イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: サンセポルクロ

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ベルタの塔色場の先に鐘楼が見えてますが、ドゥオーモの鐘楼です。


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写真の右に写っているのがサンセポルクロ大聖堂です。


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創建以来、教区教会、つまりボルゴ・サン・セポルクロのドゥオーモでしたが、1520年、メディチ家出身の教皇レオ10世によって、ボルゴ・サン・セポルクロは独立した司教区に昇格となり、それと同時に司教座が置かれ司教座教会Cattedraleになりました。
1986年に行われた司教区の統合の際、サンセポルクロはアレッツォ・コルトーナ・サンセポルクロ司教区に組み入れられました。新司教座はアレッツォに置かれることになり、サンセポルクロのドゥオーモはそれに伴ってConcattedraleに格下げとなりました。
それとは別に、1962年、教皇ジョヴァンニ23世によってBasilica Minoreの叙されました。
と言うことで、正式名称はBasilica Concattedrale di San Giovanni Evangelistaです。


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10世紀、この地に建てられたサン・ベネデット修道院が前身です。11世紀初めに修道院の建物が取り壊され、1012年、1049年に完成したロマネスク・ゴシック様式の建物が現在の姿の原形です。
修道院はドゥオーモ建物に隣接して再建されました。


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創建時から四福音書記者に奉献されていましたが、1520年、教皇レオ10世によって司教座教会に昇格となり、それと同時に福音書記者聖ジョヴァンニだけに奉献することに改められ、現在に至ってます。


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17世紀にバロック様式に改修されましたが、1934年から1943年に行われた大修復工事の際、元の中世の姿に戻され現在に至ってます。


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入口の柱


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向かって右側の柱


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柱頭の装飾


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創建時の柱頭は殆ど残っていません。


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聖堂内部に入りました。


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翼廊がない三廊式の内部です。


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芸術作品が多い聖堂ですが、1807年、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会からドゥオーモに移され、主祭壇を飾っていたピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」がないのが何とも惜しまれます。


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木組みの梁の天井


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主祭壇画は、ニッコロ・ディ・セーニャの「キリストの復活のポリッティコ」(1348c)です。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカが「キリストの復活」を制作するに当たって、この作品を参考にしたと言われてます。


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これです。確かに似ていますね。


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「アレッサンドリアの聖カテリーナ」、「福音書記者聖ジョヴァンニ」


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「聖ベネデット」、「マグダラのマリア」


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ラッファエッロ・スカミノッシ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1529‐没年不明)の「慈悲の聖母」


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天井の礼拝堂の彫刻(1682)


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ドゥランテ・アルベルティ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1556?-1623?)の「羊飼いの礼拝」


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バルトロメオ・デッラ・ガッタ(フィレンツェ、1418‐1502)の「磔刑」


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サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐フィレンツェ、1603)の「聖トッマーゾの不信」


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ロマーニャ派の無名画家の「玉座の聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナと聖トッマーゾ・ベケット」(1383)


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洗礼盤


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ロマーノ・アルベルティ(ボルゴ・サン・セポルクロで16世紀後半から17世紀前半に活動)の「磔刑」


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ラッファエッリーノ・デル・コッレの「キリストの復活」


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ペルジーノの「キリストの昇天」


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ルネッタとその下では制作者が異なります。


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ラッファエッリーノ・デル・コッレの「永遠なる父」


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パルマ・イル・ジョーヴァネの「聖母被昇天」(1602)


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1528)の「タベルナコロ」


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14世紀のフィレンツェの無名彫刻家の「聖母子」


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詳細不明


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一旦外に出ます。


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隣の司教館のロッジアに入ります。


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司教館と修道院を結ぶ回廊です。


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回廊の壁にフレスコ画があります。


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フレスコ画のテーマは聖ベネデットの生涯の物語です。


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落剝や退色が認められ、保存状態が良いとは言えません。


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回廊の天井


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回廊の途中にあるモナカート礼拝堂です。礼拝堂祭壇の下にピエロ・デッラ・フランチェスカの墓があります。


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詳細不明


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礼拝堂祭壇の左右にイコンがあります。


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礼拝堂を出て回廊のフレスコ画に戻りました。


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外に出ました。


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(おわり)

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

今年最初の投稿は、昨年末に引き続きサンセポルクロ市立美術館の後編です。
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美術館のベランダからの景色です。


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一休みするには最適な場所です。


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美術館のこちら側も修復工事が行われていました。


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一休み終了


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖ジュリアーノ」
と言いたい所ですが・・・・・ 実は違います。


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ピエロのフレスコ画作品だけを集めたコーナーが建設中でした。


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「キリストの復活」はありましたが、立ち入りが制限されていて近付いて見ることが出来ません。


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コーナーの外から見ようとしても、途中の壁が邪魔していました。


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これではどうしようもない。


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横から何とか見ることが出来ました。
その他のピエロの2点のフレスコ画は多分、このコーナーの奥の方にあると思うのですが。


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仕方がないので、外部サイトから作品画像を拝借します。ピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖ジュリアーノ」


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖ルドヴィーコ」


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの復活」
今頃は工事が終わって、全部見ることが出来るのでしょうね。


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ミニバルド・イービ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1475‐1548)の「聖ピエトロ」と「聖パオロ」


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「聖ピエトロ」


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「聖パオロ」


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ジュリアーノ・ダ・ピストイア(ピストイア、1480‐1529)の「救助の聖母」(1502)


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)と工房の「聖母子」(1503)


