イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: ルッカ

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サルヴァトール・ローザの「戦闘」


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ボルゴニョーネ(1621‐1675)の「戦闘」


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Gerard Terborch (1617-1681)の「若い音楽家の肖像」


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Paul Brill (1554-1624) の「狩猟の帰路」


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Dirck Helmbreker (1633-1696)の「スパゲッティを食する」


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Michiel Sweerts (1617-1664)の「少年の肖像」


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Paul Brill の「善きサマリア人がいる風景」


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Lucas Van Uden (1595-1672) の「旅人がいる風景」


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詳細不明


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17世紀のフランドルの無名画家の「男の肖像」


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Paul Brill の「村人がいる風景」


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17世紀のフランドルの無名画家の「港の風景」


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ボルゴニョーネの「戦闘」


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詳細不明


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ローザ・ディ・ティヴォリ(1657‐1705)の「戦闘」
17世紀になると戦争の場面を描いた作品が流行するようになりました。


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17世紀のフランドルの無名画家の「戦闘」


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Sebastian Bourdon (1617-1671) の「戦闘の後」


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ヴァン・ダイク派無名画家の「男の肖像」


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音楽の部屋


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ジョヴァン・ジョセッフォ・ダル・ソーレ(1654‐1719)のフレスコ画


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マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「聖母子」
少なくてもシエナ派の作品ではないと思います。フランドルの画家の作品?


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マルカントニオ・キアリーニ(1652‐1730)の「この人を見よ」


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詳細不明


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次の部屋です。


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天井のフレスコ画


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Salotti di Parata


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タペストリー独特の臭気があります。


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アントニオ・フランキ(1638‐1709)の「ポンぺオ・グアスパリーニョの肖像」(17世紀末)


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絵画や彫刻よりも各部屋の装飾の方が魅せます。


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次の部屋です。


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アントン・ヴァン・ダイク(1599‐1641)の「聖家族と聖アンナ」


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ピエトロ・パオリーニ(1603‐1681)の「焼き栗売り」


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フェルディナンド・ボル(1616‐1680)の「イサクの犠牲」(1646)


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チゴリ(1559‐1613)の「祈る聖フランチェスコ」


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詳細不明


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ピエトロ・パオリーニの「肉屋」


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次の部屋です。


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ジョヴァンニ・マリア・チョッキのフレスコ画


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フラ・バルトロメオに帰属する「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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17世紀のカラヴァッジェスキ無名画家の作品


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コジモ・ロッセッリの「聖母子」
素人目にはコジモの作品ではないような・・・・・
作品帰属は専門家に任せるよりありませんが、マンスィ宮の作品帰属については疑問を禁じえない場合があります。


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寝室


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台所だった部屋


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ジョヴァンニ・マリア・チョッキの「アポロの勝利」(17世紀末)


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この先にも部屋があります。


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ピエトロ・ノッキ(パルマ、1783‐ルッカ、1854)の「ランゴバルド王の功徳」(1845)


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アゴスティーノ・トファネッリ(ルッカ、1770‐ローマ、1814)の「エステルとアマンノ」(1820)


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アゴスティーノ・トファネッリの「アシュロとエステルとアマンノ」(1818)


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ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1754‐ローマ、1830)の「テレーザ・バンデッティーニの肖像」


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ピエトロ・ノッキの「オルスッチ家の人々の肖像」


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二コラオ・ランドゥッチ(ルッカ、1801‐1868)の「カルロ・プッチの肖像」(1835‐40c)


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ミケーレ・マルクッチ(ルッカ、1845‐1926)の「ジュリオ・チェーザレの死」(1880‐85c)


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二コラオ・ランドゥッチの「聖母子と聖ロッコと聖ズィータ」(19世紀中頃)


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ルイージ・ノルフィーニ(ピストイア、1825‐ルッカ、1909)の「クレメンテ7世」


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ミケーレ・マルクッチの「ドメニコ・ベルティーノに自作を見せるマッテオ・チヴィタ―リ」(1875‐80c)


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19世紀の無名画家の「サヴォイアのマルゲリータの肖像」


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ルイージ・デ・セルヴィ(ルッカ、1863‐1945)の「出会い」(1906)


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アウグスト・パッサリーア(1837‐1918)の「フェリチータ・グエッレーロと息子の彫像」
 


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外に出ました。


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じっくり見るには、もう少し時間が欲しかったと思いながら絵画館を後にしました。
(おわり)

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フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1535?‐1612)の「幼少のフェデリーコ・ウバルド・デッラ・ローヴェレの肖像」


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Guidto Sustermans の「オーストリアのマリア・マッダレーナの肖像」


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アレッサンドロ・アッローリ派画家の「ビアンカ・カッペロの肖像」


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Giusto Sustermans の「レオポルド・デ・メディチ枢機卿の肖像」


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詳細不明


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次の部屋です。


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ロ・スキアヴォーネ(1522‐1563)の「悔悛のマグダラのマリア」


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ジョアッキーノ・アッセレート(1600‐1649)の「聖ステファノの石打刑」


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制作者不詳の「聖家族と洗礼者聖ジョヴァンニ」


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制作者不詳の「コッレッジョ作『聖母子』の複製画」


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ピエトロ・リベリの「貴婦人の水浴」


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制作者不詳の「マギの礼拝」


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ランベルト・オストリス(1515‐1568)の「Moltiplicazione dei pani e dei pasci 」


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ボニファチョ・ヴェロネーゼ派画家の「聖家族とアレッサンドリアの聖カテリーナ」(16世紀)


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誰の作品でしょうか?


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ソドマの作品となってますが、ソドマの画風とは明らかに違います。ドメニコ・ベッカフーミ?


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17世紀のトスカーナの無名画家の「聖母子」


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これはどう見てもアンドレア・デル・サルト風です。


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ヴァザーリの作品とは到底思えません。マンスィ宮の説明プレートにはおかしな点が沢山あります。


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制作者不詳の「ゲッセマネ園の祈り」


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ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ(1503‐1577)の「洗礼者聖ジョヴァンニ」


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ベルナルディーノ・リチーニオ派無名画家の「マギの礼拝」(16世紀)


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パルマ・イル・ジョーヴァネ派無名画家の「羊飼いの礼拝」(16世紀中頃)


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詳細不明


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16世紀中頃のトスカーナの無名画家の「男の肖像」


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ティントレットの「男の肖像」


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ティントレット派無名画家の「男の肖像」(16世紀)


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ザッキア・イル・ヴェッキオの「自画像」(1519)


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詳細不明


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フランチェスコ・アヴァンツィの「聖母子」(1598)


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Jan Miel (1599-1663)の「イタリア式じゃんけん」


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フィリッポ・ナポレターノ(ナポリ、1587c‐ローマ、1629)の「水車がある風景」


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Dirck Helmbreker (1663-1696)の「ドーナツ売り」
今日は時間がないので、この辺で終わりにしましょう。
(つづく)

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現在、マンスィ宮が建っている場所には、16世紀に建設されたルネサンス様式の建物が幾つかありましたが、1616年、絹製品を取り扱うルッカの豪商アスカニオ・マンスィによって買収されました。


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17世紀中頃、アスカニオの息子ルッケーゼは、住居の改造増築に乗り出し、建築家ラッファエッロ・マッツァンティを雇用して、完成したのが現在のバロック様式のマンスイ宮の建物です。


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18世紀中頃のマンスィ家当主ルイージがパラッツォ内部の改装を行いました。現在見る内装は18世紀中頃に行われた改装後のものです。


