イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: オルヴィエート

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引き続きジュゼッピーナ・アンセルミ・ファイーナの作品です。


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展示室のフレスコ画


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「フローラ」(19世紀中頃)


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詳細不明


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「女性の肖像」(19世紀中頃)


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小作品の数々


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「女性の肖像」(19世紀中頃)


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「若い娘の肖像」(19世紀中頃)


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「女性の肖像」(19世紀中頃)


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部屋の装飾


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ファイーナ家の肖像画が並んでます。


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「自画像」(1847)


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「クレリア・ファイーナとエウジェニオ・ファイーナの肖像」(1848‐49)


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「エウジェニオ・ファイーナの肖像」(1855c)


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「クレリア・ファイーナの肖像」(1860c)


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「ジェンマ・ファイーナの肖像」(1855c)


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博物館の2階から撮りました。


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次は2階(日本の3階)の展示室です。


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階段の途中に置かれた壺


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2階から撮りました。


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エトルリア遺跡からの出土品(紀元前9-7世紀)


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エトルリア時代の絵画が展示されてます。


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紀元前4世紀のもの


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次は壺類の展示です。


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紀元前525‐500のもの


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紀元前5世紀のもの


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紀元前600年頃のもの


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紀元前525‐500年頃のもの


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紀元前320‐310年頃のもの


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紀元前330‐320年頃の壺


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紀元前330‐320年頃のもの


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キリがないので、この辺で終わりにします。


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外に出ました。


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(おわり)

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キウージ地区のエトルリア遺跡からの出土品


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展示室のフレスコ装飾


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紀元前6世紀頃の壺


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紀元前525‐500cの壺


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部屋のフレスコ装飾


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紀元前550‐540cの壺


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紀元前550‐540cの壺


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詳細不明


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天井


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次はジュゼッピーナ・アンセルミ・ファイーナ(トリノ、1818‐フィレンツェ、1872)の作品展示です。


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ジュゼッピーナは、その姓からお分かりのように、ファイーナ家の一員でここに住んだこともあります。


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「女性の肖像」(19世紀前半)


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「ラファエロの自画像の複製画」(19世紀中頃)


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彼女の手紙、デッサン、小作品など


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「女性の肖像」(19世紀中頃)


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「女性の肖像」(19世紀中頃)


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「男の肖像」(19世紀中頃)


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デッサン


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「マグダラのマリア」(19世紀中頃)


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(つづく)

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ドゥオーモの真向かいに建つファイーナ宮です。


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現在、ファイーナ宮に建っている場所には、13世紀に建てられた要塞がありましたが、17世紀に要塞を利用した家が建てられました。
19世紀第2四半世紀にクラウディオ・ファイーナ伯爵がその家を買い取り、その家の地下室だけをそのまま維持しながら、地上部分を取り壊し、1846年に新築されたのが現在のファイーナ宮です。


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博物館の前身は、クラウデイオ・ファイーナ伯爵の個人収集物を展示公開すようになった1864年に遡ります。


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1954年、ファイーナ宮の建物と収集物全てがオルヴィエート市の所有となり、オルヴィエート近郊のエトルリア時代の遺跡からの出土品が展示物に加わりました。
正式名称はクラウディオ・ファイーナ博物館・市立博物館となってます。


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博物館の入り口


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館内に入りました。


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切符売り場


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展示室の入り口


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クラウディオ・ファイーナ伯爵像


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市立考古学博物館の案内


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詳細不明ですが、エトルリア時代の彫刻でしょう。


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Museo Civico部分から見て回りました。


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エトルリア時代の遺跡からの発掘物


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ピエトラ・カンパーナの石棺


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トッレ・サン・セヴェーロの石棺(紀元前4世紀末)


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その裏面


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ラーモ・ディ・ぱがネッロP2150958
ラーモ・ディ・パガネッロ工房の「教皇ボニファチョ8世」(1297)


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ローマ時代の石棺(2世紀後半)


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オルヴィエート自治都市の碑文(1209)


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ラーモ・ディ・パガネッロ工房の「教皇ボニファチョ8世」(1297)


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首の部分は複製です。


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オルヴィエート自治都市の碑文(1209)の複製


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ネンフロの「ライオン像(紀元前5世紀)
ネンフロとはエトルリア人が彫刻に用いた溶結凝灰岩のことです。エトルリア遺跡の博物館でよく出てきますので、「ネンフロ」と言う単語を覚えておくと良いと思います。


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ネンフロの彫刻


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ネンフロの彫刻断片(紀元前6世紀末)


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ネンフロの彫刻


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ネンフロの彫刻


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研修室


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テラコッタ像(紀元前5世紀末)


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Museo Civico見学の継続を止めて階上に向かいました。


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詳細不明


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クラウディオ・ファイーナ伯爵のコレクション


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数多くのコイン・メダルのコレクション


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図書室?


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(つづく)


今回は、オルヴィエートの旧サンタゴスティーノ教会に設けられたドゥオーモ付属博物館別館を取り上げます。
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オルヴィエートのサン・ジョヴェナーレ広場です。


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サン・ジョヴェナーレ広場に面して建つ旧サンタゴスティーノ教会です。


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12世紀頃、この地に既にサンタ・ルチア教会があった記録がありますが、1264年、サンタ・ルチア教会を取り壊し、その上に新築されたゴシック様式の教会です。


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14世紀前半、アウグスティヌス修道会によって修道院が併設され、大規模な教会修道院として18世紀末まで存続しました。


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1481年に完成したファサード


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18世紀末、ナポレオン軍のイタリア侵攻によって、この教会修道院はナポレオン軍の駐屯地として占拠され、1810年に全ての宗教活動を停止しました。それ以降、一度も教会機能を復活することなく現在に至ってます。


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ファサードのルネッタ


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現在、この建物は、主にオルヴィエート大聖堂にあった彫刻を展示するドゥオーモ付属博物館別館として使用されてます。


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単廊式の内部です。


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1724年の修復工事の際、バロック様式に改修されました。


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1980年から1990年に行われた修復の際、殆どの壁が新しく塗り直され殺風景な感じがします。


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天井装飾なし

1980年、オルヴィエート・トーディ地区の歴史文化建造物の修復事業の一環として、この教会が取り上げられ、修復工事が開始され、1990年に工事完了、現在の姿になりました。