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ポントルモ(1494‐1556)の「聖クインティーノ」


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ジョヴァン・バッティスタ・クンギ(サンセポルクロで16世紀に活動)の「受胎告知」(1547)


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16世紀の無名画家の「4聖人」


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「洗礼者聖ジョヴァンニ」


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「聖セバスティアーノ」


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「十字架を手にするキリスト」


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「聖バルトロメオ」


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アンドレア・デッラ・ロッビア工房の「ご誕生」(1485)


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これは問題の作品です。中央部分が欠けてますね。これを見ると悲しくなります。


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マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「聖ピエトロと聖パオロの多翼祭壇画」です。ここに欠落した中央パネルについて一応書かれていますが、詳細には触れられてません。


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欠落した中央パネルはこの作品です。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」です。現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーにあります。多翼祭壇画から外され、何故イギリスに渡ることになったのか、その理由に納得できません。約170年前に起きたことなので、今さら言っても始まりませんが言いたいです。


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サンセポルクロのサン・フランチェスコ教会です。


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あの多翼祭壇画はサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会の主祭壇を飾るために注文されました。


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現在は活動が停止された旧教会になってます。


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1807年、多翼祭壇画はこの教会から取り外され、ドゥオーモに移されました。そして、1857年、当時の司教がイギリス商人に僅か2万3000ポンドで「キリストの洗礼」だけを売ったのです。
何故売ったのか、その理由は今となっては分かりません。ドゥオーモやサンセポルクロ市当局は、その理由を多分知っているに違いないのですが、恥と思っているのでしょう、触れられたくないようです。


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「聖ピエトロ」
件の多翼祭壇画に戻します。


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左端の聖人たち


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「聖パオロ」
欠落したままで見せられるのは辛いものがあります。ドウセなら、残った全部をナショナル・ギャラリーに売却して、完全な形で観たいものです。


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右端の聖人たち


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裾絵です。


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裾絵のテーマは「洗礼者聖ジョヴァンニの生涯」です。


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この作品の前に立つと「キリストの洗礼」がある姿が中々浮かびません。


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ジョヴァンニ・デ・ヴェッキ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1537‐ローマ、1615)の「聖母の寺院への出現」(1570‐80c)


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ラッファエッリーノ・デル・コッレの「キリストの寺院への出現」


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ジョヴァンニ・デ・ヴェッキの「聖母の誕生」(1570‐80c)


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サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐1603)の「ビアンカ・カッペロの肖像」


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アントニオとレミージョのカンタガッリーナ兄弟の「最後の晩餐」


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サンティ・ディ・ティートの「ピエタのキリストと2天使」


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サンティ・ディ・ティートの「グラウコとシッラ」(1580‐90c)


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17世紀の無名画家の「聖フランチェスコ」


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アゴスティーノ・シャンペッリ(フィレンツェ、1565‐1630)の「偶像の撲滅」(1618)


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サンティ・ディ・ティートの「受胎告知」


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アンドレア・ポッツォ(トレント、1642‐ウィーン、1709)の「インドの女王を改宗させる聖フランチェスコ・サヴェーリオ」(1690)


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サンティ・ディ・ティートの「教皇聖クレメンテ」(1592)


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サンティ・ディ・ティートの「エジプトへの逃避途中の休息」


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サンティ・ディ・ティートの「トレンティーノの聖にココラ」(1588)
これで終わりのようです。
しかし、ルーカ・シニョレッリの作品が展示されてません。


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これもお目当てでした。
ルーカ・シニョレッリの「磔刑」です。


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この作品の裏面にもルーカの作品があるのです。


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ところがこの日の夕方、この教会に行ったのですが驚きました。


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何と何と、ルーカの作品が主祭壇にあるではないですか!!!


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サンセポルクロのサン・アントニオ・アバーテ教会の主祭壇画がルーカ・シニョレッリの「磔刑」だったのです。


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元々、この教会の主祭壇画でしたが、取り外されて市立美術館で展示されていましたが、何時の間にか元の場所に戻されていました。ビックリです。
流石に裏面を見ることは出来ないようでした。


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主要作品をもう一度見ました。


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同じように見えても美術館は行く度毎に違います。


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どのように変わっているのか、それを知るのも楽しみの一つです。


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楽しかった!!!!


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(おわり)

2016年の最後の投稿です。
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サンセポルクロのニッコロ通りです。この先に市立美術館があります。


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Palazzo della Residenzaです。


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市立美術館が設けられているパラッツォは工事中でした。


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工事中でないときの写真を掲載しましょう。


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この建物は14世紀後半から15世紀前半にボルゴ・サン・セポルクロを支配していたマラテスタ家によって1456年に完成した旧マラテスタ宮です。
市立美術館として使用されるようになったのは1975年からです。


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このところ少しづつ展示作品が変わっていると思います。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品が4点展示されています。


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私が大好きなルーカ・シニョレッリの作品も展示されているので楽しみです。


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これは非常に興味深い作品です。
アンジェロ・トリッカ(サンセポルクロ、1817‐フィレンツェ、1884)の「ルーカ・パチョーリの幾何学の説明に対して意見を言うピエロ・デッラ・フランチェスカ」
ピエロ・デッラ・フランチェスカは、当時一流の数学者で、数学の専門書を数冊出版しています。ルーカはピエロの数学上の一番弟子です。因みに絵画上の一番弟子はルーカ・シニョレッリです。
二人のルーカがピエロの弟子だったわけです。