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1960年代初めに、当時の当主ラッファエッロ・マンスィ・オルセッティは、建物とマンスィ家の収集物の一般公開を始めましたが、それがこのMuseoの前身です。
1965年、ラッファエッロが没しますが、彼の子供たちは今後ともマンスィ家で維持管理を継続するのは無理と考え、イタリア国家に売却し、それに伴いマンスィ宮国立絵画館として発足したのです。
2015年の年間入館者は11,937人でした。


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「宮殿」ではなくパラッツォ・マンスィです。


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中庭


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パラッツォの内装が最大の見どころでしょう。


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ロココ調の内装が中心なので、私の趣味からやや外れます。


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詳細不明


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展示の質ではグイニージ邸国立博物館の方がかなり勝ります。


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各部屋に説明板が置かれてます。


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フランス人の御一行様


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サルヴァトール・ローザ(1615‐1673)の「戦闘」


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展示作品の質は普通でしょう。
説明シートがあるので、それと突き合わせて作品を見ることになります。


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フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネ(1548‐1592)の「ゲッセマネ園の祈り」


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ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547‐フィレンツェ、1627)の「聖ジャチントに顕現する聖母」


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フランチェスコ・フリーニ(フィレンツェ、1603‐1646)の「魔女」


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オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563‐ロンドン、1639)の「マグダラのマリア」


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ローザ・ダ・ティヴォリ(フランコフォルテ、1657‐ローマ、1706)の「羊飼いがいる風景」


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サルヴァトール・ローザの「戦闘」


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ルティーリオ・マネッティ(シエナ、1571‐1639)の「ダヴィデの勝利」


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フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1542‐アンコーナ、1609)の「自画像」


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ドメニコ・ティントレット(ヴェネツィア、1560‐1635)の「ヴェネツィアの元老院議員の肖像」


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ティツィアーノの領域の「聖家族とアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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フランチェスコ・モンティ(ブレーシャ、1646‐ローマ、1712)の「戦闘」


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ローザ・ディ・ティヴォリの「羊飼いのいる風景」


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ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568‐1613)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


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カルロ・ドルチ(フィレンツェ、1616‐1686)の「聖アントニオ・アバーテ」


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ヤコポ・ヴィニャーリ(プラートヴェッキオ、1591‐フィレンツェ、1664)の「トビアスと大天使ラッファエーレ」


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バルトロメオ・サルヴェストリーニ(フィレンツェ、1599c‐1633c)の「ダヴィデ」


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ジョヴァンニ・バルドゥッチ(フィレンツェ、1560‐ナポリ、1631)の「ゲッセマネ園の祈り」


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ロムーロ・パンフィ(フィレンツェ、1632‐1690)の「入り江の風景」


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制作者不詳の「ティントレット作『聖マルコの奇跡』の複製画」


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セバスティアーノ・リッチ(ベッルーノ、1659‐ヴェネツィア、1734)の「税関」(1706)


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ドメニキーノ(ボローニャ、1581‐ローマ、1641)の「サムソンの勝利」


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ドメニコ・ベッカフーミ(シエナ、1486c‐1551)の「シピオーネの自制」


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ピエトロ・テスタ(ルッカ、1611‐ローマ、1650)の「ガラテアの勝利」


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ルーカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634‐1705)の「聖セバスティアーノ」


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モラッツォーネ(1573‐1626)の「受胎告知」


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ロムーロ・パンフィの「風景」


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肖像画ばかりが展示されている部屋です。


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Giusto Sustermans (1597‐1681)の「若い貴婦人の肖像」


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Giusto Sustermans の「ジャン・カルロ・デ・メディチ枢機卿の肖像」


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Giusto Sustermans の「フランチェスコ・マリア・スステルマンスの肖像」


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ブロンズィーノ(1503‐1572)の「コジモ1世の肖像」


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ダヴィド・テニエルス・イル・ジョーヴァネの「レオプルド・グリエルモ大公の肖像」


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ブロンズィーノの「フェルディナンド・デ・メディチの肖像」


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詳細不明


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ニッコロ・カッサーナ(1659‐1714)の「貴婦人の肖像」


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ブロンズィーノの「ドン・ガルツィア・デ・メディチの肖像」
(つづく)

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次はマンスィ宮です。


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フォッソ通りに沿って小川が流れてます。市域の拡大前は城壁を囲む堀の役目をしていた川です。


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国立博物館の鑑賞にかなりの時間を要してしまったので、急ぎました。


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このタベルナコロは知られてます。


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しかし、これの詳細が分かりません。


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城壁内のほぼ東端にあるグイニージ邸から、ほぼ西端にあるマンスイ宮までの距離は2km程でしょうか。


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マンスイ宮は国立絵画館になってます。


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国立絵画館では最低でも2時間は欲しいので、気が急きました。この日、19時30分までの開館となってますが、イタリアの美術館の多くは閉館時間近くなると、鑑賞し難い雰囲気があるので、19時前には退館した方が良いと思いました。
美術館などの係員が建物から出て退勤する時間が19時30分と捉えた方が良いと思います。


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この辺は17-18世紀の建物が立ち並んでいます。


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ルッカの道は碁盤の目とは言えませんが、ほぼ規則正しく作られています。


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見どころがある場所を大体覚えていれば、地図なしで簡単に目的地に行くことができます。


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この時はルッカに1泊しただけでしたが、見所が多いので2泊はしたいところでした。


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1泊だったので、教会めぐりが不十分に終わりました。


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サン・サルヴァトーレ教会です。


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サン・サルヴァトーレ教会は夕方遅くまで開いているので、拝観するのを後にして先を急ぎました。


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サンタ・ジュスティーナ通りまでやってきました。


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マンスィ宮はもうすぐです。


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9世紀創建のサン・マッテオ教会です。


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見たかったので、前日に電話を架けたのですが誰も出ませんでした。


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突当りがマンスィ宮です。


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じっくり見るにはやや時間が足りませんが、それでも何とか間に合いました。


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16世紀に建設された宮殿です。メディチ家の収集作品が展示されてます。
フィレンツェのウフィッツィ美術館には膨大な数の非常設展示作品を保有されていますが、それらの中で保存状態の良いものや修復が終わった作品が逐次ここで展示される予定と聞いてます。


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ここも閑古鳥が鳴いていると予想していましたが、意外にもフランス人のグループが熱心に見て回っていました。


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展示作品は多くありません。


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宮殿の装飾を見るのが主となる絵画館です。


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ルッカの国立絵画館に付いては別に取り上げます。


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やはり少し時間が足りなかったと思いました。


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当初の予定では、この後にプッチーニ生家博物館に入館するつもりでした。でも、もう閉まっている時間です。


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チッタデッラ広場


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昼食をトラットリアで腰を落ち着けて食べたのが拙かったようです。時間配分を考えると、昼食は切りピザの立食いくらいでごく簡単に済ませるべきだったのです。


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広場の中央にあるのがプッチーニ像です。


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プッチーニ生家博物館の建物


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3年ほど前は建物の修復工事のため休館だったと思います。


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またの機会に入館することにしましょう。


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プッチーニの生家の至近にサン・ミケーレ教会があります。


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この時間はもう閉まってます。


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夕暮れの時間を迎えました。


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それでも外観だけは見ました。


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サン・ミケーレ広場に立つのは1863年に制作されたフランチェスコ・ブルラマッキ(ルッカ、1498-ミラノ、1547)像です。フランチェスコはルッカ共和国の存続に尽力した政治家ですが、最後は捕われ斬首されました。


