イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: マルケ州

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サンタントニオ・アバーテ教会が見える店で昼食を食べます。


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お腹一杯になりました。酔い覚ましのブラブラ歩きです。


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サン・トンマーゾ・アポストロ教会前で大道芸人が演技中でした。


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サン・トンマーゾ・アポストロ教会の存在が1178年に記録に初めて記載されたそうです。


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ネオ・ゴシック様式のファサードは1897年に再建されたものです。


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浮彫下の碑文は創建時のオリジナルです。


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浮彫は19世紀末の新しいものです。


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中に入りました。


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「磔刑」のフレスコ画(16世紀)


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ビール一杯とワイン一本飲んだだけでしたが、かなり効いてます。


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直ぐにトイレに行きたくなって困りました。


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サン・ぺテルニアーノ聖堂の鐘楼です。


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トイレ休憩のため、バールを探します。


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トイレを済ませて、ホッとしながら酔い覚ましの散歩です。


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比較的見所が多いと思うファーノですが、日本人には全く人気がないようです。


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美味しい魚料理に美味しいワインがあるので、もう少し人気が出ても良いと思います。


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ウルビーノに簡単に行き来できるファーノです。


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ファーノではブランド品は売ってません。


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サンガッロ要塞に向かいます。


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年を取るということは、友人たちの訃報に接することだ、と痛感してます。


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サンガッロ要塞にやってきました。


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13世紀末からマラテスタ家の支配を受けるようになったファーノですが、街の防衛力強化を企図したマラテスタ家によって城壁の拡大整備が行われました。


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サンガッロ要塞の中に入りました。


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マラテスタ家のファーノ支配は、1463年に終わりを告げました。
最後のファーノ候シジスモンド・マラテスタ(ブレーシャ、1417-リミニ、1468)は、ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(グッビオ、1422-フェッラーラ、1482)とフェデリーコ率いる教皇軍に敗れてファーノを放棄したのです。


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ファーノは、教皇領となりましたが、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公の生存中はフェデリーコの治世下に置かれましたが、フェデリーコ公が没すると教皇庁の支配下になりました。


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第219代教皇クレメンテ7世・デ・メディチ(フィレンツェ、1478-ローマ、1534 教皇在位:1513-1534)は、1532年、マルケ地方の防衛構造強化を打ち出し、その一環として新要塞の建設が決定されました。
マルケ地方の防衛力強化について、教皇お抱えの建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1483-テルニ、1546)が起用され、ファーノ新要塞の設計がアントニオによって行われました。


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しかし、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネはアンコーナ要塞などで多忙であり、ファーノ要塞の建設には中々着手出来ませんでした。


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新たにルカ・サンガッロが起用され、アントニオ設計に基づき、要塞の建設が開始されました。


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1550年の聖年に教皇となった第221代教皇ジュリオ3世(モンテ・サン・サヴィーノ、1487-ローマ、1555 教皇在位:1550-1555)は、要塞の完成を急がせ、ようやく1552年にサンガッロ要塞が完成しました。


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サンガッロ要塞の名称は、設計と建設工事を担当した二人のサンガッロに因んでます。


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1910年に始まった都市計画によって、城壁と要塞が破壊されるようになりました。


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城壁と要塞の破壊は徐々に進められましたが、1970年頃から歴史遺産保存運動が高まりと共に破壊作業が中断され、やがて修復、復元されるようになりました。
2007年にサンガッロ要塞の復元工事が完了しました。


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ファーノ駅の駅舎が見えてます。


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サンガッロ要塞は駅前にあるのです。


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海水浴場として有名なファーノ海岸に向かいます。
駅の直ぐ向こうが海岸です。


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ファーノ海岸です。


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海に入る人がいたので驚きました。


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そうは言っても海水浴客は誰もいませんでした。
(おわり)

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次は、Arco d'Augusto アウグストゥス門を詳しく見ます。


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紀元前220年、監察官ガイオ・フラミニオ(ガイウス・フラミニウス)(ローマ、紀元前265-トラジメノ、紀元前217)によって、ローマからリミニを結ぶフラミニウス街道(フラミニア街道)が敷設されました。


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ファーノは、フラミニウス街道の重要な拠点の港町でした。
起点であるローマのポポロ広場からアペニン山脈を越え、ここファーノでアドリア海に達し、更にペーザロ、リミニへと向かう、北に向かう重要な街道における交易においても、軍事的にも重要な拠点だったのです。


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ガイウス・フラミニウスがフラミニウス街道を敷設した際に、門を築いたとされてますが、ファーノのフラミニウス街道上の具体的な場所は不明のようです。


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ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの治世下の時代、各街道の整備が行われましたが、フラミニウス街道(フラミニア街道)だけは皇帝アウグストゥス自ら整備を指揮しました。
当時、ファーノは、アドリア海に入ってから上陸してローマに向かう外敵に対する軍事拠点と、アドリア海における重要な貿易拠点とされており、街道だけではなく、街全体が特に念入りに整備されました。
その記念として、西暦9年頃に建設されたのがアウグストゥスの門です。


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凱旋門だったという説が有力です。


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門の構造図


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20世紀初頭のアウグストゥスの門です。
かなり荒廃していたことが分かります。


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1931年の写真


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1940年の写真
アウグストゥスの門は辛うじて第二次世界大戦の爆撃被害がなかったようです。


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サン・ミケーレのロッジャ側から見たアウグストゥスの門です。


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サン・ミケーレ教会ファサードの右側にあるアウグストゥスの門の浮彫です。


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Porta Maggioreを見ます。


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市域の拡大によって、14世紀から15世紀にマラテスタ家によって、アウグストゥスの門の先に新たな城壁が築かれましたが、その際、フラミニウス街道(フラミニア街道)からファーノの市域に入る門がPorta Maggioreです。


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軍事的色彩が強い門です。


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城壁外は見所があまりないので、元に戻ります。


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アウグストゥスの門を潜って旧市街に入ります。


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マルティーノ通りです。通りに面して教会があります。


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サンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会です。


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1592年に建設されたサンタ・トリニータ教会が前身です。1618年、所有者が変わって、サンタ・マリア・デッル・スッフラージョ教会に改称されました。


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入口扉上の紋章


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鐘楼(1692c)


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教会の内部


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スタッコ彫刻による装飾が多いと思います。


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ジュゼッペ・マリア・マッツァ(1653-1741)の「永遠なる父」(1710)


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主祭壇画の「磔刑」(16世紀)


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モンテヴェッキオ通りを進みます。


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振り返るとサンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会の鐘楼が見えました。


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旧サンタゴスティーノ修道院の壁です。


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サンタゴスティーノ教会のファサードです。


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修道院は閉鎖されましたが、教会の方は現役です。


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キオストロ回廊のフレスコ画が見物とされてますが、劣化が著しく感心しません。


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教会の方も閉鎖されたと思います。


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裏通りから賑やかな所に出ます。


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昼食を食べなくては。


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(つづく)

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次はアウグストゥス門とサン・ミケーレ教会です。


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アウグストゥス門です。門に向かって左側にロッジャがあります。


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サン・ミケーレ修道院教会のロッジャです。


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アウグストゥス門を潜って、門の左側、門に向かって右にサン・ミケーレ教会があります。


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ロッジャ、修道院、門、教会が一体化されて建ってます。


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比較的新しく見えるのは、1926年に殆ど再建に近いような大修復をされたからです。


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ロッジャに入ってみましたが、特に見所がないようです。アウグストゥス門を潜って城壁外に出ます。


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アウグストゥス門を潜って城壁外に出ました。


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アウグストゥス門に向かって右側にサン・ミケーレ教会があります。


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15世紀中頃、サン・ミケーレ同信会は新教会の建設を決めましたが、当時、ファーノはシジスモンド・マラテスタの支配下にありましたが、ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが率いる教皇軍に包囲されて身動きできない状況にありました。
1463年、シジスモンドは敗れて、ファーノはフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公の支配下に置かれました。サン・ミケーレ同信会は、新領主のフェデリーコに願い出て、アウグストゥス門と、その近くの破壊された城壁とローマ時代の遺跡の石などを利用して、現在の場所に教会を建てることが許されました。


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そうして、サン・ミケーレ修道院教会が1469年から1490年頃に建設されました。


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1797年、ナポレオンの抑圧令によって、修道院教会は閉鎖され、その後、倉庫などの転用されましたが、1870年頃に放棄され、建物は荒廃する一方になりました。


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これらの写真は、修復工事が着工される前の20世紀初め頃に撮られたものです。


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現在の建物は、修復工事が完了した1926年後のものです。


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ファサードの入り口上の彫刻が有名です。


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ベルナルディーノ・ディ・ピエトロ・ダ・コロナの「大天使聖ミケーレと受胎告知」(1511-12)


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ファサードの、向かって左にあるアウグストゥスの碑文


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ファーサードの、向かって右側


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大天使聖ミケーレのシンボル


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サン・ミケーレ修道院教会は、普段開いていないのですが、この日は特別に中に入ることが出来ました。
現在はMuseo della Via Flaminiaとして一般公開されてます。


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宗教施設ではないので、信者席などは設けられておらず簡素です。


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左側壁


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主祭壇


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後陣にフレスコ画断片があります。
逸名画家作「聖セバスティアーノ」(15世紀末)


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主祭壇画は、ラッファエッリーノ・デル・コッレ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1495-1566)の「受胎告知と聖ピエトロ・マルティーレと聖バルバラ」


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ローマ時代の遺跡が教会内にあります。


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遺跡を見て回ります。


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修道院です。


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キオストロです。


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ロッジャからキオストロに行けますが、この日はロッジャの扉が閉まったままでした。


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キオストロ回廊の一階(日本の二階)に上りました。


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キオストロを見下ろしました。


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復元された柱廊です。


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フレスコ画の痕跡


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教会から見たアウグストゥス門です。
(つづく)

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次はドゥオーモです。


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ドゥオーモは、Via Arco D'Augustpのアウグスト門近くになります。


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ファーノのドゥオーモ、Basilica Minore e Cattedrale di Santa Maria Assunta、ファーノ₌フォッソンブローネ₌カーリ₌ぺルゴラ司教区の司教座教会です。
1953年、第260代教皇ピオ12世(ローマ、1876-カステル・ガンドルフォ、1958 在位:1939-1958)によってBasilica Minoreに格付けされました。


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8世紀半ばに建設されたサンタ・マリア・マッジョーレ教会が前身です。そのため、別名サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂と呼ばれてます。


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8世紀半ばに建設された最初の建物は、1124年の火災によって消失してしまいました。
二代目のロマネスク様式の建物が1135年に創建され、1159年に完成しました。屋根が欠けられた1140年に奉献式が執り行われました。


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煉瓦と砂岩で出来た現在のファサードは、1928年に行われた修復工事の際に、元のロマネスク様式に復元された新しいものです。二代目の建物のファサードは、数度改造されていたのです。


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1944年8月に第二次世界大戦のドイツ軍の爆撃によって破壊されたので、戦後に再建された現在の鐘楼です。


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爆撃前の鐘楼です。


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爆撃で破壊された鐘楼の土台部分が残されてます。土台部分は8世紀半ばに創建された教会の洗礼堂だったそうです。


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左外壁


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ファサードの柱頭


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ファサードの柱頭


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入口扉上の装飾


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ロマネスク様式の彫刻


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入口扉


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改造、修復の結果、かなり新しく見える聖堂内部です。


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美術的には幾つかの見所があります。


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アンドレア・リッリ(アンコーナ、1570-ローマ、1631)の「聖母被昇天」(1606)


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Cappella dei Santi Protettoriの祭壇画は、ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555-1619)の「天上の聖母と聖オルソと聖エウセビオ」


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Cappella Nolfiです。


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Cappella Nolfiは、ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)のフレスコ画「聖母の物語」(1618-19)があるので必見です。


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖母の誕生」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖母の神殿奉献」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖母の結婚」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「受胎告知」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「ご訪問」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「ご誕生」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「神の母性」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「マギの礼拝」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「キリストの神殿奉献」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「割礼」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「エジプトへの逃避」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖母の死」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖母被昇天」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖母戴冠」(1618-19)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「悲しみの聖母」(1618-19)


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説教壇


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説教壇の彫刻


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聖母の礼拝堂


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セバスティアーノ・チェッカリーニ(ファーノ、1703-1783)の「天上の聖母子とファーノを守護する四聖人」(1750)
(つづく)

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旧市街の中心9月20日広場に向かいました。


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9月20日広場は青空市の真っ最中でした。


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これでは広場に面して建つ歴史的建造物の写真が撮れません。


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テントの後方に写っているのはサン・シルヴェストロ教会です。


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12世紀に遡るサン・シルヴェストロ教会は、1606年に現在の姿に改造されました。


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中に現代のフレスコ画があります。


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美術的な見所としては、主祭壇画だけと思います。


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主祭壇画です。


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ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566-1643)の「Madonna del Ponte」


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現代のフレスコ画


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9月20日広場のFontana della Fortuna


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Fontana della Fortunaの上にあるブロンズ像は、ドンニーノ・アンブロージ(ウルビーノ、16世紀後半-17世紀初頭活動)の「フォルトゥーナの女神」(1593)


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非常に賑わっている青空市でした。


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1299年に建設されたPalazzo del Podestaです。


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鐘楼がありましたが、第二次世界大戦後に市民の塔と呼ばれる時計塔にとってかわられたそうです。


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Palazzo del Podestaを見ます。ファサードの有名な三聖人のトリッティコがあります。


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三聖人(聖パテミアーノ、聖フォルトゥナート、聖エウセビオ)のトリッティコ


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Palazzo del Podestaファサードの下に柱廊があります。


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その柱廊に劇場の入り口があります。
19世紀、建築家ルイージ・ポレッティ’モデナ、1792-ミラノ、1869)の設計によって、Palazzo del Podestaは劇場に改造されました。


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9月20日広場からPalazzo Malastianaに入ります。


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Palazzo Malastianaは市立美術館になってます。


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Palazzo Malastianaです。


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ファーノのマラテスタ家支配は、ガレオット1世・マラテスタ(リミニ、1300c-チェゼーナ、1385)がマラテスタ家当主だった1357年に始まりましたが、ファーノ領主に相応しい宮殿として1357年にPalazzo Malastianaの建設が開始されました。
ガレオット1世の息子パンドルフォ3世・マラテスタ(ファーノ、1370-1427)は、父が建設した宮殿が気に入らず、一部を改造するとともに増築しました。
パンドルフォ3世の息子シジスモンド・マラテスタ(ブレーシャ、1417-リミニ、1468)は、1440年頃に建築家マッテオ・ヌーティ通称マッテオ・ダ・ファーノ(コルフィオリート、1405-ファーノ,1470)に対して、Palazzo Malastianaの改修とさらなる増築が命じられ、1463年に完成しました。
1463年、ファーノは、ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(グッビオ、1422-フェッラーラ、1482)の支配下に置かれるようになりました。
ファーノの領有権が変わる毎にPalazzo Malastianaの所有者が変わりました。


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Palazzo Malastianaは、一時期Municipioとして使用されました。


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Museo Civicoとして使用されるようになったのは、1898年からです。


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Palazzo Malastianaの柱廊にも展示物が置かれてます。


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入館します。


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モザイクの展示


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この時は、写真不可でした。


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Maestro di Roncaietteの「Polittico Chiesa di Roncaiette di Ponte San Nicolo」


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ミケーレ・ジャンボノ(ヴェネツィア、1400-1462)の「聖母子と聖人たちのポリッティコ」


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シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612-ヴェローナ、1648)の「エジプトへの逃避途中の休息」


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シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612-ヴェローナ、1648)の「帯の聖母」


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シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612-ヴェローナ、1648)の「病人を治す聖ピエトロ」


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シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612-ヴェローナ、1648)の「ヴィッラノーヴァの聖トンマーゾに顕現する聖母子」
(つづく)

先ずサン・ぺテルニアーノ教会の続きです。
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ジュスト・チェスピ(ファーノ、1867-1954)の「グエルチーノ作『聖母の結婚』のコピー画」


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主祭壇


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バルトロメオ・モルガンティ(ファーノ、1493-1538)の「天上の聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖ルチアと聖アガタと聖アグネス」(1530c)


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クラウディオ・リドルフィ通称クラウディオ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1570c-コリナルド、1644)の「聖母子と聖セバスティアーノと聖カルロ・ボッロメオ」(1620c)


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外に出ました。


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Via del Lecciにある学校 Liceo Artistico Apolloni Adolfoです。


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サン・ピエトロ・イン・ヴァッレ教会にやってきました。


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778年に建設されましたが、何度も地震の被害を受けて荒廃してしまい、12世紀頃に放棄され廃教会となってしまいました。


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16世紀末、Congregazione dei Padri dell' Oratorio di San Filippo Neriによって、廃墟の上に教会の再建が決定され、17世紀初めに建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・カヴァーニャ(ローマ、1545c-ロレート、1613)に建築が委嘱されました。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カヴァーニャの設計によって、1610年に創建されましたが、工事途中の1613年、カヴァーニャが没してしまいました。1617年にマルケ・バロック様式の建物が完成し、同年、奉献式が執り行われました。


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この教会には有名画家の作品が数点ありましたが、フランス軍によって強奪されてから戻されていません。


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中に入りました。一見して現役?の教会ではないと思いました。


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教会の構造図です。


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主祭壇です。
グイド・レーニの主祭壇画「天国のカギを聖ピエトロに託すキリスト」がありましたが、1797年、ナポレオンのイタリア侵攻の際、フランス軍によって強奪されフランスに持ち去られてしまいました。
現在は、グイド・レーニ作品のコピー画が主祭壇に置かれてます。


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「天国のカギを聖ピエトロに託すキリスト」(1626)
本物は、フランスからイタリアに戻されることなく、ルーブル美術館で展示されてます。


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マルコリーニ礼拝堂です。


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ピエトロ・リベリ(パドヴァ、1605-ヴェネツィア、1687)の「磔刑像」


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クーポラ


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アントニオ・ヴィヴァリーニ(ウルビーノ、1560-1620)による天井フレスコ画(1618-20)


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説教壇


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華美で派手な装飾が自慢のようです。


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オルガン


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ファサードの裏です。


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外に出ます。


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サン・ピエトロ・イン・ヴァッレ教会の右側壁を通り過ぎ、旧サン・フランチェスコ教会に向かいます。


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サン・フランチェスコ修道院教会です。


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この日は施錠されていて、中に入ることが出来ません。


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1255年に創建され、1323年に完成した最初の建物は、度重なる地震によって荒廃してしまいましたが、1696年に火災に遭い、建物が危険になったものの、それでも修道院活動が行われていました。
しかし、18世紀半ばを過ぎると非常に危険になったので、最初の建物を取り壊し、その上に再建が決まり、建築家フランチェスコ・マリア・チャラッフォーニ(ファーノ、1,720-アンコーナ、1802)の設計、建築工事監督によって1763年から1774年に再建されました。
しかし、ナポレオンの抑圧令によって活動が停止され、倉庫、厩舎、兵舎などに転用されました。1912年、建物の老朽化によって放棄されることになりました。
1916年と1924年に地震によって大きな被害を受けたものの、修復工事は行われないまま、非常に危険な建物と判断され、1930年に屋根が破壊されました。
1950年、貴重な文化遺産と判定され、立ち入りが可能になるように修復されることになりました。


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柱廊に幾つかの墓があります。


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柱廊にあるパオラ・ビアンカの墓


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マッダレーナ・フェッロ―ニの墓


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ボッカッチ家の紋章


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礼拝堂に残されている天使像


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夏季は野外劇場などに使用されてます。
(つづく)

ファーノは、人口60,728人(2019年12月31日現在)のマルケ州ペーザロ₌ウルビーノ県にあるコムーネです。ローマ時代に重要な役割を果たした歴史ある街です。
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前泊地は、マルケ州のセニガッリアでした。


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セニガッリアからファーノに向かいます。


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朝の通勤通学時間帯で混雑が予想される上に、大きな荷物があったので、一等車に乗りました。流石に空いてました。


