イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: コルトーナ

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この日の予定はこれにて終了です。


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好みの形の鐘楼です。


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道を下ってシニョレッリ広場に向かいました。


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先月の旅の出発の直前に持参予定のPCの調子が悪くなり、急遽非常用のPCを購入して出発しました。これが安かったにも拘らず中々の優れモノで重宝しました。
ローマで暇があったので、PC屋さんを覗いたのですが、イタリアのPCが高価なことに驚嘆しました。デルやアップルの日本で流通しているのと同じモデルが、日本よりも可なり高く売られてます。


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下りの方が上りよりも膝にかかる負荷が高いそうです。


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道の突き当りの左が広場です。


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シニョレッリ広場


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エトルリア・アカデミー博物館が置かれているカザーリ宮


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夕方になると、観光客の姿が少なくなり地元の人が多くなりますが、宿泊施設が限られているのが理由でしょうか。


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レプッブリカ広場


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静かで魅力的な夕方です。


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昼間に買ったペッタンコ桃を夕食後にホテルの部屋で食べました。


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ホテルの部屋からの眺めです。


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翌朝です。


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朝の早い時間には晴れていましたが、すぐに霧がかかり、やがて曇ってしまいました。


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サンタ・マルゲリータ聖堂に向かいました。


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サン・ドメニコ教会は閉まっていました。


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濃霧に覆われていましたが、それが切れると道が少し濡れていました。


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道を上りました。


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サン・ドメニコ教会の横の道を通ります。


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かって教会だった建物でしょうね。


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描かれているのは聖ジローラモ?


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サンタ・マルゲリータ通り


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朝の早い時間なので、誰も歩いていませんでした。


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雲が垂れ込めてきました。


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聖マルゲリータ(1247‐1293)は、フランチェスコ会修道院に入り、貧しい人たちに人生を捧げた、コルトーナの守護聖人です。
聖マルゲリータの遺体を祀るために建てられたのがサンタ・マルゲリータ聖堂です。別名「聖マルゲリータの墓所」とも言われてます。


025
旧修道院の建物


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朝まで晴れていたのがウソのように雲が厚くなってきました。


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鐘楼が見えてきました。


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サンタ・マルゲリータ聖堂です。
街の高い場所にあるので、車で来る人たちが殆どです。


062
11世紀の記録に、この地にロマネスク様式のサン・バジーリオ教会の存在が記載されてます。聖マルゲリータの没後4年の1297年、聖マルゲリータの遺体を祀る教会が創建され、1304年に献堂されました。


065
現在の姿は19世紀に再建された二代目の建物です。
1927年、Basilica Minoreにランクされました。


060
見どころがあまりない外観です。


057
三廊式、ラテン十字形の内部です。


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中央礼拝堂です。
再建された建物の主祭壇は美術的に冴えませんが、初代の建物の時代には素晴らしい祭壇画が主祭壇を飾っていました。


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ルーカ・シニョレッリの「死せるキリストへの哀悼」(1502)
この作品が主祭壇を飾っていました。しかし、17世紀中ごろ、ドゥオーモに目ぼしい作品がないことを残念に思っていた、当時のコルトーナ司祭が、この作品をドゥオーモに移動するように命じたのです。


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現在、この聖堂にある作品を紹介しておきましょう。
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポーリの「聖母被昇天と三聖人」(1610)


039
ピエトロ・ジャッノッティの「嬰児虐殺」(1636)


042
17世紀のトスカーナの無名画家の「コルトーナを守護する聖マルゲリータ」


045
フランチェスコ・ヴァンニの「聖母戴冠と四聖人」(1602)


048
ピエトロ・バロッチの「聖カテリーナの殉教」(1610)


051
詳細不明


066
拝観を終え、坂道を下りました。


069
小さな街なので、同じ道を何度も行き来します。


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サン・ドメニコ教会が開いていたので、もう一度拝観しました。


077
何回見ても飽きることがありません。


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キリがないので、この辺で終わりにしましょう。


092
(おわり)

