が認められます。


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Oratorio di Nostra Signora dell'Assuntaです。


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1585年の記録に、この祈祷所の存在が初めて記載されてます。


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1600年の火災によって消失したので、1604年から1606年に再建された建物が現在の姿です。


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中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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翼廊がありません。


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天井と後陣はフレスコ画で覆われてます。


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かなり派手な感じがします。


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ルイージ・ガイノッティ(パルマ、1859‐ジェノヴァ、1940)の「聖母被昇天」(19世紀)


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ルイージ・ガイノッティによるフレスコ画


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床の装飾


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主祭壇


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主祭壇画は、逸名画家作「聖母被昇天」(18世紀)


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ジェノヴァの逸名画家作「園のキリスト」(18世紀)


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ジェノヴァの逸名画家作「弟子の足を洗うキリスト」(18世紀)


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ジェノヴァの逸名画家作「聖母と聖ガエターノ」(18世紀)


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派手な磔刑像


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ウルシーノ・デ・マリ―(ナポリ、17世紀活動)の「聖母マリア」(17世紀)


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説教壇


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ファサード裏の聖歌隊席


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外に出ました。


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次はスピノーラ城です。


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この辺はストゥール川の氾濫で、何回も水につかったそうです。


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氾濫の被害から逃れるために、この村の住民は出来るだけ高い場所に家を構えたそうです。


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階段を上って高い道に出ます。50mと言う標識は川の水面から50mの高さを示してます。


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スピノーラ城の塔


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城の入り口前に古い建物があります。


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13世紀に建設されたChiesa del convento dei Santi Michele e Cristinoです。


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既に活動を停止した旧教会でしょう。


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今上って来た道です。


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カステッロ公園横の道を上ります。


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ドゥオーモの鐘楼


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(つづく)

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中世の頃、この村を領有していたスピノーラ家の住居として1329年に建設されたスピノーラ宮殿です。当時、この村はハプスブルク家の支配下に置かれていました。
16世紀にジェノヴァに敗れて、ジェノヴァの支配下に置かれるようになると、スピノーラ宮殿はジェノヴァから派遣された代官の公舎として使用されました。


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広場に立つ戦没者のモニュメントです。第1次世界大戦と第2次世界大戦の戦没者を悼んでます。


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村の地図を頂戴するために観光案内所に来ました。


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扉が閉まっていました。5月から9月までしか開いていないようです。


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実は左の真ん中の建物に泊まりたかったのですが・・・・・


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夏季だけの営業のようです。


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村の地図を頂戴するために村役場に行くことにしました。


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村役場は川の対岸にあります。


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石造りのサン・ミケーレ橋です。


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車の通行が禁止されているサン・ミケーレ橋です。


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サン・ミケーレ橋が初めて架けられたのは9世紀だそうです。


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橋の下を流れるストゥール川は、別名「暴れ川」と呼ばれており、別名通り大水、氾濫を繰り返しました。それによってサン・ミケーレ橋は度々損傷を受けたり、時には流失したことが数度あったのです。
現在の橋は、1842年に再建されたものですが、橋の形は9世紀の原形をほぼ保っていると言われてます。


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下を流れるストゥール川です。時計台がある建物が村役場です。


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サン・ミケーレ橋の上から見たチェントロ・ストーリコです。


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上流左岸


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下流左岸


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下流右岸


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写真左の建物はスピノーラ城です。


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サン・ミケーレ橋を渡り切って対岸に着きました。


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1225年から1273年に建設されたスピノーラ城です。


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村役場側からチェントロ・ストーリコを見ると「最も美しい村」にリストアップされていることが理解できます。


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夏は川遊びで賑わうのでしょう。


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村役場に行きます。


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村役場で地図を頂戴できました。


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サン・ミケーレ橋に戻るのは詰まらないので、村役場の先にある橋を渡ることにしました。


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幹線道路に架かる橋です。


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幹線道路の端から見た上流方向


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下流方向


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幹線道路に架かる橋を渡ってチェントロ・ストーリコ側に戻りました。


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この時間ならば、ドゥオーモが開いているかも知れない、と思い、ドゥオーモに再び向かいました。


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18世紀に建設された建物です。


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フレスコで装飾された建物


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フレスコで装飾された別の建物


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ドゥオーモの鐘楼が見えてます。


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(つづく)

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カンポ・リーグレは、人口2,924人のリグーリア州ジェノヴァ県にあるコムーネです。
この村に鉄道で行く場合、ジェノヴァPP駅からアックイ・テルメ行きの普通列車を利用します。


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乗車約30分程でカンポ・リーグレ駅に到着しました。


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駅舎


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駅の下にストゥーラ川が流れてます。


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ストゥーラ川沿いの道を川の上流に向かって進み、チェントロ・ストーリコに向かいました。


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鐘楼があるので、教会でしょう。


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教会の名前が分かりません。


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最初の信号を右折するとチェントロ・ストーリコに行くことが出来ます。


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「最も美しい村」にリストアップされてます。


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カンポ・リーグレは、ジェノヴァに近いのですが、14‐15世紀はハプスブルク家の支配下にあり、16世紀にジェノヴァ共和国の支配下に置かれるまでハプスブルク家に忠誠を誓って村を上げてジェノヴァに抵抗したことで有名です。


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村の歴史は古く、古代ローマの共和政時代に遡ります。


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教会が見えてきましたが、その教会がチェントロ・ストーリコの入り口になります。


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サンティ・セバスティアーノ・エ・ロッコ祈祷所です。


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1418年創建の記録が残されてますが、外観は明らかにバロック様式です。


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1647年、教会は機能を停止して、村立病院に改装されました。1968年まで病院として使用されました。


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創建時の鐘楼が今でも残されてます。


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扉が開いていたので中に入りました。


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中は修復工事中でした。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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壁の殆どがフレスコ画で覆われてます。


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天井のフレスコ画は、ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1702)によって描かれました。


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主祭壇


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主祭壇画は、ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1702)の「聖セバスティアーノと大天使聖ミケーレと聖ロッコ」


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地元の画家サンテ・レオンチーノのフレスコ画


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サンテ・レオンチーノのフレスコ画


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サンテ・レオンチーノ作のフレスコ画


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地元の逸名画家によるフレスコ画


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逸名画家作「ピエタ」(15世紀)


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ファサードの裏にオルガンと聖歌隊席があります。


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外に出ました。


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村の入り口は工事中でした。


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この辺は、美しい村の雰囲気は特にないようです。


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川の方は後で行くことにしました。


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先ず教区教会に向かいました。


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村の目抜き通りであるジュゼッペ・サラッコ通りです。


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目抜き通りにも拘らず人出がありません。


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よく清掃された綺麗な道です。


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もう直ぐ村の中心の広場に出ます。


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村の中心のヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場です。


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広場に面して建つナティヴィータ・ディ・マリア・ヴェルジネ教区教会、カンポ・リーグレのドゥオーモです。


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1758年創建、1762年に完成した後期バロック様式の教会です。扉が閉まっていました。


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扉上の「玉座の聖母子」のモザイク


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大天使聖ミケーレ


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聖マリア・マッダレーナ
(つづく)

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フランチェスコ・スコット(ジェノヴァ、1750c‐1826)の「磔刑」


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ジュゼッペ・イーゾラ(ジェノヴァ、1808‐1893)の磔刑礼拝堂の天井フレスコ画


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ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の祭壇画


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以上が左側廊の礼拝堂です。


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中央礼拝堂前から見た出入口方向です。


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中央礼拝堂と後陣


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後陣のフレスコ画は、ジュリオ・ベンソ(ぺーヴェ・ディ・テーコ、1592‐1668)の「受胎告知」、「聖母被昇天」


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クーポラのフレスコ画は、ジョヴァンニ・アンドレア・アンサルド(ヴォルトリ、1584‐ジェノヴァ、1638)によって描かれました。


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ジャコモ・アンドレア・ポンソネッリ(マッサ、1654‐ジェノヴァ、1735)の「磔刑像」


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中央礼拝堂の左右の側壁に祭壇画があります。


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左側壁は、ジョヴァンニ・バッティスタ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「キリストの寺院への出現」


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右側壁は、ジョヴァンニ・バッティスタ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「キリストの博士たちとの問答」


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中央礼拝堂のイコン


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中央礼拝堂のイコン


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ロレートの聖母の礼拝堂です。


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レオナルド・ミラーノ(コモ、1577‐ジェノヴァ、1637)の「ロレートの聖母」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「ポルタの聖サルヴァトーレの奇跡」


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ジョヴァンニ・アンドレア・アンサルド(ヴォルトリ、1584‐ジェノヴァ、1638)の右側廊クーポラのフレスコ画


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トマーゾ・クレリーチ(ジェノヴァ、1636‐1657)の「三大天使」


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トマーゾ・クレリーチ(ジェノヴァ、1636‐1657)の「聖ドメニコ・ソリアーノの行為」


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パドヴァの聖アントニオ礼拝堂の祭壇画は、トマーゾ・オルソリーノ(ランポニオ、1587‐ジェノヴァ、1675)の「パドヴァの聖アントニオ」


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ジャコモ・ポルタ(?、?‐ジェノヴァ、1662)の「祭壇」


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右側廊


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ジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)によって描かれた右側廊天井のフレスコ画


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同断


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「受胎告知」(1679)


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アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1626‐1697)の「ご訪問」


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アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1626‐1697)の「聖母の寺院への出現」


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説教壇


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1603‐1684)の「アルカンターラの聖ピエトロ」


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アンドレア・マリア・ピオラ(ジェノヴァ、1654‐1715)の「聖母子と聖グレゴリオと聖オルソラ」


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ダニエーレ・クレスピ(ボスコ・アルシツィオ、1600‐ミラノ、1630)の「聖ジョヴァンナ」


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ジョヴァンニ・ベルナルド・カルボーネ(ジェノヴァ、1614‐1683)の「十字架の前で祈るフランスの聖ルイ9世」


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クラウディオ・フランチェスコ・ボーモン(トリノ、1694‐1766)の「聖ルイ9世の寄進」


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クラウディオ・フランチェスコ・ボーモン(トリノ、1694‐1766)の「ペスト患者と聖ルイ9世」


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ドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の天井フレスコ画


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂です。


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詳細不明


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祭壇(詳細不明)


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「磔刑の前の聖ドメニコ」


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シモーネ・パッラビーノ(ジェノヴァ、1575c‐ミラノ、1620c)の「聖ディエゴの奇跡」


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17世紀中頃の逸名画家作「聖ボナヴェントゥーラの奇跡」


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ドメニコ・ピオラの追随者作「聖霊降臨」


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ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「アガルとイスマエーレ」


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グリエルモ・カッチャ通称イル・モンカルヴォ(モンタボーネ、1568‐1625)の「聖フランチェスコの誕生」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1603‐1684)の礼拝堂天井のフレスコ画


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カルロ―ネ一族、ピオラ一族など画家一家の作品が多くて、作品を特定させるのが大変でした。


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ブログの書き手として時間が相当かかった記事でした。


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外に出ました。
(おわり)

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ジェノヴァのバルビ通りの先に教会の建物があります。


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Piazza del Nunziataに面して建つ教会です。


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Basilica di Santissima Annunziata del Vastato
ジェノヴァに、2つの受胎告知教会があるので、区別するためにdel Vastatoが付けられて呼称されてます。


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この場所には、1228年に建てられた小さなサンタ・マリア・デル・プラート教会修道院がありましたが、1508年、教会修道院の建物はフランチェスコ会修道士の所有に変更されました。
フランチェスコ会は、譲渡された建物を取り壊し、その上に新しい建物の建設を決め、1520年に創建されましたが資金難のため、1537年に工事が中断され、シンプルで小さな建物のまま、活動していました。
1582年、工事が再開されましたが、資金難のため工事は遅々として進みませんでした。1591年、ロメッリーニ家が資金を負担することになり、彫刻家でもあり建築家であるタッデオ・カルロ―ネ(ローヴィオ、1543‐ジェノヴァ、1615)の工事監督によって、工事が再開され1615年に完成しました。


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新古典様式のファサードはジョヴァンニ・バッティスタ・レナスコとカルロ・バラビーノの設計、工事監督によるものです。


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身廊外観


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鐘楼がファサードの左右に二本設けられてます。


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第二次世界大戦の爆撃によって、大きな被害を受け、戦後に大修復された建物です。


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お布施を依頼してます。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、バロック様式の内部です。


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縦54m×横33mの聖堂です。


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装飾が地味なのは柱くらいです。


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身廊天井のフレスコ画は、ジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)とジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)によって描かれました。


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場面毎に二人のうち誰によって描かれたのか特定されているそうです。


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その辺は、私にはあまり興味がありません。


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左側廊


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左右の側廊天井にもフレスコ画が描かれてます。


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左側廊にある礼拝堂から見て行きました。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「聖クレメンテの殉教」
サン・クレメンテ礼拝堂の中央祭壇画です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「聖クレメンテの殉教」
サン・クレメンテ礼拝堂の右側壁にあります。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「聖クレメンテの苦痛」
サン・クレメンテ礼拝堂の左側壁にあります。


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左側廊第2礼拝堂です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「聖キアーラの変容」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐パロディ・リグーレ、1684c)の「洗礼する聖フランチェスコ・ソラーノ」


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クリスチャン・ラクロワ(フランス人、ジェノヴァで17世紀後半活動)の「磔刑」


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ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527‐スペイン、エル・エスコリアル、1585)の「磔刑」


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「無原罪の聖母」


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左側廊天井のフレスコ画はジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)の作品です。


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「天上の聖母子と聖ディエゴ」


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左第5礼拝堂の天井フレスコ画はドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)によって描かれました。


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「聖ディエゴの説教」


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「フィリッポ2世の病気の息子を治す聖ディエゴ」


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左第6礼拝堂です。


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「聖フランチェスコ」(18世紀)


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左第6礼拝堂の天井フレスコ画はジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600‐1649)の「聖母被昇天」


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左翼廊のクーポラ


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レオナルド・ミラーノ(コモ、1577‐ジェノヴァ、1637)の「聖母子と聖人たち」


P1900596
ルチアーノ・ボルツォーネ(ジェノヴァ、1590‐1645)の「聖母子と聖人たち」
(つづく)

P1900292
ジェノヴァのサン・ロレンツォ通りです。


P1900298
ドゥオーモの後方、Piazza Matteottiに面して建つジェズ教会です。


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ジェノヴァにおけるイエズス会の本拠地教会ですが、その名称はChiesa del Gesu e dei Santi Ambrogio e Andreaと言います。


P1900453
この地に6世紀頃に建設されたサンティ・アンブロージョ・エ・アンドレア教会がありましたが、宗教改革に危機感を抱いたジェノヴァ大司教区は、1552年、教会をイエズス会に譲渡、宗教活動をイエズス会に委ねました。
建物が再建されることになり、イエズス会信者で画家でもあり建築家でもあったジュゼッペ・ヴァレリアーニ(またはヴァレリアーノ)(ラクイラ、1526‐ナポリ、1596)の設計によって、1589年創建、1606年に完成したバロック様式の建物が現在見ることが出来る姿となってます。1598年に献堂式が行われました。


P1900461
クーポラと鐘楼


P1900307
ファサードにイエズス会の紋章があります。


P1900306
ミケーレ・ラモーニノ(ヴェラッツェ、1821‐ジェノヴァ、1881)の「聖アンブロージョ」


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ミケーレ・ラモーニノ(ヴァラッツェ、1821‐ジェノヴァ、1881)の「聖アンドレア」


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開いていたので拝観しました。


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三廊式、バロック様式の内部です。


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左側廊方向


P1900315
右側廊方向


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反宗教改革旗印のイエズス会教会らしい派手な装飾が特徴です。


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中央礼拝堂(主祭壇)


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主祭壇画は、ピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ、ジーゲン、1577‐ベルギー、アンヴェルサ、1640)の「割礼」(1608)


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ジュゼッペ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1599‐1624活動記録)の「聖パオロ」


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ジュゼッペ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1599‐1624活動記録)の「聖ピエトロ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)の「嬰児虐殺」(1661)


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「エジプトへの逃避」


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ジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)のクーポラのフレスコ画(1624c)


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このフレスコ画もジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)によって1624年頃に描かれました。


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アンドレア・ポッツォ(トレント、1642‐ウィーン、1709)の「聖フランチェスコ・ボルジャ」


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ドメニコ・パッシニャーノ(タヴァルネッレ・ヴァル・ディ・ぺーザ、1559‐フィレンツェ、1638)の「キリストの洗礼」


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ピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ、ジーゲン、1577‐ベルギー、アンヴェルサ、1640)の「聖イグナツィオの奇跡」


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装飾過多ですね。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「聖ステファノの殉教」


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サン・フランチェスコ・サヴェーリオ礼拝堂


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ドメニコ・グラッシの「聖フランチェスコ・サヴェーリオの説教」


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ドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオの物語」


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ドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオの物語」


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礼拝堂天井もドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオの物語」です。


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説教壇


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説教壇


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「聖母被昇天」


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反射を避けて撮ってみました。


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アンドレア・ポッツォ(トレント、1642‐ウィーン、1709)の「無原罪の御宿リ」


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見所豊富です。


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オルガン


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シモン・ヴーエ(パリ、1590‐1649)の「磔刑」


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詳細不明


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ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「テオドシス帝と聖アンブロージョ」


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派手派手です。


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美術ファンにとっては非常に見所が多いと思います。


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マッティア・トラヴェルソ(ジェノヴァ、1885‐1956)の「聖心」


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ベルナルド・ストロッツィの作品を探しましたが見つかりませんでした。


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外に出ました。

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右側廊


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右側廊


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後陣右側にあるノストラ・シニョーラ礼拝堂です。


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フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1535‐1612)の「磔刑」