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ファーノ駅に到着しました。


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ファーノ駅の駅舎です。
ファーノ海岸は白砂の海水浴場で有名です。夏場は海をとずれるヴァカンス客で大混雑します。ホテルは一週間以上止まらないと予約を受け付けない所が多いので、一泊しか止まらない私は夏場を避ける一手です。この時、季節は中秋、10月でした。


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駅前に高い城壁が聳えてます。


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サンガッロ要塞とファーノの城壁です。


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サンガッロ要塞の見学は後にして、この日のお宿に向かいます。


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城壁の高さは4メートル以上あります。


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要塞と城壁沿いのVia Mura Malastianaをホテル方向(リミニ方向)に進みます。
ファーノのホテルは海水浴向けの海岸沿いに数多くありますが、旧市街には良いホテルがありません。已む無く城壁沿いの道を歩いて城壁外のホテルにしました。


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直ぐにマラテスタ要塞が見えてきます。要塞の先に、この日のお宿があります。


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ファーノ領主だったシジスモンド・マラテスタ(ブレーシャ、1417-リミニ、1468)の命によって、建築家マッテオ・ヌーティ通称マッテオ・ダ・ファーノ(コルフィオリート、1405c-ファーノ、1470)が起用され、マッテオの設計によって1438年から1452年に建設されたマラテスタ要塞です。


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1463年まで拡張工事が続きました。


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さらに16世紀前半、建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484-テルニ、1546)によって増強改修されました。


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長年の風化劣化と第二次世界大戦の爆撃によって、マラテスタ要塞は荒廃してしまいました。1972年になって漸く復元工事が行われるようになり、2017年に現在の姿に蘇りました。


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この日のお宿です。
チェックインを済ませてから街歩きに出発しました。


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城壁内に入り、Piazza Fratelli Rosselliから街歩き開始です。


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サンタントニオ・アバーテ教会です。


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9世紀頃にこの場所にあった地元の人が祈りを捧げる祠が前身です。


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15世紀に教会の建物が建設され、現在の姿は18世紀に再建された二代目のものです。


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6つの礼拝堂に区切られた、ほぼ円形の内部です。


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この教会の作品については全く知りません。


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次は、サン・ぺテルニアーノ修道院教区教会です。


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サン・ぺテルニアーノ教区教会です。


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5世紀半ばにガッラ・プラチディアによって建設された修道院が前身です。


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修道院に礼拝堂がありましたが、付属教会を建てることになり、12世紀に最初の建物が建設されました。現在の建物は1566年に再建された二代目のものです。


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サン・ぺテルニアーノ修道院のキオストロです。


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キオストロ回廊


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回廊の壁にフレスコ画があったと思われますが、残されていません。


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教会内に入りました。


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主祭壇


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「父なる神」(フレスコ画)(詳細不知)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラガッツィーニ(ラヴェンナ、1520-1591)の「天国」


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バーリの聖二コラ礼拝堂


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Cappella del Santo


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(つづく)

309
サン・フィリッポ・ネリ教会は未だ扉が開いていなかった。


424
聖職者が扉を開けました。


423
1611年、サン・フィリッポ・ネリ聖職者協会 Padri Filippiniがマチェラータに来訪し、早くも、その2年後に小さな教会が建てられました。
1622年、フィリッポ・ネリが列聖されると、信者が増えたので、1647年に教会は拡張されました。


425
拡張されたものの、直ぐに手狭になったので、17世紀後半に再建することになり、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・コンティ―ニが起用されました。
隣接する修道院は、17世紀末に完成しましたが、教会の方は工事が進まず、コンティ―ニ(モンタルチーノ、1642-ローマ、1723)の設計によって1707年に創建されました。1730年に完成したバロック様式の建物が現在の姿です。


311
教会の後方に隣接して建つPalazzo del Provinciaです。
この建物は、ジョヴァンニ・バッティスタ・コンティ―ニ(モンタルチーノ、1642-ローマ、1723)の設計によって17世紀末に建設されたサン・フィリッポ・ネリ修道院でした。
1799年、ナポレオン軍は、マチェラータに侵攻したのですが、ナポレオン直々にサン・フィリッポ・ネリ教会と修道院の閉鎖が命じられました。その際、不要となった教会修道院の聖具類、絵画、彫刻などがフランスに持ち去られてしまいました。
ナポレオンの失脚後の1820年、教会の方は宗教活動が再開されましたが、修道院の方は一度も再開されることなく、修道院だった建物は様々な用途に転用された後、現在は県当局となってます。


312
旧修道院の建物の紋章


565
ファサードは粗壁のままになってます。


426
中に入りました。


442
単廊式、バロック様式の内部です。翼廊がありません。


441
左右に、それぞれ2つづつの礼拝堂が設けられてます。


443
クーポラ


444
精緻なスタッコ彫刻がバロック様式の内部を引き立てます。


445
18世紀第2四半世紀にマルケ地方で活動したスタッコ彫刻家ジュゼッペ・ピアリーニと彼が率いる工房によって1732年に制作されたスタッコ彫刻です。


446


447


448
ファサード裏にオルガンがあります。


436
主祭壇


435
主祭壇画は、フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「天上の聖母子と聖フィリッポ・ネリ」(1738)です。
多色大理石に拠る祭壇は、ジュゼッペ・ボネッジ・ダ・トレヴィーゾの作品(1764-70)です。他の礼拝堂の多色大理石による祭壇も同人の作品です。


432
右側壁の礼拝堂です。


430
マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)の「聖母子と聖人たち」


431
その下にある詳細不明の「キリストを抱く聖ジュゼッペ」


438
左側壁礼拝堂の祭壇画は、フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「磔刑」(1737)


427
右側壁の聖母降誕礼拝堂


429
ジローラモ・ドンニーノ(コッレッジョ、1681-ボローニャ、1743)に帰属する「聖母の誕生」


428
「聖母の誕生」の下にある「聖母子」(詳細不明)


433
フェリーチェ・トレッリ(ヴェローナ、1667-ボローニャ、1748)の「受胎告知」(1729)


434
ガスパーレ・ガスパッリーニ(マチェラータ、?-1590)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1570c)


439
ルドヴィーコ・トラージ(アスコリ・ピチェーノ、1634-1694)の「幼きキリストを抱く聖ガエターノ」


449
逸名画家作「聖母子」(18世紀頃)


440
教会内をもう一度見ました。


451
外に出ました。


452
すっかり夕方になっていました。


453
それでも旧メルカト広場の建物に夕日が当たっていました。


278
城壁外に出ました。


271
夜の街歩きも好きですが急に冷え込んできたので止めました。


267
この日はこれで終わりです。


003
出発の朝を迎えました。


004
この日も青空市の開市が無さそうです。


001
青空市の日は、朝からこのようになります。


005
この日も快晴です。


006
門を潜り城壁外に出てから、駅に向かいました。


007
(おわり)

273
Corso Cairoliを通って駅から旧市街に向かいます。


274
旧市街の入り口前のナザリオ・サウロ広場です。


275
旧市街の入り口たるPorta Mercatoです。


277
写真右の新古典様式の建物は、夏の野外オペラ劇場Sferisterioです。


278
音が風で流れる、歌手がマイクを使う、夏には一流どころが出演しない、例え一流どころが出演しても夏休み中に駆り出されたせいか調子が良くない、と言う理由から夏の野外オペラが嫌いです。
相撲で例えれば、本場所ではなく花相撲みたいなものでしょう。


276
城壁外から見える時計塔


279
Porta Mercato前から見たナザリオ・サウロ広場です。


280
Porta Mercatoを潜りPiazza Mazziniに入りました。


281
現在、売りに出されているUfficio del Territorioです。


282
マッツィーニ広場に面して建つChiesa di Santa Maria del Riposoです。


283
1537年の街の記録に記載されている教会ですが、現在は閉鎖されているようです。


284
この日の午前中は青空市が開市されていました。


285
マッツィーニ広場に面して多くの歴史的建造物が建ってます。


286
階段を上って旧市街の中心に向かいます。


287
午後3時近くなので、辺りはひっそりとしています。


288
写真左はサンタ・マリア・デッラ・ポルタ教会の側壁です。


289
旧市街の中心リベルタ広場にやってきました。


290
リベルタ広場の建物については、(その1)で既に触れました。


291


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298
通りの突き当りにサン・ジョヴァンニ参事会教会が写ってます。


299
Corso della Repubblica


561
一旦城壁外に出ます。


562


563


564
城壁内に戻り、フィリッポ・ネリ教会に行きます。


300
フィリッポ・ネリ教会は未だ開いていなかった。


301
扉が開くのは時間の問題と判断して、暫し時間潰し。


302
この道を進めばドゥオーモですが、逆方向に行きました。


303
サン・ジョヴァンニ参事会教会は相変わらず閉まってます。


305
この教会は平日には開かないと観光案内所で聞きました。


306
図書館の建物です。


308
私の場合、イタリアでは図書館で時間潰しは無理です。


307


310
(つづく)

521
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「マチェラータの聖母」(1470-73)
この博物館を代表する作品です。詳細画面を次に。


522


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524


525


526
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ダ・フォリーニョ通称マッザフォルテ(フォリーニョ、1370c-1440c)に帰属する「聖母子と聖人たち」(1414-15c)
詳細画面を次に。


527


528


529


530
アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ、1560-1607)の「チントラの聖母と聖ロレンツォと聖トンマーゾと聖フランチェスコ」(1604)


531
見たことがある作品ですが、顔が違うようです。
アンドレア・ポッツィ(ローマ、1777-1837)の「グイド・レーニ作『ベアトリーチェ・チェンチ』の模倣画」(1800-37)
コピー画ならば、顔をもう少し似せて描くでしょう。


532
マルケの逸名画家作「聖ジュリアーノ」(17世紀後半)


533
逸名画家作「ロレートの聖母」(1590-1610c)


534
逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(16世紀)


535
逸名画家作「悔悛のマッダレーナ」(17世紀前半)


536
逸名画家作「キリストの鞭打ち」(17世紀)


537
逸名画家作「戦士、女性、老人がいる風景」(18世紀)


538
逸名画家作「聖フランチェスコ」(17世紀前半)


539
ジュゼッペ・チェーザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568-ローマ、1640)の「聖セバスティアーノ」(1630-35c)


540
カルロ・ドルチ(フィレンツェ、1616-1686)に帰属する「涙の聖母」


541
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「自画像」


542
チャールズ・メリン(ナンシー、1597-ローマ、1649)に帰属する「三人の男」(17世紀前半)


543
クリスチャン・べレンツ(ハンブルク、1658-ローマ、1722)に帰属する「果実の静物画」


544
アントニオ・ピア―ニ(マチェラータ、1747-1825)の「羊飼いの礼拝」(18世紀後半)


545
ドメニコ・コルヴィ(ヴィテルボ、1721-ローマ、1803)の「三位一体と聖ベネデットと聖スコラスティカ」(1783)


546
フェデリーコ・ツッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539-アンコーナ、1609)の「モーゼに扮したミケランジェロの肖像」(1593c)


547
フェデリーコ・ツッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539-アンコーナ、1609)の「イザヤの扮したラッファエッロの肖像」


548
フランチェスコ・ボニフォルティ(マチェラータ、1594-1671)の「天使によって悼まれたキリスト」(17世紀第2四半世紀)


549
フランチェスコ・ポデスティ(アンコーナ、1800-ローマ、1895)の「アントニオ・ボンフィーリの肖像」


550
フランチェスコ・ソリメーナ(カナレ・ディ・セリーノ、1657-ナポリ、1747)の「洞窟に向かうエネアとディドーネ」(1700-40c)


551
ガスパーレ・ガスパッリーニ(マチェラータ、?-1590)の「聖母子とパドヴァの聖アントニオ」(1584)


552
ジョヴァン・バッティスタ・ベイナスキ(トリノ、1636-ナポリ、1688)の「時の寓意」(1675-80)


553
クロード・ジョセフ・ヴェルネ(アヴィニョン、1714-パリ、1789)の「漁民と海」(1750-90c)


554
市の塔の時計のからくり人形(1569-70c)


555
現代絵画の展示も充実してます。
地元出身の画家グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の作品を紹介して終わりにします。
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィレンツェのヴィッラ・プッチの門」(1905)


556
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィレンツェのダヴァンツァ―ティ広場の古い家」(1890-1905c)


557
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィエゾレのサンドリーニ通り」(1903)


558
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィレンツェのマリ通り近くの家」(1903)


559
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「若い女性の庭」(1903)


560
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィレンツェのマリア家の庭」(1905)
(つづく)(マチェラータ市立博物館の項:おわり)

378
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「異教徒を全滅させる教会」


487


379
ジュゼッペ・ガンバリーニ(ボローニャ、1680-カザレッキオ・ディ・レノ、1725)の「金色の茎を撮るエネア」


488


380
ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687-1772)の「プットたち」


489


382
ニコロ・バンビーニ通称カヴァリエール・バンビーニ(ヴェネツィア、1651-1736)の「トロイの崩壊をディドーネに話すエネア」


490


383
ルイージ・ガルツィ(ピストイア、1638-ローマ、1721)の「鍛冶するウルカヌスとヴィーナス」


491


384
パオロ・デ・マティス(ピアーノ・ヴェトラレ、1662-ナポリ、1728)の「エネアに鎧を差し出すヴィーナス」


492


385
ジャコモ・デル・ポー(パレルモ、1654-ナポリ、1726)の「Il Duo Tevere」


494


495
ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687-1772)の「プットたち」


496
ミケーレ・ロッカ通称イル・パルミジャーノ(パルマ、1671-ヴェネツィア、1751)の「処女の殉教」(1700-50c)
パルミジャニーノと混同してはいけません。


497
マチェラータの逸名画家作「マチェラータ有力者の紋章?」(17世紀)


498
サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536-フィレンツェ、1603)の「若い男の肖像」


499
シピオーネ・プルツォーネ(ガエータ、1540/1542c-ローマ、1598)の「アレッサンドロ3世・ファルネーゼ枢機卿の肖像」(1579)


500
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609-ローマ、1685)の「祈る聖母」


501
アレッサンドロ・トゥルキ通称ロルベット(オルベット)(ヴェローナ、1578-ローマ、1649)の「獄中の聖アガタを訪ねる聖ピエトロと天使」(1616-18)


502
17世紀のフランドルの逸名画家作「牧歌的な光景」


503
17世紀のエミリアの逸名画家作「聖ピエトロ」


504
17世紀のエミリアの逸名画家作「使徒の頭」


505
ピエル・レオーネ・ゲッツィ(ローマ、1674-1755)の「ガブリエーレ・フィリップッチ枢機卿の肖像」(1706)


506
マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)に帰属する「若い女性の肖像」


507
マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)に帰属する「年配の女性の肖像」


508
マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)に帰属する「若い女性の肖像」


509
マルケの逸名工芸家作「壺」(1492以前)


510
マルケの逸名工芸家作「聖ジュリアーノの壺」(1492以前)


511
中央イタリアの逸名画家作「若い男の肖像」(1600-15)


512
ヤン・フランス・ヴァン・ブロウメン(アントウェルペン、1662-ローマ、1749)の「滝のある風景」(1690-1730)


513
ルカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634-1705)の「聖家族と天使たち」


514
ヨアヒム・フォン・サンドラート(フランクフルト・アム・マイン、1606-ニュルンベルク、1688)の「修道院長の肖像」


515
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609-マントヴァ、1664)の「アッシジの聖フランチェスコ」


516
フィレンツェの逸名画家作「女性の肖像」(16世紀)


517
逸名画家作「若い男の肖像」(17世紀)


518
アントニオ・モル(ユトレヒト、1519-アントウェルペン、1577)の「アレッサンドロ3世・ファルネーゼの肖像」


519
フェデーレ・ビアンキ―ニ(マチェラータ、1790-1857)の「Signor Mazzaliの彫像」(1857)


520
フェデーレ・ビアンキ―ニ(マチェラータ、1790-1857)の「Signor Mazzaliの彫像」(1857)
(つづく)

458
次の部屋です。


459
Sala dell' Eneideです。


392
絵画が展示されてます。


386
天井のフレスコ画を見ます。


387
フレスコ画のテーマは「バッカスとアリアドネの結婚」です。


388
制作したのは、ミケランジェロ・リッチョリーニ(ローマ、1654-フラスカーティ、1715)とその息子ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687-1772)の二人です。1700年から1710年頃に制作されたフレスコ画です。


389


390


464
細部を見ます。


465
メルクリオ


466


467
クロノス


468
ジュピターとユピテル


469
ガニメデ


470
バッカスの法廷と巫女


471


472
へーべー(ゼウスとエラの娘)


473
ファーマ


474
サティーロたちと巫女


475


476


477


478


479
天井のフレスコ画を終わります。


393
壁に展示されている作品を見ます。


363
ジョヴァンニ・ジョゼッフォ・ダル・ソーレ(ボローニャ、1654-1719)の「エネアとアスカニオの邂逅」


480


366
マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648-1729)の「メルクリオとエネア」


481



368
ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687-1772)の「プットたち」


482



370
グレゴリオ・ラッザリーニ(ヴェネツィア、1657-バディア・ポレージネ、1730)の「ディドーネ(Tiroの王女)の死」


483


372
ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687-1772)の「プットたち」


484


374
グレゴリオ・ラッザリーニ(ヴェネツィア、1657-バディア・ポレージネ、1730)の「エネアのメセンツィオの戦い」


485



375
ジョヴァンニ・ジョルジの「トロイからのエネアの逃亡」


486


377
アントニオ・バレストラ(ヴェローナ、1666-1740)の「エネアとアカーテ(エネアの親友)とヴィーナス」


493
(つづく)

323
ドン・ミンツォーニ通りに面して建つブオナッコルシ宮です。


324
ブオナッコルシ宮が建っている場所は、中世の頃の城壁間近の城壁内でした。


454
1652年、ブオナッコルシ家はマチェラータの有力者として公式に認められましたが、1701年、当時の同家当主シモーネ・ブオナッコルシ(?、?-マチェラータ、1708)は、第243代教皇クレメンテ11世(ウルビーノ、1649-ローマ、1721 教皇在位:1700-1721)から伯爵に叙せられました。シモーネは、伯爵として相応しい住居を建設することにしたのです。


325
シモーネは、ベルニーニの弟子ジョヴァン・バッティスタ・コンティ―ニ(ローマ、1642-1723)に対して、この場所にあった古い家を合体させた新しい住居の建設を注文して、1718年に完成したのがブオナッコルシ宮です。シモーネは、新しい住居の完成を見ずに没してしまいましたが、住居建設はシモーネの子供たちに引き継がれ、無事に完成を迎えました。


326
ブオナッコルシ宮は市立博物館として一般公開されてます。


327
毎週月曜日が休館日となってます。
1967年、パラッツォの維持管理に費用が掛かり、家族が使用するには広大過ぎたので、ブオナッコルシ家は、パラッツォを市当局に売却しました。
マチェラータ市は、宮殿の修復後、美術アカデミーの本拠地として使用を開始して、それが1997年まで続きました。
現在は、馬事博物館と古代と現代美術品を展示する市立博物館として一般公開されてます。


328
先ず中庭に向かいます。


329
中庭とそれに続く建物は、1718年にルドヴィーコ・グレゴリーニ(ローマ、1661-1723)によって建設されました。


330
中庭の彫刻は、ジョヴァンニ・ボナッツァ(ヴェネツィア、1654-パドヴァ、1736)の作品です。


331


332
中庭から見たパラッツォです。


333


334
植木鉢は、アントニオ・ベルッチ(ピエーヴェ・ディ・ソリーゴ、1654-1726)の作品です。


455
博物館に入館します。


335
最初は馬事博物館です。


336
馬事博物館というと、まず頭に浮かぶのはピアチェンツァ・ファルネーゼ宮のピアチェンツァ市立美術館でしょう。


337


338


339


340


341


342


343


344


345


346


347


348


349


350
詳細不明です。
パラッツォ内の各部屋の装飾やフレスコ画を見て行きます。


456
バロック調、ロココ調の部屋の装飾が続きます。部屋によって装飾のトーンが異なります。


351
天井の装飾です。


352
華美なスタッコ彫刻


353
フレスコによる装飾


356
カルロ・アントニオ・ランバルディ(ボローニャ、1680-1717)の「聖ドメニコと聖フランチェスコ」(1716)


462


463
逸名彫刻家作「聖母子」(17世紀)


357
天井のフレスコ画「永遠の父なる神」


461


457
次の部屋です。


358
天井の装飾


359
(つづく)

321
サン・ヴィンチェンツォ・マリア・ストランビ広場に面して、ドゥオーモと共に建っているのがサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア聖堂です。


320
10世紀頃、既に、この地に聖母信仰の小さな祠がありました。後世に造られた、その祠が聖堂横にあります。


145
これが祠です。壁の横に「慈悲の聖母」のテラコッタがあります。


146
慈悲の聖母のテラコッタ


318
15世紀中頃、マチェラータを荒廃させたペスト禍の平癒を願う市の投票が行われ、教会の建設が決まり、祠があった場所に1447年に小さな教会が建設されましたが、それが前身です。
しかし、最初の建物は小さ過ぎたので、1497年に拡大再建されました。


319
18世紀になると、1497年に再建された建物は老朽化が顕著となったので、それを取り壊し、その上に新しい建物が再建されることになりました。そうして、建築家ルイージ・ヴァンヴィテッリ(ナポリ、1700-カゼルタ、1773)に建設が委嘱され、ルイージの設計によって1736年から1741年に建設された建物が現在の姿の原形となってます。


230
1799年7月、イタリアに侵攻してきたフランス軍兵士によって、教会にあった宝物が略奪されるとともに、機関銃で建物、彫刻などが破壊されるなど大きな被害を受けました。その後、大修復工事が行われました。


138
現在のファサードは、ジュゼッペ・ロッシ(フェルモ、1851-マチェラータ、1933)の設計によって1893年に改築されたものです。


143


231
聖堂内に入りました。


256
祭壇画の「慈悲の聖母」が違うようです。この時は、どうも複製画が入っていた?


