アントニオ・ソラーリオ(ヴェネツィア?、1502‐1514記録)の「聖母子と聖ピエトロと聖フランチェスコ」(1514c)
バルトロメオ・チンカーニ通称モンターニャ(ブレーシャ、1449c‐ヴィチェンツァ、1523)の「聖母子」(1480‐90)
バルトロメオ・モンターニャと呼ばれるのが普通でしょうか?
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430/1435- マルケ、1494/1495)の「聖バルトロメオ」(1472)、「福音書記者聖ジョヴァンニ」(1472)
コッレッジョ(コッレッジョ、1489c‐1534)の「読む男の肖像」(1517‐23)
コッレッジョの「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1514‐19)
ブロンズィーノ(フィレンツェ、1503‐1572)の「ロレンツォ・レンツィの肖像」(1527‐28)
ルチア・アングイッソーラ(クレモナ、1537/1538c- 1565c) の「自画像」(1557)
エウローパ・アングイッソーラ(クレモナ、1557‐1578記録)に帰属する「リヴィア・デ・ランキの肖像」(16世紀第3四半世紀)
16世紀第3四半世紀のクレモナの無名画家の「幼児の肖像」
ジョヴァン・バッティスタ・トロッティ通称マロッゾ(クレモナ、1556‐パルマ、1619)の「羊飼いの礼拝」(1580c)
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1558‐ミラノ、1629)の「聖アグネスの殉教」(1590‐92)
フェーデ・ガリツィア(ミラノ?、1578‐ミラノ、1630)の「ゲッセマネ園のキリスト」(16世紀末)
ペッレグリーノ・ティバルディ(コモ、1527‐ミラノ、1630)の「聖ジョルジョ」(1558‐61)
ペッレグリーノ・ティバルディの「アンティオキアの聖マルゲリータ」(1558‐61)
ベルナルディーノ・カンピ(レッジョ・エミリア、1521‐1591)の「磔刑」(1584‐91)
ベルナルディーノ・カンピの「リンカーンの聖ウーゴとフェノーリオのベアート・グリエルモ」(1576)
ベルナルディーノ・カンピの「グルノーブルの聖ウーゴと聖ブルーノ」(1576)
ジョヴァンニ・ダ・モンテ(クレマ、1557‐1583記録)の「荊刑のキリスト」(1565‐70c)
アウレリオ・ルイーニ(ミラノ、1530c‐1593)の「聖ヴィンチェンツォの殉教(1587以前)
アントニオ・カンピ(クレモナ、1523‐ミラノ、1587)の「聖セバスティアーノの殉教」(1575)
エネア・サルメッジャ(?、1565c‐ベルガモ、1626)の「天上の聖母子と聖アンブロージョと聖カルロ・ボッロメーオ」(1603)
エネア・サルメッジャの「天上の聖母子と聖ロッコとと聖フランチェスコと聖セバスティアーノ」(1604)
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニ(ボローニャ、1574‐ミラノ、1625)の「ユディト」(1620c)
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの「聖家族」(1615‐19)
ジュリオ・チェーザレ・プロカッチーニの「マギの礼拝」(1625)
ジュゼッペ・ヴェルミーリオ(ミラノ?、1587‐?、1635以降没)の「聖セバスティアーノ」(1621c)
ジュゼッペ・ヴェルミーリオの「イサクの犠牲」(1621以前)
ダニエーレ・クレスピ(ミラノ?、1597c‐ミラノ、1630)の「聖ステファノの殉教」(1622以降)
ダニエーレ・クレスピの「羊飼いの礼拝」(1623‐25)
ダニエーレ・クレスピの「外科医の肖像」(1625以前)
ジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピ通称チェラーノ(ノヴァーラ、1573‐ミラノ、1632)の「死に行く人に顕現する聖フランチェスコ」(1610‐20)
ジョヴァンニ・バッティスタ・クレスピ通称チェラーノの「大天使ミケーレ」(1605‐10)
グリエルモ・カッチャ通称モンカルヴォ(モンタボーネ、1568?‐モンカルヴォ、1625)の「聖母子」(1615c)
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480‐ロレート、1556)の「若い男の肖像」(1524‐27)
ヤコポ・ティントレット(ヴェネツィア、1518‐1594)の「財務執政官ヤコポ・ソランツォの肖像」(1550‐51c)
絵画の展示が終わりました。
エジプト関係の展示
非常に良かった!
レオナルド・ダ・ヴィンチの影響力の強さを改めて認識しました。
(おわり)