
チェゼーナは、人口96,758人(2016年1月1日現在)のエミリア・ロマーニャ州フォルリ・チェゼーナ県の県都です。
エトルリア人起源の古い町ですが、紀元前3世紀にローマの軍門に下り、エミリア街道の軍事都市として繁栄しました。
中世のころはマラテスタ家の支配地となり、同家の衰退後は教皇領となりました。

チェゼーナのドゥオーモ

市立絵画館はチェントロの中心から少し外れた場所にあります。

サン・ビアージョ教会修道院に向かいました。

着きました。

教会修道院だった建物は、現在、チェゼーナ市の文化センターとして使用されてます。

9世紀頃に既に教会の存在が記された記録が残されてます。初代の建物が老朽化したので、14世紀後半に既存の建物を取り壊し、その上に新しい建物の再建が決定され、1394年創建、1486年に完成した二代目の建物が今に見る姿となってます。

18世紀末、ナポレオンのイタリア侵攻に伴い、この教会修道院はその宗教活動が禁止され、フランス軍に接収され駐屯地となりました。
ナポレオンの失脚後、教会修道院は元に戻され、一旦はその活動が再開されましたが、聖職者の多くが戻らず、結局、1801年に全ての宗教活動が停止され、廃教会修道院となりました。


19世紀後半、建物はチェゼーナ市当局の所有となり、様々な用途に使用されていました。
1950年代にチェゼーナの絵画館、博物館、図書館、音楽会館、催事場などからなる文化センターとして生まれ変わり、現在に至ってます。

絵画館は階上にあります。

入館しました。

15世紀のロマーニャの無名画家の「聖母子と大天使ラッファエーレととビアス」

Maestro di Castrocaroの「聖母子」(15世紀)

アントニオ・アレオッティ(アルジェンタとチェゼーナで1496‐1527活動記録)の「聖クリストフォロと聖セバスティアーノと聖ロッコ」

Maestro di Baldraccani (チェゼーナで1480‐1510活動記録)の「ロヴェレッラ枢機卿の肖像」

ジローラモ・マルケージ・ダ・コティニョーラ(コティニョーラ、1490c‐ボローニャ、1559c)の「聖グレゴリオ・マーニョと寄進者」

バルトロメオ・コーダ(リミニで1524‐1563活動記録)の「キリストと姦通女」

フランチェスコ・フランチャの「寺院への出現」

シピオーネ・サッコ「教会のキリストと聖人たち」

ジローラモ・フォラボスコ(パドヴァ、1604‐1679)の「アルテミジア」

クリストフォロ・セッラ(チェゼーナ、1600‐1689)の「アタナシオ・ムサーキの肖像」

ジョヴァン・バッティスタ・ラッザーニの「トッマーゾ・ダ・カルタジローネの肖像」

ジョヴァン・バッティスタ・ラッザーニ(チェゼーナ、1603‐1666)の「チントラの聖母と光悦の聖グリアーノ」

サッソフェッラートの「受胎告知される聖母」

ガスパーレ・サッキの「十字架降下」

サッソフェッラートの「受胎告知される聖母」

クリストフォロ・セッラの「聖フィリッポ・アポストロと聖フランチェスカ・ロマーナ」

サッソフェッラートの「祈る聖母」

サッソフェッラートの「聖母子」

サッソフェッラートの「祈る聖母」

アンドレア・マイナルディ(1652‐1735)の「祈る聖フランチェスコ」

16世紀末の無名画家の「磔刑」

ジョヴァン・バッティスタ・ペルトゥッチ・イル・ジョーヴァネ(ファエンツァ、1539‐1614)の「十字架降下」

フランチェスコ・ロンギ(ラヴェンナ、1544‐1618)に帰属する「チェゼーナのニッコロ・マシーニの肖像」

バルトロメオ・パッセロッティ(ボローニャ、1529‐1592)に帰属する「若い音楽家の肖像」

16世紀の無名画家の「救世主」

アントニオ・アレオッティ(アルジェンタ、1495‐1527記録)の「玉座の聖母子と聖アントニオ・アバーテと大天使ミケーレ」

ビティーノ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァで1398‐1427活動記録)工房の「梨の聖母」

15世紀後半のロマーニャの無名画家の「聖ビアージョ」

Maestro di Castrocaro(15世紀中頃活動)の「受胎告知される聖母」

Maestro di Castrocaroの聖ビアージョ」

Maestro di Castrocaroの「授乳の聖母」

コスタンティーノ・グイディ(チェゼーナ、1832‐1899)の「リスボンに入る聖ヴィンチェンツォ・フェッラーリ」(上)と「餓死寸前の男を蘇生させる聖ヴィンチェンツォ・フェッラーリ」

エネア・ペローニ(チェゼーナ、1810‐1844)の「チェゼーナに入る教皇ピオ7世」

アントニオ・ピオ(チェゼーナ、1809‐1871)の「羊飼いの少年」

ヴィンチェンツォ・バルダッチ(チェゼーナ、1802‐1813活動)の「ナポレオンの肖像」

ヴィンチェンツォ・バルダッチの「エットーレの葬儀」

ジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716‐チェゼーナ、1798)の「聖母戴冠」

ジュゼッペ・ミラーニの「天上の聖母」

ジュゼッペ・ミラーニの「聖ルイージ・ゴンザーガに顕現する聖母子」

ジュゼッペ・ミラーニの「アウレリオ・ロヴェレッラの肖像」

フランチェスコ・アンドレイーニ(チェゼーナ、1697‐1751)の{La Carita」

17世紀の無名画家の「グイド・レーニ作『聖母子と聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニオ』のコピー画」

バルトロメオ・ゲッナーリ(チェント、1594‐ボローニャ、1661)の「聖母子とカンタリーチェの聖フェリーチェ」

ジャンバッティスタ・ピアツェッタ(ヴェネツィア、1682‐1754)の「生贄にされるイフィジェニーア」

トデスキーニの「男と猫」

フランチェスコ・アンドレイーニの「フランチェスコ・ロッカテッリ枢機卿の肖像」

アゴスティーノ・プラケージ(チェゼーナ、1734‐1780)の「カルロ・バンディ枢機卿の肖像」

以下の写真は、ジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716‐チェゼーナ、1798)がチェゼーナのマドンナ・デル・モンテ聖堂のクーポラのために制作したものです。






アントニオ・ピオの「吟詠詩人から詩を聞くマリア・ストゥアルダ」

ヴィンチェンツォ・バルダッチの「瀕死のフィロッテーテ」

19世紀後半から現代までの作品が数多く展示されてます。

近代から現代の作品紹介は省略させていただきます。

外に出ました。

(おわり)