287
お分かりになりますか?


288
これが本物、従来の祭壇画です。
16世紀の逸名画家の作品です。


232
主祭壇の左右の壁に、それぞれ2枚の楕円形の作品があります。全部で4点ありますが、全てフランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)によって、1735年頃に制作されました。
これは受胎告知です。


289
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「受胎告知」(1735c)


233
聖母の神殿奉献


290
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「聖母の神殿奉献」(1735c)


237
ご訪問


291
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「ご訪問」(1735c)


238
キリストの神殿奉献


292
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「キリストの神殿奉献」(1735c)


234
天井のフレスコ画もフランチェスコ・マンチーニによって制作されました。


293
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の聖母被昇天」


259
左右の側壁上部にセバスティアーノ・コンカの作品があります。
こちらは聖母の誕生です。


294
セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「聖母の誕生」(1741)


258
こちらは無原罪の御宿リです。


295
セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「無原罪の御宿リ」(1741)


296
クーポラ


243
祭壇横に通路があり、進めるようになってます。


244
クリプタのように見えますが、主祭壇と同じフロア、同じ高さにあります。


245
こちらの方が主祭壇よりも大きい。


246
しかし、祭壇には行けないようになっていました。


247
主祭壇裏の礼拝堂のステンドグラス


248


249
さらに先に行くことが出来ます。側壁に絵画があります。


250
磔刑


251
一周して主祭壇に戻るようになっていました。


252
主祭壇に戻ってきました。


253
見所は、フランチェスコ・マンチーニとセバスティアーノ・コンカの作品でしょう。


136
外に出ました。


322
次はMuseo Civicoです。
(つづく)

144
旧市街東端にあるストランビ広場です。広場に面してサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア聖堂(写真左)とドゥオーモが建ってます。


198
マチェラータのドゥオーモ、サン・ジュリアーノ大聖堂です。
マチェラータ₌トレンティーノ₌レカナーティ₌チンゴリ₌トレイア合区司教区の司教座が置かれてます。


199
現在、ドゥオーモが建っている場所に、10世紀末に創建され、1022年に完成したロマネスク様式の小さなサン・ジュリアーノ教会が前身です。


314
翌日は快晴になりましたが、快晴の日に撮った写真です。


316
11世紀には教区教会となり、1320年に司教座教会に格上げされました。
ロマネスク様式の最初の建物は、司教座教会としては手狭だったので、再建されることになりました。
14世紀にゴシック様式の二代目の建物が再建されました。1459年から1464年にルネサンス様式に改造されました。1478年に鐘楼が完成しましたが、それを以って二代目の建物が完成しました。


279
16世紀、17世紀、18世紀に起きた地震によって建物が徐々に劣化したので、18世紀に三代目となる建物が建設されることになり、建築家コジモ・モレッリ(イーモラ、1732-1812)の設計によって1771年から1790年に完成した新古典様式の建物が現在の姿です。
資金難のため、ファサードは未完成のまま現在に至ってます。


317
ヴェネツィア出身の建築家マリーノ・ディ・マルコ・チェドリーノ別称マリーノ・チェドリーニの設計によって1467年から1478年に建設された鐘楼は、二代目の建物のもので、現在もそのまま使用されてます。
なお、マリーノは、リミニ出身の建築家マルコ・チェリーノの弟子でした。


394
聖堂内に入りました。


419
三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


203
コリント式円柱が印象に残ります。


418
左右の側廊に5つづつの礼拝堂が設けられてます。


282
中央通路


421
天井フレスコ装飾は、チーロ・パヴィーザ(モンバロッチョ、1890-ペーザロ、1972)によるものです。


413
チーロ・パヴィーザの前にはカヴァリエール・ダルピーノのフレスコ画があったという説があります。


422
クーポラとPresbiterioにもフレスコ画があります。


412
チーロ・パヴィーザ(モンバロッチョ、1890-ペーザロ、1972)の「聖母被昇天」(1924-37)


211
クーポラのフレスコ画は、シルヴィオ・ガリンベルティ(ローマ、1869-1956)の「神学的美徳と宗教の人格化」(1938)
礼拝堂の祭壇画を見て回ります。


395
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566-1643)の「天国のカギを聖ピエトロに託すキリスト」


396
アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ、1560-1607)の「天上の聖母子と聖アンドレアと聖セバスティアーノ」


397
二番目の建物にあった作品です。


281
外部サイトから拝借した鮮明な作品画像


401
ヴィンチェンツォ・マルティーニの「聖カルロ・ボッロメオ」(1790)


403
ジョヴァンニ・バッティスタ・カランドラ(ヴェルチェッリ、1568-ローマ、1644)の「大天使聖ミケーレのモザイク」(1628)


219
大天使聖ミケーレのモザイクは、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂にありましたが、1771年にマチェラータに寄贈されたものです。


405
16世紀の逸名画家作「天上の聖母子と聖ジュリアーノとパドヴァの聖アントニオ」


212


213
アレグレット・ヌーツィ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1315c-1373)の「玉座の聖母子と聖ジュリアーノと聖アントニオ・アバーテ」(1369)


280
ドゥオーモの祭壇画の中では、最高の傑作と思います。


285
トリッティコの中央パネル


284
聖アントニオ・アバーテ


286
聖ジュリアーノ


409
フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550-マチェラータ、1604)の「最後の晩餐」(1604)


410
フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550-マチェラータ、1604)の「エマオの晩餐」(1602)


411
クリストフォロ・ウンターベルガー(カヴァレーゼ、1732-ローマ、1798)の「聖母子にマチェラータの守護を祈願する聖ジュリアーノ」(1786)


414
18世紀の逸名画家作「無原罪の御宿リ」


206
ピエトロ・テデスキ(ペーザロ、1750?-ローマ、1808以降没)の「三位一体と聖ベルナルディーノとサレスの聖フランチェスコ」


210
チーロ・パヴィーザの作品


229
左側廊


228
右側廊


200
もう一度聖堂内を見てから外に出ました。
(つづく)(ドゥオーモは終わりです)

157
城壁に向こうにサン・ミケーレ教会が見えました。


161
平日に開かないサン・ミケーレ教会なので、近付くのを止めました。


162
小雨模様で寒いので、城壁外を早々に切り上げます。


163
城壁内に戻りました。


164
幸いにも雨が止みました。


165
アントニオ・グラムシ通りです。


166
ジョヴァンニ・マリア・クレシンベーニ通りです。


168
Palazzo Floriani Carradoriです。


170
サン・セヴェリーノ・マルケの大商人アレッサンドロ・フロリア―ニが1531年から1539年に建設した邸宅です。


169
ペッレグリーノ・ペッレグリーニ通称ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴァルソルダ1527-ミラノ、1596)が設計したとされてます。
若し、そうだとすれば、創建年とされている1531年には、ペッレグリーノ・ティバルディは僅か4歳であり、完成した1539年には12歳ですから、何となく辻褄が合わない気がします。


171
1640年に改装され、18世紀後半に現在の姿に改造されました。


172
1811年、フロリア―ニ家がこの邸宅を売却しました。その後、所有者が三度変わりました。


173
20世紀初め、Palazzo Floriani Carradoriを解体して、現在、建っている場所に郵便局を新築する計画が出されました。
1913年、郵便局は他の場所に建設されることになり、解体案が放棄されました。その後、大掛かりな修復作業が行われました。


174
ここは街の西に当たります。


175
道を下って、西側の城壁に向かいました。


176旧市街の西側の入り口モンターナ門を目指しました。


177
コンベット通りです。


178
人通りがなく静寂に包まれていました。


179
モンターナ門です。


180
モンターナ門の前に学校があります。


181
モンターナ門を潜って城壁外に出ました。城壁外から見たモンターナ門です。


182
モンターナ門は、コンベット門とも呼ばれてます。門が築かれた当初は、Porta di Santa Maddalenaと名付けられていました。


183
モンターナ門付近は城壁が残されてます。


184
城壁と一体化した建物が建ち並んでます。


185
城壁沿いのトリエステ通りです。


186
トリエステ通りから見えた景観です。


187
教会の建物です。


189
展示場となっている教会だった建物のようです。


188
旧教会の名称が分かりません。


190
遠くサンティッシモ・サクラメント参事会教会が見えました。


191
再び城壁内に戻りました。


192
サン・フィリッポ教会の扉が開く時間です。


193
扉が開いてました。中に入ると、葬儀の準備中でした。葬儀を邪魔するわけにはいかないので、拝観は後程。


194
次はMuseo Civicoです。


266
マッツィーニ広場に来てしまいました。どうやら道を間違えたようです。


265
市立美術館はドゥオーモの手前にあります。


264
適当に見当を付けて歩いても大丈夫と楽観視してました。


263
道を下ります。


195
ガックリ、何故か扉が閉まっています。


197
18世紀初めに建設されたPalazzo Buonaccorsiです。


196
翌日には必ず開館することが分かったので、一安心でした。
(つづく)

109
雨が強くなってきたので、柱廊で雨宿り。しかし、幸いにも直ぐに小降りになりました。


108
サン・フィリッポ教会です。


110
ファサードは未完成で、粗壁のままになってます。


115
サン・フィリッポ教会の拝観は後程。


114
観光案内所で、この街で平日に開く教会は3つと確認しましたが、サン・フィリッポ教会はそのうちの一つです。


112
振り返るとサン・ジョヴァンニ参事会教会が見えました。


111
Corso della Repubblica


113
サン・フィリッポ教会の左側の側壁を通り過ぎ、共和国大通りを進みます。


116
写真右は県庁舎です。


117
Palazzo degli Studiです。


118
この建物は2つの通りに面して建ってます。


119
Vicolo della Rota


120
Corso della Repubblica


121
観光案内所で入手出来る地図は大変詳しいもので、街歩きに大いに役立ちます。


122
裏通りを進みます。


123
次はマチェラータ大学です。


124
マチェラータ大学の学舎は、市内数か所に分散してますが、これから行くのは、そのオリジナルとされている学舎です。


125
マチェラータ大学です。


127
マチェラータ大学は、ヨーロッパで最古の大学の一つで、1290年に遡ります。


126
学舎のロッジャに入りました。


128


129


130
ロッジャから外に出ます。


131
外に出ると旧サン・パオロ修道院の建物が聳えてます。


132
次はドゥオーモですが、この時間は閉まってます。通りの突き当りにに姿を現している建物がドゥオーモです。


134
通りの両端に古い建物が建ち並んでます。


135
ドゥオーモです。この時間は昼休みなので、後で拝観します。


136
ドゥオーモと同じ広場に面して建つサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会です。この街で平日に開く教会3つのうちの一つです。あとで拝観します。


141
Palazzo Buonaccorsi


147
司教館の入り口です。


148
城壁に向かいます。


149
道を下ります。この辺は街の東端に当たります。


151
サン・ジュリアーノ門です。


152
門は閉鎖されて使用されてません。城壁が取り壊され、車通行のため道路が造られました。


156
城壁外に出ました。


153
城壁を出た所に街の案内板があります。


150
城壁が取り囲む旧市街は高台にあります。


154
天気が良ければ、景観が楽しめます。


155
風が少しあって寒さが気になりました。


158


159
(つづく)

048
県庁舎 Palazzo del Covernoです。


050
Palazzo del Covernoはリベルタ広場の北側にあります。


051
13世紀終わりに建設されたプリオリ宮とポデスタ宮の2つの建物を15世紀終わりに統合させて一つの建物にしたものです。


049
15世紀終わりに出来たPalazzo del Covernoは、教皇庁の住居として使用され、枢機卿が住んでいました。20世紀から県庁舎になってます。


069
アントニオ・グラムシ通りです。


070
20世紀前半に建設された、ネオ・ルネサンス様式のPalazzo degli Studiです。


072
この場所には古い修道院がありましたが、それが取り壊されて新たに建設されました。


071
建設の目的は、県内学校の本拠地でしたが、第二次世界大戦後県庁舎になり、一部は県知事公邸になっているようです。


073
Palazzo De Vicoです。


074
地元出身の著名な法学者マッテオ・デ・ヴィーコが16世紀初めに建設しました。1795年に現在の姿に改造されました。


075
この近辺では新しい建物です。


076
チェーザレ・バッティスティ広場です。


077
塔のような建物です。


078
16世紀に建設されたCasa Ulissiです。


079
Play Boyの建物?(入り口扉に書いてありました)


080
狭い通りの建物を丹念に見て歩きました。


081
ジャコモ・マッテオッティ通りの柱廊です。


082
ディアマンティ宮です。フェッラーラの国立絵画館となっているディアマンティ宮にそっくりです。


083
フェッラーラのシジスモンド・デステ侯爵(フェッラーラ、1433-ローマ、1507)(ニッコロ3世・デステ公爵の息子)が、フェッラーラのディアマンティ宮をモデルにして、1493年から1503年に建設させました。


084
ディアマンティ宮の中に入ってみました。


085


086
何の紋章でしょうか?


087
ディアマンティ宮は売りに出されて、5つ星ホテルになるという話がありましたが、コロナ禍の影響で、その計画は進んでいないようです。


088
小道のアーチを潜ります。


089
壁に書かれた数字は番地のようです?


090
Palazzo Costaです。


092
地元の貴族ベネデット・コスタが1754年に建設したPalazzo Costaです。


091
新古典様式のファサードのPalazzo Costaです。


093
16世紀中頃に建設されたPalazzo Ciccoliniです。


094
Palazzo Ciccoliniの設計者は、ペッレグリーノ・ペッレグリーニ通称ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴァルソルダ、1527-ミラノ、1596)に帰属すると言われてます。


096
グリエルモ・オベルダ広場です。写真右の建物はPalazzo Ciccoliniです。


095
郵便局の建物です。


100
絵画館があります。


098
絵画館が置かれているPalazzo Ricciです。


099
この場所に16世紀後半に建設されたリッチ家邸宅がありましたが、アントニオ・リッチ侯爵が1764年から1772年に再建した建物が現在の姿です。


097
19世紀の絵画作品を展示する絵画館となってます。


102
ヴィットリオ・ヴェネト広場に面して建つサン・ジョヴァンニ参事会教会です。


103
1625年、イエズス会によって建設されたバロック様式の教会です。


107
ファサードにイエズス会の紋章があります。


106
2016年の地震によって大きな被害を受け、立ち入りが危険と判断され閉鎖中です。


101
修復工事が2021年完了とされてますが、工事が遅れ気味なので、どうでしょうか?


104
ヴィットリ・ヴェネト広場です。


105
(つづく)

026
普通列車に乗車してマチェラータ駅に向かいます。
コロナ禍プラス体調のせいで、大好きなイタリアとご無沙汰が続いてますが、このところ急速にイタリア熱が冷めているのを実感してます。


008
マチェラータ駅に到着しました。


275
マチェラータは、人口41,010人(2020年4月30日現在)のマルケ州マチェラータ県の県都です。


277
駅のホームからサンティッシモ・サクラメント教区教会が見えます。カプチン会によって1540年に建設されました。


274
マチェラータ駅の駅舎です。


272
駅前から旧市街が見えます。この日のお宿は城壁内にあります。


273
駅前にタクシーが常駐しています。疲れ気味だったので、タクシーでホテルに向かいました。


027
この日のお宿です。


028
チェックインを済ませてから直ぐに外出しました。
城壁内のPorta Mercatoが写ってます。


029
マッツイーニ広場です。


031
広い広場です。中世の頃から市場広場です。


030
青空市が立たない日は、広場は閑散としてます。


032
写真左の建物は、Ufficio del Territorioです。


033
現在、建物は売りに出されているようです。


034
この日の夕食をここで食べることにして、予約しました。


035
ラウロ・ロッシ通りです。


036
先ずサンタ・マリア・デッラ・ポルタ教会に向かいます。


037
上り下りがある道です。


039
マチェラータは、ルネサンス、バロックの建物で溢れてます。


038
ラウロ・ロッシ広場です。


040
サンタ・マリア・デッラ・ポルタ教会です。その歴史は古く10世紀に遡るゴシック様式、ルネサンス様式の建物です。


041
その後、修復、改造されました。


042
2016年と2017年に起きた地震によって被害を受け、現在は閉鎖されてます。


043
坂道を上ってリベルタ広場に向かいます。


044
リベルタ広場です。広場に面して、街の重要な建物が建ってます。


045
市の塔です。高さが62メートルあります。
1492年に創建され、17世紀後半に完成しました。


047
リベルタ広場が街の中心でしょう。


046
市庁舎 Palazzo del Comuneです。
大学本部の建物として1606年に建設されましたが、1665年に市庁舎となり、現在に至ってます。


058
1810年に一部再建されました。


060


059
ロッジャから中庭に入ります。


061
市庁舎の中庭です。


062
噴水


063


064


065
ローマ時代の発掘物があります。


066


067


068
市庁舎からリベルタ広場に出ました。


052
リベルタ広場に面して建つサン・パオロ教会です。


053
1623年から1655年に建設されました。


054
19世紀に宗教活動を停止した旧教会です。
教会の建物は、第一次世界大戦では穀物倉庫、第二次世界大戦中には金庫として使用されましたが。1960年から大学となってます。


055
教会横の大学の入り口です。


057
(つづく)

039
教区美術館が休館だったので、時間が余りました。


040
交通の便が良いとは言えないので、時間が余っても予定変更は容易ではありません。


041
仕方がないので、ぶらぶら歩きで時間潰しです。教会巡りをしても扉が開いている所は少ないでしょう。


042
写真右はサン・ジュリアーノ教会です。


043
1000年に建設されたロマネスク様式のサン・ジュリアーノ教会です。


044
長年に渡って改修、改造が行われましたが、1950年頃から時間をかけて復元工事が行われてます。


046
何の建物でしょうか?


