
カラヴァッジョのチェントロ入口にあるローマ門です。

直ぐに教会の鐘楼が見えてきます。

鐘楼は、サンティ・フェルモ・エ・ルスティコ教会のものですから、鐘楼を目指していけば簡単に行くことが出来ます。

市庁舎です。この裏手に教会があります。

この街の教区教会です。つまりドゥオーモです。

正式名は、Chiesa Arcipretale Parrocchiale dei Santi Fermo e Rustico Martiri in Caravaggio です。

教会の歴史は古く、1000年頃に創設されたとされてますが、文書に最初に記録されたのは1196年で、二度目の記録は1218年のことでした。

1200年頃、初代の建物を取り壊し、その上に創建されたロマネスク様式の二代目の建物が現在の姿の原形です。、15世頃に現在のロンバルディア・ゴシック様式の建物に改造されました。

14世紀の改造の際、ファサードも現在の姿に改められました。

ファサードに聖母子と聖フェルモと聖ルスティコの像があります。(制作者不明)

ファサードのルネッタ上にフレスコ画は、ジョヴァンニ・バッティスタ・モリッジア(カラヴァッジョ、1796‐1876)の「聖母子と聖フェルモと聖ルスティコ」(1835)です。

鐘楼は、1500年に高さ71‐76mで建てられましたが、経年による劣化により、1912年から1932年に大修復されました。現在の高さは71mあります。

三廊式、構造的にはゴシック様式ですが、17世紀にバロック様式に改修されました。

内陣中央から見た左側廊方向です。

左側廊

左側廊から見た身廊中央です。

内陣中央から見た右側廊方向です。

右側廊

右側廊からの眺め

天井のフレスコ画はベルナルディーノ・カンピの作品です。
1588年、13歳になった画家カラヴァッジョは画家になるために、ミラノのシモーネ・ぺテルツィア—ノに弟子入りしますが、画家を志した切っ掛けが良く分からないとされています。しかし、この教会と聖母の聖域聖堂のフレスコ画や祭壇画などを見て刺激を受けたと想像するのが最も自然と思います。
その想像が的を得ているのか確認したかった、それが私がカラヴァッジョに来た理由です。

17世紀に作られた主祭壇

ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの後陣のフレスコ画

15世紀末にブラマンテ・スタイルで作られたサンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。

ベルナルド・カンピ派画家による「キリストの復活」(17世紀)

ベルナルド・カンピの「最後の晩餐」(1571)

ベルナルド・カンピの「足を洗うキリスト」(1571)

聖母顕現の礼拝堂です。

ジョヴァンニ・バッティスタ・モリッジアの「農婦ジャネッタの前に顕現する聖母」(1836)

詳細不明

説教壇

カルロ・ブレーダの「祈る聖母と聖ベルナルディーノ」(1709‐10)

サンティ・ロッコ・エ・セバスティアーノ礼拝堂です。

フェルモ・ギソーニ(1505‐1575)の「聖家族と聖フランチェスコと聖セバスティアーノ」

ロザリオの聖母の礼拝堂です。

アンドレア・アスペールの「悔悛の聖ジローラモ」(1655)

アンドレア・アスペールの「聖母子と聖ドメニコ」(1655)

洗礼堂です。
コリオラーノ・マラガヴァッツォの「キリストの洗礼」(1571)

二コラ・モレッタの「ご誕生と聖人たち」(1529)

サンティ・ピエトロ・エ・アンドレア礼拝堂です。

クリストフォロ・フェッラーリ・デ・ジュキスの「玉座の聖母子と聖アンドレアと聖ピエトロ」(1504)

この教会で1点選ぶとすれば、私ならこれです。

フランチェスコ・プラータの「十字架降下」(16世紀前半)

次はサンタンブロージョ礼拝堂です。

ジョヴァンニ・バッティスタ・セッコ通称イル・カラヴァッジーノ(カラヴァッジョ、1605‐1619記録)の「天上の聖母子と聖アンブロージョと聖カルロ・ボッロメオと聖ゴッタルド」

主祭壇前から見た出入口です。


外に出ました。

近くカラヴァッジョ博物館が出来るそうです。その完成後に一度来てみたいと思います。

来た甲斐がありました。

この街でのカラヴァッジョの痕跡らしきものを探しましたが、この建物の壁にカラヴァッジョの肖像があっただけでした。

これです。

(おわり)