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ジュリアーノ・ダ・ピストイア(ボルゴ・サン・セポルクロ、1480‐1527)の「聖母子と4聖人と2天使」


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クリストフォロ・ゲラルディと工房の「幼きキリストへの崇拝」(18世紀)


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ジョヴァンニ・デル・レオーネ(16世紀に活動)?の「Pellegrinaggio della Compagnia del Crocifisso a Loreto in Occasione della peste del 1523」(16世紀前半)


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フェデリーコ・ゾイ(サンセポルクロで18世紀に活動)の「エジーディオの巡礼」


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フェデリーコ・ゾイの「アルカーノの巡礼」


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アンジェロ・トリッカの「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(1875)


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの「慈悲の聖母の多翼祭壇画」(1445‐1462)
サン・セポルクロのミゼリコルディア教会にありました。
主要部分が3つに分けられて展示されていました。


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全体の配置はこうなります。


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欠落パネルが一つもなく、全パネルが揃っているので、こうして展示して欲しいと思います。


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中央の「慈悲の聖母」
フォルリで開催された「ピエロ・デッラ・フランチェスカ展」には、このパネルだけが貸し出されていました。


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「聖セバスティアーノと洗礼者聖ジョヴァンニ」


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「福音書記者聖ジョヴァンニとシエナの聖ベルナルディーノ」


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頭頂部と裾絵が一緒に展示されていました。
違和感がありました。
工事中の一時的な措置なのか、その辺が良く分かりませんが、多翼祭壇画の全体像が分かっていないと、これだけ見せられても困りますね。


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極め付きはこの展示です。左端と右端だけが一緒に展示されていました。


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左端部分


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左端の裾絵


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右端の「聖人たち」


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右端の裾絵
次は頭頂部の各パネルです。


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「磔刑」
上部に切断されたような跡が残されています。切り取られてパネル毎に展示されたことがある?


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「聖ベネデット」と「受胎告知する大天使ガブリエーレ」
これらも切断された痕跡?があります。


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「受胎告知される聖母」と「聖フランチェスコ」
次は裾絵です。


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「我に触れるな」


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「復活してキリストによって空になった棺」


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「キリストの埋葬」


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「キリストの鞭打ち」


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「ゲッセマネ園での祈り」
これで全パネルになります。


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もう一度全体の配置図を見ないと各パネルの位置が分かりませんね。


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ジョヴァン・バッティスタ・メルカーティ(サンセポルクロ、1610‐1637活動)の「無原罪の御宿り」


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パッシニャーノ(1559‐1638)の「磔刑」(17世紀初頭)


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17世紀の無名画家の「最後の晩餐」


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レアンドロ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1557‐ヴェネツィア、1622)の「マギの礼拝」


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ジョヴァン・バッティスタ・メルカーティに帰属する「悔悛のマグダラのマリア」(17世紀)


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ジュリアーノ・アマディ?の「ユディト」(15世紀)


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詳細不明


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詳細不明


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14世紀の無名画家の「トレンティーノの聖二コラ」


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14世紀の無名画家の「聖フランチェスコ」


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14世紀の無名画家の「受胎告知」


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14世紀の無名画家の「聖キアーラ」


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14世紀の無名画家の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


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詳細不明


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14世紀の無名画家の「聖母子と聖アントニオ・アバーテとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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アントニオ・ダ・アンギアーリに帰属する「聖母子と聖人たち」(15世紀前半)


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16世紀の無名画家の「聖セバスティアーノ」


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ニッコロ・ディ・アーニョロ・デル・ファンティーノの「La Giustizia」(1441)


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14世紀の無名画家の「アレッサンドリアの聖カテリーナの生涯のエピソード」


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フレスコ画の下絵(シノピエ)


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14世紀の無名画家の「聖アメリアの生涯のエピソード」


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14世紀の無名画家の「聖母子と2聖人」


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15世紀の無名画家の「聖母子」


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15世紀の無名画家の「聖母子と聖アントニオ・アバーテ」
(つづく)

皆様、本年も有難うございました、感謝に堪えません。
9月下旬にこちらのサイトに引っ越しさせて頂きましたが、慣れぬことゆえ、数々の不都合が生じてしまいました。お詫び申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願いします。

良いお年をお迎えください。

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次はサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会です。


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色々と考えせられる教会です。


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その理由について後で詳しく書くつもりです。


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突き当りを左に曲がれば教会の筈ですが・・・・・


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持っている地図を見ないで、相変わらず自分の土地勘で動いているので、道に迷ったかと思いました。


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土地勘は正しかった! 鐘楼が見えてきたので大丈夫です。


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着きました。


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開いている確率は1%以下と思っていましたが、予想通り閉まっていました。


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1126年の文書に、この教会の存在が記されてます。1381年、現在のファサードの姿に改修されました。


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旧教会というわけです。市当局の所有になって展示会場に転用されていれば、中に入れるかもしれないと淡い期待を抱いてました。
1381年、アントニオ・ピッコーニが描いた「洗礼者聖ジョヴァンニの説教」のフレスコ画が見たかったのです。


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レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のコピーしたステンドグラスも中にあります。そして、ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」についても触れられてます。


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この説明板が教会の壁にあります。


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英語の方が分かり易いでしょうか?
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」ですが、この教会のためにマッテオ・ディ・ジョヴァンニと共同で制作した多翼祭壇画の中央パネルでした。
その多翼祭壇画は、1807年、この教会からサンセポルクロ大聖堂に移され、大聖堂の主祭壇を飾るようになりました。
ところが、1857年、イギリス商人が大聖堂を訪れ、中央パネルのピエロの作品だけを2万3千ポンドで買い上げたのです。ピエロの「キリストの洗礼」は、1861年からロンドンのナショナル・ギャラリーで展示されてます。
事実だけを簡単に書くと以上の通りですが・・・・