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行った先々の歴史を知ると、このような像がどのような意味を持つのかが分かります。ルッカ市民にとってフランチェスコは英雄なのです。


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次はサン・サルヴァトーレ教会です。


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この時間でも開いている筈ですが・・・・・


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やはり開いていました。


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創建は9世紀に遡ります。現在の建物は12世紀に再建された二代目のものです。


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1808年、ルッカに侵攻してきたナポレオン軍によって壊滅的な被害を受け、19世紀前半に大修復工事によって蘇ったのでやや新しく見える部分があります。


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鐘楼


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中に入ることができました。


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外は夕暮れ時でしたが、中は意外にも明るかった。


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ロマネスクの面影を残している構造ですが、19世紀前半の大改修を経たので何となく新しい感じがします。


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主祭壇


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地元ルッカ出身の画家たちの作品が並んでます。
ジローラモ・スカーリアの「受胎告知を受ける聖母」


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ドメニコ・ブルギエーリの「聖母被昇天」


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18世紀のルッカの無名画家の作品


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ジョヴァンニ・マッラッチの「聖母子と聖人たち」


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詳細不明


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19世紀の無名画家の「聖母子」


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詳細不明


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教会の扉を閉める鉦がが鳴らされました。


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外に出ました。


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サン・サルヴァトーレ広場にあるのは、ロレンツォ・ロットリーニ作の「プッポローナのフォンターナ」(1842)です。


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一旦ホテルに戻ることにしました。


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流石に疲れました。


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ここも見たかったけれど時間切れです。


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フレスコ画があります。


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ホテルに戻りました。


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さて翌朝です。


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この日も良い天気に恵まれました。


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サン・ミケーレ教会は開いていましたが、大きな荷物があったので拝観は無理でした。


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駅に向かいました。


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サン・ピエトロ門


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来年、再訪を予定しています。


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次の目的地ピサに向かいました。


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(おわり)

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アミーコ・アスペルティーニ(ボローニャ、1474c‐1522)の「天上の聖母子と聖人たち」(1510‐15)


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フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ、1448以前‐1517)の「無原罪の御宿り」(1515?)


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詳細不明の木組み細工


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ここに来ないのは勿体ない!


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フランチェスコ・デル・ブリーナ(フィレンツェ、1541c‐1586)の「聖母子と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」(1563)


P1840350
バルトロメオ・ネローニ通称イル・リッチョ(シエナ、1532‐1571記録)の「聖母の誕生」(1560‐70c)


P1840352
バッティスタ・フランコ通称イル・セモレイ(ヴェネツィア、1510c‐1561)の「嘆き」(1530‐40c)


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アレッサンドロ・アルデンティ(ファエンツァで1559から記録‐トリノ、1595)の「シビッラ・クマーナの説教」(1576c)


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ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511‐フィレンツェ、1574)の「聖エウスタチョ」(1543)


P1840362
ジョルジョ・ヴァザーリの「無原罪の御宿り」(1543)


P1840365
ジョルジョ・ヴァザーリの「聖ビアージョ」(1543)


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アレッサンドロ・アルデンティの「キリストの洗礼」(1576c)


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バッティスタ・フランコ通称イル・セモレイの「ご訪問」(1550‐61c)


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16世紀中頃のルッカの無名画家の「聖母子と聖アゴスティーノと聖モニカと聖ジローラモ」(1559)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「ベテスダの池」(16世紀末)


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チゴリ(チゴリ、1559‐ローマ、1613)の「マギの礼拝」(1600‐10c)

私がヨーロッパに行くようになった最初の頃は、専ら印象派の作品ばかりを見ていました。印象派の作品がある主な美術館などに足を運んで、熱心に見ていました。何事も熱中する方の人間なので、それこそ暇を惜しんで見ていました。
それに伴い印象派画家たちの生涯や印象派形成の歴史などの本を読んで勉強をしたのですが、そのうちに印象派作品が落選してた時代に自分がいたとすれば、果たしてこれらの作品を熱心に見たであろうか、自分が熱心に見るようになったのは他人の受け売りではないのか、という疑問を持つようになりました。
それまでの本などからの受け売りの一切を排除して、数多くの印象派作品の前に立ち、自分自身の審美眼で作品を見て回りました。そうやっているうちに彼らの作品が落選した理由が理解できるようになったのです。
その結果、パトロンや教会などからの注文に基づかないで、画家自身の芸術的観点や意欲から描かれたものが独善的と思えるようになり、印象派好きから離れるようになりました。
鑑賞は、初めは本などからの受け売りから入るのは仕方がありませんが、数多くの作品の前に立ち、自己の審美眼を磨くことが基本と思います。


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フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1540‐アンコーナ、1609)の「聖ピエトロに天国の鍵を渡すキリスト」(1593)

私がヨーロッパに行く前に知っていたイタリアの画家は、ルネサンスの三巨匠だけでした。中学校と高校の美術で習っただけでしたから。カラヴァッジョ、アンニーバレ・カッラッチ、ジョット、シモーネ・マルティーニなどは名前さえも知りませんでした。それに比べると印象派画家たちは明らかに学校で教え過ぎ、印象派偏重と思います。


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パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559‐フィレンツェ、1638)の「身体障碍者を治癒する聖ピエトロ」(1590‐1600c)


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アウレリオ・ローミ(ピサ、1556‐1622)の「嘆き」(16世紀末‐17世紀初頭)


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ヤコポ・リゴッツィ(ヴェローナ、1547c‐フィレンツェ、1627)の「キリストの洗礼」(1594)


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ピエトロ・ソッリ(シエナ、1556‐1622)の「聖母の浄め式」(1609)


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ガスパーレ・マンヌッチ(フィレンツェ、1575-1642)の「聖キアーラの奇跡」(17世紀第1四半世紀)


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カヴァリエール・ボルゲーゼ(ルッカ、1560c-ローマ、1629)の「自由の寓意」(1611)


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ルティーリオ・マネッティ(シエナ、1571‐1639)の「オルタのベアート・サルヴァトーレの奇跡」(1635)


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ピエトロ・ソッリの「聖ピエトロの召命」(17世紀第1四半世紀)


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ガスパーレ・マンヌッチの「天上の聖母子と聖ロレンツォと聖ゲルヴァシオ」(1629)


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グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「磔刑とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖ジュリオ」(1620‐30c)


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パオロ・ビアンクッチ(ルッカ、1596‐1651)の「磔刑と聖人たち」


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ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582‐ローマ、1647)の「聖ロレンツォの殉教」(1635)


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パオロ・ビアンクッチの「祈りの聖母」(17世紀第2四半世紀)


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パオロ・ビアンクッチの「天上の聖母」(17世紀第2四半世紀)


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ピエトロ・パオリーニ(ルッカ、1603‐1681)の「ロザリオの聖母と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」(1620‐30c)


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ピエトロ・パオリーニの「玉座の聖母子と聖パオリーノと聖アンドレアと聖カルロ・ボッロメオとアクイタニアの聖グリエルモ」(1630‐40c)


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ピエトロ・パオリーニの「聖ポンツィアーノの殉教」(1630‐40c)


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ピエトロ・パオリーニの「聖バルトロメオの殉教」(1630‐40c)


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ピエトロ・パオリーニの「洗礼者聖ジョヴァンニの誕生」(1636)


