
「磔刑」が描かれている僧房が続きます。


多くの図柄がある「磔刑」ですが、磔刑を崇める聖ドメニコを描いたのはベアート・アンジェリコと言われてます。

これはどうなんでしょうか?

同じように見えますが、少しづつ違うようです。



微妙に違いますね。

2階に突き当りにある院長室です。

ジローラモ・サヴォナローラは修道院長を務めていました。

サヴォナローラの部屋です。


院長室にも「磔刑」が描かれてます。

ベアート・アンジェリコの「磔刑を崇める聖ドメニコ」

「ジローラモ・サヴォナローラ」

フラ・バルトロメオは、サヴォナローラが院長を務めていた時にサン・マルコ修道院で修道士だったので、肖像画としてはフラ・バルトロメオが描いた「サヴォナローラの肖像」の方に軍配が上がります。

サヴォナローラ愛用の机

これは非常に有名な作品です。
15世紀末のフィレンツェの逸名画家による「シニョーリア広場でのサヴォナローラの処刑」
この画家はサヴォナローラの処刑を実際に見たと言われてます。
サヴォナローラによる過激急進的な神権政治は教皇アレッサンドロ6世(ボルジア)の怒りを買い、後ろ盾だったフランスのイタリアからの撤退と相まって次第に追い詰められました。
そのような状況下において、敵対していたフランチェスコ修道会からの「火の試練」の挑戦を受けたものの、その対応を誤りフィレンツェ政庁によって逮捕されてしまいます。
1498年5月23日、サヴォナローラはシニョーリア広場に設けられた刑場で絞首刑に処され、その遺体は直ちに焼却されました。

その辺の説明文です。

サヴォナローラの遺品

サヴォナローラ愛用のロザリオ

ドメニコ会は過激な修道士を輩出しました。悪名高き宗教裁判を主導して死刑判決を下したのは殆どがドメニコ会修道士でしたから。

サヴォナローラの説教の浮彫

15世紀末から16世紀初頭に活動したフィレンツェ派無名画家による「サヴォナローラの処刑」
これを描いた画家も実際に処刑を見たとされてます。

フラ・バルトロメオの作品

フラ・バルトロメオの作品


フラ・バルトロメオの「聖母子」

フラ・バルトロメオの「聖母子」

非常に面白いサヴォナローラの僧房でした。

サヴォナローラの僧房入り口上の壁に描かれたフレスコ画

これで大体見たことになります。

僧房を立ち去る前にもう一度見ました。



花が良いですね。

ドメニコ・ギルランダイオの「最後の晩餐」も、もう一度見ました。

猫が描かれてます。

クジャクも描かれてます。


この通路の先が出口になります。
再建前の教会にあった柱などが展示されてます。

扉上ルネッタに描かれたフレスコ画(これは詳細不明です)

フラ・バルトロメオの「ベアート・アンブロージョ・センセドーニ」(1511‐12c)

フラ・バルトロメオの「アクイーノの聖トッマーゾ」(1511‐12c)

フラ・バルトロメオの「聖ピエトロ・マルティ―レ」(1511‐12c)

フラ・バルトロメオの「聖ドメニコ」(1511‐12c)


詳細不明

まだまだ沢山ありますが省略します。

これで終わりです。

外に出ました。

出口の斜め前にスカルツォの回廊があります。

この日は閉まっていました。

(おわり)