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ロレンツォ・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1680‐1744)の「玉座の聖母子と聖スタニスラオと聖フランチェスコ・ボルジャ」


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天井のフレスコ画はジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584/1590-ミラノ、1630)の「聖セバスティアーノの説教」


P1900102
これは有り難い。


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大理石の祭壇は、カルロ・バラビーノ(ジェノヴァ、1768-1835)とイグナツィオ・ペスキエーラ(ジェノヴァ、1777-1839)の「天使たち」(1830)


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15世紀の逸名画家作「聖母子」


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ステンドグラスも見事です。


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「聖母被昇天」(19世紀)


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グイド・ガレッティ(ロンドン、1893-ジェノヴァ、1977)の「幼きキリストと聖ジュゼッペ」


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ガエターノ・プレヴィアーティ(フェラーラ、1852-ラヴァ―ニャ、1930)の「聖母被昇天」(1905)


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扉上ルネッタのフレスコ画


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Maestro Costantinopolitano di San Salvatore in Choraの「聖母子と2聖人と2天使」(1312c)


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有名な彫刻です。


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15世紀の逸名彫刻家作「磔刑」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666-1724)の「天上のキリストと聖ジローラモと聖マリア・マッダレーナと聖人」


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ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527-エル・エスコリアル、1585)の「聖ゴッタルド」


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入口扉上のフレスコ画


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Maestro Costantinopolitano di San Salvatore in Choraの「玉座のキリストと聖人たち」(1312c)


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詳細不明


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詳細不明


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サン・ジョヴァンニ礼拝堂


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クーポラ


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ドメニコ・ガジーニ・ダ・ビッソーネ(ビッソーネ、15世紀後半活動)と弟子のエリア・ガジーニの「祭壇」


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ドメニコ・ガジーニ・ダ・ビッソーネ(ビッソーネ、15世紀後半活動)とエリア・ガジーニの「聖ジョヴァンニ・バッティスタの生涯」


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アンドレア・コンドゥッチ通称イル・サンソヴィーノ(モンテ・サン・サヴィーノ、1467c-1529)の「聖母子」


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Museoに行きます。


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Museoの入り口


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高価でしょうね。


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芸術性はあまり感じません。


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聖堂内に戻り、後陣左のレルカーリ礼拝堂の拝観です。


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礼拝堂祭壇


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ジャン・ジャコモ・デッラ・ポルタとグリエルモ・デッラ・ポルタとニコロ・ダ・コルテの「サンティ・ピエトロ・エ・パオロの祭壇」(1533-37)


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ガスパーレ・フォルラーニのオルガンのカヴァー絵(1554-55)


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天井のフレスコ画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・カステッロ通称イル・ベルガマスコ(カステッロ・ガンディーノ、1509-マドリッド、1569)の「聖母戴冠」(1564)と「聖母被昇天」(1564)


P1900223
詳細不明


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外に出ました。
(おわり)

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見応えがあるファサードです。


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ファサードの彫刻の作品帰属について、聖堂内に説明プレートがあります。


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これです。


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これがあるので助かります。


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次は身廊外観です。


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鐘楼を横から見たところです。


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サン・ロレンツォ通り側の出入り口


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ファサード側の向かって右の出入り口が開いていたので、聖堂内に入ります。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


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左側廊方向


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左側廊


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左側廊からの眺め


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左側廊上部


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右側廊方向


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右側廊


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右側廊からの眺め


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天井
第二次世界大戦中の1941年2月9日、イギリス軍の爆撃によって、聖堂身廊天井が破壊され、天井のフレスコ画の殆どが落剝してしまいました。その後、天井は修復されましたが、僅かに残っていたフレスコは白く塗り潰されました。


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ジョルジョ・フィエスキの墓


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ジョヴァンニ・アンドレア・アンサンド(ヴォルトリ、1584‐ジェノヴァ、1638)によって、オルガンカヴァーとして描かれた「聖ロレンツォ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)に帰属する「受胎告知」


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ジョヴァンニ・ガジーニ(パレルモ、1470c‐?、?)の「ジョルジョ・フィエスキの墓碑」


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中央礼拝堂と後陣は修復作業中でした。


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後陣のフレスコ画、彫刻、ステンドグラスなどをゆっくり見たかった!


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ラッザーロ・ダヴァローネ(ジェノヴァ、1556‐1640)のフレスコ画(1622)


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ラッザーロ・タヴァローネ(ジェノヴァ、1556‐1640)の「最後の晩餐」


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後陣の彫刻を見たかったけれど、これではね。


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詳細不明


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説教壇


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校外学習の一行がやってきました。聖堂内に説明の声が良く響きます。
(つづく)

P1900033
ジェノヴァ市の中心サン・ロレンツォ通りです。


P1900037
サン・ロレンツォ通りを東に進むと、直ぐに大聖堂の鐘楼と、道の突き当りにあるジェズ教会が見えてきます。


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サン・ロレンツォ大司教座教会、Cattedrale Metropolitana di San Lorenzoです。
ジェノヴァ大司教区の大司教座が置かれています。


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3世紀中頃、この場所にキリスト教徒の墓地があり、信仰の場となっていました。5‐6世紀頃に教会が建設されましたが、それが現在の建物の前身です。
1007年、司教座が置かれ、Cattedraleに昇格しました。


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11世紀中頃、建物の老朽化と信者が多くなって手狭になったので、建物が再建されることになりました。
1098年に創建されたロマネスク様式の二代目の建物が、現在の姿の原形です。
1118年に奉献式が執り行われた後、1133年に大司教座が置かれるようになりました。


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1230年頃、ゴシック様式に改築されることになり、改築はファサードから始められ、ファサードは1307年から1312年の間に完成しました。


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白と黒の大理石による組み合わせ模様は、ジェノヴァ貴族の象徴とされていたものです。
ファサードの建築に従事した労働者はフランスから集められたそうです。


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当初、鐘楼はファサードの左右2本の建設が予定されていましたが、右だけが1552年に完成しました。高さが60mあります。
向かって左の鐘楼は、1477年にロッジャ部分まで建設が進みましたが、そのままで放置され未完成のまま、現在に至ってます。


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クーポラですが、1550年に工事が始められ、17世紀に完成しました。


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クーポラは暫く修復工事中です。


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ポータル上のフレスコ


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ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)の作品(1210c)


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修復後のものでしょうね。


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1894年から1900年にかけて大規模な修復工事が行われました。


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ベネデット・アンテラミ、ベネデット・アンテラミ派彫刻家による作品


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ファサードの左右にライオン像があります。
カルロ・ルバット(ジェノヴァ、1810‐1891)の「ライオン像(左)」(1840)


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カルロ・ルバット(ジェノヴァ、1810‐1891)の「ライオン像(右)」(1840)


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聖母子


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聖ロレンツォ


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ベネデット・アンテラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c‐1230c)またはベネデット・アンテラミ派彫刻家の「キリストと聖ロレンツォ」


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バラ窓


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扉横の彫刻


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扉横の柱に施された彫刻


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柱下部


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以上は中央扉の写真です。


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向かって右の扉です。


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ベネデット・アンテラミの彫刻


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(つづく)

157
ホテルで一休みしてから、再び外出しました。


158
相変わらず雨模様です。


159
丘上に住宅が広がってます。


160
16世紀に建設されたPalazzo del Principe Doriaです。


163
地中海の各地などを結ぶ定期客船が発着する新港です。


162
丘の上にあるCastel d'Albertisが見えました。


166
海沿いの道を進みました。


167
Palazzo San Giorgioの方に向かってますが、この道を逆方向に進むと陸橋が崩落した場所に出ます。


168
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会は何時ものように閉まっていました。


169
この時間でもメルカトが開いていたので果物を買いました。


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雨男なので、何時も雨天に恵まれてます。


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霧雨でしたが、風があるので直ぐに濡れてしまいます。


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地下鉄のプリンチペ駅


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丘上に行っても見どころがあまりありません。ジェノヴァ湾が一望できる絶景ポイントがありますが、この天気では行っても冴えないと思いました。


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PP駅の方に戻ることにしました。


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アンドレア・ドーリア通り


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駅前広場


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グランド・ホテル・サヴォイアもお勧めです。


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PP駅


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この時は、お宿を素通りしました。


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サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会に向かいました。


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この辺のホテルは部屋からの眺めが良いのですが、坂を上るのが大変なホテルがあります。(エレベーターがありますが、不便です)


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何回も通ったバルビ通り


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王宮


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時間が遅くて、この日も王宮博物館に入館出来ず、結局入館したのは、この日の翌日になってしまいました。


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ジェノヴァ、ボローニャは見所が豊富ですが、ガイドブックで大きく取り上げられないのは何故でしょうか?


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サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会が見えてきました。


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光線の具合から聖堂内の美術品を見るには午前中の方が良いのですが、雨天なので、その辺はあまり影響ないと思いました。


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ジェノヴァ大学となっているPalazzo Belimbau


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今回は時間をかけてじっくりと拝観しました。


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勿論、少額ながら寄進しました。


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外が薄暗いにも関わらず、聖堂内は明るいのが意外でした。


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この教会については、項を改めて詳しく触れる予定です。


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17世紀にジェノヴァで活動した画家たちの作品が数多くあります。


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外に出たら、弱弱しい日差しがありました。


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青空が出てきました。


170
青空はほんの束の間で、すぐに雨が降ってきました。


171
詳細不明


172
街角のタベルナコロを発見。


173
これです。


174
この辺のお店で食べようかと思いましたが、例のお店に行くことに。


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このお店です。(昼間に撮った写真)


192


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キリがないので、この辺で終わりにします。
(おわり)

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Via di Porta Soprana


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13世紀に建設されたPorta Soprana


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門を潜った先にコロンブスの家があります。


115
Porta di Sant'Andreaとも呼ばれてます。門の潜った先にサンタンドレア教会があったので、そう呼ばれているのでしょう。


113
門を潜りました。


112
城壁外から見える門は丸くなっていて、感じが違います。


114
城壁内から見える門の形が違うので、門が二つあると錯覚しそうになります。


111
Chiostro di Sant'Andrea


110
城壁外は若干緑があります。


106
コロンブスの家です。


108
コロンブスが少年時代を過ごした家と言うのが通説ですが、コロンブスとは無関係との説も根強いそうです。
ここはMuseoになってますが、お得感ゼロ、お損感十分と思います。一度入館して懲りたので、今回もパス。


104
ジェノヴァに来たからには、この辺に来るのは付き合いというものですが、メリットは足腰が鍛えられることくらい?


105
そろそろ昼食の時間です。
この通りのお店に入りましたが、値段だけが一流で、肝心のお味、サービスがイマゴ(イマイチではなく、イマニでもなく、イマサン、イマヨンでもありません)でした。


126
街角のタベルナコロ


127
次はサンタ・マリア・アッスンタ聖堂です。


128
上り坂の上に教会の建物が直ぐに見えてきます。


129
サンタ・マリア・アッスンタ・ディ・カリニャーノ聖堂です。Basilica minori


131
1552年創建のルネサンス様式の建物です。


133
ファサードの聖母被昇天


135
聖ピエトロ


136
聖パオロ


132
青空が出てきました。


134
聖堂は高台にあります。


139
海が見えました。


140
共同井戸?


141
日差しも出てきました。


142
サンタゴスティーノ教会


143
入口扉上ルネッタのフレスコ画はジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)によって描かれました。


144
修道院が併設されていました。


145
旧サンタゴスティーノ修道院のキオストロ回廊


148
12世紀に建設されたサン・ドナート教会


147
サン・ドナート教会の身廊外観


146
サン・ドナート教会の古い鐘楼


P1900463
サン・ロレンツォ通りに戻りました。


P1900465
変わりやすい天気で、雨が降ってきました。


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雨が降っていなければ、もう少しぶらぶら歩きを続けていたと思います。


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Palazzo San Giorgio


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P1900473
見慣れた光景です。


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傘を持っていても差さない人が多い。


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ガレー船


182


P1900477
一旦ホテルに戻ります。


P1900478
(つづく)

P1900010
Palazzo San Giorgioの見学です。


P1900012
ヴェルディのオペラ「シモン・ボッカネグラ」がお好きですか?
「シモン・ボッカネグラ」のオペラのモデルとなったジェノヴァの初代提督(ドージェ)がシモーネ・ボッカネグラ(?、?‐ジェノヴァ、1363没)と、この建物と直接関係ありませんが、シモーネ・ボッカネグラの叔父グリエルモ・ボッカネグラによって1260年に建設されたのがPalazzo San Giorgioです。


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ファサードのフレスコ画のうち、「竜を退治する聖ジョルジョ」の左下に描かれているのがシモーネ・ボッカネグラの肖像画と言われてます。


P1900015
ファサードのフレスコ画ですが、最初のものはラッザーロ・タヴァローネ(ジェノヴァ、1556‐1640)によって1606年から1608年に制作されたそうです。
しかし、この場所は海岸のすぐ傍にあるので、フレスコ画にとって最悪に近い環境です。
19世紀頃にはフレスコ画の落剝・退色が進み、その痕跡が分かる程度まで劣化したので、ルドヴィーコ・ポリアーギ(ミラノ、1857‐ヴァレーゼ、1950)によって、1912年から1914年に描き直されました。タヴァローネの原画を尊重しながらポリアーギが描いたと言われてますが、タヴァローネの原画はその痕跡程度しか判別できない状態だったので、本当のところは分からないようです。
現在、観ることが出来るフレスコ画がかなり鮮やかに見えますが、ルドヴィーコ・ポリアーギによって描かれたフレスコ画の傷みが激しかったので、フレスコ画の大修復が1987年から1990年に行われたからです。
潮風と海水の飛沫に直接晒される環境なので、フレスコ画が今度どれだけ持つのか心配です。


P1900013
竜を退治する聖ジョルジョ


P1900018
現在、Palazzo San Giorgioはジェノヴァ港湾局の本部になってます。


P1900011


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市庁舎として建設されましたが、市庁舎として使用されたのは完成後僅か2年間だったそうです。


P1900025
堅固な建物なので刑務所として使用されていたことがあります。


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この付近の柱廊の柱に注目です。


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この柱です。


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古い柱


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Via San Lorenzoに入りました。ドゥオーモに向かいました。


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直ぐにドゥオーモの鐘楼が見えてきます。


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サン・ロレンツォ大聖堂


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見所が沢山あります。


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拝観しました。


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美術品ばかりです。


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大聖堂については、後程詳しく触れる予定です。


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美術ファンは必訪でしょうね。


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外に出ました。


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次はジェズ教会です。


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ジェズ教会はドゥオーモの後方にあります。


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マテオッティ広場


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広場の一部は駐車場になってます。


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ドゥカーレ宮


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ジェズ教会の拝観です。


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ジェズ教会も見どころが豊富です。


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ジェズ教会は、後程項を改めて詳しく触れる予定です。


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クーポラ


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ルーベンスの作品


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バロック期の作品が多い。


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外に出ました。


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比較邸新しい建物が多いところにやってきました。


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フェラーリ広場


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困ったことに雨が本降りになってきました。


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ゴッホ展に並ぶ人たち


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天気が悪くてウンザリ


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1912年‐1924年に建設されたPalazzo della Regione Liguria


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1906年‐1912年に建設されたPalazzo della Borsa


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雨が強くなったので、雨宿りを兼ねてドゥカーレ宮で一息入れました。


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ゴッホには興味がないので、ゴッホ展はパス


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(つづく)

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ジェノヴァの3日目です。


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先ずサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ・ディ・プレ教会です。


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残念! 扉が閉まっていました。


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開くことが稀な教会のようで、最近拝観したことがありません。


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教会巡りは効率が悪いのです、扉が開いていなければ、それで終わりですから。


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Museiになった?