047
外壁がフレスコ画で装飾されてます。


048
階段を上って、少し高い所から眺望を楽しみます。


049


050


051


052


055
ドゥオーモに行って、もう一度カルロ・クリヴェッリの傑作を楽しむことにしました。


056
ガエターノ・オルソリーニ(1884-1954)の「ミネルヴァ女神の『ラ・ヴィットリア』」(1927)です。アスコリ・ピチェーノの堕落の記念碑となってます。


060
アッリンゴ広場


058
ジョルジョ・パーチのブロンズ製フォンターナ


107
心残りの教区美術館


059
ドゥオーモの拝観です。


068
聖堂内に入りました。


069
カルロ・クリヴェッリの多翼祭壇画があるサクラメント礼拝堂です。


077
これが見納めです。


096
馬車の車輪除け


097
アスコリ・ピチェーノの紋章


098
聖母子と二聖人


099
ポポロ広場に戻ってきました。


131
中々時間がつぶれません。


129
サン・フランチェスコ修道院教会を再び訪れます。


134
中に入りました。


135


136


137
主祭壇


138


139


120
サン・クリストフォロ教会です。


121
サン・クリストフォロ教会横にあるのは、12世紀に遡るFontana di Cani(犬の噴水)です。


122
元々サンタ・ゴスティーノ教会にありましたが、後に移設されました。


124
疲れてきました。


125
あちこち歩くのが嫌になってきました。


126
予定よりも1時間半ほど早いですが、ホテルに戻ることにしました。


114
ホテルに預かって貰った荷物を受け取り、駅に向かいました。


117
(アスコリ・ピチェーノの項、おわり)

001
ホテルの自室内に植物画がありました。


002
イギリスでは植物画が盛んです。


003
イタリアでは、ホテルで植物画を目にします。ミラノのミケランジェロ・ホテルにも植物画が多かったと思います。


017
翌朝です。


018
その日の主な目的は教区美術館に行くことでしたが、その開館時間までロマネスク様式の教会巡りです。


020
道の突き当りに教会が建ってます。


021
サン・グレゴリオ・マーニョ教会です。


272
この場所に、紀元前1世紀に建設された女神イシスに捧げられた神殿がありましたが、キリスト教が解禁されると何時しか神殿は初期キリスト教会として転用されました。


024
13世紀、既存の旧イシス神殿の空間を利用にして、ロマネスク様式の建物が建設されましたが、それが今の姿の原形です。


022
18世紀に、建物は修復と改造を受けましたが、1935年から1940年に行われた修復工事の際、元のロマネスク様式に復元されました。


023
14世紀に追加された鐘楼です。


025
次はサン・ジャコモ・アポストロ教会です。


273
1250年に創建され、14世紀初頭に完成したロマネスク様式のサン・ジャコモ・アポストロ教会です。


274
後陣です。
数度修復と改造を受けましたが、19世紀に元の姿の戻されたそうです。


275
入口扉上ルネッタの彫刻が見物とされてます。


276
13世紀末の彫刻


026
一旦、城壁外に出ました。


027
次はサンティラリオ教会です。


277
サンティラリオ教会です。


278
10世紀に建設されたロマネスク様式のサンティラリオ教会です。幾度となく改造と修復を受けてます。


280
ナポレオンの抑圧令によって、19世紀に教会活動を停止した旧教会です。
建物は近隣の人たちの集会場に転用されましたが、1872年、オークションで個人に転売され民家となりました。この階段は、その所有者によって追加されたものです。


279
壁の装飾


281
現在の旧サンティラリオ教会のファサードで、改造されたままです。
現在、旧サンティラリオ教会の建物はEmygdius Museumになってます。
そろそろ教区美術館の開館時間です。


029
教区美術館がある司教館にやってきました。ドゥオーモの鐘楼が写ってます。


031
カルロ・クリヴェッリの作品が美術館のシンボルになってます。


030
ピエトロ・アレマンノの作品もシンボルとなっているようです。


032
教区美術館の入り口です。


033
ここでゆっくり鑑賞するために午前中の時間をたっぷりと充てていました。


034
開館時間を10分ほど過ぎても扉が開きません。
美術館の事務所に行ったら、3人いましたが、今日の担当者が急遽休暇を取ったので、美術館は臨時休館にしたとのこと。
バカバカ、やってられるか、憤慨!
美術館の展示作品を3点載せておきます。


282
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「ポッジョ・ブレッタの聖母」(1470以降)


283
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480/1489-アスコリ・ピチェーノ、1495/1496)の「玉座の聖母子と聖人たち」


284
ピエトロ・ヴァンニーニ(マルケ、1413/1414-1495/1496)の「聖エミディオ像」


035
その後に起きた地震のため、教区博物館は休館が続いてます。


036
次は城壁外にあるサンタ・マリア・デッレ・ドンネ教会です。


288
サンタ・マリア・デッレ・ドンネ教会です。


286
1230年から1232年に建設されたロマネスク様式のサンタ・マリア・デッレ・ドンネ教会です。


285
地震によって危険と判断されて閉鎖されているようです。


287
ファサードのバラ窓
中に古いフレスコ画が残されてます。


291
磔刑(13世紀)


289
聖母子と聖人たち


290
聖母子(13世紀)


037
(つづく)

238
次はサン・トンマーゾ・アポストロ教会です。


241
サン・トンマーゾ・アポストロ教会にやってきました。
1064年、当時の司教ベルナルド2世の主導によって、サンタゴスティーノ修道会 Ordine di Sant' Agostinoのために建設されたロマネスク様式の教会です。


240
現在の外観は、13世紀に行われた改造後の姿です。


242
鐘楼の、1283年の年号が入った鐘は、アスコリ・ピチェーノ最古の鐘と言われてます。


239
ファサード右は、サン・トンマーゾ・アポストロ修道院だった建物で、市立セラミック美術館となってます。


243


244
次は、サンティ・ヴィンチェンツォ・エ・アナスタージオ教会です。


246
アーチの道の先にヴェンティ―ディオ・バッソ広場があり、広場に面して2つの教会があります。


249
サンティ・ヴィンチェンツォ・エ・アナスタージオ教会です。
4世紀から6世紀に、この場所の半地下にあった小礼拝堂が起源とされてます。現在の建物は、9世紀に建設されたロマネスク様式が、その後拡大改修され、改造工事が完了した1389年の姿です。


1097
鐘楼


1098
後陣


1099
ファサード側の入り口


1100
扉上ルネッタの彫刻(14世紀)


1101
1389年の碑文


1102
ライオン像


1103
次はサン・ピエトロ・マルティーレ教会です。


273
ヴェンティ―ディオ・バッソ広場を挟んで、サンティ・ヴィンチェンツォ・エ・アナスタージオ教会の向かいにサン・ピエトロ・マルティーレ教会があります。


247
サン・ピエトロ・マルティーレ教会の右側外壁です。


248
ヴェンティ―ディオ・バッソ広場は大駐車場になってます。
サン・ピエトロ・マルティーレ教会のファサード側に回ります。


272
サン・ピエトロ・マルティーレ教会のファサードです。


270
1250年、ドメニコ会修道士のパドヴァのフラ・ピエトロがアスコリ・ピチェーノに到着しました。アスコリに定住して多くの信者を集めました。
それを記念して1280年に創建され、15世紀前半に完成したドメニコ会の教会です。


271
ファサードは、コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480/1489-アスコリ・ピチェーノ,1547/1559)の設計によって、1523年に建設されました。


1104
後陣
完成時はゴシック様式でしたが、16世紀後半から改造工事が行われ、ゴシック様式とバロック様式の折衷となってます。


250
ファサード側の入り口は大体閉まっていて、身廊側の扉から中に入ります。


251
中に入りました。


256
三廊式で翼廊がありません。


267
16世紀に行われた改造によって、10本の円柱が追加されました。


268
長さ62メートル、幅26メートルの、この街で最大の教会です。
所々に残るフレスコ画を見て行きます。


1105
制作者情報不知の「聖人たち」(15世紀初め)


254
Maestro di Offida (マルケ、14世紀中頃-15世紀初頭活動)の「我に触れるな」(14世紀中頃)


1106
柱のフレスコ画


262
Maestro di Offida (マルケ、14世紀中頃-15世紀初頭活動)の「聖母子」(14世紀中頃)


263
14世紀初めの逸名画家作「聖母子」


269
二コラ・ディ・ウリッセ・ダ・シエナ(シエナ、1442-1470活動)の「聖アントニオ・アバーテ」


1107
15世紀のフレスコ画


1108
15世紀のフレスコ断片


260
Presbiterio
祭壇画を見て回ります。


252
ロドヴィーコ・トラージ(アスコリ・ピチェーノ、1634-1694)の「法悦のシエナの聖カテリーナ」


257
ロドヴィーコ・トラージ(アスコリ・ピチェーノ、1634-1694)の「三位一体と聖ドメニコ」


258
ブオノコーレ・カンブリの「聖家族と聖ジョヴァンニーノとドメニコ会士たち」


259
詳細不知


261
ルイージ・デ―ヴォの「ロザリオの聖母」


264
詳細不知


265
ジュゼッペ・アンジェリ―ニ(アスコリ・ピチェーノ、1675-1751)の「聖母子とシエナの聖カテリーナと聖人たち」


266
トンマーゾ・ナルディーニ(アスコリ・ピチェーノ、1658-1718)の「天上の聖母と聖人たち」
17世紀の作品ばかりのようです。


016
外に出ました。
初日はこれで終わりです。
(つづく)

218
ポポロ広場です。


219
Palazzo del Capitano


221
写真左に写っているのは有名なカフェです。


222
Palazzo del Capitanoの中に入りました。


223


224


225
先ほど拝観したサン・フランチェスコ教会修道院です。


220
中世の空間をゆっくり散策します。


226
自治都市の時代から栄えていたポポロ広場です。


227
次はサンタゴスティーノ教会です。


228
ジュゼッペ・マッツィーニ通りからサンタゴスティーノ広場に向かいました。


233
サンタゴスティーノ広場にやってきました。


232
面白い建物があります。


1074
よく見るとアンバランスな感じがする二本の塔とパラッツォが目立ちます。


230
Palazzo Merli e Torre Gemelle
メルリ家が自宅として、1927年から1929年に建設した新古典様式のPalazzo Merliです。


235
12世紀に建設された高さ25メートルの二本の塔です。


236
1885年、二本の塔はメルリ家によって購入されました。Palazzo Merliを建設するに当たって二本の塔を組み込むことにしたそうです。


229
サンタゴスティーノ教会です。


231
1239年にアスコリ・ピチェーノにサンタゴスティーノ修道会 Ordine di Sant' Agostinoが到着しましたが、1242年、この場所に同会修道士によってロマネスク様式の教会が建設されました。
1317年から1381年にかけてゴシック様式に拡大されました。1483年にルネサンス様式に内部が改造されました。
1547年にファサードが完成しました。
残念ながら扉が閉まっていました。


1075
この作品が観たかったのですが・・・・・
フランチェスクィッチョ・ギッシ・ダ・ファブリアーノ(マルケ、1345-1374活動)の「Madonna della Pace」(1350)


237
次はサンティッシマ・アンヌンツィアータ修道院教会です。


1081
サンティッシマ・アンヌンツィアータ修道院教会の全景です。


1080
修道院教会の前はサンティッシマ・アンヌンツィアータ公園です。


1076
サンタゴスティーノ女子修道会によって1250年に建設された女子修道院が前身です。


1077
現在の建物は1485年から1514年に再建されたものです。


1078
修道院だった建物は学校として使用されてますが、教会の方は今なお宗教活動が行われてます。


1079
鐘楼


1090
ファサードの丸窓


1082
壁龕があります。


1083
多分フレスコ画があったと思います。


1084
ここにもフレスコ画があったと思います。


1085
ファサードの下にある柱廊です。


1086
柱廊


1087
柱頭


1088
柱頭


1091
柱廊にあるメイン扉です。


1089
メイン扉上ルネッタのフレスコ画は、コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480/1489-アスコリピチェーノ,1547/1559)の「受胎告知」
この修道院教会には、カルロ・クリヴェッリの最高傑作がありました。


1096
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「受胎告知」(1486)です。
1486年から1790年まで、この教会の主祭壇を飾っていました。


1093
1790年、ナポレオン軍によって接収されてしまいましたが、1811年からミラノのブレラ絵画館で展示されるようになりました。
フランスへの流失が避けられ、このままならば問題がなかったのですが、1820年、他の絵画と共に古文書と交換され、イタリアから流失してしまいました。


1092
1830年、この作品は何故か骨董品市場に出され、個人蔵となりました。この作品の所有者は数回変わったそうですが、1864年にイギリスのナショナル・ギャラリーが購入し、修復後、ナショナル・ギャラリーで展示されるようになり現在に至ってます。
この経緯を知ると、カルロ・クリヴェッリとこの作品の評価が今とは考えられないほど低かったことが分かります。


1095
キオストロ回廊の入り口です。


1094
キオストロ回廊
(つづく)

182
見所が多いので、泊まっても時間が余ることはないと思います。


184
アスコリ・ピチェーノからのバス便が充実しています。この街に数泊してバス利用の日帰り遠足するのも良いでしょう。


185
突き当りがジュゼッペ・マッツィーニ通りです。


188
Palazzo della Cassa di Risparmioです。


186
銀行の建物です。


192
現在はBanca dell' Adriaticoが使用してます。


189
ジュゼッペ・マッツィーニ通りです。


190
銀行の建物です。


191


193
銀行本部の建物


194
次はサンタ・マリア・インテルヴィネアス教会です。


195
Arco di Carlo Magnoです。
12世紀から13世紀に建設されたPalazzo Senatorialeがありましたが、取り壊され、このアーチ部分だけが残されてます。


196
サンタ・マリア・インテルヴィネアス教会です。


199
996年の文書に、この教会の存在が初めて記載されているそうです。


197
12世紀末に再建工事が開始され、13世紀に完成した後期ロマネスクとゴシックの折衷様式の建物です。


198
サイド・ポータルのルネッタ上の浮彫


1068
サンタ・マリア・インテルヴィネアス教会のファサード


1069
12世紀から13世紀に建設された鐘楼です。


200
次はサン・フランチェスコ教会修道院です。


201
サン・フランチェスコ修道院のキオストロ回廊です。


203
Ordine dei Frati Minori Conventualiによって13世紀に建設された修道院です。


202
1861年に修道院は閉鎖され、その後、事務所、学校、兵舎に使用されました。現在は公の市場として使用されてます。また、旧修道院の一階(日本の二階)は聖職者の住居になってます。


205
キオストロの井戸


204
次はサン・フランチェスコ教会です。


063
ポポロ広場に面してます。


078
1215年、アッシジの聖フランチェスコがアスコリ・ピチェーノに訪れました。直ぐに教会の建設が決まりましたが、工事が着工したのは1258年でした。建物は未完成でしたが、13世紀後半には活動が開始されました。


083
1371年に奉献式が執り行われましたが、献堂する聖人は聖フランチェスコではなく、聖ジョヴァンニ・バッティスタになったのです。しかし、名称はサン・フランチェスコ教会修道院のままでした。
1547年から1549年にクーポラが建設されましたが、クーポラの工事が完成した1549年を以って教会修道院の完成となりました。


080
ポポロ広場に面した、ゴシック様式のサイド・ポータル(左側)です。


081
ベルナルディーノ・ディ・ピエトロ・ダ・カローナの「教皇ジュリオ2世のモニュメント」(1506-10)


209


082
サイドポータル上ルネッタの紋章


1071
鐘楼


1070
ファサード


208
ファサードの向かって右側の側壁です。


207
右側壁にある入り口がメイン・ポータルとされてます。


1072
メイン・ポータル


206
メイン・ポータル上ルネッタのフレスコ画


1073
Loggia dei Mercanti


210
中に入りました。


213
説教壇


214
質素、質実剛健です。


215
美術的な見所ですが、強いて言えばステンドグラスでしょうか?


216


211


212
洗礼者ヨハネを祀る教会とは意外でした。


217
(つづく)

135
次はクリプタです。


136
カンポ・パリニャーノのカタコンベに街の守護聖人聖エミディオ・ディ・アスコリ(トレヴィリ、273-アスコリ・ピチェーノ、303/309)の聖遺物(遺体)がありました。11世紀中頃のアスコリ・ピチェーノ司教アスコリ・ベルナルド2世は、聖エミディオの聖遺物をアスコリ・ピチェーノに安置して祀るために11世紀中頃に建設されたクリプタです。


139
11世紀中頃に建設されたクリプタは荒廃が進んだので、1703年に修復改造されました。現在の姿は、この修復改造後のものです。


140
ヴェローナ産赤大理石の柱が印象的です。


152
クリプタ主祭壇の彫刻は、ラッザロ・ジョサファッティの「ポリシアを洗礼する聖エミディオ」(1728-30)


153
この部分は16世紀に改修されたものの、1703年に改造されませんでした。


1067
ここに聖エミディオ、殉教者たちの遺骨が納められています。


137
クリプタ天井のフレスコ装飾


138


151


141
クリプタにモザイクがあります。一見して新しいモザイクであることが分かります。


142
ピエトロ・ガウデンツィ(ジェノヴァ、1880-アスコリ・ピチェーノ、1955)のデザインに基づき1950年から1954年に制作されたモザイクです。


143
モザイクのテーマは、第二次世界大戦においてアスコリ・ピチェーノで起きた出来事です。


144


145


146


147


148


149


150


154


117
外に出る前に、もう一度サクラメント礼拝堂に行きました。


118
カルロ・クリヴェッリの多翼祭壇画を再び鑑賞。


180
外に出ました。


181
次は、この日のお宿向かいにあるサン・ヴェナンツィオ教会に向かいました。


043
この日のお宿のフロントで、サン・ヴェナンツィオ教会の開く時間を教えて頂きましたが、その通り、扉が開いてました。


024
中に入りました。


025
単廊式です。ロマネスク様式の外観と異なり、感じが随分違う内部です。


026
感じが異なるのは、エミディオ・フェレッティの設計によって、1667年から1671年にバロック様式に改造されたからでしょう。


037
多くの祭壇画などがありますが、作品帰属など、それらの詳細が分かりません。


036
慈悲の聖母


035
聖マルティーレ(1290-1310)


034


033
受胎告知


032
聖母戴冠


031
磔刑


030
聖母被昇天


029


028


027


038


183
外に出ました。
(つづく)

1059
本堂に戻りました。


1060
Presbiterioのチボリオがあります。


158
ジュゼッペ・サッコーニ(モンタルト・デッレ・マルケ、1854-ピストイア、1905)のチボリオ(1895)


176


159
クーポラ、後陣、内陣天井などフレスコ画が沢山あります。


175
一見して新しいフレスコ画であることが分かります。


177
19世紀のフレスコ画家チェーザレ・マリア―ニ(ローマ、1826-1901)とチェーザレの協力者だったガエターノ・ヴァン二コラ(オフィダ、1859-グロッタンマーレ、1923)によって1884年から1894年に制作されたフレスコ画です。


178


070
古いフレスコ画が落剝など劣化したので、殆どが塗り潰されて、その上に制作されたフレスコ画です。


071


072


074
クーポラ


075


076


086


087
マドンナ・デッレ・グラツィエ礼拝堂です。


1065
1567年に建設されたマドンナ・デッレ・グラツィエ礼拝堂ですが、荒廃したので1958年に復元されました。
礼拝堂のモザイクは、ラヴェンナのモザイク工房によって1961年に制作されました。


1064
オルガンが礼拝堂に設置されています。


167
Presbiterio


166


164


165


163


1066
制作者情報不知の「聖エミーディオ像」


160
右側廊天井


161


115


162
クリストフォロ・カッファレッリの「聖エミーディオの物語」


114
クリストフォロ・カッファレッリの「聖エミーディオの物語」


172


173
磔刑の礼拝堂です。


174
聖具室への入り口扉


1061
説教壇


088
制作者情報不知の「カルヴァリオへの上り」


089
制作者情報不知の「カルヴァリオへの上り」


090
制作者情報不知の「カルヴァリオへの上り」


1062
左側廊の鐘楼に隣接する礼拝堂です。


093
古いフレスコ画が残されてます。


092
Maestro del Polittico di Ascoliに帰属するフレスコ画(14世紀)


091
「磔刑」の部分が比較的良い状態で残されてます。


1063


171


170


169
(つづく)

018
アッリンゴ広場に建つドゥオーモ Basilica Minore Cattedrale di Santa Maria Madre di Dio e Sant' Emidioです。通常、サンテエミーディオ大聖堂と呼ばれてます。
アスコリ・ピチェーノ司教区の司教座教会です。


020
現在のドゥオーモの土地に4世紀以前頃に建設されたミューズに捧げられた神殿がありました。4世紀から5世紀頃、その神殿を初期キリスト教会に転用しましたが、それが前身です。


059
5世紀から6世紀にかけてNavataが追加され、746年から780年にクーポラ、翼廊、後陣が増築されました。
9世紀初め頃の建物の大きさは、縦32m、横13m、高さ9mだったそうです。
11世紀に拡張工事が行われ、その際、ロマネスク様式の建物となりましたが、15世紀第4四半世紀まで、そのロマネスク様式の姿が続きました。


1050
1481年、古いファサードの解体と再建、三廊式への増築改造が決定され、工事が開始されました。
ファサードは、コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ、1547・1559)の設計によって、1529年から1539年に建設されました。
ゴシック・ルネサンス様式の現在の姿は、1539年に完成したものがその原型となってます。


061
ファサードに向かって左側にサン・ジョヴァンニ洗礼堂があります。


108
9世紀頃に建設され、11世紀に今の姿のロマネスク様式になりました。


1051
鐘楼


028


062
ファサードに向かって右側の外壁です。


063
1857年、第255代教皇ピオ9世(セニガッリア、1792-ローマ、1878 教皇在位:1846-1878)によってBasilica Minoreに格付けされました。


064
ミューズの入り口と言われてます。


015
旧市街に入ってくると、後陣が目に飛び込んでます。


108
8世紀頃に建設された後陣です。


109
ファサード側の入り口です。


113
聖堂内に入りました。


168
三廊式、ラテン十字形、ロマネスクとゴシックの折衷様式の内部です。


116
先ずサクラメント礼拝堂に向かいました。


157
主祭壇、後陣のすぐ右にサクラメント礼拝堂があります。


132
礼拝堂の中に入りました。


134
1795年から1838年に建設されたサクラメント礼拝堂です。


133
礼拝堂の天井


125
サクラメント礼拝堂の祭壇画は、カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「サンテミ―ディオの多翼祭壇画」(1472-73)です。


1052
全パネルが完全な形で残されてます。しかし、向かって右の裾絵の一部は、20世紀末の盗難事件の際、損傷を受けて複製に置き換えられということです。


1053
多翼祭壇画の台として使用されている銀製の祭壇前飾り(14世紀)


079
木製聖体容器(16世紀後半)


078
1472年、当時の司教プロスペロ・カッファレッリがドゥオーモの主祭壇に飾るべく、カルロ・クリヴェッリに注文したもので、1473年に完成しました。


119
完成後、この多翼祭壇画は、ドゥオーモの主祭壇に置かれました。この礼拝堂に移設されたのは1894年のことで、それまで主祭壇に置かれていました。


1054


120


122


1055
聖母子


124


126


1056
ピエタ


1057
聖ジローラモ


1058
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ?