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ジョヴァンニ・マッラッチ(ルッカ、1638‐フィレンツェ、1703)の「煩わしさを解放する聖ウバルド」(17世紀第4四半世紀)


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アントニオ・フランキ(ルッカ、1638‐フィレンツェ、1709)の「受胎告知」(1672)


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ジョヴァンニ・マッラッチの「請願に耳を傾ける教皇マルティーノ5世」(17世紀第4四半世紀)


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ピエトロ・パオリーニの「聖グレゴリオ・マーニョの饗宴」(17世紀中頃)


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ジローラモ・スカーリア(ルッカ、1620c‐1686)の「聖ピエル・トーマ」(1661)


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ジローラモ・スカーリアの「マグダラのマリア」(1648)


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ジローラモ・スカーリアの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1648)


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トスカーナの無名彫刻家の「聖パオロ」(17世紀初め)


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フィリッポ・ゲラルディ(ルッカ、1643‐1704)の「ヴィッラノーヴァの聖トッマーゾの幻視」(17世紀末)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリ(ヴィテルボ、1610c‐1662)の「洗礼者聖ジョヴァンニと聖アンドレアと聖ピエトロ」(17世紀第2四半世紀)


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アントニオ・フランキの「聖テレーザ」(17世紀第4四半世紀)


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カルロ・ベルターニ(フィデンツァ、1743‐ピアチェンツァ、1801)の「ピエトロ・ダ・コルトーナ作『聖テレーザの光悦』の複製画」(1782)


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ジョヴァン・ドメニコ・ロンバルディ(ルッカ、1682‐1751)の「マギの礼拝」(18世紀第1四半世紀)


P1840482
ドメニコ・ブルギエーリ(ルッカ、1678‐1744)の「聖母の寺院への出現」(18世紀第1四半世紀)


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ジョヴァン・ドメニコ・ロンバルディの「聖二コラオに顕現する聖母」(18世紀第1四半世紀)


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ポンぺオ・バトーニ(ルッカ、1708‐ローマ、1787)の「聖テレーザの光悦」(1743c)


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イル・ディ江チミーノ(ルッカ、1709‐1774)の「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(1756)


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ポンぺオ・バトーニの「聖バルトロメオの殉教」(1749)


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ポンぺオ・バトーニの「シエナの聖カテリーナの光悦」(1743)


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これで終わりです。


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非常に良かった!


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(おわり)

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フランチェスコ・アングィッラ(1384‐1444記録)の「聖母子とマグダラのマリアと洗礼者聖ジョヴァンニとバーリの聖二コラと聖ロレンツォ」(1420‐30c)


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ヤコポ・デッラ・クエルチャ(1374‐1438)の「聖アンサーノ」


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ゲラルド・スタルニーナ(1387‐1409記録、1413没)の「福音書記者聖ジョヴァンニと聖パオロと聖ピエトロ」(1405c)


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ゲラルド・スタルニーナの「大天使ミケーレと聖ジャコモ・マッジョーレと洗礼者聖ジョヴァンニ」(1405c)


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バッティスタ・ディ・ゲーリオ(1414と1418記録)の「聖クイリーコと聖ジュリッタと教皇聖シスト」


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バッティスタ・ディ・ゲーリオの「聖母子のシノピエ」(15世紀第1四半世紀)


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バッティスタ・ディ・ゲーリオの「聖母子と二天使」(15世紀第1四半世紀)


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14‐15世紀のルッカの無名彫刻家の「祈るキリスト」(15世紀初め)


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Maestro di Montefloscoli(フィレンツェで15世紀前半に活動)の「裾絵の一部」(1440c)


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Maestro di Montefloscoliの「裾絵の一部」(1440c)


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Maestro di San Quirico a Guamo(15世紀中頃活動)の「玉座の聖母子とマグダラのマリアと大天使ミケーレ」(1440‐50c)


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ルッカ?の無名彫刻家の「殉教者たち」


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プリアーモ・デッラ・クエルチャ(1426‐1468記録)の「ピエタのキリスト」(15世紀第2四半世紀)


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フランチェスコ・ディ・ヴァルダムブリーノ派のルッカの無名彫刻家の「磔刑」(14世紀末)


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フランチェスコ・ディ・ヴァルダムブリーノ(シエナ、1401から記録、1435c没)の「トレンティーノの聖二コラ」


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ザノービ・マキアヴェッリ(フィレンツェ、1418c‐1479)の「玉座の聖母子と聖バルトロメオとマグダラのマリアと聖マルティーノとパドヴァの聖アントニオ」(1470‐75c)


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ボルゲーゼ・ディ・ピエトロ・ボルゲーゼ(1397‐1463記録)の「彩色磔刑像」


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バルダッサッレ・ディ・ビアージョ(1446‐1484活動)の「三位一体」(15世紀第3四半世紀)


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ボルゲーゼ・ディ・ピエトロ・ボルゲーゼの「聖ヴィンチェンツォ・フェッレーリ」(1455c)


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ジュリアーノ・ディ・シモーネとルッカの無名画家の「ご誕生」(14世紀末)


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バルダッサッレ・ディ・ビアージョの友人の「聖母子」(1465c)


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ドナテッロと協力者の「聖母子」(15世紀第1四半世紀)


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ピエトロ・ダ・タラーダの「聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニ」(1463)


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フランドルの無名画家の「受胎告知」(1490‐1500c)


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ネロッチョ・ディ・バルトロメオ・ランディ(シエナ、1447‐1500)の「受胎告知される聖母」(1481)


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ヴェッキエッタ(シエナ、1410‐1480)の「聖母の死」(1481)


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ベルナルド・パレンツァーノ(パレンツォ、1450c‐パドヴァ、1500?)の「聖セバスティアーノ」、「聖ロッコ」(1490c)


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詳細不明の組木細工


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15世紀末のルッカの無名画家の「ご訪問」(1484以降)


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マッテオ・チヴィタ―リと協力者の「受胎告知」(1470c)


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マッテオ・チヴィタ―リ(ルッカ、1436‐1501)の「聖母子」(1480‐90c)


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マッテオ・チヴィタ―リの「聖母子」(1470c)


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マッテオ・チヴィタ―リの「聖母子」(1495c)


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マッテオ・チヴィタ―リの「VIR DOLORUM」(1487)


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ヴィンチェンツォ・ディ・アントニオ・フレディアーニ(ルッカ、1476‐1505記録)の「無原罪の聖母と聖人たち」(1502)


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ヴィンチェンツォ・ディ・アントニオ・フレディアーニの「聖母戴冠と聖人たち」(1495‐1500c)


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二コラオ・チヴィタ―リ工房の「サンティッシモ・サクラメントのタベルナコロ」(16世紀第1四半世紀)


P1840277
ヴィンチェンツォ・ディ・アントニオ・フレディアーニの「玉座の聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖マッテオと聖フレディアーノと聖ペッレグリーノ」(1487)


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ミケランジェロ・ディ・ピエトロ・メンブリーニ(ルッカ、1484‐1525記録)の「玉座の聖母子と聖ステファノと聖ジローラモ」(1495‐1500c)


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ベネデット・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1442‐フィレンツェ、1497)の「聖アントニオ・アバーテ」(1482‐83)


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ミケランジェロ・ディ・ピエトロ・メンブリーニの「玉座の聖母子と聖アゴスティーノと聖モニカとパドヴァの聖アントニオと聖ジローラモ」(1492c)