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16世紀に描かれたフレスコ画が僅かに残されてます。


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「聖アゴスティーノの生涯」


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フランチェスコ・モーキ(モンテヴァルキ、1580‐ローマ、1654)の「受胎告知」
大天使の方は1603‐1605年の制作


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聖母の方は1605‐1608年の制作
ドゥオーモの主祭壇にありました。


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サンタゴスティーノ教会の剥離フレスコ


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ラッファエッロ・シニバルディ・ダ・モンテルーポ(1504‐1566)の「聖ピエトロ」(1557以降)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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フランチェスコ・モスキーノ(1523‐1578)の「聖パオロ」(1556)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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イッポリート・スカルツァ(オルヴィエート、1532‐1617)の「斬首された洗礼者聖ジョヴァンニ?、又は死せるキリスト?」(1570‐80c)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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サンタゴスティーノ教会にあった剥離フレスコ


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ファビアーノ・ト—ティ(オルヴィエート、?‐1607)の「聖ブリツィオ」(1601)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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ファビアーノ・ト—ティとイッポリート・スカルツァの「聖アンドレア」(?‐1599)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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サンタゴスティーノ教会の剥離フレスコ


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イッポリート・スカルツァの「福音書記者聖ジョヴァンニ」(1588‐94)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・カッチーニ(フィレンツェ、1556‐1612/1613)の「聖ジャコモ・マッジョーレ」(1589‐91)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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サンタゴスティーノ教会の剥離フレスコ


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ファビアーノ・ト—ティの「聖ロッコ」(1593)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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イッポリート・スカルツァの「聖トッマーゾ」(1587完成)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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サンタゴスティーノ教会の剥離フレスコ


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フランチェスコ・モスキーノとイッポリート・スカルツァの「聖セバスティアーノ」(1554‐57)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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フランチェスコ・モーキの「聖フィリッポ」(1609‐10)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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イッポリート・ブーツィ(1562‐1634)の「聖バルトロメオ」(1616‐17)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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ピエトロ・フランカヴィッラ(1553c‐1616)の「聖マッテオ」(1595‐1600)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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サンタゴスティーノ教会の剥離フレスコ


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ベルナルディーノ・カメッティ(1669‐1773)の「聖ジャコモ・ミノーレ」(1722)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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ジャンボローニャ(1529‐1608)の「聖マッテオ(未完)」(1595)
ジャンボローニャに発注された聖マッテオですが、制作の途中で放棄されてしまいました。


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サンタゴスティーノ教会の剥離フレスコ


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フランチェスコ・モーキの「聖タッデオ」(1631‐44)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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サンタゴスティーノ教会の剥離フレスコ


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ファビアーノ・ト—ティの「聖コスタンツォ」(1593‐98)
オルヴィエート大聖堂にありました。


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サンタゴスティーノ教会の剥離フレスコ


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ジョヴァン・バッティスタ・ドナーティの「ドゥオーモの鐘」(1770)


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ベルナルディーノ・カメッティの「聖シモーネ」(1722)


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外に出ました。


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ドゥオーモの彫刻をサンタゴスティーノ教会で見るとは、どうもしっくりきません。


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旧サンタゴスティーノ教会のドゥオーモ付属美術館別館は、入館有料ですが、ここには切符売り場がないので、入館希望者は無料で入館出来るようです。


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主にドゥオーモにあった彫刻が展示の中心です。


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別館に付いては、ドゥオーモ付属美術館で別に取り上げます。


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元々教会にあった祭壇画や彫刻があった筈ですが・・・・・


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後陣のフレスコ画


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ドゥオーモにあったものを別の教会だった建物で観るのは、シックリこないですね。


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次はサン・ジョヴェナーレ教会です。


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サンタゴスティーノ教会はサン・ジョヴェナーレ広場にあります。そのことから、サン・ジョヴェナーレ教会がサンタゴスティーノ教会の直ぐ傍にあることが分かります。


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サン・ジョヴェナーレ教会の身廊です。


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サン・ジョヴェナーレ教会です。


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フレスコ画が沢山あります。


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特に多いのが聖母子のフレスコ画です。


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この教会に付いては、既に古寺巡礼で取り上げました。(2016年9月)


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美術ファンは必訪の教会でしょう。


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歴史ある古い教会です。


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教会は城壁際にあります。


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城壁からの眺めが素晴らしい!


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中心地に戻ることにしました。


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この日、予定していた所は大体見ました。


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もう夕方です。


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サンタゴスティーノ教会を通り過ぎました。


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この道を真っ直ぐ進めば良いのです。ここで道を間違えては豆腐に頭をぶつける必要があります。


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サン・フランチェスコ教会


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サンタンドレア教会


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午後6時50分


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サン・ジュゼッペ教会です。


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教会の入り口付近の床


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正八角形、バロック様式の内部です。


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天井


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主祭壇


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主祭壇画はフィリッポ・ナルディーニの「聖家族と聖アンナ」(17世紀)


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外に出ました。


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ドゥオーモに戻ってきました。


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この時間のファサードは一見に値します。金のモザイクが夕日に照らされ、キラキラと輝くのです。


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ホテルに戻りました。
(つづく)

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ポポロ宮のフレスコ画が見たいのですが・・・・・


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幟が邪魔して良く見えません。


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こちらは落剝しています。


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下から覗き込むと何とか見えました。


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このホテルも良いです。


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教会だった建物です。


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元の教会の名前が分かりません。


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ポポロ宮です。


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ポポロ宮の裏側


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次は城壁沿いの公園です。


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旗は、この日の週末に行われるパリオのものです。


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旗の色は、街の地域毎に異なります。


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公園が見えてきました。


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城壁と言っても、30-40㎝の高さしかありません。


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城壁が低い訳は、凝灰岩の断崖絶壁が天然の城塞、城壁になっているからです。


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下を見下ろすと大きく絶景が広がってます。


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特急用の線路と在来線の線路が下を走ってます。


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特急は頻繁に走っていますが、在来線は来なかった!