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美術館や博物館にもなれば、大体当てにできます。当てにならない場合も結構ありますが・・・・・


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海岸沿いの道からドゥオーモ辺りまで行くと言うのが、この日の大体の予定です。


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低い黒い雲が立ち込めて、今にも泣きだしそうな空でした。


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痛みが激しいタベルナコロ


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Via Antonio Gramsci


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古い建物が多い一角です。


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市場です。


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果物を買いたかったけれど、ホテルを出発したばかりに荷物が重くなるのは避けたいところでした。


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その上は王宮です。


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道路が濡れていたので、明け方に降雨があったようでした。


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地下鉄がありますが、徒歩で行きます。


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1155年から1159年に建てられたPorta dei Vacca


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ジェノヴァ城壁の要塞でした。


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写真左の塔は20世紀後半に修復されたものです。


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引き続き海岸沿いの道を進みました。


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ガリバルディ通りに出る道です。


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かなり広い広場に出ました。


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Via al Ponte Calvi
初志貫徹で、この道には入らず。


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柱廊を進みました。


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風情があります。


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魅力的な道ですが、道草は禁物です。我慢しました。


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柱廊から広場に出ました。


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ジェノヴァ名物の水族館


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一回は入館する価値がある水族館です。


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数年前に入館したことがあるので、今回はパス。


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Piazza Caricamento


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13世紀に建設されたTorre dei Morchio o Morchi


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柱廊がある所は中世の城壁がありました。


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広場に立つのは、船会社を設立して大金持ちになり、イタリア海軍の創設者となったRaffaele Rubattino(ジェノヴァ、1810‐1881)像です。


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1257年から1260年に建設されたPalazzo San Giorgio


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波止場の方に行ってみることにしました。


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(つづく)

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この時の旅では、ジェノヴァに4泊しました。4泊では全然足りませんでした。


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主なところを丹念に見て回ろうと思ったら、多分1週間は必要でしょう。


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ジェノヴァの歴史をある程度知ってしまうと、必要な日数は確実に増えると思います。


005
王宮に立ち寄ることにしました。
この時、王宮のファサードの写真を撮るのをうっかり忘れてしまったので、夏に行った時の写真で代用します。


007
閉館時間間近なので、もう切符は売ってくれません。


006
それでも一寸だけ覗きました。


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係員から今日は終わりましたと告げられ、早々に退散。


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全部を見ようとすると2,3時間は必要でしょう。


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中庭は未だ見学できます。


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夕方なので、人気が全くありません。


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ジェノヴァでは団体ツアーの一行を見かけることが非常に少ないと思います。


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中国人のツアーを見かけることがあっても、日本人のツアーを見かけることは滅多にありません。


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プリニョーレ駅付近には泊まったことがありません。


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中庭の敷石


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この彫刻については不知です。


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同断


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バルビ通りに戻りました。


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夕食にはまだ早すぎます。


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ホテルに戻って入浴しました。


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夕食の頃合になりました。外に出たら雨が止んでいました。


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PP駅を横目に見ながら、何時ものお店に向かいました。


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写真右のお店です。


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単なる塩焼きの魚として注文しました。
持参の醤油をかけて日本のように食べました。脂が乗ったイサキで美味でした。


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ほろ酔い気分でホテルに戻りました。


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これで一日目終了です。


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翌日は晴れ。


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この日はジェノヴァ観光をしませんでした。


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サヴォーナとアルベンガへの日帰り遠足をしました


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2日目の夜です。
このホテルを気に入ってます。


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例によって何時ものお店に向かいます。


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サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会です。


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この時間は扉が閉まっているので拝観が無理です。


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12世紀に建設された教会で、見どころが豊富です。


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PP駅のすぐ近くですが、この辺は緊張を強いられる場所です。


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今夜も来ました。


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少し食べた後の写真


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以上、全部で€15
ツーリスト・メニューではありません。すべてアラカルトで注文したもの。
私の体験した食堂で、最もコスパが高いお店がここです。


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お腹一杯


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夜の景色は何時も同じです。


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何時ものホテルと何時ものの食堂を往復するだけですから。


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何処の街に行っても、ほぼ同じに過ごしてます。


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2日目終了です。


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(つづく)

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オペラ座です。


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ここに来たのは、ネットで予約したので、切符を受け取るためです。


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ネット予約した際に、pdfファイルの切符が添付されていて、そのコピーを持参すれば、そのまま入館できるところもあるのですが、ジェノヴァは依然として旧態依然のままでした。


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郷に入っては郷に従えですが、郷に入っても郷に従いたくない性分です。


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これで、この日の予定していたことは大体やり終えました。


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引き返すことにしました。


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同じ道を通って帰るのは気が利かないけれど、ジェノヴァの最大の見所がガリバルディ通りなので、それは納得です。


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イタリアの雨男なので、何時も雨に恵まれます。


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10月、11月、2月、3月、4月に雨が多いと思います。


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Palazzo Angelo Giovanni Spinola
正面扉は閉まっていましたが、その左下の通用口が開いていました。


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図々しく中に入ってロビーのフレスコ画を見ました。


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ラッザーロ・タヴァローネ(ジェノヴァ、1556‐1640)のフレスコ画でしょうか?


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銀行なので早々に退散しました。


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写真右の建物も開いていました。


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中に入りました。


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見たのはロビーだけです。


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1536年から1544年に建設されたPalazzo della Meridiana、別名Palazzo Gerolamo Grimaldiです。


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傘を差さない人がいますが、小降りではありません。


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Palazzo Gio Carlo Brignoleの入り口のテラモンが有名です。
ジェノヴァの彫刻家フィリッポ・パロディ(ジェノヴァ、1630‐1702)によって1671年に制作されました。


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ジェノヴァの街歩きでは、建物や建物に施された装飾を見るのが楽しくなります。


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突き当りを左折します。


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大きな通りに出ました。


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Via Paolo Emilia Benson


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サンティッシマ・アンヌンツィアータ・デル・ヴァスタート教会が開いていました。この教会は美術作品が豊富なので立ち寄らないわけにはいきません。


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1520年、それまで、この場所にあったサンタ・マリア・デル・プラート教会を取り壊し、その上にフランチェスコ会によって建設された教会ですが、途中、工事が何度も中断され、完成は18世紀になってからでした。


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新古典様式のファサードは、1830年から1840年頃にかけて建設された比較的新しいものです。


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三廊式、ラテン十字形、マニエリスム様式の内部です。


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左側廊


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身廊天井のフレスコ画は、ジョヴァンニ・アンドレア・アルサンド、ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ、ジョヴァンニ・カルロ―ネ、ヴァレリオ・カステッロ、ドメニコ・ピオラなど8人の画家によって描かれたそうですが、誰がどの部分を描いたのか、私には分かりません。


023
ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「アガルとイシマエル」


024
グリエルモ・カッチャ(モンタボーネ、1568‐モンカルヴォ、1625)の「羊飼いの礼拝と聖フランチェスコ」


025
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「聖家族」


026
ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「サント・スプリトの下降」


027
ダニエーレ・クレスピ?の「聖ジョヴァンニ―ナ」


028
アントン・マリア・ピオラ(ジェノヴァ、1654‐1715)の「聖母子と聖グレゴリオ・マーニョと聖オルソラ」


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「受胎告知」


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ジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1639‐1697)の「ご訪問」


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ストラーダ・ヌオーヴァ美術館で疲れてしまったので、適当なところで切り上げることにしました。


032
主祭壇


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主祭壇左側壁のフレスコ画は、ジュリオ・ベンソ(ピエーヴェ・ディ・テーコ、1592‐1668)の「キリストの寺院への出現」


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主祭壇右側壁のフレスコ画はジュリオ・ベンソ(ピエーヴェ・ディ・テーコ、1592‐1668)の「教会博士たちとの問答」


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PP駅の方に向かってます。


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(つづく)

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ストラーダ・ヌオーヴァ美術館は3館あるので、流石に疲れました。


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1559年から1565年に建設されたポデスタ宮、別名Palazzo Nicolosio Lomellinoです。


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ポデスタ宮でルチアーノ・ボルツォーネ(ジェノヴァ、1570‐1645)の特別展が開催中でしたが、ストラーダ・ヌオーヴァ美術館で目が疲れたのでパスしました。
肖像画が得意だったルチアーノですが、75歳の老齢ながらジェノヴァの受胎告知教会マドンナ・デリ・アンジェリ礼拝堂のフレスコ画制作に注力しました。あと数筆を入れれば完成と言うときに、梯子から転落して死去してしまいました。


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ポデスタ宮天井の装飾です。


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外壁の装飾にマッチしてしています。


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Palazzoを一つ一つ見て行くと時間がいくらあっても足りません。
内部のフレスコ画やスタッコ彫刻など見所が沢山ありますが、非公開のPalazzoが多いので、その辺には注意が必要です。


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この時間では遅いと思いましたが、ダメもとで国立美術館に行ってみることにしました。


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ガリバルディ通りから一本奥の道に入りました。


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目立たない場所に建つスピノーラ宮です。


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1593年、フランチェスコ・グリマルディによって建設されたスピノーラ宮です。


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この建物に国立美術館Galleria Nazionale di Palazzo Spinolaがあります。


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開館中!


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入館しようと思いましたが時間切れでした。
国立美術館はガイド付きの決められた時間の入館制を採っており、この日の最終回受付は既に終了したとのことでした。閉館まで2時間あったので、ガイドなんかいらない、勝手に見たい、ガイドよりも俺の方が知っていると粘ったのですが、駄目の一点張りでした。


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切符売り場にあった、この墓碑だけはしっかり見ました。
15世紀後半のロンバルドの逸名彫刻家作「フランチェスコ・マリア・スピノーラの墓碑」


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国立美術館で見たかった作品はこれでした。
アントネッロ・ダ・メッシーナの「この人を見よ」


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イタリアで係員とやり取りしても、こちらの思う通りには絶対になりません。徒労に終わるだけです。
ダメなものはダメ、絶対にダメ。


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Palazzo Gentile


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相変わらずだのう。


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国立美術館の向かいにある建物です。


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16世紀に建設されたPalazzo di Pietro Spinola di San Luca


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小雨が降り続いてました。


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赤の宮殿はジェノヴァ市立図書館になってますが、図書館の入り口は裏通りにあります。


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この場所で街娼に声をかけられたのでビックリ仰天。


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危険を察知してガリバルディ通りに戻りました。


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1562年に建設されたPalazzo Baldassarre Lomellini


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1583年に建設されたPalazzo Giacomo e Lazzaro Spinola


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この建物には入ったことがありません。


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「Rolli」に掲載された邸宅が続きます。
1576年、ジェノヴァでは貴族の邸宅を賓客をもてなすために利用することが法制化されましたが、その対象となる邸宅リストをRolliと呼んだのです。


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1558年‐1576年に建設されたPalazzo Angelo Giovanni Spinola


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以前はドイツ銀行でしたが、今はアメリカン銀行となってます。


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中々先に進みません。


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Palazzo Franco Lercari(16世紀)


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Palazzo Tobia Pallavicini(16世紀)


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ガリバルディ通りの端に来ました。


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Palazzo Pantaleo Spinola(15世紀)


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Piazza delle Fontane Marone


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Palazzo Ayrolo Negrone(16世紀)


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突き当りを右折します。


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Palazzo Giacomo Spinola(15世紀)


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4月25日通りに入りました。


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(つづく)

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金属製の容器などが展示されている部屋です。


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トゥルシ宮内の博物館の案内が金属製容器を展示する部屋にありました。これを置くのは第22室がベストと思いました。
展示室番号は白の宮殿からの継続として表示されているようです。


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訪問者のことなんぞは、あまり考えてないからでしょう。


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この部屋から絵画の展示になります。


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ドメニコ・パロディ(ジェノヴァ、1668‐1740)の「高貴な女性の肖像」


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バルトロメオ・グイドボーノ(サヴォーナ、1654‐トリノ、1709)の「アガルの絶縁」


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バルトロメオ・グイドボーノ(サヴォーナ、1654‐トリノ、1709)の「聖マルゲリータの幻視」


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グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「砂漠の聖ジローラモ」


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グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「砂漠の聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「井戸のサマリア女」


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グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「我に触れるな」


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ロレンツォ・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1680‐1744)の「トビアスと天使」
ロレンツォ・デ・フェラーリは、グレゴリオ・デ・フェラーリを父に、ドメニコ・ピオラの娘マルゲリータ・ピオラを母に持つ、画家の良血です。


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グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「モーゼの奇跡」


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グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「エジプトへの逃避途中の休息」


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次の部屋です。


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第23室です。


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ジョヴァンニ・マリア・デッレピアーネ通称イル・ムリナレット(ジェノヴァ、1660‐モンティチェッリ・ドンジーナ、1745)の「ジェノヴァ総督フランチェスコ・マリア・インぺリアーレの肖像」


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ドメニコ・パロディ(ジェノヴァ、1668‐1740)の「高貴な女性の肖像」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「兵士」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「兵士」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「ゲッセマネ園のキリスト」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「法悦の聖フランチェスコ」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「高貴な男の肖像」


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ジョヴァンニ・マリア・デッレピアーネ通称イル・ムリナレット(ジェノヴァ、1660‐モンティチェッリ・ドンジーナ、1745)の「赤い服を着た男の肖像」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「奇行」


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アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「奇行」


P1880656
アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1806)の「ジェノヴァ共和国総督のミケランジェロ・カンビアーソの肖像」(1792)


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アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1806)の「アンナ・ピエーリ・ブリニョーレ=サーレの肖像」


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ヘンドリック・フランス・ヴァン・リント(アンヴェルサ、1694‐ローマ、1762)の「風景」


P1880663
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「風景」


P1880665
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「風景」


P1880667
ジャン=バティスト・ティアチェ(フランス、ルーアン、1737‐フィレンツェ?、1790)の「ティヴォリの滝」


P1880669
二コラ・ランクレ(パリ、1690‐1743)の「庭園のダンス」


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ミケーレ・プランケール(パルマ、1796‐1848)の「テミストクレス(紀元前6‐5世紀のアテネの政治家・軍人)の説得」


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フランチェスコ・フォンテバッソ(ヴェネツィア、1709‐1769)の「画家・彫刻家・建築家」


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ジョヴァンニ・ダヴィド(カベッラ・リグーレ、、1743‐ジェノヴァ、1790)に帰属する「カフェの女の肖像」


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外に出ました。
(おわり)

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次はタペストリの間です。


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トゥルシ宮の展示内容は博物館でしょうね。


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床の装飾


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タペストリのテーマはアレキサンダー大王の逸話です。


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17世紀中頃にブリュッセルで織られたそうです。


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ルーベンスの追随画家によってタペストリの原画が描かれたそうです。


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タペストリの饐えたような臭いが気になります。


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天井と壁に施された豪華な装飾が見ものです。


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次はリグーリア・セラミックの展示です。


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陶器は博物館の定番ともいえる展示です。


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絵画や彫刻と違い、陶器は同じようなものを幾つも製造可能な再現性に勝るので、芸術品として見た場合、その価値はどうなんだろうと思います。


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沢山あります。


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イタリアの博物館に少なからず行ってますが、陶器類の展示を熱心に見ている人を見かけたことがありません。


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楽器類の展示は人気が高いと思います。


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薬草から薬にする過程の展示です。


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次はメダルやコインの展示室です。


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ローマ時代から19世紀までの2000年以上の間に造られたコインやメダルがほぼ時代順に展示されてます。


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金貨が少ない。


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コインの展示が膨大です。


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まだまだ続きます。


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貨幣やコインが好きなので、熱心に見ました。


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(つづく)

ストラーダ・ヌオーヴァ美術館の最後は、ドリア・トゥルシ宮、または単にトゥルシ宮です。
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ドリア・トゥルシ宮、またはトゥルシ宮は、後になっての名称です。
ジェノヴァ貴族のニッコロ・グリマルディの注文によって、ジェノヴァの建築家だったドメニコとジョヴァンニのポンツェッロ兄弟の設計及び建築工事監督によって、1565年に完成した建物です。
そのため、Palazzo di Nicolo Grimardiが建築当時からの名称で、現在でも、そのように呼ばれることがあります。


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1597年、この建物はジョヴァンニ・アンドレア・ドリアに売却され、ドリア家邸宅となりましたが、その後、更にカルロ・トゥルシ公爵に売却され、トゥルシ家の所有となりました。
ドリア家、トゥルシ家の所有だったので、ドリア・トゥルシ宮と呼ばれるようになりました。


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1848年、建物はトゥルシ家によってジェノヴァ市当局に売却されました。民間最後の所有者がトゥルシ家だったので、単にトゥルシ宮と称されることになりました。


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建物を所有することになったジェノヴァ市は、1848年から市庁舎として使用を開始し、現在も市庁舎となってます。


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2004年、市庁舎内にストラーダ・ヌオーヴァ美術館の一部が置かれるようになりました。


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市庁舎の入り口からトゥルシ宮に入りました。


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Museoとして公開されている1階(日本の2階)に向かいます。


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トゥルシ宮内のMuseoは、白の宮殿からも入ることが出来ます。


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最初にトゥルシ宮を見てから白の宮殿に行くのが良いか、その逆に白の宮殿からトゥルシ宮に行くかは、自分の好みで決めるよりありません。
美術ファンは白の宮殿から回ることをお勧めします。パガニーニ好きの方は断然トゥルシ宮を先にすべきでしょう。


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白の宮殿1階の庭園からトゥルシ宮に行くこと出来ます。


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白の宮殿の庭と接しているのがトゥルシ宮です。


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この彫刻に向かって右側に出入り口があります。


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開いている所がトゥルシ宮への入り口です。
この時は誰もいませんでしたが、入り口付近に係員がいることが多いので、迷うことはないと思います。


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トゥルシ宮の中庭回廊に出ました。


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写真正面の階段を上ります。


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Museoへの行き方を示す赤の表示があります。


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赤の矢印に従って進みます。


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1階(日本の2階)に出ました。


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部屋が沢山ありますが、赤の矢印がない部屋に入るのは避けるのが無難です。


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壁一杯フレスコ画で覆われた部屋がありますが、通常非公開です。


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最初の部屋は「パガニーニの部屋」です。トゥルシ宮のMuseoは美術館ではなく博物館と訳した方が良いと思います。
ニッコロ・パガニーニ(ジェノヴァ、1782‐ニース、1840)の所有したヴァイオリンや彼が作曲した楽譜、彼所縁の品々を展示する部屋です。
パガニーニはヴァイオリン演奏の超絶技法で悪魔とまで言われたヴァイオリン演奏家です。勿論、作曲家としても有名ですが。


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バルトロメオ・ジュゼッペ・グアルネーリ通称イル・ジェズが1743年に制作したヴァイオリンです。「カノン」と呼ばれてます。
パガニーニが愛用したヴァイオリンです。


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1802年、賭博に目がなかったパガニーニですが、その日は負け続けで、所持金全部ばかりか、演奏会で使用する予定のヴァイオリンまで賭博のために換金したものの、全て取られてしまって、演奏会で演奏するヴァイオンがないと言う状態に陥ってしまいました。


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困っていたパガニーニに対して、それを知った「カノン」の所有者は「このヴァイオリンを演奏会で使用したらどうか」と申し入れ、パガニーニはその申し出を受け入れ、「カノン」で演奏会に臨み、大成功を収めたのです。
「カノン」の所有者は、パガニーニが一生「カノン」を使用することを条件に「カノン」をパガニーニに寄贈したのです。
「カノン」という名称は、そのヴァイオリンが奏でる音の大きさに感心したパガニーニが名付けたとされてます。
「カノン」は、パガニーニの遺言によって、1851年、ジェノヴァ市に寄贈されました。