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ミケランジェロ・ディ・ピエトロ・メンブリーニの「玉座の聖母子と聖アントニオ・アバーテと聖ピエトロと聖ジャコモと聖パオロ」(1495‐1500c)


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アンサーノ・ディ・ミケーレ・チャンパンティ(ルッカ、1498‐1532記録)の「磔刑」(1495‐1500c)


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アンサーノ・ディ・ミケーレ・チャンパンティの「聖バルバラ」(1490‐1500c)


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アンサーノ・ディ・ミケーレ・チャンパンティの」聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニとアレッサンドリアの聖カテリーナと聖ルチアと聖ジュゼッペ」(1500c)


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ミケーレ・チャンパンティ(ルッカ、1470‐1521記録)の「聖母戴冠」、「慈悲の聖母」(1490c)


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マッテオ・チヴィタ―リの「キリスト」(1485‐90c)


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アンドレア・ディ・ジョヴァンニ・ダ・カッラーラ(ルッカ、15世紀第4四半世紀活動)の「聖シラーオの供養聖櫃」
(1489‐90)


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マッテオ・チヴィタ―リの「この人を見よ」(1485)


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16世紀前半のルッカの無名画家の「聖アゴスティーノ?」(16世紀第1四半世紀)


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ロッビア工房の「モノグランマ」(15世紀初め)


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ザッキア・ダ・ヴェッツァーノ(ルッカ、1510‐1561記録)の「聖母被昇天」(1527)


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ザッキア・ダ・ヴェッツァーノの「聖母子と聖セバスティアーノと聖ロッコ」(1530c)


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フラ・バルトロメオ(サヴィニャーノ、1472‐フィレンツェ、1517)の「永遠なる父とマグダラのマリアとシエナの聖カテリーナ」(1509)


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フラ・バルトロメオの「聖母子と聖ステファノと洗礼者聖ジョヴァンニ」(1510c)


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フラ・バルトロメオの「フラ・バルトロメオの作品を見るドメニコ会修道士たち」


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フラ・バルトロメオの「慈悲の聖母」(1515)


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フラ・パオリーノ(ピストイア、1488‐1547)の「聖母子と聖人たち」(1534)


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チヴィタ―リ派無名彫刻家の「聖フレディアーノ・マルティ―レ」(16世紀初め)
(つづく)

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上記作品の説明プレート


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ルッカのサン・ミケーレ・イン・フォロ教会にあったものです。


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ファサードにあったものです。


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13世紀前半のルッカの無名画家の「聖母子」


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ルッカの無名画家の「彩色磔刑像」(12世紀末‐13世紀初頭)


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ベルリンギエーロ・ベルリンギエーリ(1225‐1235記録)の「彩色磔刑像」(13世紀前半)


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フランチェスコ・トライーニ(1321‐1345記録)の「大天使ミケーレ」(14世紀)


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ウゴリーノ・ディ・ネーリオ(1317c‐1327記録)の「磔刑と聖人たち」(1320c)


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左から聖アグネス、マグダラのマリア


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聖二コラ、聖ステファノ


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聖ルドヴィーコ、磔刑


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大天使ミケーレ


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バルトロメオ・ブルガリーニ(1337‐1378記録)の「聖母子」(14世紀中頃)


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バルトロメオ・ブルガリーニの「福音書記者聖ジョヴァンニ」(14世紀中頃)


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14世紀中頃のルッカの無名画家の「教皇聖人」


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ジロルド・ディ・ヤコポ・ダ・コモ(1226‐1284記録)の「受胎告知」


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ジロルド・ディ・ヤコポ・ダ・コモの「聖ファウスタ」


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ティーノ・ディ・カマイーノ(1285c‐1337c)の「聖母子」(14世紀前半)


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デオダート・オルランディ(1284‐1332記録)の「聖母子」(1300c)


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デオダート・オルランディの「彩色磔刑像」(1288)


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パオロ・ダ・シエナ(1320‐1375記録)の「彩色磔刑像」(1320?)


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アンジェロ・プッチネッリ(1350‐1399記録)の「聖母子」(1390‐95c)


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アンジェロ・プッチネッリの「聖母子」(1395c)


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14世紀中頃のルッカの無名画家の「聖女たち(バルバラ、アガタ、アグネス、アポッロニア、マルゲリータ)」


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アンドレア・ピサーノの「聖母子」(14世紀第2四半世紀)


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アンジェロ・プッチネッリの「トリッティコ」(1385c)


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「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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「聖ピエトロと洗礼者聖ジョヴァンニ」


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「聖ゲルヴァシオと聖プロタシオ」


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ジュリアーノ・ディ・シモーネ(1383‐1399記録)の「トリッティコ」(1392‐95)


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「聖母子と二音楽天使」


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「聖アゴスティーノ、聖ステファノ」


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「トレンティーノの聖二コラ、聖ルーカ」


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ニーノ・ピサーノの「受胎告知される聖母」(14世紀中頃)


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スピネッロ・アレティーノ(1373‐1411記録)の「磔刑と聖人たち」(1395‐1400c)


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中央パネル


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教皇聖シスト、アレッサンドリアの聖カテリーナ


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聖マルゲリータ、教皇聖ステファノ


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私一人で独占!


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係員の姿もありません。


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聖歌隊席と墓


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ヤコポ・デッラ・クエルチャ工房の「アンテルミネッリのカテリーナの墓」(1422c)


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ヤコポ・デッラ・クエルチャ(1374‐1438)の「アンテルミネッリのバルドゥッチョ・パルギーアの墓」(1423?)


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レオナルド・マルティの「合唱隊席」(1452‐57)


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ルッカのドゥオーモにあった合唱隊席です。


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プリアーモ・デッラ・クエルチャ(シエナ、1426‐1468記録)の「多翼祭壇」(1430c)


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(つづく)

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サン・フランチェスコ教会の身廊の横を通り過ぎれば、直ぐに国立博物館が見えます。


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Museo Nazionale di Villa Guinigiです。
2015年の年間入館者が5,365人でした。この数字は小中学生や高校生などの団体客を含んだ人数ですから、色々と考えさせられます。
照明費、冷暖房費などの諸経費、それに見合う筈のない入館者の少なさを思えば、文化財の維持という高邁なところから、合理化、その果てにある休館さらには閉館という事態に陥っても少しも不思議ではないのです。
また、5,365人のうち、日本人の方の割合がどの程度になるか分かりませんが、このように人気薄の美術館ばかりを取り上げている私は何と馬鹿馬鹿しいことを続けていることか、と自嘲の思いに駆られることが良くあります。まあ、ブログなんてものは、自己満足、自己顕示欲の一環とされているようで、私もそう思いながらも馬鹿馬鹿しいことを続けているわけです。

このブログに来ていただき、感謝に堪えません。
実は、人気薄の美術館や教会などを取り上げているせいなのか、私のブログは人気薄です。ライヴドアのブログサイトの良い点は、アクセス解析です。それによれば一日当たりのPCとモバイルによるアクセス数は平均50台くらいですね。
それだけにアクセス頂いている方々は貴重なんです。


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博物館の入り口です。
大雨だった時を除いて、ルッカに来れば必ず入館することにしてます。


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ヴィッラ・グイニージは、13-15世紀にルッカを支配していた有力貴族の一つであるグイニージ家のパオロ・グイニージによって1430年に建設されました。
当時、この地は城壁外でした。


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15世紀第2四半世紀になると、ルッカは、それまでのグイニージ家などによる専制政治から自治権が取り戻され共和制に移行しました。
それに伴い、1430年、このヴィッラはルッカ共和国に没収されてしまいました。