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13世紀に建設されたカザーリ宮です。


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カザーリ宮にエトルリア・アカデミー博物館が置かれたのは、約300年前の1727年のことでした。
正式名称は、Museo dell'Accademia Etrusca e della citta di Cortonaと言い、その展示は名称の通り、単にエトルリアに留まらず、他のコムーネにあるMuseo Civicoとほぼ同じの幅広い展示が特徴です。


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展示は多岐にわたってます。


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エトルリア人の住居の模型


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エトルリア人の墓


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エトルリア人の骨も展示されてます。


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ローマ時代のモザイク
コルトーナは、紀元前4世紀にローマの支配下に入りました。


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コルトーナ出身の現代画家ジーノ・セヴェリーニの作品が展示されている部屋です。


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ジーノ・セヴェリーニの「受胎告知」


073
ジーノ・セヴェリーニの「授乳の聖母」
次は絵画部門です。


077
フィレンツェ派無名画家の「8聖人」(15世紀)


079
フィレンツェ派無名画家の「聖母子」(15世紀)


081
アントニアッツォ・ロマーノの「聖母子」


082
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジュリーニの「二聖人」


083
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジュリーニの「二聖人」


085
マリオット・ディ・ナルドの「玉座の聖母子と二天使」


088
ビッチ・ディ・ロレンツォの「聖母子と聖人たちのトリッティコ」


090
作者不明のモザイク(15世紀初め)


092
ルーカ・シニョレッリの「聖母子と聖人たちのトンド」(1512)


096
ルーカ・シニョレッリの「羊飼いの礼拝」


098
バルトロメオ・デッラ・ガッタの「聖母子」


100
ピントゥリッキオの「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


102
ヤコポ・ディ・ジョヴァンニの「嘆きの聖母」


104
チゴリの「荊刑のキリスト」


106
ヤコポ・ディ・ジョヴァンニの「マグダラのマリア」


108
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの「受胎告知」


110
チゴリの「ご訪問」


112
チゴリの「二人の男の肖像」


114
ヤコポ・キメンティ・ダ・エンポーリの「聖ジュゼッペ」


116
サンティ・ディ・ティート工房の「キリストの復活」


118
ルドヴィーコ・ヴェヌーティ(1785‐1872)の「自画像」


119
Johann Zoffany (1733-1810)の「自画像」(1776)


120
James Northcote (1746-1831)の「自画像」(1778)


122
ルーカ・シニョレッリの追随者の「聖アントニオ」


124
ルーカ・シニョレッリの追随者の「玉座の聖母子と二聖人」


125
ピエトロ・ダ・コルトーナ派無名画家の「聖テレーザの法悦」


127
ピエトロ・ダ・コルトーナ派無名画家の「聖テレーザと聖アゴスティーノ」


129
ピエトロ・ダ・コルトーナ派無名画家の「聖母の結婚」


132
ピエトロ・ダ・コルトーナの戴冠した天才」


134
チーロ・フェッリの「ルツの結婚」


136
ピエトロ・ダ・コルトーナの「聖母子と聖人たち」


137
バッチョ・チャルピ(1574‐1654)の「聖ベネデットの奇跡」


140
ネーリ・ディ・ビッチの「十字架降下と聖人たち」、「ピエタのキリストと聖人たち」


142
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの「聖人たち」


150
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオの「プレデッラ」


151
フランチェスコ・シニョレッリの領域の「聖母子と聖人たち」


154
ルーカ・シニョレッリ派無名画家の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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ルーカ・シニョレッリ派無名画家の「聖母子と聖二コラと聖アントニオ」


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ルーカ・シニョレッリ派無名画家の「聖母子」


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ベランダを通って隣の建物に移動しました。


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シニョレッリ工房があった場所です。


201


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ベランダから見えた景色


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こちらは”市立博物館”でしょう。


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18世紀にアッカデミアが設された際に、当時の修道院長が保有する絵画、図書、エジプト関係にコレクションを寄贈しました。この辺は寄贈されたものが主に展示されてます。


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複雑なカザーリ宮の歴史を反映して雑多な展示が特徴です。


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説明版がありません。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアツェッタの「天上の聖母子と聖人たち」