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在来線に列車が来るのを待ちましたが、ダメでした。


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城壁沿いの道を暫く歩きましたが、特筆するものは何もありません。


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元に戻ることにしました。


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次はサンタゴスティーノ教会です。


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小さな町なので、勘を頼りに見当をつけて歩けば何とかなるだろう。


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それが高の括り過ぎでした。


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ポポロ広場と反対方向に歩いたつもりでしたが、ポポロ広場に出たのでビックリしました。


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16世紀に建設されたPalazzo Simoncelliです。


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教会はもう直ぐのハズでした。


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西に向かえば良い筈でしたが・・・・・


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行こうとしていたサンタゴスティーノ教会はすでに宗教活動を停止した旧教会です。


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旧教会の建物は、現在、ドゥオーモ付属美術館の別館になってます。


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別館では、主にドゥオーモにあった彫刻などが展示されてます。


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絵画などが展示されているドゥオーモの隣にあるソリアーノ宮では、作品を展示するスペースが足りないので、別館を設けたそうです。


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別館を設けるならば、ドゥオーモに近い場所にある建物にすべきと思うのですが、かなり距離があるサンタゴスティーノ教会に別館を設けたところに、イタリアらしさを感じます。


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教会はもう直ぐのハズですが・・・・・


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今にして思えば、ここを左折すべきでした。それを右折したのです。右折したことで物凄く良いことがあったのです。


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何が起きたと思いますか?


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なんとなんと小さく畳まれた€50札が道路に落ちていたんですよ。


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この場合、イタリアではどうするのか良く分からないので有難く頂戴しました。
ところで、私は非常に目が良いので、道路でお札やコインをよく見つけます。一回の旅で最低€10の臨時収入があります。


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ハッピーな気持ちでニャーと遊ぶことが出来ました。


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ポポロ広場から6,7分歩けば旧サンタゴスティーノ教会に着くはずですが、全然ダメ。


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どうやら道を間違えたようです。


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地図を取り出し、今いる通り名から自分の居場所を探したのですが、その通りが地図上で中々見つからない!


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イタリア人は、Via○○でも分かるようですが、それが不思議で仕方がありません。


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漸く見慣れた場所に着きました。


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道を間違えたことなど問題になりません。€50の臨時収入の実利が勝ります。


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今、これを書くためにオルヴィエートの地図を見ていますが、自分の馬鹿さ加減に愛想が尽きます。


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要すれば、ある区画を一周したのです。


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漸く到着したようです。


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やれやれです。


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つづく







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多孔性の石灰岩を利用した建物が目立ちます。


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車の場合、ZTLの標識を見逃すと、後で凄い罰金が。罰金の支払状況がパスポート・コントロールでも管理されているようで、酷い目に遭った知人がいます。


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13世紀に建設されたサン・フランチェスコ教会です。


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この時間は開いていないので、市立博物館を見てから再び来ることにしました。


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16世紀後半に建設されたPalazzo Sforza です。


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ドゥオーモはもう直ぐです。


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凝灰岩で出来た家の壁


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スグラフィート装飾の家が見えました。


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Palazzo Parretti


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色が異なる2つの層を壁に塗り、表の層面を削り取って下の層を出すことによって模様が出来上がります。


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ドゥオーモにやってきました。


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ドゥオーモのファサードの向かいにあるクラウディオ・ファイーナ市立博物館です。


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入館しました。


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展示は様々です。


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パラッツォ内のフレスコ装飾


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市立博物館に付いては、改めて後で取り上げます。


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ジョゼッピーナ・アンセルミ・ファイーナ(トリノ、1818‐フィレンツェ、1872)の特別展が行われていました。
彼女の苗字が示すように、彼女はこのパラッツォを建てたファイーナ家の末裔です。


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複製画です。


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ジョゼッピーナの自画像


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外に出ました。


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このホテルも中々良いですよ。


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Palazzo Parrettiを通り過ぎます。


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サン・フランチェスコ教会の後陣と鐘楼


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今度は開いているでしょうか?


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残念! 閉まっていました。


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最近は何時も閉まっています。もう何年も拝観したことがありません。


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同じ道を通るのは芸がありませんが、ポポロ広場に行くためには仕方がありません。


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次はポポロ広場です。


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広場に面して建つサン・ロッコ教会がどうなっているのか、それを確かめたいのです。


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このホテルに泊まったことがありません。


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広場は直ぐ傍です。


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ポポロ広場です。


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広場の半分は駐車場です。


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12世紀に建設されたポポロ宮です。


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オルヴィエートが自治都市だった時代、ポポロ宮はカピターノ(隊長)の家でした。


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サン・ロッコ教会です。


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長年、このままの状態で放置されてます。


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廃教会の道を歩んでいる?


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ルネッタの彫刻


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(つづく)





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ルーカ・ディ・ジョヴァンニの「聖水盤(1390)


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現在は使用されていません。


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洗礼盤


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ルーカ・ディ・ジョヴァンニが洗礼者ジョヴァンニ像の制作を開始したのが1390年で、その数年後に像は完成したのですが、洗礼盤は未完成のまま放置されていました。1406年、ピエトロ・ディ・ジョヴァンニとサーノ・ディ・マッテオによって制作が再開され、1407年に漸く完成した洗礼盤です。


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ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「聖母子」(1425)
このフレスコ画を目にすると、あの修復は正しいかったのだろうか、と思います。


madonna
修復前のフレスコ画はこのような状態でした。
修復師ジュリオ・タルディーニの研究と修復によって、今の状態になったのですが、修復後のフレスコ画を初めて見た時、余りもの違いに本当に驚きました。
隣にあった聖人は取り除かれ、聖母子の位置が左から右に移動しています。聖人は後に描き加えられたので、除かれたそうです。
聖人が描かれたのが16世紀だそうです。聖母子プラス聖人の状態で修復すると言うのも一つの方法でしょう。


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ピエトロ・プッチョのフレスコ画(1357‐1364)


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マギの礼拝?