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バルトロメオ・ジュゼッペ・グアルネーリ通称イル・ジェズはクレモナの名工です。
クレモナのヴィオリーナ博物館に彼の作品が展示されてます。


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シェリング、クライスラー、ハイフェッツなどがイル・ジェズのヴァイオリンを愛用しました。


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以上3枚の写真はクレモナのヴィオリーナ博物館で撮りました。


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パガニーニが愛用したヴァイオリンがもう一つ展示されてます。


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フランスのヴァイオリン名工によって制作されたヴァイオリンです。
このヴァイオリンは、パガニーニの遺言によって、パガニーニの弟子カミッロ・シヴォーリに遺贈されましたが、カミッロの死後に、カミッロの遺族によってジェノヴァ市に寄贈されました。


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パガニーニ夫人像?
この彫像がこの部屋にある理由が分からないし、誰の彫像なのかさえも分かりません。


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パガニーニゆかりの品々


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床の装飾
(つづく)

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次の部屋です。


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ドメニコ・ピオラの作品が並んでいる第21室です。


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「聖マリア・マッダレーナ」


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「古き良き時代を強制するアテナイオン」


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「アレッサンドロの寛容」


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)とアントン・マリア・ピオラ(ジェノヴァ、1654‐1715)の「エジプトへの逃避途中の休息」
アントン・マリア・ピオラはドメニコ・ピオラの息子ですが、その技量は父には遠く及びませんでした。


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「ホルタのベアート・サルヴァトーレの奇跡」


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ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1628‐1703)の「ジェノヴァのサン・ルーカ教会クーポラのフレスコ画の下絵(聖母戴冠)」


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次はパオロ・ジローラモ・ピオラの作品が並ぶ第22室です。


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「慈悲の寓意」
パオロ・ジローラモ・ピオラはドメニコ・ピオラの息子です。ドメニコ・ピオラには8人の子供がいましたが、画業を志した息子のうち、最も優れていたのがパオロ・ジローラモです。老いてしまった父に代わり、17世紀末以降のジェノヴァ画壇の中心はパオロ・ジローラモ・ピオラとなりました。


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「川の神」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「アイネイアースに出現するヴィーナス」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「アポロとムーサ」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「発明」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「模倣」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「信義と賢明」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)に帰属する「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「アグネスを見よ」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「悔悛と潔白」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「エジプトへの逃避途中の休息」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「エステルとアハシュエロス(エステルの夫)」


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パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)の「ディアーナ(月の女神)とエンデュミオーン(ギリシャ神話に出てきます)」


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ドメニコ・プリーゴ(フィレンツェ、1492‐1527)の「クレオパトラ」


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ドメニコ・アルファーニ(ペルージャ、1480c‐1553以降没)の「男の肖像」


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「フィレンツェの男の肖像」


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展示は以上で終わりです。


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次はトゥルシ宮です。
トゥルシ宮に続きます。白の宮殿はこれで終わりです。

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次の部屋です。


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第19室には、オランダ黄金時代の画家たちの作品が展示されてます。
オランダ絵画の質は高いのですが、驚くことに、1640年から1660年の20年間だけで、オランダだけで130万点以上の絵画が制作されたのです。当然、供給過剰となり、作品の質に対する正当な報酬は期待薄で、多くの画家たちは貧困に喘いだのです。


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ウィレム・ヴァン・ミエリス(オランダ、ライデン、1662‐1747)の「貴重の認識」


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ヤン・ステーン(オランダ、ライデン、1626c‐1679)の「復活祭の花」


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ヤン・ステーン(オランダ、ライデン、1626c‐1679)の「居酒屋」


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アールト・ファン・デア・ネール(アムステルダム、1603‐1677)の「風景画」


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ヤーコブ・ファン・ロイスダール(ハールレム、1628c‐1682)の「風景画」


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ニコラス・マース(オランダ、ドルトレヒト、1634‐アムステルダム、1693)の「男の肖像」


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ヨース・デ・モンペル(アンヴェルサ、1584‐1635)の「モンターニャの風景」


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ダフィット・テニールス・イル・ジョーヴァネ(アンヴェルサ、1610‐ブリュッセル、1690)の「用心棒」


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コルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「兵士たちの野営」


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ヤン・ヴィルデンス(アンヴェルサ、1586‐1653)とコルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「街路樹のある風景」


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コルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「病人の診察」


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ルーカス・デ・ワール(アンヴェルサ、1591‐1661)の「乞食」


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コルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「囚人の診察」


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次の部屋です。


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第20室


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主にヴァレリオ・カステッロの作品が展示されてます。


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「Mose' Bambino e La Prova dei Carboni Ardenti」
モーゼについては興味がないので、何が描かれているのか分かりません。


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ステファノ・マニャースコ(ジェノヴァ、1635‐1672)の「マギの礼拝」
ステファノ・マニャースコの代表作と言われている傑作です。


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ステファノ・マニャースコ(ジェノヴァ、1635‐1672)の「聖家族と天使たち」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「シモーネ邸の饗宴」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「ダヴィデ」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「ヴェールの聖母」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「フランスの聖ルイ9世の施し」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「聖ロレンツォの殉教」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「聖ズィータの奇跡」


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ヴァレリオ・カステッロ(ジェノヴァ、1624‐1659)の「エジプトへの逃避」


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少し疲れたので、庭園に出て一休みしました。


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向かいにある赤の宮殿


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(つづく)

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次の部屋です。


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第15室になります。


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バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(セヴィリア、1618‐1682)の「エジプトへの逃避」
甘美な聖母が印象的なムリーリョですが、修道院のフレスコ画制作中に梯子から墜落して死去しました。


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フランシスコ・デ・スルバラン(スペイン、フェンテ・デ・カントス、1598‐マドリッド、1664)の「聖ボナヴェントゥーラの臨終聖餐」


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フランシスコ・デ・スルバラン(スペイン、フェンテ・デ・カントス、1598‐マドリッド、1664)の「聖エウフェミア」


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フランシスコ・デ・スルバラン(スペイン、フェンテ・デ・カントス、1598‐マドリッド、1664)の「聖オルソーラ」
これは有名な作品です。


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ジュゼペ・デ・リベラ(スペイン、シャティバ、1591‐ナポリ、1652)と協力者による「天使から認可を受ける聖フランチェスコ」 


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次の部屋です。革製の椅子の座り心地が良いので、寛いで鑑賞できます。


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第16室
白の宮殿は、北方画家たちの作品が充実しているのが特徴です。


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ヨース・ファン・クレーフェ(アンヴェルサ、1485c‐1540)の「聖母子」
ヨース・ファン・クレーフェの代表作の一つです。


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Maestro di San Giovanni Evangelistaの「最後の晩餐」(15世紀末)
ジェノヴァの受胎告知教会にあった祭壇画です。1882年に取り外されて白の宮殿で展示されるようになりました。


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Maestro di San Giovanni Evangelistaの「聖コッパ・アッヴェレナータの奇跡」(15世紀末)
この作品もジェノヴァの受胎告知教会にありましたが、1882年に取り外されて、白の宮殿に置かれるようになりました。
次の2つの作品、「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと天使」と「聖ドルンアーナの復活」も同じで、ジェノヴァの受胎告知教会から白の宮殿に、1882年に移されました。


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Maestro di San Giovanni Evangelistaの「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと天使」


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Maestro di San Giovanni Evangelistaの「聖ドルンアーナの復活」(15世紀末)


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ヤン・プロヴォスト(ベルギー、モンス、1465‐ブルッヘ、1529)の「受胎告知」


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ヤン・プロヴォスト(ベルギー、モンス、1465‐ブルッヘ、1529)の「ウンゲリアの聖エリザベッタ」


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ヤン・プロヴォスト(ベルギー、モンス、1465‐ブルッヘ、1529)の「聖ピエトロ」


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ヘラルト・ダヴィド(オランダ、アウデクーテル、1460c‐ベルギー、ブルッヘ、1523)の「チェルヴァーラのポリッティコ」


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磔刑


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聖母子


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聖ジローラモ


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聖ベネデット


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ハンス・メムリンク(ドイツ、ゼ―リンゲンシュタット、1435/1440-ベルギー、ブルッヘ、1494)の「祈るキリスト」


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次の部屋です。


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第17室


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ヤン・ファン・スコーレル(オランダ、スコーレル、1495-オランダ、ユトレヒト、1592)の「聖家族」


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16世紀のフランドルの逸名画家作「ラファエロ作『ヴェロの聖母』のコピー画」


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ヤン・マサイス(アンヴェルサ、1509c-1575c)の「聖母子」


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小さな肖像画


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コルネイユ・デ・リオン(オランダ、デン・ハーグ、1500-フランス、リオン、1575)の「男の肖像」


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ヤン・マサイス(アンヴェルサ、1509c-1575c)の「La Carita」


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ピーテル・アールツェン(アムステルダム、1508-1575)の「女料理人」(1559)


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ヨアヒム・ブーケラ―ル(アンヴェルサ、1533c-1574c)の「市場」


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ピーテル・クック・ファン・アールスト(ベルギー、アールスト、1502-ブリュッセル、1550)の「マギの礼拝と受胎告知とエジプトへの逃避途中の休息のトリッティコ」


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次の部屋です。


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第18室


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ジャコモ・レージ(リエージ?、1600c-ミラノ、1640)の「市場」


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ヤン・ルース(アンヴェルサ、1591-ジェノヴァ、1638)の「果物と野菜の静物画」


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ヤン・ルース(アンヴェルサ、1591-ジェノヴァ、1638)の「シーレーノス(森の神)の収穫」


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アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599-ロンドン、1641)の「ヴェルトゥム(豊穣の神)とポモーナ」


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ピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ、ジーゲン、1577-アンヴェルサ、1640)の「ヴィーナスとマルス」


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ギリアム・ヴァン・デイネン(アンヴェルサ、1575-ブリュッセル、1618以降没)の「ジェノヴァの貴婦人の肖像」
(つづく)

P1880120
次の部屋です。


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第10室は廊下です。


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ジュリオ・ベンソ(ピエーヴェ・ディ・テーコ、1592‐1668)の「カルヴァリオへの上り」


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ジュリオ・ベンソ(ピエーヴェ・ディ・テーコ、1592‐1668)の「キリストのエルサレム入城」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐1680)の「聖シーロとバジリスク(蛇の王とされる架空の動物)」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603‐1680)の「聖シーロとバジリスク」


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次の部屋です。


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第11室


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ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「公正の寓意」


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ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「聖ヴァレリアーノと聖ティブルツィオの首を持つ聖チェチリア」
ベルナルドが描く、独特の女性の顔です。少しアホ気に見える?


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ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「天上の聖テレーザ」


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ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


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ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「音楽」
例の表情、顔つきです。


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ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「音楽の寓意」


P1880157
ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「聖母子と聖人たち(聖フランチェスコ、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖カルロ・ボッロメオ、特定できない聖人)」
私にはアレッサンドリアの聖カテリーナが描かれているのか、よく分かりません。


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シニバルド・スコルツァ(ヴォルタッジョ、1589‐ジェノヴァ、1631)の「風景画」


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シニバルド・スコルツァ(ヴォルタッジョ、1589‐ジェノヴァ、1631)の「羊飼い」


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アントニオ・トラーヴィ通称イル・セストーリ(セストーリ・ポネンテ、1608‐1665)の「井戸のレベッカ」


P1880167
アントニオ・トラーヴィ通称イル・セストーリ(セストーリ・ポネンテ、1608‐1665)の「猟師がいる廃墟の風景」


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アントニオ・トラーヴィ通称イル・セストーリ(セストーリ・ポネンテ、1608‐1665)の「羊飼いの礼拝」


P1880172
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1608/1610-マントヴァ,1663/1665)の「ノエの犠牲」


P1880174
アントン・マリア・ヴァッサッーロ(ジェノヴァ、1617/1618-ミラノ、1660)の「エジプトへの逃避」


P1880176
アントン・マリア・ヴァッサッーロ(ジェノヴァ、1617/1618-ミラノ、1660)の「神話のシーン」


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次は第12室です。


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ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「聖ステファノの殉教」


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ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「燃える髪のセルウィウス・トゥッリウス」
セルウィウス・トゥッリウスは王政ローマ時代の第6代王で、燃える髪の伝説があります。


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ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「荊刑のキリスト」


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ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「聖フランチェスコと音楽天使」


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ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「小カト―の自死」
マルクス・ポルキウス・カトー・ウティケンシス(紀元前95-紀元前46)は、元老院派の中心人物で、反元老院のカエサルの政敵でした。
有名な紀元前46年のタプススの戦いによって、元老院派はカエサル軍に敗れ、勝利したカエサルは小カト―に降伏を迫りましたが、小カト―はこれを拒否して刀剣を自分の身体に突き刺しました。それを見ていた小カト―の奴隷は、小カト―を介抱し医者を呼んで傷口を縫合させますが、やがて一人になった小カト―は傷口を開いて、腸を引き出して自死したのです。
絵画の鑑賞は、その絵画が意味することを知ることが前提となります。


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ジョアッキーノ・アッセレート(ジェノヴァ、1600-1649)の「法悦の聖フランチェスコ」


P1880203
シルヴェストロ・キエーザ(ジェノヴァ、1623-1657)の「ライ病の子供を治すベアート・ジョアッキーノ・ピッコロミーニ」


P1880209
次の部屋です。


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第14室になります。
西洋では13は忌避されている数字のせいでしょうか、第13室が欠番になっている博物館、美術館、ホテルなどがあります。白の宮殿美術館では第13室が見当たりません。


P1880179
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1608/1610-マントヴァ、1663/1665)の「動物の習作」


P1880181
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1608/1610-マントヴァ、1663/1665)の「動物の習作」


P1880211
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603-パロディ・リグーレ、1683/1684)の「トビアスの魚」


P1880214
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603-パロディ・リグーレ、1683/1684)の「音楽天使」


P1880217
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603-パロディ・リグーレ、1683/1684)の「天上の聖女たち」


P1880220
ジョヴァンニ・バッティスタ・カルローネ(ジェノヴァ、1603-パロディ・リグーレ、1683/1684)の「父タビトの目を治すトビアス」


P1880223
アントン・マリア・ヴァッサッーロ(ジェノヴァ、1617/1618-ミラノ、1660)の「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


P1880226
オラツィオ・デ・フェラーリ(ヴォルトリ、1605-ジェノヴァ、1657)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


P1880229
オラツィオ・デ・フェラーリ(ヴォルトリ、1605-ジェノヴァ、1657)の「盲人の治療」


P1880232
オラツィオ・デ・フェラーリ(ヴォルトリ、1605-ジェノヴァ、1657)の「キリストと姦通女」


P1880235
アントン・マリア・ヴァッサッーロ(ジェノヴァ、1617/1618-ミラノ、1660)の「静物画」
(つづく)

P1880033
次は白の宮殿です。


P1880721
白の宮殿は、道路を挟んで、赤の宮殿の斜め向かいにあります。


P1880763
10年ほど前は、もう少し白かったと思いますが、この辺は修復の際の外壁の磨き方と関係があるのかも知れません。
白の宮殿は、1530年から1540年にかけて、ジェノヴァ有数の貴族だったルーカ・グリマルディによって建設された邸宅です。
その後、1658年と1711年に、所有者が変わりました。


P1880025
この絵画は、マッテオ・ピカッソによって描かれた「マリーア・ブリニョーレ=サーレ・ダ・フェラーリ(ジェノヴァ、1811‐パリ、1888)の肖像」(1829)ですが、マリーアはブリニョーレ=サーレ公爵夫人で、同家最後の相続人でした。マリーアは赤の宮殿で生まれました。
マリーアの遺言によって、マリアの死後、白の宮殿と宮殿にあった全てのものがジェノヴァ市当局に遺贈されました。
なお、マリーアの肖像画は赤の宮殿にあります。また、赤の宮殿と宮殿内にあったものは、マリーアによって生前にジェノヴァ市当局に寄贈されたのです。


P1870440
1892年、白の宮殿は美術館として一般公開されるようになりました。
白の宮殿美術館は通称で、正式名称はGalleria di Brignole-Sale de Ferrariと言います。


P1870439
ストラーダ・ヌオーヴァ美術館は、赤の宮殿、白の宮殿、トゥルシ宮の3つから成りますが、展示されている作品の質と言う点では、この白の宮殿が最も勝ると思います。


P1880038
入館しました。
ピエッレ・フランクゥエヴィッレ通称ピエトロ・フランカヴィッラ(フランス・カンブレ―、1553‐パリ、1615)の「ユピテル」


P1880040
詳細不明


P1880042
最初の展示室にある作品です。
ランベルト・サストリス(アムステルダム、1515c‐1584)の「ピエタと天使たち」


P1880045
パオロ・カリアーリ通称イル・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1528‐ヴェネツィア、1588)の「磔刑」


P1880048
次の展示室に移動しました。


P1880047
部屋によって、このような表示があります。展示室番号の表示はあったりなかったりです。


P1880050
ヤコポ・ニグレティ通称パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548‐1628)の「キリストとサマリア女」


P1880053
ヤコポ・ニグレティ通称パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1548‐1628)の「キリストと姦通女」


P1880056
パオロ・カリアーリ通称パオロ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1528‐ヴェネツィア、1588)の「スザンナの水浴」


P1880058
アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称イル・モレット(ブレーシャ、1498‐1554)の「聖母子」
作品を一瞥しただけでモレットの作品と分かります。モレットらしさ?が非常に出ています。


P1880063
次の部屋です。


P1880062
第8室になります。
この部屋まで7つの部屋があったとは思えません。恐らく5室ほど閉鎖されていたのではないでしょうか?