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ドメニコ・プリーゴの「祈る寄進者」


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図書室



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外に出ました。
(おわり)

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11世紀に、古代ローマ時代の神殿の上に建てられた小さな教会が前身で、12世紀ころに教区教会に昇格しました。13世紀になると、新たに司教座教会を作ろうとの動きが高まり、1262年にニコラ・ピサーノの設計によって、それまであった建物を取り壊し、その上に建てられたのが現在の姿の原型です。
当時、コルトーナはアレッツォ司教区に属していましたが、アレッツォのコムーネと司教の反対によって、コルトーナ新司教区の設置が見送られてしまいました。


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コルトーナ司教区設置を目的に、1481年から1507年にかけて増築されました。現在の姿はこの増築後の建物です。
1507年、当時の教皇ジュリオ2世の裁定によって、コルトーナに司教座が置かれるようになりました。
1986年、司教座の整理によって、コルトーナは独立した司教区から新たにアレッツォーサンセポルクローコルトーナ司教区に合区されました。その結果、正式名称はConcattedrale di Santa Maria Assuntaとなり、現在に至ってます。
ロマネスク様式のファサードです。


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コリント式円柱が目立つ三廊式、ルネサンス様式の堂内です。


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内陣中央から見た左側廊方向


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右側廊方向


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天井の装飾


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中央礼拝堂の祭壇は、コルトーナのフランチェスコ・マッツゥオーリの作品(1664)です。


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後陣にフレスコ画がありますが、制作者不明です。


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後陣右の礼拝堂のテラコッタ「ピエタ」(13世紀前半)


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フランチェスコ・シニョレッリの「聖トッマーゾの不信」


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クリストファノ・アッローリの「チントラの聖母」


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ルーカ・シニョレッリの「磔刑」
大聖堂で買い求めた本にはルーカの作品と記載されてますが・・・・・


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トッマーゾ・ベルナベーイの「聖母を囲む聖人たち」


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アンドレア・コッモディの「サルヴァトーレ聖堂の献堂式」(1559)


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チゴリの「ロザリオの聖母」(1597)


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アンドレア・デル・サルトの「聖母被昇天」
私にはアンドレアの作品に見えません。


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ジョヴァンニ・グラーディの「聖母子と守護聖人」(17世紀)


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ジョヴァンニ・マリア・モランディーの「聖母子と聖ガエターノ」


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ロレンツォ・ベッレッティーニ(コルトーナ、1620‐1672)の「聖ジュゼッペの死」


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16世紀の無名画家の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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ラッファエッロ・ヴァンニの「キリストの変容」


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右側廊


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作者不明の「聖母子(テラコッタ)」(15世紀)


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ラッザーロ・バルディー(ピストイア、1624‐1730)の「聖セバスティアーノ」


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左側廊


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ピエトロ・ベッレッティーニ(コルトーナ、1597‐1669)の「ご誕生」


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アンドレア・セッラーリ(コルトーナ、1600‐1672)の「磔刑」


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ロレンツォ・ベッレッティーニの「聖母子と聖人たち」


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サルヴィ・カステッルッチの「聖母と聖人たちの問答」
サルヴィはピエトロ・ベッレッティーニの弟子でした。


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ミーノ・ダ・フィエゾレまたはウルバーノ・ダ・コルトーナの作品(1491)


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詳細不明


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外に出ました。


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(おわり)

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次はサン・ニコロ教会です。


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勾配がある道を一旦上り、平坦な場所に出てから更に坂を下ります。


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足腰がしっかりしていないと、コルトーナに行けませんね。


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そうは言っても、この街にはお年寄りが比較的多く住んでいるように思います。


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さて、この時向かっていたサン・ニコロ教会ですが、ルーカ・シニョレッリの祭壇画があるのです。その祭壇画は表裏両面に描かれています。


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サン・ニコロ教会が見えてますが、この道を進まず、わざと遠回りをしました。


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この先に小さな礼拝堂があるので、それを見てからサン・ニコロ教会に向かうことにしました。


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先ほど上ってきた道を振り返ったところです。


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この先に小さな公園があります。


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この周囲に宗教施設が点在しているのですが、その理由がよく分かりません。ここから50m以内に4つあるのですから。宗教施設の供給過剰?