130
クリストフォロ・カッファレッリの「聖エミーディオの殉教」


131
クリストフォロ・カッファレッリの「信者を洗礼する聖エミーディオ」


179
サクラメント礼拝堂でカルロ・クリヴェッリの作品を観れば、ドゥオーモの拝観は終わりにしても良いかも知れません。
(つづく)

023
ドゥオーモのファサードに向かって右側にアッリンゴ宮があります。


1011
1183年、アスコリがコムーネになったことを機に建設されたアッリンゴ宮です。


022
現在のファサードなどの建物は、1679年から1745年に改造されたものです。


021
アッリンゴ宮前のGiovanni Jeciniデザインの噴水(1882)


1030
アッリンゴ宮は、市庁舎として使用されてますが、その一部に絵画館が置かれてます。


1014
絵画館の入り口です。


095
絵画館は、アッリンゴ宮の1階(日本の2階)と2階(日本の3階)にあります。


097
アスコリ・ピチェーノ市立絵画館の展示ですが、人口五万人弱規模の市立絵画館としては質と量において、イタリアでも特筆される存在でしょう。
現在は写真可となってますが、長らく写真不可でした。実は、アスコリ・ピチェーノに行ったのは三回あり、その都度絵画館に入館しましたが、写真可となってからは一度も訪れたことがないのです。行こう、行こうと思いながらも、ロレンツォ・ロット熱が若干醒めてからは、マルケ州に足を向けることが少なくなっているので、勢いアスコリ・ピチェーノには足が遠のいている次第です。
絵画館の紹介では作品画像等がないと話になりません。仕方がないので、外部サイトから写真を拝借することにしました。


1012
ピエトロ・アレマンノ(オーストリア、1430/1440-アスコリ・ピチェーノ、1498)の「慈悲の聖母のポリッティコ(多翼祭壇画)」(1489)


1013
この絵画館の代表的な作品の一つです。


1015
素晴らしい絵画館です。


1016
展示は14世紀から20世紀の幅広い作品が並んでます。


1017
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「Secondo Trittico di Valle Castellano」


1018
保存状態があまり良くありませんが、クリヴェッリの傑作の一つでしょう。


1019
この絵画館のシンボルとなってます。


1029


1020
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「Primo Trittico di Valle Castellano」


1021
詳細不知


1022
詳細不知


1023
詳細不知


1024
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1542)の「受胎告知」(1629)


1025


1026


1028


1027


1448
ルドヴィーコ・トラージ(アスコリ・ピチェーノ、1634-1694)に帰属する「聖母子」(1650-90c)


1034
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ,1547/1559)の「玉座の聖母子と四聖人とピエタの多翼祭壇画」


1035
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ、1547/1559)の「祝福を与えるキリスト」


1037
ピエトロ・アレマンノ(オーストリア,1430/1440-アスコリ・ピチェーノ、1498)の「受胎告知」


1038
ティツィアーノ・ヴェッチェリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1570c)


1042



1039
ジュゼッペ・カンタラメッサ(アスコリ・ピチェーノ、1846-ローマ、1924)の「Cecco d' Ascoli che tiene una lezioe a Firenze」(1875)


1041
詳細不知


1043
ヴェネト=クレタの逸名画家作「授乳の聖母」


1044
オラツィオ・ディ・フェッラーリ(ヴォルトリ、1606-ジェノヴァ、1657)の「サムソンの捕縛」(1640c)


1045
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ、1547/1559)工房作「慈悲の聖母」(1530-50c)


1046
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ、1547/1559)の「聖母子と四聖人」(1520-30c)


1047
ジョヴァンニ・アントニオ・ダ・ルーコリ(1491-1539)の「幼きキリストを崇拝する聖母」(1529-32)


1049
オラツィオ・ディ・フェッラーリ(ヴォルトリ、1606-ジェノヴァ、1657)の「イサクの犠牲」(1650-57)


098
外に出ました。


102
アッリンゴ宮の中庭です。


100
この他にもグイド・レーニの「聖セバスティアーノ」、グエルチーノの「キリストの逮捕」、ルカ・ジョルダーノの「聖ジュゼッペの死」、カルロ・マラッタの「クレメンテ9世の肖像」などの傑作があります。


101
少し疲れました。


099
(つづく)

071
ポポロ広場の建物を見て回ります。


085
優美で華やかな広場としてイタリア屈指と言われてます。


070
1513年に創建されたメルカンティ館です。ギベリーニ党(皇帝派)の狭間が目立ちます。


068
ポポロ広場に面してサン・フランチェスコ教会が建ってます。


065
天井下の外壁にフレスコ画があります。


066
描かれているのは紋章でしょうか?


067
13世紀以前に建設され、1518年から1546年にルネサンス様式で改修拡大されたPalazzo dei Capitanoです。現在、文科省所有となっており、市議会の議場として使用されている他、展示会などの会場になってます。


1004
Palazzo dei Capitanoのファサードの彫刻を見ます。
ラッザロ・ディ・フランチェスコの「教皇パオロ3世のモニュメント」


1005


1006


1007
ロッジャの内壁に描かれたフレスコ画です。
ピエトロ・アレマンノ(オーストリア?、1430/1440c-アスコリ・ピチェーノ、1498)の「マルカの聖ジャコモ」(1490)


069
中に入ることが出来ます。


074
中庭です。


073


072
三階建てです。


075
14世紀のアスコリ・ピチェーノの紋章


076
上の階に行きます。


1008
部屋の扉が閉まっていました。フレスコ断片があるくらいです。


079
外に出ました。昼過ぎのこの時間はサン・フランチェスコ教会は閉まっています。


084
サン・フランチェスコ教会の拝観は夕方にします。


086
中世の頃、行商の人たちや雨天の市場として賑わっていたロッジャ・ディ・メルカンティです。


087
ポポロ広場に何度も来るようになります。


088
路地を通って、ファウスト・シモネッティ広場に向かいます。


089
ファウスト・シモネッティ広場に建つのは、18世紀初頭から1797年に建設されたPalazzo San Filippoです。


090
現在、Palazzo San Filippoは県庁舎 Palazzo del Governoになってます。


091
17世紀から18世紀の建物が建ち並んでます。


092
トレント・エ・トリエステ通りです。


093
州立考古学博物館、ドゥオーモの拝観、市立絵画館に入館するためにアッリンゴ広場に向かいます。


094
アッリンゴ広場にやってきました。


111
旗が掲げられている建物が州立考古学博物館です。


105
16世紀に建設されたPalazzo Panichiが考古学博物館になってます。


016
何処の考古学博物館でもその展示内容は似たり寄ったりです。


1009
考古学博物館の入り口


1010
展示は予想通りでした。


104
ドゥオーモの扉が開いていたので、拝観しました。ドゥオーモについては後程纏めてアップします。


107
洗礼堂


118
カルロ・クリヴェッリの多翼祭壇画が秀逸です。


106
次は市立絵画館です。


096
入館しました。


023
市立絵画館には大満足です。その内容については、後程纏めて掲載します。


017
市立博物館で唯一残念だったことは、写真不可だったことです。
(つづく)

002
前泊地はマチェラータでした。マチェラータから普通列車でアスコリ・ピチェーノに向かいました。


005
車窓から雪を抱く山々が見えました。


006
15分遅れでアスコリ・ピチェーノ駅に到着しました。


007
アスコリ・ピチェーノは、人口47,555人(2019年12月31日現在)のマルケ州アスコリ・ピチェーノ県の県都です。中世は、教皇領の時代が長かった街です。
私にとって、恐らく美術的にも、アスコリ・ピチェーノはカルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)に尽きます。
1457年、船員の妻との姦通罪によってヴェネツィアを追われたカルロ・クリヴェッリは、流浪の旅に出て、1469年に初めてアスコリ・ピチェーノに訪れました。やがて1473年からアスコリ・ピチェーノに定住することになり、1495年に没っしました。
その間、数多くの作品をアスコリ・ピチェーノで制作しました。アスコリ・ピチェーノで制作された作品の多くは他の街からの注文でしたが、この街のために制作された作品もかなりあったようです。
18世紀末までは、この街にあったカルロの作品は完全な形で残っていましたが、ナポレオンの侵攻によって奪われたり、イタリア統一の混乱によって、カルロの作品は持ち去られたり、多翼祭壇画はパネルに分解、散逸されてしまいました。それでも今なおカルロ・クリヴェッリの作品が残されているので、それを見るためにアスコリ・ピチェーノに来たという訳です。


141
アスコリ・ピチェーノ駅の駅舎です。


008
旧市街にある、この日のお宿に向かいます。


009
右折してViale Indipendenzaに入りました。この通りの先にアッリンゴ広場があります。


010
マッジョーレ橋のフォンターナです。


011
カステッラーノ川に架かるマッジョーレ橋を渡ります。


012
マッジョーレ橋から見た北に広がる山々の景観


013
マッジョーレ橋を渡ると旧市街です。


014
カステッラーノ川を渡ると、通りの名称がヴィットリオ・エマヌエーレ通りに変わりました。


015
ドゥオーモの後陣です。


017
アッリンゴ広場です。


019
大きな荷物があっては、ドゥオーモの拝観どころではないので、この日のお宿へと急ぎました。


042
この日のお宿です。


041
中庭です。
アスコリ・ピチェーノを支配していたグイデロッキ家が15世紀後半に建設したPalazzo Guiderocchiを改造してホテルにしたものです。


039
柱廊など中世を実感できるホテルです。


040
ホテル内にフレスコ画はありません。


047
アントニオ広場に面した方のPalazzo Guiderocchiの入り口です。
自室に荷物を置いて、街歩きに出発しました。


043
アントニオ広場を挟んで、ホテルのPalazzo Guiderocchiの向かいに教会があります。


044
12世紀から13世紀に建設された、ロマネスク様式のサン・ヴェナンツィオ教会です。


045
平日は大体閉まってます。


046
左側の外壁です。
開いていれば拝観しますが、無理をして拝観する必要はあまりないように思います。


1001
1667年から1671年にバロック様式に改修された内部です。
(外部サイトから拝借した写真)


1002
古い作品は残されていないようです。


1003
有名画家の作品はこれくらいのようです。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ通称バチッチョ(ジェノヴァ、1639-ローマ、1709)の「光悦の聖フランチェスコ・ザビエル」


048
サンタ・マリア・デッラ・カリタ教会を経由してポポロ広場に行こうと思いました。


049
古い建物が建ち並ぶ一画です。


050
Via Ottaviano Lanneliaです。


051
写真右の建物は16世紀に建設されました。


052
トリヴィオ通りからローマ広場に出ます。


055
サンタ・マリア・デッラ・カリタ教会です。


053
Chiesa della Scopaとも呼ばれてます。


054
現在の教会の右横にConfraternita dei Disciplinatiによって、14世紀に建設された小礼拝堂がありましたが、Confraternita dei Disciplinatiは本格的な教会建設を決め、コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ、1547/1559)の設計によって、1532年から1583年に建設されました。
扉が開いているように見えましたが、中扉が閉まってました。


056
教会横の銀行の建物です。


057
ローマ広場です。


058
ローマ広場至近のポポロ広場に向かいます。


059
アルチヴィオ通りを経由しました。


060
突き当りにポポロ広場があります。


063
ポポロ広場です。


064
写真右の柱廊がある建物で一休みです。


061


062
ポポロ広場に面して建つPalazzo dei Capitaniです。
(つづく)

230
16世紀の逸名画家作「悔悛の聖ジローラモ」


231
16世紀の逸名画家作「磔刑」


232
ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴァルソルダ、1527-ミラノ、1596)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」


238
ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴァルソルダ、1527-ミラノ、1596)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


234
ピエトロ・ボナッコルシ通称ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501-ローマ、1547)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


235
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「キリスト」


240
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)に帰属する「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


241
アレッサンドロ・マッツォーラ・べドリ(パルマ、1533-1608)に帰属する「聖母子」


243
ジローラモ・ムツィアーノ(ブレーシャ、1532-ローマ、1592)の「聖ザッカリア」


245
ジローラモ・ムツィアーノ(ブレーシャ、1532-ローマ、1592)の「聖ジョアッキーノ」


246
ビザンチン様式の逸名画家作「聖母子と聖人たち」(15世紀)


247
フラ・カルネヴァーレ俗名バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニ・コッラディーニ(ウルビーノ、1420/1425c-1484)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


248
フェリーチェ・ダミアーノ(グッビオ、1530-1608)の「聖ルチア」


249


251
フェリーチェ・ダミアーノ(グッビオ、1530-1608)の「聖テクラ」


254
フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550c-1603)の「割礼」


255
フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550c-1603)の「無原罪の御宿リ」


257
クラウディオ・リドルフィ(ヴェローナ、1560-アンコーナ、1644)の「無原罪の聖母」


260
ピエル・パオロ・メンゾッキ(フォルリ、1532-1589)の「ロレートに巡礼するジョルジョ・イヴァノヴィッチ」


262
シモン・ヴーエ(パリ、1590-1649)の「最後の晩餐」(1616-20)


264
セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「バーリの聖二コラ」


265
アントニオ・ザンキ(エステ、1631-ヴェネツィア、1722)の「煉獄の魂を助く教会」


266


267
ジュゼッペ・マリア・クレスピ通称ロ・スパーニョレット(ボローニャ、1665-1747)の「無原罪の御宿リと聖ガエターノ」


274
17世紀の逸名画家作「天上の聖母子と聖人たち」


275
大司教の寝室?


276
詳細不知


277
日本のものらしい。


278
宝物聖具類


280
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1553c-ローマ、1626)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


281
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1553c-ローマ、1626)の「福音書記者聖ルカ」


327
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「男の肖像」
個人蔵のこの作品は博物館で寄託展示されてます。


328
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート,1556/1557)の「キリストの洗礼」(1551-55c)


335
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート,1556/1557)の「マギの礼拝」(1554-55)


329
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「キリストと姦通女」(1546-55c)


330
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「フォルテッツァとフォルトゥーナの戦い」(1550以前)


332
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「メルキゼデクの犠牲」(1551-55)


333
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「ルシファーの墜落」(1551-55)


334
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「聖クリストフォロと聖ロッコと聖セバスティアーノ」(1532-34)


331
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「キリストの神殿奉献」(1552-56)
未完に終わった、この作品が遺作とされてます。


187
博物館入り口直ぐにあった、この作品をもう一度見ました。


285
外に出ました。


287
聖堂と博物館を見て大満足でした。


289
しかし、他に行きたいところがありません。


291
レカナーティに戻ることにしました。


292
(ロレートの項 おわり)

032
次は、Museo Pontificio della Santa Casa o Museo  Antico Tesoro聖なる家の教皇庁博物館です。


178
博物館は、アポーストリコ宮の一階(日本の二階)にあります。階段を上ってアポーストリコ宮の一階に向かいます。


179
アポーストリコ宮の一階のロッジャを進みます。博物館は西翼にあります。


180
一階ロッジャから見た聖なる家の聖堂です。


181
マドンナ広場


182
フォンターナ・マッジョーレ


183
1862年に開館した博物館は、聖なる聖堂にあった芸術作品などを展示してます。


184
聖なる家にあった芸術作品や宝物の一部は、1797年、ナポレオン軍によって強奪されました。また、1974年に盗難に遭ったので、1979年から盗難品の複製復元が行われたものがあります。


185
博物館の入り口です。
この博物館の特徴は何といってもロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の作品が9点あることでしょう。
困窮したロレンツォ・ロットは、1552年、ロレートにやってきてFrate Conversoになり、1554年には聖なる家の聖堂のOblateになりました。1556年末、または1557年初頭にロレートで没しました。
それがロット最晩年の作品がこの博物館にある理由です。


186
中に入ると、ロレンツォ・ロットの作品が真っ先に目に飛び込んできます。


283
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1470c-ロレート、1556/1557)の「幼きキリストへの崇拝」(1546-55)


321


189
アンジョリッロ・アルクゥッチョ(ナポリ、1396?-1492 ナポリ、1440-1492記録)に帰属する「ロレートの聖母」(1470c)


322


323


324


192
ヨーゼフ・ハインツ・イル・ジョーヴァネ(アウグスタ、1600c-ヴェネツィア、1678)の「聖なる家の移転」


195
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566-1643)の「受胎告知」


193
カラヴァッジョとの「バリオーネ裁判」で有名なジョヴァンニ・バリオーネですが、聖なる家の聖堂に作品があることから、当時はかなり評価が高かったことが分かります。


197
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566-1643)の「聖母の誕生」


198
展示室天井の装飾


199
展示室天井の装飾


200
フランチェスコ・メンゾッキ(フォルリ、1502-1574)の「天使たちによって運ばれる聖なる家」(1548)


325


203
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「トレンティーノの聖二コラ」


204
現代の宗教画が展示されてます。


207
フランチェスコ・フォスキ(アンコーナ、1710-ローマ、1780)の「3教皇とロレートの景観」


208
アントニオ・マッツォ―ネ・デイ・ドメニキ・ディ・ファエンツァ通称アントニオ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1456/1457-1534/1535)の「受胎告知する大天使」(1513)


211
アントニオ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1456/1457-1534/1535)の「受胎告知を受ける聖母」(1513)
聖なる家の聖堂のオルガン扉に描かれていたものです。


213
フランチェスコ・フォスキ(アンコーナ、1710-ローマ、1780)の「聖なる家の移転」


326
Sala degli Arazzi


214
フランドル地方で織られたタペストリが展示されてます。


217
ポマランチョの「アントニオ・マリア・ガッリ枢機卿の肖像」が写真を撮れそうない位置にてんじされていました。


219
ルーチョ・マッサーリ(ボローニャ、1569-1633)の「天上の聖家族と天使たち」


220
現代宗教画


221


222


224
ジローラモ・ムツィアーノ(アクゥアフレッダ、1532-ローマ、1592)の「信者を洗礼する聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