P1880064
カラヴァッジョの作品が目立ちます。


P1880067
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ通称イル・カラヴァッジョ(ミラノ、1571‐ポルト・エルコレ、1610)の「この人を見よ」


P1880065
日本に来ていましたね。


P1880072
ピエル・フランチェスコ・マッツゥッケッリ通称モラッツォーネ(モラッツォーネ、1573‐ピアチェンツァ?、1626)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


P1880077
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「砂漠の聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


P1880080
ジョヴァン・バッティスタ・クレスピ通称イル・チェラーノ(チェラーノ、1565/1570-ミラノ、1632)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


P1880087
ヘンデリック・ファン・ソマー(ベルギー・ローケレン、1607-ナポリ、1656)の「聖ジローラモ」


P1880091
ルチアーノ・ボルツォーネ(ジェノヴァ、1590-1645)の「キリストの洗礼」


P1880094
マティアス・ストーマ―(オランダ・アメルスフォールト、1600-シチリア、1655没)の「サロメ」


P1880098
ジュゼッペ・ヴェルミーリオ(アレッサンドリア、1585c-1635c)の「イサクの犠牲」


P1880100
次の部屋に、このような説明プレートがありますが、展示されているのは1作品だけです。


P1880102
ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527-エル・エスコリアル、1585)の「父の肖像画を描く自画像」


P1880104
1階(日本の2階)の展示が終わりです。


P1880105
一旦、1階のテラスに出て一休みしました。小雨が止んでいました。


P1880106
道路を挟んで、向かいに建つ赤の宮殿です。


P1880108
2階(日本の3階)の展示室に向かいました。


P1880109
階段の先にフィリッピーノ・リッピの作品が見えます。


P1880111
フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457-フィレンツェ、1504)の「フランチェスコ・ロメッリーニの祭壇画」


P1880112
聖母子と2天使


P1880114
聖セバスティアーノと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖フランチェスコ


P1880116


P1880118


P1880119
(つづく)

P1870945
次の部屋です。絵画作品の展示がありません。


P1870943
第22室になります。


P1870946
天井のフレスコ画は地元ジェノヴァの画家ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)によって描かれました。


P1870944
この銘板が助かります。


P1870947
次は第23室と表記されてますが、ベランダの通路です。


P1870949
見所は、パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)によって描かれたフレスコ画です。


P1870948
パオロ・ジローラモ・ピオラはドメニコ・ピオラの息子です。


P1870953
次の部屋です。


P1870950
第24室になります。


P1870952
天井のフレスコ画は、ジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1639‐1697)によって描かれました。


P1870954
壁のフレスコ画は、インぺリアーレ・ボッティーノ(ポルト・マウリツィオ、1689‐1725活動)によって描かれました。


P1870955
壁の油彩画はジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1639‐1697)の作品ですが、画題が分かりません。


P1870956
壁の油彩画はジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1639‐1697)の作品(画題不明)


P1870958
赤の宮殿内の礼拝堂です。


P1870959
礼拝堂のフレスコ画はドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)によって描かれました。


P1870970
次の部屋です。部屋番号が表示されてません。


P1870960
ジョヴァンニ・バッティスタ・キアッペ(ノーヴィ・リグーレ、1721 o 1722-1766)の「リドルフォ・ブリニョーレ=サーレの肖像」
リドルフォは、1762年から1764年までジェノヴァ総督を務めました。


P1870962
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「グロッポーリの風景」


P1870964
ヤコポ・アントニオ・ボーニ(ボローニャ、1688‐ジェノヴァ、1766)の「ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブリニョーレ=サーレの肖像」
ジョヴァンニ・フランチェスコは、1635年から1637年までジェノヴァ総督の地位にありました。


P1870968
ヤコポ・アントニオ・ボーニ(ボローニャ、1688‐ジェノヴァ、1766)の「ジョヴァンニ・フランチェスコ2世・ブリニョーレ=サーレの肖像」
ジョヴァンニ・フランチェスコ2世は、1746年から1748年までジェノヴァ総督でした。


P1870972
16世紀のヴェネトの逸名画家作「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


P1870975
ヴェネツィアの逸名画家作「紳士の肖像」(16世紀末‐17世紀初頭)


P1870978
ヴェネツィア派逸名画家作「聖会話」(16世紀末‐17世紀初頭)


P1870981
17世紀のフランスの逸名画家作「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」


P1870985
ヴァレンティン・ルフェーブル(ブリュッセル、1642‐1680c)に帰属する「聖ジュスティーナの殉教」


P1870989
18世紀の逸名画家作「レオナルド・ダ・ヴィンチ作『聖ジョヴァンニ・バッティスタ』の複製画」


P1870991
ラッザーロ・カルヴィ(ジェノヴァ、1512‐1587?)の「聖母子と聖フランチェスコ」


P1870995
ベルナルド・カステッロ(ジェノヴァ、1557‐1629)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


P1870999
チェーザレ・コルテ(ジェノヴァ、1550‐1613)の「聖母子」


P1880003
ウスタシュ・ル・スュール(パリ、1617‐1655)の「魚の肝を焼くトビアス」


P1880006
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「池と森がある風景」


P1880009
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「湖の風景」


P1880011
シジスモンド・ベッティ(フィレンツェ、1699‐1765)の「リドルフォ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1739)


P1880014
アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1808)の「アンナ・ピエーリ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1792)


P1880017
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「田園の風景」


P1880019
シジスモンド・ベッティ(フィレンツェ、1699‐1765)の「ベッリ―ナ・ロメッリーニ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1739)


P1880021
アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1808)の「駐イタリアのスェーデン大使ゲオルグ・ワンゲルの肖像」(1792)


P1880023
第29室の展示は1作品だけです。


P1880025
マッテオ・ピカッソ(レッコ、1794‐ジェノヴァ、1879)の「マリーア・ブリニョーレ=サーレ・デ・フェラーリの肖像」(1829)


P1880027
以上で終わりです。
グイド・レーニ、グエルチーノのボローニャ派絵画が良いと思いました。


P1880029
外に出て、白の宮殿に向かいました。
これで赤の宮殿を終わり、白の宮殿に続きます。

第33室の続きです。
P1870857
トマーゾ・オルソリーノ(ランポニオ、1587?‐ジェノヴァ、1675)の「イルカとプット」


P1870859
詳細不明の燭台


P1870861
詳細不明


P1870863
詳細不明


P1870864
トマーゾ・オルソリーノ(ランポニオ、1587?‐ジェノヴァ、1675)の「イルカとプット」


P1870869
次の部屋です。


P1870866
第33室の隣が第19室なので、当惑しました。


P1870868
天井のフレスコ画はグレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1726)によって制作されました。


P1870873


P1870867


P1870871
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「十字架を担ぐキリスト」


P1870875
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「アントン・ジュリオ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1627)



P1870878
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「パオラ・アドルノ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1627)


P1870880
次の部屋に移動しました。この部屋で始めて入館者を見かけることが出来ました。
展示室番号が未表示でしたが、この部屋の隣両室が第19室、第21室なので、この部屋は第20室と判断するのが至当でしょう。


P1870881
天井のフレスコ画はグレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1726)の作品です。


P1870883
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1726)の「天上フレスコの下絵」


P1870886
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「ジェロニーマ・サーレ=ブリニョーレとその娘アウレリアの肖像」(1627)


P1870889
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「モネタのキリスト」


P1870891
詳細不明


P1870893
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「プッチ家の紳士とその息子の肖像」


P1870896
アントン・ヴァン・ダイク(アンヴェルサ、1599‐ロンドン、1641)の「フィリッポ・スピノーラ・ディ・タッサローロの肖像」


P1870900
次の部屋です。


P1870898
第21室


P1870901
天井フレスコ画はドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)によって描かれました。


P1870899


P1870903
プロスペーロ・フォンターナ(ボローニャ、1512‐1597)の「ジョヴァン・マリア・チオッキ・デル・モンテ枢機卿の肖像」
教皇ジュリオ3世の枢機卿時代の肖像画です。


P1870906
16世紀の逸名画家作「ティツィアーノ作『スペイン王フィリッポ2世の肖像』の複製画」


P1870909
ヤコポ・ダ・ポンテ通称バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1510‐1592)とバッサーノ工房の「火の寓意」


P1870912
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609‐マントヴァ、1644)の「アブラハム一家の旅」


P1870915
グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「福音書記者聖マルコ」


P1870919
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581/1582-ヴェネツィア、1644)の「磔刑像を崇める聖フランチェスコ」


P1870921
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の聖母子と聖ジョヴァンニーノと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖バルトロメオ」(1661)


P1870924
ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ通称イル・バチッチョ(ジェノヴァ、1639-ローマ、1709)の「幼きキリスト」


P1870928
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「祈る聖母」


P1870931
ジローラモ・ダ・ポンテ通称ジローラモ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1566-ヴェネツィア、1621)の「羊飼いの礼拝」


P1870934
ボニファチョ・デ・ピターティ通称ボニファチョ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1487c-ヴェネツィア、1553)の「マギの礼拝」


P1870936
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「救世主キリスト」


P1870941
ヤコポ・ロブスティ通称ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1519-1594)の枠組みの「男の肖像」
(つづく)

P1870795
次の展示室に移動します。


P1870796
第16室になります。


P1870797
コルネリス・デ・ワール(アンヴェルサ、1592‐ローマ、1667)の「小銃を持った歩兵と騎兵の戦闘」


P1870801
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「9月 狩猟」


P1870804
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「6月 池」


P1870808
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「7月 草刈」(1614)


P1870810
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「8月 収穫」
1階(日本の2階)の展示はこれで終わりです。


P1870813
2階(日本の3階)に向かいます。


P1870820
階段の左右の壁に作品が展示されてます。


P1870818


P1870814
ピエトロ・パルトロニエーリ(ミランドラ、1673‐1741)の「遺跡」
ミランドラはエミリア・ロマーニャ州モデナ県にあるコムーネです。


P1870816
ピエトロ・パルトロニエーリ(ミランドラ、1673‐1741)の「古い教会」


P1870819
階段踊り場にある彫刻(詳細不明)


P1870821
ピエトロ・パルトロニエーリ(ミランドラ、1673‐1741)の「廃墟」


P1870823
ピエトロ・パルトロニエーリ(ミランドラ、1673‐1741)の「川辺の廃墟」


P1870825
2階(日本の3階)の最初の展示室です。


P1870831
部屋番号は一挙に飛んで第31室です。同じフロアに第21室があるので、戸惑います。この辺はイタリア流と割り切ってあまり気にしないことです。


P1870826
天井のフレスコ画(詳細不明)


P1870828
詳細不明の3点の作品が展示されてます。


P1870829
作品の説明板がありません。


P1870830


P1870832
次の部屋に進みます。写っているのは係員です。


P1870833
第32室です。


P1870835
調度品を含めて部屋の設計はドメニコ・パローティによるもの(1735c)です。


P1870836


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ジャコモ・ボーニによって描かれたフレスコ画


P1870838
天井のフレスコ画


P1870834
これがあるので助かります。


P1870839
イアサント・リゴー(フランス・ペルピニャン、1659‐パリ、1743)の「バッティ―ナ・レッジ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1739)


P1870841
イアサント・リゴー(フランス・ペルピニャン、1659‐パリ、1743)の「ジョヴァンニ・フランチェスコ2世ブリニョーレ=サーレの肖像」(1739)


P1870845
次の部屋です。


P1870843
第33室です。


P1870846
床の装飾


P1870847
ドメニコ・パローディの天井フレスコ画


P1870848
バルトロメオ・グイドボーノによる壁のフレスコ画


P1870850


P1870844
これによって制作者が分かります。
しかし、次の3点の絵画が分かりません。


P1870851
説明板がありません。


P1870852
詳細不明


P1870853
詳細不明


P1870854
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1726)の「アポロの勝利」
(つづく)

P1870674
次の展示室です。


P1870673
第11室


P1870675
アゴスティーノ・ブオナミーチ通称アゴスティーノ・タッシ(ペルージャ、1566c‐ローマ、1644)の「聖オルソーラの乗船」


P1870680
オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563‐ロンドン、1639)の「聖母子」
アゴスティーノ・タッシの作品の横にわざわざオラツィオ・ジェンティレスキの作品を並べるとは、驚きを禁じえません。
アゴスティーノ・タッシとオラツィオ・ジェンティレスキは互いに親友でした。オラツィオがロンドンに旅発つ前に、娘アルテミジアをアゴスティーノに託したのです。アゴスティーノは、アルテミジアに熱心に絵を教えるうちに、アルテミジアを強姦したのです。それを知った父オラツィオは烈火のごとく怒り、アゴスティーノを強姦罪で訴え、アゴスティーノは有罪となりました。
アルテミジア・ジェンティレスキは女流画家として大成し、現在ではカラヴァッジェスキ画家の第一人者と言われてます。


P2840464
参考までにアルテミジア・ジェンティレスキの傑作「ホロフェルネスの首を斬るユディト」を載せておきましょう。(ウフィツィ美術館にあります)
アゴスティーノを終生恨んだアルテミジアは、ホロフェルネスの顔として師匠アゴスティーノ・タッシの顔を描いたと言われてます。
少し脱線しました。元に戻りましょう。


P1870684
ジョヴァンニ・ランフランコ(テレンツォ、1582‐ローマ、1647)の「キリストの復活」


P1870686
ジョヴァンニ・バッティスタ・ベイナスキ(フォッサーノ、1636‐ナポリ、1688)の「聖ピエトロ」


P1870691
ジョヴァンニ・アントニオ・ガッリ通称ロ・スパダリーノ(?、1580c‐ローマ、1650以降没)の「聖フランチェスカ・ロマーナ」


P1870694
ガスパール・デュゲ(ローマ、1615‐1675)の「風景」


P1870698
ルイージ・ミラドーリ通称イル・ジェノヴェスィーノ(ジェノヴァ、1605c‐クレモナ、1656c)の「リュート奏者」


P1870700
目線の先に作品が置かれているので非常に見易い。
それにしても入館者が少な過ぎです。


P1870702
アレッサンドロ・マッティア・ダ・ファルネーゼ(ファルネーゼ、1635‐1679以降没)の「ペスト患者を治癒させる聖ロッコ」


P1870713
次の展示室です。


P1870704
第12室


P1870707
カルロ・ドルチ(フィレンツェ、1616‐1686)の「ゲッセマネ園の祈り」


P1870709
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1605‐ローマ、1685)の「聖母子」


P1870714
絵画の方はジャチント・ブランディ(ポル、1621‐ローマ、1691)の「聖ジローラモ」ですが、それ以外は不明です。


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アンドレア・サッキ(ネットゥーノ、1599‐ローマ、1661)の「ダイダロスとイカロス」


P1870723
カルロ・マラッティ(カメラーノ、1625‐ローマ、1713)の「エジプトへの逃避途中の休息」(1680)


P1870726
ジェイコブ・フェルディナンド・フート(アンヴェルサ、1639‐パリ?、1700)の「貴婦人の肖像」


P1870730
17世紀後半のローマの逸名画家作「紳士の肖像」


P1870732
次は第13室です。


P1870734
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(ベルギー・トゥルネ、1400c‐ブリュッセル、1464)作の「十字架降下」の複製画


P1870738
ヨース・ファン・クレーフェ(アンヴェルサ、1485c‐1540)の枠組みの「悔悛の聖ジローラモ」


P1870742
フランス・ポルビュス・イル・ヴェッキオ(ブルージュ、1545‐アンヴェルサ、1581)の「Viglius Von Ayttaの肖像」


P1870746
アルブレヒト・デューラー(ニュルンベルク、1471‐1528)の「若い男の肖像」(1506)


P1870749
ウィレム・キー(オランダ・ブレダ、1510/1520「アンヴェルサ、1568)?の「女性の肖像」


P1870753
ヘラルト・ダヴィド(オランダ・アウデワーテル、1460c-ベルギー・ブルッヘ、1523)の「聖母子とミルク粥」
彼の代表作です。


P1870755
ヤン・サンダース・ファン・ヘメッセン(ベルギー・ヘーミクセム、1500c-オランダ・ハールレム、1565c)の「祈る聖ジローラモ」


P1870759
次は第14室です。


P1870762
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「1月 スケートをする人々」


P1870764
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「4月」


P1870768
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「5月」


P1870772
アルバート・カイプ(オランダ・ドルトレヒト、1620-1691)の「兎がいる風景」(1689)


P1870776
アブラハム・テニールス(アンヴェルサ、1629-1670)の「パイプ煙草に火を点ける男」


P1870779
アブラハム・テニールス(アンヴェルサ、1629-1670)の「オステリアの光景」


P1870782
ヘンドリック・アーフェルカンプ(アムステルダム、1585-オランダ・カンペン、1634)の「冬の遊びの光景」


P1870785
へンドリック・アーフェルカンプ(アムステルダム、1585-オランダ・カンペン、1634)の「氷上で遊ぶ光景」


P1870787
次は第15室です。


P1870789
Jan Wildens (Anversa, 1586-1653)の「11月 海」


P1870793
階段が邪魔です。


P1870792
ジャン・ルース(アンヴェルサ、1591-ジェノヴァ、1638)の「羊飼い」
(つづく)

P1870559
第5室です。


P1870562
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「小カト(マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス)の自死」(1641)
この作品は、小カトの人となり生涯を知らないと意味が分からないと思います。カエサルが小カトに降伏を迫りましたが、小カトはそれを拒否して自死を選びました。
小カトがいるのですから、大カトも当然いました。小カトは大カトの曾孫でした。
小カトは歴史上の有名な人物です。ご興味のある方は「小カト」を検索すれば、すぐに出てくると思います。


P1870566
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)とバルトロメオ・ジェンナーリ(チェント、1594‐ボローニャ、1661)の「寺院から商人たちを追放するキリスト」


P1870570
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「永遠の父と天使」(1620)


P1870574
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「クレオパトラの死」(1648)