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写真左の建物は保育園だったと思います。


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この小さな礼拝堂に寄り道したかったのです。


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14世紀と16世紀に描かれたフレスコ画があります。


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16世紀に描かれた「玉座の聖母子」と「受胎告知」


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14世紀のフレスコ画
こちらの方は痛みがあって画像判別が困難です。


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小さな礼拝堂は坂に建てられてます。


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サン・ニコロ教会への案内板がありますが、ここから30mくらいの距離しかありません。


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それにしても暑かった!


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サン・ニコロ教会です。


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宗教活動を数年前に終了し、現在は博物館になってます。


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主祭壇です。
主祭壇画はルーカ・シニョレッリの作品です。表裏両面に描かれていますが、現役の教会だった時には、裏面の画面を見ることができませんでした。


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表に描かれたルーカ・シニョレッリの「十字架降下」(1510)


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祭壇画の横にモーターがつけられ、それによって裏面が見えるように祭壇画が動くのです。博物館に転身する以前には、この仕掛けがありませんでした。


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裏面に描かれたルーカ・シニョレッリの「玉座の聖母子と聖ピエトロと聖パオロ」(1510)


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教会の天井
他にフレスコ画、祭壇画がありますが、ルーカ・シニョレッリの作品以外、それらは詳細不明です。おそらく博物館側は製作者等を把握していると思います。博物館になったからには、各作品の説明プレートがあってもよいと思います。


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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裏面が見えるようになって本当に良かったと思います。


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現役の教会だった時代、この扉が開いていることは滅多にありませんでした。


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次はサンタ・キアーラ教会です。


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サン・二コラ教会から20mほど坂を下れば、サンタ・キアーラ教会があります。


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先に、こちらの方を拝観しました。


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中には、これだけしかありませんでした。
彩色磔刑像、聖フランチェスコ、聖キアーラ


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サンタ・キアーラ教会の拝観です。


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祭壇の後ろが見所ですが、扉が閉まっていました。


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


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外に出ました。


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山上にあるサンタ・マルゲリータ教会に行きたいと思いましたが、暑いので(35度くらいあったと思います)無理をしないことにしました。


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それに折角上ってみても教会の扉が開いているのか、その辺がよく分からないのです。


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(つづく)

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次はサン・フランチェスコ教会です。


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サン・ドメニコ教会からサン・フランチェスコ教会に行くには、旧市街の中心を経由して行くのが最も近道になります。


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ナツィオナーレ通り


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レプッブリカ広場を通り過ぎました。


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広場から教会までは坂道となってます。


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広場から約100mほど進めば教会です。


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ここのタベルナコロは見逃せません。


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「磔刑」は地元コルトーナの画家によって描かれました。


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行った先々の街の繁栄度は、その街の教会やMuseo Civicoなどの展示作品を見れば大体分かります。


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有名な画家や彫刻家の作品が幾つもあれば、その街は繁栄していたのです。芸術はパトロンがいないと成り立ちません。裕福なパトロンがいることが、芸術の質を左右することになります。


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もう教会です。


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サン・フランチェスコ教会のファサードが見えてきました。


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1245年に完成したゴシック様式の教会です。


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再建されずに現在に至ってます。


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しかし、現在の姿は1245年当時のものとはかなり違うそうです。それは17世紀前半に大幅な修復工事が行われたからとされてます。


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ポータル、ルネッタ並びにその周辺は創建時の姿とされてます。


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単廊式、ゴシック様式の内部です。


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左側壁


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右側壁


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木組み梁の天井


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後陣


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中央礼拝堂


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後陣右の礼拝堂


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14世紀の無名画家の「グラツィエの聖母」


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アンジェロ・ディ・ピエトロとフランチェスコ・ディ・ピエトロ兄弟の「ラニエーリ・ウンベルティーニの墓」(1360)
ラニエーリ・ウンベルティーニは、コルトーナの初代司教で、1348年にコルトーナで没しました。