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アントニオ・フェデリーギ(シエナ、1420c‐1490)の「ご訪問」(1451‐56)


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左翼廊の位置にある、1350年から1356年に建てられたCappella dei Corporale です。通常、ミサはこの礼拝堂で行われます。


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全ての壁面がフレスコ画で覆われてます。


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ウゴリーノ・ディ・ピエトロ・イラーリオ、ジョヴァンニ・ディ・メーオ、ジョヴァンニ・プッチョ・レオナルデッリの3人の画家によって、1357‐1364年に制作されました。


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リッポ・メンミの「慈悲の聖母」(1324)


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聖水盤


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制作者不明のフレスコ画


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15世紀のオルヴィエートの無名画家の「ピエタのキリスト」


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アントニオ・フェデリーギの「マギの礼拝」


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もう一つの聖水盤


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洗礼盤


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外に出ました。


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ここは必見です。
(おわり)




P2150028拝観は有料です。


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三廊式、ゴシック様式の内部です。


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左側廊


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創建以来、大規模な改造や改修が行われていません。そのため、創建時の姿を現在もほぼ留めていると言われてます。


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通常ミサは左翼廊の礼拝堂で行われているようです。


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右側廊


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大聖堂の模型が内陣に置かれてます。


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1320年代に作られた天井は、1886年から1891年に、原形を忠実に再現して再建されたそうです。


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白と暗緑色の縞模様は大理石ではありません。


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19世紀後半に塗料で縞模様に塗られました。


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バラ窓の内側


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イッポリート・スカルツァ(オルヴィエート、1532‐1617)の「ピエタ」(1579)


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主祭壇


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逆光でステンドグラスが写りません。
ジョヴァンニ・ディ・ボニーノの「ステンドグラス」(1328‐34)


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後陣の中央礼拝堂にフレスコ画があります。


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後陣への立ち入りが禁止されています。


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ウゴリーノ・ディ・プレーテ・イラーリオと、その協力者であるピエトロ・プッチーノなどによって、1370年に制作されました。テーマは「聖母の物語」となってます。
しかし、「受胎告知」と「ご訪問」の2場面は、15世紀末にアントニオ・デル・マッサーロによって描き直されたものです。


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次は、この大聖堂の最大の見どころであるサン・ブリツィオ礼拝堂です。


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以前は写真不可でしたが、今はOK(但しノーフラッシュ)となってます。


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礼拝堂の壁に描かれたフレスコ画が見どころです。


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壁という壁が装飾されてます。


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礼拝堂の祭壇


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この祭壇画の詳細が分かりません。


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聖堂側は分かっていると思いますが、私が調べた限りでは分かりません。


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サン・ブリツィオ礼拝堂のフレスコ画制作は、ベアート・アンジェリコと、ベノッツォ・ゴッツォーリなどの弟子によって、1447年からヴォールトの装飾から開始されました。
ベアート・アンジェリコと弟子の「審判者キリスト」です。


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ベアート・アンジェリコと弟子の「予言者たち」
ところが、ベアート・アンジェリコは、制作開始から間もない1447年に、教皇ニコラス5世からニッコリーネ礼拝堂の装飾を命じられ、ローマに立ち去りました。
礼拝堂装飾は、それから40年余の未完のまま放置されていましたが、1489年、ペルジーノに制作が依頼されました。しかし、ペルジーノは仕事に取り掛かりませんでした。
1499年、今度はルーカ・シニョレッリに仕事が依頼され、同年4月4日にフレスコ画制作が再開されたのです。ベアート・アンジェリコが制作した二場面の補筆から始められました。


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ここからルーカ・シニョレッリの作品になります。


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アンティクリストの説教


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黙示録


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肉体の復活
ミケランジェロがヴァチカン・システィーナ礼拝堂の最後の審判の制作を前に、この礼拝堂に描かれたルーカ・シニョレッリの人体表現を参考したと言われてます。


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地獄行きを宣告された人々


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天国行きを選ばれた人々


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天国、地獄に行った人々


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壁の周囲に詩人、文学者、哲学者が描かれてます。


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ダンテ


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この作品がルーカ・シニョレッリのドゥオーモにおける最後の仕事となりました。


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「ピエタ」(1503)


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何度来ても良い礼拝堂です。


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(つづく)

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オルヴィエート大聖堂です。
オルヴィエート・トーディ司教区の司教座教会で、正式名称はCattedrale di Santa Maria Assunta です。
1889年、教皇レオーネ3世によってBasilica Minoreに格付けされました。


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1290年、「ボルセーナの奇跡」の聖遺物を奉るために、教皇ニッコロ4世の指示によって創建されました。
最初、恐らくアルノルフォ・ディ・カンビオによってロマネスク様式の建物が設計されたと考えられてます。


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13世紀末、フラ・べヴィ—ニャ・ダ・ペルージャの主導によって、当時の有能な建築家ジョヴァンニ・ダ・ウグッチョーネが起用され、ジョヴァンニによってゴシック様式に設計が変更されました。
アルノルフォ・ディ・カンビオの設計が採用されなかった理由は不明のようです。


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創建から約300年後の1591年に、建築家イッポリート・スカルツァによって漸く完成したゴシック様式の建物です。


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技術の粋を集めたファサードです。


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ドゥオーモの建設に携わった建築家、美術家は数十人に上り、当時の一流だった人ばかりでした。


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左側の身廊、後陣


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左側


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ファサードが大きな見どころです。


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左側の身廊


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ファサードの建設は13世紀末に開始され、何世紀にもわたって、20人以上の芸術家が参加しました。最後は、1571年から1591年に建築を監督したイッポリート・スカルツァによって、1591年に完成しました。
20人以上の芸術家のうち、最も貢献したのは、ロレンツォ・マイターニです。その他に、ニーノ・ピサーノ(1347‐1348年に参加)、アンドレア・ピサーノ(1349年)、オルカーニャ(1354‐1380年参加)、ペトルッチョ・ディ・ベネデット・ダ・オルヴィエート(1372‐1388年参加)、アントニオ・フェデリーギ(1451‐1456年参加)、ミケーレ・サンミケーリ(ヴェローナ、1484‐1559)(1513年参加)、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484‐テルに、1546)(1546年参加)などがいました。


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ロレンツォ・マイターニの彫刻


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禁断の木の実を食べるアダムとイヴ


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楽園追放


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付け柱の彫刻もマイターニの作品です。


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青銅の扉は、現代彫刻家エミリオ・グレコの作品(1965‐1970)です。
オリジナルの青銅扉は腐食のため現存してません。


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柱の装飾


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エジプトへの逃避


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マギの礼拝


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ご訪問


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受胎告知


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現在、ファサードに置かれている聖母子は複製品です。


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こちらが本物です。  
Maestro Sottile とウンブリア・シエナの無名彫刻家の作品です。ロレンツォ・マイターニ作説もあります。
隣のドゥオーモ付属美術館にあります。


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ブロンズの「予言者たちの像」
マイターニ作説が有力とされてます。