P1870576
次は第6室です。


P1870579
マッティア・プレティー(タヴェルナ、1613‐マルタ・ヴァレッタ、1699)の「使徒たちの不信」


P1870581
キャビネット(詳細不明)


P1870583
マッティア・プレティー(タヴェルナ、1613‐マルタ・ヴァレッタ、1699)の「ラザロの蘇生」


P1870587
マッティア・プレティー(タヴェルナ、1613‐マルタ・ヴァレッタ、1699)の「オリンドとソフロニアを救出するクロリンダ」
この作品もクロリンダの逸話を知らないと理解が難しいでしょう。ドラクロアが描いた同じ主題の傑作が有名です。


Delacroix98
ドラクロワの「オリンドとスフロニアを救出するクロリンダ」
ご参考までにドラクロワの傑作(ミュンヘン、ノイエ・ピナコテーク所蔵)画像を載せておきます。


P1870592
フランチェスコ・フラカンツァーノ(モノポーリ、1612‐ナポリ、1656)の「音楽家の肖像」


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ベルナルド・ストロッツィの作品が並んでいる第7室です。


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P1870596
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「授乳の聖母と天使たち」


P1870600
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「聖パオロ」


P1870603
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


P1870607
ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527‐エル・エスコリアル、1585)の「聖母子と聖アンナと聖ジョヴァンニーノ」


P1870612
ルーカ・カンビアーソ(モネーリア、1527‐エル・エスコリアル、1585)の「十字架降下」


P1870616
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「聖フランチェスコ」


P1870621
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「聖トッマーゾの不信」


P1870625
ベルナルド・ストロッツィ(ジェノヴァ、1581‐ヴェネツィア、1644)の「女料理人」
ベルナルドの代表作です。


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第8室は、ベランダ兼通路で、作品が展示されてません。


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次の展示室です。


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第9室


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シニバルド・スコルツァ(ヴァルタッジョ、1589‐ジェノヴァ、1631)の「ノエの犠牲」


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ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609‐マントヴァ、1664)の「ノアの箱舟に乗船する動物たち」


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シニバルド・スコルツァ(ヴォルタッジョ、1589‐ジェノヴァ、1631)の「ロトのアブラハムの別れ」


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ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609‐マントヴァ、1664)の「磔刑」


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ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609‐マントヴァ、1664)の「ご誕生」


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ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609‐マントヴァ、1664)の「羊の逃走」


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次の部屋です。


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第10室


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ドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の「アブラハム一家」


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ペッレグリーノ・ピオラ通称イル・ペッレグロ(ジェノヴァ、1617‐1640)の「聖バルバラ」


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ペッレグリーノ・ピオラ通称イル・ペッレグロ(ジェノヴァ、1617‐1640)の「ファルファッラの聖家族」


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ジョヴァンニ・ベルナルド・カルボーネ(ジェノヴァ、1616‐1683)の「眠る幼きキリスト」
(つづく)

P1880754
ジェノヴァ貴族の邸宅が建ち並ぶジェノヴァのガリバルディ通りです。


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ストラーダ・ヌオーヴァ美術館はガリバルディ通りにあります。美術館は赤の宮殿、白の宮殿、トゥルシ宮の3つの建物にあります。


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赤の宮殿 Palazzo Rosso o Palazzo di Ridolfo e Gio Francesco Brignole


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白の宮殿 Palazzo Bianco o Palazzo di Luca Grimani


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トゥルシ宮 Palazzo Tursi o Palazzo di Nicolo Grimardi


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美術館の切符売り場はガリバルディ通りに面したトゥルシ宮にあります。


P1880723
3つの宮殿の展示作品数が多く、ストラーダ・ヌオーヴァ美術館を一括して紹介するよりもパラッツォ毎に取り上げた方が良いと思います。
と言うことで最初に赤の宮殿を取り上げることにします。
赤の宮殿ですが、17世紀後半にジェノヴァ貴族ブリニョーレ・サーレ家が同家邸宅として建設しました。1874年、同家が収集した美術品と共に建物をジェノヴァ市に寄贈しました。その後、美術館として一般公開されるようになりました。


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赤の宮殿に入館しました。


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階段踊り場に置かれた彫刻(詳細不明)


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展示室は1階(日本の2階)です。


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非常に見易く展示されてます。


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パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「聖家族と聖ジローラモとアレッサンドリアの聖カテリーナと天使」


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パオロ・カリアーリ通称イル・ヴェロネーゼ(パオロ・ヴェロネーゼ)(ヴェローナ、1528‐ヴェネツィア、1588)の「ユディト」


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ヤコポ・ダ・ポンテ通称ヤコポ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1517‐1592)の「獄中の聖ジローラモ・エミリア―ニ」


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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ通称モレット(ブレーシャ、1498‐1554)の「ピエトロ・アンドレア・マッティオーリの肖像」


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パッラージョ・ミキエルまたはミケーレ(ヴェネツィアで1547‐1578知らせ)の「女性の肖像」


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パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「男の肖像」


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パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「高齢の男の肖像」


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パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「若い男の肖像」


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次の展示室です。


P1870479
フランチェスコ・ブレア(ニッツァ、1512‐1555記録)の「聖マリア・マッダレーナと2聖女」
聖女2人は特定されてません。


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フランチェスコ・ブレア(ニッツァ、1512‐1555記録)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖ザッカリアと聖女」


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アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474‐1552)に帰属する「男の肖像」


P1870489
べンヴェヌート・ティーズィ通称イル・ガロファロ(フェラーラ、1481‐1559)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノと聖人」


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プロスペーロ・フォンターナ(ボローニャ、1512‐1597)に帰属する「聖家族と2聖人」


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ベルナルディーノ・リチーニオ(ヴェネツィア、1485‐1550c)の「フランチェスコ・フィレットの肖像」


P1870499
ヤコポ・ネグレッティ通称パルマ・イル・ヴェッキオ(セリーナ、1480c‐ヴェネツィア、1528)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖マリア・マッダレーナ」


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16世紀前半のトスカーナの逸名画家による「アンドレア・デル・サルト作『聖家族と聖アンナと聖ジョヴァンニーノ』の複製画」


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ミケーレ・ディ・ジョヴァンニ・ボーノ通称ジャンボノ(トレヴィーゾ、?‐ヴェネツィア、1420‐1462知らせ)の「ピサネッロ?の肖像」


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16世紀初めのトスカーナの逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ピエトロ・ボナッコルシ通称ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501‐ローマ、1547)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


P1870518
次の展示室です。


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第4室


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ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノと聖エリザベッタ」


P1870525
ルドヴィーコ・カラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「受胎告知」


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シスト・バダロッキオ(パルマ、1585‐ボローニャ、1647?)の「カルヴァリオへの上り」


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「聖セバスティアーノ」


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アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577‐1668)の「十字架像の前の3修道士」


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ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「聖トッマーゾ・アポストロ」


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ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「聖マッテオ・アポストロ」


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ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「聖シモーネ・アポストロ」(1621)


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ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「聖パオロ」(1621)


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ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「聖母子」
(つづく)

ジェノヴァは、人口578,924人(2018年3月31日現在)のリグーリア州の州都であり、ジェノヴァ県の県都です。
P1890573
ジェノヴァPP駅に到着しました。


191
ジェノヴァPP駅の駅舎


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先ず、この日のお宿に向かいます。


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駅前広場に立つコロンブス像
ジェノヴァ出身ながらポルトガル、スペインのために働き、現地人を虐殺、虐待など悪行の限りを尽くしたコロンブスを称えるジェノヴァの人々に合点がいきません。


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この日のお宿です。
ジェノヴァに来れば、満室でない限り必ずここに泊まります。駅前にあり、何かと便利です。値段も手ごろでしょう。


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チェックインを済ませて、外に出たら雨模様。傘を取りに自室に戻りました。


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駅前から続くバルビ通りには、見どころが沢山あります。


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バルビ通りの左側は高台になってます。


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高台の入り口サンタ・ブリジーダ門


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バルビ通りに戻ると、直ぐに王宮が見えてきます。


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この日はMuseo Palazzo Realeに入館しませんでした。
この建物は、ジェノヴァの大貴族バルビ家の大邸宅でしたが、1830年頃にサヴォイア王室の住居として使用されたので王宮と呼ばれてます。


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王宮の向かいに教会があります。


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17世紀に建設されたサンティ・ヴィットーレ・エ・カルロ教会です。
美術的には駄作凡作しかないので、素通りしました。


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通称大学宮殿と言われている建物です。


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この日は扉が閉まっていました。


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この通りも面白いですが、道草は禁物です。


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最上階のロッジャが目立ちます。


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教会も併設しています。


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17世紀に建設されたPalazzo Gio Agostino Balbi


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Palazzo Gio Agostino Balbiの先に教会が見えてきました。


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サンティッシマ・アンヌンツィアータ・デル・ヴァスタート教会です。


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美術的には見所が多い教会と言えると思います。


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拝観を後回しにして先を急ぎました。


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教会前の広場です。「アンヌンツィアータ広場」と思っていたら、ヌンツィアータ広場なんですね。


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交通が激しい場所です。


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ナポリの船会社Flotta Lauroが所有していた建物なので、Palazzo Flotta Lauroと呼ばれていました。第二次世界大戦の爆撃によって完全に破壊されてしまい、戦後に元の形を忠実に再現する形で再建されました。
現在、Palazzo Nicolo Lomelliniと呼ばれてます。


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この日の目的はストラーダ・ヌオーヴァ美術館に入館することでした。


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パオロ・エミリオ・ベンサ通り


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雨の中、傘を差しながら写真を撮るのに難儀しました。


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右折します。


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Via Cairoli


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通りの名称が途中で変わりますが、この道を進めば美術館に出ます。


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ストラーダ・ヌオーヴァ美術館は、赤の宮殿、白の宮殿、トゥルシ宮の3つから成ってます。


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それら3つを一日で全部見ようとしています。尤も、この日は展示作品の写真を撮るのが目的で、鑑賞はこの日の2日後にやりました。


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展示作品の写真を撮ることと鑑賞は両立しません。


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美術館があるガリバルディ通りの入り口にやってきました。


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1536年から1554年に建設されたPalazzo Gerolamo Grimaldi


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1671年に建設されたPalazzo Gio Carlo Brignole


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ガリバルディ通りがジェノヴァ観光の中心でしょう。


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何度来ても飽きません。


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白の宮殿


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切符売り場はここにはありません。


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赤の宮殿


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道幅が狭いので、宮殿の全景がうまく撮れません。


P1870443
ストラーダ・ヌオーヴァ美術館の切符売り場
美術館については、後程詳しく触れます。
(つづく)

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次の部屋です。


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17世紀の無名画家作「聖ピエトロ」(17世紀初め)
個人寄贈


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17世紀の無名画家作「聖フランチェスコ」(17世紀初め)
個人寄贈


P1860367
無名画家作「聖ベネデット」(18世紀)
ヴァレーゼ・リグーレのサンティ・アントニオ・エ・ロッコ祈祷所にありました。


P1860369
無名彫刻家作「磔刑像」(18世紀後半?)
カルタぺスタのモナケ・カルメリターネ・デッラ・スペツィア修道院にありました。


P1860373
ミケランジェロ・ベルトロットまたはジャンロレンツォ・ベルトロットの「パドヴァの聖アントニオに顕現する聖家族」
ラ・スペツィアのサン・ヴィトー教会にありました。


P1860376
トスカーナの無名画家作「聖母子」(16世紀末‐17世紀初め)
個人寄贈


P1860379
ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェッラーリの「聖母の家族」
ラ・スペツィアのノストラ・シニョーラ・デッラ・サルーテ教会にありました。


P1860381
制作者不詳の「ロザリオの聖母のステンダリオ」(17世紀)
ラ・スペツィアのサンティ・ジョヴァンニ・エ・アゴスティーノ教会にありました。
ステンダリオですから裏面にも描かれてます。


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裏面です。


P1860386
制作者不詳の「ロザリオの聖母のステンダリオ」(17世紀)
ラ・スペツィアのサンティ・ジョヴァンニ・エ・アゴスティーノ教会にありました。


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その裏面の「死のシンボル」


P1860390


P1860391
マラリアーノ工房の「この人を見よ」
ヴァレーゼ・リグーレのアゴスティニアーネ修道院にありました。
個人所蔵の寄託展示です。


P1860394
祭壇前飾り
ヴァレーゼ・リグーレのアゴスティニアーネ修道院にありました。
個人所蔵の寄託展示です。


P1860396


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詳細不明


P1860398
詳細不明


P1860399
詳細不明


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詳細不明


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16世紀の無名工芸家作「聖体容器」


P1860403
18世紀のリグーリアの無名彫刻家作「聖母子」
ポルチョラスコのサン・ミケーレ教会にありました。


P1860406
17世紀の無名画家作「悔悛の聖ジローラモ」


P1860409
18世紀の無名画家作「聖ジュゼッペの死」
ラ・スペツィアのコムーネ所有


P1860411
制作者不詳のコレッジョ作品のコピー画


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ここから民族学博物館となります。そのような表示がありませんが、展示物から推察しました。


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こうして見ていくと、市立博物館と言っても良い展示内容です。


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新しい雰囲気の街並みのラ・スペツィアですが、文化を大切するという方向性はユニークな展示をする博物館を見れば分かります。


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キリがないので、この辺で終わることにします。


P1860571
(おわり)

P1860258
ラ・スペツィアの教区博物館です。


P1860259
この建物は15世紀に建設された旧サン・ベルナルディーノ祈祷所です。


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スペツィア=サルザーナ=ブルニャート司教区の教会、修道院などから集められた作品や聖具類などが主に展示されてます。
チンクエ・テッレも同司教区に属しています。


P1860429
Museo Etnografico(民族学博物館)も併設されてます。



P1860296
展示は主に1階と2階となります。


P1860290
14世紀の無名彫刻家作「聖母子」
ファビアーノ・アルトのサンタンドレア教会にありました。



P1860292
ピサの無名彫刻家作「聖母子」(14世紀)
マリナスコのサント・ステファノ教会にありました。


P1860295
Maestro delle Cinque Terre工房の「聖母子と二聖人のトリッティコ」(15世紀)
リオ・マッジョーレのサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会にありました。


P1860297
聖母子


P1860299
聖ロッコ


P1860302
聖セバスティアーノ


P1860305
ベルナルディーノ・デル・カステッレットの「キリストの洗礼」(1490‐1500c)
フォント―ナのサン・ミケーレ教区教会にありました。


P1860309
カルロ・ブラッチェスコの「聖エラーズモと聖ジローラモ」、「聖パンタレオと司教聖人」
レヴァントのサンタンドレア教会にありました。


P1860311
無名画家作「修道士聖人、聖バルバラ」(15世紀末‐16世紀初め)


P1860317
15世紀の無名画家作「聖ルチアと聖アントニオ・アバーテと聖ビアージョ」(15世紀)
レヴァントのサン・ピエトロ教区教会にありました。


P1860321
アントニオ・マリア・カルペニーノの「トレンティーノ聖二コラの栄光」(1539)
ラ・スペツィアの市庁舎にありました。


P1860324
ニコロ・ヴェスペシアーノの聖セバスティアーノと福音書記者聖ジョヴァンニと聖ロッコ」(16世紀)
キエーザヌオーヴァのサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会にありました。


P1860329
ジェノヴァの無名画家作「受胎告知」(16世紀末‐17世紀初め)
個人コレクションの寄贈



P1860333
ドメニコ・ベッカフーミ派?無名画家作「受胎告知」(15世紀)
個人コレクションの寄贈


P1860338
ヤコポ・スピノロットの「聖母子」(1474)
ラ・スペツィアのサン・ヴェネーリオ教会にありました。


P1860340
制作者不詳の「ジョヴァンニ・フランチェスコ・ポリアスカ司教の紋章」(16世紀)


P1860343
イギリスの無名彫刻家作「三位一体」(15世紀)
ヴァレーゼ・リグーレのサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会にありました。


P1860346
アントニオ・マリア・カルペニーノの「悔悛の聖ジローラモ」(16世紀)
ラ・スペツィアの市立図書館にありました。


P1860349
無名画家作「救世主キリスト」(16世紀)


P1860351
聖具類


P1860353
ジェノヴァの金工家作「洗礼者聖ジョヴァンニ」
リオ・マッジョーレのサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会にありました。


P1860355
ジェノヴァの金工家作「聖ロレンツォ」
マナローラのサン・ロレンツォ教区教会にありました。


P1860357


P1860358


P1860352
(つづく)

ポルト・ヴェーネレは、人口3,588人(2016年12月31日現在)のリグーリア州ラ・スペツィア県にあるコムーネです。ラ・スペツィア湾の突端にある美しいリゾート地です。
1483
ラ・スペツィアからバス乗車約30分でポルト・ヴェーネレに到着しました。


1485
とうとう小雨が降ってきました。



1486
2月の寒い日に小雨が追い打ちでした。


1488
ポルト・ヴェーネレに来るベストシーズンとは程遠いですが、観光客がいないオフシーズンの方が寛げます。


1489
誰もいない海


1490


1491
遠くに見えているのはサン・ロレンツォ教会です。


1493
活気がありません。それに静かです。



1494
湾の突端にあるサン・ピエトロ教会に行ってみることに。


1495
ヨットハーバーがあります。


1497
チンクエ・テッレを含めて、この辺の村は似たような景色をしています。


1499
高台にある砦はジェノヴァ共和国が築いたドーリア城です。


1500
門を潜ってチェントロに入りました。


1502
村の目抜き通りです。



1503
サン・ピエトロ教会です。



1508
5世紀創建、13世紀に完成したゴシック様式の教会です。14世紀までは教区教会でした。


1509
拝観しました。


1510
内部装飾はありません。


1506
教会からの眺めが最高と言われてますが、この天気では冴えません。


1511


1512
監視塔です。


1513


1514
波立っている所もありましたが、この日、海は和いでました。


1515


1516
寒くて敵わん。


1517
早々に退散することに。


1518
ここに来ることはもうないだろうと思って、振り返ってもう一度見ました。


1505
次はサン・ロレンツォ教会です。


1519
階段を上ればサン・ロレンツォ教会のファサード前に出ます。


1520
1098年創建、12世紀の完成したロマネスク様式のサン・ロレンツォ教区教会です。しかし、現在の教会の名称はSantuario della Madonna Biancaといいます。