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チーロ・フェッリの「天上の聖母と聖ルイージと聖ルドヴィーコと聖二コラと聖フランチェスコとコルトーナの聖マルゲリータ」(1625)


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ジローラモ・ピアモンティーニの「磔刑」
フランチェスコ・ファッブルッチの「聖フランチェスコ」、「コルトーナの聖マルゲリータ」(17世紀)


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チゴリの「パドヴァの聖アントニオの奇跡」(1597)


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ピエトロ・ダ・コルトーナの「受胎告知」(1669)


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アンドレア・コッモディの「無原罪の御宿りと聖クリストフォロと聖ルドヴィーコと聖チェチリアとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1609)


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ジョヴァンニ・カミッロ・サグレスター二(1660‐1731)の「聖ルチアの奇跡」


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ヤコポ・ディ・ミーノ・デル・ポッリチャーイオの「聖母戴冠」(フレスコ、14世紀)


P2170384
オラツィオ・フィダーニの「聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅」(1845)


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ラッファエッロ・ヴァンニの「ご誕生」(17世紀)


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ニッコロ・モンティ・ディ・ピストイアの「スルタンと面会する聖フランチェスコ」(1842)


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これが見たかったのです。


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1523年10月16日、ルーカ・シニョレッリはコルトーナで没しました。


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詳細不明のフレスコ画


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中庭に出てルーカ・シニョレッリの墓を探しました。


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ルーカの墓はサン・フランチェスコ教会にあります。


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ルーカの墓を見つけることができませんでした。


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外に出ました。


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(つづく)

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シニョレッリ劇場です。


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シニョレッリ劇場の隣に建っているプレトーリオ宮です。


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プレトーリオ宮はエトルリア・アカデミー博物館になってます。入館しました。
この博物館については、後程、項を改めて詳しく取り上げる予定です。


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博物館から外に出ました。


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シニョレッリ劇場に一度も入ったことがありません。


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6月となると、一挙に人出が多くなるコルトーナです。


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写真左に見えるのが小さなスーパーマーケットです。
開くのを待って、大好物のペッタンコ桃を買いました。


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強烈な日差し。暑かった!


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午後3時半を過ぎたばかりです。


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買い求めた桃が意外に重かったので、一旦ホテルに戻り、部屋の冷蔵庫に入れました。これが出来るというのが、旧市街の中心にあるホテル・イタリアのメリットです。


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街歩きの再開です。次はサン・ドメニコ教会です。


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ナツィオナーレ通り


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2週間後に予定されている祭りのために旗が掲げられています。
夏至前後の週末に、祭りが開催されるコムーネが非常に多いようです。


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通りの突き当りがガリバルディ広場です。


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ガリバルディ広場から見たサン・ドメニコ教会です。


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広場は絶景ポイントの一つです。


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見えているのはトラズィメーノ湖で、コルトーナはトラズィメーノ湖の北にあります。


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現在地に、1230年に建設が開始された小さな教会と修道院がサン・ドメニコ教会の前身です。


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今日、見ることができる教会の建物は1438‐1557年に建てられた二代目のものです。


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美術的に優れた教会が多いコルトーナにあって、サン・ドメニコ教会は傑作が多い、或いは多かった教会として特筆すべき存在です。


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美術好きは勿論のこと、例え美術があまりお好きではない方にも、この教会だけは拝観する価値があると思います。


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何故かレオナルド・ダ・ヴィンチのこれがサン・ドメニコ教会の横にあります。


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今回は少々ショックでした。
入口扉上ルネッタの硝子板が外され、ルネッタ上に描かれたフレスコ画の痕跡すらも分からなくなっていました。
10年くらい前は、退色剥離したフレスコ画が微かに認められました。7,8年前に保護のガラス板によってフレスコ画が覆われるようになりました。
ルネッタ上には、ベアート・アンジェリコのフレスコ画(1439‐40)があったのです。そのフレスコ画のシノピエ(フレスコ画の下絵)が教区美術館で展示されてます。