226
ジローラモ・ムツィアーノ(アクゥアフレッダ、1532-ローマ、1592)の「信者を洗礼するキリスト」


228
フェリーチェ・ダミアーノ(グッビオ、1530-1608)の「最後の晩餐」
(つづく)

107
Cappella dell' Ultima Cenaの祭壇画は、シモン・ヴーエ(パリ、1590-1649)の「最後の晩餐」


110
Cappella dei Nome di Gesuのガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756-1830)の作品


114
Cappella di San Michele Arcangeloのグイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「大天使聖ミケーレ」
これは恐らくコピー画でしょう。


117
Cappella di San Francesco d' Assisiのドメニコ・ザンピエーリ通称イル・ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖フランチェスコ」
これもコピー画でしょう。


119
Cappella dei Santi Ignazio da Loyola e Filippo Neriのクリストフォロ・ウンテルベルガー(カヴァレーゼ、1732-ローマ、1798)の「聖イグナツィオ・ディ・ロヨラと聖フィリッポ・ネリ」


318
フランチェスコ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1535-ローマ、1595)の「ニコロ・カエターニの墓」


319
アウレリオ・ロンバルド(ヴェネツィア、1501-1563)の「永遠の父と祈る二天使」(1542)


320
アントニオ・エルコーレ・ラッジ(スイス、1624-ローマ、1686)の「ボナッコルシ枢機卿のモニュメント」


142
クーポラ


141
暗くてよく見えません。


143
チェーザレ・マッカーリ(シエナ、1840-1919)によって1895年から1907年に制作されたクーポラのフレスコ画です。
ここには、クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)が1611年から1612年に制作したフレスコ画がありましたが、劣化してしまったので、チェーザレ・マッカーリのフレスコ画に置き換えられたのです。


145
詳細不知


146
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)の作品です。


147
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)の作品です。


148
詳細不知(後陣にあります)


150
Sala del Tesoroです。


315
天井や壁上部が派手に装飾されてます。


152
Sala del Tesoroは、第231代教皇クレメンテ8世(ファーノ、1536-ローマ、1605 在位:1592-1609)の指示によって装飾されました。


153
起用された画家は、クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)です。1605年から1609年に制作されました。


154


156


317


316
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)の「磔刑」


157
聖堂から外に出ます。


158
次は、ロレンツォ・ロットの最晩年の作品で有名なMuseo Antico Tesoraですが、開館まで時間があるので、適当に町をうろつきます。


038
真冬の寒い日だったので、時間潰しに困りました。


034


159
巡礼地だけあって、余計なものがありません。


163


164


165


166


167
バールを探します。


171
開いている店がありません。


172


173
Corso Boccaliniを市庁舎方向に向かいます。


174
巡礼者は来ないと思っているみたいです。


175
仕方がないので、戻ることにしました。


176
開館時間は間もなくです。


177
(つづく)

047
サンティ・アゴスティーノ・エ・ドメニコ礼拝堂です。
ドメニコ・デ・アンジェリ(ポンツァーノ・ロマーノ、、1735-ローマ、1804)の「聖アゴスティーノと聖ドメニコ」


049
サン・フランチェスコ・ディ・パオラ礼拝堂です。
アントニオ・カヴァッレッチ(セルネータ、1752-ローマ、1795)の「パオラの聖フランチェスコ」


055
アントン・フォン・マロン(1733-1808)の「聖エミーディオと聖カルロ・ボッロメオ」(18世紀末)


057
Cappella dell' Immacolataです。
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「聖母子」


061
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「聖母の結婚」


070
サン・マルコの聖具室です。


310
メロッツォ・ダ・フォルリの傑作があることで有名です。


309
メロッツォ・ディ・ジュリアーノ・デリ・アンブローズィ通称メロッツォ・ダ・フォルリ(フォルリ、1438-1494)の「キリストのエルサレム入城」
この場面にメロッツォ・ダ・フォルリの自画像が描き込まれてます。


313
右端の男がメロッツォ・ダ・フォルリの自画像です。


311
サン・マルコの聖具室の天井です。


312
八角形の天井にフレスコ画が描かれてます。上が天使、その下が預言者です。


064
1476年から1506年まで、ロレートの管轄権を有していたのがジローラモ・バッソ・デッラ・ローヴェレ枢機卿(アルビッソーラ・マリーナ、1434-ファブリカ・ディ・ローマ、1507)でした。枢機卿がメロッツォ・ダ・フォルリに注文して、1484年から1493年にかけて制作されたフレスコ画です。


065
メロッツォ・ダ・フォルリの弟子マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1459-1539)も制作に参加した可能性が高いとされてます。


066


067


072
スイスの礼拝堂です。


078


077
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「無原罪の御宿リ」


073
スイスの礼拝堂のフレスコ画は、カルロ・ドナーティ(ヴェローナ、1874-1949)の「聖アンナと聖ジョアッキーノの物語」(1935-38)


074


075


076


314
ウルビーノ公の礼拝堂です。


080
ウルビーノ公礼拝堂の祭壇画は、フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1535-1612)の「受胎告知」のコピー画です。


081
フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1542/1543-アンコーナ、1609)の「聖母の結婚」(ウルビーノ公礼拝堂のフレスコ画)


082
フェデリーコ・ズッカリのフレスコ画


083
フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1542/1543-アンコーナ、1609)の「ご訪問」


086
Cappella Polacca


085
アウトゥーロ・ガッティ(ロレート、1878-1958)ポーランド礼拝堂のフレスコ画(1920)です。


088
Cappella Tedescaです。


087
ルドヴィーコ・セイツ(ローマ、1844-アルバーノ、1908)によって1892年から1908年に制作されたドイツ礼拝堂のフレスコ画です。


091
ドイツ礼拝堂のフレスコ画


094
Cappella Slava


095
Cappella Slavaのフレスコ画は、ビアージョ・ビアゲッティ(ポルト・レカナーティ、1897-マチェラータ、1948)によって1912から1913年に制作されました。


096
Cappella Slavaのフレスコ画のテーマは、聖クリッロと聖メトーディオの生涯です。


097
Cappella Francese


098
Cappella Franceseのフレスコ画


099
Cappella Franceseのフレスコ画


100


101
Cappella del Crocifissoです。
インノチェンツォ・ダ・ペトラリア(ペトラリア・スプラーナ、1592-パレルモ、1648)の「磔刑像」


105
Cappella del Crocifissoのフレスコ画


104
(つづく)

033
次は、聖なる家の聖堂 Basilica della Santa Casaです。


296
聖堂の全景は鉄道駅から眺めるのが最適です。(外部サイトから拝借した写真)


163
この聖堂の建設、聖なる家の移設の経緯については、中世後期の宗教的伝説に拠るものです。従って、その経緯と宗教的権威確立には、この聖堂に関与した教皇たちの多分にリーズナブルではない努力があったと思います。


162
ナザレにあった聖なる家とは、聖母が生まれ育ち、受胎告知を受け、聖霊を受けてキリストを懐妊した家で、1世紀初頭には聖家族(聖母、聖ジュゼッペ、キリスト)が住んでいました。
キロストの昇天後、聖なる家は教会に改築され、初代教皇聖ピエトロが奉献式を行ったとされてます。


180
336年、フラーヴィア・ジュリア・エレーナ(ヘレナ皇后、コンスタンティヌス1世の母)(248c-329)はナザレへの巡礼を行い、聖なる家を収容する聖堂建設を指示し、聖堂が建設されたとされてます。しかし、ヘレナ皇后がナザレを巡礼した336年には、ヘレナ皇后はこの世の人ではなかったので、ナザレ巡礼は後世の宗教的捏造説が有力で、歴史的事実ではないとされてます。
13世紀後半、イスラム教徒軍の侵攻によってナザレが脅かされるようになり、聖なる家の破壊が現実のものとなりつつありました。
1291年、聖なる家は天使たちによって空を飛んで運ばれ、最初はテルサットの丘(クロアチア)に置かれましたが、1294年、再び天使たちによってレカナーティ近くの森に置かれました。1295年、現在地のロレートに運ばれました。
その後、聖なる家は持ち上げられ、保管庫で覆われ、やがて教会が建設されました。


168
パレスチナ聖地がイスラム教徒に奪われそうな窮地にあった13世紀後半、聖なる家を囲む壁が幾つかに分解された所謂「聖なる石の壁」がロレートに運ばれ、「聖なる石の壁」を組み込んで聖なる家が出来たというのが事実のようです。
1468年、レカナーティ司教ニコロ・ダルステ Nicolo dall' Steは聖なる家を保護し、増え続ける巡礼者に対応するため、大きな聖堂の建設を決め、1468年に聖堂建設工事が着工しました。
ニコロ・ダルステ司教は、建設工事着工直後に没してしまいましたが、建設工事は211代教皇パオロ2世(ヴェネツィア、1417-ローマ、1471 在位:1464-1471)に引き継がれました。パオロ2世は、枢機卿だった1464年、ロレートを訪れ、ロレートの聖母によって奇跡的に癒されたことから、聖堂建設を強力に推進したと言われてます。
聖堂の設計建設に於いては、当時の一流建築家のジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)、ジュリアーノ・ダ・サンガッロ(フィレンツェ、1445c-1516)、ドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444-ローマ、1514)が起用されました。
1468年から1587年に建設された後期ゴシック様式とルネサンス様式混合の聖なる家の聖堂です。


169
高さ75.6mの鐘楼


297
クーポラ
ジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)とジュリアーノ・ダ・サンガッロ(フィレンツェ、1445c-1516)によって1499年から1500年に建設されました。


295
クーポラと鐘楼


040
ファサード前に立つのは、教皇シスト5世像です。


041
聖堂内に入りました。中央通路の先に大理石の聖なる家があります。


043
三廊式です。


044
縦93m、横60mの内部です。


045
天井の装飾


298


122
見所が多いので、目移りしてしまいます。


121
巡礼先となっている聖なる家から見るのが普通でしょう。


042
中央通路を進みます。


299
ドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444-ローマ、1514)設計の大理石彫刻で覆われた聖なる家です。


144
大理石彫刻には、当時の名の知られた彫刻家が制作に参加しました。


123
大理石彫刻に従事した彫刻家として、アンドレア・サンソヴィーノ(モンテ・サン・サヴィーノ、1467c-1529)、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484-テルニ、1546)、ジローラモ・ロンバルド(フェッラーラ、1506-レカナーティ、1590)、グリエルモ・デッラ・ポルタ(ポリエッツァ、1515c-ローマ、1577)、バルトロメオ・バンディネッリ(バッチョ・バンディネッリ)(フィレンツェ、1493-1560)、ドメニコ・アイーモ(ヴァリニャーナ、1460-ボローニャ、1539)、ラッファエッロ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ・フィオレンティーノ、1504-オルヴィエート、1566)などがいました。


127


084
聖なる家の中に入ります。


124
聖なる家の中です。


125
側壁のフレスコ画(ブレブレ写真でスイマセン)


300
聖なる家のロレートの聖母です。
長年、レバノン杉で作られた聖母子像は、ランプで照らされ、その煙で燻されて黒くなってます。オリジナルのロレートの聖母は、1921年の火災によって消失してしまいました。現在のものはその後に制作されたものです。
外に出て、大理石彫刻をじっくり見ました。


301
ジローラモ・ロンバルド(フェッラーラ、1506-レカナーティ、1590)の「ダヴィデ」


302
アンドレア・サンソヴィーノ(モンテ・サン・サヴィーノ、1467c-1529)の「羊飼いの礼拝」


304
ドメニコ・アイーモ(ヴァリニャーナ、1460-ボローニャ、1529)の「聖母の死」


303
ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ(ヴィコエケネセ、1535-ナポリ、1615)の「イザイア」


305
ラッファエッロ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ・フィオレンティーノ、1504-オルヴィエート、1566)の「ご訪問」


126
「聖なる家」の上にクーポラが見えます。
次は、大好きなルカ・シニョレッリのフレスコ画を見ます。


128
再び見ることが出来て幸せです。


129
Sagrestia di San Giovanniです。


306
ジローラモ・バッソ・デッラ・ローヴェレ枢機卿(アルビッソーラ・マリーナ、1434-ファブリカ・ディ・ローマ、1507)がロレートにいた1477年に、ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)に注文して制作されたフレスコ画です。


131
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)によって、1477年から1480年に制作されたフレスコ画です。


133
シニョレッリの代表作の一つです。


134
入口にロープが張られて、中に入ることが出来ません。


135
どうしても同じ場面の写真ばかりになってしまいます。


136


308
天井


307


138


140
(つづく)

004
ロレートは、人口12,913人(2019年12月31日現在)のマルケ州アンコーナ県にあるコムーネです。町はその中心に建つ聖なる家の聖堂に向けて、世界中からカトリック教徒が押し寄せる巡礼地です。


003
隣町のレカナーティからバスでロレートのレオパルド広場に着きました。


294
レオパルド広場から城壁内に入ります。


005
16世紀に建設されたPorta Romanaです。


006
ロレートは、堅固な城壁に囲まれてます。


007
ローマ門を潜ります。


008
ガリバルディ広場に出ました。


010
ガリバルディ広場から見たローマ門です。


009
時計がある建物は市庁舎で16世紀末に建設されました。


011
城壁の中からの景観です。


012
ロレート鉄道駅が見えます。


013
ロレート最初の城壁は、1315年に建設されました。
1518年6月5日、スルタン・セリム1世(1470-1520)のオスマン帝国軍がポルト・レカナーティを攻撃しました。時の第217代教皇レオ10世・デ・メディチは、オスマン帝国軍の脅威に対して、ロレートの城壁の増強整備の必要性を痛感して、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484-テルニ、1546)を派遣して、城壁の増強整備に当たらせました。アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネの設計によって、1518年から1522年に増強整備された城壁が現在の姿の原形となってます。


015
町の中心を貫くCorso Boccaliniです。


016
世界中からカトリック教徒が訪れる巡礼地なので、町の規模にしては宿泊設備が多いと思います。


017
15世紀に建設された市庁舎の建物です。


020
マリーノ・ディ・マルコ・チェドリーニ(ヴェネツィア、15世紀活動)とジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)の設計によって建設されました。


286
市庁舎の壁のロレートの紋章


019
航空歴史博物館が併設されてます。


018
この博物館には入館したことがありません。


021
2月の寒い日だったので、人出が非常に少なかった。


022
通りの先に聖なる家の聖堂が見えてきました。


023
マドンナ広場です。聖堂の拝観を後回しにして、ジョヴァンニ23世広場に行きます。


025
ジョヴァンニ23世広場です。


027
広場にある第261代教皇ジョヴァンニ23世(ソット・イル・モンテ、1881-ローマ、1963 在位:1958-1963)のモニュメント
1962年、ジョヴァンニ23世は、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂とロレートの聖なる家の聖堂を訪れて、当時、難しかった教皇庁の将来を2つの巡礼地に託したと言われてます。


026
場違いな感じがするローマ時代の兵士像が広場の端にありました。


024
大司教館となっているアポーストリコ宮です。


028
アポーストリ宮のアーチを潜ってマドンナ広場に出ます。


029
アポーストリ宮のアーチ


030
アポーストリ宮の柱廊


031


177
再びマドンナ広場に出ました。


032
一階(日本の二階)にも柱廊が設けられてます。


035
マドンナ広場にある、バロック様式のFontana Maggioreです。


037
カルロ・マデルノ(カポラーゴ、1556-ローマ、1629)とカルロの叔父ジョヴァンニ・フォンターナ(メリデ、1540-ローマ、1614)によって1604年から1614年に造られたFontana Maggioreです。


161
傑作とされている噴水ですが、気温2℃だったので寒々しい感じがしました。


170


036
アポーストリ宮は、第216代教皇ジュリオ2世(アルビゾラ、1443-ローマ、1513 在位1503-1513)がドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444-ローマ、1514)に命じて建設させました。
ブラマンテがロレートに滞在したのは、1507年から1509年で、アポーストリ宮だけではなく、聖堂のファサード建設にも関与しました。


039
ブラマンテの手によって完成したのは、アポーストリ宮の一部にすぎませんでしたが、ブラマンテの設計による建設は、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484-テルニ、1546)に引き継がれました。


164
アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネは、1518年から1522年にかけてアポーストリ宮の建設に従事しましたが、それでも工事は終わらずジョヴァンニ・ボッカリーニ(カルピ、1520c-ロレート、1580)に引き継がれました。


159
アポーストリ宮の完成は20世紀になってからと言われてます。
(つづく)

ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノという画家をご存知でしょうか。彼が描いた、ウフィツィ美術館にある「マギの礼拝」が有名です。
ジェンティーレの出身地がファブリアーノです。
P1590200
これがジェンティーレの作品です。






009
ファブリアーノは、人口31,255人(2016年7月31日現在)のマルケ州アンコーナ県にあるコムーネです。
周囲を山に囲まれた町で、古くから林業で栄えました。水彩画などを楽しむ方々には、同地名産の画用紙「ファブリアーノ」でお馴染みでしょう。


140
ファブリアーノには、14世紀から15世紀にかけて国際ゴシック様式を学ぶ美術学校が設置され、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノを筆頭に優れた画家を輩出し、イタリア美術史上、重要な町となってます。
その美術学校で学んだ画家たちの貴重な作品が展示されているのが、ファブリアーノ市立絵画館です。


141
写真左の壁は司教館のものです。
アーチを潜ってドゥオーモ広場に出ます。


128
ドゥオーモ広場


059
ドゥオーモです。


127
1456年に建設された後期ゴシック様式の司教館です。


126
ところが、司教館として建設されたものの、司教に一度も使用されずに、建物はすぐに病院に転用されたのです。


130
Ospedale di Santa Maria del Buon Gesuがその病院の名称です。


142
病院は20世紀初めまで存続しました。


143
司教館として建てられ、旧病院だった建物に絵画館が置かれてます。


146
ここから中に入ります。


144
毎週月曜日と日曜日午後が休館です。


145
入口扉上ルネッタ上に描かれたアンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ、1560c‐1607)のフレスコ画(1602c)


147
建物を入って直ぐのところにある、Maestro di Staffoloの「聖母」(1460)


148
切符売り場


149
旧病院の中庭


150
中庭を囲む柱廊の壁にフレスコ画があったと思います。


151
井戸の向こうに展示室への扉があります。


152
展示室は階上です。


153
第1展示室


154
アッレグレット・ヌーツィ(1315‐1373)の「聖母子」
アッレフレッロは、ファブリアーノ出身で地元で修業したとされてます。その画風は国際ゴシック様式を基礎としながらもジョットの影響を受けたもので、ジョッテスキ画家の一人とされてます。


156
アッレグレット・ヌーツィの「聖アントニオ・アバーテと福音書記者聖ジョヴァンニ」
この美術館にアッレグレットの作品が数点展示されてます。


158
アッレグレット・ヌーツィの「聖母子と4聖人」


160
アッレグレット・ヌーツィの「トレンティーノの聖二コラと聖ステファノと聖アゴスティーノ」


161
アッレグレット・ヌーツィの「聖母子と2聖人」(フレスコ)


163
プッチョ・ディ・シモーネ(1346‐1358活動記録)の「聖アントニオ・アバーテと寄進者たち」
プッチョはフィレンツェでベルナルド・ダッディに師事したとされてます。


164
次の部屋です。


165
フランチェスクッチョ・ディ・チェッコ・ゲッシの「聖母子と4聖人」
フランチェスクッチョは、14世紀後半にファーノ、ファブリアーノ、アスコリ・ピチェーノなどマルケ州各地で活動した画家で、その画風はアッレグレット・ヌーツィの影響を大きく受けたものでした。


166
フランチェスクッチョ・ディ・チェッコ・ゲッシの「授乳の聖母」
ファブリアーノのサンタ・ルチア教会にあった祭壇画です。


167
フランチェスクッチョ・ディ・チェッコ・ゲッシの「天使」
この絵画館では、ファブリアーノとその周辺にある教会から集められた剥離フレスコ画が多数展示されてます。