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その後、ヴィッラは共和国の孤児院として使用されることになりましたが、その間、建物は幾度となく改造改修が行われました。


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ヴィッラの庭園
孤児院は20世初頭に閉鎖され、1924年、この建物にMuseo Civicoがオープンしました。これが現在の博物館の前身です。


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第二次世界大戦の爆撃によって大被害を受けましたが、資金難のためMuseo Civicoはそのまま休館が続きました。1960年代になって、国の資金によって漸く修復工事が開始され、建物は元の姿に戻され、1968年に国立博物館として再発足して現在に至ってます。


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ロッジャからサン・フランチェスコ教会が見えます。


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この扉から展示室に入ります。


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入館して直ぐに目に飛び込んでくるのがこの彫刻です。
16世紀のトスカーナの無名彫刻家の「パオロ・グイニージ像」(16世紀末)
前述したように、ヴィッラ・グイニージは、1413年にパオロ・グイニージによって建設されました。


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次に部屋に向かう扉の上に紋章があります。


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これはグイニージ家の紋章です。
ルッカに行けば、この紋章を散見します。


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エトルリア時代の遺跡からの出土品


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展示は、エトルリア時代からローマ時代の遺跡からの出土品を展示する考古学部門、彫刻と絵画を展示するアート部門、それにルッカの科学関連の発達を展示するサイエンス部門の3部門構成となってます。
この日は、サイエンス部門の展示室は閉鎖されていました。
実は、切符を買うときに係員から「サイエンス部門を見るか」と変な質問を受けて、「多分、見ないと思う」と答えたので、サイエンス部門の展示室が施錠されたままになっていたと思います。
私の入館中に他の入館者の姿を見かけなかったので、多分、その日の午後の入館者は私一人でした。、それでそのような措置が取られたのでしょう。


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1892年にルッカの遺跡から出土した、紀元前470年頃のもの


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紀元前5世紀頃のもの


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紀元前4世紀頃のもの


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エトルリア墳墓の埋葬品や墓が展示されてます。


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トスカーナのカンポルジャーノから出土した墓(紀元前3世紀)


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エトルリア人の墓(紀元前3世紀)


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エトルリア人の墓(紀元前3世紀)


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墓の埋葬品(紀元前170‐130c)


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ローマ時代の公共のモニュメント断片(1世紀)


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ローマ時代の公共のモニュメント断片(1世紀)


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石柱断片(1世紀前半)


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ローマ時代のモザイク(2世紀)


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元々ヴィッラのあった作品です。(詳細不明)


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この紋章は分かりません。


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二階に向かいました。


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二階の展示は、ローマ時代のものが一部含まれますが、主に彫刻と絵画です。


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ローマ時代の3世紀頃に制作されたものですが、ルッカのサンティ・ジョヴァンニ・エ・レパラータ教会に移され、近年まで同教会にありました。


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ルッカのサンティ・ジョヴァンニ・エ・レパラータ教会にあった、ロンゴバルド文化を示す彫刻です。(8世紀前半)


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図柄が違いますが、前の作品と同じです。


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ターリア・ディ・ライトゥス(11世紀後半に活動)の「柱頭装飾」(11世紀末‐12世紀初頭)
ブランコーリのサン・ジョルジョ教区教会にあった柱頭です。


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Maestranza del terzo pilastro dei sottoportico della Cattedrale di San Martino の「聖マルティーノ」(12世紀末)


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ルッカの無名画家のフレスコ画断片(9世紀)
ルッカのサンティ・ジョヴァンニ・エ・レパラータ教会にありました。


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ターリア・ディ・ライトゥスの柱頭装飾(12世紀初め)
ブランコーリのサン・ジョルジョ教区教会にありました。


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11世紀前半の作品


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Maestro di caltura pisano lucchese (12世紀第4四半世紀に活動)の「玉座の聖ヤコポ・マッジョーレ」


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Maestro di caltura pisano lucchese の「玉座の聖ピエトロ」


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12世紀後半のルッカの無名画家の「彩色磔刑像」(12世紀後半)


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ビドゥイーノ(12世紀第4四半世紀にピサとルッカで活動)の「聖母子」


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Maestro Enrico (12世紀後半に活動)の「ザッカリアの告知と聖エリザベッタ」(12世紀第4四半世紀)


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(つづく)

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次はサン・ピエトロ・ソマルディ教会です。


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その教会に音楽史上、重要なオルガンが残されており、そのオルガン演奏と研究を行ったのがプッチーニでした。


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もう正午を過ぎました。教会は12時半に閉まる筈なので、時間がありません。


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時々走りながら急ぎました。身体に悪いし堪えます。


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教会がある広場にやって来ました。


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サン・ピエトロ・ソマルディ教会です。


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未だ開いていました。時間がないので、何はともあれ中に入ることにしました。


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8世紀創建の古い歴史を持つ教会です。現在の建物は12世紀末に再建された二代目のものです。


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ファサード裏にある有名なオルガンです。17世紀の高名なオルガン制作者だったドメニコ・カチオーリの作品です。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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何回も修復作業が行われたそうです。


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右側廊の祭壇画から見ました。


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ザッキア・ダ・ヴェッツァーノの「聖母の昇天」(1512)


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ガスパーレ・マッヌッチの「受胎告知」(1651)
ガスパーレは、17世紀にルッカで活動したバロック画家でした。


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18世紀のルッカの画家の「救世主とピサの聖ボーナ」


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14世紀のフレスコ画


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ステファノ・トファンネッリの「聖エミ―ディオ」(1880)


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主祭壇と後陣


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左側廊の礼拝堂を見ました。


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Maestro di Michelangelo di Pietro Membrini の「聖アントニオ・アバーテ」(1497)


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セバスティアーノ・コンカの「聖母子」(1706)


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ティベリオ・フランキ(1601‐1667)の「聖ピエトロ」


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パオロ・ビアンクッチの「聖家族と聖アンナ」


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扉が閉まる鐘が鳴らされました。


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私が外に出ると直ぐに扉が閉じられました。


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辛うじて拝観が間に合いました。今度はファサードをじっくりと鑑賞しました。


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ピサ・ロマネスク様式の典型的な造りです。


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グイド・ビガネッリ・ダ・コモ(1220c‐1257)のポルターレ上の彫刻


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フレスコ画の詳細は不明です。


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グイド・ビガネッリの彫刻


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この部分の彫刻もグイド・ビガネッリによって制作されました。


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そろそろ飯時です。いつもの店は少し歩かなくてはいけないので、この辺で食べることにしました。


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サン・フランチェスコ教会が見えてきました。


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Via della Fratta


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教会横の店で食べました。


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サン・フランチェスコ教会は最早見どころが殆どありません。


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13世紀に工事着工、1430年に完成したゴシック様式のサン・フランチェスコ教会です。


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ルネッタに描かれたフレスコ画


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修道院が併設されていた大きな教会でしたが、その宗教活動は停止され、現在は各種イヴェント会場として使用されています。


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旧修道院の回廊とキオストロ


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2010年から2013年にかけて、5千万エウロの予算で大改修されましたが、ご覧のように古い物は跡形もなく塗り潰されてしまいました。教会内もこれとほぼ同じのようです。


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ということで、見るべきものが殆ど無いのです。


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次はグイニージ邸の国立博物館です。


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ここはお勧めです。


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質の高い作品ばかりで、好みの博物館ですが、私以外の他の入館者を見かけることがありませんでした。


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この博物館に付いては、改めて別に取り上げることにします。


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外に出たら、すっかり日が傾いていました。


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次はマンスィ宮です。


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(つづく)

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次は塔に上ってルッカの街を一望します。


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駅から少し遠い(徒歩15分くらい)ですが、アルベルゴ・ラ・ルーナはお勧めです。


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写真右奥の建物の前で、何時も足を止めてしまいます。


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一見すると教会らしくない建物です。


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これがあるので旧教会の建物らしいことが分かります。


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二階以上は普通の共同住宅らしい作りです。


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Via Sant'Andrea ?