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ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」
その多翼祭壇画ですが、ピエロの中央パネルが欠けた状態で、サンセポルクロ市立美術館で展示されてます。


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これが、件の多翼祭壇画です。中央パネルが欠けた無残な状態です。中央パネル以外はマッテオ・ディ・ジョヴァンニによって描かれました。


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中央パネルだけを売った経緯について、知りたいと思いますが、市当局がこの事実を恥と考えているのか、その辺が分かりませんが、奇妙なことに臭いモノに蓋の姿勢があるや、に思います。


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斯様な事実を知ると、ファサード前に置かれた花が何となく侘しげに見えてしまいます。


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ルネッタ上の浮彫り
それにしても、何故売ったのでしょうか?その売却は誰の責任で決定したのでしょうか?その売却益の使途は?2万3千ポンドは安過ぎですよね。
こうやってイタリアの国家の宝というべきものが失われるのですね。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会の先にも別の教会があります。


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この教会も閉まっていました。


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旧サンタ・マリア・マッダレーナ教会です。


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ファサードにプレートがあります。


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タバコ栽培の事務所?


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人口に比べると教会の数が過剰なので、維持管理が大変ということで機能停止の教会が増えるのは時代の流れでしょうね。


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これでサンセポルクロで見たかったところは大体行ったようです。


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夏至近くなのでまだ明るいですが、もう夕方です。


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もう急ぐ必要はありません。ぶらぶらと歩みを進めました。


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そうだ、この通りを忘れていた。


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ピエロ・デッラ・フランチェスカ通りです。


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この通りのどこかにピエロの工房があったようで、その場所は特定されてないのですが、それに因んで通りの名称が変えられたそうです。


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工房が何処だったのか知りたくて探しましたが見つからず。


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地元の専門家が見つけられないので、素人の私が工房の痕跡を探すこと自体が無理でした。


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教会らしき建物です。


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ピンク色の鐘楼は珍しい。


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ファサードの方に回りました。


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この教会の存在を失念していました。


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1272年に建設されたサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。今の建物は二代目のものです。


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行くべき場所にリストアップしておきながら、忘れていたのはお粗末でした。残念ながら扉が開いてません。


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ここに書かれているようにマッテオ・ディ・ジョヴァンニの三翼祭壇画(1491)があるのです。


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これで3連敗ですが仕方ありません。


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イタリアの旅はこんなものと諦念を抱いてますから。


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教会の近くにある歴史的建造物です。


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突き当りの柱廊がある教会は午前中に拝観しました。


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写真右の建物が面白そう。


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スグラフィート装飾でしょうか?


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20世紀初めに建設された旧マッソニーコ寺院だそうです。


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実は未だサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会の直ぐ傍でした。


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夕食までかなりの時間があるので、暇つぶし。


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この日の翌朝は教会巡りの予定でしたが、見たい所は既に見たので、乗車予定よりも早い時間のバスでアンギアーリに行けそうでした。


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この道は見覚えがあります。午前中に通った道?


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突き当りを右に折れました。


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歴史的建造物です。


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ちょっと裏道へ。


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写真右の工房で暫し見学。美術品の修復工房です。15世紀末の聖会話の作品を修復中でした。


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広場に戻ってきました。


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地図なしで歩ける、と自信がつきました。


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夕方も良い雰囲気です。


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これをやっておくと、後で写真整理をするときに役立ちます。


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小さい頃は記憶力が良かったのですが、今ではボケ老人の仲間入り。帰国したら、ころっと忘れてしまいますから。


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ドゥオーモ


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メディチ家の紋章


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歴史的建造物です。


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これはかなり有名な建物です。


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前の建物と繋がっているように見えますが、別の建物です。


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出発した場所に戻ってきました。


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塔の下部にタベルナコロがあります。


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これです。


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迂闊にも、元々乗車予定だったバスの時刻しか確認していませんでした。予定を早めることが出来るので、早い時間のバス時刻を確認に行きました。


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ドジばっかり!


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この先がバスターミナルです。


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バスの時刻を確認しました。


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やれやれ、これで安心。


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キリがないので、この辺で終わりにしましょう。


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(おわり)

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サンタ・マルタ教会です。


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こじんまりした普通の教会に見えますが、美術好きにとっては魅力溢れる場所です。


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教会と繋がった建物があります。


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こちらです。


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旧カップッチーネ修道院です。この修道院の一部が教会です。つまり修道院付属の教会で、修道院の方が主でした。


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身廊側の扉が開いていました。


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17世紀に建設された単廊式、バロック様式の内部です。


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意外と言っては失礼ですが、鑑賞に値する作品を幾つか保有してます。


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右側壁


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スッキリした後陣


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装飾なしの天井


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16世紀のフィレンツェの無名彫刻家の「磔刑像」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・テンぺーり作のノーミ礼拝堂(1622)


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トスカーナの無名画家による「十字架と聖母と聖フランチェスコと福音書記者聖ジョヴァンニ」(15世紀末―16世紀初頭)


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これが見たくてここに来た、と言っても過言ではありません。


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スピネッロ・アレティーノの「玉座のマグダラのマリア」(1395‐1400)


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その裏面にも描かれてます。
スピネッロ・アレティーノの「キリストの鞭打ち」(1395‐1400)