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これが、そのシノピエです。


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単廊式、ゴシック様式の内部です。


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左側壁


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右側壁


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天井


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中央礼拝堂(主祭壇)と後陣


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主祭壇画は、ロレンツォ・ディ・ニッコロ・ジェリーニの多翼祭壇画です。
フィレンツェの国父と言われたコジモ・ディ・メディチが1440年に注文した祭壇画です。


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頭頂部の三位一体、受胎告知


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中央


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向かって左


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向かって右


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裾絵


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後陣左の礼拝堂です。


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後陣左の礼拝堂の祭壇画はルーカ・シニョレッリの作品です。


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ピエトロ・コロンバーティの「祈りの聖母」(18世紀)


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パルマ・イル・ジョーヴァネの「聖母被昇天」


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中央パネルが欠落しています。
ヴィンチェンツォ・コンティの「天上の聖母と聖人たち」(1708)
ヴィンチェンツォはカルロ・マラッタの弟子でした。


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取り外されてますが、ここにパッシニャーノの「磔刑」がありました。


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教会の床にありました。


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アンドレア・コッモディ(フィレンツェ、1560‐1638)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの論争」(1603)


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バルトロメオ・デッラ・ガッタの「聖ロッコ」


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バッチョ・ボネッティ(フィレンツェ、1557‐コルトーナ、1645)の「十字架降下」


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バルトロメオ・デッラ・ガッタのフレスコ画


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ラッファエッリーノ・デル・コッレの「聖アウグストゥス」
サン・ドメニコ教会にあった作品で、現在は司教区美術館で展示されている作品が凄いです。
以下3点の作品がそうです。


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ベアート・アンジェリコの「受胎告知」


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ベアート・アンジェリコの多翼祭壇画


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サッセッタの多翼祭壇画


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祭壇前から見た出入口方向です。


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外に出ました。


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非常に良かった! 大満足。


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多くの傑作があったことから、この教会の重要性が垣間見えます。


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(つづく)






P2170029ピエトロ・ロレンツェッティ(シエナ、1280c‐1348)の「彩色磔刑像」(1320‐34c)
コルトーナのサン・マルコ教会にありました。


P2170034
ベアート・アンジェリコの「聖母子と聖人たちのポリッティコ」(1438)
コルトーナのサン・ドメニコ教会にありました。


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中央パネル


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聖マッテオ、洗礼者聖ジョヴァンニ


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福音書記者聖ジョヴァンニ、マグダラのマリア


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裾絵は聖ドメニコの物語


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教会の楽譜は四線譜です。


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次は聖具室です。


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13世紀末のシエナ派無名画家の「コルトーナの聖マルゲリータの生涯」(13世k末)
コルトーナのサンタ・マルゲリータ修道院にありました。


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ガーノ・ディ・ファツィア(シエナ、1302‐1318以前記録)の「聖母子」(1310‐18c)
サンタ・マルゲリータ聖域にありました。


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ピエトロ・ロレンツェッティの「カルヴァリオへの途」(1330‐40c)
コルトーナのサンタ・マルゲリータ聖域にありました。


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14世紀初頭のシエナ派無名彫刻家の「聖母子」(1310‐20c)
コルトーナのサンタ・マルゲリータ聖域にありました。


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詳細不明


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詳細不明


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詳細不明


P2170077
詳細不明


P2170079
詳細不明


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詳細不明


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ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、1331‐1335記録)の「聖母子」(1336c)
コルトーナのサンタ・マルゲリータ聖域にありました。


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ピエトロ・ロレンツェッティの「玉座の聖母子と四天使」(1330‐40c)


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チュッチョ・ディ・ヌッチョ?の「洗礼盤」(1474)
コルトーナのドゥオーモにありました。


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上の作品額縁の下にあったものです。


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詳細不明


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ピエトロ・ロレンツェッティの「磔刑」(1325?)