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精巧な造りのバラ窓


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バラ窓はオルカーニャの作品です。


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黄金色のモザイクが見事です。


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モザイクの制作は、1321年に開始され、16世紀に完成しました。
17世紀に落雷による被害を受け、17‐18世紀に修復されましたが、現在、見ることが出来るモザイクは修復後のものです。
中央先端の聖母戴冠とその下にある「聖母誕生」は、19世紀末に落雷の被害を受けたので、1891年に制作された新しいものです。


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聖母戴冠(1891)


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聖母誕生(1891)


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まばゆい黄金色のモザイクが最も映えるのは、夕陽に当たったときです。


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写真では、キラキラ感が出ませんね。


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晴れた日の夕方に是非見て頂きたいファサードです。


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陽が落ちました。


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後編は聖堂内部です。


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(つづく)

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オルヴィエートに、その名もオルヴィエートというDOCワインああります。
このワインは、紀元前7世紀頃にエトルリア人によって醸造され始められた、ウンブリアで最古のワインと言われてます。


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昼食に勿論オルヴィエートを飲みましたが、まろやかなやや甘口でした。


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Torre Polidori


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棟の向かいにある家です。


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この写真で位置がお分かりになるでしょうか?


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街角にあるフレスコ画と彫刻を探していました。


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漠然と歩いていたので、見つかりませんでしたが、漸くフレスコ画のある場所に来たようです。


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ここです。


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以前と比べると、チョット劣化が進んだような・・・・


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何が描かれているのか、一見しただけでは中々分かりません。


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こうやって街中を歩いていると、崖上に築かれたことなど、全く思い浮かびません。


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崖上に築かれた上に城壁に完全に囲まれた街の構造のせいか、非常に治安が良いと思います。


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中世の街並みがそのまま残ってます。


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ルーカ・シニョレッリの「マグダラのマリア」がオルヴィエートのMuseoのシンボルになってます。そのタテカンがありました。


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この建物はMuseoではありません。


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近くにMuseoが見当たりません。


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あのタテカンは何のため?


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上の道を通りました。


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この辺に絵画の修復工房があるのを思い出しました。


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しかし、具体的な場所までは覚えていません。


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この付近であることは間違いないと思いました。


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塔の近くに工房があることは覚えていましたが、高低差がある道がほぼ平行になっているので、具体的にどの道だったのかがサッパリ分からない。


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レップブリカ広場に戻ってしまいました。しかし、結果的に正解でした。


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写真右の建物は市庁舎です。


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何のことはない、昼食を食べたトラットリアがある、同じ通りに工房があったのです。


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赤い旗がある建物が工房です。


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攻防に入る前に聖母子を見学。


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絵画の修復工房です。女性が作業中でした。


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10分ほど話をすることが出来ました。
修復に使用する絵の具の調色が大変と言ってました。


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仕事の邪魔をしてはいけないので、暫く作業を見学してから退散しました。


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本当に楽しい一時でした。


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修復していたのはポマランチョの作品です。


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修復作業を簡単に見ることが出来るのが、イタリアの素晴らしいところです。


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次は市立考古学博物館です。


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オルヴィエートには、国立の考古学博物館もありますが、この日は市立の方に入館する予定でした。


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市立考古学博物館はドゥオーモの向かいにあります。


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同じ道を何度も歩いてはつまらないので、細い道を選びました。


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この工房も有名です。


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ここです。


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危うく、あのフレスコ画を見逃すところでした。


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写真写りが悪い!


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教会です。


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ファサード側に回りました。


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教会の名前が分かりませんが、危険・立ち入り禁止の表示があるので、活動を停止した旧教会でしょう。


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暑くなってきました。


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(つづく)

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次の部屋です。


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ウゴリーノ・ディ・ヴィエーリ(イタリア中部で活躍した彫金師)の「聖体布容れ」(1338)


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聖具類


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部屋のフレスコ画


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ラッファエッロ・シニバルディ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ・フィオレンティーノ、1504‐オルヴィエート、1566)の「大天使ミケーレ」(1560)


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ラッファエッロ・シニバルディ・ダ・モンテルーポの「竜を退治する大天使ミケーレ」


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ラッファエッロ・シニバルディ・ダ・モンテルーポの「竜を退治する大天使ミケーレ」


P2150568
ヤコポ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1465c‐ローマ、1516c)?の「聖母子と二聖人」(15世紀末‐16世紀初め)


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祈るキリストと二天使


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聖母子と聖ジョヴェナーレと聖サヴィーノ


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裾絵


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16世紀のヴェネトの無名画家の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐フィレンツェ、1603)の「砂漠の聖ジローラモ」


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詳細不明 シノピエ?


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ベネデット・ブリオーニ工房の「受胎告知する大天使」(16世紀初め)


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ルドヴィーコ・マッツァンティーの「聖母被昇天」


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ルドヴィーコ・マッツァンティーに帰属する「ジローラモ・クルツィオ・クレメンティーニ伯爵の肖像」(1716)


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18世紀のヴェネト・アドリア海の無名画家の「聖母子」


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17世紀後半から18世紀初めころのヴェネト・アドリア海の無名画家の「聖母子」


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詳細不明


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16世紀後半のヴェネト・クレタの無名画家の「磔刑」(16世紀末)


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アントニオ・ダ・ヴィテルボ通称イル・パストゥーラ(ヴィテルボ、1450c‐1516以降没)の「聖母子」(15世紀末)


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チェーザレ・ネッビアの「キリストの復活」(1584‐87)


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アミルカ―レ・ガレオッティ(オルヴィエート、1832‐1898以降没)の「自画像」(19世紀末)


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アミルカ―レ・ガレオッティの「アンドレイーノ・ガレオッティの肖像」(19世紀末)


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P2150645
ジャコモ・ピエルッチ(オルヴィエートで17世紀第2四半世紀に活動)の「教会への聖母の出現」


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チェーザレ・フラカッシーニ(1838‐1868)の「オルヴィエートの解放」(1864)


P2150650
外に出ました。


P2140983
シモーネ・マルティーニ、ルーカ・シニョレッリ、スピネット・アレティーノなどの傑作に酔いしれました。
次は、旧サンタゴスティーノ教会にある博物館別館です。
(つづく)

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バルトロメオ・ダ・ミランダの「聖母子と2聖人(15世紀中頃)


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15世紀末から16世紀初めのペルージャの無名画家の「聖ピエトロ」、「聖パオロ」


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聖ピエトロ


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聖パオロ


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ピントゥリッキオ派無名画家の「聖二コラ」(1495以降)


P2150399
ピエロ・ディ・プッチョの領域の「聖ロムアルド」(14世紀末‐15世紀初め)


P2150402
ルーカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c‐1523)の「マグダラのマリア」(1504)


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この作品ですが、2012年、2013年頃に修復が行われました。以前と比べて随分感じが違います。


7magdale
修復前の作品です。
以前は写真不可なので、修復前の写真は別サイトから拝借しました。


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15世紀末の聖水盤


P2150414
ティツィアーノ派無名画家の「ヴィーナスとプシケ」(16世紀後半)


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ルーカ・シニョレッリの「自画像(左)とニッコロ・ダ―ニョロ・フランキの肖像」(1503?)