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マッテオ・ランチージの「十字架と聖母と福音書記者聖ジョヴァンニ」(1652)


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ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・ダンブロージョ(シエナ、1410‐1449記録)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1444)


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その裏面にも描かれてます。
ピエトロ・ディ・ジョヴァンニ・ダンブロージョの「磔刑」(1444)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・テンぺーリ作のカンタガッリーノ礼拝堂(17世紀前半)


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16世紀のフィレンツェの無名工芸家の「聖母子と2聖人」(彩色テラコッタ)


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満足でした。


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ファサードの裏にも作品があります。


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詳細が不明ですが新しいものでしょう。


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外に出ました。


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サンタ・マルタ教会の直ぐ傍に別の教会があります。


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これです。扉が開いていたのでホッとしました。


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サンタントニオ・アバーテ教会です。


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サンセポルクロに来た理由の一つがこの教会に来ることでした。


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この案内板には肝心なことが抜けてます。


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ウンブリア・ロマネスク様式の建物です。


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1345年に建設されましたが、その外観は創建時の姿を今なお留めています。


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ファサード


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入口扉上ルネッタの浮彫「祈るキリストと聖アントニオと聖ビアージョ」(1350)


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身廊側扉上のルネッタにフレスコ画があります。


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「聖アントニオ・アバーテ」(詳細不明)


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中に入りました。お目当ての作品があったので、一安心です。


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18世紀に修復が行われたので、創建時の姿とは異なる内部です。


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単廊式のシンプルな構造です。


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装飾なしの天井


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喜び勇んで主祭壇の前に行きました。


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主祭壇と後陣


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これが見たかった。でも以前と同じで少々がっかり。


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ルーカ・シニョレッリの「Stendardo della Crocifission」(1502‐05)


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stendardo は軍旗や隊旗とか旗という意味ですが、宗教画美術の世界では表と裏の両面に描かれている作品を言います。
つまり、この作品の裏にも描かれているのです。
「少々ガックリ」と書いたのは、裏面を見ることが出来るようになっていなかったからです。


800px-Luca_signorelli,_santi_eligio_e_antonio,_sansepolcro
外部サイトから作品画像を拝借しました。これが裏面に描かれている作品です。
ルーカ・シニョレッリの「聖アントニオと聖エリージョ」(1502‐1505)
ここから脱線します。


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コルトーナのサン・ニコロ教会です。


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この教会にルーカ・シニョレッリの作品があります。


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その主祭壇を飾るのがルーカ・シニョレッリの作品です。


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実は、この作品もStendardoです。


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ご覧のように、ここでは表と裏の両面が見られるように、電動で作品が前方に出てくる仕掛けです。


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これが裏面に描かれたルーカ・シニョレッリの作品です。
作品右下に電動装置が見えます。


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これと同じ装置をサンタントニオ・アバーテ教会でも期待していたのですが・・・・
コルトーナの方はMuseoなので、この辺の差は仕方がないことかも知れませんが・・・・・
脱線をお詫びします、元に戻ります。


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ルーカの祭壇画の上のルネッタに描かれているのは、ラッファエッリーノ・デル・コッレの「父なる神と2天使」(16世紀)
次は教会内の他の祭壇画です。


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18世紀後半の無名画家の「聖フィリッポ・ネーリ」


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17世紀の無名画家の「聖チェチリアと2聖人」


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オモニーモ礼拝堂


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16世紀の無名画家の「カルミネの聖母」


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17世紀の無名画家の「マグダラのマリア」


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17世紀の無名画家の「マグダラのマリア」


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16世紀の無名画家の「アルベーロの聖母」


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15世紀のフィレンツェの工芸家の「聖アントニオ・アバーテ」(彩色テラコッタ)


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18世紀の無名画家の「ドゥランテ・アルベルティの『羊飼いの礼拝』の複製画」


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祭壇前から見たファサード裏側


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ルーカの作品をもう一度見ました。


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ルーカの裏面を見ることが出来ませんでしたが、大満足で外に出ました。


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欲張り過ぎは良くないですからね。


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さて、あの建物は開いているか?


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ここです。


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残念ながら閉まってました。


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全てが期待通りに上手く行くことなんてないですから。


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(つづく)

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サン・フランチェスコ教会の周囲を散策しました。


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この付近は、道路を作るために城壁が一部取り除かれてます。


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城壁が取り壊されているのは、一部だけで大部分は残されてます。


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この付近は駐車場になってます。昼食を自宅で食べる人が多いようで、車がありません。


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この付近の城壁は16世紀中ごろにコジモ1世の命によって整備されたそうです。


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一周しましたが、特に見どころは無さそうです。


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観光客の便を考えてのことでしょう、普通教会が閉まる昼下がりでもサンセポルクロでは教会が開いてます。


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次はサン・ロッコ教会です。


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サン・ロッコ教会は、サン・フランチェスコ教会から僅か200mほどしか離れてません。


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身廊に面した通りを進みます。


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サン・フランチェスコ教会の鐘楼


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午後の気怠い雰囲気が漂ってます。


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この建物に注目です。


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車の先に見えているのがサン・ロッコ教会です。


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1554年に建設されました。


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見ておくべき作品が3点あります。


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こちらの方にも入り口があります。


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左右非対称の外観です。


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単廊式のこじんまりした内部です。


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左側壁


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右側壁


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後陣にフレスコ画の残骸みたいなものがあったと思いましたが・・・・