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次は、現在司教区美術館になっている建物の地下に設けられたジェズ祈祷所です。


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地下祈祷所の壁にフレスコ画が描かれてます。


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祈祷所のフレスコ画は、ヴァザーリ派画家のクリストファノ・ゲラルディ通称イル・ドチェーノ(ボルゴ・サンセポルクロ、1508‐1556)によって、16世紀中ごろに制作されました。


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天井のフレスコ画


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側壁


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主祭壇のテラコッタは、ベルナルディーノ・コヴァッティ(コルトーナ、1519から記録)?の「死せるキリストへの哀悼」(16世紀前半)


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クリストファノ・ゲラルディの「最後の晩餐」


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クリストファノ・ゲラルディの「ゲッセマネ園の祈り」


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ヴィンチェンツォ・ディ・ピエトロ・パオロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1450‐1517)の「聖職者席」


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14世紀末のトスカーナの無名彫刻家の「天使」(14世紀末)


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ベアート・アンジェリコのシノピエ
コルトーナのサン・ドメニコ教会にありました。


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ローマ時代の石棺(2世紀)


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聖具類


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素晴らしい展示でした。


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外に出ました。
(おわり)

コルトーナに行ったならば、ベアート・アンジェリコ、ルーカ・シニョレッリの傑作が展示されている司教区美術館 Museo Diocesano は必訪です。
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コルトーナのドゥオーモ広場です。


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司教区美術館の建物です。


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司教区美術館の隣にあるのは旧ジェズ教会です。旧ジェズ教会の建物の一部が司教区美術館として使用されてます。
美術館は1945年にオープンしました。


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入館すると、先ずルーカ・シニョレッリの作品が展示されている部屋が出迎えてくれます。


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ルーカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c‐1523)と工房の「聖母の昇天」(1519‐20)
向かいのドゥオーモにありました。


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ルーカ・シニョレッリと協力者の「無原罪の御宿りの寓意」(1521‐23)
ジェズ教会にあった祭壇画です。


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ルーカ・シニョレッリの「キリストから聖体拝領する使徒たち」(1512)
ジェズ教会の主祭壇を飾っていました。


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ルーカ・シニョレッリ工房の「キリストの教会への出現」(1521c)
工房制作の作品であっても手抜きすることなく親方ルーカが筆を入れたと言われてます。


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ルーカ・シニョレッリと弟子たちによる裾絵「聖ベネデットの物語」(1515‐16c)
何処にあったか、置かれていた場所が不明です。


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ルーカ・シニョレッリ工房の「聖母子と聖人たち(大天使ミケーレ、パドヴァの聖アントニオ、シエナの聖ベルナルディーノ、バーリの聖二コラ)」(1515c)


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ルーカ・シニョレッリ工房の「羊飼いの礼拝」(1521‐24)
工房で仕事をしていたフランチェスコ・シニョレッリ(ルーカの息子)とアントニオ・ディ・ドッニーノ・デル・マッツィエーリが描いたと言われてます。


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ルーカ・シニョレッリの「死せるキリストへの哀悼」(1501‐02)


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コルトーナのサンタ・マルゲリータ教会にありましたが、18世紀中ごろにドゥオーモに移され、1945年に美術館オープンの際にここで展示されるようになった作品です。
ヴァザーリに拠れば、キリストの遺体の描写は、1502年にペストで没したルーカの息子の遺骸を参考にしたとされてます。


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裾絵の「ゲッセマネ園の苦悩」


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「最後の晩餐」


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「キリストの逮捕」


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「キリストの鞭打ち」


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ルーカ・シニョレッリと弟子たちによる「玉座の聖母子と聖フランチェスコとトローザの聖ルドヴィーコと聖ボナヴェントゥーラとパドヴァの聖アントニオ」(1510‐15c)
オリジナルの設置場所が不明の祭壇画です。


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ルーカ・シニョレッリ工房の「羊飼いの礼拝」(1522c)
コルトーナのサン・フランチェスコ教会にあった祭壇画です。


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いいですねえ。


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次の部屋に移りました。
写真ダメの表示がありますが、2015年頃から写真OKとなりました。(但しノーフラッシュで)


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小さなタベルナコロ


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絵画は取り外されています。


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詳細不明(説明プレートがありません)