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ピエトロ・ディ・二コラ・ダ・オルヴィエートに帰属する「聖母子」(15世紀中頃)


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法衣(15世紀末‐16世紀初頭)


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イッポリート・スカルツァ工房の「タベルナコロ」(17世紀初め)


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チェーザレ・ネッビア(オルヴィエート、1536‐1614)の「聖書の物語」、「予言者たち」(1563‐64)


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16世紀末から17世紀初めのオルヴィエートの無名画家の「足を洗うキリスト」


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16世紀末から17世紀初めのオルヴィエートの無名画家の「キリストと聖母の邂逅」


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16世紀末から17世紀初めのオルヴィエートの無名画家の「オリーブ園の祈り」


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チェーザレ・ネッビアの「キリストと使徒たち」(1611‐12)


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チェーザレ・ネッビアの領域の「最後の晩餐」(16世紀末‐17世紀初め)


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ジローラモ・ムツィアーノ(ブレーシャ、1532‐ローマ、1582)の「キリストの逮捕」(1584)


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ジローラモ・ムツィアーノの「鞭打ち」(1575)


P2150511
チェーザレ・ネッビアの「聖母の誕生」(1582)


P2150516
チェーザレ・ネッビアの「荊刑のキリスト」(1557)


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ロドヴィーコ・マツァンティー(1676‐1775)の「祈る聖母」(1713‐14)


P2150520
ジローラモ・ムツィアーノの「ヴェロニカ」(1557)


P2150527
詳細不明


P2150529
サッソフェッラート?


P2150531
チェーザレ・ネッビアの「磔刑」(1573‐74)


P2150535
チェーザレ・ネッビアの「カナの晩餐」(1569‐72)


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ポマランチョ(1517/1524c-1597以降没)の「ベテスダの池」(1565)


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ジローラモ・ムツィアーノの「ラザロの蘇生」(1556)
(つづく)

P2150931オルヴィエート大聖堂の横に建つソリアーノ宮です。


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13世紀末から14世紀にかけて建設されたソリアーノ宮です。


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ドゥオーモ付属博物館はソリアーノ宮にあります。
ドゥオーモ関連の展示物が最多を占めてますが、オルヴィエートの他の教会にあった作品も展示されており、その実態は教区教会博物館 Museo Diocesanoであると思います。


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入館しました。


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14世紀初めのオルヴィエートの無名画家の「聖母子とアレッサンドリアの聖カテリーナと福音書記者聖ジョヴァンニ」


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15世紀の無名画家の「洗礼者聖ジョヴァンニ」


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15世紀初めにウンブリア、シエナで活動した無名画家の「オリーブの聖母」


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14世紀第4四半世紀のオルヴィエートの無名画家の「マギの礼拝」


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ウゴリーノ・ディ・プレーテ・イラーリオ(オルヴィエート、1356‐1384記録)の「聖コロナータ」


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ウゴリーノ・ディ・プレーテ・イラーリオの「聖人」
聖人は特定されていません。


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アンドレア・ディ・ジョヴァンニ(オルヴィエート、1378‐1420記録)の「教会へのキリストの出現」


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アンドレア・ディ・ジョヴァンニの「ご誕生、マギの礼拝、三位一体」(15世紀初め)


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アンドレア・ディ・ジョヴァンニのフレスコ断片


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オルヴィエートの無名画家の「受胎告知(15世紀初め)


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オルヴィエートのサンティ・アンドレア・エ。バルトロメオ参事会教会の床


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「プレーテオ(注:装飾のある仕切り)」(9世紀中頃)


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ピエトロ・ディ・二コラ・バローニ(オルヴィエート、1447‐1484記録)の「ピエタのキリストと聖ピエトロ・パレンツォと聖ファウスティーナ」(1468)


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15世紀初めのオルヴィエートの無名画家の「聖エレミータ」


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ピエトロ・ディ・二コラ・バローニの「聖母子」(15世紀後半)


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オルヴィエートの無名画家の「聖ジュリアーノ」(15世紀第2四半世紀)


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2階の展示室に向かいました。


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2階は傑作の宝庫です。


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ウンブリア・シエナの無名彫刻家とロレンツォ・マイターニの「聖母子と天使たち」(1325)


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傑作が目白押し


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アッレグレット・ヌーツィ(ファブリアーノ、1320c‐1376)に帰属する「聖バルトロメオ」(14世紀中頃)


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ウゴリーノ・ディ・ヴィエーリとヴィ—ヴァ・ディ・ランドの「聖サヴィーノの頭蓋骨箱(聖遺物箱)」(1340‐45)
オルヴィエートのサン・ジョヴェナーレ教会にあったものです。


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リッポ・ヴァンニの作品の可能性がある「聖母子と聖アグネスと聖パオロと聖ピエトロと聖ルチア」(14世紀中頃)
オルヴィエートのサン・フランチェスコ教会にありました。


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シモーネ・マルティーニ(シエナ、1284/1290-アヴィニョン、1344)の「聖母子と天使」(1322‐24c)
オルヴィエートのサン・フランチェスコ教会にありました。


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Terzo Maestro di Orvieto の「受胎告知」(1300‐1320c)


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Maestri Ebanisti Senesi の「Leggio e frammenti del coro del Duomo」(1330‐1370c)


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ピエトロ・ディ・プッチョに帰属する「洗礼者聖ジョヴァンニ」(1390‐1400c)


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ピエロ・ディ・プッチョの「聖ジローラモ」(1388)


