ジョルジョーネが残した祭壇画の傑作があるドゥオーモです。

城塞都市のカステルフランコ・ヴェネトです。

チッタデッラに対抗する、12世紀に建設されたPorta del Musileです。

城塞内のメイン通りです。

メインの通りに面して建つドゥオーモです。

ドゥオーモ広場、またはサン・リベラーレ広場です。

カステルフランコ・ヴェネトはトレヴィーゾ司教区に属しており、教区教会となってます。正式名はChiesa Parrocchiale di Santa Maria Assunta e San Liberaleです。

ジョルジョーネの家と現在のドゥオーモの建物の後陣の間にあったロマネスク様式の建物が前身です。

初代の建物が老朽化したので再建することになり、当時、弱冠23歳の地元出身の建築家フランチェスコ・マリア・プレティ(1701‐1774)の、パッラーディオ様式に基づく設計によって、1724年から1745年に建設された新古典様式の教会です。奉献は1746年に行われました。
完成当時はファサードがなく、ファサードはピオ・フィナッツィの設計によって1892年から1893年に追加建設されました。

三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。

左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。

ジョルジョーネの作品は右翼廊横の礼拝堂にあります。

中央通路

先ず中央礼拝堂と後陣を見てみましょう。

祭壇画や彫刻は取り壊される前に初代の建物にあったものが殆どです。

詳細不明

詳細不明

主祭壇と後陣

装飾があまりない地味な感じがする後陣です。

クーポラ

主祭壇画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ポンチーニ(1500‐1570)の「リンボへのキリストの降下」(1551)です。

後陣への立ち入りが禁止されている上に、祭壇前から少し遠くに作品があるので、写真を撮るのが難しい。

ということで、外部サイトから作品画像を拝借しました。

左翼廊の祭壇です。

では、ジョルジョーネの作品があるコスタンツォ礼拝堂に向かいましょう。

ジョルジョーネの作品があるとの案内があります。

ノーフラッシュならば写真OKです。

先客がいたので暫し待機。

誰もいなくなったので、ゆっくりと鑑賞しました。

ジョルジョーネの「玉座の聖母子と2聖人」(1504)

キプロス女王のカテリーナ・コルナーロの忠臣で、ヴェネツィア共和国の傭兵隊長でもあったトゥツィオ・コスタンツォが息子マッテオの死を悼んで、同家礼拝堂の祭壇を飾るためにジョルジョーネに注文したのです。

玉座の聖母子

甲冑を来た聖リベラーレ

聖フランチェスコ

背景

この作品は、2008年だったと思いますが盗まれてしまい、暫く見ることが出来ませんでした。幸い間も無く発見されたのですが、痛みがあることが分かり、その修復のため、この礼拝堂に中々戻されず大変心配した時期がありました。

作品は台座の上に載せられてます。

台座の紋章

祭壇下にあるマッテオ・コスタンツォの墓

礼拝堂の外に出ました。

他の礼拝堂を見ましょう。


パオロ・ピアッツァ(1557‐1621)の「天上の聖母子と聖人たち」


ナターレ・スキアヴォーニ(1777‐1858)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


ジョヴァン・バッティスタ・ツァムペッツィ(1627‐1700)の「バッサーノ作『ご誕生』の複製画」


フランチェスコ・ベッカルッツィ(1492‐1563)の「聖アンナと聖ジョアッチーノの結婚」

詳細不明

聖水盤

右側廊


アントニオ・ザンキ(1631‐1722)の「聖バルトロメオの殉教」


ボルディニョーロ・ノエ(1842‐1920)の「スパニョーロ作『パドヴァの聖アントニオ』(1540)の複製画」

左側廊

ジョルジョーネの作品をもう一度見ます。

何度見ても飽きることはありません。

出入り口が見えます。

外に出ると、教会の対面に市庁舎があります。

教会の横にジョルジョーネの家があります。

これからも来たいカステルフランコです。

(おわり)