1521
鐘楼とクーポラが少し新しく見えるのは、1493年の火災によって被害を受けたので、1582年に終わった大修復工事の際に再建されたからでしょう。


1522
教会から見下ろしました。


1523
残念ながら教会の扉が閉まっていました。


1524
寒くて大変なので下に引き上げてきました。


1525
天気が悪くてはどうにもなりません。


1526
このところ、同じ写真を2枚アップされてしまう不具合があり、その対策法がよく分かりません。お見苦しいですが、ご容赦を。
(おわり)

P1860252
印章博物館が置かれているパラッツォ・アルティの隣にアメデオ・リア市立美術館があります。


P1860253
アマデオ・リア市立博物館がある建物です。


P1860438
この建物は1616年に建設されたサン・フランチェスコ・ディ・パオラ修道院で、1798年に宗教活動を停止して軍事病院として使用され、後に市民病院となりました。
1914年には兵舎に転用されましたが、第二次世界大戦後は裁判所や市庁舎として使用されてきました。


P1860430
1990年台の初めに、市立美術館として使用することが決定され、修復改造工事が行われ、1996年に市立美術館がオープンしました。


P1860436
入館しました。
展示作品の中心は、ラ・スペツィアのアメデオ・リアが生前に個人収集した物です。それらはアメデオの死後、遺族によって市当局に寄贈されました。


P1860432
全部で13の展示室があり、その他に特別展示を行う部屋があります。


P1860433
この美術館に入館するのは、この日で3回目でしたが、館内は3回とも写真不可でした。


P1860434
今日現在で、美術館HPを見ると、ノーフラッシュならば写真OKとなっているようです。


P1860435
この美術館は見逃せない佳作秀作があるので、私の写真がないことを理由にスルーするわけに行かないので、美術館のHPから拝借した作品画像を使用して紹介させて頂きたく存じます。
また、私がラ・スペツィアに再訪する機会はもうないだろうと思っていることも、その理由です。
以下の作品画像全ては美術館のHPから拝借したものです。


1
マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「聖母子と聖人たち」(15世紀末)


2
ビッチ・ディ・ロレンツォの「聖ジローラモ」(1433)


3
ベネデット・ベンボの「ウミルタの聖母と音楽天使たち」(15世紀末)


4
ジョヴァンニ・マツォーネの「トレンティーノの聖二コラ」(1470‐80c)


5
アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニの「悔悛の聖ジローラモ」(15世紀末)


6
ジャンピエトリーノの「聖母子」(15世紀末)


7
セバスティアーノ・デル・ピオンボの「アドーネの誕生」(1510c)


8
セバスティアーノ・デル・ピオンボの「アドーネの死」


9
ティントレットの「嘆き」(1555‐56)


10
ティツィアーノの「男の肖像」(1510c)


11
ジョヴァンニ・バッティスタ・モローニの「女の肖像」(16世紀後半)


12
ポントルモの「自画像」(1520c)


13
ルーカス・クラナッハ・イル・ヴェッキオの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1530‐40c)


14
サルヴァトール・ローザの「ロットと娘」(17世紀)


15
ピエトロ・デッラ・ヴェッキアの「モーゼ」(17世紀後半)


16
カラヴァッジェスキ無名画家の「聖ジローラモ」(17世紀)


17
エルマンノ・ストロイフィの「バッカスとアリアンナ」(17世紀)


18
モンス・デシデリオの「ご誕生」(17世紀)


19
モンス・デシデリオの「エジプトへの逃避」(17世紀)


20
ベルナルド・べロットの「サン・マルコ広場の風景」


21
カナレットの「ラグーナの風景」


22
シモーネ・マルティーニ工房の「磔刑」(14世紀中頃)


23
バルナーバ・ダ・モデナの「磔刑」(1370‐80c)


24
ピエトロ・ロレンツェッティの「福音書記者聖ジョヴァンニ」(14世紀前半)


25
ピエトロ・ロレンツェッティの「死せるキリスト」(1320‐30c)


26
ベルナルド・ダッディの「洗礼者聖ジョヴァンニ」(1320‐30c)


27
リッポ・ディ・ベニヴィエーニの「磔刑」(13世紀末‐14世紀初め)

作品画像がありませんが、このほかにリッポ・メンミ、パオロ・ジョヴァンニ・フェイ、サセッタ、サーノ・ディ・ピエトロ、ヴィンチェンツォ・フォッパ、ジェンティーレ・ベッリーニ、ロレンツォ・ロットの帰属作品などの作品があります。

P1860285
あのような斬新で近代的な大聖堂は非常にユニークな存在です。


P1860286
次はMuseo Diocesanoです。


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高台のてっぺんにある城塞が見えましたが、この日は行く気になれず。


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ぶらぶら歩きをしながら、教会があれば見ていきました。


1531
天気が悪くなってきました。


1532
1887年創建のノストラ・シニョーラ・デッラ・サルーテ教会です。


1534
海軍基地が築かれ、人口増に対応するために新たに建設された教会です。扉が開いていましたが、美術的に注目すべき作品が皆無なので素通りしました。


1535
少し古そうな建物です。


1536
青空が出てきました。


1537
19世紀第4四半世紀に建設されたノストラ・シニョーリ・デッラ・ネーヴェ教会です。


1538
ファサードの彫刻とモザイク


1528
13世紀に建設されたサンタ・マリア・アッスンタ前大聖堂です。現在のドゥオーモの建設以前には、ここが司教座教会でした。


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ごく普通の共同住宅ばかりです。


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Museo Diocesanoです。


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入館しました。


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ラ・スペツィアとその周辺の教会などから集められた作品が展示されてます。


P1860416
Museo Diocesanoは改めて詳しく触れる予定です。


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次はアメデオ・リア市立美術館です。


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入館しました。


P1860436
今日現在、ノーフラッシュならば写真OKとなったようですが、ごく最近まで写真不可でした。


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そのため、私が撮った写真が殆どありません。


P1860432
この美術館の紹介を行うべきか迷うところですが、美術館の公式サイトから作品画像を拝借して、項を改めて触れることにします。


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一見の価値がある作品が幾つか展示されてます。


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外に出ました。


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雲行きがあやしくなってきました。


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昼食後、ポルト・ヴェーネレに行きました。
ポルト・ヴェーネレはラ・スペツィアの分離集落と思っていたので、このまま続けるつもりでしたが、別のコムーネと分かりました。
と言うことで、ラ・スペツィアはこれで終わりです。
(おわり)

ラ・スペツィアは、人口93,569人(2017年8月31日現在)のリグーリア州ラ・スペツィア県の県都です。
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ラ・スペツィア中央駅に到着しました。


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駅舎


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駅から30mの、この日のお宿です。


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午前中のまだ早い時間でしたが、部屋に入ることが出来ました。荷物を置いて早速街歩きに出発しました。


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未だ晴れていましたが、この日の午後は雨になりました。


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この日の予定は、ドゥオーモ、司教区美術館、アメデオ・リア美術館と回り、昼食後にポルト・ヴェネーレへの日帰り遠足でした。


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ラ・スペツィアは美しい湾を持つ小さな港町でしたが、イタリア統一後、1860年から1865年にかけて築かれたイタリア最大の海軍基地を擁する軍港として大変貌を遂げました。


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碁盤の目のように作られた広い道路や整然と立ち並ぶ共同住宅は、当時の再開発の名残です。


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近年、この街にも中国人を数多く見かけるようになりました。


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中世の家並みが好みの私にとって、ラ・スペツィアの街歩きは退屈度が非常に高いと言わざるを得ません。


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それでも時々来るのは、一見の価値がある美術館や博物館があるからです。


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観光客にとって見所が少ないものの、ラ・スペツィアの隣がチンクエテッレであり、しかも公共交通機関が便利なので、チンクエテッレ観光の基地として、この街に訪れる観光客を数多く見かけます。


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味気ない家並みが続きます。


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教会も新しいものが多いので、教会巡りをする気力が湧きませんが、その代表的存在のドゥオーモだけは行っておきたいと思いました。


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戦後、軍事都市の性格を維持しつつ、商港を擁する工業都市として発展して、所得が高い街として知られてます。


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高額所得者の多くは高台に住んでいるそうです。


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印章博物館になっているパラッツォ・アルティです。


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紀元前4000年頃から現代までの約1500点以上の印章が展示されてます。一見の価値がある博物館です。
未だ開館時間前なので扉が閉まっていました。この時の旅では入館しませんでした。(一見の価値は十分にあるものの、二見の価値があるとは思いません)


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パラッツォ・アルティの隣はアメデオ・リア美術館です。傑作が多い美術館として知られ、美術ファンにとって必見です。後で入館しました。


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ドゥオーモに向かいました。


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この街を歩く人たちのスピードが速いのが目立ちます。


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Museo Diocesanoの建物です。


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ドゥオーモの後に入館しました。


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ドゥオーモは港を見下ろす高台にあります。


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海岸に向かって歩きました。


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Teatro Civico


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大通りに出ました。


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道幅が広いのは軍事用途に作られた道だからです。


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この建物は?


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スペツィア=サルザーナ=ブルニャート司教区の司教座教会 Cattdrale di Cristo Reです。


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この地にカップッチーニの修道院がありましたが、1927年、当時の教皇ピオ11世がスペツィア=サルザーナ=ブルニャート新司教区の司教座教会建設を決めたのです。
建物の設計はコンペによって行われることになり、その結果、第1位となった合理主義建築家の設計によって、1975年に完成した建物です。
従来の大聖堂建築物と正反対の極めて斬新的なドゥオーモです。


P1860276
聖堂内部も斬新的です。


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ここに初めて来たときにはビックリしました。


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あるのは磔刑像だけで、祭壇画や彫刻がありません。


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天井の装飾


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祭壇


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外に出ました。


P1860284
(つづく)

1619
ヴェルナッツァの続きです。


P1870187
冬のマルコーニ広場は、観光客がチラホラといるだけですが、夏場は混雑し過ぎのようです。


P1870188
暑さに弱いので、盛夏にイタリアに行ったことがあまりありません。


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6月初旬にマルコーニ広場に来たことがありますが、ピーク前とは言え、狭い海岸は海水浴客で溢れ、広場はうんざりするほどの大混雑でした。


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その時、困ったのが食事でした。
全てのレストランが営業していましたが、供給が需要に追い付かない状態で、どの店も行列が出来ていました。2時間待ちはざらで、待つのが大嫌いな私はジェラートを食事の代わりにして飢えを凌ぎました。


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人気の観光地にしては、宿泊施設や食堂が少ない気がします。冬は休業している所が多く、夏場は混雑し過ぎなので、予め準備しておく必要があろうかと思います。


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宿泊する場合は予約必須でしょうね。


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シャッケートラは美味しいですが、高価過ぎます。スーパーなどで買っても€40以上ですから、レストランで頼むと大変なことになります。


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新鮮な魚料理が名物ですが、何日も海が荒れて出漁できないときに偶然訪れると悲劇です。


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この時がそうだったのです。酷い店となると、何も言わないで冷凍魚を使った料理を平気で出すと聞いたことがあります。


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駅にやって来ました。


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駅を超えて山側に行ってみることに。


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反対側に出ました。


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線路の下をくぐっただけですが、その先は随分感じが違います。


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小さな公園にヘンテコなモニュメントを発見!


P1870208 
これは何でしょうか?
作者が記され、車輪の芸術作品ですと! 参ったなあ。


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振り返るとTorre di Avvistamento(監視塔)が見えました。


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上の方に上りヴェルナッツァを眼下に一望したいと思いました。


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先に進んでも、それほど変化がある景色の場所に辿り着けません。


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斜面の葡萄畑を上るか、高い場所に建っているサン・フランチェスコ教会に行けば何とかなるだろうと思いました。


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タベルナコロを発見!


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これですね。


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一目散に監視塔を目指すべきでした。


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この道を上りましたが視界が開けません。


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ところが途中で雨が落ちてきたのです。


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サン・フランチェスコ教会に上っても良かったのです。でも後の祭りでした。


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二兎を追う者は一兎をも得ずになってしまいました。


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雨が降ってきましたが、傘を差すほどではありません。


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5つ目の村モンテロッソに行くつもりでしたが、次の列車まで少し時間があったので、駅近くの路地を歩くことにしました。


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この奥の路地は更に狭くなります。


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変なモノを売っている店がありました。


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こういったものを売っていました。こんなものを買う人がいるの?と思っていたら、梱包された重そうなものを下げた観光客が店から出て来たのでビックリしました。どうやら買ったようでした。
チンクエ・テッレで最も印象に残ったのはこのお店でした。


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駅に戻りました。


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小雨が降っていました。


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列車が時刻通りに来ました。


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モンテロッソ駅に到着しました。


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駅舎


1629
海は荒れていました。


1630
雨は降っておらず、薄日が差してました。


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夏は海水浴で賑わう浜辺です。


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駅に向かって左はホテルが並んでます。チェントロは向かって右の方にあります。


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チェントロに向かいました。


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チェントロは700mほど先になります。


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(つづく)




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次はヴェルナッツァです。


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到着しました。プラットホームの大部分がトンネル内にあります。


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5つの村の中で観光客が最も多いかもしれません。


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ヴェルナッツァは、人口848人(2015年12月31日現在)のリグーリア州ラ・スぺツィア県にあるコムーネです。コルニリアはこのコムーネの分離集落です。


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海へと続くローマ通りです。


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タベルナコロを発見!


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うーん、チョット趣味ではないなあ。


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少し歩けば、もう海岸です。


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あの教会は大体開いているので慌てる必要がありません。


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教会は開いていました。予想通りです。


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サンタ・マルゲリータ教会です。聖マルゲリータですが、アンティオキアとコルトーナ出身の2人の聖女がいます。ここはアンティオキア出身の聖マルゲリータに奉献されてされているので、区別するためにサンタ・マルゲリータ・ディ・アンティオキアと呼ばれてます。


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前日よりも海は凪いでいましたが、出漁する船が少ないのは観光客が少なくて需要があまりないからでしょう。


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路地に入り込みました。


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路地は風情があります。


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ローマ通りに戻りました。路地はローマ通りに通じるようになっているようです。


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観光スポットのマルコーニ広場です。


P1870149
現在地にバジリカ様式の教会が既に11世紀にあったとされています。それが前身です。13世紀に再建され、1318年に完成したロマネスク様式の建物が現在の姿の原型とされてます。


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教会はその立地上の問題を抱えていました。


P1870092
立地上の問題をモノともせず、16世紀から拡大工事が始められ、18世紀に完了しましたが、その途中の1750年にバロック様式に改造されました。その当時の教会の出入り口は現在の出入り口の反対方向、つまりファサード側にありました。
現在の出入り口はマルコーニ広場に面した後陣側にありますが、19世紀に設けられました。その際、外観も現在のロマネスク様式に戻されて現在に至ってます。


P1870155
高さ40mの鐘楼の横前にも小さな鐘楼があります。


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入口から階段を上ると右側廊に出ます。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


P1870097
簡素な造りです。


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簡素なのは造りだけではなく、装飾も簡素です。


P1870099
木製の天井です。天井は幾度となく張り替えられ、現在のものは1964年と1970年に交換されたものです。


P1870100
左側廊


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右側廊です。


P1870114
この教会の立地から構造上の問題を孕んでいるのが右側壁なのです。


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右側壁の所々は素通しになってます。


P1870124
素通しになっていので、教会内からの眺めが良いので観光客には有難いです。
教会は波打ち際に建てられてます。荒天になれば、大波や海しぶきが右側壁に押し寄せます。それを少しでも緩和するために工夫が壁の一部を素通しにすることでした。


P1870105
主祭壇


P1870106
フレスコ画や祭壇画の類いがないのは、海しぶきによる影響を懸念しているからでしょう。


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17世紀の磔刑像


P1870109
彫刻が装飾の基本のようです。


P1870112
Anton Maria Maragliano (ジェノヴァ、1664‐1739)の「聖母子」


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洗礼盤もAnton Mariaの作品です。


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夏は涼しい風が吹き込んで心地よいと思いますが、冬の寒い日のミサは大変でしょうね。


P1870122
海が荒れているときは更に大変でしょうね。


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外に出ました。


P1870126
他の場所に教会を建てても良かったと思うのですが・・・・


P1870132
この写真を見れば、数えきれないほど修復されたことが分かりますね。どんなに強く作った壁でも押し寄せる高い波には無力でしょう。


P1870133
まあ観光客は余計な事を考えないで景色を楽しめばよいのです。


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教区教会がドゥオーモと呼ばれる場合がかなりありますが、ここでは呼ばれていないようです。


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P1870183
(つづく)

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サン・ロレンツォ教会の拝観です。


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1338年創建、ゴシック様式の建物です。創建以来、外観が変わるような修復が行われなかったので、今なお創建時の姿を留めているそうです。


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創建以来、聖ロレンツォに捧げられた教会ですが、Chiesa della Nativa di Maria Vergine とも呼称されてます。


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地元産の砂岩で出来たファサードです。


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教会は教皇インノチェンツォ4世広場に面して建ってます。生家は残されていませんが、教皇インノチェンツォ4世はマナローラのこの地で生まれたとされており、広場の名称はそれに因んで名付けられてます。