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ピエロ・ディプッチョの「聖アンブロージョ」


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スピネッロ・アレティーノ(1346‐1410)の「磔刑」(1390‐1400)


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シモーネ・マルティーニの「聖母子と4聖人」(1320‐21)
オルヴィエートのサン・ドメニコ教会にありました。


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マグダラのマリア


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聖ドメニコ


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聖ピエトロ


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聖母子


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聖パオロ
(つづく)


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青色の旗がある所がサンタンドレア教会です。


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柱廊は教会のものです。


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サンタンドレア教会と呼ばれていますが、正式名称はCollegiata dei Santi Andrea e Bartolomeo と言い、この街の宗教的活動の中心を担っていました。


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柱廊の一部は花屋になってます。


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現在、教会の建物が建っている場所は、エトルリア時代の神殿跡でした。6世紀頃、その上に初期キリスト教会が建てられました(オルヴィエートで最古と言われてます)が、それが前身です。


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現在のロマネスク様式の建物は、12世紀に再建された二代目のものです。


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12面体の鐘楼が印象的ですが、1926年に復元された比較的新しいものです。


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ファサードは、ヴィト―・ディ・マルコ・ダ・シエナによって設計されました。バラ窓はMaestro Vetrino の作品です。


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入口扉上ルネッタの彫刻は、アントニエッタ・パオロ・ポリアーニの「聖母子と聖アンドレアと聖バルトロメオ」(12世紀)です。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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左側廊


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右側廊


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16世紀初頭に崩落したので、その後に復元されたトラスの天井です。


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中央礼拝堂


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後陣の装飾


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主祭壇


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後陣左側の礼拝堂です。
フレスコは何が描かれているのか判別できません。


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16世紀のフレスコ画


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柱のフレスコ画


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アンジェロ・リーキ・ダ・オルヴィエートの「聖母子」


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説教壇


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チェーザレ・ネッビアの「受胎告知」


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16世紀のフレスコ画


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「聖アンドレア像」(14世紀)


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詳細不明


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見どころが多いクリプタは、通常、非公開です。


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外に出ました。


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そろそろ昼食時です。


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この辺に来たならば、行く店は決まったも同然です。


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某サイトで紹介されるようになってから、日本人に人気ですが、それ以前から評判の良い店で、オルヴィエートに来れば大体来ています。


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予約なしなので、開店直後に入りました。先客がいたので恐れ入りました。
この日は、日本人は私だけ。


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お腹一杯。


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(つづく)

オルヴィエートは、人口20,594人(2016年2月28日現在)のウンブリア州テル二県にあるコムーネで、凝灰岩に出来た崖上に築かれた街です。
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この日、ローマ・テルミニ駅始発のフィレンツェSMN駅行きRVに乗車しました。


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乗車約1時間でオルヴィエート駅に到着しました。


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FSの駅舎です。
オルヴィエート大聖堂に描かれたルーカ・シニョレッリの傑作フレスコ画を見るために、殆ど毎年訪れてます。


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FS駅舎対面にフニコラーレの駅があります。


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フニコラーレに乗りました。


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中間地点で下り列車とすれ違います。


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崖上のフニコラーレ駅前に待機していたドゥオーモ広場行バスに乗り込みました。フニコラーレの切符でバスに乗ることが出来ます。ただし、切符の有効時間制限があります。


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ドゥオーモ広場に到着しました。
この日のお宿に向かいました。


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この日のお宿はここです。


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この日のお宿ですが、写真右端に写っているのがドゥオーモのファサードなので、その位置関係がお分かりになると思います。評判が良いホテルですが、部屋数が少ないので、観光シーズンになると予約が取りにくいようです。しかし、オルヴィエートに泊まるならば、ここが第1候補です、お勧めします。
チェントロの更に中心にあるので、何処に行くにせよ何かと便利です。


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チェックインを済ませ、荷物を自室に置き、身軽になったので、早速外出しました。


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オルヴィエートで行きたい所の大部分がホテルの周囲に集中しているので、急ぐ必要が全然ありません。


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この日の週末に祭りが行われるようでした。


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問題は早く到着し過ぎたことで、開いている所がないのです。


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ブラブラと付近を散策しながら、最も早く開くドゥオーモが開くのを待ちました。


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武装警官?がMuseo Civicoの前で警備していました。
2時間後、Museo Civicoの建物の写真を撮った時、彼等の姿が写真に写ってしまったのですが、それに気が付いた警官から写真の消去要請を受けました。その写真を消去したら、今度は俺たちは写真に写らないように横にいるので、建物の写真を撮れと言われました。
同じことは、ヴァチカンのピエトロ大寺院の前でも経験があります。
皆さん、武装警官が警備中の時は、彼らの姿、特に顔の映り込みに注意して写真を撮った方が良さそうです。


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ここもまだ開いてません。


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9時17分です。大聖堂が開くのは午前9時半です。


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10分余の時間を潰すのが結構大変でした。


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身廊側の出入り口は、地元の信者さん用です。


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ドゥオーモが開きました。
拝観は有料です。付属美術館などとの共通券を買いました。


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以前は写真不可でしたが、今は可能です。
ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂のフレスコ画制作の参考にしたルーカ・シニョレッリのフレスコ画です。


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ドゥオーモに付いては、古寺巡礼で改めて取り上げます。


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傑作です。


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見どころが豊富です。


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外に出ました。


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次は付属美術館です。


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付属美術館は傑作揃いです。


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付属美術館は後で別に取り上げます。


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十二分に楽しむことが出来ました。


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交通が便利な場所にあるので、日帰りの観光客が多いようです。


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未だ11時半です。


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一旦ホテルに戻ってトイレ休憩です。


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ホテルの自室からの眺め


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ホテルで一休みしてから、再び外へ。


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Museoは13時に一旦休館になるので、この時間に入館するのは時間が不足です。


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15時から開館するので、Museoは午後に入館することにしました。


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サンタンドレア教会に向かいました。


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有名な観光地なので混雑していました。


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最も賑わうカヴール通りです。


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何の旗でしょうか?勿論、お祭り用であることは分かりますが・・・・・