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ジュゼッペ・マリーア・クレスピ(ボローニャ、1665‐1747)の「コルトーナの聖マルゲリータの光悦」(1701)
コルトーナのサンタ・マリア・ヌオーヴァ教会にありました。


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フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1540/1541-アンコーナ、1609)に帰属する「聖母被昇天と洗礼者聖ジョヴァンニとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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フランチェスコ・カッペッラ(ヴェネツィア、1711-ベルガモ、1774)の「パオラの聖フランチェスコの奇蹟」(1750)


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サッセッタ(コルトーナ?、14世紀末‐シエナ、1450c?)の「聖母子と四聖人」(1436)
コルトーナのサン・ドメニコ教会にありました。


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中央パネル


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バーリの聖二コラ、大天使ミケーレ


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洗礼者聖ジョヴァンニ、ウンゲリアの聖マルゲリータ


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ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417‐1491)の「聖フランチェスコとシエナの聖ベルナルディーノとパドヴァの聖アントニオ」(1450‐60c)
コルトーナのサン・フランチェスコ教会にありました。


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次の部屋に移動しました。


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この部屋が最も人気があると思います。


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マルティーノ・ディ・バルトロメオ(シエナ、1389‐1434記録)の「聖母被昇天」(1400-10c)


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ・ディ・ムジェッロ、1395c‐ローマ、1457)の「受胎告知」(1434-36)


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非常に名高い作品です。


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裾絵の聖母の誕生、聖母の結婚


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ご訪問


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マギの礼拝


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この部分の画題が私には分かりません。


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聖母の死


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傑作ですね。


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(つづく)

コルトーナは、人口22,450人(2015年12月31日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネです。
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この日は鉄道でカムーチャ駅に到着しました。


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タクシーはおらず、バスは40分後。


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旧市街は丘上にあり、丘上に行くにはタクシーで10分、バスで15分かかります。


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電話を架けてタクシーを呼びました。


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直ぐに行くとの事でしたが、タクシーが中々来ません。漸く来たと思ったら、客を駅前で降ろしてから、私の方にタクシーが来たのです。往復ともに客がいて運転手さんはご機嫌でした。


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旧市街の中心にあるホテル(写真右)にチェクイン後、直ぐに外に出ました。


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旧市街の中心レップブリカ広場です。


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市庁舎


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市庁舎横のアーチの先に、この日のお宿があります。コルトーナに来れば必ず泊まってます。


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お昼を過ぎ、お腹が空いたので先ず昼食です。


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シニョレッリ広場は青空市が開催されていました。


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シニョレッリ劇場


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ここに来たら、ワンちゃんにご挨拶を忘れてはいけません。


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1年前は歓待してくれましたが、「お前なんか知らないよ」と全く無視されてしまいました。目を背けて合わそうとしません。


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コルトーナに来れば、大体ここで食べてます。


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この店です。


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午後は大好きなシニョレッリ作品の鑑賞です。そのためには素面が良いのです。断腸の思いでアルコールなしで我慢、我慢。


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ワインにぴったりの前菜を注文。


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ドルチェとエスプレッソの写真を撮り忘れました。


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お腹一杯になり、シニョレッリ作品鑑賞の準備が整いました。


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教区博物館の建物がもう見えてます。


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ドゥオーモ広場


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教区博物館


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広場を挟んで、博物館の対面に建っているドゥオーモです。


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ドゥオーモの横は断崖絶壁となってます。写真左端からの景観が見事です。


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見事な景観


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午後2時過ぎでしたが、ドゥオーモが開いていました。何時扉が閉められるかわからないので、教区博物館に入館する前にドゥオーモの拝観をすることにしました。


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見るべき美術品が10点ほどあります。


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ドゥオーモについては、「古寺巡礼」で別に取り上げる予定です。


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いよいよ教区博物館です。


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展示作品が少ないですが、傑作揃いの博物館です。


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シニョレッリの作品


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教区博物館については、後程項を改めて詳しく取り上げます。


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生きているうちにあと何回来ることが出来るだろう。


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この日の翌日の午前にもう一度教区博物館に入館しました。


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(つづく)

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