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塔に向かう前にメルカートに寄り道します。


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カルミネ広場です。


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広場に面してメルカートの建物が建ってます。正確には旧メルカートです。
時計塔の時計は全然違う時刻を表示していました。


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実は、この場所はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会があった所で、時計塔は旧教会の鐘楼です。


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旧メルカートの中に入りました。
旧修道院だった建物が20世紀初めに肉屋、魚屋、八百屋などが入るメルカートとして整備されましたが、交通が不便との理由によって、新メルカートが建設され、その完成を機に閉鎖されて各種催事場や演奏会場に転用されていましたが、更に整備されることになり、その工事中というわけです。


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写真左が旧メルカートです。


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見上げればグイニージの塔が見えます。てっぺんに木が生えてます。


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Via Sant'Andreaに戻りました。


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塔の下に到着しました。


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切符を買い、階段を上りました。


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切符売り場


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展望台?まで227段あります。


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3階付近まで登った時の窓からの写真


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徐々に階段の勾配がきつくなります。


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上り切ることが出来ました。


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主な教会のファサードや鐘楼の形を知っていると、塔からの展望がより楽しくなります。見えている鐘楼はサン・ピエトロ・ソマルディ教会のものです。


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残念乍ら黒い雲が出てきました。


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サンタ・マリア・フォリス・ポルタム教会が見えてます。


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西の方は晴れていました。


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サン・フランチェスコ教会が見えました。


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サン・フランチェスコ教会です。


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ルッカは良いですね。


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塔から見ると、改めて沢山の教会があることが分かります。


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手前が旧メルカートです。その向こうに見えるのがサン・フレディアーノ教会です。


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サン・フレディアーノ教会です。


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「葬儀はもう終わったのだろうか」←私の独り言


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アンフィテアトロ広場


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日が陰って寒い数が吹いてきました。


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サン・ピエトロ・ソマルディ教会


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塔に上っていた時だけ日が陰っていたのです。塔から降りると快晴になりました。


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ドゥオーモ


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塔に上れなくなった時が個人旅行の潮時でしょうね。


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無事上ることが出来て満足でした。


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上る時よりも降りる方がキツイと感じました。


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次はサン・アナスタシオ教会です。塔から目と鼻の間の距離です。


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教会の後陣


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9世紀に創建されたサン・アナスタシオ教会です。


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日曜日の朝だけ開くようです。


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ルネッタに描かれたフレスコ画


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次はサンタ・ジュリア教会です。


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ここは目と鼻の先です。


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10世紀創建のサンタ・ジュリア教会です。


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これでは旅行者が拝観するのは難しいと思います。多分、ここは現役の教会ではないと思います。


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ボッケリーニ広場です。


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広場に面して建つピンク色の建物はボッケリーニ音楽院です。


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ピンク色の建物に繋がっているのが旧スッフラージョ教会です。


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旧教会の建物は主に演奏会場として使用されてます。


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ボッケリーニのメヌエットをお聞きになったことがある方が多いと思います。作曲者としても有名ですが、チェロ奏者として後世に名前を残したルイージ・ボッケリーニの像が広場にあります。


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1743年2月19日、ルッカのこの近くで生まれました。1805年、マドリッドで死去したボッケリーニですが、彼の墓はルッカのサン・フランチェスコ教会にあります。


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ルッカはプッチーニとボッケリーニの音楽の街なのです。


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(つづく)

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翌朝です。
TVで前日の大雨に付いて報道していました。


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午後2時過ぎにホテルに戻りましたが、風雨が収まる気配が一向に見られず、そのままホテルに缶詰めでした。


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傘を差すほどではありませんが、細かい雨粒を顔に感じました。


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青空がほんのちょっぴり顔を出してきました。門の前の分離帯に置かれたオブジェが珍妙です。


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このような事が旅に付き物とは言え、行きたい所に殆ど行けなかったので不消化感が残りました。


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近いうちの再訪を期して門を潜りました。


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城壁外に出ました。


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雨で濡れたズボン、下着、靴下は一夜のうちに乾きましたが、二足の靴は乾きませんでした。


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今まで、替えの靴を一足持って行けば大丈夫でしたが、この時は二足とも十二分に水分を含んだ状態になったので、次のピサで靴を買いました。


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靴下が靴の水分を吸収して不快でした。


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酷い目に遭った日の話はこれで終わりです。


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ガラ空きの列車に乗って、フィレンツェSMN駅からルッカ駅に向かいました。


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ルッカ駅に到着しました。


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散々だった前回の旅を挽回するために来ました。


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雲が多いものの晴れていました。この日の天気予報は快晴でした。


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徒歩でホテルに向かいました。


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城壁内に入りました。


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何時ものホテルを予約していましたが、日本を発つ直前にホテルからメールが届き、急遽水回り工事の必要があるので、同クラスの別のホテルに€10値引きで振り替えたいとの連絡がありました。


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そのホテルは駅から少し遠くにありますが、変更をOKしました。


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この辺を歩いていたら、前回の旅でホテルまでタクシーを利用したことが思い出されました。


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Via Vittorio Veneto


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ナポレオーネ広場


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この日、オペラの公演はありませんでした。


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広場に立つのは、スペインのマリア・ルイーザ(1782‐1824)像です。マリアは、ブルボン・パルマ家の当主だったルドヴィーコ・ディ・ボルドーネの妻でしたが、夫のルドヴィーコがナポレオンによって1801年に作られた傀儡のエトルリア王国の国王に叙せられたことに伴い王妃となりました。1803年、夫ルドヴィーコが早世してしまい、幼い息子が国王を継ぐことになりましたが、摂政となったマリアによって政務が司られたのでした。


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ヴィットリオ・ヴェネト通りを更に進みました。


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サン・ミケーレ・イン・フォロ教会


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チェントロの中心にそびえるファサードが青空の中で映えます。


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前回の旅で雨宿りをしたロッジャです。


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教会の前を通り過ぎました。


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サルヴァトーレ広場


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この日のお宿です。小さなホテルですが、何時ものホテルよりも数段上でゆっくりと寛げました。今後、ルッカに泊まることがあれば、ここにしようと思ってます。


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荷物をホテルに置いて身軽になって街歩きに出かけました。


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サン・フレディアーノ教会の鐘楼です。


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後陣


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身廊の横を通ってファサード側に出ます。


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サン・フレディアーノ広場です。広場から朝日に輝く教会のファサードの写真を撮るために先ず広場に行ったのです。


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振り返ってファサードの方を見たらビックリ!!!
一台のバンがファサードの前に停まるや、バンの後部から出されたのはお棺でした。直ぐに教会内に運び入れられました。


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これから葬儀です。拝観どころではありません、ご遠慮申し上げるだけです。