P1860888
バラ窓


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フレスコ画があったと思われるルネッタ


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古代の遺跡の上に建てられた鐘楼です。鐘楼からの眺望が見事ですが、今は一般の人が登れないようです。


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鐘楼の後ろは眺望が開けているので、鐘楼に上れなくても絶景を十分楽しむことが出来ます。


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三廊式の内部です。


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ゴシック様式ですが、17世紀の改修の際、一部バロック様式に変更されました。


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左側廊


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マナローラの見所とされる教会ですが、観光客の姿を見かけることは滅多にありません。


P1860925
右側廊


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天井


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天井に描かれた「聖ロレンツォのフレスコ画」(15世紀)


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主祭壇


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小型の「彩色磔刑像」(15世紀後半)


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14世紀の主祭壇画


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後陣左の礼拝堂


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後陣右の礼拝堂


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Maestro delle Cinque Terre の「聖ロレンツォと聖アントニオ・アバーテと聖ベルナルディーノ」(15世紀)


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P1860920
詳細不明


P1860926


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P1860930
詳細不明


P1860935
詳細不明


P1860937
創建時の柱


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質の高い祭壇画があるので、美術的に楽しめる教会です。


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床は新しそうに見えました。


P1860910
ファサード裏にオルガンが設置されてます。


P1860909
私が外に出るまで地元の人は誰も訪れませんでした。


P1860882
広場に面して教会らしい建物があります。調べましたが良く分かりません。


P1860955
広場の建物


P1860956


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P1860951
鐘楼の後ろからの景色を楽しみました。


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山の方に向かいました。


P1860971


P1870048
ブドウ畑が続くだけでした。


P1860948
海岸のほうに下りて行って食事をすることに。


P1860962
上ってきた時と同じ道を歩いてはつまらないので、下りは路地を通りました。


P1860963
車の進入が難しそうな細い道です。


P1860964


P1860965
何のことはない、すぐに上ってきた道、Via Antonio Discovolo に戻ってしまいます。


P1860966
検討したけれど宿泊しなかったB&Bの横に出ました。


P1860969


P1860972
海岸に向かうには、結局この道しかありませんでした。


P1860973
FSの線路を超えます。


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P1860976


P1860977
ホテルです。


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階段の上の広場


P1860979
Via Renato Birolli


P1860980


P1860981
(つづく)


P1860825
愛の小道の”柵”まで行ってみることに。


P1860829
2012年に歩行中の観光客が地滑りのため負傷したのですが、その後の大雨によって道路が不通となったのを機に全面通行止めとなった愛の小道です。
2015年にほんの一部だけ開通したそうです。
最新情報が分かりませんが、全面開通の可能性はかなり低いと思います。


P1860830
「一部開通部分」とは、ここのことでしょうか?


P1860831
柵のある所までは数百メートルの距離しかありません。


P1860832
対岸に、先ほど通ってきた、村役場から駅へと通じる道が見えました。


P1860833
波が荒い。


P1860836
柵の所に来ました。


P1860834
愛の小道です。
修復が難しい崩落個所がある上に、崩落、落石の危険性があるそうです。


P1860839
ここまでしか来ることが出来ません。


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愛の絆の鍵?


P1860843
戻るよりありません。


P1860844
リオマッジョーレ~マナローラ間を、愛の小道を歩いて行き来したことが2回あります。
その時の写真を載せましょう。


1545
2012年2月です。観光客4人負傷したのは、この年の9月24日でした。


1548
この時も波が荒かった。


1549


1551


1552


1556
2月だったので、観光客が殆どいませんでした。


1557
落石防止のためでしょうか、トンネルが設けられてます。


1558
歩いていて危険を感じことがありません。


1559
愛の小道のシンボルです。


1560


1561


1562
休憩所が途中にありました。


1563


1564


1566
こんな所でしょうね。
話を元に戻します。


P1860845
何が描かれているのでしょうか?
愛の小道の道路敷設工事の様子でしょうか?


P1860846
駅に戻りました。


P1860826
鉄道でマナローラに向かうことにしました。


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プラットホームの一部がトンネル内にあります。


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列車を待つ人は少なかったのですが・・・・


P1860847
所が急に人が多くなったのです。チンクエ・テッレは人気があります。


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僅か数分の乗車でマナローラ駅に到着しました。


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駅舎です。(無人駅)


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正午前なので、教会の拝観を優先しました。


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教会は高い場所にあるので、歩道トンネルを通って山側に出ます。


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マナローラは、東端のリオマッジョーレから西へ1駅の所にあり、5つの村の中でコルにリアに次いで小さな村と言われてます。
行政上は、リオマッジョーレのコムーネに属する分離集落Frazione です。Frazioneの概念としては、「村」が適当でしょうか。


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Via Antonio Discovolo


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鐘楼は、これから行こうとしていたサン・ロレンツォ教会のものです。


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坂道を上ります。


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振り返って撮った写真です。


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マナローラの山側は少々面白味に欠けます。


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ここにいると足腰が鍛えられます。


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山の斜面の葡萄畑


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通りのあちこちにB&Bがあります。


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この時の旅で泊まろうかと検討したB&Bです。


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夏場だけ営業するB&Bが殆どですが、ここは通年営業しています。


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選択しなかった理由は、マナローラで夜オープンしているレストランがなかったからでした。


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教会は右上にあります。


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サン・ロレンツォ教会です。


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教区教会、Parrocchia ですが、ドゥオーモと呼ばれていないようです。


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ファサード前は全景ポイントです。


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ファサード前に寝そべっていたニャーゴ


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P1860948
(つづく)

P1860728
ジェノヴァ共和国が1260年から築き始め16世紀に完成したカステッロです。


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夏場は中に入ることが出来ます。


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カステッロの横にサン・ロッコ祈祷所が建ってます。1480年に建設されたそうです。


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主祭壇画のトリッティコが見どころですが、この日は扉が閉まったままでした。


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カステッロの周りは公園になってます。カステッロはチェントロの最高点にあるので、この公園は絶景ポイントの一つとして知られてます。


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公園は断崖の上にあるので、雨天の日は特に足元にご注意を!


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閉鎖中の愛の小道が見えました。


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十二分に絶景を楽しむことができました。雨が上がって本当に幸運でした。


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次はMunicipioです。


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先ほどと同じ道を下りました。


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レモンの木


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ドゥオーモの鐘楼が見えました。


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この下に村役場があります。


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ある程度若くないとチョンクエ・テッレを歩き回るのは難しいと思うようになりました。


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教区教会広場手前の右の道を下れば村役場に出ます。


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この時が区教会の見納めとなりました。


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カステッロに向かう道の一本下の道を進みました。


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村役場に向かって左側は視界が開けてます。


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車が辛うじて進入できる細い道です。


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村役場の分庁舎


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本庁舎はこの先の建物です。


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Municipio


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ムラーレスが描かれてます。


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趣味ではないなあ。


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やり過ぎ?


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階段を上り、Municipio の入り口扉から撮りました。


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海岸近くの村人がここまで登って来るのは大変でしょうね。


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村役場と駅を結ぶ道路です。この道からの眺めが素晴らしいことでよく知られてます。


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愛の小道はまだ閉鎖中でしょうか?そうであるならば、その間、その代替えに十分なりえる道と思います。


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観光客が殆ど通らない道のようです。


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愛の小道です。


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柵が設けられ その先に進めないようになっているようです。


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駅が見えてきました。


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駅の上に来ました。


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エレベーターは運転休止でした。


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駅舎


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坂道を一気に下りました。


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駅はこの先です。


P1860824
(つづく)

リオマッジョーレの続きですが、今回はドゥオーモが中心です。
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リオマッジョーレは、ラ・スぺツィア‐サルザーナ‐ブルニャート司教区に所属しています。(司教座教会はラ・スぺツィアにあります)


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正式名称は、Parrocchiale di San Giovanni Battista 、教区教会、ドゥオーモです。


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リオマッジョーレのチェントロの高い場所に建ってます。


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1340年創建、14世紀後半に完成したロマネスクとゴシックの折衷様式の建物が原型ですが、現在に至るまで数度の改修改造が行われましたが、1870年から1871年に行われたネオ・ゴシック様式へと改修された後の建物が現在の姿となってます。


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鐘楼


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創建時の姿を留めるバラ窓


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ルネッタに描かれたフレスコ画は傷みが激しく、何が描かれていたのかさえも分かりません。


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19世紀後半のもの?


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創建時のロマネスク・ゴシック様式の構造を維持している内部です。


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三廊式で、左側廊の中央付近に翼廊があります。


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しかし、右側には翼廊がありません。


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左側廊


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右側廊


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天井


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1530年に制作された説教壇


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12


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主祭壇


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後陣に掲げられた「聖母被昇天」


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後陣右側の礼拝堂


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詳細不明


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詳細不明


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ベネデット・アンテラミに帰属する彫刻


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後陣左側の礼拝堂


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詳細不明


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ドメニコ・フィアセッラの「洗礼者聖ジョヴァンニの説教」


13
Maestro delle Cinque Terre 工房の「聖母子と聖ロッコと聖セバスティアーノ」


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オルガンがファサードの裏側に設置されてます。


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祭壇前から見た出入口


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外に出ると海が見えました。


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明け方まで降った雨でテラスが濡れてます。


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山の方


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次はカステッロです。


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崖に寄り添って建っている集合住宅


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見張り台の役目もしていたカステッロなので、高い場所にあります。


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細い道を上りました。


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時計が見えてますが、カステッロです。


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時計の時刻は狂ってました。(動いていました)


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(つづく)


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前泊地はラ・スぺツィアでした。


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この日はリオマッジョーレで泊まります。


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鉄道で移動しました。


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リオマッジョーレは、人口1,576人(2015年12月31日現在)のリグーリア州ラ・スぺツィア県にあるコムーネです。5つの村から成るチンクエ・テッレですが、隣のマナローラはリオマッジョーレのコムーネにあります。


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駅の一部はトンネル内にあります。


P1860583
駅の下の海は大荒れでした。


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先ず、この日のお宿に向かいました。


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愛の小道は相変わらず閉鎖されていました。


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駅舎


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観光案内所で地図を頂戴しました。


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リオマッジョーレのチェントロはトンネルの先にあります。


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トンネルを潜り抜ければチェントロです。


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コロンボ通り


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通りを上りました。


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写真では坂の勾配が分かりませんが、かなりきつい傾斜です。


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意外に距離があるので驚きました。数年前に泊まった時は、坂とか距離なんて全く気にならなかったので、今回は気になったのはそれだけ歳を取ったのでしょう。


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振り返って写真を撮りました。


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2月なので観光客が殆どいませんでした。


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鐘楼が見えたので、この日のお宿は直ぐ傍にあります。


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教会を通り過ぎれば、この日のお宿です。


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到着しました。冬場は休業中のホテルやB&Bが多いチンクエ・テッレですが、ここは通年営業しています。


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荷物をフロントに預けました。朝早くなので、部屋は未だ用意出来ていませんでした。


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坂の下まで戻って村歩きを再開しました。


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今度は坂が全然気にならず。


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今度はゆっくり拝観できます。


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トラックが邪魔です。しかし、救急車は何時もこの場所に駐車しています。


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16世紀に建設されたサンタ・マリア・アッスンタ祈祷所です。


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この祈祷所の詳細ですが、調べても分かりません。


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ファサードにある彫刻


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鐘楼


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単廊式の簡素な内部です。


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左側壁


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右側壁


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主祭壇のトリッティコが知られてますが、詳細不明のようです。


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「聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニとグツマンの聖ドメニコのトリッティコ」


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素朴な信仰空間でした。


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外に出ました。


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この日のお宿を通り過ぎ、ドゥオーモに向かいました。


P1860641
前日の雨が、この日の明け方まで残っていました。


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ドゥオーモへの近道です。


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ドゥオーモは更に高い場所に建ってます。


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ここから上り坂になります。


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突き当りが広場です。


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写真右がドゥオーモの身廊です。


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ファサード側に行きました。


P1860651
つづく

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雨が降ってきたので、ぶらぶら歩きを止めて要塞に向かいます。


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サン・フランチェスコの塔です。


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要塞は二重の城壁によって守られています。


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町のホームページに、冬場でも土曜日と日曜日は開いていると書いてありました。この日は土曜日でした。だから来たのです。


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結論から言えば、ホームページの記述は正しくありませんでした。


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塔の内側にも町が築かれてます。


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18世紀に建設されたレメーディ邸です。


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学校


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この辺一帯は、4世紀に築かれた砦の周囲に出来た集落が前身です。


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通りの突き当りが要塞の本丸に相当する部分です。


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やって来ました。


P1860526
閉まっていました!


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これも予想の範疇でした。それならば、ホームページに閉まっていると書けばよいではないかというのが我々の考え方ですが、イタリアではそうは通じません。


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4世紀に築かれた砦の上に、ジェノヴァ共和国が10世紀に構築した要塞が原型です。


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15世紀後半、フィレンツェのロレンツォ・イル・マニーフィコが10世紀の要塞を更に拡充整備しましたが、その建物が現在の姿です。


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夏は野外コンサートなどが行われます。ホームページによれば、冬は土曜日日曜日だけの公開との事ですが、正しくは非公開です。


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こちらも楽しみにしてました。でも明かりが点いてない!


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電話を架けましたが、呼出音が聞こえるだけで誰も応答なしでした。
事前予約受付もメールで可能との事なので、出発前に日本からメールを出しましたが返事なしでした。


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雨の土曜日の夕方。誰もいません。


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開けていても誰も来ないのでしょう。


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保存状態は良いと思います。


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酷いことになりました。


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教会は一つも拝観が叶わず、要塞、教区美術館は開いていないですから。


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仕方がない。


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人気(ひとけ)がありません。


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退散するよりありません。


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残念ながら、こんなこともあります。


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チェントロに戻ることにしました。


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戻ったところで、ご覧のような有様ですから特にやることがありません。


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土曜日の夕べのミサもありません。


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B&Bに戻っても特にやることがありません。


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ぶらぶら歩きを続けました。


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所が雨が強くなってきたのです。


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B&Bに戻る前に夕食を食べる所を探しました。


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見つけるのが大変でした。


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でも何とか見つけることが出来ました。


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小さな町は、ダメだったときの選択肢が無いので、リスクがあります。


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サルザーナに行っても泊まるのは止めるべきだったと後悔しました。


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靴が濡れて来たので、もうダメ。B&Bに戻ります。


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B&Bは駅至近にあります。


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チンクエテッレに泊まれば良かった!サルザーナから乗車30分で行けますから。
(おわり)

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サルザーナ Sarzana は、人口21,965人(2015年3月31日現在)のリグーリア州ラ・スぺツィア県にあるコムーネです。
ピサとラ・スぺツィアの間にあり、ピサ共和国が繁栄した時代にはピサと対峙するジェノヴァ共和国の前線基地として栄えました。やがて、フィレンツェの勢力が強くなりますが、ピサがフィレンツェの軍門に下ると、サルザーナは次第にフィレンツェの攻勢を受けるようになりました。その間、ジェノヴァ共和国も徐々に国力が衰退するようになりますが、ジェノヴァはサルザーナから撤退してしまいます。直ぐにサルザーナはフィレンツェの軍門の下り、今度はフィレンツェの前線基地となりました。


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FSでサルザーナに到着しました。


P1860444
駅舎


P1860445
先ず、この日のお宿に向かいました。


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写真左のB&Bと言いたいけれど、朝飯が無い単なるベッドのみのお宿にチェックインしました。この町では泊まる場所が限られているので贅沢は言えません。


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お宿から約200mほどでチェントロの入り口に着きます。


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地元の彫刻家カルロ・フォンターナ(カッラーラ、1865‐サルザーナ、1956)の代表作「Il Genio della Stirpe」(1914)がお出迎えしてくれます。


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先ずドゥオーモに向かいました。


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この時はまだ雨が降っていませんでした。


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ドゥオーモ広場が見えます。


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サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂です。


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1947年、Basilica Minoreに格上げされました。


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残念ながら閉まっていました。


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1204年から1474年に建設されたロマネスク・ゴシック様式の建物です。
ドゥオーモだけは開いていると思ってました。


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ルネッタ上のモザイク


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ファサードのバラ窓


P1860458
正面はドゥオーモの聖具室です。


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ピンク色の建物はサン・ジローラモ祈祷所です。


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ここも閉まっていました。


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ここにドメニコ・フィアセッラの作品が6点あるのです。


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結論を言えば、この時の旅は最低でした。この町で見たいところが6か所ありましたが、全部開いてなくて全敗、旅は徒労に終わったのです。


P1860466
観光案内版があちこちにあるので、大変便利です。


P1860469
地図を開くよりも観光案内版の方が遥かに勝ります。


P1860471
広場に向かいました。


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カランドーニ広場です。


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ドゥオーモの後陣


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ロッシ通りです。


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写真右が教会です。


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サンタ・クローチェ祈祷所です。


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扉が閉まっていました。


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祈祷所の先に教会があります。


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12世紀に建てられたサンタンドレア教会です。


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ここも閉まっていました。


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聖職者が幾つも教会を兼務しているので、この辺は仕方がないのでしょう。


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美術好きにとって、教会巡りは効率が悪いですね。


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ガックリしたので、この辺で一休み。


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一休みして元気いっぱいで散歩を再開しました。


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夕食の場所も探しました。


P1860496
夕食はここに決めました。


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ジャコモ・マッテオッティ広場です。


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この広場が町の中心になります。


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広い広場です。


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市庁舎


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1819年に建てられたPlazzo Podesta Lucciardi


P1860510
とうとう雨が降ってきました。


P1860503
降り始めから本格的な降りなので、先を急がないとイケマセン。


P1860511
(つづく)

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