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主祭壇は13世紀に制作された磔刑像(制作者不明)


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磔刑像は扉によって格納されるようになってます。扉に描かれた天使


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レオナルド・クンジ(サンセポルクロ、?-ローマ、1569)の「聖セバスティアーノ」


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詳細不明のタベルナコロ


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16世紀のフィレンツェの無名彫刻家の「聖ロッコ」


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18世紀の無名画家の「聖ジャコモ・マッジョーレ、聖ジャコモ・ミノーレ、聖トッマーゾ」


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ラッファエッリーノ・ダル・コッレの「キリストの復活」(1524‐25)


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フレスコ画はどこにも見当たらず。


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祭壇前から見た出入口


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外に出ました。


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次は要塞です。


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ニッコロ通りの先に要塞があります。


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道の突き当りに要塞が見えてます。


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メディチ要塞です。


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要塞の前に教会があります。


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現在は催事場になっている旧サンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会です。


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同じ道ばかりを歩いても詰まらないで、少し遠回りになりますが、要塞の壁に沿った道に入りました。


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違う道を歩いたものの、すぐにニッコロ通りに戻ってきました。


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要塞の壁


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ここには観光客が来ません。


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要塞の入り口です。


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要塞は非公開となってます。


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サンタ・マルタ教会が見えてますが、拝観を後回しにして要塞を見ることにしました。


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1500年にメディチ家の注文によってジュリアーノ・ダ・サンガッロが設計し、ジュリアーノの工事監督によって1502年から1503年に建設された要塞です。


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更に、1557年、トスカーナ公国のコジモ1世の命によって、要塞の拡張整備が行われ1560年に完成しました。


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現在の要塞の横に国道がありますが、その国道敷設の際、要塞の一部が取り壊されました。


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現在、要塞は個人所有の邸宅になってます。


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個人所有なので、一般には非公開というわけです。


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どのような経緯で個人所有になったのか、興味があります。


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どんな人が所有しているんでしょうね。


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要塞の周りを一周しましたが、面白いところは無し!


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要塞内に住むのは安全でしょうね。


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元に戻ってきました。


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要塞は刑務所に転用されるようですが、ここも整備すれば刑務所になれそうです。


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次はサンタ・マルタ教会です。


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P1740275
(つづく)

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お腹一杯、美味しくいただいた昼食でした。


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少々疲れ気味なのでホテルに戻って昼寝。一人旅だったので、この部屋だけと思われるでしょう。


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ところがこの部屋もそうなんです。


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この部屋も私の部屋。そうなんです、どうしたのか分かりませんが1人で5人用の部屋でした。


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居間が付いていたので、全部で4部屋、ベッドルームが3つ。翌朝の朝食の宿泊客の少なさから判断すると、混雑していたから、この部屋になったのではないようでした。


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20分程微睡んでから、外に出ました。


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酔いが程よく冷めて快適でした。


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2年前は、ワイン1本、水代わりのビールを飲んでも酔いを感じたことは稀でしたが、ここ1年はめっきり弱くなりました。


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と言うことで、ワインは量よりも質にしてますが、油断していると高価なものを持ってこられます。


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昼下がりなので人出が少ない。


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拝観を後回しにした、Museo Civico近くの2つの教会に行くことにしました。同じ道を通るのは味気ないので、遠回りしました。


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歴史的建造物です。


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写真右の古そうな建物には説明板がありません。


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夏至が2日後でしたが、日陰では涼しい風が通り、肌に心地よかったことを覚えてます。


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観光案内所で貰ったパンフレットによれば、この先に歴史的建造物があります。


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この建物です。


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17世紀では、それ程古い物ではありませんね。


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行った先々で、観光案内所に立ち寄って地図や各種パンフレットを頂戴してます。


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頂いた資料などで、その街の観光客に対する姿勢などが大体分かります。その点では、この街はベストの一つでしょうね。


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この先にMuseo Civicoがあります。


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この建物は午前中に見ました。


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ここに来たら、ピエロの作品をもう一度見たくなりました。


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切符を買おうとしたら、係員が私の顔を覚えていたのです。午前中に見終らずに昼休みが来たので、午後に再入場の扱いを受けて無料で入館できました。


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ピエロの2作品を中心に見て、直ぐに退館しました。


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プレトリオ宮の裏側です。


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サン・フランチェスコ教会です。


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こちらはサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。2つとも開いていました。


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2つの教会の間に広場があります。


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広場に立つのは、数学者のフラ・ルーカ・パチョーリ像です。ルーカはピエロ・デッラ・フランチェスカの数学上に一番弟子で、レオナルド・ダ・ヴィンチに遠近法を教授したことで有名です。また、「複式簿記の父」と呼ばれてます。ただ、ルーカが師匠ピエロの未刊行の数学の著述を自分の著作物として出版して世に出た事実があるのです。


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著述の一部の盗作ではなくて、著述全部を自分の著作物として出版したのですから、彼の品性がどうだったのか、疑問があります。


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こちらから拝観することにしました。


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1258年創建、1321年に完成したゴシック様式の教会です。


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サンセポルクロは地震の多い土地で、建物は何度も崩壊しました。現在の姿は崩壊した石材を拾い集めて忠実に元の姿に組み直して出来たものです。


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入口扉上の浮彫


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中に入りました。


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1948年の地震によって大きな被害を受けたので、その後、大改修が行われました。新しく見えるのは、そのためです。


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単廊式の内部です。


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天井


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主祭壇


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装飾が殆ど施されていない後陣です。


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クリプタは施錠されていました。


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フランチェスコ・クッラディ(1570‐1661)の「無原罪の御宿りと天使たち」