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モーロの塔です。上ることが出来、上からの眺めが最高ですが、この時はパスしました。
元々ジョギングが好きで、非常勤になってからはイタリアの街歩きに備えて毎朝2時間の散歩を心がけていましたが、それがアダになりました。ひざの軟骨がすり減って、膝へのヒアルロン酸注入が欠かせなくなりました。整形外科医に拠れば、ジョギング好き、散歩好きは特にひざの軟骨すり減りが要注意だそうです。人間の身体には限界があるので、すり減る限度内に運動を留めるべきとの事です。過度は良くないのです。


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去年までは膝に留まっていた体の不具合が腰にも同様の現象が起きて、医者通いをしています。


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と言うことで、私のイタリア旅行は終わりに近づいてます。


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このお店は有名です。


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イノシシのサラミが絶品です。


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ナデナデすると尻尾を振って喜んでいた愛想の良いワンちゃんでしたが、カメラを向けると何故か、この態度に。一転して不愛想、私を無視するので笑ってしまいました。


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(つづく)

修復のため、長らく閉鎖されていたが、工事が終了したとのネット記事を見たので行きました。この教会はオルヴィエートで最古の教会と言われてますが、注目すべきフレスコ画が沢山残っていて美術ファンにとっては必訪でしょう。
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マラブランカ通りを進み、城壁に面した所に教会があります。
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城壁内の西端に位置してます。
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身廊がマラブランカ通りに面してます。出入口はファサード側と身廊側にあります。
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身廊側ポータル上ルネッタの「聖ジョヴェナーレの浮彫」(1497)
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ここで教会の歴史について、簡単に触れておきましょう。
この地に、エトルリア人が建てたジョーヴェ(ジュピター)を奉る神殿がありましたが、6世紀頃に神殿を初期キリスト教会に転用され、その際、聖ジョヴェナーレに献じたとされてます。
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10世紀末、旧神殿の教会を取り壊し、その上に新しい建物を建てることになりました。当時、オルヴィエートの裕福な貴族たちの寄進によって、1004年に建てられたロマネスク様式の建物が現在の姿の原形です。
また、1028年、オルヴィエート司教区が出来ると、司教座が置かれました。現在のドゥオーモが建設される以前は、この教会がドゥオーモでした。
P2160601
14世紀、建物が増築されることになり、増築部分はゴシック様式で建設されましたが、14世紀の増築後の建物が現在の姿になってます。
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三廊式、ロマネスク・ゴシックの折衷様式の内部です。新しく見えるのは、最近行われた修復工事によります。
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中央通路から見た左側廊方向です。
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左側廊
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左側廊からの眺め
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中央通路から見た右側廊方向
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右側廊
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壁や柱がフレスコ画で覆われていたと考えられてます。
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天井
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内陣の中央に三段の階段があります。階段によって内陣が二分されてますが、階段を境にファサード側が14世紀の増築分になります。
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主祭壇
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ピエトロ・ディ・二コラの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(15世紀後半)
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ウンブリアの無名画家による「聖母子と2聖人」(14世紀後半)
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アンドレア・ディ・ジョヴァンニの「受胎告知」(15世紀初頭)
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ピエトロ・ディ・二コラの「聖母子と聖アントニオア・アバーテ」(1460c)
その左のピエトロの作品で「聖ロムアルド」
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詳細不明
P2160444
詳細不明
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ウンブリアの無名画家による「授乳の聖母」(14世紀)
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チェーザレ・ネッビアの追随者による「磔刑と聖ジョヴェナーレと聖マルコ」(17世紀初頭)
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礼拝堂天井のフレスコ
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オルヴィエートの無名画家による「洗礼者聖ジョヴァンニと聖アントニオ・アバーテ」(15世紀第1四半世紀)
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ジョヴァンニ・ディ・ブッチオ・レオナルデッリの「受胎告知とご誕生」(1360‐70c)
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ピエトロ・ディ・二コラの「シエナの聖ベルナルディーノ」(15世紀後半)
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ピエトロ・ディ・二コラの「聖家族」(15世紀後半)P2160475
オルヴィエートの無名画家による「福音書記者聖ジョヴァンニ」(16世紀)
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剥離以前の壁がどうだったのか、そんなことを考え乍ら眺めました。さぞや見ものだったでしょうね。
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「聖母子」が幾つあるのでしょうか?
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Maestro Lorenzoの「聖マルコ」(16世紀第1四半世紀)
P2160483
詳細不明
P2160485
Maestro di San Brizioの作品(1312)
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Maestro di San Brizioの「聖クリストフォロ」(14世紀初頭)(写真右端)
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オルヴィエートの無名画家による「聖母子」(15世紀前半)
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アンドレア・ディ・ジョヴァンニ?の「受胎告知」(15世紀前半)
修復のやり過ぎと思います。
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ピエトロ・パオロ・センシーニの「聖母子と聖人たち」(16世紀後半)
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ピエトロ・ディ・プッチーニ派画家による「磔刑」と「聖ロムアルドと洗礼者聖ジョヴァンニと司教の聖人と聖ロレンツォ」(15世紀初頭)
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ピエトロ・ディ・プッチーニ派画家による「聖グリエルモ」(15世紀前半)
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Maestro SeviroとMaestro Martinoの共作「磔刑」(13世紀中ごろ)
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ペルージャの逸名画家による「聖母と聖ピエトロと寄進者」(14世紀前半)
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詳細不明のモザイク
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14世紀の無名画家による「Arbor Vitae」
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沢山ありますね。
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ウンブリアの無名画家による「磔刑」(14世紀初頭)
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ピエトロ・ディ・プッチーノの追随者による「聖ルーカ」(15世紀初頭)
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Maestro di San Lorenzo de Arariの「聖母子と2聖人」(14世紀初頭)
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詳細不明
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Maestro del Duomo di Orvietoの「聖母子と聖人たちと寄進者」(1305)
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Maestro di San Brizio派画家による「聖母子と聖ロレンツォと司教の聖人」(13世紀末)
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詳細不明
P2160555
詳細不明
P2160559
詳細不明
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キリがないので、この辺で終わりにしましょう。
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後陣の後ろに聖具室など幾つ部屋があるのですが、「最後の晩餐」などのフレスコ画があります。今回は施錠されて入室できませんでした。
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外に出ました。
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非常に見ごたえがあります。じっくり見ようとすれば1時間は必要でしょう。
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教会前の広場から眺め
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城壁から下を見下ろしました。
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「最後の晩餐」が見たいので再訪するつもりです。
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(おわり)


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