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それでもファサードだけは見ることにしました。


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お棺が教会内に運び入れられると中央扉が閉じられました。


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日曜日の葬儀は見たことがありませんが、月曜から土曜日までは葬儀を見たことが何度もあります。


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ベルリンギエーリの作品と言われているモザイク


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聖人たち


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葬儀では仕方ありません、またの機会にしましょう。


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次はPiazza Anfiteatroです。


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ローマ時代の円形闘技場を取り込んで作られた建物です。


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広場への出入り口


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アンフィテアトロ広場


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良い天気になりました。


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大雨ではここに来るのは無理でした。


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午前中だったので人出が少なかった。


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彼らはカナダから来たそうです。


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近頃、中国人と間違えられることが多いですが、この人は日本人か、と聞いてきました。


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(つづく)

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795年創建、1368年に完成しました。


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古代ロマ時代の中心だったフォロの跡に建てられました。


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14世紀の完成後、大きな修復や改修が行われませんでした。


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左側廊


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右側廊


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主祭壇


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祭壇が見どころとされてますが、立ち入り禁止なのでよく見ることが出来ません。


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制作者不詳の「彩色磔刑像」(12世紀)


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後陣右の礼拝堂です。


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フィリピーノ・リッピの「マグリーニの祭壇画(4聖人:聖ロッコ、聖セバスティアーノ、聖ジローラモ、聖エレーナ」(1482c)


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アゴスティーノ・マルティ(1485‐1537)の「聖母の結婚」


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ラッファエッロ・ダ・モンテルーポの「聖母子」


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ピエトロ・パオリーニの「聖アンドレアの殉教」


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ルーカ・デッラ・ロッビアの「聖母子」


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ジュリアーノ・ディ・シモーネの「玉座の聖母子」(1390)


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外に出ました。


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昼食にはまだ少し早いですが、正午を迎えて教会が閉まるので、食べることにしました。


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ルッカでのお気に入りの店です。


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その理由は、この写真でお判りでしょう。
プッチーニのオペラを見てから、この店で食事をして気に入り、それ以来、ルッカに泊まるときはここで食べることにしています。


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入店した時はガラガラでした。


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流れてくるプッチーニ・オペラに耳を傾けながら料理を待ちました。


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雨にもかかわらず、すぐに席が一杯になりました。オペラファン向けの店と思っていましたが、この人たちはオペラ好きでもないようです。


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ここでプッチーニのオペラを見て、隣のリストランテで食事を楽しみ、劇場向かいのホテルに泊まる、それが理想ですが、ルッカに泊まる日をプッチーニの公演日に合わせない限りそんなことは無理です。
その理想が叶ったのは一回だけです。
プッチーニのオペラ上演は、この年のオペラシーズンで10月と5月の2公演の計8日だけでしたから。


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相変わらず強い雨が降り続いていましたが、酔い覚ましの散歩をすることに。


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サン・ピエトロ門に向かいました。


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Via San Girolamo


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写真左に教会があります。


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15世紀に建設されました。


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見たい作品が2点ありますが、この時間は閉まっています。


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ガリバルディ通りを横切りました。


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この建物が分かりません。


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サン・ピエトロ門です。


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まだ1時半


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靴下が濡れてきたので引き返しました。


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美術館に行きたかったのですが、1.5kmほど歩く必要があります。


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ところが雨が一段と強くなったのです。


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それでも頑張って歩きました。


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結局、この日ですが、大雨による洪水や通行止め、鉄道の遅れがあったのです。


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街歩きどころではなくなってきたので、ホテルに戻ることにしました。


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その後、天気は荒れる一方でした。
(つづく)

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ルッカ駅に到着しました。


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ルッカ駅の駅舎


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この日は雨天でした。


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この日のお宿はチェントロの中心にあります。大した距離ではないので、ホテルまで徒歩で行くつもりでした。


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歩き始めた途端、小降りだった雨が一転して豪雨になったのです。


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傘が役に立ちそうもなかった激しい降りだったので、徒歩でホテルまで行くのは無理と判断して、駅に引き返すことにしました。


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この日のお宿はここでした。
タクシーを利用するには短距離過ぎますが、駅で待機していたタクシーがこのホテルまで快く乗せてくれました。助かりました、有難かった。


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豪雨が少しマシになった頃を見計らって、外出しました。


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写真では良く分かりませんが、かなり降っていました。

本題とは全く違う話を一つ
もうすぐ母の日です。今から60年ほど前のこと、私が小学生だった頃、たぶん3年生か4年生だったと思いますが、当時、母の日が近づくと学校でカーネーションの造花を配っていました。お母さんがいる人には赤の、お母さんが死んだりしていない人には白の造花が配られていました。仲の良い同級生がいましたが、彼には白の造花が配られました。クラスで白の造花は一つだけだったと記憶してます。いつも元気の良い友達でしたが、その日ばかりは泣きそうでした。
昔は残酷なことを平気でやっていました。
友達の辛さが今でも思い出されます。


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ホテルからドゥオーモまで、それ程の距離ではありませんが、ズボンの下まで濡れてしまいました。


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大雨の中、傘を差しながら写真を撮るのが難しかった。


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旅をしていると、年に一日くらいは豪雨に遭遇します。今までで、物凄い豪雨に4回遭遇していますが、そのうちの一つがこの日のルッカでした。


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豪雨を避けて、ドゥオーモのファサード下にあるロッジャに逃げ込みました。


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聖具室だけ有料と思っていたら、内陣の中央付近にロープが張られ、その向こうが有料となっていました。


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写真は入り口付近だけOKで、それ以外の場所は禁止されていました。


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以前は写真OKだったような?


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外に出ました。


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見たい所ですが、あそこまでいく間にずぶ濡れになりそうです。


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諦めた方が良さそうです。


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サン・ジュゼッペ教会が開いていました。


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16世紀の彩釉テラコッタ「聖母子と聖ジュゼッペと聖ジローラモ」


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単廊式の小さな教会です。


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主祭壇画が有名です。


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ロレンツォ・ザッキア(1524‐1587)の「聖パオロと聖ジュゼッペと聖ジローラモ」


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雨だけならまだしも風が強くなってきたので参りました。


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カメラが雨に濡れて大変でした。


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噴水がKYでした。


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靴の中が雨でぐちゃぐちゃ。風が強いので傘があまり役立ちません。


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このままでは我慢できそうにもありません。一旦ホテルに戻ることにしました。


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サン・ジョヴァンニ広場


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サンティ・ジョヴァンニ・エ・レパラータ教会は閉まっていました。


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ホテルに戻り、濡れた靴下、下着、ズボン、靴を交換して雨と風が弱まるのを待ちました。しかし、弱まる気配が一向にありませんでした。しかし、折角来たからには、このままホテルに缶詰めでは冴えないので、意を決して外に出ました。


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この日のオペラ公演はありませんでした。広場に立っているのはジュゼッペ・ガリバルディ像です。


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着替えをしましたが気休めでした。カッパと長靴が必要でした。


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気を取り直して、サン・ミケーレ教会に向かいました。


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ホテルから教会までは徒歩2,3分の距離ですが、この時は距離が長いと感じました。


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サン・ミケーレ広場は閑散としていました。


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サン・ミケーレ・イン・フォロ教会です。


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1143年に創建され、14世紀末に完成した建物です。


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頂上部の大天使ミケーレ像


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ピサ・ルッカ様式のファサード


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細かな彫刻が施されてます。


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ドゥオーモのファサードによく似てます。


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拝観しました。


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(つづく)

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