ベルタの塔色場の先に鐘楼が見えてますが、ドゥオーモの鐘楼です。
写真の右に写っているのがサンセポルクロ大聖堂です。
創建以来、教区教会、つまりボルゴ・サン・セポルクロのドゥオーモでしたが、1520年、メディチ家出身の教皇レオ10世によって、ボルゴ・サン・セポルクロは独立した司教区に昇格となり、それと同時に司教座が置かれ司教座教会Cattedraleになりました。
1986年に行われた司教区の統合の際、サンセポルクロはアレッツォ・コルトーナ・サンセポルクロ司教区に組み入れられました。新司教座はアレッツォに置かれることになり、サンセポルクロのドゥオーモはそれに伴ってConcattedraleに格下げとなりました。
それとは別に、1962年、教皇ジョヴァンニ23世によってBasilica Minoreの叙されました。
と言うことで、正式名称はBasilica Concattedrale di San Giovanni Evangelistaです。
10世紀、この地に建てられたサン・ベネデット修道院が前身です。11世紀初めに修道院の建物が取り壊され、1012年、1049年に完成したロマネスク・ゴシック様式の建物が現在の姿の原形です。
修道院はドゥオーモ建物に隣接して再建されました。
創建時から四福音書記者に奉献されていましたが、1520年、教皇レオ10世によって司教座教会に昇格となり、それと同時に福音書記者聖ジョヴァンニだけに奉献することに改められ、現在に至ってます。
17世紀にバロック様式に改修されましたが、1934年から1943年に行われた大修復工事の際、元の中世の姿に戻され現在に至ってます。
入口の柱
向かって右側の柱
柱頭の装飾
創建時の柱頭は殆ど残っていません。
聖堂内部に入りました。
翼廊がない三廊式の内部です。
芸術作品が多い聖堂ですが、1807年、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会からドゥオーモに移され、主祭壇を飾っていたピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」がないのが何とも惜しまれます。
木組みの梁の天井
主祭壇画は、ニッコロ・ディ・セーニャの「キリストの復活のポリッティコ」(1348c)です。
ピエロ・デッラ・フランチェスカが「キリストの復活」を制作するに当たって、この作品を参考にしたと言われてます。
これです。確かに似ていますね。
「アレッサンドリアの聖カテリーナ」、「福音書記者聖ジョヴァンニ」
「聖ベネデット」、「マグダラのマリア」
ラッファエッロ・スカミノッシ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1529‐没年不明)の「慈悲の聖母」
天井の礼拝堂の彫刻(1682)
ドゥランテ・アルベルティ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1556?-1623?)の「羊飼いの礼拝」
バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1418‐1502)の「磔刑」
サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐フィレンツェ、1603)の「聖トッマーゾの不信」
ロマーニャ派の無名画家の「玉座の聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖トッマーゾ・ベケット」(1383)
洗礼盤
ロマーノ・アルベルティ(ボルゴ・サン・セポルクロで16世紀後半から17世紀前半に活動)の「磔刑」
ラッファエッリーノ・デル・コッレの「キリストの復活」
ペルジーノの「キリストの昇天」
ルネッタとその下では制作者が異なります。
ラッファエッリーノ・デル・コッレの「永遠なる父」
パルマ・イル・ジョーヴァネの「聖母被昇天」(1602)
アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1528)の「タベルナコロ」
14世紀のフィレンツェの無名彫刻家の「聖母子」
詳細不明
一旦外に出ます。
隣の司教館のロッジアに入ります。
司教館と修道院を結ぶ回廊です。
回廊の壁にフレスコ画があります。
フレスコ画のテーマは聖ベネデットの生涯の物語です。
落剝や退色が認められ、保存状態が良いとは言えません。
回廊の天井
回廊の途中にあるモナカート礼拝堂です。礼拝堂祭壇の下にピエロ・デッラ・フランチェスカの墓があります。
詳細不明
礼拝堂祭壇の左右にイコンがあります。
礼拝堂を出て回廊のフレスコ画に戻りました。
外に出ました。
(おわり)