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「パドヴァの聖アントニオ」


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ジョヴァンニ・デ・ヴェッキ(1537‐1615)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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ラッファエッロ・スカミノッシ(1529‐?)の「ベアート・ラニエーリ」


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アントニオ・ディ・パドヴァの「ロザリオの聖母」(彩色テラコッタ)


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詳細不明


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ラッファエッロ・スカミノッシの「天上の聖母子と聖カルロ・ボッロメオとベアート・ラニエーリ」


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詳細不明


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17世紀の無名画家の「教会博士との問答」


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17世紀の無名画家の「永遠なる父と聖人たち」


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祭壇前から見た出入口です。


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旧修道院です。


P1740131
修道院はパス


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こちらの方は学校だったと思います。


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次はサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。


P1740132
1518年創建のルネサンス様式の建物です。


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ロッジア


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中に入りました。


P1740139
天井


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1694年の地震によって大きな被害を受け、暫く放置されましたが1899年から本格的な修復が行われたので新しく見えます。


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傑作とされている主祭壇画


P1740148
ラッファエッリーノ・デル・コッレの「グラツィエの聖母」(1555)


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詳細不明の「磔刑像」


P1740154


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17世紀のフィレンツェの無名画家に拠る作品


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教会の構造図


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祭壇前から見た出入口


P1740136
(つづく)

P1730433
さてサンタゴスティーノ教会です。
1203年建設されたサンタ・マリア・アッスンタ教区教会が全身です。1555年、教会の名称が現在のサンタゴスティーノ教会に変更されました。


P1730434
現在の建物は、1771年から1785年に再建された二代目のものです。


P1730437
単廊式、バロック様式の内部です。


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左右の側壁に礼拝堂が設けられてます。


P1730435
天井
この教会の見どころは二点の祭壇画でしょう。


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ジョヴァンニ・チミーカ(1743‐1788)の「天上の聖母と聖人たち」


P1730444
アンニーバレ・ランチージの「受胎告知」(1762)


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ヴィンチェンツォ・キアッリ(1787‐1840)作のサンタ・リータ礼拝堂


P1730421
外に出ました。


P1730449
フィオレンティーナ門を潜って城壁外に出ました。


P1730450
この日の翌日にアレッツォ行のバスに乗るので、念のためバス発車時刻の確認をしました。


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フィオレンティーナ門近くのここがバスターミナルです。


P1730453
バスを待つ人々


P1730454
レプッブリカ広場


P1730455
城壁外は見どころが無いので、城壁の中に戻りました。この辺が城壁が撤去されてます。


P1730456


P1730458
この道の先にMuseo Civicoがある筈です。


P1730460
歴史的建造物が立ち並ぶ通りです。


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この建物がそうです。


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歴史的建造物です。


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この建物が歴史的建造物です。


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スグラフィート装飾


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16世紀に建設されたPalazzo Muglioniです。屋根の下はフレスコ装飾でしょうか?


P1730469
これも歴史的建造物です。


P1730470


P1730471
あの建物に見覚えがあります。


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Museoの建物は工事中でした。


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でも開館していたので安心しました。


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Museoの入館を後回しにして、午前中は教会巡りを優先しました。


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Arcoです。


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この辺が観光の中心地でしょう。


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ドゥオーモです。


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拝観しました。


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ドゥオーモは「古寺巡礼」で別途取り上げます。


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この建物の中に観光案内所があります。


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塔のある建物が有名です。


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この建物です。


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P1730486
塔のある建物がもう一つあります。


P1730487


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この辺は見どころが沢山あります。


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Piazza Torre di Berta


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次は壁に沢山の紋章がある建物です。


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重厚な建物です。


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強い日差しでしたが、湿度が低いので快適でした。


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会


P1730633
サン・フランチェスコ教会


P1730978
2つの教会の拝観を後回しにして、頃は良し、とばかりにMuseo Civicoに入館しました。


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Museo Civicoについては改めて触れることにします。


P1730968
非常に良かった!!


P1730980
ホテルに戻ることにしました。


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小さな美術館と侮って作品の写真を撮ることと鑑賞を同時にやったので、流石に疲れました。


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大きな美術館の場合、作品の写真を撮る日と鑑賞する日を分けてます。つまり2日にかけて2回入館します。


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ホテルで一休みしてから、隣の食堂で昼食の予定です。


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(つづく)

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サンタ・マリア・デリ・セルヴィ教会の拝観です。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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1255年に別の場所に建設された同じ名称の教会がありましたが、現在の建物は現在地に1294年に創建され、1382年に奉献されたものです。


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1717年ー1727年に内部は全面的に改修され、現在のバロック様式となりました。


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天井


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主祭壇


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クーポラ


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マッテオ・ジョヴァンニの「聖母被昇天」(1491)
酷い状態の作品です。


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マッテオ・ジョヴァンニの作品


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マッテオ・ジョヴァンニの作品


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マッテオ・ジョヴァンニの3つの作品はこのように別々に掲げられてます。しかし、元は「聖母被昇天と4聖人のポリッティコ」だったと考えられてます。多翼祭壇画の枠が破損したので別々のパネルで展示されているのでしょう。


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詳細不明


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グイド・レーニの原画をもとにシモーネ・カンタリーニが制作した作品です。複製画とは違います。


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ポマランチョの「天上の聖母子と聖人たち」


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17世紀のフィレンツェの無名画家の「天上の聖母と聖カルロ・ボッロメオとベアート・ピッコロミーニ・デイ・セルヴィ」


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モナンノ・モナンニ・ダ・モンテルキの「聖フィリッポ・べニッツィに顕現する聖母」(17世紀)


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制作者不詳の「磔刑」(17世紀)


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マッテオ・ジョヴァンニの作品が良かった!