168
Maestro di Fossato(ウンブリアで14世紀後半から15世紀前半に活動)の「磔刑と聖人たち」


169
Maestro di San Vescondo(1415-1430活動記録)の「聖母子と聖アゴスティーノと聖ヴェレコンド」
この画家の作品がヴァチカン絵画館(聖母子と聖人たち)やボローニャ国立絵画館(ピエタ)などにあります。


170
Maestro di Staffoloの「幼きキリストを崇める聖母と洗礼者聖ジョヴァンニとアレッサンドリアの聖カテリーナ」
この画家はジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの追随者でした。


172
アントニオ・ダ・ファブリアーノの「聖母の死」
アントニオは、ファブリアーノ出身で、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノに一時期師事して、ジェンティーレの助手を務めていました。


173
マルケの無名画家の「聖母子」


174
ウンブリア・マルケの無名画家の「聖母子と聖人たち」


175
ビッチ・ディ・ロレンツォの「玉座の聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖ジャコモ・マッジョーレ」


177
無名画家の「玉座の聖母子と聖人たち」


178
無名画家の「聖セバスティアーノ」


179
無名画家の「聖アグネス」


182
ベルナルディーノ・ディ・マリオット(ペルージャ、1497‐1566活動記録)の「聖母子」(1497)


183
制作者不詳の「聖母子」


184
制作者不詳の「聖母子」(14世紀)
ファブリアーノの教会にありました。


185
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの追随者の「聖セバスティアーノ」


186
制作者不詳の「ファブリアーノの安寧を祈る二修道女」


187
フィリッポ・ダ・ヴェローナの「聖母子と聖ピエトロとバーリの聖二コラ」(1514)


189
制作者不詳の「聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニとトレンティーノの聖二コラ」


193
ヴァランツィオ・ダ・カメリーノの「聖母子と聖パオロと聖ピエトロ」


194
メインパネル


195
裾絵の受胎告知する大天使ガブリエーレ


197
受胎告知される聖母


199
制作者不詳の「天上の聖母子と聖人たち」


201
制作者不詳の「聖母子と聖パオロとトレンティーノの聖二コラ」


202
ジャコモ・ナルディーニの「聖母子と聖人たち」


204
タペストリの展示


205


206
シモーネ・ダ・マジストリス(カルドナーラ、1538‐1611c)の「羊飼いの礼拝」


208
アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ、1560‐1606)の「ご誕生」(1600)


209
16世紀後半の無名画家の「聖母子と聖人たちと天使たち」


211
詳細不明の「最後の審判」


212
フランチェスコ・ポデスティ(アンコーナ、1800、ローマ、1895)の「天上界」


213
現代画が多数展示されてます。


214
近代から現代の作品紹介は省略させていただきます。


215


216
ドゥオーモの扉が閉まっていました。


218
(おわり)

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新しい作品が続きます。


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次の部屋です。


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肖像画が並んでます。


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ピエトロ・ルッキーニ(ベルガモ、1800c‐ボローニャ、1883)の「女性の肖像」(1859)


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ピオ・プッリーニ(アンコーナ、1887‐ローマ、1955)の「マリア・スポート・マルチェッリーノの肖像」(1947)


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18世紀の無名画家の「女性の肖像」


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19世紀の無名画家の「男の肖像」


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17世紀のフランドルの無名画家の「女性の肖像」


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無名画家の「女の肖像」(17世紀末‐18世紀初め)


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17世紀の無名画家の「女性の肖像」


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ピエトロ・ルッキーニの「女の肖像」(1859)


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次の部屋です。


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カルロ・アマドーリの「ヴィッラ・ブルガリーニ」(1978‐79)


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ジュゼッペ・ケルビーニ(アンコーナ、1867‐ヴェネツィア、1960)の「自画像」(1946)


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アメリゴ・アシウッティ(アンコーナ、1876‐ローマ、1902)の「自画像」


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+2階に向かいました。


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+2階の最初の部屋です。


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ジャチント・ブランディ(ローマ、1621‐1691)の「十字架の下見」


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アントニオ・ザンキ(エステ、1631‐ヴェネツィア、1722)の「イサクとヤコブ」


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チーロ・フェッリ(ローマ、1634‐1689)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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カルロ・マラッティ工房の「教皇クレメンテ9世の肖像」(17世紀)


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17世紀の無名画家の「教皇アレッサンドロ7世の肖像」


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カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625‐ローマ、1713)の「聖母子とバーリの聖二コラとサーレスの聖フランチェスコと聖アンブロージョ」(1672)


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17世紀の無名画家の「マギの礼拝」


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次の部屋です。


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グエルチーノの「無原罪の御宿リ」はピアチェンツァのファルネーゼ宮に貸し出し中でした。
楽しみにしていたので残念!


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グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「聖パラツィア」(1658)


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フランチェスコ・カッチャニーガ(ミラノ、1700‐1781)の「聖アンドレア・アヴェッリーノの死」


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ドメニコ・コルヴィ(ヴィテルボ、1721‐ローマ、1803)の「スッフラージョの祭壇画」


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サッソフェッラートの作品は彼の生まれ故郷のサッソフェッラートに貸し出されていました。


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サッソフェッラート(サッソフェッラート、1605‐ローマ、1685)の「祈る聖母」


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・グエッリエーリ(フォッソンブローネ、1589‐ペーザロ、1657)の「聖母子と聖アンナと聖ジョヴァンニーノ」


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+2階が最上階と思っていたら、さらに上階がありました。


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またまた現代画です。


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終わりました。
長い間、見ることが出来なかった傑作を鑑賞することが出来て本当に良かったと思いました。


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トイレが目立ちません。


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古い作品と新しい作品のコラボについては、私は疑問と思います。
やはり作品が描かれた順番通りに作品を展示すべきと思いました。


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以前のままの方が良かったと痛感しました。


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休館前の入り口から外に出ました。


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(おわり)



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アンドレア・リッリー(アンコーナ、1570c‐アスコリ・ピチェーノ、1631以降没)の作品が並べられています。


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アンドレア・リッリーの「磔刑と洗礼者聖ジョヴァンニとトレンティーノの聖二コラ」


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アンドレア・リッリーの作品が並んでます。


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これらは、「トレンティーノの聖二コラの物語」となってます。
トレンティーノの聖二コラの生涯を知らないので、各場面の意味合いが分かりません。


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トレンティーノの聖二コラの物語の一場面
以下、同じです。


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ピエトロ・テスタ通称ルッケシーノ(ルッカ、1606/1611-ローマ、1650)の「ヴィーナスとアドーネ」


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アントニオ・テンペスティ(フィレンツェ、1555‐ローマ、1630)の「イノシシ狩り」


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アレッサンドロ・トゥルキ通称オルベット(ヴェローナ、1578‐ローマ、1649)の「鍛冶屋」


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アンジェロ・カロセッリ(ローマ、1585‐1652)の「魔術師」


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制作者不明の「ベルナルド・ストロッツィ作『エマオの晩餐』のコピー画」


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ドメニコ・ペルッツィーニ(ウルバニア、1602‐アンコーナ、1673)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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ドメニコ・ペルッツィーニの「聖ジャコモ・マッジョーレ」


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アンドレア・リッリーの「洗礼者聖ジョヴァンニと聖フランチェスコとシエナの聖ベルナルディーノと聖パオロと音楽天使」


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17世紀のカラヴァッジェスキ無名画家の「聖ピエトロ」


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アンドレア・リッリーの「聖トッマーゾの不信」(1602)


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やっぱり現代の作品がありました。


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アンドレア・リッリーの「サンタゴスティーノの祭壇画」(1597)
各パネルを見ておきましょう。


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次の部屋です。


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フランチェスコ・ポデスティの「ガブリエーレ・フェレッティ枢機卿の肖像」


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581‐ナポリ、1641)の「聖アンドレア」


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フランチェスコ・ポデスティの「男の肖像」


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フランチェスコ・ポデスティの「アントニオ・マリア・カドリーニ枢機卿の肖像」


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(つづく)

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これらの彫刻は、マルガリトーネ・ダレッツォの帰属作品(18世紀)です。


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全部で6点あります。


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次の部屋です。


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オリヴッチョ・デ・チッカレッロ(カメリーノ、1365c‐アンコーナ、1439)の「聖母戴冠」


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オリヴッチョ・デ・チッカレッロの「ウミルタの聖母と天使たち」


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オリヴッチョ・デ・チッカレッロの「聖母の死」
作品が乗っている台が面白い。


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オリヴッチョ・デ・チッカレッロの「割礼」


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20世紀の作品は纏めて展示してほしいものです。


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古いクーラーのフィルターの残骸に見えます。いくら何でも本はないでしょう。


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次の部屋です。


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ロッコ・マルコーニ工房の作品です。


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「聖オルソーラに顕現する聖母子」


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アンドレア・デル・サルト工房の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ペッレグリーノ・ティバルディ(プーリア・ディ・ヴァルソーダ、1527‐ミラノ、1596)の「聖ジョヴァンニーノ」


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「古い作品と新しい作品のコラボ」の好例です。


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次の部屋です。


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天井の装飾


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壁のフレスコ画


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休館中にフレスコ画も修復作業が行われたと思います。


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セバスティアーノ・デル・ピオンボ(ヴェネツィア、1485‐ローマ、1547)の「フランチェスコ・アルシッリの肖像」(1516c)


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ティツィアーノ・ヴェッチェリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1490‐ヴェネツィア、1576)の「ゴッツィの祭壇画(聖母子と聖フランチェスコと聖ビアージョと寄進者)」(1520)


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ジローラモ・ディ・ティツィアーノ(ヴェネツィア、1510c‐1572以前没)の「聖レオナルドと聖マルコと聖フランチェスコ」


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ボケ写真ですいません。


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ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480‐ロレート、1556/1557)の「アルバルダの祭壇画(聖母子と聖ステファノと聖ロレンツォと福音書記者聖ジョヴァンニと聖シモーネ)」(1538‐39)


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傑作が揃っている部屋です。


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次の部屋です。


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スパダリーノ(ローマ、1585‐1653以前没)の「ヴィッラノーヴァの聖トッマーゾの施し」
(つづく)





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絵画館の現状報告のため、現代作品を掲載してます。


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忍耐、忍耐と呟きながらやってます。


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17世紀以前の作品は全点紹介の予定ですが、それ以降の作品はかなり省略しています。


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階段を上ります。


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お待ち兼ねの+1階です。このフロアーにカルロ・クリヴェッリの作品があります。


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フランチェスコ・ポデスティの作品が並んでます。


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年代順に作品を並べてよ👈私の独り言


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フランチェスコ・ポデスティ(アンコーナ、1800‐ローマ、1895)の「ピエタ」(1830‐31)


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フランチェスコ・ポデスティの「ピエタ」


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フランチェスコ・ポデスティの「聖母子」


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写っている作品はカルロ・クリヴェッリの「聖母子」です。非常に小さな作品であることがお分かり頂けたでしょうか?


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カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430/1435-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「聖母子」


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Crivelli,_madonna_d'ancona


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419‐1491)の「聖母子」


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17世紀の無名画家の「聖母子」


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17世紀の無名画家の「La Carita」


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17世紀の無名画家の「シモン・ヴーエ作『キリストの埋葬』のコピー画」


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これは何でしょうか?


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髪の毛がついた本?


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また新しい作品です。


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展示方法が疑問で、戸惑ってしまいます。


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年代順に作品を並べて欲しい!!!!!


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新しい作品と古典作品がマッチして評論家筋から高く評価されている展示方法だそうです。


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見解の相違ですね。


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(つづく)




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私的には意味不明


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一緒に入館した2人は、この辺の作品を熱心に鑑賞してました。


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人の好みは本当に人それぞれですね。


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下の方にある手の意味が分かりません。


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ふ~ん、そうですか。


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くし?


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ボケ写真ですいません。


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階上に向かいました。


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-1階です。


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見たことがある顔です。


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写真かと思いました。


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オルフェオ?


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フランチェスコ・ポデスティの作品です。


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自分の作品も寄贈したフランチェスコです。


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フランチェスコ・ポデスティの作品です。


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何故ピストルなの?


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彫刻も制作していました。


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ここから休館前に展示されていた作品が始まります。


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以上3点はマルガリート・ダレッツォの作品(13世紀)です。
旧第1室の表示が残っていました。


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マルガリート・ダレッツォの作品(13世紀)です。


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パラッツォの中庭


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監視の係員が暇そうでした。


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0階になります。


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再び現代画になります。


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(つづく)

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アンコーナに行けば、市立絵画館が置かれている、この建物に必ず来ます。
2011年、修復工事と称して、休館となって久しいのですが、再オープンの話が一向にないので、気になって仕方がありません。


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クリヴェッリ、ティツィアーノ、ロレンツォ・ロットなどの貴重な作品を所蔵しています。


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2015年、再オープン予定とアンコーナ市HPに掲載されたこともありましたが、その記述は何時しか消去されたようで、その後、何の音沙汰もありませんでした。
2016年に関係者向けに内覧会のようなものが開催されましたが、正式オープンの話は一向に聞こえてきませんでした。
2017年になって、一般公開が再開されたことを知ったのです。ただ、木曜日夕方、金曜、土曜、日曜だけの開館で、毎週月曜から水曜まで休館(グループや学校関係の入館者については、予め連絡すれば開館)なので、旅程を組むには制約があると思っていました。
ところが、泊まっていたスペッロの花祭りが混雑し過ぎに加えて私にとって非常に退屈に思ったので、急遽、アンコーナ市立絵画館への日帰り遠足を思い立ったのです。


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従来、入り口だったところは出口になっていました。


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このように開館時間が明示されています。


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切符売り場と絵画館入口はVicolo Foschiにあります。ちょっと目立たない場所なので、行かれる方は注意が必要です。(従来の入り口に行ってしまうと、、遠回りすることになります)


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寧ろサンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会を目指していくのが良いと思います。
鐘楼横の小道を少し上ったところに切符売り場があります。


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Pinacoteca Comunaleと出ているので迷うことはないでしょう。


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開館を待つ人が2人いました。
午前中の入館者は、結局私を含めて3人でした。


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扉が開きました。


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入ってビックリです。切符売り場と入り口(勿論、出口にもなります)、ブックショップがー4階で、+2階まである、全部で7階の大絵画館に変身したのです。
14世紀頃から18世紀頃までの絵画は、主に+1階と+2階に展示されてます。


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入り口から入ると、先ず目につくのが、フランチェスコ・マッジ(アンコーナ、1829‐1891)の「フランチェスコ・ポデスティの肖像」です。
絵画館は1884年のオープンですが、当時はフランチェスコ・ポデスティが個人収集し、寄贈した作品を主に展示していました。


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現代の作品の展示が以前と比べて拡大されました。


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サッパリ分かりません。


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この画家のことは全く知りません。


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私には理解不能です。


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次はー3階です。


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男性の下歯が黄色です。


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この辺の作品は何て言うべきか、考えてしまいます。


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少し古い時代の作品です。


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以前に見た記憶がある作品です。


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これは分かります、アンコーナの紋章です。


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ルイージ・ロッキ・カメラータ伯爵の胸像


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ロッキ・カメラータ家は、ベルガモ出身でアンコーナやイエージで財を成しました。ロッキ・カメラータ家の収集物をルイージがアンコーナ市に寄贈したのです。


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これがマドンナですと!


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今度はー2階です。


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点字?


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深淵過ぎて分かりません。


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以上3点はロベルト・パピーニの作品です。


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ユニークな作品ばかりが展示されてます。


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このコーナーの売りは、「古い建物空間と新しい作品の見事なコラボ」だそうです。


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くたびれた中年男にしか見えません。


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この絵画館は、現代画の展示に関して、イタリアで上位にランクされているそうです。


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ヘルメット?


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斬新です!


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芸術は深遠ですね。


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(つづく)



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教会の後陣を通り過ぎて、元の道まで上りました。


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チリアーコ・ピッツェコッリ通りに戻りました。


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市立絵画館の従来の入り口です。現在は出口になってます。


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今の入り口への行き方が図示されています。かなり遠回りしないと入り口に行けません。


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時間が余っていたので、サン・フランチェスコ教会を拝観することにしました。


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ファサードの彫刻が見所です。


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1323年創建のゴシック様式の教会ですが、途中の修復の結果、バロック様式や新古典様式の部分が認められます。


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鐘楼の内壁にフレスコ画があるようですが、何が描かれているのか、よく分かりません。


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ファサード前から海が見えます。


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ファサードの彫刻装飾はジョルジョ・ダ・セベーニコの作品(1454)です。


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中に入りました。


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新しく見えるのは、1953年に行われた修復によるものです。


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味気ない天井


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主祭壇


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主祭壇画は、ロレンツォ・ロットの「聖母被昇天」(1550)


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ペッレグリーノ・ティバルディの「キリストの洗礼」


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教会下にあるバールで一息入れました。


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間もなく市立絵画館の開館時間です。


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写真手前を右折しました。


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先客が2人いました。午前中の入館者は私を含めて3人でした。


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入口がー4階になります。


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カルロ・クリヴェッリの作品は非常に小さいのです。


Crivelli,_madonna_d'ancona


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現代画、近代画の展示が充実しました。


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市立絵画館については、後で詳しく取り上げます。


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外に出ました。


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7年振りに傑作を見ることが出来て満足でした。


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正直なところ、以前の展示の方が遥かに良かったと思いました。特に、ルネサンス期の作品の横に現代画を展示する手法に違和感を覚えました。年代順に作品を展示して、どこが悪いの?


