
フランチェスコ・バッサーノ・イル・ヴェッキオの「洗礼者聖ジョヴァンニ」、「聖ピエトロ」

ヴェネトの無名画家の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」

ヴェネトの無名画家の「女性の肖像」

フランチェスコ・モンテメッツァーノ(ヴェローナ、1555‐ヴェネツィア、1602以降没)の「この人を見よ」

デニス・カルヴァートの「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」

パルマ・イル・ジョーヴァネの「死せるキリストを支える天使」

パルマ・イル・ジョーヴァネの「キリストと教会博士の問答」

ジローラモ・ダ・サンタクローチェの「聖マッテオの召命」

アンドレア・スキアヴォーネの「聖トッマーゾの不信」

バルトロメオ・スケドーニの「マギの礼拝」

制作者不明の「ペルジーノ作『十字架降下』のコピー画」

バルバーラ・ロンギ(ラヴェンナ、1552‐1638)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」

ティツィアーノ工房の「ニコロ・ゼンの肖像」

ヴィンチェンツォ・カテーナの「ジョヴァンニ・ノヴェッロの肖像」

フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネ(バッサーノ・デル・グラッパ、1549‐ヴェネツィア、1592)の「園の祈り」
フランチェスコ・イル・ジョーヴァネは、ヤコポ・バッサーノの長男で、四人いた息子の長兄でした。父ヤコポの下で修業し、3人の弟と一緒に父の工房で働いていたが、工房支店をヴェネツィアに創設することになり、1574年、その責任者としてヴェネツィアに移住するとともに自立しました。
ところが、1580年代に病気がちとなり、やがて躁鬱症も患うようになりました。
1592年、父ヤコポが死去すると、バッサーノ・デル・グラッパにあった父の工房を引き継ぎました。しかし、父の工房を引き継ぎ、ヴェネツィアの工房支店の2つの経営に従事してから僅か数か月後に自殺したのです。

フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネの「最後の晩餐」

フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネの「羊飼いの礼拝」(1580‐85)

レアンドロ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1557‐ヴェネツィア、1622)の「死せるキリストを支える二天使」
レアンドロは、ヤコポの次男で、父から画家としての手ほどきを受けた後、長兄のフランチェスコから多くを学びました。
1588年までにヴェネツィアに移住して、フランチェスコが責任者を務めるヴェネツィアの工房支店を手伝いました。父ヤコポが1592年に死去すると、バッサーノとヴェネツィアの2つの工房は長兄フランチェスコに引き継がれましたが、同年、フランチェスコが自殺すると、レアンドロが2つの工房を引き継ぎました。
肖像画を得意にし、ヴェネツィア共和国関係の仕事を多くこなすようになり、やがて騎士に任じられるようになりました。当時のヴェネツィアにあって、ティントレットと仕事をうまく分け合う存在となりました。
当初は父の模倣の平凡な画風でしたが、ヴェネツィア派の影響を受けるとともにヴェネツィア政府関係の仕事をこなすうちに次第に腕を上げ、渋みのある明るい色彩ときちんとした構図を採用した独自の画風を確立したのです。

レアンドロ・バッサーノの「寺院への出現」

レアンドロ・バッサーノの「玉座の聖母子と聖クレメンテと聖バッシアーノ」

ジローラモ・バッサーノ(バッサーノ・デル・グラッパ、1566‐ヴェネツィア、1621)の「聖母子と聖ロッコと聖セバスティアーノ」
ジローラモは、父ヤコポの四人の息子の末っ子でした。父の工房で助手を務めることが多く、工房時代の彼自身の作品は残されていません。父の死後、工房から独立して仕事をするようになりましたが、父の模倣と陳腐な構図の過度な繰り返しを行ったので、次第に仕事を得ることが難しくなったのです。

ジローラモ・バッサーノの「天上の聖母子と聖マルティーノと聖ルチア」

ジローラモ・バッサーノの「福音書記者聖ジョヴァンニを崇めるロドヴィーコ・タバリーノ」

フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネの「男の肖像」

レアンドロ・バッサーノ工房の「聖ステファノの殉教」

レアンドロ・バッサーノの「カルヴァリオへの途」

レアンドロ・バッサーノの「クリストフォロ・コンポステッラの肖像」

フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネの「金持ちたち」

フランチェスコ・バッサーノ・イル・ジョーヴァネの「マルタ騎士の肖像」

ジャンバッティスタ・ピアツェッタの「洗礼者聖ジョヴァンニ」

フランチェスコ・マッフェイの「聖母子」

パドヴァニーノの「公正」

ピエル・フランチェスコ・カイロの「荊刑のキリスト」

カリオ・ロートの「サムソンとデリラ」

ジュリオ・カルピオーネの「聖パオロ」、「聖グレゴリオ・マーニョ」

アルテミジア・ジェンティレスキの「スザンナの水浴」

ヴィチェンティーノの「三位一体」

ヴェネトの無名画家の「聖フランチェスコの幻視」

レアンドロ・バッサーノの「聖母子と二聖人」

レアンドロ・バッサーノの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」

レアンドロ・バッサーノの「玉座の聖母子と聖フランチェスコと聖キアーラ」

彫刻も展示されてます。

ローマ時代の古い彫刻もあります。

ロベルト・ロベルティ(バッサーノ・デル・グラッパ、1786‐1837)の「風景画」(1807)
ロベルトの風景画が数点展示されてます。

ロベルト・ロベルティの「風景画」(1810)

ロベルト・ロベルティの「風景画」(1814)

ロベルト・ロベルティの「風景画」(1816)

宝飾品?

外に出ました。

最後に広場にあるフランチェスコ・バッサーノ像を見ました。

(おわり)