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外に出ました。


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次はサン・ロレンツォ教会です。


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教会はこのアーチの向こうにあります。写真右はサンタ・キアーラ修道院の建物です。


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鐘楼がある建物です。


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振り返れば、セルヴィ教会が直ぐ傍にあることが分かります。


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サン・ロレンツォ教会です。


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1350年の創建ですが、現在の建物は1554年に建てられ、1556年に奉献された二代目のものです。


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柱廊付きのファサードが特徴です。


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単廊式、ルネサンス様式の内部です。


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ここは主祭壇画が有名です。


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主祭壇


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主祭壇画はロッソ・フィオレンティーノの「十字架降下」(1528)


Rosso_fiorentino,_deposizione_di_sansepolcro,_1528,_01
私の写真では不鮮明なので、作品画像を外部サイトから拝借しました。


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ラッファエッリーノ・デル・コッレの「永遠なる父」


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不思議なことに主祭壇画の複製画が礼拝堂祭壇を飾ってます。


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ヴィンチェンツォ・キアッリの「磔刑」


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外に出ました。写真右の壁は城壁です。


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ロッソ・フィオレンティーノの傑作が見ることが出来て大満足でした。


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名残惜しいので、もう一度中に入って観ました。


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旧サンタ・キアーラ教会です。


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教会の建物は催事場など市の多目的会場として使用されてます。


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この建物は少し新しい。


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こちらの建物はどうでしょうか。


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この日のお宿が見えます。


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教会巡りを続けます。


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次はサンタゴスティーノ教会です。


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違った道を歩かないといけません。


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教会は突き当りの門の手前にあります。


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鐘楼が見えました。


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サンタゴスティーノ教会の後陣


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フィオレンティーナ門です。


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サンタゴスティーノ教会のファサード
(つづく)

サンセポルクロ Sansepolcro は、人口15,884人(2015年12月31日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネで、初期ルネサンスの巨匠ピエロ・デッラ・フランチェスカ所縁地として有名です。この街を訪れる大部分の観光客の目的はピエロ関連と言っても過言ではないと思います。
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駅に到着しました。FSではなくFCU(ウンブリア中央鉄道)の駅です。


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鄙びた感じの駅舎と駅前広場です。


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駅から1ブロック行けば城壁です。つまり、チェントロの直ぐ近くに駅があります。


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大きな荷物を引っ張っていては何もできないので、荷物をホテルに預けて身軽にならねばなりません。


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門が撤去されてありませんが、ポンテ門と呼ばれている場所です。ここからがチェントロになります。


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直ぐに教会の建物があります。


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サンタ・キアーラ修道院です。


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大きな荷物があっては拝観どころではありません。パス


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サン・グレゴリオ通りを北に向かって進みました。


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以前泊まったことがあるホテルがこの日のお宿です。


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ホテルへの道順は大体覚えていました。


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この建物に見覚えがありました。旧サンタ・キアーラ教会です。


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見覚えがある建物です。


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この先に16世紀に建てられた旧病院がある筈です。


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この日のお宿はここです。迷わずに来ることが出来ました。「俺はまだボケてない」


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ホテル併設のレストランです。お値段はお高くない、お味は普通以上でしょう。


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チェックインを済ませ、自室に荷物を置き身軽になったので、早速散歩に出発しました。


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ホテルの直ぐ傍に見どころが幾つあるのです。


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その一つがこれ。


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主祭壇画の「ピエタ」が傑作です。


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残念ながら、この日も閉まっていました。一体全体、何時開くのでしょうか?


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塔があります。


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通りを挟んで、その向かいにも塔があります。


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この写真ならば、二本の塔があることがお分かりになるでしょう。


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塔が我が家という人がいるんですね。


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塔がある建物です。


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これを撮っておくと、後で写真整理の際、役立ちます。


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広場に向かいます。大した距離ではありません、僅か200mほどです。


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通りの突き当りが広場です。


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この日は快晴でした。


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広場にやって来ました。


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ベルタの塔広場


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「ベルタの塔」です。


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塔がある建物はPalazzo della Pagiolaです。


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この広場に来ると、今サンセポルクロにいるのだ、と実感します。


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ドゥオーモなどがあるマッテオッティ通りの方は後にして、教会巡りを優先しました。


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教会美術の点では、この街は相当なものがあります。


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写真左の建物は歴史的建造物です。


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14世紀に建てられた旧孤児養育院です。


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通りの突き当りが行きたい教会ですが、その前に歴史的建造物があるので、それを見ておくことに。中には入れません。外観だけです。


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先ず写真左の建物です。


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この建物です。


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この街の有力貴族だったガッリ家の邸宅で、この街で現存する最古の建物の一つです。現在は賃貸アパートになってます。


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その向かいの建物も歴史的建造物です。


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こちらの方もガッリ家の邸宅でした。


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通りの先端、写真左先の建物も歴史的建造物です。


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この通りは14-15世紀の建物が立ち並んでます。


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サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。扉が開いてます、安心しました。


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簡素なファサード


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シエナ派の巨匠マッテオ・ディ・ジョヴァンニのポリッティコがあります。


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(つづく)

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