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このような展示法が流行していますね。


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かなり暑くなっていました。


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日曜日なので、乗車できる列車が限られます。


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駅に急ぎました。


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フォリーニョ行きのRVに乗車しました。


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市立絵画館だけに行ったアンコーナ日帰り遠足でした。


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フォリーニョ駅に到着しました。


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フォリーニョからタクシーでスペッロに戻りました。
アンコーナ市立絵画館に行って、気が済みました。
(おわり)


075
2012年にアンコーナ市立絵画館に行きました。
扉が開いていたので、当然中に入りました。ところが切符売り場には誰もおらず、館内を回って漸く係員を探すことが出来ました。


076
そうしたら、係員から「修復工事のため、休館中である」と告げられました。
ご覧のように工事は行われているどころか、中はいつもと同じようでした。見せて欲しいと頼みましたが、ダメと言われてしまいました。
その後、3回アンコーナを訪れ、工事の様子を見るためにここに来ましたが、物音一つ聞こえませんでした。
昨年秋、アンコーナのHPに近く再オープンされる予定と書かれるようになりました。今春、HP上に絵画館が再オープンされたことが掲載されました。
開館時間と私の旅行スケジュールが合わなくて、今年秋か来年に行ければ良いなと思っていました。
2017年6月17日と18日、お花祭り開催中のスペッロに2泊しましたが、17日のお祭り準備の段階で、スペッロはものすごい混雑で、美術鑑賞には全く不向きであることが分かりました。
18日は、スペッロのお祭りの他にトレヴィに日帰りする予定でしたが、17日の午後11時ころに、急遽アンコーナの市立絵画館に行こうと決心したのです。


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フォリーニョ発アンコーナ行き始発列車のRVに乗車しました。


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車窓からアンコーナが見えてきました。


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午前8時半頃、アンコーナ駅に到着しました。


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アンコーナ駅前です。
絵画館が開くのは午前10時です。開館まで1時間半あるので、徒歩でチェントロに向かいました。


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この日も快晴でした。
他の街では連日40度前後の猛暑に街歩きどころではありませんでしたが、港町のアンコーナは海のせいで、それほど気温が上がらないのです。


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吹き抜ける海風が心地よく、日差しの中でも問題なく歩くことが出来ました。


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港沿いの道を真っすぐ進みました。


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観光的には、この辺は何もありません。


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ピア門が見えてきました。


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教皇ピオ6世に命によって、1787年から1789年に建設されたピア門です。


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門を潜りました。
ピア門付近が駅とチェントロの入り口のほぼ中間だと思います。


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丘上に建つドゥオーモが見えていました。
写っている架線はトロリーバスのものです。


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ピア門からドゥオーモはかなり遠いのです。


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あそこまでは、とても行く気になれません。


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道路の下にあるのは、旧アンコーナ・マリッティマ駅です。
昔は、アンコーナ駅行き列車が頻発していて便利でしたが、合理化のため、2015年12月13日に廃止されました。


136
数回、列車を利用したことがあります。


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見えてきたのは、トラヤヌス帝の像です。


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トラヤヌス帝の命により、アンコーナ北埠頭が建設され、アドリア海のみならず地中海貿易港としてアンコーナ繁栄が導きされたことに感謝するために像が建てられたそうです。


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この辺がチェントロの入り口になります。


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1827年に建設されたTeatro della Museです。
イタリア・オペラ上演で定評がありますが、このオペラ座の特徴はモーツアルトの作品を積極的に取り上げたことでしょう。イタリア語のダ・ポンテ三部作に留まらず、普段、あまり上演されることがない、モーツアルトの「偽の女教師」などのイタリア語オペラを上演したのです。


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劇場横の道を進みます。


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この辺からアンコーナ観光が始まります。


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サン・ドメニコ聖堂です。その下にある教皇像、フォンターナ、市立博物館などが見所ですが、何回も見て飽きているので、今回は見学省略です。


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Piazza del Plebiscito


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日曜日の午前9時前なので、どの店もやっていません。


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L'arco della prefettura


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トカゲの絵が描かれている案内板です。その指示に従って下に下りていきました。新絵画館の入り口は従来とは違った場所にあるのです。


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サンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会後陣です。


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13世紀に建てられたロマネスク様式のサンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会です。


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市立絵画館修復に合わせて、この教会も修復されたようです。


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普段、開いていることは滅多にありません。


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古いフレスコ画があります。


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これですね。


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開いていたら必見です。


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例え開いていなくてもファサードと鐘楼だけでも見る価値があると思います。


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鐘楼横の道を少し上ります。


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新設された市立絵画館の入り口です。


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開館まで50分ほど時間がありました。


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(つづく)


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最近、他の人のブログを滅多に見なくなりました。


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少し前までは、他の方々のブログを時々拝見させて頂いてました。


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それらのブログによれば、私のように酷い目に遭った方々が大変少ないように思います。


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私は多分運がないんでしょうね。


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タクシーを雇って折角行った辺鄙な山奥の修道院が何故が閉まっていて、相当なお金を無駄にしたことが2回ありました。この種の経験は大変豊富ですね、私は。


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それらに懲りて、目的がオンリーワンの旅は極力避けようと決心しました。


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ミラノ、ローマ、フィレンツェ、ヴェローナなどの見どころ豊富な街に行けば、例え一か所が突発的臨時休館だったとしても、他の見どころに行けば良いので、潰しが効きます。


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アルチェーヴィアに行きたいのはやまやまですが、行ってみたら、例えばルーカ・シニョレッリの作品が修復中で観ることが出来ない、それが十分あり得るので、逡巡している今日この頃です。


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それよりも体力的なタイムリミットが間近に迫ってきてますね。


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教会があります。


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クローチェ教会ですが、平日は開きません。


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フェデリーコ・バロッチの「キリストの埋葬」があります。


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写真左の店で軽食を食べました。


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ビールは水の代わりです。


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アナゴのフリットが珍しかった。


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この辺がチェントロの中心です。


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市庁舎
時計が午後3時を示してますが、実際は午後4時。市庁舎の時計くらいは夏時間対応にしても良いのでは。


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17世紀に建築されたPalazzo Muzio Oddi が市庁舎となってます。


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市庁舎前にある「ネプチューンの噴水」


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ローマ広場


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紀元前5世紀頃には既にガッリ人によって町が築かれていたそうです。


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ローマの勢力拡大によって、ガッリ人の築かれた町は次第に衰退し、紀元前2世紀になるとローマのアドリア海に面した最初の植民地にされてしまいました。


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現在、この街は白い砂浜の綺麗な海水浴場として特に有名です。


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Plazzo Madtai Ferretti


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第255代教皇ピオ9世(在位1846年ー1878年)がこのパラッツォで誕生したそうです。


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綺麗に区画整理された新しい街並みが特徴です。


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古い歴史がある街で区画整理された街並みを持つのは珍しいと思います。


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古い歴史がある街でも、第二次世界大戦で大きな被害を受けたところは区画整理されている所もありますが、この街の戦災は然程ではなかったようです。


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この先で道が多少カーブしています。


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突き当りに見えるのがドゥオーモです。


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ドゥオーモに行く前に寄り道をしました。


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古い教会ではなさそうです。


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1935年に再建された教会です。


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古式ゆかしいファサードです。


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ルネッタ上の「無原罪の聖母」の浮彫


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こちらの方が正式な名称のようです。


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寄り道を続けました。


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見どころがあまりないので、時間潰しが大変です。


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ドゥオーモです。


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代わり映えしませんなあ。


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写真右が18世紀に建築されたPalazzo Gotti


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サン・ピエトロ大聖堂です。


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美術的には殆ど見るべきものがない大聖堂です。


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閉まっていましたが、残念とは全然思いませんでした。


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ドゥオーモ広場


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木の後ろにも教会があります。


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旧サン・ロッコ教会です。


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現在は市の所有物となっており、各種催事場などとして使用されてます。


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司教館だったような・・・・・?


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道の先に門が見えます。その手前に教会があります。


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城壁は残されていませんが、門が残ってます。


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門を潜りました。


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何もないので元の道に戻りました。


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サンタ・マリア・マッダレーナ教会です。


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美術的には、例え開いていても拝観する気になれません。


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チェントロ側は冴えてませんが、夏にでもなれば海側は大混雑です。


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実は、この年(2015年)の6月、イタリアは連日40度を超えるとか超えないで大騒ぎになっていました。


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ところが、この日だけはシロッコが影を潜めて、涼しい北風が吹いて一息つけたのです。


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サン・マルティーノ教会です。


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この教会も美術ファンとしては拝観する気になれません。


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チェントロの方は大体見たので、海の方に戻ることにしました。


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セニガッリアのホテルの殆どは海側にあり、その大部分は夏季中心の営業です。


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この日のお宿も海側にあります。


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カルミネ教会です。


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ここは開いていましたがパス。


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要塞を通り過ぎて駅の反対側に出ます。


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海岸側に出ました。


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海岸は直ぐ傍にあります。


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2日前まで猛暑だったので混雑していたそうです。


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22-23度くらい、しかも風が強い日でした。


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波が荒かった。


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(おわり)

セニガッリアは、人口44,796人(2016年6月30日現在)のマルケ州アンコーナ県にあるコムーネです。
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私が初めて「セニガッリア」を知ったのは美術館でした。


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この有名な作品です。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの「セニガッリアの聖母」です。


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ウルビーノの国立美術館で展示されてます。
「セニガッリアの聖母」の由来ですが、セニガッリアの貴族がピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖母子」(2番目の写真)を所持していたからのようです。
「セニガッリア」が何処にあるかについては、知りませんでした。
ところがアンコーナからリミニに向かう途中のFSのRVの車窓からセニガッリア駅前に立派な要塞が見えたのです。その時、急遽途中下車して簡単に街歩きをしたのが初めてのセニガッリア体験でした。


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セニガッリア駅に到着しました。


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この時は、セニガッリアで2泊して、その間の中1日はアルチェーヴィアへの日帰り旅行を予定していました。


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駅を出ると、眼前にあるのが要塞です。要塞と駅の間に広い道路があり、道路の両側にバスの停留所があります。
バスターミナルは別の場所にありますが、バスの殆どは駅前から乗降できるようになってます。


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駅舎
アルチェーヴィアに向かう公共交通機関はバスしかありません。バスの時刻表を見ていたら、女子高校生と思しき2人が英語で話しかけてきたのです。私の顔にはイタリア語を話さないと書いてあります。話しかけられるのは決まって英語です。
女子高校生「何処に行くの?」
私「アルチェーヴィア」
女子高校生「アルチェーヴィアに行くバスは、今日は夕方に1本あるだけです」
私「乗るのは明日なんだけど」
女子高校生「明日は、朝の早い時間と夕方の2本しかないわ。今日も明日も学校の先生のストライキで、平日だけど学校が休校の時刻で運転されるの」
どひゃー、ビックリです。
女子高校生の言うことは多分正しいと思いましたが、バスターミナルに行って係員に確認したところ、明日もストライキが行われると思うとの事。(この時はブロークンのイタリア語)
困りました。お宿に行って、1泊するけど、もう1泊はキャンセルの了解を取ってからホテルの部屋に入って、PCで翌日以降の旅程変更を行いました。
慌てていたので、この間の写真は一枚も撮ってません。


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アルチェーヴィアには一度行ったことがあります。(以下5枚の写真は外部サイトから拝借しました)


Palazzo_Comune_Arcevia
市庁舎


640px-Luca_signorelli,_polittico_di_arcevia
一番の目的は、この作品を観ることでした。
ルーカ・シニョレッリの傑作「アルチェーヴィアの多翼祭壇画」


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要塞も中々のものです。


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イタリアのバスの位置付けは大体学生が利用するものと思います。観光客が多い路線では、休校日であっても日中の減便は少ないのですが、それ以外の路線では休校日の日中は大幅に減便されるのが普通です。
アルチェーヴィアへの日帰りは、朝7時到着、夕方7時半出発ならば可能でしたが、12時間以上どうやって過ごすか適当な策が見つからなかったので断念した次第です。
公共交通機関のストは、山猫ストはあるものの、事前にある程度知りえますが、先生方のストによるバスの減便なんて予想だにしなかったので堪えました。


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気を取り直してセニガッリアの街歩きです。


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Rocca Roveresca


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要塞の前から見た駅舎です。


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要塞の周りは公園になってます。


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セニガッリアは海水浴場として有名です。
要塞がある場所に、3世紀頃、海の見張り台が築かれましたが、それが要塞の始まりです。要塞は代々の支配者によって拡大整備されましたが、現在の姿の要塞は、1474年にセニガッリアの領主となったジョヴァンニ・デッラ・ローヴェレが建築家バンチョ・ボンテッリ(フィレンツェ、1450c‐ウルビーノ、1494c)に注文して1480年に完成した、ルチアーノ・ラウラーナの影響が認められるルネサンス様式のものです。バンチョはウルビーノ公のフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロに仕え、ウルビーノの傑作を残してます。


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度々抗争の舞台となったセニガッリアなので、それに備えてジョヴァンニ・デッラ・ローヴェレが要塞を築いたとされてます。


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小競り合いはあったものの、本格的な戦闘の舞台には一度もなったことがない要塞です。


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1502年、セニガッリアはチェーザレ・ボルジアの支配下に置かれましたが、その年末に反乱が起き、直ぐに鎮圧されましたが、1503年1月3日に反乱首謀者たちの処刑がこの要塞で行われました。


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現在、要塞は博物館として公開されてますが、それ以前は刑務所でした。


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要塞が刑務所というのは、イタリアでは定番のようです。


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博物館に一度入館して懲りてますが、まあ特に他にやることがないので、入館することにしました。


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橋を渡りました。


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要塞の入り口


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写真右端が切符売り場


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中庭に置かれた大砲


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中世の頃は石弾が普通ですが、この大砲がこの大きな石弾を発射するのは無理でしょうね。


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さて、展示の方はどうなっているでしょうか。


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前回、入館した時は現代の作品ばかりでうんざりしましたが・・・・・


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やっぱり前回と同じでした。


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前回も今回も入館者は私一人でした。


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展示されて作品の数は前回よりも増えていました。


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現代モノが苦手なので、作品が展示されていない部屋を見たのですが、少し前まで刑務所だったせいなのか、少し不気味な気がしました。


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ここで貰ったパンフレットの記述が凄いんです。


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パンフレット曰く「中世の要塞に見事にマッチした現代の彫刻の数々」が売りだそうです。「全然マッチしてないよ」←私の独り言
見解の相違ですね。


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こんな展示がありました。


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この要塞に関係した人たちのようです。勿論本物ではありません。


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要塞に付いての説明です。


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要塞の航空写真


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中世の絵画や彫刻などが展示されていた時代があったそうです。


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それらは今何処にあるのでしょうか?


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この下は要塞の牢獄です。チェーザレ・ボルジアに反乱した首謀者が囚われて拷問された部屋です。


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階上に向かいました。


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展示作品が増えました。


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年間入館者数はどのくらいなんでしょうか?


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私の予想→年間1万人以下


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礼拝堂(タベルナコロ)


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16世紀のもの


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要塞からの眺め


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ドゥオーモの鐘楼が見えてます。


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この場所から写真を撮りました。


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それ程高い場所ではないので、平凡な眺めです。


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要塞の外に出ました。


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セニガッリアの見どころです。


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Piazza Palazzo del Duca
建物はパラッツォ・ディ・バヴィエラ


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Palazzo del Duca


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「ライオンの噴水」


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SENAFILとは何ぞや?


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セニガッリアの最大の見どころはここだそうですから、後は推して知るべしです。


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広場の横に円形の建物が建ってます。


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フォロ・アンノナーリオ


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その横の建物は分かりません。


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市場です。


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新古典様式の柱廊が有名です。


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市場の他に食堂があります。


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昼休み中


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(つづく)

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この辺一帯はローマ時代の遺跡の上に建てられてます。


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サン・フランチェスコ教会の前が絵画館なので、どうしても目が行ってしまいます。


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修復作業のため休館と出てますが、休工が長過ぎます。


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次はサンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会です。


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教会は低い場所にあります。


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階段を下ります。


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サンタ・マリア・デッラ・ピアッツァ教会の後陣に出ました。ファサードは交通量の激しい通りに面してます。


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ロマネスク様式の古い建物です。


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残念ながら扉が閉まっていました。


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この地に6世紀と7世紀に建てられた小さな2つの教会がありましたが、その後の戦乱によって消失してしまいました。現在のロマネスク様式の建物が建てられたのは11-12世紀のことでした。


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ファサードだけでも見る価値は十分にあります。


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最近は閉まっていることが多いようですが、開いていたら拝観をお勧めします。その価値は十分にあると思います。


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ドゥオーモは丘の上にあるので、かなり上る必要があります。


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上の道です。


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道幅が狭いので、ファサードの全景が撮れません。


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15世紀に建築されたLoggia dei Mercanti、商業取引所です。


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ヴェネツィア・ゴシック様式の傑作とされる建物です。


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道草をしてしまいました。今度こそドゥオーモに向かいます。


090
道を上っていくと港が見えてきます。


096
ローマ時代の遺跡


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サンティ・ペッレグリーノ・エ・テレーザ教会を通り過ぎました。


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階段を上ります。


113
上って行くに従って視界が開けてきます。


114


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階段を上って行くとドゥオーモの後陣に出ます。


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ドゥオーモのファサード


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鐘楼


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ファサード側に出入り口は普通閉まっています。聖堂内に入るには身廊側の出入り口を利用します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ビザンチン様式の内部です。


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重厚な感じがします。


180


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クリプタ


198
聖チリアーコの墓


193
レオナルド・ナポレターノの「聖人たちの浮彫」(1189)


194
この浮彫が大聖堂の最大の見どころでしょう。


201
左翼廊の礼拝堂


205
地味なクーポラ


206
外に出ました。


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ファサードの左右のライオン像


177


119


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208
ドゥオーモの先はパスしました。


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元の道に戻りました。
この建物は15世紀に建設されたPalazzo Benincasaです。


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突き当りの広場に教会があります。


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サンティッシモ・サクラメント教会です。


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広場を挟んでオペラ劇場の前にあります。


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1538年から1776年に建設された後期バロック様式の教会です。


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開いていたので拝観しました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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傑作があるとは言えませんが、美術ファンを楽しませる数点の祭壇画があることで知られてます。


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クーポラ


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クーポラの四隅に描かれたフレスコ画はフランチェスコ・ポデスキの「四福音書記者」です。


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主祭壇


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主祭壇画はフランチェスコ・カッチャニーガ(1700‐1781)の作品


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左翼廊の礼拝堂


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チェーザレ・ダンディーニ(1594‐1658)の「聖カルロ・ボッロメオ」


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18世紀のマルケの無名画家の「無原罪の御宿り」


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フランチェスコ・カッチャニーガの「パドヴァの聖アントニオの幻視」


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フィリッポ・ベッリーニ・ダ・ウルビーノ(1550‐1604)の「洗礼者聖ジョヴァンニの説教」


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パスクゥア―レ・チャランボーニ・ダ・トレーラ(1734‐1792)の「大天使とトビアス」


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外に出ました。


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サン・ビアージョ教会は見どころがあまりないのでパスしました。


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写真左に有名な泉が見えてます。


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16世紀にペッレグリーノ・ティバルディによって制作されたFontana del Calamo です。


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この辺がチェントロの中心です。


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キリがないので、この辺で終わりにしましょう。


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帰りは鉄道でアンコーナ駅まで帰りました。
(おわり)

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アンコーナ駅に到着しました。


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アンコーナは交通の要衝であり、マルケ州観光の拠点です。


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駅舎


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駅前に広い道路が走ってます。


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この日のお宿は駅前のここです。


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荷物をホテルに置いて、早速街歩きに出発しました。


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道の先に丘が見えますが、そこがチェントロです。駅からチェントロまで2km以上離れてます。


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駅からバスでチェントロに向かうのが普通ですが、この日は徒歩でチェントロに向かいました。


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途中に特に見どころがある訳ではありません。


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写真左下に鉄道が走ってます。


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日差しを避けてポルティコを歩きました。


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アンコーナ港です。


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ピア門が見えてきました。


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教皇ピオ6世の命によって1787‐98年に建設された門です。


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門の裏側


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写真左下はアンコーナ・マリッティマ駅です。


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フェリーが見えてます。


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丘の上にドゥオーモがあります。


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サン・フランチェスコ教会に行くつもりです。


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ドゥオーモに行く予定です。


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チェントロまで、あと500m


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トラヤヌス帝像が見えて来たらチェントロの入り口です。


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ローマ時代、トラヤヌス帝治世の時にアンコーナが繁栄を極めていたそうです。その記念として、この像が建てられたそうです。


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ここまで歩いて約30分ほどかかりました。


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アンコーナのオペラ劇場です。


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5年ほど前は、オペラの公演予定に合わせて旅程を組むことがありました。この劇場で2度オペラを観ましたが、ここで観たノルマが今までの中で最高でした。


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先ずサン・ドメニコ教会に向かいました。


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向かうと書きましたが、至近にあります。


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サン・ドメニコ教会です。


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広場の名称はPiazza del Papa


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塔がある建物は15世紀に建築されたPalazzo del Governo


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Palazzo del Governoは、県庁舎になってます。


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開いていたので拝観しました。


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バロック様式の内部です。


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近年修復されたばかりの様で、新しく見えました。


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特に印象に残るような作品はありません。


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広場を後にしました。


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次は気になっている市立絵画館に向かいました。


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カルロ・クリヴェッリなどの傑作が多い市立絵画館です。


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Via Pizzecolli


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絵画館にやって来ました。


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相変わらず閉まったままでした。


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建物の修復工事のため、休館になったのは2010年頃だったと思います。


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休館直後は確かに工事が行われていました。


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工事の様子を見たことがありました。


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ところが、その後、工事の物音が全くしなくなって、扉が閉じられたままで数年経過。資金難のため、再開館の目途が立たないと聞いたことがありますが・・・・・


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絵画館を過ぎれば、直ぐにサン・フランチェスコ教会です。


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アンコーナにサン・フランチェスコ教会が2つあるので、アッレ・スカラ教会とも呼ばれてます。正式名称がサン・フランチェスコ・アッレ・スカラ教会なので、名称の後半部分を用いて区別しているようです。


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1323年に建設されたゴシック様式の建物です。


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先ずファサードの見学です。


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開いていたので拝観しました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。


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右側壁


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後陣


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主祭壇


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主祭壇画はロレンツォ・ロットの「聖母被昇天」(1550)


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傑作です。


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新しそうな十字架


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その下の浮彫


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ペッレグリーノ・ティバルディの「キリストの洗礼」


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19世紀初頭のマルケの無名画家の「聖ジョヴァンニ・ディオ」


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ジローラモ・セスティ(1560‐1603活動)の「聖マッテオと天使」


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祭壇前から見た出入口方向


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もう一度祭壇を見てから外に出ました。


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ロレンツォ・ロットの作品が秀逸でした。


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鐘楼の中にもフレスコ画があるようです。


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ファサード前から海が見えました。


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(つづく)

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