城塞都市のカステルフランコ・ヴェネトです。

チッタデッラに対抗する、12世紀に建設されたPorta del Musileです。

城塞内のメイン通りです。

メインの通りに面して建つドゥオーモです。

ドゥオーモ広場、またはサン・リベラーレ広場です。

カステルフランコ・ヴェネトはトレヴィーゾ司教区に属しており、教区教会となってます。正式名はChiesa Parrocchiale di Santa Maria Assunta e San Liberaleです。

ジョルジョーネの家と現在のドゥオーモの建物の後陣の間にあったロマネスク様式の建物が前身です。

初代の建物が老朽化したので再建することになり、当時、弱冠23歳の地元出身の建築家フランチェスコ・マリア・プレティ(1701‐1774)の、パッラーディオ様式に基づく設計によって、1724年から1745年に建設された新古典様式の教会です。奉献は1746年に行われました。
完成当時はファサードがなく、ファサードはピオ・フィナッツィの設計によって1892年から1893年に追加建設されました。

三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。

左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。

ジョルジョーネの作品は右翼廊横の礼拝堂にあります。

中央通路

先ず中央礼拝堂と後陣を見てみましょう。

祭壇画や彫刻は取り壊される前に初代の建物にあったものが殆どです。

詳細不明

詳細不明

主祭壇と後陣

装飾があまりない地味な感じがする後陣です。

クーポラ

主祭壇画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ポンチーニ(1500‐1570)の「リンボへのキリストの降下」(1551)です。

後陣への立ち入りが禁止されている上に、祭壇前から少し遠くに作品があるので、写真を撮るのが難しい。

ということで、外部サイトから作品画像を拝借しました。

左翼廊の祭壇です。

では、ジョルジョーネの作品があるコスタンツォ礼拝堂に向かいましょう。

ジョルジョーネの作品があるとの案内があります。

ノーフラッシュならば写真OKです。

先客がいたので暫し待機。

誰もいなくなったので、ゆっくりと鑑賞しました。

ジョルジョーネの「玉座の聖母子と2聖人」(1504)

キプロス女王のカテリーナ・コルナーロの忠臣で、ヴェネツィア共和国の傭兵隊長でもあったトゥツィオ・コスタンツォが息子マッテオの死を悼んで、同家礼拝堂の祭壇を飾るためにジョルジョーネに注文したのです。

玉座の聖母子

甲冑を来た聖リベラーレ

聖フランチェスコ

背景

この作品は、2008年だったと思いますが盗まれてしまい、暫く見ることが出来ませんでした。幸い間も無く発見されたのですが、痛みがあることが分かり、その修復のため、この礼拝堂に中々戻されず大変心配した時期がありました。

作品は台座の上に載せられてます。

台座の紋章

祭壇下にあるマッテオ・コスタンツォの墓

礼拝堂の外に出ました。

他の礼拝堂を見ましょう。


パオロ・ピアッツァ(1557‐1621)の「天上の聖母子と聖人たち」


ナターレ・スキアヴォーニ(1777‐1858)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


ジョヴァン・バッティスタ・ツァムペッツィ(1627‐1700)の「バッサーノ作『ご誕生』の複製画」


フランチェスコ・ベッカルッツィ(1492‐1563)の「聖アンナと聖ジョアッチーノの結婚」

詳細不明

聖水盤

右側廊


アントニオ・ザンキ(1631‐1722)の「聖バルトロメオの殉教」


ボルディニョーロ・ノエ(1842‐1920)の「スパニョーロ作『パドヴァの聖アントニオ』(1540)の複製画」

左側廊

ジョルジョーネの作品をもう一度見ます。

何度見ても飽きることはありません。

出入り口が見えます。

外に出ると、教会の対面に市庁舎があります。

教会の横にジョルジョーネの家があります。

これからも来たいカステルフランコです。

(おわり)